ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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七十二話

 「げほっ、がほごほっ!」
 「大丈夫か!?酸素を取りこんで肺を拡張、呼吸を安定させろ!」
 さすが天才、無茶を言う。
 などと妙なところに感心半分あきれ半分、青膨れの痣ができた首をさすりながら激しく咳き込む。
 漸く呼吸がらくになった。一時は本気で死ぬかと思った。
 タジマの腕が首にめりこんで絞め付けが一段と強くなって、酸素不足の呼吸困難で視界が急速に翳り始めて……
 ああ、これでおしまいか。
 とうとうおしまいか、と俺はなげやりに死を予期した。どんだけ足掻いても到底避けがたい死とやらを漠然と予感した。タジマの腕の中で死に物狂いに足掻きながら、体を反り返らせ宙を蹴り上げ必死に抵抗しながら、最後に脳裏に思い浮かべたのはお袋の顔、メイファの顔……レイジの顔。
 急速に翳りゆく視界と朦朧と薄れゆく意識の中、レイジの笑顔を反芻する。
 死ぬのは嫌だった。
 こんなところで死んでたまるかと心が悲鳴をあげた、生きたいと本音を絶叫した。生への渇望、衝動。酸素を欲して喘ぎながら、タジマの腕の中で首を仰け反らせてもがき苦しみながら俺はレイジを呼んだ。心の中でレイジの名前を呼んだ。
 タジマに絞め殺されるのは嫌だ、俺はまだ約束を守ってねえ、全身ぼろぼろになって戦いぬいたレイジに何も返してやってねえ。レイジとの約束守るまで死ねるか、と反発が湧いた。絞め付けはどんどん強くなる、きつくなる。
 タジマの腕が喉を絞めて息を塞き止めて、陸揚げされた魚のように勝手に体が跳ねた。窒息の苦しみ。最初は喉のあたりが窮屈になって、それから喉の内側が爆発するような圧倒的な膨張の感覚に襲われて、口の端から唾液の泡が零れた。
 苦しい、苦しい。
 死に瀕して生存本能に火がついた。俺はタジマの腕の中で無茶苦茶に暴れた。それこそ尻尾を引っ張られた猫みたいに無我夢中でタジマの腕に爪を立て、深々と容赦なく引っ掻いた。
 爪が腕の肉を抉る生々しい感触。手応えはたしかにあったがタジマは腕の力を緩めなかった、俺を絞め殺すのに夢中になって他のことは何も見えてないみたいだった。
 タジマは自暴自棄になっていた。
 俺を殺して鍵屋崎と安田に後追わせて、最悪自分も死ぬつもりだった。 
 「地獄に逝けよ、ロン。心配すんな、俺もすぐ行ってやらあ。ダチの鍵屋崎と安田にも後追わせてやらあ。お前ら三人並べてケツひん剥いて順番に犯してやら、誰の汁がいちばん遠くまで飛ぶか競争だあ!」
 俺の耳朶に熱い吐息を絡めてタジマが囁く。口臭が強烈だった。ヤニ臭く黄ばんだ歯を剥いた下劣な笑顔は醜悪そのものだった。
 たっぷり贅肉の付いた二重顎、弛んだ頬肉、狡猾で残忍な細い目は性欲を剥き出して爛々と輝いていた。腕の中で苦悶する俺を覗きこんで、タジマは凝りもせず嗜虐心を疼かせていた。
 俺の尻にあたる硬い感触……タジマは勃起していた。ズボンの股間がはちきれんばかりに膨張していた。こいつ、正真正銘の異常者だ。真性の変態、怪物だ。俺の首絞めながら悦んでやがる。舌なめずりせんばかりにご満悦の笑顔と股間の膨らみがその証拠。
 タジマに絞め殺されるなんざ癪だ、なんとかしなきゃ、俺はまだレイジとの約束も守ってねえ……こんなところで死んでたまるか、くそっ!
