ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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八話

 昨夜はよく眠れなかった。
 明け方少しまどろんだだけで十分な睡眠は摂れなかった。瞼が腫れぼったい。目は充血してる。いつも明晰に冴えた頭がぼんやりしてるのはきっと睡眠が足りないせいだ。
 考え事に気を取られてシャベルを持つ手に力が入らない。
 労働に身が入らない。
 由々しき事態だ。雑念に囚われて労働に支障をきたすなど天才のプライドが許さない、深刻に考慮せねば、早急に対処せねば……駄目だ、集中力が散る。思考が分散する。これも全部サムライのせいだと責任転嫁してシャベルを振るえば、先端が地を穿った拍子に砂が飛散。
 大量の砂を顔に被ってうんざりする。
 「くそっ」
 口汚く毒づき、手の甲で顔面の汗と砂を拭う。
 今日は朝からさんざんだ。サムライとは結局一言も口を利かなかった。僕は意図的に会話を避けていた、サムライもまた意図的に接触を避けていた。サムライはあれから一度も僕の目を見なかった。
 朝の気まずい雰囲気を思い出せば気分が重く滅入る。
 洗顔時もそうだ、早起きのサムライは僕が起きた頃にはとっくに身支度を済ませて毎朝の日課である木刀の素振りに勤しんでいた。決して僕の目を見ないことを除けばいつも通りだった。僕はサムライの視線を過剰に意識しつつ顔を洗ったというのに、鏡に映ったサムライの顔は憎たらしいほど涼しげだった。
 上段の構え、正眼の構え、下段の構え。
 若竹のように背筋凛々しく、端正な姿勢で木刀を振るい、虚空を撫で斬る。
 見慣れた朝の光景。サムライは毎朝自主的に稽古をしてる、誰に命じられたわけでもなく毎朝律儀に基本の型を踏襲してる。武士たる者日々精進を怠らない姿勢は立派だと感心しなくもないが、昨夜のことなどまるで覚えてないというふうな態度が癪にさわって仕方がない。
 まるで、何もなかったみたいに……
 『何もなかった』?とんでもない、人にあんなことをしておいて。
 サムライの態度に憤慨した僕は朝から一言も口を利かず無視を決め込んだ。僕に無視されても戸惑う様子もなく、サムライはいつも通り、僕と一緒に食堂に行き僕の隣で朝食を食べた。無神経ここに極まれりだ。彼がしたことを踏まえれば然るべき謝罪があって当然だが、それもない。説明もない。一切ない。おかげで何故彼があんなことをしたのか、あんな振るまいに及んだのか僕はわからないままサムライと別れて今ここにいる。イエローワークの砂漠で用水路建設にあたってる。

 僕がイエローワークに復帰して二週間が経つ。

 イエローワークに復帰した僕を誰もが歓迎したかというとそうでもなく、「なんで戻ってきたんだ」と露骨に顔を顰める同僚が多かった。自分が嫌われてることくらい知ってる、今更傷付くはずもない。売春班上がりだと軽蔑されても心は痛まない。低脳を相手にするのは時間の無駄、低脳と議論するのは類人猿に因数分解を教えるに等しい愚だ。彼らの嫌味をいちいち取り合ってるほど僕は暇じゃない。
 僕はイエローワークに戻れたことを感謝する。売春班の一週間と比べればイエローワークの過酷な労働も苦にならない。たまに炎天下で眩暈を覚えて穴に落ちたりもするが、二週間を経て体力が回復するにつれ貧血の頻度も減った……気がする。あくまで気がするだけかもしれないが。
 僕がいない間に砂漠に変化が起きていた。
 以前僕とロンが共同で掘り当てたオアシスから方々に水路が引かれて畑ができていたのだ。畑では品種改良されたジャガイモを代表に砂漠の環境にも適応した作物が栽培されてる。終わりの見えない不毛な穴掘りは情け容赦なく囚人の気力体力を奪いさるが、栽培収穫の目的ができてから飛躍的に労働意欲が向上したらしく、イエローワークの砂漠で働く囚人の顔は生き生きしてる。
