ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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万里の長城は一日にして成らず 4

 「お前がバンリか」
 「………………」
 「口がきけないのか?変なヤツ」
 「………………」
 「隆文、来い。こいつおもしろいぞ、口がきけないみたいなんだ」
 「違う、お前が脅かすから怖がってるんだ」
 「脅かしてなんかない、優しくしてやってるじゃないか。こいつが勝手に怖がるんだ」
 「弟には優しくしろ。お兄ちゃんだろ」
 「隆文の分際で生意気だ、命令するな。バンリ、お前なにかしゃべってみろ。舌をとられちゃったのか?ちがうなら横、はいなら縦に首を振れ」
 「………」
 「違うのか。じゃあ声をだせ。出さないとひどいぞ」
 「それが脅してるっていうんだ、見ろ、びくついてる」
 「何か言えバンリ。命令だ」
 「……………あ」
 「「あ?」」
 「!ひっ、」
 「意地悪するな」
 「ははっ、だってこいつ面白いんだぜ、手をあげるとびくっとしてすぐ引っ込む」
 「おじさんに言いつけるぞ」
 「バンリ、言え。なんでもいいから声を出せ。いつまでだんまりきめこむつもりだ、家に置いてほしいならちゃんと意思表示しろ、戦わず逃げっぱなしの臆病者を弟なんて認めないぞ」
 「…………わん」
 「犬か」


