ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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少年プリズン
koneko.giftatineko-l.gif無意識な10のお題
*全部ネタバレにつき本編最新話まで読了後推奨 

● 爪噛み 直 

● 泳ぐ視線  安田

● 鼻歌

● 妄想 タジマ R18

● 唇を噛む ロン

独り言 静流

● 呼吸 レイジ

● 瞬き

● 髪を梳く サムライ

● 自分の癖 ヨンイル

番外編
● 「売春班の記録」 1  R18
(性描写あり/SM/調教/拘束/手錠/玩具/言葉責め)R18

● 「売春班就労前身体検査」
(性描写あり/強制自慰/視姦/羞恥/言葉責め)R18

髪切りの亭主

天にまします我らが父よ

天体観測

シャワー室の攻防

調教R18

この色のない世界で

ロシアより愛をこめて

ロールシャッハテスト

貴方の靴はウォッカの味

サイレントベイビーR18

三千世界の鴉を殺し

サウダージ

図書館戦争

フライ・ドラゴン・フライ

唇に毒を塗り

繭の中の天使

靴紐ロジック

ヒメゴト

メイドアタックシンドローム~あるいは道化の白昼夢~(本編十二章一話読了後推奨)

クロイツェル・ソナタR18

プリティ・プリズン・ガーディアン 1 

侍とネコ

王様とネコ





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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010728205302 | 編集

 恵は爪を噛むのが癖だった。
 「恵、また爪を噛んでいるぞ」
 「あ」
 僕が指摘すれば、鍵盤に置いた手をさっと引っ込め、羞恥に頬を染める恵。
 瞬間、余計な一言を後悔する。
 僕は今、恵の隣に腰掛けて恵のピアノ練習に付き合っている。
 付き合っている、と言ってもその実態は恵の演奏に耳を傾けているだけだ。
 真剣な面持ちで白と黒が整然と並んだ鍵盤と向き合い、小さくなめらかな手をそっと鍵盤にのせ、眉間に皺を刻み、集中力を高めて楽譜を読む。熱心に楽譜を辿りながら、一生懸命にピアノを弾く恵の様子がいじらしくて微笑ましくて、口元に笑みが零れる。
 以前、父の……鍵屋崎優の助手に言われたことがある。
 『あなた、妹さんの前でだけ普通に笑うのね』と。妙に感心したような、あきれたような口ぶりだった。
 彼女の口元に浮かんでいたのは嘲笑だろうか、憫笑だろうか。
 たぶん、妹を引き合いにだして僕をからかうつもりだったのだろう。
 だが僕は、彼女の言葉に別段反感を持つこともなく、感情をあらわにすることもなかった。
 かえって観察眼が鋭いなと感心したくらいだ。
 興味本位に十歳以上年下の僕を誘惑するような、父の助手としては有能だが上司の監視の目が届かないところでは奔放な女性研究者を、僕は心の中で軽蔑していた。
 鍵屋崎優が俗物なら、彼を尊敬し、彼の下で働く研究者もまた俗物だ。
 僕は物心ついた時から自覚して笑ったことがない。自覚して笑顔を浮かべたことがない。
 冷笑や蔑笑などの類なら意識的に浮かべることもできるが、心からの笑顔は恵と一緒に過ごす貴重な時間にしかでてこなかった。
 僕は恵と一緒にいるときに最も幸福を感じた、安らぎを感じた。
 可愛い妹。僕の支え。
 「爪がぎざぎざだとピアノが弾きにくくないか」
 不躾な指摘をごまかすように、言い訳がましく補足し、細心の気配りを持って恵の手を取る。
 白くすべらかでふっくらとした子供の手。
 「爪を噛むのはよくないぞ、ピアノを弾くならなおさらだ。手と指は大事にしなければ」
 「わかってるもん」
 恵がむくれる。拗ねたように唇を尖らし、首をうなだれる。
 いたいけな小動物のように黒目がちに潤んだ目が、僕を下から覗きこむ。
 「……わかってるけど、つい噛んじゃうんだもん。やめられないんだもん」
 「何か悩み事でもあるのか?」
 爪を噛む癖は心因性のストレスに起因した症例だ。人には言えない悩み事を心の底深く抱え込むあまりに口数が少なくなり、誰かに変調を気付いてもらいたい一心で自傷行為に走る人間は少なくない。
 恵が爪噛みをやめられないのにも原因があるはずだ。
 どうやら図星のようだ。
 僕に手をとられた恵が、なにか思い当たることでもあるかのように気まずく目を伏せる。
 躊躇に目を揺らしながら俯いた恵が自分から口を開くのを、ただじっと待つ。
 焦れるような沈黙の末、漸く恵が口を開く。
 虐げられた小動物のように人の悪意に過剰反応する恵は、多大な努力を強いて、今まさに口を開こうとしている。
 恵が消え入るような声を発した。
 「……お父さんの助手に、若い女の人がいるでしょ」
 「ああ」
 父の助手で若い女性といえば一人しか思い当たらない、僕の初体験の相手だ。
 興味本位に僕に誘いをかけて性交を試した女性の顔を脳裏に反芻し、まさかと心臓が跳ねあがる。
 まさかあの女、僕との関係を恵にしゃべったのでは。
 恵にだけは知られてはならない秘密なのに。
 僕は恵を汚したくない、恵の耳に汚らわしい事実を入れたくない。
 両親に知られるのはべつにかまわない、彼らにとっては僕の性交もモルモットの交尾くらいの意味合いしか持たないのだから。
 僕と彼女が関係を持ったことを知っても、発情したモルモットを興味深く眺める観察者の目をするくらいで、日常接する態度に変化はない。
 だが恵はそうじゃない。
 恵に僕に懐いている、殆ど家族の会話のない冷え切った家での唯一の心の拠り所として健気に僕を慕っている。
 恵の信頼を裏切るわけにはいかない絶対に、恵に軽蔑されたら僕は生きていけない。
 緊張に乾いた唇を舐め、湿らす。
 「彼女がなにをしたんだ、なにを言ったんだ?恵が深刻に落ちこまねばならないほど不愉快なことか、それ程までに不愉快な話をしたのか。まったくこれだから低能はデリカシーに欠ける、配慮が足りない。
 彼女とおなじ空気を吸うのが不快なら僕から父さんに進言してクビにしてやる、恵に対する侮辱罪を法廷で…」
 「あの、おにいちゃん落ちついて。お水もってこようか?」
 頭に血が上った僕を、椅子から腰を浮かした恵が慌てて宥める。
 まずい、僕としたことがとんだ失態だ。研究員との情事を恵に知られたと早とちりして平常心を乱してしまった。
 逆に妹になぐさめられてどうする、と情けなくなり下を向く。 
 いつになくはげしい口調で女性研究者を非難した僕に当惑した恵が、元通り椅子に腰をおろし、深々とため息をつく。
 「……その、お父さんの助手のおねえさんがこの前うちに来た時に言ったの」
 「いったい彼女はどんな虚偽妄想の類を口走ったんだ、教えてくれ恵、そして即訂正させてくれ」
 はやる気持ちを抑え、身を乗り出して畳みかける。物憂げに睫毛を伏せた恵が、ひどく思い詰めた眼差しを僕に向ける。
 「『お兄さんはあんなにお父さんに似てるのに、恵ちゃんはご両親どちらとも似てないわね』って」
 「え?」
 予想外の事実が発覚し、面食らう。よかった、僕との関係を聞かされたのではないかと安堵したのも束の間、恵の言葉を咀嚼し、嫌悪に眉をひそめる。
 僕と鍵屋崎優が似ている?あの俗物と似ている?
 冗談じゃない。そんな疑惑をかけられること自体、侮辱にひとしい。
 口下手な恵が必死に、今の自分の気持ちを精一杯伝えようと努力し、ともすると零れそうな涙をこらえて僕を見つめる。
 「おにいちゃん、本当のこと言って。恵、お父さんとお母さんに似てない?どっちにも少しも似てるところがないって、おにいちゃんもそう思う?」
 返答に窮する。
 「……やっぱりそうなんだ」
 恵が落胆のため息をつく。
 「待て、似てないとは言ってない。たしかに外見上の共通点をさがしだすのはむずかしいが似てるところがひとつもないわけじゃない、たとえばそう、父さんには本のページの角をしおり代わりに折る迷惑な癖がある。
 恵も同じ癖があるだろう?母さんは」
 「もういいよ」
 涙をためた目で恵が俯く。
 「……恵、お父さんとお母さんのほんとの子供じゃないのかな」
 「何を言い出すんだ恵、戸籍謄本を見るか」
 「だって恵、お父さんとお母さんに似てるとこどこもないもん!おにいちゃんみたいにふたりに可愛がられてないもん!」
 違うんだ恵、事実はまったくの逆なんだ。
 そう叫び出したい衝動をこらえ、唇を噛む。恵は誤解している。
 両親と血の繋がりがないのは僕の方なんだ、鍵屋崎優と由佳里の血縁上の子供ではないのは僕の方なんだ。
 恵はもっと誇っていい、自慢していい。優秀な両親をもったことを誇りにしていい、正真正銘ふたりの子供として生まれたことを自慢に思っていい。
 鍵屋崎優と由佳利の遺伝子を均等に受け継いだ長女たる恵には、立派にその権利と資格がある。
 ないのは僕だ。
 恵に嘘をついてるのは、最愛の妹を卑劣に騙し続けているのは僕の方なのだ。 
 鍵屋崎優と由佳利の本当の子供でもないくせに、恵の居場所を脅かしているのは。
 「それは違う、恵」
 なにが違うんだ?恵が両親に似てないのは事実だ。
 しかし、恵はたしかに鍵屋崎優と由佳利の子供だ。
 本来もっと愛されていいはずなのに、自信をもっていいはずなのに。
 「たしかに恵は父さんにも母さんにも似てない、少なくとも外見はどこも似てない。恵は父のようにあたりまえに人を見下す傲慢な顔つきをしてないし、母さんのように目尻のつりあがった神経質な面立ちをしてない。恵は可愛い、とてもあの二人の子供とは思えないほどに可愛いと僕が保証する。だけど恵、やっぱり恵は父さんと母さんの子供なんだ。戸籍以上に確実に鍵屋崎優の由佳利の子供、鍵屋崎家の長女なんだ」
 「うそ」
 強情に首を振る恵の手を掴み、引き寄せる。
 「嘘なものか、偽証罪に問われるのは嫌だからな。僕を信用しろ恵、恵が産まれた時のことはよく覚えているぞ。
 鍵屋崎由佳利はたしかに妊娠して出産した、それが恵だ。恵は間違いなく鍵屋崎優と由佳里の子供、愛されて産まれた子供なんだ」
 違う、そうじゃない。恵ができたのはたんなる避妊の失敗だ。
 鍵屋崎由佳利がピルを飲み忘れて行為に及んだ結果だと心が反駁する。 
 饒舌にまくしたてながら、僕は何とか両親と恵との共通点をさがそうと記憶をさらい、閃く。 
 「知ってるか、恵。母さんにもおなじ癖があるんだ」
 虚を衝かれたように目を見開く恵の手をとり、爪がぎざぎざになった指先を優しく撫でる。
 「イライラしたときに爪を噛む癖だ。とくに左小指が深爪しそうに短い。今度注意してよく見てみろ、僕の言ったとおりだから。恵はたしかに鍵屋崎優と由佳利の子供だ、他人の妄言に惑わされず自信をもて」
 恵はたしかに鍵屋崎優と由佳利夫妻の子供だと、健康な赤ん坊が家にきたとき、知的好奇心をもって観察した僕なら断言できる。
 恵はもっと、人に愛されていい子供だと。
 だれからも愛されていい子供だと。
 「……そしてたまには、鍵屋崎直の妹であることも思い出して、誇ってくれたら嬉しい」
 最後にそう付け加え、にわかに気恥ずかしくなって顔を伏せる。
 うなだれた僕の手を、そっと握り返すぬくもり。顔を上げれば、目と鼻の先で恵が微笑んでいた。
 僕の手を優しく包み込み、はにかむような笑顔を覗かせ、恵は無邪気に言う。
 「……うん、そうだね。ごめんねおにいちゃん、変なこと言って。恵、お父さんとお母さんの子供だよね。本当の子供だよね。お父さんともお母さんとも、おにいちゃんとも血がつながってるよね」
 優しく残酷な言葉が胸を抉る。
 違う、それは違う。たしかに恵は鍵屋崎優と由佳利の子供だ、それは間違いない、否定しようのない事実だ。
 だが、僕は恵の兄じゃない。本当はちがう、恵とは何の関係もない、血のつながりもない赤の他人で。
 本当なら、今もこうして恵の隣にいていい人間じゃない。
 「……恵、でも僕は、お兄ちゃんのくせに恵と似てるところが少しもないぞ」
 「お兄ちゃん」という呼称を自分で使うのは抵抗があり、恥ずかしい。
 本当は恵の兄じゃないんだと暗喩をこめて抗弁すれば、僕の手を握りしめた恵が、不服そうに唇を尖らす。
 「でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ。お父さんよりお母さんより恵に優しくしてくれるお兄ちゃんがお兄ちゃんじゃないなんて、そんなことありえないもん。絶対に」
 そして、思いも寄らぬ行動にでる。
 「恵!?」
 僕の小指を突然口に含み、齧る。小動物めいた仕草で僕の小指の爪を齧り、手から顔をはなし、恵がにっこり笑う。
 「これでお兄ちゃんもお揃い。でしょ?」
 恵に齧られ、歪になった小指の爪を呆然と見下ろす。小指を突然口に含まれたときは狼狽したが、実年齢よりさらに内面が幼い恵が今の行為に対しなんら抵抗や羞恥を覚えてないことに救われる。
 恵いわく「自分とお揃い」の長さと形状になった小指の爪を見つめ、不器用に微笑む。
 「……そうだな。僕にもひとつ、恵と似てるところができたな」
 僕はピアノを弾かないから、小指の爪が短くなったところで支障はない。
 上機嫌な恵が再びピアノと向かい合い、演奏を再開する。
 真剣な面持ちでピアノを練習する恵の背中を見守りつつ、祈る。
 いつか、恵が爪を噛まなくなる日がくればいい。
 爪を噛んで、不安をごまかす必要がなくなる日がくればいいと。

無意識な10のお題
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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010727114013 | 編集