 用水路建設もまた新たに増えた労働の一環だ。
 オアシスから新たに用水路を引いて畑予定地を耕す下準備を割り当てられた数十人が、各々手分けして側壁に土嚢を積んだりシャベルで溝を掘ったり作業にあたってる。
 顎先を汗が滴る。
 灼熱の太陽が頭上で輝く。
 太陽の高度に比例して気温は上昇する一方だ。炎天下での労働は熾烈を極め、熱射病に倒れる者や脱水症状を起こす者が続出する。砂漠で倒れたらそのまま埋められるだけだ。都合がいいことに、イエローワークの砂漠には人一人埋めるのにちょうどいい深さ大きさの穴が無数に点在している。
 僕らは働き蟻のように穴を掘る、仲間を埋める墓穴を、いつか自分が埋まる墓穴を。
 シャベルに寄りかかり、手の甲で汗を拭いて周囲の囚人を眺める。小休止。周囲には無数の囚人が散らばって看守の監視のもと働いている。リヤカーで砂を運んだり鍬やシャベルで砂を掘り返したりブリキのバケツをぶら下げてオアシスに水を汲みに行ったりと忙しない。両手にバケツをぶら下げてオアシスと持ち場を往復する囚人を見送る僕の頭上に、スッと影が射す。
 「汗水流して精だしてるみてえじゃんか、親殺し」
 頭の悪い声がした。目で確認する前に誰だかわかった、顔を上げるのも億劫だった。休憩終了、シャベルを両手に持ち仕事を再開。声の主を無視してシャベルを振るい、
 「!」
 突然、後ろ襟を掴まれ引き倒された。喉を絞められて息が詰まった。
 僕の後ろ襟を思いきり引っ張ったその人物がスニーカーの靴裏で盛大に砂を跳ね散らかして斜面を滑降、用水路の底に着地する。一人じゃない。二人、三人……三人いた。皆見覚えある顔、僕と同じ班の連中だ。僕を敵視してる者ばかりだ。
 売春班にとばされる前から彼らには日常的にいやがらせを受けてきた、わざと足を引っ掛けられたりシャベルを脛にぶつけられたりリヤカーで轢かれかけたり数え上げればきりがない。単なる「いやがらせ」では済まない、命に関わる事故に発展しかねない危険性もあるのに彼らは一向に反省も加減もしない。 懲りない連中だとあきれる。
 最も、万一僕が死んだ場合は作業中の事故として処理されるだけで彼らには何のお咎めもないのだから、いやがらせがエスカレートするのは自明の理だ。
 「何か用か」
 面倒くさい連中に捕まった。
 迷惑げに眉をひそめて聞けば、中のひとりが肩を竦める。
 「同じ班の先輩として、ひ弱な日本人がへばってねえか見に来たんだよ」
 「日本人はすぐサボるからな」
 「信用できねえもんな」
 「貴様らこそ自分たちの持ち場に戻ったらどうだ。現場監督の看守に見つからないうちに」
 僕を取り囲んだ連中は優越感を隠しもせずにやにや笑ってる。大勢で群れて獲物をいたぶる行為に陰湿な快感を見出したゲスの笑顔。辟易。内心舌打ちして、正面の囚人を睨む。
 見覚えある顔……売春班初日に僕を犯しにきた同僚が野卑に笑っていた。
 「イエローワークに復帰して二週間、真面目にやってるみてえじゃんか。感心感心。でも、そろそろ売春班が恋しくなってきたんじゃねえか。お前ら売春夫はみんな男なしじゃ生きられねえ淫乱揃いだからな、セックス浸けの日々が懐かしくてケツが疼いてる頃だろ?なんなら俺たち全員で相手してやろうか」
 「なあに、そんなに時間はかからねえさ。五分ありゃ上等だ、そこの物置小屋に引っ込んでケツまくって……」
 「おっかねえ顔すんなよ。同僚なんだ、仲良くしようぜ」
 「こいつから話聞いてるぜ、お前買った時のこと。立ったままやったんだろう?こうやって洗面台に寄りかからせてケツまくって後ろから突っ込んだんだろう。可哀想に、痛かったろ。処女相手にも容赦ねえからな、こいつ」
