ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

関連記事 [スポンサー広告]
スポンサー広告 | コメント(-) | ------------ | 編集
鬼風―クイフェイ― 壱

 肝試しにでかけたのは新月の晩だった。

 「弱虫泣き虫春虎(チュンフー)やあい」 
 「弱虫じゃないよ、一人で厠にだって行ける」
 「嘘つけ、こないだ厠に行こうとして我慢できず漏らしちまったくせに」
 「あ、あれは仕方なく……」
 「怖がり泣き虫春虎め、寄るなさわるな臆病が伝染る」
 「なよなよくねくねべそっかき、女みてえに科つくる」
 「色も生っ白いし痩せっぽちだし、目ばっかでかくて女みてえ」
 「お前みてえなのを女が腐ったようなやつって言うんだな」
 「遊郭に引き取ってもらったほうが稼げたんじゃねえか」
 「ばかにするな、僕は怖がりなんかじゃない!」
 「じゃあ証明してみろ」
 「証明?」
 「屋敷の裏の藪に古い古い廟がある」
 「当主さまのご先祖が昔々悪いものを封じ込めた場所だ」
 「絶対近寄っちゃいけないって言われてる……?」
 「そこに夜ひとりで行って廟に蝋燭をおいてこい」
 「いやだ、できない!」
 「ほら見ろ、やっぱり口だけじゃないか!口でどんなに否定したって話聞いただけでぶるってるんじゃ説得力ねえよ、春虎は怖がり泣き虫臆病者だ、こんなやつが俺たちの仲間だなんて恥ずかしい!」
 「もし本当に魔物がでたら……」
 「言い訳か?かっこ悪ー」
 「弱虫じゃねえって証明したいなら今晩蝋燭もって一人で行って来い、そうすりゃ一人前だって認めてやるよ」
 「弱虫泣き虫春虎を仲間に入れてやる」 

 廟はどちらだろう。
 闇路で方向感覚が狂う、遠近感を見失う。
 なんら変哲ない風の音も笹の葉の合間を縫うにつれ奇怪なざわめきに変化し、あまりの心細さに泣きたくなる。
 朋輩たちに脅されひとり肝試しに向かったものの心は挫ける一歩手前だ。
 邸内最年少の奉公人たる春虎は、朋輩らの憂さ晴らしに日ごろからいじめられているが、今日の仕打ちはとりわけ陰湿だった。
 屋敷の裏手の藪、そこに存在する廃廟に蝋燭を灯してくる。
 言葉にすればたったそれだけ、言うは易し行うは難し。
 出立間もないというのに春虎の顔はすっかり青ざめている。
 勇敢さを示す行為と口々にけしかけた朋輩も、本心では春虎が怯える様を見たがってるだけだ。
 下劣な企みがわかっているからこそ、見返してやりたい。
 見事肝試しをやり遂げて帰還してやる。

 闇には魔物が巣食う故、夜はみだりに出歩いてはならぬ。
 新月の晩はとくに陰気が高まり、人ならざるものどもの動きが活発化する。

 鬱蒼と笹が茂った獣道を一人行くのは年端もゆかぬ少年だ。
 齢にして十二、三だろうが、栄養不良で伸びきらぬ手足は貧弱でもっと下にも見える。
 奉公人の最下級を示す藍衣を羽り、擦り切れた履物で地を踏む少年は、内気な少女と紛う優しい顔立ちをしていた。
 蝋燭の火を映し濡れ濡れと輝く目には、気性の素直さと天与の善良さとが表れている。
 蝋燭が儚く揺れ、薄紙に陰影の濃淡を投じる。
 「この家の………だ……」
 「?」
 空耳かと疑う。
 風の音に紛れて途切れ途切れに届く声は醜悪にひび割れて、陰惨な響きを帯びていた。
 冥府の底から沸きいづるかのような陰々滅々とした呪詛。
 小鼻をひくつかせ風に混じる瘴気を嗅ぐ。
 行ってはならぬと本能が騒ぐ、近付いてはならぬと警鐘が鳴るも好奇心がそれに打ち克つ。
 かそけき揺れる蝋燭の炎を前に、おそるおそる回廊をそれ、剥き出しの地面を踏む。
 風の音に紛れたあやしの声は屋敷の裏手に生い茂る藪から聞こえてきた。
 僕は臆病者なんかじゃない。
 自分に言い聞かせさらに一歩、もう一歩。
 話し手の正体をこの目で見極めてやる。
 朋輩らの野次を思い返し、鬱勃と闘志が湧く。
 じっとり汗ばむ手に抱えた蝋燭が怪しく揺らめき春虎の顔に鬼気迫る陰影をつける。
 足を踏み出す原動力となるのは朋輩らを見返したい気持ち、一人前と認められたい気持ち。
 春虎だって男だ。
 弱虫、臆病者と蔑まれるのがわかっていながらおめおめ引き下がれない。
 大丈夫、物陰からそっとうかがうだけだ。
 大丈夫、ばれるはずない……
 こみ上げる恐怖と怯惰を押し殺し、虚勢で顔を引き締め、裏手に回る。
 風の生臭ささが一層増す。
 瘴気を孕む風が春虎に頬をなぶり髪にじゃれ、渦を巻いて去っていく。


 「この家のあるじはけしからん」
 「代替わりしてからワシらへの供物も蔑ろになって」 
 「業腹だねえ。祟ってやろうかねえ」
 「悪い風を起こして屋根を吹っ飛ばしてやろうか」

