ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十五話

 浮揚感、につぐ衝撃。
 腰骨を強打したが、下が柔らかい砂だったため大事には至らなかった。地に膝をついてぺっぺっと砂を吐き出す俺の横、メガネのレンズに砂粒が付着した鍵屋崎がなげかわしげに目を細める。
 「僕の有益な助言を聞かないからだ。前方に穴があると指摘しようとしたのに」
 「無駄な知識ひけらかすしか能のねえお前がたまに有益なアドバイス混ぜてもわかんねえんだよ、俺を含むその他大勢には!」
 「無駄?僕の知識のどこが無駄なんだ、君のような粗野な人間にはわからないかもしれないが知識を積み上げ教養を深めることによってのみ、人は高尚な精神世界に到達でき……」
 鍵屋崎の無駄口を丸投げして上を見上げる。
 前方不注意で俺が転げ落ちたのは高さ2メートル、直径1メートルの穴だ。おそらく井戸の沸く地点にあたりをつけて発掘してたのが見込みなしと放棄され、埋めなおす手間を惜しんだ連中によってそのまま捨て置かれたのだろう。鍵屋崎への苛立ちを抑えつつ斜面に爪を立ててよじのぼろうとした俺の顔面を大量の砂が叩く。
 「!?」
 目に砂が入った。激痛。明滅する視界を掠め去ったのはシャベルの残像。俺と鍵屋崎が落ちた穴の周りを囲んでいるのはシャベルを持った凱と取り巻き一同。俺たちが穴に落ちて足止め喰らってる間に追いつかれたらしい。
 ザッザッザッ。
 俺の目が眩んでいる間に不吉な音が連続する。見なくても何をしてるのかわかった。

 埋められる!

 砂にシャベルを突き立てた取り巻きが大量の砂を穴底に撒き、俺たちの踝までを埋めていく。瞬きして砂を追い出しながら頭上に目を凝らした俺の視界にとびこんできたのは、憤怒の形相の凱。
 卑猥に分厚い唇をゆがめた凱は、筋骨隆々たる逞しい腕をせっせと振りかざし、一塊の砂をハイペースで俺たちの頭上にこそげ落としてくる。あらたな砂が投げ落とされるより前に速攻で斜面をよじのぼろうとしたが、穴の縁にかけた手の甲に激痛。穴の縁にかけた手をシャベルで強打され、バランスを崩した俺はふたたび底へと落下。背後の鍵屋崎も同様、四つん這いのみっともない格好で斜面を這い上がろうと奮闘しているが穴の縁に立った取り巻きに指を踏まれ、手といわず腕といわず肩といわずシャベルで叩かれて落下する。
 「生き埋めなんて洒落になんねえぞ!」
 かすれた声で凱を非難するがそれこそ敵の思う壺。機械的にシャベルを上下させる取り巻き連中を顎で指揮しつつ、穴の頂点に立ちはだかった凱が野太い声で鳴く。
 「ああ、洒落のつもりはねえ。おあつらえむけに墓穴もある、ここをお前らの墓場にしてやる」
 「看守に知られたらどうすんだよ、作業中に勝手なことして……」
 「自分の立場がわかってねえようだな、レイジの腰ぎんちゃくの半半ロン」
 小気味良さそうにせせら笑う凱。
 「イーストファームの主任看守はタジマだ。タジマといえばお前の天敵。タジマはお前のことを毛嫌いしてる。そこのメガネは囚人環視の点呼時にタジマに反抗した馬鹿でタジマ秘蔵のブラックリストに追記されたのは必至。そんな問題児ふたりが蟻地獄に嵌まったところで焦った看守が駆けてつけてくるとおもうか?」
 読めた。
 「―タジマの差し金だな?」
 息を殺して問いかける。全部読めた。凱の含みありげな口調と、作業をサボって勝手なことをしているにも関わらず一人の看守もこちらに駆けてこない理由が。鍵屋崎は今朝の点呼でタジマに反抗した。問いに答えなかった、ただそれだけがタジマから見れば重大な不敬罪、ひいては反逆罪に分類されるのだ。反抗的な目つきをした、自分にそのつもりがなくてもタジマが「睨んだ」と受け取ったならもう自己弁明の余地など与えられない。タジマの息のかかった連中に「作業中の不慮の事故」に見せかけて嬲り殺される末路は目に見えている。
 タジマは自分で囚人を嬲り殺すのも好きだが、自分の気に食わないガキが看守の被支配下にある連中に嬲り殺されるのを見物するのも好きだ。そうでも考えなければいかに賄賂を渡したところで、作業を放棄して好き勝手やってる凱たちがその他の看守にまで見過ごされるわけがない。
 おそらく根性腐れのタジマが言い含めているのだろう、凱たちの暴走行為を黙殺するようにと。
 「どうだかなあ」
 凱が笑い、取り巻きたちが追従笑い。「そうだ」と言ってるようなものだ。モノクロフィルムの安い悪役を地で行く凱たちだが、その間もシャベルを振り下ろす手は止まらない。俺と鍵屋崎の頭上にザッザッと砂を投げ落としながら、得意絶頂の声でいななく。
 「真相は地獄の閻魔様にでも聞いてみろよ!」
  
