ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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ナナシノハナシ 5(完)

 「けりをつけろ」
 銃口とナナシの額を延長線で結ぶ。
 砂場に尻餅ついたナナシが呆然とこっちを仰ぎ、鼻水と涙と涎でぐちゃぐちゃに溶け崩れた顔に白痴の表情が乗る。 
 「やっぱできてたのかこいつと、殺すの抵抗ありか」
 「惚れてなんかないです」
 「にしちゃあ随分入れ込んでるみてえだけど」
 限りなく薄めた口元の笑みと眼光の鋭さに冷や汗が滴る。
 「お前、裏切ろうとしたろ」
 底冷えする凄味を含む声が心臓を握り潰す。眇めた双眸に癇癪が爆ぜる。
 「拾ってやった恩忘れやがって……誰がアパートまで世話してやった?」
 「誤解です、俺は」
 「小遣いもたんまり弾む。悪い話じゃないだろう」
 「……………」
 「お前の覚悟を知りたいんだ」
 嘲笑を塗した陰湿な声が、ねっとりと耳裏の産毛をなぞり怖気をふるう。
 「四つんばいになってべそかきながらクソひりだしたガキが本当に人殺せるか、盃を分けるに値する度量の持ち主か、見極めたいんだ。お前だって一生おちぶれた男娼で終わるのはいやだろう、成り上がりたいよな。折角のチャンス、生かさなきゃもったいねえぜ」
 「できません」 
 「殺れ」
 背後に立つ各務が手を伸ばし、俺の腕をとって構え方を直す。
 強張った指を一本ずつ矯正し右手に銃を握らせてから底をしっかり左手で支え固定、茶化して肩を叩く。
 「男にケツ貸して稼ぐのはこりごりだよな」
 銃を支え続けるプレッシャーに追い詰められ、逃げ道を探して公園のぐるりに視線を逃がす。
 ナナシと隣り合って腰掛け弁当食ったブランコが、ナナシと語り合ったコンクリートトンネルが、ナナシがふざけてよじのぼって俺も真似たジャングルジムが、逆上がりができないんだと白状したナナシに俺が手本を示した鉄棒が、続けざま目にとびこむ。

 「……あん時、あんた、傑作だったよな。いい年して逆上がりできないなんて言い出して……教えてやるよって請け負って……トレンチコート脱がずにやったもんだから、蝙蝠みてえにべろんと逆さ吊りになって。あンとき手え滑らせたのも、わざとなの?」

 ナナシと過ごした夜の思い出をひとつひとつ数え上げる。

 「大人のくせにはしゃいで……ジャングルジムのぼって、てっぺんから絶叫して……」
 「知ってるか?ジャングルジムのてっぺんから願い事叫ぶと叶うんだぜ」
 「嘘吐け」