 囚人居住区から少し離れた場所にその施設はあった。
 砂漠越えの遠距離通勤に不満を訴えた職員のために東京プリズンの敷地内に設けられた職員用の宿舎。
 外観は極めて殺風景で、何かの研究施設と見紛う無機的な佇まいをしている。
 鉄筋コンクリート製の外壁は一面の白で塗りこまれ、灰色のコンクリ壁が剥き出しとなった囚人収監棟と比べて幾分清潔な印象を与えたが、砂漠から吹きつける風に晒されていつしか黄土色にくすんでしまった。
 位置的には東京プリズンに送られた囚人がチェックを受け、まず最初に通過するゲートに面している。
 ジープに揺られてゲートをくぐればどうしても視界に入れざるをえない三階建ての建造物。
 それこそが職住接近の利便性を追求した職員用宿舎であり、現在この寮には東京プリズンで働く看守の約七割が居住してる。
 住み心地は決してよいとは言えない。
 乾燥した砂漠の空気は体に毒だ。
 窓から望める眺望には変化がなく、刑務所の内と外とを厳然と隔てる鉄条網の向こうには、草一本生えない不毛の砂漠が広がっている。
 人類がこれまで培ってきた文明の虚しさを痛感させる、荒涼とした眺めだった。
 灼熱の太陽が上がる昼間は四十度を軽く超す砂漠の気温も、夜になれば一転氷点下まで落ちこむ。
 本来ここは人間が暮らす地ではない。あまりに過酷すぎる砂漠の自然環境は人間の生存を許さない。
 ここはつまり誰からも見捨てられた場所。
 法律に捨てられ社会に捨てられた人間が最終的に行き着く吹き溜まり……
 地の涯てなのだ。
 「……くだらない」
 小さくかぶりを振り、感傷的な気分を追い払う。
 だから何だというんだ?くだらない思考だ。
 安田は疲労のため息を吐き、気分転換にコーヒーでも淹れてこようと椅子から腰を上げた。
 安田の部屋は宿舎の三階にあり、窓からは延々と続く鉄条網とその向こうの砂漠が広広と見渡せる。
 砂嵐が吹き荒れる殺伐とした眺めにも慣れてしまえば何の感慨も抱かない。
 窓は一瞥だにせず、簡素な調度で纏められた室内をよこぎり、キッチンへ向かう。
 すみずみまで整頓されたステンレスのキッチンに歩み寄り、こぽこぽと音たてるコーヒーサイフォンから黒い液体を注ぐ。カップを持ち上げ一口含めば、じっくり時間をかけて熟成された苦味が口の中に広がる。
 鼻腔をくすぐる香ばしい芳香をたのしみつつカップを手にして戻りがてら、安田の目が書架へと吸い寄せられる。
 机にコーヒーを置き、わざわざ書架に取って返し、一冊のファイルを引きぬく。
 繊細な指がページをめくる。
 安田が過去、熱心に収集した新聞記事のスクラップブック。
 そのページのどこにも同じような内容の記事が貼られていた。
 『列島震撼!あの鍵屋崎夫妻の長男が両親を殺害』『被疑者少年は完全黙秘』『動機なき殺人か?天才児の心の闇に迫る』『両親との不仲説急浮上 冷え切った家庭環境が彼を凶行に走らせたのか?』『鍵屋崎優の研究助手、女史Aの新証言。「彼は父親を嫌っていた」』『エリート一家を襲った惨劇 IQ180の親殺し』……
 大体そんな内容の記事ばかりだ。
 彼が切り抜いた記事はすべて、遺伝子工学の世界的権威たる鍵屋崎夫妻が長男に刺殺された事件を取り扱った物だった。中の一枚になにげなく視線を落とし、安田は複雑な顔をする。
 一体どこから入手したのか……
 まだ鍵屋崎夫妻が健在だった頃、家族で取材を受けた際に撮られた一枚だろうか。
 写っていたのは十代前半の少年だった。
 理知的に整った容貌にメタルフレームの眼鏡がよく似合っている。
 怜悧な知性を宿した双眸と落ち着いた佇まいは実年齢以上に彼を大人びて見せていた。  
 「……皮肉な巡り合わせだな」
 少年の写真にそっと指を触れ、感慨深げに独白する。
 まさかここで、この場所で彼と会うことになるとは思わなかった。
 もちろん実際の彼とは面識がなかった。だが常に心のどこかにひっかかってはいた。
 今更虫がいいだろうか。彼を守りたいと思うのは。
 しずかにファイルを閉じ物思いに沈む。
 最初に会った時、安田は一瞬驚きに声を失った。
 ほんの一瞬だったので引率の看守にも彼のもとまで連れてこられた囚人にも気付かれはしなかったが、最初にあの少年を見た時、安田はどうしようもない違和感を覚えた。
 なんて無表情な少年だろう。
 まるで心がないみたいだ。
 心を閉ざしてる、というのとも違う。言うなれば白紙の状態だった。
 情緒が未熟という表現が適当だろうか。情緒が未発達ゆえ上手く感情表現ができず、子供らしい表情が欠如していたのではないかと安田は冷静に分析する。
 今の彼は見違えた。たった半年で急成長を遂げた。
 最近ではずいぶん色々な表情を覗かせるようになった、喜怒哀楽を率直に表現するようになった。
 安田は彼の変化を喜ばしく思う。 
 自分に何ができるかわからないが、できるだけのことはしてみよう。
 彼はまだ十五歳だ。前途ある少年だ。
 両親を刺殺した前科があっても、懲役八十年の厳刑を課されても、彼自身が希望を捨てないかぎり未来は決して閉ざされはしない。安田は少しでも彼が希望がもつ手助けをしたいと思う、希望の延命措置をしたいと思う。
 彼だけではない、すべての囚人にとって東京プリズンが希望を持ち得る場所になるよう変革に望もうとしている。
 孤独な闘いだが、やるだけの価値と意義はある。
 『通信が一件入りました』
 無機的な電子音声が安田を現実に引き戻す。音源は机上のパソコンだ。次の会議に提出する資料作成のため電源を入れっぱなしにいていたパソコンのランプが点滅し、外部からの通信を報せている。
 「はい」
 足早に机に戻り、慣れた手つきでマウスを操作し、新たな窓を開く。
 液晶画面に表示されたのは初老の男。
 安田の記憶に強く訴えかける顔。
 「お久しぶりです、教授。お元気ですか」
 『ああ、元気だとも。そういう君は、相変わらず体調が悪そうだね。ちゃんと食べているのかい?以前見たときよりも痩せたようだが』
 液晶画面に象を結んだ初老の男は、澱みなく社交辞令を述べた安田に微笑みかける。
 「それで本日はどういったご用件ですか」
 『用件というほどのことはない。かつての教え子が元気にしているか確認したかっただけだ。ついでに世間話をね…覚えているかね?大学で君と同期だった斉藤くん。仙台の大病院で精神科医として働いていて、美しい奥さんと可愛い子供にも恵まれて、大変充実した毎日を過ごしてるようじゃないか』
 「……嫌味ですか?切りますよ」
 『短気だね。カルシウムが足りないんじゃないかい』
 画面の向こうでわざとらしく首を振り、教授が姿勢を正す。
 皮張りの椅子の背凭れから体を起こし、机上で五指を組み、厳粛な態度で安田の目を見据える。
 『新聞で読んだよ。鍵屋崎夫妻の長男が君の職場……東京少年刑務所に送られたと』
 やはり。
 椅子に腰掛け、冷めたコーヒーを嚥下し、安田は眉をしかめる。
 憮然と黙りこんだかつての教え子を苦笑まじりに眺めつつ、初老の教授は続ける。
 『私も憂慮していたんだよ。君は副所長の立場にある人間だ、一介の囚人と接する機会はそう多くないと思うが……万が一にも彼と接触を持った場合、不適切な感情を抱きはしないかと』
 「不適切な感情?」
 ずいぶんともってまわった言い方をする、と心の中で安田は嘲笑する。
 全部知っているのならはっきり言えばいいではないか。
 かつて研究に携わった責任者として、モルモットとの間に親子の情愛が芽生えるのを危惧したと。
 苦いコーヒーを口に含み、安田はじっと教授を見る。
 もう十五年以上前の話だ。
 『私情を交えるのは感心しない』
 画面の中で教授は肩を竦めた。
 『彼はモルモットだ。モルモットに必要以上の愛着を抱くな。君も早くいい人を見つけて結婚し、家庭を築け。過去のことは忘れろ。あの研究のことを知っているのは私と君と当時の助手が数人、他は鍵屋崎夫妻だけだ。その鍵屋崎夫妻も今はない。最も君の心情もいくらかは理解できる。写真で見た彼はあまりに……』
 らしくもなく言い淀み、探るような目つきで安田を窺う。
 『あまりに若い頃の君に酷似していた。まったく、遺伝子とは侮れない』
 教授の視線が虚空に泳ぐ。
 十五年前の日々を懐かしんでいるかのように。
 安田の視線もつられて虚空に泳ぐ。もう十五年も昔の話だ。画面の中、かつて彼に実験への参加を命じた教授も十五年前と比べてずいぶん老いた。
 髪は殆ど白くなり、当時は用のなかった老眼鏡をかけ、皺深い顔に憂慮と後悔の念を湛えて俯いている。
 教授は今も罪の意識に苦しんでいるのだろう。
 かつての教え子を研究に引きこみ、おなじ重荷を背負わせてしまった罪の意識に。
 「……切りますよ。世間話は今度お会いしたときにでもゆっくりと」
 コーヒーを飲み干し、強制的に会話を終了する。
 まだ何か言いたそうな教授が口を開くのを待たず、回線を切る。画面が闇に包まれる寸前に教授が口にしようとした言葉を、安田は唇の動きから正確に読み取る。
 「『君は優しすぎる』、か」
 教授は思い間違いをしている。私は優しいのではなく、甘いだけだ。
 コーヒーの残滓が底に溜まったカップを洗おうと椅子を立ち、キッチンへと足を向けがてら、さっきは素通りした窓の前で立ち止まる。
 そっと窓に手をあて、延々と連なる砂丘の向こう、蜃気楼のように煙る高層ビル群へと目を馳せる。
 「……直」
 無意識に彼が呟いたのは、親殺しの汚名を被った鍵屋崎夫妻の長男であり……
 安田順の息子の名だった。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010726204115 | 編集

