ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十三話

 「東京プリズンの内部構造は複雑怪奇だ」
 コンクリ打ち放しの通路を靴音高く歩きながら説明する。
 「二十世紀香港に存在して2700平方メートルの敷地に3万3千人を収容したという高層スラム『九龍城』を例にとればわかりやすいだろうか。鉄筋コンクリート製の建造物が地上地下何階層にも渡り複合して摩天楼の如く聳えている。袋小路が複雑に入り組んでるせいで地理に不慣れな新入りは間違いなく道に迷う、方向音痴な囚人は確実に遭難する。実際年に十名前後の囚人が消息を絶ってるらしい。行方不明者リストに追加されたくなければ君も十分注意すべきだな」
 蛍光灯が不規則に瞬き、足元が翳る。
 壁の上部に設置された通気口からは鼠の鳴き声の他にカサコソと不気味な音が漏れてくる。ひび割れた壁に書き殴られているのは英語中国語その他外国語の卑猥なスラングと稚拙な落書きだ。下水の異臭が漂う中、床にしみでた汚水を迂回して歩いてると廃墟を探索してる気分になる。
 「他に何か質問はあるか」
 「図書室はないのかい」
 「いい質問だ。東京プリズンの唯一の長所は蔵書が豊富な点だ。これから図書室に案内しよう」
 内心妙なことになったぞと戸惑いつつ、表面上は平静を装って案内を続ける。静流の要望を聞き入れて図書室へと向かいながら食堂での出来事を回想する。先刻、食堂で静流に囁かれた言葉が脳裏を巡っている。
 『君、苗さんに似ているね』 
 『苗さんが死んで君に乗り換えたんだね、貢くんは』
 僕の耳元に口を近付け、僕にしか聞こえない声で囁いた静流。
 自分の言葉が与えた衝撃を推し量るように怪しく目を細めて僕の反応を探り、僕の顔に予想通りの表情を確認して悦に入った笑顔。
 静流はサムライのいとこで幼少期から行き来があった、苗とも面識があった。その静流が初対面の僕に「苗に似ている」と告げた。牽制?苗が死んで僕に乗り換えたとはどういう意味だ。静流はなにを、どこまで知ってるんだ?
 僕が静流の挑発に乗って案内役を引き受けたのは、二人きりになって直接真意を問い質したかったからだ。サムライは邪魔だ。彼がいると話がややこしくなる。僕は静流と二人きりになりたかった、彼と二人きりで話す必要性を感じたのだ。胸に蟠る不安感を解消したい、先刻の発言の真意を知りたい。
 静流が背後についてくるのを確認しつつ、中央棟へ至る渡り廊下を歩く。
 「東京プリズンの図書室は蔵書が充実してる。まさしく汗牛充棟、天井が高く広く快適な空間は読書にもってこいだ。僕も頻繁に図書室を利用してる。娯楽が限られる東京プリズンでは本を読み漁り知識を高める以外に楽しみもないからな、特に古今東西の哲学書の充実ぶりには目を見張るものがある。僕が推薦する一冊はニーチェ『道徳の系譜』で……」
 「君、直くんだっけ」
 唐突に話を遮られて不機嫌になる。IQ180の天才自ら推薦図書を教えてやろうというのに何だその態度は。不快感を隠しもせず露骨に顔を顰めて振り向けば、静流はにこにこと笑っていた。
 「それがどうかしたか。IQ180の天才自ら貴様のような凡人にもわかりやすく為になる哲学書を教えてやろうとしたのに、貴重な話を遮ってまで確認することか?」
 「貢くんとはどれくらいの付き合いになるの」
 静流がやんわりと聞く。
 「僕がここに来てからだから十ヶ月にもなるが」
 「十ヶ月。あと二ヶ月で一年か」
 心得たと静流が頷く。知ったかぶった態度が気に食わない。貴様に僕とサムライの何がわかるんだと詰問したくなるのをぐっと抑えて歩行を再開、歩調を速めて図書室に急ぐ。静流は洗練された身振りで歩きながら物珍しげにあたりを見まわしている。短い間隔で蛍光灯が点滅して視界の明暗が切り替わる。蝿や鼠の死骸、煙草の吸殻や使用済みコンドームが散乱して荒廃を極めた通路を眺めながら静流が口を開く。
 「聞いていいかい」
 「なんだ」
 「あの避妊具だけど」
 静流が指差した通路の隅には使用済みコンドームが捨てられていた。 
