ロールシャッハテストB

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主要登場人物紹介

第一章
鍵屋崎 直
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
十五話
十六話
十七話
十八話
十九話
二十話
二十一話
二十二話
二十三話
二十四話
二十五話
二十六話
二十七話
二十八話
二十九話
三十話
三十一話
三十二話
三十三話
三十四話
三十五話
三十六話
三十七話
三十八話
第二章
生き残るために
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
十五話
十六話
十七話
十八話
十九話
二十話
二十一話
二十二話
二十三話
二十四話
第三章
とどかない手紙 ゆずれない想い
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
十五話
十六話
十七話
十八話
十九話
二十話
二十一話
二十二話
二十三話
二十四話
二十五話
二十六話
二十七話
二十八話
二十九話
三十話
三十一話
三十二話
三十三話
三十四話
第四章
ブラックワーク
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
十五話
十六話
十七話
十八話
十九話
二十話
二十一話
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二十四話
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二十七話
二十八話
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三十話
三十一話
三十二話
三十三話
三十四話
三十五話
三十六話
三十七話
三十八話
三十九話
四十話
四十一話
四十二話
四十三話
四十四話
四十五話
四十六話
四十七話
四十八話
四十九話
五十話
五十一話
五十二話
五十三話
第五章
ペア戦序盤
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
十五話
十六話
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十八話
十九話
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二十一話
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二十九話
三十話
三十一話
三十二話
三十三話
三十四話
三十五話
三十六話
三十七話
三十八話
三十九話
四十話
四十一話
四十二話
四十三話
四十四話
四十五話
四十六話
四十七話
四十八話
第六章
ペア戦中盤
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
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十話
十一話
十二話
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二十九話
三十話
三十一話
三十二話
三十三話
三十四話
三十五話
三十六話
三十七話
三十八話
三十九話
四十話
四十一話
四十二話
四十三話
四十四話
四十五話
四十六話
四十七話
四十八話
四十九話
五十話
五十一話
五十二話
五十三話
五十四話
五十五話
五十六話
五十七話
五十八話
五十九話
六十話
第七章
ペア戦終盤
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
十五話
十六話
十七話
十八話
十九話
二十話
二十一話
二十二話
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三十二話
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六十一話
六十二話
六十三話
六十四話
六十五話
六十六話
六十七話
六十八話
六十九話
七十話
七十一話
七十二話
七十三話
第八章
罪重ねる約束
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
十五話
十六話
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十九話
二十話
二十一話
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三十七話
三十八話
三十九話
四十話
四十一話
四十二話
四十三話
四十四話
四十五話
四十六話
第九章
太刀帯びる時
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
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十六話
十七話
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十九話
二十話
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二十四話
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二十九話
三十話
三十一話
三十二話
三十三話
三十四話
三十五話
三十六話
三十七話
三十八話
三十九話
四十話
四十一話
四十二話
第十章
朋友邂逅
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
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三十一話
三十二話
三十三話
三十四話
三十五話
三十六話
三十七話
三十八話
三十九話
四十話
第十一章
陰謀
一話
二話
三話
四話
五話
六話
七話
八話
九話
十話
十一話
十二話
十三話
十四話
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十六話
十七話
十八話
十九話
二十話
二十一話
二十二話
二十三話
二十四話
二十五話
二十六話
二十七話
二十八話
二十九話
三十話
三十一話
三十二話
三十三話
三十四話
三十五話
三十六話
三十七話
三十八話
三十九話
四十話
四十一話
四十二話

番外編
koneko.giftatineko-l.gif無意識な10のお題
*全部ネタバレにつき本編最新話まで読了後推奨 

● 爪噛み 直 

● 泳ぐ視線  安田

● 鼻歌

● 妄想 タジマ R18

● 唇を噛む ロン

独り言 静流

● 呼吸 レイジ

● 瞬き

● 髪を梳く サムライ

● 自分の癖 ヨンイル

番外編
● 「売春班の記録」 1  R18
(性描写あり/SM/調教/拘束/手錠/玩具/言葉責め)R18

● 「売春班就労前身体検査」
(性描写あり/強制自慰/視姦/羞恥/言葉責め)R18

髪切りの亭主

天にまします我らが父よ

天体観測

シャワー室の攻防

調教R18

この色のない世界で

ロシアより愛をこめて

ロールシャッハテスト

貴方の靴はウォッカの味

サイレントベイビーR18

三千世界の鴉を殺し

サウダージ

図書館戦争

フライ・ドラゴン・フライ

唇に毒を塗り

繭の中の天使

靴紐ロジック

ヒメゴト

メイドアタックシンドローム~あるいは道化の白昼夢~(本編十二章一話読了後推奨)

クロイツェル・ソナタR18

プリティ・プリズン・ガーディアン 1 (未完)

侍とネコ

王様とネコ(未完)

つがいの刃

ラブリーベイビーモルモット

天国まで何マイル

睫毛走る墨の色

下剋上前夜R18

うつりにけりないたづらに

感染経路





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オリキャラに質問
直編
直編2
ロン編
サムライ編
レイジ編
ヨンイル編
ヨンイル編2
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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060616190605 | 編集

 「起きろ」
 肩を揺さぶられ、目を開ける。
 視界を占めているのは地平線の彼方まで広がる無辺大の砂漠、じりじり高度を下げ始めた灼熱の太陽という、目を瞑る前とそれほど大差ない光景。砂を含んだ風がシャツの裾を音高くはためかせ、後方へと飛び去ってゆく。
 砂漠の真ん中を走るジープの荷台に揺られていると気付いた僕は、次の瞬間口を開く。
 「汚い手で触れないでくれたまえ」
 最前まで僕の肩を揺さぶっていたのは、荷台に同乗していた若い看守だった。看守は一瞬ぽかんとした。間抜け面だ。こいつの知能指数は高くないだろう。馬鹿が伝染ると困るから、肩を揺すって手を振り落とす。僕は中指で眼鏡のブリッジを押し上げると、低能な看守を冷ややかに一瞥した。
 「こ、この野郎……!」
 馬鹿のごたぶんに漏れず、この看守は血の気が多い。腰に下げた警棒をひっ掴み、風切る唸りとともに僕の頭上へと振り上げる。衝撃。頬をしたたかに殴りつけられ、背後に手をつく。僕の頬を殴打した看守は、未だ怒りが冷めやらぬらしく浅く肩を上下させている。切れた唇を手の甲で拭い、目の端で看守を見る。自他ともに認める生意気な面が気に食わなかったのだろうか、看守の顔が醜悪に歪む。
 「なんだその目は…看守様になんか文句でもあんのか!?」
 弛んだ頬肉を波打たせた看守が、唾をとばして咆哮する。堂に入った巻き舌で恫喝されても僕は動じない。硬度を増した針の視線で、煩わしげに看守を一瞥する。まったく、これじゃどちらが犯罪者かわからない。わざとらしくため息をつき、看守から目を逸らす。
 「文句などない。強いていえば……ああ、唾が飛ぶからこれ以上口を開かないでくれないか。不愉快きわまりない」
 至極当然のことを指摘したまでなのだが、僕の良識ある忠告は看守の逆鱗に触れたらしい。看守は満面を朱に染めるや、激昂して警棒を振り上げた。手垢の染みた警棒が鋭く風を切り、無防備な眉間へ振り下ろされる。
 「そのへんにしておけ」
 制止の声は運転席からだ。半身を捻り、剣呑な半眼で運転席を睨む看守。運転席でハンドルを握っていたのは、くわえ煙草の男。垢染みた作業着を羽織り、眠たげな目でハンドルを操作している。
 「……なんでだよ」
 看守は不満そうだ。運転手を睨む目が鋭さを増す。ハンドルに顎を乗せた運転手はおどけたように肩を竦めた。無精髭の散った顎を掻きながら、欠伸まじりに付け足す。
 「お前さん知らねえのか。その小僧はVIPだぜ。丁重に扱わねえと上からお叱りを受ける」
 「VIPだあ?」
 運転手はハンドルを回しつつ、面倒くさそうに説明する。
 「万一そいつの頭をぶん殴ってみろ。IQ180の超高性能の頭脳がイカレちまったら、お前、どう責任とるつもりなんだよ?」
 看守の顔色が豹変した。顔面蒼白になった看守が、磁石の両極が反発するように僕から距離をとる。彼も漸く気付いたのだろう、僕がただの「囚人」ではないということに。
 不規則に跳ねる荷台の上、未舗装の砂利道を疾駆する一台のトラック。延延と砂丘が連なる無味乾燥な光景を眺めていると、時間の感覚が狂ってくる。

 遠い昔、この砂漠地帯は東京の中心として都市の中枢機能を一手に担い、大いに栄えていた。世界有数の大都市として繁栄した首都・東京だが、二十一世紀初頭に起きた度重なる地震とそれに伴う地殻変動により様相は一変し、後には広大な砂漠が生まれた。
 かつて東京のシンボルとして一億二千万の民に仰がれた東京タワーも半ばまで砂に埋もれ、無残に風化して久しい。砂漠と化した旧首都の周縁にサークル状に広がっているのは、低所得層のスラムである。スラムを構成する住民の大半は、不法滞在の外国人で占められる。出稼ぎ目的で日本に渡ってきた外国人とその子孫は、戸籍をもたない二世三世として今も増殖を続けている。
 だから、隣に座る馬鹿がこう問い掛けてきた時も僕は特に反応を示さなかった。

 「お前、日本人か?」
 「……国籍は日本、戸籍上の両親も日本人だが」
 隣で胡坐をかいていたのは、品のない馬面の少年。
 護送中の退屈を紛らわすためか、唯一会話が成立しそうな僕に話題を振ったのだろう。僕を除く面子は、会話以前に意思の疎通さえ怪しいからだ。荷台の隅で膝を抱えているのは、がりがりに痩せ細った貧弱な少年。血の気の失せた唇から連綿と漏れているのは、陰にこもった不明瞭な呟き。
 意味不明な繰り言は自分の世界に閉じこもっている証拠であり、会話が可能な精神状態でないことは一目瞭然だ。
 少年の対角線上で憮然と押し黙っているのは、先刻の看守だ。仏頂面で腕を組み、我関せずとむすっとしている。看守の顔色を上目遣いに探りつつ、馬面の少年が問いを重ねる。
 「お前、純血種?」
 「あまり好きではない呼び方だ」
 辟易する。第一印象を裏切ることなく、この少年は頭が悪そうだ。予感が確信に変わるまで、0.5秒しか要さなかった。
 「ついてるぜ、お仲間発見だ」
 同類を発見した喜びに、少年の顔が輝く。少年はなれなれしく僕の肩を叩くと、立て板に水とまくし立てた。
 「俺は石動ダイスケ。もちろん純血種の日本人だ。曽祖父の代まで遡れるぜ。しっかし奇遇だな、刑務所に向かうジープの上でいまやごく少数となったお仲間に巡り会えるなんてよ」
 汚い手で触るなという言葉が喉元まで出かけるが、自制心を総動員して堪える。その代わり、肩口に乗った手をよそよしく払いのけ、機械的に口を開く。
 「私語は厳禁だ」
 「かてえこと言うなって」
 ダイスケが怖じる気配は無い。それどころか、ますます調子に乗って続ける。
 「で、お前、なにやったの?」
 「……」
 下世話な好奇心を露わにして、ダイスケが尋ねる。沈黙。
 「……君はなにをしたんだ?」
 問いに問いを返すのは核心をはぐらかす常套手段だ。僕の睨んだとおり、ダイスケは嬉々として語り始めた。
 「強盗だよ。スラムの奴らを標的にしてたからアガリは大したことなかったけどな……これでもふたり殺ってるんだぜ、おれ」
 殺人・強盗か。目新しくもない。僕の内心を見抜いたのだろうか、ダイスケが再び質問の矛先を向ける。
 「で?お前はなにやってとっつかまったんだ」
 「『尊属殺人』」
 喘ぐように口を開いた僕の語尾を奪ったのは、それまで隅で胡坐をかいていた看守だった。胸の前で腕を組んだ看守が、下劣な笑みを満面に湛え、僕とダイスケを交互に見比べる。
 『尊属殺人』
 その一言が与えた衝撃は、静かに大気中に浸透していった。固唾を呑んだように押し黙るダイスケ、隅で膝を抱えていた少年が鞭打たれたように蒼白の顔を起こす。ハンドルを握った中年男が、聴覚に全神経を集中させているのがわかる。乾いた風が顔面を叩き、ざらついた砂がシャツの内側へと忍び込む。襟に指をひっかけ、上下に揺する。
 僕は小さく歎息した。
 「……よくご存知ですね」
 別に隠すつもりもなかったが、自発的に暴露することでもないだろう。くぐもった声で看守が笑う。卑屈な笑い声が風に乗じ、遥か後方へと飛び去ってゆく。
 看守の笑い声にも特段反応を示すことなく、僕は常と変わらぬ無表情で虚空に目を馳せる。
 「……マジかよ」
 無防備な鼓膜を叩いたのは、狼狽しきったダイスケの声。最前まで一方的な親近感に満ち溢れていたその声が、真相を知った今では抑圧しがたい嫌悪に隈取られている。ダイスケの顔は醜くひきつっていた。不自然な角度につりあがった口角は笑顔未満の笑顔のようにぎごちなく、滑稽である。
 ダイスケは穴の開くほど僕を凝視していたが、やがて、嫌々するように首を振る。
 「……イカレてやがるぜ、お前」
 お前のような低能に指摘されなくてもわかっている。
 胸に沸いてきた反発を、理性の力でねじ伏せる。ダイスケが言う通り、僕はイカレている。尊属殺人とは肉親に対する殺人罪……両親を殺した罪で刑務所送りとなった僕は他の囚人から異端視され、敬遠されるだろう。
 事実、ダイスケはもう僕とは目もあわせようとしなかった。

 うるさい蝿がいなくなってせいせいする。

 溜飲をさげた僕は、ふと前方を仰ぐ。砂漠の真ん中に敷かれた砂利道を疾駆していた無骨なジープ、不規則に弾む荷台に揺られていた囚人三名と看守二名。その全員の視線が、遥か前方へと注がれる。

 前方に隆起してきたのは、有刺鉄線で囲われた灰色の影。針で突いたような極小の点が次第に大きくなり、質量と体積を兼ねた巨大な建造物がその全貌を現す。
 鋼の茨を備えた鉄線が地平に沿って延延と伸びている。起伏の激しい砂利道をトラックが進むにつれ、皆が無言になる。僕も例外ではなく、視界を圧する建造物の威容に声を失っていた。
 コンクリート打ち放しの矩形の建物が数棟、有刺鉄線の向こう側に配置されている。それぞれの棟は渡り廊下でつながれており、さながら難攻不落の要塞か幾何学的な図面の迷路をおもわせた。
 緩やかに傾斜した坂道を登る。タイヤが砂利を噛む耳障りな音。目の前に隆起したのは、不動の存在感を持つコンクリートの砦だ。夕闇の迫った空を率いた灰色の砦は、久遠の歳月を経て石化した巨大な怪物の亡骸にも見えた。

 ここが東京プリズン。
 そう遠くない将来、僕の墓場となる場所だ。
 
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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060615233422 | 編集

 『囚人護送車№12到着、ゲートを開けてくれ』
 片手でハンドルを操作しつつ、無線機へと口を近づける運転手。運転手の呼びかけに応じ、前方のゲートが開く。ゲートの横には監視塔があり、この仕事に就いて間もないだろう初々しい風情の看守が二名控えていた。
 「今日到着予定の囚人三人だ。確認してくれ」
 「わかりました」
 窓から身を乗り出した運転手と若い看守が二言三言言葉を交わす。その間にもう一人の看守がジープを迂回し、荷台へと歩み寄る。荷台の隅で胡坐をかいていた年輩の看守がとってつけたように会釈し、若い看守も頭を下げる。
 僕は一目見て両者の関係を理解した。同時になぜ僕らの監視目的で荷台に同乗していた看守がこれほどまでにぴりぴりしているのか、その理由も見当がついた。
 雰囲気でなんとなくわかる。
 ゲート横の監視塔に待機している看守は大学出のエリートで、荷台の看守はそうじゃないのだろう。
 学歴の無い看守は囚人の護送という半日かけて砂漠を越えてくる退屈で過酷な任務に就かされ、大学出のエリートはゲート横の監視塔でジープの進行許可証を出すだけのラクな任務に就いている。ジープが到着するまでは実質的に自由時間であり、茶を呑みながら雑談に興じる優雅な身分の彼らとは対照的に、不規則に揺れる荷台の上で長時間灼熱の太陽に炙られていなければならないみじめな境遇の看守は、僕らに当り散らすことでフラストレーションを発散してるのだ。
 などと思い巡らしていた僕のもとに、ザクザクと砂利を踏む靴音が接近してくる。ぱりっと糊の利いた制服を着用した若い看守が荷台の横で立ち止まり、互いに微妙な距離を隔てた囚人たちをしげしげと眺める。
 「囚人№12319、石動ダイスケ」
 「……」
 名を呼ばれてもダイスケは返事をしなかった。不貞腐れてそっぽを向いている。あまりにわかりやすく子供っぽい態度、幼稚な反発だ。おもわず苦笑しかけた僕の耳に平板な声が響く。
 「囚人№12320、リュウホウ」
 「!」
 リュウホウは過剰に反応した。びくっと顔を上げたリュウホウの顔は蒼白で、呼吸は喘息の発作が起きたように荒かった。虐待された小動物のように卑屈な目で自分を仰ぐリュウホウから視線を外し、リストの文面へと目を戻す看守。
 「次、囚人№12321……」
 事務的にリストを繰っていた看守の手が止まり、感電したように眼球がせりだす。その表情は驚愕と好奇心に隈取られ、見開かれた目には理解不能といった畏怖の念があった。 
 「そうか、お前が……」
 「お前が」なんだって?続く言葉はため息にかき消されて聞こえなかった。放心状態の看守を我に返したのは持ち場に戻った同僚の声だった。
 「確認した。前進を許可する」
 もう一人の看守が大きく手を振りジープを誘導する。リストを抱いた看守が「確認作業終了、前進許可」と言い足し、狼狽したように道の脇に飛びのく。あと一秒遅れていればタイヤの下敷きになっていただろう。
 ゆっくりとトラックが前進する。背後で鈍い音。振り返る。僕の眼に映ったのは嫌悪に歪んだ看守の顔と緩慢に閉ざされつつある鋼鉄製のゲート、その背景に広がる燃え滾る溶鉱炉の夕焼け。
 『もう二度とでることはかなわない』
 ホテルカリフォルニアの歌詞を思い出す。チェックアウトはできるが出ることは叶わない。古い洋楽のフレーズを反芻してると自然と自嘲の笑みが浮かぶ。僕がチェックアウトする予定日は何十年も先だが、その前に二度とこのホテルから出られなくなる可能性の方が高い。
 なにせこのホテルは一度訪問した者は二度と出られないと評判の、万全の警備体制を誇る監獄なのだから。
 絶望的な現実に直面しても、僕は外の世界に未練など感じなかった。
 ただ一つ、例外を除いて。 

 タイヤが軋み、トラックが停まる。 
 不景気なエンジン音が止み、運転席のドアが開く。タラップを踏んで大地に降り立った運転手が大きく伸びをする。
 肩の凝りを揉み解している運転手の横、不機嫌な看守にどやされるがまま荷台から飛び下りるダイスケとリュウホウ。最後尾は僕だ。
 リュウホウの背に続き、荷台から飛び下りる。着地。半日以上ジープの荷台に揺られてたせいか、磐石の安定感を備えた固い地面に違和感を覚える。軽い立ち眩みに襲われたが、看守に悟られるのはプライドが許さない。
 無理を強いて足を運ぶ。看守を先頭にダイスケ、リュウホウ、僕と一列に歩いているとこじんまりしたビルが視界に現れる。周囲の建造物よりひとまわり小さいが、花崗岩の外壁は光沢のある白。小綺麗な外観をした低層のビルは官公庁に相応しく洗練されており、無骨なコンクリートの棟に囲まれ異彩を放っていた。
 看守に先導され正面の玄関へと続くスロープを登る。全員が登り終えたのを見計らい、看守が自動ドアの脇へと歩み寄る。自動ドアの脇に設置されていたのは正方形の液晶画面である。
 液晶画面に掌を翳すと滑るように自動ドアが開く。掌紋照合を終えた看守が中へと進み、後列の僕らも無言で従う。
 室内に一歩足を踏み入れた瞬間、ため息が漏れる。
 空調設備が完全に行き届いた快適な空間、一点の染み汚れもない清潔な白い天井。鏡のように輝くタイル貼りの床には塵一つ落ちてない。
 「ここでお別れだ」
 顔をあげる。僕らを誘導してきた看守がせいせいしたといった口ぶりで言う。ぽかんとした囚人をエントランスホールに残して踵を返した看守は、去り際、意味ありげに僕らを振り返る。
 「もう二度と会うこともねえと思うが、一つ忠告だ。とくにお前」
 看守の人さし指が僕をさす。
 「東京プリズンはただの刑務所じゃない。地獄だ」
 一語一句噛み含めるように看守が言う。その目を漣のように掠めたのは暗い感情ー恐怖。看守は人さし指をおろすと、下劣な笑みを唇の端にたくわえて舐めるように囚人たちの顔を見回した。
 「弱肉強食が東京プリズンの掟。殺られる前に殺るのが常識、犯られる前に犯るのが常識だ。そのことを肝に銘じとかないと一ヵ月後には首くくるはめになるぜ」
 笑いながら自動ドアを抜けてゆく背をいまいましげに見送り、ダイスケが毒づく。
 「……ザーメンくせえマスかき野郎が。あれでびびらせたつもりかよ」
 僕は無言で看守の背を見送っていた。あれはただの脅迫ではない。看守の目を過ぎった感情の波は、決して演技などではない。
 「石動ダイスケ、リュウホウ、鍵屋崎直」
 張りのあるバリトンで名を呼ばれ、反射的に振り向く。廊下の向こうから律動的な歩調で歩いてきたのは、一分の隙なくスーツを着こんだ若い男だ。光沢のある黒髪をオールバックにした若々しい外見は三十代前半にしか見えないが、銀縁眼鏡の奥の怜悧な目はどこか老成した印象を抱かせる。
 男は品よく尖った顎を巡らし、僕らを歓迎した。
 「東京プリズンにようこそ」
 抑揚を欠いた、平板な声だった。感情の揺らぎというものを微塵も感じさせない声の主は、事務的な口調で付け足す。
 「私は副所長の安田だ。これから君たちを所長室に案内する。ついてきたまえ」
 安田の背に控えていた看守が二名、僕らの前後を塞ぐように陣を敷く。囚人の逃走を防ぐための処置だ。最後尾を歩きつつ周囲へと目を走らせる。白く磨かれた床と並行に伸びた白い天井、等間隔に設置された蛍光灯。病院の廊下を彷彿とさせる白で統一された光景が延延と続いている。
 このビルの清掃夫は勤勉なようだな。
 などと感心していると、列が停止した。先頭の安田へと目をやる。安田が対峙していたのは樫材の重厚なドアだ。安田が拳を掲げ、軽くノックする。
 「入りたまえ」
 扉越しに横柄な声が響いた。入室の許可を得た安田は機械的にノブを捻り、滑らかに開いたドアの内側へと進入した。安田に続き、ぞろぞろと入室した一同。最後に足を踏み入れた僕は、豪奢な内装に目を見張る。
 毛足の長い絨毯が敷きつめられた広い部屋。
 右手の壁には蔵書の詰まった本棚があり、左手には最高級の洋酒を並べた飴色の棚がしつらえられている。高価な調度品が配置された書斎の奥、紫檀のデスクにふんぞり返っているのは、恰幅のよい中年男だ。
 革張りの椅子に肥満体を沈めたその男は、見覚えのある紺の制服に身を包んでいた。看守と同じ紺の制服だがずっと金がかかっているらしく、生地に高級感がある。
 その右胸には、金の光沢を放つバッジが威圧的に輝いている。
 所長の印だ。
 「所長、今日到着予定の囚人三名を連れてきました」
 「ご苦労」
 安田の報告に頷き、デスクの前に並んだ囚人を一瞥する。机上に手を伸ばし、バインダーに挟まれた資料を繰る。
 「囚人№12319、石動ダイスケ」
 けだるげに名を呼ばれ、ふてぶてしくダイスケが歩み出る。所長は退屈そうに文面に目を馳せ、眠気をこらえて続ける。
 「練馬区出身。家族構成両親と祖父母。現在16歳。罪状傷害十三件、強盗殺人二件。懲役二十年……次、囚人№12320、リュウホウ。豊島区アジア系スラム出身。家族構成両親。現在14歳。罪状放火八十件、懲役十六年」
 刑期を読み上げるところで、僕の隣に突っ立っていた貧弱な少年ーリュウホウの肩がびくっと震えた。顔面蒼白のリュウホウから視線を転じ、正面を向く。所長は欠伸を噛み殺しながら続ける。
 「次、囚人№12321、鍵屋崎直……ん?」
 眠たげに垂れ下がっていた瞼の奥、精彩を欠いた半眼が俄かに鋭さを増す。針を含んだ視線が冷徹に僕を一瞥し、所長が低く唸る。
 「鍵屋崎………そうか、お前が例の!」
 一瞬にして眠気が吹き飛んだのだろう。所長が上体を起こし、書類の記述とデスクの前に立った僕の顔とを見比べる。数瞬後。野太い息を吐き、所長が身を引く。眠気を払拭した所長は、表情を厳しく改めて告げる。
 「鍵屋崎 直、世田谷区出身。家族構成両親と妹。現在15歳。罪状……両親に対する尊属殺人。懲役……」
 所長が瞼を下ろす。嘆息。
 「八十年」
 ダイスケが驚く。リュウホウも驚く。僕は大して驚かなかった。心の表面は凪のように静まり返っており、直接刑期を告げられても波風一つ立たない。
 八十年。所長の言葉を反芻し、我知らず暗い笑みを吐く。いかに尊属殺人といえど、懲役八十年は長すぎる。余程の理由が無い限り、刑期が五十年を越えることはない。
 つまり、僕が両親を刺殺した裏には「余程の理由」が介在したわけだ。 
 所長は机上で手を組み、淘淘と語り出す。
 「諸君らは罪を犯し、ここ東京プリズンに収監される運びと相成った。君らはここで更生を目指し、同じ境遇の仲間たちと共に自立を目的とした訓練を受けるだろう。その道程は決して平坦ではないが、君らの努力が実を結ぶ日はきっとくる。君らはまだ若い。将来に絶望するのは早すぎる。頑張ってくれたまえ」
 熱っぽい口調でまくし立てる所長に、喉の奥から笑いがこみ上げてくる。一体この男は一日何度同じ演説を繰り返しているのだろう。所長の境遇に同情した僕の鼓膜を、安田の声が叩く。
 「では、これから君たちをそれぞれの房に案内する。ついてきたまえ」
 デスクの脇に端正な彫像のように控えていた安田が、颯爽と踵を返す。きびきびと室内を横切り、光沢のあるノブを捻る。安田の背に促され、踵を返した僕らを所長が呼び止める。
 「ひとつ忠告だ」
 空咳ひとつ、威儀を正した所長が眼光鋭く囚人を睨む。眉間に皺を寄せた所長は机上で手を組むと、絡めた五指の上に贅肉のついた顎を乗せる。そして、たっぷり間をおいてから口を開く。
 「ここから逃げ出そうなど無謀な試みはしないことだ。ここ東京少年刑務所の敷地面積は30キロ平方メートル。その至る所に監視カメラがあり、二十四時間体制で看守が目を光らせている。万一僥倖に恵まれて敷地外に出れたとしても、四方に広がっているのは涯てのない砂漠だ。諸君らは飢えと乾きに苛まれ、己の愚かさを呪いつつ緩慢に死んでゆくだろう」
 脅迫というにはあまりに静かすぎる口調で、淡々と所長は言った。このビルに一歩足を踏み入れた時から勘付いていた。屋内外の至る所に設置された監視カメラの存在、猛禽のように囚人の動向を探る看守の目。今更念を押されずとも、脱走する気など起こりうるはずがない。

 ここは悪名高い東京プリズン。
 
 増加の一途を辿る少年犯罪に頭を痛めた政府が設立した、史上類を見ない敷地面積と収容人数を誇る少年刑務所。
 都内で犯罪を起こした二十歳未満の少年は、まず殆どと言っていいほど東京プリズンに送致される。窃盗などの軽犯罪から強盗殺人などの重罪に至るまで、東京プリズンにはあらゆる罪を犯した少年が収容され、懲役刑を終える時を待っている。
 成人した囚人は郊外の刑務所に護送される手筈になっているが、東京プリズンで二十歳を迎えることができる可能性は極めて低い。東京プリズンはリンチやレイプが横行する無法地帯なのだ。たとえリンチで死者がでても明るみには出ず、闇から闇へと葬られるだけだ。
 東京プリズンに収監された時点で戸籍は抹消されたに等しく、たとえ東京プリズンに送りこまれた囚人が不審な死を遂げたとしても記録に残ることはない。
 『東京プリズンは地獄だ』
 去り際の看守の言葉が蘇る。あれは比喩ではなく、事実である。
 鍵屋崎 直は司直の手により、地獄へと送り込まれたのだ。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060614234246 | 編集

