ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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五十四話

 試合はサムライの勝ちだ。
 足の怪我のせいで苦戦を強いられてたサムライが後半一気に巻き返して逆転勝利をおさめ、会場は湧きに湧いていた。
 会場の興奮は最高潮に達している。
 とどまるところをしらない天井破りのハイテンション。周囲の囚人が派手に歓声を上げ暴れるせいで地下停留場の気温が急上昇したような錯覚を受ける。 地下停留場全体が揺れているような錯覚。振動。一斉にコンクリ床を踏み鳴らし喧々囂々と罵声を浴びせて野次をとばす囚人たちはもういつ爆発してもおかしくない状態で、あちこちで乱闘騒ぎが勃発しては警棒持った看守が駆り出されている。
 「サムライの勝利、か。これで99勝目、いよいよあと一勝で100人抜き達成か。すごいね」
 皮肉まじりの口笛を吹く。
 本音じゃ僕はちっともサムライの勝利を祝してない。
 当たり前だ、僕はサムライの味方でもない。
 レイジも鍵屋崎も僕の仲間じゃないし味方じゃない、僕は誰の味方でもない中立的な立場。ネズミにも鳥にもなりきれないどっちつかずの蝙蝠、狡賢い日和見主義者だ。
 僕は常に利益が見込める側の味方、僕自身に有利な条件を提示する側の味方だ。
 決勝戦第一試合、ヨンイルと鍵屋崎の対戦は予想外の結果に終わった。なんと鍵屋崎の勝利。ヨンイルが提案した悪趣味なゲーム……このだだっ広い地下停留場のどっかに時限爆弾を仕掛けて、制限時間内に捜してこいというくだらないお遊戯に、なんと鍵屋崎は勝ってしまった。僕に言わせりゃただの偶然の結果、幸運の女神が微笑んだだけ。だってヨンイルとまともに戦ったら鍵屋崎が勝てるわけない。
 鍵屋崎がヨンイルに勝てた理由はただひとつこれに尽きる。道化の気まぐれ。 
 鍵屋崎の後を継ぐ形で出陣したサムライは、ホセが提示した条件を呑み、腕相撲で勝敗を決することになった。やれやれホセは腹黒い。根が実直なサムライよか南の隠者は一枚も二枚も上手。
 ホセはレイジに刺された片腕が使えない、サムライはサーシャに刺された片足が使えない。一見条件フェアだけど、どっこいそうじゃない。
 互いにハンデを負ってるが故に互いにフェアな条件を申し出たと見せかけて、ホセは何もかも計算尽くだったのだ。腕相撲だからって何も腕しか使わないわけじゃない。足腰の踏ん張りが利かなきゃ自重が支えられず、試合に集中できず、全力を出しきれない。この場合片腕が利かないのはそんなに不利じゃない、少なくとも片足が使えないよりか全然。
 第一、ホセなら片腕一本で敵の首の骨を折ることも容易いはずだ。
 けど、サムライは試合に勝った。鍵屋崎の応援に力を得て、勇を鼓して、片足の激痛に耐えて。文句なしの勝利。サムライは衆人環視のリング上でホセの手首を組み伏せて鮮やかな逆転劇を演じ、ふらふらと覚束ない足取りで鍵屋崎のもとへ帰っていった。
 サムライは現在、鍵屋崎に介抱されてる。鍵屋崎ときたら、自分の顔を見た瞬間、安堵のあまり顔を緩めて胸へと倒れこんできたサムライに口うるさく小言を言いながら、コンクリ床に寝かせて額の汗を拭ってやってる。
 コンクリ床に片膝つき、顔面蒼白のサムライの寝顔を覗きこんだ鍵屋崎が、心配げに顔を曇らせる。
 「まったくなんて無茶をするんだ、人体の限界を軽く超越してる、大動脈すれすれを怪我してるくせに……血管が破れて傷口が開けば失血死してもおかしくない大怪我だというのに!どうして僕に手間ばかりかけるんだ。僕は君専属の看護士じゃない、付け加えるが外科医でもない!それとも君は今ここで糸と縫い針とを持って血管の縫合をしてもらいたいのか、無麻酔で公開手術をしてほしいのか?」