 「安心しろ、俺たちゃ優しくしてやるよ。お前の穴という穴に舌突っ込んで一粒残らず砂ほじくりだしてやるよ」
 僕を犯した少年を小突きながら仲間が哄笑する。中央の少年は腰に手をあて尊大にふんぞり返っている。陰険に目を細め、唇をしつこく舐め上げて、期待と興奮を込めて僕を眺めている。
 物欲しげな顔だった。
 彼が得意になって僕を犯した時の状況を吹聴してたと知っても、何の感慨も持たなかった。ただ、軽蔑しただけだ。
 「身のほど知らずにも、僕に交渉を持ちかけているのか」
 眼鏡のブリッジに指を添えて嘆息する。笑い声が止み、同僚が気色ばむ。剣呑な雰囲気。険悪な形相に豹変した同僚三人を観察、シャベルを放り捨てて中央の少年に歩み寄る。
 ざくざくと砂を踏むごとに売春班初日の悪夢が鮮明に甦る。
 僕を洗面台に押さえ付けてズボンを剥いで背中にのしかかって『顔上げろよ』汗まみれの素肌を密着させ『ちゃんと感じてる顔見ろよ』『鏡に映ったいやらしい顔を』立たせたまま後ろから犯した……忌まわしい記憶。陵辱の記憶。僕と対峙した同僚三人が顔強張らせてあとじさる。
 僕の気迫に押されたのか眼光の強さに怖じたのか、目には怯えと当惑が浮かんでいた。加害者と被害者の立場が逆転したかのような、嬲られる一方の獲物が突如反撃に転じたかのような色濃い戸惑いを覚えてるのは明白。
 中央の少年の前で立ち止まる。
 「なん、だよ」
 少年が寄り目で凄み、僕の胸ぐらを掴もうとする。その手を素早く払い、無造作に手を伸ばし、逆に少年の胸ぐらを掴む。左右の同僚が何か言いかけるの視線で制して正面に顔を戻す。
 「僕を抱きたいか?」
 吐息のかかる距離に顔を寄せ、訊く。耳朶で囁かれた少年が驚きに目を見開く。意外げな表情がいっそ愉快だ。同僚の胸ぐらを掴んだまま、挑戦的に微笑む。
 「言っておくが、僕は高いぞ。君らごときが足掻いても手も届かないほどに」
 自信を込めて断言すれば、同僚が絶句する。まさか、こう返されるとは思ってもみなかったのだろう。意表をつかれて言葉を失った同僚たちの間抜け面を眺め、失笑を噛み殺す。少年の胸を軽く突き放し、余裕ある足取りで元の場所に戻り、自然な素振りでシャベルを持ち直す。
 「……はっ!元売春夫がでけえ口叩きやがって、何様のつもりだお前。体に触れる客を選ぶ権利が売春夫ごときにあるってのか、笑わせるぜ」
 虚勢を張って吠えたてる同僚を一瞥、嘆かわしくかぶりを振る。まったく頭が悪い、理解力の乏しい連中だ。こんなにわかりやすく説明してやっというのにまだ不満なのかと疲労を感じつつ続ける。
 「そうだ。僕に触れる人間は僕が決める、君たちはその選から漏れた、それだけの話だ。実に単純明解だろう。用が済んだなら可及的速やかに消えてくれないか、仕事の邪魔だ。視界に汚物が入るのは精神衛生上悪い。最低15メートル離れてくれ、君たちの下品で猥褻な声が聞こえると労働意欲が削がれる」
 「おっ……俺の下で喘いでたくせに!!」
 憤怒で顔を染めた少年がこぶしを振り上げる。とんでもない誤解だ、ありもしないことを捏造されては困る。シャベルを砂に突き刺し、眼鏡の弦に触れて下を向く。
 再び顔を上げた時、口元にはこらえきれず笑みが浮かんでいた。
 低脳どもの神経を逆撫でする、不敵な笑みが。
 「勘違いするな。君が僕の上で喘いでたんだろう」
 「こおおおおォおおおおおの野郎!!!!」 
 怒り爆発した同僚が一斉に襲いかかってくる。多勢に無勢、僕に逃げ場はない。面倒なことになったなと醒めた気持ちで同僚を待ち受ける最中、頭上にまたも影がさす。用水路の縁に人影が佇んでこちらを覗きこんでる。逆光に塗り潰された人影は肩にシャベルを担いでおり、そのシャベルが勢い良く振るわれ、そして……
