ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十四話

 硬質なノックが響く。
 リュウホウを中心にした少年たちが一斉に振り向く。タイルの床を踏んでトイレへと足を踏み入れ、後ろ手にドアを閉める。完全には閉めない。万一の場合に備えてつま先半歩分の隙間を残すのを忘れない。単身密室に乗りこんで我が身を危険に曝すような愚は避けたいからだ。
 「なんだあ、お前は?」
 中のひとり、リュウホウの背中を蹴っていた汚れた金髪の少年が目を眇める。巻き舌の恫喝を無視し、トイレの中央へと進み出た僕の四肢にその場の全員の視線が粘着質に絡みつく。一挙手一投足を監視される居心地の悪さにも増して僕の動悸を上昇させたのは、便器に顔を突っ込んだまま微動だにしないリュウホウの姿だった。
 「君たちは愚鈍だな」
 等間隔に蛇口が並んだ洗面台を背にした僕は、眼鏡のブリッジを中指で押し上げて位置を正し、トイレに居合わせた少年たちの顔を順番に見つめる。
 「トイレを訪ねるのに用を足す以外の目的があるか?ないだろう。そんな人間の生理上当たり前の常識も知らないなんて、君たちの前頭葉はどこまで退化してるんだ?そんな役に立たない前頭葉は手術で除去するのを勧める、君たち凡人のピンク色の脳細胞でも標本としての価値なら幾らかあるだろう」
 喉にわだかまる鬱屈した感情が僕の口調を異常に早め、それに比例して少年たちの顔が険悪になる。中の一人、集団の代表格らしい大柄な少年がリュウホウの前髪を乱暴に突き放してこちらへと歩み寄ってくる。
 「どこのどいつだか知らねえがお楽しみの最中に水をさしてくれたじゃねえか」
 タイルの床を蹴るように近づいてきた少年がおもむろに腕を振り上げ、無造作に僕の襟首を鷲掴む。憤怒で朱に染まった少年の顔を正面から見返し、洗面台に凭れた僕はうんざりとかぶりを振る。
 「誤解してもらっては困る。トイレは排泄するための場所だぞ、その場所でそれ以外の行為に及んでる君たちこそどうかしてるんじゃないか?ああ、それとも……」
 僕より遥かに上背のある少年の顔を挑発的に目を細めて見上げ、意識して唇の端をつりあげる。
 「発情期の猿にも劣る羞恥心しか持ち合わせてない君たちはさかるのに時と場所を選ばないのか?本能の赴くまま、性的衝動の赴くままに同性をレイプするのが猿にも劣る君たちの習性なのか?」
 「なっ……、」
 怒りに絶句した少年を冷ややかに見返し、とどめの一言を放つ。
 「自分の容姿が原因で『外』の異性に相手にされなかったからと言って、その鬱憤をここで晴らすのはよせ。傍目にも非常に見苦しい」
 僕の襟首を掴んだ手がわなわなと震えている。僕と対峙した少年の後ろに控えた囚人たちも、得体の知れない闖入者にお楽しみを妨害されて不機嫌も絶頂という顔をしている。肌を刺すような非友好的な視線に取り巻かれた僕は表情でこそ普段どおりの平常心を取り繕っていたが、その実必死に頭を働かせていた。
 相手は四人、こちらは一人。リュウホウは当然戦力から除外するとして、僕一人で彼らと争ってもまったく勝ち目はない。
 彼らより僕が勝っているものといえばただ一つ……。
 「…………」
 無意識に頭に手をやった僕の襟首が、驚異的な力で締め上げられる。僕の顔面に生臭い息を吐きかけながら、正面の少年が吠える。
 「俺らのお楽しみを邪魔してくれた代償は高くつくぜ」
 「ーっ、」
