ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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四話

 熱狂に湧いたペア戦が五十嵐の発砲事件で幕を閉じたのが二週間前で、それを転機に東京プリズンは激変した。
 筆頭に挙げるべきはタジマの入院と無期限謹慎処分。
 巨大な鉄塊に潰されたタジマは背骨と頚椎を損傷、緊急要請されたヘリコプターで郊外の病院に搬送された。
 リンチの行き過ぎで死亡したら砂漠の穴に遺棄されるしかない囚人とは雲泥の差だ。警察長官の兄という強大なコネが多分に影響していることは日頃の行いには不相応な特別待遇をみても明らかだった。
 怪我の程度からみて復職は絶望的。生涯下半身不随の障害が残る可能性があるそうで、奇跡的に回復しても車椅子生活を余儀なくされるというのが噂に伝え聞いた医師の見解だ。
 自業自得だ。タジマは去勢されたも同然だ。
 彼の性器が勃起しないならそれにこしたことはないと僕を含めた売春班の面々は深く安堵している。
 タジマは失意のうちに東京プリズンを去った。もう二度と戻ってこないことを切に祈るばかりだ。タジマの帰還を喜ぶ者など東京プリズンには誰一人としていないのだから。
 タジマの抑圧から解放された囚人たちは以前にも増してのびのびと東京プリズンの空気を吸っている。主任看守のタジマが悲惨な最期を遂げたことで、タジマの二の舞にはなりたくないと多くの看守が考えを改めて規則の締め付けを緩めたのだ。
 だが、いいことばかりではない。
 看守の抑圧が和らいだことに加え、東西南北を治めていた四人のトップが一人にまで絞られた結果、それまで辛うじて保たれていた四棟のパワーバランスが崩れて頻繁に小競り合いが起きるようになった。それまでは各トップの自治と采配に委ねられていた東西南北の権力がレイジに一極集中したことにより、トップの代替わりを認めない他棟の反発を招いてしまったのだ。
 内乱の時代の幕開け。
 縦系列の支配が緩めば横同士の派閥争いが激化するのが社会法則だと世界史を紐解けば明らかなように、東京プリズンでは現在囚人間の対立と抗争が激化して風紀が乱れに乱れている。「風紀」?いや、東京プリズンに元々そんなものはなかった。あるのはただ弱肉強食の掟のみだ。
 ならばこれこそが東京プリズンの真実の姿、正しい在りようなのだと言えなくもないが……

 ともあれ、僕の感想はこの一言に尽きる。
 くだらない。どこまで退行したら気が済むんだ野蛮な低脳どもめ、クロマニョン人を見習え。

 東京プリズンの囚人に比べれば人類の進化途上段階であるクロマニョン人のほうがまだしも高等知能生物に思える。本来東西南北四棟を制圧して手綱をとるべき王様は背中の火傷と左目失明で入院中でまったく役に立たない。
 使えない男だ。
 しかし、レイジの100人抜き達成のおかげで公約通り売春班は廃止されたのだからその功績はしぶしぶ認めざるをえない。
 売春班の面々は全員元いた部署に戻された。売春班廃止については一部看守や囚人の猛反発にあったようだが、安田が独断で押し通した。
 僕とロンは晴れてイエローワークに復帰した。炎天下の砂漠で鍬やシャベルを用いてただひたすら穴を掘り続ける不毛な農作業も以前ほど苦ではなかった。売春班で地獄を体験して、どんな過酷な労働でも耐え抜ける自信と免疫力がついたのだろう。
 ロンは元気に働いてる。彼にはもともと体を動かす作業が性に合ってるらしく売春班にいた頃より活き活きしてる。僕はといえば、一日三度は貧血を起こしながらもなんとか倒れずに働いている。看守の締め付けが緩んだ結果、それまでは厳しく監視されていた水分補給が許されたのだけが救いだ。
 水。そうだ、H20。
 僕らがイエローワークを離れていた間に砂漠にも変化が起きていた。
 なんとオアシスができていたのだ。以前僕とロンが掘り当てたあの水源が今では立派なオアシスとして機能しているのだ。砂漠に湧いたオアシスは井戸兼貯水池として活用されて今では里芋栽培に欠かせないものとなっている。
 僕らがイエローワークを離れていたたった数ヶ月の間にオアシスから用水路が引かれて砂漠に張り巡らされ、いくつか畑ができていたのだ。
 これはあまり一般には知られていないが、砂漠でも水源さえ確保できてれば作物を育てるのは不可能ではない。
 代表的なのが品種改良された芋類で、僕がイエローワークに復帰した時には数ヶ月前に植えられたジャガイモが収穫期を迎えていた。
 僕らが掘り当てたオアシスが重宝されているのを見るのは、なんだか感慨深い。今やあのオアシスは恵みの泉として砂漠での農作業になくてはならないものと見なされている。

