ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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睫毛走る墨の色

無自覚と無頓着の公式が導き出す解は鈍感だ。
この風変わりな男と同じ房に配属されてからというものその皮肉な現実を日々痛感している。

「あ」

読んでいた本のページに一点、漆黒の飛沫が飛ぶ。
既にして紙魚に蝕まれ黄ばんだ紙に黒々と墨が沁み広がるのと比例し、冷静沈着を至上の信条とする心中に不快感の泥濘が生じる。
いらだつ心を落ち着かせようと深呼吸をひとつ、染みが出来た本を伏せておく。

「……今のは嫌がらせか」
「すまん」
「墨の飛距離を競うのが趣味ならよそでやれ」
「あいすまん」

写経を中断したサムライが体ごと向き直り重ねて詫びる。
消灯までの僅かな自由時間、いつものように日課の写経に励むサムライを眺めつつベッドに腰掛け本を読んでいたのだが、この迂闊で粗忽な男が僕が借りた本に墨を飛ばしたため、東京プリズンに来てからの唯一の娯楽にして息抜きを諦めざるえなくなった。

不慮の事故と言ってしまえばそれまでだがもとはと言えば不注意が招いたミスで、もう少し彼が慎重な男だったならば苦もなく防げたはずだ。

「大体どうしてその位置から墨が飛ぶ?」
「手元が狂った」

ふと見やればサムライの手元、トメの筆圧が強すぎたのだろう半紙に黒い染みができている。そのせいで墨痕淋漓たる達筆が損なわれているのが惜しい。
不吉な兆しの如く半紙を蝕む黒に冷めた一瞥くれ、頭に浮かんだ一文を流暢に諳んじる。

「水茎の墨の色がはらはらと睫毛を走った。露瞼にうけたように瞬きして、すぐ……」
「なんだそれは」
「知らないのか。泉鏡花、薄紅梅の一節だ。日本文学史の金字塔と謳われる名文だぞ」
「風雅だな」
「野暮な君にもわかるか。涙で睫毛が濡れた所を表現したものだ」

半紙にしぶいた墨を観察、素朴な感慨を懐く。
昔の日本人は達筆の事を「水茎の跡も麗しい」と表現した。
水茎とは筆跡や手跡の別名。
語源には諸説あり、瑞々しい茎の意からとしたり、また昔、手紙をつける梓の枝を瑞々しい木とみなし、転じて筆跡、筆の意となったとする解釈が有力だが、植物のコウボウムギの古い地下茎が筆の穂の形なのでこれを切って筆としたことからなどとする説もある。
いずれも平安時代以後の用法であるが、当時の日本人は筆跡の表現一つとっても感受性豊かだったのだなと感心する。

サムライの筆跡は文武両道を重んじる家柄の末裔に相応しく、水茎の美名と釣り合いのとれるものだった。
この武弁がこれほどまでに繊細な美しさと品位を併せ持った字を紡ぐのかと、筆跡を初めて見て驚いた記憶がある。
黙々と素振りを行う厳つい手が、人を斬る技と業にばかり長けた指が、一たび筆を握れば平生の訥々とした語り口より遥かに雅やかな饒舌さでもって字を紡ぎ出していくのを見るのは化かされてでもいるようだった。

「それで、何に気を取られていた」
「……考え事をしていた」
なにやら思案げな仏頂面で言い筆を横に寝かせる。
「何だ、考え事とは」
興味はないが一応聞いてやる。
「つまらんことだ」
「愚問だな、低能の悩みが常に低俗と断じるほど僕の心は狭くないぞ」
「気にするな」

