ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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鬼風ークイフェイー 四(完)

 目覚めた時、春虎は屋敷の一室に寝かされていた。
 「気付いたの、春虎」
 枕元には寿安と心配そうに見守るお嬢様がいた。
 「ここは……」
 「あなた藪の近くで倒れてたの。酷い怪我をして……三日三晩高熱を出して」
 「楊たちは……」
 寿安が言葉を濁す。お嬢様はさも恐ろしげに柳眉をひそめて言う。
 「知ってる?お屋敷のはずれに古い廟があるの。あそこでたくさん死体が見つかったわ。中は血の海だったそうよ」
 血の海。
 「勝手に出入りした罰があたったのよ。鬼神の祟りだわ、きっと」
 「生き残りはあんただけよ」
 寿安とお嬢様、その他の使用人は春虎の無事を喜び、一日も早い回復を願った。
 わがまま放題に甘やかされて育ち、家事などしたことないお嬢様が、寿安に教わって不器用な手つきで布をしぼり取り替えるさまに、春虎は初めて愛情を感じた。
 朋輩たちの悶死は鬼神の祟りで片付けられた。
 廟を荒らした報いを受けたのだと。
 なるほど、あの死に様はそうこじつけでもしないと説明がつかない。
 お嬢様と寿安の手厚い介抱の甲斐あり、春虎は次第に回復していった。お嬢様は毎日のように病床の春虎を見舞い、匙で粥をすくい、自らの吐息で冷まして食べさせた。
 「早く元気にならなきゃね」
 「ありがとうございます」
 お嬢様は春虎を労わり、春虎はお嬢様に感謝する。
 一方でいくつか疑問があった。
 藪の手前で衰弱しきって倒れているところを発見され、使用人たちによって屋敷に運ばれた春虎は、下半身に酷い怪我を負っていた。
 当然その事について聞かれるだろうと思っていたが、使用人たちは何故かそろって口を噤む。
 春虎の身のまわりの世話をしつつ、後ろめたげにこちらをうかがう使用人たちの態度を観察し、ひとつの推測が成り立つ。
 ひょっとしたら、彼らのうち何割かは楊たちの企みを知っていたんじゃないかと。
 知りながら放置していたんじゃないか。
 お嬢様との結婚が決まった春虎は不公平を恨む使用人たちの嫉妬を一身に浴び、それ故彼らは楊たちの企てを放置したんじゃないかと。 
 人は弱く醜く汚い。
 そういう可能性も十分にありえるだろうと春虎は思う。
 ひとつ救いがあるとすれば、春虎の身に起きた悲劇について寿安が関与しなかったことだ。
 いまだ歩けない春虎のもとへ膳を運びながら、寿安は心配顔で言う。
 「春虎、あんた見つかったとき素っ裸だったのよ?下穿きひとつはいてなかったって話じゃない。下半身がひどく痛めつけられてたっていうし……その……」
 「僕は大丈夫。心配してくれてありがとう」
 世間知らずなお嬢様は、将来自分の婿になる男が輪姦されたなど、夢にも思わない。 
 お嬢様と旦那様の手前、使用人は薄々春虎の身に起きた事を察しながら沈黙を貫く。
 春虎にとって、その沈黙はむしろ有難かった。
 あの日起きた事、廟で見聞きした事はすべて忘れたい。
 そうするのが一番いい。
 三日三晩熱にうなされ生死の境をさまようあいだ春虎を苦しめたのは廟で起きた惨劇の残像、鬼風の素顔。
 朋輩たちが悶え苦しみ死んでいく光景こそ見ずにすんだが、廟に充ち満ちた断末魔の声はいつまでも耳にこびりつく。
 そして、何より。
 『こいつらは報いを受けたんだ』
 見るんじゃなかった。瞼など開くんじゃなかった。
 鬼風の本当の姿など、本性など、暴くんじゃなかった。
 鬼風は廟で大殺戮を行った。狂気を孕んだ断罪の風は朋輩たちの命をことごとく刈り取った。
 鬼風は、あいつは、人ではない。
 僕とは違う。
 「………っ」
 瞼を閉ざすのが怖い、閉ざせば夢に見る、悪夢が像を結ぶ。
 腕に抱かれた位置から一瞬だけ見た容貌は目鼻口がねじれ、歪み、溶け合い、混沌と渦を巻く。
 「どうしたの、顔真っ青よ」
 膳を片付けていた寿安が膝をつき、背中をさする。
 布団に突っ伏し、心臓狭窄の動悸がおさまるのをじっと待つ。
 殺戮行為は春虎を傷つけられ激怒した結果、鬼風が助けに来なかったら衰弱死していたと頭では分かっていても、生理的嫌悪は拭えない。
 楊たちは鬼神の顔をまともに見たせいで、死んだ。
 ほんの一瞬、半分が影に沈む角度から仰いだ春虎さえ、三日三晩意識不明だった。
 鬼風は春虎がおもっていたより、はるかに恐ろしく禍々しい存在だった。
 友達になど、なれるはずがない。
 あんな化け物と。
 