 「ここは刑務所だ。対象となる異性がいない環境で性欲を持て余した囚人がとる行動は限られる」
 「知ってるよ。男同士でもちゃんとコンドーム使うんだなって不思議に思っただけさ」
 静流が砕けた言い方で肩を竦める。
 「東京プリズンには性病が蔓延してるからな。念には念を入れて予防してるんだろう」
 「強姦する時にも避妊具を使うのかい。変な話だ」
 「囚人の大半はコンドームなど使用しない。コンドームを装着するのは主に看守だ。察するにあのコンドームは看守が性病予防に使ったものだろう。東京プリズンでは囚人と看守が性交渉を持つのも決して珍しいことではない、合意にしろ非合意にしろな……くだらないことを説明して口が汚れた。先を急ぐぞ」 
 汚水に浸かってふやけた吸殻と萎んだコンドームを一瞥、足早に歩き出す僕のあとを静流がついてくる。肩越しに振り返り、さりげなく静流の表情を観察する。静流は目に映るものすべてが新鮮とばかりに生き生きとした表情をしていた。
 東京プリズンに収監されたということは更正不可能、社会復帰不可能の決定を下されたに等しいのに静流は全くもって悲観してない、絶望してない。
 違和感の源はこれか、と僕は思う。
 こうして歩いてる途中も何人か新入りとおぼしき少年とすれ違ったが、彼らは一様に暗く沈んだ顔をして、俯き加減に足をひきずっていた。
 東京プリズンに送られたということはつまりそういうことだ。
 東京プリズンは砂漠の涯てにあるこの世の地獄、日本の法律に見捨てられた最果ての監獄なのだ。
 静流は何故平気でいられるのだろう。何故こんなに余裕があるのだろう。その他大勢の新入りをよそに飄々と振る舞う静流は食堂でも通路でも異彩を放っていた。
 東京プリズンの実態を目の当たりにしても涼しげな微笑みを絶やさず、物怖じせずに振る舞う静流の存在自体が集団の中の異端だった。
 掃き溜めに舞い降りた一羽の白鷺。
 「へえ、図書室は別棟にあるんだ。いちいち渡り廊下通らなきゃいけないなんて結構面倒くさいね」
 静流が気さくに声をかけてくる。静流の言葉を無視して黙々と歩く。中央棟に渡り終え、一路図書室へと足を向けた僕の背後から靴音が遠のく。振り向けば、いつのまにか静流が遠ざかっていた。
 「どこへ行く気だ、まず最初に図書室に!」
 自分から図書室を見たいと言い出した癖に土壇場で方向転換とは自己中極まると憤慨しつつ、足取り軽く廊下を歩く静流を小走りに追いかける。僕の視線の先で静流が立ち止まる。静流に追いついた僕は、彼の視線を追い、慄然と立ち竦む。
 静流の足元には暗闇に沈んだ階段が続いていた。
 地下への階段。
 「この階段はどこへ続いてるんだい」
 「………この階段の先は閉鎖されてる、囚人は立ち入り禁止だ」
 静流は立ち去りがたげな様子で階段の奥底を覗き込んでいる。静流の隣に立ち竦んだ僕は、忌まわしい物から目を逸らしたい衝動と戦いつつ埃っぽい闇が淀んだ階下を覗き込む。この階段の先は悪夢と地続きに繋がっている。
 僕がかつて売春を強いられていた場所……中央棟地下一売春通り。
 売春班廃止が決定されてのち、階段の先は完全封鎖されてバリケードが築かれてるはずだが…… 
 「立ち入り禁止か。冒険心をくすぐるね」
 静流が悪戯っぽくほくそ笑み、階段へと足を踏み出す。
 制止する暇もなかった。先に立って階段を下りていく静流の背にむなしく手を伸ばし、彼を追おうか否か逡巡する。階段の先には地獄がある。僕はもう二度とあの場所に戻りたくない。蛍光灯の破片が床一面に散乱した薄暗い地下、客の怒声と罵声、売春夫の嗚咽と悲鳴が殷殷とこだまするあの場所に……
 背中にびっしょりと冷や汗をかき、叫ぶ。
 「待て帯刀静流、僕を無視して勝手な振る舞いをするな!そこから先は立ち入り禁止だと言ったろう、入所早々規則を破ったことがバレれば看守に目をつけられるぞ。天才の忠告は聞いたほうが身の為だ、大人しく戻って来い!」
 「なにを怖がってるの。暗闇に怯えるなんて子供みたいだ」
 階段を下りた静流が不思議そうに僕を仰ぐ。 
 「誰も来ないなら内緒話に最適だ。そう思わないかい」
 続く静流の言葉に虚を衝かれる。
