ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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七十三話

 「キーストア!」
 レイジが僕へと銃を投げる。
 「それ安田に返しといてよ。あと、その銃……」
 何か言いかけたレイジの腕を引っ張り強引に人ごみへと連れ込む医師。
 「医者生活三十余年でこんなに元気な患者は見たことないよまったく、大人しく寝てないと鎮静剤を打つよ」
 「ひでえ横暴だ、人権無視だ、断固抗議!ロンと俺の仲を裂こうとするてんで性悪キューピッドめ!」
 「患者に人権はない!」
 医師と口論しつつ人ごみに連れこまれたレイジは、雑踏に紛れる最後の瞬間まで往生際悪く足掻いていた。ロンは僕とレイジを見比べて逡巡していた。複雑で不安げな面持ちだった。レイジを心配する気持ちと僕らに遠慮する気持ちが相半ばしてロンの顔を曇らせていた。
 ロンの心情を察した僕は銃を胸に抱えて口を開こうとして……
 「行って来い。あとは俺たちに任せろ。お前はレイジについててやれ」
 サムライに先回りされた。
 「王に褒美をくれてやれ。レイジを癒せるのはお前だけだ」
 物静かだが有無を言わせぬ口調で促され、ロンが決心する。きつく唇を結んで顔を上げ、サムライを見上げる。そして、駆け出す。レイジを追って人ごみに身を投じたロンの姿がやがて見えなくなるにつれ、緊張の糸が緩む。
 体が傾いだ。
 手中に抱えた銃の重量のせいか、疲労が溜まっていたせいか……そうだ、今晩だけで色々なことが起こりすぎた。僕の優秀なる頭脳の許容量を超える異常な出来事が次々と。だが、全部終わった。もう何も心配することはない、僕が憂うことは何もない。
 今日は特別な夜だった。
 東京プリズンにとっても僕にとっても、今この場にいる誰にとっても特別な意味を持つ運命の夜。
 東京プリズンの命運を分ける一戦が行われ、ペア戦に決着がつき、複雑に絡まり合った五十嵐とヨンイルの因縁も解かれた。
 今夜の出来事は正式な記録に残らずとも長く記憶に残る予感がする。
 看守と囚人の区別なく今晩この場に集った人々の記憶に残り続ける確信に近い予感がする。たった一晩の出来事が多くの人々の人生を左右することがある、たった一晩の出来事が価値観を根底から覆して目に映る光景を劇的に塗り替えてしまうことがある。それが今日、今晩だったのだ。
 僕の体には澱のように疲労が蓄積されていた。
 脆く繊細な神経は酷く張り詰めて、過度の緊張を強いられ通したせいで、すべてが終わった途端に安堵から来る眩暈に襲われた。急に床が傾いだ錯覚に襲われて平衡感覚が狂って、あっと思った瞬間には体が浮揚感に包まれていた。 床で足を滑らせた僕は、背中が床に激突する衝撃を予期して固く目を瞑る。
 ところが、そうはならなかった。
 後ろ向きに倒れた僕を力強い腕が支える。
 腋の下にさしこまれた二本の腕の主は僕の背後であきれ顔をしていた。
 「何もないところで転ぶとは器用だな」と感心してるようにも見えた。
 心外だ。
 「手を放せサムライ。肉体的接触なら先程のあれで十分だ」
 無様だ。なんたる失態だ、鍵屋崎直と羞恥に頬を染めて内心歯噛みする。
 気が緩んだ途端にこれだ、もう恥をかくのは沢山だというのに。
 思えば今晩だけで一生分の恥をかいた、かき尽くした。タジマには銃を発砲するぞと脅されて、一万人の大群衆が固唾を飲んで見守るリング上で痴態を晒された。その上ロンを強姦しろと命令されて甚だ不本意なことに屈辱的な芝居までする羽目になった。
 タジマを騙して油断を誘うために仕方なかったとはいえ口腔内の生温かい温度と感触が不快だった。冷静に考えれば凡人にもわかるだろう、僕がロンに欲情などするわけがないじゃないか、天才のプライドに賭けて断固否定する。鈍感なロンはズボンを脱がされる段階になってもまだ気付かなかったようだが、僕はただ演技をしていただけだ。
