ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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四十五話

 「残り時間、あと二十秒もないで」
 「それを先に言えこの低能!!」
 大事なことはもっと早く言え、物事の優先順位もつけられないのか。
 目の前の男に対する怒りが爆発し、感情もあらわに怒鳴り散らしていた。
 今、僕の手の中には爆弾がある。道化の異名をもつ西のトップ、過去二千人を殺した凶悪な爆弾魔ヨンイルから奪い取った手製の爆弾だ。複雑に銅線が絡まった無骨な形状の爆弾はそれ自体殆ど重さがないが、ヨンイルの言を信用するならあと二十秒以内に爆発して周囲に被害を及ぼす危険物。
 ヨンイルの爆弾の威力は売春班のボヤ騒ぎで実証済み、もしこの爆弾がヨンイルが全身全霊を注いで完成させた自信作なら十分殺傷に足る代物のはず。
 落ちつけ鍵屋崎直、冷静になれ。手の中の爆弾をどう処理すべきか考えろ考えるんだ。
 今ここで爆弾が爆発したら僕はもとより至近距離のヨンイル、金網越しで事の成り行きを見守っているレイジにまで無事では済まなくなる。いかにレイジが幸運だといえ……いや、訂正しよう。いかに悪運が強いからとは言え目先で爆弾が爆発して五体満足でいられるわけがない、腕の一本や二本ちぎれとぶに決まっている。
 今ここで爆弾が爆発したら最後、被害が拡散して多くの死傷者をだす最悪の事態は防げない。惨事を回避するためにどんな手段をとるべきか深刻に考えあぐねた僕は、手中の爆弾を持て余しつつ、忙しくあたりを見まわす。

 とりあえず、爆弾を遠ざけなければ。
 少しでも危害の及ばないところへ、被害の少ないところへ、人がいないところへ捨てなければ。

 ヨンイルの説教は後回しだ、残り二十秒では避難する時間もない。リングの中央で爆弾が爆発したら周囲の囚人が巻きこまれるのは目に見えている、ならばできるだけ爆弾を遠くに捨てて被害を最小限に留めればいい。
 そう懸命な判断を下した僕の脳裏に、素晴らしい打開策が閃く。
 気忙しげにあたりを見まわした僕の目にとびこんできたのは木刀。さっきヨンイルに蹴り飛ばされ、手の届かぬ遠方へと落下したサムライからの預かり物。
 腕力に自信がない僕では、素手で爆弾を投げたところで遠くへとばせない。5メートルもいかずに虚しく落下する推測が成り立つ。
 なら、他に力を加えるまでだ。
 ごく初歩的な物理法則、静止した物体に運動する物体をぶつければ衝突による加速で飛距離が延びる。小学生でもわかる単純な原理、それを忠実に実践するまでだ。
 サムライ、力を貸してくれ。
 どうか間に合ってくれ。
 床を蹴り、全速力で走る。木刀に駆け寄りざま拾い上げ、柄を掴む。ここまでが十秒、残りあと十秒。僕の手の中で爆発が起こるまであと十秒もない、つまりは僕の命の期限もあと十秒ということだ。
 くそ、こんなところで死んでたまるか。
 恵にも会えずサムライにも会えずこんなところで犬死にしてたまるか!
 「僕を舐めるなよ」
 得意顔で腕を組んだヨンイルを視界の端にとらえ、毒づく。余裕たっぷりな物腰が憎らしい。爆発が起きたら至近距離の自分も巻き込まれるというのに、ヨンイルは少しも表情を変えず、自信に満ちた笑顔を崩さない。
 僕と心中するのがそんなに嬉しいのか?