 公園は、完結したひとつの世界だった。
 こっから出る必要なんか、なかったのに。

 「……どうしてあんなバカ言い出したんだよ」
 声の震えがやむ。
 心臓の鼓動は内側から破りそうに高鳴っていたけど、もう手は震えてない。
 諦めにも似た虚無が身の内で水位を上げて、無感動な声が出る。
 「あんたが一緒に逃げようなんて言い出さなきゃ、こんな羽目にならなかった」
 「俺のせいか」
 「あんたのせいだ」
 ナナシはかける言葉を間違った。
 一緒に逃げようじゃなく、一緒にいようだったら、俺は今この場に立ってなかった。
 逃げるという事は公園を出る事を意味して、俺は公園の外の世界にナナシと一緒に放り出されるのが怖くて、公園の中なら俺とナナシはふたりぼっちで寄りかかっていられるのに、どうしてわざわざ安全な場所を安息の箱庭を捨てるのか幻滅した。
 「三千万はどこだ」
 俺の隣に立ち各務が言う。素直に吐けば命だけは見逃してやるという高圧的な口調。
 ナナシは口を割らない。前髪の間から、おそろしく澄み切った目で銃口を見返す。
 静寂の浸透圧が鼓膜を押し潰す。心は酷く冷め切っていた。あらゆる痛みと切り離され麻痺していた。ふと、ナナシが体をふたつに折り曲げ激しく咳き込む。大量の吐血。トレンチコートにどす黒い血が飛び散る。内臓に重篤な損傷を負ってるのは明白、顔はむざんに腫れあがって判別つきにくい、片腕で自分を抱いて咳き込む姿から饐えた死臭が漂い鼻をつく。
 垢と汗とその他もろもろの肌の老廃物が入り混じった独特の体臭が鼻腔の奥に絡む、ついこないだ含んだばかりのナナシの味を反芻し引き金から指が抜ける、その隙をつき標的が反転、砂に足をとられつつ決死の逃走を図る。
 「ばかっ、なにやってんだ!」
 各務の怒号が耳元で炸裂し鼓膜を叩く、視線の先には砂を蹴散らし必死に逃げるナナシ、手足をばたつかせぶざまに見苦しくこけつまろびつ余力をふりしぼって走る、てんでなっちゃないフォーム、足と手がばらばらで今にもけっつまずいて転びそう、派手に砂を蹴散らし宙を掻き毟るように手を泳がせコートが纏わる足を重力に抗って蹴りだす、全身で死にたくないと絶叫ししぶとくあがいてもがく、トレンチコートの背中に被さる思い出、煙草をたかってきた人懐こいホームレスの面影が瞼の裏をよぎる、俺を司と名前で呼んだ人間は各務以来どれくらいぶりだろう


 嬉しかったよ、俺は。
 「あんたのこと、とうとう名前で呼んでやれなかった」
 ちゃんと聞いときゃよかった。


 夜の崖っぷちの公園で銃が咆哮する。

 電灯の光を受け遠ざかりつつある背中に狙いをつけ銃弾を放つ、反動で鎌首もたげるように腕が跳ねる、視線の先でナナシが倒れる、悲鳴はない、一連の映像はミュートのスローモーションを思わせる、トレンチコートの背中が爆ぜる、擦り切れた裾が風を孕んで優雅に舞う。
 羽を毟られたカラスが闇夜に墜落するようにつんのめり、倒れこむ。
 鈍い音たて突っ伏すナナシに硝煙吹く銃を放り出し駆け寄る。
 うつぶせに倒れこんだ背中に開いた一点の穴、急速に範囲を広げつつあるどす黒く不吉な染み。 
 傍らに膝をつき、両手で抱き起こす。
 うなだれた頭をそっと膝に乗せる。
 「………膝枕……こないだと、逆……」
 前髪を梳いて分けて、憔悴しきった素顔を晒す。
 眼窩が落ち窪み頬骨が高く突き出た顔に、二年間の放浪の痕跡と死相が浮かぶ。
 「………軽いね。トリガラみてえ」
 「トリガラはひでえ……」
 トレンチコートに包まれた体がこれほど痩せ衰えていたと、膝枕して、初めて気付いた。
 最期の最後まで往生際の悪い男だ。命乞いが報われないと知るや背を向け逃げ出した。
 「トリガラ……で、思い出した……安くて旨いラーメン屋知ってんだ……二年前行ったきり……まだあんのかなあ」
 「さあ」 
 「連れてきたかった……」
 「煙草の恩返し?」
 ナナシ行きつけのラーメン屋の話なんて初めて聞いた。俺はまだまだこいつのことを知らない。もう永遠に知ることはないだろう。
 砂場のど真ん中に倒れこんだナナシを膝枕する。
 呼吸の間隔が次第に空いて瀕死の喘鳴が入り混じる。  
 あっけない末路。ナナシは逃亡に失敗した。
 視力を喪失し、意識が濁り始めた虚ろな目で、俺をとおりこしたどこか遠くを仰ぐ。
 ひゅうひゅうと風鳴りに似た呼吸音をくりかえしながら、ごぼりと血泡を吐く。
 「みんな一緒にスタート切んのに、どうしておいてかれるんだろうな……」
 「競馬?」
 「追いつかれないよう全速力で走れば逃げ切れたのかな……俺、どんくせえから……自分と似てる、足遅い馬にばっか入れ込んで……」
 揺れていた焦点が定まり、ナナシが酷く優しい目で俺を見る。
 「つかさ……」
 「うん」
 
