ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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万里の長城は一日にして成らず8

 琥珀の液体に浮かぶ氷山の一角が崩れる。
 カウンターの端に腰掛けた男がアンニュイな動作でグラスに口をつける。
 「隣よろしいですか」
 「ああ」 
 折り目正しい物腰でスツールにすべりこむ。
 隣り合う客の容貌を、椎名は交渉を重ねた経験上身についたさりげなさで観察する。
 顔に派手な傷を持つ壮年の男。鋭利に冷えた剃刀めいて殺気漂う剣呑な目つきは暴力と恐喝を商売とし幾多の羅場をくぐりぬけた男のそれ。頬骨の高く張った容貌は野性的な精悍さよりも悪党の梟猛さが際立ち、ノーネクタイでダークスーツを着崩す様は近寄り難い雰囲気を放つ。
 結論から言えばどう転んでも堅気に見えない。
 男の手元を覗き込み、聞く。
 「何を飲んでるんですか」
 「梅酒だ」
 「私もおなじものを」
 首肯ひとつ注文を請け負う。
 寡黙なバーテンが楽器を奏じるような洗練された所作で肩の位置に掲げたシェイカーを振り出せば、銀の表面が照明を鈍く照り返す。
 年齢不詳の無表情で義務を果たすかのように黙々とシェイカーの中身を攪拌するバーテンをちらり一瞥、隣を見る。
 「他言の心配は無用だ。こいつは口が堅い、素人に聞かれたくねえ話の時は重宝してる」
 話し合いの場に雑居ビルの地下バーを指定したのは森だ。
 初めて訪れたが一目で気に入った。ここなら落ち着いて話ができそうだ。さほど広いと言えない店内に疎らに散るのは壮年以上の男性一人客が多く、よく躾けられた沈黙を不文律に酒を啜っている。
 創業からこのかた宣伝を打たずにひっそり営業を続けてきたのだろう商売っけのなさと、どの時間帯でも混み合う事なく静かにゆっくり酒が飲めるだろうくつろいだ雰囲気に好感をもつ。
 「梅酒になります」
 華奢な脚のグラスに琥珀の液体を切って注ぎ、すっとカウンターに滑らす。
 「どうも」
 バーテンに会釈し一口含めばまろやかな口当たりが広がる。
 「大変美味しい」
 サングラスが覆う下、露な口元に柔和な笑みが浮かぶ。
 森は紙皿に盛られた肴のピーナツをつまむ。
 「例の件か」
 「例の件ですか」
 「とぼけるな、羽田グループへの揺さぶりだ」
 「そちらにおまかせしたはずですが」
 「報告が入用なら今すます」
 「中途経過のリークですか」
 「まわりくどいな相変わらず、あんただってぼちぼち気になってんだろうが。だから電話を入れた」
 「持ちつ持たれつ互いを補い合う身、相互扶助の精神は大切にしたいですね」
 「あんたらが表で俺らが裏、身バレの危険を伴う雑事と根回しは丸投げ。まったく、いい性格してるぜ。殺したくても当分死なねえだろうな、あれは」
 笑みに伴い顔の傷が引き歪み、陰影の濃淡がつく迫力ある顔貌が際立つ。
 バーテンは素知らぬふりでカウンターを磨く。布巾を手に取り木目ひとつひとつを磨き抜く。
 椎名は姿勢を正し、視線はグラスの中の氷に向けたまま表情を一切動かさず促す。
 「お聞きしましょうか」
 「羽田はじき落ちる。おそらく時間の問題だろうな」
 「もともと小心者ですからね、あの方は」
 「よく言うぜ、依頼した張本人が」
 梅酒で口を湿し、同情が勝つ相槌を打つ。
 皿のピーナツを一掴み、豪快に噛み砕いて続ける。
 「最初は踏ん張ってたけどな、弱みを掴んだ」
 「羽田社長の弱みですか」
 「よくある話十代の小娘に目がねえ。先月長女の式を済ませて送り出したばかりだってのにごさかんなこった」
 「なるほど。ありがちですね」
 「愛人んとこにせっせと通い詰める姿を撮らせた。羽田は婿養子だ、妻にばらされるのがいやなら条件を飲めって脅せば一発だ」
 「羽田社長は有名な愛妻家、娘より年下の愛人の存在がばれればイメージダウンに繋がる」
 「そういうこった。だがそれだけじゃ甘いと思ってな、保険をかけた」
 「保険ですか」
 森はひとつ頷き、つまらなそうな仏頂面で言う。