 どんと突き飛ばされ、半弧を描いてせり出した洗面台の縁で背中を打ち、腰骨から背骨まで震動が伝わってくる。洗面台を背にして追いつめられた僕は、少年たちの死角になるよう計算して背後へとまわした手をゆっくりと蛇口へと伸ばす。本来効き手ではない左手で蛇口を掴んだ僕の脇腹に無遠慮な手が触れる。本能的な危機感に駆られて顔をあげると、目の前に少年の顔があった。
 「なあ、わざわざコトをおっぱじめてる最中にトイレにとびこんできたってことはさ、そいつも俺たちの遊びに混ぜてほしかったんじゃねえか?」
 「そうだ、そうに決まってる」
 「大歓迎だぜ俺は」
 頭上を飛び交うのは喧しい揶揄と悪意の波動を孕んだ嘲笑。半円の陣を敷いた少年たちが追いつめられた獲物をなぶるように緩慢な足取りで間合いを詰め、僕の襟首を掴んだ少年がもう片方の手を脇腹に沿って下降させる。囚人服の生地越しでも脇腹をまさぐる無遠慮な手の感触は無視できず、あまりの気色悪さに声が漏れかけるのを唇を引き結んで防ぐ。僕の腰骨の上をまさぐっていた手が焦らすように脇を移動してやがて囚人服の内へともぐりこむ。許可も得ずに裾の内側ともぐりこんだ手が貪欲に蠢いているさまを見下ろし、その手をはたき落としたくなる衝動をかろうじて制し、きっとリュウホウに向き直る。
 「!」
 タイルの床にうつぶせたリュウホウが肘で這って緩慢に移動する。アメーバのように鈍重な動きで、それでも着実にトイレの出口めざして進み始めたリュウホウを目の端で確認し、正面の少年へと視線を戻す。
 蛇口を掴んだ手が焦慮に汗ばむのがわかる。
 僕を取り囲んだ少年たちの息は浅く弾み、充血した目にはこれから起こる行為に対する露骨なまでの期待の色があった。異常なまでに興奮した少年たちの手がいつ体へと伸びてくるか気が気ではない。異常な興奮状態にある少年たちの中でも最も行為に夢中になっているのは、僕の反応などおかまいなしで一方的な愛撫を続けている代表格の少年だ。
 垢や砂などの汚物の溜まった不潔な爪で肌をひっかかれ鮮明な痛みが生じる。快感を与えるよりはむしろ苦痛を与えるのを目的にしてるかのような容赦ない愛撫に、僕の自制心もそろそろ限界に達する。
 腰骨の起伏を揉みほぐす手から逃れるように洗面台の縁に沿って半歩移動、蛇口に添えた左手に力をこめる。
 「逃げるなよ、気持ちよくしてやるから―」
 「さ」の形に固定された少年の口、及びその顔面を大量の水飛沫が叩く。
 後ろ手に捻った蛇口から勢いよく迸りでたのは苛烈な水流。全開にした蛇口から噴出した水は正面の少年だけではなく周囲の仲間たちにも大量に降り注ぎ囚人服をどす黒く染めかえてゆく。
 水流の弧の下をくぐり抜け、全速力でトイレの出口へと退去した僕の耳に聞こえる複数の足音。水圧に翻弄され、恐慌状態に陥った少年らの怒号とタイルの床を叩く水音を聞きつけた物見高い野次馬たちが、わざわざ通路を変更して「なんだ」「なんだ」とトイレに殺到する。トイレのドア越しに中を覗き見る囚人たちに紛れ無事廊下へと脱した僕は、少年たちの怒号が追いかけてこない距離にまでもつれる足を叱咤して走り抜ける。
 コンクリート打ち放しの無機質な廊下を走っていると前方にエレベーターの両扉が見えてきた。今まさに閉まろうとしている扉の隙間に滑りこんだ僕の背に、「待ちやがれ、殺してやる!」という芸のない悪態が叩きつけられる。少年たちが追ってきたのかと憂慮したが折よくドアが閉じ、地下の喧騒が遮断される。
 エレベーターがすべるように上昇を開始する。
 蜂の羽音に似たエレベーターの稼働音を聞きながら、安堵で全身を弛緩させて背後の扉に凭れる。上手くいってよかった。いや、上手くいって当たり前だ。天才の計算に1ミリたりとも狂いや誤差が生じるわけがない。蛇口の水が直撃する距離にまで少年たちを誘導するのは骨が折れたが……。
