ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十四話

 「「!!」」
 咄嗟の判断だった。
 僕ともあろうものが考えるより先に体が動いた。
 いや、僕の判断というよりロンの判断というほうが正しい。手錠でつながれた手首が僕の意志に反して天へと翳され、僕とロンがそれぞれ逆の方向に退避したために中間の鎖が極限まではりつめる。
 サーチライトの光を鋭利な切っ先に留めて急転直下してきたナイフが、逆向きに引かれた鎖の中央部を穿ち、火花散る音が鳴る。
 間一髪、頭上を急襲したナイフを鎖を盾代わりにして避けた僕とロンはどちらからともなく息を吐く。
 「あぶねえなレイジっ、どこに蹴ってんだよ!」
 「わりィわりィ」
 全然反省の色のない素振りでレイジが頭を掻く。察するに、サーシャの掌中のナイフがレイジに蹴とばされてここまでとんできたものらしい。
 「事故に見せかけて殺す気じゃねえだろうな、アイツ」
 疑念を捨てきれない口調でロンが呟き、疑心暗鬼にかられた三白眼で飄々と笑ってるレイジをねめつける。
 「信用ないな、彼は」
 「信用する要素がないからな」
 「その割には彼のことを気にかけてるようだが」
 コンクリートの地面に落ちたナイフから視線をひきはがし、ぎょっとしたように目を見張ってこちらに向き直るロン。驚愕の相を浮かべたロンから顔を背け、囚人服の袖で瞼の上にこびりついた血を拭う。
 「本当は彼のことが好きなのか?」
 「~~~どこからそういう発想沸いてくんだよ、日本人は全員お前みたいに頭イカレてんのか?」
 僕と議論する気力が尽きたのか、苦りきった表情でそっぽを向いたロンを目の端で一瞥して考える。自覚はないようだが、ロンはレイジのことを心配している。その関係を友情と称していいのかどうか、僕にはわからない。ただ、レイジが我が身を呈して命の危険に曝されたロンを庇い、ロンが手錠された不自由な身ながらレイジを救おうとしたのは事実だ。
 僕の目に映るロンとレイジ、その関係は友情などという既存枠では括れない刹那的な「何か」を感じさせる。
 相互依存という言葉がいちばん近いだろうか。ロンはレイジをはげしく嫌悪しているが、その半面レイジを意識せずにはいられない矛盾に苛まれている。レイジはというと、多勢に無勢で不利な状況は先刻承知の上で人質にとられたロンを助けにきたことからも窺えるとおり、半ば以上本気でロンに執着しているのだろう。事実、サーシャの足もとに膝を屈して犬の真似をしてまで、レイジはロンに危害が及ぶのを避けようとしたではないか。
 僕には考えられない。恵以外のだれかのために、我が身を犠牲にしてまで尽くそうとするなんて。
 「……認める認めないは自由だが、君はレイジにとって大切な人間らしい」
 「……迷惑だよ」
 ふてくされたように呟いたロンの目に複雑な色が浮かぶ。辟易したような表情を装っているが、その目を過ぎったのはむしろ逡巡。レイジがなぜ自分のためにそこまでするのかと本気で疑問に思っていることが傍から見てもまざまざと窺える、わかりやすい当惑の表情。
 「そうだな」
 同感の言葉が唇から漏れた。ロンがうろんげに振り向く。ロンの注視を顔の右側面に浴びながら、おおいなる共感をこめて頷く。
 「自分が好きでもない人間に好かれるのは迷惑だな」
 思ったままを口にしただけなのに、瞬間ロンの目を過ぎった非難がましい眼光はなんなのだろう。抗議にかえた視線の硬度で僕を突き刺したロンがこちらへと膝を進め、何事か口を開きかけたその時。
 「Shit!」
 舌打ちとともに聞こえてきたのはスラング。
  反射的に顔をあげた僕の目にとびこんできたのは疾風の速度でコンクリートを蹴り、こちらへと疾走してくるサーシャ。レイジが蹴飛ばしたナイフをふたたび手にしようと全力疾走してきたサーシャ、骸骨のように痩せさらばえた五指がざらついたコンクリートの表面を這いまわり、焦れたように僕の下半身へと伸びる。僕の足の間に転がっていたナイフを掴もうと加速してすべりこんできたサーシャ、その形相のあまりの凄まじさに息を呑む。
 爬虫類のように冷血な眼光が陰湿な輝きを増し、蛇のように細い舌がひび割れた下唇を舐める。
 食われる―呑まれる。
 蛇に睨まれた蛙の戦慄を味わった僕は、次の瞬間狂ったように踵を跳ね上げる。