 「先月から羽田が囲い始めた二人目、あいつは実はうちの息がかかった女だ。年は二十一だか二だか、演劇の専門行ってたとかで芝居が上手い。まあ、学校出たはいいものの演劇じゃあ食えなくて水商売のバイトを始めたんだがな、そこを拾った。童顔だからパパには高卒の十八で通してる」
 「なるほど」
 「しばらくしたら妊娠してもらう予定だ」
 「策士ですね」
 森が立てた計画を察し薄く笑う。
 「弱みさえつかんじまえばあとはちょろい、簡単すぎて張り合いがねえ」
 森は椎名を介した依頼により、有里の商売敵である羽田へ罠を仕掛けた。
 妊娠はもちろん嘘、捏造。しかし十代の愛人を複数囲う羽田にとっては致命的な脅迫材料となりうる。森が引いた図面では愛人の妊娠発覚直後、娘の身内―妥当なところでは兄か―を名乗るヤクザがしゃしゃりでて羽田に脅しをかけるつもりだという。
 「高卒のはずが実は家出中の現役女子高生で家族が捜索願い出してるって筋書きはどうだ、未成年者略取の力技が使える。こけおどしだが効果はあるだろう。十代の愛人、それも家出中の高校生を孕ませたとあっちゃ顧問弁護士にも相談できねえ」
 「体面がありますからね。しかもあちらの弁護士はご夫人とも繋がりが強い、元はご夫人のご実家と懇意にしていた方……泣きついたら密告が行くでしょうね」
 「あんたらは調査会社を使って性癖を掴んだ事にして取り分を倍乗せで貰えばいい」
 「あの方は生意気な若造だと有里さまを見くびってらっしゃいましたから……先日の会合でも無礼な言動で有里さまの気分を害されました」
 「絶倫とでも言われたか」
 「社長は喜ぶでしょうね」
 森の揶揄をさらりと受け流しつけくわえる。
 「七光り、お零れ、青二才……まあ、そういった類です。有里さまが一番お嫌いになる言葉です。なお悪い事に、その場には私や他社の重役を含めた大勢の人間がいた」
 「子分の前で恥かかされた仕返しか。大人げねえ」
 「どちらにせよ今の時点で羽田グループを買収しておけば後々有利に働きます。羽田グループも落ち目ですからね、買い叩けるチャンスを逃がさないようにしないと」
 「一族経営の財閥会社のくせに随分と発想がケチだな」
 「お父上に早く一人前と認めてほしくてあせってらっしゃるんでしょう。ですから危険な橋も渡る、あなたを介して積極的に裏社会の人脈を広げコネを作っていく」
 「親の七光りと呼ばれねえ為に、か」
 「はい」
 会話が途切れ、不安定な沈黙が漂う。
 森はグラスを干し、胡乱な流し目で隣に腰掛ける男を試す。
 「バカ社長のお守りを任されてあんたも大変だな。おしめもかえてやってんのか」
 椎名が向き直る。
 森は片頬笑む。
 「おっかない顔すんな」
 「愚弄はご自重を。あの方は私の上司です」
 「大した忠誠心だ」
 「長い付き合いですから。有里さまが物心ついたときから仕えてきました」
 伏せた双眸に郷愁の光が滲む。
 俯き加減にうなだれしっとり汗かくグラスを両手で包めば、角のとれた多面体に無数に顔が映りこむ。
 鈍い光を宿す氷が軽やかに溶け行く音を聞きながら、回想に耽る椎名に体を斜に向け、森が問う。
 「……解せねえな。あんたの器量なら他にいくらでも雇ってくれるヤツがいるだろうに、どうしてよりにもよって有里なんだ」
 椎名の横顔をうかがう目には疑問の色。
 唯我独尊と傲岸不遜を掛け合わせた有里の人柄を知っているからこそ、そんな横暴な主人に無私の精神で奉仕する椎名の本意が判らない。
 「マゾか、あんた」
 「どうでしょうか」
 曖昧に否定し、手持ちぶさたにグラスをもてあそぶ。
 サングラスに隠れた目はここではないどこかを見ていた。
 「転職考えたらどうだ?うちは歓迎するぜ」
 「謹んでご遠慮致します。ヤクザの事務所では新米は酷くいびられると聞きましたから」
 「灰皿なげつけられるのは日常茶飯事だな。俺も若い頃は痣とこぶが絶えなかったが、おかげで反射神経が鍛えられた。今じゃ鉛弾だって振り向かずにかわせる」
 「素晴らしい」
 「台風の目は背中についてるんだよ」
 「こないだホテルに連れてきた中国人もそちらの事務所で働いてるんですよね」
 「張か」
 「アパートを世話した上事務所の下働きとして雇い入れ毎月きちんと給金を払ってるとか……路頭に迷った外国の方に慈善を施すとは情に厚い方だと感心しました」
 苦りきって舌を打つ。どうやら知られたくなかったらしい。
