ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十一話

 鈍い音、上から下へと垂直に伝わる衝撃。
 「?」
 天井中央から裸電球が吊り下がる房の真ん中、単調な生活に不可欠な日課、般若心境の写経に臨もうと脇に硯を置き、今まさに墨を擦ろうと腕を手前に引いたサムライが振り向く。
 裸電球の下で端然と正座していた男と振り向きざま視線が衝突、房に足を踏み入れようとした瞬間の姿勢で一時停止を余儀なくされた僕は非常にばつが悪い。
 「……なにをしているんだ?」
 「見ればわかるだろう、木刀を持ってきたんだ」
 表情の読み取りにくい一重の双眸を眇めたサムライに腹立たしげに返す。肩に担いで持ってきた木刀の先端が鉄扉の上部に衝突、木刀に釣られるかたちで足だけ前進した滑稽な光景をサムライに目撃された事実に屈辱感を味わう。
 鬱積した屈辱感はすぐにこの不条理な出来事に対する怒りに変じ、その矛先はサムライへと転じた。大仰なリアクションも驚きの声もなく、遠目に物珍しいものでも眺めるかのような泰然自若とした態度が癇に障るのは複雑な感情の裏返しだろうか。僕はサムライと対等になりたいと、彼の助けを借りなくても東京プリズンで生き抜けるほど強くなりたいと望んでいるのに今またこんな醜態を晒してしまった。
 軽く咳払いし、鬱陶しくまとわりついてくるサムライの視線を蜘蛛の糸でも払うかのように手で薙ぐ。背後でバタンと扉が閉じ、鈍い響きを残す。不届きな侵入者を警戒して後ろ手に施錠するのも忘れない。今度は天井に突っかかったりしないよう木刀の先端を水平よりやや下向きに小脇に抱えサムライに接近。うろんげな顔で僕の一挙手一投足を見守っていた男の前に無造作に突き出す。
 「五十嵐からの預かり物だ」
 五十嵐の名前をだした途端サムライの顔にわずかな変化がおきた。
 喜怒哀楽の欠落した鉄面皮にかけては僕以上に定評があるサムライの目をかすめたのは淡い感情の波紋、驚き、そして今ここにはいない五十嵐に対する律儀な感謝の念。体前に仰々しく両手を突き出し、押し拝むように木刀を受け取る。会釈するように頭を下げ、両の手にしっかりと木刀を掴んだサムライを自分のベッドに腰掛けて黙って見守る。
 そのまま暫く何かを確かめるように真剣な眼差しで木刀を凝視していたサムライがおもむろに鍔に手を添え、裸電球の光に木刀を翳す。
 裸電球の光を弾いた木刀が白く発光し、その眩さに目を細める。
 「いい木刀だ」
 ……まず何から聞けばいいのだろう。
 陶酔したように手中の木刀を凝視するサムライの横顔を仰ぎ、質問に優先順位をつけて口を開く。
 「五十嵐とはどんな関係なんだ?」
 木刀を握ったままサムライが振り向く。その視線が心を落ち着かなくさせる。なにもかもを見透かすような針の眼差しなのだ、半年前、初対面時に木刀をつきつけられたときは本気で斬られると錯覚した。
 「敢えて言うほどの仲ではない」
 「知りたいんだ」
 そう言われると聞きたくなるのが人間心理じゃないか?