 その時だった、一発の銃声が響いたのは。
 「―え?」
 唐突だった。何が起きたのか瞬時にわからなかった。
 涙の膜が張った視界が朦朧とぼやけていて、息の通り道を塞がれた喉からは間延びした喘鳴がひっきりなしに漏れていた。力なく瞼を上げて薄目を開けた俺は、銃声の出所を探って視線をさまよわせる。鍵屋崎もサムライもきょとんとしていた、他の看守連中だってそうだ。
 不可思議な現象が起きていた。
 俺たち全員が振り仰いだ方角、地下停留場にごった返した人ごみが二手に割れて一本の道が出来ていた。地下停留場の人ごみを貫いた一本道の起点にはレイジがいた。両腕をまっすぐ伸ばして銃を構えていた。俺がよく見慣れた余裕の笑顔。
 百獣の王成る無敵の自信が表れた、不敵な笑顔。
 百獣の王ってのは普通獅子を指すだけど、レイジは豹だった。獰猛なる狩猟本能を備えた野生の豹、決して人に手懐けられることないしなやかでしたたかな美しい獣。俺の目は自然とレイジが構えた銃に吸い寄せられた。まっすぐこっちに向いた暗い銃口からは、一筋硝煙が立ち昇っていた。
 直前に弾丸が発射された痕跡があった。でも、弾はどこへ……
 俺の疑問を打ち消すように、虚勢が見え見えの哄笑をあげるタジマ。
 「おどかしやがって!!どうしたレイジ、ギャラリー大勢集ってる前で見事に外したなあおい」
 外れたのか?そんなまさか。レイジにできないことなんてないのに……
 俺はレイジの銃の腕に全幅の信頼をおいてる。そりゃ実際レイジが銃を撃つとこ見たこたないが、売春班の仕事場の扉を蹴破って俺を助けに来た時、指にかけたゴムを引き延ばして……
 レイジは撃ち放って、
 「さすがの王様も長年のムショ暮らしで腕が錆びつ」
 見事にタジマの額を撃ちぬいて。
 タジマはまだ笑っていた、勝利の快感に酔い痴れた哄笑をあげていた。
 肥満した腹を波打たせて、俺の首に片腕をかけて、汚い唾をまきちらして。 だから気付かなかったのだ、頭上の異変に。
 「!!」
 そうか。そういうことか。 
 俺の判断は早かった。タジマの腕が緩んだ隙に思いきり爪を立てる、タジマが短く悲鳴を発して俺を落とす。
 今だ。
 タジマが腕をはねのけた瞬間を逃さず猫のように身をよじり床に着地、姿勢を低めて安全圏に転がり出る。背後でタジマが何かを叫び、俺の肩へと手を伸ばす―
 轟音。
 「ぎゃああああああっあひいいいいいいあああああっあっ!?」
 俺の肩にタジマの指先が触れる直前、照明器具が落下した。レイジが見事撃ちぬいた照明器具。レイジが銃を撃った直後から頭上の照明が不安定にぐらつき始めたことに俺はすぐ気付いたが、タジマは全然気付かなかった。
 逃げ遅れたタジマは照明の直撃を受けて、ぐるりと眼球が裏返った。
 失神。圧死してもおかしくない衝撃だったのにしぶといヤツだと辟易する。いや、レイジは最初からこれを狙ってたんだ。タジマは俺を捕えてた、俺を盾代わりに鍵屋崎たちを足止めしてた。タジマの胸を狙うのは不可能、眉間を狙うにしても万が一弾が逸れたら俺が犠牲になる。
 だから敢えて頭上の照明を狙った、何より俺の身の安全を優先した結果タジマを殺さずに止める方法を選んだ。簡単にタジマを殺すこともできたのに。
 間一髪、間に合った。俺はタジマに絞め殺されずに済んだ。ったく、どんだけ悪運強いんだと自分でも笑えてくる。床一面に散乱した微塵のガラス片が、照明の反射で鋭利に輝く。
 鍵屋崎は俺の傍らに片膝つき、慣れない手つきで背中を擦ってくれた。
激しく咳き込む俺を心配して、ぎこちなく脈をとってくれた。
 ブラックジャックが乗り移ったみたいに、本物の医者みたいに真剣な顔だった。