 窓の紅格子から月が冴え冴え射す晩。
 春虎は寝返りを打つ。甲斐甲斐しい看護と滋養ある食事のおかげで傷もすっかり癒えた。明日には床が払えるだろう。
 こつん、こつん。
 小さな物音に目を覚ます。
 壁に小石がぶつかる、音。
 「……起きてるか、春虎」
 懐かしい声に名を呼ばれ、春虎は頭から布団を被る。
 あいつがすぐそこまできている。
 「怪我はすっかりいのか?―すまなかったな、素っ裸でほうりだしちまって。だけど俺がつれてくのもまずいし……」
 去れ、化け物。
 布団の中でぎゅっと目をつぶり退散を念じる。
 窓の向こうからぼそぼそと声がする。
 「……傷、残んねえかな。酷え怪我だから歩けるか心配で……大丈夫だよな、偉い医者が診てるって話だし。にしてもさ、下働きの小僧にすぎなかったお前が大出世じゃねえか。こーんないい部屋に寝かされて三食膳を運んでもらって至れり尽くせりだな。お嬢様のはからいか?」

 耳を貸すな。
 口を利くな。
 五感を塞げ。
 相手は化け物だ。
 「寝てんのか」
 化け物がいう。
 「起きてんだろ?」
 化け物がいう。
 「愛想がねえな、せっかく見舞いにきてやったのに」
 「化け物め」

 自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
 「……ずっと嘘ついてたのか。力が回復してないから実体をとれない、本性をさらせないって」
 「春虎」
 窓の外に立つ影が途方にくれる。縋りつくように名を呼ぶ。
 布団の中に隠した手足ががたがた震える、克服しきれぬ恐怖に唇がわななく、蓮池のほとりで語り合った思い出、ふざけあった思い出、その全てが今は忌まわしく厭わしい。
 騙されていた。
 「………化け物じゃないか………」
 知っていれば、友達になってくれと乞わなかったのに。
 「どうしようもない化け物じゃないかお前、目も鼻も口もばらばらで……っ、わざと顔をさらしたんだ楊たちに、そうやって殺した、知らなかった、ずっとずっと知らなかった、僕はお前がいつ素顔を見せてくれるのか愚かに待ちわびて」
 化け物を人と錯覚してしまったのは、彼があまりにも人間臭く飄々としてたから。
 全然化け物らしくなかった。
 騙されていた。化け物は化け物だ。
 寄り添う気配を愛しく感じた頃が懐かしい、もし素顔を知っていれば有り得なかった、そばによるはずなかった
 恋い慕いなどしなかった。
 「いつか聞いた、魔物たちの話は本当だった。お前は悪い化け物だ、ずっと廟に閉じ込められて馬鹿な人間がまよいこむのを待ってた、それが僕だった」

