ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

関連記事 [スポンサー広告]
スポンサー広告 | コメント(-) | ------------ | 編集
三十話

 「第一回名探偵ヨンイルと愉快な助手約二名の捜査会議はじめるでー」
 昼間の図書室には人けがない。
 図書室が活気づくのは夕食終了後の自由時間で、囚人の九割が強制労働に出払う昼間は閑散としてる。
 現在僕がいるのは図書室二階、書架と書架との狭間に存在する死角で別名ヨンイルの城。閉所恐怖症や暗所恐怖症患者なら確実に抵抗があるだろう両側に巨大な書架がそびえた手狭な通路だ。ネズミでもなし、ヨンイルは何故こんな薄暗く狭苦しいところに好んで身を潜めるんだと不審がっても始まらない。
 漫画好きなヨンイルが誰にも邪魔されることなく一日中好きな漫画を読み耽るために、移動式書架で出入り口を塞いだ秘密の隠れ家なのだから。
 「異議あり、前言に訂正を求める。誰が愉快な助手だ、僕は君の助手になったつもりも愉快な性格をしてるつもりもない。不愉快な誤解を招く会議名は取り消してくれ」
 「ええやん別にこまかいこと言わんで。しょっぱなからつまらんこと言うなや」  
 「つまらないことではない、重要なことだ。だいたい名探偵ヨンイルとはなんだ、過去に難事件を解決した実績もないくせに軽軽しく名探偵を自称するんじゃないこの虚言症。それに推理力ならIQ180の天才、古今東西の傑作推理小説を読み漁って名探偵の思考過程を完璧に学習したこの僕に軍配があがるはずだ」
 書架に背中を凭せた僕をゴーグル越しにうんざり見上げ、ヨンイルが嘆息する。
 「なおちゃんにはかなわんなあ。しゃあない、会議名変更や。名探偵鍵屋崎と愉快な助手の……」
 「却下だ」
 前半はともかく、僕はヨンイルを助手にした覚えなどないしするつもりもない。お調子者の道化にそっけない態度をとれば、出鼻をくじかれたヨンイルが二度目のため息をつく。これで僕が悪者だ。残念そうなヨンイルに向き直り、眼鏡のブリッジを人さし指で押し上げる。 
 「名前などどうでもいい、大事なのは本質だ。ヨンイル、そちらの捜査状況はどうだ?なにか進展はあったか」
 僕が貴重な読書時間を割いてヨンイルの緊急召集を受け入れたのは、西棟の囚人が銃を入手した可能性を考慮したからだ。鋭い眼差しで一瞥されたヨンイルが片手を振る。
 「あかん、お手上げや。一応うちの棟の連中当たってみたんやけど全部空振り、手応えなし。念には念をでガサ入れ決行したんやけどぜーんぶハズレ。ベッドの下や壁の隠し穴から出てくるのはエロ本白い粉注射器キムチエトセトラ……そや、聞いてや!」
 憤然とこぶしで膝を打ったヨンイルが怒りの形相で身を乗り出す。
 「ガサ入れ強行した結果、俺のコレクションから消えた手塚治虫と白土三平と原哲夫とあだち充発見したんや!なんとうちの棟の囚人が隠しもっとったんや、トップの目え盗んで図書室から無断で持ち出して……西棟じゃ殺人より図書の延滞のが重罪や、心やさしい俺もさすがにプチンときて不届き者に北斗七星拳を」
 かんだかい奇声を発し、変な身振り手振りで北斗七星拳やらをまねるヨンイルにあきれる。ヨンイルの隣に座りこんでるのは、安田から銃をスった張本人であり今回の騒動の発端でもあるワンフー。トップの奇行には慣れているのか、膝に広げた漫画から目も上げずに補足説明する。
 「ヨンイルさんは北斗一族じゃないから七星拳は打てないけど、図書延滞がバレた囚人がお仕置きされたのは事実。廊下に一列に正座して膝に本十冊のせられて半日放置、膝がしびれて立てなくなった囚人十余名の絶叫が西棟にこだました」
 「それだけやない、ドラゴンボール全キャラの名前暗記の宿題もだした。俺のお気に入りはカリン様」
 「マイナーすぎて知りませんよ、親殺しきょとんとしてるじゃないすか」
 「あ?おまえ俺の好きなキャラにケチつける気か、表でろやこら」
 咳払いで軌道修正をはかる。貴重な読書時間を割いて捜査会議に参加したのに漫画話題に費やされてはたまらない。