 「大事はない。脈は正常だ、心拍数も平常値に戻った。ロン、君の生命力の強さは尋常じゃないな。何度命の危機に瀕してもしぶとくしたたかに生き延びて……トカゲの尻尾は切られてもまた再生してプラナリアは分裂増殖する。まったく君のしぶとさときたら唯一の取り柄である自己再生能力の他は右脳も左脳もない、思考活動をしない単細胞生物並だ」
 「微妙に嬉しくねえ、その誉め方」
 「誉めてるんじゃない、あきれてるんだ」
 嫌味を言いつつも鍵屋崎の顔は和んでいた。
 安堵の息を吐く鍵屋崎の隣、サムライもまた肩の力を抜いていた。サムライもまた、俺を心配してくれたのだろう。
 「い、いでででででででででででででででっ!」
 「!?」
 レイジの声だった。
 弾かれたように顔を上げ、跳ね起きる。ぐらっときた。足で体重を支えられず一歩二歩と前のめりによろめいた。平衡感覚が狂っているのだろうか?指一本曲げるだけで全身の間接が軋んで大小の腱が焼き切れる激痛に襲われた。がくりと膝を折った俺の右脇に鍵屋崎が屈みこみ、左脇にサムライが屈みこみ、二人とも無言で俺の体を持ち上げる。
 「お前ら……」
 「善意じゃない。君を放置してさらに無茶をされると、監督不行き届きで保護責任が問われるからな」
 鍵屋崎が無愛想に言い放ち、サムライが苦笑する。
 二人の間に流れる空気はとても親密で柔らかい。そりゃ一万人の目の前でひしと抱き合ってたんだから柔らかくもなるよなと納得する。
 鍵屋崎とサムライに肩を抱かれて歩く。
 一歩ずつ一歩ずつ人ごみを泳いで慎重にレイジに歩み寄る。
 両脇を支えるぬくもりが心強かった。サムライは鍵屋崎の負担にならないようさりげなく、軽々と俺の体を担ぎ上げていた。鍵屋崎はそれに気付いてるのか、はたまた気付かないふりをしてるのか、仏頂面で前だけを見ていた。
 一歩一歩、着実にレイジに近付く。
 レイジは右腕を押さえてうめいていた。
 体を反り返らせ、また突っ伏し、七転八倒していた。
 「あー痛てえよ畜生、今のでまた傷口開いた!腕にびりっと反動きた、骨イッたかもしれねえ。くそ、この上骨にひびまで入ったらロン抱きしめることもできねえじゃん」
 「バカ言うなバカ」
 レイジが反射的に顔を上げる。虚を衝かれた間抜けヅラ。なんだか無性に笑いがこみあげてきた。思ったより元気そうじゃんか、コイツ。担架に仰向けに寝かされてるの見た時はマジで死んじまうかもと不安になったのに、あれこれ深刻に思い詰めた俺のほうがバカみたいじゃんか。
 「生きてたのかよ、お前。とっくにくたばっちまったのかと思ったよ、そんなナリで」

 そんなひどいなりで。ぼろぼろのなりで。

 全身包帯だらけで、左目は眼帯で覆われて、あちこちに乾いた血がこびりついて。よく動けたなと感心する。鍵屋崎とサムライから離れ、ぺたんと床に膝をつく。胸に満ちる温かい感情……安堵。レイジが生きててよかった。またこうして会えて、口が利けてよかった。本当によかった。
 「おおよ、このとおりぴんぴんしてるよ。ま、無傷ってわけにはいかねえけど……正直言うと今さっき目覚めたんだよ。会場がうるさくておちおち寝てらねえっつの、ちょっとは怪我人の安眠に気を遣えっての。で、目が覚めたら覚めたで会場見まわしてみりゃロンがなんだか大変なことになってるし……あのさロン、お前ちょっとはゴキブリコイコイみたく自分が振りまいてるフェロモンに気付けよ。トラブル巻きこまれ体質ってのか、ちょっと目をはなすとすぐ厄介事に巻きこまれて貞操の危機に……」
 レイジときたら、人の気も知らず軽口叩いてやがる。
 俺がどれだけ心配したか知らないで、平気な面でお説教してやがる。何様だこいつ。ああそうか、王様か。なら仕方ねえ。でもさ、俺、死ぬほど心配したんだぜ。お前がいなくなっちまったらどうしようって、またひとりぼっちになっちまったらどうしようって……

 もう二度と、こんなふうに馬鹿話できなくなっちまったら。
 もう二度と、お前の笑顔が見れなくなっちまったらって。

