ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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六十話

 ドゥ・キャット・イット・バット。ドゥ・キャット・イット・バット。

 頭の中でぐるぐると同じ言葉が回ってる。
 猫は蝙蝠を食べるか蝙蝠は猫を食べるか。
 不思議の国のアリスにでてくる謎めいた詩の一説、ナンセンスなくりかえし。猫は蝙蝠を食べるか蝙蝠を食べるかの謎を解くのは簡単、英語に変換してみりゃいい。英語に直せばほらテンポよく韻を踏んでるのがわからずでしょ、病み付きになるリズムってやつ。ドゥ・キャット・イット・バット、ドゥ・キャット・イット・バット……
 連綿と続く意味不明な謎かけ、延々と続く終わりない問いかけ。最後が必ず「ト」で終わって座りがいいから、物心ついて最初に不思議の国のアリス読んだ時からこの謎かけが頭にこびりついて離れなかった。ママの膝の上にちょこんと腰掛けて、子守唄みたいに優しいママの声に陶然として、小さい頃の僕は心地よいまどろみの中でそれを聞いた。

 ねえママ教えてよ蝙蝠さんは猫さんを食べるの、どうして二匹は仲良くできないの?
 そうねリョウちゃん、種族が違っても仲良くできたらいいのにね。
 二匹一緒に遊んだほうが賑やかで楽しいのに。

 でも実際は違った。現実は甘くなかった。小さい僕の素朴な疑問に夢見がちなママは微笑んで共感してくれたけど、僕はそれから暫くして種族の違う動物の共存は無理だって痛感した。
 蝙蝠は猫を捕食する、猫は蝙蝠を捕食する。
 おたがい抜け駆けしあって食いあって共に自滅の道を辿るのが最後まで仲良くできない蝙蝠と猫の哀しい運命だった。
 おとぎばなしの皮肉な結末。可哀想な末路。
 猫は蝙蝠を食べなきゃ、蝙蝠は猫を食べなきゃ生きてけない。
 共存共栄なんておとぎばなしの幻影。食う心配せず裕福な親に依存してるガキの戯言で綺麗ごと。弱肉強食が幅を利かす過酷な世界じゃ狡猾な蝙蝠も媚び上手な猫も稼ぎの手段を選ぶような贅沢は許されず、ただただ必死にお互いを出しぬき合う。共存なんかはなからムリ。そんな甘っちょろいこと言ってたら命がいくつあっても足りない。猫はしっぽを逆立てて蝙蝠の喉笛に食らいつき、蝙蝠は漆黒の翼を広げて猫の目をくらます。ニャンニャンキーキーと激しく諍いあう両者の悲鳴が聞こえる。生き残るのはどちらか片方。おたがい手に手とりあって友達ごっこなんて無理だよママ。蝙蝠と猫は永遠に友達になれない。今ならわかる、蝙蝠と猫が互いを食い合うのは種族が違うからじゃない、極論すれば別の体に別の魂を宿す固体だから。
 猫には蝙蝠が理解できない。僕には人の気持ちが理解できない。何故なら、共感は危ういから。他人に共感して同情して「じゃあ僕と友達になろうよ」って手をさしだしたら、相手が途端に牙を剥くことを僕はよく知っている。
 僕は今まで他人を一切信用せずに生きてきた。
 いや、信用せずに生きてきたってのには語弊があるから言いなおそう。僕はこれまで一切他人を信頼せずに生きてきた。「信じて用いる」のと「信じて頼る」のじゃ全然意味が違う。僕は他人の有用性を見極める眼力に長けてたから世の中利口に渡ってこれた。他人は信じるものじゃなく利用するものだ。利用して利用して利用し尽くして利用価値がなくなったら未練なくポイッと捨てるもの。
 他人を信じたら裏切られるに決まってる。現に僕はこれまで裏切られ続けてきた。
 ママ、もう男の人連れてこないって言ったじゃん。
 ママの彼氏、言うこと聞けばぶたないって言ったじゃん。
 おじさん、フェラすれば一万くれるって言ったのにたったこれっぽっち?話が違うよ。
 あの売人、騙しやがって。なにが高純度のコカインだよ、舐めてみたら小麦粉じゃんか。
 猫と蝙蝠はおたがい食い合うけど、人間はもっとタチが悪い生き物だ。なにせ共食いするんだから。
 はは、とことん腐ってやがる。はらわたに蛆でも沸いてそうな腐臭が匂ってくる。人間て馬鹿で面白いね。

