ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十二話

 免許証入れには娘の写真が入っている。
 もういない娘の。

 それを知っているのはごくわずかな人間だ。以前同僚のタジマにうっかり口を滑らし「娘がいたんだ」と過去形で語ってしまった。
 好奇心旺盛といえば聞こえはいいが、実態は他人のプラバシーを土足で踏み荒らすのが趣味の破廉恥漢は、彼が免許証入れに亡き娘の写真を入れていると知るや再三「見せろ」と要求した。図々しく迫られ断りきれず、半ば押し切られる形で写真を見せた彼は即座に後悔した。写真を一瞥したタジマの目が好色そうに輝いたのを見逃さなかったからだ。
 タジマの感想は、「あと十年経てばさぞかし気が強え踏まれ甲斐のある女王様になったろうに、惜しいなあ」だった。
 感慨深げにため息つくタジマの手から免許証入れを奪い取った彼は、二度と娘の写真をこいつに見せるものかと誓った。大切な思い出が汚されるのはごめんだ。
 東京プリズンに来てからの日々は一見穏やかに過ぎた。
 宿舎に居を移した彼は、夫婦仲の冷え切った妻と距離をおいたことで自分を冷静に眺めることができた。夫婦の問題が解決に至るには長い長い、それこそ気の遠くなるほど長い時間を要するとわかっていたが、彼は地道にやり直してゆくつもりだった。リカがいた頃のように笑い声の絶えない家庭をまた取り戻したいと儚い夢を見ているわけではない。
 テロに巻きこまれて死んだリカはもう戻ってこない。
 従って、なにもかも完全に元通りになるのは不可能だ。
 現実は非情だ。リカの死からもう五年が経過したなど信じられない。自分だけが時の経過から取り残されたように心が麻痺している。いや、心の一部が壊死しているのかもしれない。リカがいた頃はあんなに毎日が楽しかったのに、今ではなにをしても味けなくつまらない。
 当初、妻が待つ家には週末だけ帰ることにした。しかし宿舎に移って一ヶ月二ヶ月が経つにつれ、次第に帰宅の間隔が空くようになった。最初の頃は多少無理をしてでも必ず週末に帰っていたのがやがて二周間に一回になり三週間に一回になり、今では一ヶ月に一回の頻度にまで減ってしまった。
 原因は自分にあり、妻にもある。
 リカが死んでから夫婦の心はすっかり離れてしまった。リカがいない現実を直視できない自分は酒に溺れて妻に暴力を振るい、リカの不在に精神の均衡を崩した妻は生きる気力を喪失して自殺未遂をはかった。発見が早かった為幸い一命はとりとめたが、以来妻は家事を放棄して酒に溺れるようになり、リカの死の責任は彼にあると口汚く罵るようになった。
 彼は無言で妻の弾劾に耐えた。反論も反抗も一切しなかった。
 『お母さんと仲良くね、お父さん』
 だが、自分がそばにいたらよりいっそう妻を傷付けるだけだと気付いたのだ。
 自分がそばにいれば妻は必然三人でいた頃を思い出してしまう、リカがいた頃の幸福な記憶を反芻してやりきれない思いに苛まれる。それは自分もおなじだった。妻の顔を見るたび妻とよく似た面差しの娘のことを思い出して胃が鉛のように重くなる。リカは父親にも母親にも似ていた。容姿は母親に似ていたが、世話好きな性格はむしろ父親に似ていた。リカの中では両親から受け継いだ資質が絶妙に調和して、だから夫婦ふたりでいるとお互いの中にリカを投影し、お互いの中にリカをさがし、リカがいない現実をくりかえし突きつけられるのだ。
 それが辛くて、逃げるように妻から距離をおいた。
