ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十一話

 ……ン。ロン。

 ロン。

 「!」
 毛布をはねのけ、シーツを蹴り、飛び起きる。
 全身にびっしょりと寝汗をかいていた。脂汗にまみれた髪が額にはりついて気持ち悪い。前髪をかきあげる。嘆息。夢。悪夢。最悪の夢。パイプベッドの上に起き上がり不規則に乱れた呼吸を整えるのに全神経を集中する。経営難で潰れた病院から格安で払い下げられたのだろうパイプベッドは廃品寸前の代物で寝心地はガタのきた棺桶といい勝負だが、それでもドブネズミやゴキブリが汚い汁をとばして這いずり回る床にじかに寝るよか幾分マシだ。この監獄の衛生管理ときたらまるでなっちゃいない。
 コンクリ壁で四面を塞がれた房は暑苦しく蒸していて、四六時中下水に似た胸の悪くなる臭気がたちこめている。
 ベッドの背格子によりかかり、シャツの胸を掴んで荒れた呼吸を鎮める。でたらめに弾んでいた心臓が肋骨をノックするのに飽きて横隔膜の座布団の上にどすんと落ち着き、だいぶ呼吸がラクになる。
 周囲の状況を分析する余裕がでてきた俺は、汗で湿ったシャツを不快に感じながらゆっくりとあたりを見回す。
 暗闇に沈んでいたのは圧迫感のある低い天井と殺風景な床。ここは房だ。俺にあてがわれたヤサ。そして隣にいるのは……。
 「グッモーニン、ロン」
 俺の枕元に片ひざついていたのは若い男だ。
 天然藁の茶髪を頭の後ろで一つに縛り、呑気に片手を挙げている。裸の上半身は濃い蜂蜜色をしていた。ベッドに半身を起こした俺の位置からは無駄なく引き締まった脇腹と適度に鍛えられた胸板が至近距離で鑑賞できた。……べつに鑑賞したくもなかったが。これっぽっちも。なにが哀しくて起床一番野郎の裸を鑑賞しなければらならないのだと我が身の不運を嘆いた俺をさらりと無視し、男はおもいきり伸びをした。腰に結んでいたのは格子縞の長袖シャツ……囚人服の上着である。
 「……なんで脱いでんだよ。露出狂かお前」
 「サービス?」
 「だれに」
 「おまえに」
 「うれしくねえ」
 憮然と指摘されたレイジが残念そうに囚人服を着なおす。俺はベッドに上体を起こしたまま、レイジが囚人服の袖に腕を通してゆく過程を漫然と眺めていた。裾をおろして引き締まった腹筋と中央のヘソを隠したレイジが「よし」と顔を上げる。
 満足げに顎を反らしたレイジの横顔に、不覚にも見惚れる。
 出来過ぎなほど整った面には嫌味を通り越して感心してしまう。しなやかな猫科の獣をおもわせる野性的な双眸を中和しているのは甘く整った鼻梁、180cmを軽く超す申し分ない長身と過不足なく引き締まった肢体は素晴らしくバランスがよい。ゴキブリとドブネズミの天下である刑務所では寝ても覚めてもクソしても場違いなオーラを放つ男である。
 最も、目立つことがいいことかと問われれば全肯定はできない。特にここ東京プリズンでは目立つ者は標的にされやすい。
 目の前の男、レイジがいい例だ。
 没個性な囚人服を着ていてもイコール無個性ということにはならない。均整のとれた長身のレイジが着ると垢染みた囚人服がどんな気取った衣装よりもクールに洗練されて見える。この格好でファッションショーにでたら拍手喝采を浴びるだろう。惜しいのは東京プリズンに女がいないことだ。男と女が半半に存在する娑婆ではレイジは朝を迎える相手に不自由しない結構な身分の色男だが、五千から成る囚人すべてが男で占められた東京プリズンではケツを狙われる側になりかねない。そこそこ見られる容姿の奴や線の細い奴や気が弱くて抵抗できない奴は、長い刑務所暮らしで鬱憤をためこんだ囚人どもの性欲の捌け口にされかねない。レイジならどこにいても目立つだろう。洗練されたオーラと人目を引く容姿、おまけに人を食った言動の三重苦を背負ったレイジには檻に放り込まれたら最後、括約筋をズタズタにされて一生涯糞便を垂れ流すみじめな末路が待ち受けていたはずだ。
 ところがだ。
 実際にはレイジはこうしてぴんしゃんしている。それどころか東京プリズンでも十指に入る古株として確固たる地位を築いているではないか。どんな弱味を掴んでいるものやら、レイジは看守連中にも一目置かれている。俺はレイジと看守が対等に渡り合ってる現場を何度も目撃した。入所したてのこと、ひょんなことから独居房送りになりかけた俺と看守の仲裁に入ったのもレイジだった。
 自分じゃ平和主義者だ博愛主義者だうそぶいちゃいるが、事実、多少なりとも分別のある連中はレイジにつっかかってきたりしない。
 我が身が可愛いからだ。
 