 タジマは足早に廊下を歩いていた。
 どこまで歩いても延々と灰色の天井と床が続く殺風景な光景。
 ここが彼の職場、東京プリズン。正式名称を東京少年刑務所という日本最大どころか世界最大規模の刑務所。
 今から半世紀前、相次ぐ地震による地殻変動により高層ビル群が林立する都心が陥没し、広大な面積の砂漠が生まれた。
 突如東京の真ん中に出現したこの砂漠の周縁には、いつ頃か無国籍のスラムが形成され、戦争を逃れてきた難民や出稼ぎ目的の外国人就労者が溢れ返るようになった。
 彼ら低所得層の外国人たちは砂漠と境を接した悪環境のスラムにて年々繁殖を続け、三代前まで遡れる純血の日本人人口が減少してゆくのに反比例して増加の一途を辿り、今や日本の人口の三割までを外国人とその流れを汲む混血児が占めるようになった。
 外国人を毛嫌いするタジマにとってはまったく苦々しい、不愉快な現状と言うしかない。
 この刑務所にも外国人がうじゃうじゃいる。生命力の強い雑種どもは今後もしぶとく繁殖を続け子孫を増やし、やがては日本中にのさばりかえるつもりなのだ。
 悪い血は絶つに限る、不浄な系譜は絶つに限る。
 そう、タジマが東京プリズン最低最悪の看守として忌避の的とされるのは、一重にこの人種差別思想と卑屈な偏見に凝り固まった性格が原因だった。タジマは囚人に最も容赦ない看守として知られている。ばかりか、権威を嵩に着て囚人をいたぶる行為に性的興奮をおぼえる完璧な異常者だった。
 過度の嗜虐癖を持つタジマは、一路ある場所へと向かっていた。中央棟地下へとエレベーターで下りてから、長い廊下をひたすら歩く。
 等間隔に設置された蛍光灯の幾つかは電球が割れ、幾つかは不規則に点滅している。光量はとても十分とはいえず、視界は悪い。しかしタジマは歩みを止めない、一刻一秒でも時間が惜しいとばかりに歩調を速めて、尊大な大股で廊下を突き進む。
 タジマが威張って足を繰り出すたび、腰にさげた警棒が律動的に揺れる。
 今日まで何人何十人もの囚人の血を吸い、どす黒く変色した不気味な警棒。
 タジマは歩く。
 ただ正面だけを見て、何かに憑かれたようにひたすら大股に歩く。タジマを前へ前へと駆り立てるもの、それは妄想だ。
 興奮に血走った眼球が物語るのは、タジマの脳内で膨らむおぞましい妄想。 さて、今日はどうしてやろう。どんなプレイで楽しんでやろう、味わってやろう、どんな体位を教え込んでやろう?
 興奮に乾いた唇をしつこく舐め、無意識な動作で腰の警棒に手をやり、タジマは歩度を緩める。徐徐に歩調を落とし、廊下の途中、一つの鉄扉の前で停止。腰の警棒に片手を被せ、鉄扉と向かい合ったタジマは、ノックもせずいきなりノブを捻る。
 「よう、独りで寂しくなかったかよ」
 なれなれしく挨拶をし、鉄扉を開ける。
 蝶番が軋み、高音域の悲鳴をあげる。耳障りな軋り音をあげながら内側へと開いた鉄扉の向こう側には陰鬱な色彩に沈んだ殺風景な房があった。
 天井も壁も床も灰一色の無味乾燥な部屋には奥のパイプベッド以外に調度品もなく、向かって左手の壁の上部にシャワーが取り付けられているだけだ。
 コンクリ剥き出しの天井には赤錆びた配管が幾何学的に交差して縦横直角の精密な図案を描き出している。
 鉄扉を開けた時から、タジマの視線は一方向にのみ注がれていた。まるで、予めそこに目的の人物がいると予知していたかのように。
 タジマの視線の先、部屋の片隅には中古品のパイプベッドがあり、その質素なベッドの上にこちらに背中を向けてひとりの少年が座りこんでいた。
 虚脱したように肩を落とし、ベッドの真ん中あたりに座りこんでいた少年は、最初タジマが声をかけても反応を示さなかった。
 タジマはこっそりと笑う。
 売春班が設立された当初から三日と空けず足しげく通い詰めてるタジマだが、ここ最近、特にその頻度が増えている。タジマはほぼ連日売春班に通い詰め、酷い犯り方でこの少年を抱いていた。
 こちらに背中を向け、放心したように座りこんだ少年の背後へと大股に歩み寄る。
 「…………」
 接近の気配に気付いた少年が、糸に操られたように緩慢な動作で振り向く。 ゆっくりと肩越しに振り向いた少年は酷く憔悴しており、初対面のタジマを物怖じせず睨み返した時のような傲慢さはなりを潜めている。
 理知的に整った白皙の面差しは実年齢に比しても大人びていたが、物憂げに翳った双眸はタジマの上で焦点を結ばず、情緒不安定な内面を投影するかのごとく虚空をさまよっている。
 少年の双眸に宿っていたのは、いかなる抵抗も無駄と悟り、現状を受け容れた諦観の色。
 だが、タジマは騙されない。銀縁眼鏡のレンズの奥、諦観の色を漂わせた双眸の奥底では、いまだにタジマに対する反抗心が燻っている。
 何度プライドを挫こうが、タジマを見る少年の目は決して恐怖一色で塗り潰されたりはしない。こいつはそうだ、いつもそうだ。ここに来た時から、東京プリズンに来た時から、灼熱の風が吹く砂漠にて、イエローワークの初顔合わせの時から全然変わっていない。
 表面上は物分りよく諦めたふりをしていても、無抵抗に徹した従順な演技をしていても、腹の中では常にタジマを小馬鹿にしている。タジマより自分の方がずっと偉いのだと信じて疑わず、その本心を隠しもしない高慢な目つき。
 「また僕を抱きにきたんですか」
 少年の声はかすれていた。タジマは腰の警棒を抜き取り、その先端で少年の顎を持ち上げる。
 「喘ぎ疲れて声も嗄れたか、鍵屋崎。今日はいったい何人の男に抱かれたんだよ、え?何人の男のモンくわえこんでしゃぶったんだ?ああ、いやだいやだ。仕事が長引いて今日は一番乗り逃しちまった、他人のおさがり抱くなんざぞっとしねえぜ。おい、ちゃんとケツの穴洗ったか?シャワー使ってザーメン洗い流したか?」
 ねちねちと淫語を連ねれば、警棒で顎を持ち上げられた少年の目に尖った険が宿る。銀縁眼鏡の奥の双眸がスッと細まり、相手を微生物としか思ってないような酷薄な顔つきに豹変した少年だが、囚人服の中で泳ぐ手足からここ数日間で体重が激減したことがはっきりとわかる。
 もともとモヤシみたいに痩せて生白い奴だったが、おそらく、売春班に配属されてからというもの飯も喉を通らない毎日なのだろう。
 「……答える義務はない」
 一呼吸おき、少年はきっぱりと言った。タジマに対する軽蔑の念を隠そうともしない、断固たる口調だった。
 やっぱりだ、とタジマは警棒を引く。やっぱりこいつは他のガキどもとは違う。IQ180の天才児、遺伝子工学の世界的権威として有名な学者夫妻の長男として何不自由なく育てられたというのに、ある日突然両親を殺害するという凶行に走り、日本中を震撼させた恐るべき異端児。
 とてつもなくプライドが高く、物言いは生意気で、どれだけ痛めつけても決して壊れたりはしない遊び甲斐のある玩具。
 鍵屋崎はあまりにプライドが高い。あまりにプライドが高すぎる故に、心が壊れゆく過程を自覚するに耐えきれず、精神崩壊に至れない。
 プライドが高い人間は得てしてそうだ。
 思考を全放棄して発狂してしまえばいっそラクになれるものを、次第に狂いゆく自分という惨めな現実を認めたくないがために必死に抗い続けるのだ。
 挑むようにタジマの目を見据えた少年は、淡々と言葉を続ける。
 「何故僕が性行為の事後報告を貴様にしなければならない、貴様の前に誰と寝ようがどんな体位をとらされようが関係ないはずだ。違うか?それともこの刑務所では性行為の事後報告義務まで売春夫に課せられているのか?初耳だな。そういう大事なことは医務室での身体検査の折にでも言ってくれないか」
 看守相手だというのに少しも動じず、流暢に嫌味を吐く。辛辣な毒舌にも増して相手に反感をもたせるのが冷淡な無表情だと、売春夫にまで身を堕とした少年自身は気付いているのだろうか。
 薄く笑みを浮かべ、少年に許可も得ず、ベッドに腰掛ける。
 タジマの肥満体が腰掛けたせいでスプリングが撓み、耳障りな軋み音があがる。
 「さすが天才、無理矢理男に犯されて身も心もボロボロになってようが口だけは達者だなあ。じゃ、俺から質問だ」
 わざと軽い口調で話題を変え、ベッドに手をつき、少年の方へと威圧的に身を乗り出す。少年の鼻先に顔を突き出したタジマは、口角を吊り上げ、不潔に黄ばんだを剥き出して意地悪い質問をする。
 「一度記憶したことは絶対忘れねえIQ180の天才的頭脳で教えてくれや。お前が売春班落ちしてから、俺がここに来た回数を」
 即ちそれは、少年を抱きに来た回数。
 眼鏡越しの双眸に戸惑いが生じる。羞恥、屈辱、躊躇……混沌。タジマはにやにやと笑いながら少年自ら口を開くのを待つ。
 答えられるものなら答えてみろ、さあ、言え、自分が何回抱かれたのか犯されたのか俺の手でイかされたのか。
 「……もちろん覚えている」
 虚勢を保とうとして失敗し、無表情が揺れ、憔悴した素顔が覗く。疲労困憊の様子でベッドに座りこみ、ため息を吐く少年は、無意識な癖でそっと眼鏡のブリッジに触れる。白く細い中指を、育ちのよさを感じさせる上品なしぐさでブリッジにあてがい、物思いに耽るようにレンズ越しの双眸を伏せる。
 「……五回。今日で五回目だ」
 「お見事、正解だ。最も忘れろってほうが無理だがな……あんなに楽しませてやったんだから」
 「!?っ、」
 スッと片手を翳し、少年の肩に置こうとすれば、眼鏡のブリッジから手を放した少年が反射的に身構える。ベッドに後ろ手をつき、シーツを蹴るようにあとじさった少年の顔からはもはや完全に虚勢が消し飛んでいる。
 タジマを凝視する顔は恐怖に強張り、目は極限まで見開かれていた。
 たった一動作でこれだ、この始末だ。少しいじめすぎたかもしれない。
 だが、苦笑まじりの述懐とは裏腹にタジマが反省する気配は毛頭ない。プライドだけが支えの人間からプライドを奪う行為にこそ、タジマは至上の愉悦を覚えるのだから。裸足のつま先で必死にシーツを蹴り、少しでもタジマから距離をおこうと手探りであとじさる少年。声には出さず全身で嫌だ近付くなと訴えつつ、極大の生理的嫌悪を剥き出した顔で嫌々と首を振る。 
 「近付くな」
 「それが売春夫の態度かよ?」
 「近付くな品性の卑しさが顔にでた低能め、馬鹿が伝染る。いや、貴様の場合伝染されるのは性病か?僕の推察した限りではクラミジア感染症、淋病、性器ヘルペス、梅毒、エイズなどの疑いが……!っ、」
 最後のは皮肉まじりの冗談か。絶望と諦観とが入り混じった歪んだ顔で吐き捨てた少年の頭上へと覆い被さり、肩に手をかけて押し倒す。
 少年の背中がベッドに衝突し、染みだらけのマットが弾む。ベッドに押し倒された衝撃で鼻梁にずり落ちた眼鏡の位置を直す余裕もなく、少年はただ無力にタジマを見上げていた。
 「よく考えて物を言えよ、俺が性病持ちならお前もとっくにかかってんだろうが?口の使い方間違えてんだよお前は。売春夫の口は何の為にある?くだらないおしゃべりで客をイラつかせるためか、それとも……」
 答えはわかりきっていた。
 少年の顔色は青褪めていた。これから自分が何をさせられるか、彼には易々と想像できてしまったのだろう。これが初めてではない、今日まで何回もくりかえしさせられてきたことだ。最初の頃は全部口に含むことができなかった、口に入れる途中で気持ちが悪くなり吐いてしまった。
 床一面にぶちまけた吐瀉物の海に這いつくばり、粘着質に糸引く胃液を口の端から滴らせた少年を、高笑いしつつ足蹴にしたのもまたタジマだった。
 「口を開けろ」
 再び警棒を手にし、少年の顎を軽く突く。下顎を警棒の先端で突かれた少年が、喘ぐように口を開き、眉間に苦悩の皺を刻み、逡巡した挙句にまた閉じる。目尻がうっすらと上気しているのは、これから強いられる行為に対する羞恥心をまだ捨てきれないからだろうか。神経質に目尻を痙攣させつつ、薄く瞼を開け、懇願めいた眼差しでタジマを仰ぐ。
 「……呼吸困難でもないのに、口を開ける理由がない。酸素の吸入と二酸化炭素の排気、会話と食事以外で口を開ける必要は日常生活にないはずだ」
 よわよわしく最後の抵抗を試みる少年を嘲笑い、タジマが事も無げに言う。
 「とぼけるなよ。もうひとつあんだろ、そのお上品なお口を使ってできるご奉仕がよ」
 「!がほっ、」   
 喉仏を警棒で突かれ、たまらず体を二つに折り、苦悶に身をよじる少年。額にしっとりと脂汗を滲ませ、片手で喉を掻き毟り、うっすらと涙の膜の張った目でタジマを仰ぎ見る。
 怯えとためらいとが入り混じった目。
 嗜虐の快感に腰が痺れるような感覚を味わいつつ、早くも股間を勃起させたタジマが、少年の手首を掴み、自らのズボンのベルトへと持ってゆく。
 タジマの顔は終始にやついていた。
 「手間かけさせんなよ天才。俺はタマが重くて重くて、今にもはちきれちまいそうなんだ。何をどうすればいいかそのお利口な頭脳でちゃんと理解してるはずだろうが、たっぷり四回かけて手とり足とり腰とり体に叩きこんでやっただろうが。いまさら『知りませんでした』はなしだぜ?」
 「この低、」
 甲高く乾いた音が響く。
 ベッドの背格子に背中を凭せ、何とか上体を起こした少年の頬は、タジマにぶたれたせいで薄赤く染まっていた。腫れた頬を庇いもせず、不規則に乱れた呼吸をひた隠し、体の奥底のプライドの熾き火を掻き立たせ、反抗的な目つきでタジマを睨み続ける少年。
 タジマは知っていた。
 この状況下で最も効力を発揮する脅しの文句を、少年に言うことを聞かせる最も効率的な手段を。
 わざと膝に体重をかけベッドを軋ませ、背格子に追い詰められた少年へとにじり寄る。背格子に縋るように横這いに移動した少年の片腕をぐいと掴み、灰色の壁を振り仰ぎ、タジマは言う。
 「……お前がそんなに嫌だってんなら仕方ねえ。今も隣の房でだんまり決め込んでる薄情なロンに、フェラチオしてもらおうじゃんか」
 「!な、」
 少年は絶句した。間近に怪物でも見るかの如く、戦慄の表情で。
 「どうせ壁にゃ穴が開いてんだ、お前が騒げば騒ぐほど通気口から声漏れてロンを苦しめちまうだろうなあ。あいつはお人よしだから、自分のわがままのせいでダチがひでえ目遭ってるって知ったら責任感じて自殺しちまうかもな。壁に頭ぶっつけてよ」
 よし、いいぞ、もう少しだ。確かな手応えを感じつつ、タジマはさらに追い討ちをかける。
 「なあ鍵屋崎、お前さえ大人しく言うこと聞きゃあロンは見逃してやるって言ってんだ。まあ、お前がロンを自分とおなじ目に遭わせてえってんなら別だがな。最初フェラチオするときはみんな吐いちまうんだよ、喉が詰まって苦しくてウエッてなっちまうんだ。あの時のお前みたいに。はは、傑作だったぜ、初めて俺のモンくわえたときのお前の顔ときたらよお!目え閉じて夢中で頬張って、そんなに俺の棒は美味かったかよ?」
 「黙れそんなわけがない、したのは精液の苦い味」
 「今ここで大声で叫んで隣に聞かせてやってもいいんだぜ、いいかよく聞けえロン、今からお前のせいで親殺しが俺のモンしゃぶらされますってな!お前がとっとと出てこないから、可哀想に親殺しにしわ寄せがきてるんだって思い知らせてやろうか?」
 「………っ、」
 深々と俯き、唇を噛む。ロンの名前を脅しに使った効果は抜群だった。観念したように首をうなだれた少年を愉快げに眺めつつ、タジマは警棒を振り、短く命じる。
 一切反抗を許さない、暴君の口調で。
 「しゃぶれ」
 タジマは自分では指一本も動かす気がなかった。すべて相手にさせることに意味があるのだ。背格子に背中を凭せた少年は、血が滲むほどに唇を噛み、深く苦悩していた。タジマの要求を撥ね付ければ骨身にこたえる折檻が待っている。ばかりか、今も隣で耳を塞いでるに違いないロンにまで、あまりにみじめな自らの境遇を悟られてしまう。
 ささやかな衣擦れの音がした。
 背格子から背中を起こした少年が、ベッドに手足をつき、慎重にタジマの方へと這ってくる。仮死状態の猛獣におそるおそる近寄ってくる小動物めいた動作。
 生唾を嚥下し、覚悟を決め、衣擦れの音をたてながら徐々にタジマへと接近。タジマの股間に顔を埋めようとして、寸前で動きを止め、眼鏡の弦に手をやる。
 「眼鏡をしたままヤッてもいいんだぜ」
 眼鏡を外し、丁寧に弦を折り畳み、顔を上げる。
 「貴様が体外に排出した精液で汚れた眼鏡など、今後使用できなくなるだろう」
 眼鏡を外した顔は多少あどけなく感じられたが、人を徹底的に見下した、冷ややかに取り澄ました表情は相変わらずだった。どうやらここにきて、幾分か虚勢を繕うことに成功したらしい。眼鏡を丁寧に折り畳んで枕元へ置き、再び体ごとタジマに向き直る。少年は非常に視力が悪く、裸眼では自分の手元もよくわからないらしく、目の焦点は不安げにさまよっていた。タジマの腰へと手をのばし、耳障りな金属音をたて、ぎこちない手つきでベルトを外しにかかる。いや、ベルトがうまく外せないのは決して眼鏡をしてないせいばかりでもない。その証拠に、指先がかすかに震えているではないか。
 「………っ、」
 指先の震えを恥じるように唇を噛み、手を開閉する。指を屈伸させ、恐怖から来る震えをごまかし、行為を再開。どうにかべルトを緩めることに成功したが、少年の顔は暗澹と沈んでゆくばかりで、喜びの気配は微塵もない。ベルトの金具が擦れ合う耳障りな音が響く中、タジマのズボンからベルトを抜き取り、自らの手でズボンを引きずり下ろしにかかる少年の顔は真剣そのものだ。「必死」と言い換えた方がふさわしいだろうか。
 小刻みに震える手でズボンと一緒にトランクスを下ろす。
 タジマの性器を見るのは初めてではないが、何度見てもその醜悪さに慣れはしない。腐食した金属をおもわせるどす黒く硬化した表皮といい、口に余る大きさといい、何度見ても圧倒される。
 「さあ、しゃぶれよ」
 土壇場で躊躇する少年に焦れたか、しびれを切らしたタジマが少年の前髪を掴み、性器を露出した股間へと強引に引き寄せる。タジマの口元はにやついていた。目は狂気にぎらついていた。タジマに前髪を掴まれた少年の顔が悲痛に歪み、タジマの手から逃れようと必死に身をよじり首を振る。
 「汚い手をはなせ、さわるな、そんな汚い物を顔に近づけないでくれ頼む金輪際僕にさわるな!!!」
 最後の方は悲鳴に近かった。
 「どうした、ずっと欲しかったんだろう。手が震える禁断症状がでるほど待ち焦がれてた代物だろう?あり難くいただけよ、たっぷり時間をかけて味わえよ。ロンに遠慮するこたあねえ、あいつもきっと通気口からひっきりなしに聞こえてくる喘ぎ声をオカズにマスかいてる頃だ!!」
 タジマの哄笑が寒々しい房に空疎に響き渡る。
 タジマに前髪を掴まれた少年は半狂乱になりかけで抗ったが、ロンの名前を出された途端に従順になる。おずおずとためらいがちに口を開け、また閉じ、開く。
 窒息した人間が酸素を欲するように口の開閉をくりかえし、そして。
 「……あ、うぐ」
 固く目を閉じ、片手で根元を支え、タジマのペニスを舐める。
 目を閉じたのは、硬く勃起した醜悪な性器を視界に入れたくなかったから。タジマに命じられるがまま、強制されるがままに屈辱的な体位をとらされた現状を認めたくなかったから。指の震えはいつのまにか止まっていた。心が麻痺したように何も感じなかった。
 ただ、口の中で膨張したペニスが口腔を圧迫して息苦しかった。満足に息ができない苦しみに涙がこみあげてきた。ペニスが喉につかえて何度も吐き気に襲われた。だが、行為は止めない。
 目を瞑っていればいい、何も見なければいい、そうすれば今自分がしてることを知らずに済む。そう懸命に自己暗示をかけつつ、熱い口腔の粘膜でペニスを包み、舌で唾液を塗布する。
 幾度となく襲いくる吐き気に抗いつつ、ペニスを口に含み、舌を動かす。股間に顔を埋め、華奢な指で根元を支え、赤黒く勃起したペニスに舌を絡める少年の姿が嗜虐心をくすぐり、タジマはくぐもった笑い声を漏らす。
 「上手くなったじゃねえか、親殺し。仕込んでやった甲斐があるってもんだ。舌の使い方もサマになってきたじゃねえか。喉の奥深くまでずっぽり銜えこんで、ぐちゃぐちゃいやらしく唾液をこねる音響かせて、淫売の雌犬みたいに必死こいて俺の飴玉にむしゃぶりついて……」
 奉仕に専念する少年の頭に手をやり、髪に指を通し、タジマは畳みかける。
 「今のお前の姿、精神病院にぶちこまれた妹が見たらどう思うだろうな。愛しい愛しい恵ちゃんに軽蔑されちまうかもなあ」
 少年の肩がびくりと強張り、一瞬動きが止まる。奉仕を中断した罰として、少年の頭から背中へと手をすべらし、上着の裾から内側へと潜りこませる。芋虫めいて太い指が、少年の集中力を散らそうと意地悪く蠢き出す。
 「おとうさんとおかあさんを殺したおにいちゃんは刑務所で罪を悔いてます、反省してますならまだ救いがあるだろうさ。まさか『刑務所で男に犯られて喜んでます』なんて言えねえよなあ、毎日毎日男に抱かれてめちゃくちゃによがってますなんてよ」
 「……めぐみ、のことは言う、な……」
 ペニスを口から抜き、口の端から唾液が滴るままにたどたどしく反駁する。しかし、タジマはかまわず続ける。許可なくフェラチオを中断したことを凝らしめるように、少年の口に指を突っ込み、無理矢理こじ開ける。口腔に溜まった唾液が顎から伝い落ち、シーツに染みを作るのを満足げに眺めやり、少年の口に再びペニスを含ませる。
 「ひょっとしたらお前の恵ちゃんも、今ごろは精神病院の医者とおたのしみかもしれねえぜ?兄貴は刑務所で看守と出来て、妹は病院で医者と出来て、両方ともが毎日お楽しみときた!出来すぎた話じゃねえか」
 少年の喉がひきつり、声にならないうめきが漏れた。絶望のうめき。
 口から抜こうとしても無駄だった。タジマが少年の髪を掴み、力づくで押えこんでいたから。溺れた者が息を吹き返したように肩を浅く上下させ、シーツに上体を突っ伏してはげしく咳き込む少年。唾液と精液が入り混じった白濁した液体が口腔に満ちて、口の端から一筋滴った。
 少年は既に体力の限界だった。連日男に犯されて心身ともに疲労していた。最愛の妹を侮辱されても、声を荒げてタジマに掴みかかる体力さえもう残ってなかったのだ。しかしそれでも最後の力を振り絞り、よわよわしく瞼を開け、朦朧とした視界にタジマを映す。
 タジマは笑っていた。
 少年の顎に手をかけ、口の端を滴る白濁した雫を拭いつつ。
 妄想の虜となった怪物の本性を曝け出した、おぞましい笑顔。
 なれなれしく触れてくるタジマの指を払いのける気力もなく、力尽きて目を閉じ、息も絶え絶えに吐き捨てる。
 「ゲス野郎」
 本番はこれからだ。
 タジマの妄想と性欲が尽きない限りこの地獄には終わりがない。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010724005227 | 編集