 だが、良いことばかりではない。

 僕とロンは無事イエローワークに復帰できた。
 が、サムライはそうはいかない。ブルーワークの勤務を放棄して僕の救出に駆け付けたサムライには、罰としてレッドワークへの降格処分が下された。
 レッドワークといえば都会から運ばれてきた危険物を加熱処理する部署で、作業中の事故による死傷者が最も多いことで知られている。
 サムライは何も言わないが、彼がブルーワークに落とされた原因は僕にあると痛感している。
 サムライだけではない。安田とて無事では済まない。
 そもそもタジマと五十嵐の暴走は安田の監督不行き届きが原因だ。
 安田はこの頃頻繁に「上」から召喚を受けて、銃を盗まれた責任を追及されているらしい。
 安田の処分はまだ決まっていない。副所長の不注意で銃を盗まれた上に刑務所内で発砲事件が連続したなど、「上」にとっても表沙汰にしたくない不祥事であるのに変わりない。安田の進退は敏感な問題だ。そのため採決が下されるのに時間がかかっているのだろう。
 僕はこの頃安田と顔を合わせてない。安田を東京プリズンで見かけないのだ。イエローワークに戻ればまた視察に赴いた安田と話す機会が得られると内心期待していたのだが、考えが甘かったと悔やんでいる。
 そして、五十嵐。彼もまた東京プリズンを去ることになった。万単位の目撃者がいる前で囚人に銃を向けたのだから責任逃れはできない。噂では五十嵐自ら安田に辞表を提出したらしい。それが五十嵐の決めたことなら僕には口だしする権利がないが……

 なんとなく、すっきりしない。

 ヨンイルは結局無事だった。
 あの時、五十嵐が引き金を引いた時は本当に死んだと思った。だが、実際にはそうならなかった。五十嵐は確かに引き金を引いた、しかし銃弾は発射されなかった。あとで安田に確認したが、紛失当時には弾丸は六発ちゃんと入っていたらしい。安田の証言を信用するなら、人手から人手へと渡るうちに誰かが銃弾を一個抜いた事実が浮かび上がってくる。
 誰が、何の為に銃弾を抜いた?
 わからない。まさか五十嵐がヨンイルに銃を向ける事態を予期してたわけでもないだろうに……謎は深まるばかりだ。現実にはペア戦が終了してもまだ多くの謎と不安材料が残されている。
 あの男の不審な行動も、また。
 