 タジマと群集を騙してサムライにだけ真意を伝える巧妙かつ狡猾な演技、それもこれもIQ180の優秀なる頭脳が発案したタジマの裏をかく計略だったのだ。
 でも、最も恥ずかしいのは……
 「同じことを二度言わせる気か?手を放せというんだこの低脳め、もう平衡感覚を取り戻した、ちゃんと二本の足でバランスをとって立つことができる。君の手を借りずに秒速3メートルで房に歩いて帰ることもできる。大体君は足に怪我をしてるじゃないか、さっき銃床で殴られてまた傷が開いたんじゃないか?くそ、何度包帯を替えればいいんだ。これぞ資源の無駄遣いというものだ、少しは反省しろ」
 「すまない」
 サムライが律儀に頭を下げる……素直に詫びられたら詫びられたでばつが悪い。これでは一方的に怒ってる僕のほうが悪者だ。
 「……前言撤回だ。訂正しよう、別に君が謝ることでも反省することでもないな。反省する必要があるのはタジマだ。しかし、これだけの大事件を起こしたんだ。いくらタジマに強力なコネがあっても、看守職への復帰は絶望的に不可能。それだけは喜ぶべきことだな」
 眼鏡のブリッジを中指を押し上げ、吐き捨てる。
 だが、サムライに両腕を掴まれて背後から吊られていてはさまにならない。サムライの腕を邪険に振り解き、苛立たしげに上着の裾を払って立ち上がる。あちこち転げまわったせいで全身埃だらけだった。眼鏡のレンズも片方割れて視界半分に亀裂が生じていた。
 鏡に映してみるまでもなく今の自分がひどい有り様だと察しがついた。
 レンズにひびが入って視界が利がないのが惨めだ。眼鏡を顔から外し、割れたレンズをじっくり観察する。早急に修理に出す必要があるな、と考える。
 「………君が、その」
 眼鏡の弦をいじくり回しつつ、口を開く。
 サムライがうろんげに僕を見る。横顔に視線を感じて頬が熱を帯びる。
 手元に意識を傾け、神経を集中する。ヨンイルに蹴られた衝撃でレンズが割れた眼鏡をあちこち角度を変えて矯めつ眇めつしつつ、努めてさりげなく、本心を口にする。
 「君がタジマを殺さなくて、良かった。君の剣はあんなふうに使うものじゃない。汚い男の汚い血で君の手と剣が汚れるなど到底耐えられない。僕はこれからもずっと、君と一緒にいたい。共にありたい。友人として……その、だからつまり、端的かつ理論的なおかつ合理的に結論すれば」
 言葉が淀む。高熱でも発したように頬が熱くなる。
 こんな訥弁、僕らしくもない。いつもみたいに自信を持って、威圧感を込めた口調で淘淘と言いきりたいのに、どうしてもそれができない。落ちつきなく眼鏡をさわりながらふと顔を上げて照明の落下地点に一瞥くれる。
 タジマは既に担架に乗せられ運び去られていた。後にはただ床一面に照明の破片が散らばり、後片付けを任された看守が慌しく行き交っているだけ。
 これで当分タジマと顔を合わせずに済むという安堵にも増して僕を救ったのは、サムライがタジマを殺さなかったという事実。
 狂気に取り憑かれて木刀を振るうサムライ、復讐に燃える眼光、返り血を浴びた般若の形相……
 もしあの時サムライがタジマを殺していたら、僕らはもう一緒にはいられなかった。
 サムライは僕にとってかけがえのない大事な存在だ。大切な人間だ。彼と離れ離れになるのは耐えられなかった。彼を失いたくないと痛感した。
 眼鏡をかけ直し、サムライの目をまっすぐ見つめる。
 「僕は」
 今の気持ちをサムライに伝えたい。
 さっきの抱擁だけじゃ足りない、伝えきれなかった気持ちを。
 サムライが無言で僕を見る。見つめ返す。
 サムライは僕の中に苗を見てるのだろうか、苗の幻影を重ねているのだろうか?……かまわない。それでもいい。
 僕を癒せるのはサムライだけだ。そしてまた、現在を生きるサムライを癒せるのも僕だけだと自負していいだろうか?自負することを苗は許してくれるだろうか?