 「淫売くせえ匂いを洗い流してやるよ」
 そう言って頭からビールをぶっかけられた。 
 「…っ、くしゅん!」
 はでにくしゃみをし、人さし指を鼻の下を擦る。
 ここはチームの集合場所である廃工場の一階。
 俺が所属するチームは池袋界隈じゃ名の知れた武闘派で通っていて、血の気の多い連中ばっか集まってる。地元じゃ有名なこのチームに俺が身を寄せるきっかけになったのは、行くあてなく路地裏をさまよってるところに偶然声をかけられた。
 けど、やっぱりここにも俺の居場所はない。周囲に溶け込もうと陰口に耳をふさいで媚びを売るのは柄じゃないし、最近はもうこれでいいやと諦観に至ってはいたが、今夜の扱いはとくに最悪だった。
 めでたい夜になるはずだった。だれもが浮かれ騒ぐ楽しい夜になるはずだった。
 返り血が付着し、ひしゃげた鉄パイプをひきずりつつ廃工場に戻ってきたガキどもは、チームが一致団結して敵を追っ払って、縄張り争いに勝った祝いに宴会を開こうとはしゃいでいた。俺も悪い気はしなかった。酒は飲めないが宴会の賑やかな雰囲気は嫌いじゃない。決して輪の中に入れなくても、歓迎されなくても、宴会の様子を遠目に眺めているだけで孤独が紛れるような気がしたから。
 甘かった。
 俺はどこまで甘いんだ。
 宴会が始まって一時間が経過した頃。
 ひとり宴会の輪から外れ、鉄柱によりかかり、武器の鉄パイプを手入れしていた俺に、酔っ払ったガキが絡んでいた。
 「お前くせえな、鼻が曲がりそうだ。なんだよその匂いは、中国人の血の匂いかよ。お前の体に流れてんのは本当に血か、真っ赤な血か?違うだろ、本当は泥水だろ。なあ白状しろよロン、てめえの体の半分にゃドブの汚水が流れてるんだ」としつこく付き纏うガキ。
 鉄パイプの返り血は赤黒く乾いていた。
 鉄パイプにこびりついた血の汚れをジャンパーの裾でこそぎ落としながら、「そうだな、俺の体には半分泥水が流れてるんだろうな。じゃあお前の体にゃ何が流れてるんだ、小便かよ?」と相手を見もせず言い返した瞬間。
 「調子にのってんじゃねえよ、淫売の股から産まれ落ちたドス汚ねえ半々が。
  折角だから、淫売くせえ匂いを洗い流してやるよ」
 頭の上で缶ビールを逆さにされた。
 視界を流れ落ちるビールの滝の向こう、俺の頭上で缶を逆さにしたガキは下劣な笑みを湛えていた。冷たかった、顔を流れ落ちる液体の感触が気持ち悪かった。
 鉄パイプを放りだし、手のひらを顔を拭う。頭からぶっかけられたビールが顔面を滴り、苦い味が口の中に広がる。
 爆笑。
 「あははははっはははっ、いいザマだな半々、いい恰好だな!透け透けの服で可愛い乳首が丸見えだ、なんだよそりゃ、俺たちへのサービスかよ!?ここで脱ぐ気なら協力してやる、裸踊りでも披露してみろや」
 「いいねえ、ストリップショーか!宴会はこうでなくちゃな。まあ野郎の裸なんざ見てもつまんねえが、半々結構可愛いツラしてるし、カツラ被せて女装でもさせたらイケるかもな」
 「シケたツラしてんじゃねえよ、お前が隅っこでじっと蹲ってると宴会が盛り下がるんだ!台湾の淫売と中国のろくでなしとのガキはとっとと家帰って寝やがれ……あぁ悪ィ、お前帰る家ないんだっけ?じゃあ変更だ、とっとと表に出てドラム缶を枕にしてこい」
 鉄柱に背中を預け、コンクリ床に足を投げ出し、へたりこんだ俺へと浴びせられる揶揄と嘲笑。鉄骨が幾何学的に交差する無機質な天井は開放的に高く、上の方には重油の闇が蟠っていた。
 衝動的に鉄パイプを引っ掴む。
 連中の顔がぎくりと強張る。
 「……とち狂ってんじゃねえぞ、ロン。宴会で血の雨を降らす気か?」
 「ほんの冗談、軽いおふざけでムキになんなよ。ガキっぽいぞ」
 「それとも何か、頭のおかたい中国人は台湾式の呑み方がお気に召さなかったのか?」
 半笑いになったガキが言い、隣のガキが逃げ腰で加担。悪ノリして俺に缶ビールを浴びせ掛けたガキが、鉄パイプを下げた俺の全身から滲む気迫におされ、あとじさる。   
 こいつら全員の頭をかち割って、脳味噌を床一面にぶちまけてやりたかった。ドス汚ねえ本性を曝け出してやりたかった。凶暴な衝動に駆られるがまま、仲間の眼前で恥をかかされた屈辱に歯噛みし、鉄パイプを握る手に力をこめる。
 俺の正面のガキが、蒼白の顔色で息をのむ。
 「!ひっ、」
 大きく腕を振りかぶり、鉄パイプで宙を薙ぐ。
 俺に頭蓋骨かち割られるとでも勘違いしたのか、缶ビールを放り出し、反射的に頭を庇うガキ。その前髪すれすれ掠め、鉄パイプを横に払う。水平に薙いだ鉄パイプがそばの鉄柱に激突、深夜の工場内に大音響が響き、びりびりと腕に震動が伝わってくる。
 鉄柱を強打した衝撃で、腕が痺れた。一瞬で酔いが冷めた中が、片膝立ちの警戒体勢でおのおの脇に置いていた武器を手にとり、いつでも俺をぶちのめせるよう眼光を鋭くする。
 殺気走ったガキどもを一瞥、床に鉄パイプを投げる。カランカラン、と虚ろな金属音をたてて床を跳ねる鉄パイプを乱暴に蹴飛ばし、年に似合わず剣呑な目つきで敵意を剥き出したガキどもに背中を翻す。
 足早に歩み去る俺の背中に被さるうるさい声。
 『煩人!』 
 『活咳!』
 口元に笑みが浮かぶ。自嘲の笑み。俺の背中めがけて浴びせ掛けられる口汚い罵倒、その中でもやけに耳にさわる『煩人!』『活咳!』の連呼。
 むかつくやつだ。
 ざまあみろ。
 ジャンパーのポケットに手を突っ込み、歩調を速め、唾と一緒に吐き捨てる。
 『女里女気』
 女々しいヤツら。
 廃工場は広い。
 頭に手をやり、濡れ髪に指を通す。髪はまだしっとり湿っていて、手のひらに残るべとついた感触が不快だ。畜生、服もびしょぬれだ。これしか持ってねえのに風邪ひいちまったらどうするんだよおい。
 「……だれも見てねえよな?」
 出入り口付近に駆けつけ、ジャンパーを脱ぎ捨て、服に手をかける。ビールを吸って変色したジャンパーから立ち上るアルコール臭に顔をしかめ、一息に服を脱ぐ。上着と一緒にシャツも脱ぎ、両手に持って風にさらす。こうしてればいくらか乾きが早いだろう。
 次は「下」だ。
 ズボンに手をかけ、一気に……
 「きゃあっ」
 奥ゆかしい悲鳴に振り向けば、そこには地味な目鼻立ちの女が立っていた。
 「えあっ、え、なんで女!?」
 女よりむしろ俺の方が狼狽した。女、なんだってこんなとこに女がいやがるんだ!?半ばまでずりおろしたズボンをあたふた引っ張り上げ、逃げ腰であとじさる。ああもう手遅れだ、ばっちり目撃されちまったズボンを脱いだとこ!羞恥に赤面し、どぎまぎしながら距離をとる俺の正面、女が「あ」と叫ぶ。
 「開いてるよ」
 「!?」
 女が指さしたズボンの股間に目を落とせば、恥ずかしいかなチャック全開だった。やべっ!笑えるくらい取り乱した俺は慌ててジッパーに手をかけ一気に引き上げようと……
 「っああああぐ、ってえええええ!?」
 絶叫。
 ジッパーを上まで引き上げようとして、間違えてアレを挟んじまった。小便するときによくある事故だが、まさか今この場で挟むことねえだろ目の前に女がいるってのに!?自分の馬鹿さ加減がまったく嫌になる。股間を押さえてコンクリ床に突っ伏した俺の頭上に屈みこみ、心配顔で女が言う。
 「ちょっと大丈夫?塗り薬貸したげようか」
 「いやいい、見て見ぬふりで放っといてくれるのがいちばんだから!!」
 「だって放っといて膿んだりしたら大変でしょ?もっとよく見せて、」
 「見せれるかよ名前も知らねえ初対面の女に!!」
 「メイファよ」
 え?
 耳にかかった髪を梳き、行儀良く膝をそろえて屈みこんだ女が、はにかむように微笑む。 
 印象の薄い十人並の顔立ちだけど、心洗われる笑顔。
 「名前、梅花っていうの。きみは?」
 「……ロン」
 漸く激痛がおさまってきた。おそるおそる股間から手をのけ、トランクスに指をひっかけ覗きこみ、腫れてないか確認。よし、大丈夫。素早くジッパーを引き上げ、メイファと名乗る女に向き直る。
 「で、お前何者だよ。なんだってこんな時間に若い女がひとりほっつき歩いてるんだ、危ねえだろ。とくにこの辺は物騒だからな、お前みたいにぼんやりした女が出歩けば10メートルと行かず犯られてポイだ」
 「待ってるの」
 待ってる?
 メイファは伏し目がちに笑ってる。寂しげな影の付き纏う薄幸な笑顔。メイファが遠く視線を馳せた暗闇からは、どんちゃん騒ぎが聞こえてくる。工場奥ではまだ宴会が続いてる。ということは……
 「お前、チームのだれかの女なのか」
 「うん」
 「で、宴会終わるまでずっとここで待たされてんのか?」
 「うん」
 頭にきた。
 「ありえねえ、こんなとこでずっとしゃがみこんでたら風邪ひいちまうよ!女なんだから体大事にしろよ、宴会終わるまで待ってろなんて命令するような男にはいそうですかって従うんじゃねーよ!」
 この女は少し頭が緩いのか?宴会が始まってからもう四時間以上経過してる、その間ずっと、ずっとここで待ちぼうけてたって言うのかよ?正気の沙汰じゃねえ。けどメイファは自分をおいてけぼりにした薄情者の彼氏に対する愚痴などひとつも零さず、恨みがましく文句も言わず、ただじっとそこに蹲ってる。
 「だって私がここにいなきゃ、あの人寂しがるでしょう」
 傍らの俺を振り仰ぐメイファ。
 顔半分を覆っていた黒髪が夜風に吹き流され、メイファの素顔があらわになり、絶句する。
 メイファの頬には目立つ青痣ができていた。だれかに殴られた痣。
 「っ、急にどうしたの?」
 気付けば俺は、メイファの片腕をぐいと引っ張っていた。
 「お前帰れ、俺が送ってってやる。女の顔に青痣つけるような外道これ以上待つ必要ねえ、もうこれっきりしろよ。直接別れを切り出すのが怖いなら俺からきちっと言っといてやるから名前教えろ、名前」
 「道了」
 ぴたりと動きを止まる。
 俺が身を寄せるチームの、リーダーの名前だった。
 華奢な指にはふさわしくない強情さで俺の手をふりほどき、メイファがため息をつく。
 「わかったでしょ?ねえ、きみ、私と関わり合いにならないほうがいいよ。道了はすごく嫉妬深いの、一緒にいるところ見られて変な勘違いされたらチームにいづらくなるわよ」
 それですべてが腑に落ちた。道了はとんでもない乱暴者で、酒に酔って暴れちゃあたまたま運悪くそばにいたガキを足蹴にして、最低でも骨の二・三本折るまでとまらない悪癖がある。
 あいつが彼氏だったらそりゃそりゃ苦労するだろう。
 「……関係ねえよ」
 「え?」
 「こんなチームどうせ未練ねえよ、すっぱりきっぱりやめてやら。男に殴られる女を庇って追ん出されるなら本望だ。よし、今から話つけに道了のとこ行こう。事と次第によっちゃただじゃ、」
 「落ち着いてよロン!」
 メイファがすっと手を翳し、俺の頭に触れる。
 あたたかい手だった。俺には無縁の気持ちいい感触だった。    
 一瞬、本当に一瞬、脳裏をお袋のツラが過ぎった。ガキの頃、客に煙草を押しつけられた俺が泣きじゃくってた時、慣れない手つきで頭をなでてくれたお袋の優しい顔が。
 「………濡れてる」
 メイファの唇に視線が吸い寄せられる。
 きちんと口紅を塗った形よい唇。
 「これ、どうしたの?アルコールくさい」
 なめらかな手に優しく頭を撫でられ、妙にそわそわと落ち着かなくなる。動揺をごまかすため無意味に髪に手をやり、癖っ毛を撫でつける。そわそわ視線をさまよわせながら、呟く。
 「頭にビールかけられたんだよ。臭いから洗い流してやるって」
 女にこんなこと言うのは恥ずかしい。
 唇を噛んで俯けば、薄い胸板が目に入る。貧弱な体が恥ずかしい、早く背が伸びてほしい、筋肉がついて欲しい。そうなりゃあいつらの言いたい放題になんかさせないのに、俺も立派にチームの一員だって腕づくで認めさせることができるのに。
 こみあげる悔しさをこらえ、強く強く唇を噛む。
 あまりに強く噛みすぎたせいで唇が切れ、じわりと血が滲む。
 徐徐に口腔に広がる鉄錆びた味がビールの苦味と混ざり合い、無性にやりきれなくなる。 
 その時だった。
 ふっと、唇に人さし指と中指がふれる。俺の指じゃない、白くて細いメイファの指。 
 「可哀想に」
 いつもなら反発しか沸かない同情をこめた眼差しが、この時ばかりはささくれだった心に染みて、安堵の吐息とともに肩の力を抜く。唇からメイファの指を払いのける気力もなかった。悄然と首をうなだれた俺の唇をそっとなで、メイファが指を引く。
 メイファの中指と人さし指の先端は、俺の血で染まっていた。
 気遣わしげに俺を見守るメイファを睨みつけ、ふてくされたように俺は言う。
 「可哀想なのはお前だろ」
 男に可哀想なんて言葉は似合わない。俺は男だから孤独にも耐えられる、独りには慣れてる。でもメイファは女だ、誰かが常に守ってやらなきゃならないかよわい女、ひとりじゃ生きてけない女なのだ。
 そうだ、俺が。
 「え?」
 何考えてんだ俺、メイファは道了の女だ、他人の物だ。はげしくかぶりを振って都合いい妄想を追い払い、深呼吸して顔を上げる。
 目と鼻の先にメイファの顔が迫っていた。
 「!?っ、」
 唐突な急接近にたじろぎ、固く目を閉じる。この展開はやっぱりキスか、そうなのか?待て、今日が初対面の女に突然キスってそれはいくらなんでも出来すぎじゃねえか女に飢えた俺の妄想じゃねえか?
 期待と不安とがせめぎあう中、固く目を閉じて唇に唇が被さる瞬間を待っていたら、唇の端っこに何かを貼られた。
 バンソウコウだった。
 『……謝謝』
 ついうっかりと礼を言えば、俺の唇にバンソウコウを貼ったメイファが、にっこりと微笑む。
 開け放たれた扉から射した一条の月光が、メイファの顔を青白く彩る。
 『酷(クー)』
 バンソウコウを貼った俺の顔を見て、メイファは世辞か本気か「かっこいいよ」と誉めてくれた。
 俺が生きてきた中で、女に面と向かって「かっこいいよ」なんて言われたのは初めてで。
 たぶんこの瞬間に、俺はメイファに恋をしたのだ。