 静流は僕を誘ってる……挑発してる。二人きりで話をしたいならついてこいと背中で促している。僕はどうする?逃げるのか。まさか。僕はIQ180の天才、誰より誇り高く奢り高い鍵屋崎直だ。暗闇など恐るるに足りない、過去の恐怖も克服してやる。生唾を飲み込み、決心して一歩を踏み出す。
 暗闇に没した静流の背中を追い、足元に気を付けながら階段を下りる。
 静流は既に地下一階に到着していた。
 手摺に掴まり階段を下り、静流と対峙する。僕の到着を待って静流は再び歩き出す。パリンとかすかな音がする。先に立って歩き出した静流が蛍光灯の破片を踏み砕いたのだろう。 
 話を切り出すなら、今しかない。
 暗闇が淀んだ通路に目を凝らして静流の背中に追いすがる。
 静流は廊下に立っていた。かつて売春班の仕事場だった地下一階の通りには有刺鉄線を張り巡らしたバリケードが築かれて囚人の立ち入りを禁じていた。 バリケードの向こう側に垣間見える鉄扉はすべて閉め切られて蛍光灯の電気も消されていた。
 周囲には先の見えない闇と荒んだ空気が立ち込めていた。
 「さっき食堂で言ったことを確認したい」
 体の脇でこぶしを握り込み、静流を睨みつける。
 「僕と苗が似てるとはどういう意味だ。サムライが僕に乗り換えたとは、どういう意味だ?」
 僕の声は知らず非難の響きを帯びて大気を震わせた。
 「それだけじゃない、他にも聞きたいことが山ほどある。一体君はどうして東京プリズンに来た、外でなにをしでかしたんだ。東京プリズンに送られるのは凶悪犯罪を起こした少年ばかり、日本の法律で許容できない事件を犯して更正不可能の烙印を押された少年に限定される。僕は両親を殺害してここに送られた、サムライは実父含む道場の門下生十三名を斬殺してここに来た。君は?僕やサムライと同じく純血の日本人でありながら東京プリズンに送り込まれた君は、一体どんな事件を起こしたんだ」
 性急に質問攻めにされた静流が苦笑して壁に凭れる。
 「君とサムライは、どういう関係なんだ」
 「貢くんは僕の好敵手だった」
 ここではないどこかを見るように遠い目で静流が述懐する。
 「貢くんは本家の後継ぎ、僕は分家の長男。小さい頃は行き来があったけど母さんと莞爾さんが仲違いしてから徐徐に疎遠になっていった。でも、噂は聞いていた。貢くんは小さい頃から祖父の再来の呼び声高い剣の天才、対する僕は努力の人。母さんの期待に応えたくて頑張ったけど、血の滲むような努力を重ねても貢くんにはかなわなくて悔しい思いをしたよ」
 闇に身を浸した静流が苦く表情を歪め、吐き捨てる。
 初めて静流の本音を聞いた気がした、静流の本性を垣間見た気がした。
 食堂ではサムライに気さくに接していたが、本家の長男に対して屈折した思いを抱えているらしく、目には葛藤の波紋が広がっていた。
 「貢くんとは物心ついたときからの付き合いさ。小さい頃は本家の庭でよく遊んだ。苗さんと姉さんも一緒にね。貢くんは当時から笑わない子供だった、口数も少なくて何を考えてるかわからなくてちょっと怖かったな。でも、本当はすごく優しいんだ。僕が転んで膝を擦りむいた時はおぶって運んでくれた。下駄の鼻緒が切れて泣いてたら器用に接いでくれた。無口で思いやりがあって剣の腕が滅法立って、本家の後継ぎにふさわしい資質を有していたよ。莞爾さんの息子とは思えないくらい」
 そこで言葉を切り、ため息を吐く。
 「僕は貢くんに憧れていた。帯刀の家名を背負って立つにふさわしい素質と人格に恵まれて、誰からも実力を認められた彼が羨ましかった。帯刀家といえば地元で有名な家柄、元禄年間から続く由緒正しい家系で人間国宝に指定される剣の使い手を明治初期から五人輩出してる。帯刀の跡取りに生まれるとはそれだけで名誉なことなんだ」
 「前置きはいい。僕は単純率直に君の真意が知りたいんだ」
 苛立ちをこらえて先を促せば、貢が緩慢な動作で顔をもたげ、闇を透かして僕を見る。
 またあの目だ。
 相対した者の心を反射する透徹した目、明鏡止水の深淵の目。
 「僕がここに来たのは帯刀貢に会う為さ」
 どういう、ことだ?
