ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

関連記事 [スポンサー広告]
スポンサー広告 | コメント(-) | ------------ | 編集

 俺の趣味。後輩の尻拭い。
 「先輩てデキる男ってかんじですね」
 んなわけねーだろばーか。
 いやちがう、んなわけねーなのは冒頭。俺の趣味がデキの悪い後輩の尻拭いっつーたわけた寝言略してたわごと。俺はデキる男だ。とぎたてナイフのようにキレる男だ。あ、キレるっても十代にありがちな現代の風潮じゃねーぞ、頭が切れるのほうだからな。まあそっちも否定しないけどよ。
 後輩の弾んだ寝言は気分悪いから無視してやった。
 なーにが「先輩ってデキる男ですね!」だ、調子こいてんじゃねーぞ。おだてて機嫌とろうって下心がみえみえなんだよ。なんで俺が夜遅くまで残業してると思ってんだ、どっかの馬鹿でデキの悪い後輩のせいだろうが。
 イライラとキーを打つ。
 捨て鉢やけっぱちな指の速度に合わせ打鍵の音が散弾銃のように響く。
 ダダダダダッ、読点連打。
 眼精疲労のせいか、網膜でオレンジの光輪が点滅する。
 眼鏡のレンズが液晶のあかりを反射して仄白く染まる。
 画面に表示される字が霞んでとらえにくい。
 くそ、また視力がさがったか?
 「前から思ってたんですけど、先輩」
 「なんだよ」
 「眼鏡、度が合ってないんじゃないですか?」
 ……人が気にしてることをずばりと言いやがった。
 反射的に聞き返して後悔する。こいつはさっきから人の神経逆撫ですることしかしねえ言わねえ無自覚の困ったちゃんだ。その困ったちゃんの面倒見役として残業に付き合う俺は薄幸と哀愁のサラリーマンだ。
 てめえの無邪気な言動と能天気な笑顔が不興を買ってる自覚はさっぱりねえのか、後輩の余計な指摘に、眉間がぴくぴく引き攣る。
 「不況のご時世、人員削減された分一人あたりの仕事時間がのびて、おちおち眼鏡新調にいく暇もねーんだよ」
 「それは大変だ。早くかえないと、ますます視力が落ちちゃいますよ。画面見詰めてる時間が長い職場なんですから」
 「眼球の心配してくれてどうも」
 これだよ。ちょっとは空気読めよ後輩。俺の視力がさがったらお前のせいだよ何分の一かは。俺が定時退社を返上してパソコンとにらめっこしてんのはどこのどなた様のせいでございますか?と、イヤミな敬語で問いただしてえ。
 部署には俺とこいつふたりっきり。他の連中はとっとと帰っちまった。連れ立って飲みに行く遊びにいく独り者、真っ直ぐ帰宅するマイホーム組、課長とその腰巾着の係長は今週末のゴルフの相談しながら仲良く退社なさった。今は無人の課長と係長の机を忌々しく睨み付ける。
 煌々と空疎な蛍光灯が照らす室内には整然とデスクが並び、俺達が使うパソコンの音だけが空気を介して微弱に鼓膜を震わす。
 ああ、損だ。貧乏籤しいてばっかだ、俺。早く帰りてえ。ずっと座りっぱなしでいい加減腰が痛い、肩こった。瞼もこった。二十代でこんなに疲れてどうなるんだ?三十代四十代になったときのことを考えるとおそろしい。
 大口かっぴろげてあくびの拍子に、乾いた眼球を湿そうと勝手に涙腺がゆるんで涙が出てくる。 
 「薄情な連中だよ。一人くらい手伝い申し出てもいいじゃねーか。部下の失敗は上司の責任って言葉は廃れたのか?係長のヤツ、俺一人に押し付けやがって……」
 そりゃ、俺にも責任の一端はあるけど。
 まさか。ちょっと目をはなしたすきにあんな大惨事が発生するなんて、だれが予想できた?
 椅子に自重をかけ、振り向く。
 俺のデスクの真後ろ、こっちに背中を向けてどこか上機嫌に残業に勤しんでるのは、ぱりっとスーツを着こなす若い男。
 「お前もさ、入社半年も経てばわかるだろ。シュレッダーにかけていいものとかけちゃいけねーものの違いくらいさ。ちゃんと判おしてあったろ、赤いのが。重要書類の。一番上の隅っこに」
 「近眼なんです、僕」
 「……おい」
 低く険悪な声で唸る。
 男は軽薄に肩をすくめる。
 「冗談です。いえ、本当反省してます。僕の注意不足で先輩にまでお世話かけて、申し訳ないです」
 今度は素直に謝罪する。
 椅子を軋ませ、こっちを向く。
 誠実な二枚目が、はにかむような実に感じのよい笑みを浮かべていた。
 「営業の基礎がなってねー」
 こいつに外回りはまかせられねえ。こんなにやついたつらで謝られたら、俺なら絞め殺す。
 現に今、手、疼いてるし。
 絞殺の衝動に疼く指を開閉しつつ、込み上げる怒りを抑えた声で指摘する。 
 「謝るときは、嘘でも眉八の字にしろ。しまりねえ顔で謝られても説得力ねえよ、余計に腹たつ。相手が俺だからいいが、お前、商談先でそれやってみろ。即刻クビだぞ」
 「あ、だからですか。ぼく、あんまり外回り連れてってもらえなくって」
 世の中なめてやがる。
 頭痛の発作にこめかみを押さえ、うつむく。
 人さし指でこめかみをつつき頭痛の波が去るのを待つあいだ、向き合った男を、ストレスに煮え殺されそうな目つきで観察する。
 こっちに椅子ごと向き直り、「あ、だからですか」といけしゃあしゃあ言い放つ男は、俺の部下。いや、後輩。肝心の俺が顎で部下を使えるほど大層なご身分じゃねえ。入社二年目、ようやっとひよこにトサカが生えたレベルの底辺社員なのだ。こいつは今年入社の新人で、俺の事を「先輩」「先輩」と黄色いくちばしでぴよぴよ慕ってくれる可愛い後輩……
 じゃねえ。
 数時間前に目撃した悲劇を思い出し、悪化した頭痛がこめかみを締め上げる。
 「いいか、千里。俺、何度も言ったよな。シュレッダーにかける前は必ず書類を確認しろって。どうでもいいものの中に大事なものが混じってるかもしれねーから、必ず自分の目で確かめろって、実地で教えたよな」
 「はい、教わりました」
 うん、よいお返事だ。俺が保父なら花丸あげよう。
 「なのにどうして俺が一週間かけて仕上げたアンケート集計が千切りになっちまうんだ。いいか?一週間、一・週・間だぞ!資料揃えて画面とにらめっこしてたこになるまでキー打って、ようやく仕上げた資料が、お前のせいで見事な千切りだよ!あとは課長に提出すりゃ終わりだったのに!」
 手振り身振りをまじえ非難する俺に、千里は律儀に頭を下げる。
 「すいません。ぼくとしたことが気付かなくて……」
 いや。こいつひとりを責められない、頭ではわかってる。
 さあ課長に提出しようとして、その時ちょうど時尿意をもよおして、手近のデスクに置きっぱなしにした俺「も」悪い。放置プレイの代償は高くついた。部署を離れたたった三分のあいだに、お節介な後輩が机の隅にうずたかく積み上げた紙屑をシュレッダーにかけて、俺は廃棄書類とはいざ知らず一週間分の労力の成果をその上にのせてー……
 結果は、おしてしかるべし。
 シュレッダーから排出された薄っぺらい千切りの紙を思い出し、両手で顔を覆う。
 「シュレッダーにかけていいのはキャベツだけなんだよ……」
 俺の、一週間の努力が。文字通り紙くずに。
 「キャベツをシュレッダーにかけるなんて豪快だなあ。男の料理ってかんじですね」
 ガーガー唸るシュレッダーから吐き出された千切り書類は、むかし付き合ってた彼女が得意料理のトンカツに添える用に刻んだキャベツを連想させ胸を締め付けた。
 傷心に塩をすりこむ光景だった。
 「レンズに指紋がつきますよ」
 「うるせえ」
 人が青春の思い出に浸ってる時に。
 顔からのろくさ手をおろし、椅子を前に戻し、再び作業に戻る。
 幸い、三分の二バックアップはとってあった。残り三分の一は……とりあえず、数字を合わせるしかねえ。課長にはあと一日猶予をもらった。明日までに間に合わせるんだ。辛うじて首が繋がった安堵より、間に合うかどうかの危惧と不安のが大きい。
 千里は「手伝います」と申し出た。当たり前だ。だからこうして、ふたりで分担して作業してる。パソコンにデータを入力して出力して……さっきから延々それを繰り返してる。
 「久住さんの名前って韻踏んでて覚えやすいですね」
 「ああそうかよ」
 覚えやすいは褒め言葉じゃねえ。
 久住宏澄……クズミヒロズミ。俺は自分の名前が嫌いだ。濁音ばっかで発音しにくい。語感も汚ねえし。親はぜってえ語呂合わせでつけたと思う。呪う。
 キーを打つ手は休めず、ふと思いついたことを口にする。
 「お前だって、チサト・バンリじゃねーか」
 後輩は千里万里という。どっちが苗字だか微妙に判断つかねえ名前だ。ついでに性別も。
 「仲間ですね」
 はしゃいだ声で言う。仲間?どういう発想だよ。
 「きっと、相性いいですよ」
 「よくねー」
 付け入る余地を与えず、ぞんざいに答える。
 千里は課の人気者だ。 
 目上の者には可愛がられ、同期に親しまれ、女子社員からはその穏やかな物腰と誠実な二枚目ヅラで絶大な支持をえている。
 一方俺は……比較するのもむなしいが、お世辞にもダチが多いと言えない。上司には睨まれ、部下には敬遠され、同期には疎まれる。
 いっつもぴりぴりしてる。神経質。余裕が感じられない。近寄りがたい。缶コーヒーのおまけのミニカー集めてそう。
 給湯所で陰口叩かれてることくらい、知ってる。目が悪いぶん地獄耳なのだ俺は。つか、最後のはなんだ。図星だよ。会社帰りのコンビニでだぶらないよう缶コーヒー持ち上げて一個ずつ確認してるの目撃されたか?いいだろ別に、ミニカーはロマンなんだよ。
 「俺と相性いい人間なんか、いねえよ」
 自嘲と自虐が入り混じった台詞に失笑をまぶし、吐き捨てる。
