ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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オレオレ御曹司 46

「みはな様はご無事です」
「断言できるだけの根拠はあるか」
「悲観しても仕方ありません」
「楽観は許されん」

一晩たった。
御影が事務所を構えるマンションから帰還した誠一は、本日の予定を全てキャンセルし自宅待機を断行した。
御影からいつ連絡が来てもいいようソファーの前のテーブルに電話を移動させ、ランプが点灯するのを今か今かと瞬きも惜しみ待ち構えているが、高まる期待と焦燥を裏切って一向に電話は鳴らない。
一度か二度、もしや電話線が切れてるのではと疑い確かめてみたが被害妄想だった。
コードを軽く引っ張ればちゃんと抵抗を感じるし、コンセントが繋がっているのを目で辿り確かめたから間違いない。 
現状、打てる手はなにもない。
マンションの周囲には抜け目なく人員を配置してあるが、ひたすら「待ち」の姿勢に徹しざるをえない現状は非常に精神力を削る。
かといって不用意に動くのも危険だ。ここは敵の出方を窺って次善の策を……

『誠一さん!』
「―っ、」

きつく唇を噛む。組んだ指先に力がこもる。
瞼を閉じて―消えろと念じ―なのに消えない、暗闇の中でその映像はなおいっそう残忍に鮮明さを増し青白く輝く。
亀裂の走った液晶、書類と一緒に飛び散る破片。破片で切った手の甲には絆創膏を貼ってある。大袈裟だと渋る誠一をアンディが説き伏せて応急処置を施した。
指を強く組んだ事により傷口が開き、絆創膏の表面にじわりと血が滲む。自らに痛みを与える事でしか自責の念と均衡をとれない、自らに罰を課す事でしか渦巻き膨れ上がる罪悪感を怒りを憎しみをごまかせない。増殖する負の感情によって胸の内がどす黒く塗り潰されていく。
手遅れだった。
もう少し早く殴り込んでいれば、もう少し早くアジトを突き止めていれば、もう少し早く会えていれば……
「また」遅かった、間に合わなかった、手遅れだった。俺はいつだって大事な人間のもしもの時に間に合わない。いったい何度手遅れの苦味を噛み締めればいい、いったいどれだけ悔めば望んだ日常が無傷で戻ってくる?指を強く強く軋むほどに握りしめる。傷口が開き、疼くような痛みが再発する。
「社長、お怪我が」
「気にするな」
「しかし」
「俺の事はどうでもいい、今大事なのはみはなと」
続く言葉に迷う。
はたして自分にその名を口にする資格があるのかと問うように一瞬言葉を喪失し、唾を嚥下し、恥じるようにそっぽを向く。
「……あいつの、悦巳の安否だ」
心臓から最後の一滴まで血を絞りとるように名を呟く。
呼び慣れた名前。口に出してはいけない名前。いつのまにか、すっかり口に馴染んでしまった名前。

『誠一さん』
それはもう憎らしいほどに
『見てください誠一さんすげーっすよ、今日の卵ふたごっすよ、ほら、目玉焼きが二個!ツイてるっす、今日は必ずいいことあるっスよ!』
そんなどうでもいい報告をさも嬉しそうにみはなと一緒にはしゃいで喜んで

胸が詰まるという感覚を長い間忘れていた。
息ができないほどの怒りも忘れていた。
その両方を今まさに体験し、動悸と過呼吸の発作に見舞われ拳で卓を殴打。
これっぽっちの痛みがなんだ、悦巳が味わった痛み苦しみに比べれば

「ご自分をお責めなさらぬように」
「俺は落ち着いている!」
ヒステリックに叫ぶ、その様子自体が言葉を裏切っている。

みはな。
悦巳。

家族なんかいらない、子供の頃そう誓った。
祖母の屋敷の裏庭で、薔薇の茂みで。ひとりぼっちで膝を抱え世界を呪った。
「……落ち着いている……」
力なく繰り返し、激情に任せ浮かせかけた腰を再びソファーに落ち着ける。
虚脱しきって呟き、片手で顔の半分を覆う。

どうでもいいはずだった。
なのに今、たまらなく怖い。
一つ判断を誤れば二人を失ってしまうかもしれない現実がとても怖い。

俺はこんな弱い人間だったか?
こんなに脆く弱く、「家族」なんて虚像に依存する人間だったのか?

『あなたに人の心はわからない。結婚したのは間違いだったわ』

男を作り逃げた母親、愛人の元に入り浸る父親。
身勝手な両親を軽蔑していたはずだ。
絶対に家庭は作らないと子供心に固く誓った、親に愛された経験のない人間にまっとうな家庭が築けるはずないと絶望よりかは自嘲に近い冷めた諦観を抱き成長した、思春期の頃にはすでに人格は完成されきっていた。
あいつ如きがいないせいでこうも動転してると認めるのが癪だ。たかが家族ごっこ、されど家族ごっこ。模倣の茶番にすぎなくても本気で役を演じていればいつか真実に成り得るのか、ごっこを卒業できるのか。
華は何故悦巳を選んだ、相続人に指名した?
益体もなく空回りする思考に嫌気がさす。
仮眠をとってないせいで頭が妙に冴えてしまう。
悲観的な方向に流されないよう思考の焦点をずらし努めて疲れを顔に出さぬよう心がけているが、限界はそう遠からず訪れるだろう。
「食べるものを用意します」
「いらん」
「昨日から何も口されないのでは万一の時に力が出ません。大事な交渉の場で倒れられてはかないませんので」
「……作れるのか?」
「野戦料理専門ですが」
一抹の不安が兆し苦言を呈す誠一をサングラス越しにちらり一瞥、朴念仁がスーツを着て歩いてるような男には珍しく剽軽な軽口を叩く。
「児玉悦巳の手料理しか受け付けない体質なのは重々承知の上ですが、誠心誠意善処します。戦車とて燃料補給しなければ立ち往きません」
「人体を戦車にたとえるな。デリカシーがないぞ」
「前者は否定なさらないんですね」
一本とられた。憮然とした渋面でねめつけるも、アンディは素知らぬ風を通す。
「……あいつのお節介が伝染ったのか?」
「光栄です」
「こんな図体のでかい家政夫はいらん。目障りだ」
「エプロンが世界で一番似合うのは児玉悦巳と心得てますとも」
有無を言わさぬ調子で台所の方へ歩いていく背中を手をつかね見送る。つまらん口答えをするようになったのは悦巳の悪影響だろうか。迷惑なことだ。
アンディが冷蔵庫の扉を開くと同時に電話が鳴り出す。
「!」
咄嗟に受話器をとる。
心臓の鼓動が高鳴る。口の中が異常に渇く。じらすような沈黙に早くも忍耐力が切れ、さんざん待たされた文句をぶつけんと息を吸いこみ……

『あの、こだまさんのおたくですか』

予想だにせぬたどたどしい第一声に意表をつかれ、受話器を掴む手から力が抜けていく。
耳にあてた受話器から漏れ出たのは幼い子供の声……御影やその配下の者では断じてない。
誠一に自宅に掛けてくるような園児の知り合いはない。イタズラ電話と決めつけ、憤然と叩き切ろうとしたが、その動きを事前に察したように声のトーンが高まる。
『おれ、こうたです。みはなちゃんいますか』
「こうた?」
よりにもよって呼び捨て。自然と誰何の声が剣呑に低まる。
「みはなは今いない。……誰だ、幼稚園の友達か。用があるなら掛けなおせ」
子供相手に大人げないにも程がある凄みを含み命じたのは精神的余裕がないせいだ。
さしもの誠一とてもし今が普通の状態なら、どこの馬の骨とも知れぬ男が幼稚園児の娘に電話をかけてきたくらいで敵意を剥き出しにはしない……はずだ。が、声の主はくじけない。
『みはなちゃんのパパ?』
「……そうだが、俺じゃ不満か」
『きょうみはなちゃん幼稚園こなくって、せんせいも何も聞いてないって……また風邪じゃないかって心配になって、俺、おうちに電話かけたんだけど。アイツはお医者さんに?』
「状況を整理しよう。貴様はみはなと幼稚園で同じ組で、娘の欠席を心配して自宅に電話をかけてきたと、こういうわけだな」
要点を掻い摘んで確認すれば、電話の向こうでこっくりと頷く気配。
康太。
自慢じゃないが、娘の友人関係は全くと言うほどを全く把握してない。康太と名乗る少年と話すのも今日が初めてだが、そういえば悦巳の話にたびたび出てきたような気がする。
何かというとみはなにちょっかいを出す問題児という話だったが……
「……用件はそれだけか」
紛らわしい真似を。
舌打ちしたい衝動をこらえ、我ながら大人げないと呆れる不機嫌さで聞けば、電話の向こうから届く声がにわかに弾む。
『ばかせいふが言ってたせーいちさん?』
「は?」
『やっぱりせーいちさんだ。アイツが言ってた通り、ひとがなにかいうと「は?」って返すんだ!すげー感じ悪い!』
……なんだかすごく不本意な個別認識をされた気がする。
首を傾げる誠一をよそに少年はひどく感激した様子でまくしたてる。
『みはなのパパってことはせーいちさんでしょ?ばかせいふがでいっつもジマンしてた、せーいちさんのこと。いつもおっかなくて、怒るともっとおっかなくて、シゴトシゴトのシゴト人間であんま家に帰ってこなくって、最初のころはツチノコなみの遭遇率だったって。ツチノコって何?』
「辞書を引け。大人に頼ればなんでも教えてもらえると思えば大間違いだ」
『でもさ、好きなんだって』
不意打ちだった。
『イイ人だから好きなんだって』
辛辣な仕打ちにもへこたれず、楽しげに語る声が耳を素通りしていく。
おそらく台に上って重たい受話器を支えているのだろう康太が、問い質すタイミングを逸した誠一の狼狽など置き去りにあっけらかんと続ける。
『ボウジャクブジンでゴウガンフソン、レイコクムジョウな俺サマなんだよな、せーいちさんは。いばりんぼのおこりんぼで、だけどほんとはとっても照れ屋さんなんだろ?』
ずばずばと、まるで歌うように楽しげに指摘する声。
『照れ屋で恥ずかしがり屋さんで、だから素直になれないだけなんだって。ひとにやさしくするのがちょっと下手だけど、それはやさしくないのとはちがうって。やさしくされたひとはやさしくされたことちゃんと覚えてるってさ』
あの馬鹿、園児相手に何を話してるんだ?べらべらとあることないこと勝手なことを、俺に無断で……
文句を言いたくても本人はここにいなくて、胸ぐら掴んで叱責したくても誠一の手は今受話器を握っていて、胸にこみ上げるやり場のない感情を処理する術を持たない。
受話器の向こうで康太は得意げにのたまう。
『やさしいせーいちさんのコドモだからみはなもやさしいイイ子だって……アイツへんだよなー。ママが言ってた、かせいふってのはお金をもらって家の事をやる召使いみたいなもんだって。でもえつみはさ、お金もらえなくていいからずっとうちにおいてほしいんだって。ただ働きでいいんだって。それじゃかせいふじゃないじゃんって突っ込んだらなんて言ったと思う?』
誠一さん誠一さんと犬みたいに懐く青年、みはなを膝にだっこし絵本を読み聞かせる姿、台所でフライパンと格闘する後ろ姿。かつて確かにあった平和な日常。
いつのまにか戻ってきたアンディが黙りこくって見守る中、受話器をつかむ手に縋るような力がこもる。