 安田に先導され、奥へと廊下を進む。
 天井には等間隔に蛍光灯が連なっている。ダイスケの後頭部に視線を固定しつま先を繰り出していると、前方に分厚い鉄扉が出現する。安田が立ち止まる。鉄扉の脇には液晶画面があった。液晶画面に手を翳す安田。画面が青白く発光し、重々しい音をたて鉄扉が割れる。
 鉄扉に隔てられた廊下の向こう側には、暗渠をおもわせる湿った空間が広がっていた。コンクリート内話の壁と床、圧迫感のある低い天井。背後で自動的に鉄扉が閉まる。急激な環境の変化に戸惑いを隠せないダイスケとリュウホウが落ち着きなく目をさまよわす。
 安田の視線を追い、振り返る。背後に控えていたのは看守が一人。半透明の手袋をはめた件の看守は、サディスティックな笑みを浮かべ、整列した囚人一同を見渡す。
 これから何が起きるのだろう。
 不安げに顔を見合わせるダイスケとリュウホウ。僕にはこの後の展開がおおよそ予測できた。
 目の端で安田を探る。安田は無表情に口を開き、命じた。
 「服を脱げ」
 「……な、」
 ダイスケが絶句する。自然な反応だ。有無を言わせず服を脱げと命じられ、思春期の少年がはいそうですかと従うはずがない。リュウホウは縋るような目で安田を仰ぐ。だが、安田の顔色は変わらない。霜の下りた絶対零度の眼差しが、レンズ越しに注がれただけだ。
 反発をおぼえた二人とは対照的に、僕は大人しく安田の言に従った。抵抗しても心証を悪くするだけで、僕にはなんの益もない。シャツの裾に手をかけ、一気に上着を脱ぐ。同じ手順で下着を脱ぐと、薄い胸板があらわになる。ズボンとトランクスに同時に手をかけ、踝までさげおろす。股間を外気に晒した僕を見て、あっけにとられたように口を開けたダイスケとリュウホウ。一糸纏わぬ姿になった僕は、局部を隠すことなく体の脇に手を垂らし、心静かに来るべき時を待つ。
 安田は腕を組んだまま、表情一つ変えなかった。半透明の手袋を嵌めた看守は舌なめずりしている。発情した軟体動物のように下唇が貪欲に蠢き、生理的な嫌悪に肌が粟立つ。看守から目を逸らし、自身の生白い胸板を見下ろす。筋肉が発達してない、貧弱な肢体。
 一体こんなもののどこに、目の前の男は興奮しているんだ。
 「膝に手をつけ」 
 いまだ躊躇しているダイスケとリュウホウを半ば無視する形で看守が命じる。僕は大人しくそれに従う。膝頭に両手をつき、腰を落とす。全裸で前屈姿勢をとった僕の背後で、リュウホウとダイスケが激しく動揺しているのがわかる。
 「はやくしろ!」
 凄まじい剣幕で大喝され、リュウホウとダイスケが竦み上がる。湿った暗渠に大音声が響き、鼓膜が殷殷と痺れる。顔面蒼白のリュウホウと頬筋をこわばらせたダイスケは、背に腹は変えられぬと速攻で服を脱ぐ。服の裾に手をかけた瞬間、二人の目を逡巡の色が過ぎるが、看守の眼光に気圧され覚悟を決めたと見える。迷いを振り切るように一気にシャツを脱ぎ、自棄気味にズボンをさげおろしたダイスケの隣では、のろのろ手間どりながら服を脱いだリュウホウが頬を上気させて俯いていた。踝にひっかかったズボンを蹴散らし、丸めたシャツを後方へと投げ捨てたダイスケをおどおど窺い、裸の胸にシャツを抱きしめたまま看守の前へと進み出るリュウホウ。リュウホウに先を越されてなるものかと僕の右隣にやってきたダイスケは、ごくりと唾を呑んで看守の顔色を窺う。足を引きずるように僕の左隣にやってきたリュウホウは、哀れっぽく潤んだ目で安田に同情を乞う。
 みっともない。
 辟易した僕の耳朶を打ったのは、看守の苛立たしげな叱責。
 「なにぼけっと突っ立ってんだ!お前らもそいつを見習うんだよ!今すぐ!」
 要領の悪い囚人に業を煮やした看守がヒステリックに喚き、リュウホウとダイスケがたじろぐ。だが、二人に選択肢はない。看守の命令に従わなければどうなるか、ここに来るまでの道中で体に叩き込まれただろう。観念したダイスケは僕を真似、おずおずと腰を落とす。半泣きのリュウホウもダイスケを真似、尻を後方へと突き出す屈辱的な体勢をとる。
 交尾に臨む雌犬のような体勢を囚人に強いた看守は、いやらしい薄笑いを浮かべてこちらへと接近してきた。囚人の自尊心を完膚なきまでに打ち砕き、体の細胞一つ一つにまで忠誠心を植え付ける為に。
 背後で靴音が止む。耳を澄ます。荒い息遣い。唾を嚥下する音がやけに大きく生々しく響く。僕は視線を床に固定していた。決して背後は振り向かなかった。ひやり、肛門に冷たい手が触れる。肛門にもぐりこむ異物感、無遠慮に襞をかきわける指の感触。普段排泄にしか用を足してない器官に太い指を突っ込まれ、乾いた粘膜を爪でひっかかれる痛みにおもわず顔をしかめる。腸の内壁を緩急をつけて摩擦され、強烈な嘔吐巻がこみ上げてくる。永遠にも続くかに思えた苦痛な時間が終わった時、僕は我知らずため息を漏らしていた。肛門から指が引き抜かれる。体内に覚醒剤を隠してないか確かめるための直腸検査を終えた看守は、肩越しに安田を振り返り報告する。
 「合格」
 安田が頷く。よろしい。全身から力が抜けてゆく。こんなのはまだまだ序の口だと、シャツを着ながら漠然と思う。シャツの裾をおろして臍を隠し、かぶりを振る。ここは東京プリズン。入ったものは二度と出られない。
 そう。ここは屠殺場なのだ。
 最前まで僕の肛門をほじくり返していた看守が、嗜虐的な笑みを浮かべ、ダイスケへと歩を進める。視界の隅でダイスケの顔が醜く歪み、リュウホウの顔に絶望の帳が落ちる。
 彼らもようやく自分たちのおかれた状況を悟ったのだろう。愚かな。

 直腸検査を終えた僕ら一行は暗渠を抜け、地下の廊下を通り、囚人の房がある隣の棟へと向かう。今度は僕が先頭を歩く。二番手がダイスケ、最後尾がリュウホウ。ダイスケもリュウホウも放心状態だった。よほど先刻の直腸検査がショックだったらしい。初対面の他人ーそれも男に肛門を犯されたのだ、無理もない。
僕はというと、まったくショックは受けていなかった。収監前に実施される直腸検査の予備知識はあったし、心構えもできていた。取り乱すほどのことでもない。
 照度を落とした蛍光灯が点々と連なる天井の下、汚れた廊下を縦一列に歩く。暗渠に通される前に歩いた廊下とは違い、地下の廊下はお世辞にも清潔とはいえない。天井から滴った汚水が壁に奇怪な抽象画を描き出している様を横目にしつつ、足を繰り出す。僕の隣を歩いているのは安田だ。細身のスーツを一分の隙なく着こなした洗練された容姿は、もしこの場に異性がいたら十分魅力的に映るだろう。一筋の反乱も許さず撫で付けた髪の下の顔は、端正だがおおよそ表情というものがない。安田の平板な横顔を眺めていたら、ふと虚空で視線が絡まる。
 安田の目はよく切れる剃刀のように鋭利で冷ややかだった。 
 「……なんですか?」
 慎重に探りを入れる。安田は僕の身上を知っているはずだ。なぜ東京プリズンに収監されることになったのか、詳細な経緯を知っているはずだ。もし安田が僕の身上に興味をもっているなら……もっているのだとしても、何も答える気はない。僕が両親を刺殺した動機をあれやこれや他人に詮索され、あることないこと邪推されるのは不愉快極まりない。
 銀縁眼鏡のブリッジを押し上げ、ほんの少しばかり怪訝そうな目で僕を一瞥する安田。
 「……いや。新聞で見た時も思ったのだが」
 安田は何気なく言った。
 「君は、鍵屋崎夫妻のどちらとも似てないな」
 余計なお世話だ。
 眼鏡越しに注がれる体温の低い視線から顔を背け、吐き捨てる。
 「……似てない親子なんてどこにでもいますよ」
 そう。どこにでもいる。そして僕自身、そのことを大いに喜んでいる。高圧的な父と自己中心的な母。戸籍上の両親どちらとも容姿の類似点がないことが、これまで僕の自尊心を支えてきたのだから。 
 「……たしかに」
 安田が呟く。独り言に近い口吻で繰り返す。
 「似てない親子など、どこにでもいるな」
 納得したのか否か、安田はそれきり関心を喪失したように前に向き直る。僕は安田の隣に並び、黙々と足を繰り出す。この男、何を考えているのかわからない。注意深く安田の横顔を探る。線の細い、神経質そうな面立ち。品よく尖った顎とそれを支える首は、男にしておくのがもったいないほど白い。力仕事とは縁のない人生を送ってきた、ホワイトカラーの象徴たる繊細な五指。今の日本ではごく限られた特権階級しか身につける機会がないスーツは、一瞥しただけで外国のブランドに特注したものだとわかる。つま先から脳天まで札束で磨きぬかれたインテリ特有の選良意識を一挙手一投足に漂わせているが、時折その目を過ぎる光は霜の張った剃刀のように冷徹だ。
 安田の横顔を仔細に観察している僕の背後、ダイスケを挟んだ列の最後尾でリュウホウがぶつぶつと呟いていた。東京プリズンに護送される道中も、リュウホウは意味ある言葉を発することなく、熱に浮かされたように不明瞭なうわ言を繰り返していた。長時間極度の緊張状態におかれ、精神に変調をきたしたのだろう。虚空に向けた目の焦点は拡散し、弛緩した唇の端には唾液の泡が付着している。
 リュウホウの前を歩いているのはダイスケだ。直腸検査を終えて後、先刻までの饒舌ぶりが嘘のように暗い顔で押し黙っている。陰気に沈黙したリュウホウとダイスケを省みて、埒もない感慨に耽る。

 こんなのはまだまだ序の口だ。
 僕は地獄の入り口にも辿り着いていない。

 革靴が廊下を叩く規則的な音が、コンクリート打ち放しの寒々しい廊下に反響する。先に進むにつれ、廊下は次第に不衛生な様相を呈してきた。天井に設置された蛍光灯は心許なく瞬き、壁には大小の亀裂が生じている。天井から滴り落ちた汚水が壁を伝い、ひたひたと床に触手を伸ばしている。つま先を過ぎる水の触手を目で追っているうちに、鼓膜に甲高い悲鳴が蘇る。
 『お父さん!』
 『お母さん!』
 つま先を掠めた水流が赤く変色してゆく。あの時と同じ、床を流れた血と同じ鮮やかな赤に。
 瞼の裏側に蘇るのは、恵の顔。極限まで目を剥き、恐怖と憎悪に駆られて僕を糾弾する妹の顔。恵の目に映った自分の顔を思い出すと、心臓が締め付けられるように痛む。

 恵。今頃どうしているのだろう。

 塀の外に唯一残してきた肉親の存在が、僕の心を呪縛する。外に未練などないが、恵だけは別だ。一度に家族を失った恵の心境とこれからを思うと、とても平静ではいられなくなる。恵の生みの親を葬り去ったのはこの僕だが、それは決して恵を哀しませるためじゃない。
 むしろ僕は、恵のために……
 「ここだ」
 靴音が止んだ。鼓膜に浸透する静寂。目を上げる。廊下の行き止まりには巨大な鉄扉があった。天井から床まで達するその扉は黒光りする鋼鉄製で、十分な強度と耐性を兼ね備えていた。鉄扉の前で立ち止まった安田は、囚人たちの度胸を試すように一行を見下ろす。固唾を呑んで立ち竦むダイスケ、がくがくと震え出すリュウホウ。
 僕は白昼夢の余韻に浸ったまま、ぼんやりと安田を仰ぐ。
 「地獄の門を開けるぞ」 

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060613234428 | 編集

 鉄扉の横、正方形の液晶画面へと手を翳す。
 蜂の羽音に似た低い振動が鼓膜を震わせた次の刹那、鉄扉の中心に切れ目が生じる。左右に分かたれた鉄扉から奥へと歩を進める安田。先を譲り合うようにあとじさったリュウホウとダイスケを無視し、僕は安田に続く。背後で鉄扉が閉まる。
 鉄扉に隔てられた廊下は、鉄扉の向こう側とは比較にならないほど荒廃していた。汚れた天井に吊られた蛍光灯の大半は割られ、残りの蛍光灯も寿命の尽きかけた蛍のように危うげに瞬いている。左右の壁一面を埋めているのは、卑猥なスラングや稚拙な落書き。壁の上方に設置された通風口から吐き出された生暖かい風が、湿ったシーツのように頬をなでる。
 もう一つ変化があった。
 廊下の左右に並んでいるのは、無個性な鉄扉の群れ。鉄扉の上部には矩形の窓があり、等間隔に鉄格子が嵌められていた。鉄扉の中央に鋲で固定されたプレートには、無表情な英数字で号数が記されている。
 だが、廊下の変化より何より僕らの目を引いたのは、鉄格子の中からこちらを窺う無数の影ー無数の視線だ。敵愾心と警戒心を同量に含んだ剣呑な視線が、鉄格子の隙間から全身に注がれているのがわかる。
 鉄格子に殺到した囚人たちを意図的に無視し、安田は平板な口調で言った。
 「着いた」
 安田は必要最低限のことしか喋らない、効率重視の男だ。安田が立ち止まったのは、廊下の端に位置した鉄扉の前。右の拳を掲げ、安田が機械的に扉をノックする。
 沈黙。
 「……留守にしているようだな」
 安田の呟き。拍子抜けした僕を肩越しに振り返り、安田が言う。
 「鍵屋崎、君の房はここだ。同室者は今留守にしているようだが、先に入っていてかまわない」
 「はい」
 逆らうという発想ははなからなかった。安田は従順な囚人に満足したらしく、踵を返して立ち去ってゆく。リュウホウとダイスケは別の房に案内されるらしい。僕の鼻先を一列に過ぎり、遠ざかってゆくダイスケとリュウホウ。別れの挨拶は交わさなかった。ただ、肘と肘が触れ合う距離にまで接近したダイスケが、極力音量を絞ってこう囁いたのは聞こえた。
 『あばよ、親殺しのクソ野郎が』
 押し殺した声には抑圧しがたい嫌悪と嗜虐心に酔った優越感が滲んでいた。僕に背を向けたダイスケの後方、小走りに列に続いたリュウホウが心細げにこちらを振り返る。僕は何も答えず、リュウホウとダイスケが廊下の角を曲がり隣の棟へと導かれてゆくのを漫然と見送っていた。
 二人の後頭部が完全に視界から消失するのを待ち、手垢に汚れたノブを握る。鉄扉が軋み、内へと開く。薄闇に沈んだ房を見回し、慎重に慎重を期して歩を進める。
 殺風景な部屋だ。
 部屋の両側にしつらえられたパイプベッドのほかに、めぼしい家具調度は見当たらない。奥の壁に固定されているのは洗面台と鏡、床から一段高くなった所に設置されているのは便器か。これから長くを過ごす房を見回してみたが、心浮き立つものはなにもない。
 当たり前だ。ここは牢獄なのだ。
 我知らずため息を漏らす。自分の境遇を哀れむ気は毛頭起こらなかった。これは僕が選択した運命なのだ。第三者に責任転嫁することはできない。だが、こんな陰気な房で早すぎる余生を過ごすことを思うとさすがに気が滅入る。呆けたように房の真ん中に突っ立っていた僕だが、ふと部屋の隅に気配を感じ、暗闇に目を凝らす。
 部屋の隅で蠢く人影。闇に溶けるように蹲ったその人物は、巌のような沈黙を守っている。安田が無人だと勘違いしたのも無理はない。僕も入室してからはじめて、先人の存在に気付いたのだ。目が暗闇に慣れるにつれ、闇に沈んだ先人の姿がおぼろげに浮かび上がる。床にじかに正座したその人物は、長親痩躯の若い男のようだ。恐ろしく姿勢がいい。定規で支えられたようにぴんと背筋が伸びている。こちらに背を向けているため容貌までは視認できないが、張りつめた背からはなみなみならぬ気迫が伝わってきた。
 
 なんなんだ一体。

 僕が入ってきたことには当然気付いているだろう。廊下でのやりとりも当然聞こえていたはずだ。それなのに反応ひとつ示さないとは……。困惑した僕は、電源を探して視線をさまよわせる。とりあえず視界を明瞭にしなければ。あった。直上に吊られた豆電球を発見する。ずいぶん旧式の照明設備だ。半ば感心しつつ、頭上に手を伸ばし傘を捻った時だ。
 「!」
 風切り音が耳朶を叩く。
 頬を掠めたのは、氷針めいた冷気と風圧。何が起こったのか瞬時に理解できず、バランスを崩して後方に尻餅をつく。床に尻餅をついた無様な体勢のまま、視線を上昇させる。目の前に立ち塞がっているのは、長身の影。不吉な陰影に隈取られた顔の輪郭の中、陰火めいた眼光が晧晧と輝いている。

 なんて目だ。

 口の中が渇く。喉が渇く。唾液すら沸いてこない。暗く剣呑な双眸ー抑えた殺気。僕の目の前に立ち塞がった人物の表情は、薄闇に沈んでいるため判別しがたい。だが、その人物が右手に携えているのは……一振りの木刀だ。その時になり、漸く僕は理解した。
 僕の頬を掠めた凶器の正体は、これだ。この木刀だ。
 木刀の切っ先が弧を描き、僕の鼻先へと突きつけられる。流れる水のようにゆったりとした、緩慢にもおもえるその動作には、しかし一分の隙もない。暗闇で相対した男は、木刀の切っ先を僕の顔の中心に据えたまま、微動だにしない。
 「……何奴」
 低くかすれた声がした。目の前の男の声だ。早まる動悸を抑え、答える。
 「貴様の耳は節穴か」
 内心の動揺を繕うように挑発的に吐き捨てた僕に、うろんげな気配が伝わってくる。相手が当惑しているのが手にとるようにわかる。尻を払い、起き上がる。暗闇で対峙した男に向け、続けざまに言い放つ。
 「廊下であれだけ大きな声で話していたのに聞こえなかったというのか。もしそうなら今度聴力検査を受けることを勧める。僕は今度この房に収容されることになった者だ。端的に言えば、そうー……君の同室者ということになる」
 「同室者だと?」
 相手が不審感も露わに反駁する。僕は頷く。沈黙。やがて、木刀の切っ先が下ろされる。
 パチン。
 軽い音がした。狭い室内に明りが満ちる。眩く発光する豆電球の下に立っていたのは、長身痩躯の若い男だ。意志的な眉の下、一重瞼の双眸が瞬きもせず僕を凝視している。肉の薄い鼻梁と口角の下がった唇、尖った顎。髪の色は今の日本では珍しいことに、ぬばたまの黒。烏の濡れ羽色という形容が相応しい光沢のある黒髪を無造作に一つに結い、禁欲的な修行僧のように引き締まった顔に無精髭を散らしている。
 男は感情の読めない目でじっと僕を見た。そして。
 「……名を名乗れ」
 なんだと?
 耳を疑った。要領を得ない反応を返した僕に、男は辛抱強く繰り返す。
 「名を名乗れ、少年」
 下唇を舐め、時間を稼ぐ。逡巡は三秒に満たなかった。次に顔をあげた時、僕の舌は主の意思に関係なく動いていた。
 「鍵屋崎……ナオだ」
 「鍵屋崎ナオか。……変わった名前だな」
 言葉とは裏腹に、男は殆ど感情を覗かせることがなかった。興味が失せたように僕から視線を逸らすと、その場に胡坐をかく。組んだ膝の上に木刀を置き、片手を鍔に、片手を刃の背においてためつすがめつする。
 自分から聞いておいて癇に障る男だ。これだから馬鹿は手におえない。
 「貴様の名前はなんだ」
 「貴様」という二人称を恣意的に選択したのは僕なりの不快感の表明だが、鈍感な男には伝わらなかったらしい。懐からとりだした手ぬぐいで丹念に木刀を磨きつつ、興味なさそうに男が答える。
 「名など忘れた。……他の者からはサムライと呼ばれている」
 サムライ。
 「……そのままだな」
 「ああ。芸のない二つ名だが、存外気に入っている」
 あきれ返った僕の皮肉にも、サムライは律儀に答える。膝に乗せた木刀を満足げに見下ろすサムライ。先ほどまで四肢に漲らせていた殺気は霧散し、切れ長の目は柔和な光を湛えている。再び木刀を向けられることはないだろうと安堵した僕の耳朶を、サムライのうろんげな声が叩く。
 「どうした?」
 「なに?」
 サムライが僕の横顔を怪訝そうに凝視している。
 「何を突っ立っている。適当に座ることを勧める」
 妙に堅苦しい物言いで指図され、僕は憮然として室内に視線を走らせる。サムライのように直に床に座るのは抵抗があった。一見したところ、この房はお世辞にも衛生的とは言いがたい。少なからず潔癖症の傾向がある僕は、少しでも清潔な場所を探して首を巡らす。結果、パイプベッドのマットレスは床より幾分マシであると判断した。室内を横切り、無人のマットレスに尻を乗せる。固いマットレスが尻の下で弾む。
 再びの沈黙。
 膝の上で手を組んだ僕は、壁に沿って視線を一巡させる。明りの下で改めて見てみると、殺風景な内装が際立つ。錆びたパイプベッドは廃品寸前の代物、よく見ればマットレスも染みだらけで、破れた部位から無残にも綿がはみだしている。ベッドの上に掛けられた毛布はひどく毛羽立っており、寝心地は悪そうだ。壁にも天井にも、至る所に不気味な染みが浮き出している。
 「……居心地のよさそうな部屋じゃないか」
 口の端に自嘲の笑みを浮かべた僕を、目の端でちらりと一瞥するサムライ。木刀を拭う手はそのままに、平板な声で問いを投げる。
 「皮肉か?」
 「本気で言ってるわけがないだろう」
 喉の奥で卑屈な笑い声を泡立て、吐き捨てる。なんたるザマだ、なんてブザマなんだ鍵屋崎直。かつては輝かしい未来を約束された身が、今や悪名高い刑務所の薄暗い房で長い長い余生を過ごすことになろうとは。
 なんという運命の皮肉。
 今の僕に示された選択肢はただひとつ。気が遠くなるほど長い刑期を、刑務所の暗闇で終えるだけ。
 僕の行く手に待ち受けているのは、一筋の光もさしこまない暗澹たる未来。
 東京プリズンに収容されたら最後、生きて釈放される可能性は限りなく無に近い。僕はこんな汚い房で一生を終えるのか。一生をこんな……
 「じきに慣れる」
 堂堂巡りする思考を遮ったのは、鼓膜に響いた低い声。虚ろな目を下方に向ける。床に胡坐をかいたサムライが、目だけ動かしてこちらを見上げる。底光りする猛禽の目だ。
 「……初日は辛いだろうが、一週間もすればここでの生活に慣れる。慣れざるをえない。それまでの辛抱だ」
 「……哀れんでくれるのか。見かけによらず優しいな」
 冷笑的な態度でサムライを揶揄する。サムライを名乗る男は床に正座したまま、スッと一重の双眸を細めた。彫刻刀で彫ったような切れ長の造作の眦が、峻厳な光を忍ばせてこちらを一瞥する。
 「……哀れんでいるわけではない。これは忠告だ。従うかどうかはそちらの勝手だ」

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060612235028 | 編集

 サムライの口調は著しく抑揚を欠いていた。
 その淡白な物言いから推量するに、僕の身を案じているわけでもないらしい。床に膝を折って正座し、背筋をぴんと伸ばし、切腹に挑む武士のように厳粛な面持ちで木刀と向き合っている。丹念に磨かれた木刀は飴色の艶を帯び、サムライの掌中にしっくりと納まっている。
 サムライの横顔を観察する。鋭い陰影に縁取られた顔の輪郭、そげた頬と尖ったおとがい。酷薄な印象を与える薄い唇は、最前から一文字に引き結ばれて沈黙したままだ。
 妙な男だ。
 暗闇で対峙した時の得体の知れない威圧感は、今は感じられない。凪のように深沈と鎮まった光は柔和な光を宿し、慈しむように木刀を磨く手の動きには一切の無駄がなく、もはや職人芸の域に達している。寡黙なサムライは無駄口を好まないらしく、甚だお節介な忠告とやらを発した後は己の掌中の身に全神経を傾注している。
 新参者と必要以上に馴れ合う気はなさそうだ。
 心中深く安堵する。人付き合いを苦手とする僕にとって、初対面にもかかわらず友人面して馴れ馴れしく話しかけてくる他者の存在は苦痛にほかならない。無知で無能な愚者の発言は例外なく癇に障る、知能指数が劣る人間と喋っても得られるのは疲労感のみ、時間を浪費するだけで益はない。目の前の男は異論を挟む余地のない変わり者だが、ダイスケとは違いちゃんとそこらへんを理解しているようだ。
 サムライをじっくり観察する余裕が出てきた僕は、この風変わりな男に純粋な興味を覚え戯れに質問を投げる。
 「君はこの刑務所に入って何年になる?」
 サムライは木刀を磨く手を休めず、記憶の襞を探るように目を細めた。
 「……三年だ」
 「何歳だ」
 「今年で十八歳になる」
 「十八歳?」
 驚いた。おもわず反駁した僕にも格別反応を示さず、サムライは淡々と続ける。
 「老けて見えただろう」
 図星だ。無精髭の散った細面はどう贔屓目に見ても十代には見えない。ここが未成年の受刑者を収監する少年刑務所であることを鑑みればサムライが十代であることは疑うべくもない事実なのだが、それでも僕は一抹の疑念を捨てきれない。脂じみた黒髪が額に被さり、やつれた面に影を落としているせいだろうか。頬のそげた生気に乏しい顔は、骸を積んだ戦場から帰還した歴戦の武者のように凄惨な年輪を刻んでいた。
 「……お前も人を殺したのか」
 下唇を舐め、慎重に問う。サムライの手が止まる。ネジを巻かれた人形のようにぎこちなく首をあげ、尖ったおとがいを巡らし、振り返る。サムライの目には底知れない空洞が穿たれていた。その目に墨汁を一滴垂らしたように波紋が浮かび、理性の光が点る。
 「……お前もか」
 理性の光を宿した瞬かない目が、僕の動向を探るように鋭く光っている。曇った豆電球の下、薄暗い照明におぼろに浮かび上がるのは、垢染みた囚人服を着た姿勢のいい男。サムライと距離をとり、対岸のマットレスに浅く腰掛けた僕は、氷針めいた視線の圧力に屈して首を折る。額に落ちた前髪の下、目尻に醜い皺が寄るのが顔の筋肉の動きでわかる。
 今の僕はきっと、醜く歪んだ笑みを浮かべていることだろう。
 「……ああ。そうだ。奇遇だな」
 組んだ膝の上に手をおき、胸にこみあげてきた苦汁を吐き捨てる。自虐的な台詞に触発されたか、両親を殺した時の映像がフラッシュバックする。ごぼりと泡音をたてて血を吐き出した口腔の粘膜、恐怖と苦痛に歪んだ断末魔の顔。最期の力を振り絞って伸ばした五指で虚空をかきむしり、後ろ向きに倒れてゆく両親の姿。
 視界を染める一面の赤、これは……血だ。
 両親を刺したときの感触が、まざまざと手に蘇る。ナイフの切っ先が肉を抉るおぞましい感触。弾性のある筋肉組織をひきちぎり、脂肪の層を裂き、柄の近くまで深々と胸に埋まったナイフ。傷口から迸った鮮血がしとどに手首を濡らし、じわじわと袖に染みてゆくー……
 「ああ」
 日も浅い殺人の記憶を反芻していた僕は、鼓膜を打った声にはっとして顔を上げる。悪循環に陥った思考を遮ったのは、蒸した茶葉のように渋いサムライの声。床に正座したサムライは、死期を間近に控えた老人のように表情の削げ落ちた顔を虚空に向けていた。目に宿るのは飽和した光、視線の先にあるのは点々とシミが浮き出た壁。
 殺風景な壁に視線を固定し、サムライが口を開く。
 「……まったく、奇遇だな」
 刹那、サムライの表情に変化が訪れた。目を伏せたサムライの顔を過ぎったのは、複雑な色。後悔、自責、悔恨、諦観……平板な声の底でさざなみを立てているのは、混沌と渦巻くさまざまな感情。薄く含み笑ったサムライの顔は、救い難い悲哀を帯びておのれの過去に思いを馳せているかに見えた。
 
 あっけにとられた。

 ほんの一瞬だけ鉄板の仮面がめくれ、サムライの素顔がかいま見えた気がした。コイツ、こんな人間らしい表情もできるんじゃないか。頭の片隅で感心した僕は、意識的に唇を綻ばせる。

 おもしろい。
 君はおもしろい男だ、サムライ。

 唇の端を歪め、サムライへと視線を投げる。瞬き一つ、常と変わらぬ無表情を取り戻したサムライは手首を捻り、磨き終えた木刀を左右に傾げて検分している。磨き抜かれた木刀に映ったおのれの顔に、満足げに頷く。この男は変わっている。ただの変人ではない。もっと深いものを内に秘めている。知的好奇心を刺激された僕は、この先待ち受けている単調な刑務所生活の中で、殆ど唯一ともいえる娯楽を発見したことに狂喜していた。
 サムライは格好の観察対象だ。見ていて飽きない。
 人間観察は物心ついた時分からの僕の趣味であり、自己を防衛するために培った習性だった。僕の知的好奇心を充足させてくれるのはダイスケのような短絡的な馬鹿でも、食物連鎖の最底辺に位置するリュウホウのような惰弱な人間でもなく、サムライのように僕の理解を超え共感を拒絶する者ー……僕と全く異なる生育歴を持ち、全く相容れない価値観を基盤とした存在でなければ物足りない。
 一人ほくそえんでいた僕に水をさしたのは、衣擦れの音。釣られるように視線を前方に向ける。木刀をベッドの下にしまい、膝を払って立ち上がるサムライ。垢染みた囚人服を羽織っているというのに、その洗練された所作には一種の風格さえ漂っている。
 サムライは天井を仰ぐと、小声で呟いた。
 「くる」
 なにが?
 答えはすぐにわかった。次の瞬間、廊下にけたたましいベルが鳴り響く。廊下の左右に並んだドアが弾けるような勢いで開け放たれ、囚人たちが歓声とともに溢れ出す。何事だ一体。鉄扉上部の格子窓へと顔を寄せた僕は、ふと気配を感じ横を向く。いつのまにか隣に来ていたサムライが、囚人たちで溢れ返った廊下を気のない目で眺めて付け足す。
 「夕餉の刻限だ」
 なるほど。さっきのベルは夕食の開始を告げるものだったのだ。理解した途端、空腹を覚えて腹に手をやる。半日かけて未舗装の砂利道をトラックの荷台に揺られてきたのだ。その間与えられたのはミネラルウォ―ターと味けない乾パンだけ。半日前にとった食事はとっくに消化されている。
 「……食堂に案内する」
 僕の顔色を見て何か察したのか、サムライがノブを捻る。蝶番が軋み、鉄扉が開く。サムライに続いて廊下にでた僕は、白と黒の洪水に取り巻かれて眩暈を覚える。白と黒の洪水と錯覚したのは、二桁を超す囚人たちが身に付けた格子縞のシャツだった。怒涛の勢いで押し寄せた囚人に揉まれ、鼻先を塞いだ囚人の背に危うく窒息しかけながら、向こうに見え隠れするサムライの後頭部を追って洪水を抜ける。岩場を避けて泳ぐ魚のように、囚人たちを回避するサムライの足取りは澱みない。たいして苦もなく雑踏を抜けると、背後で息を切らした僕を悠然と振り返る。
 「この先だ」
 言葉少なく、サムライが廊下の奥を指さす。サムライにわざわざ教えられなくても、囚人たち全員が同じ方向を目指していることから容易に推理できる。プライドを挫かれた僕は歩調を速めてサムライに追いつくと、彼の方を見もせずに吐き捨てる。
 「まるで動物園だな」
 周囲を取り巻く囚人たちに目を馳せ、致死量の毒を含んだ声で揶揄する。どいつもこいつも下卑た面をして、野太い濁声でさかんに叫び交わしている。品性のカケラもない。低脳の集団に囲まれていると息が詰まる。おもわず顔をしかめた僕の鼓膜を、場違いに澄んだボーイソプラノが叩く。
 「あれっ、新人さん?」
 鈴を振るような朗らかな響きを備えたその声は、変声期を迎える前の少年のものに相違なかった。反射的に振り向く。僕の右手に立っていたのは、150センチあるかないかの小柄な少年。既存の囚人服が余ってしまうほど手足は細く、汚れたスニーカーをひっかけた踝は砂場で遊ぶ女の子のように華奢だ。スニーカーを踏んづけた踵から、体の線に沿って視線を上昇させる。貧弱な体躯を囚人服の中で泳がせていた少年は、折れそうに細い首の上に小さな顎を乗せ、にこにこと微笑んでいた。額に被さった赤毛の下、愛嬌たっぷりの翠の目が好奇心旺盛に輝いている。銀幕を飾るに相応しい稚気と愛嬌を兼ね備えた少年は、天真爛漫な笑顔で僕を覗きこむ。
 
 じいっ。

 執拗に顔を凝視され、居心地が悪い。気圧されたように腰を引いた僕を無視して、図々しくも間合いに踏みこんでくる少年。鼻の頭が接するほどの至近距離に童顔を突き出し、少年が訊く。
 「……その眼鏡、伊達?」

 は?