 東京プリズンに夜が訪れた。
 消灯時間が過ぎて囚人が寝静まった深夜、そっとベッドを抜け出す。
 物音をたてぬよう用心しつつ毛布をどけて、スニーカーを履く。ちらりと隣のベッドに目をやる。サムライは寝ているらしい。僕に背中を向けて毛布に包まっている。サムライは寝相がよく、殆ど動かない。僕が見ている間は寝返りも打たない。
 そのまま寝ていろと念じつつ、毛布をきちんと整えてベッドを離れる。サムライの眠りを妨げぬよう十分配慮して、足音を潜めて房を横切る。鉄扉に穿たれた格子窓から廊下の光が射し込んでくる。
 看守に見つからずに待ち合わせ場所に辿り着ければいいが……
 「………直?」
 衣擦れの音に続く寝ぼけた声。ノブに手をかけた姿勢で硬直、振り返る。サムライがベッドに上体を起こし、腫れぼったい目でこちらを窺っていた。
 十分気をつけたつもりだったが、起こしてしまったらしい。
 「こんな時間にどこへ行く。風邪をひくぞ」
 「君こそ大人しく寝ていろ。僕がどこへ行こうと勝手だろう」
 僕の目的地をサムライに知られるのはまずい。知ればきっと、サムライはついてくると言い張る。鉄扉を背にして睨みを利かせば、僕の態度に不審を感じ取ったのか、寝ぼけ眼が一瞬にして鋭くなる。
 「俺に言えない用事で房を抜け出すとは、穏やかではないな」
 サムライは頑固だ。一度こうと言い出したら決して自説を曲げない。
 まずいことになったぞ、と心の中で舌打ち。今回の件はサムライが知らない間に終わらせるはずだったのに、予定が狂った。
 裸足にスニーカーをつっかけ、暗闇の中を大股に歩いてくるサムライ。衣擦れの音すら殆ど立てない洗練された歩き方。枕元の木刀を忘れず携え、僕のもとへと歩いてきたサムライにうんざりする。
 「散歩だ。よく眠れないから外の新鮮な空気を吸いたくなっただけだ」
 「独り歩きは危険だ。連れて行け」
 わざとらしくため息を吐き、迷惑な本音を隠しもせずサムライを睨みつける。
 「束縛されるのは好きじゃない、門限を守る義務もない。サムライ、君は過保護すぎる。僕はただ途切れがちなレム睡眠にうんざりして気分転換に出かけようとしているだけだ。用心棒の監視など要らない、君が隣にいたらリラックスできないじゃないか」
 「最近は物騒だ。警戒するに越したことはない」
 サムライは頑として譲らない。後ろ手にノブを掴んだ僕はサムライをどう言いくるめたものかと逡巡する。小脇に木刀を下げたサムライは眼光に気迫を込めて、真剣な面持ちで僕と対峙している。
 仕方がない。
 サムライに嘘やごまかしは通じない、真実を話すしかないだろう。できれば彼を巻き込みたくなかったのだが……眼鏡のブリッジに中指を押し当て、嘆息。小さくかぶりを振りながら口を開く。
 「わかった、房を空ける目的と動機を話せばいいんだな。そうすれば満足するんだな」
 鉄扉から背中を起こし、サムライに歩み寄る。サムライは唇を固く引き結んで暗闇に溶けこんでいた。
 サムライの肩に手をかけ、耳朶に口を寄せ、声を低めて囁く。
 サムライの顔に驚きの波紋が広がる。
 サムライの肩から手をどけた僕は、淡々と補足する。
 「―というわけだ。僕が一人で出かけようとした理由がわかったろう。君がついてくると色々ややこしくなる、また話が複雑化するに決まっている。いいか?交渉には一対一で臨まなければフェアではない。一対複数の交渉はむしろ脅迫か威圧に近い、相手の本心を引き出したいなら一対一で向き合うべきだと心理学的にも実証されている。つまり、君は邪魔だ。不要だ、蛇足だ、余計だ。胃腸の消化を妨げる盲腸みたいな存在だ。ついてくるなよサムライ、僕は彼と二人きりで……」
 突然、手首が掴まれる。サムライだった。ノブに手をかけ扉を開こうとした僕の手首を掴んで引き止め、サムライが断言する。
 「なおのこと捨て置けん。俺も行く」
 「!だから、」
 「行くと言ったら行く」
 「…………くそっ、勝手にしろ。睡眠不足で足元がふらついて溶鉱炉に落ちても知らないぞ。溶鉱炉の温度は最も熱いところで960度、君など骨も残らないだろうな」
 押し問答してる暇はない。もうあまり時間がない、約束の時刻を過ぎれば相手が帰ってしまうかもしれない。サムライは一度言い出したら聞かない強情な男だ、彼の説得に時間を割いていては朝になってしまう。
 サムライの手を乱暴に振りほどき、鉄扉を開け放つ。
 廊下には無機質に蛍光灯が点っている。
 寒々しい灰色のコンクリ壁が続く廊下をサムライと前後して歩く。途中、看守とはすれ違わなかった。毛布に隠れて巡回中の看守が行き過ぎるのを待っていたのだから当たり前だ。他に出歩いてる囚人とも遭遇しなかったのはありがたい。蛍光灯の光に青白く発光する廊下は不安になるほど静かだった。
 東と中央を繋ぐ渡り廊下を歩く間も僕たちは言葉を交わさなかった。交わせなかったのだ。僕の手は緊張で汗ばんで喉がひりつくように乾いていた。一歩ずつ着実に目的地に近付いている実感が精神的重圧をかけてきて、房に引き返したい衝動を抑え込むのが大変だった。 