 話し手は人ではないだろう。どうやら春虎が仕えるあるじについて愚痴りあってるらしい。
 心当たりはいくつかある。
 春虎が仕える商家は代々続く由緒ある家柄だが、当代の主人は跡取り娘に見初められた入り婿で成り上がりの俗物にすぎず、現世利益を追求し祭祀を軽んじる傾向があった。
 当代の主人に代わってから敷地の祠は管理が疎かになり寂れる一方、近在の民の信心は廃れる一方。
 それ故加護が衰え、土地に封じられた悪しきものたちが胎動を始めてもおかしくはないと妄想逞しく春虎は震え上がった。
 拮抗し合う陰陽の気のうち片方に傾けば均衡が崩れ、亀裂からよくないものが噴き出すのは世のことわり。
 春虎の気も知らずひそひそ声は続ける。
 
 「あいつも外へ出たがってる」
 「だろうなあ、百年たつもんなあ」
 あいつ?
 「埃臭えあばら家に閉じ込められて、さぞかし腹あ立ててるだろうさ」
 「自業自得だろう、ちょいとばかし悪さのしすぎだ」
 「けども人の手え借りねえとさすがに破れんだろう」
 「結界が……」 


 結界。
 いまから行こうとしてるところ?
 背中を冷や汗が伝い、無意識にあとじさる足元で落ち葉ががさつく。
 「あぷっ!」
 けらけらと甲高い哄笑を風に乗せ飛び去るは魔物のたぐいか、突如として吹きつけた風に面食らい腕を交差させ顔を庇う。
 まずい。
 混乱を来たし、とにかく屋敷のほうへ戻ろうと手探りで歩みだす。
 破邪符など持ってない、魔を追い払う力などない、春虎は無力で無知な子供で地面に転んだところを襲われればひとたまりもなく獲って食われてしまう、いやだそんなの死にたくない、即座に立ち上がり一目散に駆け出す、肘振り足蹴り出し頭を屈めひた走る、もう肝試しなんてどうでもいいのこのこ来たのが間違いだった早く屋敷に帰りたい虱の沸いた布団が恋しい朋輩の鼾がうるさい相部屋に帰りたい一念で懸命に突っ走る……
 「!!あっ、」 
 がくんと視界がぶれる。
 帰りたいと気がせくあまり注意がおろそかになり同じ失敗を犯してしまう、足をくじく勢いで何かにつまずく、地面に突っ伏し肘を擦り剥く、黴臭く湿った土の匂いが鼻腔にもぐりこむ。
 慌てて手から逃げる蝋燭を追う。
 奇跡的に消えてない。
 闇を照らすにはあまりに心許ないにしろ唯一の光源たる灯がついているのを確かめ、心底ほっとする。
 蝋燭を取り戻し、袖にこびりついた土を丁寧に払って立ち上がった春虎は、眼前を塞ぐ威容に息を呑む。