 けど、現在僕が巻きこまれてる状況は面白くもなんともない。
 
 『Pardon?』
 僕が不信感まるだしで聞き返した気持ちも汲んで欲しい。 
 目の前じゃ引き続き五十嵐がヨンイルに銃をつきつけている。蛍光灯が不規則に点滅する薄暗い通路のど真ん中で、裏切り者を処刑する映画のワンシーンみたく直立不動でヨンイルの胸に銃口を埋めてる。これが映画なら五十嵐は役にのめりこみすぎで完全にイッちゃってる。呼吸は100メートルを全力疾走みたいに荒くて、制服の下で胸が上下していた。眼球は異様に血走っていた。
 これは、明確に殺意を剥き出した復讐者の顔だ。
 「……っ、」
 戦慄でぞわりと二の腕が鳥肌立ち、唇を噛む。どうしてこんなことになっちゃったのか本当にわからない。僕には五十嵐の動機も行動もまったく理解できない。五十嵐の変貌がただただ恐ろしかった。奥さんのためと睡眠薬を貰いにきた五十嵐に当たり前に軽口叩いてた頃が懐かしい。今の五十嵐は殆ど別人だ。少なくとも以前の五十嵐と同一人物だとは覚えない、五十嵐を皮を被った怪物だと言われたほうが腑に落ちる。
 僕が知る五十嵐は東京プリズンいち親切な看守で、囚人に分け隔てなく優しく接してくれて、五十嵐に欲しい物言えば大抵都合つけてくれると評判で。
 頼もしい「お父さん」だった。
 囚人の人気も高く人望厚い五十嵐が何故こうも突然に豹変したのか、僕にはさっぱりわからない。だがこれだけは言える、五十嵐の変貌には西の道化ことヨンイルが間接的か直接的か関わっている。
 目を見れば一発でわかる。
 ヨンイルに向ける五十嵐の目には憎しみと殺意が濃縮されていた。  
 そして五十嵐はヨンイルに銃口をつきつけ、「服を脱げ」と命じたのだ。
 「ラッシー正気かよ?奥さんと夜の営みご無沙汰でついにヤキが回っちゃったってわけ。ここでヨンイルの服脱がしてどうするのさ、そのまま物陰に引っ張りこんで犯っちゃう気?あははそっか、聖人君子気取りの五十嵐さんも変態タジマの仲間入りってわけ、囚人脱がせて調教するアブノーマルな趣味に目覚めちゃったわけ!?」 
 壁に背中を付け、腹筋に力を入れて叫ぶ。挑発。命知らずな真似だとわかってるけど、とにもかくにも五十嵐に銃を下ろさせないことには話し合いも成立しない。
 その為にはまず、ヨンイルから注意を外さなけりゃ。
 これ以上一触即発の睨み合いが続いたんじゃこっちの心臓がもたないよと心の中でぼやきつつ、続ける。
 「ねえ聞いてんのラッシー、リカちゃんのパパ、囚人の人気者、東京プリズンの良心!おい無視すんな五十嵐、調子のってんじゃねーよ。はやくその物騒なモンおろせって言ってんの、流れ弾が壁か天井に跳ねかえってあんたの股間をズドンとやっちゃったらどうすんのさ。ぶっちゃけ銃なんかに頼らなくてもあんたの下半身にはご自慢のピストルがあるっしょ」
 蓮っ葉な口調で揶揄するが、五十嵐はてんで反応しない。五十嵐の目はただヨンイルだけを見ている。異常な情熱。ヨンイルは肩の位置に両手を挙げ、わずかに強張った顔で五十嵐を見上げている。
 降参のポーズ。
 「聞こえなかったのか韓国人。ハングル語で言ってほしいのか」
 口角を意地悪く吊り上げた五十嵐が鉄の銃口でヨンイルの胸を突く。ヨンイルが不安定によろめく。足裏で踏ん張ってなんとか持ちこたえたヨンイルがきっと五十嵐を睨み、緊張がはりつめる。