 視線と視線が絡み合う。距離が接近する。胸の鼓動が高鳴り、手のひらがじっとりと汗ばむ。周囲の喧騒が潮騒のように遠のき、僕とサムライのまわりに不可侵の静寂が満ちる……
 「鍵屋崎、そろそろ銃を返してほしいのだが」
 咳払いとともに不機嫌な声が介入。
 振り向けば安田がいた。背広を脱いでシャツ一枚になっている。そのシャツもボタンが数個しか掛けられておらず、血の滲んだ包帯が扇情的に映える色白の素肌が覗いていた。はだけたシャツの隙間から薄い胸板と鎖骨を覗かせた安田が、看守二人に両脇を支えられてこちらにやってくる。
 「銃?勿論返すつもりだった、忘れるわけがない。僕が優先順位を間違えるはずないじゃないか、弾倉にはまだ一発残ってる、暴発の危険もある銃の存在を手に持ったまま忘れるはずがないじゃないか!」
 「わかったから、早く返したまえ」
 安田があきれ顔になる。なんだその顔はと文句を言いたくなる。元はといえば貴様が不注意だから僕がしなくてもいい苦労をする羽目になったんじゃないか、おかげでさんざんな目に……
 まあいい、過ぎたことだ。
 憮然たる態度で安田の手のひらに銃を置こうとして、ふと思い止まる。
 「副所長、貴方が銃を紛失したことは皆に知れ渡ってしまった。タジマが暴露してしまった」
 「ああ」
 首肯した安田を探るように見上げる。安田は意外にも落ち着き払っていた。何故だか清清しい顔をしていた。長年の苦悩から解放されたような、達観した表情だった。
 「自業自得の但馬看守はともかく、貴方にも相応な処分が下される。刑務所内で銃を紛失したのは副所長のミスだ、今回の騒動の発端はそもそも貴方が注意を怠って軽率な振るまいに及んだからだ」
 「こいつ、囚人のくせに生意気な!」
 「いい。続けたまえ」
 怒号を発した看守を遮り、安田が先を促す。僕は淡々と続ける。
 汗ばむ手のひらを隠すよう体の脇で握りこみ、喉の乾きを唾で潤し、挑むように顎を引く。
 「貴方は一体、どうなるんだ?当然無罪放免というわけにはいくまい、貴方にもなんらかの処罰が下される。たとえ貴方の銃で怪我したのが貴方自身を除いて誰もいなくても、刑務所内で看守が囚人に銃を向けたという事実こそ問題視されるべきだ。本来ありえざる由々しき事態として取り沙汰されるべきだ。ことは東京プリズンの日常の一部と化したリンチ及びレイプとは訳が違う。貴方はどう今回の責任をとるつもりだ?まさか……」
 そこで言葉を切り、切迫した眼差しで安田を仰ぐ。
 「まさか、東京プリズンを辞めるつもりじゃないだろうな?」
 「鍵屋崎。私は何故か君が他人とは思えない。君のことはまるで息子のように近しく思うよ」
 「答えをはぐらかすな、僕は副所長の進退問題について真剣に討議……」
 背中に衝撃。
 「!?」
 「鍵屋崎っ!」
 サムライが僕を呼び、安田が咄嗟に手をさしだす。僕の体を受け止めようとしたのだ。誰かが僕の背中にぶつかった、いや、突進してきたといったほうがいい。一人じゃない、二人、三人……立て続けにだ。視界が上下にぶれ、安田の腕に向かって倒れこむ。安田の腕に縋って顔を上げれば、眼鏡越しの双眸が憂慮の色を湛えてこちらを覗きこんでいた。
 「大丈夫か?君は少し体重が軽すぎる、ちゃんと栄養を摂ったほうがいい」
 「なら東京プリズンの食事事情を改善しろ、芋と菜と米と魚では献立が貧しすぎだ。こんな粗食で体が造れるわけがない、いいか、僕らは成長期なんだぞ?その点を重々考慮して献立の改善を要求……」
 ゴトリ、と鈍い音が鳴る。何か重たい物、たとえばそう、鉄の塊が床に落下した音……
 驚き、五指を広げた手を見る。
 拳銃がない。消失。
 顔から血の気が引く。いつどこで?「今」だ。今さっきだ。誰かが僕の背中にぶつかった、衝突のはずみで僕はよろめいて安田の腕の中に倒れこんだ。僕の背中にぶつかった人間はすでに人ごみに紛れこんで特定しがたいが手の中の拳銃は忽然と消えている。
 盗まれた?落とした?