『かぞくになりたい』

康太が慌てだす。
『あ、やば、言っちゃった!ナイショだったのに……まあいいや、許してくれるよねえつみなら』
「ああ。あいつはどうしようもないお人よしだから、うっかりミスの一つや二つ大目に見てくれる」
『よかった』
「ほかにも何か言ってたか?」
『え?えっと……イイ人ではあるんだけど、だけどちょっとだけどゴーマンなところは直してほしい。夕飯遅くなるときは連絡しろ、もっとコドモと遊ぶ時間をもて、ネクタイの趣味が年寄りくさい、黒や茶色ばっかでセンスない、もっと遊び心を……ティーパックも味変わんねえよ、とか』
「は、はは」
肩が波打ち、乾いた笑いが口から洩れる。
棒読みに近く平坦な笑いの波長が揺らぎ、俯き気味の顔がほんの一瞬くしゃりと歪む。
苦笑と失笑を織り交ぜたような、いやそれ以上にあきれかえったようにも見える、泣き笑いに近い複雑な表情。
それはまるで零れ落ちた幸せを噛み締めるような、


「あの、馬鹿」
ノロケは俺の前でしろ。


『……みはなとえつみになんかあったのか』
突如として笑い出した誠一の様子を不審がり、康太が声を潜める。
『みはな、いつでてくる?あいつにカードあげたんだ、おれが大事にしてたレアカード。早く風邪なおるようにって。汚したりしてないか心配で、こんど幼稚園にもってきて見せ合おうって約束して……悦巳とも勝負するんだ。いま六勝七敗二引き分けで俺が敗けてるけど、次は必ず』
「みはなが好きなのか?」
『!なっ』
絶句。背後に迫るスリッパの音。
『康太、どこにかけてるの!?』
『やべ、オニババがきた!』
「どうなんだ。好きか嫌いかはっきりしろ」
『ち、ちが……好きじゃねえよあんな奴、どうしてもいっていうならけっこんしてやってもいいけど』
「婚姻届に漢字で書き込めるようになってから出直してこい」
はっきりと断言しがちゃんと受話器を置く。
「どなたからですか?」
「悪い虫だ」
再びベルが鳴る。
アンディと顔を見合わせ、シャツの襟元を片手で緩め、もう片方の手で受話器を取る。
「児玉ですが」
『誠一か、なにをやってる!どうして会社を休んだ!』
「お父さん……」
危うく舌打ちが出かける。二回連続で空振り。御影の電話を待ちかね気も狂わんばかりの誠一を嘲笑うかのように、受話器が送り出すのは甲走った充の怒声。
「部下から聞いてませんか?今日は本社に行けません、後の事は貴方にお任せします」
『無責任な……!事情くらい説明しろ、ちゃんと納得できるように。大事な打ち合わせが入ってるのを忘れたのか、先方はカンカンだ!』
ヒステリックにがなりたてる受話器を耳から離す。こめかみを偏頭痛が襲う。ある意味では今一番聞きたくない男の声だ。
この男はどこまでいっても会社と自分の体面しか考えてない。
「折り返し掛けなおします、今はつまらない議論をしてる場合じゃないんです」
『逃げる気か?ごまかすな。大体お前はいつもそうだ、俺を馬鹿にしてるのか。いいか確かに社長の座は譲ったが会社を大きくしたのは俺だ、今でも会社の命運を左右する決定権は俺にある!俺に相談もなく勝手な真似は許さん、お前が任せておけというからそうしたが遺産贈与の件だって一向に上手くいかんじゃないか!半年近く一緒に暮らしておきながら詐欺師一匹説き伏せられんとは情けない、本当に情が芽生えたわけでもあるまい』
「………」
『まさか、あの女が原因か?あの女のせいで足止めをくってるのか?あの女なら保護者を詐称して幼稚園にみはなを迎えに行く位やりかねない、立派な誘拐、刑事事件だ!何をぼさっとしてる誠一、あんな女にむざむざ子供を渡していいのか?外国に連れ去られたら手を出せんぞ、国内にいるうちに訴訟でもなんでも手を打つべきだ。そもそも最初からあの女との結婚には反対だったんだ、それをお前ときたら人の話を聞かずに勝手に決めて……過ぎたことはもういい、しかし俺の孫を横取りさせんぞ!』
横取り、か。
まるきりもの扱いじゃないか。お気に入りのおもちゃをとられた子供の言いぐさだ。
息子の反論には一切耳を貸さず、その沈黙が持つ深遠な意味を斟酌するでもなく喚き散らしていた充がふと矛先を変える。
『くどいようだが誠一、例の詐欺師を愛人にしているというのは冗談だよな。それでみはなが邪魔になったわけじゃあるまい。手に余るみはなを母親に押しつけて、よりにもよって男の愛人と……婆さんを殺した男と同棲を始めるなんて正気か?』
「うちの家政夫を侮辱するのは許さん」
ぞっとするほど冷たい声がでる。
「俺はあんたが父親で恥ずかしい、父さん」
意志が弾込めし怒りが引き金を引く訣別の表明。
「俺はあんたを軽蔑する。あんたのようにはなりたくないとずっと思ってきた。だけどあんたのようになってしまった、家庭に背を向け息子を捨てたあんたのように」
『誠一、』
「あんたはずっと俺の反面教師だった。ずっとずっと、物心ついたころからずっと、あんたのようにだけはなるまいと念じてきた。でも結果的にそうなってしまった、俺がどうしようもない馬鹿なばっかりに美香とみはなに哀しい思いをさせた、妻と子供を傷付けた。だけど俺はもう子供じゃない、来ない迎えを待ったりしない」
『俺はお前の父でみはなの祖父だぞ!』
「部外者が家庭の問題に口を出すな。祖母は……婆さんはあんたを許していた、馬鹿で身勝手で女好きで浪費癖が祟って会社を傾けたあんたをそれでも愛していた。だから泣きつかれるたび貯金を切り崩し金を融通してやった。あんたが身内の情をダシにして婆さんから搾り取った額に比べたらあいつが掠め取った額なんて微々たるものだ、あいつは詐欺師だが笑ってしまうほどお人よしだ、そんなどうしようもないお人よしだからこそ血の繋がった縁者じゃなくあいつを相続人に選んだんだ、婆さんは。つけくわえるならみはなはあんたの孫である前に俺の娘だ、金輪際俺たちの人生に干渉するのはよしてもらおう」
とっくに成人し会社を継いだ息子に指図するのが父親の特権と思い違えた男にきっぱり引導を渡す。
「失礼します」
『待っ』
がちゃんと電話を切る。
怒号の残滓がまだ漂っているかのような白けた空気をため息で払う。
「……せいせいした」
「ご立派でした」
肩の荷を下ろしたかのようにだらしなく寛いでソファーに沈む誠一をアンディがねぎらう。
再び電話が鳴り出す。
「しつこい。お前が出ろ」
「はい、児玉ですか」
顔色が豹変。
「………お電話です。御影から」
即座に受話器をひったくる。。
『あのさ、素朴な疑問なんだが。あんたんとこの秘書って屋内でもサングラスしてんのか?ファッションから入っちゃうタイプ?』
「二人は無事か。声を聞かせろ」
『前戯くらい付き合えや社長サン』
「時間がない」
耳から入った声が体内を毒す。
人の心の裏側を覗き好んで暴き立てる爬虫類じみた声の陰湿さに生理的嫌悪を懐く。
『金は用意できたか?』
「ああ。手切れ金と思えば安いものだ」
『さっすが豪気だね』
素早く目配せを送れば実直な首肯が返される。
汗でぬめる手で受話器を持ち直し、再度重ねて乞う。
「悦巳とみはなに代われ。声が聞きたい。まさか電話にでれんような状態じゃないだろな」
『大事な人質を傷つけたりしねえよ』
「どの口がぬかす」
『あんなのはただの遊びじゃねえか、退屈しのぎの戯れあいだよ。独り占めすんのはもったいねえからせっかく見せてやったのにお気に召さなかったみてえでこっちも残念だ』
くつくつと忍び笑いが電話線を伝う。目の前にいたら絞め殺していただろう。
「二人を出せ」
『人にものを頼む態度か?』
「……頼む」
苦渋に満ちた声で希う。御影が鼻白み、背後に控える手下に何かを命じる。暫しの空白の後―
『………もしもし』
「みはなか」
『はい』
「大丈夫か。元気か。ちゃんと食べてるか。昨日はよく眠れたか。そばに悦巳はいるか」
矢継ぎ早に畳み掛ける誠一に気圧され、一瞬黙り込んだみはなが最後の質問にだけおずおずと答える。
『えっちゃんはとなりにいます』 
「そう、か」
まるでそれが「大丈夫か」「元気か」を全部ひっくるめた答えであるかのように安堵の念が吐息を溶かす。
「隣にいるのか」
『はい』
ごり押しで電話を代わらせたというのに何を話していいかわからない、話したいことは山ほどあるのに言葉が喉にひっかかって出てこない。
「怖くなかったか」
『………』
馬鹿なことを。
怖いに決まってる。
一晩中ヤクザの事務所に軟禁され、怖い顔の大人たちにぞろりと取り囲まれ、怯えきってるに決まってる。
娘の気持ちを和まそうと話題を変える。
「さっき幼稚園の友達から電話があった。康太という男の子だ」
『康太くんが?』
みはなが驚く。誠一は頷く。
「幼稚園を休んだから心配して電話をかけてきたそうだ。遊ぶ約束をしてるんだろう」
『……はい』
「なら、守らないとな。あしたは幼稚園に行かないと」
『はい』
自分には似合わないだろうと内心苦笑しつつ、あえて冗談めかした顔と口調で請け負えば、ぴしゃりと気を付けの姿勢をとったのだろうみはなが毅然と返事をする。
ひどく壊れやすいものを手さぐりするように、もうこれ以上愛しい娘をおびえさせぬよう、できるかぎり優しく促す。
「……悦巳に代わってくれ」
『誠一さん』 
「悦巳か」
『……ハイ、そっす』
「児玉誠一はゴウガンフソンでボウジャクブジンなオレサマシャチョーだとこきおろしてるそうじゃないか」
『は!?えっ、誰が』
「人がいないところでは言いたい放題とはけしからん。俺の悪評を広めるのがお前の仕事か」
『あ、アレは言葉の綾っスよ!けっして本心から出た言葉んじゃなくて嘘の中に真実アリというか真実だらけというか、というかゴウガンフソンでボウジャクブジンじゃない誠一さんんなんて誠一さんモドキだし、俺は今のままの誠一さんが好っ』
「言い訳は立場を悪くするぞ」
『すいません土下座します』
「口頭で土下座しても意味がない」
『正座します』
「よろしい。説教は帰ってからだ」
受話器を握り直す。強く強くしっかりと、自分の心の在り処を示すように。