 「アホぬかせ変態。なんで俺がヌード披露せなあかんねん、こんな通路のど真ん中で……」
 「俺がおまえを憎む動機、知りたいんだろう」
 五十嵐の口調は平板だった。ぞっとした。が、空気の読めない西の道化はこの答えが不満だったらしく、いきのいい関西弁で猛然と五十嵐に食ってかかる。
 「それとこれとは話が別や、通路のど真ん中で腹踊りなんてアホな真似して風邪ひいたらたまらん。もし万一くしゃみして漫画のページに鼻水ひっかけたら大損害やないか」
 片手を胸においたヨンイルが物怖じしたふうもなく銃を構えた五十嵐に意見する。
 異様な光景だった。
 東京プリズンに来るまでどれだけ修羅場をくぐりぬけたんだか知らないが、ヨンイルの肝の据わり具合は半端じゃない。胸に銃口をつきつけられたくらいじゃさほど動揺してないようにも見える。
 絶体絶命の窮地で虚勢を張るには生半可でない度胸がいる。
 「もし俺の鼻水がピノコやラムちゃんの顔にひっついたらショックや、初恋の女の目の前で自慰するくらいショックやわ。ピノコやラムちゃんが鼻水ひっかむるくらいなら俺はここで撃ち殺され、」  
 刹那、五十嵐が腕を一閃。
 「「!」」
 五十嵐の片腕が残像を曳き、ゴーグルを放擲。鈍い音をたて壁にぶつかったゴーグルが床へと落下、衝撃で蛍光灯が揺れる。震撼する通路。蛍光灯が不規則に点滅し、五十嵐の顔が明と暗とに塗り分けられる。
 愕然と立ち竦むヨンイルの顔も同じく。
 「ごたごたぬかさず脱げよ。お前の裸が見たいんだよ、今すぐ」
 足元に落下したゴーグルを五十嵐が踏みにじる。ヨンイルに見せつけるように。ヨンイル自慢のゴーグルが次第に泥だらけに汚れてゆく。だが五十嵐は足をどけず、ヨンイルの目を十分に意識して執拗にゴーグルを踏みにじる。靴裏に体重がかかり、ゴーグルが不吉に軋む。
 「やめ、ろ」
 ヨンイルが呆然と呟く。
 心臓を鷲掴みにされた表情。
 「足をどけろどけんかい、おどれだれに断ってひとのゴーグル踏んどるんじゃいこのボケカス、ケツの穴に指つっこんで奥歯ガタガタいわすだけじゃすまさん、おどれの膝に漫画百冊乗せて骨へし折ったる!!」
 ヨンイルがゴーグルを取り返そうと無我夢中で手をのばすが、そのたび胸を銃口で押し返される。  
 五十嵐は無表情だった。何の感慨もない酷薄な目でヨンイルの狂乱を眺めていた。
 「脱げよ。俺はお前の裸が見たいんだ、上着もシャツも脱いで素っ裸になれよ。お前を脱がしたくて気が狂いそうなんだよ俺は、上着の裾強引に掴んで脱がしたくて脱がしたくてたまらないんだよ。お前の薄い体覆ってる布きれをひっぺがして胸板さらして腹筋さらして、納得ゆくまで眺めたいんだよ」
 ラッシー、正気?
 だってそんな、知らなかったよラッシーがそんなヨンイルの体に興味津々なんて。僕が積極的に迫ってもてんでなびかないからとことんノーマルな性的嗜好の持ち主だねと感心してたのに。 
 銃口でヨンイルの胸を小突き、再び五十嵐が命じる。ゴーグルを情け容赦なく踏みにじりながら。
 「さあ、脱げよ。上着とシャツを脱いで貧相な体をさらけだせ。通路のど真ん中でな」
 「………………っ、」
 苦渋に顔を歪め、舌打ち。反感をこめた目つきで五十嵐を睨みつけ、逡巡しつつも上着の裾に手をかける。決断を遅らせるように生唾を飲み込み、上着の裾に手をかけたまま、上目遣いに五十嵐の表情を盗み見る。タジマ以上に冷酷無比な看守の顔。
 ヨンイルは深呼吸で覚悟を決める。