 ひねくれものの自覚はある。口も悪い。付け加えるなら、顔も。目元に険がただよう神経質な細面で、特に眼鏡がまずい。コンタクトは体質にあわず、必然的に中学時代から眼鏡をかけているが、硬質なレンズを通した切れ長の目はますます冷え冷えと人の弱点を透視するような眼光を放つ。
 生来の目つきの悪さ鋭さが眼鏡で緩和されず陪乗される二重苦。
 近頃はこれに疲労と不眠による眉間の皺と目の下の隈も加わり、インテリ崩れの高利貸しさながらすさんだ容貌に仕上がっている。
 時々寝ぼけた頭で洗面所の鏡の前に立って「うわ、人相悪ッ」と呟く位だ。
 俺も千里のような感じのいいルックスに生まれたかった。
 世間の荒波を鼻歌まじりでサーフィンしやがる千里の要領よさが恨めしい、じゃなくて羨ましい。
  「別にいいけどな。会社は働く場所であって、遊ぶ場所じゃねーし。プライベートまで他人に合わせるのうぜえし」
 今日だって、別に予定はない。誰かと飲みに行く予定も、遊びに出かける予定もない。
 一人のほうが気がらくだ。
 今日だって。
 出来の悪い後輩がトラブル起こさなきゃ、他の連中が帰った後も、居残りするはめにゃならなかったのに。
 考え出すと恨み節が炸裂する。
 他人にペースを乱されるのが世の中でいちばん嫌いなのだ俺は。
 苛立ち紛れにキーを叩き、背中合わせの千里に叱責をとばす。
 「千里。お前、ちかくのコンビニまでひとっぱしりして、オロナミンC買ってこい」
 目の奥で疼痛が爆ぜる。長時間画面を見詰め続けたツケが回ってきた。
 眼鏡をはずし、瞼を揉む。我ながら爺臭い仕草だとあきれる。
 瞼を摘みほぐしながら命令すれば、千里が大人しく席を立ち、椅子を引く。
 椅子の車輪が床を擦る。
 「その必要はありません」
 「は?」
 間抜けな声を脳天から発し、目をしばたたく。
 千里がガラリと開け放った机の引き出し、その中を覗き込み、あぜんとする。
 机の一番下、深い引き出しの奥に、ずらっと栄養ドリンクの瓶がならんでいた。
 「こんなこともあろうかと常備してたんです」
 千里が得意げに胸を張る。
 ……開いた口がふさがらねえ。
 「オロナミンC、リポビタンD、アリナミンC、キャべジンF……カロリーメイトとスニッカーズもあります」
 「商売できるな」
 じゃなくて。
 「おすすめはキャべジンです」
 千里が爽やかな笑顔で中の一本を選び、俺に突き出してくる。
 「キャべジンなんか飲めっか。俺はオロナミン一筋なんだよ」
 千里が手渡そうとしたキャべジンを拒否し、引き出し一番手前のオロナミンCをひったくる。
 蓋を捻った時、違和感があった。
 「?」
 やけにゆるい。まるで、一回開けてから締めなおしたような……。
 抵抗なく回った蓋と瓶を持て余せば、千里が何故か期待と興奮に満ちた目でこっちを見詰めているのに気付く。
 「んだよ。気味悪ィな」
 「遠慮せず、イッキにいっちゃってください。まだまだ夜は長いんだから。あ、手拍子しましょうか?」
 「余計なお世話だよ。男二人で宴芸かよ、むなしいよ」
 「ご相伴に預かります」
 引き出しから栄養ドリンクをとり、器用に蓋を捻り、開ける。どうでもいいがこいつ、やけに乗り気だな。
 千里が栄養ドリンクをもち、俺を促す。不吉な胸騒ぎを抱きつつ、たかだか栄養ドリンク、ためらうのも馬鹿らしいと吹っ切る。
 「乾杯」
 千里が高らかに叫ぶ。
 栄養ドリンクの茶褐色の瓶が触れ合い、甲高い音を奏でる。
 同時に口を付け、片手を腰におき、競うように一気に飲み干す。
 飲み干すと同時に瓶を放し、盛大に息を吐く。
 「ぷはーっ、まじい。眼精疲労がふっとんで……」
 いかねえ。
 ガツン、頭を金槌で殴るように強烈な睡魔が押し寄せ、瞼が抵抗のすべなく屈服。
 体から一気に力が抜け、四肢が弛緩し、膝から床にへたりこむ。
 「………おか、しいぞ……オロナミンCは……眼精疲労にきく、はずじゃ…………」
 駄目だ。
 明日までに資料を仕上げて提出しなきゃいけねえのに。容赦なく、眠い。
 一万匹の羊の大群が土ぼこりあげ突進してくる幻が見えた。
 手から落下した瓶が床を転がっていく。  
 床にへたりこむ俺の頭上に影がさす。
 「……せん……り………てめ………」
 呂律が回らない。
 筋肉が弛緩した腕を持ち上げ、千里のズボンを掴み、縋る。
 ズボンを掴んで体をずり起こそうとする俺を相変わらずそこはかとなく黒い笑顔で見下し、優越感を含んだ声で千里が言う。
 「キャべジンにしとけばよかったのに」
 鼓膜をなでる声が眠気を誘う。
 頭の芯からふやけて瞼が垂れ下がっていく。
 即効性の睡魔に抗う心に反し、ズボンを掴む手指の力がぬけていく。
 床に体が沈む。
 椅子が、机が、液晶画面が放つ青白い電光がみるみる遠ざかっていく。
 脊髄ごと引き抜かれるような虚脱感に襲われ平板な床に倒れこむ。
 頬に床の硬さ冷たさが染みる。
 急速に明度をおとしつつある視界に、床の向こうに転がった空の瓶を捉える。
 はめられた。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010430210231 | 編集

 トントントントントン。
 八拍子の快音が意識を浮上させる。
 『あっ、起きちゃったのズミっち。待ってて、もうすぐご飯できるから。今日は安子特製トンカツだよ~』
 安子がキャベツを刻んでいる。
 左手でキャベツを押さえ、右手に包丁を構え、ご機嫌な鼻歌まじりに千切りにしていく。
 俺の嫁さん候補は実によくできてる。
 顔よし料理の腕よし……
 『でもねえズミっち、安子謝らないといけないことがあるの。トンカツ作ろうとして、下ごしらえの時、間違えて味の素ふっちゃって~。あ、いけないって思って、すぐにシナモンパウダーかけて中和したんだけど、ひょっとしたらちょっと変な味するかもしれな~い。ごめんね?』
 ………頭はちょっとたりねえけど。総評して俺にはもったいねーいい女だ。
 舌足らずな喋りと間延びした語尾に胸苦しいほどの愛しさが込み上げる。
 愛情で窒息しそうってこんな感じ?
 斜め四十五度に小首を傾げるお茶目なポーズがもう辛抱たまらん。
 後ろから忍び寄り抱きしめ、エプロンの脇から手を突っ込んで巨乳をまさぐる。
 ああ極楽。
 男に生まれてきてよかったと神様と遺伝子に感謝したくなる至福の瞬間。
 『もー、悪戯はだめだよ、ズミっち。料理の邪魔だよ~』
 柔らかな背中に顔を埋め、軽快な包丁の音を聴き、安堵を覚える。
 安子は手際よく新鮮なキャベツを切っていく。
 ……あれ?今なにか、意識の隅っこにひっかかったぞ。キャベツ、キャベツ、キャべジン……
 安子が突然、俺の腕をすりぬける。
 包丁を持ったままくるりと振り返り、お得意の斜め四十五度の小首傾げポーズに加え、庇護欲くすぐる小動物めいた円らな目を潤ませ俺を見る。
 『ズミっち。安子ね、内緒にしてたことがあるの』
 安子らしくねえ深刻な声に不安がきざす。
 とにかく包丁おろせ。こっちに向けんな。
 調理用の道具は持ち主の気分次第で殺人の凶器にもなる。
 少女趣味なエプロンを羽織った安子が包丁の切っ先を危なっかしくこっちにつきつけ、大粒の涙をためた伏し目で謝る。
 『このキャベツね、ズミっちのために刻んでるんじゃないの』
 え?
 じゃあだれが食うの?
 まな板の脇には大量のキャベツの千切りがこんもり小山を作っている。
 キャベツの山を指さし聞けば、安子は申し訳なさそうにうなだれ、ちらりと振り返る。
 いつのまにか背後に男が立っていた。
 『海外事業部の富樫くん』
 今泣いた小娘がもう笑った。
 安子は男に腕を絡め、幸福の絶頂で頬ずりしてみせる。
 え?え?
 なにこの急展開。
 完全においてけぼりだよ、俺彼氏なのに。
 混乱する俺をよそに、安子と富樫くんとやらは臆面もなくいちゃいちゃよろしくやってる。
 略奪愛。二股。
 俺はただただ呆然と、口半開きの間抜け面で、乳繰り合うふたりを見つめるっきゃない。
 富樫は可も不可もねえ凡庸な顔立ちの男で、ただ、スーツと靴が、俺より高価そうだった。
 いかにもエリートでございってイヤミな光沢を放ってやがった。
 海外事業部。
 会社の未来をしょってたつエリートが集まる部署。
 安子、いつのまに富樫くんとお近づきに……
 『だってズミっち、将来性ないもん』
 安子の言葉が、強烈な痛みを伴い胸に刺さる。
 『いっつもかりかりしてるし。安子の話聞いてくれないし。最近じゃなに話しかけても邪魔だ、うるさい、あっちいけしか言わないし』
 ちがう、安子、話を聞いてくれ。俺は疲れてたんだ。連日仕事仕事でストレスたまってたんだよ、そう、諸悪の根源はストレス社会なんだよ!
 不満げに口を尖らす安子に追い縋ろうとするも、安子と富樫くんはがっちり腕を絡めていて、遠吠えしか能のねえ負け犬がつけいる隙などあろうはずない。
 『安子のお腹にね、富樫くんの子供がいるの』
 衝撃。
 右手に脅しの包丁をちらつかせ、左手は優しく腹に添え、安子が笑う。 
 『全然気付かなかったよね、ズミっち』
 しょうがねーだろ、疲れてたんだよ。
 言い返せるわけがない。そんな最低の言い訳、吐けるわけがねえ。
 恋人が妊娠したのにも気付かず。
 安子の話に耳を傾けず、そばにいるのが当たり前になって、邪険にあしらって。
 自業自得だ。
 不甲斐ない恋人を捨て玉の輿できちゃった婚を選んだ安子を、責める理屈がねえ。
 富樫くんの顔は奇妙にぼやけて目鼻立ちも分からないが、将来性・俺より上、性格・俺より良、服のセンス・年収比較にならねえときたら、結婚相手にゃ申し分ない。
 完敗だ。勝負する前から勝敗は決まってた。
 だって、腹にガキがいるんだろ?
 その時点で、対抗心が萎えた。
 富樫某から安子を取り返して、どうする?