無意識な10のお題
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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010723033522 | 編集

 本家を訪ねるのは久しぶりだ。
 まだ物の分からない小さい頃は、この庭でよくかくれんぼをして遊んだ。三歳上の姉と自分と、本家の長男とその縁戚の娘。分家の姉弟と本家の後継ぎとが、当時身寄りをなくして引き取られてきたばかりの娘も交えて親しく遊んだ日々がかつてあったのだ。

 今では考えられない。
 互いの立場が著しく隔たってしまった、今となっては。

 彼は今両側に庭を望む木造の回廊を辿り、母屋から道場へと向かっていた。梅雨の時期ということもあり、湿気を吸った木造の回廊は足に体重をかけるたび不吉に軋む。
 今では年一回訪ねるか訪ねないかの疎遠な間柄になってしまったが、幼い頃から常に意識せざるをえなかった本家の長男が現在どんな風に成長してるか興味はある。
 本家の長男と分家の長男という似て非なる立場に生まれた同い年の二人は、常にまわりに比較されてきた。
 剣の素質はほぼ互角と称された二人に開きが出始めたのはいつ頃からか。分家の長男として生まれた静流は、厳格な母の教えもあり、幼い頃から剣の修行に励んできた。
 しかし、日々どれだけ努力を積み重ねたところで決して追いつけはしない。
 『分家の長男は努力の人、本家の長男は生まれながらの天才』
 いつ頃からか、まわりの人々がそう陰口を叩くようになった。
 いつ頃からか、剣の稽古に励む自分を縁側から遠目に眺め、母が失望のため息を吐くようになった。わかっているのだ、自分が剣の腕では決して本家の後継ぎに勝てないことくらい。帯刀静流が帯刀貢に勝てないことぐらいわかっているのだ。

 しかし、そんな現実は断じて認められなかった。

 認めてしまえば自分があまりにもみじめすぎる。
 物心ついてから十年以上も母や姉の喜ぶ顔見たさに、まわりの人間の称賛欲しさに、いや、それより何より自分と同い年でありながら人間国宝の祖父をも凌ぐ大器と噂される帯刀貢に打ち克ちたくて、手の皮が破けても肩が脱臼しても、たゆまず剣を振り続けてきた静流の存在そのものが否定される気がした。
 帯刀 静流の人生そのものが否定される予感がした。
 季節は梅雨。
 しっとりと露にぬれた紫陽花が庭を埋める頃。
 静流が本家に赴いたのは理由があった。静流の母親であり、伴侶亡き後は女ながら分家当主として采配を振るう世司子の容態が急激に悪化したのだ。
 もともと病弱な女性だったが、この頃はめっきり床に伏せっていることが多くなり、姉や静流の手伝いがなければ起き上がることもできなくなった。 
 医者の話だと、末期の癌だそうだ。先は長くないらしい。
 保って三年がいいところか、と静流は諦念のため息を吐く。

 「紫陽花の葉に結ぶ露のように儚きもの、即ち人生なり、か」

 句とも詩ともつかぬ文句を即興で口ずさみ、静流はかぶりを振る。人の夢と書いて儚いとは含蓄深い。愉快げにほくそ笑み、日本語の奥深さを堪能しながら、回廊の軒先から庭へと片腕をさしのべる。
 五指を開き、軒先から滴る雨粒を手のひらで受ける。
 女のように白く華奢な指を透明な雨粒が淫靡にぬらす。剣を握るにはおよそふさわしくない指だ、と唇を歪ませて自嘲する。
 小さい頃から静流はよく女の子に間違えられた。
 それもそのはず、ごく幼い頃の静流は「男の子に女の恰好をさせて育てれば健康に育つ」という迷信にのっとり女物の着物を着せられていたのだ。
 しかし、それも初めて剣をとる四歳までの話。
 かつて大人たちにお人形のようだと誉めそやされた可憐な女の子は、十年以上の歳月が経過し、当時の面影をはっきりと留めた白鷺のように優美な少年に成長した。
 実際、今でも静流を女と見紛う人間は少なくない。
 これから先のことを考えると気が重い。
 本家の当主……つまり伯父にあい、母に下された余命宣告を伝えなければならない。いくら本家と分家の関係が良好ではないといえ、徹底して互いを避ける冷淡な関係にあるとはいえ、腐っても兄妹だ。
 血の繋がった実の妹が余命幾ばくもないと知れば、いかに冷血な伯父とて哀しむであろう。
 軒先から滴る雨粒を手のひらで受けつつ、首を巡らし庭を見渡す。
 満開の紫陽花が茂った庭に他に人影は見当たらない。
 一緒に来た姉とは途中ではぐれてしまった。「せっかく本家にきたのだから庭を見たい」といつものわがままを言い出し、静流をひとり残して散策にでかけてしまったのだ。
 「身勝手な姉さんだ。嫌なこと全部僕に押し付けて、ひとり呑気に散歩だなんて……」
 愚痴をこぼしつつも静流の口元は笑っていた。
 姉のすることだから仕方ないと静流自身心のどこかで許容していたのだ。
 静流は姉の奔放さを好いていた。
 姉は蝶のようなひとだ。蝶を糸で縛るのは無粋というものだ。
 どこへでもいきたいようにとばせてやればいい。
 「でも、最後には必ず僕のもとに戻ってくる。静かな流れが恋しくなって」
 物言わぬ紫陽花に微笑みかけ、歩みを再開する。
 母屋に伯父は不在だった。使用人に訊けば、道場で息子の稽古を監視しているという。相変わらずだな、と静流は呟く。
 伯父はなにからなにまで自分の支配下におかねば気が済まない類の人間だった。 

 やがて道場が見えてきた。

 回廊の先に佇む道場を目指し歩みを速めた静流は、途中で足を緩め訝しげに眉をひそめる。
 女がいた。粗末な着物を纏った使用人の女。
 道場の引き戸に手をかけ、不安げに聞き耳をたてる女にはそれ以上近寄らず、遠目に様子を観察する。 
 「馬鹿者が!!」
 道場の中から響き渡る太い怒声。聞き忘れるわけがない……威圧的な伯父の声。
 「貢、お前おとといと昨日は何時間稽古をした、剣を握った?俺が知らないとでも思っているのか、おとといと昨日と続けて稽古をさぼっただろう。言い訳は聞かん、すでに使用人と門下生に確認済みだ。剣の道を舐めているのかお前は、十代の若さで人間国宝の祖父をもしのぐ大器と誉められて思い上がっているのか!?とんでもない、お前はまだまだ未熟だ、一刻でも半刻でも稽古をさぼれば剣の腕などすぐ鈍る!」
 「父上、それは」
 「黙れ!」
 鈍い音がした。木刀で何かを打つ音。息子に口答えされて逆上したか、伯父の叱責がよりいっそう厳しくなる。
 「本家の長男が満足に剣も扱えないとあっては帯刀の恥、元禄から今日まで連綿と続いた帯刀の家名が地におちる。いいか貢、お前は本家の期待を一身に負う身だ。分家の静流、あれは駄目だ。ぬるい太刀筋を見ればわかる、あいつに剣の素質はない」
 静流の心臓が跳ねあがる。
 口汚く静流の名を吐き捨てた伯父が、語りを厳粛に改める。
 「いいか、本家と分家では格が違う。分家の静流のように剣の素質がなく、だれからも上達を期待されない身ならば気楽だろう。色恋沙汰にうつつをぬかすのもいいだろう。しかしお前は違う、立場をわきまえろ貢、お前は誇り高い本家の後継ぎ……」
 剣の素質がない。だれからも期待されてない。
 帯刀貢と静流はちがう。貢のほうが遥かに格上、自分は常に貢と比較され貶められる役回り。
 「……所詮引きたて役か。伯父さんてば、言ってくれるな」
 苦笑した静流の視線の先、引き戸に手をかけた女が行動を起こしたのはその時だった。

 「やめてください!!」

 細腕で引き戸を開け放ち、着物の袖を泳がせ、道場へと駆けこむ女。 木刀でしたたかに打たれ傷付いた貢を庇うように両手を広げ、毅然たる態度で伯父と対峙する。
 静流は一瞬、女の度胸にあっけにとられた。次に女の美しさに見惚れた。烏の濡れ羽色の髪を後ろで一本に結った女は、漆の光沢をおびた、黒目がちの澄んだ瞳をしていた。
 なんて綺麗な瞳だろう。
 そして、静流は気付く。女の目が見えてないということに。だって、目が見えてたら当然顔色を変えるはずじゃないか。受け身をとるはずじゃないか。
 おのれめがけて木刀が振り下ろされたとあっては。
 「!!苗っ、」
 肩を掴まれ押し倒された苗が悲鳴をあげる。盲目ゆえなにが起こったかわからない不安ではない、逆に自分を庇った貢の背を木刀が打ちつけたと音でわかってしまったから。
 「………ちが、ちがうんです」
 貢の腕に縋るように上体を起こした苗が、見えない目を不安げにさまよわせ、虚空に顔を向ける。

 苗の唇がよわよわしく動き、かすれた声を発する。

 「貢さんは風邪をひいた私を看病してくれたんです、おとといと昨日の二日間!わざわざ稽古を抜けてまで、部屋にまで私の様子を見にきてくれたんです!床で伏せってる私に具合はどうだと、何か欲しい物はないかと優しいことばをかけてくれて……それがどんなに嬉しかったか!」
 気丈に顔を上げた苗のまなじりは憤怒で赤く染まっていた。
 「苗、いいんだ」 
 苗の言葉をさえぎったのは他ならぬ貢自身。背中の激痛が薄れるのも待たず、無理を強いて上体を起こし、きっと伯父を睨み続ける苗をなだめるように貢が続ける。
 「俺が稽古をさぼったのは本当だ、父上はなにも間違ったことは言ってない。俺は一日とて欠かさず剣の修行に励み精進せねばならない身の上だ、たとえ一刻でも半刻でも剣を手放してはならなかったんだ。
 ……お前の顔を見に行ってはならなかったのに、おのれの甘さに敗けたのだ」
 「貢さんは悪くありません、莞爾さん。罰するなら私を罰してください。貢さんにしたように木刀で打ってください、髪を掴んでひきずりまわしてください。私が不摂生で風邪をひいたせいで貢さんにまで要らぬ迷惑をかけてしまった、貢さんにまで責が及んでしまった。だから……」
 夢中で言い募る苗の目が潤み、透明な雫が頬を流れ落ちる。
 無意識に貢の道場着を掴み、必死な形相で身を乗り出し、一途に思い詰めた眼差しで虚空を仰ぐ。
 「だから、貢さんを責めないで。たったふたりきりの親子じゃありませんか」
 「……茶番だな」
 苗の涙ながらの訴えを、伯父は一言で切り捨てた。使用人が主人に意見するのがどれほど勇気の要ることか、少しも考慮しない尊大極まる態度だった。
 「貢、あとで俺の部屋にこい。まだ叱責は済んでない」
 「莞爾さ、」
 「わかりました。伺います」 
 言うだけ言って満足した伯父が大股に踵を返し、開け放たれた引き戸から姿を現す。中のやりとりは全開の引き戸から丸見えだった。
 回廊の真ん中で立ち尽くす静流を見とめた伯父の莞爾が、奇異なものでも見たように眉根を寄せる。 
 「妙なところで妙なやつと会ったな。分家の跡取がいまさら本家に何の用だ、道場破りにでもきたか」
 「莞爾さん、母はもうすぐ死にます」
 唐突に口にした静流の眼前で、伯父が愕然と立ち止まる。
 三呼吸の沈黙。緩慢な瞬きで正気に戻った伯父は、眉間に深い縦皺を刻み、不躾に静流を観察する。伯父のさぐるような視線にはかまわず、静流は淡々と畳みかける。

 あくまで穏やかな眼差しで、悟りを開いたような口調で。

 「入り婿の父が死んでから母はずっとひとりで分家を切り盛りしてきました、当主の座に就いてました。でももう限界なんです、限界だったんです。医者には余命三年と告げられました。これまでの無理と心労が祟り、最近ではずっと床に伏せったまま、見る影もなくやせ細ってしまいました。
 莞爾さん、貴方はそのことについてどう思われますか?自責の念はありますか?慙愧の念はありますか?
 あなたと母の不仲は僕も十分承知してます、ですが」
 「くだらんな」
 唇をねじるように笑った伯父が、静流とすれちがいざま挑発的に吐き捨てる。
 「……あの女に伝えておけ。二度と本家の敷居を跨ぐな、庭が汚れると。余命幾許もない?笑わせる。寿命に限りが見えた今ごろになって同情欲しさに息子をよこすなど、相変わらず姑息な手を使う。いいか、くれぐれも言っておく。悪い病にかかった女に本家の敷居を跨がせるな。ここは俺の家だ、由緒正しい帯刀の家だ。あいつとは縁を切ったも同然なのに今ごろになって訪ねてきて、本家の敷地内で病と災いとを撒き散らされてはたまったものではない」
 「………わかりました、伝えておきます。一言一句そのまま」
 静流はにこやかに伯父の悪罵を受け流し、ごく自然な笑顔のまま嫌味を言う。
 「伯父さんが振るう刀には、病と災いを払う厄除けの力が宿ってないのですね。なるほど、まやかしの剣だ。お祖父さんの剣は、一振りにも邪気を払う力があると呼び声高かったのに」
 「!!このっ……」
 一瞬激昂しかけた伯父だが、子供相手にむきになるのも大人げないと自制したか、静流など金輪際振り向きもせず憤然たる大股で立ち去ってしまった。木造の回廊をぎしぎし軋ませ、瞬く間に去っていった伯父から道場の中へと視線を移す。
 「貢さん、大丈夫ですか。お怪我はありませんか」
 「案ずるな、大したことはない。打ち身には慣れている」
 「そんなのが自慢になりますか!もう、どうしてそうつまらないやせ我慢ばかりするんですか?武士たる者我慢強いのは感心ですけど……」
 「女に弱みなど見せられるか」
 「貢さんは殿方が相手でも弱みなど見せられないじゃありませんか。将来貢さんのお友達になられる方はさぞかし寂しい思いをするでしょうね、可哀想に」
 「かってに俺の友人をつくるな、俺は剣のみに生きる宿命……痛っ」
 「ほら、言わんこっちゃない。急に動こうとするからですよ」
 恋人同士の微笑ましい光景というよりも、口うるさい小姑に頭をたれて叱られる舅のような情景だった。 だが、どちらもおなじくらい幸福そうだった。
 妬ましくなるくらいに。
 道場の真ん中で寄り添い、たがいを気遣う苗と貢とに目を奪われ、回廊に立ち竦む静流の背後へと、雨だれに似て軽快な足音が近付いてくる。
 「静流、こんなところにいたの。さっき、すごく怖い顔をした伯父さんとすれちがったわよ。あなたまたいらない一言を言ったわね」
 振り向けば笑顔が咲いていた。
 姉の薫流だった。
 散策の手慰みに摘んだのか、片手に一房の紫陽花を頂いている。ちゃっかりと傘まで借りてさした姉の要領よさに静流はあきれたが、薫流の笑顔を見た途端、暗澹と塞いでいた気持ちが嘘のように晴れてゆくのがわかった。
 「私たちが本家を訪ねた用件を忘れたわけじゃないでしょうね。伯父さまをどうにか説得して病床のお母様のお見舞いに来ていただこうと、手遅れになるまえに二人を和解させようと、そういう殊勝な心がけで本家の敷居を跨いだはずでしょう。ぶち壊しにしないでよ、静流」
 「ぶち壊し?人聞き悪い、僕は真面目に用件を果たしにきたつもりだよ。そっちの方こそ、可愛い弟をほうりだして呑気に庭見学なんて気ままな身分じゃないか。雨がふってるのに……酔狂なと感心したよ」
 「雨がしのつく庭も風情があっていいものよ」
 「なら、僕だけ残していくのはひどいんじゃないかい?紫陽花から紫陽花へと移ろう蝶のように気まぐれな薫流姉さん」
 姉と話していると自然と笑顔がこぼれでる。少女めいて可憐な容貌にはにかむような笑みを覗かせた静流の表情は、女ならだれしも陶酔しかねないほど魅力的だったが、薫流の視線は別の方向を向いていた。 
 饒舌にしゃべる静流を通り越し、開け放たれた引き戸から、その奥へと。
 反射的に姉の視線を追った静流が行き当たったのは、彼ら姉弟の存在になど気付きもせず、道場の片隅で睦まじく談笑する男女。
 凛々しく精悍な風貌の少年と、たおやかで優しげな容姿の女。
 「姉さん」
 静流は気付いてしまった。薫流が狂おしい嫉妬に焼かれていることに、貢と苗とを見比べる目に悋気の炎が怪しく揺らめいていることに。
 しのつく雨さえ湯気にかえるような悋気が、玄人ふうに紅傘をさし、もう一方の手に紫陽花を捧げ持った薫流の美しさを凄絶なまでに際立たせていた。