 ―「我が生涯に一片の悔いなし!!」―

 上着とシャツを脱ぎ捨て、裸の上半身をさらして仁王立ちしたヨンイルの目には五十嵐に対する激しい怒りが燃え盛っていた。
 ヨンイルは思ったよりいい体をしてた。
 平らな胸板、引き締まった腹筋、適度に筋肉が付いた肢体からは健康的な汗の匂いが立ち上っていた。
 何より僕の目をひいたのは、ヨンイルの腕と胴体に絡みつく巨大な龍。 
 長大な蛇腹をくねらせ、螺旋を描くようにヨンイルの四肢に纏わりついた刺青の龍。暗緑色の鱗一枚一枚が毒々しく美しい魔性の光沢をおびて妖しく照り映えて、内側から瘴気が噴き出すような錯覚に襲われた。
 健康的に日焼けした肌の上を、蛇腹をのたうたせて万里の龍が這いずる倒錯的な光景。
 「お望みどおり脱いだで。はよ足どけろや」
 やぶれかぶれにヨンイルが吐き捨て、五十嵐が顎をしゃくり、重ねて促す。
 「下もだ」
 「足が先や」
 「ズボンをおろせ」
 「はよ汚い足どけろ」
 「トランクスをさげろ」
 「じっちゃんの形見なんやで」
 「剥くぞガキ」
 「犯る気か中年」
 ヨンイルの目つきが凄味をます。五十嵐が銃口に圧力をくわえる。僕は何もできず、指一本動かせず、壁にはりついて二人の駆け引きを見つめていた。逃げなきゃ。立ちあがらなきゃ。
 五十嵐の手元が狂って指が引き金引いて流れ弾がとんでくる前に、厄介ごとに巻きこまれる前にとっとと逃げなきゃ。ママ、助けてママ。腰が抜けちゃったよ。パンツが湿ってるのはちょっとおしっこ漏らしたからみたい。失禁。はは、恐怖でちびるのなんて子供の頃ふざけ半分の客にロシアンルーレットされて以来。
 ママ。
 ママ、なんで答えてくれないの。助けてくれないの。
 『リョウちゃん、なんでそんな悪い子になっちゃったの』
 すぐ耳元で声がする。耳朶にかかる吐息さえ感じるような柔和な声。これは……ママの声だ。テディベアを抱いて嗚咽をこぼしてるママの後ろ姿が脳裏にありありとよみがえり、通路のど真ん中で対峙する五十嵐とヨンイルの姿がぼやけてゆく。
 『リョウちゃん、なんでそんな悪い子になっちゃったの』
 ここにいるよママ。
 『リョウちゃん、なんでそんな悪い子になっちゃったの』
 ねえ、こっち見てよ。
 『リョウちゃん、なんでそんな悪い子になっちゃったの』
 ねえってば!!
 「ママ、」
 変なふうに喉が鳴る。なんで?なんで振り向いてもくれないの、こっちを見てもくれないの。僕のことなんかもうどうでもいいの、ママまで僕のこと見捨てるの。ぼろぼろのテディベアみたいに、ポイって。ママは僕に背中を向けたまま、膝にのせたテディベアをいじくってて振り返ってもくれない。僕の声なんか最初から届いてないみたい。
 違うママ話を聞いて、僕がいけないことしたのにはちゃんと理由があったんだ。だって僕が体売ってお小遣い稼がなきゃ、ママはすぐ家に新しい男連れこんでお金渡しちゃうから僕がママの代わりに稼がなきゃご飯食べられなかったんだよ。それにそう、覚せい剤も欲しかった。お砂糖と間違えて舐めてるうちに病み付きになって止まらなくなってもっと欲しくて欲しくてたまらなくてしょうがなかったんだ、だって僕知らない、知らなかったんだもん、男に体売るのだめだとか覚せい剤舐めるのはだめだとか誰も教えてくれなかったんだもん!!
 「いやだよ、捨てないでよ」
 見捨てないでママ。僕はぬいぐるみじゃない、おなかに入ってるのは綿じゃない。だからおなかが減るんだ、しかたないじゃんか、おなかが減ったら美味しいもの食べたいじゃん、だからお金が要ったんだよ。
 ママにも美味しいもの食べさせてあげたくて。
 ママは全然僕の話を聞いてくれない、僕の言い訳を無視して虚脱したように座りこんでるだけ。ふわりと肩にかかる赤毛は僕とお揃いの天然パーマ。覚えてるでしょママ、鏡台で髪を梳かしてあげたときのこと。
 
 ねえ。
 なんで僕のそばには誰もいないの?