 「ぶわっ!?」
 「この野郎、なにしやがっ……」
 砂で目くらましした直後に足元に置いたバケツを抱え上げて中身をぶちまける。全身びしょ濡れで転倒した同僚たちが砂に顔面を埋めてもがき苦しむ。その上にさらにざくざく掘った砂をかける。
 「水の次は砂、この順番でぶっかけりゃあ身動きとれねえ。びしょ濡れの肌に砂がこびりついて、体じゅうの穴という穴塞がれて呼吸できなくなるだろ」
 得意げな声とともに頭上から降ってきたのは小柄な影……からのバケツを両手にぶら下げたロンだった。スニーカーの靴裏で斜面を滑降、僕の隣へと着地したロンを睨む。
 「なんて荒っぽいことをするんだ、僕の顔にも水が飛んだじゃないか」
 「それが命の恩人に対する言い草かよ」
 「君が不要な介入をしなくても事態を収拾することはできた、僕の計算が正しければあと二秒で…」
 「お前ら、ここで何をやってる!!さっさと持ち場に戻れ!!」
 「やべっ、看守だ!」
 「警棒食らう前に逃げろ!」
 僕の予想は的中した。用水路の異状を察して駆け付けてきた看守が警棒をさかんに振り回して三人組を追い立てる。看守に叱責を浴びせられた三人が舌打ち、這う這うの体で斜面をよじのぼり持ち場へ駆け戻っていく。
 最後尾、売春班初日に僕を犯した少年が振り返り際に中指を立てる。
 「覚えてろ親殺し、いつか満足いくまで犯してやるからな!班の連中全員でお前のケツ回してやる、二度とそんなでかい口叩けねえよう躾てやる!タジマがいなくなったからって調子のってっと痛い目見るぞ!」
 「ピンチの時のタジマ頼みか。とっとと消えろゲス野郎」
 砂煙に紛れて消えた同僚の背にロンが吐き捨てる。同僚たちが走り去ったのを確認後に警棒を振りながら看守も立ち去り、あとには僕とロンが取り残された。
 「それで?いいのか、捨ててしまって。バケツに水を汲みに行くのが君の仕事だったんじゃないか」
 からのバケツを一瞥、あきれた声で指摘すればロンがこの上ない渋面を作る。
 「仕方ないだろ、お前が囲まれてるの見えて慌ててすっとんできたんだから。ああまた性懲りもなく絡まれてるドン臭いヤツだなって呆れたぜ。力でかなわねーくせに挑発するのやめろよ」
 「挑発などしてない。ただありのままの事実を述べただけだ。僕の体に触れる人間は僕が決める、彼らには僕に触れる資格も権利もない。爪垢が溜まった手で体をまさぐられるのは不快の極みだ、接触感染する病気がうつらないとも限らない。彼らときたら疫病を媒介するネズミやゴキブリよりタチが悪い、半径1メートル内に近付かれると殺虫剤を噴射したくなる」
 「お前にさわれるのはサムライだけってか」
 ロンが鼻先で笑い捨てる。反論しようとして、続く言葉を飲み込む。確かに、ロンの言い分は正しい。サムライになら触られても不快じゃない、どころか僕は心地よささえ感じている。
 昨夜だって。
 「………」
 昨夜、サムライは僕の唇を奪った。理由はわからない。
 人さし指を唇に滑らせ、物思いに耽る。 
 昨夜、深夜の図書室にホセを呼び出して真相究明した。僕の優秀な推理力が導き出した仮説はホセが黒幕だと示していた。本来僕一人で行く予定だったがサムライが強引についてきた。僕はホセを糾弾したが相手はさすが隠者、のらりくらりと核心をはぐらかされて僕より一枚も二枚も上手だと痛感するに至った。結局僕はホセの本心を暴くことができなかった。この僕ともあろう者が、IQ180を誇る天才鍵屋崎直ともあろう者が頭脳戦に破れたのだ。内心忸怩たるものがある。
 だがそれより僕を動揺させたのは、昨夜のサムライの行動。
 突然僕に襲いかかり、唇を奪ったサムライの行動。