 「……お前は少し勘違いしてるようだがなにも五十嵐と俺が特別個人的に親しいわけではない。五十嵐は囚人皆に慕われている」
 「東京プリズンに囚人全員に慕われるような人徳者がいたとはな」
 「地獄に仏、東京プリズンに五十嵐」
 冗談を言ってるのかとまじまじと横顔を見つめてしまったが淡白な表情からはその内心まで読み取れなかった。
 友人になっても相変わらずよくわからない男だ。
 「五十嵐は囚人の物品調達係だ」
 木刀を水平に寝かせてその色艶にすみずみまで見惚れていたサムライが平板に呟く。
 「五十嵐はとかく囚人に親身に接してくれることで評判だ。他の看守のようにおのれの憂さを晴らすためという愚にもつかん理由で囚人を虐待したりはしない、それどころか同僚の暴走行為を止めようと介入したことさえある。タジマがお前の手紙を燃やしたとき直前まで止めようとしていたのが五十嵐だ」
 「知ってる。本人の口から聞いた」
 「そうか。礼は言ったか」
 「言うわけないだろう」
 ひどく侮辱された気分だ。実際は礼を言ったのだが、サムライに真相を知られるのは自尊心の危機だ。間髪入れずに否定した僕をそっけなく一瞥、ふたたび正面に向き直り、木刀の握りを調整しはじめたサムライが続ける。
 「囚人に同情的な五十嵐にかけあえば大概のものは利便をはからって調達してくれる。もちろん他の看守には秘密裏にだが、五十嵐はその点寛容だ。よほど物騒なものや人を傷付ける危険性がある凶器は例外として囚人が心底欲しているものなら同僚の目を盗んで東京プリズンに持ち込んでくれる」
 「物好きだな」
 素直な感想が口をついてでた。聖人君子を気取っているつもりなのかどうかは知らないが、囚人の希望を聞き入れて物品を調達し感謝されることでささやかな自己満足か優越感にでも浸っているのだろうか?まあ、それで双方が満足するなら外野が口を挟めたことではないが……否、他人事ではない。五十嵐に「恵が入院してる病院の住所を調べてくれ」と依頼した時点で僕は当事者なのだ。
 ロンが掘り当てたオアシスの傍らで「希望」の存在を否定した僕が、その舌の根も乾かないうちに眼前に提示された「希望」に縋ろうとしている。我ながら変わり身が早いことだと自嘲し、表情が苦くなる。そんな僕に気付かないのか、もしくは彼特有の勘の鋭さで気付かないふりをしてくれたのか、サムライは相も変わらず淡白な口調で続けた。
 「俺が五十嵐に依頼したのは木刀だ。二ヶ月前に下水道に流して以降、修行ができずに腕がなまってしまった」
 「たしかに。きみには筆よりも木刀のほうが似合ってる」
 「皮肉か?」
 「一応褒めているつもりだが」
 「お前も何か欲しい物があれば五十嵐に頼め。囚人には無理な物でも数日、遅くても数ヶ月以内には調達してくれる」
 そこで初めて僕に向き直ったサムライが今初めて気付いたといわんばかりにスッと目を細める。
 「なにかあったのか」
 「え?」
 「嬉しそうだな」 
 唐突な指摘に戸惑う。戸惑いは一瞬後には動揺に変じ、動揺を糊塗しようと眼鏡のブリッジに意味なく指を押し当てる。
 「そのしぐさは心が揺れている証拠だ」
 「安田みたいなことを言うな、心理分析は僕の専門だ」
 実際サムライは無関心なふりをして驚くほどよく僕のことを見ている。半年も同じ房で寝起きして同じ時間と空気を共有していればいやが応でも身に染み付いた癖やしぐさを見抜かれてしまうのかもしれないが、まさかサムライに心の内面を見抜かれて本心を言い当てられる日がくるとは思わなかった。
 凡人のくせに、十年早い。
 それ以上答える気はなかったが床に正座したサムライが気遣わしげなまなざしをむけてくるのに辟易し、ベッドに腰掛けた姿勢でため息。膝の上の五指をせわしく組みかえて心を落ち着かせようと努め、口を開く。
 「………五十嵐が、恵が入院してる病院の住所を調べてくれると約束した」
 サムライの顔に驚きの波紋が広がる。自分の身にどんな災いが降りかかろうが明鏡止水の平常心を乱さない鉄面皮の男がこんなに率直に感情を露わににするのは珍しい。何となく面映くなり、表情を読まれるのを避けて俯く。