 「なんで助けてくれないの呼んでも答えてくれないの五十嵐は変でヨンイルは裸で通路の蛍光灯は点滅して、僕はもう怖くて怖くて発狂寸前でまともに物考えられなくて、こうやって助けてってお願いしてるのに!ママ、ママ、ビバリー、助けてよ!僕のこと助けにとんできてよ、もうやだ怖いよ、銃なんていつ暴発するかわからないものキチガイにもたせとく物じゃない怖い助けて怖い血、撃たれる、やだ、また血がでてきた!?ねえママ舐めて、僕のこと抱っこしてよしよしして、ちっちゃい頃みたいに痛いのとんでけして!」
 恐怖が破裂した。限界だった。
 視界がぼんやり曇ってたのは涙のせいだと漸く自覚した。両手で耳を塞ぎ狂ったようにかぶりを振りながら泣き叫ぶ最中、僕は鍵屋崎のことを考えてた。
 親殺しのくせに、あいつには頼れる相棒がいる。助けてと声をあげれば真っ先にとんできてくれる相棒がいる。なんで?なんで鍵屋崎ばかり恵まれてるのずるいじゃん不公平じゃんあいつパパとママ殺したくせにそんなのってずるい、僕はママを殺さなかった、殺すなんてとんでもない、僕にはママしかいなかったのに!そうさ僕は鍵屋崎が大嫌いだった、友達いっぱいいる鍵屋崎が羨ましかったんだよ畜生!!
 さっき地下停留場で目撃した思い出したくもない光景を、脳が勝手に再生する。

 サムライを気遣う鍵屋崎。鍵屋崎を気遣うサムライ。
 いたわりあう二人。共食いなんかしないふたり。理想的な共存。
 
 鍵屋崎には相棒がいる、友達がいる、共食いする必要ない仲間が。
 僕はずっと鍵屋崎が妬ましかった、羨ましかったんだよ、僕だってあんな―……

 『リョウさん!』 
 ビバリー。

 「ちくしょう」
 畜生、なんでビバリーなんか思い出すんだよ。あんなやつ友達でもなんでもないのに、もう絶交しちゃったのに。今更悔やんでも遅い。ビバリーは謝ったところで許しちゃくれない。
 目尻からあふれた涙が頬を伝い、膝の上においたこぶしに滴り落ちる。
 額からの出血と涙と鼻水が混ざって顔がぐちゃぐちゃだ。頭もぐちゃぐちゃだ。
 僕このまま死んじゃうのかな?ビバリーと仲直りできず五十嵐にずどんとやられちゃうのかな? 
 猫と蝙蝠が仲良くすることなんて、やっぱりできないのかな。