 サムライがいないあいだ相当不安だったんだろう。
 リング上で戦うサムライをただ見送るしかなかった鍵屋崎が、刺々しく苛立ちをこめて吐き捨てる。サムライがいないあいだずっと孤独に苛まれ、自責の念に駆られて沈痛に黙りこんでいたというのに、サムライが帰ってきた途端にいつもの調子を取り戻したらしく毒舌全開だった。
 コンクリ床に仰臥したサムライの額にはおびただしい脂汗が浮かんでいる。傷口の出血は既に止まり、ズボンを染めた血は赤黒く乾き始めていたが安心はできない。
 袖口でサムライの額の汗を拭い、思案顔で黙りこむ鍵屋崎。
 「………何故、僕に心配ばかりかけるんだ」
 眼鏡越しの双眸が沈む。僕が見慣れた無表情じゃない、もっとずっと人間らしい表情。 
 「すまない」
 「謝るな。どうせ反省してないんだろう?」
 図星なのか、サムライがぐっと押し黙る。確かにサムライは反省も後悔もしてない。サムライは自分がどれだけボロボロになっても、どれだけ傷付いて死にかけても、鍵屋崎さえ守り通せればそれでいいのだ。
 サムライの傍らに屈みこんだ鍵屋崎が、眼鏡越しの双眸を伏せ、ためらいがちに視線を揺らす。
 眼鏡越しの双眸を過ぎるのは、葛藤と逡巡。
 「……さっき言ったことだが、一部訂正する」
 サムライが虚ろな眼差しで鍵屋崎を見上げる。サムライは朦朧としていた。物問いたげに鍵屋崎を仰ぐ目にはまどろみの膜が落ちていた。
 ホセとの試合で全力を使い果たしたサムライは腑抜けになっていた、自分の意志じゃもう指一本だって動かせそうにないほど消耗しきっていた。
 無理もない。
 大動脈すれすれをざっくりやった命に関わる大怪我で入院を強いられてたのに、鍵屋崎に会いたい一念で地下停留場までの長い道のりを這いずってきたのだから。鍵屋崎を守りたい一念でリングに立ち続けたのだから。
 瞼を半ばまで下ろしたサムライが、焦点の合わない目で鍵屋崎を見る。
 急かすでも促すでもなく、ただ辛抱強く鍵屋崎の言葉の続きを待つ。サムライはいつもそうやって鍵屋崎を優しく包み込む。
 鍵屋崎が顔を伏せ、表情が前髪に隠れる。
 「僕はさっき、君が僕と故人を混同してると言った。僕と苗を同一視して、苗の代替物として僕を認識してると一方的に責め立てた。君の言い分も聞かずに一方的に非難した、感情的に怒鳴りつけた。君にとって苗は最愛の恋人で、物心ついた時から常にそばにいた幼馴染で、安らぎを与えてくれる人間で!」
 鍵屋崎の声が震える。
 「君が苗と僕とを混同するのは仕方ないと自分を納得させようとした、納得させようとしたんだこれでも!だって苗は君の恋人で、君にとってかけがえのない女性で、僕とは比べ物にならない大事な存在じゃないか?君の思い出は君だけのものだ。僕が踏みこむ権利はない、僕が口だしする権利はないと頭ではわかってる。だけど僕は、」
 膝にこぶしを置いた鍵屋崎が唐突に顔を上げる。片方のレンズが割れた眼鏡越しに、思い詰めた眼差しをサムライに注ぐ。
 「……僕は、苗に嫉妬していたんだ」
 「直」
 「よく聞けサムライ。君は僕の生まれて初めての友人だ、僕が生まれて初めて信頼した他人だ。この十五年間というもの、僕には恵しかいなかった。妹の恵だけがすべてだったんだ。それ以外の人間はいないも同然だった、見ていても見えてなかった。僕に人の目をまっすぐ見ることを教えてくれたのは君だサムライ、信頼するに足る他人がいることを教えてくれたのは君なんだ!恵を失った今の僕には君がすべてなんだ、僕は帯刀貢のすべてを独占したかったんだ!!」