 俺は知っている。レイジはフォークで人を殺すことができる。
 たとえ十メートル先からフォークを投げたとしても、一発で心臓を仕留めることができるだろう。

 昨日はひやひやした。
 俺がトレイを持って戻ってきたら、悪乗りしたレイジが隣に座った奴にフォークを突きつけてるじゃないか。レイジにしたらほんの悪ふざけ、右も左もわからない新入りをからかったつもりなんだろうが、周りの奴らの目にはとてもじゃないがお茶目な冗談には映らなかったのだろう。椀を取り落としかねない勢いで仰天した囚人たちの間抜け面を思い出す。奴らがぎくっとしたのも無理ない。レイジはなにを考えてるのかわからない。なにを考えてるかわからない奴がなにをしでかしたとしても不思議じゃない。
 レイジがどこまで本気だったのかはわからないが、レイジのフォークをつきつけられてるほうも堂々としたもんだった。見たことない面だった。新入り。メガネをかけてる奴自体が少ない東京プリズンでは必然的に目立つ容姿だった。
 俺は一目でそいつが生粋の日本人だと理解した。純血の日本人というのは雰囲気からして違うのだ。
 育ちの良さそうなお坊ちゃん顔をしていたが、銀縁メガネがよく似合う知的な双眸も神経質に尖った顎も脆く張り詰めて近寄りがたい印象を抱かせた。
 生粋の日本人にありがちな、他人を見下すことがもはや生まれついての習性となった傲慢さが顔にでているタイプの人間だ。
 睨み合いは五秒も続いただろうか。
 レイジ自ら矛先をおさめる様子はない。野郎、度し難い馬鹿だ。冗談のわからない新入りをびびらせるようなつまらない真似をして何の得がある。しかも相手は大所帯で飯をかっこむような環境に免疫のない、育ちのよい日本人だ。俺がこれから飯を食おうとしているそばでちびらされたりでもしたらたまったもんじゃない。
 嫌々ながら、俺は仲裁に入ることにした。まったく、昔から面倒なことは全部俺に回ってくる。
 『いい加減にしろよレイジ。新人をからかってなにが面白い?』
 俺はため息をついた。顔では平常心を装っていたが、フォークを握り締めた右手は白くこわばっていた。
 いざとなればレイジと刺し違える覚悟だった。
 最も、俺が勝率の低い賭けにでる危機はレイジの気抜けする笑い声で回避された。フォークを構えた手から力が抜けてゆく。
 椅子に身を沈めた俺はレイジに気付かれぬよう小さく息を吐いてちらりと隣を見たが、新入りはケロッとしていた。
 ほらな、いつでも損な目を見るのは俺だ。余計なお節介なんて焼くんじゃなかった。
 