 片手に預けたシャベルの存在も忘れ、首をうなだれ立ち尽くし、人さし指で唇をなぞる。唇にはまだキスの感触が残っている。サムライの唇は熱かった。血潮の火照りが感じられた。性急で拙いキスには切迫した一念が感じられた。何故こんなことをしたのかと理路整然と問いただすことはできなかった、僕自身動揺していたのだ。自分の身に起きたことを分析するのを頭が拒絶して、僕はサムライに背中を向けて逃げるようにその場を去った。
 サムライの唇の感触を反芻するように、指で撫でる。
 サムライは何故僕にあんな真似を?わけがわからない。理由が知りたい、動機を究明したい。だが同時に、強制労働を終えて房に帰り、彼と顔を合わせるのが気鬱でもある。
 僕にはサムライの目を見る自信がない。今朝から、いや昨夜から僕はサムライを過剰に意識してる。彼の視線や息遣いを意識するばかり普段なら絶対しないはずのミスを連発してる。洗面台の蛇口を捻りすぎて顔に逆噴射したり食事中に箸を落としたり……
 おかしい、こんなの僕らしくない。
 たかがキスじゃないか、あの程度のことで何故こんなに動揺してるんだと自分に当惑する。しっかりしろ鍵屋崎直、冷静になれ。たかがキスじゃないか、口唇接触じゃないか。舌を挿入されたわけでもない、ただ唇と唇が触れ合っただけの幼稚なキスで妄想を逞しくしすぎだ。
 きっと何か理由があるはずだ、僕の唇を奪った理由が。
 でなければサムライがあんな振るまいに及ぶはずがないと結論付ければ、脳裏に推測が閃く。
 「熱病の一種か」
 「あん?」
 妙な声をだしたロンを振り向き、人さし指を立てる。
 「僕の推測によるとあれは熱病の一種に違いない、東京プリズンの衛生状態は最悪だから悪性の疫病や熱病が流行する可能性は多いにあり得る。眩暈吐き気の他に幻覚症状を伴う熱病に罹患したのかもしれない、サムライは。そうだ、きっとそれが正しい、サムライはあの時一種の夢遊病状態だったんだ!だからたまたま近くにいた僕に……こうしてはいられない、強制労働を終えたら図書室に直行して医学書を調べねば。僕の知らない病気があったなんて不覚だ、職務をさぼって将棋に打ちこむヤブ医者は信用できない、天才の威信に賭けてこの僕が熱病の真相を究明せねば……」
 考えてみれば単純なことだ。サムライはきっと新種の熱病にかかったんだ、ゴキブリやネズミが媒介する病気に感染して昨夜あんな……あんな、サムライにはふさわしくない真似を。なんてことだ、早期に手を打たなければ。一人ぶつぶつと呟く僕をシャベルに凭れたロンが薄気味悪そうに眺めている。
 「おい鍵屋崎、頭大丈夫か。暑さでイカレちまったのか」
 痺れを切らしたロンが不審げに眉をひそめ、僕の顔の前で手を振る。
 「失礼なことを言うな、僕はサムライと違って心身ともに健康だ、寝不足気味かつ貧血気味なことを除けば体に異常はない。憂慮すべきはサムライだ、熱病の兆候に気付きもしない低脳どもだ。早期に対策を練らねば大変なことになるぞ、熱病患者が東京プリズンに溢れて手当たり次第に……ああ、僕としたことが迂闊だった!危険視すべきはネズミやゴキブリだけじゃない、蝿や蚊が病原菌を媒介することも十分あり得るじゃないか、くそ!病原菌を媒介する害虫を一掃しない限り東京プリズンに未来はない、ちょうどいい機会だ、日夜僕の平穏を脅かす昆虫綱ゴキブリ目ゴキブリを絶滅させる方法を本格的に考えねば!!」
 サムライが罹患した熱病の正体究明から害虫駆除へと目的が移行しつつあるが、まあいい。大体東京プリズンの衛生管理が杜撰だからゴキブリやネズミが繁殖して謎の熱病が蔓延するんだ、東京プリズンの体質を根本から変えない限り悪循環は断ち切れない。ロンは僕の隣で呆然としてる。僕の頭の回転の速さに完全に置いてかれて口を挟めないらしい。
 それでも顔を引き締め、何か言いかけたロンの背後をシャベルを抱えた囚人が通り過ぎる。
 「処女喪失おめっとさん!」
 は?