 東京プリズンは地獄だ。
 ここより深い地獄に落ちるのはごめんだ。

 「鍵屋崎、生きてるか?」
 「い、きて、はいる」
 途切れ途切れに鍵屋崎が言う。無理もない、ひっきりなしに砂を投げ落とされ、既に腰まで埋もれているのだ。このままじゃ凱とタジマの目論見どおり、砂漠の墓穴に鍵屋崎とふたり埋められてしまう。冗談じゃねえ、なんでこんな理屈屋メガネと。一日始めの食堂で仏心をだしてからケチのつきっぱなしだ。こんな疫病神に関わるんじゃなかった、畜生。顔面に叩きつけられた砂を払い落とそうと腕を伸ばすしたそばから滝の如き波涛を打ち、脳天からつま先までズザザッと流れ落ちる。
 「だが、彼らが砂を投げ落とすペースとこの穴の深度を計算すれば三分と五十秒後には確実に窒息死するだろう」
 「自分の死因を冷静に分析する余裕があるなら窒息せずに済む方法を考えろ!!」
 こんな時までクソ冷静な鍵屋崎を一喝した俺も相当ヤキが回ってた。腰まで砂に埋もれ身動きも苦しくなってきた俺は、無我夢中で穴の縁へと手をさしのべる。
 プライドをかなぐり捨てて自分たちに助けを乞うつもりか、ふたたび穴をよじのぼろうと画策したか。おそらくその両方にとった凱が、残虐な喜びに打ち震え一気呵成にシャベルを振り下ろす。
 今だ!
 「!?なっ、」
 シャベルの先端が頭蓋骨を砕く間際、凱の足首を掴み、全力で引く。シャベルの軌道が狂い、凱の顔がブレる。もんどり打って斜面を転げ落ちてきた凱を踏み台にし、跳ぶ。これを見た鍵屋崎がうつ伏せに失神した凱の巨体に乗って高さを稼ぎ、おなじく生還。
 「凱さん!」
 「はやく穴の底に下りるんだ!残りは奴らを追え!」
 臨機応変、やるべきことを分担した取り巻き連中の一方が俺たちを追いかけてくる。一心不乱に走りながら口の中にもぐりこんだ砂を吐き出す。砂の混じった唾が次から次へとこみあげてくる。服の中にまぎれこんだ砂がざらざらと肌を擦る不快な感触が神経を苛立たせ、焦燥を煽る。
 「どこへ逃げるんだ?どう足掻いても檻の外には逃げられないだろう」
 育ちのよさが窺える上品な素振りで服の裾をつまみ、中の砂を振り落としている鍵屋崎。服の中に手をつっこんで乱暴に砂をはたき落とす育ちの悪い俺。
 「お前は死にたいのか?俺は死にたくねえ、だから逃げる」
 「正論だ。人間に限らず、すべての生物には生存欲求が備わっているからな」
 納得したように鍵屋崎が頷く。やっぱりこいつ頭がおかしい。
 「だが運良くこの場を逃げおおせたところで、僕らがおかれた状況が好転する見込みはないだろう?一時的に危機を脱してもその後は保障できない。いや、この場を逃げおおせた反動でもっと酷い目に遭わされるかもしれない。死亡予定日は今夜か明日か明後日か……はたして僕や昨日入所した囚人たちは、五体満足で東京プリズンを生き抜けるだろうか?」
 「未来の危機より目先の危機を考えろ」
 鍵屋崎と前後して走る俺の背後に凱の手下が殺到してくる。くそっ、無駄口叩いてる間に追いつかれた!勝手に世を儚んで浸ってる鍵屋崎なんか放っておいて、横っちょに放置されてたリヤカーの柄を持ち上げる。 
 「!?ひっ、」
 背後でうろたえた声。腹を蹴って加速させたリヤカーが一塊の追っ手に突っ込んでいったのだ。陣形を乱してリヤカーのために道を空けた手下たちの何人かは足や腕を車輪に轢かれ、悲鳴に近い叫び声をあげる。
 「くそっ、殺してやるぜ半半!」
 「あのドス汚ねえ半半と屁理屈メガネをふんづかまえて目ん玉砂で洗ってやる!」
 「ケツひんむいて俺たちのモンをぶちこんでやる!」 
 「ヤれるもんならヤってみやがれ、凱のおこぼれ舐めるしか能のねえサル山の猿がいきがるな!」
 リヤカーを避けて追いかけてきた何人かに中指を突き立てて応酬。隣の鍵屋崎がなげかわしげに首を振る。
 「君に品性を期待するのはもうやめた」
 「俺もお前との意思疎通あきらめるよ」
 まったくなんでこんなことになったんだ、と走りながら考える。
 考えるまでもない、あれもこれもそれも全部俺の隣を走るお高くとまった日本人のせいだ。どんな目にあわされようが無視して放っておけばよかったんだ、こんなやつ。コイツが先住者に絡まれる原因の八割はコイツ自身の言動にある。早い話自業自得じゃねえか。
 すべてにおいて自業自得のコイツを見捨てられなかった理由なんてのは単純だ。それは……
 「それにつけても」
 横顔に注がれる鍵屋崎のあきれたまなざし。
 「縁もゆかりもない赤の他人であるこの僕を我が身を挺してまで助けて、今もこうして一緒に逃げているとは……」
 走りながら鍵屋崎へと向き直る。眼鏡の奥の目を怪訝そうに細め、皮膚で光合成する新人類でも見たように鍵屋崎が言う。
 「まったく君は、人がいいな」
 「『いい人だな』だろ、日本人なら正確な日本語をしゃべれ!!」
 「僕は今の心情に最もふさわしい形容をしたつもりだが、生粋の日本人ではない君には意味がとりにくかったのか?」
 「俺がお前を助けたのは、」
 言葉を続けるのを迷う。鍵屋崎が妙な顔をする。
 「なんだ?」