 あの時、札をはがさなければ

 「どうして殺した、あんな残虐なやり方で」

 形は魂の器、心を映す鏡。
 ならば鬼神は

 「あんなやつら死んで当然だろう。俺を見て悶死する前に体中の骨を砕いてやりゃよかった」
 心は人に似て形は非なるもの。
 「劉を助けたじゃないか」
 「お前の頼みだからな」
 「代わりに殺してくれなんて頼んだか!?」
 「声に出さない願いを汲んだ」
 「願ってない!」
 「嘘つきめ」
 「お前の顔なんて二度と見たくない……!」
 「醜いからか」
 「化け物だからだ!」
 「お前に何かしたか?」
 絶望的な諦念の滲んだ声音に決心がぐらつく。
 玲瓏たる月光を浴び、影が言葉を紡ぐ。
 「鬼神ってのは気紛れに人と契約する。原則として本当の姿は明かさない。力を貸す条件として、絶対に顔を見ねえし見たがんねえってのを真っ先にあげる奴もいるくらいさ。……どうしてかわかるか?」
 窓辺に寄り添い立つ影が、哀しい真実を明かす。
 「本当の俺たちはとても邪で醜くて、到底人に好いてなんてもらえねえからだ」
 淡々としゃべる鬼風を見る勇気が湧かない。
 見ればきっと気が狂う。
 「上手くいかねえもんだよなあ。だめって言われると見たくなっちまうんだよな、人って。怖いもの見たさっつうのかね。馬鹿な生き物だよなあ」
 うっそり自嘲する笑いを吐く。
 「……マジんなっちまった俺も馬鹿だよな」
 耳を貸すな。
 「最初は気まぐれだった。百年廟に閉じ込められて、力がなまってるんじゃないかってがらにもなく不安になって、肩慣らしのつもりで手伝ってやった。あの頃のお前ときたらちびで泣き虫で、下穿きべらっと捲れたくらいでべそかいて、可愛かった。ちょっかいかけるのが楽しくて……赤くなったり青くなったりすんのが面白くて、ついつい調子のっちまった」
 窓の外で気配が動く。
 風が渦を巻く。
 「あばよ、春虎」
 咄嗟に布団を払って這い出し、窓の格子にとりつく。
 「俺はいわゆる化け物だから、人間を手なづけられたら箔がつくんじゃねえかって下心があった」  
 クイフェイ、どこへ行く?
 問いを発する寸前、巻き起こった旋風が春虎の髪を蹂躙する。
 「俺のこともあいつらのこともみんな忘れちまえ、お前が心を砕くに足りねえ化け物だ」
 逆巻く風に目を凝らしても鬼風の姿は見えない、最後まで姿を隠し続ける気だ。
 春虎のためを思って。
 「俺は、お前が人として幸せになる道を拓く」
 待てと、どうしてもその一言が喉にひっかかってでてこない。
 数年間一緒だった、ただひとり心を開いて全てを打ち明けられる友だった、お嬢様との縁を取り持ってくれた、今の春虎があるのは全部全部彼のおかげだ
 その彼を化け物と罵った。
 「お前は人として幸せになれ」
 鬼風の別れの台詞だった。



 

 数年後、春虎はお嬢様と祝言を上げた。
 翌年には子供が産まれ、家はますます栄えた。
 崖から落ちた反物を回収したのは鬼風の功績だが、帳簿の不備に気付いたのは春虎の隠れた聡明さあってこそ。
 もとより勤勉な春虎は、お嬢様を嫁に貰い正式に跡取となってからもけっして手を抜かず商いに励み、使用人はそんな春虎を慕い、敬い、一丸となって家を盛り立てた。
 なにもかも順風満帆だった。
 しかし、春虎の胸にはいつも「彼」の影が巣食っていた。
 妻にも子にも人ならざるものへの未練と恋慕を明かさぬまま、そして十年がすぎた。