 ぱん、と乾いた音が鳴る。すれ違いざま囚人がロンの尻を叩いたのだ。続けざまに二・三人が通りすぎ、連続でロンの尻を叩き、揶揄とも祝福ともつかぬ卑語を浴びせる。
 「遂に男になったな、いや、女になったが正しいか?」
 「昨日はずいぶんお楽しみだったみてえじゃんか、羨ましい。隣近所に筒抜けの喘ぎ声響かせてよ」
 「後で初夜の感想聞かせてくれよ。レイジのモンのサイズとかな」
 「おかげでこちとら寝不足だぜ、壁の向こうっ側からひんひんあんあん喘ぎ声聞こえてきて毛布の中で勃ちっぱなし。強制労働控えて早めにベッドに入ったってのに目がギンギンに冴えちまったよ」
 「手がイカくせえぞ。半々の喘ぎ声に興奮して朝までヌきまくったんだろ。何回イったんだ、おい」
 「うるせえ」
 「おい半々、何ラウンド行ったんだ?レイジは精力絶倫だから一回や二回じゃ満足しねえだろ」
 「晴れてレイジの女に昇格だ。東京プリズンの女王サマ名乗れるぜ。喜べよ」
 シャベルや鍬を抱えた囚人がロンの尻を叩き、足早に去っていく。最後尾の囚人が立ち去ると同時にロンがシャベルに凭れてその場にしゃがみこむ。悶絶。首をうなだれまた仰け反らせ、激しく身をよじるロンを遠方で指さして囚人たちが爆笑する。
 「~~~~~~~~~~~~~~~いいっでええええええええっ!!!あいつらわざとケツ叩きやがったな、くそったれ!!」
 涙目で毒づくロンのもとへと歩み寄り、腕を組む。
 昨日と今日とで外見的な変化はないかと仔細に観察してみたが、いつも通りのロンだった。特に肌艶が良くなってるわけでもない。ロンは片手で尻を押さえて、片手でシャベルの柄を掴んで、きつく唇を噛みしめていた。肛門の裂傷がひどく痛むらしく、シャベルに縋って立ち上がろうと試みては、情けない悲鳴をあげて激痛に膝を屈する。
 「レイジと性交渉を持ったのか」 
 「!!なっ………」
 ロンが赤面する。どうやら図星だったようだ、わかりやすい人間だなとあきれる。囚人に軽く尻を叩かれた位で激痛にしゃがみこむなど普段のロンには絶対あり得ない。その程度のいやがらせは日常的に行われてるのだ。それが今日に限って悲鳴をあげてしゃがみこむなど処女を喪失したとしか考えられない。
 「涼しい顔して性交渉とか言うなよ恥ずかしい!」
 「自分がした恥ずかしいことは棚に上げて他人を非難するとは自省が足りないぞ。ところで僕は祝福すべきか同情すべきか、どちらだ?」
 「同情してくれ……」
 やはりな。わざとらしくため息をつく。レイジのことだ、処女喪失の激痛を和らげようと十分気を配ったのだろうが、それでも昨日の今日で強制労働にでるのは無茶だ。無謀だ。実際ロンは二足歩行はおろか二本の足で立つのも辛い状態で、シャベルに凭れてへたりこんだまま、どうしても腰を上げられない。
 尻を押さえてうずくまったロンをあきれ顔で見下ろし、言う。
 「どうする?残り八時間、強制労働を続行するか。その状態で働くのは危険だ、肛門の裂傷が悪化するぞ。僕の経験から言えば、排泄時には地獄を見るな。今日くらい大人しくベッドで寝ていればいいものを…」
 「囚人にそんな自由あるか。風邪だろうが肺炎だろうが強制労働サボったらお仕置きだ。独居房送りだきゃごめんだ」
 ロンの言い分は最もだ。たとえ風邪だろうが肺炎だろうが囚人は強制労働を休めない。シャベルに凭れて呼吸を整え、再び立ち上がろうと腰に力をいれたロンが、バランスを崩して派手に尻餅をつく。
 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!?」
 シャベルを放り出して悶え苦しむロンを見かねて手を貸す。周囲の囚人がこちらを指さして爆笑する。
 「……あとで医務室に行って診てもらえ。薬を塗っておけば少しはマシになるだろう」
 「ご忠告どうも。くそ、赤っ恥だ!どいつもこいつも人のこと指さして笑いやがって、むしゃくしゃするぜ。なんで昨日のことがもうイエローワークの砂漠中に広まってんだよ、早すぎだよ。会うやつ会うやつ片っ端から人のケツ叩いておめでとう言いやがって!!」
 「君の喘ぎ声が大きかったからじゃないか」
 「お前も聞いたのか!?」
 ロンが顔面蒼白になる。
 「階が違うせいで聞こえなかった」
 安堵に胸撫で下ろすロンに肩を貸して、からのバケツを拾い上げ、ゆっくりと慎重に歩き出す。向かうはオアシス。ロンはオアシスに水を汲みに行った帰りだった。一歩ごとに激痛に引き裂かれる下肢をくりだして、バケツ一杯の水を両手にぶら下げて往復するのは荷が重いだろうから今日だけは特別に手伝ってやる。