 答えになってないじゃないかと気色ばんだ僕は、静流の目が僕を越えて背後に向けられてることに気付き、反射的に振り返る。そして、硬直する。僕の背後、闇に紛れて蠢く集団の人影……間抜けなことに、静流の話に全神経を集中していて外敵の接近に全然気付かなかった。
 「!逃げろ静流、」
 「遅いよ」
 後ろ手に締め上げられた腕に激痛が走り、耳朶に生温かい吐息がふれる。
 僕を後ろ手に束縛した人物の声には聞き覚えがある。
 今日砂漠で聞いたばかりの……イエローワークの同僚の声。
 「貴様、何故ここに!?」
 「こっちの台詞だ親殺し。売春班潰れてから溜まって溜まってしょうがなくて、安田の気まぐれで営業再開してねえかって覗いてみりゃ偶然ばったりお前と再会だ。これも運命ってやつだ、そう思うだろみんな」
 「その通りだ、俺たちゃ運命の赤い糸で結ばれてんだ。諦めろ親殺し」
 「昼間犯り損ねた借りをたっぷり払ってもらうぜ、そっちのかわい子ちゃんも一緒にな」
 昼間絡んできたイエローワークの同僚にまた取り囲まれて逃げ場をなくす。舌打ち。なお悪いことに今は静流が一緒にいる、僕一人なら隙をついて逃げられるかもしれないが静流を残していくわけにはいかない。
 腋の下にいやな汗が滲みだす。二週間前に閉鎖された売春通りには僕たち以外いない、助けを呼んだところで誰も通りかからないのでは意味がない。
 暗闇に慣れた目で同僚の顔を確認、絶望的な気分になる。
 「また犯してやるよ」
 すぐ耳元で声がする。興奮に息を荒げた同僚が僕の体をまさぐり上着の裾をはだけて手を潜らせる。気色悪い。吐きそうだ。痩せた脇腹を揉みしだき薄い胸板を撫でさすり胸の突起をつねる、あまりに性急な愛撫に痛みしか感じない。不快さに顔を顰めた僕の反応をどうとったか、今度はズボンの内側に手を潜らせる。
 「!っ、あ」
 乾いた手で太股をまさぐられて肌が粟立つ。
 小さく声をあげた僕の耳朶にねっとり舌を絡めて同僚が囁く。 
 「お前の体を味わうのは何ヶ月ぶりだ?売春班に配属された初日にヤって以来だ。相変わらず薄っぺらい、太股なんか棒きれみてえに細くて……まあ、感度は抜群だな。売春班で来る日も来る日も男に抱かれて開発されたんだろう、太股撫でられただけでビクンビクンて震えがくるのがいい証拠だ」
 「はっ、ちがっ……これは生理的嫌悪からくる拒絶反応、あっ!?」
 耳朶が唾液にまみれる。耳の穴に潜り込んだ舌が淫猥に蠢いて性感帯を開発する。乾いた手が太股をまさぐり後ろに回り、僕の尻を割って肛門を突き刺す。激痛。
 「壁に手えつけよ。立ったままヤられるのが好きなんだろ、お前。最初の時みたくしてやるから、いい声だして鳴いてくれよ」
 肛門に突き立てられた指が鉤字に曲がる。やめろ抜いてくれ痛い気持ち悪い、嘔吐の衝動が喉元まで込み上げて目に生理的な涙が浮かぶ。嫌だ思い出したくない忘れたい売春班初日に犯された記憶が封印を破って甦る再生される、洗面台に手をつかされてズボンを剥ぎ取られて後ろから貫かれて……
 「ゲスだね」
 場違いに涼やかな声が流れた。
 「……なん、だと?」
 壁に背中を凭せた静流が冷ややかにこちらを眺めてる。イエローワークの同僚が一斉に気色ばみ、中のひとりが静流に急接近。静流は動じない。指一本動かさず、冷静沈着に敵の接近を待っている。
 「お嬢ちゃん、今なんつった?」