 廃墟の廟があった。
 おそらく、朋輩たちが言ってたのはここだろう。

 一体いつからあるのか。
 意匠を凝らした梁や柱も今はすっかり塗料が落魄し、風雨に晒されるがまま骨格はささくれ老朽化し、古色蒼然と神威の枯れ果てた外観を呈す。
 瘴気、または邪気と名付けてもいいような不浄凝る廟へ、蝋燭を翳しおそるおそる歩み寄る。
 隙間に片目を当て覗き込むも闇に沈み何も見えない。
 慎重に扉を開ける。
 軋み音もたてぬようごく細く開け、薄い体を滑り込ませば、勝手に扉が閉じていく。 
 本音を言えば今すぐ逃げ帰りたい。
 膝が笑う。腰が引ける。
 手の震えを汲んで蝋燭が不安定に揺らめく。
 「怖くなんかない……怖くなんか……」
 笑われっぱなしでいいのか、春虎。
 見返したくないのか。
 己の手綱を引き鼓舞し、湿気を吸って膨張した床を体重で撓ませ、忍び足で奥へと進む。
 内部は空虚な伽藍となって荒廃していた。
 朽ちた床板には埃が積もり、柱の間に蜘蛛の巣が張っている。もう何十年と人が訪れた痕跡がない。
 軋む床をつまさきで探り、いくつもの柱を経て梁をくぐり、ついにかつて祈祷が行われていたのだろう広壮な奥の間に到達する。
 「蝋燭を置いておしまいだ……」
 安堵は油断を誘う。
 その一瞬、無防備にも笑みを浮かべ蝋燭を掲げた春虎は、壇の後ろの掛け軸に気付く。
 「!!ひィあぁあっ、」 
 口から迸る絶叫。
 蝋燭の火がふっと消え、視界に帳が落ちる。
 祈祷壇の後ろに掲げられた一枚の掛け軸、そこに描かれていたのは世にも恐ろしく醜悪な異形の姿。
 どう表現すればいいのだろう、ろくろく読み書きもできぬ無学で幼い春虎は自分が見たものを正確に言葉にする術を持たない。
 ただひたすらに醜悪、ただひたすらに邪悪、ただひたすらに……掛け軸に描かれた異形の者は本来目がない場所に目を持ち、鼻がない場所に鼻を持ち、その面相は絶対悪の権化の如く筆舌尽くしがたく怪奇千万。
 昼の光の中で正視すれば気死しかねぬ禍々しさに充ち満ちて、およそ正常な神経の持ち主ならば戦慄を禁じ得ない。
 たかが絵、されど絵。
 廃廟に飾られた絵に驚倒した春虎は、蝋燭が消えた事によって完全に動転し、おまけに腰が抜け、出口を求めて円を描いて床を這う。
 文字通り、暗中模索の堂々巡り。
 「ひっ、ひっ、ひ……ごめんなさい、罰当たりでした、もうしません、廟を荒らしてごめんなさい……」
 頭を抱え震える春虎の鼓膜を軽薄な声が打つ。
 「いーや、許せねえな」
 「!」
 凄まじい勢いで顔を上げる。
 廟内に殷々と何者かの声が響く。
 「罰としてガキ、俺を逃がす手伝いをしろ」
 「だれですか?」
 「誰だって?しゃらくせえ!」
 酒場でくだ巻く無頼漢の如く伝法な口調で啖呵を切り、そいつはけらけら笑う。
 そこらじゅうで物音が立つ、床板がみしりと軋む、力の塊が壁を殴りつける、壇ががたつく。
 「ば、化け物……」
 「おうとも、化け物だ!」
 あちこちを殴りつけて回っていた音がやみ、春虎の鼻先に渦を巻いて埃が舞い立つ。
 「おもての雑魚どもが言ってたろ?いくら血の巡りの鈍いガキだって危険な場所には危険なもんがいるって察しがつくだろ」
 「廟に閉じ込められてるっていう……」
 「鬼神ちゃんだ」
 あっけらかんとのたまう。
 姿なき何者かはすこぶる上機嫌に続ける。
 「陰気が高まる新月の晩、復活にゃお誂え向きだ。百年かかってようやっとここまで力を取り戻した、が、限界だ!だめ、むり、お手上げ、降参!おいガキ、そこに貼ってある札が見えんだろ?」
 目をつぶりたい衝動と戦いつつ、やっとの思いで眼球から瞼をひっぺがし、示された方角を向く。
 「あいつをとれ」
 「できません」
 即答。
 鬼神は猛烈に怒り狂う。 
 鈍い音が連続し衝撃波が炸裂、天井床壁に自暴自棄の無軌道さで力の塊がぶつかり撓む、癇癪の暴発に両耳を塞ぎしゃがみこむ。
 「できませんってな何だクソガキ、俺は百年もおんぼろ廟でひとが通りかかンの待ってたんだぞ、数十年ぶりにやってきた人間だ、うんと言うまで返すもんか!」
 「だ……だって、悪いものなんでしょう。さっき他の魔物たちが言ってた、悪さのしすぎで封印されたって……解き放てば悪さを働く、お屋敷の人たちを困らせる、旦那様に仕返しする!」
 「はッ、俺あそんな度量の小せえ男じゃねえぜ!だいいちとっくに代替わりしてんだろうが、俺を廟にぶちこんだヤツは憎いが子孫にまで恨みはねえ」
 「駄目、だめです!悪いことしたから百年も閉じ込められてるんだろ、人を祟って死なせて作物枯らして…悪い病をまきちらして……」
 春虎は嫌々とかぶりを振りつつ必死に抗う、瞼にちらつく薄ぼやけた父母の顔、忘却の彼方になりつつある両親の面影を追う。
 「お前は悪い魔物だ、外にでちゃいけないんだ、永遠にここにいろ!」
 こいつを解き放てばたくさんの人が不幸になる。
 ありったけの勇気を振り絞って怒鳴れば、太鼓の如く壁を殴りつける音がやむ。
 耳から手をおろし、不審げに細目を開けあたりをうかがう。
 しばらくして聞こえてきたのは、嗚咽。春虎は大いに戸惑う。
 「………泣いてるの?」
 どうして?
 凄い力をもってるんだろう、凄い悪い魔物なんだろう? 
 「黴くせえ……埃っぽい……こんな廃屋に永遠に?永遠に縛りつけるつもりか。人間のくせに血も涙もねえ」
 「あの、」
 「ド外道当主め、いっそ殺しゃよかったんだ、これじゃ生殺しだ、じめじめ薄暗い闇ン中に閉じ込められて話し相手もねえ、百年前は自由に空を飛び回ってた俺様が今じゃこのザマ、床下のネズミにだってシカトされる始末」
 よよと泣き崩れる。まるで自分が泣かせてしまったみたいなばつの悪さを覚える。
 「誰も彼もが悪党って決めつける、改心したって訴えても信じてくれねえ」
 「改心したの……?」
 「百年も廟にぶちこまれたんだぜ、改心するさ!今じゃこのとおりすっかり心を入れ替えて……そうだ、取り引きしようや」
 名案を思いついたとばかり嬉々としていう。
 「身なりから察するにお前、下働きだろ。毎日毎日牛馬みてえにこき使われてんだろ。封印解いてくれたら家来になって恩返ししてやる。役に立つぜ俺さまは」
 「信じられない……改心したって証拠を見せてよ」
 「経でも唱えりゃいいのか?」
 「僕一人じゃ決められない……旦那様に相談しないと」
 春虎のすぐ後ろで轟音が炸裂、反射的にびくつく。
 「わっかんねえかなあ、ンなことしたら丸損だ。お前の家来になってやるって言ってんだぜ?旦那様なんぞ担ぎ出したらせっかくのうまい話がパアだぜ?千載一遇の好機を棒に振るのか」
 鼓膜をざらり舐め上げる声のいやらしさに背筋が粟立つ。
 「俺がついてりゃ百人力だ、どんな辛え仕事だって一瞬で終わらしてやる、人間どもが崇め奉る鬼神サマだからな」
 「でも……」
 「煮えきらねえやつだなあ」
 舌打ちひとつ、ははぁんとひとり合点。春虎の背に瘴気がまといつく。
 「こんな夜更けにガキが廟に迷い込むとは面妖だとおもっていたが、なるほどね、朋輩にいじめられたんだな」
 「なんでわかるの!?」
 「そのべそべそした性格みてりゃわかるさ。大方みそっかす扱いで相手にされてないんだろ、朋輩を見返したくて出かけたはいいがすっかりぶるっちまって……足腰震えてるぜ。ざまあねえな」
 「うるさい!」
 「臆病者」
 「ちがう!」
 むきになって反駁し否定するも、顔を赤くし叫ぶ姿が皮肉にも邪推を裏づけて、鬼神は飄げて哄笑する。
 どこからか巻き起こる哄笑に被せ暴風が荒れ狂う、掛け軸の裾が激しくはためく。