 
 懐かしい夢を見た。
 部屋の中は薄暗い。
 サイドテーブルのシェードが照度を絞ったムーディーな明かりを演出する。
 上掛けを身に纏い寝返りを打てば、隣から声がかかる。
 「おはようバンリ」
 ベッドボードに背をもたせ、退屈そうに雑誌をめくる横顔をぼやけた光が照らす。
 絞った明かりが彫り深く端正な容貌に酷薄な陰影をつける。
 シーツを掛けた膝をゆるく抱え込んで、よどんだ目で有里を見る。
 「能無しのカメラマンめ、せっかくポーズを決めたのに台無しだ。俺の魅力が十分伝わってこない。右足を上にして組んだんだから正面よりも斜め七十五度のアングルのほうが断然映えるのに最低限の基礎もできてないとはハリウッドから出直して来い、渡航費ぐらいは持つ」
 不機嫌げに鼻を鳴らし手の甲で雑誌に掲載された写真を叩く。
 「……ナルシストですね。モデルが悪いだけでしょう」
 「素材に欠点はない、調理の仕方が悪いだけだ。あとは照明だな」
 自分のインタビュー記事が載った雑誌を飽きて放り出すや自堕落に伸びをしてサイドテーブルの葉巻をつまみ、先端をカットしてマッチで火をつける。
 鼻先に漂う癖の強い薫りで勘づく。
 「マリファナですか」
 「海外土産だ」
 「体に悪いですよ」
 「お前もやるか」
 「遠慮しておきます。というか普通に法律違反です」
 「むこうじゃ嗜みだ」
 外国産葉巻特有のエキゾチックで芳醇な香りが緩慢に渦巻く煙に乗じ漂う。
 有里は慣れた手つきで葉巻を喫う。
 シーツに灰が落ちるのを厭いベッドを脱け出し、床に散らばった服を無言で身につけていく。
 「シャワーはいいのか」
 「マンションで浴びます」
 「帰る必要ないだろう。ここにいろ」
 「監禁する気ですか?」
 シャツに袖を通しつつあてこする。
 千里の着替えとささやかな反抗ぶりをかえって楽しみ、喉の奥で意地悪く笑い、甘ったるい煙を吐く。 
 「服が大麻くさくなるから僕の前で喫わないでください。職質されたら困ります」
 「帰らなければいい」
 「兄さんが引き止めるからもう三日も留守にしてるんですよ。泥棒に入られてたら怖いし、熱帯魚に餌もやらなきゃ。今頃全滅してるかも」
 「そしたら新しいのを買ってやる」
 こともなげに言ってのける兄に処置なしとかぶりを振る。
 リラックスしきって頬杖ついた有里が見透かすように言う。
 「逃げる口実が欲しいんだろう。可愛いな、バンリは。最中の事は覚えてるか?」
 「さあ?飲んでたから覚えてません。ご存知でしょう、ぼくにアルコール耐性ないのは」
 器用に動く指でシャツのボタンを嵌めつつ軽口を叩く。
 「今度から毒見役が欲しいですね。貴方が差し出すグラスに口をつけるのは危険だ、一口呷って次に目が覚めたらベッドの上なんてぞっとしない」
 「椎名で代用すればいい、俺の犬はお前の犬だ」
 「兄さん専属の毒見役でしょう?お下がりはごめんですね」
 シャツの袖に腕を通し、ズボンに足を通し、仕上げに背広を羽織る。
 着替えを終えた千里を愉悦に酔って眺め、有里が囁く。
 「お前が口走った寝言教えてやろうか」
 「なんですか」
 「兄さんが一番だ、クズミとは比べ物にならない、愛してる」
 「嘘ですね」
 たちどころに看破し、くだらない戯言を一蹴する。
 「明日の予定は覚えてるな?」
 「十一時から投資家ファーガス・マイクロフト氏と麻布の椿ホテルで会食。十七時から木村商事のパーティーに参加」
 「ファーガスは懐石料理が好きなんだそうだ」
 「手配してます」
 「料亭は?神楽坂にいいのがあったろ」
 「外国の方に正座は辛いですから。交渉も兼ねて長時間となるときついでしょうし、外国人にも評判のいい懐石料理を供するレストランを予約しました」
 「さすがそつがない。椎名より優秀なんじゃないか?やっぱり秘書に向いてるよ、お前」
 「椎名さんにはかないません。二十年貴方と一緒にいて嫌気がささないなんて変人の域です」