 ああ、そうか。
 姉は、姉までもが帯刀貢を。

 「いつまでも外にいたら風邪をひくよ」  
 薫流の手から軽々と傘を奪い取り、代わって頭上に掲げながら、おどけたふうに静流が言う。静流に促された薫流がしとやかに頷き、そこが定位置であるとばかりに静流の隣に寄りそう。
 雨粒が傘を叩く単調な旋律を聞きながら、姉と歩調を合わせて歩き出し、静流が含み笑う。
 姉よりもさらに強い嫉妬に狂う、情念の炎に灼かれ。

 僕の名前は帯刀 静流。
 静かに流れる如く刀を帯びる。
 帯刀貢よりよっぽど気の利いた名前じゃないか。そう思わないかい、薫流姉さん。

無意識な10のお題
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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010722203332 | 編集

 「辛いか、レイジ」
 胸板を汗が伝う。
 挑発的な笑いを吐く男と対峙するのはひとりの少年。
 第一印象は豹、強靭かつしなやかなバネとセクシーな肢体を併せ持つ猫科の肉食獣。
 干し藁の茶髪を頭の後ろで無造作に結い、褪せたシャツと色落ちしたジーパンというラフな格好をしていたが、長く優雅な睫毛に縁取られた完璧な造作の双眸といい彫刻めいて高い鼻梁といい、万人の審美眼に耐えうる美形だった。
 「辛い?馬鹿言えよ、辛いのはそっちだろ。息切れしてんじゃねえかマイケル、そろそろ世代交代のお時間だぜ。ペニスが萎みかけた中年にリードされてばっかじゃ俺の顔が立たねえよ。俺を飼い馴らすことができるかもなんてめでたい勘違いしてんなよ、俺はだれにも媚びねえよ」
 しっとり汗ばんだ額にかかる前髪をかきあげ、口角を吊り上げる。
 襟刳りの弛んだシャツから露出した鎖骨もシャープなラインを描く首筋も、長時間にわたるはげしい運動のせいで汗をかいている。
 虚勢を張りながらも疲労困憊の色を隠しきれない少年を、男は鼻先で笑い捨てる。
 「減らず口叩くな、そっちこそ息切れしてんじゃねえか。ざまあねえな、物心つくかつかねえかのガキの時分から殺しの訓練受けてたきた筋金入りの暗殺者のくせにこの程度でギブか?体力と持久力には自信があるってありゃ口先だけか。そんな体たらくで女を満足させてやれんのかよ、ええ?なんならこの親父サマが女の喘がせ方ってもんを教えてやろうか、色男」
 「お前に教えてもらうまでもねえ。こちとら十歳の頃から老若男女問わず手当たり次第に経験値積んでんだ、ノーマルだろうがアブノーマルだろうが寝台上の遊戯はお任せあれだ」
 中指を突き立て、あくまで反抗的な態度を示す少年に男は苦笑する。
 「無理すんなよ、今にも失神しちまいそうじゃねえか。ほんとは口を開くのも辛いくせに見栄っ張りだな。どうしたほら、ちゃんと顔上げてこっち見ろよ、瞼が半分閉じかけてるぜ。すごい汗だな、大丈夫かよ?体じゅうの水分が蒸発しちまうんじゃねえか。だらしなく口開けて犬みたいに息吐いて、腰砕けの体たらくでマイケル様の超絶テクに対抗しようなんざ十年早いんだよ」
 「たかがタマ転がしのテクを威張んなよ」
 眉間に苦痛の皺を刻み、首をうなだれる少年。
 顎から滴る汗を手の甲で拭い、反抗心の熾火を燻らせた双眸を虚空に凝らす。
 しっとり汗ばんだ額に前髪が纏わり付き、視界を遮る。
 マイケルが指摘した通り、体力はもう限界に近い。
 マイケルにしごかれて消耗しきっている。
 いつ倒れてもおかしくない極限の状況を気力だけで乗り越えようとでもするかのように、強情に奥歯を食い縛り、胸を喘がせ、不規則な呼吸を整える。
 「負けず嫌いめ」
 どれだけ体力を削がれても闘志は萎えない少年にあきれたように苦笑を上塗りする。
 明るい金髪に映える青い瞳、彫り深く精悍な顔だち。
 決してこれ見よがしではないが、戦場における死線を幾多も突破してきた男の体には逞しい筋肉がついている。
 本来は白いが、灼熱の太陽が照り付けるフィリピンの地で健康的に日焼けした肌は今は迷彩服の内側に汗を滴らせている。
 「素直じゃない子にはお仕置きが必要だな。こいよレイジ、腰が立たなくなるまでひいひい鳴かせてやる。もうやめてって泣き叫んでも知らねえぜ、ぶっ壊れるまで相手してやる」
 「上等だ、あとで吠え面かくなよ」
 こめかみに汗を伝わせた少年は不敵に笑う。
 汗で湿ったシャツが素肌にはりついて気持ちが悪い。しとどに汗に濡れて半透明になったシャツが素肌にぴたりと密着してるせいで、まだ完全には骨格ができあがってない、伸び盛りの肢体が透けてみえる光景はひどく扇情的だ。華奢な鎖骨と薄い胸板を濡れたシャツ越しに覗かせた少年は、しっかりとアスファルトの地面を踏みしめ、腰を沈めて重心の安定をはかる。
 睫毛が物憂げな影を落とす双眸を細め、獰猛に犬歯をむく。
 「で?マリアとはもうヤッたのか」
 「!?ばっ!!」
 少年が笑みさえ交えてあっさり吐き捨てた台詞に、男は面白いくらいに動揺する。先ほどまで自信ありげな物腰を崩さず軽口を叩く余裕を滲ませていたのが、当惑に目を見張り、頬に血の気を上らせている。
 獲物を狩る豹のように高々と跳躍、肉薄。
 マイケルの隙につけこみ、一気に間合いに踏みこんだ少年は、この機に乗じて猛攻を仕掛ける。動揺を誘われたマイケルが我に返り慌てて防御に努めるが、もう遅い。標的に呼吸を重ね気配を同化させ、マイケルに急接近した少年が会心の笑顔になる。
 干した藁束のような茶髪が流れ、風圧で前髪が舞いあがり、残像をひく。動体視力の限界に迫るスピードでマイケルの懐にとびこんだ少年が、腰を捩ってボールを死守せんとしたマイケルの手を弾く。
 青空高く、乾いた音が響き渡る。
 手のひらが小気味よくボールを叩く音。あっというまもなくマイケルの手を離れ、大きな放物線を描き、遠方へと弾き飛ばされるオレンジ色のバスケットボール。
 転々と地面で跳ねながら鉄条網にぶつかり動きを止めたボールを一瞥、膝に手をおいて上体を支えた少年が堂々と勝利を宣言する。
 『You that I am the winner please crawl like a loser in acknowledgment of defeat』 
 俺の勝ちだ。這いつくばれよ、負け犬。
 喧嘩を売ってるともとられかねない不敵な台詞に、男は小さくかぶりを振る。
 「甘いな。お前が勝ったんじゃねえ、勝たせてやったんだ」
 「今度は負け犬の遠吠えかよ、格好悪ィ」
 「お前が卑怯な手使うからだろうが、実の母親を賭けの道具にするなんざ恥ずかしくねえのかよ」
 心底あきれたふうに眉をひそめるマイケルに笑いかけ、その場に腰を下ろす。
 灼熱の太陽に炙られたアスファルトの地面は尻が火傷しそうに熱い。
 反政府ゲリラのキャンプ地におけるここは、物資を調達してきた車両が出入りする駐車場として利用されていたが、今は大半の車が出払ってしまい、殺風景にだだっ広い面積を持て余している。
 少年の隣に腰をおろし、男も空を見上げる。
 「子供の遊びひとつ知らねえ生意気盛りのガキに、親子水入らずでバスケ教えてやろうとしたらこれだ。このザマだ。年は食いたくねえもんだなほんとに、あと十歳俺が若けりゃお前なんかこてんぱんに」
 「でた、まただ。むかし懐かしむのもいい加減にしろよ、そのうちあと俺が十歳若けりゃ勃つもんも勃ったのにってマリアの腹の上で言い訳する羽目になるんじゃねえか」
 人を食った少年を怖い顔で睨み、マイケルは声を低める。
 「冗談言うなよ、俺はいつだってマリアを満足させてやってるさ」
 「へえ、もうヤッたんだ」
 まずい、失言だった。
 渋面をつくったマイケルに少年は無邪気な笑い声をあげる。
 「恥ずかしがるなよ、男と女が好きあえば当然そういうことになるだろ。おめでとう、祝福するよ。これで俺もマリアと一緒に寝なくてすむようになる」
 「なんだと!!?」
 おもわず大声をあげてしまった。
 地面から腰を浮かせ、少年の胸ぐらに掴みかかる構えを見せるマイケル。
 「違う違う、変な意味じゃねえっつの。ほら、マリアって夢見悪いじゃん?むかしから夜中に絶叫して飛び起きるくりかえしで、だれかがついててやんなきゃ駄目なんだよ。だれかがマリアに添い寝して、マリアが現実に帰ったときに取り乱さないよう背中を撫でてやんなきゃ」
 「……ああ、なんだ、そういう意味か。脅かすなよ畜生、てっきり親子どんぶりかと」
 疑惑が晴れたマイケルは安堵のため息をつく。
 だがしかしそれでも、十二歳という実年齢以上に大人びて雄のフェロモンが匂い立つこの少年が、実の母親であり自分の恋人でもある絶世の美女と少し前まで添い寝してたと知り、心中穏やかではない。
 幾許かの嫉妬をおぼえ、憮然と黙りこんだマイケルの視線の先で、当の本人は涼しい顔をしていた。アスファルトに尻をつき、リラックスした姿勢で座りこみ、胸の十字架をしきりとまさぐっている。 
 たしかあの十字架も、マリアからの贈り物だと言っていた。
 「これからはあんたがいるから安心だな」
 感傷とは無縁のからっと明るい口調で少年が言い、しんきくさい雰囲気を払拭する。
 灼熱の太陽が君臨する乾いた青空の下で、こんなしんみりした会話は似合わないとばかりに。
 マイケルの耳には「もう俺がいなくても安心だな」と言ってるようにも聞こえた。
 だからマイケルは、思春期の息子に説教する父親のような厳しい面構えで言い直す。
 「そうだな。これからは俺とお前がいるからな」
 「いやだよ母親の男も交えて3Pなんてよ」
 「……ちょっと待て、今のはシリアスに決めたつもりだったんだが」
 「似合わねえっつの」
 よっと反動をつけて腰を上げ、軽快な大股で男のもとを去る。
 その後ろ姿は孤独が人の形をとったようで、マイケルは言葉をなくす。
 途方に暮れたように少年の背中を目で追うマイケルの耳を、まだ変声期を迎えてない声が叩く。
 「俺にまで気を遣うなよ。あんたはマリアの恋人だけど、俺の親父のふりまでしなくていい。マリアのことだけ考えてろよ、マリアのことだけ見てろよ、マリアのことだけ愛してくれよ」
 ひょいとボールを拾い上げ、肩越しに振り向く。
 青空を背景に、光の洪水を浴びて鮮烈に浮き彫りになる体の輪郭がまぶしくて、マイケルは目を細める。
 胸にさげた十字架が太陽光を反射し、まばゆく輝く。
 「俺ができなかったぶんまで、さ」
 マイケルを振り向いた少年は、少しだけ寂しげに笑っていた。子供が無理に大人になろうとしてるかのような、結果としてどちらにもなりきれないような笑顔だった。
 あまりに綺麗すぎて胸を絞め付ける笑顔だった。
 「さて、休憩おしまい。ゲーム再開だ」
 嬉々として言いきった少年に、男は仰天する。
 「マジかよまだヤる気かよ!?さっきので十分だろ、お前の勝ちで満足したんじゃなかったのかよ!?」
 「満足なんてとんでもない、ようやくコツが掴めてきたんだ、呼吸が飲み込めてきたんだよ。すぐ練習しなきゃ忘れちまうよ。徹底した技術を身につけるためにはしつこく反復練習あるのみだ」
 両手にボールを遊ばせながら空を仰いで深呼吸し、マイケルを見据える。
 薄く整った口元には、何より彼の表情を魅力的に見せる悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
 「殺しもバスケも最初が肝心。呼吸を掴んじまえば目を瞑ってもできる。だろ?」
 端整な面差しを無邪気に笑み崩した少年を見上げ、マイケルは「かなわないな」と腰を上げる。一度言い出したら聞かない性格は親父代わりの自分がよく知ってる。
 そうだ。自分はマリアの恋人であると同時に、このガキの親父でありたいのだ。
 マリアを抱いたときに、いや、この少年に初めて銃をつきつけられた時にそう思った。
 覚悟を決めた。
 「そこまで言うなら仕方ねえ。おい、くれぐれも調子にのんじゃねえぞレイジ。さっきのは手加減してやったんだ、バスケ初心者に本気だしちゃ大人げねえからセーブしてやったんだよ。マイケル・ジョーダンが近所のガキども相手に全力だしちゃさんざ好感度と株が大暴落だろが?」
 「だれだよマイケル・ジョーダンて」
 「バスケの神様」
 隙あり。
 きょとんとした少年の手から力づくでボールを奪う。二回戦は序盤から大人げなさ全開のマイケルに、手のひらからボールをひっぺがされた少年が非難の声をあげる。
 「―っ、クソ親父が!!」
 口汚く悪態を吐きながらも顔は笑っている少年に、男もまた声をたてて笑う。
 いつかいつの日か、彼が抵抗なく、ただの「親父」と自分を呼ぶ日がくればいいと願いながら。