 「運命を変えたくねえか、ガキ」
   
 燭台が倒れ床を打つ。

 「飼い殺しの一生はやだろ。俺がついてりゃ脱け出せる、成り上がりの布石を打てる」
 
 万一死んだからとて春虎の死を嘆き弔ってくれる人間などいない。
 自分を嘲笑う朋輩たちの顔、怖い主人の顔が脳裏にちらつく。
 屋敷の主は吝嗇家で有名で、過労で倒れた使用人の亡骸を犬の屍と同じに扱って、ちっとも良心を痛めない。
 春虎に親はなく、兄弟もない。天涯孤独の孤児である。物心ついたときから親戚中を転々とし、売り飛ばされた屋敷ではこき使われて、老いて死ぬまでずっとそんな毎日が続くというなら

 どんなに強く激しく風が吹いても封印の札は外れない。
 おそらく、人の手でしかはがせない仕組みになってるのだろう。
 
 「お前の願いを叶えてやる」

 野望?
 そんなものありはしない、春虎は己の分をわきまえている、一生を下働きとして終えるならそれでいい
 だけど
 嗚呼、だけど

 「封印をといたらっ……」
 急を告げる風に抗いつつ、叫ぶ。
 「封印をといたら、外に出たら、一緒にいてくれますか!?」
 口走った台詞に驚く。
 ばかげてる、相手は鬼神だ、人間じゃない、遠い昔に悪さを働いて廟に封じ込められた化け物、わかっているが人恋しさに負ける、限界だ、耐えられない、寂しいんだ僕は、真っ暗い廟にひとりぼっち怖いの我慢してやってきたのは仲間として認めてほしかったから、もし肝試しをやり遂げれば仲間として迎えてくれる、友達ができるとおもったから
 それが叶わぬ望みなら、

 「友達になってくれますか!?」

 手を伸ばし札を毟り取る。
 その夜、春虎は鬼神と契りを交わした。

 
 春虎は孤児である。
 親は春虎が五つの時に流行り病で死んだ。
 それから親戚中を厄介者扱いされ転々とし、八つの年に下働きとしてある裕福な商人の屋敷に貰われたが、そこでもみそっかす扱いで朋輩たちにいじめられていた。
 貰われたと言えば聞こえはいいが、実際ははした銭で売り飛ばされたのだ。
 そんな春虎の待遇はおしてしかるべし。
 「春虎、こっからあそこまで全部やっとけよ」
 ひとつ年上の楊が底意地悪くにやつき、戸惑う春虎に箒を押しつける。
 「無茶だよ、一人でできるわけない」 
 「頑張ればできるさ、なあみんな」
 「そうだそうだ」と仲間が唱和し野次をとばす。
 春虎は唇を噛み押し黙る。
 屋敷に引き取られて日が浅い春虎は立場が弱く、大変な仕事や損な役目ばかり押しつけられる。口答えしようものならちびのくせに生意気だと拳が見舞う。もとより温厚な性質の春虎は口論や喧嘩を大の苦手とし、ひとつ屋根の下でおなじ釜の飯を食う朋輩らと争うくらいならと理不尽を耐え忍ぶのが常だった。
 仕方なく、ため息をついて箒を受け取る。
 薄情な朋輩らは春虎ひとりを残し遊びに行ってしまった。
 無邪気な歓声をあげ駆け去る仲間の背を恨めしげに一瞥、踵を返して掃除に戻る。
 先日擦り剥いた膝が、置き去られた胸の痛みに呼応してずきりと疼く。
 膝の痛みが記憶の中枢を喚起し、戦慄の恐怖を伴う怪奇な体験が鮮明に甦る。

 『甦らせてくれた礼はする。助けがほしくなったら呼べ、気が向きゃあ行ってやる』

 夢か現か判断つかない体験だった。
 肝試しを中断し、命からがら逃げ戻った春虎は寝ている朋輩を叩き起こして回り、自分がたった今見たこと聞いた事を報告したが、誰一人として真に受けはしなかった。臆病者の春虎が目を開けながら見た夢だとある者は笑い、小便が染みた春虎の股間を指さし、どうりで臭いとおもったらもらしちまったのかと馬鹿にした。
 あれ以来廟には近付いてない。
 内心、いつばれるかびくびくしていた。
 しかし春虎の予想に反し、屋敷の人間はもとから昼なお暗く、鬼神を封じたいわくつきの藪を忌避する傾向にあるため、今日まで封印を荒らした事実は明らかになってない。朋輩たちは皆寝ぼけていたため、動転しきった春虎が口走った「鬼神の封印を解いた」という重大な発言を聞き漏らしていた。
 罪悪感と恐怖と不安と。
 春虎一人で抱え込むにはあまりに、重い。
 しかし、あの鬼神は約束した。困った時、呼べば助けに来ると。
 春虎は身の丈に余る箒を持ち、きょろきょろとまわりを見回す。あたりに人けはなく閑散としている。 屋敷の庭は広く、端から端まで掃き清めていたら日が暮れてしまう。
 ぎゅっと箒を握り、衣擦れに紛れかき消えそうな声で呟く。
 「……ねえ、鬼神」