 「またうなされてたみてえだな」 
 隣のベッドに腰掛けたレイジにさらりと振られ、ぎくっとする。唸り声でも聞かれてたんだろうか。ばつが悪くなった俺はベッドから腰を上げると、不機嫌も絶頂という仏頂面を作って足早に房を横切った。笑いを含んだレイジの目が愉快げに俺の背を追っているのがわかる。レイジの視線に背を向けて洗面台へと歩み寄る。奥の壁に固定された蛇口を捻る。蛇口から迸った水を両手ですくい、顔にぶつける。顔に染みこむ水の冷たさに頭が冴え、眠気にしょぼついていた目から靄が晴れてゆく。冷たい水滴を跳ね散らかしながら無造作に顔を洗う。顔を洗い終えた俺はそのまま蛇口に口をつけてごくりと水を飲む。鉄錆びた水の味が口の中に広がる。よく冷えた水が喉を湿らし食道を潤してゆく。体の細胞の隅々まで清涼感が行き渡り、ようやっと人心地がつく。
 悪夢の余韻を引きずって洗面台に辿り着いた俺は、今ようやく息を吹き返して、レイジを振り返る余裕がでてきた。
 「今何時だ?」
 「夜明け前だよ」
 房には時計がない。したがって、正確な時刻はわからない。囚人には時計なんて必要ない。起床と就寝と飯の時刻はけたたましいサイレンがご丁寧に教えてくれる仕組みになっている。常識外れの音量のサイレンが起きろ起きろとがなり立てる時刻までにはまだずいぶんと間があるらしい。
 なんとも中途半端な時間に起きてしまったと俺は自分の浅はかな眠りを呪う。ここんとこ寝つきが悪い。いや、東京プリズンに入所してからずっとだ。
 きゅっと蛇口を締め直す。水が止む。シンクの排水口にちょろちょろ渦巻きながら吸い込まれてゆく水を眺め、洗面台に凭れる。
 「お前も寝たらどうだ。たっぷり寝とかないと朝が辛いぜ。明日も強制労働だ」
 「今日の間違いだろ」
 レイジの言葉尻を訂正する。訂正された本人は気に病む素振りもなく早々と毛布につつまると、頭の後ろで手を組んでごろりと横になった。洗面台から離れる。裸足の足裏が床を叩く湿った足音が低い天井に響く。からのベッドへと戻った俺は、寝汗を吸ったマットレスへとふたたび身を横たえる。毛羽立った毛布を胸の上まで持ち上げる。
 毛布に染み付いた異臭がむっと鼻孔に忍び込み、きつく瞼を閉じて雑念を追い払おうと努める。
 『ロン』
 『まったく、あんたなんか産むんじゃなかった。子供がいるせいでこちとら商売上がったりよ』
 鼓膜に蘇るのは蓮っ葉な声、つっつけどんな台詞。
 瞼の裏に浮かび上がるのはとうの昔に縁を切ったはずのお袋の顔。娑婆では思い出すこともなかった、殆ど忘れかけていた女の顔が東京プリズンにぶちこまれて以来毎晩のように夢にでてくる。夢の中のお袋は相変わらず薄情で美しかった。
 「なあロン」
 背中越しにレイジの声を聞く。その声に悪戯っぽい響きがあったのは気のせいだろうか。
 「なんだよ」
 「いい夢見られるまじないしてやろうか」
 「いらねえ」
 どうやら気のせいではなかったらしい。
 またぞろろくでもないことを企んでいるらしいレイジを完全無視し、コンクリ打ち放しの殺風景な壁と向き合う。衣擦れの音。確信犯的な足音。路地裏を行くネコのようにふてぶてしい足取りで背後に接近したレイジが、タヌキ寝入りした俺の頭上を興味深げに覗き込む。するりと毛布を抜け出て隣のベッドへと出張してきたレイジは、中腰の姿勢のまましばらく俺の寝顔を見物していたが……。
 