 安子は物じゃねえ。
 簡単に奪ったりのし付けて送り返せる安い女じゃねえ。
 安子の心はもう俺から離れてる。ガキをやどした女は強い。
 俺には富樫から安子を奪い返す度胸も腹のガキと二人まとめて養ってく甲斐性もねえ。
 『ごめんなさい』
 安子が一瞬真顔になる。
 ひたと俺を見詰める眼差しは責める色も詰る色もなく、罪悪感に染まっていて。
 片手に包丁をぶらさげ、もう片方の手を顔のない富樫に絡めて去っていく。
 待て、安子。いかないでくれ。
 追う資格はないとわかっていて、つい未練がましく手を伸ばしてしまう。 
 トントントントン、単調な音が響く。幻聴、か?安子はもうキャベツを刻んでない、包丁はまな板を叩いてないのに、どうして聞こえるんだ。
 キャベツ。
 キャべジン。
 デジャビュ。
 何か思い出しかけた。
 何か思い出しそうだ。
 こめかみがきりきり痛む。
 だれかが俺のこめかみに錐を突っ込んで原始人式に火をおこそうとしてる。
 誰だ、人の甘酸っぱい思い出を土足で踏み荒らす無神経な馬鹿は。
 もう少しで目の穴鼻の穴から煙が立ちそうだ。
 キャベツ・キャべジン・キャベツ・キャべジン・キャベツ……
 シュレッダー。
 千切り。
 そこはかとなく黒く爽やかな後輩の笑顔。 
 『キャべジンにしとけばよかったのに』 
 千里。
 
 「!!っ、てめ!!」
 覚醒と同時に跳ね起きる。
 現実に叩き戻され、睡眠薬の余韻で重い頭とだるい体を気力を振り絞って支え、犯人を捜す。
 「三十分と二十一秒か」 
 耳障りな音が途端に止む。
 課長の椅子にふんぞりかえった千里が余裕綽々で頬杖つき、いやらしく目を細めて俺を見下ろしてる。片手の人さし指でカウントダウンよろしく机の端っこを叩いてたのが、夢に感応した音の正体。
 目が合った刹那、背筋に悪寒が走る。
 天使のような悪魔の笑顔のフレーズが頭を掠めた。
 背広の袖をたくしあげ腕時計を読み、千里が呟く。
 「もっと長くかかるかとおもったんですけど、こんなもんか」
 「タメ口と敬語がまざってんぞ、後輩」
 地が出てきやがったな。
 凶暴に歯を剥いて唸れば、手に負えねえ駄犬でも蔑むような冷ややかさで再び見下される。
 「お前、何した?」
 単刀直入、核心を突く。
 千里が笑う。
 「オロナミンCに薬を仕込みました。最近はネットで簡単に手に入るんですね、睡眠薬。錠剤を砕いてすり潰してちょっとだけ」
 顔から血の気が引いてくのがわかる。
 「今のご時世に薬物混入って、悪魔か。洒落になんねーぞ。だいたい栄養ドリンクに睡眠薬って、その組み合わせ鬼門じゃねえか」
 詰る声も自然震える。一歩間違えば俺、今頃この世にいなかったかも。
 「鬼門は睡眠薬にウィスキーです。栄養ドリンクなら大丈夫です」
 自信たっぷりに断言しちゃってるが、その根拠が猛烈に知りたい。
 こめかみが疼く。 
 霞がかった頭を苦労して持ち上げ、ジーコジーコと記憶を巻き戻す。
 素朴な疑問点。 
 「千里。俺がオロナミンC選ぶって、わかってたのか」
 あの時千里は、最初にキャべジンを薦めた。
 俺はそれを拒否し、引き出し最前列のオロナミンCをひったくったのだ。 
 予め用意されてたとしかおもえないそれを。
 椅子を鳴らし、深く身をもたせ、足を組む。
 「先輩の好きな栄養ドリンクは把握済みです。先輩、オロナミンCしか飲みませんもんね。おまけに僕の事嫌ってるし、僕が薦めたら絶対断って、勝手に引き出しからもってくと計算しました。わざわざ取り出しやすい一番手前に置いてた甲斐があった、作戦勝ちですね」
 ……策士め。
 ほくそえむ千里をあらん限りの殺意をこめ睨みつける。
 「!!おまっ、」
 床を蹴り反動つけ、千里に掴みかかろうとして、手首にしこりの違和感。
 バランスを崩し、顔面から床に突っ伏す。  
 転倒のはずみに眼鏡がずれ、辛うじて鼻梁にひっかかる。
 「痛ッて………」
 「状況をよく見たほうがいいですよ」
 人を食った声がする。
 愉悦の笑みを含んだ声に促され、おそるおそる振り向き、ぎょっとする。
 両手を縛られていた。ネクタイで。
 「本当は意識がある時にやりたかったんですけど」
 千里が悪戯っぽく首をすくめる。
 どういう状況だ、これは。捕虜?人質?生贄?緊縛ショー?……究極の四択じゃねーか。
 頭が混乱する。脳が現実を拒否する。
 見下ろせば、俺はネクタイをしてない。
 出社時も、残業中も、たしかにしていた。
 意識を失ってる間にだれかがはずしたんだ。
 誰が?……消去法で千里しかいねえ。
 手首を縛るネクタイはきつく、暴れてもほどけそうにない。
 「…………ほどけ」
 悪ふざけの域をこえてる。
 会社でネクタイを外すことなんかめったにないせいか、はだけた襟元が妙に涼しくて落ち着かない。
 会社でネクタイを外すのは、深夜の街中で素っ裸になるのと同じ位、根源的に不安だ。  
 他の連中はどうだか知らねえけど、少なくとも、俺はそうだ。
 人前でネクタイをほどくのは、抵抗がある。
 よそむきの上っ面をひん剥かれ、名伏しがたい羞恥が襲う。
 シャツの襟が首を擦るささくれた感触が不愉快だ。
 糊の利いた襟が鋭敏な素肌をちくちく刺して脈拍を乱す。
 「ネクタイしてない先輩ってなんか新鮮。いつもきっちり締めてて、息苦しくないのか不思議だった」
 「会社じゃネクタイすんのが礼儀だろ」
 「礼儀?先輩でも気にするんだ、新発見」
 完全になめきった口調にむかっぱらがたつ。
 敬語も口先だけ、俺に対する敬意と誠意がちっとも感じられねえ。
 んなもん払うに値しねえってか?けっ。
 ネクタイを抜いた襟元を外気が冷やす。
 シャツから覗く素肌に空気が染みる。
 シャツの着崩れが気になる。
 ネクタイで縛られた手首にしこりを感じる。
 手が使えないだけで、ひどく不便で不自由だ。
 「最近のネクタイて丈夫ですよね」
 俺の胸の内を見抜いたように千里が呟く。
 「耐性があって、しっかり結べばほら、立派な拘束具になる」
 椅子を軋ませ、床に突っ伏した俺の鼻先に革靴の先を向ける。
 「自分のネクタイで縛られる気分はどうですか、先輩」
 「………………」
 「クツジョクテキ?」
 「死ね」 
 毒が滲んだ調子で唾棄する。
 「お前、くるってるよ。栄養ドリンクに睡眠薬しこんで、気絶してる間にネクタイ縛って……次はなんだ、映画で見た拷問でも試すのか?爪きりでわざと深爪させんのか?セロテープで瞼を吊って、眼球乾かすのか。職場でもできるお手軽な拷問、いくらでもあるだろ」
 「そんなに怖がらなくても、これまでいじめられた仕返しに、先輩の大事な指をシュレッダーにかけたりしませんて。キー打てなくなっちゃいますもんね。あ、舌でつついて入力する練習します?犬みたいに。ブラインド・タン・タッチ、なんてね」
 涼しいつらでおそろしいことを言う。想像して、吐き気がした。
 おもむろに椅子から腰を浮かす。
 革靴の先端がレンズにかちあい、反射的に身を引く。
 這ってあとじさる俺の傍らに膝をつき、喉仏に触れる。 
 「ずっと想像してたんですよ。あのネクタイの下の喉仏は、どういう形をしてるんだろうって。襟を開いて確かめたかった」
 「………もしもし、千里くん?」
 「もちろん、皆の前では普通にふるまってましたよ。誰もに愛される無邪気で可愛くちょっとドジな後輩を演じてました。この加減が案外むずかしいんですよ、一線こえちゃうとただのお荷物だし……同期の足を引っ張らない程度にこまごました失敗しつつ、先輩の前では盛大に」
 「ちょっと待て。看過できねー発言したぞ今」
 こいつ、もしかしてわざと。
 入社半年間、俺の目の届く範囲でだけ、足手まといの困った後輩を演じてたのか?
 「今日、書類をシュレッダーにかけたのも……」
 「故意ですよ」
 生まれて初めて本気で人を殺したいと思った。
 「先輩が書類おいてトイレに行くとこ見てましたから。今がチャンスだ!ってシュレッダーで処理しました。見事な千切りのできあがり」
 「殺す絶対殺すホチキスでその舌下唇にとめてパソコンで撲殺する」
 「どうぞ。両手が使えるなら」
 不可能を見越し、宣言。
 「パソコンて結構重たいですよ。持ち上げるだけでも大変。凶器に用いてデータ飛んだら即刻クビでしょうね」
 ひしひしと絶望が染みてくる。
 今俺、ひょっとして、すっげーやべえ状況なんじゃね?110番しなきゃいけねーたぐいの。
 深呼吸で冷静さを吸い込み、噛み付くような目つきで千里をにらむ。
 「もう一度言う。ほどけ」 
 「嫌です」
 「ほどけくそったれ」
 「なおさら嫌です」
 埒あかねー。
 平行線を辿る問答に苛立ちが募る。
 床に転がったまま、首だけ上げる体勢は存外辛い。
 首筋が突っ張り、筋肉に乳酸がたまる。 
 手首をしきりと動かし擦り合わせ拘束を緩めようと努めるも、ネクタイは手首にがっちり食い込んで、もがけどあがけど解けない。どころか、募る焦燥に比例して縛す力も強まってくる。
 「痛ッ………、」
 摩擦で皮膚が熱くなる。
 苦痛に顔を顰めた俺の方へ身を乗り出し、喉仏を触る指を、下へと移す。
 「強引に、脱がしたくなるタイプですよね」
 「はあ?」
 「スーツを」
 倒置法?