 廊下がやけに騒がしい。
 「旦那さま、奥様、起きてください!」
 「どうした寿安、こんな夜更けに……」
 「火事です!」
 一瞬で目が覚める。
 「燭台が倒れて屋敷の北東から火がでました、早くお逃げください!」
 「火事ですって?」
 「子供を抱いて先に行け」
 「貴方はどうするの?」
 「当主が真っ先に逃げ出すわけにいくか」
 不安に青ざめる妻を促し、布団で眠り続ける子供たちを叩き起こし、信頼できる従者に預けておくりだす。
 まだこちらには火が回ってない。妻子は大丈夫だろう。
 後ろ髪を引かれつつ従者に守られ去っていく妻子から寿安に目を転じ、鋭く叫ぶ。
 「火元は北東か?」
 「は、はい……」
 「ならばまだ間に合うな」
 皆まで言い終えるのを待たず、寝巻きの裾を翻し駆け出す。
 十年の歳月は春虎を商家のあるじとしてふさわしい男に育てた。 
 「火が回る前に商品を回収しろ!」
 「旦那さま、帝から賜った象牙の櫛はどうなさいます!?」
 「火が回ってないなら物を、少しでも火が回っていれば人を優先しろ!頭を低くして口をおさえろ、煙は吸うな、昏倒するぞ!」
 逃げ惑いつつ指示を仰ぐ使用人たちに檄とばし采配を振るう。
 陣頭で指揮し家財を表へ運び出させ、いよいよ煙がやってくるや居残る使用人たちに避難を命じる。
 荷物を纏めるのにあくせく手間取る使用人を見つけるや後ろ襟を掴んでひっぺがす。
 「旦那さまも早く!」
 「皆が逃げたあとだ!」
 金切り声で叫ぶ寿安を黙らせ、火の粉が爆ぜて煙が漂う中を疾走し、全ての部屋の扉を開け放って使用人が居残ってないか確認する。
 使用人を見殺しにして逃げ出す当主など聞いた事がない。
 本音を言えば怖かった、先に逃がした妻子の安否が気にかかる、しかし今この家で一番偉いのは自分だ、かつて弱虫泣き虫臆病者と朋輩に虐げられた春虎だ、家を継いだ婿として責任を果たす義務がある。
 家を守るのは勿論大切だが、人がいずしてなにが家か。
 寝巻きの裾をからげて走る春虎の脳裏をひとつの教訓が巡る。

 『時を遡るってなあ、即ち因果律を捻じ曲げてんだ』
 『壊れたもんは元に戻せる、が、死んじまったもんはどうにもなんねえ』

 彼がいなくなって十年。
 お嬢様と結婚し、子が産まれ、家が栄え、もはや泣き虫弱虫臆病者の春虎を知る者は古株の寿安くらいしかいなくなった今も、彼の教えは魂に根づいている。
 火の粉が乱舞し怒号と悲鳴が飛び交う騒擾の中、煤を被って走り回って、各部屋を点検する春虎のもとへ性急な足音が馳せ参じる。
 
 「貴方!」

 振り返れば妻がいた。
 「なぜ戻ってきた!?」
 日ごろ温厚な夫に一喝され、妻は今にも泣き出しそうにくしゃりと顔を崩す。
 「部屋に大事なものを忘れたの、貴方がとってくれた牡丹の簪……」
 頼りなげにこちらを仰ぐ顔にかつての令嬢の面影がだぶり、春虎はひとつ頷く。
 「とってくる」
 妻の叫びに背を向け部屋に戻る、炎が部屋に回り赤い舌先が壁を舐める、箪笥の引き出しを片っ端から開けて中身を漁る傍ら煙を吸い込んでむせる、眼球の粘膜に煙が染みて生理的な涙が滂沱と伝う……
 あった。
 一番上の引き出し、漆塗りの箱に入って大事にしまわれた簪を見つけるや、安堵の表情でそれを抱く。
 轟音、振動。
 振り返り、目を見開く。
 巨大な柱が倒れて出口を塞ぐ。
 ここまでか。
 既に火は回り煙は充満している、出口をふさがれては逃げ場がない、完全に閉じ込められた。
 手のひらの柔肉に食い込むほどきつく握り締めた簪を見るにつけ楽しかった日々の思い出がつれづれと甦る。