 そこまで考えてふと顔を上げる。エレベーターの内部に人の気配がした。
 顎を伝う水滴を拭い、エレベーターの隅に目をやる。
 僕の対角線上、こちらに背を向けて震えているのはリュウホウだった。逃げるのに必死でズボンをたくしあげる暇もなかったのだろうか、下着を身につけるだけで精一杯だったらしく、ブリーフで覆われた貧相な臀部をこちらに向けていた。
 本来純白のはずのブリーフに点々と血痕が散っているのを目撃し、見てはいけないものを見た気分で顔を背ける。
 重苦しい沈黙がたちこめた電動の棺の中に、やがて響き始めたのは悲痛な啜り泣き。エレベーターの隅に胎児の姿勢で身を縮こめたリュウホウが、膝に食いこむほど強く爪を立てて嗚咽をこぼしている。
 僕は口を開き、また閉じた。何を言おうとしたのか自分でもわからない。間抜けな話だが、何て声をかけようとしたのか自分でも本当にわからないのだ。励まし?慰め?叱責?そのどれとも違う、胸苦しいまでに奔騰した感情が喉までこみあげてくる。
 
 一過性の慰めや生温い励まし。そんな無意味な言葉の羅列が何の役に立つ?
 「がんばれ」「負けるな」「だいじょうぶか」。
 手垢にまみれた叱咤激励の台詞、親身になったフリ。
 そんな偽善的な応酬でだれが救われるんだ?だれも救えやしない。
 僕が言葉をかけたところでリュウホウのみじめな境遇には変わりはないし、同じジープの荷台に揺られて東京プリズンにやってきた僕らの暗澹たる未来予測は覆らない。リュウホウだって充分すぎるほどにわかっているだろう。弱い者は徹底的に虐げられ搾取されるのが東京プリズンの鉄の掟なのだ。ピラミッドの最底辺に位置するリュウホウは、腕力でも能力でも自分に勝算がないことを自覚している。
 自覚しているが故に、なにもかもを諦念して受け入れざるをえないのだ。
 それがたとえ自分の意志に叶っていなくても、懲役が無事終了するまで東京プリズンで生き残りたいなら掟に従うしかないのだ。

 屈辱、羞恥、苦痛、悲哀、晦渋。
 それらが渾然一体となった感情に支配されて打ち震えるしかないリュウホウにいたたまれない気持ちになり、神経質に折りたたまれた手ぬぐいを取り出す。  
 「リュウホウ」
 エレベーターの隅で膝を抱えていたリュウホウがびくりと反応する。糞便と鼻水と涙で汚れた顔をあげたリュウホウめがけ、手中の手ぬぐいを放る。エレベーターの天井を舞った手ぬぐいは楕円の弧を描いてリュウホウの手元へと落ちた。
 「泣くな」
 不機嫌な口調で釘をさす。所在なさげに手中の手ぬぐいを見下ろしているリュウホウから顔を背け、続ける。
 「僕がいちばん嫌いな雑音は人の泣き声だ。だから泣くな」
 虚をつかれたような表情で僕を仰いでいたリュウホウの顔が悲哀に歪み、やがて泣き崩れる。目尻から滴り落ちた涙が手ぬぐいへと染みてゆくさまを眺め、僕は早口で付け足す。
 「房に帰ったらよく顔を洗え。刑務所の便器なんてどんな菌が付着してるかわからないからな、顔の傷口から感染したら大変だ」
 何故だか口調が言い訳がましくなった。
 ひどくばつの悪い思いを味わってだまりこんだ僕をよそに、不器用な手つきでタオルを広げ顔を拭いだすリュウホウ。サムライから借りた手ぬぐいだが、場合が場合だし今は仕方ない。後日リュウホウの房を訪ねて綺麗に洗ったものを返してもらえばいいだろう。
 チン、と軽やかな鈴の音が響き、エレベーターが停止する。