 いや、その前に。
 千里の触り方に、違和感を覚える。
 千里は執拗に俺の喉を触る。
 喉仏に重点において、まわりの皮膚をなで、呼吸に合わせた筋肉の収縮を確かめる。
 露骨にセクシャルで、気持ち悪い触り方。
 「千里………、」
 呼びかける声に、警戒心が篭もる。
 生唾の嚥下に伴い喉を動かし、注意深く、聞く。
 「ホモ?」
 「ゲイです」
 譲れないのねそれは。
 いや。
 待て。
 「!!!!!!っ、さわん、なぐ!?」
 後頭部に衝撃が炸裂。
 額が接する近距離に迫った千里から飛びのいた拍子に、背後の机に頭をしこたま痛打。
 危なく舌を噛みそこねる。
 いっそ噛んだほうがマシだったかもしれん。
 「うわ、痛そ。漫画の擬音みたいに『ごつん』て鳴りましたよ」
 千里がご丁寧に顔をしかめる。
 「耳から脳汁でそうだよっ……」
 誇張じゃなく、悶絶。手を縛られて頭を抱え込めねーから、仕方なく、芋虫のように身を伸縮させ筆舌尽くしがたい痛みを訴える。
 ぶつかった拍子に眼鏡がまたずれた。気を抜けば落っこちそうだ。
 「先輩って面白いなあ」
 無邪気な笑い声が神経に障る。
 俺が七転八倒の苦しみを味わってる時に薄情な後輩ときたら、呑気に笑ってやがる。
 生理的な涙で目がかすむ。眼鏡がずれたせいで、視界の軸が定まらず、ぶれ、悪酔いする。
 右に左に傾ぐ頭を立て直そうと努力して
 
 「面白いなあ。犯したいなあ」

 シャツの内側に手が滑り込んできた。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010429005718 | 編集

 俺、今超ピンチ。
 絶体絶命危機的状況九死に一生脳髄沸騰。
 「まっ、ちょ、まっ、ええっ!?」
 現状の異常さに言語中枢が麻痺、呂律が回らず舌を噛む。
 落ち着け俺、平常心平常心。こういうときは手のひらに人と書いて飲み……こめねえよ縛られてるじゃねーか!
 「犯していいですか?」
 「駄目だよ!!」
 「よし」
 「聞けよ!!」
 何がよしだ、キャッチボール成立してねえよ。俺の意志完全却下で脳内了解かよ。
 アドレナリン過剰分泌でこめかみの血管がいきりたつ。
 床でのたうつ俺の胸を千里の手が這う。
 着乱れたシャツの内側に忍び込んだ手が、首筋から胸にかけて緩慢に往復。
 千里の手が首に吸いつき、胸板にじゃれつく。
 両手は使えない。ネクタイできっちり縛られている。
 背中に回された手をしきりに擦り合わせ抗うも、結び目は固く、布がきつく手首に食い込む。ネクタイてこんな丈夫だったんだ、現実感が遠のいて冷めた頭の片隅で妙に感心する。
 千里の言う通りだ。
 手を縛られて痛感したが、ネクタイは存外丈夫な素材で出来ている。ちょっとやそっと暴れたくらいじゃちぎれそうにねえ。一本千円の安物なのにこの丈夫さ、結構お買い得だったんじゃとせこい考えが脳裏を掠める。
 慰めにはまったくならねえ。
 「千里、おい千里、このバカ後輩!勝手に人のシャツはだけて手え突っ込むな気色悪ィ!」
 「ばかばか言わないでくださいよ、興がそがれるから」
 「ばーかばーかばーか!」
 「うわ大人げない。二十五歳でこの大人げなさ奇跡。恥ずかしくないんですか、小学生の返しですよ。ボキャブラリー貧困なんだから」
 「るっせ、人が気絶してるあいだにしめしめと両手括るようなゲスはばかで十分なんだよばか」
 興をそぐ?上等だ、削いでやろうじゃねえか。
 闘志再燃身構える俺を見つめ、ため息をつく。
 「ま、抵抗してくれたほうが燃えますけど」
 久住宏澄二十五歳、貞操の危機。
 落ち着け俺、まずここに至る経緯を振り返ろう。半裸で乳繰られるはめに陥るまでの経緯をひとつひとつ回想しよう、いつどこでだれがどうしたか時間軸を整理しよう。5W1Hは文法の基本だ。
 ここは深夜の会社オフィス、俺は後輩の尻拭いで残業中、後輩が好意でさしだした(と、あの時は錯覚した)オロナミンCイッキで沈没、目覚めたら緊縛。
 ………結論、意味不明。
 俺はどこにでもいる普通の会社員だった。
 ネクタイで縛られ転がされて悦ぶ趣味もなければシャツをはだけられて浮かれる性癖もねえ、何度も強調するが至って平凡な、入社二年目のサラリーマンだ。
 実際ほんの三十分前まで散弾銃の如く舌打ちしつつ、はやく帰りてえ不満と明日までに脱稿しなきゃなんねえ焦慮に駆られ、やけっぱちでキーを乱打していたのだ。
 だがしかし。
 オロナミンCイッキで気絶して、目覚めた三十分後に立場が逆転していた。
 俺は今、非常にクツジョクテキな格好で後輩に見下ろされてる。
 みじめにぶざまに床に這い蹲って、不自然な姿勢にこる首を励まし上を向き、鼻梁にずれた眼鏡の奥から殺気滾って凶暴にぎらつく目で千里を睨みつけている。
 床に這う俺の位置からは天井も机も遠い。
 液晶から放射される光が平板な床を青白く照らす。
 俺の眼鏡にも反射し、ぎらつくレンズが想像の余地に頼って極悪な表情を演出。
 もとより眉間の皺が近寄りがたい、無愛想でとっつきにくいと職場の人間に陰口叩かれる俺だ。今はさぞかしおっかない顔をしてるだろう。
 唾とばし罵る俺とは対照的に、千里は涼しく笑ってやがる。
 俺の抵抗を歯牙にもかけねえ自信と優越感に酔いまくったつらに殺意が湧く。
 デキは悪いが持ち前の愛想よさが中和して憎めねえ後輩の仮面をかなぐり捨て、外道な本性をさらけだした千里が、嗜虐的に笑う。よからぬことを企んでますよと暗喩する胸糞悪ィ含み笑い。
 予感的中。
 俺のシャツの内側に手をさしいれ、胸板をまさぐりつつ、調子にのりくさった千里がほざく。
 「愛してるって言ったらほどいてあげます」
 微笑み一発でなんでも許してやりたくなるような母性本能直撃系の笑顔だが、同性の率直な意見を述べると一発殴りたくなった。
 嘘、最低十発。
 今この状況で千里ににっこり微笑まれてもどす黒い憎悪しか感じない。
 腹這う床の無機質な固さ冷たさ、愉悦の笑みを含み見下す千里の目が、反発を煽る。
 後ろ手縛られたまま苦労して上体を起こし、啖呵を切る。
 「お前に愛してるって言うくれえなら課長に『そのヅラ中国製ですか?』って聞いたほうがましだ」
 「香港製です」
 「なんで知ってんだよお前。社内一の情報通か」
 「香港製はナイロンだから不自然にてかってるんです。よく見れば毛根が不ぞろいで違和感あるし」
 ……ものすごく不本意な形で長年の疑問が解けた。感謝する気はこれっぽっちもおきねえけど。
 課長のヅラの出所をあっさり暴露した千里は、その間もシャツに忍ばせた手を止めず、俺の体を露骨にまさぐってやがる。
 「な、に、してんだよっ」
 怒りを上回る生理的嫌悪に声が上擦る。
 「触ってます」
 「勝手に触んなよ、男の胸さわって楽しいか!?」
 「楽しいですよ。ゲイだから」
 マリアナ海溝より深い断絶を感じる。
 価値観とか、性的嗜好とか、もろもろひっくるめて。
 巨乳派の俺にゲイの気持ちは理解できねえ。男のひらたい胸べたべたさわってなにが楽しいんだ?女みてえにふかふかしてねえし、弾まねえし、乳首も勃たねえし。
 目に入る光景の忌まわしさから逃れようと瞼を閉ざすも、暗闇に安子の笑顔が浮かび、今度は胸が痛くなる。
 安子の乳は俺の手にすっぽりおさまるナイスなサイズだった。
 後ろから不意打ちで抱きしめて乳を掴むと「やんっ!」と辛抱たまらねえ声出した。感度も上々で、指先でこりこり転がすとすぐ固く……
 「ぃう!?」
 「色気のない声」
 千里が失笑を漏らす。
 「わる、かったな、色気がなくてよ………男の、骨ばった手でさわられても、こんな声しか出ねーよ」
 駄目だ。
 現実逃避の妄想も打ち勝てないほど、現実は過酷だ。
 俺は、俺の喉から出た声が信じられない。手さえ自由になるなら今すぐ喉を潰してえ。
 千里のなめらかな手のひらと長く器用な指先は、慣れた動作でシャツを割り、胸板をなでまくる。
 気色悪さが頂点に達する。
 「気持ち悪いですか?」
 しゃあしゃあと、当たり前のことを聞く。
 「最ッ高に気持ち悪ィ……虫唾が走るの定義を身をもって味わってる……」
 他人の手のひらの温度が、肌の質感に馴染んでいく。
 千里は器用に手を動かす。
 乾いた衣擦れの音が恥辱をかきたてる。
 本気で抵抗すれば、みぞおちでも蹴っ飛ばしてやれば、さすがのこいつもべそかいて反省するだろう。「すいません、悪ふざけがすぎました、許してください先輩」と尺取虫のように這い蹲って平謝りするだろう。