「お前は俺が助ける。お前はみはなを守ってくれ」

最小限の言葉による最大限の激励。
交換条件じゃない。これは、誠一からのお願いだ。悦巳を見込んで頼んでいるのだ。
『誠一さん………なんか無茶しそーっすね』
茶化すような笑い声が笑いを誘う。
「そこは無茶しないでって頼むところじゃないか」
『そっかな。そっかも。すいません、今あんま頭働いてなくて……でもさ、きっと言っても聞かないでしょ。伊達に付き合い長くねーし、わかりますよそれくらい』
「無茶してでも助け出す価値はある。お前を手放すのは惜しい」
『よっく言う……一回追い出したくせに虫よすぎっす』
「これから迎えに行く」

打たれたように息をのむ。

子供のころ施設の前に置き去りにした青年に、子供の純粋さを残したまま成長してしまった青年に、いつか両親が迎えに来てくれるという希望を捨てきれず叶わぬ願いを抱き続けた悦巳に、今こそ報いようと決意する。
拒絶の恐怖に怯える本心を偽りの軽薄さで糊塗し、道化に甘んじ続けた心優しく不器用な青年に、それにも増して臆病な不器用さで手を差し伸べる。

傷つけあうのを怖がって、近付いてはまた離れ、それを数限りなく繰り返し少しずつ距離を詰めていく。

コードレスの受話器を引っ掴み立ち上がるや、アンディを押しのけ大股に台所へ向かい、目指す冷蔵庫の扉を開ける。
「貴様には言いたいことが山ほどある。見ろこの刺身、賞味期限切れだ。これもあれも全部貴様がスーパーで買い込んだものじゃないか。それだけじゃない、タッパーに詰まったコレはなんだ?」
『え?一番奥にあるピンクの奴なら幼稚園のお母さん仲間から作り方教わった梅干し……』 
「そうだ、梅干しだ。ぎっしりタッパーに詰まった梅干しを誰が食う。俺は食わんしみはなは論外だ、責任とって貴様が食え。第一俺の腹が減ってるのに飯が炊けてないとはどういう了見だ、炊飯器の中もからっぽじゃないか!梅干しをのせて出す飯もないとは度し難い恥を知れ!」
『なっ……だって誠一さん洋食派じゃねっすか、梅干し食べねえってたった今言ったくせに!?』
「それはそれこれはこれだ、言い訳するな。大体そうとわかってるならなぜ俺の嫌いなものを作る、嫌がらせか?」
『好き嫌いは体に悪いしみはなちゃんが真似するからよくねっす!』
「……ぷっ」
『くくっ』
吹き出したのは同時。
電話を挟んだ笑い声が徐徐に大きくなり、緊迫した交渉の場には似つかわしくない笑いが二重に響き渡る。
そうだ、俺たちはいつもみはなを中心に回っていた。いつも、いつだって。

俺が望む家族のカタチ。
答えはすぐ近くにあったじゃないか。

二人を隔てる深い溝が朗らかな笑いによって埋め立てられ、胸にこごる冷たい塊が融け出して行く。
『はは、ははっ!ンな場合じゃねえっつーのにくだんねえ、シリアスにキメる流れじゃないんスかあ?かっこ悪いっすよ誠一さん』
「今さらかっこつけてどうする。とにかく、冷蔵庫の中身も整理せず消えるのは許さん」
一方的に言い置けば受話器の向こうの呼吸が不規則に浅くなり、嗚咽じみたしゃっくりが聞こえ、降参するように語尾がしぼむ。
『反則だよなホント……』
受話器が御影に取って代わられる。
『元気でやってるって納得したか?』
「ああ」
『それで金の引き渡し場所だが」
「俺が指定する」
『あぁん?』
御影の声が猜疑と警戒を孕んで冷え込む。
誠一は感情を押し殺した冷厳な面構えを崩さず、決定事項を通達するように高圧的に述べる。 
「俺が主導権を握るのが不満か」
『当たり前だ。あんた自分の立場がわかってんのか?俺は脅迫する側、あんたはされる側だ』
「ヤクザも意外にだらしないな。一般人の姦計に怯えるのか」
『あんたが決めた場所に警察が張り込んでねえとも限らねえ。のこのこ出向いてってサツのお縄につくのはごめんだね』
「金がほしくないのか?落とし穴に嵌まるのが怖いならぞろぞろと仲間を引き連れてくればいい、数を嵩にきた脅しは専売特許だろう」
アンディ、それに受話器のむこうの悦巳が生唾を呑み、互いの喉元に刃を突き付けるような駆け引きの行方を注視する。
「金を渡す条件はそれだ。断るならば警察に行く」
『場所はどこだ』
「夜ともなれば人けがなくなるうってつけの場所だ」
『……妙な真似すんなよ』
受話器の向こうで短い悲鳴が上がる。おそらく悦巳の髪を掴んで引っ張っているのだろう、嗜虐に昂ぶった笑みでねっとりと言い含める。
『こっちにゃ人質がいる事を忘れんな、生かすも殺すも俺の裁量一つだ。悪役っぽい台詞だろ?一度言ってみたかったんだ』
保身と体面を秤にかけた上で守らねばならぬものが些か多すぎる誠一が軽率な行動をとるはずないと判断、交換条件を呑み譲歩してみせることで心理的優位を誇示する。
腐ってもヤクザ、御影とて丸腰では来ないだろう。最低でも四・五人、武器を携帯した舎弟を同伴するはずだ。悦巳とみはなという人質を押さえられた状況下、両者の利益が一致する形でもっとも穏便に事を済ませたいなら素直に金を受け渡すのが一番だ。
『で、場所はどこだ』  
「幼稚園だ」




夜の幼稚園はアクリル水槽のような静寂に満たされている。
ブランコ、シーソー、滑り台、ジャングルジム。敷地に建つ遊具が常夜灯の光を受けて濃く長く影を落とす。
職員も園児も既に帰宅し、夜闇に沈んだ敷地を仄明るい常夜灯が清潔に照らす。
閑静な住宅街のど真ん中という立地にあって、閉園後の幼稚園は奇妙なエアスポットと化していた。学校もそうだが、昼間子供たちの元気な歓声であふれた場所がガラスの板を敷いたように静まり返っているのはいっそう不気味だ。住宅街の死角、盲点。住民の多くが寝支度を始めた時刻、本来なら人っ子ひとりいないはずの幼稚園に不審な人影が群れ集う。
たむろうのはいずれもガラの悪い男達―御影の舎弟。ある者はポケットに手を突っ込み上り棒にもたれ、ある者は地べたにしゃがんで携帯をいじり、ある者はシーソーの片端に腰かけてコンビニから調達した缶ビールを飲んでいる。
彼等の役割は見張りと護衛。見張りは人質に対し、護衛は兄貴分に対し。
「てめえの飼い主はなに考えてんだ、ガキの遊び場を大事な取引場所に指定してやがって……ハッタリにしちゃ酔狂なまねしてくれんじゃねえか」
ジャングルジムのてっぺんに座った御影がライターで煙草に火をつけつつ問うも、もとより答える術を持たない悦巳は沈黙でもって返すしかない。
悦巳の隣にぴたりとみはなが寄り添う。みはなを挟み、向こうには大志がいる。よそ行きのドレスを着たみはなは掠り傷ひとつなくぴんぴんしてるが、悦巳と大志は甲乙つけがたくぼろぼろの状態だ。
引き渡し場所が決まったと告げられ、マンションから引っ張り出され連れてこられたのがここ。
何を隠そう、みなが通う幼稚園だ。
みはなと手をつなぎ何往復もしたのだ、マンションまでの道のりは目をつむっていても反芻できる。誠一が待つマンションに今すぐ飛んで帰りたい、また罵ってほしい……