 予期せぬ質問に狼狽した僕を前に、ご機嫌な猫のように喉を鳴らす少年。からかわれたのか?不愉快だ。顔の前でさかんに手を振り、邪険に少年を追いやる。たたらを踏んで後退した少年を一瞥、眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。
 「……伊達ではない。自慢ではないが僕の視力は0.03だ」
 「わるっ」
 赤毛の少年がずっとんきょうに叫ぶ。アメリカのホームドラマにでてくる子役のようなオーバーリアクションに辟易する。不躾に僕の顔を覗き込んでいた少年は、何事か腑に落ちたようにサムライに目をやると、人懐こい童顔にいやらしい笑みを広げる。 
 「はあーん、なるほど。つまり、そういうことか」
 「?」
 何を言ってるんだ、この低脳は。そういうことってどういうことだ。当惑した僕をよそに、耳年増の中年女のように一人合点した少年はふんふんと頷いている。
 「サムライにもやっと春が訪れたってわけね」
 なにか誤解しているようだ。反駁しようと口を開きかけた僕を遮り、少年が続ける。
 「メガネくん、サムライをよろしくね。そいつちょっと無口で変わってるけど、いざって時は頼りになる男だからさ。酒もクスリもやんないし、潔癖すぎて面白みには欠けるけど」
 腰の後ろで手を組み、したり顔で頷く少年。満面にあどけない笑みを湛えた童顔は、大人の歓心を買う術に長けた子役のように徹頭徹尾打算的ですらある。唖然と立ち尽くす僕の前で、少年はさっと身を翻す。肩越しに振り返り、気さくに手を振ったその顔には悪戯っぽい微笑が浮かんでいた。
 「じゃあね。君たちもはやく行かないと席とられちゃうよ」
 軽い足音を残し、駆けてゆく少年。小さな背が雑踏に呑まれるのを見送り、傍らのサムライを仰ぐ。サムライの唇から吐息が漏れる。少年の姿が視界から消失するのを待ち、歩を再開するサムライ。サムライの横を歩きつつ、尋ねる。
 「……今のはなんだ」
 「……リョウだ。それ以上のことについてはおいおいわかる」
 サムライの横顔には色濃く疲労が滲んでおり、重ねて問うのはためらわれた。短いやりとりの間に食堂に着いた。廊下の壁が途切れ、ひらけた空間が出現する。三階まで吹き抜けの巨大な空間を囲うように手摺が巡り、それぞれの階にテーブルと長椅子が配置されている。テーブルは八割方先客で占められており、遅れをとった囚人たちがトレイを持ったまま舌打ちしている。食堂上空では罵声と怒声が交錯し、食器とフォークが触れ合う金属質の音が鼓膜をひっかく。サムライに先導され、カウンターの前に長蛇の列を作った囚人たちの最後尾に並ぶ。
 「食事は一日二食、朝餉は朝六時、夕餉は夜六時だ。献立は……知りたいか?」
 「……遠慮しておく」
 ため息。刑務所の献立など知りたくもない。前を向いたサムライが感じ入ったように首肯する。
 「賢明だ」
 緩慢に列が進む。僕は食堂に視線を巡らした。一日の労働を終え、腹を空かせた囚人たちが一同に会した食堂は活気があった。否、ありすぎたといったほうがいい。今も四方八方のテーブルで囚人同士の小競り合いが起こり、ひっくり返ったトレイが床を打つ甲高い音が間断なく響き渡る。食事もそこそこに、テーブルの上で上下逆転しながら取っ組み合っているのは喧嘩っ早い囚人たちだろう。
 なんてせわしない食事風景だろうか。遠目に眺めていても食欲が失せる。
 目を瞑る。思い出すのは家族の食卓。だだっ広いテーブルの隅、ちょこんと腰掛けているのは幼い妹ー恵。不器用にフォークを操ってグラタンを食べている、いたいけなその姿。

 恵は今、どうしているのだろう。

 両親が存命だった頃から、家族揃って食卓を囲むことはまれだった。殆ど皆無だったと断言してもいい。今、一人になった恵はどうしているのだろう。一人で食事を食べているのだろうか。一人で広い食卓の隅に座り、所在なさげに椅子から足を垂らしているのだろうか。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060611235850 | 編集

 「きたぞ」
 サムライに促され、前を向く。カウンターの前に並んだ囚人たちがすり足で移動し、漸く僕らの順番が巡ってきた。隅に重ねられたトレイを手に取り、アルミの食器を置いてゆく。
カウンターの内側で給仕しているのは、清潔な白衣に身を包んだ無表情な看守が十人余りこの少人数で倍近い数の囚人たちを相手にしているのだ、道理で要領が悪いわけだ。納得した僕の皿の上でお玉を振り、マッシュポテトの塊をこそげ落とす看守。ワカメの浮いた味噌汁を一すくい、あとは目玉の潰れた目玉焼きだけ。なんとも貧相な献立だが文句をいえる立場にない囚人たちは、むすっと押し黙ってカウンターを後にする。
トレイを胸の前で掲げた僕はキョロキョロと混雑した食堂を見回す。飢えた囚人たちが行儀作法など全く無視し、犬のように飯にがっついている。アルミの皿を抱えこみ音をたてて味噌汁を啜り、味気ないマッシュポテトを咀嚼して飲み下す。ものを咀嚼する旺盛な音に空腹を刺激され、口の中に唾液が沸く。
 ぼんやりと食堂を見渡していた僕の隣に並んだサムライが、顎をしゃくる。
 「あちらだ。ついてこい」
 とっつきにくい見た目に反し世話焼きなサムライは、地理に不慣れな僕のために食堂を案内してくれるつもりらしい。サムライの好意に有難く甘えることにする。罵声とフォークが喧しく飛び交う中、周囲の喧騒をものともせずにサムライは歩を進める。サムライの背に促されるがまま、あてもなく足を前後させていた僕の視界の端を、眩い光が射る。

 反射的に目を細め、光が射した方角を見る。

 等間隔に配置された巨大なテーブルの一隅に、青年が座っている。金と茶の中間色の髪をうなじで括ったその青年は、一見して混血児だとわかる外見的特徴を有していた。肌の色は東南アジア系の出自を示す滑らかな褐色、しなやかに伸びた手足とすらりとした体躯が中性的な雰囲気を醸している。
 顔だちは出来過ぎなほど整っていた。形よく尖った顎を備えた顔には、涼しげな切れ長の目と日本人離れして高い鼻がバランス良く納まっている。
あえて荒を探すなら皮肉げな角度に吊った唇が人によっては不愉快な印象をもたらすだろうが、面食いの異性を前にすればそれすら野卑な魅力に転化できるだろうことは想像に難くない。何より目を引くのは、両の耳朶に連ねたピアスの数だ。右耳に5個、左耳に6個……計11個。
 僕の目を射た光の正体は、青年が耳朶に嵌めたピアスの反射光だった。
 僕の視線を感じたのか、青年がふいに振り向く。おもむろに手を挙げ、席を立つ青年。ぎょっとした僕の鼓膜に、音吐朗々と滑舌のよい声が響く。
 「こっちだ、サムライ!」
 理解した。青年が認めたのは僕ではなく、背後にのっそりと佇んでいるひょろ高い影ーサムライだったのだ。サムライと青年は面識があるらしく、サムライはとくに警戒するでもなく青年のもとへと歩み寄る。仕方なく、後に続く。一つ結いの青年はにやにや笑いながら僕とサムライを出迎えた。
 片手で頬杖つき、片手でフォークを弄びながら初対面の青年が言う。
 「空いてるぜ。座れよ」
 
 空いてる?
 
 青年の前後左右は余す所なく先客で埋まっている。空席などどこにもないではないか。困惑した僕をよそに、一つ結いの青年がぐるりと視線を巡らす。刹那、劇的な変化が生じた。青年と目が合った囚人たちが食べかけのトレイを持ち、そそくさとテーブルから引き揚げ始めたではないか。我先にと競うように席を後にした囚人たちを愉快げに見送り、頬杖ついたまま青年が笑う。
 「な、空いたろ」
 良心の呵責など一片もない爽やかな笑顔。あきれる。サムライはとくに咎める様子もなく、青年の対面に腰掛ける。僕は躊躇した。
 「お前も座れ、カギヤザキ」
 テーブルの向こう側からサムライに声をかけられても、僕は所在なげに立ち尽くしたまま、次の行動を迷っていた。この場合はサムライの隣に腰掛けるべきだろうか。しかし、いくら同房者とはいえ馴れ合うのは煩わしい。サムライの隣に座った場合、僕がコミュニケーションを図ろうとしていると誤解され万が一にも一方的な友情など抱かれてしまったら困る。とはいえ、この茶髪の青年の隣に腰掛けるのも気が引ける。
 一瞥で周囲の席を占めていた囚人たちを退かせた事実から察するに、彼は優男の見かけによらない刑務所内での実力者なのだ。そんな危険人物の隣に腰掛けて、万一トラブルに巻き込まれでもしたらー……
 
 堂堂巡りする思考を遮ったのは、風変わりな名字を小耳に挟んだ青年だった。
 
 「へえ、お前カギヤザキっての?へんな名前」
 「失敬だな」
 思ったことを口に出す。青年が目をしばたたいた。次の瞬間、はじけるように笑い出す。前出の会話のどこに笑える要素があったのか理解できない。椅子に反り返り、大口開けて笑い出した青年のもとへ、性急な足音が近づいてくる。
 「お前の笑い声を聞くと飯が不味くなる」
 足音は僕の隣で止んだ。
 そちらに目をやると、傍らに小柄な少年が立っていた。癖の強い黒髪の下で輝いているのは、人慣れぬ野良猫をおもわせて警戒心の強い双眸。小造りに整った顔はまだ少年の域を脱しておらず、若干のあどけなさを残している。成長期の途上にあるのだろう骨格は華奢で、囚人服の袖から覗いた手首には間接の尖りが目立っていた。肌は黄色人種のそれだ。見た目は日本人と変わらないが、言葉の端々に覗く独特のイントネーションから察するに、出自を辿れば台湾系に行き着くのだろう。
 黒髪の少年はけたけた笑い転げる青年を、ついで、その背後に立ち尽くす僕をうろんげに一瞥する。
 「座んねーの?」
 少年が顎をしゃくったのは、こともあろうに青年の隣の席だった。逡巡しなかったといえば嘘になるが、これ以上空腹に耐えられそうになかった。言われるがまま、今しがた先客を追い払ったばかりの席に腰を落ち着ける。椅子を引き、目の前にトレイを置く。笑い声が止む。ようやく笑いの発作が終息した青年は高い天井を仰いで深呼吸すると、僕の頭越しに件の少年へと声をかける。
 「おそかったじゃねーか、ロン。ナンパでもされてたのか?」
 「箸とフォーク、刺すならどっちがいい?」
 黒髪の少年が乱暴に椅子を引き、僕の隣に腰掛ける。期せずして初対面の囚人二人に挟まれる形となった僕は、なんとも居心地が悪い。正面へと目を転じれば、サムライはそしらぬ顔で味噌汁を啜っていた。箸を握った瞬間に僕の存在など忘れ去ったのだろう。僕は努めて無表情にフォークを繰り、味の薄いマッシュポテトを口に運ぶ。必要以上に時間をかけてマッシュポテトを咀嚼していた僕は、横顔に注がれる不躾な視線に辟易し、うんざりとため息をつく。
 カチャン。
 食器とフォークを置いて振り向く。最前から僕の横顔を断りもなく凝視していた主は、右隣に腰掛けた一つ結いの青年だった。線の細い端整な顔立ちの中、かっきりと弧を描いた眉の下で色素の薄い茶色の目が性悪なチェシャ猫のように笑っている。目を弓なりに反らせた青年は悪びれた様子など全くなく、にやにや笑いながら僕の顔を覗きこんでくる。
 ……不愉快だ。
 一体この男はなにを考えているんだ。思考が読めない。男を無視して食事を再開しようとしたが、横顔に注がれるなぶるような視線に嫌気がさし、ため息とともに食器をおろす。これは一言あるべきだろう。表情を改め、青年の方へと向き直る。とうに食事を終えた青年は、僕と目が合うと愉快そうに片眉を動かした。器用な芸当をしてみせた青年に特に感情を表に出すでもなく、淡々と言い放つ。
 「吐き気がするほど図々しい男だな」
 片手に頬を委ねた青年が虚を衝かれたような顔をする。咳払いし、ふたたび顔を上げる。要領を得ない顔をした青年と面と向かい、続ける。
 「食事が終わったのなら可及的速やかにこの場を立ち去り、ほかの者に席を譲れ。君に注視されている僕は非常に不愉快だ。食欲も失せる」
 僕は冷静に事実を指摘したまでだ。言い終えた後、周囲が水を打ったように静まり返っていることに気付き、違和感をおぼえる。食器とフォークが奏でる金属音が止み、椅子の脚が床を擦る乾いた音も全くしない。何事かと辺りを見回す。僕と同じテーブルに居合わせた囚人たちが固唾を呑んでこちらを凝視している。
 否、正確には僕ではなくその背後の人物を。
 一身に注視を浴びていたのは、リラックスした姿勢で僕の隣に腰掛けた青年だった。左手で頬杖つき、空いた右手でフォークを弄ぶ青年。その唇には、薄く笑みが浮かんでいた。青年の掌中でフォークが旋回し、銀の弧を描いてまた手元へと戻ってくる。

 異変は唐突だった。

 ガタン。椅子から腰を浮かした青年が、残像すら見えぬ速度で僕の額にフォークの先端を擬したのだ。僕の額にフォークを突きつけた青年はゆったりと微笑んでいる。魅惑的と評してもいいだろう、透明度の高い微笑だ。硝子玉めいて色素の薄い瞳に映っているのは、瞬きすら忘れて硬直した僕の顔。フォークの先端は僕の額、紙一重の虚空に固定されている。もう少しフォークを進めれば、尖った先端が額の皮膚に食いこむだろうことは非を見るより明らかだ。

 場が緊迫した。
 空気が凍結する。

 テーブルを囲んだ囚人たちは、握ったフォークと手にした食器の存在も忘れてこちらを見つめている。彼らの顔に浮かんでいるのは紛れもない怯えー恐怖。彼らは一体何に怯えているのだろう。

 答えは明白だ。彼らはこの得体の知れない、優雅に微笑した青年に怯えているのだ。

 ぎくしゃくと首を巡らし、青年と視線を絡める。
 吸い込まれそうなほどに透明度の高い茶色の瞳に魅入られそうになる。だが、彼の手に握られているのは凶器のフォークだ。フォークで人を殺せるとも思えないが、目の前の男には警戒を促す何かがある。
 時が停滞したような沈黙を破ったのは、荒々しい舌打ちだった。
 舌打ちがした方角に目を向ける。左隣に座っていた黒髪の少年が、フォーク片手に僕を睨んでいるのだ。行儀悪くも椅子に片膝立てた少年は手にしたフォークを一転させると、凄みを効かせた三白眼で僕をーその背後の人物を威圧する。
 「いい加減にしろよレイジ。新人をからかって何が面白い?」
 おさまりの悪い黒髪の下、軽蔑しきったように目を細めた少年の仲裁に、青年は恐れ入ったようにフォークをおろす。額から外れたフォークに安堵したのも束の間、青年がどこか安定を欠いた笑い声をあげる。
 「ジョーダンだってロン。マイケル・ジョーダン」
 「だれだそれ」
 「昔いたバスケットの選手。知らねえ?」
 「知らねーよそんなの。何十年前の話してんだ」
 ほとほとあきれたように首を振った少年は、椅子から腰を浮かせた不自然な体勢で凝固している僕をチラリと見ると、マッシュポテトをつつきながら面倒くさそうに告げる。
 「お前もとっとと食っちまえよ。トロトロしてっともってかれるぞ」
 「もってかれる?」
 少年が顎をしゃくる。通路を五本隔てた遠方のテーブルに一際柄の悪い集団が陣取っている。数にして十人前後だろうか、いずれ劣らぬ凶悪な人相をした少年たちの上座を占領しているのは、頭抜けて体格のいい男である。おそらく彼が首領各なのだろう。無個性な囚人服に包まれていてもよく鍛えられた厚い胸板と固く隆起した上腕二頭筋は一目瞭然だ。気のせいか、彼は腕組したまま微動だにせず、眼光鋭くこちらを見つめている。
 「凱だ」
 マッシュポテトの山を突き崩しながら、少年が気のない素振りで吐き捨てる。フォークに乗せたマッシュポテトを口に運びつつ、疲れたようにかぶりを振る。
 「レイジを目の敵にしてなにかとつっかかってくる年中脳味噌不足気味欲求不満気味のインポ野郎ども。お前も俺らと一緒にいるとこ見られると、奴らのターゲットにされるんじゃねえか」
 少年の目が凱たちと同じテーブルの端へと向けられる。テーブルの隅、肩身が狭そうに縮こまっている人影には見覚えがある。覇気に欠ける貧弱な背中と世界の不幸を一身に背負っているかのような撫で肩は忘れもしない、僕とともにここに護送されてきたリュウホウである。喧騒から疎外されたテーブルの隅にひっそりと身を寄せたリュウホウは、至極のろのろした動作で終始伏し目がちにマッシュポテトをついばんでいた。一口ずつ咀嚼して飲み下す、延延とその繰り返し。そんなリュウホウのもとに足音荒く歩み寄ってきたのは、荒んだ雰囲気を漂わせた囚人数人。素早く連携してリュウホウを取り囲むと、抗議する暇を与えずにマッシュポテトを盛った食器を掠め去る。最も、気弱なリュウホウのことだ。もう少し反射神経に恵まれていたとしても、腕っ節の強い囚人たちから食器を死守できたか怪しい。現にリュウホウはにやにや笑いを顔にはりつかせた囚人たちを見上げ無力に手をつかねているだけで、食器を奪回しようという素振りは一向に見せない。
 途方に暮れたリュウホウの姿を注視しているのが忍びなくなり目を伏せた僕の耳に、フォークの先端が食器を打つ甲高い音が響く。
 「ところで新人、自己紹介がまだだったよな。俺はレイジ。よろしく」
 瓢々と名乗りを上げたのは、先刻、僕にフォークを突きつけたのと同一人物である。明るい茶髪を襟足で一括りにした青年は、好青年の最大公約数のように爽やかに笑う。一拍ほど迷ったが、無視すると後々禍根を残しそうなので仕方なく口を開く。
 「僕は鍵屋崎直だ。今日東京プリズンにきたばかりで、そこの彼……サムライと同房になった」
 先刻から一言も発さず、周囲の騒音にも無関心に味噌汁を啜っていたサムライを顎で示す。レイジと名乗った青年はトレイをどかして卓上に片肘乗せるや、図々しくも僕の方へと身を乗り出してくる。
 「ナオちゃんか、かわいい名前。女みたい」
 「野郎口説いてどうすんだよ」
 黒髪の少年が皮肉げに笑う。僕の肩越しに少年の顔を覗き込んだレイジは、さも心外そうに眉根を寄せる。
 「かわいければ男でも女でも関係ナイね、博愛主義者の俺には」
 「単に無節操な変態がよく言うぜ」
 「ひょっとして嫉妬か?」
 「てめえの腐れ目ん玉にフォーク刺して死ねよレイジ」
 どうやらレイジと名乗るこの青年と黒髪の少年は、よほど親しい間柄にあるようだ。両者憎まれ口を叩き合ってはいるが、一触即発という危うい雰囲気は微塵もない。レイジは愉快そうに口の端をつりあげ、黒髪の少年を促す。
 「お前も自己紹介しろよ」
 「ロン」
 自己紹介というにはあまりに素っ気ない口ぶりで、少年は名を名乗った。ロン。龍と書くのだろうか。すみやかに食事を終えたロンは、空のトレイを持って席を立つ。去り際、僕の背後で立ち止まり、
 「ひとつ忠告してやる。お前の隣に座ってるその男には気をつけろ。いつ寝込みを襲われても知らねーからな。朝起きた時に下半身になにも穿いてなかった、なんて目にはあいたくねーだろ」
 「……あったのか?」
 「なに?」
 眉間に縦皺を刻んだ少年を仰ぎ、素朴な疑問を音声化する。
 「今述べた内容を以前体験したことがあるのか」
 刹那、タガが外れた笑い声が炸裂する。鼓膜を叩いた笑い声の主は、右隣に座るレイジだった。ロンの顔が恥辱に歪むのを見逃さなかった。目を過ぎった激情の余波を鉄面皮の下に覆い隠し、あっさり踵を返すロン。僕の背後を大股に横切ったロンは、レイジの椅子の脚に容赦なく蹴りを入れる。脚に加わった衝撃は椅子を転倒させるのに十分な代物だった。バランスを崩した椅子が派手な音をたてて横転し、馬鹿笑いしてたレイジの体が逆しまに床へと投げ出される。床に尻餅をついたレイジは「いてててて……」と泣き笑いの表情でうめいている。満員御礼の食堂で醜態を晒したレイジを鼻で笑い、すたすたとカウンターへ向かうロン。
 「……図星か」
 さしたる感慨もなく呟く。僕の予想は当たったわけだ。ロンが去った後、レイジの笑い声が急速に萎み、食堂にはフォークとアルミ皿が奏でる喧騒が舞い戻る。強打した尻をさすりつつ大義そうに椅子を起こしたレイジは、雑踏に紛れたロンの背を見送りかぶりを振る。
 「まったく、照れ屋さんなんだから」
 「照れているわけではないだろう」
 味噌汁を啜りながら冷静に指摘してやる。レイジがこちらを向き、先を促すように眉を跳ね上げる。アルミの椀をトレイにおき、音をたてぬようフォークを端に寄せる。空の食器を眺めて満腹感に浸りつつ、続ける。
 「彼はきっと君の存在が煩わしいんだ」
 レイジが世にも情けない顔をする。滑稽きわまりないほど意気消沈したレイジがテーブルに顔をうつぶせ、「……見かけ以上にきっつい性格だな、お前」と嘆じる。テーブルに突っ伏したレイジ、その後頭部を冷めた目で見下ろし、トレイを抱えて席を立つ。食事を終えればゴキブリが這いずり回る不衛生な食堂になどもう用はない。一抹の未練なく踵を返し、カウンターにトレイを返却しようとした僕の背を間延びした声が引き止める。
 「お前、カギヤザキってゆーんだよな」
 「……そうだが」
 動揺を糊塗するために殊更ゆっくりと振り向く。肩越しに振り向いたレイジは、記憶野を漁るように目を右上方に向けて黙考している。レイジの眉間に寄った皺を眺め、沈黙を守る。その間も心臓の拍動は不規則なリズムを刻み、腋の下には粘液質の汗が滲み出している。

 僕の名字を聞いて何か勘付いたのか?

 拍子抜けもはなはだしく、レイジはにっこりと微笑んだ。
 「んじゃ、これからお前のことキーストアって呼ぶわ」
 「……は?」
 間の抜けた声で反駁する。今何と言った?鍵屋崎=鍵屋=キーストアか。非常にわかりやすい、安易かつ短絡的な連想だ。トレイを捧げ持った僕は、疑い深く念を押す。
 「……用件はそれだけか?」
 「それだけ」
 「本当にそれだけか?」
 「なんだよ、それだけだよ」
 レイジが鼻白む。目前の対象に興味を喪失したレイジは、椅子の脚を鳴らして正面を向くと、背後に突っ立ったままの僕にぞんざいに手を振る。
 「もう行っていいぜ」
 釈然とせぬまま歩行を再開する。カウンターにトレイを返却し食堂を後にする間際、いまだテーブルに頬杖ついたままのレイジを振り返る。フォークを口にくわえたレイジは、茫洋とした目を虚空に向けて物思いに耽っている。顔立ちが出来過ぎなほど整っているためだろうか、たったそれだけの動作が絵筆を銜えて画架と向き合う前衛画家のように様になっていた。

 妙な男だ。またひとつ観察対象が増えた。

 おもわぬ収穫に嬉々としつつ、人で賑わう廊下へ出る。食事の後は就寝時刻まで自由時間と決まっている。だが、僕の足は一日の労働を終えてもなお余力を温存した囚人たちがたむろする娯楽室の前を素通りし、自身に割り当てられた房へと向かっていた。
 元来た廊下を逆に辿り、無事房へと帰還する。鉄扉を押し開け、房内へと足を踏み入れる。中は薄暗かった。明かりもつけずに未使用の左のベッドへと倒れこむ。固いマットレスに受け止められた体が軽く弾み、今日一日の出来事が映写機で上映される古いフィルムのようにカタカタと脳裏を巡る。
 瞼を閉じ、セピアがかったフィルムの記録を反芻する。百八十度見渡す限りに広がる茫漠たる砂漠、砂利道を疾駆するジープの不景気なエンジン音、不毛の荒野のど真ん中に忽然と現れた有刺鉄線と夕空を圧する巨大な威容の建造物。空調の整ったビルの屋内で出会った安田と、僕らを品定めするような視線を向けてきた横柄な所長。屈辱的な直腸検査、そして……

 サムライ。

 不思議な男だ。口数は少なく、喜怒哀楽にも乏しい。感情表現は下手に見えるが、その実、時折目を過ぎる殺気走った光には常人の背筋を凍らせるものがある。
 暗闇で木刀を突きつけられたとき、まだ実際にはサムライの顔を知る前から、僕は彼に非常な興味を持っていた。これからこの房で二人きりの生活が始まる。自分の生活圏内に他人がいると思うと息が詰まるが、いるのかいないのかわからないほど気配を抑制しているサムライが同居人ならば一日のサイクルを乱されることもなさそうだ。

 先刻の会話を思い出す。

 『お前も人を殺したのか』
 『お前もか。奇遇だな』

 あの時、サムライは笑った。剃刀のように鋭い笑みを閃かせたのだ。

 サムライも人を殺したことがある。
 サムライはだれを殺したのだろう。

 それは、血の繋がった肉親なのだろうか。それとも全く関係のない、通りすがりの赤の他人なのだろうか。

 僕が殺したのは血の繋がらない両親だった。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060610000017 | 編集

 そこは白い部屋だ。
 無菌室をおもわせる清潔な壁に四囲を塞がれた、現実感に乏しい殺風景な部屋。漂白された空間の中央には質素な椅子が一脚しつらえられていた。他には家具調度も見当たらず、一面を静寂に支配されていた。壁に防音処置でも施されているのだろうか、聴覚が麻痺したかと危ぶむほどの異常な静けさが心を乱す。不規則に脈打つ心臓をシャツの上から掴み、漠然とした不安にかられて顎を巡らす。
 右から左へ、左から右へ。
 ぐるりと一周した視界が再び正面を向くと同時に、異変を悟る。最前までからだった椅子に人が腰掛けている。こちらに背を向け、丸みをおびた頬を強張らせた人影には見覚えがある。肩を経て流れるほつれたおさげ、申し訳なさそうに傾いだ背中と行儀よくそろえた膝。あどけない横顔は痛々しいほど白く、小さく尖った顎は硝子箱に眠るセルロイドの人形のように華奢で愛らしい。
 少女は白い服を着ていた。フリルも飾りもない素っ気ないデザインの服は、実用一点張りの入院着を思わせた。脇に穴が開き、裾がゆるやかに広がった服は通気性にこそ優れていたが、小柄な少女には余裕がありすぎた。踝まですっぽり隠れる長さの裾が微かに揺れ、少女が半身を捻り、こちらを向く。

 一連の動作はひどく緩慢だった。

 肩越しに振り向いた少女は膜が張ったように虚ろな目をしていた。黒く潤んだ目がいたいけな小鹿のように庇護欲を刺激し、ぼくは我知らず足を踏み出した。磁力に引かれるように、少女へと接近する。少女は半身を捻った不自然な体勢のまま、微動だにせず僕の接近を待っていた。億劫そうに瞬きを繰り返す動作は、もとより表情に乏しい少女に白痴じみて浮世離れした印象を付与した。ふっくらとした手を膝の上で揃え、少女は感情の窺えない目で僕を凝視していた。硝子玉を彷彿とさせる硬質の目に、僕の顔が映る。
 ぎょっとした。
 少女の瞳に映し出されたのは異形の化け物だった。胴体と癒着した四肢は皮膚が粘液状に溶解し指の先端から肩までがぐずぐずに溶け崩れ、体の輪郭はもはや原型を留めていない。目鼻は汚泥の中に沈没して痕跡すら残さず、顔の下半分を占めた口とおぼしき空洞だけがぽっかりと虚無を溜めている。貪欲に開かれた口腔には歯はおろか舌も声帯もなく、肥大したナマコの腹をおもわせる赤い粘膜がぬめぬめと輝いているだけだ。僕ははっとして自分の体を見下ろした。どこにも変化はなかった。指は十本ともちゃんとある。皮膚は黄色人種のそれの特徴を有したまま、乾いて肉の上に張り付いている。
 僕は困惑した。そして、戦慄の真実を思い知る。
 
 これが僕か。
 この怪物が少女の目から見た僕か。
 
 少女の瞳の中で怪物がうろたえ、粘液状の皮膚を蠢動させてあとじさる。おのれの醜悪な姿に気圧され、よろけるように後退した怪物を前に、少女はおもむろに口を開く。
 『それがあなたの本性よ、鍵屋崎 直』
 託宣を下す巫女のように、少女は気高く言い放った。相変わらず表情は欠落していたが、その目に浮かんでいるのは紛れもない侮蔑と嫌悪の色。僕は首を振った。違うと訴えようとした。しかし、声が出ない。喉をかきむしり、叫ぶ。聞こえない。なにも聞こえない。鼓膜に干渉してくる静寂が理性を麻痺させ、冷静が信条の僕を恐慌状態に突き落とす。混乱した僕を哀れみの篭った目で一瞥し、少女は毅然と顎を反らした。
 『あなたの本性は見るもおぞましい怪物……。わたしとはちがう、わたしたちとはちがう。そう、生まれた時から。いえ、生まれる前からあなたは人と違っていた。生まれる前からあなたは異常だった。異常な生まれ方をしたあなたが平常な人生を歩めるはずがないじゃない』
 冷え冷えした声が脳裏に浸透するに従い、体重を支えていた足が頼りなげに萎えてゆく。腰砕けにその場に座り込んだ僕は、縋るような眼で上方を仰ぐ。頭上に影がさす。衣擦れの音すらさせずに立ち上がった少女が、妖精のような軽さで床を踏みしめ、僕の前へと佇立したのだ。

 それは、まったく唐突だった。

 少女がにっこりと微笑んだ。無表情から一転、年相応に無邪気な笑顔で僕を見下ろしている。右頬に生じたえくぼも愛くるしく唇を綻ばせ、僕へと手をさしのべる。少女の手が僕の背に回された。脱力した上体が傾ぎ、少女の腹部へ顔を埋める格好となる。少女に抱き寄せられた僕は、羊水の海を漂う胎児のような安堵感に漬かっていた。子供特有の体温の高い、柔らかい腹に鼻面を擦りつけ、その腰にしがみつく。少女は抵抗する素振りも見せず、微笑んで僕を受け入れた。
 