 夢か。
 現か。
 現ならば答えよと切に念じる。

 「いるなら返事して」
 いない。やはり夢か。自分は夢遊していたのか。
 あんな恐ろしいこと現実にはなかったんだ。
 安堵と失望を同時に抱く。
 鬼神が現れずほっとする一方、心のどこかで出現を祈り、期待していた自分に気付く。
 向こうから風に乗り流れてくる朋輩らの歓声。
 石蹴り遊びに興じているのか、行ったぞ、そっちと、快活に掛け合う声が弾ける。
 「……なにやってんだろう」
 疎外された寂しさと孤立感を自嘲の笑みでごまかす。
 寂寞とした感傷が胸に広がっていく。
 瞼がじんと熱を帯びる。危険な兆候だ。下を向くと涙がこぼれそうだ。
 すん、と鼻を鳴らし箒の穂先で埃を蹴立てれば、ごほごほと苦しげな咳がどこからか。
 「!」
 振り返る。だれもいない。
 突然、風が吹く。
 姿なき何者かが春虎の手から箒を奪い取る。
 「呼んだか、ガキ」
 「……来たんだ」
 「のけ者にされたんでべそかいてたのか?」
 夜の闇の中で聞く声とは違い、昼の健全な明るさの中で聞く声はいやに長閑に感じられた。
 含み笑いでからかわれ、春虎は咄嗟に箒を取り返して叫ぶ。
 「塵が目に入ったんだ!」
 「自業自得じゃねえか?早く掃きゃいいってもんじゃねえだろ、掃除の極意がわかってねえ。ガキ、お前さては四角いところを丸く掃くたちだろう」
 「……いやなやつ」
 春虎はむくれる。
 ふくれっつらの春虎をけらけら笑い、藍衣の裾を巻き上げる。
 風を孕んで裾がひらつき、貧相な尻を覆う下穿きが覗く。
 「ひゃっ!」
 「色気のねえ尻だなあ」
 「悪戯するな!」
 裾を押さえ叱責するも、けらけら太平楽に笑う声に反省の色は全くない。
 「現役ン時はどっちがより女の下穿きを吹っ飛ばすか仲間と競争したっけなあ。突風がびゃっと下穿きさらってよ、胡弓みたく甲高え悲鳴を上げた女たちがむっちり肉々しい桃尻まるだしで逃げまくって……あれぞまさに桃源郷、どんな景勝地も凌ぐ極上の眺め。色とりどりに乱舞する下穿きはさながら花吹雪」
 「最低だよ」
 「生娘みてえな反応だな。首まで真っ赤」
 下世話に免疫のない春虎は面白いほど赤面、近くにいるだろう破廉恥な鬼神をぶとうとするも、姿の見えない相手を殴りつけるあてもなければ度胸もなく口惜しげに拳を引っ込める。
 春虎をさんざんからかって満足したらしい鬼神が場を仕切る。
 「で、娑婆の空気満喫中の俺様を呼んだ用事は?」
 癇の強い目つきで箒の先を見つめ口を噤む。
 迷う春虎とは対照的に、耳の穴でもほじりかねぬあっけらかんとした声で提案。
 「お前さんを仲間はずれにしたいじめっ子どもをちゃちゃっとなます斬りにしてくりゃいいのか?」  
 「違う!!」
 「こえー。冗談だって」
 「……ここからあそこまで掃除してほしいんだけど。塵ひとつのこさず」
 すっ、と指を上げる。
 広大な庭の端から端まで指し示しつつ、春虎は少し意地悪な気持ちになる。
 いくらなんでも無理だろう。
 しかし声は易々と請け合う。
 「よっしゃ」
 強引に箒を奪う。
 呆然とする春虎の前で、箒は右へ左へひとりでに動いて塵を掃き集めていく。
 確かに手際はいい。手際はいいが……
 手持ち無沙汰に見守っていた春虎が悪気なく呟く。
 「……結構地味だね」
 春虎の一言を挑発と受け取り、鬼神が実力の片鱗を見せる。
 庭一面の塵芥を悉く旋風が吹き払い、濛々と万丈の煙が立つ。
 塵芥どころか庭木の枝さえへし折りそうな風は小柄な春虎をも独楽の如く翻弄し、足元がふらつき倒れかけたところをだれかが後ろへと引き戻す。
 鬼神?
 「うわあ!?」
 ずるりと下穿きが脱げて未熟な下半身を露出、反射的に両手を重ね前を隠ししゃがみこむ春虎の耳をけたたましい爆笑が打つ。 
 「用事は済んだ。行くぜ」
 「待って……」
 「漏らした下穿きはもう乾いたか?」
 見られていた。
 恐怖の絶頂で失禁したところを目撃してたのだ、こいつは。
 満面を羞恥の朱に染め、ふんづかまえようと手足を振り回す春虎をあざ笑うかの如く高らかな笑いは去っていく。
 一刻後、遊びを中座して帰って来た朋輩たちは隅々まで掃き清められ塵ひとつ見当たらぬ庭の美観に仰天し、いったいどういう手を使ったんだと春虎を取り囲み質問攻めにしたが、なぜか春虎は箒を抱えむっつり黙り込んだまま、頑として口を割ろうとしなかった。