 「そうだ、その刺青だ」
 はじかれたように顔を上げ、五十嵐に注視を浴びせる。片手に銃を預けた五十嵐が、上半身裸のヨンイルを舐めるように見まわす。ねっとりと肌に絡みつくようなタジマの視線とはまた違う、冷徹な観察者の目。 ヨンイルの全身を隅々まで見まわして刺青の出来を確認する表情。
 「その刺青こそがお前を憎む動機だよ、ヨンイル……尹 龍一。知ってるぜ、お前のことはなんでも。韓国で使ってた本名も、祖父ともどもKIAにいたことも、お前の遊び半分で作った爆弾で二千人が死んだことも」
 五十嵐の目に言い知れぬ感情が渦巻く。
 「お前は天才だった。鍵屋崎とはまた違った意味のな。お前の祖父は元在日で、半島統一をきっかけに韓国に帰化した。けど日本の習慣やら訛りが馴染んじまって、家族で半島に渡ったものの生活がうまくいかなくて、だいぶ苦労したそうじゃねえか」
 「まずまっさきにKIAに傾倒したのはお前の母親。
 惚れた男がKIAの一員で、若い恋人が唾をとばしてくっちゃべる革命の理想とやらを聞かされてるうちにすっかり夢中になっちまった。恋は盲目ってやつだ。で、お前の母親は若さゆえの情熱持て余して惚れた男を追っかけて、後先考えずKIAに入っちまった。お前の祖父は大事な娘が男追いかけて危ねえ組織に入ったって知って、娘を取り返したい一心で自分もまたKIAに入った。
 けど、その頃にはもう娘の腹の中にゃお前がいた」
 「これはあとでわかったことだけど、KIAのメンバーが娘に近付いたのは親父を組織に引きずり込む作戦のうちだったんだ。KIAの情報収集力ってのがまた大したもんで、半島に渡ったはいいもののハングルに馴染めず生活困窮してた中年男が、日本にいた頃は一流の腕をもつ花火師だって調べ上げてた。花火師なら当然火薬の扱いに慣れてるし、爆弾組み立てさせるのに都合がいい。だからまず最初に娘に近付いて孕ませて、親父の逃げ道断ったんだよ。
 うまい手だぜ。大事な娘を人質にとられちゃあ言うこと聞くしかねえもんな」 
 「ヨンイル、お前は刑務所で産まれたんだ。いや、政治犯収容所だっけか?……どっちもでいいや。どうにか娘を助けたいって親父の願いむなしく、娘は収容所にぶちこまれて、お前を産んですぐぽっくり逝っちまった。お前の親父も同時期に収容所送りになって、二年後に拷問……いや、謎の不審死を遂げてる」
 五十嵐は何かに取り憑かれたように饒舌にしゃべった。ヨンイルの過去を、ヨンイルが大量殺戮を犯す経緯を。ヨンイルはただ下唇を噛み、目ばかり獣じみて輝かせて五十嵐を睨みつけていた。
 「天涯孤独の身となった男のもとに残されたのは忘れ形見の赤ん坊だけ。
 そして哀れな男は、KIAに一生を捧げる羽目になった。
 政治犯として死んだ娘の忘れ形見を育てるにゃあKIAの庇護をうけるしかなかったんだろ」 
 「おおきに、俺の身の上話代わりに語ってくれて。拍手でもしたろか」
 ヨンイルが不敵に笑う。
 健康的に日焼けした四肢を締め上げた龍が、鱗の内側から瘴気を噴き上げ、蠢動したかに見えたのは錯覚だろうか。親の代どころか祖父の代まで遡って五十嵐に過去を言い当てられたというのに、ヨンイルは大して動じてない。
 いや。
 五十嵐に対する激しい怒りが内心の動揺を圧倒し、不敵に振る舞わせているのだろうか。
 至近距離で対峙する五十嵐とヨンイル。
 いつ崩れてもおかしくない危うい均衡。
 そしてついに、その時がきた。

 「!」

 五十嵐の胸ぐらが掴まれるのと、ヨンイルの額に銃口がめりこむのは同時だった。

 「……………痛っ、」
 ヨンイルの顔が苦痛に歪む。鈍い音をたて眉間にめりこんだ銃口に徐徐に圧力を加えながら、もう片方の手で制服の懐をまさぐり、黒革の免許証入れをとりだす五十嵐。
 「俺の自慢の娘を紹介するぜ、ヨンイル。可愛いだろう、カミさん似だ」
 哀切な微笑みを浮かべた五十嵐が奇妙に凪いだ声音で言い、免許証入れを上下に開き、ヨンイルの鼻先につきつける。黒革の免許証入れに挟まれていたのは、数年前に撮られたとおぼしき色褪せた写真。写真に写っているのは活発そうなショートヘアの女の子で、溌剌な子鹿みたいにくりっとした瞳が印象的だった。

 これがリカちゃん。
 五十嵐の自慢の娘。
 五十嵐が失った、大事なもの。

 ヨンイルの額に血がでるまで銃口をめりこませ、もう片方の手に免許証入れを掲げ、五十嵐は言った。
 限りない愛情に満ち溢れた、慈父の笑顔で。
 「五十嵐リカだ。韓国併合三十周年パレードで尹 龍一に殺された俺の娘だよ」
 衝撃的な告白だった。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050731054810 | 編集
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