無意識な10のお題

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010721204405 | 編集

 品よく髪を梳く苗の手に見惚れる。
 苗は本来綺麗な手をしていた。白い光沢のあるきめこまかな手は彫刻のように均整がとれていた。
 だが帯刀家の使用人として炊事や裁縫などの雑事をこなすうちに、その手にはいつしか汚れと擦り傷が目立つようになり、幼い頃に身よりをなくして縁戚の帯刀家に引き取られて以来、甲斐甲斐しく働いてきた苗のひとかたならぬ苦労と幸薄い身の上を忍ばせた。
 苗が帯刀家の使用人として仕えるようになったのは彼がまだ幼い頃だ。
 苗は彼が物心ついたときには身近にいて、哀れみ深く慎み深い、優しい姉のような存在だった。
 年はいくつも離れてないというのに、人知れず咲く竜胆の如く落ち着いた佇まいは苗をひどく大人の女性に見せた。
 最も人のことは言えない、彼とて初対面の人間には実年齢より上に見られる傾向がある。
 眉間に皺が寄った無愛想な面構えと傾ぐことない端正な姿勢、威圧的な雰囲気ゆえにそう錯覚されるのだろうが、実際の彼はまだ十五歳の少年に過ぎない。
 物心ついた時より厳格な父に躾られ、心身の鍛錬を重視する武士道教育の一環として、徹底的に礼儀作法を仕込まれた彼はおそろしく姿勢がよい。
 交互に足をくりだして歩く時も、畳に正座するときも、背筋は凛々しくのびて体の中心線は微塵も揺らぐことがない。
 そんな彼も気心の知れた苗の前でだけは足を崩し、無造作に胡座をかくことができる。
 今彼がいるのは光のどけき春の陽射しが障子を淡く透かす、屋敷の鬼門に位置する六畳間。苗にあてがわられた使用人部屋だ。広大な面積を有する日本家屋である帯刀家では、住み込みの使用人には六畳の和室があてがわれることになっている。
 幼い頃より帯刀家で過ごした苗もまた例外ではなく、日に焼けた畳が敷かれた六畳間を居住空間としていた。
 何故鬼門にあたる部屋をわざわざ選んだのか、と以前苗自身に訊いたことがある。
 十数名に及ぶ住み込みの使用人の他は、父と息子との侘しい住まいである帯刀家には、まだ沢山部屋が余っている。
 なにも好き好んで鬼門の部屋を選ぶことはなかろうと彼が呆れれば、苗は膝這いに格子窓ににじりより、慎ましやかに着物の袖をもたげ、障子に手をかける。
 格子窓の障子を引いた瞬間の光景は、幾年の歳月を経てもあざやかに彼の網膜に焼きついている。
 『見えますか貢さん。残念ながら私には見えませんが、ほら、やわらかな春風に乗じて桜の香りが吹きこんでくるでしょう?……そうです。この部屋は裏庭に面してる。だから障子を開ければ、あの桜の大木の香が匂ってくるんです』
 庭に迷い込んできた野犬の死骸を根元に埋めた、あの桜の木が。
 彼らふたりが人目を忍び逢瀬を重ねている、あの桜の木が。
 あれも春の話だった。そしてまた、苗と共に過ごす幾度目かの春が巡ってきた。
 現在苗の部屋の障子は開け放たれており、裏庭に聳える桜の老木が彼が座した位置から望めるようになっている。爛漫と花を咲かせた桜の大木から格子の隙間へと舞い込んだ花びらが、苗の膝に降り積もる。
 目が見えない苗はそれにも気付かず、無心に髪を梳いていた。
 着物の膝に桜が付着したのはわからずとも、桜の花びらが髪に付着したのは気になるらしく、そうやって懸命に花弁を払おうとしているのだ。
 愛おしさをかきたてる、いじましい仕草だった。
 「桜の香りを嗅げるのは嬉しいけれど、花びらを髪につけたまま廊下にでては他の使用人に見咎められてしまうわ。恥ずかしい」
 「……俺は似合うと思うが」
 唐突に呟いた彼の方を振り向き、虚を衝かれたように目を見開く。
 これで本当に目が見えないなんて信じられない。頭の後ろで一本に纏めた黒髪のところどころに薄紅の花びらが付着したさまを眺め、口下手な彼は吶々と言葉を続ける。
 「実際悪い眺めではない。ここから望む桜はもちろんだが、桜の花弁で彩ったお前もまた、その……悪くない。そんなに神経質になることはないのではないか?笑いたい輩には笑わせておけばいい、お前に桜が似合うのはまことのことだ」
 一呼吸おきにわかに恥ずかしくなったのか、仄かに赤面した顔を俯ける。
 「大体苗、お前は年頃だというのに身だしなみに関心がなさすぎる。女ならもっとこう、華やかな衣装に憧れるものではないか?俺の知るお前は、いつでもどこに行くにも帯刀の使用人の仕事着を身につけてる。身を着飾ることに関心はないのか?化粧に興味はないのか、せめて年頃の女の嗜みとして紅を引くくらいは……」
 「だって貢さん、お化粧したところででき映えを確かめようがないじゃありませんか」
 「……」
 失言だった。
 自責の念に駆られ、重苦しく黙りこむ。
 何故気付かなかったのだ?この部屋には鏡がない、あっても用を成さないからだ。
 目が見えない苗は化粧のでき映えを確かめることはおろか、自分の素顔さえ見ることがかなわない。
 そしてきっと、自分の恋人の顔も。
 彼はそっと着流しの懐に手を触れ、目を伏せる。折角持参してきたこれも無駄になってしまった。自分は馬鹿な男だろう、なんて思いやりに欠ける男だろうと心の中でひっそり自嘲する。 
 しかし、せっかく持ってきたのだから。
 「苗。今日はお前の誕生日だな」
 「いきなり改まってどうしたんですか貢さん、びっくりするじゃありませんか」
 苗が驚いたように口元に手を添える。ひょっとしたら自分の誕生日さえ忘れていたのかもしれない、使用人の誕生日を祝う風習のない帯刀家では無論だれも苗に「おめでとう」と声をかけたりしない。
 おそらく屋敷の誰も苗の誕生日を覚えていない。知りもしない。
 苗自身と、帯刀家の長男以外は。
 「俺の記憶が正しければ今日は如月の十日、お前の生まれた日だ」
 「ええそうですよ。貢さんの生まれた日は睦月の三日、お正月の三が日に生を受けるなんておめでたいですね。ご両親もさぞ喜ばれたでしょうね。」 
 「俺の誕生日はどうでもいい」
 わざとらしく咳払いし、着物の懐に片手をさしこみ、薄紙に包まれた物を取り出す。格子の隙間からひらひらと舞いこんできた桜の花びらが、ゆるやかに螺旋を描き、二人の間に散る。
 「苗、これを」
 おもむろに苗の手をとり、手のひらに包みを乗せる。面食らった苗から目をそらし、続ける。
 「……こういうことには慣れてないからなにを贈ったら喜ぶのか皆目見当つかず、どうやら選択を誤ってしまったようだ。すまない。もっと気の利いたものを贈ればよかったな。そうだ苗、お前はこないだ裁縫に使う針をなくしたと言ってたな?くそ、失念していた。新しい裁縫道具一式を買えばよかったな、そちらのほうがよっぽど実用的だし針をさがす手間が省ける。それとも手縫いはやめてミシンにするか?文明嫌いの父上の方針で裁縫は手縫いにかぎると厳命されているがかまうものか、見つからなければ……」
 いつになく饒舌に幾分言い訳がましくまくしたてる。彼は焦っていた。心の底からおのれの愚かさを呪った。苗は目が見えない、鏡と向き合い化粧をする楽しみを知らない。身を着飾ることに興味もない。
 そんな苗に、こともあろうに自分は……
 薄紙の擦れる音が耳朶に触れる。
 「嬉しい」
 白魚の指先で包みを開いた苗が、感極まった様子で胸に押しあてたのは一本の櫛。  
 苗の白い手によく映える、朱塗りの櫛。
 「これ、櫛ですね?いいんですか貢さん、こんな高価なもの本当に貰っても。なんだか申し訳ないわ、今だって帯刀家にお世話になってる立場なのに……」
 「特別高価なものではない、その辺に売ってるただの櫛だ。あまり気に病むな」
 朱塗りの櫛を胸に抱きしめた苗が微笑するのを見届け、緊張を解き、想いが報われた安堵に顔を綻ばせる。さっそく櫛で髪を梳かそうと手首を掲げた苗に「待て」と声をかけ、腰を上げる。
 苗の手から櫛を奪い、傍らに屈みこむ。
 不安そうに正面の虚空に目を凝らす苗の安心させるように、耳元で囁く。
 「この櫛にいちばんはじめにお前の髪を通すのは俺だと決めていた」
 自分が選んだ櫛で、苗の髪を梳かしたかった。苗を美しく磨き上げたかった。苗の傍らに片膝つき、耳の後ろを流れる髪を一房手にとる。
 艶やかな黒髪にそっと櫛を通し、丁寧に梳く。
 「男のひとに髪を梳かしてもらうのははじめてだわ」
 「俺とて女の髪を梳かすのはうまれてはじめてだ」
 「……貢さん、上手いですね。剣の扱いに慣れてらっしゃる方はさすがに手先が器用だわ。女性の髪を梳かし慣れてる気がする」
 笑いを噛み殺して苗が指摘すれば、濡れ衣をかけられた彼はむきになる。
 「くだらないことを言うな。女の髪に触れるのは正真正銘お前が初めてだ、帯刀の家訓と武士の魂に誓って」 
 「冗談です」
 ……苗にはかなわない。
 一枚も二枚も上手の苗にからかわれたと知り、彼は憮然と押し黙る。不機嫌げに唇を引き結びながらも手は止めず、苗の髪を丁寧に梳いてゆく。苗はかすかに照れの混じった微笑を浮かべ、彼のしたいようにさせていた。
 格子窓から射した春の光が、朱塗りの櫛に反射する。
 きちんと膝をそろえて正座した苗は、澄んだ目を虚空に据え、心をこめて言う。
 「このお返しは必ず。来年の貢さんの誕生日までに贈り物を考えておきますから」
 「いらぬ気遣いをするな。帯刀家には毎年飽きもせず男子の誕生日を祝うような軟弱な風習はない、誕生日を喜ぶのは女子供にのみ許された特権だ」
 「そうだわ」
 ぽんと手を叩き、櫛を翳した彼の方を振り向き、苗はさも名案を思いついたとでもいうように口を開く。
 「お揃いの櫛なんてどうでしょう?」 
 「!?ばっ……、」
 「男に櫛」という突飛な発想を口にする苗に櫛を動かす手をとめ反駁しかけるも、和やかな笑顔に毒気をぬかれて虚しく口を噤む。
 来年の睦月三日、自分が贈った櫛で彼の髪を梳かしてやるさまを想像し幸せそうに微笑む苗と、桜の花びらを頭に纏わせながら、これ以上ない仏頂面で手を動かす少年。
 今はもう昔、光のどけき春の日のことだ。 

無意識な10のお題
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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010719172910 | 編集

 ここに来た時、身に付けていたのは祖父の形見のゴーグルだけだった。

 最終的な処分が下るまでの仮措置として韓国の拘置所で短期間を過ごしたが、その時は独房に隔離されていて、他の拘留者と触れ合う機会はなかった。
 少年の年齢と逮捕に至る経緯などの特殊事情を考慮すれば無理からぬ措置、それが最も自然なことだろう。拘置所で彼が特別扱いされた背景には複雑な事情がある。
 当時少年は十一歳、いかに重犯罪に関わったとはいえ法で裁ける年齢には達していなかった。
 韓国の少年法で刑罰が適用されるのは十二歳以上と決まっていて、いかに過激思想のテロ組織に属して反国家活動を行ったいえど、逮捕された被疑者が年少の身では本来妥当である国家保安法も適用できない。
 だが、反政府テロ組織の末端構成員としてテロに使う爆弾作りを続けた祖父を物心ついた時から唯一の肉親として育ち、自分もまた爆弾作りに没頭する祖父の背中を見て、包含紙で火薬の分量を計り銅線と銅線とを繋ぎ合わせる作業を手慰みの遊びの一環として行ってきた事情を鑑みても、少年に情状酌量の余地はない。
 少年は二千人を殺した大量殺戮犯だ。
 少年が作った爆弾で多くの人間が死んだ、多くの民間人がテロに巻きこまれて死亡した。もちろん少年だけに非があるのではない、少年だけを罪に問うのは公平ではない。
 たとえそこに自発的な意志が認められたとはいえ、少年自身に倫理観が著しく欠如してたとはいえ、組織に協力を強制されていた側面もあったのだ。唯一の肉親である母方の祖父が反政府テロ組織に関与して爆弾を提供してたのは事実だが、その祖父もまた少年が逮捕される少し前に他界しており、現在少年は他に頼れる親戚とてない天涯孤独の身の上。
 十一歳の若い身空で犯罪者になったとて、身近な人間に責任転嫁はできないのだ。
 何故ならもう、少年の身近にはだれもいないから。
 育ての親の祖父は他界した、両親とはとうの昔に死別した。
 少年が逮捕された時点で彼にはひとりも肉親がおらず、また命がけで庇ってくれる味方もいなかった。
 少年が属していた組織は、彼が成したことが明るみにでた途端に無情にも彼を切り捨てた。
 少年が組織に感化され、子供心にも祖父の影響を受けて爆弾作りに手を出したことが公けになると同時に、少年の証言から痕跡を辿られるのを警戒した組織は彼を見捨てたのだ。
 政府は少年の扱いに苦慮し、厄介払いの形で国外に遺棄した。
 韓国の隣国日本には、世界大規模の少年刑務所がある。
 二十一世紀初頭の相次ぐ地震にて地表が陥没し、都心には広面積の砂漠が生まれた。東京の中心に忽然と出現したこの大砂漠のさらに中心に設立された刑務所こそ、悪名高い東京少年刑務所こと東京プリズン。
 この刑務所に収監が決定したら最後、生きて出られる者はないと囁かれるこの世の地獄。
 韓国政府と日本政府のあいだにどのような取り決めがあったのかは少年には想像もつかないが、兎にも角にも少年の身柄は東京少年刑務所に送致されることに決定した。法で裁けぬ未成年であろうが、少年が二千人を殺した大量殺戮犯であることに変わりなく、凶悪なテロリストである事実は覆らない。
 そんな危険人物の処分をずるずる先送りにしていては世間の非難を浴びると判断した政府は、少年の身柄を極秘裏に日本に移送して東京少年刑務所に収監する手筈を整えた。
 どういった形であれば東京プリズンで死亡してくれるなら大歓迎だと、口には出さずに期待して。
 だからここに来た時、ジープに乗せられる直前に着替えさせられた格子縞の囚人服を抜きにすれば、少年が身に付けていたのは祖父の形見のゴーグルひとつきりだった。
 