 会社を辞めてから秘書見習いの名目でスケジュール調整と管理を任されている。
 本来椎名の仕事なのだが、椎名は現在有里に内緒で久住に接触した咎で謹慎処分を受けている。第一秘書である椎名の謹慎がとけるまで代わりにこき使われるのだろう、ベッドの上でも外でも。
 「やけに庇うじゃないか。同病相哀れむか?」
 「何を言いたいのかよくわかりませんね。貴方に虐げられて悦ぶ趣味はありません、義務として受け入れてるだけです」
 「大人になったな」
 有里がしなやかな動作でベッドを脱け出し、均整とれた裸身を堂々さらし歩いてくる。
 千里の前で歩調をおとし立ち止まるや、絡め取るように目を見つめ、頬を片手で包む。
 「今度うちで晩餐会を開くんだそうだ。久しぶりに家族全員が集まる」
 「姉さんもですか?」
 「ああ」
 天敵の名をだすや有里の顔が露骨に不快げに歪む。
 「俺の帰国祝いを兼ねてな。朱里にも連絡がいくだろう。来るかどうかは知らないが……」
 「兄さんにも苦手なものがあるんですね」
 「家を捨てたあばずれとひとつのテーブルにつきたくないだけだ」
 ふてくされた態度に不謹慎にも笑いそうになり、慌てて顔を引き締めごまかす。
 「実の姉さんでしょう。まあ子供の頃からいじめられてたら苦手に思う気持ちもわかりますけど、あれは愛情表現ですよ」
 「お前も来るだろう、当然。久しぶりに家族全員がそろうと父さんがはしゃいでる、がっかりさせるな」
 有里の命令は絶対だ。
 千里に拒否権はない。
 父主催で晩餐会を行うというなら参加せねばならない。
 日本有数の財閥の最高権力者たる父は、自立した次男と疎遠な長女の出席を強く望んでいる。
 父の機嫌を損ねる事はすなわち兄の不興を買うことであり、有里の支配下におかれた今の立場を考えれば得策ではない。
 お気に入りの次男が欠席すれば父がひどく残念がるのはもちろん、有里の体面を傷つけることにもなる。
 「あいつの顔を見るだけで反吐が出る」
 有里は長女の朱里を毛嫌いしてる。
 長女の朱里は大胆かつ奔放な性格で、束縛を嫌ってとうに家を飛び出している。
 三十にもなろうという現在何の仕事をしてるか不明だが収入は上々らしく、ごくまれにふらりと帰ってくる時などハイセンスなスーツや宝石を身につけている。
 物心ついてより虐げられた恨みは根深く、こと姉の話題に関しては感情的になる有里を嗜める。
 「二人ともいい大人なんだから、せめて父さん義母さんの前では仲のいいふりをしてください。実の姉さんをあばずれだの女狐呼ばわりも感心しません」
 「子供の頃から嫌いだった。あいつとは反りが合わない。たかだか数年先に生まれたというだけで威張り散らして、俺を家来扱いして。女のくせに。会社も継げやしないのに」
 「父さんは姉さんの実力を高く評価してますよ。姉さんさえ戻ってくる気があるなら後継者として検討するんじゃないでしょうか」
 「結婚もしてないのに?ぶざまないきおくれじゃないか」
 「婿養子をとらなくても姉さんなら父さんの期待にこたえて会社を切り盛りしていくでしょう。最近は女社長も珍しくないし」
 父を引き合いにだし擁護したのが気に食わなかったのか、有里がすっと目を細め、頬に手を置いて千里の顔を引き寄せる。
 脅迫に似て低めた声で有里が問う。
 「俺が後継者にふさわしくないみたいな言い草だな。失脚を望んでるのか?」
 「とんでもない。長男が素晴らしい後継者に育ってくれて父さんは喜んでるでしょうね」
 心にもないことを完璧な笑顔で言う。
 有里の顔つきが険悪に変わる。
 憎悪と嫉妬が暗くちらつく目で千里を睨みつけ、乱暴に顔を掴み唇を奪う。
 有里の唇は甘く退廃的なマリファナの味がした。慣れればやみつきになる味だ。
 「大麻は依存性がある。逃げられないぞ」
 おが屑を燻したように甘くほろ苦い味が舌の上で溶け、媚薬の成分が唾液に混じる。
 