 「鍵屋崎?」
 僕の肩を乱暴に揺さぶる安田が、拳銃の消失に気付いて血相を変える。
 「銃をさがすんだ!」と両脇の看守に指示、今にも膝が萎えて崩れ落ちそうな僕の肩を支える。本物の父親みたいに力強い手、ぬくもりと安心感を与えてくれる手……その時ふと、本当に唐突に、荒唐無稽な考えが脳裏を過ぎった。あとから考えれば現実逃避に過ぎない、根拠も何もない、ただそうあってほしいというだけの儚い希望。

 安田が僕の父親ならよかったのに。

 「あそこだ!」
 「!」
 サムライの声で一瞬にして我に返った。
 サムライの視線を追えば確かに銃があった、無造作に転がっていた。事もあろうにリングの上に。床に手を付いて首をうなだれた五十嵐の鼻先に。
 何故あんなところに?愕然とする。
 いくらなんでも距離が離れすぎている、床を滑ったにしては遠くに行き過ぎだ。誰かが故意に蹴飛ばしたとしか考えられない。しかし誰が、何の目的で?安田の腕から上体を起こし、犯人を特定しようとあたりを見まわす。
 無駄だ、僕の背中に突進した犯人も銃を蹴飛ばした犯人もわからない、人が多すぎる!
 「くそっ!」
 衝動的に安田を突き飛ばして走り出す。
 突然、胸騒ぎに襲われた。安田とサムライと看守二名が僕の後に続く。彼らも直感したのだ、五十嵐の目の届く範囲に銃を放置しておくのは危険だと。
 僕らが接近する足音に反応したか、五十嵐が緩慢に顔をもたげる。
 五十嵐が拳銃に目をとめる。死んだ魚のように濁った目に物騒なものが漣立つ。五十嵐がゆっくりゆっくりと拳銃に手をのばし、指を触れる…
 「やめろ五十嵐、銃に触れるな!」
 走りながら叫ぶ、五十嵐に今一度復讐を思い止まらせようと。
 銃に手を置いたまま、五十嵐がこちらを見る。固く強張った表情。手を引っ込めるべきか再び銃をとるべきか思いあぐねた、逡巡の表情。五十嵐もまた激しい葛藤に苛まれて自分では答えを出せずにいた、目の焦点は虚空をさまよって誰かに助けを求めていた、必死に縋っていた。

 救いの手は思いがけぬところから伸びた。

 「ええで五十嵐。撃てや」
 リングに上がろうとして、立ち止まる。
 リングを中心に低いどよめきが広がる。ヨンイルが薄目を開ける。
 五十嵐の手に被さったのは、ヨンイルの手。五十嵐に銃を掴ませたのは、命を狙われるヨンイル自身の手。寝ぼけているわけでもないらしく声はしっかりしていた。
 リングを囲んだ観客が慄然とする中、ゆっくり起きあがったヨンイルが無意識にゴーグルをさぐる。僕の手により首元に引き下げられたゴーグルには無残な亀裂が生じていた。
 弾丸が貫通したあとだ。
 弾痕が穿たれたゴーグルを名残惜しげに撫でつつ、ため息をつく。さんざん辛酸を舐めて人生に疲れきった年寄りのような、澱のように疲労が沈殿した吐息。
 たった一瞬で何十年もの歳月が経過したように老成した顔つき。
 「な、んで?」
 五十嵐のかすれた問い。驚愕に目を見開き、信じ難い面持ちで道化を仰ぐ。ヨンイルは少し困ったように笑う。
 「なんで、て。あんた、俺のこと殺したかったんやろ。娘さんの仇をとりたかったんやろ。なら撃てや。遠慮はいらん。眉間でも胸でも股間でも好きなとこ狙え。俺の体に棲んどる龍の息の根止めてくれ」 
 「何故そうなるんだヨンイル、僕に断りもなく勝手に結論をだすんじゃない!!」
 僕は動転していた、混乱していた。何故ヨンイルは今更こんなことを言い出す、すべてが片付いた今になって既に終わったことを、決着がついたことを蒸し返す?