 筋肉質の体躯の少年がドスを利かせた声で脅迫、片手で静流の顎を掴み、強引に上を向かせる。顔面を生臭い吐息で撫でられて、静流が品よく眉をひそめる。その表情に劣情を刺激されたか、少年がごくりと生唾を嚥下して静流にのしかかる。静流の上着を無造作にはだけて胸元までたくし上げ、片手を怪しく蠢かせる。
 男にしておくには惜しいほど白くきめ細かい肌が闇に浮かび、華奢な肢体が捩れる。 
 「俺たちがゲス野郎ってそう言ったのか?」
 「言ったよ」
 「見かけねえ顔だが、新入りか?なら教えてやるよ、東京プリズンの掟を。ここじゃゲス野郎は最高の誉め言葉だ。東京プリズンで生き残りたきゃゲスを極めるっきゃねえんだよ。ここじゃ殺ったもん勝ち犯ったもん勝ちだ、お前らみてえに見目いいガキは骨の随まで美味しくしゃぶられるのがオチだ。とっとと諦めちまえよ、そっちのほうがラクだぜ。綺麗な顔にキズつけられるのはヤだろ?」
 赤裸な衣擦れの音。筋肉質の少年が鼻息荒く静流を押さえこんで肢体を蹂躙する。上着の内側に手を潜らせて痩せた腹筋を揉みしだいて、薄い胸板を撫でる。扇情的な光景。静流の首が仰け反り、前髪が散らばる。
 妖艶に赤い唇がほころび、官能の吐息を零し、胸に顔を埋めた少年の後頭部へと腕が回り……
 
 その刹那。

 「ぎゃああああああああああっあああああああっあ!!!?」
 静流が思いがけぬ行動をとる。少年の頭を抱いたのとは逆の手をズボンの後ろに潜らせ素早く抜き放つ。乾いた音が鳴る。電光石火で虚空を切った静流の手の先端の物が少年の眉間を打擲、額から流血した少年が絶叫をあげる。
 イエローワークの同僚に抱きすくめられた僕は、暗闇に目を凝らし、息を呑む。
 壁からゆるりと背を起こした静流が、舞踊のように優雅な動作で腕を泳がせ、手にした物を一閃する。
 静流が手に取った物は、白い和紙を貼られた扇子。
 能で用いられる扇には、一種呪術的な力が備わるという。
 そんな迷信を彷彿とさせるほどに扇を構えた静流の様子は豹変していた。
 暗闇に没した静流の周囲に不可視の気が渦巻いて形を成す。
 清冽に研ぎ澄まされた殺気が扇の一振りごとに鬼気の域にまで高まって、静かに流れる如く優艶な舞に凄味を与える。
 能の舞の特徴は極端な摺り足と独特の身体の構え、そして円運動のうちにある。
 静流の一挙手一投足は完璧に能の段取りに則ったものだった。
 衣擦れの音すら殆どたてない静的な足運び、膝を曲げ腰を入れて重心を落とした体勢はサムライが剣を構える時にも共通する。
 上段に扇を構えた静流の姿と、上段に剣を構えたサムライの姿が重なる。
 静流の体に脈々と流れる帯刀の血が覚醒する。
 切れの長い双眸に凛冽たる眼光を宿した静流が、能面めいて整った顔の中でそこだけ紅を引いたように赤い唇を開き、不思議な抑揚の声で余韻嫋嫋と唄い出す。

 「『筒井つの井筒にかけしまろがたけ すぎにけらしな妹見ざるまに』」

 闇と一体化した静流が水面を滑るような足捌きで二人目に肉薄、相手に逃げる暇も与えず流麗な動作で腕を一振り、扇の先端で目を突く。 
 「ああああああああっ、目、目が潰れたああああああああっ!?なんだこいつ、わけわかんねえこと言いやがって、正気の沙汰じゃねえっ……」
 「伊勢物語だ」
 片目を押さえて尻餅ついた囚人を見下ろして説明する。
 「『筒井筒』は伊勢物語に収録されてる挿話のひとつだ。互いに惹かれていた幼馴染の男女が結婚する内容で『筒井つの井筒にかけしまろがたけ すぎにけらしな妹見ざるまに』を現代語訳すると『貴女を見ない間に井戸の縁の高さにも足りなかった自分の背丈が伸びて縁をこしたようだ』となる、」