 一階に到着したエレベーターから廊下へと足を踏み出した僕と入れ違いに、数人の囚人が乗りこんでくる。別の階に房があるリュウホウはエレベーターの中に留まったまま、無言で僕を見送っていたが、僕が背を向ける間際に喘ぐように口を開く。  「あ……」
 「『あ』?」
 おもわず聞きかえした僕の視線の先で、手ぬぐいを握り締めたリュウホウが気恥ずかしげに俯く。
 「ありがと、」
 『う』と同時にエレベーターの扉が閉まった。
 エレベーターが上階へと去ってゆくのを見送り、その場から踵を返す。別に礼を言われるようなことをしたつもりはない。僕はリュウホウの友人でもなんでもないのだから勘違いしないでほしい。
 ただ、泣き声を聞いていたくなかっただけだ。
 今の気持ちを説明する適当な言葉が見つからない。今の心理状態を形容するのに相応しい言葉が見つからない。当惑した僕がとるべき行動は一つだ。
 房に戻ろう。
 すれ違う囚人になど委細注意を払わず、無気力な足取りで帰路を辿る。サムライはもう帰っているだろうか?今の心理状態を引きずったまま妙に勘の鋭いサムライと顔を合わせるのは抵抗があったが、他に帰る場所も行くところもない。結局僕は房に戻るしかないのだ。
 おそらく娯楽室か中庭にでも向かうのだろう囚人の群れに逆行し、ひとり黙々と歩いていると、ふいに声がかかる。
 「よー、キーストア」
 声がした方角に向き直る。
 ポケットに指をひっかけて房の鉄扉に凭れているのはレイジだ。明るい茶髪を襟足で括った髪形が軽薄な外見をより際立たせている。
 「どうしたの、暗い顔して。サムライと痴話喧嘩続行中?」
 「……ここが君の房か?」
 「まあね」
 自分が凭れている扉を振り返り、レイジが笑う。外見は非の打ち所がないのに、その性格面はといえば精神科医が手におえないほど屈折している。この男もサムライと同様興味深い観察対象には違いないが、正直、僕は疲れていた。著しく消耗した今の状態で、この何を考えてるのかよくわからない男の主体性のない会話に付き合わされるのはごめんだった。
 レイジの前を素通りしようとした僕は、瞬間、リョウの言葉を思い出す。
 『期限はあと四日。四日後までにレイジの弱点を掴んできて』
 ………まったく、どうかしてる。
 「レイジ」
 レイジの正面で足を止め、単刀直入に聞く。
 「君の弱点はなんだ?」
 「あん?」
 余計な手間を省いて端的に質問したつもりだが、凡人の域を脱してないレイジには真意が伝わりにくかったようだ。不審げに腕組みしたレイジと対峙した僕は、幼児に1+1の解を噛み含める要領で辛抱強く繰り返す。
 「君の弱点はなんだと聞いている。端的に、かつ早急に答えてくれ」
 今だ釈然としない表情でだまりこんでいたレイジの顔に悪戯っぽい笑みが浮上する。
 「俺の弱点なんて決まってるっしょ」
 「なんだそれは?」
 「美人のおねーさまと年下のカワイコちゃん、早い話が女性全般と俺好みの男の一部」
 「……君は何歳から何歳までを美人と定義してるんだ?それ以上の年齢層も含めなければ『女性全般』とは断言できないだろう」
 「何言ってんだ、俺は博愛主義者だぜ?愛さえあれば年の差なんて関係ねーよ」    会話が噛み合ってない。
 整合性のない会話に脱力感をおぼえながら、それでも僕は義務的に繰り返す。
 「君の弱点は異性なのか?そんな抽象的なものが弱点で本当にいいのか?」
 詰問口調でレイジに確認をとったが本人は至って泰然自若としたもので、風に吹かれるように涼しげな顔をしている。