 「突っ走れ」

 お前に賭けた。
 今度こそ、勝たせてくれ。

 「司の膝枕で昇天する前に言うことあるだろ?とっとと吐け」
 ぞろぞろと舎弟を引き連れ大股に砂を蹴散らしやってくる各務。
 絶命まで秒読みのナナシの胸ぐらを乱暴にひっ掴んで恫喝する。
 「各務さん。手、放してください」
 「口出しすんな」
 「お願いします」
 
 各務が目を剥く。
 従順で臆病な飼い犬に、だれかれ構わず噛みつく狂犬病の兆しが見え始めたかのような反応。
 
 「……はなしてくんないかな……」
 
 殴り飛ばされるか蹴り飛ばされるか予期するも、各務は露骨に舌を打ち、怯えを隠すように荒っぽくナナシの胸ぐらを突き放す。
 「~どうせこの公園にあんのは間違いねえんだ、探せ、死ぬ気で!」
 激した各務の号令のもと、舎弟どもが公園の四方に散開する。
 あるものはコンクリートトンネルへ、あるものはすべり台へ、あるものはジャングルジムへと向かって脇目もふらぬ捜索を開始する。
 死にぞこないのホームレスと、そのホームレスを撃ったガキの存在は、今この瞬間完全に連中の脳裏から消滅する。
 にゃあと細い声。いつのまにどこから現れたのか、俺に抱かれ砂場に身を横たえたナナシの傍らに唐十郎が寄り添う。心なしかしっぽがしなだれ、普段より殊勝らしく見える。
 ナナシが無意識な動作で手を伸ばす。唐十郎は、最後に大人しくなでられてやったりはしなかった。くたばりぞこないのホームレスに対しても野良のプライドと警戒心は健在で、いざなでようと緩慢に手を動かすや、つれなくすりぬけていってしまう。
 「ちくしょー……最後くらいいいじゃんか……ケチ」
 「……畜生だもん……」
 「はは……そっかあ……ちがいねえ」
 だからナナシは、行き場を失った手を代わりに俺の頬におく。
 かさついた手が頬に触れる。やすりの感触。
 ひとりぼっちが長すぎて泣き方を忘れちまった子供にするように、俺の頬を包む。
 涙は出てこない。
 感情は相変わらず麻痺してて、哀しみも憤りも憎しみも、胸の底をさらったところで何もひっかからない。
 引き金を引いた瞬間、感情の一部が壊死しちまったみたいだ。
 ナナシが酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせる。仕草と目線で耳を貸すよう促す。最期の力を振り絞ってなにかを伝えようとしていると察し、耳を貸す。
 「……右から三番目、ブランコの裏……」
 首の後ろを支えられ、吐息と喘鳴にかすれ酷く聞き取り辛い声で告げるや、血の気の失せた瞼を閉じる。
 そして、二度と開かなかった。
 「……………」
 息絶えたナナシを静かに砂場に横たえ、腰を上げる。
 ふらつく足取りで砂場のふちを乗り越え、ブランコに向かう。
 地に足が付いてる感じがしない。妙な浮遊感が体を包む。各務が俺を見て怒鳴る、公園中を走り回っていた舎弟が邪魔っけに舌を打ち俺を突き飛ばす、転ぶ、起き上がる、歩く、右から三番目のブランコに腰掛ける。
 ナナシはいつもここに座っていた。
 『右から三番目、ブランコの裏』
 各務たちにばれないよう用心し、こっそりとブランコの裏をさぐる。
 「あった!見つかりました、多分このバッグですよ、ほら!」
 「野郎砂場に埋めてたのか、ははっ、気付かねえわけだ!灯台もと暗しだな。中見せろ、三千万は……」
 バッグを発見した舎弟が快哉を上げ、喜色を満面に湛えた各務や仲間たちがナナシの亡骸に後ろ足で砂かけ群がる。
 バッグを囲んで盛り上がる各務たちをよそに、ブランコの裏に接着された金属を取り外し、手に隠して前に持ってくる。
 プラスチックの番号札が付いた鍵。
 たぶん、俺が乗り降りする最寄り駅の。
 バッグのジッパーを引きおろし手分けして確認作業を行う各務たちに知られぬよう、手に握りこんだ鍵をジーパンの尻ポケットにしまう。
 欲望ぎらつく顔でバッグの中をかきまぜていた舎弟が殺気立つ。
 「おかしい……一千、二千……二千万しかねえ」
 「残りはどこだよ?使っちまったのか」
 「くそったれが、組の金に手えつけやがって……一千万も何に使いやがったんだ。女か?」
 「まあ二千万無事に戻ってきただけでよしとしとこうや、最悪全部パアになってたんだからよ……でしょう、各務さん」
 「二千万回収できりゃ上出来だ、上にも面目立つ。二年もたってるんだ、女や遊びでパーッと使い切ってるんじゃねえかって思ったが遊び方もろくにわかんねえカタギ崩れに余計な心配だったな」
 消えた一千万は諦めようと、討論の末見解が一致する。
 とりあえず二千万円は手つかずでもどってきたのだ、これを上納すれば過去の汚点が清算できると考え報告のため早速携帯を出す各務を目で追いながら、俺は消えた一千万の行方だけを考えていた。