 鍵屋崎の顔が悲痛に歪む。今にも泣きそうな、やりきれない表情。
 ああそうか。鍵屋崎はずっと独りぼっちだったのか。
 今の今まで、十五年もずっと独りぼっちで、本気の本音で付き合える友達なんかひとりもいなくて、ただ妹だけを支えに生きてきたんだ。
 サムライを手放したくない。
 失いたくない。また独りぼっちになりたくない。
 十五年間待ち望んで、やっとできた最初の友人。
 鍵屋崎の本質は孤高の天才じゃない。
 愛情に飢えた、孤独な子供だ。
 「……君が苗の代替物として僕を見てるというのは、確かに僕自身が抱いた感想だ。それは否定しない。だが、それがすべてじゃない。僕が完全に苗の代替物なら、鍵屋崎直個人のために君がここまで無茶をする理由が存在しない。動機が成立しない」
 鍵屋崎がサムライの手を取り、真剣に訴えかける。
 「覚えてるかサムライ?下水道に僕を助けにきたことを。元はと言えば自業自得の僕のために土下座までしたことを。覚えてるかサムライ、売春班から僕を救い出しに来たことを。あの時君は僕の上で泣いた、すまなかったと謝罪した。頬に落ちた涙は熱かった。体に触れた指に負けないくらい」
 その時のぬくもりを懐かしむかのように、サムライの手を頬にあて、鍵屋崎がそっと目を瞑る。 
 眼鏡越しの双眸が柔和な光を含み、口元がかすかに綻ぶ。
 心を許した者にだけ見せる優しい笑顔。
 「あの熱が嘘だとは、思いたくない。タジマに襲われた夜、君の腕の中で感じたぬくもりが偽りだとは思えない」
 無骨に節くれだったサムライの手を包み込み、鍵屋崎が頭を垂れる。
 それは懺悔に似ていた。
 地下停留場の喧騒からサムライと鍵屋崎のまわりだけが切り離されてるようだった。心なしかサムライも笑みを浮かべ、声にはださず鍵屋崎の名前を呼んだ。
 『直』、と。
 二人にはそれで十分だったのだろう。十分に互いの想いが通じたのだろう。
 鍵屋崎の頬に触れたサムライの指がぴくりと震える。指一本だって動かすのが辛いくせに、サムライは鍵屋崎の顔へと手を伸ばし、物言いたげに口を開く。   
 「?なんだ」 
 吐息に紛れた囁きを聞き取ろうと、サムライの口元へ無防備に顔を近付ける鍵屋崎。頬に手を添え、吐息のかかる距離へと鍵屋崎の顔を導いたサムライが不器用に笑う。
 瞼が落ちる直前、最後の力を振り絞り、男らしい笑みを。
 「お前が愛しい」
 「……は!?」
 驚き、言葉を失う鍵屋崎の頬から力尽きた手が滑り落ちる。どうやら意識を失ったらしい。胸郭を上下させ、荒い息を吐きつつ苦悶にうめくサムライを見下ろして我に返った鍵屋崎が慌てて医者を呼びに行く。サムライの傍らから飛び起き、医療班が待機する場所へと駆け出す鍵屋崎とすれちがう。  
 一瞬だった。
 鍵屋崎は僕に気付きもしなかった。ただ、横顔が赤くなっていた。 
 地下停留場の雑踏に立ち尽くし、どんどん遠ざかる鍵屋崎の後ろ姿を見送り、舌打ち。
 「ふん、見せつけてくれちゃって。やってらんないよ」
 変だ、なんで僕こんなにむしゃくしゃしてるんだろ?腹立ち紛れに地面を蹴りつけ、鍵屋崎が消えた方向を睨みつける。
 ふと背後を振り返ればレイジとロンが何やら深刻に話しこんでた。
 ん?ちょっと待て、なんでロンがこんなとこにいるのさ?肋骨折って医務室で寝てるはずじゃないの。
 レイジとロンをしげしげと眺める。レイジが尻ポケットをまさぐり、何かを取り出す。ロンが頭上に片手を翳し、レイジもおなじように片手を翳す。ロンとレイジの指先に摘まれてるあれは……白く四角い物。
 麻雀牌?