 椎名は微笑ましげに目を細め、ばつ悪げに黙りこくる森を眺めていたが、緩んだ口元にそこはかとなく漂う優越感はいつ寝返るかわからぬ危険な男の人間的な弱みを掴んだからだろう。
 口をつけ初めて空と気づいて舌打ち、いらだつ。
 「……行きがかり上拾った犬の面倒はいやでも見るもんだ。所構わず小便たれる駄犬だからって蹴り殺したら寝覚めが悪い」
 「優しいですね。極道なのに」
 「張は車上強盗の常習犯だ。国で食うに困って偽造ビザでこっちに来たもののやっぱり食いっぱぐれて仲間と一緒に車を荒らしてしのいでいた。組のベンツに手えだしたのが運の尽き」
 「なるほど」
 「ホントなら全殺しのところを半殺しで済ませたのはアホでも弾除けに使えるからだ。干物になるまで搾取してやる」
 「他に使い道もあるし」と後半は口の中だけで呟き、バーテンに二杯目を頼む。
 今度はじっくりと舐めるように梅酒を飲む森の横顔をさぐりつつ、椎名は毅然と姿勢をただし、今日ここを訪れた目的たる本題を切り出す。
 「久住宏澄とその後接触は?」
 「全く。マンションに送ってそれっきり」
 「そうですか」
 「なかなか骨がある男だな。堅気の真っ当さだ」
 一ヶ月前の出来事を思い出し、二杯目というのに全く酔った様子を見せない森がどこか痛快げな声音と表情で報告を上げる。
 「完全に腰が立たなくなってたからな、マンションの前に車をとめて部屋まで肩を抱いて連れてった。酷い顔色で目は死んでいた。薬は抜けてたのか……残ってたのか……一人じゃ歩けねえ癖に強がって、何度も俺の手を払おうとした。見上げた根性だよ。実際這ってでも一人で行ったろうな」
 「そうですか」
 「鍵を開けてドアを開けて部屋にいれて……この先は野暮だな」
 森はそこで何か思い出し、感情の読めない目で椎名を見る。
 「あいつの手、有里がやったのか」
 「……はい」
 椎名が苦い面持ちで俯く。
 森がため息を吐く。
 「よっぽど抵抗したらしいな。当分残るぞ、あれは。抉れて酷い状態だった。張に薬局までひとっ走りさせた置き土産も使ったどうか疑わしいぜ、ゴミ箱直行かもな。ホントなら医者に診せたほうがいいんだろうが……」
 「有里さまが使った薬なら一日寝てれば自然に抜けます」
 「こっちの話だ」
 森が笑いながら自分の腰のあたりを叩き、椎名の顔がますますもって暗澹と沈み、眉間に良心の葛藤の皺が寄る。
 外気に触れた氷が溶けて、とろりとした光沢の琥珀がぬるむ。
 折りしも最後の客が席を立ち、バーに残っているのは森と椎名ふたりだけ。
 照度を落とした店内には氷とグラスの接吻のほかに音楽も流れず、常ならば気にならぬ衣擦れの音がやけに耳につく。
 「言伝てたものは渡してくださいましたか」
 「つっぱねられた」
 「……じかに渡すよりいいと思ったんですが」
 「人づての慰謝料に何の意味がある?噛みつきそうな顔で睨んでたぜ、あいつ。直接持ってくりゃよかったんだ」
 「後始末を申しつけられていましたので」
 「もったいねえ、面白いもんが見れたのに」
 喉の奥で愉悦を転がし、ぬるまった酒の中で舌を泳がす。
 あんな目にあったというのに最後まで久住は強気だった。
 森を睨みつける目は燃え盛る反抗心を失わず、慰謝料入りの封筒を断固として払う手には馴れ合いを拒否する意志の強さが感じられた。
 「あんな目ができるなら会社員もまんざら捨てたもんじゃねえ。有里にしちゃいい拾い物だ……ああ、違うか、実弟の相手を横取りしたのか。あいつの考えはさっぱりわからん、血の繋がりだけじゃ飽き足らず穴兄弟になりたかったのか?」
 指摘する声には呑気に面白がる響きがあった。
 下品なジョークは露骨なあてこすりも兼ねて、椎名の耳には遠まわしな非難とも抗議とも響く。
 椎名は唇を噛みグラスの中身を見詰めていたが、暗く思い詰めた表情でおもむろに口を開く。
 「あの方とは幼馴染でした」
 一呼吸おき、絞り出すように続ける。
 「有里さまは雇用主のご長男、私は使用人の子と立場は違えど幼い頃から一緒に育ちました。私どもは一家で住み込んでましたので、物心ついた頃から遊び相手として親しくさせていただきました」
 「時代錯誤な話だな。乳兄弟ってやつか」