 この瞬間を待っていた。ずっとずっと。

 床にしゃがみこんだまま、下腹部にしがみつく格好となった僕を優しく抱擁し、少女はそっと囁いた。
 『やっぱり』
 湿った吐息が耳朶をくすぐり、薄目を開ける。目の前で少女が笑っている。愉快そうに目を細めた、どこか小悪魔めいた嗜虐的な笑顔。
 『あなたは異常者だわ』
 微笑んだまま、少女が言う。くすくすとたのしそうにせせら笑う。僕は硬直した。少女は銀鈴の声で笑っていた。刷毛で耳朶をなぶられるような歯痒い戦慄。当惑した僕をすくい上げるような上目遣いで観察し、言う。
 『「妹」に欲情するなんて恥ずかしくないの、おにいちゃん?』
 ふっと少女が離れた。僕の腕の中から身を捩って逃れた少女は、背で後ろ手を組むと、踊るような足取りで二、三歩後退した。その間もさもたのしそうに忍び笑いを漏らし、くるくるとおさげを振り回している。
 『鍵屋崎 直は異常者。妹にしか性的魅力を感じない近親相姦の変態。こんな人がおにいちゃんだなんて、メグミ、恥ずかしくて表を歩けない』
 
 メグミ。

 少女が舌に乗せた名に体が反応する。びくりと肩を強張らせた僕は、鼻梁にずり落ちた眼鏡越しに少女を仰ぐ。メグミー恵。目の前の少女の名だ。小さなおとがいに人さし指を添え、鈴を振るような声で笑い続ける少女に全身が総毛立つ。僕は彼女を知っている。この世で一番大事な人間―いまや、唯一人の肉親となったかけがえのない妹。床にへたりこんだ僕は、恵を捕らえようと手を伸ばす。入院着の裾を掴もうと指を閉じたが、ウスバカゲロウの翅のように薄い生地は抵抗なく五指をすり抜けてしまう。身軽に身をかわした恵を追い、膝を叱咤して立ち上がる。恵はくすくすと笑っていた。天使のように愛らしい微笑の内から滲み出るのは、単なる好奇心で蝉の羽を毟る幼児と同じ無邪気な悪意だ。
 『人殺し』
 僕の手を逃れた恵が、言う。笑いながら、言う。
 『おにいちゃんは人殺し。お父さんとお母さんを殺して私を独り占めしようとした。シスターコンプレックスの性的異常者。そんな人が身内にいるなんて、メグミ恥ずかしい』
 
 ちがう。
 ちがうんだ恵。

 反論は喉につかえて出てこない。舌が喉を塞ぎ、絶叫の奔流を辛うじて塞き止めている。恵の顔から拭い去ったように笑みがかき消え、瞳の温度が氷点下まで下がる。恵は表情を欠落させた目で、言葉に詰まった僕を凝視した。
 『全部あんたのせいだ』
 憎悪に濁った声で吐き捨てる恵。あどけない顔を陰惨に隈取っているのは抑圧しがたい嫌悪と憤怒だ。恵は別人のように低い声で、容赦なく断罪の斧を振り下ろす。
 『あんたが私の家族をめちゃくちゃにした。あんたが私の将来をめちゃくちゃにした。返してよ。わたしのお父さんとお母さんを返して。ねえ、返して』
 恵が片手を突き出し、大股に詰め寄ってくる。恵の手首が上下するのにあわせ、せわしげにおさげが跳ねる。僕は絶句し、成す統べなくその場に立ち尽くした。棒立ちになった僕のもとへと歩み寄った恵は大きく深呼吸し、ひたと僕を見据える。
 透明度の高い、黒い光沢のある瞳。
 『わたしの人生を返せ……近親相姦のクソ野郎』

                       +

 「!」
 夢だ。
 すべては夢だ。
 目を開けた時、真っ先に視界にとびこんできたのは複数の影だ。ベッドを取り囲んだ五・六体の影が互いに顔を見合わせ、好奇心をむき出しにして僕を見下ろしている。自分のおかれた状況を把握するまで瞬き三回ほどの時間を要した。浅く短い眠りを妨げたのは、今、僕のベッドを取り囲んでいる影たちの立てた物音のようだ。白い悪夢から一転真っ暗な現実へと帰還した僕は、闇に目を凝らして影たちの動向を探る。
 目が暗順応を起こすにつれ、闇に沈んだ影たちの容貌がおぼろげに浮上する。ぼんやりと闇から分離した集団の顔には、いずれも見覚えがある。先刻食堂でリュウホウから皿を取り上げた、柄の悪い少年たちの一団だ。ロンから警戒を促されたばかりだというのに全く油断していた。
 僕の傍ら、枕に程近い位置に立ちはだかっているのは、頭抜けて体格のいい青年だ。

 凱。

 ロンはそう呼んでいた。詳細な年齢は分からないが、頬骨の張ったいかつい顔と二つに割れた頑丈な顎が威圧感を与える。窮屈そうな囚人服の下に隠されているのは分厚い筋肉で鎧われた、重ねた鉄板のように固い胸板だ。口元に下品な笑みを溜めた凱は両手をポケットに突っ込み、にやにやと僕の寝姿を眺めていた。
 「用件があるなら手短に頼む」
 僕は疲れていた。愚鈍で粗野な連中の相手をしてやる体力は残っていない。明日から始まる強制労働に備えて、一分一秒でも長く睡眠を貪りたいのだ。
 凱のこめかみがぴくりと動く。どうやら……反感を買ってしまったようだ。
 「用件?あるぜ、もちろん」
 ポケットに手をもぐらせたまま凱が顎をしゃくる。それが合図だった。 
 ベッドを包囲した少年たちが一斉に僕へと飛びかかり、マットレスに四肢を縫い止める。素晴らしい反応速度だ。頭は鈍いが反射神経はそう悪くないらしいと評価を改めた僕の耳に押し殺した声が侵入する。
 「-さっき、レイジたちと一緒にいたな」
 「……ああ」
 「なにを話してたんだ?」
 「知能指数90にも満たないくだらない会話だ。わざわざ細部まで説明したくない」
 凱の涙袋が痙攣し、圧縮された怒気が全身から放散される。拳を握り締め、凱が続ける。
 「新入りのくせにケツふってレイジに取り入ろうってハラか。判断を誤ったな、お前」
 凱が汚い歯を見せてせせら笑う。僕は眉根を寄せた。察するに、凱は僕とレイジの関係について誤解してるらしい。やれやれ、これだからは馬鹿は手に負えない。
 「この僕が判断を誤るなど地球が周回軌道を脱線する確率よりさらに低い。何か勘違いしてるようだが、僕はレイジの友人になったつもりもこれからなるつもりもない。たまたま食堂で席が隣り合わせただけで、あちらも僕のことを友人とは認識してないだろう」
 妙なあだ名はつけられたが。一呼吸おき、続ける。
 「低脳どもの暇潰しに付き合われるのは御免だ。このまま寝かせてくれないか」
 できうる限り穏便に申し出たつもりだが、裏目にでた。全く、度し難い連中だ。猿へと退化した大脳で人語を理解できるわけがなかったのだ。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060609000255 | 編集

 凱の顔が憎々しげに歪み、ねじれた唇から気炎が吐き出される。
 「寝かせてやるよ」
 みぞおちに衝撃。
 解剖学的な正確さで胃袋に打ち込まれた拳に背骨が反り返る。息が詰まり、一時的な酸欠状態に陥る。目の前が赤く点滅する。危機を知らせる赤信号の色が瞼の裏に乱れ咲き、酸っぱい胃液とともに猛烈な嘔吐感がせりあがってくる。
 はげしく咳き込む僕の鼓膜を下卑た哄笑が叩く。ベッドを取り巻いた少年たちが品のない大口を開け、大袈裟に笑い転げている。盛大に唾を飛ばし、甲高く平手を叩き、上体を仰け反らせて笑う少年たちを眇めた目で一瞥、視線を上方に滑らす。
 凱の顔が目と鼻の先にある。
 「これくらいじゃ寝られねえってか?軟弱な見た目に反して打たれ強いじゃねえか」
 分厚い唇を捲り上げてせせら笑う凱。黄ばんだ歯が唾液にぬめり、いやらしく濡れ輝いている。腹を庇って身を丸めた僕の襟首を掴み、凱は耳元でささやいた。
 「つくづくツイてねえな、お前。寝ちまったほうがラクなのによ」
 凱が意図していることは察しがついた。恐らく、これから僕は意識を失ったほうが幸せだったとしみじみ感じ入るような目にあわされるのだろう。一分の隙なくベッドを包囲した、複数の少年たちによって。
 馬鹿の行動は短絡的で読みやすい。
 ひりひり痛むみぞおちを庇い、上体を起こす。 すぐさま二人がかりで肩を押さえ込まれ、マットレスに背中を叩きつけられる。ベッドの周囲に居並んだ少年たちを見回し、僕は吐息に諦念を滲ませて吐き捨てた。
 「事前に忠告しておきたいことがある」
 「なんだあ?」
 凱の眉根がぴくりと動く。僕は仰臥した姿勢で眼鏡のブリッジを押し上げ、言う。

 「僕は不感症だ」

 あぜんとした沈黙。
 あっけにとられた顔がベッドのぐるりに円を描いている。雁首並べた少年たちの間抜け面を心ゆくまで観察しつつ、僕は抑揚に乏しい口調で続けた。
 「短絡的思考を旨とする君たちのことだ、これから行おうとしていることも察しがつく。わざわざ就寝中に忍び込んでおきながらすぐさま行動を起こさなかったのは、僕の反応が見たかったからだろう。
 ……以上のように仮定して推論を導き出せば、ことは単純なリンチじゃない。殴る蹴るの暴行目的で房に侵入したのなら、徒手空拳の標的をベッドに押さえ込んでおく必要はどこにもない。どのみち多勢に無勢、腕力で劣る僕が君らにかなうわけがないからな。従って……」
 眼鏡のポジションを正し、視線を往復させる。ベッドを取り囲んだ少年たちは例に漏れずぽかんとした顔をしている。先刻まで威勢のよかった凱でさえ思考停止状態の空白の表情で僕を見下ろしていた。
 「君たちがこれから行おうとしていることは明々白々。強姦だろう」
 不均衡な沈黙。
 僕のベッドを取り囲んだ少年たちは毒気を抜かれたようにその場に立ち尽くしていた。最前まで疑問符を浮かべていた不審顔から拭い去ったように表情が消え、沸々と怒りが湧き上がってくる。モルモットに指を噛まれた科学者のように嫌悪と怒りの入り混じった目が僕へと注がれ、粘着質な視線が肌を這いまわる。
 僕は嘆息し、四肢から力を抜いた。
 「ご覧のとおり僕は手も足も出ない状態だ。強姦したければするがいい。ただ、僕の反応を期待しているなら残念ながらご期待に添えそうもないな」
 僕はいい加減うんざりしていた。こうなったら一刻も早く面倒ごとを済ませて欲しい。今の僕は明日から始まる強制労働に備えて一分一秒でも長く睡眠をとり、気力と体力を充電しなければならないのだ。
 性欲を持て余した低脳どもの玩具になるのは正直ぞっとしないが、恐怖よりは生理的嫌悪の方が先に立っている。同性と性交した経験はないし排泄以外の目的に肛門を使用したこともないが、女性がいない東京プリズンではこれが日常なのだろう。
 僕らを護送してきた看守も言ってたではないか、東京プリズンはリンチとレイプが横行するこの世の地獄だと。
 ソドムの刑務所で一日目に受ける洗礼としては、まあ妥当な部類だろう。僕はざっとベットの周りを見回し、暗闇に同化した人数を把握した。一、二、三……しめて六人。またずいぶんとご団体でやってきたものだ。
 これから順番に六人に輪姦されるとして、はたして僕の体がもつだろうか?確証はない。最初の三人位で満足してくれればいいのだが、枕元に待機しているのはいずれも窮屈な刑務所暮らしで性欲を持て余している凶暴な少年たちなのだ。
 最悪一人二回ずつとして計十二回……辟易する。
 「……なめやがって」
 獰猛な唸り声に目を向ける。とても未成年とは思えない頑強な体躯の凱が、体の脇に垂らした拳を握り締め、射殺さんばかりの目つきで僕を睨んでいた。
 「!」
 風切る音が耳朶を掠めたと思った次の瞬間、僕は身を二つに折って苦悶にうめいた。鉛の重量を伴い腹の中心部へと叩き込まれた拳の威力は絶大で、ひしゃげた胃袋から酸っぱい胃液が逆流してきた。さっき食べたワカメの味噌汁の味が口内を満たし、胃袋ごと吐き戻しそうな嘔吐感に襲われて目が眩む。
 苦悶に身を捩る僕の頭上にのっそりと影がさす。歪んだ視界を一点に凝らしてみれば、鼻先に凱の顔が浮かんでいた。攻撃的に尖った顎には男性ホルモン分泌過多のためか剛毛のヒゲが生えていた。
 凱の顎先の毛穴に焦点を絞っていた僕の襟首が無造作に掴まれる。首が絞まり、危うく窒息しかけた僕の胴へと凱が跨る。
 凱の顔は怒りに上気していた。
 「早速レイジの悪影響が出やがったな。飯の最中になに話してたんだか知らねえが、大方まわりに敵を作る方法でも習ってたんだろ?」
 否定できない。
 妙に的を射た因縁をふっかけながら、手荒く僕の襟首を揺する。力任せに襟首を締め上げられ気道が圧迫される。顔を充血させた僕が酸欠状態に陥る寸前で襟首を解放した凱が、悪意滴る揶揄を耳孔へと注ぎ込む。
 「ケツ振る相手をまちがえたな、メガネ。レイジの周りにいる奴は全員ムショでも浮いてる変わり者のキチガイ揃いさ。野郎の飴玉しゃぶるのが三度の飯より好きなリョウ、台湾と中国の半半でどっちのグループからもハブられてる無愛想でかわいげねえロン、それにお前の同居人……」
 一呼吸おき、続ける。
 「サムライだ」
 「?」
 生理的な涙でかすんだ目を凱の顔へと凝らす。凱は笑っていた。楽しくて楽しくて仕方ないという嗜虐心に酔った陰湿な笑み。問答無用許可も得ず、凱の手が僕のシャツの内側へともぐりこむ。
 抵抗する気は毛頭ないと前述したが、脇腹を這いまわる手の汗で湿った感触に体が拒絶反応を起こす。鳥肌。全身の毛穴が縮む感覚を味わうのはぞっとしないが、これから行われる行為でさらに極限の忍耐を強いられるだろうことは想像にかたくない。僕を組み敷いた凱は強張った下肢を片膝で割り、片手で愛撫を続けながらもう一方の手をズボンの内側へと滑り込ます。
 「っ、」
 腰が引けた。
 ズボンの内側で蠢く他人の手を意識すると、えもいわれぬ違和感を覚える。確かに僕は不感症だ。そう多く性交渉の経験があるわけではないが、どのセックスの場合でも絶頂に達したことはなく、また、理性が押し流されるような快感を感じたこともなかった。
 今もそうだ。じかに太腿へとおかれた凱の手が膝の表裏をまさぐり、敏感な部位をさがして五指を独立して動かすも、僕が感じているのは他人に自分の体を好きにされているという嫌悪感と腰のあたりに沈殿した鈍い疲労感のみ。まあ、愛撫に反応してよがり声でもあげたりしたらかえってこの低脳を喜ばせるだけなので、それはそれでいい。
 僕の太腿をしつこくなで擦りながら、凱は熱に浮かされたような口調で続ける。
 「おめえは今日来たばかりで知らねえだろうが、アイツはある意味レイジ以上の危険人物だぜ」
 アイツ。サムライ。性急に太腿をしごかれ、苦痛に顔をしかめた僕の脳裏にサムライの横顔が浮かぶ。初対面の時、暗闇に沈んだ房の中央で座していた孤独な男の横顔が。
 「サムライがなんでぶちこまれたか知ってるか?」
 質問。無言。けたけたと下品な声で凱が笑う。
 「殺しだよ」
 それだけなら別に驚かなかった。
 サムライが殺人を犯して東京プリズンに収監されたことは本人の口から聞き及んでいたし、未成年による殺人事件が大々的にマスコミに取り上げられたのはもう半世紀も前の話だ。
 今の時世、十八歳未満の未成年が人を殺したからといって目の色変えて騒ぎ立てるほどの価値はない。交通事故より少し珍しい位の割と頻繁に起こる現象、よくある事件に過ぎないのだ。僕が東京プリズンに送り込まれることになった主たる罪状も、両親に対する尊属殺人と所長に転送された書類には記載されているだろう。
 だが、続く言葉には目を剥いた。
 「サムライは東北で有名な剣術道場の跡取り息子だったんだが、ある日突然とち狂って、それまで共に修行してきた同胞十三人を伝家の宝刀で斬り殺した」
 「!」
 凱はぐっと声を潜めた。極力トーンを落とした、怪談でも語るかのようなおどろおどろしい口調。
 「サムライが惨殺した十三人の中には、自分に剣を伝授した実の父親も入っていた」
 おそろしげに口にした凱の目に一抹の翳りが射したのを僕は見逃さなかった。

 間違いない、凱は怯えていた。
 今ここにはいない房の主に、僕の同居人に、あの……サムライに。

 「……動機はなんだ?」
 口を開き、からからに喉が渇いていたことに気付く。動機。動機が知りたい。自分の父親を含む十三人もの人間を片端から殺害したからには、そこには明確な動機が介在したはずだ。僕の知るサムライは礼儀正しい物腰と含蓄深い口調が印象的な、明鏡止水の四字熟語を体現したかのような男なのだ。
 あの物静かな男が、何故そんな大それたことをしでかしたんだ?脳裏に疑問符が増殖してゆく。僕を脅すために凱が嘘をついているという可能性も考慮したが、その疑惑を自ずから否定するが如く凱の顔は真剣だった。
 
 目を見ればわかる。
 凱はどこまでも真剣にサムライに怯えていた。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060608001001 | 編集

 「そこなんだよなあ」
 凱が口角を釣り上げる。顔こそ笑っていたが房を不在にしているサムライへの畏怖の念は拭いがたいらしく、目には怯えた色があった。
 「逮捕されたサムライは、連日連夜の取調べにも徹底して黙秘を通したそうだ」
 僕の腰をなでながら、凱が続ける。
 「取調べは過酷を極めた。十三人の人間が殺害されたんだ、それも犯人は名門道場の跡取り息子ときた。サムライの祖父は人間国宝にも指定された剣の使い手で、その息子もまた剣豪として名を馳せた猛者だった。サムライはゆくゆく道場を継ぐ者として、物心ついた時から真剣を握らされていたんだそうだ。一族すべての期待を背負って朝な夕なと稽古に励んだサムライは、十五の頃には人間国宝とうたわれた祖父に勝るとも劣らない技巧を身につけた。だが……」
 僕のズボンを脱がしにかかりながら、凱は続ける。
 「ある日、道場の神棚に飾られていた亡き祖父の愛刀をひっつかみ、その場に居合わせた同胞を皆殺しにした」
 「皆殺し」。剣呑な言葉だ。サムライの酷薄な横顔が脳裏に過ぎる。皆殺し。
 「当然、警察も周囲の人間も執拗に動機を知りたがったが、サムライはなにもしゃべらなかった。裁判で不利になるとわかっていながら、だ。結局サムライは父親を含む十三人を主たる動機もなく斬殺した咎で終身刑を宣告され、別名悪魔の汚物溜め、このくそったれた東京プリズンにぶちこまれる羽目になったわけだが……」
 そこで言葉を切り、理解の浸透度を確認するように僕の顔を覗き込む。
 「護送される間際、拘置所をでたサムライがぽつりと零した一言。なんだかわかるか」
 わからない。
 「『俺はただ、力量を試したかっただけだ』」
 サムライの声色を真似て怪談を締めくくった凱は、これからが本番だと一気に僕のズボンをずり下げる。下着と一緒にズボンが脱がされ、一糸纏わず露出した下半身が外気に晒される。嘲笑、口笛、揶揄。ベッドに詰めかけた発情期の少年たちが、ズボンを脱がされ手も足も出ない状態の僕を一斉に囃し立てる。
 「モヤシみてえな体」
 「色が白えな、女みてえ」
 「ほっそい足首だな、踏んづけただけで折れそうだ」
 「体毛薄いな」
 「キレイなケツ」
 「こりゃ初物だ」
 囚人服を毟り取られ、ギャラリーの目に晒された白く貧弱な下半身に凱がごくりと生唾を飲み込む。普段隠れている部位が人目に触れているのは妙な感じだが、それだけだ。僕は羞恥心が欠如しているのだろうか?今日が初対面の男に組み敷かれ、これから数人がかりでよってたかって輪姦されようとしているというのに、両手を封じられ下肢を押さえこまれた屈辱的な状況の現在でさえ、心の表面は冷静沈着そのものだ。肌を這い回る視線の熱と汗で粘ついた手の不快な感触にも沸き起こるのは嫌悪感のみで、恐怖は微塵も感じなかった。
 僕の現在の心境を表現するのに最も相応しい言葉は、これだ。

 煩わしい。

 不快げに顔をしかめた僕の反応を都合よく解釈したのか、調子に乗った凱が己のズボンを掴み、一息に引きおろす。凱の膝下に組み敷かれているため、見たくもない光景を真正面から目撃する羽目になった。凱のペニスは赤黒く勃起していた。持ち主の容貌に勝るとも劣らず醜悪な代物だ。
 四囲に壁を築いた少年たちの下卑た笑みを目の端に留め、うんざりと考える。
 さて、これから僕はどうなるのだろう。舐めさせられるのか、突っ込まれるのか?
 「処女のケツはたっぷり可愛がってやんなきゃな」
 凱の下品な揶揄に追従し、仲間たちが爆笑する。「舐めさせんならメガネとったほうがよくねえか?」「お前がケツで楽しんでる間、口はおれに貸してくれよ」聞くに堪えない下劣な文句の応酬、発情期の馬に似た嘶きと肌を湿らす荒い鼻息。
 淫蕩な熱で濁った目が何対も僕を取り巻いている。
 自分が蛙になった気がした。解剖台に横たわり、表皮を鉤で捲られてはらわたを暴かれた実験用の蛙。かまびすしい野次と悪意滴る嘲笑、優越感と嗜虐心に酔った少年たちの狂った声が四方から押し寄せ、背後に立った誰かの手にぐいと後頭部を押さえこまれる。顎を掴まれ、強引に口をこじ開けられる。口内の粘膜を三本指で犯され、喉の奥近くまで無遠慮にまさぐられ、吐き気にむせかえる。唾液にまみれた指を引き抜き、左右の少年たちが待ちかねたようにズボンをおろす。
 せわしない光景を瞼を閉じて遮断し、心の中で繰り返す。

 ああ、煩わしい。この世はなんて煩わしいことばかりなんだ。

 カチャリ。

 ごく軽い金属音がした。
 凱を始め僕の肢体を視姦するのに夢中だった少年たちは気付かなかったみたいだが、不衛生なマットレスに四肢を押さえ込まれた僕にはたしかに聞こえた。ベッドに仰臥した姿勢のまま、首だけ起こして視線を巡らす。少年たちに遮られた視界の向こう、この房唯一の外界との接点である鉄扉から一条の光が射している。
 「かたじけない」
 扉越しに響いてきたのは重々しいサムライの声だ。僕の胴に馬乗りになり、裸の尻を晒した凱が顕著に反応する。
 「お安いご用さ。また開かなくなった時はいつでも呼んでよ、ただし料金と引き換えに」
 格式張ったサムライの物言いに応じたのは、対照的に弾んだ声。声変わり前なのだろう高音域のボーイソプラノには聞き覚えがある。食堂に向かう廊下ですれ違った赤毛の童顔と媚びた上目遣いを思い出す。蝶番が軋み、重量感のある鉄扉がゆっくりと内へと開く。
 並んで廊下に立っていたのは大小の影ーサムライとリョウだ。
 得意げに小鼻をふくらませたリョウの右手には、先端がねじれた細長い針金が握られていた。察するに、あの針金で扉を解錠したのだろう。器用な芸当をしてみせたものだと感心しつつ、その隣のサムライへと目を移す。
 サムライは無言で房の中を見つめていた。否、正しくは房の左側、パイプベッドに参じた少年たちの背中とその向こうに仰向けた僕をというべきか。僕の腰の裏に手をさしこみ、今まさに裏返そうとしていた凱がその姿勢のまま首を捻り硬直している。凱の視線の先のサムライは、徹底した無表情でこちらを見つめ返していた。同房の住人が複数の囚人に輪姦されようとしている現場を目撃してもとくに動揺はしてないらしく、唇を一文字に引き結んだ厳粛な表情からは何の感慨も汲み取れなかった。
 「ありゃま」
 サムライの隣で目を丸くしているのはリョウだ。右手の針金をぽんぽんと投げ上げながら、好奇心をむきだしにして房の中へと身を乗り出す。ベッドにはりつけにされた僕を凱の背中越しに覗き込んだリョウは、良心の呵責などひとかけらも見当たらない笑顔で無邪気に問う。 
 「ひょっとしてー……お邪魔だった?」
 完全に面白がっていることが、生き生きした表情とわくわくした声から窺い知れた。
 「じゃ、俺は行くね。このままメガネくんがレイプされるとこ見物してたいのが本音だけど、トラブルに巻き込まれて独居房送りになるのはやだし」
 好奇心猫を殺す。
 その諺を知っている程度には利口だったらしいリョウは、トラブルに巻き込まれるのを避けて早々に退散した。ぱたぱたと軽い足音を残して遠ざかってゆくリョウの赤毛から、廊下に立ち尽くしたままのサムライへと目を戻す。

 衆人環視の中、無造作に敷居を跨ぎ、房へと足を踏み入れたサムライ。

 大股で房を横切り、むかって右側、自分が使用しているベッドへと歩み寄る。その場に居合わせた全員、サムライに声をかけることはおろか口をきくことさえできなかった。サムライが歩を踏み出すごとに四肢から放たれる殺気が増し、空気に霜が下りたような冷気がしんしんと押し寄せてきたからだ。
 僕は目だけでサムライを追っていた。ほかの部位は自分の意志では動かすことができなかった。下半身裸の凱は荒馬を乗りこなす要領で僕に跨ったまま、一向に下りる気配がない。この状況に全く無頓着に右のベッドへと歩み寄ったサムライは、おもむろに腰を屈めるや、ベッドの下へと手をさしいれ一振りの木刀をとりだした。

 初対面の僕に前触れなくつきつけられた、あの木刀だ。

 「………おい、」
 卑屈な半笑いを浮かべた凱が何を言おうとしたのかは、永遠にわからなくなった。
 残像すら残さぬ速度で横合いから振り下ろされた木刀が、凱の鼻の頂点に擬されたからだ。
 「去れ」
 凱を見もせず、サムライは言った。床と平行に伸びた腕の先、磨きぬかれた木刀の切っ先と鼻の突起を接した凱は、見違えるように萎縮して僕の上から降りた。下半身の重量が取り除かれ、両足が自由になった。マットレスに片手をつき、上体を起こす。凱は膝にズボンをひっかけたまま、片手で局部を隠したみっともない格好でサムライに弁明した。
 「冗談だよ、マジになんなって。お前がこんなに早く帰ってくるなんて思わなかったんだ。お前が帰ってくる前にケリつけてとっとと出てくつもりだったんだ。もちろん、お前の寝床をきたねえ汁で汚す気なんてこれっぽっちも……」
 凱の謝罪内容を分析してみたが、どうも論点がずれている。これではまるで、「見苦しいところを見せてすまなかった」とサムライに謝罪しているようではないか。サムライに決定的瞬間を押さえられた現状でもなお、僕を強姦しようとした件に関してはなんら気まずさを感じてないらしい。
 凱と凱の仲間たちはただ、サムライの機嫌を損ねることだけを過度に恐れていた。
 たった今まで犯そうとしていた僕のことはまるで視界に入ってないらしい。それだけサムライには、他者を威圧し萎縮させる底知れず強大な存在感があった。
 凱の顔面に木刀を突きつけたサムライが、釘を打ちこむように容赦なく言い放つ。
 「人の留守中に忍びこむとは、礼儀を心得ない輩だな」
 「お、俺のせいじゃねえ。はなから鍵がかかってなかったんだ」
 「鍵?」
 サムライがうろんげに眉をひそめる。物問いたげな視線を向けられた僕は、自分が犯した致命的ミスにようやく思い当たる。そうだ。僕は鍵をかけなかった。房に帰り着いた安堵と疲労からベッドに倒れ伏したまま、無防備にも寝入ってしまったのだ。
 
 なんてことだ。
 鍵屋崎 直ともあろう者が、なんたる失態。

 忸怩たる心境で自分の愚かさを呪っていた僕をよそに、サムライは淡々と言葉を吐く。
 「泥棒の道理など聞きたくない」
 手首を捻り、木刀の切っ先を進める。
 「これが最後の忠告だ。即刻この場を立ち去れ」
 ゆっくりと顔を傾げ、凱の視線を絡めとる。恐ろしく剣呑な光を底に沈めた深淵の双眸が、凱と凱の後ろの少年たちを順々に捕捉する。サムライと目を合わせた者から順に、僕の体を押さえ込んでいた手を放してゆく。
 「この房の主は貴様らではない」
 サムライの声は至極冷静だった。穏やかとさえ言っていいだろう静かな声には、しかし、相対した者に尋常ではない畏怖心を植え付ける頑なな信念があった。
 「俺とー……」
 サムライの眼球が滑り、ベッドに起き上がった僕を見下ろす。
 「鍵屋崎だ」
 「……ちっ」
 舌打ち。
 サムライの宣告に、不器用にズボンを穿きながら凱があとじさる。サムライに死角を見せぬよう用心して後退する凱にあわせ、ベッドを囲んでいた少年たちが小走りに廊下へと駆け出る。仲間が全員廊下へと退却するのを待ち、片手で鉄扉を支えた凱が吠える。
 「……他人に無関心なお前が人を庇うなんて珍しいじゃねえか、サムライ。それとも何か、親殺しのクズ同士連帯感でも芽生えたか」
 サムライは答えなかった。ただ、興味なさそうに凱を一瞥しただけだ。その一瞥だけで、凱の虚勢はたちどころに消し飛んだ。
 「てめえに種つけた親を殺すなんざおめえら完全にイカレてるよ、手に手をとりあって地獄におちな!」
 蝶番を噛んだ鉄扉の向こう側から、常軌を逸した凱の罵声と扉の表面を乱打する靴音が聞こえてきた。
 不毛な報復に飽いたのか、最後尾の凱の足音が性急に遠ざかってゆく。
 足音の大群が静寂に没し、薄暗い房には僕とサムライただ二人が残された。
 