マゾか俺は。

「仲よさそうだったな」
「は?」
「さっきの電話。夫婦喧嘩みてえだった」
弾かれたように向き直る。大志がそっぽを向いてぼそぼそ呟く。
「……こんな時になに言ってんだ……」
「うるせえな、しょうがねーだろ。しあわせそうなつらして罵られやがって、むかつくんだよ」
「どんなつらさ」
「腑抜けたつらだよ。ゆるみきったつら。馬鹿だの役立たずだのぼろくそ言われんのがそんな嬉しいのかよ」
ただのやつあたりにすぎないとわかっているのだろう、大志の顔がやりきれなさげに歪む。
ほんの数時間前大志の告白を受け止めた手前どう返せばよいやらわからず、いまいち自信なさげに小首を傾げつつフォローする。
「いや……言われるうちに快感になっちまったつーか逆に怒鳴られねーと物足りねえっつうか、誠一さんのアレは一種の愛情表現?なんだよ」
「わけわかんねー」
「やきもちですか?」
「あぁん?」
「すごむなよ、おっかながるだろ」
「おっかなくありません」
「ざけたこと言ってっとひっぱたくぞガキ」
「脅すなよ大志!」
「大志さんはやきもちやきなんですか?」
毒づく大志をつぶらな目で見つめつつ、子供特有の残酷な無邪気さで問うみはなを悦巳が庇う。
「えっちゃんをとられるのがいやなんですね。ずっとひとりじめしたかったんですね」
「…………っ!」
口パクで抗う大志にみはなが容赦なく追い打ちをかける。
「えっちゃんが好きなんですよね?」
「わっ……悪いか畜生好きんなったのはこっちが先だ!」
「なんで怒るんですか?」
ぱちぱちと瞬き二回、本当にわからないといった純粋無垢な様子で可愛らしく首を傾げる。
「ひとを好きになるのはいいことだって先生が言ってましたよ。ひとを好きになったら優しくしたくなって、優しくしたら優しさを返してもらって、そうやってどんどん優しさが広まっていくんです。だから大志さんも優しくしてあげるといいですよ、怒ったりぶったりしちゃだめです。なでなでしてあげてください」
「なっ……!?」
「ぶふっ!」
こらえきれず吹き出す悦巳。
「よ、幼稚園児にお説教されてやんの……!かっこわりー大志、情けなすぎ!」
「る、るせえ!笑うなてめえ、俺が本気になりゃこんなちびデコピン一発で地にめりこむぞ!」
みはながさっと額を隠す。
じゃれあう姿を微笑ましげに見守る悦巳だが、今を逃せば永遠に打ち明けるタイミングと勇気を逃してしまう予感に尻を叩かれ、体ごとみはなに向き直る。
「俺、みはなさんに言わなきゃいけないことがあるっす」
「なんですか」
「俺、わるいひとなんです。実は」
黒く潤んだ大きな目にきちんと正座した自分の姿が映り込む。
緊張に強張った顔、引き結んだ唇。突然の告白に大志がぎょっとする。
「おい、」
止めに入ろうとした大志を視線だけで制しきょとんとしたみはなとまっすぐ向き合う。いきなり何を言い出すのだろうと戸惑う顔の無垢さ、純粋さが胸をきりきり締めつける。
大きく息を吸う。吐く。深呼吸を何度か繰り返し、ありったけの勇気を振り絞る。
「オレオレ詐欺って知ってますか」
「テレビで見ました」
「俺、それやってたんです。孫じゃねえのに孫のふりして、大勢のじいちゃんばあちゃんからお金をだましとったんです。みはなさんや誠一さんと出会う前……みはなさんのうちに来る前の話っす。みはなさんが今おっかないオジサンたちに囲まれてるのも誠一さんが金もってこなきゃいけなくなったのも全部それが原因っす、俺が悪いんです」
みはなの目を真っ直ぐ見るのが辛い。
折れそうな気力を叱咤し、膨れ上がる罪悪感の重荷に必死に耐えて懺悔する。
「こうなったのは身からでたサビっす。巻き込んじゃってすいません」
隠しておきたかった、黙っておきたかった、だけど言わねばならなかった。
軽蔑されるのも呆れられるのも覚悟の上で真実を話す、自分を迎えに単身敵地に単身飛び込んだ大胆で勇敢な少女にすべてを打ち明ける。
良心の呵責だなんてご立派なもんじゃない。
けれどもこの胸の痛みは現実で、隠し事をしたまま素知らぬふりで通すのはもう限界で
「俺、詐欺師なんです。ホントは家政夫なんかじゃない、嘘吐く他に何もできない、それしか特技らしい特技持ってない、ケチな詐欺師なんです」
好きな人に嘘をつきたくないと、ありのままの自分を、本当の瑞原悦巳をさらけだす。
馬鹿で臆病で軽薄なお調子者、頼りなくて嘘吐きで迷惑かけてばかりの

がっかりされても仕方ない。
軽蔑されても無理もない。

それでも言わねばならない、くじけずめげず最後まで言い切らねばならない。自分がどんな人間でどうやって生きてきたのか、他ならぬ自分の口で述べねばならない。
「みはなさんの事ずっとだましてた。いつバレんのかひやひやしてた。心ん中じゃ毎日びくびくして、テレビで詐欺の事やるたび心臓とまりそうになって、次のニュースに切り替わるとほっと安心して、その繰り返しで……俺の根っこはきっと、ケチな詐欺師のまんまなんです。みはなさんがいつだったか描いてくれた絵みたいな家政夫になりたくてがんばってきたけど、俺がむかし詐欺やってた事実は変わんなくて、忘れたふりしても夢ん中まで追いかけてきて、そんなんだからツケが回ってきた」

俺はわるいひとだ。
もっとたちが悪い事にずるいひとだ。

語尾が頼りなく震える。
俯き、そろえた膝に呟きを落とす悦巳の頬に、やおら手が差し伸べられる。
べちん、間の抜けた音が響く。
みはなが悦巳の頬を挟み、したたかビンタをくれたのだ。
「許します」
衝撃の告白を受け止め、ビンタの制裁を加えた上で断言し、そして続ける。
「みはなは許すけど、えっちゃんにだまされた人たちが許してくれるかはわかりません。だから、みはなも一緒に謝ってあげます。みんなに謝りに行きましょう」
きっと許してくれますよなんて気休めは一切なく、許されなくても謝り続けよと叱咤するように、一つ一つ噛み含めるように言って聞かせる。
「悪いことしたらちゃんと謝らなきゃだめです。許してもらえなくてもごめんなさいって言わなきゃ。逃げちゃだめです。えっちゃんは逃げたじぶんが嫌いなんでしょう、かっこ悪いって思ってるんでしょう。あのね、みはなもです。ものすごーくかっこ悪いと思いますよ」

えっちゃんにはいつもかっこよくあってほしいから、

「こんどはみはなもついていってあげます。大丈夫、怖くありません。ずっとおててをにぎってあげます。えっちゃんが逃げたくなったらちゃんと叱ってあげますから、安心して怒られてください」 

ああ、この子は本当に

「……っ……、」
本当に、俺にはもったいないくらいのいい子だ。
出会えた事ただそれだけで救われた気持ちにさせてくれるような、その言葉だけで罪が洗い清められていくような。
みはなは悦巳を甘やかさない。
好きだから、大好きだから、小さな頭で一生懸命悩み抜いて尻を叩いて前を向かせる。
頬を包む手からぬくもりが伝わる。
ややもすると大の大人が小さい子供に頬を手挟みされた光景は滑稽さが引き立つが、悦巳のずるさも弱さもひっくるめて許容する澄んだ眼差しは優しさと厳しさを併せ持ち、磨き抜いた光沢を放つ瞳に魅せられる。
「みはなさん」
「なんでしょう」
「だっこしていい?」
「許します」
ぎゅっとみはなを抱きしめる。
小さな体に腕を回し、さらさらと流れる髪に頬ずりし、ゆるやかに呼吸する胸に顔をあてがう。
二人のやりとりをそばで見守っていた大志が舌を打ち、哀しめばいいのか怒ればいいのか判断に苦しむ表情で呟く。
「……とっくにお守りなんかいらなくなってたんだな」
夜風に吹き消された独白は寂寥の響きを帯びていた。
抱き合う悦巳とみはなの間に自分が割り込む余地はない。
ふてくされた大志に気付き、悦巳の腕の中から顔だけ抜いて呼び立てる。
「大志さんもだっこしてあげます」
「いいよ」
「えんりょなさらず」
「だっこしてやろうか?」
にやりと笑って誘う悦巳を物騒な三白眼でねめつけるも怒るのが馬鹿らしくなり、苦笑がちにかぶりをふる。
「変わったな、お前」