 乗り降りする利用者で賑わう構内を足早に歩き、隅に設えられたコインロッカーのもとへ赴く。
 各々番号を振られたロッカーの内、キーの札と一致する物を捜す。
 ロッカーの前を行きつ戻りつひとつずつ照合するうちに、目的の番号が見つかった。
 ずっと手に握りこんでいたせいですっかり体温が移ってぬくもった鍵をさしこみ、捻り、扉を開ける。中には紙袋がひとつしまわれていた。
 四角い闇に目が慣れるのを待たずそれを引っ張り出し、中に手を突っ込んで円を描くようにまさぐれば、紙がうるさくがさつく。
 「…………」
 砂場に三千万を埋めたというのは嘘だった。
 ナナシはいつかまた逃げるつもりだった。
 二年にわたる逃亡生活に疲れ果て、死に場所を求め元いた街に舞い戻ってなお競馬の大穴を夢見るが如く別天地の夢を捨て切れず、各務たちに見つかった時にそなえ、三千万のうち一千万を別の場所に分けて隠しておいた。
 構内の喧騒が耳の後ろを通り過ぎていく。
 駅を通過する客の靴音や話し声がさまざまな音域で混じり合い日常を演出する。
 アパートは引き払った。
 駅にくる途中、携帯は捨てた。一ヶ月ぶりに寄った公園の砂場に放り捨てた。
 紙袋をさげて改札を通り抜け電車に乗る。一回新宿駅に出て、新幹線を待つ。
 発車のベルと共に内圧の音たてドアが閉まり、新幹線が円滑に動き出す。
 車窓に映る俺の横顔はたった一ヶ月で別人のように痩せて尖って、目には倦怠と諦念の入り混じった老成の翳りを宿し、ナナシに酷似していた。
 必要最低限の品を詰めた手荷物と紙袋を足元に置く。
 悠々と足を伸ばし、肘掛けに肘をおき、もう片方の手で懐をさぐって煙草をとりだしてから、向かい席の中年サラリーマンの非難のまなざしに気付く。
 そういえば車内禁煙だった。
 それ以前に未成年か、俺。
 「すいません」
 煙草を元に戻し頭を下げた拍子に、サラリーマンが読む新聞の片隅に載った小さな記事が目にとまる。
 ナナシがいた。


 『公園でホームレス変死 事件性は?
 7月27日未明、新宿区○○町の児童公園でホームレスの変死体が発見された。
 警察の調べによるとそのホームレスは身元不明で、背中に撃たれた傷あり。
 身元を特定する品を所持してなかったため遺族の引き取り手がないという』