 慣れてさえしまえば。
 流されてしまえば。
 抵抗して傷を負うより、順応した方が遥かにラクだ。

 「服くらい着たらどうですか」
 「俺は裸でも素敵だ」
 「兄さんは羞恥心を学ぶべきです」
 軽く含み笑い唇を吸う。
 上唇のふくらみを窄めた舌先でつつき、下唇にねっとり這わせ、発情した小蛇のしたたかさで隙間から忍び込もうとする。
 服が皺になるのは嫌だ。
 悪ふざけに辟易し、まだ足りないと求めてくる唇と手をそっけなく払う。
 「帰ります。明日は時間通りに。……どうでもいいけど股間くらい隠してくださいよ、実の兄が露出狂だなんていたたまれない」 
 「なんならこの格好でルームサービスを呼んでもいい」
 おかしそうに笑って手を引き、ようやく千里を解放する。明日の仕事に差し障りがでると踏んだのだろう。男として兄としての有里はどこまでも身勝手だが、社長としての彼は秘書を抱き潰すほど愚かではない。
 ひとつため息をつく千里をよそに、椅子の背に掛かっていたバスローブをひったくり、優雅に羽織る。
 「貴族の召しかえは従者の仕事。他人に裸を見られていちいち恥ずかしがるのは成り上がりの証拠」
 素肌にバスローブを羽織り、前をかき合わせた有里に相対し、皮肉げに唇の端をねじる。
 「兄さんの写真写りが悪い理由教えてあげましょうか?……性根が腐ってるからですよ。カメラは心を映し出す。腕が悪いなんてとんでもない、兄さんを撮ったカメラマンは真実の核を捉える優秀な腕の持ち主です」
 千里の嫌味を有里は鷹揚に笑ってやり過ごす。
 有里の笑い声に送られ部屋を出ようとして、無感動に冷えた声が背を鞭打つ。
 「契約を忘れるな」
 千里が近付かなければ久住には手出ししない。
 会社を辞め、有里の秘書として働き始めて既に一ヶ月がたつ。
 「……わかってます」
 身にまとわりつく猜疑を孕んで粘着質な視線を感じつつ、今度こそノブを捻って退室する。
 ドアに背を凭せて深々と息を吐く。
 昼間は秘書として、夜は奴隷として酷使されるせいで疲れと鬱屈がたまっている。
 ホテルの地下駐車場には有里が所有する車が待機してる。
 頼めばマンションまで送ってくれるだろうが、とてもその気になれない。
 自分の足で歩いて帰るのはもはや意地だ。
 何をやってるんだろう僕は。
 地に足がついてる感じがしない。すれ違う人々の話し声と雑音が空疎に耳を素通りしていく。
 惰性で歩きがてら、すっかり暗記した明日の予定を脳内で再現し段取りを確認していく。
 この一ヶ月、有里につきっきりだった。本格的に千里を秘書として養成するつもりだ。
 そうなったらいよいよ逃げられない。
 昼も夜も拘束されて、自由など与えられない。
 会社にいた頃が懐かしい。懐かしがるほど年月が経ってないはずなのに、郷愁が疼く。
 自分の性格は営業に向いていたと思う。上司や同僚の受けもよく、取引先の人間にも目をかけれもらった。やり甲斐がある仕事だった。実家を出て、親のコネに頼らず就職を決め、これから本当に自分の実力が試されるのだとほんの一年前まで意欲に燃えていた。
 身の程知らずだったのか。
 勘違いしたのか。
 逃げられると思ったのか。
 成人したんだからもう解放されもいいだろう、自立した弟に対し異常な執着も薄れるだろうと、なんら根拠のない希望的観測に縋った甘さが今の事態を招いた。
 自業自得だ。
 自分が若く思慮が足りなかったせいで彼まで巻き込み不幸にした、取り返しのつかないものを負わせてしまった。
 駅から電車に乗る。ドアが開き、降りる。
 彼に手を出さない事を条件に有里に忠誠を誓った。
 なのに足は自然にあそこへ向かう、マンションに直帰するが意志に背いて違う駅で降りてオフィス街を歩く。
 尾行を警戒し、周囲に神経を張り巡らせる。
 今夜の行動が有里にばれたら面倒な事になるが、実際に接触さえしなければ言い訳がたつだろう。
 遠くから見るだけだ。会える確証はないし、会うつもりもない。今の時間、会社に残っているかもわからない。とっくに帰ってしまっただろう。
 それで、いい。
 もとより会うつもりはないしあわせる顔もない。彼との関係にはとっくに決着がついているのだ。
 自分が何をしたいのかわからない。目的が分からない。
 ただ、あそこへ行きたい。あの人と一番長く時間を過ごした場所へ行きたい。
 久住に近付くなと釘をさされたが、会社に近付くなとは言われなかった。
 夜もふけたオフィス街は帰途を急ぐ会社員やОLをちらほら見かける他は閑散として、ビルの窓を覆う暗闇が黒々と無機質な印象を与える。
 道路を隔てた対岸に会社のビルが見えてくる。
 植え込みの花壇に腰掛け、正面玄関の回転ドアを望む。
 一ヶ月前まであそこにいたのが嘘のようだ。
 「……………」
 ろくに挨拶もせず突然辞めて上司や同僚に迷惑をかけた。
 あそこに自分の居場所はない。
 もう戻れない。
 その事実を、ゆっくり噛み砕いて飲み込んでいく。
 有里とセックスするたびかつての会社を訪れるのは既に一種の儀式と化している。
 久住に直接会うのを禁じ契約違反の際は罰を科す有里も、会社への接近を咎めはしなかった。