ちょっと会わない間においてかれた。
今はもう、遠くに霞む背中しか見えない。

守りたいものの為に強く在ろうとした大志が、守るものができた悦巳に引け目を感じるとは皮肉なものだ。
へたれであまったれの悦巳を変えたのは誠一とみはなだろう。
二人がかりで根性を叩き直されたとあっては、束縛と庇護を履き違えた思い上がり野郎が出る幕などない。
「俺もついてってやる」
ため息ひとつ、乱れた髪をかき上げつつ言えば、みはなと抱き合う悦巳が間抜けづらでこちらを見る。
「お前ひとりじゃ頼りねえしもともと引っ張り込んだのは俺だかんな……責任とるよ」 
これが終わったら、全て済んだら。この長い長い夜が明けたらその足で警察に自首しよう。ためにためまくったツケを払いに行こう。
頭上から降り注ぐ笑い声がしんみりしたイイ雰囲気をぶち壊す。ジャングルジムを玉座に見立て、頂上にふんぞり返って煙草を吹かしていた御影が手を叩き哄笑している。
「殊勝な心がけで結構なこった!けどまあ明日の事を考えるよか一寸先の命の行方を考えたほうがいいんじゃねーか、社長サンが金持ってこなかったらお前ら東京湾行きだぞ」
「誠一さんは絶対来るっす」
意志で鍛え上げた苛烈な眼差しで御影を睨み、傷だらけの顔に不敵な笑みさえ浮かべてみせる。
「あの人がこの子を見捨てるわけねえ」
「お前は勘定に入ってねえのか、可哀想に」
誠一の訪れを信じて待つ悦巳。御影の哄笑にびくつくみはなを身を挺し庇う悦巳。そこにもう大志が知る怖がりでへたれな幼馴染の面影はなく、自分の腕の中のぬくもりを何に替えても守り抜かんと勇気を振り絞る青年がいるだけだった。
「必ずむかえにきます。絶対」
「根拠は?」
「俺がここにいるからっす」
そんなこともわからないのかと笑いつつ中指を立てる。
「あの人があんたなんかにびびるわけねーだろ?」
「……すっげーのろけ」
悦巳の戯言を鼻で笑い、煙草の吸いさしを指で弾いて捨てる。オレンジ色の残光が放物線を描いて地上に落ち弱弱しく点滅するのを見咎め、みはなが眉を逆立てる。
「ポイ捨てはいけませんよ」
「来ました!」
最も門に近い場所にいた舎弟が緊迫した声で報告するや怠惰に弛緩しきった空気が引き締まる。
御影が顔を上げる。
大志が唾を呑む。
三々五々散らばっていた舎弟たちが本来の役目を思い出し、仕込み抜かれた迅速さで配置に就く。
アスファルトをタイヤで噛んで門前に車が滑り込む。
常夜灯が差し掛ける光を燦と跳ね返す柔靭な黒のボディ。
後部ドアが自動的に開き、上等なスーツで一分の隙なく引き締まった長身を鎧う若い男が登場する。
誠一さん。
見間違えるはずがない、どんなに離れていたってわかる、あの人だ。会いたくて会いたくて気が狂いそうだった、でもいざ会えば何を話していいかわからない、あんな別れ方をしておきながら何を言えばいいのかと恥ずかしくて、だけど姿を見た瞬間から時限爆弾でも仕掛けられたかのように胸の高鳴りがやまない。
みはなが驚愕に目を見開く。動揺を知られないようにその体をぎゅっと抱きしめる。
舎弟が門を開け誠一を誘導する。誠一の半歩後ろにはアンディが付き従い、闇に沈んだ敷地に油断なく鷹の目を配っている。
先に気付いたのはアンディ。
地べたにしゃがみ抱き合う悦巳とみはなをいち早く見付け、誠一に居場所を教える。
「ようこそ社長サン、待ちくたびれたぜ」
ジャングルジムから飛び降りた御影がへらへら笑いつつ近寄っていく。途中で合流した舎弟たちが御影を囲う。
「あんたのほうから場所を指定したいって言い出した時は何かの罠かと勘繰ったが、よりにもよって幼稚園たあね。最高の冗談だ。砂場に地雷でも埋めてんのか?」
御影の揶揄に追従して笑う舎弟たち。幼稚園のど真ん中、全ての遊具から等距離になる場所で立ち止まった誠一が、片手にさげたトランクを無造作に突き出す。
「金だ。受け取れ」
「まずは本物かどうか確かめさせてもらおうじゃんか」
尊大に顎をしゃくる御影にこちらもまた顎引く形で鷹揚な首肯を返し、慣れた手付きで蓋を開ける。中にはぎっしり詰まった札束が。
御影が口笛を吹く。
「トランクを地面に置いてさがれ」
「人質と交換だ」
「どっちが上位か忘れたのか?」
「俺はお前を信用してない。これだけは譲れん。交換は同時、金がほしければ言うことを聞け」
誠一の声には有無を言わせぬ迫力があった。
「……だとさ。連れてこい」
「来い」
舎弟が乱暴に悦巳を引き立てる。
一歩、また一歩。
距離が近付くごと鼓動が高鳴る。誠一の横顔が手を伸ばせば届きそうな距離にまで迫る。
誠一は振り向かない。悦巳の方を見もしない。札束を詰めたトランクをさげたまま無表情に突っ立っている。
みはなを抱く手がびっしょりと汗をかく。
一歩また一歩とスニーカーが地面を踏み、誠一の影が近付いてくる―
待ちきれないといった様子でトランクに手を伸ばした御影が、共犯に投げかけるようななれなれしさ全開の笑みを広げ口を開く。
「手切れ金で保釈金、そう考えりゃ安いもんだろ?これであんたの今後は安泰、詐欺師を愛人にして囲ってるなんて世間体の悪い秘密も上手く」

「一つ頼みがある。殴らせてくれ」
一瞬の出来事だった。

御影の指先がトランクに届くと同時にトランクをぶん回しおもいっきり薙ぎ払えば、半開きのトランクから中身が飛び出し宙に舞う。飛び交う紙幣に目を奪われた御影の頬げたに渾身の右ストレートがきまる。舎弟の対処が遅れたのは宙に地に散らばった紙幣をかき集めるのに必死になって誰も誠一の急接近に気付かなかったせいで、万札を握りしめ我に返った時には既に遅く、轟と唸りを上げる右ストレートをくらった御影は2メートル近くも吹っ飛んでいた。
「誠一さん!?」
「走れ!」
たった今殴り飛ばした御影の事など念頭から秒殺し鋭く名を呼ぶ誠一、誠一にけしかけられた悦巳が一斉に殺到する舎弟の手をくぐりぬけ全力で走り出す。
「貴様に金を渡す気もカモに成り下がるつもりもない。どうせゆすりをくりかえすはらだろう」
それが誠一の答えだった。
御影の甘言に騙される誠一ではない、脅迫が一度限りで済むはずないと確信していた。いやそれ以上の個人的感情でこの男だけはどうあっても許せない。
地面に倒れた御影の胸ぐら掴んでずり起こし唸る。
「俺の娘と家政夫に手を出した軽率、死ぬほど後悔させてやる」
「んじゃー交渉決裂だな」
何がそんなにおかしいのかけたけたと躁的に笑いながら懐に手を呑ませ何かを取り出す。拳銃だ。
「ひっ!?」
足元を銃弾が抉り土くれが散る。
サイレンサーを装着しているのか妙にくぐもった銃声が連続、みはなをぶらさげたまま足を跳ね上げまたもどしとコサックダンサーさながら奇妙な踊りを演じる悦巳のもとへ砲弾の如き巨影が馳せ参じる。スーツ越しでもわかる隆々たる筋肉に覆われた腕が軽々と悦巳を抱え上げ、靴の踵を削る銃弾の洗礼も何のそのと爆走する。
「アンディ!?」
「もう大丈夫だ。安心しろ」
「ちょ、俺無茶しないでって電話で頼んだのに!?てか人の話聞けよ、俺人質なんだぜ一応、あんな事したらまっさきに狙われんの俺じゃん!?」
「すごいすごーいはやいです!」
お姫様抱っこされた悦巳のそのまた腕の中でみはながはしゃぐ。一方、御影と誠一は激しく揉み合う。御影の手から銃を奪おうと躍起になる誠一を膝蹴りが見舞い激しく咳き込む、激痛をこらえ御影の手を掴み締め上げこじ開けんとする誠一を舎弟が数人がかりでひっぺがす。
「アンディもどって、誠一さんがやられちまう!」
「くっ、」
急制動をかけたアンディの眼前に拾い集めた紙幣によってポケットをぱんぱんに膨らませた残党が立ち塞がる。
「行かせるか!」
みはながきゅっと唇を噛む。悦巳の顔が焦燥に歪む。腰を落とし拳を矯めたアンディが単身突破の構えを見せるー
「手を貸すぜ」
その声は予想だにせぬ方向から聞こえた。頭上。
雲梯の上に仁王立ちした青年がひらりと飛び降りざま落下の加速に乗せ蹴りを放ち、身を飾るシルバーアクセサリーの旋律も涼やかにアンディと背中合わせに着地。
「行けよ悦巳、ちびを守るって約束したんだろう」
大志だった。
「お前怪我は、」
「んなこと言ってる場合か馬鹿」
身を捻りざま撓うような蹴りを放てば急旋回の威力に吹っ飛ばされた舎弟が雲梯の支柱に激突、脳震盪を起こして崩れ落ちる。
「クライマックスくらいキメさせてくれ。……尻拭いは最後だかんな」
体中が痛い。
大志の負った怪我は医者に診せるべきレベルで、肋骨だってきっと一本か二本折れていて、不敵な笑みを刻む顔の微痙攣に痩せ我慢が滲む。
それでも彼は叫ぶ、心の底から。
施設で初めて出会った友達、小中高と一緒に悪さした幼馴染にむかって。

「振り向くな、走れ悦巳!守れって言われたんだろ、じゃあ守れ!お前ならやれっから死ぬ気で突っ走れ!」

ああかっこ悪ィ、こんなかっこ悪いこと言わせんなって。
クールにきめたかったのに畜生、全然クールじゃねえ。
とうとう俺ができなかったことを児玉誠一は最ッ高にクールにやりとげた。
俺の拳は御影に届きもしなかったが誠一サンの拳は見事ヤツをぶちのめした、ホントは俺がぶん殴りたかった、悦巳をいたぶり辱めた首謀者をぶちのめすのは俺の役目だったはずだ。
畜生わかってるよ負け犬の遠吠えだって、遠吠えくらいさせてくれよ、敗けちまったんだから。

「お前の背中は俺が守る、お前は腕の中のモンを守れ!!」
だからお願いだから、最後くらいかっこよくキメさせてくれ。
最高にイカした台詞で十年越しの片思いを締めくくらせてくれ。

悦巳の顔が歪む。
べそかくガキみてえな情けねえ面で、受け渡された覚悟の重さにしっかりと頷く。
「後は頼む!」
それで、いい。
今この場で後を任せてくれた、ただそれだけで俺の片思いは報われる。
みはなをしっかと抱きしめ走り去る悦巳をコンマ一秒だけ見送り、アンディと背中合わせに立つ。
間近で覗き込んだサングラス越しの双眸がふと和む。
「暫く見ん間にイイ男になったな」
「そりゃどうも」
「ますますもって鍛え甲斐がありそうだ」
飛び入り参加の若造を即戦力の戦友と認め気炎を吐く。
「ボーイズビーアンビシャス……少年よ、大志を抱け」
共闘の幕が切って落とされる。
奇声を上げて特殊警棒を振りかぶる若者の手首をアンディが軽くひねり、入れ替わり立ち代わり軸回転する大志の拳が宙を飛ぶ。悦巳は逃げる、逃げ続ける。砂を蹴散らし必死の形相で、ただ腕の中のぬくもりを守るためだけに、今にも折れ砕けそうな膝を気力のみで支え走り続ける。
「そっち行ったぞ捕まえろ!」
「みはなさんぐるじ、首締まってるっす!?」
くぐもった銃声が飛び交う、銃弾が肩を腕を足を掠めスウェットにこげ穴を穿つ、首ったまにかじりついたみはながぎゅううと力をこめてくる。
走れ、走れ、オニさんこちら手の鳴る方へ。追いかけっこは得意だ、施設や幼稚園では子供たちとよく遊んだし逃げ足には自信がある。捕まりっこない、絶対に。
『オレオレさんは優しいいい子ねえ』
「ちがうよばあちゃん、全然そんなんじゃない、悪いヤツだ」
『私にはわかるわ、あなたが優しいイイ子だって』
「でも、まっとうになりたい。ばあちゃんが褒めてくれたから、それをウソにしたくない。ばあちゃんまでうそつきにしたくない」
こみ上げる涙に視界が滲む。浅く荒い呼吸に胸を波打たせながら我知らず口走れば、腕の中でもぞもぞ身じろする気配。
「えっちゃんはやさしいイイ人ですよ。みはながいうんだから間違いないです。みはなもほかのひともえっちゃんが大好きですから」
門をめざしひた走るも退路を塞がれ舌打ち、園庭をぐるりと一周する形で追い込まれる。何があってもみはなだけは守らなければ、誠一さんと約束したんだ……
「すべり台に上るぞ!」
双方泥だらけになって地面を転げまわる御影と誠一、銃把でしたたかこめかみを殴り付けられ意識が飛んだ一瞬に誠一をふりほどき、滑り台の傾斜の側を土足でよじ登り始める。
今まさに梯子をよじのぼる悦巳は最悪の敵が反対側から忍び寄る事にも気付かない、首に抱き付くみはなが視界を邪魔する。カンカンとせっかちな金属音、ぜいぜい息を切らしながら梯子を上り終え踊場でほっと一息―