 「話を戻す。つまり、西棟の囚人は銃を持ってないと判明したんだな」
 「たぶん。俺たちの知らない隠し場所があるのかもしれないけど、」
 ヨンイルに胸ぐら掴まれたワンフーが苦笑いする。
 「ヨンイルさんこう見えて西のヤツらには結構慕われてるんだ。隠し事なんかしたらトップの制裁怖えし、賢いヤツならガサ入れ決行した時点で名乗りでてくるはず」
 「自首は罪が軽くなるからな」
 ひとまず納得する。ヨンイルは食えないお調子者で今いち信用ならない人物だが、自棟の住人に絶大な影響力をもつ西のトップだ。トップのヨンイルが本気を出して捜査に臨んでも犯人が割れないなんておかしい。いや、捜査の手が自分に伸びることを恐れた西の囚人が銃を人手に渡した可能性も捨てきれない。
 先日、僕は東棟のスリ師にワンフーを紹介され、渡り廊下封鎖以降他棟との交流は絶えたというのは誤った認識であり、水面下では棟の垣根をこえたコミュニティができていると知った。
 ということはつまり、銃の所持発覚をおそれた西の人間が他棟に銃を流したとも……
 「そっちはどうや」
 僕の推理に割りこんだのはヨンイル。
 「灯台下暗しって言うやろ。案外東のヤツが持っとるんやないか」
 人懐こい笑顔でヨンイルに指摘され、うんざりする。
 「……捜査に進展はない。一応事情聴取を進めているが、まともに取り合ってもらえないのが現状だ。東棟の囚人が銃を持っているなら、紛失から一週間以上経過した現在、情報が漏れてもよさそうなものだが……」
 「あいつに当たってみたらどや、情報屋の赤毛」
 リョウのことだ。
 「馬鹿にしてるのか?リョウは男娼兼情報屋として北のサーシャとも通じていた人間だ、もちろん真っ先に事情聴取を試みたが銃の行方については何も知らないと明言した。嘘をついてるようには見えなかったな」
 「騙されとるんちゃう?」
 「侮辱するなよ道化。確かにリョウは演技上手だが、僕の観察眼および洞察力のほうが数段優れてると断言する」
 古今東西の傑作推理小説を百二冊読みあさり、作中人物の探偵に自己投影し、事件解決に至る思考回路を学習したのだ。視力は0.02と眼鏡なしでは日常生活に支障がでるほど悪いが、人を見る目は確かだと自負したい。リョウは天性の嘘つきだがあの時点では情報を出し惜しみしてるようには見えなかった。
 しかし、あれからずいぶんと日数が経過してる。リョウが新たな情報を掴んでる可能性もあるし、再度接触を試みる頃合かもしれない。
 「俺もホセにあたってみるわ、南のヤツが持っとるかもしれんし」
 「尻拭いさせてすいません」
 「ホンマ、何が哀しゅうてミギ―のケツ拭いせなあかんかと思うと涙で文字くもって漫画読めへんわ」
 「原因はゴーグルだ。読書中くらい外したらどうだ」
 捜査会議が終了し、緊張が緩んで雑談に流れる。
 レイジは肌身はなさず十字架を持ち歩いているが、ヨンイルの場合はゴーグルだ。顔の上半分を覆うゴーグルという悪目立ちするアイテムが道化の個性を強烈に印象づけているが、あんな物をかけていては文字など読めないだろうに。
 しかし、僕の賢明なアドバイスなど聞く耳もたず、ヨンイルはゴーグルを指さす。
 「前に言わへんかったっけ?これじっちゃんの形見やねん」
 そういえば、以前そんなようなことを聞いた記憶がある。今は亡き祖父の思い出を語るヨンイルは得意げだ。
 「俺のじっちゃん、半島に渡るまえは大阪で花火師しとったんや。これはじっちゃんが使っとったゴーグル。よう見たら傷だらけであちこち傷んどるけど、ガキの頃からずっと憧れとって、じっちゃん死んだら絶対もらおて企んでたんや。俺のじっちゃんてのがそりゃもう頑固でな、ガキの俺が仕事場にもぐりこんで内緒で火薬いじっとるの見つかったらおもいきりゲンコツ落とされたわ。でもイチバンこたえたんは」
 ヨンイルが言葉を切る。ゴーグルをかけてるせいで俯き加減の表情までは読めないが、ヨンイルらしくもなく物憂げに黙りこみ、しんみりと述懐する。
 「イチバンこたえたんは、泣かれたとき。じっちゃんに内緒で体に墨入れたのがバレて」
 「怒って当然だ」