 有言実行。
 サムライは指一本動かさず、眼力だけで数では圧倒的優位に立つ少年たちを退かせたのだ。

 「……無用心にもほどがある」
 最初、その言葉が自分に向けられたものだとは気付かなかった。眉をひそめてサムライを仰ぐ。ベッドの下、所定の位置に仰々しく木刀を安置し終えたサムライが、僕を振り返りふたたび口を開く。
 「房の鍵をかけ忘れたまま就寝するなど自殺行為に等しい。……次があれば、お前の貞操は保障できない」
 「保障してくれなくても別にかまわない」
 ベッドの傍らに佇んだサムライは先を促すように冷静な目を僕に向けている。
 サムライの凝視に耐えかね、俯く。 
 「……遅かれ早かれ体験することだ。既に覚悟はできている」
 嘘じゃない。
 確かに覚悟はできている。予備知識もある。
 女性がいない東京プリズンでは必然的に同性が性の対象になる。特に僕みたいな腺病質な見た目の新人は。
 僕は他人の目に自分がどう映るか知っている。
 争い事とは無縁の恵まれた環境で育った典型的日本人、末は学者か官僚かと嘱望されていた生粋のエリート候補。
 劣悪な環境下の都市部のスラムで幼少時から犯罪に手を染めてきた貧困層の少年たちからしてみれば、僕ほどストレス発散に適したなぶり甲斐のある獲物はそうはいないだろう。さらに、僕の存在は彼ら自身すら自覚してない、生育歴の落差に端を発する潜在的な劣等感を刺激するだろう。僕の個人情報がどこまで流出してるかは定かではないが、今日が初対面の凱までが僕が収監された罪状を知っていたとすれば、三日後にはこの棟全ての人間に「薄汚い親殺し」と後ろ指をさされる末路が待ち受けているだろう予測が立つ。
 東京プリズンに収監されるまで、国内外に広く名を知られる鍵屋崎夫妻の長男として生を受けた僕は、世田谷の高級住宅街に建つそこそこの規模の邸宅で暮らしていた。身の周りは常時三人はいる通いの家政婦の働きでいつも清潔に保たれていたし、定刻通りにダイニングテーブルに着けば僕の食欲の有無に関わらず完璧に栄養管理された食事が一日三食供された。
 僕が何もしなくても事は全て単調に順調に運んだ。
 日本国籍を持つ日本人というだけで選良の未来を約束された特権的身分であり、十五になるこの年まで生活面ではなんら苦労を知らずに育った僕は、弱肉強食が鉄則の過酷な環境下のスラムで幼少時から生きるか死ぬかのサバイバル生活を余儀なくされてきた少年たちからすれば、凄まじい憎悪と嫉妬の対象になるだろう。

 持たざる者は持てる者を憎悪する。

 そこまで考えて、口元に自嘲の笑みが浮かぶのを止められなかった。
 馬鹿馬鹿しい。今の僕に何があるというんだ?
 今の僕が所有しているものなど何もない。
 世間一般からは理想的に見えた家庭も出世を約束された選良の未来も全てこの手でフイにした。
 両親を刺殺したとき、僕はそれまで所有していたもの全てを失った。
 否、自分から放棄したのだ。
 経済的には何不自由ない生活も物心ついた時から暮らした家もゆくゆくは国に貢献するブレーンとして嘱望された輝かしい未来もー……

 だが、僕が失ったいちばん大きなものは……。

 「……いい加減下を穿け」
 サムライの声に我に返る。凱にズボンを脱がされた僕は、自分が下半身裸のまま放心状態でベッドに座り込んでいたことに気付く。他ならぬサムライの前で醜態を晒したことで著しくプライドが傷ついた。ズボンの裾を掴み、引き上げる。鼻梁にずり落ちたメガネを押し上げ、視界を明瞭にしてから改めてサムライと向かい合う。無表情のサムライと面と突き合わせた僕は、頭に昇っていた血がスッと下りてきて、体中を巡る血が液体窒素のように冷えてゆくのがわかった。
 「いいか、今後一切余計な手出し口出しは無用だ。複数人に強姦されるより唯一人に同情されるほうがなおいっそう僕のプライドは傷つく。……それが貴様なら尚更だ、サムライ」

 サムライはあくまで観察対象にすぎない。
 僕の庇護者でも、ましてや友人でもない。
 
 サムライに窮地を救われても感謝の念はこれっぽっちも湧かなかった。それどころか、僕は酷く侮辱された気がした。
 今はただ、無表情に取り澄ました目の前の男が腹立たしかった。
 無視してくれるならいい。そのほうがずっとマシだ。

 中途半端な同情など買いたくない。
 一過性の慰めなどいらない。

 たしかに僕は東京プリズン送致が決定した時点で輝かしい未来を絶たれた身だが、こんな得体の知れない男にまで同情されるほど落ちぶれてない。

 同じ親殺しの罪を負った同房の囚人ふたり、負け犬同士が傷を舐め合うような、みじめで自慰的な関係はお断りだ。

 殺意と紙一重の憎悪をこめた目でサムライを睨む。
 憎たらしいことに、サムライは些かも動じることなく僕の苛烈な眼差しを受け止めた。
 日本人の典型である切れ長の一重を微かに訝しげに眇めたほかは、能面のような無表情には分子一つ分の変化もない。
 凱に跨られたときでさえ常と変わらぬ平静さを保っていた心がざわざわと波立ち、二本の足で立っていられないほどの屈辱感に打ちのめされる。
 「……何か勘違いしているようだが」
 軽く腰を屈め、木刀を納めたベッド下から九十九折の冊子を取り出すサムライ。何の真似だ?予想外の行動に意表を衝かれた僕を無視し、コンクリート打ち放しの床に直に正座したサムライが慣れた動作で冊子を開く。
 「ここはお前の房でもあるが、先住者は俺だ。行為が終わるまで、俺が廊下で待機していなければならない謂れはない」
 サムライが開いた冊子には芥子粒のような字が犇きあっていた。達筆に崩した草書体の漢字を見て、不審感が募る。
 「待て、それはなんだ?」
 「般若心境の経文だ」
 いつのまにかベッドの下から硯と筆を取り出し墨をすり始めたサムライに現状把握が追いつかず、僕は当惑する。
 「貴様、ここで何をする気だ?」
 「写経だ」
 「写経?」
 僕の声が上ずったのも無理はない。
 気負った様子もなく至極当然のことのように答えたサムライは、切腹に臨む武士のように凛と背筋を伸ばして墨をすり続けている。
 手首を前後させる動きも堂に入ったもので、おもわず見とれてしまいそうになる。
 「写経と読経は一日の日課だ。サボると寝つきが良くない」

 読経もあるのか。

 などと驚いている場合ではない。僕はようやくサムライの本心と行動原理を理解した。
 サムライは僕の身を案じて現場に踏みこんだわけではなく、己の日課を消化するためにリョウに鍵開けを頼んでまで自分に割り当てられた房に帰還したのだ。
 サムライは僕と同じかそれ以上に、他者の介入により一日のサイクルを乱されることが我慢できない性質だったのだ。
 
 ただそれだけのことだったのだ。

 サムライが己の日課を優先した結果僕は貞操の危機を免れ、サムライに大きな貸しを作ることになった。
 全く、馬鹿げてる。全ては僕の思い過ごしじゃないか。
 自分の間抜けぶりを自覚した途端、胸が焼けるように熱くなった。
 「出てけ」
 シャツの胸を掴み、かすれた声を絞り出す。墨を磨る手を止め、サムライが振り向く。
 サムライの視線を避けるよう俯いた僕は、極力抑えた声で言う。
 「何も聞くな。今すぐ出てけ」
 「……解せんな。わけを言え」
 わずかに小首を傾げ、サムライが反駁する。硯を固定していた手を放し、僕へと歩み寄る素振りを見せたサムライを咄嗟に制止する。
 「来るな!」
 喉から迸ったのは自分でも驚くほど大きな声だ。
 「―貴様の鈍感さにはある種敬意を表する」
 胸がむかむかする。顔に滲んできた脂汗を近距離のサムライに悟られぬよう、深呼吸して顔を伏せる。
 「最後まで言わせるな。用を足したいんだ」
 長い逡巡の末に、ぽつりと言葉を零す。ちらりと房の奥へ目をやる。房の奥に設置されているのは汚れた便器だ。
 衝立も何も遮るものがないため、用を足す時は同室者に丸見えとなる。
 プライバシーなど無きに等しい造りの房だが、文句を言える立場にない囚人たちは黙って耐えるしかないのだろう。
 だがサムライは、刑務所生活初日の僕の気持ちを汲んでくれたらしい。
 「承知した」
 房の奥まった場所に据えつけられた便器にちらりと目をやり、膝に広げた経文を畳んでさっと腰を上げる。
 サムライの行動は迅速だった。
 硯を床に放置したまま、衣擦れの音さえ殆どたてずに鉄扉へと向かう。
 気配を忍んだ足捌きでサムライが廊下へと消え、バタンと扉が閉まるのを待ち、はじかれたようにベッドから離れる。
 僕が直行したのは便器ではなく、その隣の洗面台だった。
 「げほっ……!!」
 洗面台の縁に手をつき、蛇口の下に顔を突っ込む。口の中に酸っぱい胃液がこみあげてくる。吐く。止まらない。食道と喉が一本の管になったかの如く吐いて吐いて吐き続け、胃の内容物すべてをぶちまける。嘔吐。何度吐いても胸につかえていた異物感は消えない。
 手が白くなるほど力をこめて蛇口を握り、不規則に乱れた呼吸を整える。 
 汗で湿った手の感触がまだ生々しく肌に残っている。気持ちが悪い。口に突っ込まれた手の感触を思い出し、猛烈な吐き気に襲われる。 洗面台の縁にすがりつくことで、今にもくずおれそうな上体をなんとか支える。
 「はあ、はあ、はあ……」
 息が乱れている。心臓の鼓動が鳴り響く。
 誤解されては困る。
 凱や凱の仲間たちに押さえ込まれた時でさえ、僕が恐怖を感じなかったのは本当だ。
 誓って真実だ。
 しかし、赤の他人の不潔な手に体の裏も表もまさぐられているというどうしようもない嫌悪感は拭えなかった。
 僕はただ、とてつもなく気持ち悪かったのだ。少なからず潔癖症の気がある僕はできるだけ他人との接触を避ける傾向がある。それなのにあの度し難い連中ときたら、用を足す時にトイレットペーパーを使用する習慣があるかどうかも疑わしい汚い手で人の体をいじくりまわして……。

 強姦する前にせめて手を洗え。

 吐寫物にまみれた顎を拭い、蛇口を捻る。勢い良く水が迸り、冷たい水滴が顔を濡らす。洗面台にもたれた姿勢でゆるゆると顔を上げる。亀裂が生じた鏡に映ったのは、酷く憔悴した僕の顔。
 
 サムライが出ていくまで保ってよかった。
 こんな情けない姿をあの男に見られるくらいなら死んだほうがマシだ。 

 鏡に映る蒼白の顔から、渦を作って排水口へと吸い込まれてゆく水へと目を転じる。
 『おにいちゃん』
 耳に蘇るのは懐かしい声。少量の恥じらいを含んだ、遠慮がちな呼びかけ。
 「恵……」
 腰が砕け、足が萎える。
 洗面台の縁に手をかけ、床に膝を屈した僕の耳に響くのは、水が流れるザーザーという音だけ。
 
 恵に会いたい。
 会いたい。

 外の世界に未練などない。その言葉に嘘はない。
 ただ一人の例外を除いて。

 恵。
 僕の庇護を欲するか弱い存在。僕を必要とするかけがえのない存在。
 
 僕の妹。
 
 僕はこれから長い長い余生を東京プリズンの薄暗い房で過ごすことになる。
 その間、恵はどうなる?ひとりぼっちの恵はどうなるんだ。
 だれが恵を守ってやれる。
 僕以外のだれが恵を守ってやれるって言うんだ。



 ―……渡すものか。

 僕以外の誰にも、恵を渡すものか。




 何があっても恵を守り抜くことだけが僕が僕に見出した唯一の存在価値であり、存在意義なのだから。

 「………必ず迎えに行く」 
 鏡に映る自分に、言い聞かせるように呟く。
 「だから、待っててくれ。恵」
 それまでに僕がすべきことは、慣れることだ。
 『一週間もすればここでの生活に慣れる。慣れざるをえない。それまでの辛抱だ』
 サムライの言葉が頭蓋骨の裏側にこだまする。彼の言ってることは間違ってなかった。ありのままの事実に即した教訓だった。否が応でもここでの生活に慣れなければ残された道は一つー……「死」だ。リンチで死者がでることなど日常茶飯事の東京プリズンで生き残るためには、曲者ぞろいの看守や囚人の間を上手く立ち回る術を身につけねばならない。
 場数を踏んで実戦慣れしている囚人たち相手に、腕力では到底かなわない。
 僕に残された唯一にして最大の武器はこの頭脳だ。
 そっと頭に手をやる。常人と比して遥かに新陳代謝の活発な大脳と小脳と新皮質があれば僕にできないことはないはずだ。
 「そうだろ、鍵屋崎 直」
 青ざめた唇を動かし、自己暗示をかける。

 「お前はこの国が誇る『人工の天才』なんだから」

 鏡の中、眼鏡のレンズに水滴を付着させた自分が背筋が寒くなるような笑みを浮かべた。
 いつかのサムライとよく似た、触れれば切れそうに鋭い剃刀の笑みだった。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060607102743 | 編集

 初めてベルトで殴られたのは四歳の頃だ。
 それまでも平手で叩かれるのはしょっちゅうだったが、さすがにあの時のことはよく覚えてる。忘れようったって忘れられない鮮烈な痛みの記憶。骨の髄にまで刻みこまれた強烈なベルトの味。癖になる苦痛。

 きっかけはささいなこと。食事中のよくある出来事。

 その日、俺はお袋とふたりきりで夕飯を食べていた。 
 粗大ゴミ置き場からかっぱらってきた一枚板のテーブルを挟み、差し向かいで黙々と箸を動かす。お袋は飯を食べている時は一切しゃべらない。よくは知らないが、台湾にいた頃に相当厳しく躾られたのだろう。お袋の箸の使い方は惚れ惚れするほど美しかった。左手を椀に添え、右手に箸を握り、神前の儀式のように粛々と飯粒を口に運ぶ。
 正面から正視したお袋は、すこぶるつきの美人だった。
 光沢のある睫毛の下の切れ長の目はいつもしっとりと濡れていて、一瞥で男を虜にする媚びた艶を含んでいた。
 秀でた額は白磁のように滑らかで、肉の薄い鼻梁はおそろしく端正に整っていた。品よく尖ったおとがいに見え隠れする傲慢なまでの気位の高さと白鷺のように華奢な首筋の痛々しいまでに儚げな風情が渾然と溶け合い、薫り高い花の如く浮華で放埓なアジアン・ビューティーを創造していた。お袋は非の打ちどころがない美人だった。貧にかかった後れ毛さえ、お袋の色気を増す役割を果たしていた。
 だが、当時四歳の俺にとって食事中の最大の関心事は目の前のお袋などではなく、食事を終えた後に待っている長い苦行だった。
 飯を食べ終えると同時に、お袋は痣になるとほど強く俺の手を掴んでぽいと戸外に放り出す。そして、バタンとドアを閉ざす。戸外に締め出された俺はアパートの廊下に独り、途方に暮れて立ち尽くす。わんわん声をあげて泣き喚いてもドアはびくともしない。無関心な沈黙。ドアがふたたび開くのは客が訪ねてきた時だ。

 客。男。お袋の体目当てに来た客。 
 
 お袋は俺と二人暮しのアパートで客を取っていた。俺が物心ついた時にはもうこの商売に就いていたと思う。ひょっとしたら俺が腹にいた時も客を取っていたのかもしれない。日本人の客には妊婦マニアの変態も多いからあながち否定できない。俺に胎児の頃の記憶がなくて本当によかった。
 客がノックすると素早くドアが開く。客が滑りこむが早いか、バタンとドアが閉じる。ふたたびの沈黙。中で繰り広げられているのは俺の預かり知らぬ男女の痴態だ。
 朝方にドアが開くまでの間、俺は高層アパートの廊下で膝を抱えてひたすら待つしかなかった。けばけばしいネオンが散り咲いたスラムの夜景を眺めながらドアに凭れてぼんやり座りこんでいると、背中からお袋のよがり声が響いてくる。
 俺にとっては苦行でしかなかった。
 だから俺は、できるだけぐずぐずと食事をとった。のろのろと箸を動かし、のろのろと飯粒を口に運ぶ。一粒の飯粒を咀嚼するのに最低でも二十秒はかけた。食後に決まって訪れる苦行を一分一秒でも先に引き延ばしたいと思うのは当然の心理だろ?
 だが、この作戦は裏目にでた。お袋の怒りを買ったのだ。ガキの考えてることなんてはなからお見通しだ。お袋は一分一秒でも早く食事を終わらせて、準備万端客を連れこみたかったのだ。それなのに、俺がぐずぐずしているせいでいつまでたっても夕飯は終わらない。
 テーブルに頬杖ついたお袋が、目を三角にして俺を睨む。不作法なポーズ。あんなに行儀正しく箸を扱えるのに台無しじゃないか。幼心にも、漠然とそう思う。
 箸を指に預けたまま、お袋の右肩のあたりをじっと見る。派手な色合いのキャミソールの肩紐がはずれ、二の腕にまで落ちている。キャミソールの紐がひっかかっていた部位に白い線が走っていた。薄く日焼けした肌から仄かに浮かび上がる一筋の白が妙になまめかしい。赤いマニキュアを塗った指でキャミソールの肩紐をいじくるお袋。その顔に過ぎるのは、万事につけ要領の悪い息子に対する嫌悪と侮蔑、御しようのない苛立ち。お袋が怒ってるのはわかった。お袋の全身から立ちのぼる怒りの波動が、テーブルの板の上をさざ波のように走ってひしひしと押し寄せてきたからだ。 
 
 けど、この時の俺になにができた?

 俺はお世辞にも箸の扱いが上手くなかった。当たり前だ、まだ四歳のガキだ。箸よりは匙のほうが手に馴染む年頃だ。だがお袋は、早々に俺から匙を取り上げた。いや、そもそも匙を使っていた期間があったのだろうか。物心ついたときから箸と悪戦苦闘していた気がする。
 ひょっとしたらお袋の教育方針だったのかもしれない。子供には早いうちから箸の使い方を叩きこめっていう先祖代代ありがたい教え。だけどちょっと無理がある。自慢じゃないが俺はもともと器用なほうじゃない。いや、回りくどい言い方はよそう。俺は天性の不器用だ。手を使ってできることといえば人を殴ることぐらいで、その他は得意じゃない。お袋のスパルタ教育の成果で箸だけは操れるようになったが、この時の俺はまだ四歳。はっきり言って、あんな細長い棒で飯粒をつまめるわけがない。物理的に不可能だ。
 だが、箸を放り出して犬食いするわけにもいかない。そんなことしたらお袋にぶん殴られる。お袋はとんでもないアバズレだったが、躾にだけは妙に厳しかった。台湾の女は皆そうなのだろうか。俺にはわからない。俺の半分は台湾人だが、もう半分は中国か韓国かどっかそのへんだ。
 仕方ないので、俺は手からずり落ちそうになるたび箸を持ち直し、顔を伏せて食事を続けた。視線はお袋の右肩に固定していた。お袋と目を合わすのは怖かった。硬質な美を宿した黒曜石の目。愛情の片鱗もない目。潰れた空き缶でも見るかのような無関心な目。
 食事時は緊張していた。お袋と二人きりの食卓。会話はない。沈黙。その晩の献立は茄子の漬物と白い飯、焼き魚。茄子の漬物を齧る。ポリポリシャクシャクシャキシャキ。小気味良い音が単調に流れる。

 事件は茄子の漬物に箸を伸ばしたときに起こった。

 不器用に箸を操り、小皿に盛られた茄子の漬物をつまむ。箸の先で漬物を挟み、口に運ぼうとした刹那。
 
 ポトリ。

 口に達する直前、漬物がこぼれ落ちた。
 なんともあっけない末路。俺はぽかんとした。茄子の漬物から染み出した汁が、床に敷いたカーペットに染みてゆく。このカーペットだってどっからかかっぱらってきた安物にちがいない。擦り切れて色褪せた粗末なカーペットで、今更シミ一つ増えたって目くじらたてることはない。

 そのはずだった。俺は楽観していたのだ、間抜けなことに。

 ガシャン!!

 お袋がキレた。
 唐突だった。不測の事態。皿を薙ぎ払い、髪振り乱し、金切り声で喚き散らす。華奢な拳でテーブルの板をバンバン叩き、薄い肩を激しく震わせて絶叫する。何?何を言ってるのかわからない。俺の知らないとんでもなく汚い台湾語のスラングを連発し、天を罵り地を呪う。次なる矛先は、テーブルを挟んで対岸に座していた俺だった。
 お袋の怒りの源、諸悪の根源たる俺。
 お袋が俺を睨む。凄まじい目。業火。燐光。頭から冷水を浴びせられた気がした。背骨が凍りつま先が強張り、椅子から飛び下りることもできない。失点一。俺は一刻も早く避難すべきだったのだ。お袋の怒りがおさまるまで、アパートの外廊下にでも身を潜めているべきだったのだ。何時間でも、何日でも。
 華奢な拳が何度も上下し、テーブルの天板を打つ。バンバンバンバンバン。白い拳は傷だらけ。血が滲んで酷い有り様。
 あの手で男を抱くのか。あの手で男の髪をなでるのか。あの手で男のペニスを扱くのか。
 お袋の手が箸を鷲掴みにした。あっと叫ぶ暇もなかった。お袋の手の中でボキリと箸が折れた。嫌な音。俺の耳小骨が砕かれた音にも聞こえた。二つに折れた箸を力任せに投げつける。避けなかった。体が硬直して避けられなかったのだ。箸は俺の胸にあたった。
 俺はきょとんとしていた。お袋がなぜそんなに怒るのかわからなかった。もとから汚いカーペットに今更シミが増えたぐらいで、あれほど怒り狂う必要がどこにあるのか。
 椅子を蹴倒し、憤然と踵を返すお袋。髪振り乱してテーブルを迂回し、つかつかとクローゼットへと歩み寄る。粗大ゴミ置き場からかっぱらってきたクローゼットの扉を荒々しく開け放ち、何かに憑かれたように中の洋服を漁る。激しく上下するお袋の肩が、ハンガーに吊られた大量の服の狭間から垣間見えた。クローゼットに頭を突っこみ、中腰で服を漁るお袋の姿は、袋を破いて残飯をついばむカラスのように滑稽だった。
 お袋が頭を抜いた。俺に背を向けて立ち尽くす。無言。お袋が何かを手にしている。お袋の手元に目を凝らす。
豆電球の光を弾いてギラリと輝いたのは、くすんだ銀の金具。
 お袋が両手に捧げ持っていたのは、黒皮のベルトだった。
 お袋はベルトを探していたのか。でも、なぜ?
 胸騒ぎがする。喉が渇く。でも、その場から動けない。椅子から足を垂らしたまま、魔性に魅入られたようにお袋の背中を凝視する。
 痩せた背中。薄い肩。うなだれたうなじ。

 『…………で』

 か細い声が漏れた。
 お袋の声だった。耳を澄ます。静寂。

 『なんでなんでなんでなんでなんでなんで』

 意味のない繰り返し。意味のない呪文。

 おかしい、おかしいよおかあさん。何をそこまで怒るんだ?
 叫びたかった。でも、声は出なかった。一言一句も漏らさないように、舌が喉を塞いでいたのだ。
 お袋が振り向いた。美しい面立ちに般若の形相を映す。
 お袋の手の中でベルトが撓る。鋭い音が鳴る。ビクッとする。憤怒の形相の上に能面のような無表情を被り、俺の方へと歩を進める。椅子の背凭れにぴったりと背を密着させ、できるだけお袋から距離をとろうとする。無駄な努力。椅子の足が床を擦る。ギシギシ。軋り音。 喉が渇く。目が乾く。俺の目に映っているのは、着々と接近してくるお袋の姿。
 キャミソールの肩紐が二の腕に垂れ、緩やかな曲線を描いた肩があらわになる。左右対称の鎖骨とその下の豊かな胸。キャミソールの薄い生地越しに乳首が透けて見えた。ノーブラ。
 お袋の歩みが止まる。頭上が翳る。おそるおそる顔をもたげる。目の前にお袋がいた。
 電球が投じる心許ない明りを背に、俺の脳天を見下ろしている。豆電球の薄明かりが鋭角的な顎の線を際立たせる。
 びゅっ。耳元で風を切る音。お袋の右手が空を薙ぎ、ベルトが振り下ろされる。避ける?そんな発想ははなからなかった。お袋から逃げられるわけないじゃないか。俺を産んだ女だぞ。
 乾いた音が鳴る。右腕に鋭い痛み。ガタン、椅子から転げ落ちる。受身もとれず、もろに背中を強打する。カーペットが敷いてあっただけまだマシだ。正直、背中の痛みより右腕の痛みのほうが強烈だ。薄赤く染まった右腕を一瞥し、眼前のお袋を仰ぐ。お袋が右手を翳す。二打目。今度は左肩。革のベルトで容赦なく鞭打たれ、瞼の裏側で火花が爆ぜる。芋虫のように身を縮め、片手を床について後ずさる。カーペットをかきむしって距離を稼いだ俺を、お袋が冷たく嘲笑う。芋虫を見下すアゲハ。
 三打目。脛を打たれた。悲鳴をあげた。痛すぎる。視界がぼやけてお袋の顔が歪む。笑っている。心底楽しそうに笑ってやがる。そんなに俺を苛めるのが楽しいのか?舌が正常に機能するなら盛大に罵ってやりたかったが、恐怖と苦痛に占められた頭では悪態の一つも捻り出せなかった。
 四打目からは数えるのをやめた。打たれた箇所が赤く染まり、みみず腫れが縦横に走る。右肩、左肩、右腕、左腕、右手の甲、左手の甲、右脛、左脛、背中。シャツから露出している部位は全滅。露出してない部位も全滅だろう。お袋はやるとなったら徹底的だった。徹底的に俺を痛めつけた。容赦なし。途中からは意識が混濁してきて、ベルトが肌を打つバチンバチンという音も他人事のように聞いていた。脳天が痺れるくらい痛いのにしぶとく理性は居残っていた。頭の片隅、ひんやりと冷めた理性で考えた。
 
お袋はなんて楽しそうに俺を打つんだろう。ほとんど狂喜してやがる。

 客と二人きりになった時も、嬉々としてクローゼットから革のベルトをとりだしてくるんだろうか。そして、客の全身を嬉々として殴打するのだろうか。
 そんなお袋の姿は見たくなかった。息子として当然の心理。でも、目の前のお袋はどうだろう。肩を喘がせ呼吸を喘がせ、狂気に憑かれてベルトを振り下ろすお袋はどうだろう。
 壮絶の一言に尽きる。
 バチン。太腿を打たれた。焼けるように痛い。熱を孕んで赤く疼く。肌の至る所に醜いみみず腫れが生じ、全身が火照る。体のあちこちで小爆発を繰り返す火種。苦痛の凝縮。骨身に染みる苦痛ってのはあのことだ。喉の奥が塩辛い。涙と鼻水が一緒くたになって食道を濡らしているのだ。俺の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。みっともない。お袋の足元に這いつくばって慈悲を乞う。太腿に縋りついて哀願する。

 ごめんなさい許してくださいもうしませんもうぶたないでくさい。

 謝罪の羅列。頭の中は真っ赤。苦痛の信号はなぜ赤いのだろう。革のベルトが肌を叩くたびに、視界が赤く点滅する。瞼の裏側を走る毛細血管が発火してるのかもしれない。だから目玉が熱いのだろうか。……いや、違う。目玉が熱いのは泣いてるからだ。涙腺が焼ききれそうだ。哀しくて泣いてるわけじゃない。単純に痛くて涙が出るのだ。
 お袋が俺を見下している。右手にはベルトを下げている。低く流れる嗚咽。俺の嗚咽。横隔膜の痙攣が止まない。全身が痛い。床に尻餅ついてしゃくりあげる俺を見て、お袋はようやく溜飲を下げたらしい。折檻が止んだ。憑き物が落ちたようにお袋の表情が凪ぐ。無造作にベルトを放り出し、俺の方へと歩み寄る。お袋が両手を伸ばす。びくっとする。お袋の手が虚空で静止する。憂いを含んだ黒い目で、哀しげに俺を見つめる。
 お袋の手が俺の頬を包む。赤く腫れた頬を愛しげに撫でる手。たった今まで、その手でベルトを振り下ろしていたのに。たった今まで、その手で我が子を殴打していたというのに。
 俺の頬を掌で包み、胸元へゆっくりと導く。お袋の胸に顔を埋める格好になった俺は、掌がじっとり汗ばむのを感じていた。ねっとりした不快な汗だ。お袋の胸は安物の香水の匂いがした。吐き気がこみ上げてきたが、お袋の胸をゲロまみれにしたら体裁が悪いので堪える。
 俺の後頭部に腕を回し、お袋が囁く。
 『わかったでしょう、ロン』
 
 呪詛。

 『これからはもう、お母さんを困らせるためにわざと漬物を落としたりしちゃだめよ』
 わざと?わざとじゃない。あれは事故だったんだ。悪気なんてこれっぽっちもなかったんだ。
 身を捩って拘束から逃れ、咄嗟に反論しようとした。目でお袋に訴える。俺は悪くない。あんたを困らせるつもりなんてこれっぽっちもなかったんだ。
 お袋の目に俺が映る。俺の顔が絶望に暮れていく。幻滅。お袋に言葉は通じない。唾をとばして道理を説いたって通じやしないのだ。お袋はそういう種類の人間だ。己の価値観をテコでも譲らない。己が腹を痛めて産んだガキにも杓子定規な価値観を強制しようとする。
 俺を産んだ女は、そういう種類の人間だ。
 お袋は微笑んでいた。一種聖性を帯びた官能的な微笑。
 『さあ』
 お袋の視線がカーペットを滑り、テーブルの下をさす。お袋が視線で促した先には、茄子の漬物が落ちていた。俺が生まれて初めて革のベルトで打たれる原因になったブツ。
 『食べなさい』
 耳を疑った。
 が、お袋の目はマジだった。微笑の圧力。無言の強制。逆らえない。ベルトで殴られた部位がひりひり疼く。極限の苦痛を舐めた直後に、はたして何人の人間が無体な要求に逆らえるだろうか。お袋の言ってることは全く理不尽だ。理解できない。だからなんだ?お袋はいつだって理不尽だ。理解できなくても従わなけりゃならない。

 俺はまだ死にたくないのだから。地獄を覗き見るのはごめんだ。
 
 カーペットに手をつき、膝をつく。四つん這い。犬のような格好。目の端でお袋の顔を窺う。無表情。早くしなさい。唾を呑む。腕を見下ろす。縦横に交差したみみず腫れ。四肢がひりひりする。カーペットに掌をついて上体を支え、膝で這って進む。テーブルの下に頭を突っこむ。目の前に萎びた茄子。途方に暮れて茄子を見下ろす。口内に唾液が沸いてきた。お袋は相変わらず俺を見つめている。振り向かなくてもわかる。うなじに視線が注がれているのが産毛がちりちりする感覚でわかる。 