 「キーストア、お前だれにもの言ってんの?俺は素敵に無敵なレイジ様だぜ。俺の弱点は女、だけど東京プリズンに女はいない、だから俺は怖いもんなしってわけ。アンダスタン?」
 「君の英語の発音は最低だな、正確にはunderstandだ。アクセントはuにつけろ」
 「仕方ないじゃん、俺フィリピン生まれだし」
 「フィリピンは英語圏のはずだが?」
 「こまかいこと気にすんな。それともなにか、神経質キャラが売りなのか、眼鏡くんは」
 よほど今の台詞が面白かったと見えて、腹を抱えて笑い出すレイジ。どこに笑える要素があったのか僕にはさっぱり理解できない。周囲の囚人がぎょっとするほどの大声で爆笑するレイジからやや離れ、うんざり気味に続ける。
 「たしかに異性が唯一にして最大の弱点なら、今の君は無敵だろうな」
 「いや、そうでもねえぜ?」
 自分で自分の発言を覆すかのような矛盾ある言葉に僕は眉をひそめる。目尻に浮いた涙を人さし指ですくって笑いおさめたレイジは、形よい口元を笑みの余韻で痙攣させて言葉を紡ぐ。
 「今思い出した。たしかに俺の弱点は女だけどさ、可愛い奴なら男でも女でも関係ねえってのが本音だし。その線でいけば俺の弱味ってロンになるわけよ、いまんとこ」
 「ロンが?」
 「そう。アイツかわいーじゃん」
 同意を求められ、どうしたものかと逡巡する。生憎と僕は同性をかわいいと褒めたたえる特殊な感性を持ち合わせてない。もとより僕の感想には興味がなかったらしく、レイジが小首を傾げる。
 「でもさ、なんだっていきなりんなピンポイントなこと聞くわけ?」
 「ただの好奇心だ。他意はない」
 納得したのかしてないのか、レイジは「ふ~ん」と気のない返事をしただけだ。腕組みをして扉にもたれたレイジが探るような目で僕を眺め、居心地の悪さのあまり回れ右したくなるのをこらえて踏みとどまった僕は、次の言葉にぎくりとする。
 「俺は誰かのスパイかと思ったよ」
 反射的にレイジを仰ぐ。レイジは薄く笑みを浮かべていた。人の心の奥底を覗きこむように酷薄な半月の笑みだ。眼鏡のブリッジを押し上げるフリで動揺を糊塗した僕は、バスの中から抱いていた疑問を直接レイジにぶつけてみる。
 「レイジ、もうひとつ君に聞きたいことがあるんだが」
 「どうぞ」
 下唇を湿らし、声を厳粛に改め、核心に触れる。
 「ブラックワークとはなんだ?」
 レイジの顔色に特に変化はなかった。
 ただ、意外な人物の口から意外な言葉を聞いたとでもいう風に器用に片眉をはねあげてみせただけだ。顔の表面に笑みを貼りつけたレイジが体をずらして僕の顔を覗きこみ、挑発的に口角をつりあげる。
 「キーストアは知らなかったんだ?まあ無理ねえか、まだ入所して一週間もたってねえし。部署違いの新人の中には知らない奴もいるよな、トーゼン」
 嘲笑うかのような口調に反発を煽られるが、低脳の挑発に乗って取り乱すのは愚の骨頂だ。僕が知らないことを自分は熟知しているという、その一点のみで優位に立ったレイジに冷ややかなまなざしを注いでやると、当の本人は降参を表明するかのように両手を掲げてみせた。
 「わかった、教えてやるよ。ブラックワークってのは簡単に言えば……東京プリズンのエンターティナーだな」
 「エンターティナー?」
 「もっとわかりやすくいえば囚人どものストレス発散係だ」
 顔の前に挙げた両手をひらひら振りながらレイジが笑い、ますます困惑が深まる。レイジの言ってることは奇怪だ。刑務所にエンターティナーが存在するなど聞いたことがない。囚人たちのストレス発散係という頭の悪い名称が示すものはなんだ?