 一度入れた刺青は一生消えない、体に墨を入れてから後悔してもおそいのだ。ヨンイルにとっても祖父にとってもお互いが唯一の身内らしいし、大事な孫が自分に黙って刺青を入れたと発覚すれば激怒して当然だ。しかし何故ヨンイルは、全身に刺青など入れたのだ?ヨンイルは現在十六歳。僕はてっきり東京プリズンに来てから刺青を入れたに違いないと思いこんでいたが、ヨンイルの回想によれば祖父が存命だった頃すでに刺青を入れてたらしい。
 ヨンイルの祖父が他界する以前、ということは必然ヨンイルが東京プリズンに来る以前のことだ。
 「……素朴な疑問なのだが、何故そんな悪趣味な刺青を入れたんだ?刺青を入れた当時、逆算すれば君はわずか十歳ということになるが」
 「悪趣味ってひどい言いざまやな!かっこええやろ、龍。俺は組織に貢献したからその褒賞に刺青もろたんや。いや、俺だけやない。じっちゃんもお袋も親父もみんな……」
 「鍵屋崎、いるか?」
 書架の向こうで僕を呼ぶ声がした。演説するヨンイルをその場に残し、側面のハンドルを操作して書架を移動させる。書架をどかし、出入り口から外へでた僕はその足で手摺にむかう。手摺に手をおいて一階を見下ろせば五十嵐がいた。
 「静粛に」
 裁判官のように高圧的に言い放つ。書架の間を歩き回り、僕を捜していた五十嵐が驚いたようにこちらを仰ぐ。
 「図書室ではしずかにするのが常識だ。僕に何の用だ?」
 五十嵐のためにわざわざおりてく気にはなれない、用があるならあちらから来るべきだ。僕は一歩もここを動かないぞと態度で示し、傲慢な面持ちで見下せば、二階に僕を見つけた五十嵐が一瞬ばつ悪げな表情を覗かせる。タジマに脅迫されていたとはいえ、五十嵐が僕とロンの信頼を裏切りボイラー室を見張っていたのは覆しようない事実だ。あれ以来僕は五十嵐を避け続けているし、五十嵐も以前のようには親しげに声をかけてこなくなった。
 その五十嵐が、僕に何の用だ?
 階段を駆け上がり、二階に到着した五十嵐が接近。用件を切りだそうと口を開き、その表情が強張る。
 「?」
 僕の肩越しに何かを目撃した五十嵐が慄然と立ち竦む。五十嵐が何を見たのか、わざわざ振り向いて確かめるまでもなく足音が聞こえた。ヨンイルとワンフーが僕のもとへと駆けて来たのだ。
 「鍵屋崎、どうしたんだ?」
 「なんやねんなおちゃんいきなり、何も言わんと出てっ……」
 ヨンイルの言葉が不自然に途切れる。看守ひとりと囚人三人が昼間の図書室に居合わせ、気まずい沈黙が落ちた。妙な雰囲気だ。普段うるさいくらいに快活なヨンイルが五十嵐を微妙に警戒し、ヨンイルがこちらに駆けてくるのを見た五十嵐も挙動不審で、僕の当惑は深まる。
 ヨンイルと五十嵐は顔見知りらしいが、お互いに良い印象を抱いてないらしい。
 何故かはわからないが、そうとしか見えない。
 「……あー。久しぶりやな、五十嵐はん。あんたも漫画借りに来たん?」
 本当は無視したいが西棟のワンフーがいる手前大人げない態度はとれず、僕の隣に来たヨンイルが慣れない愛想笑いをする。
 回れ右した五十嵐が「用件はあっちで話す。ついてこい」と固い声で命じ、仕方なく後に続く。
 「ちょっと待て、なんで君たちまでついてくる?」
 「ついてきとるんちゃうわ、あっちに用があるんや。金田一の二十二巻とりにいくんや」
 おかしなことになった。僕を真ん中にヨンイルとワンフーが並び、五十嵐のあとに続く。先頭の五十嵐が手近の書架を曲がる。ヨンイルの目的は単行本の続きだが、ワンフーはただ好奇心から何となく僕らのあとをついてきたらしく、不安げな面持ちで五十嵐の背中とヨンイルの横顔とを見比べる。
 「道化のお守り役、か。君も大変だな」
 ほんの少しだけワンフーに同情した。一時的な気の迷いだ。
 書架を背に五十嵐が立ち止まり、僕らも立ち止まる。ヨンイルの目的地もここらしい。五十嵐と対峙した僕から少し距離をおき、ワンフーと一緒に単行本の続きをさがしだす。
 ヨンイルとワンフーは意図的に無視し、五十嵐が言う。
 「……副所長がおまえを呼んでる。医務室で待ってるそうだからロンの見舞いついでに行ってやれ」
 「安田が?」
