ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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羊の目(伊集院静)



「この怖ろしい時に一番大切なことは、目を閉じないことだ。目を閉じていたら、それはただの肉の塊になってしまう。
相手の腹が空いていようがいまいが、酒好きの男が目の前の酒瓶を舐めるのと同じだ。
ライオンというものは牙でそいつの腸を味見するものだ。だから目を閉じてはならんのだ」

―綺麗な目だ。赤ん坊の時は皆綺麗な目をしてるんだね。
この目がいずれ汚れるのだろうか。


沈黙者ーサイレントマンと呼ばれる暗殺者がいた。
夜鷹が産み捨てた男児は侠客に育てられ戦後の闇社会を震撼させる存在となった。
  
神埼武美。
血の縁でも肉の縁でもなく、魂の縁を結んだ一人の親に忠誠を捧げた男の壮大で過酷な物語である。
昭和の時代、貧窮の中で身を売り夜鷹と蔑まれた母から産まれた赤ん坊は、せめて腹を痛めた子だけでも苦境から救おうとした女の機転により、浅草を仕切る侠客のもとへ預けられる。
侠客・辰三に武美と名付けられ育てられた澄んだ目の利発な少年は、やがて親のためならおのれの死をも厭わず敵を抹殺する、裏社会で畏怖と畏敬を一身に集める暗殺者へとなっていく。

戦前・戦中・戦後、激動の昭和を苛烈に駆け抜けた男の数奇な人生。
武美はどこまでもひたむきに辰三を親と仰ぎ献身を捧げる。 
辰三に仇なすものは容赦なく葬り去り、辰三が死ねといえば過たず死ぬほどの忠誠を誓う武美の姿は切ない。
しかし武美の目はどれだけ人を殺しても汚れない。決して濁らない。
辰三の命により背中に彫った獅子とは裏腹に、どれだけ手を血に染めても、その目だけは生まれ持った純粋さを失わず澄み続ける。

柔和で清冽な羊の目。
武美は我欲から人を殺めた事は一度もなかった。常に辰三ただ一人のために殺し続けた。
だからその目はそんなにも澄んでいるのか。
時代は変遷する。戦争が起きる。武美もまた招集され、フィリピンの戦地に送られる。

この話は武美と関わった人物の視点で一章が語られる。
中でも「ライオンの舌」がよい。フィリピンの戦場に送り込まれたさる米兵は、瀕死の自分を救った、背中にライオンを彫った男を捜し続ける。
死者の尊厳さえも残酷に踏みにじられる過酷な戦場において、背中に獅子飼う澄んだ目をしたその男は敵の亡骸を冒涜せず、兵士を救った。
ゴッドファーザーの曽祖父を持ち、コーザ・ノストラの流れを汲むマフィアの出の兵士は、背中に獅子の刺青をもつ男の情報を追いもとめ日本に渡り、自分たちマフィアと似て非なる「侠客」のあり方を知る……。

静かで端正な文章が生み出す情緒と叙情が、まるでさざなみのようにひたひたと心をひたす。

武美は激動の昭和を生きる。
自分を拾い育てた辰三をけなげに親と仰ぎ、どこまでもどこまでも尽くし続ける。
艶気を含む声、中性的な影のある美貌、女肌で端正な若者。
見目の麗しさよりも彼をいっそう鮮烈に印象付けるのは、血に穢れ、幾多の修羅をくぐりぬけたとは到底思えぬ羊の目だ。
昭和の侠客を扱った物語というと他に浅田次郎「天切り松闇がたり」が浮かぶ。
しかし「羊の目」ではそれ以降、第二次大戦が終わり闇市全盛の混沌の時代から復興し、高度経済成長で隆盛を極めるまでが語られる。
静謐な文章。
美しいの一語に尽きる。
武美が背中に獅子の刺青を入れるシーンの色っぽさには恍惚のため息。
男でさえ惑わす艶気と男気を併せ持った神崎武美という独特で秀逸な人物造形が、昭和の闇の物語を引き立たせている。
武美は辰三のために兄弟までも殺し刑務所に入れられ、そこで先住の老人を師に暗殺術を学ぶ。

沈黙者ーサイレントマン、神崎武美。
静かなる暗殺者。
神を信じず、唯一の親だけを信じ仰ぐ無垢で孤独な羊。 

彼の本質は獅子の皮を被った羊なのか、羊の皮を被った獅子なのか。
武美は知らない。いや、本当は知っているのかもしれない。
辰三が奉仕に値せぬ酷薄な親であると。
男気あふれる侠客の看板の裏で卑劣で汚い手段を用い、杯を酌み交わした兄弟をも殺し裏切りのしあがってきた辰三に、しかし武美は実の親子よりも深く切実な情愛を感じている。
武美の生き方は、とても痛い。
常人ならば到底たえきれぬほどの真っ黒な孤独に覆われている。
信頼していた親に売り渡され、何度となく死地に陥り、命からがら逃げ出し海を渡っても刺客が追ってくる。
リトルトーキョーに逃げた武美の唯一心安らげる時間は、勤め先の妻と娘に連れられ初めて行った教会で、牧師と対話するとき。

「私は神を信じません。 
私が信じるのは親だけです」

侠客の物語である。
おそるべき暗殺者の物語である。
あまりに哀しい男の物語である。

羊の目をしながら群れからはぐれ、羊として生きられず、一匹の獅子として修羅に身を投じた武美。
売られ裏切られ遠い異郷の地に身をひそめても一途に辰三を信じ、辰三の為にできることを模索し続ける生き様に胸が苦しくなる。

神とは、救いとは。
昭和の闇の永きを彷徨する孤独な魂は救われたのか。  
武美にとって親は、辰三はすべてだった。自分の命を引き換えても惜しくはない絶対的な忠誠と信望の対象だった。
しかし親は衰え、武美を使い捨ての駒とし、長年の忠誠の報いとしてはあまりに非道な仕打ちを加える。

辰三が愛する病床の女を母と慕った幼い頃、庭に咲き乱れる木槿の無垢な白さ、美しく清らな観音像の横顔が武美の瞼裏に去来する。
だれかの優しいぬくもりにおぶわれ見た隅田川の舟明かり、赤い牡丹咲く境内、仲見世で賑わう浅草寺……

胸が痛い。
私に武美を悼む資格はないけれど、孤独を孤独と知らず人を殺し続けた彼に救いが訪れればという祈りは許されるだろうか。
 
どうか救われてほしい。
神も親も救えぬ孤独な魂ならばこそ、一抹の慈悲が欲しい。
 
死に損ねることは生き損ねることによく似ている。
生死の境を漂う武美が最後に見た情景がすべてを象徴しているようで、目から涙が零れた。 

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