 高く澄んだ硬質な音が鳴る。互いが手にした牌と牌とを打ち鳴らし、満足げに笑うレイジ。ロンもまんざらじゃない顔をしてる。
 第三者を寄せ付けない雰囲気。気に入らない。
 鍵屋崎はサムライとラブラブで、ロンはレイジとラブラブで、なんだか気に入らないことだらけだ。幸せ一杯のレイジのにやけヅラがむかつく。本当は嬉しいくせにむくれたふりしてるロンがむかつく。コンクリ床に寝てるサムライがむかつく。サムライの為に医療班を呼びに行った鍵屋崎がむかつく。
 なんだよあいつら、人殺しのくせに。全員人殺しのくせに。
 「……気分悪い」
 会場の熱気にあてられたわけじゃない。人ごみに悪酔いしたのでもない。沸沸とこみあげてくる怒り、やり場のない苛立ち。サムライの手とり、自らの頬にあてがい、僕が見たことのない顔で微笑む鍵屋崎。鍵屋崎の頬に手を添え、はっきり「愛しい」と口にしたサムライ。
 牌と牌を神妙に打ち鳴らし、凱旋の儀式を執り行うレイジとロン。 
 僕だけ除け者かよ。仲間はずれかよ。
 脳裏にビバリーの顔が浮かぶ。ここんとこずっとビバリーとは口を聞いてない。
 本当言うと決勝戦はビバリーと一緒に観に来る予定だった。今頃僕の隣にはビバリーがいたはずだった。
 鍵屋崎にサムライがいるように、ロンにレイジがいるように、頼りになる相棒が。
 ……忘れよう。
 はげしくかぶりを振り、弱気を払拭する。ビバリーなんてどうなっても知るもんか、勝手にすればいいんだ。僕だって勝手にするから。やつあたりで床を蹴飛ばし、きょろきょろとあたりを見回す。そういえば五十嵐の姿がない。さっきまで一緒にいたのに……はぐれちゃったのかな。
 「おーいラッシー、いるんならお返事してよー」 
 間延びした声で迷子のラッシーを呼ぶ。まあ、実際迷子になったのは僕の方なんだろうけど。ラッシーといえば、鍵屋崎の試合中からどうも様子がおかしい。挙動不審だ。サムライの試合中もずっとぶつぶつと独り言を呟いてて、僕が話しかけても生返事を返すばかりだった。
 やっぱ奥さんとうまくいってないのかな?いいクスリあげたのに。
 「名犬ラッシーってば、ご主人様が呼んでるんだからすぐに……」
 いた。
 金網を隔てたリングの向こう側に五十嵐の姿がちらついてる。五十嵐の隣にいるのは見間違えようない、額にでかいゴーグルをかけた西の道化ことヨンイル。五十嵐と道化。思いも寄らぬ組み合わせだ、これまで一度だってヨンイルと五十嵐が楽しくお喋りしてるところなんか見たことないのに。
 現に今も和気藹々と歓談してるふうにはとても見えない。これから始まるペア戦締めくくりの最終決戦、レイジとサーシャのどっちが勝つか意見交換して予想してるふうにも見えない。
 五十嵐もヨンイルもやけに深刻な雰囲気で話し込んでる。様子がおかしい。 胸騒ぎ。 
 とてつもなく嫌な予感。
 「………」
 ごくりと生唾を飲み込む。リングを迂回して五十嵐に駆け寄ろうとして、僕はそれ以上近づけなくなる。何故?わからない、足が勝手に動かなくなったのだ。
 今の五十嵐に近寄るのは危険だ。とても危険だ。
 五十嵐の様子は普通じゃない、僕の視線の先にいるあれはいつもの五十嵐じゃない。
 五十嵐と二言三言を交わしたヨンイルが不承不承頷き、先に立って歩き出す。どこへ行くんだ?つられてヨンイルの後ろ姿を追う。
 一度も人とぶつかることなく身軽に雑踏を抜けたヨンイルが足を向けたのは、地下停留場に接続する通路の出入り口。ちょっとちょっと、これからレイジ対サーシャの最終決戦が始まるって大事な時にどこ行く気さ一体?
 会場の盛り上がりに背を向け、通路の薄暗がりへと足を踏み入れたヨンイルに続き、五十嵐もおなじ通路へと吸いこまれてゆく。
 人気のない通路に消えたふたりに好奇心を刺激されて走り出す。ヨンイルと五十嵐め、二人してどこへ行く気さ?