 まずい、さん付けするのを忘れた。が、五十嵐は僕の失言を咎めるでもなく、かえって微笑ましげに苦笑する。
 「この時間なら図書室にいるはずだから呼んできてくれと頼まれたんだ。おまえのことなんでもお見通しだな、副所長は」
 「……気味の悪いこと言うな。彼は僕の保護者でもなんでもないし、ましてやストーカーでもない」
 「そうか?似た者同士だと思うけど」
 「似ているのは眼鏡だけだ、それ以外に共通点はない」   
 むきになって否定すれば、とうとうこらえきれず五十嵐が笑い出す。何がおかしいんだと不快になる。憮然とした面持ちで黙り込んだ僕に、ふいに改まった口調で五十嵐が言う。
 「このまえのこと、その、悪かったな」
 「謝ってすむ問題か?」
 「……いいや。けど、一言言っときたかったんだ。お前とロンには本当すまいことして、どう謝ったらいいか見当もつかないが……」
 ひややかに五十嵐を睨む。言い訳はみっともないと自覚したのか、五十嵐が毅然と顎を引く。
 「ロン、今入院してるんだろ?俺も見舞いに行っていいか」
 「僕に許可をとることじゃない。自分が行きたいならそうすればいい。ロンは僕とちがってお人よしだから消毒液くさい床に土下座でもすれば許してくれるかもしれないぞ」
 現在ロンは医務室にて、一週間の絶対安静を義務付けられてる。凱に殴られ蹴られて肋骨を折る重傷を負ったのだ。他にも全身十三箇所におよぶ打撲傷と左足首の捻挫など満身創痍の状態だ。先日僕も顔を見てきたが、顔の腫れがひどくて別人みたいだった。ちなみに凱は即日退院し、「半半に負けるなんざ一生の汚点だ、リベンジしてやる!」と吠えている。
 こりない男だ。
 「そうか」
 五十嵐の表情が安堵に緩んだ。本気でロンの怪我を心配してたらしく、複雑な気分になる。五十嵐は卑怯で卑劣だ。タジマに脅迫されて仕方なくとはいえ、僕とロンの信頼を裏切り、騙し、ボイラー室に閉じ込めた罪は重い。
 しかし、ロンの怪我を心底心配し、逃げずに僕に謝罪したのも事実で。
 ボイラー室の扉をへだて、今は亡き娘の思い出話を語り聞かせたのも五十嵐で。
 「―もういい、あなたに嫌味を言ってもはりあいがない。タジマに脅迫され嫌々見張り役の任に就いた人間を責めるのもむなしい。しかしこれだけは肝に銘じておけ、一度失った信頼を取り戻すのは容易ではない。僕はともかくロンは心底あなたを信頼していた、裏切られたショックも大きいだろう。本人の意識の有無にかかわらずちゃんと謝っておけ。いいな?」
 「ああ、わかってる」
 五十嵐が強い決意をこめて頷く。
 「ちょお邪魔、どいて」
 突然、ヨンイルが割りこんできた。
 「おっかしいなー、二十二巻見あたらへんで。前に読んだヤツが違うとこ戻したんやなきっと。あーもう腹たつわ、続き物の単行本は一巻から最終巻までずらっと並べとくのが漫画好きの美学で常識やろ!?ほんまにもうこの刑務所の連中はしょうもない……」
 ぶつぶつ言いながら漫画をさがすヨンイルから少し離れた場所で、「こっちにもありません」とワンフーが声をあげる。ふたり手分けして目的の本をさがすヨンイルとワンフーの熱意には、もはやあきれる通り越して感嘆するしかない。
 「なおちゃんも手伝うてや、金田一の二十二巻……」
 「本当に漫画が好きなんだな」
 ヨンイルの言葉をさえぎり、唐突に五十嵐が呟いた。感情を押し殺した低い呟き。
 その場の全員が五十嵐を見つめる。囚人の注視を浴びた五十嵐がかすかに微笑み、淡々と話し出す。
 「俺の娘も漫画が大好きだった。女のくせに、男が読むような漫画が大好きだった。最近復刊された手塚治虫の漫画も小遣いで買って、ブラックジャックかっこいいとかロックかっこいいとかきゃーきゃー騒いでたよ。そういうところは女だな」
 「へえ、五十嵐はんの娘さんも手塚ファンか」 
 手塚治虫と聞いては黙っていられないヨンイルが身を乗り出す。
 「手塚ではなにが好き?俺はブラックジャック好きやけどどっぷりハマるんなら大河長編火の鳥かな。女の子はどんなの好きなん」