 俺の気持ちなんか知らずにレイジは上機嫌にぺらぺらしゃべってやがる。死の淵から生還した反動か、いつもより陽気に饒舌に、能天気な笑顔をふりまいて。でも、ナイフで切り裂かれた頬にはまだ血がこびりついていて、片目は眼帯でふさがれていて、他にも全身至るところにガーゼが貼ってあって。
 レイジの体で、傷がないところのほうが少ないくらいで。
 笑顔と口調が底抜けに明るいだけに、血の滲んだ包帯とガーゼが余計に痛々しくて。
 あの眼帯の向こうの目は、もう二度と見えないのに。永遠に光を失っちまったのに。 
 「……聞いてるのかロン?シケた面して黙りこんでんなよ、説教聞く態度ってのがあるだろちゃんと。ほい、ここに正座。お手。違う、お手は犬か。ロンお前ちゃんと反省しろよ、危なっかしくてしょうがねえよ。俺の目の届かないところでタジマやら凱やらにちょっかいだされてヤられちまったらって心配で心配で、こちとら三分以上気絶もできねえよ!ま、こんなザマになっちまったからこのさき目の届かない範囲が広がりそうだけどな」
 そう言って、自分の顔を指さして屈託なく笑う。
 取り返しのつかないことまでも冗談にしちまう残酷な優しさで。
 「聞けよロン。俺の左目が見えないからって左側で浮気したら承知しね、」
 『多句了!!』
 
 レイジに抱きついた。
 胸が破れそうに苦しくて、そうせずにはいられなかった。

 いきなり抱きつかれたレイジが後ろ手をついてバランスを崩す。慌てて駆け寄ろうとした鍵屋崎をサムライが目配せで諌める。俺はレイジの背中に腕を回して、しっかり抱擁して、汗臭い胸板に顔を擦り付けた。
 胸板に巻かれた包帯が頬にざらざらした感触を与えてきた。  
 『多句了、多句了』
 もう十分だ。十分だよ。
 無理するなよ。笑わなくていいよ。おかえりレイジ。生きててくれてよかった。十分だよ。
 「………泣き虫め。鍵屋崎とサムライがあきれてるぜ?いいのかよ、人前で」
 「放っとけよ。あいつらのほうが一万倍恥ずかしいことしてたから」
 「そうなの?やっべ、見逃した」
 「一万人の大群衆の前でひしと抱きついて離れなかった。完璧二人の世界入ってたぜ。まわりの連中みんなぽかーんとしてた。開いた口が塞がらないってヤツだ。鍵屋崎には自覚ねえみたいだけど、あれ、全員ひとり残らず出来てるって誤解したぜ。これから東棟で肩身狭くなるだろうな」
 「俺とお前だって似たようなもんじゃん」
 「どこがだよ」
 「これから見せつけてやるんだから」
 レイジが俺の頭に手をおき、甘やかすみたいに撫でる。俺に安心を与えてくれる優しい手。
 次の質問には勇気が要った。漸く搾り出した声はみっともなく掠れていた。
 「………目、痛くないか?体どこも変じゃないか。麻薬は抜けたのか」
 「正直言って、痛え。体のそこらじゅう冗談みたいに痛え。でも、気持ちいい。やること全部やり終わって気分爽快で、今すぐ天国に飛びたてそうに心が軽いから、ロンが重しになってくれてちょうどいいよ」
 「吹かすなよ。お前が天国にいけるわけねえだろ」
 「そうだな。そうだよな」
 レイジが俺の体に腕を回し、抱きしめる。褐色の肌に映える包帯の白さが目に焼き付く。レイジは体じゅう傷だらけでぼろぼろで、自慢の顔だってガーゼとバンソウコウだらけでとても見られたもんじゃなかったけど、相変わらずその微笑みだけは何ものにも侵しがたく綺麗だった。
 「神様がいる天国よりロンがいる地獄を選ぶよ。俺は」
 レイジのシャツを握り、ぬくもりを乞うように胸に顔を埋める。そばで鍵屋崎とサムライが見てようが人目があろうが気にしない。関係ない。俺はレイジを手放したくない、引き離されたくない。ずっとこうしていた……
 「なにやっとるかね君は、勝手に抜け出しちゃ駄目じゃないか!!」
 い?