 俺の頭の上に図々しく手がおかれた。

 「いいこ、いいこ」
 腰を屈めたレイジが優越感に酔った笑顔を浮かべて、俺の頭の上でてのひらを五往復させる。間接と長さのバランスが絶妙なしなやかな指が心地よく頭皮を撫で、次の瞬間、俺は理性を失ってた。
 「気色わりいんだよっ!」
 二の腕に鳥肌が立った。
 レイジの手を邪険に薙ぎ払い、毛布で胸を庇ってあとじさる。ベッドの背格子に腰をぶつけて後退を妨げられた俺を楽しげに眺め、レイジは含み笑いしながら腰を上げた。完璧おちょくってやがるコイツ。激烈な反応を返した俺に両手を挙げて降参のポーズを披露したレイジは、反省の色などかけらもない爽やかな顔で付け加えた。
 「おやすみなさいのキスのほうがよかったか?」
 「幡我換房間(パンウォーホワンファンチエン)」
 台湾語がでた。
 レイジが妙な顔をする。
 「今なんて言ったんだ?」
 「おやすみなさいクソ野郎って言ったんだよ。お前も早く寝ろ、俺がお前の首を締めないうちに」
 頭からすっぽりと毛布をかぶった俺の耳に、レイジが引き返してゆく足音が届く。これでようやく安心して眠れる。毛布から鼻を抜いた俺は、寝るときの癖で胎児の姿勢をとる。皮肉なことにこれから寝入ろうとしてるおれがいちばん落ち着ける姿勢は、怒り狂ったお袋にベルトで滅多打ちされてる時とおなじポーズだった。
 頭にはまだレイジに撫でられたときのくすぐったいようなむず痒いような感触が残っている。気色が悪いと顔をしかめかけ、はたと思い出す。人に頭を撫でられるのなんて何年ぶりだろう。うんとガキの頃にお袋の気まぐれで頭を撫でられて以来だとしたら、かれこれ十年ぶりにもなるんじゃないか。

 お袋の次に俺の頭を撫でたのがよりにもよってレイジだなんて、タチの悪い冗談にもほどがある。

 首を捻って隣のベッドに視線を投げる。レイジの寝つきのよさは三歳児並だ。毛布にくるまったと思ったらもう寝息をかいている。大の字になって太平楽な鼾をかいているレイジから、薄闇に没した天井へと視線を転じる。
 隣の房からかすかに聞こえてくるのは衣擦れの音、低い低い唸り声。俺と同じで悪夢に苛まれているのだろうか、東京プリズンでは寝つきの良くない囚人が大半だ。囚人たちは浅い眠りと気だるい覚醒の間を移ろいながら憂鬱な朝を迎え、朝飯もそこそこに過酷な強制労働へと狩り出されてゆく。
 明日には命を落とすかもしれない地獄と隣り合わせの環境で安眠できるレイジは、よほど神経が図太いか―……なにがあっても自分だけは確実に生き残れるという、絶対的な自信があるのだろう。

 俺が奴を毛嫌いしている理由がわかってもらえただろうか。

 墨汁を垂らしたように暗い天井を見上げ、そっと瞼をおろす。
 連日の強制労働で体はぐったり疲れてるのにそれでも眠りがやってこない。快眠とも安眠ともご無沙汰して久しい。俺の神経にレイジの半分ほどの図太さがあれば事情は違ったんだろうが、俺は奴よりちょっとばかし常識人だったらしい。……別にめでたくも嬉しくないが。
 永眠するのは真っ平ごめんだが死のように深い眠りにくるまれて疲れを癒したいと考えるのは、そんなに罰当たりなことだろうか。