 中央棟に渡る。
 目指すは図書室。

 「本当に来るのか?」
 「そう思いたいな。来なければ逃げたと蔑むだけだ」
 体の脇でこぶしを握りこみ、苦々しく吐き捨てる。図書室の扉を開く。主が不在の図書室は異常な静けさに包まれていた。深夜でも電気は点いていた。
 警戒を強め、細心の注意を払って図書室に足を踏み入れる。背後で重厚な扉が閉じる。書架が十重二十重に並んだ一階を流し見たが、僕らの他に人影はない。   
 「決着をつけなければ」
 口に出して決意を表明する。
 ペア戦は終わった。しかしまだ決着はついてない、後始末が残っている。
 あの時、僕が安田と立ち話してた時、背後にぶつかってきた人物の正体。
 心神喪失状態の五十嵐の眼前に銃を蹴り飛ばした犯人の正体を突き止めて企みを暴かねば事件は終結したと言いがたい。
 「ペア戦は終わったが、事件はまだ終わってない。名探偵には最後の謎解きが残っている」
 だれが安田の銃を蹴り飛ばしたのか?だれが五十嵐に銃を撃たせたのか?
 僕には真相がわかっている。わからないのは動機だ。何故「彼」があんなことをしたのか仮説を組み立てることはできるが、所詮それは想像の域をでない机上の空論だ。
 僕は真実を知りたいのだ。
 「彼」が何故あんな真似をしたのか本当の理由を、ロンの信頼を勝ち得ていた「彼」が何故あんな―……
 その時だ。
 「直、止まれ」
 「!」
 鞭打つような叱責に息を呑んで立ち止まる。サムライが木刀で僕の脛を押さえ、油断ない眼光で虚空を見据える。
 「これはこれは。夜分遅くに呼び出しを受けて来てみれば、デート場面に遭遇してしまいましたか」
 二階の手摺に誰かが腰掛けていた。
 光沢ある黒髪を七三に撫で付けた胡散臭い男だ。トレードマークの黒ぶち眼鏡の奥で糸のように目を細くして笑っているが、どこか真意の窺えない、不気味な笑顔だった。
 「呼び出したのは僕だ。ルーツァイに伝言を頼んだんだ」
 ルーツァイ。元売春班の同僚で一児の父親、南棟の囚人。ルーツァイなら「彼」に接近する機会があった、周囲の目を気にせず人に怪しまれず自然に接触する機会があった。
 二週間前より他棟と緊張関係が続く東棟の囚人である僕が南の元トップと話し合いを持ちたければルーツァイに仲介役を頼むしかなかったのだ。
 だが、彼が今晩ここに現れるかどうかは確率半々の賭けだった。
 結果として、僕は賭けに勝った。だが、勝負はここからだ。
 「貴様が今ここにいるということは、ルーツァイはちゃんと役目を果たしてくれたようだな。感心だ。一児の父の面目躍如といったところか?」
 「そうですとも。ルーツァイくんはちゃんと伝言を届けてくれましたよ。ロンくんのお友達が吾輩に用があるから図書室に来て欲しいと、この件はくれぐれも内密に頼むと……」
 「確かにそう言った。だが、それは僕の安全の為というよりむしろ君の保身の為だ。元南のトップに問うが、真相を暴露されて西と北と東を敵に回すのは君とて望まぬ事態だろう」
 首筋を冷や汗が伝う。手摺に腰掛けた男は頬杖ついて僕の推理を聞いている。謎めいた笑みを含んだ口元には余裕が漂っている。
 分厚い瓶底眼鏡の奥の双眸はしかし、もう笑っていない。おそろしく物騒な、身の毛もよだつほどに危険な眼光を孕んで炯炯と輝いている。
 二階と一階で距離がはなれてるのに、この言い知れぬ威圧感はなんだ?
 もしサムライが隣にいなければ膝が萎えてその場に崩れ落ちていたかもしれない。
 深く息を吸い、顔を上げる。眼鏡のブリッジに触れて心を落ち着かせる。
 「僕が今日君をここに呼んだのは他でもない。何故あんなことをしたのか、真実を知りたいからだ」
 「『あんなこと』とは?」
 「とぼけるな」
 お茶目に首を傾げた男をひややかに睨みつける。  
 「僕は全部なにもかもお見通しだ。天才に不可能はない、名探偵に解けない謎はない。二週間前、ペア戦決勝戦が行われた地下停留場で僕はレイジから銃を手渡された。そして、安田に返そうとした。その瞬間だ、誰かが僕の背中にぶつかってきた。偶然の事故じゃない、故意に衝突してきたんだ。衝突の衝撃で僕は銃を手放した、次に発見した時銃は五十嵐の前に移動していた。落下のはずみで床を滑ったにしては距離が空きすぎている、だれかが故意に蹴り飛ばしたに違いない。
 でも、誰が?一体何の為に?」
 「さあ、見当もつきません」
 「とぼけるなと言っている」
 本当に腹黒い。急激に込み上げる怒りを自制、努めて冷静に話を続ける。
 「舐めるなよ隠者風情が、僕の洞察力と観察力を持ってすれば解けない謎などない。推理の材料さえ揃えば真犯人を特定するのは難しくない、フェルマーの最終定理を解くより簡単な子供だましの真相だった。
 あの時、僕の背中にぶつかった人物は周囲の人ごみに紛れこんで特定できなかった。だが、そこれそまさに盲点……目の錯覚を利用した幼稚なトリックだったんだ。木の葉を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中。そう、肌の色が同じならなおいいな。俗に白色人種は黄色人種の見分けがつかないというが、逆も言える。肌の色が同じ群集の中に溶け込んでしまえば個人の特定は困難、言うなればカメレオンの保護色の原理だ」
 「ふむ、なるほど。興味深い推理です」
 顎を揉みながら隠者が頷く。
 二週間前、人で賑わう地下停留場の様子を回想する。
 レイジとサーシャの試合に満場の観客が熱狂してる頃、リング脇で試合を観戦していた僕にホセが接触を図った。その時は別段不審に思わなかった、ホセは神出鬼没な男だからと特に気に留めなかった。
 そして、ホセの周囲には肌の浅黒い南の囚人が群れていた。
 その時はやはり気に留めなかったが……あれは、作戦だったのだ。人の壁を築く作戦。今から思い返せば僕の視界の端には常に浅黒い肌がちらついていた、南棟の囚人がうろついてたことになる。地下停留場は満員で東西南北すべての囚人が集まっていたのだから勿論南棟の囚人がいてもおかしくないのだが、僕が安田と立ち話をしてる時の状況は異常だった。

