ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

関連記事 [スポンサー広告]
スポンサー広告 | コメント(-) | ------------ | 編集
映画篇(金城一紀)



フィクションに救われた経験があるだろうか。
私はある。
人生で一番辛く苦しいとき、私を救ってくれたのは物語だった。
暗闇で生まれた虚構には力が宿る。
私はそれを知っている。
フィクションを愛するすべてのひとはそれを知っている。

本書には年齢も性別もばらばらだが、映画をこよなく愛するという一点で繋がる人々がでてくる。
生き別れの親友にあて話を書く小説家、夫に自殺され自宅にひきこもる女、五千万円を奪って逃亡する高校生カップル、いじめられっ子の小学生を後ろに乗せてバイクを駆るおばさんライダー、祖母に祖父との思い出の映画をみせようと計画する孫たち……。
彼らの人生には否応なく、運命的に映画が絡んでくる。

ひとは必ずしも現実において主役になれるとは限らない。
脇役として終わってしまう平凡な一生もある。
だけど映画を見ている間だけは、あの無敵の暗闇の中でだけは、ひとはだれしも平等に主人公になれる。
だからこそ本作にでてくる人々の映画に対する姿勢には愛があふれている。

レンタルビデオ屋で働く青年はサークルを辞めた経緯をこう話す。

「映研て、映画を撮るサークルだと思ってたら、映画を解釈するために集まってるような奴らばっかりで。最初の頃はみんなと話してると、そんな見方もあるんだぁ、ってためにもなったけど、そのうち粗探しをするみたいに映画を見るようになっちゃって」
「映研にどっぷり浸かっちゃったら、いつか映画を撮る時に心で映画を撮れなくなるなぁ、って思ったから」


彼等は心で映画を見る。
頭でっかちに考察したり解説したり検証したり、そういうのは評論家に任せておけばいい。

だって、映画を見てるあいだくらいはおもいっきり楽しみたいじゃないか。
こんなはずじゃなかったと悔やむばかりの上手くいかない人生のあれやこれや、みんな忘れておもいっきり楽しみじゃないか。 

「太陽がいっぱい」の小説家はどこにいるともしれぬかつての親友にむけ小説を書く。
「主人公には父親がいないほうがいいな」
それが口癖だった龍一(リョンイル)。堤防に腰掛け時が経つのも忘れ学校をサボり観た映画の感想を語り合った、別れ際には精一杯かっこつけ手をふった、何百本もの映画の話をしながらもお互いの家庭の事情についてはしらんぷりした、それが互いへの最低の礼儀だと思ったから。
 しあわせな記憶より不幸せな体験のほうがはるかに多い子供時代の回想の中に必ずあいつがいて、あいつがいる限りガキの自分は不幸じゃなかったとおもえるから、大人になったあいつのために小説を書く。

始まりのブザーが鳴り響き、スクリーンを見上げる客たちの顔が闇に沈んでいく特別な時間の中では境界線が消える。
映画館の暗闇が孕む謎めいた期待と高揚の正体について、作者は登場人物の言葉を借りてこう言わせている。

「映画館の暗闇の中では、俺たちは在日朝鮮人でも在日韓国人でも日本人でもアメリカ人でもなくなって、違う人間になれるんだ。つまりさ、それはこういうことだよ。明かりが落ちていく時の、今回はどんなお話を見られるんだろう、今回はどんな登場人物に会えるんだろう、っていう期待は俺たちの頭や体の中でどんどんと大きく膨らんでいって、完全に明かりが消えた時にはとうとう弾けちまうんだ。その時、俺たちっていう人間も一緒に消えていなくなって、暗闇そのものになるんだよ。そしたら、あとはスクリーンに放たれる光と同化すればいい。そうすれば、俺たちはスクリーンの中で動き回る登場人物になれる。クソみたいな現実からほんの少しのあいだだけでも逃げられる。だから、俺たちは映画館の暗闇の中にいると、ワクワクするんだよ。どうだ?お前もそう思うだろ?」 