 いや、僕だけではない。爆発が起こればリング周辺の囚人全員が犠牲になる、細切れの肉片と化して吹き飛んでしまう。まさかヨンイルは集団自殺を計画して、この悪趣味なゲームを持ちかけたのではあるまいなと勘繰るが、はげしくかぶりを振って否定する。
 自殺にしては手がこみすぎだ。
 第一、ヨンイルの自殺の動機など想像もできない。
 脳裏でめまぐるしく交錯するさまざまな考えにも動きを鈍らせることなく、腕を振り、頭上に高々と爆弾を投げ上げる。宙高く放り上げた爆弾が照明の逆光になり、黒く塗り潰される。
 皆既日食のようだ、と馬鹿なことを思う。
 集中力が極限まで高まり、地下停留場を脱出する囚人の悲鳴や罵声が飛び交う周囲の状況から切り離された僕は、宙に投げ上げた爆弾が眼前に落ちてくるまでの間に木刀を構える。
 僕ならやれる、できるはずだ。
 刹那の判断の遅れが命取りとなる状況で躊躇はできない。強い衝撃を与えればタイムリミットを待たずに爆発が起こるかもしれないと危惧したが、どうせこのまま放っといても爆発は起こるのだからと決断して賭けにでる。僕が木刀を振るのが早いか爆発するのが早いかそれだけの違いだ。
 深呼吸し、腰を捻り、両腕に持った木刀をおもいきり振りかぶる。
 完璧にタイミングを計り、風切る唸りをあげて振りかぶられた木刀が中空の爆弾に衝突。たしかな手応えを感じると同時に、胸が透くような快音が鳴り響く。木刀に命中した爆弾は長大な放物線を描いて遥か彼方へと投げ飛ばされ、そして。  
 轟音、衝撃。
 「「ぎゃああっ!?」」
 「体感マグニチュード8.7だあ!」
 凄まじい震動が地下停留場全体を揺るがし、大気を攪拌する。激震した地下停留場に濛々と粉塵がたちこめ、天井の一部が崩落し、累々と倒れ伏せた囚人たちの頭上に大小の瓦礫が降り注ぐ。
 中空で爆発した爆弾の衝撃波が、重低音を伴う震動となり、足元のコンクリ床を伝わってくる。
 「……やった」
 まさかここまで上手くいくとは思わなかった。
 呆然と呟いた僕の耳に、レイジの声が響く。
 「逆転場外ホームランだな」
 興奮の面持ちで金網を掴んだレイジが、快哉を叫ぶ。木刀を下げたままヨンイルを振り向けば、拍手の真似をして僕を労う。
 「すごい直ちゃん、ドカベンみたいやわ」
 ヨンイルに誉められても全然嬉しくない。かえって馬鹿にされた心境だ。
 腹立ちまぎれにヨンイルを睨み、精一杯皮肉をこめて吐き捨てる。
 「さあ、これで本当に決着がついた。幼稚なお遊戯はおしまいだ、僕は今日から『道化を倒した男』を名乗らせてもらうぞ」
 試合終了のゴングが鳴り響く。僕の勝利だ。
 ヨンイルに背中を向け、憤然とリングを下り、レイジのもとへ赴く。こんな勝ち方は本意ではない、喜べるわけがない。ヨンイルが本気をだしてないのは一目瞭然だ。
 つまり僕はヨンイルにとって全力を尽くす価値もない相手ということだ。
 馬鹿にするにも程がある。ヨンイルが今の試合で本気を出したとはとても思えない、最初から爆弾を用いるなり僕を痛め付けていればヨンイルの勝利は確定していたというのにあえてそれをせず僕を泳がせていたのは何故だ。
 手加減したのか?この僕に?