 言えるか。ほんの少し共感したからなんて。

 勘違いしないでほしいが、俺が鍵屋崎に共感したのは「親を殺したい」と思った一点のみだ。鍵屋崎は大胆不敵にも親殺しを実行してこうして東京プリズン送りになったわけだが、俺は結局想像するだけで実行に至れなかった。
 今更それを悔いているわけではない。だが、もし―……もし俺が鍵屋崎のように親を殺していたらどうだったのだろう。
 俺と鍵屋崎はたぶん理由は違えど、殺したいほど親を憎んでいたというその一点のみが共通している。
 ただその一点だけが、俺が鍵屋崎を気にする理由だ。

 憮然と口をつぐんだ俺を鍵屋崎が不思議そうに眺める。鍵屋崎の注視がうざったかったので一喝しようとした、その時。
 鍵屋崎が消えた。
 「!?な、」
 横から消えた鍵屋崎の姿に動転し、あわてて振り返る。うつ伏せに倒れた鍵屋崎が苦悶に呻いている。わずか3メートルの距離に迫った手下がおもいきり投擲したシャベルが、鍵屋崎の踵をかすめて砂地に突き刺さったのだ。連動して倒れた柄がしたたかに背を打ち据え、バランスを崩して地に転げた鍵屋崎の顔から衝撃で眼鏡がはじけとぶ。
 1メートル離れた地点に落ちた眼鏡を手探りでさがし、膝這いになった鍵屋崎が「めがねめがね……」と当惑を深める。こんな時に!歯噛みしたい心境で回れ右し、鍵屋崎の頭上にシャベルを振りかざした手下の一人に突進する。
 「逃げろ!!」
 「逃がすか!!」
 俺の声と手下の声が交錯し、ぼんやりした目の鍵屋崎がうろたえる。手下の腹にタックルの姿勢で突進、勢いに乗じて押し倒す。俺に馬乗りになられた手下は怒り狂ってシャベルを振り回し、金属の鋭い先端がザクリと頬をかすめる。頬の皮が裂けて血が滴り、囚人服と血に黒点が染みる。
 「この野郎っ、」
 仲間に馬乗りになった俺を二人がかりで引きはがしにかかる手下、残りの一人が魚雷のように鍵屋崎にむかって疾駆。砂地に膝をつき四つん這いになった鍵屋崎はあぶなっかしい手つきで地面を探り、「めがね、めがね」としきりに呟いている。
 あんの馬鹿っ、どうして逃げねえんだよ!?
 俺の疑問はすぐに解消された。実際は逃げたくても逃げられなかったのだ。視力が悪い鍵屋崎は自分めがけて全力疾走してくるガキに気付くのが遅れ、気付いた時には既に背を蹴られて地に突っ伏し、されるがままに組み伏せられていたのだから。
 「獲った!」
 「でかした、凱さんを呼んでこ……」
 「その必要はねえ」
 地に組み伏せられた俺の鼻先にぬっと影がさす。目を細めて見上げる。逆光を背に立ちはだかっていたのは2メートルに近い巨体の男。肩までめくりあげた袖からは針のような剛毛に覆われた二の腕が剥き出され、その先の手には砂がこびりついたシャベルが握られている。
 凱は笑っていた。この時を待ち望んでいたと快哉を叫ぶ、歓喜滴る満面の笑顔。
 凱が口を尖らし、ぺっと唾を吐く。宙を飛んだ唾は狙い違わず俺の顔面に付着し、まわりを取り囲んだ取り巻き連中が爆笑する。
 「いいツラだな、半半」
 「そうやって腕を極められて地に這いつくばってんのがくそったれ台湾との混血にゃお似合いだ」
 「台湾人は犬の飯を食って犬とヤる鬼畜だから、犬の血が流れてるお前には犬の格好がいちばん似合うよ」
 「凱さんの唾で顔を洗って『中国万歳』って三回叫べば尻は見逃してやってもいいぜ」
 「口は頂戴するけどな」
 四囲から浴びせられる下品な嘲笑と下劣な野次にカッと体の芯が燃える。勝利の愉悦に酔ったけたたましい哄笑が抜けるような蒼天に響き渡り、俺の内側の温度が急速に冷えてゆく。
 「―じゃねえ」
 「あん?」
 余裕の笑みをたくわえたままうろんげに聞き返した周囲の連中に、俺はせいぜいふてぶてしく言ってやる。
 「俺の名前は半半じゃねえ、ロンだ。了解、頭可憐中國人?(わかったか、頭の可哀相な中国人)」
 凱の顔色が豹変する。
 「……請再説一次(もう一度言ってみろよ)」 
 開脚姿勢で屈みこんだ凱が鼻毛が一本一本数えられる距離にまで顔を近づける。
 「スラングでかなり崩れているが、さすがに発音は正確だな」
 凱に襟首を締め上げられた俺の言葉を横からひっさっらったのは、うつ伏せで押さえ込まれていた鍵屋崎。倍も体積がある肥満のガキに跨られ、四肢をもがれた芋虫のように無力に蠕動するしかない鍵屋崎を獰猛な眼光で射抜き、凱がおもむろに腰を上げる。凱の五指から襟首がすり抜け、窒息寸前で気道が開放された俺ははげしく咳き込む。ゆらりゆらりと高圧的に体を揺らしながら鍵屋崎へと歩み寄った凱は、優位を誇示しようって魂胆なのかズボンのポケットに手をつっこんだままの余裕ぶった風体。
 と、意外なことが起きた。
 手下たちが見守る中、鍵屋崎の鼻先をスッと素通りする凱。どこへいくんだ?いぶかしんだ俺の視線の先で凱が屈み、なにかを拾い上げる。凱が拾い上げたのは、アレはー……転んだ拍子にはじけとんだ、鍵屋崎のメガネだ。凱は妙に丁寧な手つきでレンズにこびりついた砂を拭うと、慈悲深いと見える笑みさえ浮かべてゆっくりと鍵屋崎に歩み寄る。