 亡き祖父の大切な形見だった。

 東京少年刑務所の印象は「陰惨」の一言に尽きる。
 天井に等間隔に連なる蛍光灯は不規則に点滅し、コンクリ壁むきだしの通路全体が薄暗く、殺伐と荒廃した空気を漂わせている。東京プリズンの衛生環境は非常に悪い。ありていに言えば不潔だ。房にはゴキブリが出没する。神出鬼没な害虫の他にはネズミの姿も見かける。
 まさに地獄。
 下水道の悪臭に似たすえた匂いがたちこめるこの世の地獄だと、ヨンイルは通路を歩き、あたりを見まわして思う。東京プリズンに収監された第一日目の感想がそれだった。看守に案内された房を後にして、棟内の地理を把握しようとひと通りあたりを歩き回る。あてもなく通路を散策してるあいだじゅう、ヨンイルは顔をしかめ、しきりに唾を吐いていた。
 「ああ、後味最悪や。あの変態看守、ひとになにし腐るんや。あこぎな交換条件つきつけてあんなまずいもんしゃぶらせよってからに……」
 最も、まずい美味いの問題ではない。
 ヨンイルがしゃぶらされたのは、収監に際して身体検査にあたった看守のペニスだった。ほんの半日前のことをまざまざと思い出し、ヨンイルの眉間に嫌悪の皺が寄る。
 収監に際し、囚人の身体検査が実施されるのは話に聞いていた。刑務所の常識だ。だから別に、服を脱げと居丈高に言われても逆らわなかった。尊大な物言いに多少反感を覚えこそすれ、表だって言い返したりもせず、最低限行儀良くしていた。
 身体検査を受けるのはこれが初めてではない。そこれそ韓国にいた頃は、処分が決まるまで収容されていた警察の施設で何回もくりかえし検査やらテストやらを施された。
 結果ヨンイルの体にはどこも異常がなく、脳の働きも正常そのものだと実証された。しかし検査を行った医者たちには疑問の余地が残るらしく、釈然としない顔をしていた。
 彼らの気持ちも漠然と理解できる。二千人もの人間を殺しておきながら反省の色もなく飄々と振る舞う人間にどこも異常がないなんて、彼らはきっと納得できなかったのだろう。
 こった顎をさすりながら、ヨンイルはますます眉間の皺を深める。
 さっきは顎が攣りそうだった、口を開けっぱなしでいるのは想像以上にきつかった。警棒で殴られて看守の足元に跪かされ、ゴーグルを返して欲しければ言うことを聞けとにやつきながら脅された。
 だから従ったまでだ、交換条件を飲んだまでだ。
 ヨンイルはどうしてもゴーグルを取り返したかった、祖父の形見のゴーグルを無傷で刑務所内に持ちこみたかった。
 祖父の遺品として唯一手元に残ったゴーグルを、ヨンイルは今もこうして肌身はなさず身に付けている。額の上に装着したゴーグルにそって手を触れ、ヨンイルは安堵の笑みを覗かせる。
 「せやけどうん、こうして無事戻ってきてよかったわ。臭くて汚いもんはしゃぶらされたけど、ちゃんと取り返せたし、持ちこむ許可ももらえたしな。房に戻ったらよくうがいしとけば済むこっちゃ、一晩寝れば忘れてまうわ、きっと」
 自分に言い聞かせるように小声で呟く。
 男の物を咥えるのは初めてだった。勿論、そういう行為があるのは知っていたが普通は女が男にするものだと思っていた。東京プリズンに来て早速常識が覆された。ヨンイルはまだ女を抱いたこともない、これから先はその機会もないだろうという漠然とした予感もある。何故なら東京プリズンには男しかいない、見渡すかぎり男ばかりのむさくるしい環境で女とお近付きになれるわけがない。
 最もそれ以外でも、ヨンイルには女を抱けない理由があるのだが。
 口の中にはまだ苦い後味が蟠っている。苦く青臭い精液の味。
 看守がズボンのジッパーを引き下げ、ズボンの前を寛げて勃起した性器を露出した時は息を呑んだ。根元を支える手は緊張に震えた。顔を近付けるのも厭わしかったが、ゴーグルを無傷で持ちこむためには他に手段がなかった。
 腕力では到底大人に勝てない、ならば素直に従うしかない。
 あんなことは早く忘れてしまうにかぎる、無かったことにしてしまうにかぎる。
 房へ戻ろうと足を速める。そうだ、一晩寝れば忘れてしまう。全部なかったことになる。明日目覚めれば祖父が先に起きていて、「このねぼすけめ、いつまでぐうたらしとる気や」と拳固で頭を小突かれるに決まってる。朝飯のキムチを漬けるのはヨンイルの役目だ。
 祖父はヨンイルの漬けたキムチを咀嚼しながら「まだまだやな」としかめ面で呟いて、ヨンイルは「結構イケるやろ、それ」と不服げに口を尖らせて。
 そんな当たり前の日常が、まだ続いてるかのようだ。
 もう祖父がいないなんて信じられない。あのクソジジィが死んでしまったなんて。
 「……殺しても死なんタイプのくせに、悪い冗談やわ」
 俺ひとり残して、自分だけ先に逝ってもうて。
 無意識にゴーグルをさすりながら、ヨンイルは目を伏せる。交換条件をはねつけることはできなかった、奉仕しろと言われれば呑むしかなかった。
 どうしてもゴーグルを取り返したかったから。
 このゴーグルは祖父の形見、祖父が唯一自分に遺したもの。
 祖父が日本にいた頃、大阪の工場で花火を作っていた頃から愛用していた年代物のゴーグル……
 ヨンイルにとっては祖父の化身そのものなのだ。
 直線の廊下を歩いてるうちに自分にあてがわれた房が見えてきた。ぐるりと一周して戻ったきたのだ。ヨンイルは安堵の息を吐き、目的の鉄扉へと足を向ける。
 殺風景なコンクリ壁に等間隔に穿たれた鉄扉のひとつが、ヨンイルがこれからの年月を過ごす房だ。
 錆びたノブに手をかけ、無防備に開ける。
 蝶番が錆びているのか、耳障りな軋り音をあげながら鉄扉が開き、薄暗がりに沈んだ房の全容があらわになる。
 「しっかしどこもかしこも殺風景な刑務所やな、気分が滅入ることこの上なしや。もうちょいこう、遊び心があってもええんやないか?壁に落書きとか」
 「後ろから脅かすとかな」
 「へ」
 声は正面の闇から発せられた。不意をつかれ、顔を上げたヨンイルの体を衝撃が見舞う。
 鳩尾を蹴られた体が軽々と吹っ飛ぶが、床に尻餅をつくことは許されなかった。いつのまにか背後に回っていた囚人二人がかりで両腕をとられ、水平に固定され、磔の恰好で拘束されたのだ。
 突然だった。何が何やらわからず頭が混乱する。衝撃冷め遣らぬ頭をめぐらし、現状把握に努める。暗闇に目を凝らせば、おぼろげに浮かび上がるいくつもの人影。電球を消した闇に潜み、ヨンイルの帰りを待ちうけていた囚人が総勢五人もいるだろうか?
 「不用意に房を空けるなんて命知らずだな、新入りよ」
 正面の囚人が嘲弄を投げかけ、周囲から人を小馬鹿にするような、くぐもった笑いが漏れる。
 待ち伏せされていた、と漸くヨンイルは理解した。自分を取り囲んだ囚人たちにひとりとして顔見知りはいないが、ここに連れてこられるまでのあいだに知らず知らずすれ違っていたのかもしれない。
 目をつけられた。しくじった、とヨンイルは舌打ちする。
 瞬間、頬を張られた。おもいきり。
 「舌打ちたあ躾がなってねえな。挨拶が先だろうが」
 「名前くらい名乗るのが先輩に対する礼儀ってもんだろ」
 「俺たち今日が初対面なんだ、お前の名前も知らねえんだ。なんて呼べばいいんだゴーグル野郎」
 「ゴーグル野郎ってまんまじゃねえかよ、センスねえなお前」
 「うるせえ」
 平手でぶたれた頬が熱をもって疼きだす。唇も切れたらしく、口内に鉄錆びた血の味が広がる。両腕を取り押さえられてるため、腫れた頬を庇うことも許されず、ヨンイルはただ暗闇に目を凝らす。
 狭苦しい房にヨンイルを含めて六人もの人間がいれば、身動きする余地とてない。背後には囚人二人が控えている。
 逃げ場はない。どこにも。
 「おどれら、韓国人か?なんで日本語しゃべってるん」
 そんなどうでもいいことが気になる。ヨンイルも当たり前に日本語をしゃべっているが、これは元在日である祖父の影響だ。言葉の鈍りから彼らが韓国人だと見ぬいたヨンイルが訝しげに問えば、リーダー格の少年が大仰に肩を竦める。
 ヨンイルの無知を嘲る笑顔。
 「知らねえのか?東京プリズンじゃ日本語が公用語なんだよ、まわりの連中みんな日本語しゃべってるよ。ま、俺たちが日本語しゃべってんのはこっちで育ったのもあるんだがな……お前はどうなんだ、変な言葉遣いしやがって。マジで韓国人なのかよ」
 「とても同朋たあ認められねえな」
 「俺たちに同胞と認めてほしけりゃ誠意を見せろや」
 「ここじゃ敵作んねえほうが身のためだぜ。東京プリズンで生きぬくには群れるのが一番だ」
 口々に喚きたてる囚人たちを見まわし、ヨンイルは考える。
 まずいことになった。こうなることは事前に予想できてたはずだ、しかし警戒を怠った。つい油断して、不用意に房を空けてしまった。自業自得だ。
 「で、お前の名前は」
 「ヨンイル」
 「龍一?そりゃまたご大層な名前だぜ、こんなガキにゃ勿体ねえ」
 「何やらかしてここに送られたんだよ。無銭飲食か、傷害か、強姦か」
 「まさか。童貞だろ。まだ皮も剥けてねえガキだぜ」
 「試してみるか?」
 いやな予感がした。とてつもなく嫌な、悪寒と予感。
 不穏な成り行きに生唾を嚥下し、微妙に口角をひきつらせ、ヨンイルは言う。
 「先輩方、俺を犯る気か?んな阿呆な。男が男犯ってなにが楽しいんや、しかも俺なんか……シュミ疑うで」 
 額に汗が滲む。声が尻すぼみになる。初日でこれだ、先が思いやられる。自分の間抜けさに歯噛みしつつ、怯えと笑いとが入り混じった顔で黙りこむヨンイルを取り囲み、囚人たちはにやにやと笑っている。
 刑務所では男が男を強姦するのが日常だ、と聞き及んでいた。でもまさか、自分が標的になるとは思わなかった。標的になるのはもっと生白い、いかにもなよなよとした、そんな奴だと思いこんでいた。
 「東京プリズン最年少の囚人がくるってゆーから、何日も前から楽しみにしてたんだよ」
 リーダー格の少年がヨンイルの顎に手をかけ、ぐいと上向かせる。
 ヨンイルの唇の端は切れて痛々しく血が滲んでいた。
 「11歳か12歳かそこらってところだな。普通東京プリズンに送られるのは13歳からなんだが、その若さで地獄送りになるたあ相当の悪さやらかしたんだな」
 ヨンイルの顎を掴んだ少年の目は、陰湿な光に濡れていた。
 嗜虐の快感に酔い痴れた陰険な目つき。
 両腕を掴まれ、うめくしかないヨンイルを舌なめずりしそうな笑顔で眺め、少年は続ける。
 「知ってるか?東京プリズンじゃあちょっとでも立場が弱い奴がケツ狙われるんだ。年がイッてねえ奴、小さい奴、喧嘩が弱い奴……たとえばヨンイル、お前だ」
 「ガキならガキなほどいいんだぜ。骨格も出来上がってなくて腰も細っこいし、肌もすべすべしてる」
 「毛も生えてねえし声変わりもしてねえ」
 「顔だってそこそこだ」
 そばの囚人が、ヨンイルの腰のあたりをねっとりといやらしい手つきで揉みしだく。鳥肌立つ感覚。男にこんなさわり方をされるのは生まれて初めてだ。さっき、看守にペニスを咥えさせられた時は何も見ずに済むようにぎゅっと目を閉じて奉仕にあたっていた。おかげであれは悪夢だと自分を誤魔化すことができたが、今度は逃れようもない現実だ。
 ヨンイルが絶体絶命の窮地におかれているのは紛れもない現実なのだ。
 心臓の動悸が速まり、全身に汗をかく。喉がひきつり、うめきが漏れる。逃げたい。じっちゃん、こういう時どうすればええんや。怖い。恐慌。男に襲われた時の対処法なんてヨンイルは知らない。こんな異常事態、想定さえしていなかった。祖父はもう助けてくれない。どれだけ声をからして呼んだところで、狂おしく念じたところで死んだ人間はもう決して助けてはくれないのだ。
 現在のヨンイルにはだれも味方がいない。まわりは敵ばかり。だれも助けてくれる人間がいないのなら自分でなんとかするしかないのだ。
 「!?っで、」
 「こいつ、いきなり暴れだしやがった!」
 「くそっ、大人しくしやがれ!」
 「いやじゃボケ!」
 なりふりかまわずもがき暴れる。両腕を振りほどこうと懸命に身をよじり、喉も破けよと大声をはりあげる。コンクリ壁に殷殷と反響する絶叫。薄暗がりに蠢く囚人たちに動揺が伝染し、全員が一斉にヨンイルにとびかかり、手足を押さえ付けて抵抗を封じる。
 ヨンイルの決死の抵抗は長くは続かなかった。
 「!あっ、」
 ヨンイルの額からゴーグルが毟り取られる。
 無造作に取り上げられたゴーグルへとヨンイルが目を奪われた一刹那、今度はこぶしで顔を殴られ、続けざまに背中を蹴倒される。目も眩む衝撃。たまらず膝を屈し、床に這いつくばる。
 反射的に腕を上方にのばしゴーグルを取り返そうとしたが届かない、届くはずもない。
 ヨンイルの隙をついてゴーグルを取り上げたリーダー格の少年は、何事か閃いたが如く口元に笑みを覗かせ、仲間に顎をしゃくる。
 ヨンイルを大人しくさせておけという命令。
 凄まじくいやな予感、不吉な胸騒ぎに襲われて、床に膝をついたヨンイルは少年を振り仰ぐ。正しくは少年の手の中のゴーグルを。
 「大事なもんなんだろ、これ」
 ゴーグルのバンドに指をひっかけ、くるくると回しながら、少年が言う。
 「東京プリズンじゃ囚人の私物持ちこみは厳禁だ。中に持ちこむためにゃそれ相応の代価を払わなけりゃな。お前、看守のペニスしゃぶったんだろ。その口で美味しく咥えたんだろ。どうだった、初めて男のモン咥えた感想は」
 「こんなモンがそんなに大事かねえ」
 「あちこち傷だらけじゃねえか。きったねえ」
 ゴーグルにべたべたと指紋がつく。祖父との思い出まで汚されてゆく。祖父はいつもあのゴーグルをかけて仕事に没頭していた、仕事場に塞ぎこんで熱心に爆弾を作っていた。
 ずっとあのゴーグルが欲しかった。ゴーグルをかけた祖父は恰好良くて子供心にも憧れた。祖父みたいになりたいと思った、祖父のようにゴーグルが似合う男になりたいと思った。職人気質で頑固な祖父で、孫にはすぐ拳固を落としたが、それでもヨンイルは祖父のことが大好きだった。
 そや。大好きやったんや。
 「さわるな」
 腹の底から唸る。威嚇の咆哮。全員がヨンイルに注目する。殴られた頬が腫れて、口の中が切れて喋りにくかった。舌を動かすたびぴりぴりと顔が痛んだ。血の味のする唾をひどく苦労して飲み下し、ヨンイルは精一杯の虚勢を張り、周囲の囚人たちを睥睨する。
 「それはじっちゃんのゴーグルや、絶対譲れへん俺の宝物や。お前らにくれてやるもんか、はよその汚い手をはなさんかいボケカスども。さもないとケツの穴に指突っ込んで奥歯がたがた言わせるだけじゃすまんさんで」
 房の空気が凍えた。ヨンイルを見下ろす囚人たちの顔を過ぎったのは、怒りと嘲り。おのれのおかれた立場を考えず、状況をかえりみず、身のほどもわきまえず自分たちを脅したヨンイルに対する優越感。
 そう、彼らはたしかにヨンイルに優越感を感じていた。
 どれだけ吠えたところでヨンイルには何も出ない。ただ、これから起きることを見ているしかない。 
 「そうか、じっちゃんの形見なのか」
 ゴーグルを抱えた少年が踵を返し、大股にヨンイルから離れてゆく。向かう先には便器があった。何のつもりだ?不審げに眉をひそめたヨンイルの視線の先、便器の脇に立った少年が満面に笑みを湛える。
 心底から愉快で愉快でたまらないという狂喜の笑顔。
 喉が乾く。口の中が干上がる。ゴーグルを手にした少年の笑顔にとてつもなく不吉なものを感じる。周囲の少年たちはヨンイルの反応を見やりつつ、意地悪く笑っている。
 薄暗い房に波紋を広げるように満ちゆく笑い声。
 笑い声と笑い声が共振し、悪意を増幅する。
 「どうりで古くて汚ねえはずだ。ばっちぃゴーグルなわけだ。折角だから……」
 リーダー格の少年が便器のペダルに足をかけ、床に這わされ、手も足もでないヨンイルに見せつけるように便器の直上にゴーグルを掲げる。何をする気か漸くヨンイルにもわかった。衝動的に跳ね起きようとした、だが出来なかった。
 リーダー格の少年が足裏に体重をかけてペダルを踏みこめば、勢いよく水が流れ、ヨンイルのもとにまで水音が届く。周囲の笑い声が膨らむ。この場で笑ってないのはヨンイルただひとりだ。ヨンイルは驚愕に目を見開き、信じ難いものでも見るかのような戦慄の表情で固まっていた。殴られた頬の疼きも蹴られた背中の痛みも麻痺して何も感じなかった、ただ目だけが執拗に少年の動きを追っていた。
 正しくは、少年の手の先に吊り下げられたゴーグルを。
 勢い良く水が流れる便器の上で、ヨンイルの注意を誘うように不安定に揺れるゴーグルを。
 少年が全体重をかけてペダルを踏みこみ、狂った哄笑をあげる。
 「『濯ぎ洗い』してやるよ」
 ヨンイルの視線を意識しつつ、勝ち誇った高笑いをあげ、ぱっとゴーグルを手放す。
 便器の上で。

 「あかん、やめっ………!!!!!!」

 半狂乱に駆り立てられたヨンイルが必死に身を捩り、脱臼せんばかりに片腕を虚空にのばす。むなしく虚空に腕をのばしたヨンイルの遥か先、あっけなくゴーグルが落下して、そして。
 水飛沫をあげて、便器に没した。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20010718070957 | 編集
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