 啼き騒ぐカラスの雛。
 小枝を編んだ巣に組み込まれた銀の簪。
 木から落ちた春虎を抱き上げる強い腕……

 春虎は彼を拒絶した。
 助けを乞うのは卑怯だ。
 化け物だから、醜いから、人殺しだからと、一途に尽くしてくれた彼の存在を全否定した。

 目が霞む、熱が喉を焼く、目鼻から入り込んだ煙に激しくむせて床に膝をつく……

 「ちょいと拝見」

 折からの突風に寝巻きが捲れ、下穿きが覗く。
 「!っ、」
 狼狽し振り返る。
 「紺色か。貧乏臭え、昔と変わってねえ。若旦那になったんだから肌触りのいい絹でしたてりゃいいのに」
 「どうして」
 信じられない。誰何する声が震える。
 「俺は気紛れだからな、飛んで火に入る迷い風を気取ってみたんだ」
 火事場には場違いな飄々とした声。
 別れたあの日となにひとつ変わらない。
 十年ぶりだ。
 胸にこみ上げ荒れ狂う激情は衝動に結びつき、炎を纏う影に訴える。
 「恩返しはとっくに時効だ、お前は自由だ、戻ってこなくてよかったんだ」
 「俺の行き先は俺がえらぶ」
 「―永遠の別れみたいな前振りしといて卑怯だ、十年ぽっちでまた現れて……」
 鬼風
 クイフェイ
 「俺が言ったこと忘れたのか?お前を化け物って言った」
 「本当のことだろ?気にしてねえさ」
 轟々と炎が唸る火の海で男と対峙する。
 掛け軸の絵から抜け出た異形は、しかし背を向けたまま、一度も振り返らない。
 十年ぶりの再会に万感ひとつも言葉にならず、孤高の背を瞼に刻みつける春虎の頭上、轟音と火の粉噴き上げ柱が崩れる。
 「!!」
 逃げられない。
 死を覚悟し固く目をつぶる。
 柱の下敷きで圧死の運命を悟った春虎だが、予期した衝撃と痛みはいつまでたっても訪れず、糸のように薄目を開ける。
 「……あいかわらずぼんやりだなあ、目え開けながら寝てて商家の主人がつとまんのか」 
 懐かしい憎まれ口を叩きつつ、炎に巻かれた柱から身を挺し春虎を庇う。
 うつ伏せた春虎の位置からは、ぬばたまの黒髪が覆う後頭部と筋金の筋肉が縒り合わさった雄渾な背中しか見えない。
 「とっとと行っちまえ」
 「お前はどうする!」
 「俺は残る」
 いかに人を凌駕する力をもつ鬼神といえど炎熱責めは耐え難く、余裕ぶった声に虚勢が透ける。
 「風と火は鬼門の取り合わせだ。種火なら一吹きで消えるが、この規模で風を送ってもいたずらに煽り広げるだけだ」
 実体をとっているという事は即ち、鬼風も人とおなじ痛みを感じてると言う事。
 常人ならば肩の骨が砕けるだろう巨大な柱を背負い支えているせいで、背中は焼け爛れ肉の焦げる臭気を放つ。
 「俺は魔物だから大丈夫、ちょっと火に焼かれたくらいで死にゃしねえ、ぴんぴんしてる。お前はそうはいかねえだろ、春虎。泣き虫弱虫臆病な若旦那は尻をまくってトンズラこくのがお似合いだ」

 『俺は、お前が人として幸せになる道を拓く』
 「もう一度、活路を拓く」

 焼け爛れた背中には確固たる決意と透徹した信念が宿っていた。
 鬼風は危険を承知で春虎を助けに来た、火事場に殴りこんで窮地の春虎を救った、今もたった一人で柱を支えて逃げよと急きたてる。
 「おいてけっていうのか」
 やっと会えたのに
 もう一柱、二柱と立て続けに柱が倒れかかる。頭を抱え衝撃に備える春虎を竜巻の如く風が包む、春虎を中心に錐揉み螺旋を描く風が飛散する火の粉から彼を守りぬく。
 「人と魔物じゃ美醜の基準が違う」
 目に映る光景は壮絶の一言に尽きる。
 新たに倒壊した柱が鬼風に襲い掛かるも、それさえ肩で受けて敢然と仁王立つ。
 「魔物ン中じゃ結構な男前で通ってるんだが、人から見りゃ化け物以外のなんでもねえって、百年前からわかってたさ。出会う奴出会う奴たまげる悲鳴を上げてぶっ倒れる、すっ飛んで逃げていく、心臓の弱え奴は頓死だ。健康な心臓の持ち主だって俺の面の醜さにゃ耐えらんねえ、ずっと見つめ続けるうちに発狂しちまうか絶命しちまう。……つまりなにが言いてえかっつぅと」
 声が和らぐ。
 「友達になってくれも優しい奴だも、そんなしゃらくせえ台詞俺様にかける人間は、お前が最初で最後だろうってことさ」
 廟で最初に出会った時、友達になってくれと望んだ春虎に対し、風は一瞬凪いだ。
 今ならわかる。困惑したのだろう、きっと。
 百年生きた鬼神。百年の孤独。
 人に畏怖され忌避される宿命を諦念し、そういうものだと受け入れた矢先に、鬼風は春虎に出会った。春虎は鬼神に名前をつけ友人として接し、カラスの巣を壊さず見守る鬼風を優しいと褒めた。
 「ここだけの話、貰った名前結構気に入ってんだよ」
 「鬼風……」
 「行け、春虎。もうすぐ屋敷が崩れる。俺ももう、人の姿じゃ保たねえ」
 静かに笑う気配が縫い伝う。 
 「俺の顔は見ずに行け」