 「有里さまは利発で聡明で心の優しい方でした。年嵩の私を慕ってどこでもついて回って、毎日のように屋敷の敷地を探検したものです。私も有里さまが可愛かった。一人っ子だったので、本当の弟が出来たみたいで嬉しくて……有里さまは有里さまで、ご長女の朱里さまとは年が離れているせいか口をきく頻度も少なく、いえ……そればかりでなく、こう申すのはあれですが、朱里さまは随分とアグレッシブでダイナミックな性格のお嬢様でしたので」
 「知ってる」
 「あなたはよく御存知でしたね」 
 「利発で聡明で心優しいか……」
 グラスと首を同時に傾ける森に対し、背広の内から取り出した札入れを開き、そこに挟んだ写真を見せる。
 絶句。
 そこにはあどけない顔をした少年とその少年の肩に手を置く自信に満ち溢れた笑顔の少年、真面目そうな長身の少年とが写っていた。
 十二歳ほどだろう有里はいずれ世界が自分の物になると信じて疑わない万能の闊達さで笑い、小学生の万里は兄に肩を抱かれはにかんでいる。
 「子供の頃の有里さまです。真ん中が万里さま、左端が私」
 「あんたいつもこの写真持ち歩いてんのか?三十路すぎた男が家族でも女でもなく社長の写真持ち歩いてんのか?引くぞ」
 そそくさと札入れをしまい咳払い、小声でつけたす。
 「……願掛けですよ」 
 「肌身離さず持ち歩いてりゃまた兄弟仲良く笑える日がくるかもしれねえって?他力本願だな。……ああ悪い、あんたも影で色々小細工してたんだっけか。あの久住とかいう堅気に渡すはずだった慰謝料もどうせあんたのポケットマネーからでてるんだろ」
 図星だった。森を介し久住に渡るはずだった慰謝料は、有里に内緒で秘書の椎名が懐から出したものだ。
 「あれで償えるとはおもいません。せめて何かの足しになればとおもったんですが余計でしたね」
 「有里はなんでそんなにねじれちまったんだ?ガキの頃はまともだったんだろ」
 「お母上が不慮の事故死を遂げられて引き取られた万里さまの事も可愛がってらっしゃいました」
 森がふいに口を噤み、グラスの雫を拭った指で自分の眉根に線を引く。
 「これと関係あるのか?」
 頬に傷もつ極道と眉間に傷もつ秘書が酒を挟んで睨み合う。
 バーテンは聞き耳をたてグラスを拭う。
 椎名は苦悩が滲む目を揺らし、大きく息を吸って決意の表情を浮かべる。
 「有里さまが変わってしまった責任の一端は私にあります。私は子供でした。有里さまも子供でした。しかし……子供だからといって決して軽んじてはならないものが世の中にあると、あの頃の私は子供すぎて気付けなかった」
 グラスを握る手に無意識に力がこもる。
 「私は有里さまの秘書です。あの方の侍従です。ですからどんな無茶でも聞く、どんなわがままでも従う、それしかあの方を救う手立てが見つからないなら喜んでそうする。しかし成人なされた万里さまはもう解放されてもいい、有里さまの影響と支配から逃れご自分の人生を生きていい頃です」
 「だから小細工をした」
 「……万里さまが本気で逃げるつもりなら、吹っ切る覚悟があれば、お手伝いするつもりでした」
 「『戦う』の間違いじゃねえか」 
 「……信じてもらえないかもしれませんが、久住と会って航空券を渡した時、私は本当に万里さまの幸せを願っていた。彼に……しあわせになってほしかった」 
 「久住はどうでもいいか」
 「薄情に聞こえるかもしれませんがあの方に個人的な思いいれはありません。私にとってはあくまで万里さまの幸せこそ重要でした。だから説得した、逃げてくれないかと。どうか万里さまを助けてほしいと、万里さまの手を取って逃げ切ってほしいと」
 「勝手な理屈だな。平凡な会社員に高望みしすぎだ。あんた自分が言ってることがわかってるか、あの久住とかって男に今の仕事生活すべて捨てて万里とかって坊ずと逃避行しろって言ってんだぞ?」
 「あの人ならひょっとして、もしかしたらと」
 「見込まれた相手はさぞ迷惑だろうな。根拠は?」
 「蕎麦屋で」
 聞き間違いかと目を細める森にまっすぐ向き合い、グラスに残った酒を一気に干す。
 「久住宏澄はとても姿勢がいい。私と向き合ってる間中背筋をまっすぐのばしていた、相手に怖じてない証拠です。背筋に芯が通っていた。性根もきっとまっすぐでしょう」
 「それだけか」
 「踏み絵だったんですよ」