 監視。観察。

 おそるおそる首をおろし、茄子に顔を近づける。匂いを嗅ぐ。無意味な行為。そうやって時間を稼ぐ。犬の真似をするくらいなんだってんだ。たいしたことじゃない。賢明に己に言い聞かせる。たいしたことじゃない。たいしたことじゃない。カーペットに顔を擦りつけ、下顎で茄子をくわえる。不自由な体勢。口を動かし、舌の上に茄子を乗せる。漬物の味が口内に広がる。咀嚼する。飲み下す。あとに残ったのはカーペットの染み。
 『舐めなさい』
 口を拭って振り向く。お袋は無表情だった。
 『舐めなさい』
 無表情で命じられ、混乱する。何?何を言ってるんだ。舐めろ?舐めろってなにを?カーペットの染みを?舐めてどうしようってんだ。
 俺の顔に浮上した疑問符を汲み取り、お袋は至極当たり前の道理を説いた。
 『あんたが汚したんだから、あんたが綺麗にするのが当然でしょう』
 衣擦れの音。お袋が焦れて立ち上がる。俺の傍らに膝を折り、耳元で囁く。
 『なにぐずぐずしてるの。手伝ってあげるわ』
 頭の上に乗せられた白い手。ぐいと頭を押され、カーペットに顔を押しつけられる。毛羽立ったカーペットが頬を擦ってくすぐったい、なんて悠長なこと考えてられたのは一瞬だった。後頭部を押す手の圧力が増す。グイグイとカーペットに押し付けられる。あの細腕のどこに有無を言わせぬ怪力を秘めているのか、お袋は終始無表情に徹して拷問を継続する。抗おうにも顔面をカーペットに押しつけられ、身動きができない。カーペットに唾液が染みてゆく。窒息寸前。胸が苦しい。耳元でひゅーひゅーと音が鳴る。死神の口笛かと思ったら、切羽詰った呼吸音だった。てことは、頭蓋骨の裏っ側で銅鑼のように鳴り響いているこの音は、カウントダウンを刻む心臓の鼓動か?いよいよ死期が近いみたいだ。

 再見おふくろ、再見この世。

 ところが俺は死ななかった。
 窒息する寸前、お袋の手が離れた。頭の上から重しが取り除かれる。途端に呼吸がラクになる。カーペットに大の字にひっくり返り、胸を喘がせて殺風景な天井を仰ぐ。拡散していた焦点が次第に定まってゆく。
 俺の危機を救ったのは、不躾なノックの音だった。
 カーペットに寝転がったまま緩慢に顔を傾げ、ドアの方角へと視線を放る。小走りにドアに駆け寄るお袋。ノブを捻る。ドアを開く。来訪者はランニングシャツ一枚の肥満漢。お袋は華のような笑顔で客を出迎えると、男の二の腕を掴んで半ば強引に中へと引きこむ。
 今気付いたが、キャミソールの肩紐が外れているのも客の歓心を買う演出かもしれない。案の定、男はお袋の右脇に目をやって脂下がっていた。だが、室内に一歩足を踏み入れた刹那、鼻面に皺を寄せて不快感を表明する。男が早口で何事か叫んでいる。俺を指さして何か言ってる。大方、なんでこれからことをおっぱじめようって時に我が物顔でガキが寝転んでいやがるんだとか、そんなとこだろう。声高に非難され、お袋は鼻白んで肩を竦める。
 颯爽と踵を返し、俺の方へと歩み寄るお袋。肩紐をいじくりながら、俺の上に屈みこむ。
 『とっとと出てかないと殺すわよ』

 それだけ。
 息子を殺しかけてそれだけかよ。

 急速に薄れゆく意識の彼方で、俺はおいおいと嘆いた。おいおい、そりゃないだろお袋。
 フェイドアウト。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060605103500 | 編集

 ……ン。ロン。

 ロン。

 「!」
 毛布をはねのけ、シーツを蹴り、飛び起きる。
 全身にびっしょりと寝汗をかいていた。脂汗にまみれた髪が額にはりついて気持ち悪い。前髪をかきあげる。嘆息。夢。悪夢。最悪の夢。パイプベッドの上に起き上がり不規則に乱れた呼吸を整えるのに全神経を集中する。経営難で潰れた病院から格安で払い下げられたのだろうパイプベッドは廃品寸前の代物で寝心地はガタのきた棺桶といい勝負だが、それでもドブネズミやゴキブリが汚い汁をとばして這いずり回る床にじかに寝るよか幾分マシだ。この監獄の衛生管理ときたらまるでなっちゃいない。
 コンクリ壁で四面を塞がれた房は暑苦しく蒸していて、四六時中下水に似た胸の悪くなる臭気がたちこめている。
 ベッドの背格子によりかかり、シャツの胸を掴んで荒れた呼吸を鎮める。でたらめに弾んでいた心臓が肋骨をノックするのに飽きて横隔膜の座布団の上にどすんと落ち着き、だいぶ呼吸がラクになる。
 周囲の状況を分析する余裕がでてきた俺は、汗で湿ったシャツを不快に感じながらゆっくりとあたりを見回す。
 暗闇に沈んでいたのは圧迫感のある低い天井と殺風景な床。ここは房だ。俺にあてがわれたヤサ。そして隣にいるのは……。
 「グッモーニン、ロン」
 俺の枕元に片ひざついていたのは若い男だ。
 天然藁の茶髪を頭の後ろで一つに縛り、呑気に片手を挙げている。裸の上半身は濃い蜂蜜色をしていた。ベッドに半身を起こした俺の位置からは無駄なく引き締まった脇腹と適度に鍛えられた胸板が至近距離で鑑賞できた。……べつに鑑賞したくもなかったが。これっぽっちも。なにが哀しくて起床一番野郎の裸を鑑賞しなければらならないのだと我が身の不運を嘆いた俺をさらりと無視し、男はおもいきり伸びをした。腰に結んでいたのは格子縞の長袖シャツ……囚人服の上着である。
 「……なんで脱いでんだよ。露出狂かお前」
 「サービス?」
 「だれに」
 「おまえに」
 「うれしくねえ」
 憮然と指摘されたレイジが残念そうに囚人服を着なおす。俺はベッドに上体を起こしたまま、レイジが囚人服の袖に腕を通してゆく過程を漫然と眺めていた。裾をおろして引き締まった腹筋と中央のヘソを隠したレイジが「よし」と顔を上げる。
 満足げに顎を反らしたレイジの横顔に、不覚にも見惚れる。
 出来過ぎなほど整った面には嫌味を通り越して感心してしまう。しなやかな猫科の獣をおもわせる野性的な双眸を中和しているのは甘く整った鼻梁、180cmを軽く超す申し分ない長身と過不足なく引き締まった肢体は素晴らしくバランスがよい。ゴキブリとドブネズミの天下である刑務所では寝ても覚めてもクソしても場違いなオーラを放つ男である。
 最も、目立つことがいいことかと問われれば全肯定はできない。特にここ東京プリズンでは目立つ者は標的にされやすい。
 目の前の男、レイジがいい例だ。
 没個性な囚人服を着ていてもイコール無個性ということにはならない。均整のとれた長身のレイジが着ると垢染みた囚人服がどんな気取った衣装よりもクールに洗練されて見える。この格好でファッションショーにでたら拍手喝采を浴びるだろう。惜しいのは東京プリズンに女がいないことだ。男と女が半半に存在する娑婆ではレイジは朝を迎える相手に不自由しない結構な身分の色男だが、五千から成る囚人すべてが男で占められた東京プリズンではケツを狙われる側になりかねない。そこそこ見られる容姿の奴や線の細い奴や気が弱くて抵抗できない奴は、長い刑務所暮らしで鬱憤をためこんだ囚人どもの性欲の捌け口にされかねない。レイジならどこにいても目立つだろう。洗練されたオーラと人目を引く容姿、おまけに人を食った言動の三重苦を背負ったレイジには檻に放り込まれたら最後、括約筋をズタズタにされて一生涯糞便を垂れ流すみじめな末路が待ち受けていたはずだ。
 ところがだ。
 実際にはレイジはこうしてぴんしゃんしている。それどころか東京プリズンでも十指に入る古株として確固たる地位を築いているではないか。どんな弱味を掴んでいるものやら、レイジは看守連中にも一目置かれている。俺はレイジと看守が対等に渡り合ってる現場を何度も目撃した。入所したてのこと、ひょんなことから独居房送りになりかけた俺と看守の仲裁に入ったのもレイジだった。
 自分じゃ平和主義者だ博愛主義者だうそぶいちゃいるが、事実、多少なりとも分別のある連中はレイジにつっかかってきたりしない。
 我が身が可愛いからだ。
 
 俺は知っている。レイジはフォークで人を殺すことができる。
 たとえ十メートル先からフォークを投げたとしても、一発で心臓を仕留めることができるだろう。

 昨日はひやひやした。
 俺がトレイを持って戻ってきたら、悪乗りしたレイジが隣に座った奴にフォークを突きつけてるじゃないか。レイジにしたらほんの悪ふざけ、右も左もわからない新入りをからかったつもりなんだろうが、周りの奴らの目にはとてもじゃないがお茶目な冗談には映らなかったのだろう。椀を取り落としかねない勢いで仰天した囚人たちの間抜け面を思い出す。奴らがぎくっとしたのも無理ない。レイジはなにを考えてるのかわからない。なにを考えてるかわからない奴がなにをしでかしたとしても不思議じゃない。
 レイジがどこまで本気だったのかはわからないが、レイジのフォークをつきつけられてるほうも堂々としたもんだった。見たことない面だった。新入り。メガネをかけてる奴自体が少ない東京プリズンでは必然的に目立つ容姿だった。
 俺は一目でそいつが生粋の日本人だと理解した。純血の日本人というのは雰囲気からして違うのだ。
 育ちの良さそうなお坊ちゃん顔をしていたが、銀縁メガネがよく似合う知的な双眸も神経質に尖った顎も脆く張り詰めて近寄りがたい印象を抱かせた。
 生粋の日本人にありがちな、他人を見下すことがもはや生まれついての習性となった傲慢さが顔にでているタイプの人間だ。
 睨み合いは五秒も続いただろうか。
 レイジ自ら矛先をおさめる様子はない。野郎、度し難い馬鹿だ。冗談のわからない新入りをびびらせるようなつまらない真似をして何の得がある。しかも相手は大所帯で飯をかっこむような環境に免疫のない、育ちのよい日本人だ。俺がこれから飯を食おうとしているそばでちびらされたりでもしたらたまったもんじゃない。
 嫌々ながら、俺は仲裁に入ることにした。まったく、昔から面倒なことは全部俺に回ってくる。
 『いい加減にしろよレイジ。新人をからかってなにが面白い?』
 俺はため息をついた。顔では平常心を装っていたが、フォークを握り締めた右手は白くこわばっていた。
 いざとなればレイジと刺し違える覚悟だった。
 最も、俺が勝率の低い賭けにでる危機はレイジの気抜けする笑い声で回避された。フォークを構えた手から力が抜けてゆく。
 椅子に身を沈めた俺はレイジに気付かれぬよう小さく息を吐いてちらりと隣を見たが、新入りはケロッとしていた。
 ほらな、いつでも損な目を見るのは俺だ。余計なお節介なんて焼くんじゃなかった。
 
 「またうなされてたみてえだな」 
 隣のベッドに腰掛けたレイジにさらりと振られ、ぎくっとする。唸り声でも聞かれてたんだろうか。ばつが悪くなった俺はベッドから腰を上げると、不機嫌も絶頂という仏頂面を作って足早に房を横切った。笑いを含んだレイジの目が愉快げに俺の背を追っているのがわかる。レイジの視線に背を向けて洗面台へと歩み寄る。奥の壁に固定された蛇口を捻る。蛇口から迸った水を両手ですくい、顔にぶつける。顔に染みこむ水の冷たさに頭が冴え、眠気にしょぼついていた目から靄が晴れてゆく。冷たい水滴を跳ね散らかしながら無造作に顔を洗う。顔を洗い終えた俺はそのまま蛇口に口をつけてごくりと水を飲む。鉄錆びた水の味が口の中に広がる。よく冷えた水が喉を湿らし食道を潤してゆく。体の細胞の隅々まで清涼感が行き渡り、ようやっと人心地がつく。
 悪夢の余韻を引きずって洗面台に辿り着いた俺は、今ようやく息を吹き返して、レイジを振り返る余裕がでてきた。
 「今何時だ?」
 「夜明け前だよ」
 房には時計がない。したがって、正確な時刻はわからない。囚人には時計なんて必要ない。起床と就寝と飯の時刻はけたたましいサイレンがご丁寧に教えてくれる仕組みになっている。常識外れの音量のサイレンが起きろ起きろとがなり立てる時刻までにはまだずいぶんと間があるらしい。
 なんとも中途半端な時間に起きてしまったと俺は自分の浅はかな眠りを呪う。ここんとこ寝つきが悪い。いや、東京プリズンに入所してからずっとだ。
 きゅっと蛇口を締め直す。水が止む。シンクの排水口にちょろちょろ渦巻きながら吸い込まれてゆく水を眺め、洗面台に凭れる。
 「お前も寝たらどうだ。たっぷり寝とかないと朝が辛いぜ。明日も強制労働だ」
 「今日の間違いだろ」
 レイジの言葉尻を訂正する。訂正された本人は気に病む素振りもなく早々と毛布につつまると、頭の後ろで手を組んでごろりと横になった。洗面台から離れる。裸足の足裏が床を叩く湿った足音が低い天井に響く。からのベッドへと戻った俺は、寝汗を吸ったマットレスへとふたたび身を横たえる。毛羽立った毛布を胸の上まで持ち上げる。
 毛布に染み付いた異臭がむっと鼻孔に忍び込み、きつく瞼を閉じて雑念を追い払おうと努める。
 『ロン』
 『まったく、あんたなんか産むんじゃなかった。子供がいるせいでこちとら商売上がったりよ』
 鼓膜に蘇るのは蓮っ葉な声、つっつけどんな台詞。
 瞼の裏に浮かび上がるのはとうの昔に縁を切ったはずのお袋の顔。娑婆では思い出すこともなかった、殆ど忘れかけていた女の顔が東京プリズンにぶちこまれて以来毎晩のように夢にでてくる。夢の中のお袋は相変わらず薄情で美しかった。
 「なあロン」
 背中越しにレイジの声を聞く。その声に悪戯っぽい響きがあったのは気のせいだろうか。
 「なんだよ」
 「いい夢見られるまじないしてやろうか」
 「いらねえ」
 どうやら気のせいではなかったらしい。
 またぞろろくでもないことを企んでいるらしいレイジを完全無視し、コンクリ打ち放しの殺風景な壁と向き合う。衣擦れの音。確信犯的な足音。路地裏を行くネコのようにふてぶてしい足取りで背後に接近したレイジが、タヌキ寝入りした俺の頭上を興味深げに覗き込む。するりと毛布を抜け出て隣のベッドへと出張してきたレイジは、中腰の姿勢のまましばらく俺の寝顔を見物していたが……。
 
 俺の頭の上に図々しく手がおかれた。

 「いいこ、いいこ」
 腰を屈めたレイジが優越感に酔った笑顔を浮かべて、俺の頭の上でてのひらを五往復させる。間接と長さのバランスが絶妙なしなやかな指が心地よく頭皮を撫で、次の瞬間、俺は理性を失ってた。
 「気色わりいんだよっ!」
 二の腕に鳥肌が立った。
 レイジの手を邪険に薙ぎ払い、毛布で胸を庇ってあとじさる。ベッドの背格子に腰をぶつけて後退を妨げられた俺を楽しげに眺め、レイジは含み笑いしながら腰を上げた。完璧おちょくってやがるコイツ。激烈な反応を返した俺に両手を挙げて降参のポーズを披露したレイジは、反省の色などかけらもない爽やかな顔で付け加えた。
 「おやすみなさいのキスのほうがよかったか?」
 「幡我換房間(パンウォーホワンファンチエン)」
 台湾語がでた。
 レイジが妙な顔をする。
 「今なんて言ったんだ?」
 「おやすみなさいクソ野郎って言ったんだよ。お前も早く寝ろ、俺がお前の首を締めないうちに」
 頭からすっぽりと毛布をかぶった俺の耳に、レイジが引き返してゆく足音が届く。これでようやく安心して眠れる。毛布から鼻を抜いた俺は、寝るときの癖で胎児の姿勢をとる。皮肉なことにこれから寝入ろうとしてるおれがいちばん落ち着ける姿勢は、怒り狂ったお袋にベルトで滅多打ちされてる時とおなじポーズだった。
 頭にはまだレイジに撫でられたときのくすぐったいようなむず痒いような感触が残っている。気色が悪いと顔をしかめかけ、はたと思い出す。人に頭を撫でられるのなんて何年ぶりだろう。うんとガキの頃にお袋の気まぐれで頭を撫でられて以来だとしたら、かれこれ十年ぶりにもなるんじゃないか。

 お袋の次に俺の頭を撫でたのがよりにもよってレイジだなんて、タチの悪い冗談にもほどがある。

 首を捻って隣のベッドに視線を投げる。レイジの寝つきのよさは三歳児並だ。毛布にくるまったと思ったらもう寝息をかいている。大の字になって太平楽な鼾をかいているレイジから、薄闇に没した天井へと視線を転じる。
 隣の房からかすかに聞こえてくるのは衣擦れの音、低い低い唸り声。俺と同じで悪夢に苛まれているのだろうか、東京プリズンでは寝つきの良くない囚人が大半だ。囚人たちは浅い眠りと気だるい覚醒の間を移ろいながら憂鬱な朝を迎え、朝飯もそこそこに過酷な強制労働へと狩り出されてゆく。
 明日には命を落とすかもしれない地獄と隣り合わせの環境で安眠できるレイジは、よほど神経が図太いか―……なにがあっても自分だけは確実に生き残れるという、絶対的な自信があるのだろう。

 俺が奴を毛嫌いしている理由がわかってもらえただろうか。

 墨汁を垂らしたように暗い天井を見上げ、そっと瞼をおろす。
 連日の強制労働で体はぐったり疲れてるのにそれでも眠りがやってこない。快眠とも安眠ともご無沙汰して久しい。俺の神経にレイジの半分ほどの図太さがあれば事情は違ったんだろうが、俺は奴よりちょっとばかし常識人だったらしい。……別にめでたくも嬉しくないが。
 永眠するのは真っ平ごめんだが死のように深い眠りにくるまれて疲れを癒したいと考えるのは、そんなに罰当たりなことだろうか。

 罰当たりなことなのだろう。俺は世間様から後ろ指さされる屑で半半で人殺しなのだから。

 俺に悪夢を見せるのは俺の中の罪悪感なのか?俺が八つ裂きにした奴らの呪いなのか?それともお袋の?
 どれにしたってろくなもんじゃない。真綿にくるまれたような眠りが恋しい。手触りのよい絹に鼻をふさがれたように眠りたい。
 そんな俺の思いをよそにレイジは気持ちよさそうに鼾をかいている。なんにも悩みがございませんと看板さげた能天気な寝顔を見るにつけ苛立ちと殺意が募る。
 「獏に食われて死んじまえ」
 毛布越しにくぐもった呪詛を吐く。自分でも信じられないほど子供っぽく馬鹿っぽい台詞にはげしい自己嫌悪に襲われるが、熟睡中のレイジには聞こえなかったらしいのが救いだ。
 瞼が重い。うつらうつらしてきた。恋しい眠りがようやっと俺の上にも訪れたらしい。
 ささくれだった毛布を羽織って寝返り打った俺の耳に、ひきつった笑い声が聞こえた気がしたのは幻聴だろうか。
 ワックスがけした螺旋状のすべり台をすべりおちてゆくように眠りに落ちながら、俺は先刻自分が吐いた悪態を反芻していた。

 「幡我換房間(パンウォーホワンファンチエン)」

 「部屋をかえてくれ」という意味の台湾華語だ。 
 俺はこの房割りをした奴に文句をつけたい気持ちでいっぱいだった。天の采配か悪夢の人事か、何の因果か知らないが俺はレイジと同じ房に割り振られて一年近く寝ても覚めてもこいつと同じ空気を吸ってきた。もうこりごりだ。早くこいつから解放されたい。

 瞼を開けていちばんに見るのが野郎の顔なんてしょっぱいオチとはいい加減手を切りたいのだ。 

 
                               +


 目の前に茄子がある。
 「箸が止まってるぜ」
 横合いから指摘され、ハッと顔をあげる。長方形のテーブルを挟んで対面に座ったレイジが、不審げな顔で俺の手元を見つめている。レイジの視線を追い、自分の手元を見る。
 手に預けたまま停止している箸。左手に持ったまま存在を忘れていたプラスチックの椀。
 そして、目の前のトレイの左上にちんまりと置かれた小皿とその中の茄子の漬物。
 バツが悪い。
 「痴呆症か?」
 「ばか言え」
 「どうかな。若年性痴呆症ってあるらしいぜ」
 「白蟻の沸いてる脳みその持ち主に言われたくねえ」
 椀に口を近づけ、冷や飯をかきこむ。食後の茶を啜りながら、レイジが頭を振る。
 「夜のことまだ根に持ってんのかよ。執念深い男はいやだね」
 「お前に選ばせてやる。刺すなら目ん玉と鼻の穴どっちだ?」
 箸の先端をレイジに突きつけて脅す。両手を翳して身を引くレイジ。よろしい。機嫌を直した俺は箸を引っ込め、努めて無表情に米の最後の一粒を口に運ぶと、心もち姿勢を正して茄子の漬物と向き合う。小さく息を吸い、覚悟を決める。もとはといえばコイツが悪夢の原因なのだ。俺はもともと雑食性で好き嫌いのないタチだが、いまだに茄子だけは苦手だ。心理学の専門家が選ぶって解説しそうな幼少期のトラウマってやつ。できれば知らぬ存ぜぬで残したままトレイを返却したいが、このあとに待ち受けている炎天下での強制労働を思うと米一粒でも残すのが憚られる。今のうちにつめこめるだけ胃袋につめこんでおかなければ炎天下の砂漠でぶっ倒れて脱水症状を起こしかねないのだ。
 憎い茄子といえど貴重な栄養源であることは否定できない。
 小皿に箸を伸ばし茄子を摘み、努めて平静を装いぽいと口の中に放り込む。しゃきしゃきと咀嚼。歯を鍛える小気味良い食感、口の中に広がる漬物独特の塩気が鼻に抜け反射的に吐き出したくなるが、そこを耐えてごくりと嚥下する。うえ。茄子の漬物を強引に飲み下した俺は正面から注がれる視線を感じて顔をあげる。
 レイジがにやにやしていた。
 「なんだよ」
 気分が悪い。レイジは「うん?」と生返事する。
 「いや別に。親の仇のように見てるからさ」
 レイジが顎をしゃくる。プラスチックのトレイの上、三角関係に配置された漆器の焼き魚と漬物と飯。小骨をとるのが面倒くさいんで頭からばりばり噛み砕いちまった焼き魚、矩形の皿の上には跡片も残ってない。一粒も飯が残ってないぴかぴかの椀はまるで洗いたてのように輝いてる。レイジが視線で促したのは、逆三角形の右上にちょこなんとのっかってる小皿。
 小皿にはまだ茄子の漬物が残っていた。
 こいつ、細かいところまでよく見てやがる。
 ふぬけた面をしてやがるがレイジの観察眼は異様に鋭い。俺は内心舌を巻いた。だがレイジに動揺を悟られるのも癪なので、タイムロスを感じさせない手つきで茄子の漬物へと箸を伸ばす。
 「あたりまえだ。俺は茄子に殺されかけたことがあるからな」
 レイジが怪訝な顔をする。いい気味。思い切って全部まとめて茄子の漬物を口の中に放り、シャキシャキと咀嚼する。飲み下す。
 「馳走さん」
 トレイに箸を投げ出し、頭をさげて合掌。拍手を打った俺の鼓膜をくぐもった笑い声が叩く。すくいあげるような上目遣いで正面のレイジを窺うと、奴ときたら片手で口を覆って笑いをこらえてやがった。きれいにたいらげたトレイを退けて卓上に身を乗り出し、レイジの襟首を掴む。
 「食事中の熊猫を微笑ましげに見守る飼育係のような面してんじゃねえ。言いたいことあんならはっきり言いやがれ」
 「具体的なたとえ」
 俺の手を押しとどめ、レイジが苦笑いする。
 「そんな怒んなって。お前がやけに行儀正しくて笑えただけだよ」
 「癖がぬけねーんだよ」
 レイジの胸ぐらを突き放し、憤然と椅子に戻る。トレイを占めた空き皿を一瞥する。合掌は食後の儀式だ。物心ついた時からお袋にならって合掌していたため、成長した今でも習慣が抜けない。刷り込みって怖い。
 親の仇のようにトレイを睨んでいた俺の正面で、満腹になったレイジが足を投げ出しただらしない姿勢で椅子にもたれかかる。眠たそうにあくびするレイジにつられ、俺も小さくあくびする。開戦を告げる銅鑼のような大音量のベルで叩き起こされてからまだ三十分もたってない。起床のベルが鳴るのは朝五時。俺がうつらうつら寝付いてから二時間もたってない殺生な頃合だ。
 不承不承ベッドから抜け出し顔をすすぎ、廊下に整列する。見回りの看守がやってきて点呼をとる。それから朝飯。朝は戦争だ。東京プリズンの食事は早い者勝ちというのが囚人が入所して真っ先に肝に銘じた鉄の掟で、早く食堂に行かなければ床に尻をつけて残飯をつつかざるを得なくなる。
 当然、あぶれる者はでる。不覚にも遅れをとった者は最後、トレイを抱えて食堂をうろうろするしかなくなる。見渡す限り席はすべて埋まっている。腰を落ち着けて食事をとりたければ実力行使しかない。つまり、適当な椅子に座ってる先客の襟首を掴んで頬げたに一発お見舞いするしかないのだ。とは言っても、朝っぱらからテーブルの上で取っ組み合って体力を浪費したい連中ばかりじゃない。
 手荒なことが好かない連中だっているのだ。たとえば今、目の端を足早に過ぎった男のように。
 「あ」
 声を上げたのは俺だ。
 カウンターでトレイを受け取ったその影は、空席を求めて食堂に視線を馳せたが、生憎とどのテーブルも満員御礼。トレイを抱えたまま所在なげに立ち尽くすひょろりとした影に、おもわず声をかける。
 「こっちだ、サムライ!」
 椅子から腰を浮かせてサムライを招く。頭一つぶん抜けた長身痩躯がきょろきょろとあたりを見回す。サムライの目が俺の上で止まった。それでも顔の筋肉は動かなかった。トレイを両手に捧げ持ったサムライが、きびきびした歩調でこちらにやってくる。奥に詰めて一人分席を空ける。サムライが「かたじけない」とばかりに会釈する。
 律儀な奴。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060604103713 | 編集