 「!」
 僕の踵にあたってはね飛ばされたナイフが、サーシャの頬をかすめて遠方の地面に落ちる。咄嗟の行動だった。計算なんてなにもない、合理的思考を成立させる暇もなかった。
 「―小ざかしいイポーニャめ」
 アイスブルーの双眸に怒気が迸り、頬骨の尖った陰惨な顔が極大の憎悪に歪む。背筋が凍る感覚を味わった僕はサーシャにくびり殺される未来を予期して体を強張らせたが、北の賢帝は私怨に端を発する制裁よりも勝負の趨勢を左右する武器の確保を優先したらしい。千匹の白蛇の如く光沢のある銀髪を振り乱して颯爽と方向転換するや、後方5メートルの地点に落ちたナイフめがけて前傾姿勢で肉薄する。
 「そうはっ、」
 僕の横を一陣の疾風が走り抜ける。
 ロンだった。随行者の意志などまったく無視し、足をもつれさせた僕を強引にひきずる形で走り出したロン、その眼前に迫り来るのは肩甲骨の形が浮いたサーシャの背中。
 嫌な予感がする。それも現在進行形で。
 「ロ、」
 隣を走るロンに呼びかけようとしたが、肝心の本人に一切聞く気がないようだ。
 僕に口を挟む間を与えない速度で一気に屋上を突っ切ったロンがガクンと高度を落とし、頭を前方に突き出す姿勢で上体を伏せる。
 ロンが地を蹴り、視界が反転した。
 今度は二回どころではすまなかった。一回、二回、三回……四回。サーチライトの光を冠した夜空が遠ざかり近くなりを繰り返し、三半規管がはげしく揺さぶられて気分が悪くなる。胃袋がひっくりかえったような嘔吐感が喉奥まで突き上げてきて、なんとか上体を支え起こした肘が危うくすべりそうになる。
 なにが起きたかは理解できる。ロンが前方を走っていたサーシャの足に突撃し、全体重をかけて押し倒したのだ。そこまでは確かに見ていた。それで、それから―……どうなったんだ?慌ててあたりを見回して異変に気付く。顔に手をやって違和感の正体を突き止める。
 眼鏡がない。
 「めがね、めがね……」
 無意識に口中で呟きながらコンクリートの地面に手を這わせ、眼鏡をさがす。不用意にコンクリートに手をおいたせいで右の薬指に激痛が走り、体を支える肘が萎えて顔面からその場に突っ伏しそうになる。
 あった。
 ようやく左手に掴んだ眼鏡の弦を持ち上げ耳にかけようとしたところで、どこか皮肉げな抑揚の英語が聞こえてくる。

 「Lick my shoes, and it is the emperor.」
 『今度はお前が俺の靴を舐める番だぜ、皇帝』

 非の打ち所がない完璧な発音。皮肉げな笑みをまぶしたレイジの声。 
 眼鏡をかけた僕の前に広がっていたのは、先刻とはまるきり逆の光景。
 右手にナイフを構えたレイジが、四つん這いになったサーシャを悠然と跪かせている。
 僕が眼鏡をさがしてる間に何が起きたんだ?
 時間にして五秒もなかったはずだ―その五秒で、レイジは一体なにをしたんだ?
 地面に四つ脚ついたサーシャはこれがあの誇り高い皇帝とは思えない様子でごほごほ咳き込んでいた。両手で喉を掻き毟り、口から泡を噴いて苦悶するサーシャの様子は尋常じゃない。しかし、一瞥した限りでは目立つ外傷もないようだ。
 レイジは軽く手首を撓らせて掌中のナイフを天高く放ると、サーチライトの光に銀弧を描くナイフの回転数を数えながら口を開く。
 「とっくに12時過ぎた。舞踏会はおしまいだ」
 二回、三回、三回半。
 あざやかに旋回して手の中へと納まったナイフからおのれの足もとに這いつくばっているサーシャへと目を転じ、レイジが笑う。
 「お姫様は返してもらうぜ」
 「~~~だれが姫だ」
 悪ふざけも大概にしやがれと毒づきながら僕の隣で上体を起こしたのは、転倒の衝撃であちこち擦りむいた悲惨な風体のロン。ただでさえ癖の強い髪をぐちゃぐちゃに乱し、不機嫌も絶頂と鼻面に皺を寄せたロンをこの上なく愛しいものでも見るかのように目を細めて眺め、さらに彼を激昂させる台詞を吐くレイジ。
 「我が身を挺して俺を助けてくれたのは愛してるからだろ?いい加減素直になれよ」
 「いいか、よく聞けよ。俺があちこり擦りむきながらもサーシャを足止めしたのはな……」
 「うん?」
 微笑ましげにロンの述懐に耳を傾けているレイジの足元、今だ喉を押さえてもがき苦しんでいるサーシャを冷ややかに見下し、続ける。