 かくして、春虎と鬼神の二人三脚の日々がはじまった。
 使用人の中でもっとも年若く、なにかにつけ足手まとい、みそっかすと疎んじられてきた春虎が、鬼神の神通力に助けられ目覚ましい活躍をなすようになった。
 気紛れな鬼神は、しかし春虎が呼べば必ず答えてくれる。一声春虎が「鬼神」と呼べば、律儀に召喚に応じ、風を従え舞い降りる。
 態度には表れないが彼なりに恩義を感じてるのだろう。
 軽率な憎まれ口を叩きつつ、鬼神は春虎を手伝う。
 春虎が鬼神を呼ぶのは大抵意地悪い朋輩に無理難題をおしつけられ、自力ではいかんともしがたく困り果てた時で、ある日は主人が大事にしてる壷を割った罪をなすりつけられ、別の日は柱に傷をつけた犯人の身代わりにされた。
 前者、後者とも朋輩の仕業だった。
 前者は過失、後者は悪戯。
 主人に内緒で部屋を掃除した折に花瓶を投げて遊び、手が滑ってうっかり落とした。
 小ずるい彼らは示し合わせ、それを春虎のせいにしようと企んだ。
 「どうしよう……」
 花瓶の破片を見つめ途方にくれる春虎の耳元で、あきれ声が囁く。
 「どうするもなにもありのままを言やあいいじゃねえか。お前の仕業じゃねーんだろ、真犯人言っちまえ」
 「そんなことしたら楊と劉が仕置きされる」
 「自業自得だ、お前が気遣う筋合いねえ。第一そいつらはお前に濡れ衣を着せてしらばっくれようとしてんだぞ?」
 「だけど……でも……」
 煮え切らない春虎に鬼神はいらつく。
 ややあって、ぽつりと呟く。
 「………痛いのは可哀想だ」
 鬼神は言葉を失う。
 痩せ細った春虎の手足には多数の傷がある。折檻のあとだ。
 「……とんだお人よしだぜ。自分をいじめたやつが仕置きされりゃすっとすんだろ?」
 「僕は……いいんだよ」
 「何が?」
 「怪我したって心配する人いないから」
 「~わっかんねーなあ、仕返ししたくねえのか!?」
 春虎はうつむく。目にみるみる涙が盛り上がる。舌打ちひとつ、鬼神が旋風を巻き起こす。
 再び目を開けば、粉々に砕け散ったはずの花瓶は継ぎ目がわからぬほど綺麗に復元されていた。
 「謝謝!」
 礼を言う春虎に鬼神は答えず、一陣の風とともに去っていった。
 柱の傷は朋輩が悪戯してつけたものだ。それもまた、春虎が目をつぶってるうちに吹いた風が時を巻き戻し何事もなかったのかのように復元してしまった。
 毒舌を吐きつつ、舌打ちしつつ、鬼神は必ず春虎を助けてくれる。
 春虎は次第に鬼神に心を開き始めた。
 鬼神はどうであったろう。
 ひとつ、不思議な事がある。
 鬼神はけっして春虎の前に姿を現さず、耳元にだけ囁く。
 声だけの妖怪かと最初は疑ったが、封印を破いた時、逆巻き吹き上がった風はたしかに人間の輪郭をかたどっていた。    



 「どうして見えないの?」
 春虎の質問に鬼神は答える。
 「百年も閉じ込められてたんだぜ?残念ながらまだ本調子じゃねえ、姿かたちを保てるほど力が回復してねえのよ」
 「じゃあそのうち力が完全に戻ったら見えるんだね?」
 問いを重ねる春虎に何故か一拍おき、続ける。
 「さあな。どうだか。隠遁してた百年ですっかり力が衰えちまったからなあ。俺様の顔に興味あるか?」
 「ある。声だけじゃなんか変な感じだし……その、ちゃんと顔見てお礼言いたい」
 「けけ、男前すぎてちびるぜ」
 「漏らしたりしないって。蒸し返さないでよ」


 
 駿馬の如く時はすぎ、いたいけな子供だった春虎はひとつふたつと齢を重ね行く。
 春虎が十四の時、お屋敷のご令嬢が簪を紛失する事件がおきた。
 ご令嬢は傍仕えの下女が高価な簪を盗んだと決めつけ、下女は涙ながらに否定した。
 「寿安はやってない」
 休憩時間、回廊の柱のひとつに凭れて春虎はしょげる。
 「寿安はいい人だよ。内緒で飴玉くれたし怪我の手当てをしてくれたり……実家の弟に似てるって可愛がってくれた。寿安が盗みなんて働くはずない、絶対お嬢様の勘違いだと思う」
 隣を振り返り、虚空に訴えかける。 
 「ねえ鬼神。まさかとは思うけど、簪のありか知ってたりしない?」
 試みに聞いたが、内心は親切な下女を救いたい、嫌疑を晴らしたいとあせっていた。
 「簪をさがしてくりゃいいんだな?」
 「え?」
 「どんなのだ」
 「真っ赤な牡丹の花をあしらった銀色の……じゃらじゃら玉飾りがついてる……」
 皆まで言い終えるのを待たず気配が消失、風に乗ってどこぞにすっとんでいく。
 「………そんなつもりじゃなかったんだ」
 出会いから二年が経つ。鬼神は今だ春虎に仕えている。
 春虎が命じれば庭の隅々まで一吹きで掃き清め、不可思議な術を駆使してたちどころに柱の傷を消し花瓶を復元してみせる。
 しかし、いつ頃からか、春虎は鬼神に命令を下す事に心理的抵抗を感じ始めた。
 命令というのは縦系統の繋がりで、春虎は鬼神に家来として奉仕を服従を望むのではなく、友としてそばにいてほしいと願っていた。