 テーブルにトレイをおき、サムライは仰々しく椅子に腰掛けた。
 サムライは背凭れに背を預けることがない。サムライの背筋はいつ見てもしゃんと伸びている。背中に鉄板でもいれてるみたいだ。
 鉄の背骨を持つ男は、トレイの隅に揃えておいた箸に手を伸ばす。右手に箸を握り、左手に椀を持つ。サムライの箸捌きは完璧だった。傍で見ていても惚れ惚れするほど。俺はおふくろを思い出す。
 お袋もサムライもなんて流麗に箸を操るんだろう。不器用な俺には考えられない。
 サムライの食事風景を傍観していた俺を、卓上に身を乗り出したレイジがつつく。
 『連れがいねえな』
 サムライに向き直り、俺はレイジが言わんとしたことを代弁する。
 「メガネはどうしたんだ?」
 名前は忘れたが、メガネをかけていたことだけは覚えていた。だからそう呼んだ。
 流れるような動作で魚の腹を開いて小骨を取り除きながら、サムライは感情の窺えない声で言った。
 「鍵屋崎は食欲がないそうだ」
 あぜんとした。
 「おいおいマジかよ」
 レイジもあきれていた。
 入所二日目の今日から強制労働が始まるというのに、朝飯を抜くなんて自殺行為に等しい。途中でぶっ倒れて医務室送りになってもかまわないのだろうか。いや、医務室送りの僥倖に恵まれるのはごく一部の幸運な囚人に限られる。大抵の看守は囚人がぶっ倒れたところで担架を呼んでくれたりはしない。警棒の連打で否が応でも正気に戻させ強制労働に再従事させるのが、東京プリズンで罷り通ってる一般的なやり方だ。
 「……これだから日本人は」
 世間知らずというか打たれ弱いというか。自分のおかれた状況がまるでわかっちゃいない。
 たとえ食欲がなくても飯をかっこみ、たとえやりたくなくても砂漠での穴掘りに精を出さなければ、看守の体罰と同班の囚人達のリンチが待ち受けているということがわからないのか。
 俺はほとほとあきれたが、レイジは見解を異にしたようだ。
 興味津々身を乗り出したレイジは、サムライを下世話な好奇心をむきだしにして黙々と食事中のサムライを覗きこむ。
 「昨日なにがあったんだ?」
 「………」
 ピンときた。そういうことか。
 レイジが言外に匂わせていることは察しがついた。おそらく昨晩、食欲が著しく減退するような出来事がメガネの身に起こったのだろう。サムライは答えない。いっそすがすがしいまでにレイジを無視し、器用に小骨を除去して一口大に切り分けた焼き魚を口に運んでいる。
 サムライの食べ方は至極機械的だ。傍で見ていると味覚の有無さえ疑わしくなってくる。
 「まて、あててやる」
 名探偵気取りで顔の前に人さし指を立て、レイジがにっこりと笑う。
 「凱だ」
 薄味の味噌汁を啜りつつ、片手を茄子の漬物へと伸ばす。サムライは口を開かなかったが、沈黙を肯定と解釈したレイジが勝ち誇ったように人さし指を振ってみせる。
 「レイプされた。そうだろ」
 味噌汁の椀をおいたサムライが、箸の先で茄子の漬物を探りながらうっそりと口を開く。
 「……未遂だ」
 「お前が助けに入ったのか」
 「だろーと思った」
 目を丸くしたレイジの横合いから口を挟む。訝しげなレイジを鼻で笑い、俺は挑発的に言い放った。
 「知らなかったのかレイジ。サムライはお前の五十倍は頼りになるぜ」 
 「ちぇっ、つまんねえ」
 不貞腐れて頭の後ろで手を組み、重心を前後に移動させて椅子を揺する。当てが外れて面白くないと言わんばかりに唇を尖らせたレイジの方は見ずに箸を運びながら、サムライが独白に近い口調でぽつりと呟く。
 「やはりな」
 「やはり?」
 サムライへと目をやる。俺の視線に先を促されたサムライは意味ありげにレイジを一瞥し、確信をこめて言う。
 「こうなるとわかっていて鍵屋崎に近づいたのだろう、レイジ」
 「なんのことかな」
 レイジはそらっとぼける気だ。頭の後ろで手を組んだままあさっての方角に視線を泳がし、のらりくらりと核心をはぐらかしている。サムライは静かに箸をおいた。たったそれだけの動作が、清水に浸した白刃を一閃したかの如く清冽な気に満ちていた。
 「目の敵にしてるお前がちょっかいをだせば凱はいやでも鍵屋崎に興味を示すだろう。それを承知した上で周囲の耳目を集めるような真似をしたのだな」
 「それって勘繰りすぎ」
 両手を挙げて降参のポーズのレイジ。が、サムライの鋭い眼光に根負けしたか、いけしゃあしゃあと白状する。
 「あーそうですよご明察。俺がちょっかいだせばあの眼鏡くんが襲われるだろうなとわかってましたよ」
 「なんでそういうことするんだ?」
 「だってお前」
 あきれかえった俺のほうを意味深な目つきでちらり流し見て、レイジはにっこりと微笑む。
 「あーいうプライドの高い奴が処女奪われたあとどうなるか、知りたくない?ショック受けて首吊るか手首切るか逆上して凱を刺すかの三択。俺的には三番希望。目の上のコブが消えるし」
 聞くんじゃなかった。
 レイジの性格の悪さは筋金入りだ。つまりは性根がねじくれた愉快犯が、からかい甲斐のある獲物を見つけてよこしまな好奇心を刺激されたのだ。悪意でも敵意でもなく、レイジは単に面白そうだからというただそれだけの理由で人の心を弄ぶ。
 この悪魔め。
 胸中で毒づいた俺をよそに、頭の後ろで手を組んだレイジは椅子を揺らして拍子をとっていた。
 「しっかし純血の日本人てのはやっぱヒヨワだね。温室育ちの坊やが飢えたケダモノどもの檻ん中に放り込まれたわけだ、順当に考えて一年もちゃいいほうだろ。娑婆では同性愛の経験もなかったのに入所初日で輪姦未遂だもんなあ、ガリ勉メガネくんには刺激強すぎってかんじ?アイツ恋愛方面疎そうだし初めての相手が野郎なんてすくわれね……」
 「僕はもう経験済みだ」
 背後で声がした。
 不機嫌そうな声に振り向く。レイジの背後に立っていたのは噂の張本人、鍵屋崎だ。下の名前は忘れた。 日本人の名前は覚えにくい。
 手には朝飯を載せたトレイを捧げもっている。銀縁眼鏡の奥の目は怜悧な知性を宿しているが、自分以外のすべての人間を上段に立って観察しているような傲慢な色がある。顔立ちは理知的に整っているが、こうも表情が欠落していると好印象をもつことはむずかしい。
 鍵屋崎は無言でテーブルを迂回すると、サムライの隣に着席した。テーブルの天板にトレイの下地を叩きつけ、箸を持つ。
 それを機に、レイジが元のペースを取り戻す。興味津々鍵屋崎の方へ身を乗り出し、矢継ぎ早に問いかける。
 「マジで?だれと?女?」
 「異性だ。決まっているだろう」
 「年上、年下?美人?3サイズは」
 「年上。容姿についての評価は差し控える。一般的には美人の範疇に含まれるかもしれないが、僕には関係ない。興味もない。ただ実験的な興味から、セックスとはどんなものか試してみたかっただけだ」
 自分のほうへと顔を突き出し食事を妨害してくるレイジをうざったそうに避けながら、鍵屋崎は至極冷静な無表情で焼き魚を切り分けていた。コンパスの精密さで箸を操り、きっちり正確に四等分された魚の切り身が当人の性格をよくあらわしている。
 「で、初体験のご感想は?」
 テーブルに頬杖ついたレイジがにやにやしながら言う。いやらしい上目遣いの視線を堂々と受け止め、鍵屋崎はつまらなそうに答える。
 「退屈だった。あんな不合理で非効率的な手段で人類は太古から生殖し続けてきたのかと思うと、先祖の頭の悪さに絶望しそうになる。今の社会なら人工授精などの効率的な手段を採用したほうが遥かに賢い。汗や垢など老廃物の沈殿した肌と肌とを接触させる不潔な行為のどこに他人は快感を感じているのか理解しがたい」
 あぜんとした。
 レイジの頭もおかしいがこいつの頭はそれ以上だ。
 流れるように淡々と自説を述べた鍵屋崎をじろじろと観察し、レイジが直球を投げる。
 「『昨日』の初体験はどうだった?」
 鍵屋崎の手の動きが止まった。
 四等分した焼き魚を右端から口に運んでいた鍵屋崎が、宙に箸を浮かせたまま探るようにレイジを見る。レイジは笑っていた。俺が鍵屋崎の立場だったら箸で目玉をほじくりかえすまではいかなくとも、味噌汁をぶっかけたくなるくらいには憎たらしい面だった。
 「―貴重な体験だった」
 一時停止が解凍されたかのようにスローモーに動作が再開される。鍵屋崎の隣のサムライは早々と食事を終え、深く頭を下げて合掌していた。自分の胃を満たしてくれた魚やワカメ、それら海の幸野の幸山の幸を授けてくれた八百万の神々に感謝を捧げているのだろう。信心深いというか礼儀正しいというか、イマドキ日本人でも稀少な人種だ。
 まあ、「ごちそうさま」の癖がぬけない俺が言えた義理じゃないが。
 鍵屋崎は横目でサムライを睨むと、皮肉というには平板すぎる口調で吐き捨てた。
 「僕の右隣の人物が余計なことをしてくれなければ、もっと貴重なデータがとれたのだがな」
 「貴重なデータ?凱のアレのサイズでも測るつもりだったのか」
 自分の言葉に自分でウケてけらけら笑い出すレイジ。笑い上戸は手におえない。サムライの横顔から目を逸らし、味噌汁を啜る鍵屋崎。
 「極度のストレス状態にある思春期の少年たちが、同性への強姦やリンチなどの暴力的行為に至る心理過程を探りたかった」
 どこまで本気なんだろうか。
 鍵屋崎のしれっと取り澄ました面を見ていると、あながち負け惜しみにも聞こえないのが恐ろしい。音をたてずに味噌汁を啜る鍵屋崎の横、先に食事を終えたサムライは気難しい顔で沈黙していたが、やがて鍵屋崎の方に視線を流して口を開く。
 「―気分はもういいのか?」
 「君は馬鹿だな」
 気遣わしげに、と形容するには平板すぎる口調で問うたサムライににべもない言葉を返し、味噌汁の椀をトレイに置く。
 「気分が優れなければ房で寝ている。こうして食堂にでてきたということは気分が復調した証拠だろう。それに、今日から強制労働が始まる。朝一の栄養補給を怠れば貧血を起こして医務室送りになるのはワラジムシでもわかる事実だ」
 「そうか」
 刺々しく吐き捨てた鍵屋崎の隣、サムライはため息をついた。
 「気分がよくなったのなら、よかった」
 ほんのわずかに安堵の気配が滲んだ声色。俺は知っている。見た目はとっつきにくいが本当はいい奴なのだ、サムライは。
 少なくとも、レイジの億倍は。
 「―まあ、一度や二度の襲撃で諦める骨なしじゃねえよな。凱は」
 不穏当な台詞に向き直る。フォークの先端でトレイを叩き、即興の音楽を奏でながら、レイジがほくそ笑む。
 「おたのしみはこれからだ」
 「……地獄におちるぞ、お前」
 げんなりした俺の嫌味を無駄にさわやかな笑顔で受け流し、トレイを持って席を立つレイジ。カウンターにトレイを返却しに向かうその背中越しに、口笛でも吹きかねない愉快げな声がとんでくる。
 「もう落ちてる」
 レイジの背中から視線を外し、俺は改めて鍵屋崎を見た。正面から注視した鍵屋崎は相変わらず無表情だった。「怒」はともかく、こいつが笑ってるところが想像できない。入所初日に集団レイプされかけたというのに、こうも泰然自若と落ち着き払ってられるのは何故だ? 頭の螺子がとんでいるとしかおもえない。―となると、レイジのご同類か。
 俺のまわりは変人ばかりだ。時代錯誤なサムライ、天性の愉快犯レイジ、魔性の子役リョウ。
 そして、謎のメガネ。
 
 鼓膜が割れるようなサイレンが響き渡った。

 鼓膜を痺れさす大音量のサイレンに、あちこちのテーブルに散った囚人たちが抗議の声を上げる。
 「うるっせえ、わかってるよ!」
 「飯くらいゆっくり食わせろ!」
 「今のでワカメが喉に詰まっただろうが!!」

 「……なんだこれは?」
 食堂中に鳴り響いた不意打ちのサイレンに、正面の鍵屋崎が痛そうに片方の耳を押さえている。そうか、コイツは初体験か。
 無視するのも不親切だし、一応説明してやる。
 「食事終了、仕事始めの合図」
 「行くか」
 サムライがトレイを持って席を立つ。一定の歩幅でテーブルとテーブルの谷間を歩き、カウンターにトレイを返却する。俺も早くしないと、俺を目の敵にしてるタジマの豚にどやされる。一分の遅刻が警棒一打に換算されるとあらば、どんな愚図で食い意地の張った奴でも泣く泣くトレイを返却するしかない。
 騒々しく席を立ち始めた囚人たちでごった返す食堂の一隅、テーブルに腰掛けた鍵屋崎は眼鏡の奥の目にわずかに逡巡の色を浮かべていた。鍵屋崎の右手には箸、左手には飯をよそった椀が握られたままだ。
 テーブルに一人残された鍵屋崎に背を向け、俺はその場を立ち去ろうとした。急がなければ。愚図愚図してる暇はない。
 「―おい、」
 「―場所わかるか?」
 鍵屋崎に続ける間を与えず、背中越しにぴしゃりと言い放つ。
 「どうせわかんねえだろ、今日が初めての強制労働なら。昨日入所した囚人の仕事の割り振り先は視聴覚ホールに貼り出されてる。じゃあな」
 ぞんざいに片手を振り、俺は今度こそカウンターに向かおうとした。まったく、何も知らない新人のせいで足止めを食った。これから全速力で地下の停車場に駆け込みバスにとびこんで遅れを挽回しなければ―……
 「視聴覚ホールの場所がわからない」
 振り向くのをためらった俺は悪くない。同情されこそすれ決して悪くない。
 意を決して振り向いた俺の射抜くような視線の先に、鍵屋崎のお高くとまった顔があった。俺を足止めして申し訳ないとか手を煩わせてすまないとかそういう殊勝な素振りなど一切なく、ただ、ありのままの事実を述べたというだけの涼しい顔。
 連れてってくれ、と頼まれたわけじゃない。案内してくれと頭を下げられたわけじゃない。
 こいつをこのまま放置して停留所に向かうこともできたはずなのに、そう思い直した時には俺の舌は勝手に動いていた。
 「―ついてこい、クソ眼鏡。トレイは速攻で返却してこい」
 初めて鍵屋崎の顔に感情らしき淡い波紋が浮かび上がった。少し驚いたように目を見張り、手元の食器を見下ろす。半分ほど残った朝飯をトレイに並べ、立ち上がる。憤然と歩き出した俺の背に続く鍵屋崎は、トレイを抱えたのとは逆の手で眼鏡のブリッジを押し上げた。
 「僕はクソ眼鏡ではない。鍵屋崎 直だ」
 そうだ、そんな名前だった。
 このクソムカツク眼鏡は。  
  
                                +


 入所したての囚人は一目でわかる。
 まず第一に囚人服。支給されたばかりの囚人服は一点の染み汚れもなく、清潔な洗剤の匂いが染み付いている。素晴らしく着心地がよさそうに思えるのは、俺やその他の囚人が垢染みてかぴかぴになった囚人服を着古しているからだろうか。第二に目つきだ。どいつもこいつも虐待された小動物みたいに卑屈でおどおどした目をしてる。これから何が起こるのか、どんな恐ろしい目に遭わされるのかとトイレにこもってる時も毛布に包まってる時もびくびく緊張し続け、そろそろ精神的に参ってきた目。
 輪姦やリンチを警戒して徹夜したのか、真っ赤に充血した目の囚人ばかりが集った視聴覚ホールはだだっ広かった。コンクリート剥き出しの壁が延延連なる東京プリズンでは珍しいことに、四面の壁に白い壁紙が貼られている。ま、どっちも殺風景には変わりないが。
 悠に二百畳の面積があるホールの前方には白いスクリーンが垂れ下がっている。囚人たちの息抜きの名目で月一回催される映画鑑賞会には、このスクリーンで映画が上映される。どれもこれも政府の検閲をパスした退屈な映画ばかりで囚人たちの受けはよくない。酔っ払い運転の末の交通事故で子供を轢き殺した未成年が被害者の親の手紙を読んで涙し、出所後は交通事故で親を亡くした子供たちの為の施設を開くという、説教臭がぷんぷん匂ってきて鼻詰まり起こしそうな上に改心を強要しようという政府の思惑が透けて見える映画などすすんで見たがる物好きはいない。―最も、一部の囚人にはひどくウケていたが。 最高のコメディだとか、子供を轢き殺された母親役の女優が出演してた裏ビデオを見たことあるとかなんとか。
 そのスクリーンに映し出されているのは、昨日入所した囚人の一覧表。
 全部で八十人もいるだろうか。あいうえお順に表示された名前を漫然と流し見てた俺は、隣の奴の名前を発見する。

 『鍵屋崎 直  イエロ―ワーク 6班』
 
 「おんなじか」
 班は違うが部署は一緒だ。やれやれ、仕事場までこの理屈屋とおなじか。うんざりした俺の横顔とスクリーンに表示された自分の名前とを見比べ、鍵屋崎が訝しげに眉をひそめる。
 「イエロワークとはなんだ?」
 「サムライに教えてもらってないのか?」
 鍵屋崎は首を振った。サムライは基本的に面倒見がいい奴だと思ってたが、同じ位の比率で寡黙であるためフォローが万全とはいえない。仕方なく、俺は説明してやる。
 「イエローワークは土関係。温室でメロンや苺を育てたり畑を耕したり砂漠で井戸を掘ったり開墾作業が主な仕事だ。ちなみにブルーワークは水関係。刑務所内の便所やシャワー室の掃除及び給水施設の管理、街から運ばれてきた汚水を処理するのが仕事。レッドワークは火。おなじく街から運ばれてきた危険物を加熱処理するのが仕事。危険度ではこいつが一番上。残るひとつは……」
 言い淀む。
 「?」
 「……東京プリズンにいりゃそのうちわかる」
 俺の口から直接言うのは憚られた。世の中には知らないほうがマシなことが多多ある。俺も知りたくなかったが、永遠に知らずに過ごすことは東京プリズンでは不可能だろう。入所後一ヶ月以内に死亡しない限りは。
 「僕はイエローワークか」
 口の中で思慮深げに繰り返した鍵屋崎の横顔には「肉体労働には向いてないのだがな」という本音がありありと記されていた。そりゃそうだろう。囚人服の粗い生地越しに細っこい手足が透けて見えるようだ。こんな軟弱な奴が炎天下での農作業に耐えられるとはおもえないが、いまさら決定は覆せない。強制労働と言うだけあり、囚人たちに課せられるのは普通の人間がやりたがらない危険できつい仕事ばかりだ。机の上での頭脳労働を期待してたのならお門違いもいいところだ。
 「で?イエローワークの持ち場にはどう行けばいいんだ」
 「人にものを聞いてるのか?命令してるのか?どっちだ」
 「これでもわからないことは率直に聞くよう心がけているつもりなのだが」
 眼鏡のブリッジを押し上げながらしれっと言い放った鍵屋崎に沸騰しかけるが、押さえる。俺はこの場にいないサムライを怨んだ。本来なら同房の住人であるアイツが鍵屋崎を案内するべき立場だろうに、当の本人はさっさと自分の持ち場に行ってしまった。サムライはブルーワークだから仕方ないといえば仕方ないのだが、俺ばかり割を食うのは腑に落ちない。まさかサムライめ、俺とコイツが同じイエローワークだと知っていて何食わぬ顔で案内役を押し付けたんじゃないだろうな?
 「いいよ、ついてこいよ。案内してやる」
 仕事場に赴く前から俺はぐったりしていた。小難しい理屈をこねくりまわす鍵屋崎を相手に会話するのは疲れる。用は済んだとばかりに踵を返し、新人どもでごった返す視聴覚ホールを辞そうとした俺の耳を、「あ」という声がかすめる。
 そちらを注目したのは条件反射だ。鍵屋崎の右後方に立っていたのは、品のない馬面の少年。額の狭さと反比例して鼻の下が長い間抜け面のそいつは、ぽんと鍵屋崎の肩を叩いて振り返らせる。
 「よう、親殺し」
 「………………」
 にやにや笑いを浮かべた馬面を卑小な微生物でも見るかのように一瞥し、鍵屋崎はだまりこむ。
 「お前どこ担当?イエローワーク?へえ、いちばんきっついやつじゃん。大変だなあ。やっぱ親殺しでぶちこまれたやつには一番きっつい仕事が回ってくんのかね。その点強盗殺人の俺はブルーワーク、便所掃除なんて看守の目が届かないとこでてきとーにサボればいいんだから気が楽。まあ頑張れよ親殺し、同房の奴から聞いたんだけどイエローワークは体力ないと保たねえらしいから。危険度ではレッドワークが最上だけど過酷さではイエローワークがダントツなんだろ?」
 よくしゃべる口とよくまわる舌だ。
 俺は苦々しいものを噛み殺し、ふたりの間に割って入る。
 「行くぞ鍵屋崎。馬とだべってる時間なんかねえ」
 馬面がなにか言いかけたが足早に歩き出して無視。隣に鍵屋崎がついてくる。

 ―「調子に乗んな、親殺しが!」―

 視聴覚ホールのざわめきがぴたりと止む。
 スクリーンに群がっていた黒山の人だかりが一斉にこちらを振り向く。鼻息荒く仁王立ちした馬面が、憤怒の目で鍵屋崎を指弾する。
 「てめえ正気じゃねえよ、どんな最悪の犯罪者でもてめえの親殺したらおしまいだ。てめえを産み育てた恩を仇で返しやがって、地獄に落ちたくらいですむもんか。来世じゃナメクジかミミズがゴキブリか、いや、今思いついた。お前の来世は女の腹の中で産まれる前に殺されたガキ、堕胎される子供だ。血の繋がった親を平気で殺すような鬼畜外道をわざわざ痛い思いしてこの世に送り出したがる奴はいねえからな!」
 鍵屋崎は黙っていた。反論するでも殴りかかるでもなく、身体の脇に拳をたらして視聴覚ホールの中央に立ち尽くしていた。ホール中の視線が鍵屋崎へと注がれる。「親殺し?あいつが?」「信じらんねえ、あんな細いナリしてるくせに」「超カゲキー」「昔流行ったキレた秀才ってやつ?」「最悪」―興奮にはやったざわめきと外野の誹謗中傷が鍵屋崎を取り囲む。
 我知らず鍵屋崎の横から一歩を踏み出し、吐き捨てる。
 「―だまれ、馬」
 「あ?」
 満場の注目を浴びて得意満面、胸をそらしていた馬面が妙な顔をする。
 「お前の来世は馬だな。今だって馬の遺伝子が混ざったような間延びした面してんだ、来世じゃ牧場の藁床で産声あげられるといいな」
 「―このっ、……」
 馬面の顔が怒気と羞恥に紅潮するが、勢いよく振り上げられた握り拳はドッと沸いた笑い声に遮られ行き場を失う。馬面が狼狽している隙に聴衆の波を突っ切り、視聴覚ホールを出る。俺に続いて視聴覚ホールをでた鍵屋崎は、珍しいものでもみるかのように目を細めて俺を仰ぐ。 
 「変わらないんだな」
 「あん?」
 「僕が親を殺したと聞いても態度を変えないんだな」
 怪訝な顔をした鍵屋崎に、俺は淡白に切り返した。
 「殺したくなるような親だったんだろ」
 俺にはわかる。殺したくなるほど憎い親だってこの世にはいる。素晴らしい両親に恵まれて何不自由ない幼少期を過ごせる子供は、今の日本では―いや、今の世界ではほんの一握りしかいないのだ。
 俺の場合は母親だった。殺したいほど憎い母親。だから別に鍵屋崎が親を殺して東京プリズンにぶちこまれたと聞いても驚かなかった。俺と奴との違いは実行したか、実行する前に家を出たかだけなのだから。
 鍵屋崎はしげしげと俺の横顔を見つめていたが、やがて、うっすらとだが笑みを浮かべた。
 「君は利口だな。見かけによらず」
 見かけによらずは余計だ。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060603103924 | 編集

 『イーストファーム行き バス停13番』
 と記された標識の前に長蛇の列をなしているのは黒と白の縞々、無個性な囚人服をまとった十代前半から後半の少年たち。未成年に見えない老け顔もちらほらまじってるが戸籍上は皆ハタチ未満のはずだ。日々の強制労働と過酷な刑務所生活に精も根も尽き果ててげっそり憔悴した年齢不詳の面では誤解されても無理ないが。
 俺と鍵屋崎は列の最後尾に並んだ。俺が前で鍵屋崎が後ろ。バスが来るまでしばらく間があるらしく、痺れを切らした囚人たちが地団駄踏んだりアスファルトの地面に唾を吐いたりしている。態度の悪い囚人たちを尻目に、鍵屋崎は物珍しげに周囲を見回していた。そりゃ珍しいだろう。刑務所の中にバス停があるのだから。
 今おれたちがいるのはだだっ広い面積を有する東京プリズンの地下空間だ。地上じゃそれぞれ一定の距離をおいて独立している各棟も地下に潜りゃ関係なし、アスファルトで周囲を固められた空間には1から20までの英数字を冠した標識がずらっと並列している。東京プリズンの地下に存在する停留所は、それぞれの持ち場に向かうバスの発着場を兼ねている。直径500メートルもあるコンコースをのろのろ回遊しているのは窓に金網を張ったバスの一群。フロントガラスの上、ちかちか点灯している電光板に表示されているのはバスの行く先。俺の持ち場はイーストファーム、鍵屋崎の仕事場も同じイーストファームだった。
 ここまできたら腐れ縁としかおもえない。
 「すごいな」
 鍵屋崎が素直に感嘆の声を発する。地下停留所の想像を絶する規模のでかさ、長蛇の列を作った囚人たちの数の多さに圧倒されているらしい。
 「こんなのは序の口だ。本格的に驚くのはバスに乗り込んで着いた先にしとけ」
 俺の皮肉げな物言いに鍵屋崎が眉根を寄せる。
 「バスに乗り込んで着く先はビニールハウスなんだろう?」
 「お前の希望的観測が現実になるよう祈るよ」
 俺は肩を竦めた。鍵屋崎はそこそこ頭がキレるみたいだが、根本的なところで甘さが抜け切ってない。バスが到着した先の光景を目撃したらちびって腰を抜かしちまうんじゃないか?
 無駄口を叩いてるとバスがきた。
 停留所の前にすべりこんできたのはペンキの剥げかけたみすぼらしいバス。ぷすんぷすんと不景気なエンジン音を響かせながらやってきたバスに「何分待たせんだこの野郎!」「殺すぞ運転手!」と罵声が浴びせかけられる。短気な囚人どもをこれ以上怒らせてなるものか両開きの自動ドアが開き、先頭の囚人から一挙に車内になだれこんでゆく。猪突猛進、バス内へと流れ込む囚人たちの波涛に髪や囚人服を揉みくちゃにされつつ俺と鍵屋崎は前後してステップを上る。
 最後尾の俺たちを収容し、積載オーバーのバスが出発する。
 吊り革に掴まるのは不可能だ。バスの頭から尻まで囚人が詰まっていて、気のせいか酸素が薄い。間接を極めた無理な体勢で人と人のはざまに挟まってる不憫な囚人もいた。俺と鍵屋崎はバスの扉に背中を押し付けられる格好で固定されていた。ちょっと半身を捻って無難な体勢に変えようとしても物理的に無理。
 俺はもう慣れっこだが、今日が初体験の鍵屋崎には辛い拷問だろう。
 「物理法則を無視している」
 鍵屋崎が唐突に呟く。
 「一台のバスに六十人の人間を収容するなど不可能だ。バスの体積と人の体積の比率がつりあってないじゃないか。物理と数学の初歩知識さえあればすぐにわかることだ。正真正銘の愚行と断じざるをえない」
 「眼鏡ずれてるぞ」
 指摘してやると、鍵屋崎は不自由な身を捩り、どうにかこうにか顔の前に腕をもってこようと試行錯誤した。努力の結果、鼻梁からずり落ちたブリッジの先端に触れるか否かの微妙なところまで中指が到達しかけたが、結局無理。力尽きて中指をおろした鍵屋崎の忌々しげな顔が傑作で、吹き出すのをこらえるのに苦労した。
 ガラス扉の前に位置してると、瞬きする間に後方に飛び去ってゆく外の気色がよく見渡せた。
 砂漠砂漠砂漠。砂砂砂。草一本生えてない荒涼とした砂丘が無限に連なる気の遠くなるような光景。遠景にぽつんぽつんと点在しているのはビニールハウスと白い風船のようなガスタンクだ。白一色のガスタンクは世界最大の気球のように青空を圧して悠揚とそびえている。
 シュールな絵画のように無駄にスケールのでかい景色を眺めていると気分が滅入ってくる。
 ガスタンクから視線をひっぺがし、先刻からだまりこんでいる鍵屋崎を見る。そして妙なことに気付く。
 鍵屋崎の様子がおかしい。妙にもぞもぞしている。不愉快の絶頂にある眉間の皺と一文字に引き結ばれた唇、色が変わるまで体の脇で握り締められた拳。鍵屋崎の後ろに目をやった俺はすべてを合点する。
 『イーストファーム Aの1番地 到着』
 濁声のアナウンスが響き、ぷしゅっと前方の扉が開く。囚人の三分の一がバスを降り、そのぶんの面積が空く。席は余す所なく埋まっているが、残りの乗客が掴まるぶんだけの吊り革が確保できた車内にやれやれと弛緩した空気がただよう。
 「おい」
 鍵屋崎の背後にいた奴の手首をぐいと掴み、引き寄せる。たたらを踏んで転げ出たのは、ニキビ面のガキ。右の五指を広げたまま手首をがっちり掴まれたそいつは、「しまった」という顔をする。
 現場を押さえられた痴漢の顔だ。
 ぎりぎり力をこめて手首を締め上げてやると、痴漢の顔が苦痛に歪む。
 「行きのバスん中で野郎のケツさわるなんてしょっぱいことしてんじゃねえよ。そんなしょっぱい光景を目の前で見せられる俺の立場にもなれ、ただでさえ無い仕事意欲が減退してバスの窓から飛び下り自殺したくなる、痛ッ!」
 背後から鍵屋崎の尻をさわってたそいつは爪を立てて俺の手を振りほどくと、逆上して食ってかかってくる。
 「正義漢ぶるなよ半々」
 せいぜいいきがってニキビ面が吠えるが、腰が引けてる。態度はでかいが根は小心者。よくいるタイプだ。
 「お前のような混血の半々にさわらたらバイキンが伝染る。あとで消毒しとかないと、俺まで台湾人の血の毒素に感染しちまう」
 ―ということは、コイツは中国系か。
 俺に掴まれた手首に唾を吐きかけ、わざとらしく皮膚にすりこんでいるニキビ面を醒めた目で観察しつつ、口角をつりあげる。
 「俺もあとで手を洗っとくよ。お前の手、マスのかきすぎでイカくせえし」
 「なっ……!」
 乗客の間から失笑が漏れた。
 衆人環視、それも走行中のバスという逃げ場のない状況下で俺に殴りかかる度胸はさすがになかったらしく、ニキビ面のガキは羞恥に顔を染めてその場を離れた。しっぽを巻いて退散した痴漢の背を見送り、事態を静観していた鍵屋崎へと向き直る。
 「……余計な真似をするな」
 礼を強要するつもりなどこれっぽっちもないが、これにはカチンときた。
 「余計な真似?お前ケツさわられるの楽しんでたのか。犯罪行為かプレイか微妙な線のアブノーマルな趣味だな」
 「勘違いするな。自慢じゃないが僕は普通の性行為でも今のような場合でも一切快感を感じないようにできてるんだ」
 「さらりと性行為とか口にするな。お前の後ろに立ってる囚人がぎょっとしてるぞ」
 「悪いな。君たちの知能レベルにあわせた短絡的名称を採用しようと思わないでもないが、生憎とそこまで下品になりきれない」
 「短絡的名称?」
 「ヤるとかヤったとか……下品で下劣なスラングだな。口にする者の品性の卑しさが窺える」  
 そうか。俺は下品で下劣で品性が卑しいのか。
 「……他人に同情されるのは不愉快だ」
 バスの手摺にすがった鍵屋崎が苦々しげに呟く。苦渋の滲んだ顔と口調に違和感をおぼえ、鍵屋崎の間合いに踏み込む。 
 「同情?なんで俺がお前に同情する。痴漢されたから?エリートの道から転落して東京プリズンにぶちこまれたからか?それとも親を殺したから?思い上がるな、その程度のことで買えるほど俺の同情は安くねえ。お前と同じかそれ以上に可哀相な境遇の奴らは東京プリズンにゴマンといるんだ。そいつら全部にいちいち同情してたら五万円の大損だ」
 五本立てた指を鍵屋崎の顔前につきつける。眼鏡の奥で鍵屋崎が瞬きする。
 「じゃあなんで助けに入った?」
 当たり前のことを聞く。頭はいいくせに当たり前のことがわからないなんて不幸な奴だ。
 「見てる俺が気持ち悪いからだ」
 俺の性的嗜好はきわめてノーマル。恋愛対象も性愛対象も女オンリー。目の前で男がケツさわられてる光景見て興奮するようなしょっぱい趣味はない。納得したのか、鍵屋崎が顎を引く。礼を言う気はやっぱりないらしい。

 こんな奴助けなけりゃよかった。

 いまさら苦い後悔がこみあげてくるがもう遅い。俺と鍵屋崎は黙りこくったまま、半径1メートルという近くも遠くもない微妙な距離をおいてそれぞれ吊り革と手摺に掴まっていた。
 気まずい沈黙に終止符を打ったのは、車内に響いたアナウンス。
 『イーストファーム Aの2番地到着』
 あらかじめ録音されていたとおぼしき輪郭の割れた濁声に急かされ、席から立ち上がった囚人や吊り革を手放した奴らが一気に前方ドアへと殺到する。怒涛を打って前方ドアへと押し寄せた奴らの波に揉まれながら、こけつまろびつ三段のステップを降りる。