 「下賎で卑しい混血児の底力ってやつを、奢り高ぶったロシアの皇帝気取りに見せつけてやりたかったからだ。それだけだ。断じてお前のためじゃねえ」
 「つれねえなあ」
 ロンの強情さにあきれたように首を振り、レイジが苦笑する。その手に納まっているナイフから目が離せないのは、先刻サーシャがレイジに強いた行為を鮮明に覚えているからだろう。
 「どうするんだ?」
 他愛ない雑談に興じていたふたりの注意が僕に向く。
 言葉を発したことで今初めて僕がここにいることに気付いたとばかり、毒気をぬかれた視線を向けてくるふたりを等分に見比べ、僕らの足もとに崩れ落ちたサーシャを見下す。
 「Lick my shoes, and it is the emperor.さっきの発言が本気なら、ちょうどいいじゃないか。お誂え向きに彼は這いつくばっている。靴でもなんでも舐めさせて復讐したらどうだ?」
 わざとレイジの発音を真似、彼自身が言い放った台詞を忠実に再現してみせる。自分の声が予想以上に冷え込んでいるのがわかった。すべてが終わった今頃になって、僕は猛烈に腹を立てていた。サーシャに?レイジに?おそらくその両方だ。ひいては否応なく僕を巻き込んで不快にさせた一連の流れ自体に。
 なにより腹立たしいのはサーシャの靴を舐めさせられるレイジを見て一時の気の迷いか悪夢か知らないが、ほんの少しでもその光景にセクシャルなものを感じてしまった自分だ。常々僕は不感症だと思っていたしその事実に間違いないのは実証済みなのに、なんでよりにもよってこんな男に……口にするのもおぞましいし腹立たしい。
 ほんの少しでも同性にセクシャルなものを感じてみっともなく狼狽してしまったなんて、僕の帰りを健気に待ち続けている恵が知ったらどう……
 おしまいだ。恵に軽蔑されたら生きていけない。
 「…………」
 しなやかに手首を振り、ナイフの刃先で軽快なリズミを刻むレイジ。その顔からはいつもの笑みが消えていた。変わりに浮かび上がったのは何かを逡巡するかのような、彼らしくもない真面目ぶった表情。
 「―どうするんだよ」
 声をかけたロンにしても止める気はないようだ。乗り気じゃないのは確かだが、レイジがやる気なら邪魔するつもりもないとばかり微妙な距離をおいてことの成り行きを静観している。先刻の光景を見たものなら口をはさむのもためらわれるだろう、サーシャはそれだけの屈辱をレイジに舐めさせたのだ。優位に立ったレイジが同様の行為をサーシャに強制したところで、彼を責められる者はいまい。
 「…………」
 レイジは無言でサーシャを見つめていた。
 喉をかきむしって苦悶するサーシャを見つめる目に複雑な色を湛え、片ひざをつく。
 レイジの表情が一変する。
 どこかためらいを捨てきれない面持を厳粛に改め、傲慢に顎を引いて直上からサーシャを覗きこむ。それこそ緋毛氈の絨毯に反逆者を跪かせた暴君の如く、余裕あふれるもったいぶった所作でサーシャの頭上に手を翳すや、煌々と明るいサーチライトの光にナイフの刃を閃かす。
 「!サーシャ様っ、」
 屋上の隅で一塊となり、固唾を呑んでこちらを見つめていた少年らに緊張が走る。
 盲目的に崇拝する皇帝の窮地に勇んで駆けつけようとした少年たちを制したのは……目に見えない「何か」。臣下の上奏に耳傾けるが如く優雅に片ひざをついたレイジが、キスする角度に顎を傾げてサーシャの顔を覗きこむ。
 「サーシャ。お前さっき、俺のことをなんて言った?」
 レイジがにっこりと笑う。狂気の片鱗を覗かせた深淵の笑み、目にした者がひとり残らず後悔するような純粋な邪悪の象徴。
 「クローフィの臭い雑種のサバーカ、茶色い毛並みのメス犬、えーとあとは……お前はいい犬だから皇帝サマの家来にしてやってもいい、だっけ」
 「……殺すならさっさと殺せ」
 しわがれた獣じみた声でサーシャが唸る。
 「北を制する皇帝が東の王に頭をたれるなど最大の屈辱、最大の侮辱。なぜ誇り高きロシアの大地の末裔たる私が、お前のような下等な雑種に膝を屈さねばならない?私は名誉ある死を望む。さあ、お前の手にしたナイフでひと思いに頚動脈をかき切れ」
 レイジが苦笑する。
 「雑種ねえ。まあ、たしかに俺は雑種だよ。それは認める」
 顔を歪めるように笑った際に、切れた唇が痛んだのだろう。ナイフを握ったのとは逆の手で唇を拭うと、親指の腹に付着した血痕をまじまじと見つめる。