 「このまえタジマの暴走を止められなかった罪滅ぼしだそうだ。恵の病院の住所を調べて僕に知らせてくれると、僕の手紙を届けてくれると約束してくれた」
 「よかったな」
 柔和な声に顔を上げれば思わぬ光景と直面した。
 一瞬、ほんの一瞬だが、サムライが笑ったのだ。
 こういう時なんて返せばいいんだろう。「ありがとう」?そんな台詞は却下する、僕のプライドに賭けて。二ヶ月前のあれは気の迷いだ、高熱に浮かされて意識朦朧としていたから自分が何を口走ったか自覚がなかったのだ、殆ど。熱が下がって正気を取り戻した今、素面の状態ではとてもじゃないが口にできる言葉ではない。五十嵐に対して礼を述べた時だってバスケットボールに興じる囚人の歓声にかき消されて周囲に聞こえないからこそ言えたのだ、もし周囲の耳目があれば絶対に口にすることなどできなかった。
 『届けてやろうか?』
 五十嵐が遠慮がちにそう申し出たとき、これまで封じていた思いが、強いて忘れようと自己暗示をかけて封印していた恵への感情が堰を切ったように殺到してきて一瞬で理性が押し流された。
 イエローワークの強制労働中に恵のことを思い出さなくなるまで四ヶ月がかかった。手を動かすことに集中していればいやなことはなにも思い出さなくていい、東京プリズンに来た最初の頃、イエローワークの穴掘りに慣れて機械的な作業が苦でなくなった頃は手を動かしながらも終始恵のことを考えていた。今どうしているか、元気にしているか、周りの人間はやさしくしてくれてるか、僕のことを忘れてないか…恵の存在を中心に堂堂巡りしていた思考が虚無に呑まれ、頭の中心に真空が生じるまでにそう時間はかからなかった。
 いつまでも未練を引きずっていてもしかたがない。
 推敲に推敲をかさねてあたためていた恵への手紙がタジマに燃やされたと知ったとき、僕はそう自覚した。恵のことは今でも大事だ、今まで僕の存在を支えてきたたったひとりの妹を、この世で唯一僕が心を許した人間のことを忘れ去れるわけがない。
 どんなに辛いことでも無かったことにすることはできない。
 たとえそれがどんなに苦痛と悔恨と慙愧をともなう記憶でも僕が生きているかぎり永久に葬りさることはできないのだ。
 僕はこれまで裏切られ続けてきた。
 恵が僕を必要としているという甘い幻想に裏切られ、恵に手紙が届くかもしれないという希望を踏み躙られ、それでもなお心の奥底では一縷の希望を捨て去ることができずに恵の夢を見て夜毎うなされる自分に幻滅し。
 『箱の底にあるのは希望を偽装した絶望じゃないか?』  
 耳によみがえるのは疲れたような諦観が滲んだ自分の声だ。
 東京プリズンに来てから僕は常に裏切られ絶望し続けてきた。期待は踏み躙られる為に、希望は打ち砕かれる為にのみ存在するのが東京プリズンの常識だ。そして期待が裏切られたあとにやってくるのはさらなる落胆、希望が潰えたあとにやってくるのはさらに深い絶望。光を目印に暗闇を這い上がったぶんだけ、まえぶれなく光をとりあげられた人間はもっと深い絶望の底に突き落とされる。
 だから僕は期待するのはやめたのだ、みっともなく縋り続けるのはやめたのだ。
 東京プリズンの苛酷な環境に順応し、同じ班の人間のいやがらせに対処法を編み出し、反射神経を磨いてシャベルも避けられるようになった。希望なんてありもしないものにすがりつづけるのはやめて現実を見ようと、この救いのない現実と折り合いをつけて何とかやっていこうと、何とか生き抜いていこうと自分に言い聞かせて。
 『箱の底にあるのは希望を偽装した絶望じゃないか?』
 あれはロンに対する皮肉ではない、自戒の言葉だ。
 僕は本当に虫がいい人間だ、唾棄すべき最低の人間、最愛の妹からも軽蔑されて死ねと願われるような人間だ。それでもまだ心の奥底で必死になって恵に許される可能性をさがしてる、もし東京プリズンで生き抜くことができればいつか、いつの日か恵と再会できることができるんじゃないかと、恵がまた僕のことを受け入れてくれる日がくるんじゃないかと渇望している。
 そんなことありはしない、絶対に。
 でも、五十嵐の言葉ですべてが一変した。