 グラスの底がカウンターを打って甲高い音が上がる。
 椎名の目に一途な光がやどり、虚空をじっと見据える顔にかすかな闘志が燻る。
 「航空券は踏み絵でした。あの時あの方が航空券を受け取っていたら……あるいはそれもいいでしょう、諦めがつく。もしすんなり受け取っていたら逆にあやしんだ、この場だけ丸くおさめて私と別れたあと捨てるつもりだろうと察しがつく。しかし違った。久住は、あの男は物凄い剣幕で航空券を突き返しこんな馬鹿げた茶番承知しないと啖呵を切った。実直さ故の不器用に好感の持てる人間です。彼ならば信頼できる、万里さまが惚れる相手として申し分ない、もう一押し吹っ切りさえすれば有里さまの対抗馬となり得る」
 「なに考えてる?」
 椎名の変化に気付いた森がカウンターにもたせた上体を起こす。
 「私の幸せは有里さまと在る事です。ですが万里さまはちがう、今なら間に合う、万里さまの目を覚まさせるんです。そのためなら荒療治も辞しません」
 席を立つ。勘定を払う。森に向かい丁寧に会釈してバーを出て行く。
 「美味しいお酒でした。あなたとは後日、全てが終わったあとでゆっくりと飲みなおしたいですね」
 サングラスに隠れた目の表情は読めない。口元には慇懃な笑み。階段を上って地上へ消える椎名、バーに一人取り残された森の懐で携帯がアニソンメロディを奏で始める。
 ボタンを押す。
 『森さんあるか?おれおれ張ね、今上いるよ、言われたとり迎えきたよ早くでるよろし』
 「張か。例のブツはシートに用意してあるな」
 『ばちり!張その点ぬかりないね、森さん言たとり今週号のマガジン用意してハンドル握て待てるある』
 「阿呆、用意すんのはジャンプだ」
 携帯のむこうで空気が凍りつく。張の顔が絶望に暮れ行くさまが瞼の裏に鮮明に浮かぶ。
 「……よし、わかった。罰として今晩付き合え」
 『またあるか!?殺生ある堪忍ある森さん鬼ね、今晩もて今日でみっか連続張体いくつあても足りないよ!!』
 「つべこべぬかさずついてこい、今日という今日こそは決着つけてやる」
 『森さん絶倫で張寝不足目が赤い赤い唐辛子でしょぼしょぼあるよ、もーいやある怒たある日中安保条約解消ある、国家主席に直訴あるよ!』
 「今夜は寝かせないぜ」
 べそかく張の抗議を聞き流しつつ勘定を払いバーを出る。
 硬質な靴音を響かせ階段を上がりながら、別れ際に椎名が見せた奇妙な表情と前振りじみた台詞を反芻し、あの食えない男がこれから仕掛けようとしている一世一代の下克上の予感にひさかたぶりに血が沸く。
 「……面白そうじゃねえか」
 正直、有里の手口にはむかついていたのだ。
 一端の極道である自分が使い走りのようなまねまでさせられ苛立っていたのだ、しかもそれだけじゃない、否これこそ重要だ、久住をマンションまで送る役に有里がこともあろうに自分を指名したせいで楽しみにしていた番組を見逃してしまった、こんな事もあろうかと保険で録画しといたから良かったがやはり生で興奮を味わいながら見たかった、放映直後はパソコンの電源をつけてチャットの仲間たちと盛り上がりたかった。
 
 諸悪の根源は千里有里。

 階段を上がった路肩に黒塗りの高級車がとまり、運転席に座る若者が森の登場に悲痛に顔を歪める。
 こつこつと手の甲で軽く叩けばスムーズにウィンドウが開き、張が半泣きで森を仰ぐ。 
 「張奴隷ちなうある、残業手当なし不法就労断固反対!」
 「ようよう三十周目に入ったばっかじゃねえか、弱音たれてんじゃねえ」
 「三十周も桃鉄やれば十分あるよこのゲーム廃人、そんなにゲーム好きならプレステと結婚して初夜で感電死するよろし!」
 残像引く速度でかぶりを振って泣き崩れる張の胸ぐらを、万一力加減を間違って窒息させても構うもんかと容赦なく締め上げ宣言。
 「知ってるか、張。極道ってなあ道を極めるって書くんだよ」

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リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225142 | 編集
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