 「ロン、お前これ何色に見える?」
 親指を仔細に観察しながらの問いに、やぶからぼうになにを言い出すんだコイツという顔でロンが即答する。
 「赤だろ」
 「鍵屋崎は?」
 「赤だな」
 当たり前だ。
 「俺にもそう見える」
 感情の窺えない目で親指を見下ろしながら、正面にむかって尋ねる。
 「お前はどうだ、サーシャ」
 「……クラースヌイ」
 赤、とサーシャは答えた。間延びした喘鳴を漏らしながら。
 おもむろにレイジが右手を振り上げる。サーチライトの光を反射したナイフがぎらりと輝き、一条の閃光が僕の目を射る。
 白銀の軌跡を描いてサーシャの手に振り下ろされたナイフ、左手の甲を穿った刃の下から懇々と鮮血が滲み出してくる。
 「………っ、ぐ」
 サーシャは声をあげなかった。
 屋上の隅で慄然とこちらを凝視している忠臣らの前で醜態を曝すことを是としない皇帝は、その異常なまでのプライドの高さでもって必死に悲鳴を噛み殺していた。だが、額に浮いたおびただしい脂汗と悲愴な形相は断じて演技などではありえない。
 「お前の血は赤い。俺の血も赤い。混ざっちまえばわからねえ」
 手の甲を貫いてコンクリートに縫い止めたナイフを無造作に引き抜き、鮮血滴る切っ先を興味なさげに一瞥。  
 「色も味も匂いもおんなじ、なにも変わらねえ。これでもまだ雑種とか純血とかにこだわんのか?」
 試しにナイフの刃先に舌を這わせ、ぺろりと舐めとる。
 「まじィ」
 まずそうに顔をしかめ、血が滴るナイフの先端をすっかり蒼ざめて変色したサーシャの唇へと近づけるレイジ。
 「舐めてみるか?俺の親指とおんなじ味だ」
 「…………」
 究極の選択を迫られたサーシャは凝然と目を見張ってレイジとその手の中のナイフとを見比べていたが、力尽きたようにがくんと首を折る。四つ足ついてうなだれたサーシャをそのままに、ナイフを一閃させて刃をひっこめ、身軽に立ち上がるレイジ。
 「いいのか?」
 おもわず声をかけたのは、あまりにあっさりしていたからだ。
 東京プリズン入所以来、僕の価値観もだいぶ害されてきたのかもしれない。
 レイジのこのやり方が生ぬるく感じられるなんて。
 「陰険なマネは好かないタチでね」
 気取ったしぐさで肩をすくめたレイジが、軽薄な笑顔でロンを振り仰ぐ。
 「俺はロンが無事ならそれでいいし、俺の一部をしゃぶらせたいのもロンだけだ」
 「死ね。本当に死ね。てめえのお粗末なモンと一緒にその下ネタ舌も根っこから切り落とせ」」
 口汚い罵倒の文句とは裏腹に、レイジの復讐がこの程度で済んだことに内心安堵しているらしいロンの表情は柔らかい。
 とんだ茶番に付き合わされた。
 膝の埃を払って立ち上がった僕は、深く深くため息をつく。
 明日も強制労働があるというのに、ロンに付き合わされて無駄な体力を浪費してしまったではないか。もうサムライなどどうでもいい、一刻も早く房に戻ろうと階段をおりかけた僕は今だロンと手錠でつながれたままなのに気付く。
 「手錠の鍵はどこだ?」
 「あそこに突っ立ってるギャラリーのだれかが持ってんだろ」
 ロンが顎を振り、屋上の隅で固まっていた少年らを促す。一気に徒労感が募った。彼らのもとまで歩くのも億劫だがいざ仕方ないと諦め、ロンを伴って歩き出そうとした僕の背後で何かが動く気配、続く衣擦れの音。
 
 完全に振り向く猶予は与えられず、中途半端な姿勢で固まった視界に黒い人影が降ってきた。

 なにがおきたか理解する間もなく切れ味鋭い突風がこめかみをかすめ、眼鏡がはじけとんだ。
 ガキン―硬い物と硬い物が火花を散らす金属音がすぐ間近で聞こえ、僕の鼻先を塞ぐ形で背中が出現し、眼鏡を失いよろめいた僕は我知らず支えを欲して背中に手を触れる。 
 背筋のぴんと伸びた、左右対称に肩甲骨が張った、引き締まった背中。
 この背中の感触は、手が覚えてる。
 「―サムライ?」
 「無論だ」
 おもわず名を呼んだ僕に返されたのは、ぶっきらぼうな呟きだった。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060512010714 | 編集
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