 あるいは、試しているのか。
 見殺しにした本人の前に立つ勇気はないだろうと高をくくっているのか。

 「………ストーカーだな、これじゃ」
 今更だけどと力なく苦笑して呟く。
 いつまでもここにこうしてるわけにはいかない。
 遠目に一瞬でも姿を見れないかと、虚しい期待を掛けていたのは否定しない。
 元気な姿を一目見れればそれでいい。
 そう決心して会社の前に来ては、待ち人来たらず落胆するくりかえしで、我ながら馬鹿で不毛な行為に没頭してると呆れる。
 街路樹を囲う縁石の冷たさが尻に染みる。
 手には来る途中に寄ったコンビニで買った缶コーヒーが一本。
 買うつもりはなかった。
 だけどガラス張り冷蔵庫に並んでるのが目に入った途端、反射的に手が伸びていた。
 このコーヒーは久住が好きな銘柄だ。
 無愛想な久住の意外な趣味。缶コーヒーに付随するフィギュア集め。
 風邪をひいた久住を見舞った際、棚に几帳面に並んだミニカーのコレクションに感心した覚えがある。
 何かの折にあとひとつ、赤いオープンカーの模型が手に入らないんだとこぼしていたっけ。
 ブルタブを引き、無糖のコーヒーに口をつける。
 久住の嗜好は把握している。普段煙草は喫わない。酷くイライラした時だけ喫う。外回りのついでにコンビニに寄った時は無糖のコーヒーを買う。千里は微糖派だ。砂糖がまったく入ってないコーヒーは苦くて呑めない。それを知った久住にいつもの仕返しとばかりお子様だなとからかわれたエピソードを思い出し、くすぐったさに自然と顔が和む。

 僕はまだあの人にこだわっている。
 あの人への未練を断ち切れずにいる。

 口に含んだカフェインの残滓が蟠り、有里から移された大麻の味と混じり合って舌を痺れさせる。
 呑み終わってからプラスチックケースで保護されたおまけを切り離し、呟く。
 「……あたりだ」
 偶然にも、久住が熱心に捜していたレア物ミニカーを引き当ててしまったようだ。
 しかし千里にミニカーをコレクションする趣味はない。
 処分に困ってミニカーをいじくり回す間に、突飛な発想が浮かぶ。
 捨てるのも勿体ないし先輩にあげますよとこれを持って自宅を訪ねたらどんな顔をするだろう。きっと面食らうだろう。
 おまけの譲渡を口実に繋がりを保とうとする僕は、どれほど浅ましいんだろう。
 手のひらに乗せたミニカーから、横断歩道を隔てたビルへと視線を転じる。
 これが今の千里にぎりぎり許された距離、接近が黙認される限界の距離。
 コーヒーはとっくに飲みきってしまった。
 周囲にゴミ箱が見当たらないため手の中の空き缶を持て余しつつ、待つ。

 何を待つ?
 誰を待つ?
 とっくに帰ってしまったかもしれないのに。

 体には倦怠感がつきまとう。有里は絶倫だ。こちらの都合や体調など考えず放縦なセックスの相手をさせる。
 あの体力と持久力だけは見習いたい。
 化粧レンガの縁石に腰掛け放心しているうちに時間が経っていたらしい。
 「!」
 顔を上げる。
 ビルの回転ドアから男女二人連れが出てくる。両方とも見覚えのある顔、うち一人はどれだけ努力しても忘れられない顔で息を呑む。
 先輩と、声を伴わぬ呟きを小刻みに震える唇から洩らす。
 かさぶたを剥がされるように皮膚がちりちりし、心の表面が不穏にさざなみだつ。
 回転ドアから出てきたスーツ姿の男と女。眼鏡が似合うクールな細面は忘れもしないあの人、かつて千里が無理矢理犯し脅迫した男。
 一ヶ月ぶりに見る久住の姿に安堵と後悔と懺悔の入り混じった感情が昂ぶる。
 傍らに寄り添うのは千里と同期の千代橋梓。卵形の顔にすっきりした目鼻立ちが印象的な美人だ。
 梓がなにかを言う。久住が笑う。つられて梓も笑う。 
 「……………え」
 梓と久住はふたり連れ立って会社を出てきた。肩を並べ笑いあう。
 かつて千里が憧れた人が、千里にはごくまれにしか見せなかった気さくな笑顔を連れ添う後輩に向ける。梓ははにかみがちに頬を染め、姿勢よく久住を仰いで何かを言う。離れた場所から見守る千里にさえ、若く可愛い後輩をリードするしっかり者の先輩という微笑ましい構図が伝わってくる。いや、それだけじゃなく、それ以上の感情の交流を感じ取る。久住はともかくとして、梓の方は。
 手のひらからミニカーが落ちて植え込みの影に消える。
 二人は千里に気付きもしない。千里の存在などまるで無視し談笑している。