 僕に担がれたロンはまだぶつぶつと呟いてる。
 「ほんっと災難だぜ。俺がケツ庇って歩き方変なのわかってて水汲み言いつけた班の連中もむかつくけど、いちばんむかつくのはなんたってレイジだよ!あいつ、ちょっとは人のこと考えろっての。医務室で一日中寝てりゃいいあいつと違って俺は強制労働あるんだぜ、サボれないんだぜ。なのに人が気を失ってからも一回二回三回……初めてなんだからもう少し手加減してくれたっていいじゃんかよ」
 「君の体に夢中でまわりが見えなかったんだろう。一年と半年我慢したんだ、大目に見てやれ」
 「体に夢中って……だからそーさらっと恥ずかしいこと言うなっての!」
 「事実だろう」
 「知らねえよ。途中で気絶したから覚えてねえっつの」
 ロンの頬は赤く染まっていた。少し熱があるらしく息が荒かった。相当激しく抱かれたんだろうと同情する。足を引きずりながら歩くロンを支えてオアシスに到着、適当な場所に座らせてバケツを持ち上げる。
 「君は休憩してろ。水を汲んでくる」
 「いいのかよ、仕事ほっぽりだして……俺に構ってる暇ねえんじゃねえの?」
 「タジマが去ってからイエローワークの看守も随分と寛容になった。さっき僕に絡んできた低脳どものように、100メートル以上持ち場を離れて行動しなければ見逃してくれるだろう。誤解するな、別に君の為じゃないぞ。万一君が倒れでもしたらそばにいる僕が迷惑を被る。まだ息がある人間を生き埋めにするのはぞっとしないからな」  
 「担架呼ぶより埋めるほうが手っ取り早いもんな」
 ロンが足を崩してその場に座り込む。地面に接した尻が痛んだらしく顔を顰め、腰を浮かせる。からのバケツを両手に下げてオアシスの斜面を下りれば「謝謝」と声が追いかけてきた。
 オアシスは人で賑わっていた。
 仕事をさぼって涼みにきた囚人がなだらかな斜面に腰を下ろし、裸足を水面に浸けて談笑してる。囚人たちに混ざり、何人か看守の姿もあった。同じく斜面に腰を下ろしてタバコを吹かしている。
 オアシスに来る度、中世の昔より井戸端が社交場だった事実を思い出す。
 大昔より井戸端が庶民の社交場として機能していたように、砂漠に生まれたオアシスもまた、看守と囚人の垣根を取り払った憩いの場として親しまれていた。
 日焼けした上半身を晒した囚人が上着を手洗いしてるのがなおさらその印象を強める。中にはジャガイモを洗ってる囚人もいる、オアシスに飛び込んではしゃいでる囚人もいるが看守は特に注意しない。
 懇々と水を湛えたオアシスは砂漠に潤いをもたらす特別な場所、砂漠の命脈なのだ。
 オアシスにいると心身ともに癒されて寛容な気分になるらしく、囚人が少々羽目を外して騒いだところで声を荒げる看守はいない。
 なだらかな斜面を滑り降りて、バケツに水を汲む。水は茶褐色に濁っていたが、喉が干上がった囚人は平気で口をつけてる。
 両方のバケツに水を汲んで顔を上げ、ふと違和感を覚える。
 何かがおかしい。いつもと違う。
 バケツを脇に置き、注意深く周囲に視線を巡らした僕は違和感の原因を悟る。わかった、昨日より囚人が多いんだ。増えてるんだ。オアシスで休憩する囚人の中にちらほらと僕の知らない顔が混ざっている。
 不審に思いながら斜面をよじのぼり、ロンの隣へ戻る。
 「早かったな」
 僕が突き出したバケツを受け取り、ロンが労う。
 「ロン、気付いていたか」
 「?」
 「囚人が増えてる」
 「ああ」
 そのことかとロンがあっさり頷く。足の間にバケツを抱え込んだロンの隣に座り、眼下のオアシスを一望する。やはり多い。オアシスで憩う囚人の中に僕の知らない顔が何人か……否、何人も混ざっている。
 オアシスの方角に顎をしゃくり、ロンが言う。
 「『新入り』だよ。昨日か一昨日か東京プリズンにやってきた新入りの強制労働が始まったんだ。お前だって覚えてるだろ、強制労働始まった時のこと。視聴覚ホールで部署発表あって、配属先が決まって……」
 「なるほど。彼らは十ヶ月前の僕か」
 「そゆこと」
 足の間に挟んだバケツに手を浸けてロンが頷く。今一度、感慨深げにオアシスに散らばる囚人たちを見下ろす。彼らは十ヶ月前の僕だ。東京プリズンに来たばかりで右も左もわからぬまま過酷な強制労働に投げ込まれて、一日一日を生き抜くだけで精一杯で、それ以外のことを省みる余裕がなかった僕だ。
 「あれから十ヶ月が経つんだな」
 「もうすぐ一年だ。頑張ったよ、お前」
 本当に、色々なことがあった。東京プリズンも僕も変わるはずだ。ロンと並んでオアシスの窪地を眺めていたら、耳に騒音が届く。
 「?」
 なんだ?