足首を掴む、手。

「チェックメイト」
狭い踊場に引きずり倒れされ後頭部を強打。
「おいかけっこはおしまいだ、えっちゃん」
「「悦巳!!」」
大志とアンディが叫ぶ。めちゃくちゃに蹴りを入れてどかそうと企てる。至近距離での発砲、衝撃。上着の裾がしどけなくめくれ外気に晒された脇腹に灼熱が走る。 
首に絡む腕。背後をとられた。
「なめられたもんだな俺も。どうやら事の最初から人質を見殺しにする気満々だったみてえだな。こいつの命なんかはじめからどうでもよかったんだ」
「どうでもいい奴の為にここまでくるか」
上と下とに分かれ対峙する御影と誠一、虚空で衝突した視線が殺意で研がれた鋭さを競い合うように火花を散らす。
「悦巳を返せ」
「死体でよけりゃ請け負うぜ」
 殴り合いをやめた舎弟とアンディが、大志が、滑り台下の砂場に立つ誠一が、その場に居合わせた全員が戦慄に竦んで狂気に魂を売り渡した御影を凝視する。
「えっちゃん……」
か細く呟くみはなを胸に庇う。
たとえ次の瞬間に引き金が引かれたとしても巻き添えにせぬよう、胸におしつけた頭を手で覆う。
「なるほど、こいつになみなみならぬこだわり持ってんのはよーっくわかった。けどな、コケにされたまま黙ってちゃヤクザが廃るってなもんだ」
「強請りは独断か?ちょっとした小遣い稼ぎのつもりだったんだろうが……今夜の事が上にバレたら貴様もおしまいだ。欲を出して失敗したな。所詮貴様の器量じゃ馬鹿な子供を使って年寄りの年金をだまし取るのが関の山だ。分の能力を過信したのが敗因だ、せいぜい刑務所で反省しろ」
格の違いを見せつけるよう居丈高に言い放てば、図星をつかれた顔が憤怒と屈辱に染まり、引き金がゆっくりと絞られていく。

終わりがくる。
何一つ償えないまま、何一つ謝れないまま、何一つ守れないまま―

 
―「何してるんですかおとうさん、えっちゃんはみはなとおとうさんの大事な人ですよ!!」―


敢然と行動を起こしたのはみはなだ。
悦巳の腕から伸び上がるように跳ね起きるや、両手を立ててがりっと御影の顔面をひっかく。
「!?痛っ……てめえこのガキっっ!?」
「えっちゃんをいじめるな!」
幼女の悲痛な訴えをきっかけに皆が動き出す。
雑魚を片付けた大志とアンディが間に合えと念じつつ滑り台に向かう、生々しい爪痕を顔面に刻んだ御影が銃口をみはなの眉間に固定したのを見た悦巳がすかさず頭髪を纏めるヘアバンドを抜き去って弾性の限界ぎりぎりまで撓め、御影の鼻っ柱に狙いを定め解き放つ。
「ぶふぉっ!?」
勢いよく仰け反る御影の手から銃を奪おうと頑張るみはな、片手で顔を庇いつつ悶絶していた御影が腕にまとわりつく子供を煮えたぎった目つきで睨む。
「~っ、ぶっ殺してやる!!」


発砲と同時にみはなの軽い体があっけなく宙を舞う。


「みはなさんっ」
ぐらつき倒れこむみはなに肩も抜けよと腕を伸ばす。
虚空を泳ぐ腕がみはなの手に触れ、互いを求めあう一途さで指と指が絡みつき、しっかりと握りあう。
後ろ向きに倒れこみつつある体を懐に庇い目をつむる、反転する視界に夜空が映り均衡を失う、猛然と風切り滑り台を滑走する体、風を孕んだ髪と裾がばたばたうるさくはためく。 
まっさかさまに傾斜を滑走した体が終着点に至る。
そこに何もなければおそらくそのまま砂場に突っ込んでいただろう悦巳の体重はしかし、力強い抱擁によって受け止められる。
誠一がいた。

すぐ目の前に、鼻の先に。
狙い定めたように自分の胸に飛び込んできた悦巳と視線が合ったのも一刹那、衝突の衝撃でひっくりかえる。

上に下に縺れ合い転げ回り、それでもその腕はしっかりと悦巳を抱きしめている。
ちょうど悦巳がみはなを庇うのとおなじしぐさで、ぼろぼろになりながらもみはなを守り通した悦巳をかき抱き、上に下に跳ね転がり泥だらけになって、口に入った砂に難儀しながらぽんぽんと悦巳の頭を叩く。
「よくがんばった」
誠一が笑う。
笑って、褒める。
「あとはまかせろ」
へたりこんだ悦巳とみはなを背に庇うように立つや、後ろ腰に隠していたロッドを颯爽と抜き放ちフェンシングの型を取る。
悦巳に続き滑り台を滑り終えた御影が砂場に着地、銃を乱射。
「銃に警棒で立ち向かうなんて無茶っすよ!」
「黙ってみてろ」
砂を抉る銃弾にも怖気付いた様子は一切なく、静かな闘気漲る構えでもってロッドを振るう。銀にきらめく軌跡が虚空に交差、伸縮性に優れたロッドが鋭利に撓って御影の手首を薙ぎ払う。勝負は一瞬でついた。手を離れた銃に御影が目を奪われた隙に気配を立てぬ足運びで間合いを侵し、引きの動作でヒュッと空気を圧搾し鳩尾を刺突。
芸術の域にまで高められた華麗な剣技。
急所を突かれた御影がよろめき膝を付くのを無慈悲に一瞥、洗練の極みの滑らかさで片手をあげ勝利を宣する。
「作戦終了。残党の一掃を頼む」
「「ラジャー」」
夜空にぽんぽんと花が開く。
「おはなです!」
ぽかんとする悦巳の胸をよじのぼったみはなが夜空に花開くパラシュートに手を伸ばし目を輝かせる。
学び舎の切妻屋根に伏せっていた人影が虚空に跳躍、背中に装着したパラシュートを開いて静穏に着地・散開、委縮したパラシュートを素早く切り離して残党の撃退にあたる。 
「地上が駄目なら上空から。敵の盲点を突くのは勝利の鉄則だ」
落下傘部隊の活躍を横目に歩み寄ったアンディは前にもましてぼろぼろになった大志に肩を貸していた。
「…………っ、はは……ばかげてる。こんなオチありっすか?」
砂場に尻もちついて笑う。腰が抜けて立てない。さっきまで銃をつきつけられていたのだから無理もない。銃をつきつけていた本人はアンディが持つ手錠で拘束された。
ロッドを収納して腰に佩いた誠一が踵を返し悦巳の前に立つ。
「まずまっさきに言うべきことがあるだろう」
どこまでも傲慢で尊大で横柄な聞き方に条件反射で身がすくみ、膝をそろえて謝罪する。
「幼稚園で悪い噂広めてすいません」
「ちがう」
「冷蔵庫の中身おきっぱですいません」
「そうじゃない」
ぐいと腕をひかれ、こけた拍子にごつんと胸に額をぶつけてしまう。
「『ただいま』だろう、馬鹿が」
拗ねたような囁きが耳朶をくすぐり、目の奥と鼻腔がツンとする。
常夜灯が冴え冴え照らす砂場に集った面々が、呆れたような当てられたような、さっそくのろけはじめた二人を持て余したような複雑げな表情で成り行きを見守る。
まるで一つの大きな家族みたいに強い連帯感で結びつき、どこまでも不器用な男と青年とを見守っている。

「……あの、その……」 
迷惑かけてごめんなさいとか助けてくれてありがとうとか伝えたい事も言わなきゃいけない事もたくさんあって一つに絞れず、どれか一つを選んだら他の全部が泡となって弾けて消えてしまいそうで、炭酸をあおったように喉がちくちくして、駄目だ、反則だろうそれ、一番言いたかったセリフを先取りしくさるってオイオイどんだけ意地悪なんだこの人。