 自分は卑怯者だ。卑劣な夫だ。今では月末に様子を見に帰るだけの疎遠な関係になってしまった。精神に変調をきたした妻は日に日にアルコール量が増えて不眠症に悩まされるようになった。せめてもの罪滅ぼしに、悪夢とは無縁の安息の眠りを与えたくて、彼は妻のためによく効く睡眠薬をさがした。市販の睡眠薬はもう効かなくなっていたから、ドラッグストアの通称で刑務所内に薬を流通させる囚人に直接交渉した。
 刑務所内でも、需要と供給が成立するなら囚人の商売は黙認される。
 ドラッグストアの通称で薬を売買していたのは、ちびでやせっぽちの赤毛の少年だった。彼はたびたびその少年から睡眠薬を買うようになった。ドラッグストアは快く薬を卸してくれた。ラッシーなどと変なあだ名をつけられたのには当惑したが、客寄せの見せかけとはいえ、あの無邪気さは嫌いではなかった。
 どんなルートで薬を入手しているかは謎だが、たしかにドラッグストアの睡眠薬は効き目があった。今では妻が心配で様子を見に行ってるのか、睡眠薬を渡しに月一回帰宅しているのかわからなくなるほどだ。
 妻は間違いなく、後者を重視しているが。
 無意識にズボンの尻ポケットに手をやる。ここに免許証入れが入ってる、免許証入れには娘の写真が入っている。五年も前に死んだ娘の写真を後生大事に持ち歩いてる自分は女々しいだろうか。いや、そんなことはないとかぶりを振って否定する。自分に残されたのはリカの思い出と写真だけだ。ならば写真くらい、いつでも肌身はなさず持ち歩いてかまわないではないか。 
 心の中で言い訳がましく呟きながら、何かに急き立てられるように足を早める。
 リカはいない。もういない。だが、リカを殺した人間はのうのうと生きている。
 こともあろうに、この東京プリズンで。
 皮肉な偶然か運命の悪戯か、彼はつい先日それを知ってしまった。同僚のタジマが囚人の個人情報を無断で閲覧してるのを咎めたら、偶然目に入ってしまったのだ。
 あの時の光景は鮮明に覚えている。液晶画面に開かれた窓で笑っていたのは、黒いゴーグルをかけた短髪の少年。そして少年の履歴には、確かにあの事件が、あの忌まわしいテロ事件のことが記述されていた。
 首謀者ではない。実行犯でもない。だがあいつは、あの少年こそがリカをばらばらの肉片にして木端微塵に吹き飛ばした爆弾の製作者だった。いや、リカだけではない。テロの巻き添えになって死んだ二千人の犠牲者、すべてが彼に殺されたようなものだ。  
 朝鮮・韓国併合に異を唱え、韓国独立を掲げて活動する革命組織の一員にして爆弾作りの天才。
 当時わずか11歳の少年が逮捕されるまでに作った爆弾は、現在確認されているだけで五百個を超える。 組織のテロに使用された爆弾の殆どが少年とその祖父の手で制作されたものであり、従来の爆弾よりコンパクトでありながら、従来の爆弾をはるかに凌ぐ殺傷力を持ち得る特殊な設計を施されていた。
 間接的に二千人を殺した爆弾作りの天才。
 にも拘わらず液晶画面の中で、リカの命を奪ったテロリストは飄々と笑っていた。
 尖った八重歯が覗かせた活発な笑顔。
 「…………っ、」
 許せない。
 あいつが、あのガキがリカを殺した。俺の家庭をめちゃくちゃにした。リカの将来を奪っておいて、妻の希望を奪っておいて、俺の人生を奪っておいて、何故良心の呵責なく笑える?あんなさっぱりした顔で笑うことができる?リカはもう二度と笑えない。リカの笑顔は写真の中に封印されて思い出とともに色褪せるばかりで俺にはどうすることもできないのに。
 激烈な憎悪が冷徹な殺意へと固まるのにそれほど時間はかからなかった。 
 囚人の個人情報管理ファイルにアクセスして調べたところ、例の少年は西棟にいるらしい。ブラックワーク一班、ということは強制労働免除特権があり、一般の囚人が出払ってる昼間の時間帯には房にいるはず。 彼は今、中央と西を結ぶ渡り廊下を足早に歩いていた。