 「侮辱も甚だしい」
 そうだ、これは侮辱以外の何物でもない。その証拠にヨンイルは試合中も余裕の表れの笑顔を絶やさなかった。
 「くそっ!!」
 口汚く悪態を吐き、衝動的にコンクリ床を蹴りつける。瞬間、靴裏でパリンと音がした。なんだ?不審がりながら足をどければ、地面に硝子片が散っていた。どうやら、何かを踏みつけて割ってしまったらしい。
 中腰の姿勢で地面を検分し、たった今自分が踏み割ったものが、望遠鏡のレンズによく似た形状の円筒形の物体だと確認する。なんだこれは?周囲の状況を鑑みるに、地面に倒れた金網に括りつけられていたようだが……
 「荒れてるなキーストア。勝ったんだからいいじゃん、素直に喜べよ可愛げねえ」
 背後に忍び寄る影。いつのまにか後ろに回ったレイジが、あきれたように笑っている。
 「勝った?今のは聞き間違いか」
 ズボンの尻ポケットに手を突っ込み、リラックスした姿勢で僕の前に佇んだレイジに反感を抱き、足音荒く距離を詰める。サムライの木刀がコンクリ床と擦れないよう慎重に切っ先をもたげつつ、交互に足をくりだし、レイジの眼前で立ち止まる。
 胸は恥辱で沸騰していた。今の僕はきっと、この上なくやりきれない顔をしてることだろう。レイジの言う通り素直に勝利を喜べるわけがない、こんな不本意な勝ち方をして喜べるほど僕はおめでたくない。  
 ヨンイルは僕を生殺しにして、プライドに泥を塗った。
 「僕は勝ってなどいない。勝たせてもらったんだ」
 西の応援団と談笑するヨンイルを睨みつけ、前言を訂正する。
 「試合に勝って勝負に負けたってか。そんなちっちぇえことでくよくよ悩んでんの?むずかしい年頃だねえ」
 「ヨンイルは僕に手加減した。本気をだせば僕などヨンイルの敵ではなかった、試合は道化の圧勝だった。ヨンイルの実力は北との抗争で見知っている、ヨンイルが本気で戦えば僕など一瞬で倒されていた。違うか?論理に矛盾があるか?ないだろうこれっぽっちも、そうだ矛盾などあるはずがない、僕の観察眼を甘く見るなよ低能どもが。
 ヨンイルはいつでも僕を殺すことができた、殺さないでも意識を失わせることができた。何度も何度もそのチャンスはあったのにみすみす逃してきたのは、わざと僕を逃してきたのは何故だ!?」
 レイジに掴みかかりたいのを自制し、至近距離に詰めより、声を荒げる。
 胸が苦しかった。自己嫌悪に肺を押し潰されて息も満足にできない。僕はヨンイルに哀れまれたのか、同情されたのか、それ故手加減されたのか?僕は常にサムライやレイジと対等な立場にありたいと願って、自分の無力を克服しようと必死に足掻いてきたのに、肝心の試合でヨンイルに手加減されたら台無しじゃないか。
 ヨンイルはわざと手を抜いたのか、わざと負けたのか?
 僕は、道化ごときに同情されなければならない人間なのか?
 そんな人間はサムライの隣に立てない、彼の相棒にふさわしくない。
 レイジやロンの仲間ではいられない、誰もが認める形で試合に勝利した彼らの友人を名乗れない。
 僕はヨンイルに負けたのだ。これ以上なく、どうしようもなく、敗北を喫したのだ。
 惨敗だった。
 「こんな勝ち方ちっとも嬉しくない、誇れはしない!これは僕の戦いだ、僕のプライドを証明する大事な戦いだったのにヨンイルが手加減したせいで台無しじゃないか!
 僕は傷付いたってかまわなかった、サムライや君やロンが傷付いた分、いやそれ以上の怪我を被っても全然かまわなかったんだ!もともとこれは僕の戦いだ、君とサムライがペアを組んで100人抜きを宣言したのは売春班をなくすため、僕とロンを取り戻したいがためだろう?僕だってもう売春班には戻りたくない、毎日毎日無理矢理男に犯されて気が狂いそうな日々に戻るのはごめんだ想像もしたくない!
 だけどだからこそ、いちばん傷付くのも戦うのも僕自身でなければいけなかったのに!!」
 みっともない、僕は何故レイジに子供じみた本音をぶつけている?レイジ相手に怒りをぶちまけている? 