「ここ、うちじゃねえし。うちに帰るまでとっとこうと思ったのに先取りしちゃうなんてねっすよ、ずるいっすよ」

おかえりとただいまと。

「さっきのアレ、俺が銃つきつけられてんのにイケイケで挑発して……下手したら死ぬとこでしたよ!?」
「すまん。ついかっとして」
「ついうっかりで殺さないでください!」
「もしもの時は屋根に待機してる部隊が狙撃の準備を整えていた。ビービー弾で」
「法治国家ですから実弾は使用しません」
「~威張って言うことじゃねえって、大志もなんか言ってやってくれ!」
「諦めろ、この人のがうわてだ」
くそ、味方がいねえ。
誠一の腕の中でしばしむくれていた悦巳だが、上着の裾がずれ弾丸が掠めた火傷が覗いているのに気付き、慌てて手で隠す。 
その手にそっと手が添えられる。
自分より一回り大きく逞しい男の手。
「………すまなかった」
「どの事っすか?」
「色々とだ」
「たくさんありすぎて絞りきれませんねー」
「仕返しか?」
「さあ」
誰かがくいくいと誠一のズボンを引っ張る。
そろって視線を落とせばみはながいた。よそ行きのワンピを泥だらけにし、自分も仲間に入りたさそうに見上げている。
誠一が膝を付き片腕でみはなを抱き上げる。みはながお姫様座りで肩に凭れる。どちらからともなく惹かれあうようなごく自然な動作。
リラックスしきって誠一に体を預けるそのしぐさに距離をおいて彼を拒んでいたころの固さはない。
誠一もそれが当たり前の事であるかの如くみはなを受け入れ、これまた当たり前の如く余った手は新しい家族のために残しておく。
「先着順だぞ」
「……だっこはできないっしょ」
「手だけじゃ不満か」
さりげなく差し伸べられた手におそるおそる触れてみる。
「……あったけえ」
 
真心の涙が凍りついた心を溶かすように
一度離れ離れになった家族がまためぐり合い、しっかりと手を繋ぎ合う。

 

 


その夜、家政夫は詐欺師を卒業した。





 
『次のニュースです。杉並区を拠点に活動していた集団振り込め詐欺グループが検挙されました。当該グループの被害者は推定三百人にも上り、被害総額は一億五千万。逮捕者の中には暴力団構成員ほか未成年も含まれていました。なお先日幼稚園で発砲騒ぎを起こし逮捕された我孫子会系三次団体白鷺組の若頭・御影雅臣(34)をこの事件の主犯と見る動きもあり、当局は暴力団の組織犯罪として捜査を進める方針との事です。さて次のニュースです……』

「みはな、なにしてる。でかけるぞ、支度なさい」
テレビの前にちょこんと正座し、女性アナウンサーが読み上げるニュースに聞き入るみはなを誠一が急かす。
電源を切ってぱたぱた玄関に駆けていけば、いそいそと足踏みしつつ既に悦巳が待っている。
「遅いっすよ誠一さん、アンディ表で待ってますよ」
「仕事の指示に手間どった」
「そんなん車ン中で携帯で話せばいいじゃないっすか」
「行きがけに電話がかかってきたんだ、仕方ないだろう」
フリル付き白いワンピと先端がまるっこいエナメル靴という春らしい装いのみはな、無愛想な黒いスーツの誠一、いつも通りのスウェット姿……ではなく、めっきり春めいてきた気候に合わせ薄手のシャツとズボンというカジュアルな格好の悦巳。てんで統一感のないファッションの三人がともに玄関をでる。
悦巳と誠一は相変わらず喧嘩している。シゴトがどうとかスケジュールがどうとかみはなにはわからない単語が飛び交って何だか面白くない。
「大体誠一さんはこの前だって休みとれたからみはなちゃんと遊ぶ約束したのにドタキャンで」
「得意先の専務がわざわざベルギーから来られたんだ、無視するわけにもいくまい」
「先に予約したのはこっちっす、みはなさんだって楽しみにしてたんすよ遊園地。ねーみはなさん」
「くどい、埋め合わせはしただろう次の日に。過ぎた事をいちいち根に持つな」
誠一はジムを解約し、土日はなるべく家で過ごすようになった。
年会費が馬鹿にならないというのが表向きの理由だが、向こう一年分は既にカードで一括払いしている事を悦巳は知っている。

今日は日曜、晴天。
マンションの玄関を出れば爽やかな青空が広がっている。

「お待ちしてました」
沿道に横付けした車の傍らでアンディが丁寧にお辞儀しドアを開け放つ。
悦巳に手伝ってもらいチャイルドシートに苦労しいしいお尻を滑りこませ、浮き立つ気持ちをおさえつつ助手席の父に問う。 
みはな以外の全員が目的地を知っているのだろう証拠にエンジンキーを捻るアンディは微笑み、隣に座る悦巳はどことなく緊張した面持ちで前を向いている。
「どこへいくんですか」
「おばあちゃんちだ」
 
   

「ここがばあちゃんち……」
実際のところ、瑞原悦巳が児玉華の暮らした屋敷を訪れるのは初めてだった。
どこか懐かしい閑静な住宅街にあって異彩を放つ白壁の屋敷。屋根の上には風見鶏が立つ。門を戒める南京錠を専用の鍵で解除しアンディが横にどく。
最初に足を踏み入れたのは誠一、次にみはなと悦巳が続く。悦巳と手を繋いだみはなはきょろきょろと物珍しげに、好奇心の赴くまま雑草がのさばる庭を見まわしている。
「俺が子供のころ住んでいた屋敷だ。婆さんが死んでからは管財人にまかせきりだったが……さすがに庭は荒れてるな」
勝手知ったる何とやら、迷いない足取りで進む誠一の背中に隠れ歩く悦巳は、後ろめたい思いをひきずりつつちらちらと庭のそこかしこを窺う。
話に聞いた華の庭は見る影なく荒れ果てていた。しかし足を踏み入れるのを躊躇ったのはそのせいばかりでもない、どちらかといえば気持ちの問題だ。
南京錠と二重の鎖によって固く戒められた門は初めて訪れるものを怯ませるに十分な代物で、その向こうに広がる景観がいっそうの荒廃を印象づけた。
「おばけ屋敷みたいっすね」
「定期的に業者の手が入ってたからこの程度で済んだんだ。古い屋敷だからな、最悪台風で屋根が飛ばされていた。足元に気をつけろ、転ぶぞ」
門前で待つアンディを不安げに振り返る。
先頭を歩く誠一が手にした鍵束がじゃらじゃら鳴る。気おくれしているのはどうやら自分だけらしく、誠一はいつもどおりとっつきにくい仏頂面だし、みはなはスキップせんばかりにご機嫌だ。
「トトロにでてくるおうちみたいですー」
子供の感覚はよくわからない。
「親戚連中は婆さんの遺産にしか興味なかった。維持費ばかりかかるボロ屋敷なんぞ誰も住みたがらなかった。賢明な判断だ」
「そうなんスか」
「口数が少ないな。想像と違って幻滅したか」
「そういうわけじゃねっすけど……なんというか……俺、ここに来てよかったんすかね」
ポーチへと続く石段を上りかけて振り向く。誠一とまともに目が合い下を向く。 
「つまらん遠慮をするな」
「遠慮とはちょっと違くて……うまく言えねーけど、俺みたいな赤の他人がばあちゃんの自慢の庭に土足で踏み込むのってどうなのかなー、いいのかなーと。親戚の人たちも気分悪くするかもしれねえし……」
自分を招き入れたことが公けになって、ただでさえ孤立している誠一の立場が悪くなるのはいやだ。
華にしたことを忘れたわけじゃない、けっして。
今や心を入れ替えたとはいえ、瑞原悦巳が華を詐欺にかけ貯金をだまし取った憎き仇である事実に変わりない。

今からでも引き返すべきか思い悩む。
大人しくマンションで留守番してればよかった。いってらっしゃいと二人を送り出したあとはゴロ寝してればよかったのだ。
華とその家族の思い出が詰まった屋敷に自分なんかが来てよかったのか、そんな資格ないだろうに……
くよくよ立ち尽くす悦巳の方へ長身の影が忍び寄るや、誠一がおもむろに手を振り上げ、彼の前髪をなでつけるヘアバンドを指でつまむ。

べちん。

「目が、目がああああああああああああ!?」
「ムスカのまねっこですか?」
ヘアバンドで両目を撃たれ悶絶する悦巳をみはながしゃがんでつつく。
「『マンションで留守番してた方がよかった』なんて懲りずに悩んでるのかお前は。『誰もいないリビングのソファでゴロ寝しながら昨日届いた最新映画のDVDを観たり通販サイトを見て回った方がよかった』と」
「~さ、さすが誠一さん。俺の休日の過ごし方よくご存じっすね……!」
「俺がついてこいといったんだから黙ってついてくればいい。仮にお前が渋ったところで力づくでつれてきたぞ」
往生際の悪い家政夫にあきれはて、管財人から渡された鍵を玄関ドアにさしこもうとしたその瞬間―
「せーいちふぁん?」
家の裏手から吹く風が運ぶ甘い薫り。
鍵穴から鍵を抜くのも忘れ踵を返す。雨水の滴った痕跡が轍の如く刻まれたくすんだ外壁を迂回、丈高く生い茂った雑草を蹴散らし裏庭へ急ぐ。
壁のむこうに回り込み見えなくなった誠一を悦巳とみはなが追いかける。地面を覆う雑草を踏みしだき均しつつ見失ってなるものかと後を追う。
「ちょっと待って、いきなり走り出してどうし」




天国があった。



信じられない思いで立ちすくむ。
赤、ピンク、白、黄、オレンジ。瞼の裏まで滲み透るパステルカラーの洪水。
春の麗らかな陽射しをたっぷり吸いこんで咲き乱れる薔薇、壊れかけのアーチに絡み付く蔓薔薇、花壇の敷居を乗り越えて芝生にまで蔓延る緑の蔦……
華の死後、一年余りにわたって放置されていた裏庭にこれでもかと薔薇があふれている。
「すっげえ……これがばあちゃんの庭かあ」
「きれいです」
世話する人間などだれもいないー少なくとも、「生きてる人間」は―そのはずなのに
野生化した?そうなのか?華は薔薇の栽培が趣味だった、花壇の土はよく耕され肥えていた、その可能性も否定できない。だがこれは……


『おかえりなさい誠ちゃん』
廃園に時の残像が回帰する。


祖母と暮らした白亜の屋敷、葉脈を透かす夏の陽射し、葉に漉された陽射しが斑に染め抜く秘密基地。
花壇の枠組みを壊し芝生に遠征する薔薇の姿はさながら国境を跨ぐ橋を架けるようで、侵略の猛々しさよりもむしろ雑草と共存する博愛の精神を高らかに謳い上げる。

大気に溶けた祖母の存在を感じる。
華はここにいる。

「…………みはなの名前は婆さんから貰ったんだ。妻と祖母の名前を合わせてみはなとつけた」
「そうだったんだ」
「妻のように賢く美しく、婆さんのようにだれからも愛される子になってほしくて」
「いい名前っす。ぴったりっす。センスに敬礼っす」
「みなに愛されて―……愛せるように」