 「お前ら二人とも頭おかしいってことがよーっくわかったよ!!」
 僕の背中をどんと突き飛ばして最後の一人が逃走を企てる。突かれた衝撃でバランスを崩して床に膝を付いた僕のそばを姿勢正しく静流が通り過ぎる。
 足音すら殆どたてず、衣擦れの音すらたてず、容姿端麗な幻影めいて通路を抜けた静流がごく緩慢に腕を振り上げて虚空で扇子を開く。 
 静流の姿がほんの一刹那、完全に静止。
 影を射止められたように囚人の死角をとって微動だにせず立ち竦んだ静流の唇が官能的に震え、周囲の壁に殷殷と共鳴する声が流れる。

 「『くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ 君ならずしてたれかあぐべき』」
 長さを比べてきた振り分け髪も肩を過ぎた あなたでなくて誰が髪上げしようか。
 否、いない。

 静流が音吐朗々と唄い上げ、裂帛の気合いを込めて扇を打ち下ろす。拝み伏すような動作で腕を振り下ろした先には扇があり、今しも階段を駆け上がろうと無防備に背を晒した囚人を打擲する。後頭部を打たれた囚人が逆上、奇声を発して静流に襲いかかる。
 「こんのっ……なよっちい女男が、しゃなりしゃなり扇子振りまわして調子乗ってんじゃねえ、色白カマ野郎は大人しく掘られて喘ぎ声あげてりゃいいんだ!!」
 胸ぐら掴まれた静流は余裕の微笑を含んだまま腕を一閃、舞の延長の優雅さで喉仏の上を刺突、自分に襲いかかった囚人を完全に沈黙させる。
 「ぐあっ………ちぐぞっ、このカマ野郎っ……!!」
 苦悶に喉かきむしりつつ崩れ落ちる囚人を醒めた目で見下ろし、静流は扇子を畳む。たった一瞬だった。静流が囚人三人を撃退するのにものの五分もかからなかった。暗闇に沈んだ通路には静流の舞に翻弄された囚人三人が累々と倒れていた。壁に片手をついて上体を起こした僕は、壁に倒れ伏した囚人と静流とを見比べて得体の知れぬ不安を掻き立てられる。
 静流は強い。
 静かに流れる如き体捌き、流れる水の如き掴み所ない動きを強みに転じて、伝統の舞を踏むように優雅な挙措で瞬く間に三人を屠ってしまった。
 僕に背中を向けて佇んだ静流が、閉じた扇子を懐に仕舞い、呟く。
 「剣の素質では貢くんに勝てなかったけど舞の才能では僕が上だ。静流さんの舞は綺麗ねって姉さんに誉められたことがあったっけ」
 「静流。君は何故東京プリズンにやってきた」
 シャツの胸を掴み、不吉な胸騒ぎを抑えて問いを重ねる。瞼の裏側には鮮やかに扇子を操って敵を倒す白拍子の艶姿が焼きついている。
 能の基本動作を踏まえてさらに発展させた独特の体捌きはこの上なく優雅でありながらどこにも付け入る隙がなく、一挙手一投足に凄艶な凄味さえ帯びていた。
 静流は僕に背中を向けて天井を仰いでいたが、やがて肩越しに振り向き、謎めいた微笑を唇に乗せる。
 そして、答える。
 「帯刀貢を返してもらいに来たのさ」
 僕にはそれが、帯刀貢を奪いに来たと聞こえた。  

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050705200105 | 編集
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