 わかっている、頭ではわかっている。ヨンイルが全力で試合に挑めば僕には勝ち目がなかった、僕が勝利する望みなど少しもなかった。そして僕はヨンイルに殺されていた。僕が敗北すれば必然的に100人抜き達成不可能となりロンは売春班に逆戻り、レイジもまた売春班で客をとらされてサムライに至っては両手の腱を切られて死体処理の汚れ仕事に就かされる。
 僕以外の誰にも、僕の参戦は歓迎されなかった。
 僕はだれにも望まれない人間、だれの役にも立たない人間。だれかのために尽くせば尽くすほどに自分の愚かさとみじめさを露呈して自己嫌悪の深みに嵌まるしかない無能な人間だ。
 恵に必要とされたように、僕も、僕だってサムライに必要とされたかった。
 仲間に必要とされたかった。自分の存在意義を確かめて、自分の存在価値を示したかった。
 結局は、すべて徒労に終わってしまったが。
 最終的には恵に必要とされなくなったように、誰からも必要とされなくなって。
 「なにが天才だ、なにがIQ180だ。笑えレイジ、いつもみたいに騒がしい笑い声をあげて僕を馬鹿にしろ。僕はこんな醜態を晒したくてリングに上ったわけじゃない、こんな結果を望んでヨンイルの前に立ったわけじゃない!!僕は、」
 額に衝撃が炸裂。
 反射的に片手で額を庇い、当惑に目を見開く。僕の眼前で指を折り曲げ、してやったりとほくそ笑むレイジ。人さし指の先端で額を弾かれたのだと一呼吸遅れて気付いた僕は、鼻梁にずり落ちた眼鏡の位置を直すのも忘れ、子供っぽい悪戯をしたレイジに食ってかかる。
 「ひとが真剣に話してるときに幼稚な真似を、」
 「謙虚になれよ」
 は?
 目をしばたたき、じっとレイジを見つめる。毒気をぬかれたように自失した僕と向き合い、レイジは微笑を薄める。
 長く優雅な睫毛に飾られた双眸で輝くのは、冷徹に澄みきった硝子の透明度の瞳。
 「死ななかっただけ儲けもんだ。だろ?お前が納得いかねえのもわかるよ、悔しい気持ちも十分わかる。けどな、リングを一旦下りちまえば何を言おうが負け犬の遠吠えだ。この際だからはっきり言わせてもらうぜキーストア」
 喉を仰け反らせ、ゆっくり息を吸い、改めて僕を見る。
 「お前のプライド、くだらなさすぎだ」
 言葉を失った。あまりに唐突な言い草に、怒りもこみあげてこなかった。レイジは僕のプライドがくだらないと吐き捨てた。今まで僕を支えつづけてきたこのプライドが、僕が鍵屋崎直たる所以のプライドがくだらないものだと嘲笑したのだ。
 口元の笑みとは裏腹にレイジの目は据わっていた。
 油断すれば即座に喉笛を噛み千切る、相対した者に警戒を強いる物騒な笑顔。

 「せっかく生き残れたんだから喜べよ、笑えよ。
 感謝します神様僕を生き残らせてくれてありがとうって祈りのひとつでも捧げてみろよ。ヨンイルに殺されなくてよかったじゃねえか、俺もサムライもロンも大喜びだ。ダチを失わずに済んで大喜びだ。お前以外のだれもがお前の生還を祝して浮き足立ってるってのになに当の本人がシケたツラしてんだよ?
 お前が俺を振りきってずんずんリングに上がっちまった時はひやひやしたぜ、生きた心地がしなかった。もう二度とこっち側に帰ってこないんじゃねえかって焦りまくった。
 思い出せよキーストア、お前がペア戦に参加した本来の目的をさ。
 それはくだらないプライドを守るため、プライド守り通して格好良く死ぬためか?
 全力を賭してヨンイルと殺りあって満場のギャラリーが見守る中名誉の戦死を遂げるためか、真っ白に燃え尽きるためか?違うだろ、そうじゃねえだろ。お前はどんな手を使っても売春班から抜け出したくて、俺とサムライにゃ任せとけなくて自分からしゃしゃりでてきたんだろうが。弱肉強食の東京プリズンでしぶとくで生き残るために、したたかに生き延びるためにペア戦参加を決めたんだろ?