 もうすぐ西棟に辿りつく。西棟にはあいつがいる。パソコンに表示された写真で初めて顔を知ったリカの仇、俺の家庭を壊した元凶。房の場所は事前に調べてある。あとは訪ねるだけだ。
 鉄扉を叩いて、内側から開くのを待って、それで…… 
 「!」
 その時だ。
 偶然、廊下の前を行く背中が目に入った。慌てて振りかえれば、とっくに渡り廊下の終点に到達していた。自分はもう西棟にいる、後戻りはできない。ごくりと生唾を嚥下し、緊張の面持ちで歩き出した彼と、前方の少年との距離がぐんぐん縮まる。
 こんな時間に棟に居残ってるなんて珍しい。あの少年もまたブラックワーク勤務か?一班か二班か三班か、後ろ姿だけでは確証を持てずに想像を巡らすしかない。図書室から本を借りた帰りだろうか、夢中で漫画を読み耽っていてすぐ背後に接近した彼にも気付かない。
 本を読みながら歩いていて転ばないのだろうかと心配になり、彼は注意しようとした。
 「おい」
 本読みながら歩くなよ、転んでも知らねえぞ。
 そう一声かけてやるつもりだったのに、振り向いた少年を見た途端、硬直した。
 針のように立たせた短髪、両目をすっぱり覆った黒いゴーグル。訝しげに眉をひそめたその少年は、胸に庇うように漫画を抱いていた。
 リカも好きだった、手塚治虫の漫画。
 悪い冗談。
 「なんやあんさん、この漫画は俺が先に借りたんやで!?今からよこせ言われてもそうは問屋がおろさへん、そんなに読みたいんやったら腕づく力づくで西の道化もとい図書室のヌシから奪ってみたらどや!」
 やかましい関西弁でまくしたてる少年の正面で、彼は放心したように立ち竦んでいた。
 何故お前が手塚治虫を?
 リカが好きだった手塚治虫を?
 少年が胸に庇っているのはリカも好きだった手塚治虫の漫画。ブラックジャック。そうだリカはブラックジャックが好きだと言っていた、あれは五年前、五年も前のことだ……漫画の主人公に本気で惚れていたリカも五年も経てば恋をして彼氏を見つけて、そして何年後かには幸せな結婚をしていたはずなのに。 
 愕然と立ち竦んだ彼に溜飲をさげたか、何事もなかったように再び少年が歩き出す。手の中で漫画を開き、夢中で読み耽る無防備な横顔に、心の奥底の悪意が蠢く。
 悪意は憎悪へと燃え上がり、彼の視界は憤怒で真っ赤に染まる。
 こいつがリカを殺したんだ。俺の家庭をめちゃくちゃにしたんだ。少年の背中に大股に歩み寄り、体の脇でこぶしを握りしめる。こいつは何も気付いてない。今ならこいつを殺せる、だれにも、こいつ自身にも気付かれることなく殺せる。幸い周囲に人けはない、目撃者もいない。
 少年が歩く先には階段があった。
 不吉な階段。
 おそらくこの階段を下りて房へと戻るのだろう。思えばここで少年と出会えたのは僥倖だった。階段にさしかかった瞬間に背中を突き飛ばせば、事故に見せかけてこいつを殺すことができる。打ち所が悪ければ即死だ。仮に息があっても、俺がとどめを刺せばいいだけのことだ。大丈夫、できるさ。リカを殺した憎い仇だ、自分の手で娘の仇をとる機会が巡ってきたことにむしろ感謝しなければ。
 少年が一歩、また一歩と緩慢な足取りで階段に近付くごとに、ぴったり背後につけた彼の心臓も跳ねあがる。呼吸を押し殺し、早鐘の鼓動に駆り立てられるように足を速め、慎重に少年との距離を縮める。
 さあ、もう少しだ。もう少しで階段だ。
 すっと両手をかざし、いつでも少年の背中を突き飛ばせるよう準備する。だが、いざとなると決心がつかない。指が震えて、手首が固まって言うことを聞かない。
 情けない、しっかりしろ。リカの仇をとるんだろー……?
 