 周囲には、浅黒い肌の囚人ばかりがいた。
 浅黒い肌の囚人しかいなかった。

 たとえば、南棟の囚人がわざと僕の背中にぶつかってもすぐに同胞の中に逃げ込めるように。
 同じ肌色の壁で匿えるように。
 
 「見事な人海戦術じゃないか、拍手を所望ならしてやるぞ。おそらく、君はこう指示したんだ。僕の背中にぶつかって銃を奪え、五十嵐の前にそれとなく移動させろと。南の囚人はトップの命令に忠実にそれを実行した、心神喪失状態の五十嵐が再び銃を目にすればどうなるか……手の届く場所に銃が出現したらどうなるか、君はそこまで読んでたんだな。
 一度は自ら復讐を諦め銃を捨てた、しかし今再び銃が現れた。
 偶然にしてはできすぎている。これはひょっとして目に見えない大いなる力が、『運命』や『宿業』と呼び習わされる大いなる力が自分に復讐を望んでいるんじゃないか?やはり自分は銃を手にとるべきじゃないか、復讐を遂げるべきじゃないか?人間心理の陥穽を鋭く突いた作戦だな。自らの手を汚すことなく邪魔者を始末できるなら越したことはない。
 君は五十嵐にヨンイルを射殺させるつもりだった、いやそれだけじゃない、サーシャとレイジが相討ちで死んでくれることをも望んでいた!それも全て自分がトップになりたいがため、東京プリズンの支配者になりたいがためだ!
 どうだ異論反論はあるか、言いたいことがあるなら言ってみろ南の隠者!!」