 滂沱の涙と鼻水たれながし俺の足にすがりつき、「僕はドジでのろまなカメです、おわびのしるしに後は全部でやっときますから先輩は帰ってDVD鑑賞のネクラな趣味に励んでください」と言うはずだ。よし、やろう。みぞおちに蹴り一発ですべてが終わる、どうして最初からこうしなかったんだ、ちょろいちょろ……
 「いいじゃないですか。先輩、どうせこの後予定ないんでしょ。彼女も友達もいないし」
 遠慮会釈ねえ指摘が、胸にぐさっと刺さる。
 「せいぜい家に帰って一人わびしくDVD鑑賞でしょ。だったら、もっと楽しいことしましょうよ」
 「お前が楽しんでるだけだろが!うるせーなほっとけよ、昨日ローソンで買ったクリスタルスカル観るの楽しみにしてたんだよ!うっかり寝おちして冒頭しか観れてねーからリベンジしようと気合いれて」
 「うわネクラ」
 キレた。
 「俺のインディをばかにすんじゃねえ!!」
 引いた千里を苛烈に怒鳴り飛ばし、風切る唸りをあげ蹴りを放つ。  
 俺は熱烈なインディ・ジョーンズファンだ。前三部作はもちろんばっちり観てるし永久保存版DVDもってるし、ガキの頃はインディをまねして縄跳びの縄を鞭に見たて、それが跳ね返ってきてしばしば額を怪我した。俺が今日脇目もふらずキー叩いてたのもパソコンと格闘してたのも二十歳老けたインディに会いたい一心で、再びインディの活躍を拝みたい一心だったのだ。なのに千里は、俺のこの熱い想いを、「うわネクラ」の一言で片付けやがった。そうだよどうせネクラだよネクラで悪いか。同僚にゃ飲みに誘われねーし彼女はいねーし、今の俺にはインディだけなんだよ。
 鋭く呼気吐き放った渾身の蹴りは、千里の横髪を掠めただけだった。
 みぞおちを狙ったはずなのに、大きく軌道が逸れた。
 千里にかわされたのだ。
 俺が反撃に出るのも予測済みか、すばらしい反射神経だった。
 一方俺は。後ろ手縛られた姿勢から急に立ち上がり、無謀な蹴りを放ったせいで、バランスを崩し、派手に倒れる。
 「お前にインディのなにがわかる、旧三部作観てから出直してこい!インディはすごいんだよ、大学教授なのに世界中の遺跡冒険してんだよ、鞭の腕前も天才級なんだよ、知恵と度胸が備わった最高のヒーローなんだよ!三部作で完結だと思ったら二十年ぶりに奇跡的に復活して、巨匠スピルバーグが小難しいなんちゃらぬきに初心にかえって娯楽活劇に徹して、血湧き肉踊らなきゃ男がすたるだろ!?」
 「世代差感じますね。僕、ティム・バートンのほうが好きだな」
 手ぶりまじえ熱弁ふるう俺の気勢をごっそり削ぐ冷静なコメント。
 倒れこんだ拍子におもいっきり床で背中を打ち、息が詰まる。
 激しく咳き込む俺の上にのしかかり、首筋にひたと手を添える。

 怖い。
 理屈じゃなく、怖え。

 俺を見る千里の目に本能的な恐怖を感じ、総身に鳥肌が立つ。
 飢えたようにぎらつくその目に、極限の嫌悪に強張る顔が映りこむ。
 崩壊ぎりぎりで理性を保つ、俺の顔。

 「俺たち、だって、男同士だろ」
 「単純な話、男のいいところを一番知ってるのは同性だとおもいますよ」
 手のひら腋の下が不快な汗でじっとり湿る。
 視界がぼやけて酷く不安だ。世界の軸が歪んでる。
 せめて、眼鏡の位置を戻したい。
 今の状態は、あんまり悲惨で、かっこ悪ィ。
 俺の気持ちをくんだのか、頬を包む千里の手が、横に移動する。  
 ずれた弦を摘み、鼻梁にひっかかった眼鏡をツイと持ち上げ、元の位置に戻す。
 「僕の顔、見えますか」
 至近距離に千里がいた。
 じっと、笑みを薄めた真剣な顔で、瞬きも惜しんでこっちを覗き込んでいる。
 「………近付くな」
 「恥ずかしい?顔、赤いです」
 「怒ってるんだよ」
 なんで、俺なんだ。
 俺がなにしたってんだ。畜生。
 千里は意外と睫毛が長い。男のくせに、妙に肌が綺麗だ。
 至近距離に近付いても、毛穴が目立たない。
 課の女どもに人気の理由が、同性の俺にもよくわかる。
 ミスが多くても嫌われないのは、ルックスと人徳の相乗効果だ。
 でも俺は、こいつが大嫌いだ。
 「………震えてますよ」
 「頭に来てんだよ」
 今度は恐怖から来る震えじゃない、純粋な怒りから来る震え。
 「人だましてくすり飲ますなんて、卑怯なまねしやがって。最低だ、お前」
 「もっと言ってください。どうぞ、ご遠慮なく。自分のネクタイで後ろ手縛られて、前髪と服を乱して床に突っ伏した人に罵られるのって、倒錯的で気持ちいいなあ。今の状況表現するのにぴったりな言葉あったはずなんだけど……負け犬の遠吠えだっけ」
 怒りが臨界点に達すると、人間の体って、勝手に震えるんだ。
 意志で制御できない震えが声帯に乗り移って、言葉が吐息に紛れる。
 「緊縛趣味のホモのド変態め。男のケツに突っ込んで何が楽しいんだ?お前みたいなゲスなホモと背中合わせの机で働いてたなんて、思い出すだに虫唾が走るよ。反吐が出る。気持ち悪ィ」
 「罵詈雑言で萎えさせようたってむだですよ。先輩の憎まれ口には慣れてますし……むしろ性的に興奮するし、逆効果です」
 読まれていた。
 悪態吐いても喜ばれるなら、他にどうしようもねえ。
 後ろ手縛られた状態で脱走も考えたが、成功の確率は低い。
 手が使えないと、歩行のバランスをとるのが酷くむずかしい。
 いや、それ以前に。こんな、レイプされましたと喧伝してるような格好で外に出る度胸がねえ。警備員に見付かったらどうする……どう説明する?
 薬で前後不覚に陥って、後輩に剥かれましたってか。
 死んでもいやだ。
 貞操と体面を秤にかけ、脂汗をかいて逡巡する。
 この格好で廊下にとびだして、万一警備員に見付かったら、明日、会社中の噂になる。どっちが加害者で被害者かは関係ねえ。深夜のオフィスで後輩に襲われたってだけで十分不名誉なのに、相手が男ときたら最悪。千里の評判も失墜するだろうが、俺だって、会社にいられなくなる。

 胸板にひやりと吸い付く、手。

 「!-んっ、」
 悶々と苦悩する俺を現実に引き戻したのは、性懲りなくシャツを払ってもぐりこむ、千里の手。
 「貧弱。あんまり筋肉ついてないんだ」
 「デスクワーク、だからだよ……」
 「胸板薄い。色、白い。あ、鎖骨の形キレイですね。左右対称で……窪みがくっきり弧を描いて」
 千里の指が、まだるっこしく、鎖骨をなぞる。 
 「シャツの下、こんな感じなんだ」
 本当、気持ち悪ィ。胃が痙攣する。嘔吐の発作に襲われるも、奥歯をぐっと噛んで堪える。
 机を背に追い詰められ、顔を背け、千里の愛撫をうける。
 へたに暴れるとさっきの二の舞だ。後ろ手のネクタイが解けない事には反撃も望めねえ。つくづく人から貰った栄養ドリンクに口をつけた自分の考えなさを悔やむ。ちょっとは警戒するんだった。
 触り方が、微妙に変わる。
 「っあ……変、なとこ、さわんな……っ」
 「気分、出してきたじゃないですか」
 出してねーよ勘違いすんな。生理現象だよ。
 耳朶に揶揄がふれ、恥辱で体が火照る。
 官能を燻りだすような千里の触り方は、ひどく淫靡で、俺の喉が、勝手に変な声を漏らす。
 長く骨ばった男の指に首筋を愛撫され、性感を導かれるのは、めちゃくちゃ屈辱的だ。
 怒りと情けなさで、うっすら涙が浮かぶ。
 口を、塞ぎたい。
 もうこれ以上変な声出さねーように。
 プライドがずたずたになる前に舌を噛めば、全部解決するだろうか。
 必死で吐息を噛み殺す。
 顔に血が上る。
 千里の火照りが伝染し、体温が上昇していくのが、わかる。
 「会社でこんなかっこして、恥ずかしくないんですか」
 「お前の発言の方が恥ずかしいよ」
 憎まれ口を叩くも、覇気がない。
 ばらけた前髪の間、自分の吐息で曇り出すレンズ越しに千里を睨むも、本人はてんで構わず、俺の下腹へ手を移す。
 びくりと下肢が引き攣る。
 「ちゃんと眼鏡かけてあげたんだから、僕の顔、よく見てください」
 強制力をもつ命令に、全身全霊で逆らう。
 「それとも。これから自分を犯す男の顔をみるのは、耐えられない?」
 あからさまな嘲笑に理性が弾ける。 
 「調子のってんじゃ、」
 ベルトの金具が触れ合う音が語尾に被さる。
 手際よく俺のベルトをゆるめ、ズボンを下ろしていく。
 「先輩、トランクス派?そんな感じですよね」
 「待て千里、こっから先はしゃれになんねーぞ。今ならまだ間に合う、思い直せ。何事もなかったように机に戻ろうそうしよう。提出期限は明日だ、よくよく考えたらこんな事してる場合じゃねー?パソコンの電源点けっぱなしだし、そろそろスクリーンセーバーかかりだす頃だし。電気は大切にしなきゃ」
 「脛毛薄い」
 「頼むから聞けよ!」
 本気で泣きてえ。
 俺の脛毛なんてどうでもいいから残業に戻してくれ続けてくれ期限は明日までなんだ!