 おそらく今、男が振り向いたら自分は死ぬ。
 だから?

 「たかが皮一枚じゃないか」

 春虎は、鬼風の顔に惚れたわけじゃない。
 そんな皮一枚の、皮相な、上っ面の、ばかばかしいものに惚れるわけがない。

 「お前は下穿きの色でその人間を判断するのか?ちがうだろう、くだらない、重要なのはむしろ下穿きの下だ!」

 鬼風が肩がかすかに動く。

 「『俺』はもう子供じゃない、だけどまだお前が怖い、お前の顔をまともに見て正気でいられる自信がない、それがどうした、どんな醜い顔をしてたってお前はお前だ、俺を助けに来てくれた、俺を救ってくれた、その事実がたかが皮一枚でひっくりかえるもんか!!」
 
 なるほど鬼風は化け物だ。
 その化け物に惚れた自分は、おそらく、とうに人の道を外れてしまったのだろう。

 深く深く深呼吸し、火箸のように灼熱した簪を逆手に持って翳す。
 異状を悟った鬼風が振り返ろうとするも、目を合わせた刹那発狂するだろうと予期し、春虎は満足げに笑い……

 目を背けるくらいなら潰してしまったほうがいい。

 「!!馬鹿っ、」 
 先端で目を突く。
 眼球が潰れ視界が赤く染まる、炎の赤か血の赤か区別がつかない、止めに入る間を与えず残る片目も潰す、脳髄まで貫く激痛に仰け反り悶える春虎を気も狂うほど焦がれた腕がかき抱く。
 「何考えてんだ俺様がせっかく助けてやったのに台無しだ、お前の目が……」
 火が爆ぜる音に合わせ悲痛な声が響く。
 「壊れた物は戻せる、死んだ人間はどうにもなんねえ、つぶれた目は治せねえぞ」 
 長年の夢が叶い恍惚としつつ、そこにあるだろう愛しいひとの顔を片手で包む。
 「目を開けたらほんとうを見失う……見えない時のほうが、よく見えていた……」

 視力と引き換えに得たもの。
 自分を守り抜く腕のぬくもり。

 「お前が化け物なら、俺も化け物になればすむことだ」
 危険を承知で簪をとりにもどったのは、鬼風に結びつく思い出の品だから。
 「……俺は、あの頃と変わらず臆病だから……お前をまっすぐ見る自信がない」
 鬼風を一方的に化け物と罵り糾弾した時と今とで違うのは、別離で深まった愛情の深さだけだ。
 「だけど、目を潰せば……向き合えるし、一緒にいられる。恐れずにすむ」

 卑怯か。
 逃げか。
 それでもいい。 
 「お前を哀しませずにすむ」
 妻よりも子よりも己の目よりも、鬼風を愛してる。狂気のように執着している。

 真実に目をつぶるのは真実を侮辱するのと同義か。
 ならば真実とは?
 春虎にとってのほんとうは蓮池のほとりで語り合う平和な時間、優しく吹く風と寄り添う気配、顔が見えないうちから相手に感じていた恋心、別離が与えた痛み、妻子にも癒せなかった喪失の空虚。
 衰弱しきった自分を愛しげに、翼を広げて雛を抱くカラスのように包む腕。