 「道化と看守の間に商談成立、サーシャとレイジが殺し合いしてるあいだ通路の薄暗がりでお楽しみ……ってわけじゃないよね」
 まさかと苦笑する。どこかのタジマと違って五十嵐はまともだ。いくら奥さんとうまくいってないとはいえ、囚人に手を出したりはしないだろう。
 狭苦しい廊下に靴音が反響し、天井に連なる蛍光灯が不規則に点滅する。
 五十嵐とヨンイルは一体どこへ……
 「あ」
 いた。
 見つけた。
 地下停留場の喧騒遠く人気のない通路のど真ん中で、たった5メートルの距離を隔て、五十嵐とヨンイルが対峙している。
 変なの。まるで今から決闘でもおっぱじめるみたいじゃないか。
 さしずめレイジ対サーシャの裏試合ってところ? 
 そんなまさかね。
 「ひどいよラッシー、会場のど真ん中に僕ほうったらかして!もう少しで人ごみに押し潰されて窒息死しちゃうとこだったよ。ラッシーがついててくれなきゃちびでやせっぽちの僕が最前列の特等席とれるわけないじゃない、せめて決勝戦終わるまでは保護者として……」
 廊下の真ん中で立ち竦む五十嵐の背後へと無警戒に歩み寄る。
 一歩近付くごとに違和感が増す。五十嵐だけじゃない、ヨンイルも様子が変だ。なんでさっきから微動だにせず、廊下のど真ん中に愕然と立ち竦んでこっちを凝視してる?
 信じられないものでも見たかのように。
 信じられないことでも起きたかのように。
 「近寄るなリョウ」
 振り向きもせず、そっけなく五十嵐が言う。
 「つれないこと言わないでよラッシー。僕のお守りほっぽりだしてヨンイルとお楽しみなんてずるいじゃん。そうだ、どうせなら僕も混ぜてよ?」
 かまわず足を踏み出す。五十嵐の背中が次第に大きくなる。違和感がどんどん膨れ上がる。五十嵐は両腕を前に突き出した恰好で足腰を踏ん張り、何かを構えていた。何だ?
 五十嵐へと歩み寄る僕の靴音が通路に反響する。
 靴音が止む。
 「………マジ?」
 五十嵐の背後で立ち止まり、半笑いで呟く。五十嵐が両手に構えていたのは……拳銃。一発で人の命を奪う殺傷力を秘めた鋼鉄の塊。黒光りする凶器。五十嵐が構えてる拳銃には見覚えある、あれは確かビバリーが地下停留場で拾った安田の銃で今ごろは五十嵐の手を介してとっくに安田のもとに返ってるはずの……
 「は、はははははははっ!返ってないじゃん。ねえ、どういうことこれ?聞いてないよ、こんなびっくりどっきり隠し弾」 
 こめかみを冷や汗が伝う。不吉な予感に胸が騒ぎ出す。乾いた笑い声をあげる僕をよそに、五十嵐がわずか5メートルの距離を空けてヨンイルに銃口を突きつけている。
 ああ、そうか。
 だからヨンイルは一歩も動けなかったんだ。動いた途端に眉間に穴が開くから。
 拳銃の引き金に指をかけ、五十嵐が言う。
 殺意の衝動に駆り立てられ、他を圧倒する狂気に取り憑かれ、理性が蒸発して乾いた目で。
 「お前が言ったんだぜ、リョウ」
 いつ弾丸が発射されてもおかしくない銃口をヨンイルに擬し、五十嵐は淡々と無表情に続けた。
 「こんな奴生かしとく価値ない。ずるずる生かしといたらまたまわりが不幸になる……リカのときみたいに」 
 五十嵐の口元が綻び、笑みが浮かぶ。
 あの時、五十嵐にかけた言葉を思い出す。五十嵐が殺したいほど憎んでる相手が別居状態の奥さんだと思い込んだ僕は、頭を抱え込んで苦悩する五十嵐の耳元でこう囁いたのだ。 
 「『みんなのお父さんなんだから、自信もって』」
 五十嵐はゆっくりと引き金を引いた。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050806185903 | 編集
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