 「最後までナナシのまんまか」
 つい声に出して呟けば、向かいのサラリーマンが妙な顔をする。
 身元を特定するような物は各務たちが根こそぎ没収したのだろう。顔と指紋を削り取らなかっただけ優しい方だ。
 無名のホームレスが一人、名もない児童公園の砂場で撃たれて死んだ。文章にすれば、たったそれだけの事。たった数行で要約される無名の人生。
 「その新聞、くれませんか」
 「え?だめだよ、読んでるのに」
 試しに言ってみれば、案の定断られる。
 露骨に怪しむサラリーマンに向かい、紙袋から無造作に一万円を抜いて渡す。
 「売ってください」
 絶句しつつも欲望に率直に一万円札を受け取ったサラリーマンの手から引き換えに新聞をひったくり、3センチ×3センチに満たない枠におさまった記事をくりかえし読む。
 ナナシの件は上手く処理されたようだ。
 裏切り者の金庫番を始末し、二千万を無事取り戻した各務の評価は現在うなぎのぼりで、この調子でいけば他のライバルを蹴散らし若頭を襲名できるという。
 今回の件で各務は手柄を上げた。俺は報酬の四百万をもらった。
 プラス百万は、ナナシの命の値段だ。
 俺の手元には現在一千四百万がある。
 どこまで逃げ切れるだろうか。つかまったらどうなるのか。
 一緒に逃げようというナナシの誘いは拒んだのにどうして今新幹線にのってるのか、自分の不可解な行動に皮肉っぽく苦笑する。
 俺はまた戻ってくる。
 ナナシが人生の最期にこの街に戻ってきたように、あの公園を最期の場所に選んだように、自分の意志で戻ってくる。
 それが何年後かわからない。
 何十年後かわからない。
 けれども戻ってくる。途中で捕まらず逃げ切れたら、今手元にある金を膨らませる事ができたら、必ずこの街にもどってくる。
 帰ってきて、まず最初にやることは決まってる。


 「ばあん」
 人さし指で銃を模し、しばらく見納めだろう東京の風景に被さって車窓に映る自分の横顔を撃つ。
 正面のサラリーマンがびくりと硬直するのに悪戯っぽく笑いかけ、ついでに頼む。
 「すいません、携帯持ってますか?」
 「え?持ってるけど……」
 「貸してくれません。すぐ済むんで」
 「自分のはどうしたの」
 「捨てました。いらねーから」
 不審顔のサラリーマンに札をちらつかせ引き換えに携帯を借り、暗記した番号を押し、耳につけて待つ。
 『だれだ』
 「俺だよ、各務さん」
 『司か?非通知だから驚いた。なんだよ、昼間にかけてくるなんて珍しいじゃねえか、また遊んでほしいのか。悪いけど今日は上の呼び出しが』
 「十年」
 『は?』
 「ナナシは二年でギブしたけど、俺は十年逃げ切ってみせる。あんたに十年時間をやる」
 横目で見れば新幹線の窓ガラスに携帯を構えた俺が映る。顔は無意識に笑っていた。
 屈折したまなざしに似合いの狂気の笑みを湛えつつ、電話の向こうで息を殺す相手の気配の核を掌握し、吐息を絡めるようにして囁く。
 「殺しにいくから待ってろよ」
 脅迫。
 『お前……っ、まさか消えた一千万を。待てよ、お前が殺したんだろ、逆恨みじゃねえか』
 「だから?そんなのわかってんだよ。逆恨み上等、たしかに引き金を引いたのは俺だ、あいつを売ったのも俺だ。だから?それがあんたを殺さない理由になるか」
 シートに身を投げ出し足を組む。携帯の向こうの気配をさぐる。
 「復讐を建前にした私怨はおっかないぜ?」
 各務が息を吸い、吐き、動揺をしずめるように声を絞って吐き捨てる。
 『いかれてるぜ、お前』
 「アパート行ったって無駄だ、からっぽだよ」
 『何が不満なんだよ、たんまり小遣いやった、アパートだって世話してやった、盃も分けてやるって』
 「あんたのザーメン汲んだ盃なんて反吐が出るっつってんだよ、ドブロクのほうがマシだ。あんたの変態ぶりにはいい加減うんざりだ、俺を吊るして鞭でぶった叩いてご機嫌だったな、舎弟に輪姦させて笑いながら見てたっけ、ったくいい趣味してるよあんた、クソひるとこ見ながらさんざん笑い転げてたよな」
 『……てめえ、逃げ切れると』
 「次帰って来る時は顔も名前も変えてっから、俺だってわかんねーかな」
 『たった一千万ぽっちで何ができるってんだ、笑わせんな、お前は俺に飼われてひんひん腰ふってんのが似合いだよ、淫乱ホモの売り専が!!』
 支配下においていたガキに裏切られあまつさえ殺しを予告され、各務が怒号を上げる。
 こいつからは逃げ切れないと諦念していた、逃げたら死ぬほど酷い目にあうと恐怖に縛りつけられ従うだけだった、なのに今俺は笑ってる、携帯越しの太い声に鼓膜をどやしつけられ恫喝されてるというのに腹の底から笑いが湧いてとまらない、こんなみっともない小さい男だって知ってたらもっと早く逃げてたのに、今までこんなヤツに怯えてたのか、くだらねえ、ああ、本当くだらねえな……