 乾燥した風が頬をなぶる。

 砂を含んだ風はひどくざらついていた。反射的に手を掲げ、強烈な陽射しから顔を庇う。頭上に在るのは灼熱の太陽。
 ビニールハウスなんて物はどこにもない。目の前に広がってるのは妙な凹凸のある砂漠だけ。よく目を凝らせば、砂漠を穿った凹凸の正体は円い穴とその穴を掘り返した際に出た大量の砂だとわかる。
 無数に穿たれた穴の周縁で蟻のようにうごめいているのは、囚人服の人影だ。腕まくりした囚人たちが青息吐息で鍬をふるい、汗みずくになった囚人たちがリ砂を積んだリヤカーを二人がかりで運搬している。ひっきりなしに行き交うリヤカーと囚人の向こうからやってきたのは、警棒を腰にさげた紺の制服の一群。
 看守どもだ。
 俺の背後でバスのエンジンがかかる。残りの囚人たちを目的地へと送り届けるため出発したバスを見送り、ちらりと横を見る。
 「ビニールハウスはどこだ?先刻車窓から見たときはたしかに在ったが……」
 「………いいか、よおく耳の穴かっぽじってきけよ。東京プリズンは階級社会なんだ。ある意味カースト制度よか厳しい」
 「?」
 言ってる意味がわからないと鍵屋崎が顔に疑問符を浮かべる。俺はこの無知な日本人に東京プリズンの暗黙の掟について解説してやろうとしたが、口を開く前に地獄から派遣された鬼畜さまご一行が到着したようだ。
 「整列!!」
 威圧的に大喝された囚人たちが、鞭で躾られた飼い犬の反射神経であいうえお順に整列する。整然と並んだ囚人たちの前、後ろ手を組んで立ちはだかっているのは肥満体の中年男。
 囚人をいじめるのが三度の飯より大好きだと常日頃豪語している東京プリズン最悪の看守、タジマだ。
 紺の制服のボタンがはじけとびそうなビールっ腹に精力的に脂ぎった顔、陰険にぎらつく目。胸に輝いているのは東京プリズンの治安を預かる看守筆頭の証の銀バッジ。ぱりっと糊の利いた制服に肥満体を包んだタジマは、優越感をこめて俺たちの風体を眺める。垢染みた囚人服をまとった俺たちはタジマと目をあわせないよう注意しながら点呼が終わるのを待つ。
 「いち」
 「に」
 「さん」
 「し」
 「ご」
 張りのある声、いがらっぽい声、変声期前なのだろう甲高い声。さまざまな音域の声が連鎖的に続く。毎朝恒例の儀式。とうとう俺の番がきた。
 「しじゅうく」
 「五十」
 よし、無事通過。俺の隣の鍵屋崎もパス。ろくじゅうに、で全員分の点呼が終わる。
 「六十二人。全員いるな。一人の欠席者もなしとは優秀だ」
 部下の看守を左右に従えたタジマが満足げに俺たちを見回す。欠席者がいなくて当然だ。一日でも欠席したら最後、タジマ主導による看守らのリンチが行われて最低でも右足骨折、最悪脳挫傷で死亡の末路は免れない。タジマが担当する部署はとかく看守の監視と体罰が厳しいことで有名だ。炎天下での作業にもかかわらず休憩もろくすっぽとれやしないから脱水症状を起こしてぶっ倒れる囚人は数知れず。
 「強制労働中の不慮の事故」による重軽傷者及び死者の数がダントツなのはそのせいだ。
 「ちらほら新しいツラが混ざってるな。自己紹介しろ、新入り」
 タジマがぞんざいに顎を振り、自己紹介を促す。汚れの度合いの少ない囚人服を着た新入りたちは不安げな面持ちで顔を見合わせたが、やがて最前列の奴から順番に名乗りを上げてゆく。
 「勅使河原 順」
 「ジャスパー」
 「陳賢」
 「ゲンソウ」
 「タッカ―」
 「スノウ」
 「フェル」
 「元」 
 黒髪金髪赤毛茶髪坊主に混ざるのは緑やオレンジに染色された頭。髪の色も千差万別なら肌の色目の色も個性豊か、国際色豊かだ。名字を有してるのは生粋の日本人だけだから、見た目じゃ中国系と区別がつかなくても名前を聞けばすぐにわかる。
 自己紹介はスムーズに進み、鍵屋崎の番が巡ってきた。
 「鍵屋崎 直」
 「待て、鍵屋崎だと?」
 次に進もうとした自己紹介を止めたのは、タジマのドスの効いた声。剣呑に目を細めたタジマが隣の看守になにやら耳打ちする。タジマに何か聞かれた看守がしかつめらしく首肯し、素早く囁き返す。ふたたび前を向いたとき、タジマの顔にはサディストの本領発揮たる陰険な笑みが浮かんでいた。
 「なるほど、お前が『あの』鍵屋崎か……」
 「?」
 列に並んだ囚人たちの視線がタジマと鍵屋崎とを往復する。脳天からつま先まで値踏みするような視線を向けられても鍵屋崎は動じなかった。分厚い唇をめくりあげたタジマを黙って見つめ返すその目は、顕微鏡越しの微生物を観察してるようにひややかだ。
 やばい、と直感した。
 案の定、タジマは気分を害した。自分と目が合っても他の奴ら同様、鍵屋崎が顔を伏せなかったのがお気に召さなかったらしい。囚人たちを突き飛ばし、憤然とこちらに歩んでくるタジマ。その手に握られているのはよく使い込まれた飴色の光沢の警棒。
 三桁の囚人の汗と血を吸って不吉に変色した凶器。
 「看守に名前を確認されたら『ハイ』と返事をするのが囚人の義務だろう」
 風切る唸りが耳朶を叩く。
 反射的に目を閉じた俺の隣で鈍い音、呻き声。どさり。砂に膝を屈した鍵屋崎が左肩を押さえて苦悶しているさまを横目に、俺はタジマに気付かれぬよう必死に無関係の他人を装っていた。
 「それで?お前の名字は鍵屋崎なのか」
 「………はい」
 苦しげな間をおいて、答えを絞り出す鍵屋崎。タジマが淡々と問いを重ねる。
 「お前が鍵屋崎か」
 「……はい」
 「IQ180の天才児と騒がれた、鍵屋崎夫妻の自慢の息子か」
 「はい」
 「父親に『馬鹿』と一言罵られただけで逆上してナイフを振りかざしたヒステリー持ちのキチガイ野郎か」
 鍵屋崎の顔色が変わり、囚人たちがざわめく。俺も驚いていた。馬鹿と一言罵られただけでナイフを持ち出したのか?コイツが?驚きをひた隠し、まじまじと鍵屋崎を見つめる。鍵屋崎はここにきて初めて反駁しようと口を開きかけたが、声を発する前に左肩を打たれて前のめりに倒れる。体の横に手をつき、前屈姿勢で左肩の激痛に耐える鍵屋崎を傲然と見下ろし、タジマはねちねちと続ける。
 「どうなんだ、え?」
 鍵屋崎は顔を伏せた。
 「………………はい」
 ざわめきが大きくなる。「信じらんねえ、そん位で」「馬鹿の一言で刺されんなら俺なんて今頃一万箇所は刺されてるぜ」「頭がおかしいんじゃねえの、こいつ」……さまざまな意見と感想が飛び交うが、好意的なものはひとつもない。共感もなければ賛同も理解もない。顔いっぱいに嫌悪の表情を貼りつかせた囚人たちは、囚人間で最大の禁忌とされる親殺しの因子が空気感染するのを恐れるかのように遠巻きに鍵屋崎とタジマを見守っている。
 「父親の心臓をナイフでえぐりだしたって本当か?」
 「はい」
 「母親の腹をかっさばいて腸をひきずりだしたって本当か?」
 「はい」
 「脂肪層をナイフで切り裂くのが勃起するほど気持ちいいって取り調室でうそぶいたってのは……」
 「もういいだろ」
 「なに?」
 タジマが顔を上げる。肩をかばった鍵屋崎がうろんげにこちらを見上げる。俺はそっぽを向いて吐き捨てる。
 「時間が惜しい。はやく仕事始めようぜ、タジマさん。ノルマが達成できなくなっちまう」
 タジマの顔色がさっと変わる。怒りに充血したタジマが指をわなわなさせながら警棒を構え直そうとしたが、途中で思いとどまる。自制心を総動員して警棒に伸ばした手を手を引っ込めたタジマは射殺さんばかりの迫力で俺を睨んでいたが、派手な咳払いの後に何食わぬ顔で場を仕切りなおす。
 「仕事開始だ。とっとと持ち場につけ、最後尾の奴は警棒二十発!」
 警棒を横薙ぎに振って囚人を散らすタジマ。タジマの注意が逸れた隙をつき、鍵屋崎の顔を覗き込む。
 「どっからどこまでマジなんだ?」 
 「……君の貧困な想像力に委ねる」
 ズボンの砂を払って腰を上げた鍵屋崎はすっかり元のペースを取り戻していた。眼鏡のブリッジを中指で押し上げる神経質なしぐさからは、かたくなに他人の同情を拒む頑固なまでのプライドの高さが滲み出ていた。自分が属する班の担当地区へと足を向けた鍵屋崎をよそに、駆け足で持ち場に急ぐ。
 「最後のは嘘だ」
 背後で声がした。振り向く。背を向けたままの鍵屋崎が不機嫌そうに言った。
 「最初のは、真実だ」
 ざくざくと砂を踏み鳴らしながら遠ざかってゆく鍵屋崎を見送り、漠然と思い巡らす。
 「馬鹿」の一言が殺人の引き金になるなら、鍵屋崎は東京プリズンで出会うほぼすべての人間を刺殺しなければならないだろう。
 ご苦労様。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060602104103 | 編集

 イエローワークは嫌われ者の溜まり場。

 他の部署の奴らにはそう揶揄されている。あながち穿った見解でもない。自分で認めるのも癪だが前述の言葉は事実である。危険度では火や危険物を扱うレッドワークが最上級だが、単純な肉体労働による体力消費量ではイエローワークに旗があがる。
 イエローワークにまわされるのは一般に罪が重いものだといわれている。複数人に対する殺人罪や五件を越す強盗罪などの凶悪犯罪を犯した少年たちが、それに見合った罰として最も過酷な部署に配属されるわけだ。
 最も、それは表向きの話。裏事情はまた異なる。
 種明かしをしてみれば、イエローワークにまわされるのは看守の覚えがよくない者ばかり。看守に反抗的な態度をとったり刑務所内で暴力事件を起こしたりなんだりで素行不良と見なされたガキたちの矯正所としてイエローワークは認知されているのだ。
 イエローワークの仕事は厳密に二分される。炎天下の砂漠で穴を掘り続ける苦痛な作業と、ビニールハウスの中でトマトや苺を栽培する平和でのどかな作業。前者の仕事に就かされるのは何かにつけ看守に反発して罰点をくらった奴ばかり、待遇のいいビニールハウスでの仕事に派遣されるのは贔屓されてる囚人たち。賄賂を送って要領よく看守に取り入った囚人たちのほかに、少年愛好癖のある看守を体でたらしこんだツワモノもいる。
 もちろん、俺は前者だ。威張れたことでもないが。
 自分ではそんなに反抗的な態度をとってるつもりもないが、何故か一方的にイエローワークの主任であるタジマに目をつけられている。タジマは俺が生理的に気に食わないらしく、これまでさんざん不条理な嫌がらせと理不尽な仕打ちをしてきた。半年に一度の部署移動でサムライはブルーワークに移されたのに、俺はイエローワークのまんまだ。いたぶり甲斐のある獲物を手放すのが惜しくなったタジマが俺の部署移動を裏で妨げたんじゃないかと邪推したくなる。タジマならやりそうだ。あいつは性根が腐っているからな。
 タジマの裏工作の真偽はさておき、ビニールハウス外のイエローワークの仕事はさまざま。畑に引く用水路を工事する連中もいれば二人がかりでリヤカーを引いてひっきりなしに資材を運搬する連中もいる。
 俺の班の仕事は「井戸掘り」で、実態は「砂掘り」だ。
 用水路に引く水を確保するため、運良く地下水脈にぶちあたることを期待してざくざく砂を掘り続けるのだが、砂漠のど真ん中に人工のオアシスが沸く確率はとてつもなく低い。天文学的確率。看守ら主導の地質調査の後、地下水脈が流れてる可能性がある箇所に当たりをつけて囚人を作業にあたらせているらしいのだが本当かどうか怪しい。何故なら俺がこの作業に就いてずいぶん経つが、一向に水が沸いてこないのだから。可能性はあくまで可能性、現実化する見込みは絶望的に低い。俺はこれが囚人への最たる嫌がらせのひとつではないかと疑っている。水が沸く可能性は皆無だとわかっていながら、体罰が怖くて看守に逆らえない囚人たちは黙々と穴を掘り続けるしかない。

 無為な作業、無為な日々。はっきり言って拷問だ。肉体的に、というより精神的な。 

 「-痛っ、」
 おもわずシャベルをはなす。手の豆が潰れていた。血と汗の滲んだ汚れたてのひらを見下ろし、舌打ち。五本の指は豆だらけで酷い有り様。皮膚がふさがる間もなく次の豆が潰れる悪循環の繰り返し。忌々しげにてのひらを見下ろしていた俺の横顔に視線。振り向かなくても看守に睨まれてるのがわかる。二度目の舌打ちをしたくなるのをこらえシャベルを振り下ろし作業再開。
 俺が今いるのはイーストファームAの2番地の砂漠。足立区と同規模の面積を誇る東京プリズンの東区画にある不毛の砂漠。班のメンバーは俺を含めて十三人。不吉な数字。
 鍵屋崎と別れた俺は他のメンバーにまざり、黙々とシャベルで砂を掘り返していた。そばで監視しているのは三十代の看守。タジマじゃないぶんいくらかマシだが、それでも性根が腐っていることに変わりない。今も脅すように警棒を振りながら、直径5メートルの穴の中心にいる俺を陰険な目でねめつけている。一刻も早く看守が去ってくれるよう祈りながら柔らかい砂にシャベルを突き立てる。抵抗のない砂はシャベルの先端を押し込んだそばからザラリと崩れて沈んでゆく。砂を汲んだシャベルを肩口に掲げ、せいやと後方へ放る。穴の周縁にうずたかく漏られた砂のせいか、蟻塚の底にいるみたいな錯覚をおぼえる。
 ザクザク。威圧的に砂を踏み鳴らす足音が去り、ほっと胸を撫で下ろす。他のメンバーの仕事ぶりを監督しに看守が去って行ったのをいいことに、俺はシャベルを握る手を休めた。シャベルの柄にぐったりともたれ、荒れた呼吸を整える。額から滴り落ちた汗がぽつぽつと砂へしみこんでゆく。砂漠に点々と穿たれた黒い汗シミを見下ろしていたら、聞き捨てならない単語が耳にとびこんできた。
 「今日はどっちに賭ける?」
 「レイジVS昇厘だろ?勝負になんねえよ、相手は東棟の王様だぜ」
 「わかんねーぜ、無差別なら。聞いたか?昇厘が靴の裏に鉄板仕込んで今日の試合にそなえてるって噂」
 「鉄板だけじゃねえぞ、俺はこの目で見たんだ。昇厘の奴、靴のつま先に鑢で砥いだ鉄片仕込んでる。飯食ってる俺のそばを通り過ぎたとき、食堂の床に落ちてたキュウリの薄切りが昇厘の足にさくっと刺さったからまちがいねえ。それにいつも使ってる鉄パイプじゃ芸がねえしレイジにゃかなわねえから、今日はヌンチャク装備してくるそうだ」
 「キリエは西棟だっけ。じゃ昇厘に賭けるの?」
 「悩んでんだよ今。西棟の住人としちゃ昇厘に勝ってほしいのが本音だけど、賭け金張るならシビアにいかねーとな。一歩間違えりゃ大損だ」
 「七対三でレイジの勝ちだろ」
 「辛いな。六体四にしとけよ」
 背中越しのやりとり。俺と同じ穴の底でこそこそ私語を交わしているのは同じ班の奴。片方は西棟、もう片方は南棟の住人。居住区が違うため個人レベルでの交流はないが、同じ班で一定期間仕事してれば嫌でも面識ができる。
 「八対二」
 ぼそりと呟いた俺のほうをはじかれたように注目する二人。西棟のガキは今はじめてそこに俺がいることに気付いたような顔をしている。南棟のガキはシャベルを脇に挟んだままポンと手を打った。
 「そっか、お前東棟だっけ」
 貴重な情報を収集したと南棟のガキが顔を輝かせる。西棟のガキは不満そうだ。
 「八対二はねえだろ。昇厘だって西棟じゃ有名な……」
 「レイジの強さは桁外れだ」
 虚を憑かれたような間抜け面の囚人ふたりを等分に見比べ、もったいつけて諭す。
 「レイジは本で人を殺せるぞ」
 「―は、はは。冗談」
 南棟のガキがひきつった笑いを浮かべる。俺の発言を冗談ととったようだ。ごくりと生唾を飲み下し、西棟のガキが念を押す。
 「マジで?」
 「大マジ」
 俺はレイジが本で敵を倒す瞬間を目撃したことがある。ちなみにその時使用した本は世界最大のベストセラー、聖書だった。
 罰があたるぞ。
 俺の発言が本気も本気だと理解した西棟のガキが薄ら寒そうに身を引く。南棟のガキは半信半疑。不信感のこもった目で俺を見つめている。無理もない、実際レイジの近くにいなければ奴の凄さはわかりにくい。同じ棟の同じ房で同じ空気を吸ってる俺には、だれよりも正確にレイジの凄さがわかる。黙り込んだ囚人ふたりを余裕たっぷりに見比べ、俺は予言した。
 「俺が口挟むことじゃねえけど、レイジに賭けたほうが賢いと思うぜ。八対二ってのはお前らをびびらせねえよう割り引いたんだ。本音は九対一でレイジのKO勝ち」
 南棟のガキと西棟のガキが顔を見合わせ、どちらにどれだけ賭けるかの不毛な議論を続行する。我関せずと作業に戻った俺は、ざくざく砂を掘り返しながら考える。
 こいつらは俺とレイジが同房だって知らない。もし知ってたらレイジの強さの秘訣や今宵の試合の行方など根掘り葉掘り詮索してくるだろう。答えるのは面倒くさいし、第一レイジの強さの秘訣など俺にもわからない。毎日千回腕立て伏せと腹筋をこなしているわけでもなし、馬鹿げた量の飯を胃袋につめこんでるわけでもない。なのにあの細い体で連戦連勝ときた。謎。
 「おーい、この砂捨ててきてくれ!」
 頭上から声。
 はっとして顔をあげると、穴の縁からこちらを覗きこんでいる人影。逆光に黒く塗りつぶされた人影の顔に目を凝らすと同じ班の奴だった。俺の後ろの奴らはまだ「鉄板はレイジだけど大穴で昇厘の可能性も捨てきれねえ」「俺は今夜の試合に賭ける!西棟のプライドに賭けて!」と喧喧轟々やりあっている。
 「俺がいく」
 ため息。シャベルをその場に投げ捨て、穴の斜面をよじのぼり地上に立つ。穴の底では俺がいなくなったことにも気付かないめでたい囚人たちが、「儲けた金でドラッグを購入するか、缶ビール1ダースを購入するか」の論争を続けていた。主旨変わってんじゃねえか。
 「じゃ、頼む」
 俺の前に立ってた囚人が変によそよそしい口ぶりでそう言づて、足早に立ち去ってゆく。いまさらショックも受けない。黄色い肌のアイツは中国系か、もしくは台湾系のグループに属しているのだろう。どちらにしろ憎い仇の血が混じった俺となかよしこよしを演じるつもりはないらしい。
 穴のそばに砂の詰まれたリヤカーが放置されていた。そんなに量が多くないから一人でも運べそうだ。わざわざ人の手を借りる必要はないだろう、と周囲を一瞥。周囲の人間も俺に手を貸す気はさらさらないようだ。はいはい、シカトですか。
 リヤカーの柄を掴み、ぐっと力をこめる。車輪が軋み、ゆったりとリヤカーが動き出す。リヤカーを引きずって歩きながら、なんともいえず嫌な気持ちを味わう。
 
 台湾と中国は十五年前に戦争をやらかした。
 
 もともと台湾と中国は、俺が生まれる遥か昔から「どちらが本当の中国か」でもめてたんだそうだ。頑として本家の主張を譲らない互いを苦々しく思いつつもそこそこ平和にやってきた台湾と中国だが、二十年ほど前から急激に両者の関係が悪化。当時の中国・台湾の政治的トップが揃いも揃って右派のカリスマで、国レベルでも個人レベルでもお互いを目の敵にして、公的な会議の場でも徹頭徹尾論理武装した熾烈な舌戦を繰り広げた。最初は国の総統同士の個人間闘争だったのが、争いがはげしくなるにつれ国民にまで飛び火。とうの昔に終息したはずの「どちらが本当の中国か」論争まで再燃し、中国でも台湾でも相手国を非難して自国を正当化する大規模なデモが連日繰り広げられる始末。

 国同士の喧嘩の決着は戦争にまでもつれこんだ。

 十五年前に起きた戦争は東シナ海海上と中国・台湾沿岸部を舞台に展開され、両軍あわせて一億人の死者をだした。当時の日本人総人口に匹敵するってんだから随分派手にやりあったもんだ。核兵器とか使われなかっただけマシだが、なまじ高性能の魚雷や戦艦やミサイルが開発されてたため被害は拡大した。その頃にはすっかり衰退してた国連が重たい腰を上げたときには民間にも八千万を越す犠牲者がでていた。国連の介入により戦争自体は強制終了されたが、両国の遺恨まで消えるわけではない。
 以降、冷戦状態にある中国・台湾は、東シナ海を挟んでいつ終わるともしれない睨み合いを続けている。
 近年日本に流れ込んできた中国・台湾双方の難民の中には、十五年前の戦争で親類縁者を失った者がたくさんいる。そもそも非合法・合法の手段を問わず利用して奴らが日本に流れこんできたのも、戦争の後遺症で経済が麻痺し国土が疲弊し、街には失業者と義足義手の怪我人があふれかえった祖国の現状に絶望したからだ。
 
 そんなわけで、戦争が終わったわずか三年後に互いが互いを目の敵にしてる台湾人と中国人の間におぎゃあと生を受けた俺は非常に肩身が狭い。平たく言えば、台湾人の女と中国人(たぶん)の男が「家族を殺した敵でもいったん好きになってしまえば関係ない」と、祖国愛より快楽を優先して乳繰り合った結果の産物=俺なのだ。 
 
 脳裏に無節操な母親の顔を思い描く。父親の顔は覚えてないから思い描けないが、俺は紛うことなき母親似だ。性格まで似てないのだけが救いだが、顔は本当によく似ている。男と見れば股を開いてくわえこむ、あの淫乱女は今頃どうしているだろう。11の時家を出てからさっぱり会ってないが、今も変わらず男をくわえこんでいるのだろうか。

 くだらないことをつらつら考えつつ、たった一人でリヤカーを引いていると50メートル前方に砂捨て場が見えてきた。俺と同様、リヤカーを引いてきた奴らがせわしく出入りしている。中央に築かれているのは砂の小山だ。
 小山の裾野に群れている囚人たちのもとへ急ごうとした俺の足を止めたのは、不審な物音。
 「?」
 振り返る。目線の先にあるのは粗末なプレハブ小屋。鍬やシャベルなどの作業用具を保管するために造られた安普請の小屋だ。物音は小屋の中から聞こえてきた。いやな予感。即座に回れ右したくなったが好奇心に負けた。リヤカーをその場に放置し、足音を忍ばせて小屋に接近。トタンの壁を迂回して、矩形の入り口を覗きこむ。
 
 小屋の奥にたむろっていたのは囚人服のガキが六人。皆よほどムショ暮らしが長いのか、囚人服の汚れ具合に年季が入っている。肉体労働で鍛えた腕には堅固な筋肉が盛り上がり、肩幅は広く分厚い。骨格は既に華奢な少年のものではなく、屈強な成人男性のものだ。
 中の一人、こちらに背を向けている人物に見覚えがある。
 頭抜けて発達した体格と筋骨隆々とした毛深い腕。囚人服の襟から生えた首は図太く、耳の後ろにまで毛が生えている。やけにゴツゴツとした不恰好な後頭部の、あれは……
 「昨日はおたがい残念だったな」
 声で確信した。凱だ。
 今思い出したが、凱も俺と同じイエローワークだった。班が違うから顔を合わす機会もないしこれまで気にしてこなかったが、未成年を名乗るのが詐欺におもえるあの巨体を見間違えるわけがない。
 なんで凱がこんなところにいるんだ、とか今更そんな当たり前のことは思わない。人目の届かないプレハブ小屋の中でやることといえば二つ。
 リンチかレイプか。
 後者であれば出歯亀になるのは遠慮したい。俺はこそこそとその場を立ち去ろうとした、が。
 「『おたがい』?参考までに指摘してやるが、日本語の文法が間違ってるぞ」
 偉そうな声。
 嫌味な言い回し。確かめるまでもない。
 (鍵屋崎かよ……)
 案の定、プレハブ小屋の隅に追いつめられていたのは鍵屋崎だった。自分より体格の秀でた連中にぐるりを取り囲まれているというのに余裕で腕組みまでしている。
 「『おたがい』というのは両方とも、自分も相手もその点についてはまったく同感だという事実を前提にした言葉だ。君たちはどうだか知らないが、僕は昨夜の行為に関してなんら快感をおぼえなかったし残念だとも思わなかった」
 「強がるなよ。あのまま続けてればお前だって勃ってたはずだ。サムライが邪魔したせいで本番はお預けくらったがな。―まあ、お前の体とおなじくモヤシみてえに貧相なアレが勃ったところで、ケツにぶちこまれるの専門なんだから使い道ねえが」
 凱に追従して取り巻き連中が下品に哄笑。
 「―反吐が出る」
 「なんだと?」
 笑い声が止む。うろんげに眉をひそめた凱を見上げ、鍵屋崎は淡々と繰り返す。
 「反吐が出る。食べたもの飲んだものを吐き戻す。「反吐が出る」はその活用形の慣用句。意味は―……」
 一拍おいて、言う。
 「不愉快だ」
 「―先輩に対する口のきき方がなっちゃねえ、てんでなっちゃねえ。同房のサムライ崩れやお友達のレイジくんは、先輩への口の聞き方や媚の売り方を教えてくれなかったのか?」 
 「他人から教えてもらうことなどなにもない。すべては……」
 鍵屋崎が自分のこめかみをつつく。
 「ここに入ってるからな」
 「なるほど、頭がいいのはわかった。そんだけ舌が回んのは多少なりとも頭がいい証拠だろうしな。だがなメガネ、」
 バン、プレハブ小屋が振動する。鍵屋崎の顔の横に平手を叩きつけた凱が、三白眼に憤怒の炎を灯して凄む。
 「東京プリズンで役に立つのは頭じゃない―……拳だ」
 「……それで?作業中の僕をわざわざここに連行してきた理由を端的に聞きたいのだが」
 「時間の無駄」といわんばかりにきざったらしくメガネのブリッジを押し上げた鍵屋崎に、下劣な笑みを湛えた凱が鼻息荒く迫る。
 「昨日の続きをしようぜ」
 鍵屋崎の顔の横に手をついた凱が前屈姿勢をとり、鍵屋崎の耳元でねっとりとささやく。耳朶を湿らす吐息の不快さに鍵屋崎が顔をしかめる。
 「入り口はこいつらに見張らせておく。コトが終わるまで立入り禁止のプライベートルームだ。まあ全員ヤれりゃ上出来だが、俺独りでもかまやしねえ。今こなしておけば夜には使いやすくなってるだろうしな」
 「ちげえねえ」と取り巻き連中が爆笑する。俺が言えた義理じゃないが、本当に下品な奴ら。
 「作業はどうする?看守に見つかればただでは……」
 「ちっちっちっ」
 凱が舌打ち。顔に唾が飛んだらしく、鍵屋崎がこの上なくいやな顔をする。
 「俺をだれだと思ってんだ?看守連中にも顔が効く東棟の凱さまだ。育ちのいいお前は知らねえだろうが、クリーンな刑務所なんてキレイな公衆便所くらいありえねえ。俺の班の担当はぺーぺーの新人で囚人相手に毎日びくびくしてるタマなし野郎で、ちょっと睨んで小突いてやったら半泣きで『お好きにどうぞ』だとよ。ほかのダチは担当の看守に賄賂を渡してここにきた。最低30分はここに看守がやってこない取り決めになってんから、思う存分俺たちとヤ……」
 「断る」
 瞬殺。
 あざやかに一本を極めた鍵屋崎は勝者の自覚も奢りもなく、あっけにとられた取り巻き連中と凱とを見比べて口を開く。
 「汗と砂と精液でまみれた不潔な手で体中をまさぐられるなんて想像しただけでおぞ気が走るな。品性も卑しければ言動も容姿もすべてが卑しい。最悪だ。君たちのような人間が未だに呼吸してるなんて人類全体の恥だ。君たちの脳はどこまで退化してるんだ?北京原人か、クロマニョン人か、原初の海の中を漂ってるカンブリア期の藻類か?いや、君たちと比較対照するなんて藻に失礼だ。水中の藻は光合成の摂理で、人間やその他の陸上生物が排気した二酸化炭素を酸素に還元してくれる非常に効率的な種だからな。察するに……」
 最高学府の教壇に立ったが如く淘淘と自説を述べ立て、鍵屋崎が結論する。
 「君たちは藻以下だ」
 
 凱がキレた。 

 ―「るあああああああ!」―
 巻き舌の恫喝とほぼ同時に繰り出された拳が鍵屋崎の右の壁を穿つ。鍵屋崎が回避できたのは幸運だった。トタンの壁を穿った拳を穴から引き抜き、気炎を吐きながら鍵屋崎へと向き直る凱。
 「藻?藻だあ?しかも以下だあ?上等だよメガネ、レイプよりリンチがお望みときたか」
 凱に目配せされた取り巻きが阿吽の呼吸で鍵屋崎の周囲を取り囲み、退路を塞ぐ。壁際に身を竦めた鍵屋崎はこの期に及んでもまだ平静を保っていた。メガネのレンズに映っているのは理性が蒸発した凱の目とぐるりを包囲した取り巻き連中のにやにや笑い。
 最終的にこうなるだろうなとは思っていた。
 奴らにとってはリンチでもレイプでもかまわないのだ、目的を達することさえできれば。凱たちの目的は精神的にも肉体的にも自分より弱い奴を腕力でねじ伏せ屈服させ屈従させ、小暴君の優越感に酔うこと。サディスティックな本性を全開にして心ゆくまで獲物を痛めつける口実なら、リンチだろうがレイプだろうがかまわない。
 じりじりと間合いを詰めてくる凱と取り巻きに逃げ場をなくした鍵屋崎は、正面の凱に視線を固定したままスッと片腕を伸ばす。鍵屋崎が腕を伸ばした先には壁にたてかけられたシャベルがあった。鍵屋崎の手元に注意していた俺はいち早く気付いたが、多勢の優位を武器にした凱と取り巻きが気付く気配はない。
 「口がきけるうちに聞いとくぜ」
 大股に踏み出した凱が腕を脇にひきつけ、節くれだった五指を内に握りこむ。
 「そのメガネ、伊達か?」
 「―この刑務所の連中はなぜそんなにメガネのことを気にするんだ」
 自分が窮地におかれていることよりメガネへの関心が勝ったらしく、鍵屋崎が不思議そうに問う。
 「教えてやるよ、今!!」
 凱が大きく腕を振りかぶる。入り口付近の俺の位置にまで風圧が作用し、前髪がめくれた。

 ガキン!!

 耳を聾する鈍い音。反射的に閉じた目を開けてみれば、そこには予想外の光景が広がっていた。
 顔の前にシャベルを立てた鍵屋崎。シャベルの背に進行を妨げられているのは、凱の拳。金属のシャベルに拳をうちこんだ凱の顔筋が不自然に痙攣する。
 「ひぐっ……、」
 絶叫。
 「ひぎゃああああああああああっ!!」
 「て、てめえ!!」
 手の甲をかばって膝をついた凱の仇と、血気さかんな取り巻きの何人かがシャベルを手に取り振りかざす。一撃目は防げたが、鍵屋崎ひとりで五人を相手どるのは分が悪い。鍵屋崎の右腕を掠めたシャベルが壁に突き刺さり波形の裂け目が生じる。
 シャベルで破かれた衝撃で鍵屋崎がもたれていた壁が後ろ向きに倒れ、砂地に埋没。濛々と舞い上がった砂埃のせいで視界が曇り、取り巻き連中が混乱する。
 今だ。
 脱兎の如く飛び出し、砂に尻餅をついている鍵屋崎の腕を引いて立ち上がらす。されるがままに立ち上がった鍵屋崎は片手にシャベルをさげていた。
 凱の拳を砕いた凶器のシャベル。
 「逃げるぞ!」
 鍵屋崎が何か言おうと口を開きかけたが、無視して走り出す。背後の騒ぎが大きくなり、50メートル遠方に集っていた砂捨て場の囚人たちが野次馬根性丸出しでこちらにやってくる。砂に足をとられながら逃げる俺の背後で憎たらしいほど落ち着き払った声。
 「作業はいいのか?」
 「してる場合か!」
 つっこんだのは脊髄反射だ。
 このメガネは頭がイカれてる。今作業に戻ったら凱一党に見つけ出されて確実になぶり殺される。命は助かっても膝の靭帯を切られるくらいは覚悟しなければならない。
 「おい、」
 「火に油を注ぐしか能のねえ口は閉じてろ!」
 俺に腕を掴まれたままさらに言葉を続けようとした鍵屋崎を一喝しようとした瞬間―


 世界が暗転。 


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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060601104253 | 編集
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