 水を汲んだバケツを置いて立ち上がり、振り向く。
 音に誘われて砂丘の頂に登れば、眼下に道があった。アスファルトで舗装された平坦な道が砂漠の中央を貫いて延々と伸びている。僕らが強制労働の行き帰りに乗り込むバスがひた走る道、安田がジープでやってくる道で前景にはバス停の標識が立っている。
 乾燥した青空の下に無限に広がる砂漠、その中央を一直線に貫くアスファルトの道。
 アスファルトの車道に目を凝らす。道路の彼方から空気を震わせてかすかに音が聞こえてくる……エンジンの稼動音。やがて、針で突いたような極小の黒点が道路の彼方に出現する。点は次第に大きくなり、車の形をとる。
 洗練されたデザインの黒塗りの高級車だ。乾いた風が吹きすさぶ砂漠にはあまりに場違いな車だ。
 車が急接近する。
 胸騒ぎが増す。腋の下が不快に汗ばみ、動悸が速まる。なんだ、この感じは。この感覚は。嫌な予感。砂漠を貫く一本道の彼方から黒い脅威が近付いてくる、とてつもなく不吉な何かがやってくる。砂丘の頂に慄然と立ち竦んだ僕は、体の脇でこぶしを握りこみ、固唾を飲んで車を凝視する。
 砂漠には場違いな、東京プリズンには場違いな異質な存在……
 黒い光沢の高級車。
 茫漠と砂煙を舞い上げて走行してきた車が僕の目の前を過ぎる刹那、後部座席の車窓に映ったのは。

 タジマ。
 何故、タジマがここに?

 「ばか、な。タジマがいるはずない、タジマが帰ってくるはずない。脊髄と頚椎を損傷する重傷でヘリを緊急要請して病院に運ばれたのに、こんな短期間で舞い戻ってくるはずがない!」
 発狂しそうだ。わけがわからない。タジマがここにいるわけない、東京プリズンに帰ってくるはずがない。だが、そうすると僕が目撃したものの説明がつかない。一瞬だけ後部座席の車窓に映ったのはタジマだった、陰険な光を湛えた双眸も嗜虐の愉悦に酔った口元もタジマ瓜二つ、タジマそのものだ!
 悪夢の再現、脅威の再来。
 眩暈を覚えてよろめく。砂に足を取られてその場に倒れこむ。砂丘の頂に手足をついた僕の眼下をタジマを乗せた高級車が颯爽と走り去る。
 濛々と砂埃を舞い上げて、威圧的なエンジン音を唸らせて、砂漠の中心に聳える巨大な監獄の方角へと―……
 背後で衣擦れの音。弾かれたように振り向いた僕を、ロンが心配げに見返している。
 砂丘の頂で独り言を喚く僕に異常を感じて斜面を這って来たらしい。
 「どうしたんだよ鍵屋崎、顔真っ青だぜ。タジマの生霊でも見たのかよ」
 「鋭いじゃないか」
 ロンの手を邪険に払い、無理を強いて立ち上がり、輝きを増す太陽に目を細める。
 車は既になく、砂煙だけが舞っていた。
 東京プリズンの方角へと一路走り去った車を砂丘の頂に立ち尽くしたまま見送った僕は、乾いた空気を肺一杯吸い込み、快晴の青空と人工物の道路を見比べる。
 そして、言う。
 瞼裏に焼き付いたタジマの顔を反芻しつつ、諦念とともに目を閉じて。
 「ロン、悪い報せだ。タジマが帰ってきたぞ」
 平穏な日々には、たった二週間で終止符が打たれた。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050710214211 | 編集
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