 なら結構じゃんか!お前自身が認めようが認めなかろうが、お前は道化に勝利したんだ。たとえその勝利に不満が残ろうが納得いかなかろうが知ったこっちゃねえよ、大事なのはお前が今こうして生き延びて俺と馬鹿話してる事実と現実だけだ」
 
 ぐいと僕に顔を近付けたレイジが、挑発的な光を宿した双眸で凄む。
 「それ以外は要らない。だろ?」
 「………僕にプライドは不要だというのか」
 「よくできました、お利口さん」
 肩の位置に両手を掲げ、レイジがしれっと言う。何か言い返そうとして、何も言葉でてこないことに愕然とする。僕はレイジの詭弁に圧倒されていた、矛盾だらけのレイジの持論に不覚にも納得させられてしまった。
 たしかに僕は、忘れていたと認めざるをえない。
 東京プリズンでなにより優先すべきはまず生き残ること、話はすべてそれからだ。
 プライドは二の次だ。
 たとえ不本意な勝利でも、納得のいかない試合結果でも、僕はヨンイルに殺されずに済んだことを感謝せねばならないのかもしれない。祈る神をもたない無神論者の僕が感謝すべき対象は、自らが持って生まれた幸運に他ならない。
 冷静さを取り戻した僕は心もち目を伏せ、自嘲の笑みを吐く。
 「……君の言い分も一理ある。東京プリズンではまずは生き残るのが先決だ。ヨンイルは僕を殺そうと思えばいつでも殺せたのにそれをせず、気まぐれに生かし続けた」
 西の囚人たちと和気藹々と談笑するヨンイルを眺め、呟く。
 「認めたくはないが、僕は道化の気まぐれで命拾いしたんだ」
 「パーフェクト。おまけに忠告、謙虚に現実と向き合わなきゃ大事なものを見落としちまうぜ」
 大事なもの。
 レイジの何気ない一言で反射的に脳裏に思い浮かべたのは懐かしい友人の顔。懐かしい?馬鹿な、彼と別れてからまだ数時間しか経ってないというのにもう恋しくなったのか? 
 動揺する僕のもとに不穏げなどよめきが届く。爆弾騒ぎが一件落着し、出口に殺到した観客が引き返し始めた地下停留場に縫って伝わってきたどよめきに不吉な胸騒ぎをおぼえる。
 ―「待て!!」―
 どこかで聞いた声が響く。
 ここにいない人物がここにいるかのような奇妙な錯覚。既視感。
 まさか。
 慎重に振り向いた僕の目に映ったのは、まさしくここにいないはずの友人の姿。地下停留場に通じる出口のひとつから、息を切らしてよろばいでてきた男は……サムライ。医務室のベッドで伏せってるはずの重傷患者で僕の友人。
 「僕は幻覚を見ているのか。馬鹿な、何故君がここに!?」
 何故ここにサムライがいる、太股を怪我して歩けないはずのサムライが!?おもわずサムライの太股に目をやればズボンに隠された患部に痛々しく血が滲んでいた。傷口が開いて出血している、無理をした証拠だ。まったくなんて男だ、あれほど心配するなと言ったのに、僕の帰りを大人しく寝て待っていろと言い聞かせたのに!
 我を忘れて駆け寄ろうとした僕を遮るように、脂汗にまみれた顔を毅然と上げ、眼光鋭くぐるりを睥睨し、サムライが宣言する。
 「次の試合にでるのは、俺だ」
 「な、に……?」
 自分が目にした光景が、耳にした台詞がにわかには信じられない。何故だ?何故こんなことになったんだ、サムライは僕を信用して、物分りよく大人ぶって送り出したはずじゃなかったのか?あれはすべて演技だったのか、僕を安心させて騙すための芝居だったのか?
 本当は自分こそが怪我を押して決勝戦にでるつもりで機を窺っていたのか?
 サムライは僕を信用してなかったというのか?