 全身の血液が沸騰する怒りに駆られて、ホセに人さし指をつきつける。
 隠者は笑っていた。ただ微笑んでいた。
 「………いやはや。参りましたね、これは。バレてしまいましたか」
 そう言って、照れくさげに頭を掻く。
 僕は怒っていた。ホセに殺意さえ抱いていた。ホセは人の心を踏み躙り利用した、五十嵐の無念とヨンイルの誠意を利用した、邪悪に笑いながら人の心を玩んだ。許せない。こいつだけは許せない。五十嵐とヨンイルだけじゃない、ロンのこともずっと、ずっと騙していたのだ。
 ロンの信頼を裏切って、ヨンイルの友情を裏切って。
 そうまでして、トップの座が欲しかったというのか?
 視界が真っ赤に染まる。体の脇で握りこんだこぶしが震える。全身の血液が逆流して体が熱く火照りだす。
 サムライが心配げな面持ちで僕の肩を掴む。
 僕が倒れないようにしっかりと支えてくれる頼もしい手。
 「おっしゃるとおりですよ、名探偵。吾輩はヨンイルくんの死を望んでたのです。ヨンイルくんだけじゃない、レイジくんとサーシャくんにもこの世から消えてほしいと切に望んでいたのです」
 「何故だ?」
 声が震えた。僕にはホセの考えが理解できなかった。サムライの手を振り払い、手摺を掴んで階段を駆け上がりかけ、必死に叫ぶ。
 「君は、貴様は言ったじゃないか!君とヨンイルがペア戦に出ると決意したのはサーシャを牽制するためだと、北の専横を阻止するためだと言ったじゃないか!!あれは嘘だったのか、虚偽の証言だったのか?真の目的は別にあったというのか!」
 ホセは哀れみをこめた目で僕の狂乱を眺めていた。
 二階の手摺に腰掛け、宙に足を垂らして、緩慢に眼下を睥睨する。
 ホセのいる位置からは図書室全体が見渡せる。
 階段の手前でサムライに取り押さえられた僕も、整然と並んだ書架も、反対側に設けられた二階部分の手摺と三階部分の手摺もすべて。
 黒ぶち眼鏡の弦に指を添え、隠者は感慨深げに述懐する。
 「『敵を騙すには味方から』。しかし、吾輩には最初から味方などいませんでした。ヨンイルくんもレイジくんも『敵』の想定内だったんですよ。ヨンイルくんもレイジくんも吾輩の真の目的は見破れなかった。
 我輩はね、敵の全滅こそ望んでたんです。
 サーシャくんとレイジくんが共食いして、ヨンイルくんは五十嵐に殺される。吾輩の予想では北と東の対決でどちらかが死にどちらかが怪我で引退するはずだったんですが、どうしてどうして、レイジくんもサーシャくんも詰めが甘い。お二人にはがっかりです。最後の弾丸が入ってなかったのもね」
 顔から眼鏡を外し、素顔で微笑む。
 背筋に戦慄が走る極悪な微笑。
 「まあ、レイジくんのほうがより残酷だと言えなくもない。家臣の前で醜態をさらした元皇帝、片目を失ったサーシャくんが北棟で生き残れるかどうか…今ごろ輪姦されてなければいいですがね」
 眩暈がした。階段から足が滑り、視界が傾いだ。背後のサムライが慌てて僕を抱きとめる。 
 「大丈夫か?」
 「……大丈夫だ。別の意味で反吐がでそうだが」
 階段から転落しかけたところをまたもサムライに救われた。
 サムライの手を借りて起き上がった僕は、気丈に顎を上げてホセを睨みつけ、苦々しく皮肉を言う。
 「貴様の目的は、他棟のトップを抹殺して東京プリズンのトップになることか?ならば思惑が外れて残念だな、結果として五十嵐はヨンイルを殺さずレイジとサーシャは生き残ってしまった。隠者の野望は未遂に終わった」
 「はたしてそうでしょうか」
 ホセが手摺を下りて靴音高く階段に歩を向ける。
 開放的に高い天井に靴音が反響する。
 「確かにヨンイルくんは生き残った、サーシャくんもレイジくんも生き延びた。しかし、彼らに何ができるのです?ヨンイルくんは今回の一件で罪悪感の重荷を抱え込んだ、今回の一件は末永く彼のトラウマになるでしょう。レイジくんは背中に火傷を負って片目を失った、これは大変な痛手です。身体が回復するには時間がかかる上に決して元の状態には戻れない。サーシャくんは言うに及ばず……」
 ホセが自信に満ちた力強い足取りで階段を下りてくる。
 怪しくほくそ笑みながら、すでに次の策謀を練りながら。
 「これは終わりではなく、始まりに過ぎない。そうは思いませんか?」
 「ロンには手を出すな」
 階段の上と下でホセと対峙する。サムライに肩を支えられた僕は、ホセの通り道に敢然と立ち塞がる。ホセがスッと目を細める。剃刀めいて剣呑な眼光が僕の顔をひと撫でする。
 僕はホセに恐怖を感じていた。得体の知れない、底の読めない……手強い相手。ホセが本性を曝け出した今なら、ホセと対峙した今なら実感としてわかる。東西南北四人のトップのうちで最も警戒せねばならないのはレイジの狂気でもサーシャの残虐性でもヨンイルの無邪気さでもない。