 罰当たりなことなのだろう。俺は世間様から後ろ指さされる屑で半半で人殺しなのだから。

 俺に悪夢を見せるのは俺の中の罪悪感なのか?俺が八つ裂きにした奴らの呪いなのか?それともお袋の?
 どれにしたってろくなもんじゃない。真綿にくるまれたような眠りが恋しい。手触りのよい絹に鼻をふさがれたように眠りたい。
 そんな俺の思いをよそにレイジは気持ちよさそうに鼾をかいている。なんにも悩みがございませんと看板さげた能天気な寝顔を見るにつけ苛立ちと殺意が募る。
 「獏に食われて死んじまえ」
 毛布越しにくぐもった呪詛を吐く。自分でも信じられないほど子供っぽく馬鹿っぽい台詞にはげしい自己嫌悪に襲われるが、熟睡中のレイジには聞こえなかったらしいのが救いだ。
 瞼が重い。うつらうつらしてきた。恋しい眠りがようやっと俺の上にも訪れたらしい。
 ささくれだった毛布を羽織って寝返り打った俺の耳に、ひきつった笑い声が聞こえた気がしたのは幻聴だろうか。
 ワックスがけした螺旋状のすべり台をすべりおちてゆくように眠りに落ちながら、俺は先刻自分が吐いた悪態を反芻していた。

 「幡我換房間(パンウォーホワンファンチエン)」

 「部屋をかえてくれ」という意味の台湾華語だ。 
 俺はこの房割りをした奴に文句をつけたい気持ちでいっぱいだった。天の采配か悪夢の人事か、何の因果か知らないが俺はレイジと同じ房に割り振られて一年近く寝ても覚めてもこいつと同じ空気を吸ってきた。もうこりごりだ。早くこいつから解放されたい。