 嫌な、壮絶に嫌な予感がした。

 鍵屋崎の前で立ち止まった凱が、にたりと笑う。
 「なあ眼鏡、お前さっき言ったよな?ここの連中がなんでそんなに眼鏡のことを気にするのかって」
 鍵屋崎は黙りこくったままだ。妙になれなれしく変化した凱の声色に俺と同じ―…いや、それ以上の不安を感じているのだろう。素手でも十分人を殺害する凶器たりえるゴツゴツした手に眼鏡を握り締めた凱が、芝居がかった動作であたりを見回す。
 「まわりを見回して気付かなかったか?おまえのほかに眼鏡をかけた奴がいるか?いねえだろ」
 「…………」
 「ワケは簡単だ。東京プリズンじゃ眼鏡も凶器になるからな」
 どういう意味だ、とはさすがの鍵屋崎も聞けなかったようだ。眼前に迫った凱の迫力に完全に呑まれている。腰を落とした凱が無抵抗の鍵屋崎をぬっと覗きこむ。鍵屋崎を押さえ込んでいる手下に顎をしゃくり、後ろ手に封じていた鍵屋崎の手の一方を砂地に水平に固定させる。
 「顔は勘弁してやる。お前のそこそこ見られるツラをレンズの破片でミンチにするのは、俺たち全員お前のケツと口でたのしんでからでいいだろ」
 鍵屋崎の五指をこじ開けた凱が口笛でも吹きかねない嬉嬉とした様子で眼鏡を握らせ、上から強引に握りこみ、どんどん握力を加えてゆく。
 凱がなにをする気かわかった。くそっ、わかっちまった!
 「!やめ、……」