 こっちが土下座で拝み倒そうが聞く耳もたず、千里はご機嫌に鼻歌口ずさみ、するするとズボンを下ろしていく。
 今度こそ、俺は抵抗した。本気で暴れた。
 ズボンを下ろされたらもう終わりだと肝に銘じ、手の代わりに両足と首をばたつかせ、最後の砦を守らんと千里を振り払う。
 「千里、おまっ、正気かよ!?勝手にズボンおろすな涼しいよ、いやちがう、そうじゃなくて、なんでよりにもよって俺なんだよ!?てっとりばやく性処理してーなら二丁目いけよ、それ専門の風俗あるだろ、よく知らねーけどさ!!ここは会社、仕事する場所!俺とお前は今残業中!そんでもって男同士、俺は男に興味ねえ、抱く方も抱かれる方もこれっぽっちも」
 「教えてあげます」
 「知りたくねえって言ってんだよ!!」
 世の中には知らない方がいいことが沢山ある。人間二十五年、サラリーマン二年もやってりゃ、それがわかる。
 とにかく暴れる、必死に暴れる。こっちは貞操がかかってんだ、会社の備品壊してもいいと腹をくくる。
 両足を激しく蹴り上げ千里を牽制、縺れる足で逃げようとして、裾を踏ん付け蹴っ躓く。
 一人コントのように派手に転倒。
 「往生際悪いなあ」
 ほとほとあきれた調子で千里が嘆き、痛みに呻く俺の前に、ひょいとしゃがむ。
 カシャカシャ、音がする。
 最大級の不吉な予感。胸の内に渦巻く暗雲。 
 即座に顔を上げる。
 千里が上機嫌な様子で、俺に携帯を向け、写メを撮っていた。カシャカシャ連続で。
 「お、まえ、なにしてくれちゃってる、んだ?」
 衝撃で思考停止、動揺で舌が縺れる。
 「いえね、面白い光景なんで写メろうかと。ほら、見てください。先輩の恥ずかしい姿がばっちりと」
 千里が携帯画面を見せる。
 たしかに、ばっちり撮れていた。
 ズボンをおろし、トランクスを半ばまで覗かせ床に転倒した、俺の恥ずかしい格好が。
 「百万画素、永久保存版です」
 最近の携帯、高性能すぎ。いらねーよ百万画素も。悪事に利用されるだけだよ。
 トランクスの柄はおろか、三十分前に落っことしたドリンクの銘柄までわかる鮮明な写真に泣きたくなる。
 証拠隠滅をはかる。
 携帯をひったくり即座に削除しようとして、後ろ手縛られてたせいで、勢いあまって千里の膝に突っ伏す。
 「先輩の恥ずかしい写メ、同期の皆に送っちゃおうかな~」
 「やめろそれだけはやめろ、会社にいられなくなる!!」
 「課の全員のメルアド入ってるんですよ、僕の携帯。最近の携帯てすごいですよね~容量ほぼ無限に近くて。この登録名、ホンコンて誰だかわかります?課長です。なぜって香港製だから」
 「てめえがいかに異性同性にモテる人気者かって自慢はいいから、即刻写メ削除しろ!!」
 「じゃあこれは?」
 俺の慌てぶりをさも愉快そうに眺め、千里が意味深にほくそえむ。 
 携帯を操作し、登録者の欄名を表示した液晶を、俺に示す。
 『駿河さん』
 安子の姓だ。
 「………………っ!!」
 全身から血の気が引く。
 ぱくぱく口を開閉する俺にわざとらしく液晶をちらつかせ、ひっこめ、千里が邪気なく笑う。
 コンパクトな携帯をもてあそびつつ、にやつく目の端で俺の顔色をうかがう。
 「駿河さん、今日は飲み会だっけ?もうすぐ産休に入るから打ち上げとか……先輩、参加できなくって残念ですね。あ、もとから誘われてなかったか」
 「やめろ」
 「今の時間だとそろそろ解散か二次会か……どっちにしろ、盛り上がってるでしょうね。話のネタ、送信してあげよっか」
 「やめろ、千里」
 喉が渇く。
 嫌な汗で背中がびっしょりぬれ、シャツがへばりつく。
 後ろ手に食い込むネクタイがもどかしい。
 床を蹴り、諦め悪く千里に挑み、そっけなく払われもんどりうつ。
 視界が反転、天井が回る。
 レンズの表面に固い先端が当たる。
 「人にものを頼む時は?」
 「ぐ……」
 高いんだぞ。割れたらどうする、弁償しろよ。
 罵りたいが、言葉にならない。
 喉を締められてるように息苦しく、こめかみを汗が伝う。
 革靴の爪先で眼鏡を小突き、これみよがしに携帯を操作し、人を食った顔と口調で千里が宣言。
 「先輩の写メ見たら、百年の恋も冷めますよね」
 「もう冷めてるよ」
 「なら、送っちゃっていいですか」
 「耳の穴かっぽじってよく聞け。やめろと言ってる」 
 俺にも意地がある。つまらないプライドがある。
 別れた女に恥部を見せるわけにゃいかねえ。
 飲み会盛り上がってるさなかに俺がズボンにじゃれてる写メ送り付けられるのだけは、なんとしても阻止する。
 「いいから消せ。しまえ。考え直せ」
 「笑えると思うけどなあ。みんなにも先輩の意外な一面見せてあげましょうよ。僕だけ独占するの、心苦しいです」
 飄々ほざく。口、ひんまげてやりてえ。
 俯き、苦汁の決断をくだす。
 「……消せ」 
 頭を垂れる。
 「命令ですか」
 千里の声が冷え込む。
 俺は、頭を下げ続ける。
 「頼む。消してくれ」
 恥も外聞もかなぐり捨て、懇願する。
 後ろ手縛られた体勢で首をうなだれると、はだけたシャツから覗く素肌が目に入り、恥辱で身が燃えたつ。
 いつでも送信できるようボタンに指をかけたまま、千里が軽やかに挑発。
 「駿河さんに見られるの、やっぱヤですか。元カノですもんね」
 靴の爪先で強引に顎をおこされる。
 痛みに顔を顰めるも千里は容赦せず、俺の下顎に靴をかけ、目線を合わせる。
 他人の靴で物のように顔を上げさせられ、屈辱に目がくらむ。
 怒りと生理的嫌悪が綯い交ぜとなった形相の携帯を突き付け、何枚か写メを撮る。
 「いい顔ですね。眉間の皺と眇めた目が、すごく色っぽい」
 無機質なシャッター音をなすすべなく聞く。
 熱を孕んだ千里の目とカメラの無機質な目とに晒され、皮膚の下で毛虫が蠢くようなむず痒さが苛む。
 シャッターをきりながら饒舌に千里が言う。
 「今の先輩見たら皆びっくりします、いっぺんで酔いさめます。シャツを淫らにはだけて、ネクタイで縛られて、靴で顔上げさせられて。鞭待つ駄犬みたいに卑屈に這いつくばって。顔赤いけど、恥ずかしいんですか。目、潤んでます。写メ撮られて興奮してるとか?露出狂の素質ありますね。まんざらでもない顔、してるじゃないですか」
 「……それ以上無駄口叩くと、ホチキスで口縫い付ける」
 「どうやって?縛られてるのに」
 携帯が顔のすぐ近くに来る。
 カシャリ、最後の一音が鳴る。
 「駿河さんにばらされたくないなら、言うこと聞いてください」
 携帯を背広の内ポケットにしまい、靴をのける。
 「げほっ、がほげほっ」
 喉仏を押えていた靴が放れ、咳き込む。 
 靴で踏まれたショックより保身が先に立つ。
 携帯がひっこみとりあえず安堵するも、千里がすっと屈み、俺の耳元で囁く。
 「もっと恥ずかしい写真撮ることだって、できるんですよ」
 脅迫と呼ぶには、あまりに優しい口調だった。
 千里の手が下着にかかる。
 咄嗟に叫ぼうとして、唇を噛む。
 「賢明です。先輩もさすがにそこまで馬鹿じゃなかったか」
 千里がわざとらしく感心する。
 トランクスの中へ、外気と一緒に手が入ってくる。
 「叫びたければどうぞ。先輩が恥かくだけですから。警備員になんて説明します?いや、説明なんかいらないか。この状況みれば何おきてるか一発でわかりますよね。先輩はシャツを剥かれて、ネクタイで縛られて、物みたいに床に転がされて。僕に色々いじくられて、眼鏡の奥を誘うように潤ませてる」
 「いちいち言い方が卑猥なんだよ……」
 「事実でしょ」
 そうだ。
 認めるのは非常に癪だが、千里の指摘は、なにから何まで現実だった。
 大声で助けを呼べば警備員が駆け付ける。
 それから?
 警備員がくる前に、千里がこの状態の俺をおっぽりだして、とんずらこいたら?
 俺はネクタイで後ろ手縛られて突っ伏して、上半身殆ど裸で、ズボンと下着も脱がされかけた格好で、深夜のオフィスに転がってる。それを警備員が目撃して……駄目だ、どう転んでも最悪の目がでる。
 今のかっこを人に見せるくれえなら、舌を噛む。
 「気まずいですよね、警備員さんも。プレイ中に置き去りにされたって、絶対誤解しますよ」
 ただ縛られて転がされてるだけなら、強盗の言い訳も通る。
 しかし、ズボンと下着まで脱がされてるときたら、話は別だ。
 「…………っ…………」
 下着の中で蠢く手の気色悪さに、喉が鳴る。
 後輩の手で萎えた性器をいじくられ、へたりこむ。
 机にもたれかかり、首が許す限界まで行為から顔を背ける俺をよそに、千里は嬉々として性器をもてあそぶ。
 男の、しかも格下の後輩の手に自分の一番敏感で大事な部分を掌握された現実が、俺をうちのめす。
 机上のパソコンの光を受け、顔を青白く染め、千里が笑む。
 「次から僕の手じゃないといけないくらい、気持ちよくさせてあげます」

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010428211152 | 編集

 「僕の手じゃないといけないくらい、気持ちよくさせてあげます」
 よほど自信がおありとみえる。
 見下す目つきは傲慢そのもので、同期・上司に愛される従順な後輩の面影はきれいさっぱり消え失せた。
 童顔に不釣合いな邪悪な笑みでにじりよる千里から、尻で這いずって距離をとる。
 背中が机にあたる。
 行き止まり。
 着崩れたシャツの下で胸が速鳴り、生唾の嚥下に伴い喉が鳴る。
 手のひらが汗でぬめる。
 頭が混乱する。
 目に映る光景は悪夢じみて現実味が希薄だ。
 清潔な明かりが灯る深夜のオフィス、後ろ手縛られ床に転がされ、机の角に追い詰められた俺。
 机上のパソコンが電動の唸りをたて、スクリーンセイバーが起動する。
 液晶が放つ青白い光が、悠揚迫らず接近する千里の顔に不気味な影をつける。
 「正気かよ」
 やけっぱちの半笑いが浮かぶ。
 人間、絶望極まると顔筋が反逆して笑えてくるもんだ。
 今夜は初めて知ることが多い貴重な夜だ。初体験ラッシュに感謝する気は毛頭ねーけど。
 「ふざけてるように見えますか?」
 千里が心外そうに肩をすぼめる。ウィットな仕草が似合う二枚目は得。
 「引くなら今だぞ」
 今の俺は必殺の気迫のこもった、多重責務者が見たらちびりそうにおっかない顔をしてるだろう。
 指一本でもさわったら舌噛んで死ぬという自決の意志を前面に押し出し喉の奥で唸れば、手を焼いたふうにため息を吐く。
 「処女っぽい反応」
 「!なっ………、
 男に処女?頭いかれてんじゃねえかこいつ。
 赤面する俺へと千里がしなだれかかり、肩がぶつかる。
 腕が触れ合い、鳥肌が立つ。
 邪魔だどけと払いのけたくても手を縛られてんじゃどうすることもできねえ、八方塞りだ。
 下着の中で蠢く手が最高に気持ち悪い。
 女のふっくらした手ならいざしらず、骨ばった男の手に股間をまさぐられても不快なだけだ。
 しかも、千里は後輩だ。
 入社半年かぶっていた猫の皮がずるりひんむけ本性あらわしたが、こいつが今も俺の部下兼後輩である事実は変わりねえ。つまり。俺は今、入社半年間、時には厳しく叱咤しつつ時には手とり足とり指導しつつ、ようやく一人前まであと一歩のところまで育て上げた後輩にしめしめと股間をまさぐられてるのだ。
 「ホモなんて聞いてねーぞ、ちっともんな気配なかったのに……」
 「隠した方が無難でしょ?吹聴するようなことでもありませんし。たとえば先輩、自分の性癖をおおっぴらにできますか?マスターベーションする時、右手からもつか左手からもつか、微に入り細をうがち友達と話し合ったりします?」
 「う。いや、しねーけど」
 「たとえば先輩が痴漢もの大好きな変態として、朝の挨拶代わりに『昨日借りた中央線シリーズ最高でさ~ストッキングの伝線の仕方がリアルで』とか爽やかに言えます?」
 ぐっと言葉に詰まる。
 「図星ですか」
 勝ち誇った千里の目に反発、しどろもどろに弁解する。
 「……ま、まあ、俺も男だ。人並みに性欲あるし、安子と別れてから……いや、正確には付き合ってた頃から、本命とは別腹でAVの世話になってたのは否定しねえ。好きなシリーズの中にゃ痴漢ものもある。別に痴漢もの偏愛してるわけじゃなくて食わず嫌いはいけないっつか、男なら一念勃起、じゃなく一念発起で色々試してみたくなるだろ?さがで。痴漢ものが特別好きなわけじゃなくてたまたま手にとったのが痴漢もので」
 「もののたとえです」
 くそ。余計なことくっちゃべって俺が痴漢もの所有してる事実が露見した。
 恥に嘘の上塗りで墓穴を掘った俺をつくづくながめ、千里が意地悪く言う。
 「誘導尋問にひっかかりやすい人だなあ」
 「うるせい」
 「ぼくにとっては同じことです。ゲイだと告白するのは、一般男性がAVの好みを詳らかにするのと同じくらいには抵抗あるんですよ。周囲の偏見もありますし、会社勤めを続けるなら、それなりに話を合わせなきゃね」   
 そうなのか?もっと深刻な話じゃねーのか?人生を左右する問題をAVと同列で比較していいのかよ?