 僕はあの人の隣に立つ資格がない。
 そんなもの一ヶ月も前にとっくになくしてしまったのに、何をいまさら。

 嫉妬とも悲哀ともつかぬ身勝手な感情が荒れ狂い、空漠たる喪失感が胸を苛んでいく。 
 千里の目から見ても似合いの二人だった。違和感なく街に溶け込んでいる。
 梓は信頼しきって久住に寄り添い、久住はそんな梓を車の行き来から守るように道路側に立つ。
 「………変わらないな、あの人は」
 外回りの時もそうだ。あの人はああしてさりげなく連れを庇う、だから勘違いしてしまう。
 それが自分だけの特権だと、おめでたい勘違いをしてしまう。
 あえて「あの人」と言う。名前でも先輩でもない抽象的な呼称を選択する。
 誰かに聞かれたら困ると保身に気を回したんじゃない。
 自分の中でけじめをつけるため、断ち切るため、自分とはもう無関係な他人の位置まで引きずり落とすためにわざとそう呼び捨てた。
 それで、いい。
 これでいいんだ。
 ゆっくりと深呼吸し、目を瞑り暗示をかける。
 もともと久住の性的嗜好はノーマルで、久住は普通に異性が好きで、だからあれは自分との間にあったことはすべて忌まわしくおぞましい間違いだったのだ。
 片想いが報われない痛みと失恋の痛みと、どっちがましだろう。
 久住と梓は対岸の歩道を歩いて駅へ向かう。
 久住は梓の歩調に合わせ、不器用だが誠実に梓を気遣い、美人だがお高くとまってヤな感じだと陰口を叩かれていた同期の女の子が、彼にだけは心を許しきった笑みを見せる。
 お似合いだ。
 「………………」
 お似合いですよ、先輩。どうかお幸せに。僕のことなんか忘れて、僕との事はなかったことにして、千代橋さんを大切にしてあげてください。
 きっとそれが一番正しい。
 久住にとっても梓にとっても。
 
 腕振りかぶり空き缶を放る。
 おもいっきり投げた空き缶は長大な放物線を描いて道路のど真ん中で跳ね返り、路肩に転がっていく。

 久住と梓が肩を並べ立ち去ったあと、だれもいなくなった夜のオフィス街でやつあたりに空き缶を投擲し、唇を噛んでうつむく。
 「ちくしょう」 
 子供じみた悪態をつく。
 誰を恨む、誰を呪う、誰を憎む、自業自得のくせにまた責任転嫁か?
 こうなるのは目に見えていた、だってあの人は全然違う、僕と違ってまともだ、どこまでもまっすぐで正しく強い常識人だ、あんなまともでまっすぐな人に僕が理解できるはずない、想いを告白しても到底受け入れてもらえるはずなくてだから無理矢理抱いた、プライドを踏みにじって従わせた、だってそうでもしなきゃあの人は手に入らない、正攻法じゃダメだ、欲しかった、見て欲しかった、振り向いてほしかった

 どうしてこんなに好きになってしまったんだ。
 手遅れなほど好きになってしまったんだ。

 なけなしの意志を振り絞って靴裏をアスファルトから引き剥がし踵を返す、逃げるようにその場を去る、シャツの下で胸が速く浅く鼓動を打つ、平静を失う、視界が点滅し呼吸が浅く荒くなり歩きから小走りに小走りから走りに走って走って走って
 
 逃げられないぞと耳元で幻聴が囁いた。

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リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225146 | 編集
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