 もつれ絡まった思考が脳裏で交錯し、一時停止状態に陥っていた僕を現実に戻したのはレイジの声だった。
 「くわしく知りたきゃサムライにでも聞けよ」
 「なんでサムライなんだ?」
 ひょっとして、まさかとは思うが、レイジまで僕とサムライが友人関係にあるというとんでもない誤解をしているのか?と不安になる。
 「俺の口から説明してやってもいいけどさあ」
 レイジは肩を竦めた。
 「真相を知ったお前が絶望して首を吊らないとでも限らないし。そうなったら俺が殺したみたいで寝覚め悪いじゃん」
 まただ。食事中に口に昇らせる話題じゃない、真相を知ったら首を吊りかねない。ブラックワークの実態とはそんなに口にするのが憚られるものなのか?ブラックワークとはそんなに恐ろしい、忌まわしい部署なのか?
 眉間に皺を刻んだ僕の前で優雅に背を翻し、廊下を去ってゆくレイジ。その背におもわず声をかける。
 「どこへ行くんだ?」
 「図書室」
 肩越しに手を振りながらレイジが答える。東京プリズンに図書室があるなど初耳だった。入所初日に安田から案内されたのは医務室やシャワー室など必要最低限生活に関わってくる場所ばかりで、僕は今の今まで図書室の存在も知らなかった。見た目は完全無欠のエリートだが存外安田は不親切だ。それとも、必要最低限のことだけは教えてやるから後は自分で勝手に学べというのが東京プリズン上層部の方針なのか。
 図書室があるなら覗いてみたかったのが本音だが、レイジと同行するのはお断りだ。
 この場は大人しく立ち去るのが賢明だろうと判断を下した僕は、早足で自分の房へと急ぐ。
 「鍵屋崎」
 唐突に名を呼ばれ、意思に反して足が止まる。
 振り向く。廊下の中央で立ち止まったレイジが、薄笑いを浮かべてこちらを見つめている。
 「お前を顎で使ってる奴に進言しとけ。『王様は無敵だ』って」
 「………失敬だな。僕は僕の意志で行動してるんだ、今だかつて他人に顎で使われた覚えなどない」
 一呼吸おいて言い返すと、レイジはさもおかしそうに喉を鳴らした。それきり二度と振り返らずレイジは廊下を去っていった。曲がり角に消えたレイジの背中を見送り、大きく息を吐く。
 僕には遥かに劣るが、レイジの頭はそれほど悪くない。僕に「弱味を探ってこい」と指示したのがリョウだと見抜いているかどうかは定かではないが、僕がだれかに命令されて動いてると会話の前半から勘付いていたはずだ。
 逡巡を振り切るように足を速めて廊下を歩く。トイレでさわられた箇所が今頃痒くなってきた。鳥肌立った肌を乱暴に擦り、おぞましい感触を打ち消そうと努める。何度擦っても、不快感は消えるどころかますます増すばかり。囚人服を雑巾代わりにして執拗に脇腹を拭う。

 何度も何度も何度も、肌が擦りきれるほどに。 

 早く房に帰りたい。シャワーが使えないならせめて房の洗面台で体を洗いたい。
 不潔な手でまさぐられた不快な感触を洗い流したい。耳にこびりついて離れないリュウホウの悲痛な嗚咽も瞼の裏側にちらついて離れないレイジの薄笑いも、全部全部洗い流してしまいたい。

 そこにサムライがいてももうかまわない。

 とにかく僕は一刻も早く房に帰って水を使いたいのだ。 

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060522233321 | 編集
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