 突っ込みたいのは山々だが、これ以上話がこじれてややこしい事態に陥るのは俺としても避けたい。
 「………そんなふうには見えなかった……」
 千里の演技は完璧だった。
 俺もすっかり騙されてた。
 入社半年、ゲイの片鱗さえ覗かせず、だれもに愛される可愛い後輩を演じ続けていた。
 断っとくが、その「だれも」に俺は含まれない。
 生理的に受け付けねえって言い回しがある。
 それほどおおげさじゃないが、似たようなもんだ。ただ単に、なんとなく気に入らねえ。きっかけらしいきっかけもなく、理由らしい理由も見当たらねえから、なおさら漠然と不可解な忌避感情が処理できねえ。千里の嗜好を洞察したんじゃなく、相性が合わないというか、磁石の同極みたく無意識に反発していた。
 にこやかで要領よくて世渡り上手で、俺が苦労してるあいだに上に気に入られてとんとん拍子で出世しちまいそうな千里をやっかんでたってのが自己分析した本音。
 少なからず疎ましくも思っていた。
 「お前、女子に人気あるじゃんか。女どもが給湯所で騒いでるぜ、ルックスも性格も今期ダントツ№1だとさ。あんだけ女にモテてなにが不満なんだ。ゲイだと?贅沢いうな。独身者の呪いを一身に浴びて死ね」
 モテない男の僻み満載のジト目で睨めば、千里が哀愁漂わせ首を振る。
 「その他大勢にもてたって、肝心の一人に振り向いてもらえなかったら、意味ないです」
 諦念の調子で首振る千里は女子社員どもが黄色い声で騒ぐのもしかりな母性本能くすぐる頼りなさで、この期に及んで俺も騙されそうになる。
 駄目だ。騙されるな。こいつは童顔の悪魔だ。
 人が気絶してるあいだにしめしめ後ろ手緊縛するような男に気を許せっか。
 「なんで俺なんだ」
 わからないのは、そこだ。
 自分で言うのもアレだが、俺は理想の先輩とは程遠い。
 口も態度も悪く、後輩に敬遠されている。千里にだって優しく接した覚えはねえ。
 どっちかというと邪険に扱ってきた。
 懐かれるのがうざくって、自分の仕事を中断して後輩を指導しなきゃいけねえのが煩わしくて、必要以上の口はきかずそっけなくあしらってきた。
 なのに。
 「男なら、だれもでいいんだろ。俺じゃなくたっていいじゃねえか」
 貧乏くじ引きどおしだ。 
 千里がこんな危ないヤツだとわかってたら、ふたりっきりで残業なんかしなかったのに。
 「『だれでも?』」
 抑揚ない声に顔を上げる。
 千里が辟易した顔でこっちを見詰めていた。
 「全然わかってないじゃないか………」
 「どういう意味だよ?」
 理解不能といった顔と声で問う。
 ちょっと横にずれただけで、手首が擦れてむずがゆさを生み出す。
 机に背中を預け均衡をとり、沸々と込み上げる怒りを面と向かって千里にぶちまける。 
 「男なら誰だっていいんだろ?お前、ホモだからな。下腹部に固い物がついてりゃオッケーなんだろ。だれでもいいからてっとり早く犯りたくて、栄養ドリンクに睡眠薬しこむなんて、強引な手を使ったんだろうがよ」
 かえすがえすも陰険で卑怯な手口。
 前から気に食わなかったが、ここまで最低なヤツとは思わなかった。
 人の無防備な弱みに付け込んで自分の欲望をみたそうとするような、犯罪者予備軍とは。
 堰を切ってあふれ出した激情に駆られ、毒々しく唾棄する。
 「お前の気持ちもわかるよ。性癖、まわりの連中にずっと秘密にしてきたんだろ。そりゃ溜まるよな。ははっ!ならトイレにでもひっこんで一人でヌけよ、関係ねえ俺を巻き込むなよ。それとも何か、こりゃ仕返しか?自分が嫌われてるのわかってて、ずっと根に持ってたのか。俺とふたりきりになったの見計らって、意地悪な先輩を縛って転がして、写メで脅迫して。どうする?明日にでも会社中にばらまくか、全員にメールするか?弱み握ったも同然だもんな、さぞ気分いいだろうさ、そうやって見下して」
 手首に食い込むネクタイの感触、着乱れたシャツから覗く素肌がこれでもかと怒りと恥辱をかきたてる。
 なんだって俺が、千里ごときに見下されなきゃなんねえ?
 先輩の威厳もプライドもへし折られてみじめに這い蹲って。俺がなにをした?そりゃちょっとは厳しくあたった、きつい調子で叱ったこともあったよ。だからって普通、ここまでするか?
 千里が理解できない。
 犯罪者予備軍の思考回路なんざ理解したくもねえ。
 ネクタイで縛られて自由を奪われるのが、会社で半裸に剥かれるのが、他人の手でしごかれるのが、こんなに屈辱的だとは思ってもみなかった。
 これから何されるかという未知の恐怖を、千里への強烈な憎悪が駆逐する。
 「笑えよ、千里。俺の恥ずかしい社メも撮れて大満足だろ。友達に見せて、一緒に笑えよ。どうせ嫌われ者だからな、俺は。話のネタになるだろうさ。陰口叩かれんのは慣れてるし、かまわねーよ。間抜けな久住を縛って転がして裸に剥いて、一晩中放置してやりましたって自慢しろよ」
 「勘違いです、それ」
 やけにしんみりと千里が言う。
 誤解を哀しむようなその声に一瞬怒りが萎むも、すぐに虚勢を回復。
 「勘違い?どの口がほざく。俺が嫌いだからこんな犯罪まがいの真似……っ!?」
 言葉は吐息に紛れてかき消えた。
 ズボンに潜り込んだ千里の手が、俺の前を掴み、ゆっくりと擦る。
 「声。出したかったら、出していいですよ」
 ゆるゆると、緩慢な刺激が送り込まれる。
 目に映る光景に猛烈な吐き気を催す。
 前にしゃがむ千里の手が、俺のズボンにもぐりこみ、じかに股間をまさぐる。
 最初は優しく、好奇心が芽生え徐徐に大胆に。
 付き合った女以外に触らせたことのないそれを、緩急付けて揉みほぐす。
 「普通サイズですね」
 「………失、礼なヤツだよ、お前は……っとに!」
 冷静な批評に自尊心が傷付く。
 生理的な涙で目が潤み、体が拒絶反応を示す。
 どんなにテクニックが巧みでも、男の手が与えてくるのは不快感だけ。
 ズボン下着を強引に脱がされた今の状況で勃起できるほど、無節操でもおめでたくもねえ俺は、ただひたすら目を瞑り奥歯を噛み、耐える。
 「目、開けてください」
 あくまで優しく促す。
 「見てください」
 死んでも聞くか。
 手さえ自由なら殴り飛ばしてとっととおさらばしてるのに。
 背後は机、正面は千里。 
 「…………っ………くぅ………」
 額に汗が滲む。
 堪えようにも堪えきれねえ声が、熱い吐息に混じり、かすかに漏れる。
 「僕の手にいじくられるの、どんなかんじですか」  
 好奇心に満ち満ちた奔放な声で千里が聞く。
 どこまでも無邪気な様子に、冷たい戦慄が背筋を駆ける。
 弱弱しく首を振りあとじさるも、千里は即座に追ってくる。
 「なんとか言ってくださいよ。さっきまでホモだ変態だ卑怯者だって、さんざん罵ってくれたじゃないですか」
 ねちっこく畳み掛け、執拗に股間をいじくる。
 根元を擦り、上下し、先端に軽く爪を立て。技巧を凝らし、追い立てる。
 「その変態にいじくられてぎんぎんに勃ちゃうなんて、よっぽど溜まってたんですね。先輩て可愛いなあ」
 限界だった。
 これ以上、言いたい放題させておけねえ。
 脂汗が滴りぼやける視界に千里の顔をとらえ、吐き捨てる。
 「頼むから、そこの窓から飛び降りて死ねよ」
 「ここ五階ですよ?」
 「知って、るよ。だから、だよ………っ………く、………今の、時間じゃ、人も、いねえし……通行人、と、追突、して……迷惑、かけなくて、すむ、だろ………………」
 「悪態ならもっとひねってください。退屈は嫌いなんで」
 「いっ!」
 強く握られ、痛みにのけぞる。
 「固くなってる。まんざらでもないんだ。それとも、誰の手でされてもこうなるんですか」
 「………反吐がでるほど嫌いなヤツでも……ねちねち、しつっこく、いじくられりゃ、勝手にこうなっちまうんだよ………!」
 事実、さっきまで萎えていた股間は、千里に手淫を施され猛っていた。
 千里を拒絶する心と拒否する頭を裏切り、体が快楽の易きに流れてるのだ。
 俺自身に吐き気がする。自分に殺意すら覚える。千里は、上手い。正直、俺がこれまで付き合ってきたどの女より……安子より巧みだった。
 生理的嫌悪のしこりが胃袋を重くするのに、前は苦しげに下着を押し上げて、はっきり形を浮かせている。
 「一回り大きくなった」
 「いちいち実況すんな……」
 「トランクスと擦れる感じ、どうですか。もどかしい?気持ちいい?前が窮屈そう」
 千里が目元だけで笑う。
 「脱ぎます?」
 「!待っ、」
 制止する暇もなかった。制止したところで、ますます悪乗りするだけだったろう。
 俺の抵抗をよそに、わざとじらすような動作でトランクスを下ろしていく。
 ずるりと脱げたトランクスの下、赤黒い屹立が外気に晒される。
 千里が軽快に口笛を吹く。
 「大嫌いな後輩の手でこんなになっちゃうんだ。へえ。顔に似合わず淫乱ですね」
 「男に淫乱、か。斬新な響きだな。言葉責めってヤツか?嬉しいね、初体験だ」
 「強がっても顔赤いし目が潤んでます。死ぬほど恥ずかしでしょ、今」
 図星だよ、畜生。
 へたに俯くと屹立が目に入り、ますますもって死にたくなる。
 オフィスは清潔に明るい。
 机が整然と並び、俺たち二人の机上ではパソコンのスクリーンセーバーが起動し、静謐な秩序が保たれている。