 リングに一歩踏み出し、両手を広げる。
 「もう全部終わった、片が付いたんだ!君は助かったんだヨンイル、五十嵐の復讐は終わったんだ、君が間の抜けた寝顔をさらしてるあいだに問題は滞りなく処理されたんだ!それなのにわざわざ自分の命を危険に晒してこれは一体何の真似だ、君の言動は理解しがたい、支離滅裂の極みだ!
 君に放たれた弾丸は形見のゴーグルが代わりに受けた、君は奇跡的に無傷で窮状を切り抜けた、非常識なほどの悪運の持ち主だ!わかったか、わかったならさっさと戻って来い、ワンフーをはじめとする西の囚人が道化の帰還を待ち侘びているぞ!」
 僕を無視するヨンイルに苛立ち、最後は悲鳴のような叫びになった。
 僕にはヨンイルの行動が理解できない、何故この期に及んで自分の身を危険にさらすような真似を、五十嵐に復讐を促すような真似を?
 リング周辺の囚人が僕の叫び声に感化されてざわめきだし、場が緊迫する。
 思い詰めた面持ちで自分を見つめる西の囚人を睥睨し、ヨンイルは呟いた。
 「もう、ええ」
 かすかに笑みさえ含んだ、力ない声だった。
 ヨンイルが五十嵐の手ごと銃を握る。そうやって強引に銃を握らせる。ヨンイルにされるがまま、五十嵐が銃を手にとる。ヨンイルが満足げに頷き、傍らの免許証入れに一瞥くれる。正確には、上下に開いた免許証入れの写真に。
 「俺、全然気付かんかったんや。すっかり忘れとったんや、自分がしたこと」
 ヨンイルが目を伏せる。
 「あんたが怒るの無理ないわ。ここに来てから毎日毎日たのしくて、漫画読み放題で人生謳歌して、せやから忘れとったんや。……いや、ちゃうな。自然に忘れたんやなくて、心のどっかで忘れたがってたんやろな。
 さっき直ちゃん言うたろ、一生懸命俺に呼びかけとったろ。
 ちゃんと聞こえとったで。俺にとっての漫画はただの現実逃避の手段やて、きっついこと言うなあて内心苦笑したけど、その通りや。俺はなにか辛いことや苦しいことあるたび、現実に知らんぷりして漫画の世界に逃げこんだ。漫画の神様手塚治虫が作り出した世界に寝食忘れて浸りきって、俺もすっかり二次元の登場人物になりきって……」
 ヨンイルは淡々と語る。五十嵐リカの写真を見つめ、首をうなだれて。 
 「そうやって、取り返しのつかんことから逃げ切ろうとしてた。
 現実なんてつまらん、二次元のほうがなんぼマシか知らん。ホンマのことなんか知らんほうがええ。
 俺は阿呆やから、じっちゃんの口癖の意味はきちがえとったんや。ずっとずっと、長いこと勘違いしとったんや。じっちゃんの口癖。『いつか、どでかい花火を打ち上げるのが俺の夢じゃ』て爆弾いじくりながら言うとって……せやから、勘違いしてもうたんや。じっちゃんが言うとる花火は爆弾のことで、どでかい花火を打ち上げたいちゅーんはつまり、最高の爆弾作りたいてことかと…」
 ヨンイルは全裸だった。
 残り三つの照明が、龍に巻かれた肢体に艶やかな光沢を塗っていた。
 ヨンイルがそっと、首からさげたゴーグルにふれる。
 祖父との思い出を懐かしむように、口元を綻ばせて。
 「紛らわしいっちゅーねん、あのくそじじぃ。ホンモンの花火のこと指してるなんて阿呆やから気付きもせんかったわ、俺。死に際に枕元に呼ばれて『阿呆、アレは花火のことや』てお説教されたかて手遅れやっちゅーねん。
 俺はじっちゃんの口癖真に受けて、いつか最高の爆弾作ってじっちゃんの鼻明かしてやろて、じっちゃんびっくりさせたい一心で爆弾作りに明け暮れとったのに……なんやねん、それ。もっと早く言うてほしかったわ。そんなら俺、花火作ったのに。爆弾やなくて、花火作りに励んだのに。