 その時だ。
 彼の目に、思いも寄らない光景が映ったのは。
 少年が笑ったのだ。
 いつだったか、タジマに見せられた写真とそっくりおなじ快活な表情で。
 尖った八重歯を覗かせた活発な笑顔。
 少年はすぐ背後に忍び寄った彼にも気付かず漫画に没頭しながら、心の底から楽しげな笑みを浮かべていた。漫画に没入するあまり周囲の光景など何ひとつ目に入らず、声を殺して笑っていた。
 おかしげにおかしげに、この上なくおかしげに。
 
 リカ。
 こいつは笑っているぞ。
 お前を殺しておきながら、お前の好きな漫画を読んで笑っているぞ?

 迷いは完全に吹っ切れた。つまらない逡巡など捨てた。
 殺意の衝動に突き動かされた彼は、片足が階段にかかったタイミングでおもいきり少年の背中を押していた。
 「!?なっ、」
 バランスを崩した少年の体が大きく傾ぎ、宙へと放り出される。少年の手から落下した漫画が、踊り場の床に叩き付けられ、ページがばさばさと音たててめくれる。彼は両手を突っ張ったまま、達成感も何もなく、呆けたように宙を落ちゆく少年の背中を眺めていた。手にはたしかに、少年の背中を突いた生々しい感触が残っていた。少年の悲鳴が耳にこびりついていた。 
 ああ。これで俺も人殺しか。
 だがしかし、思わぬことが起きた。
 彼が自分がしたことの恐ろしさに立ち竦んだ視線の先で、階段の最上段から転げ落ちたかに見えた少年が、膝を抱え込むような体勢であざやかに空中で一回転。空中で素早く体勢を立て直すや、踊り場の床に着地する。
 失敗した?……待てよ。
 全く不意をつかれて最上段から突き落とされたにも拘わらず、宙で一回転を決めて踊り場の床に着地した少年だがどうも様子がおかしい。着地の衝撃で足を痛めたのか、右足首を両手で庇って低く低く苦鳴をもらしている。
 階段の頂上から、踊り場にうずくまった少年をじっと見下ろす。
 額におびただしい脂汗をかき、ゴーグル奥の目を激痛に細め、苦鳴を噛み殺すように唇を噛んだ少年がこちらを見上げている。少年はどこまでも正確に自分が突き落とされたことを理解していた。だが何故突き落とされたのかわからず、心許なく困惑めいた表情で、説明を乞うように彼を仰いでいる。
 その眼差しに誘われるように、一段一段、階段を下りる。
 体が自然に動いた。手足が自分の物じゃないみたいだった。俺はなにをしてるんだ、なにをしようとしてるんだ?泡沫のように弾けて消える素朴な疑問。しかし足は止まらない、最後の段をおりて踊り場に立った彼は、足首を抱えて悶絶する少年とふたたび対峙する。
 「……あんた、俺の言うこと真に受けたんかい。力づくで手塚奪おうとした根性は立派やけど、ちィと大人げないんとちゃう?痛っ、あーもう足首イッてもうた……こんなんじゃ週末の試合出られるかわからん」
 少年の言葉に目をやれば、ズボンの裾から覗いた足首はたしかに痛々しく腫れていた。熱をもって疼きだす足首を両手で押さえ、背中を丸めこんだ少年の表情を観察する。
 脂汗でしっとりぬれた額、しかめた眉、想像を絶する激痛に襲われて無力に身悶えるしかない姿。
 今なら殺せる。
 リカの仇がとれる。
 「…………」
 少年の方へと手をのばし、一瞬躊躇する。だが再び決心し、手荒くゴーグルを押し上げる。ゴーグルを押し上げたことにとくに意味はない、タジマに見せられた写真でも少年はゴーグルをかけて素顔を隠していた。今なら素顔を暴けるという抗いがたい誘惑にかられて自然に手が動いた、というのが本当のところだ。
 ゴーグルの下から露出したのは、少年のあどけなさと青年の精悍さとを均等に宿した顔。
 外気に晒された双眸が極限まで細められているのは、今にも意識が飛びそうな足首の激痛を堪えているからだろう。顔に顔を近付け、少年の目に浮かぶ色を正確に汲み取る。苦痛、当惑、動揺、疑問……それらが混沌とまじり合い朦朧と濁った色。
 「痛いか?」
 少年の頬に片手をあて、無理矢理顔を起こさせ、聞く。少年は「アホか、あたりまえやろ」と強気に毒づくが、その額にはおびただしい脂汗が滲み、首をうなだれたかと思えば仰け反らせる動作の反復からは足首の激痛に翻弄されてることが窺えた。 
 今ならこいつを殺せる。
 心の中でだれかが囁く。殺してしまえ、と。それを寸前で思いとどまらせたのは、今ここで少年を殺しても、リカが味わった苦痛や無念には到底及ばないという躊躇。   

 今ここでこいつを殺しても、俺の気は済まない。
 復讐は今じゃなくてもできる。じきにきっと、機会が巡ってくるはず。
 
 今この場で少年を絞め殺したい衝動を自制し、少年の肩を乱暴に突き放す。
 「!?っあう、あ、ぐっう」
 その衝撃で後ろによろけた少年が尻餅をつけば、震動が足首に響いたのかみっともない悲鳴をあげる。目尻にうっすらと涙さえ浮かべて七転八倒する少年の姿に溜飲がさがる心地がしたが、ひとりで歩けない人間を放っとくわけにもいかない。偽善だと言われようが、今自分の正体を知られるのは得策ではない。
 復讐は完遂するまで勘付かれてはならない、絶対に。
 「悪い、手が滑ったんだ。大丈夫か?どれ、見せてみろ。こいつあ捻挫だな……ひとりじゃ歩けないだろ、医務室に運んでやる」
 階段から突き落としたことを適当に言い訳し、少年に肩を貸して立ちあがらせる。そのまま不恰好な二人三脚で歩き出そうとして、ぐったりと自分の肩に凭れた少年の顔を覗きこむ。
 「もう少しだから、保てよ」
 保ってもらわなければ困る。お前を殺すのは、俺だ。
 中腰に屈んだ姿勢から手塚治虫の本を拾い上げ、丁寧な手つきで埃を叩き落とし、有無を言わせず少年の胸に押しつける。気だるげに瞼を持ち上げてこちらを仰いだ少年が、彼から漫画を受け取り、おそらく無意識に呟いた。
 「……………おおきに」
 どういたしまして。人殺し。 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050907100950 | 編集
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