 ホセの悪意だ。
 目的のためなら手段を選ばない、人あたりよい笑顔の裏に潜む邪悪さだ。

 レイジよりもサーシャよりもホセは邪悪だ。蝿の王のように邪悪だ。
 規則的な音を響かせてホセが階段を下りてくる。余裕漂う緩慢な歩み。障害物など視界に入ってないような自信に満ちた力強い足取り。
 「吾輩を呼び出して直接真相を究明した君の勇気に免じて、特別に教えてさしあげましょう。吾輩は実は、本来ここにいるべき人間ではない。東京プリズンは吾輩本来の居場所ではない。吾輩は『ここにいてはいけない』人間なのです」
 「は?」
 何を言ってるんだ。疑問の眼差しでホセを仰げば、にこりと感じよい微笑みを返される。
 「吾輩は二十四歳。東京プリズンは十二歳から二十歳までの犯罪者を収容する施設、二十歳を越えれば郊外の刑務所に移送される手筈になっています。しかし、吾輩はいまだにここにいる。東京プリズンにいられる年齢をとっくに過ぎてもトップとして君臨し続けている。何故だかわかりますか」
 ホセが、本当は二十四歳だった?どうりで老けてると思った……
 いや、違う。今重要なのはそんなことではない。
 ホセが次第に接近してくる。
 片手を手摺におき、片手を体の脇にたらし、謎めいた笑みを浮かべて……
 僕とすれ違う間際、耳元で囁く。
 「東京プリズンには秘密があるのです。とても重大な秘密がね」
 「東京プリズンの秘密?」
 なんだそれは。
 東京プリズンの秘密。
 僕がまだ知らない東京プリズンの真実の姿。
 日本を震撼させる……世界を震撼させる……秘密?
 僕の傍らで立ち止まり、ホセが視線を向ける。僕の表情をつぶさに観察しつつ、慎重に言葉を選んで続ける。
 「変だと思いませんか?何故こんな砂漠の真ん中に限られた年齢の少年ばかり収容する刑務所があるのか。何故東京プリズンの地下がこんなに広いのか。何故東京プリズンは日本に見捨てられたのか……」
 「君は、その秘密を探っているのか?その秘密が知りたいから、東京プリズンのトップになりたいのか」
 興奮のあまりホセの肩を掴んで問いただす。僕が知らない東京プリズンの実態、真実の姿。そんなものがもしとあるとすれば……

 僕は。僕らは一体、何故ここに集められた?

 「これから先は言えません。吾輩としたことが、少々おしゃべりしすぎてしまいました」
 僕の手を無礼にならない力加減ではねのけてホセが再び歩き出す。
 サムライの制止を振りきり、その背中に食い下がる。
 「約束しろ隠者、今後ロンとレイジには手だししないと!いや二人だけじゃない、ヨンイルを追い詰めるような真似もするな!彼らはまだ君の本性を知らない、いや、薄々勘付いていて知らないふりをしてるのかもしれないがとにかく君を信頼して!」
 靴音が止む。図書室の扉の前で僕に背中を向けて立ち止まり、ホセが深々と息を吐く。大気を伝わってきたのは失笑の気配。みっともなく追いすがる僕を振り向き、ホセが眼鏡を外す。
 口元から白く清潔な歯が零れる。
 驚くほど若々しく野蛮な素顔でホセは言った。