ヒトにやさしくされたらやさしさを返せるように
不器用な自分にはできなかった在り方と生き方を名前に託して。

静かに目を閉じ感慨に浸る誠一に歩み寄るのに躊躇いを覚え、おずおずと手を引っ込めた悦巳の服をみはなが引っ張る。
意を決し一歩を踏み出す。
ざくざくと雑草を踏んで突き進む。誠一の思い出を土足で汚したくないとか庭を踏みにじりたくないとか、そんな弱気におさらばして自分の足で歩く。
「俺、決めたんです誠一さん。これまでだました人たちに謝りに行こうって。土下座しても何しても許してくんねえかもしれねえけどワビ入れたくて、そこからやりなおしたくて。みんなみんな、俺を信じてた。イイ人だった。盆栽好きのじいちゃんも足の悪いばあちゃんも、ホントの孫みたいに俺を心配してくれた」

オレオレ、俺だよ俺。

「俺をホントの孫と勘違いして信じて頼ってだまされて、御影サンはだまされるヤツらが悪いって言ってたけどンなの逃げだ、だます奴が圧倒的に悪いにきまってる。警察行く前に……ひとりひとりと会って……気が済むまでぶん殴ってもらう。それが俺のけじめのつけかただ」

一世一代の主張に黙って耳を傾けていた誠一だが、おもむろに懐から紙をとりだし項目を読み上げていく。

「『家庭の医学』『東洋の民間療法』『月刊盆栽の友』……覚えがないか?全部お前が購入した本だろう」
「!なんで知って」
「PCの履歴はちゃんと消しておけ」
誠一の目が細まる。
「本当に馬鹿だなお前は。相手はカモだろう。カモの身の上話に本気で同情して、話を合わせるためだけにわざわざ高い本まで購入して……いらん出費が嵩むはずだ。木の病気について相談されたら専門書を引いて、足の痺れに悩む婆さんにはミカンの皮を貼るといいとかアドバイスをくれてやって、まったく詐欺師の風上にもおけんお人よしぶりだ。そんな詐欺師モドキを人生の酸いも甘いも噛み分けた被害者が本気で恨んでると思ってるのか?」
「なんで……何言って、だっておれは」
「読め。手紙だ」
投げてよこされた封筒を慌てて受けとる。震える手で封を破き、丁寧に漉した和紙でできた、繊細な手触りの便箋を開く。

『どこのどなたさまか存じませんが親切にしてくれて有難う』『耄碌老人の長話に付き合ってくれたのはあんただけじゃ。感謝する』『よかったらまた話し相手になって』『だましとられた金は孫に小遣いをむしりとられたとおもってあきらめる』『まっとうになれ』『親を哀しませるな』『時期外れのお年玉じゃ、もってけ泥棒』……

「被害者の声だ」
誠一が説明する。
「お前の身元調査のついでに被害者に会ってきた。世間体を慮って被害にあった事実を隠そうとするものや家族に追い払われたケースもあって全部は当たりきれなかったが、俺が調べた限りではお前を恨んでる人間はひとりもいない。ひとりもだ。信じられないといった顔だな?俺もだ。こんなばかげた話があるか、それどころかお前は悪くないと庇う奴まで出る始末だ。悦巳、お前は浅く広く比較的裕福な個人から少額をだましとった。総額は大したもんだが個々の被害額を見れば諦めきれん額じゃない。警察に持ち込まれんよう考えたのか?ちがうな。詐欺とは一種のサービス業だ。金を出させるのが最終目的だとしても、そこに至るまでの話術でボロがでれば電話を切られてしまう。お前には詐欺師の才能があった、だがそれだけか?お前がカモにした年寄り連中はそこまでめでたくもなければ馬鹿でもないぞ、中には孫じゃないと早々に気付いた上でくだらんおしゃべりを楽しんでいたものもいた」


寂しかったから。
話し相手がほしくて。
だから、おしゃべりに付き合ってくれた相手をうらむはずがない。
家族にさえ忘れ去られた年寄りの長話を根気よく聞いてくれた青年を、毎日電話をかけて体の調子を案じてくれた青年を、本当の孫よりだれより優しかった悦巳を……


恨めるはずがない。
憎めるはずがない。
体の不調を嘆く老婆の為に民間療法の本を調べ、孤独な老人の為に盆栽の知識を仕入れ、いずれ自分が働く不義の分をいじらしいほどのひたむきさで埋め合わせようとしていた青年を憎めるはずがない。


彼としゃべれた時間を愛おしみこそすれ、その代価が少々高くついたと苦笑しこそすれ。

 
「……お人よしはどっちだよ……」


とっくに許されていた。


「彼らは詐欺の被害者である前にだれかの祖父で祖母だ。彼らは悪辣な加害者としてじゃなく自分にいたかもしれない孫として瑞原悦巳を見る事を選んだ」
 
くしゃりと便箋が歪む。筆ペンでしるされた達筆な文字が、ぽたりと落ちた水滴に滲む。
くしゃくしゃに歪んだ顔を見られたくなくてヘアバンドをずらし目を覆う。
ヘアバンドの覆う暗闇の中、大好きな誠一が近付いてくるのがわかる。


一歩、また一歩。
もっとも輝かしい過去の一日限りの再現のように薔薇の花が咲き乱れる裏庭の真ん中で、もとは他人だった男と青年が向かい合う。 


「家族になってくれ」

 
プロポーズというにはそっけなく、へそまがりな子供がほしいものをせがむような偏屈な態度は矯正できず、しかし眼差しには胸が苦しくなるほどの切実さをこめて
カイがゲルダにキスをする。

 
人差し指をくぐらせヘアバンドをずらし、首に手を添え軽く仰向かせ、目尻にふくらむ雫を啜り、塩辛い涙にしけった唇を慰めるようについばむ。  
くすぐったさに身をよじりつつ面映ゆげに悦巳が言う。 


「お父さんがふたりになるんですか?」
「年齢的には兄だろう」
「俺、児玉悦巳になるんすか。へんなの。みはなちゃんにお兄ちゃんってよばれるのは悪くねーけど、やっぱえっちゃんがいいや」
「無理に養子に入れとはいわん。瑞原悦巳のままでいい、そのままのお前がいい。お前と一緒に生きていきたい」
「よかった」

 
ありがとうばあちゃん、この人と会わせてくれて。
家族をくれて。


薔薇の薫りに昇天する裏庭にて誠一の腕に抱かれ、その首の後ろに手を回し靴裏を浮かせる。


「誠一さんのことお父さんってよばなきゃいけねーのかってあせった」

 
カイはゲルダにキスをして、ゲルダはカイにキスをした。
 

そろそろと伏し目がちに唇を離し、気になっていた事を聞く。
「いっこ質問していっすか」
「なんだ」
「なんで今日ここに来たんですか」
きつくきつく抱きしめられ、幸せで息も止まりそうという感覚を実体験しかけた悦巳がぷはっと息を吹き返して問えば、誠一がばつわるげな顔をする。 
「そりゃばあちゃんの庭見たいって言いだしたのは俺だけど、急すぎてびっくりしました。草むしりってかっこじゃねえし……」
「……家の掃除だ。しばらく立ち入ってなかったかったら埃だらけで悲惨な有様になってるはずだ」
「定期的に業者がきてるんでしょ?庭は荒れ放題だけど」
「忘れ物をとりにきた」
「なーんか嘘ついてません?あやしいなー」
腹が立ちそっぽをむくや、石ころ帽を被ったかの如く存在感を消してしゃがみこむ背中が目に飛び込んでくる。
「いーち、にーい、さーん、しーい」
「みはな?」
ダンゴムシのように丸まった背中。両手で目隠しし、間延びした調子で数を数えていたみはながはたと振り向く。
「ごーお、ろーく………終わりましたか?」
「「え」」
「ちゃんと仲直りできましたか?」
悦巳の顔から火が出る。
誠一は咳払い。
途端によそよそしく背中を向けあいあらぬ方向を見始めた誠一と悦巳の間にトテトテ歩いてくるや、両者の手をきゅっとにぎる。
「素敵なお庭ですね。おうちもおばけ屋敷みたいでわくわくします」
「……引っ越すのも悪くない」
「え?でも幼稚園はここからだと遠くないっすか」
「ママチャリを買ってやる」
「俺が漕ぐんすか!?てか車で送ってくださいよ、自分ばっかずるいっすよ!」
「みはな康太くんとあそべなくなっちゃうのはいやですー」
「諦めなさい。ヤツに嫁いだら姑問題で苦労するぞ」
「おっとなげねえ……いたっ、ちょ、デコピンやめてくださいよおしめもとれねー娘の男友達に敵意バリバリってかっこ悪いっすよお父さん!」
「お前にお父さんとよばれる筋合いはない!」
「おしめはとれました!」
 

 
門を背に立つアンディのもとへ風に乗って賑やかな歓声が届く。
携帯灰皿に煙草の灰を落としつつ、今頃裏庭で元気に騒いでいるだろう顔ひとつひとつを思い浮かべ、どこまでも意地っ張りで愛情表現が下手な男に苦笑する。
『プロポーズは思い出の場所で』。
言わなくてもわかる。誠一の考えそうなことなどお見通しだ。
薔薇が咲いても咲かなくても、「家族」が生まれるのに此処ほどふさわしい場所はない。
此処は誠一のはじまりの場所、今日から彼らのはじまりの場所。
永遠の愛を誓うなら彼が唯一愛し愛された場所をおいてほかにあるまい。
笑顔でむかえてくれる祖母がいなくても、屋敷と庭が見る影なく荒れ果てていても、けっして色褪せぬ思い出が彼の心に根付くかぎり―

「ばらがさいた、ばらがさいた、まっかなばらが。さびしかったぼくの家にばらがさいた……」
あくび誘う麗らかな陽気にあてられ、ガラにもなく浮き立つ気持ちを抑えつつ、生前華が好んで唄っていた歌謡曲の一節をくちずさむ。


薔薇はどこにでも咲く。
さびしかった僕の家に、貴方の胸に、世界中に。

 
風が微笑んだ気がした。


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