 鬼風がますますきつく春虎を抱きしめる。
 昔見たいと願った姿はもう永遠に見えないけれど、代わりに彼を手に入れた。 
 盲目になって初めてまっすぐ顔を見れた。

 力尽きて目を閉じ、漸く再会した親友に身を委ねきる。
 「……接吻したいから目を潰したと言ったら笑うか?」
 「……俺の口、違う場所についてるんだけど」
 「構うもんか」
 鬼風の顔を手挟み、くちづけるように近づけ、眼窩から滴る血涙に染まる凄惨な顔で微笑む。
 「どこへも行かないでくれ」    
 強く強く、もう二度と手放さぬよう春虎を抱く。
 「あたぼうよ。俺はお前の守り風だ」
 秘めた力を解き放つ。
 本来風は火を煽り立てる役目をなすが、颶風といえる規模まで成長したそれは龍のあぎとが川を干すが如く、一面の火の海さえも薙ぎ払う。
 自分を中心に炎が後退した空間を見回し、聞く。
 「一緒に来るか?」
 頷く。
 鬼風の顔に五指を触れた春虎は、目鼻口さえばらばらな顔に、笑みと呼んでいいものが浮かぶのを模糊と感じ取る。
 天井を支える梁と柱が連鎖的に倒壊し、抱き合う一対の異形を覆い隠した。
 


 屋敷は焼け落ちた。
 煤の積もった焼け跡を彷徨い歩くのは虚ろな目の未亡人。
 「私が簪なんてとりにもどったから……」
 さめざめと泣く奥方へ、ところどころ焦げた着物を羽織った寿安が赤い目をして進言する。
 「旦那さまはご立派でした。使用人が全て避難するまでお残りになって……指示が素早く的確だったおかげで、家財の大半を無傷で運び出せました」
 「あの人がいないわ」
 「奥様……」
 家財一式は運び出せた。使用人も無事。残された妻子が暮らしていくのに不自由はないだろう。
 「後の事は私たち使用人にお任せください、旦那さまに受けた恩義は必ずお返しします」
 「使用人上がりのせいか旦那様はわしらにとても親切にしてくださった」
 「不幸中の幸い……といったらなんだが、財産の殆どは無事です。またすぐにでも商売を始められますよ」
 「元気だしてください奥様、せっかくの綺麗なおぐしが乱れてしまうわ」
 さめざめと泣く未亡人の肩を抱く寿安、ふたりのもとへ煤で着衣を汚した使用人たちがわらわら集まってくる。 
 「屋敷と心中するなんてばかよ」
 「心中ってなあに、母様」
 子供の無邪気な質問に母親が泣き崩れ、使用人たちが慌てふためく。
 咽び泣く母の姿を遮るようにして子供たちを招き、腰の曲がった寿安はこっそり教える。
 「心中というのは好きな方と一緒に死ぬことですよ」
 「父様死んじゃったの?お屋敷と?」
 あどけない問いがさらなる涙を誘い、ついに寿安も口元を覆う。
 人だかりに嗚咽が広がる中、寝ている間に屋敷が燃え落ち父の死すら理解せぬ子供たちは焼け跡を走り回ってきゃあきゃあ遊ぶ。
 「なんだこれ、真っ黒」 
 在りし日の春虎と面差しのよく似た末の子が煤の下から黒焦げの残骸を掴み出す。
 かつて母の髪を飾っていた美しい簪の成れの果てをためつすがめつ、ひねくりまわすうちに奇跡がおきる。

 焼け跡を渡るそよ風が煤を舞い上げ、男の子が目をつぶるや、少しつついただけで跡形なく風化しそうだった簪の残骸がみるみる銀の輝きを取り戻していく。
 元どおり精巧な細工と輝きを取り戻した簪に驚き、そよ風を追う。
 たった今過ぎ去った風がまるで意志をそなえているかの如く錯覚し、簪をぎゅっと握り、もう片方の手を空に向かって振る。

 ―「再見!再見!」―
 
 男の子の声は希望に満ち溢れ、どこまでも高らかに響くのだった。 

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鬼風 | コメント(-) | 20010503050952 | 編集
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