 お調子者に見えて案外と義理堅い鬼神。
 今だ姿を見せず、声だけの存在である鬼神。
 恩返しは気紛れと嘯く傍ら困った時は颯爽と現れる救世主、万能にして全能の家来。


 友達になってくれますかとあの時聞いたのに、答えははぐらかされたまま。


 知らず、春虎は駆け出していた。
 そろそろ二年になる付き合いだ。鬼神がどこにいるかは気配でわかる、風を追えばいいのだ。
 鬼神と過ごすうちに嗅覚は鍛えられた。春虎の鼻は風に混じる瘴気を鋭敏に嗅ぎ分ける。
 鬼神は……
 あそこか。
 庭の片隅、野放図に枝葉を広げ聳え立つ槐の大木。  
 「鬼神!」
 青々と葉を茂らせる槐を仰ぎ、口の横に手をあて叫ぶ。
 「なんだ、きちまったのかい、待ってりゃよかったのに。つうかよく居場所がわかったな」
 「二年も一緒にいればわかるさ。お嬢様の簪はそこにあるの?」
 「待て春虎、」
 鬼神の制止も聞かず枝に手足をかけ器用に上る。
 どうして簪が樹上に移動したか疑問は尽きねど、それを無傷で持ち帰りお嬢様の怒りを解くのが先決。
 簪が無傷で戻ればお嬢様も女中にあたるのをやめるだろう。
 幹の瘤に足をかけ、梯子の按配でするする登り、青々茂る枝葉を掻き分け顔を出した春虎は思いがけぬ光景を目撃する。
 「見つけたんだが……ちと困ってる」
 枝のひとつにカラスが巣を作っていた。
 既に雛が孵り、くちばしを突き出し囀っている。
 問題の簪はその巣にあった。
 他の小枝と合わせ、巣を編む素材のひとつに用いられていたのだ。
 無理矢理引き抜けば巣が崩壊し、産まれたての雛が墜落死する。
 「鬼神」
 「悪い、すぐ持って帰ろうと思ったんだが。……俺が起こす風じゃ巣を壊しちまうし。加減が下手なんだ」
 「優しいんだね」
 胸の内に温かいものが広がり、春虎は微笑む。
 鬼神が巣を壊さずにいてくれたことが単純に嬉しかった。
 雛の命より春虎の命令を、無機物の簪を優先する鬼神でなくて、本当によかった。
 安堵にも似た喜びを覚えた春虎の一言に、鬼神は「はあ?」と、二割の含羞と八割の困惑を含む胡乱な声を出す。
 「あとはまかせといて」
 鬼神にはいつも助けてもらってる。いつまでも甘えられない。
 鬼神と対等な関係を築くために、対等な友人として胸を張るために、身も心も成長した春虎は腹這いになって枝をさかのぼっていく。
 体重がかかり枝が揺れ、葉ががさつく。
 枝の先端の巣で雛が啼き騒ぐ。
 「勘違いするなよ春虎、俺様がカラス如きに慈悲を垂れるもんか、ただそう、迂闊に引き抜くと簪に糞がついちまうだろ?ぴーちくぱーちくうるせえ雛どもなんざどうなってもいいんだ、今すぐ枝から叩き落してやってもいいんだ、だけどお前、糞がついた簪なんざ持ち帰ったら顰蹙もんだろ。俺はそういうのにうるせえんだ」
 ばつの悪さをごまかすように饒舌にまくし立てる鬼神に微笑ましさを感じつつ、慎重に慎重に手を伸ばし、巣を壊さぬよう絶妙かつ微妙な力加減で簪に触れる―……
 次の瞬間、不吉な黒翼が視界を覆う。
 「!」
 腕の柔らかい皮膚に容赦なく嘴が突き立つ。
 ぎゃあぎゃあと甲高く啼き騒ぐカラスらに、流血の痛みを堪え気丈に笑いかける。
 「だいじょうぶ、安心して、雛にはなんにもしないから……簪をとらせてもらうだけ……」
 羽をばたつかせ攻撃を加えるカラスを振り払う、攻防に枝が撓む、鋭利な嘴が目玉を狙う。
 視界がぐらつく。
 浮遊感が身を包む。
 指先に触れた銀の感触を握り締める、枝から滑り落ちたと知るや目をつぶる、この高さから落ちればただではすまない、打ち所が悪ければ即死。

 ―「春虎!!」―

 耳を打つ呼び声。
 太く逞しい腕が落下する体をしっかり抱え上げる、誰かが春虎を救う、薄目を開けた春虎は自分を抱きすくめる腕を確認する。
 「鬼神?」
 夥しく舞い散る羽が顔を覆う。
 足裏が地につく。
 鬼神の姿は一瞬で消え、まとった風の力を借りてごく穏やかに着地した春虎は簪を胸に抱く。
 「あなたすごい、今のどうやったの!」
 豪奢な着物の裾を従者に持たせ、向こうから走って来るのはお嬢様。
 傍仕えを従えての散歩の最中、木に登る春虎を認め、好奇心から駆けつけたらしい。
 「あんな高い木から落ちて無傷なんて凄いわ、どんな体術を使ったの?ねえねえ教えてってば、意地悪しないで。さっきのあなた、まるで風に抱っこされてるみたいだった」
 抱っこ。
 直接的な物言いに力強い抱擁の感触を思い出し、顔が赤くなる。
 ともすれば感情に流されそうなおのれを律し、手に握り締めた簪を恭しくさしだす。
 「お嬢様、これを……お嬢様がなくした簪です」
 「え?どこにあったの」
 「木の上です。カラスが巣の材料にしていました」
 「嘘、じゃあ寿安は無実だったのね」
 「カラスは光物が好きですから。お天道様の光を照り返したのを、開けっぱなしの窓から盗んで行ったんでしょう」
 「これをとりに木に登ったの?カラスにつつかれてぼろぼろになってまで?」
 お嬢様は頬を染め、受け取った簪を胸に当てる。
 お嬢様とじかに話すのは初めてだ。垢抜けた、綺麗な人だと思う。
 しかし春虎は無邪気に喜ぶお嬢様の様子さえも上の空なほど、一瞬だけ垣間見た鬼神の姿、その力強い抱擁に夢中だった。
 木漏れ日注ぐ大樹を仰げば、鬼神が守り抜いた巣の中で、親ガラスに抱かれた雛が囀っていた。