 俺はただじっちゃんみたいになりとうて、他のこと何も見えてへんガキで、爆弾なんかどうでもよかったんや。俺はただ、じっちゃんに誉めてもらいたかったんや。『すごいな、さすが俺の孫や』て頭撫でてもらいたかったんや。
 はやく一人前になってじっちゃんに認められて……」
 ヨンイルの言葉が途切れる。
 「俺は、ピノコや。ブラックジャックのまわりちょこまかしてなんでも真似したがる、一人前と認められたくて必死に背伸びするピノコやったんや。けど、ピノコは爆弾作ったりせん。爆弾で二千人殺したりせん。じゃあ、俺はなんや?」
 ヨンイルが顔を上げ、まっすぐに僕を見る。
 僕なら核心から目を背けず欲しい言葉をくれるだろうと確信をこめ。
 「直ちゃん。俺はなんや」
 「人殺しだ」
 「そうや。人殺しや」
 我が意を得たりとヨンイルが頷く。
 「正直、俺はまだ死にとうない。世の中の漫画全部読み尽くすまで死にたくないてのが本音や。けど、あんたが俺を殺すのは正しい。正しいと言い切れなくても、少なくとも間違ってはない。あんたに殺されるなら納得できる、あんたの手で地獄に落とされるならまあしゃあないなって笑いながら逝ける」
 「悟りすぎだよ、お前」
 震える手で銃を掲げて、五十嵐がいびつに笑う。泣きたいのを我慢して笑ってるようなぎこちない笑顔。そんな五十嵐の前に無防備に身を晒し、無造作に手足を投げ出してヨンイルが笑う。
 「だってここ、東京プリズンやろ。東のはての砂漠のど真ん中の地獄やろ。ここに送られたら最後、どうせ生きては出られん。俺の懲役は二百年、どのみち生きて出れる見こみは限りなく低い。世の中に数かぎりなく何億冊何兆冊と漫画が溢れとっても、図書室の漫画はあらかた読み尽くしてもうた。手塚治虫の絶版本『ガムガムパンチ』はここにいる限り手に入らん。
 なら、ここであんたに殺されるのもそんなに悪くないかなって……少なくとも、最悪の死に方やないやろ」
 「ヨンイル、それでいいのか!?ゴーグルを盾に、祖父に救われた命じゃないか!!」
 五十嵐が引き金を絞り、ヨンイルの眉間に銃口を固定。リング周辺から地下停留場の奥へと足元を這うように低いどよめきが広がる。西の囚人が口々に悲鳴をあげる。
 金切り声で叫ぶ僕を無視し、ヨンイルは五十嵐に語りかける。
 「俺はあんたの娘を殺した」 
 ただ、ありのままの真実を。
 残酷に胸を抉る真実を。
 「だから、俺を殺してもええんや。みんなが見てるまえで娘の仇をとってええんや。あんたの娘は、五十嵐リカは、もっと生きててもいいはずだった。くだらんテロなんかに巻き込まれずに済んだら今も元気で暮らしてるはずだった。あんたの免許証入れに挟まった写真は一年ごとに新しくなって、今ごろは和登さんみたいにボーイッシュなべっぴんになったリカちゃんが笑いかけとるはずだった」
 「そうだよ。そのとおりだよ。わかってるじゃねえかヨンイル、腐れ外道の人殺し。リカはお前に殺されたんだ、お前が勘違いで作りつづけた爆弾で殺されたんだよ。だからリカの写真はこれ一枚きり、リカは永遠に十一歳のまま、俺の記憶と写真に残り続けなきゃいけなくなった。ヨンイル。五年前のお前はほんのガキだった、物の道理のわからねえ子供だった。さぞかし腕白で人の言うこと聞かねえ、じいちゃん泣かせのガキだったんだろうな」
 「大当たり。じいちゃんにはいつもゲンコツ落とされとった。痛いんやで、アレ。目から火花がでたわ」
 「リカは、いい子だった」