 「ブラックジャックは人気だな。リカも先生に夢中で何回ピノコになりたい~って叫んだことか……漫画の登場人物に本気で恋するなんて、我が娘ながら将来が心配だ」
 はらはらしながら見守るワンフーをよそに五十嵐とヨンイルの会話は弾み、手塚治虫を話題の中心に盛り上がる。しかし僕は、どうにも拭い難い違和感を感じていた。ヨンイルは単純に手塚仲間を発見したことを喜んでるらしいが、どうも五十嵐の言動が不自然だ。KIAのテロに巻き込まれて死亡した娘がまるで今も生きてるように活き活きとした口ぶりで……
 背筋が寒くなった。
 「けど意外、五十嵐はんに娘がいたなんて初耳。もうちっと早く言うてくれたら俺のオススメ漫画紹介してやったのに……」
 ヨンイルが何気なく口にした一言で、五十嵐の表情が消える。
 虚ろな無表情をさらした五十嵐が、抑揚なく言う。
 「そいつは無理な相談だ。リカはもう、いないから」
 「え?」
 「五年前に死んだんだ。漫画の大半はリカと一緒に燃やしちまったよ」
 ヨンイルが愕然とする。沈痛な面差しで黙りこんだ五十嵐の隣、どうフォローしたらよいものか当惑したヨンイルが時間稼ぎでゴーグルを押し上げる。ゴーグルを額に押し上げるとき、はらりと袖口がめくれて手首が覗いた。
 毒々しく照り輝く緑の鱗。ヨンイルの全身に刻まれた刺青の一端。
 「……ええと。それはなんちゅーか、ご愁傷様やな」
 他人行儀にも聞こえるが、実際それしか言いようがない。
 「ああ……本当に」
 突然、五十嵐がヨンイルに接近した。ヨンイルに歩み寄った五十嵐がおもむろに片手を掲げ、表情の読めない不気味な目でヨンイルを見下ろし―

 殺される。
 ヨンイルが殺される。

 「!やめっ、」
 おもわず僕は叫んでいた。五十嵐の手がヨンイルの首にかかる光景を予知した気がした。その時は五十嵐がヨンイルを絞殺しようとしてるものと信じて疑わなかった。
 が、僕の予想は裏切られた。
 頭上に片手を掲げた五十嵐が、書架の上段から一冊の単行本を抜き取り、あっけにとられたヨンイルに手渡す。ヨンイルとワンフーがさんざん捜していた漫画の続きだ。
 「……本当に、ご愁傷様だな。お悔やみありがとよ。なにボ―ッとしてんだよ?これだろ捜してた本」
 「おおきに」
 五十嵐から漫画を受け取ったヨンイルが礼を言い、僕の全身から力がぬけた。なんだ、ただ本を取ろうとしただけか。勘違いもはなはなだしい、いったいぜんたい何の根拠があって五十嵐がヨンイルを殺そうとしてるなどと先走ったんだ?
 五十嵐にヨンイルを殺す理由などないはずだ。
 そう自分に確認し、ふとひっかかりをおぼえる。言葉では説明しづらい漠然とした違和感。
 本当に五十嵐は本をとろうとしただけか?なら、あの目は?僕は何か、とても大事なことを忘れていないか。とても重要なことを見落としていないか。
 五年前、韓国、テロ、KIA……
 「そろそろ行くぞ鍵屋崎。安田さんがお待ちだ」
 物思いに沈んだ僕に声をかけ、五十嵐がさっとその場を立ち去る。逃げるように足早に階段をおりた五十嵐に続き、ヨンイルとワンフーを残して歩きだし、途中で立ち止まる。
 「ヨンイル、君は何故東京プリズンに来たんだ。なにをしてこの極東の刑務所に送りこまれたんだ」
 胸騒ぎがする。
 これからなにか、とてつもなく不吉なことが起こりそうな予感にとらわれてヨンイルに詰問すれば、五十嵐に手渡された漫画を読み始めたヨンイルが上の空で返事を返す。
 「あー?なおちゃんは知らんかったっけ。ロンやレイジからとっくに伝わっとる思うとったけど」
 漫画を閉じ、顔を上げる。
 まっすぐ僕の目を見て、八重歯を覗かせ、笑う。
 懲役二百年の重犯罪者とは思えない明るい笑顔。
 「KIAにおけるテロ活動および爆弾作り」   

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20051029004627 | 編集
ブログ内検索
     © 2017 ロールシャッハテストB  Designed by 意地天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。