やけに頑なに拒む。写経を再開しようと何食わぬ顔で筆をとる男、その思わせぶりな態度が否が応にも興味を引き、知らず追及の声が高まる。

「いいから言え、読書を妨げた責任をとれ。心にひっかかってる事とは何だ?」

告白迫る僕を胡乱な眼差しで一瞥、奇妙に緩慢な動作で墨をすって時間を稼ぐ。

「何故そこにいる?」
「は?」

質問の意図が理解できず困惑する。

「貴様の口から存在論的アンチテーゼを聞くとは思わなかった」
「違う」

何故だか不機嫌げに否定し、厭わしさと含羞みとが綯い交ぜとなった仏頂面で続ける。

「何故そこで本を読む?」
「ここが僕の房だからだ」
「そうではない」
眼鏡越しにサムライを見返す。
彼の口から出たのは思わぬ一言。

「近すぎるだろう」

指摘され、初めて自覚に至る。
床に正座し半紙と向き合うサムライとベッドに腰掛け本を読む僕との間は30センチも離れてない。
これでは墨も飛ぶはずだ。

「……」

きまりが悪い。
ここに来たばかりの頃は常に緊張し、無関心と警戒心とを足して割った適切な距離を保っていたというのに……

無意識にサムライを慕い求めていたのか
警戒心を脱ぎ捨て、自然体で寄り添っていたのか。


「……」
本に集中するあまりえてして人は視野狭窄に陥り、無防備な部分を曝け出す。
だからこそ無意識の性として最も安心できる場所、居心地の良い場所を求めてしまう傾向にあるのだと心理学の本から得た知識を元に自己分析。

いつのまに距離が縮まっていた?
いつのまに心を許していた?

「不愉快ならそう言え」
「不愉快とは言っとらん」
「じゃあ何だ」
「……房は寒かろう」

確かに寒い。
いかに数か月東京プリズンで暮らし劣悪な環境に実践的適応を余儀なくされたとはいえ、鉄扉に穿たれた格子窓や壁の隙間から吹き込む冷気に身を晒しての読書は辛い。
本格的な夜を迎え下がりつつある室温を思い出し二の腕を擦って温めれば、サムライが筆を取りつつぶっきらぼうに言う。

「俺でも風除けくらいにはなる。もっと近くに寄れ」

もっとそばに来いと、おもてを俯け言葉少なに促す。
そんな幼稚な口実をもうけなければ距離を縮められない不器用さが滑稽で苦笑を誘う。

これでは庇護と依存をはき違えてしまう。
彼の優しさに甘えてしまう。

「遠慮する。また墨をとばされてはかなわない」
「……そうか」
近くも遠くもなく今はまだこれが精一杯の距離、苦肉の干渉。

「せいぜい風除けになってくれ」

本のページをめくりつつ、視界にちらつく横顔を上目遣いに窺う。

「……君の半径1メートル内で読書する理由は単純だ。ここが一番寒くないからだ」

ただそれだけ。
それだけだと自分に嘘を吐く。

先刻のページに目を落とせば墨はもうとっくに乾ききっていた。
今や文章の末尾に涙滴の痕跡を残すのみとなった墨にそっと触れ、何気なく活字を遡ってみる。

『忍ぶれど 色にでにけりわが恋は ものやおもふと人のとふまで』

見抜かれた気がしてページをめくりかけた手が止まる。
そんな僕の心中を持ち前の勘の鋭さで読んだのかはたまた偶然か、未必の故意ともとれるタイミングの良さでサムライが呟く。

「さっきの言葉でお前を思い出した」
「僕を?」

『水茎の墨の色がはらはらと睫毛を走る』

ごく一瞬、どこか沈痛かつストイックな印象を抱かせる顔に穏やかな笑みが掠めたのは錯覚か。
まるで今手に持つ筆が僕の睫毛を一本ずつ採取して出来たものであるかのように愛おしげに見つめ、涙の色に染め直すように、硯に浸してたっぷりと墨を含ませる。

「お前の睫毛を濡れ染めた涙の色だ」

無自覚と無頓着の公式が導き出す解は鈍感だ。
この男がもう少し言動に自覚を持てば、その一挙手一投足が暗喩する下心を深読みする徒労もなくなるというのに、天然とはかくも始末が悪い。

睫毛の色の変化など唇が触れ合う距離に来なければわからないというのに、馬鹿な男だ。

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サムライ×直へのお題:無自覚と無頓着=鈍感/「もっと。」/にがくわらう

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010529113725 | 編集
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