 「うん」
 「親の言うことをよく聞く、聞きすぎるほどによく聞く、全然手のかからねえ……」
 「うん」
 「俺には勿体ないほどの」
 「うん」
 「なんでも一人でやって、十一歳て年齢以上にしっかりしてて、将来こいつを嫁に貰う男は幸せだなあってやきもち焼いたくらいに」
 「…………」
 「リカの父親になれて、幸せだった。あいつが俺たちの娘に生まれてきてくれて、本当に嬉しかった」
 五十嵐が深く息を吸う。指の震えはいつしか止まっていた。ヨンイルを射殺する決心が固まったのだ。
 弾丸は全部で六発、残り一発。至近距離で眉間に撃ち込めばヨンイルは即死。
 やめろ、と叫びたかった。しかし声が出なかった。僕が崩れ落ちないよう肩を支える安田もサムライも、食い入るようにヨンイルと五十嵐を見比べていた。
 ヨンイルはすでに覚悟を決めていた。五十嵐に銃を持たせたのはヨンイル自身だ。それがわかるから僕らは何も言えなかった、ヨンイルと五十嵐の最後のやりとりをただ見守ることしかできなかった。
 最期の会話というにはあまりに和やかで微笑ましい内容だった。ヨンイルと五十嵐の表情は、気の置けない者同士が他愛ない話でもしてるように柔らかかった。ヨンイルは相変わらず全裸で、素肌の至るところに痛々しく血が滲んでいた。
 天からの光に晧晧と映える刺青は、鱗を剥がされた龍が断末魔の苦しみにのたうちまわっているようにも見えた。龍の胴体から滴り落ちる血をそのままに手足に伝わせて、ヨンイルは安らかに目を閉じた。
 「リカは、いい子だったんだ」
 五十嵐の声が嗚咽にかすれる。
 「聞いとる」
 ヨンイルが優しく言う。 
 「ヨンイル、悪い。やっぱり駄目だ。お前のこと殺さずに済みそうにない。鍵屋崎にも迷惑かけた。俺のこと必死に説得してくれたのに、結局こうなっちまった。それだけじゃねえ。俺のこと信頼してくれた連中のこと、いちばん酷いやり方で裏切っちまった。こんな、最悪の形で……俺、やっぱり父親に向かねえよ。かっこいい父親になろうと俺なりに頑張ってみたけどてんで駄目で、みんなをがっかりさせちまった」
 「直ちゃんは許してくれる。俺の自慢のダチやし」 
 ヨンイルが八重歯を覗かせて笑った。
 一生僕の瞼の裏に焼き付くことになる笑顔。
 『アンニョンヒ ケセヨ』
 五十嵐が韓国語で別れを告げる。ヨンイルの眉間に銃口がめりこむ。ヨンイルが手探りに床をさぐり、免許証入れを拾い上げる。額に銃をつきつけられたまま薄目を開ける。ヨンイルの手の中で笑っているのは、五年前のテロに巻き込まれて殺された五十嵐の娘……五十嵐リカ。
 ヨンイルはそのまま暫く、じっと写真に目を落としていた。
 そして。

 『ミハンハムニダ』
 ごめんなさい、と言った。
 五十嵐リカに、自分がかつて殺した二千人の人々に、心の底から謝罪した。
 謝って済むことではないとわかっていても、死ぬ前にどうしてもこれだけは言いたいと衝動に駆られて、嗚咽でも命乞いでもなく口から零れた一言だった。
 命と引き換えた、潔い謝罪だった。
 
 僕の中で何かが切れた。
 
 「あああああああああっああああああああっあああああああ!!!!」
 
 五十嵐は引き金を引いた。
 今度こそ、本当に、ヨンイルは死んだ。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050718220929 | 編集
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