 以降、お嬢様はしつこくつきまといはじめる。
 父親や傍仕えの目を盗み頻繁に使用人部屋を訪れ、または人を使って呼び出し、春虎と親密に語らう。その大半が他愛もない用事、新しく仕立てた着物の自慢やら屋敷に出入りする商人の噂話ではあったが、眼力あるものはお嬢様が恋していると一目で見抜く。
 春虎が簪を見つけたという噂はたちどころに広がり、それがきっかけでお嬢様の一番のお気に入りとなった春虎を朋輩たちはひどく妬み、前にも増してつらくきつく当たるようになった。
 「いっそ首元から飛ばしちまえばすっきりすらあな」
 「やめてよ、そういうの」  
 「相変わらずの殺生嫌いか」
 その日も春虎は朋輩に囲まれ責め立てられた。
 どうしてお前ばかり贔屓される、お嬢様に色目を使って、使ってない、どうやって取り入ったんだ、生意気な……口汚い罵倒とともに浴びせられる鉄拳と蹴りに、春虎は仕返さず、ただひたすら耐えに耐え抜いた。
 「……喧嘩は嫌いなんだ」
 「臆病者の言い訳だな」
 「血を見たくない」
 温厚にして勤勉、従順にして小心な性質の春虎が呟けば、隣にいるらしい鬼神がけっと嘲る。
 庭の片隅の木陰、蓮池のほとりがふたりの憩いの場所。休憩のつどここにひそんで来て鬼神と語らいをもつ。
 春虎にとっては一日のどの刻限より安らぐ貴重な息抜きの時間。
 枝葉が折り重なって四阿を成す木陰は涼しく、蓮の花が清楚に咲き乱れる水面では鯉の魚鱗が輝きを散らす。
 鬼神は才知に長けて弁が立つ。
 下品下劣な性格はさておき話題は豊富、くわえて存外博識で、彼が脚色し話す都の人々の暮らしぶりはお屋敷の塀の中だけしか知らぬ春虎を夢中にさせた。
 擦り剥いた膝小僧を指さし、春虎は聞く。
 「気になったんだけど、人の怪我もなおせるの?」
 「俺様に不可能はねえ……と豪語してえが、自然治癒力に任せたほうがいいぜ」
 「柱の疵や割れた花瓶はあっというまになおったよね。どんな術を使ったの?」
 「知りたいか?」
 「うん」
 春虎の目が好奇心に輝く。じらし上手な鬼神はもったいぶって間をとる。
 「遡風(ソフェイ)だ」
 「遡風?」
 「時を遡る風と書く。察しの通り、俺は風を操る魔物。ごく小規模の竜巻を起こし、その範囲内でだけ時を巻き戻すことができる」
 「時間を巻き戻す……どうりで継ぎ目が見当たらないはずだ」
 完璧に復元された花瓶を思い出し感嘆の吐息をつく。
 「あ、あとこないだの……どうして簪のありかがわかったの?」
 「風は俺の目だ」
 急きこんで問う春虎に悪戯っぽく種を明かす。寄り添う声には得意げな響きがあった。
 「天網恢恢祖にして漏らさず、千里を翔る風は千里を知る」
 「千里眼?凄い」
 「ひらたくいやそんなとこだな。風は俺の分身、風が吹いてるとこで俺が知らねえことはねえ。恐れ入ったか、崇め敬え」
 春虎は口を噤む。
 埒なき事を思いあぐね、伏せた顔に翳りが射す。
 抱えた膝に顎を埋め、呟く。
 「その力で死んだ人を生き返らせたりもできる?」
 「両親を生き返らせたいとか考えてやがんだろ?」
 図星だ。
 たじろぐ春虎に寄り添い、鬼神は殊更さばけた口調で言う。
 「俺の力で時を遡れるのは命のねえ器だけ。生き物は無理」
 「どうしてさ」
 「時を遡るってなあ、即ち因果律を捻じ曲げてんだ。壊れたもんは元に戻せる、が、死んじまったもんはどうにもなんねえ。器と魂魄が完全に分離しちまったんじゃお手上げだ。くわえて、生き物は腐る。むりやり魂を呼び戻したところで肝心の器が腐ってたら意味ねえだろうが。想像してみろ春虎、骨と皮に蛆の沸いた母ちゃんに抱っこされてえか?乳も干乾びちまってんぞ」
 「………意地悪」
 きつく膝を抱く。
 「聞いただけじゃないか」
 そう、聞いただけ。もしやと縋っただけ。一瞬でいいから夢を見せてほしかっただけなのに。
 俯く頬を優しい風がなでる。
 「まだ乳離れできねえのか。初めて会ったときから成長のねえガキだな」
 「ガキじゃない」
 「さいですか」
 「……どうして一緒にいてくれるの?恩返しは時効だろ」
 友達だからという答えを期待して、案の定裏切られる。
 「!っ、」
 させるかと下穿きを押さえつける。
 「畜生、いつのまにか勘がよくなりやがった」
 下穿きをずりおろそうと風を吹かせるも報われず、不機嫌な鬼神に胸が透く。春虎の憂いが晴れるのを見とどけ風が和らぐ。
 「いい加減鬼神じゃ呼びにくい。本当の名前教えてくれる?」
 「ねえよ」
 「ないの?」
 「お互いをべたべた名前で呼び合うのは人間だけだ。俺からすりゃ噴飯ものの悪習だね」
 「じゃあ僕がつけていい?」
 どうして疑問に思わなかったのだろう。
 ついぞ名を聞く発想がなかったのは、どこかで異端かつ異質の存在として彼を見ていた証左。   
 友人になってほしいと乞いながら名前すら聞こうとしなかった自分は、実はとんでもなく薄情な奴かもしれない。
 先日、木から落ちた春虎を抱きとめた腕はしっかりと実体を伴ってぬくもりさえ錯覚した。
 以来、声だけの彼を意識してしまう。
 彼の素顔を見たいと切に願ってしまう。
 饒舌な鬼神が珍しく言葉を失う。春虎の提案に戸惑っているのだろう。
 春虎は掌中の珠を明かすようにはにかみ、生まれて初めての友人をこう名づける。

 「『鬼風』―クイフェイでどうだろう」

 鬼は人から名を貰う。
 人は声さえ恋い慕う。 

 翌春、春虎はお嬢様のいいなづけになった。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

関連記事 [鬼風]
鬼風 | コメント(-) | 20010503121250 | 編集
ブログ内検索
     © 2017 ロールシャッハテストB  Designed by 意地天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。