 絶叫。

 鍵屋崎の声だった。冷静沈着に落ち着き払った声か知性の深さを匂わせる皮肉っぽい言い回ししか知らない俺には、それが鍵屋崎の声だとは俄かには信じ難かった。獣の絶叫。理性が蒸発し、度を越した激痛に自制心を根こそぎもってかれた本能の叫び。
 凱の手下に押さえ込まれた俺が成す術なく見てる前で、鍵屋崎の指の間からボタボタと血が滴り落ちた。凱に握り締められた五指の内側で眼鏡の弦がひん曲がりレンズが粉々に砕け、細かく分裂した鋭い破片が皮膚を傷つけたのだ。
 これはまだほんの序の口。
 鍵屋崎の拳めがけ、勢いよく足を踏みおろし、全体重をかけた足裏で容赦なく五指を踏み砕く。鍵屋崎の絶叫が高まる。蒼白の顔面に浮いているのはおびただしい脂汗だ。鍵屋崎の指の骨が軋む音がここまで聞こえてきた。耳を塞ぎたいが、指も自由にならないこの体勢じゃ無理。せめて顔を背けたかったが、目を逸らそうとしたそばから俺に馬乗りになったガキに前髪を掴んで引き起こされる。
 砂に埋もれた拳をぎりぎりと念入りに踏みにじる。凱の足裏の摩擦熱で景色が歪みそうな錯覚に襲われ、目を凝らす。鍵屋崎は絶叫をあげつづけていた。助けを乞う余裕もないらしく、海老反りに反った体を手下が必死に押さえつけている。初対面の時から鍵屋崎が身にまとわせていた取り澄ました雰囲気なんてとうに別の次元に吹っ飛んでいた。砂まみれになって足掻く鍵屋崎の悲痛な姿に心痛める奴はここにはいない、いるのは大袈裟に手を叩いて笑い転げる奴らと砂に染みた血の匂いを嗅いで闘争本能に火がつき、やんやと拳を突き上げて凱をけしかける奴らだけ。
 「指を折ってやれ!」
 「右手が使えなくても不便はねえだろ!」
 「いや、大問題だぜ。夜の遊び相手がいなくなる」
 「ちげえねえ、こいつは最高の悲劇だ!」
 なにが最高の悲劇だ。これは最低のお遊戯だ。
 鍵屋崎の拳の上からそっと足がどかされる。叫びつかれたか、蒼白の顔で荒い息をつく鍵屋崎。そのてのひらには無数のガラス片が食い込み、べったりと擦ったように血が流れていた。てのひらの肉深くもぐりこんだガラス片を取り除くのはピンセットでも至難の業だ。青息吐息で肩を上下させる鍵屋崎をこの上なく愉快げに見下ろしていた凱が、またなにやらよからぬことを思いつく。
 「可哀相に、おててが傷だらけだなあ。消毒してやるよ」
 何かを企んだ笑顔で凱がうそぶき、鍵屋崎が力なく顔を起こす。その目は虚ろに宙をさまよっている。娑婆で暮らしてればそう味わうこともそうないだろう激痛に苛まれて意識が朦朧としているらしい。ぐったり憔悴した鍵屋崎に何を思ったか、凱が一気のシャツのズボンをおろす。
 ジャーッ、という音と共に黄色い液体がほとばしる。
 「!」
 地べたに張り付けられた俺の目の前で、凱が鍵屋崎の手に小便をかけている。出すものを出して気分爽快の凱が満足げにズボンを上げる。小便に洗い流された血が砂地に黒い染みを作る。ガラス片が食い込んだてのひらに小便が染みたのか、殆ど意識を失いかけていた鍵屋崎が億劫そうに顔をしかめた。