 こんなことなら、あんたと一緒に逃げてりゃよかった。


 「各務さんさ、話したっけ」
 こみ上げる笑いを自制心の限り押し殺し、できるだけ軽薄な口調で言う。
 「俺さ、前にいた施設の職員にイタズラされてたの。各務さんに拾われる前。それがいやで飛び出したけど、やられっぱなしが癪だから、飛び出す日の夜、仕返ししたんだよ。いつもどおり部屋にしのんできたそいつを、いつもどおりしゃぶると見せかけて、がりっと」
 限界まで口をあけ食いちぎる真似をすれば対面席のサラリーマンが仰け反り、いつのまにか膝に抱き上げた鞄をひしと抱く。
 「あんたがくれた四百万は見返りとしてもらっとくよ。足りねえ分は十年後きっちり回収しにいく」
 『待て、』
 各務が何か言いかけるのを遮り耳から放した携帯を一瞥、憎悪さえ凍りついた声音で最後通牒をつきつける。

 「ナナシの意地を見せてやる」

 携帯を切り、弧を描いて向かいに投げ返す。
 両手を突き出し携帯をキャッチしたサラリーマンが物騒なガキと関わるのを恐れ逃げてくのを見送り、ゆったり寛いでシートに沈みこむ。
 靴の先が紙袋に当たる。
 何気なく中に手を突っ込んでかきまぜるうちに、札束の間に黒いパスケースがちらつく。
 予感があった。
 免許証に記された氏名に見覚えはない。写真の顔には見覚えがある。
 平凡で無害な顔立ちの若い男、はにかむような笑み、トレンチコートじゃなく地味なスーツをきちんと着こなした男の名前は
 
 七橋 洋平。

 「七橋だからナナシ……」

 七橋を縮めてナナシ。
 人との触れ合いに飢えたナナシは、仮名の中に本当の名前を紛れ込ませた。
 身元を隠したい気持ちと矛盾するが、人に名前を呼んでもらいたい願望はそれ以上に強く、そんな回りくどい形でしか本当の自分をさらせなかった。
 どこまでも臆病で意気地なしで腰抜けで
 「………………………はは」
 ナナシが唯一所持していた身元を証明する品は、不思議な縁を経て、俺の手に渡った。
 かつて七橋洋平と呼ばれた男が文字通り血反吐吐いて守りきった金の一部と共に、今、俺の手元にある。
 
 『右から三番目、ブランコの裏……』

 俺が殺したのに。
 あんたを撃ったのに。
 死に際、どうして教えてくれたんだ。

 聞きたいことが沢山ある。
 コインロッカーの鍵をブランコの裏に貼りつけたのは、事の顛末を見越したからじゃないかとか。
 公園に追い詰められ殺される未来を幻視して、駆け落ちを誓ったガキに遺志を託したんじゃないかとか。