 「ロンくんを犯して殺したら、レイジくんは発狂してくれるでしょうかね」
 宣戦布告。

 風切る唸りをあげて木刀が飛来したのはその直後だ。
 僕の頬を掠めて投擲された木刀がホセの手首を直撃、眼鏡を弾きとばす。苦鳴をあげて膝を屈したホセへと大股に歩み寄り、流麗な所作で木刀を拾い上げるサムライに呆然とする。
 手首を押さえて立ち上がり、レンズが割れて弦が曲がった眼鏡を拾い上げる。
 「……冗談ですよ。吾輩はいついかなる時もワイフ一筋、浮気などもってのほかです」
 床に散らばったレンズの破片を情けない顔で見下ろして、ホセが首を振る。
 「………前から疑問に思っていたのだが。ワイフとは空想上の人物、虚構の存在ではないのか?」
 「失礼な、ヨンイルくんと一緒にしないでください」
 何事もなかったように割れた眼鏡をかけ直したホセが頬に血を上らせて憤慨する。木刀を取り返したサムライが無言で僕の隣に並ぶ。僕たちが黙って見送る中、ホセが扉を開けて肌寒い廊下に出る。
 「忠告だ。俺の仲間に手出しすれば貴様とて容赦せん。ゆめゆめ用心を怠るな」
 扉が閉まる直前、サムライが警告を発した。無意識に木刀を構え、いつでも斬りかかれるよう全身に殺気を漲らせて。閉まりゆく扉の向こうでホセが苦笑、体の脇で腕を揃えて丁重にお辞儀する。
 「ご忠告どうも。肝に命じておきましょう」
 猛禽の眼光と肉食獣の眼光が一刹那だけ交錯。
 扉が閉まる音が重たく響き、我知らず安堵の息を吐く。
 「……直、あの男には用心しろ。あれは策士だ」
 「わかっている。ホセの陰謀など片っ端から僕が叩き潰してやる、大丈夫だ、頭脳勝負には自信がある。僕の灰色の脳細胞をもってすればホセに先んじることなどたやすい……何故笑う。ここは笑う場面じゃない、エルキュ―ル・ポワロも卒倒する僕の名推理に脱帽する場面だろう。まったく空気の読めない男だな君は!」
 「いや、すまん。お前があんまり一生懸命なのがおかしくて」
 「『おかしくて』?」
 失礼な男だ、僕は大いに真面目なのに。尖った声で抗議すれば、こぶしを口にあてて笑いを噛み殺したサムライが深呼吸でこちらに向き直り、優しい眼差しを向けてくる。
 「人のために一生懸命になれるのが、お前の良いところだ」
 「……前々から指摘しようと思っていたが君の発言には読点が多すぎる。聞いててイライラする」
 急に改まって何を言い出すのだ、サムライは。さあ、用は済んだ。はやく房に帰ろう、明日も強制労働があるのだ。サムライに背中を向けてノブを掴む……
 「直」
 「なんだ」
 サムライが僕を呼ぶ。振り返りもせず、不機嫌に問い返す。どうせまたくだらない話だろう。背後にサムライの気配を感じる。サムライが僕の肩に手をおく。
 反射的に振り向く―

 衝撃。

 背中に鉄扉がぶつかり、鈍い音が鳴る。何が起きたのか瞬時にわからなかった。視界に覆い被さる人影、顔に被さる顔……鉄扉に押し付けられた僕の上にサムライが覆い被さっている。至近距離にサムライの顔がある。先刻の優しい眼差しとは一転、ひどく思い詰めた眼差し。生きながら心臓を焼かれてるような切迫した表情、男性的な荒荒しさを剥き出した必死な形相……
 どけ、と叫ぶ暇もなかった。
 目を閉じる暇も与えられなかった。
 唇に唇が重なる。前歯があたる。不器用で性急なキスに痛みを感じる。ただ触れるだけのキスだったのに、サムライの唇の火照りが伝染ったのか僕の唇にも血の気が射していた。
 「……サ、ムライ?」
 今、何が起きた?
 サムライが、僕の唇を奪った? 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050714174048 | 編集
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