 瞼を開けていちばんに見るのが野郎の顔なんてしょっぱいオチとはいい加減手を切りたいのだ。 

 
                               +


 目の前に茄子がある。
 「箸が止まってるぜ」
 横合いから指摘され、ハッと顔をあげる。長方形のテーブルを挟んで対面に座ったレイジが、不審げな顔で俺の手元を見つめている。レイジの視線を追い、自分の手元を見る。
 手に預けたまま停止している箸。左手に持ったまま存在を忘れていたプラスチックの椀。
 そして、目の前のトレイの左上にちんまりと置かれた小皿とその中の茄子の漬物。
 バツが悪い。
 「痴呆症か?」
 「ばか言え」
 「どうかな。若年性痴呆症ってあるらしいぜ」
 「白蟻の沸いてる脳みその持ち主に言われたくねえ」
 椀に口を近づけ、冷や飯をかきこむ。食後の茶を啜りながら、レイジが頭を振る。
 「夜のことまだ根に持ってんのかよ。執念深い男はいやだね」
 「お前に選ばせてやる。刺すなら目ん玉と鼻の穴どっちだ?」
 箸の先端をレイジに突きつけて脅す。両手を翳して身を引くレイジ。よろしい。機嫌を直した俺は箸を引っ込め、努めて無表情に米の最後の一粒を口に運ぶと、心もち姿勢を正して茄子の漬物と向き合う。小さく息を吸い、覚悟を決める。もとはといえばコイツが悪夢の原因なのだ。俺はもともと雑食性で好き嫌いのないタチだが、いまだに茄子だけは苦手だ。心理学の専門家が選ぶって解説しそうな幼少期のトラウマってやつ。できれば知らぬ存ぜぬで残したままトレイを返却したいが、このあとに待ち受けている炎天下での強制労働を思うと米一粒でも残すのが憚られる。今のうちにつめこめるだけ胃袋につめこんでおかなければ炎天下の砂漠でぶっ倒れて脱水症状を起こしかねないのだ。
 憎い茄子といえど貴重な栄養源であることは否定できない。
 小皿に箸を伸ばし茄子を摘み、努めて平静を装いぽいと口の中に放り込む。しゃきしゃきと咀嚼。歯を鍛える小気味良い食感、口の中に広がる漬物独特の塩気が鼻に抜け反射的に吐き出したくなるが、そこを耐えてごくりと嚥下する。うえ。茄子の漬物を強引に飲み下した俺は正面から注がれる視線を感じて顔をあげる。
 レイジがにやにやしていた。
 「なんだよ」
 気分が悪い。レイジは「うん?」と生返事する。
 「いや別に。親の仇のように見てるからさ」
 レイジが顎をしゃくる。プラスチックのトレイの上、三角関係に配置された漆器の焼き魚と漬物と飯。小骨をとるのが面倒くさいんで頭からばりばり噛み砕いちまった焼き魚、矩形の皿の上には跡片も残ってない。一粒も飯が残ってないぴかぴかの椀はまるで洗いたてのように輝いてる。レイジが視線で促したのは、逆三角形の右上にちょこなんとのっかってる小皿。
 小皿にはまだ茄子の漬物が残っていた。
 こいつ、細かいところまでよく見てやがる。
 ふぬけた面をしてやがるがレイジの観察眼は異様に鋭い。俺は内心舌を巻いた。だがレイジに動揺を悟られるのも癪なので、タイムロスを感じさせない手つきで茄子の漬物へと箸を伸ばす。
 「あたりまえだ。俺は茄子に殺されかけたことがあるからな」
 レイジが怪訝な顔をする。いい気味。思い切って全部まとめて茄子の漬物を口の中に放り、シャキシャキと咀嚼する。飲み下す。
 「馳走さん」
 トレイに箸を投げ出し、頭をさげて合掌。拍手を打った俺の鼓膜をくぐもった笑い声が叩く。すくいあげるような上目遣いで正面のレイジを窺うと、奴ときたら片手で口を覆って笑いをこらえてやがった。きれいにたいらげたトレイを退けて卓上に身を乗り出し、レイジの襟首を掴む。
 「食事中の熊猫を微笑ましげに見守る飼育係のような面してんじゃねえ。言いたいことあんならはっきり言いやがれ」
 「具体的なたとえ」
 俺の手を押しとどめ、レイジが苦笑いする。
 「そんな怒んなって。お前がやけに行儀正しくて笑えただけだよ」
 「癖がぬけねーんだよ」
 レイジの胸ぐらを突き放し、憤然と椅子に戻る。トレイを占めた空き皿を一瞥する。合掌は食後の儀式だ。物心ついた時からお袋にならって合掌していたため、成長した今でも習慣が抜けない。刷り込みって怖い。
 親の仇のようにトレイを睨んでいた俺の正面で、満腹になったレイジが足を投げ出しただらしない姿勢で椅子にもたれかかる。眠たそうにあくびするレイジにつられ、俺も小さくあくびする。開戦を告げる銅鑼のような大音量のベルで叩き起こされてからまだ三十分もたってない。起床のベルが鳴るのは朝五時。俺がうつらうつら寝付いてから二時間もたってない殺生な頃合だ。
 不承不承ベッドから抜け出し顔をすすぎ、廊下に整列する。見回りの看守がやってきて点呼をとる。それから朝飯。朝は戦争だ。東京プリズンの食事は早い者勝ちというのが囚人が入所して真っ先に肝に銘じた鉄の掟で、早く食堂に行かなければ床に尻をつけて残飯をつつかざるを得なくなる。
 当然、あぶれる者はでる。不覚にも遅れをとった者は最後、トレイを抱えて食堂をうろうろするしかなくなる。見渡す限り席はすべて埋まっている。腰を落ち着けて食事をとりたければ実力行使しかない。つまり、適当な椅子に座ってる先客の襟首を掴んで頬げたに一発お見舞いするしかないのだ。とは言っても、朝っぱらからテーブルの上で取っ組み合って体力を浪費したい連中ばかりじゃない。
 手荒なことが好かない連中だっているのだ。たとえば今、目の端を足早に過ぎった男のように。
 「あ」
 声を上げたのは俺だ。
 カウンターでトレイを受け取ったその影は、空席を求めて食堂に視線を馳せたが、生憎とどのテーブルも満員御礼。トレイを抱えたまま所在なげに立ち尽くすひょろりとした影に、おもわず声をかける。
 「こっちだ、サムライ!」
 椅子から腰を浮かせてサムライを招く。頭一つぶん抜けた長身痩躯がきょろきょろとあたりを見回す。サムライの目が俺の上で止まった。それでも顔の筋肉は動かなかった。トレイを両手に捧げ持ったサムライが、きびきびした歩調でこちらにやってくる。奥に詰めて一人分席を空ける。サムライが「かたじけない」とばかりに会釈する。
 律儀な奴。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060604103713 | 編集
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