 「やべ、バレた!」
 俺を胸からひっぺがしてレイジが急に焦りだす。声の方を振り仰げば、白衣を翻して医者が駆けて来たところだった。息を切らして駆けて来た医者は俺とじゃれてるレイジを見つけるや、烈火の如く怒りだす。
 「会場の騒ぎでちょっと目を離した隙にいなくなって……自分の立場がわかってるのかね君、背中に重度の火傷を負って右腕に怪我をして、他にも全身至るところに裂傷と打撲を負って!自分で勝手に点滴抜いて這い出してこんなところで何してるんだね?困った患者だよ!!」
 「おま、治療終わったんじゃねえのかよ!?」
 びっくりした。どうりで包帯が中途半端にほどけてると思ったら、治療の途中で勝手に抜け出してきやがったのか。そりゃあいつも温和な医者もキレるはずだ。
 「担架でじっと寝てるの性にあわねえんだよ、いつ誰に悪戯されるかわかんねえし!実際俺がちょっと気絶してる間に悲劇が起きたし……凱に唇奪われるなんざ一生の不覚だ、ああもうこの先ずっと夢に見ちまいそうだぜ最悪!!」
 「言い訳はあとで聞く。とりあえず戻りたまえ」
 「ロン抱くまで帰らねえ」
 「いや、帰れよ」
 「君が帰りたくなくても医者の威厳にかけて無理矢理連れ戻す!さあ医療班の諸君脇を固めて、元気良すぎる患者の腕をがっちり固めて……必要とあらば拘束も辞さないぞワシは!!」
 「いでででえいでっ、待てやめて本気で傷開くからそれ!?なに手錠手錠なの、怪我人に手錠ってひどくないかこのマッドサイエンサディスト!?俺をベッドに戻してえなら網タイツの似合う美脚ナースつれてこいよ、女神の胸枕ならぐっすり安眠できる!」 
 「そんなナースがいたらワシが後妻にしたいよ。我侭言わずワシの膝枕で我慢しなさい」
 『Oh my god!!Please please hear my request!!』
 レイジが俺へと手を差し伸べながら医者に引きずられてく……なんというか。最後までかっこよく決められないところがレイジらしい、と言えなくもない。脱力した俺の隣にやってきた鍵屋崎が、したり顔で首を振る。
 「元気そうで何よりだ……いい機会だから脳の切開手術でも受けたらいいんじゃないか?彼は」
 「キーストア!」
 鍵屋崎が顔を上げる。レイジが腕を一閃、鍵屋崎の腕の中に飛びこんできたのは……安田の拳銃。 
 「それ安田に返しといてよ。あと、その銃……」
 「医療班、担架を!怪我人を早急に処置しろ、輸液パックの用意はいいか!?」
 何かを言いかけたレイジの声はてきぱき指示をとばす医師にさえぎられた。それきりレイジは人ごみに消え、あとには銃を手にした鍵屋崎と俺とサムライが取り残された。
 銃を取り戻した鍵屋崎の背後では、気絶したタジマが照明の下から引きずりだされて担架が呼ばれていた。即死こそ免れたがタジマは重傷だった。少なくとも今晩は復活する見こみはないだろう。
 あとは安田に銃を返せばすべて終わる。
 「………」
 レイジについてようか、鍵屋崎と一緒にいようか迷う。レイジは人ごみの向こうで「俺を寝かしつけてえなら美脚ナースの胸枕かロンの子守唄だ!」とまだ騒いでる。俺に子守唄唄えってか?無茶な要求だ。
 「行って来い。あとは俺たちに任せろ。お前はレイジについててやれ」
 俺の心を見透かしたようにサムライが言い、念押しの笑顔で畳みかける。