 五十嵐は恵の住所を調べてくれると力強く請け負ってくれた、もしそれが現実になれば、僕のもとに恵の住所がもたらされば僕は恵に手紙を書くことができる。いつかサムライが言ったように、今の僕の嘘偽りない気持ちを恵に知ってもらうことができるのだ。届けることができるのだ。

 今度の手紙はちゃんと届く。
 僕はまた、恵とつながりがもてるのだ。

 「今日、イエローワークの砂漠で井戸が沸いたんだ」
 脈絡なく呟けばサムライが妙な顔をする。サムライと目を合わせて本心を読まれるのを避け、俯きがちに吐露する。
 「掘り当てたのはロンだ。斜に構えてはいたが彼は本当に喜んでいた。そのとき僕も一緒にいた、ロンが喜んでいるのがわかって、長いあいだの苦労が報われて希望を見出したのがわかって、つい言ってしまったんだ。パンドラの箱の底にあるのは希望じゃなくて絶望じゃないか、と」
 サムライは要領を得ない顔をしていたが、それでも真摯に僕の言葉に耳を傾けてくれるのが寡黙な雰囲気でわかった。
 膝の上でにぎりしめた指に力をこめ、衣擦れにかき消えそうな小声で呟く。
 「………彼には少し、ほんの少しだが、悪いことをしたと思わなくもない」
 大人げないな、僕は。
 天才は謙虚にならなければいけないのにあの時僕はロンに反発してしまったのだ。希望を抱いてもどうせすぐに裏切られるのに僕より長くここにいてそんなこともわからないのかと、まだわからないのかと、到底やりきれない焦燥感で胸が塞がって水も喉を通らなくなった。
 でも。五十嵐の一言で、たった一言で、ロンを笑えなくなってしまった。
 今度こそ報われるんじゃないかと、恵への手紙は届くんじゃないかと、僕がこれまで東京プリズンで過ごした苦難の日々は決して無駄じゃなかったとそう信じたいのだ。 
 「大丈夫だ。きっと届く」
 ゆるやかに顔を上げ、サムライを見る。木刀を体の脇におき、経典を寛げ、筆をとる。その横顔がいつもより優しく見えて、角がとれた微笑の名残りすら漂っているように見えて俄かに落ち着かなくなる。目のやり場に困ってふと視線を落とせばぬれたスニーカーが視界に入る。生渇きの不快感が足裏を圧迫してくるのに顔をしかめ、独り言を言う。
 「明日もイエローワークの強制労働があるのに参ったな」
 「明日は強制労働はないぞ」
 「え?」
 サムライを見る。筆の動きを止めたサムライがまじまじと僕の顔を見つめている。
 「聞かされてないのか?明日は新規部署発表の日だ」
 「聞いてない」
 「東京プリズンでは半年に一度部署替えが行われる。半年間勤勉に勤め上げた者は軽い部署に移され素行が悪かった囚人は重い部署へと回される。勤務態度が可もなく不可もなかった囚人はもとの部署に残留することが多いがどこまで本当かわからない、ある程度は勤務態度の良し悪しで決まると言っても内実はランダムだからな」
 知らなかった。ということは、明日でイエローワークから解放されるかもしれないのか?
 そう考えると半年間、何の意義も喜びも見出せなかったイエローワークの肉体労働がやけに感慨深く思い起こされる。僕は僕なりに一生懸命イエローワークを勤め上げたつもりだが、生来の体力のなさが災いしてあまり仕事に貢献してたとはいえない。
 イエローワークから格上げされて別の部署に移れるかもしれない、などと分不相応な望みはもたないほうが無難だろう。
 恵に手紙が届くかもしれないとわかっただけで十分なのだから。
 「ところでサムライ」
 「なんだ」
 「今朝、食事中、僕がなにをしてるか見なかったよな」
 「なにをしてるもなにも、食事中に飯を食べる以外になにをする?」
 「そうだ、食事を食べる以外になにをするんだ?ごくたまに天文学的確率でいいことを言うな、きみは」
 どうやらバレてないようだ。心底安堵してため息をつき、そっと手をのばしてひらべったい枕を撫でる。
 サムライに真相が発覚しないうちに早々と『これ』を返し、九巻を借りてこよう。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060226074109 | 編集
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