 自分がなにをされてるかアイツには見えているのだろうか?
 いくら眼鏡をしてないからといっても、自分の目と鼻の先で行われてる光景がわからないはずない。
 刹那、頭の中で何かがぶちぎれる音がした。
 「―調子に乗るなよ」
 意図せず低い声がした。臓腑が煮えたぎるような怒りに駆られた俺が、押さえ込まれたまま声を発したことが意外だったか、方向転換した凱が他の仲間を引き連れてこちらにやってくる。
 俺の背に馬乗りになったガキに無遠慮な手で後頭部を掴まれたまま、さらに続ける。
 「凱、お前らさんざんおれのこと半半だって罵ってくれたよな?台湾人の血がまじってる奴は犬ともまじわるだなんだ嘲笑してくれたよな?ああそうだ、たしかに俺は半半の混血だ。お前らの先祖だか親類縁者だかを殺した台湾人の血が流れてるよ、半分な。じゃ、お前らはなんだ?純血だよな。純血の、骨の髄まで立派な中国人だよな」
 後半になるにつれ聞き取りづらい早口になるのを抑えられない。俺の心の深いところに楔を刺していた理性が激情の奔流に引き抜かれ、怒涛の水圧に押し流される。
 自然と唇の端がひきつり、笑みに似たものを形作る。笑みに似た、不自然な痙攣。
 「骨の髄まで立派な―……中国人の面汚しだ」
 俺は地雷を踏んだ。そうとわかっていながら、ためらいなく踏んだ。
 びくともしなくなった鍵屋崎に砂を蹴りかけて遊んでいた凱の後方の仲間も、左右に腹心の部下を従えた凱自身も紙を洗ったような無表情になる。ここは炎天下の砂漠だというのに、凱の半径5メートル以内だけ極寒の氷室のような沈黙が落ちた。
 俺はなにも恥じることはない、と腹を括った。
 中国人の血を半分引いてる俺には、国の良心に代わってコイツらを罵る権利があるだろう。  
 「―血の濁った雑種に侮辱されるいわれはねえ」
 ざくざくと砂を踏み鳴らして大股に寄って来た凱が、ぎらぎらと血走った目で形相で凄む。毛細血管の浮いた白目の凄まじさに圧倒される暇もなく、顎が砕けたかと思うほどの衝撃、激痛。
 凱に顎を蹴り上げられたショックで舌を噛み、口腔に鉄錆びた味が広がる。続けざまにこめかみと肩と背を蹴られる。凱じゃなく奴の手下にだ。凱は東棟で最大規模を誇る中国系派閥のボスだから、「国の面汚し」呼ばわりされるのは生粋の中国人を両親にもつ他の連中にとっても最大級の侮辱だろう。
 そうとわかってて言ってやったんだ。ざまあみろ。
 どしゃっと砂にくずおれた俺の頭や肩や腹や背中や腰や太腿に蹴りをくれている連中は知らないだろうが、半半にも半半の意地があるのだ。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060531104440 | 編集
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