思う。
小説であっても同じことだ。
 
作者はフィクションは救済装置成り得るかとの問いに虚構は救い足り得ると肯定する。
館内の暗転と同時に日常は非日常に、現実は虚構に反転する。
作者とその欠片が宿った登場人物たちは価値観の逆転が起こる非日常の闇の中でなら絶望も希望に生まれ変わるだろうとフィクションがもつ力の本質を信仰し、読者もまた彼ら彼女らと視点を共有することによって物語の世界にのめりこんでいく。
本作はそれぞれ主人公の違う短編連作の形式をとりながら、登場人物や場所など各話が微妙にリンクしている。
全ての話に共通するのは、とある町の区民会館で上映された「ローマの休日」のエピソード。
 
最終話でこの「ローマの休日」が何故上映されるに至ったかの経緯が明かされる。
祖父に先立たれがっくり気落ちした祖母を力づけようと立ち上がったおばあちゃん大好きな五人の孫。
祖母と祖父が初めて一緒に観にいった記念の映画を上映すれば、おばあちゃんがそこにいるだけでなんとなく全部がうまくいくような気になってしまうおばあちゃんだいじょうぶパワーもきっと復活するはずと、大学生の「僕」ことテツ、最年少のアホの子ケン坊、おしとやかなリカ、姉御肌の律子ねえちゃん、リバー・フェニックス似でいけすかないニヒルなかおるの従兄弟五人が一致団結して計画を推し進めていくのだが……
これが凄くいい。
それまでの話も全部いいんだけど最後の話は傑作。
五人の孫が、いや、家族全員がおばあちゃんを好きという気持ちがこれでもかと伝わってきて、優しくて不器用でちょっとヌケた登場人物全員がたまらなく愛しくなる。「僕」とかおるのやりとりは仲良すぎて困る。お互い馬の合わない相手なんですが、メールでの口喧嘩が可愛くてにやにやしっぱなし。
おばあちゃんが語るおじいちゃんとの馴れ初めはもう甘酸っぱく初々しく胸いっぱいで……

うまくは言えないけど、準備のできてない人間の前では好きな人は転ばないのではないだろうか。 

深い。深すぎる。
孫達は協力して計画を進めるのだがフィルムの入手や上映場所の確保など課題は山積み、プロデューサーを任された「僕」は大いに頭を悩ませる。
が、「僕」はけっして諦めない。


むかし大好きな人と一緒に観た映画がおばあちゃんに再び元気を取り戻させると信じ。
誰かを救いたいと祈りを込めて送り出されたフィクションには絶対にひとを救う力がやどると信じ。
頭ではない、手先ではない、心が生み出した虚構には魂がやどると信じて。 


救いに昇華された祈りが、それを必要とする人のもとへ正しく届く話である。
徐徐に暗くなっていく区民会館の座席を埋める客たち、スクリーンを見上げる目はどれも期待と興奮に輝いている。
   

「おまえは、どんな映画とか小説がいいんだよ」
龍一は遠くを見るような眼差しを浮かべ、答えた。
「むかしとぜんぜん変わってねえよ。俺の代わりにゲラゲラ笑ってくれたり、マジで怒ってくれたり、ワンワン泣いてくれたり、悪い奴と闘ってくれたり、とにかく分かりやすいやつかな。俺はもうブルース・リーにもマックイーンにもジャッキー・チェンにもなれねぇからな。誰かに代わってもらわねぇとよ」


 
あなたはフィクションを愛しているだろうか。
私は愛している。


映画に限らず小説でも漫画でも、すべてのフィクションに救われた体験のある人はこの小説を読んで欲しい。
きっと共感できるはずだから。
上から下へ緩慢に流れるエンドロールが終わり、館内が次第に白んでいくのを待つような、満ち足りた思いで本を閉じることができるはずだから。 

一緒に読みたい本

テツの通う大学が出てきたりリンクの仕掛けが憎い。「花」で泣いた。

関連記事 [読んだ本感想]
読んだ本感想 | コメント(-) | 20021108002542 | 編集
ブログ内検索
     © 2017 ロールシャッハテストB  Designed by 意地天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。