 「サムライ、君の視床下部には直径3センチほどの腫瘍がある疑いがある。即刻摘出手術をしろ、手遅れになる前に。いや、その分ではもう手遅れかもしれないが」
 「……まわりくどい言い方やめろ。言いたいことがあるならはっきりと」
 「頭がおかしいぞ君は、気でも違ったのか!!?」
 サムライの行く手に両腕を広げて立ち塞がり、怒鳴る。どうしてだ、どうして僕を騙した、僕を裏切った?何故そんな無茶をする、二度と歩けなくなるかもしれないのに。サムライは太股に重傷を負っている、医務室まで地下停留場まで歩いてきたせいで今また傷口が開いて出血が再開した、こんな最悪の体調で試合に臨むなんて自殺行為だ。
 しかも相手はホセだ。サムライに勝ち目はない。
 だから僕は叫ぶ、血を吐くように必死に。サムライを行かせてなるものかと。
 「サムライ、視線を落とせ。太股を見ろ。ズボンに血が滲んでいる、傷口が開いて出血が再開している、早く手当てしなければ危険だ。貧血を起こすぞ。今の君は体調が万全ではない、無理をすれば命に関わる。冗談で言ってるんじゃない、脅しでもない、ちらりと覗き見た医者のカルテに記載された所見をありのままに述べているだけだ。傷口から黴菌に感染して破傷風になったらどうする、医療設備もろくにない東京プリズンの不衛生な環境では八割の確率で命を落とすぞ」
 「知れたことを」
 「知っているなら医務室に戻れ、今すぐに!怪我人を試合にださせるわけにはいかない、それなら僕が出たほうがまだ」
 「お前を守ると誓ったからだ」
 まただ、またいつもとおなじ繰り言だ。サムライはいつもおなじことを言う、僕を苗と重ねて見ている。サムライは苗を守り通せなかったことを心中深く悔いている、だから僕を守り通すことで苗への贖罪を果たそうとしている。

 結局どこまでいっても僕は苗の身代わりにすぎなくて、
 サムライと対等な友人にはなれなくて。

 ―「何故、僕には守らせてくれない!?」―

 静まり返った地下停留場に、鈍い音が響く。 
 手中の木刀をおもいきり床に投げつけ、はげしく肩を上下させ、俯く。自分の足元めがけて投げ付けられた木刀を見下ろすサムライの目は哀しげだが、かといって引き返したりはしない。
 中腰に屈み、木刀を拾い上げ、困ったように眉を下げてこちらを見る。唇が動き、僕の名前を呼ぼうとして、やめる。
 僕だってサムライを守りたかった。生まれて初めてできた友人が傷付くところをこれ以上見たくない、それが僕の為だというならなおさら。
 首をうなだれた僕の背中に、場違いにのんびりした声が覆い被さる。
 「おとりこみ中恐縮ですが、吾輩のお相手は誰ですか」
 「俺だ」
 「おや?しかし君は足に怪我をしていますね。はたしてそのような状態で戦えるかどうか……」
 「関係ない。手の中に刀がありさえすれば俺は無敵だ」
 「それは自信過剰というものです」
 澄まし顔で黒縁眼鏡の弦に触れたホセが、袖の下に隠された自分の片腕を一瞥し、わざとらしくかぶりを振る。
 「実は当方も片腕を負傷しています。前回の試合でレイジくんにナイフで刺されたあとがまだ癒えておらず、じくじくと疼きます。吾輩ホセ、腐ってもボクサー。殴り合いで両腕が使えないのでは残念ながら実力の十分の一も発揮できません……が、君にも同じことが言える。君は片足を負傷している、一歩前に進むだけでも脂汗をかいて息を切らさねばならない様子からお察しするに本来動ける状態ではないのを気力で持ち応えているのでしょう」
 レイジ、僕、サムライの順に視線をおいたホセが金網越しに微笑む。
 「隠者」の二つ名の通り、真意の読めない不気味な笑顔。
 「ならばここは公平を期し、おたがい互角の条件で勝負に挑みませんか?吾輩も君もハンデなど気にせず、持てる力を最大限発揮できるに違いない名案があるのですが」
 「聞こうではないか」
 サムライが顎を引き、話を聞く体勢を整える。地下停留場に居合わせた観客の視線を独占したホセは、芝居がかった動作で片腕を掲げ、力一杯五指を握りこむ。
 上着の袖越しに上腕二頭筋が盛りあがり、筋肉の瘤ができる。
 そしてホセは、突拍子もない提案を口にした。
 「吾輩は片腕が使えない、君は片足が使えない。ならば話は簡単だ。自由に動く体の部位、無傷の片腕と片腕で決着をつければいい」
 黒縁眼鏡の分厚いレンズの奥に邪悪な思惑を宿し、ホセの双眸が細まる。
 「『Arm wrestling』でお相手いたしましょう」
 つまり腕相撲だ。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050815104234 | 編集
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