 あんたはひょっとして本当の名前を、ナナシになる前の自分を世界でただ一人せめて俺だけには知っといてほしかったんじゃないか。
 俺がナナシさんと呼ぶたび恥ずかしそうに少しだけ嬉しそうにはにかんで、俺もあんたに名前を呼ばれるのがくすぐったくて、でも一歩公園の外にでたら俺はヤクザに飼われる売り専のガキで、身寄りのない男娼で、あんたはただの小汚いホームレスにすぎなくって、そんな俺たちふたりが街を捨てて逃げ出したところで行き詰まっちまうのは目に見えて

 免許証を両手に握り締め、うつむく。
 俺が泣くのは卑怯だろう。
 そんなのただの自己満足で自己憐憫だろう。 
 両手で免許証を握り、俺が知る男よかこざっぱりしたナナシの写真に額をすりつければ、緩く閉じた瞼の裏に電灯のあかりに抱かれた公園の情景が甦る。
 
 ブランコに腰掛けだれかを待つ男。
 足音に反応し、擦り切れ薄汚れたトレンチコートを翻し振り向いた顔には笑み。
 片手で拝むようにして煙草を受け取り、実に美味そうに吹かす。
 
 『嘘の見返りに嘘をもらったんだからおあいこだな』

 今でもそう思ってくれるだろうか。
 あんたに優しくしてもらった見返りに俺ができることは少なくて、あんたの敵討ちなんて各務を殺すための口実で、もし本当に敵を討ちたいなら今すぐ新幹線の窓から飛び降りて自殺するべきで、ずるずる生きてるのは俺のエゴだ。
 エゴを押し通して、生きる。

 『突っ走れ、司』
 
 あんたの分まで生きるとは言わない。
 その代わり、あんたの分まで逃げ切ってやる。 

 公園を出ても人生は続く。
 あんたの人生はあそこで終わっちまったけど、俺はあんたに託された金と今や俺しか知らないだろうあんたの名前を抱いてどこまでも逃げ続ける。
 心はあんたと出会った夜の公園に置いてきた。名無しの亡骸と一緒に砂場に埋めてきた。
 再び帰ってくる日まで、俺があんたを殺しいつか各務を殺すだろうあの公園へ戻る日まで、死ぬ気で生き切ってやる。 

 レシートを捨てられなかった醤油じいさんの気持ちが今ならわかる。

 静かに目を閉じ、手に捧げ持った免許証を額に当てる。
 永久に続く懺悔のように。刹那に瞬く祈りのように。 

 最後にナナシの話をしよう。
 優しくてずるくて弱くて意気地なしで嘘つきな、道化になりたくてもなりきれなかった一人のホームレスの話をしよう。
 
 耳の中、鼓膜の裏側をくすぐるように人懐こい声がする。なあ煙草くんないと、屈託なくねだる声がする。
 駅へ向かう途中公園によって、砂場にピースを一箱墓標代わりにそなえてきた。
 中から一本をとりだし火をつけ、深々と一服してから、ナナシの体から流れた血がどす黒くしみこんで乾いた砂に挿した。
 一人見渡す昼の公園は空疎に白茶け寂れて、夜の公園に満ちていた退廃的な非日常性が消え失せて、砂に挿した煙草がひどく場違いで少し笑えた。
 やっぱりいつのまにかやってきた立派な名前の野良猫が、唯一自分に優しくしてくれた名付け親の死を悼むように砂場をぐるぐる徘徊していた。
 いつだったか俺にそっくりと評された野良猫はそのうち徘徊をやめて、ピースの先端から立ち上り空へ消えていく煙を仰ぐ。
 俺は煙草が尽きるまでぼんやりそこに突っ立って、人殺しのがらじゃない祈りを捧げる代わりに、もういない男のまだ残る面影を網膜に刻みつけた。

 墓標に刻む名前はない。
 ただのナナシで十分だ。

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