 「王に褒美をくれてやれ。レイジを癒せるのはお前だけだ」
 決心がついた。後のことはサムライと鍵屋崎に任せよう、俺はレイジについててやろう。サムライの褒美がなにを指してるのかは漠然と察しがついたが、深く追及しないことにした。
 サムライに頷き返し、レイジを追おうと方向転換しかけて振り返れば、リング上ではヨンイルが素っ裸で寝ていた。風邪ひかないかあいつ?そのそばには五十嵐がいた。腑抜けた顔をさらして芒洋と虚空を仰いでいた。安田は医療班に肩の手当てを受けていた。どうやら大事には至らなかったらしいと安心する。リング付近には他に凱と売春班の面々もいた。
 ホセの姿は見当たらなかった。神出鬼没の隠者め、今度はどこへ……
 まあいい。ペア戦は終わったんだ。全部片がついたんだ。俺はレイジについててやろう。
 そう心に決めて、未練を断ち切り走り出す。
 「待てよ藪医者、王様なだめるの老体にゃ骨が折れるぞ。俺にまかせ……」
 人ごみに見え隠れする白衣の背中に声をはりあげ、一瞬動きを止める。途中、見覚えあるヤツとすれ違ったから。そいつは人ごみに身を隠して、足早に鍵屋崎の背後へと歩み寄っていた。なんだか胸がざわついた。まだ何か起こりそうな予感。幕が下りた舞台の裏側でもう一騒動持ち上がりそうな予感……
 まさか。考えすぎだ。激しくかぶりを振り、不安を打ち消す。「あいつ」がここにいること自体は全然不自然じゃない。鍵屋崎に歩み寄ったからって何も不思議じゃない。鍵屋崎とは当然顔見知りだろうし、「お疲れ様」とでも労いの一言をかけにいったに違いない。
 そうだ。この上「あいつ」が何をしでかすってんだ?
 サーシャとレイジは医務室に運ばれて、ヨンイルは気絶して。
 残る「あいつ」一人でなにができるってんだよ?
 「まさかな」
 考えすぎだと自分の考えを嘲笑い、地下停留場を抜ける通路へととびこむ。レイジを乗せた担架は医務室へと運ばれてく。背後の喧騒が遠ざかる。足を早めて担架に追い付き、ポケットに手を突っ込み、無意識に牌をまさぐり不安をごまかす。
 ペア戦は終わった。タジマの復讐劇にもヨンイルと五十嵐の因縁にも片が付いた。
 大団円。一件落着。それで万事よしじゃないか……
 
 その時だった。
 背筋に電流を通されたみたいな戦慄に襲われたのは。

 思い出したのは、目だ。

 俺と気付かずすれ違った瞬間の「あいつ」の目。黒ぶち眼鏡の奥、分厚い瓶底眼鏡の奥の眼光……
 油断ならない光を湛えた、鋭すぎる双眸。
 「大団円」?「一件落着」?いや、まだだ。まだ終わってない。東と北と西のトップが人事不省に陥っても、「あいつ」だけはぴんぴんしてる。「あいつ」だけは余力を蓄えて無傷で生き残ってる。
 それが何を意味するかわからないが、俺が今しがた背を向けた地下停留場で、とてつもなく不吉なことが起こりそうな予感がする。
 そして。
 通路の真ん中に呆然と立ち竦んだ俺の背後で、はっきりとそれは聞こえた。
 「五十嵐、俺を殺せ」
 断固とした、ヨンイルの声だった。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050719012031 | 編集
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