 他のパソコンは電源を落とされ、ふと目を上げれば、向こうに暗い画面があった。
 「ねえ。今の先輩、すごく恥ずかしいかっこしてるって、自覚してますか」
 だいぶ砕けた調子で千里がほざき、懐から出した携帯を掲げ、再び何枚か写メをとる。
 「見せてあげます。ほら」
 そして、頼んでもねえのに、今撮ったばかりの写メを見せてくる。 
 「茶番に付き合えるか」
 咄嗟に顔を背けるも、千里に肩を掴まれ正面に固定される。
 突き付けられた液晶には、もう一人の俺がいた。俺が永遠に知りたくなかった俺だ。
 皺のついたシャツから貧弱な胸板と痩せた腹筋まで露出し、半ばまで脱げたズボンと下着、赤黒い屹立までも外気に晒し、横を向いてる。
 鼻梁にずれた眼鏡の奥、羞恥と屈辱でしめやかに膜がはった目。
 憤怒と屈辱が綯い交ぜとなった顔は、醜く歪んでいた。
 「この角度なんか、突っ張っちゃって可愛いでしょ。前から思ってたけど、先輩の横顔て色っぽいですよね。首筋から顎にかけてのシャープな線が特に、働く男のストイックな色気が出て」
 お気に入りのペットの写真でも自慢するように、千里がボタンを操作し、独白。
 「こういう顔を歪ませるのが、一番たのしいんだ」
 もう十分、目的を達してる。
 言動から薄々勘付いていたが、千里はサディストだ。わざと嫌がる俺の写メを撮って、顔の前に突き付け、見ろと強制した。
 右に顔を背けても左に背けても液晶が追ってくる。
 「…………しまえ………」
 「何ですか?」
 「しまえよ。気が済んだろ」
 「もっとよく見てください。その眼鏡、伊達ですか」
 片手で携帯をもてあそびつつ、もう一方の手で俺の顔を抱き、楽しげにでからかう。
 「泣いちゃいそうだ、先輩。瞼がぴくぴくしてる。あ、意外と睫毛長いんだ。眼鏡に隠れてわからなかった。へえ、なんか得した気分。僕だけが知ってる先輩の秘密、か。いいですね。やっとひとりじめできた気分」
 「お前、頭おかしいぞ」
 顔が熱い。
 瞼が痙攣する。
 「忘れてた」
 携帯のフラップを閉め、手の動きを再開する。 
 「!ーっ、いい加減に!!」
 「週何回マスターベーションしてます?」
 「はあ!?」
 あっけらかんとした質問に毒気を抜かれる。
 脳天から素っ頓狂な声を発し、固まる俺へとずいと詰め寄るや、不本意にも勃起した前に指を這わせる。
 「先輩、淡白そうに見えて結構………」
 「……なんだよ」
 「溜まってるんですね。可哀相に」
 よくもまあ次から次とこんな恥ずかしい台詞吐けるもんだ。頭の蓋を開けて中身を見てえ。
 自慰の頻度を聞かれ馬鹿正直に答えるヤツのツラを拝みたい。
 「首まで赤くなって。耳朶も」
 いちいち指摘がうるさい。こっぱずかしい。癇に障る。
 睦言と勘違いしそうな甘い囁きが、俺の中に渦巻くどす黒いものに触れる。
 「胸糞悪ぃホモ野郎め」
 下劣な笑みを滴らせ、口汚く罵れば、千里が器用に片眉はねあげて続きを促す。
 深呼吸で手の震えを押さえ込み、邪魔っけな眼鏡の向こうから、渾身の憎悪を装填して千里をにらむ。
 「いいか千里、冷静に考えろ。お前今、すっごく不利な立場におかれてるぜ。俺は明日、お前になにされたか上に訴える。そしたらお前はどうなる?順当に考えて、会社にいられなくなる。誰もホモの変態と一緒に仕事したくねーもんな。しかもだ、お前は前科持ちだ。栄養ドリンクと偽って睡眠薬飲ませ縛って猥褻な悪戯して、これ、立派な犯罪だろ?俺が訴え出れば、お前、社会的におしまいだ。ジ・エンド。せっかく新卒で就職できたのに、親不孝な息子だって、親はさぞ嘆くだろうな」
 千里に人の心が残ってるなら、この説得は効くはず。
 一縷の望みと勝機にかけ、よく動く口先で翻意を促せば、案の定千里の顔が曇り始めて手ごたえを感じる。
 親を持ち出すのは卑怯だとか何だとか既に言ってられる事態じゃねえ、こっちは貞操がかかってるんだ。
 もちろん被害届を出す気はねえ、男が男に襲われたって警察に泣き付いたって鼻で笑われんのがおちだ。
 いや、ひょっとしたらまともに取り合ってくれるかもしれねえが、そしたら俺も千里の道連れで仲良く破滅だ。実名公表はもとより、『深夜のオフィスで同僚に緊縛・強姦された会社員Aさん』として匿名で新聞に載るのもできれば全力で避けたい。
 多少は良心の痛みを感じつつ、卑屈な笑みをはりつけ、言う。
 「よくまわり見回してみろ、お前に不利な条件ばっかそろってるだろ。俺たち二人が残業してることは、課の連中の大半が知ってる。もし俺になんかあったら、お前が真っ先に疑われる。課長に問い詰められたらどう切り抜ける?言い訳用意してんのか?言っとくけど、俺は自分におきたありのままを包み隠さず述べるぞ。お前がどんな汚え手使ったか、正々堂々チクってやる。ははっ、猿轡しとかなかったのは痛恨のミスだな?今だってその気になりゃ大声で助けを呼ー」
 「べなくしてあげましょうか?永久に」
 背中に衝撃。
 「痛ッ、」
 突き飛ばされ、机に激突。
 衝撃で机上の書類がなだれおちる。
 抗議の声を上げるより一瞬早く、俺の得々とした演説を暴力で遮った千里が体重かけてのしかかってくる。
 ろくに抵抗もできなかった。
 肩を掴んで引き剥がすことも。
 上背は俺が少しだけ勝るが、床に縺れ合って倒れこんだ状態で、それが何の役に立つ?
 「ちさっ!」
 ぬるり口腔に異物が滑りこむ。
 「!?んむっ、」 
 頭が真っ白になる。
 叫ぼうとした口を塞がれ、熱い舌で頬の裏側の粘膜をまさぐられ、酸欠で頭が朦朧としてくる。
 男に唇吸われた舌突っ込まれた気持ち悪い吐くそれ以前に、口の中を舌に圧迫され呼吸ができず恐慌を来たす。
 いやまてまてなんだこれこの状況ありかよ、俺は会社員で男で二十五歳で今ディープキスされてて、上半身は殆ど剥かれて下半身露出して、今のこのザマ安子が見たら「わあズミっちって変態だったんだ、安子別れてよかった~」と安心されそうだ。
 されてたまるか。
 後輩とくんずほぐれつしてる現場をまかりまちがってだれかに見咎められたら、今度こそ本当の本当に、俺の人生終わる。
 この年でハローワーク通いは勘弁。
 「-ン、む、ふぐ……っ……………はッ………」
 唾液の糸引き唇がはなれる。
 「舌、噛み切っちゃいましょうか」
 ゼロ距離で額がぶつかりあう。 
 千里が笑ってる。
 「先輩こそ、状況よく見てもの言ってくださいよ。手も使わず僕に勝てると思ってるんですか」
 笑いながら正論を吐き、唾液にまみれた顎をぞんさいに拭う。
 「頭突き?蹴り?どうぞ、試してください。むだですから。こう見えて反射神経いいんですよ、ぼく。手が使えないってすごく不便で不自由ですよね。組み敷かれたらひとたまりもない。僕だって乱暴したくないんですよ。先輩は苦痛に歪む顔もそそるけど、最初はやっぱ、和姦でいきたいじゃないですか」
 「おまえは、これが、和姦の状況に見えんのか?眼鏡作ってもらってこいよ」
 口の中に舌の感触が残ってる。
 喉奥に注ぎ込まれた唾液にはげしくむせつつ、どこまでもとぼけたことを言う千里を睨む。
 「和姦ですよ。先輩、興奮してるじゃないですか」
 「嫌悪してるの間違いだろ」
 「いえ、合ってます。先輩も興奮してるんだから、共犯です」
 確信こめてほくそ笑み、易々組み敷いた俺の下半身へと手を移す。
 「ね?」
 「ぅくっ」
 股間をまさぐられ、低く呻く。
 「勃ったままじゃないですか」
 嘘だろ。
 「口に突っ込まれて、ぐちゃぐちゃにされて、感じたんでしょ。やらしい声出して、唾液に溺れて」
 「眼鏡、眼鏡……」
 「顔です。現実逃避しないでください」
 天井って、こんな高かったっけ。
 床に転がって初めて、天井の高さを痛感する。
 背中に回した手が床に挟まれて、痛い。 
 苦痛に顔を顰める俺に構わず、衣擦れの音も悩ましく下半身を探り、屹立を無造作に握りこむ。
 「!ッあ………、」
 「イきたいんでしょ」
 淡白な水音たて、先走りの汁を指が塗り広げていく。
 「正直に答えてください。週何回マスターベーションしてるんですか」
 丁寧ごかした敬語で質問する相手を、ずれた眼鏡ごしに、尖りきった眼光で貫く。
 「変、態め……」
 握り方が変わる。
 「先輩、知ってます?こうして根元の方おさえると、いきたくてもいけないでしょ。射精が塞き止められて、すごく苦しい」
 「お前、最悪、だ……性格、複雑骨折、してるよ……………」
 千里の言う通りだった。
 根元を押えられると射精できず、尿道が疼く。
 追い上げられるだけ追い上げられ、行き場を失った熱が体中に拡散する。
 「週何回ですか」
 「………回……」
 「聞こえないです」
 「最近は忙しいから、週二・三回……」
 「ホントに?二十代で?サバ読んでません?枯れすぎ」
 わかったら、とっとと放せよ。
 イかせてくれよ。
 お望みどおり、答えたぞ、さあ。
 「ひょっとして、別れた彼女に操たててたり?」
 「……千里っ……」
 意地悪く根元を締める指が射精の瞬間をひきのばす。
 排泄の欲求に似た痛痒感と背筋がぞくぞくするような快感がせめぎ合い、嗚咽染みて哀れっぽい声が出る。
 傾いだ眼鏡越しに半眼の視線をさまよわせれば、一途な熱を孕んだ目で、千里が覗き込んでいる。
 「僕は毎日、先輩のこと考えてマスターベーションしてますよ」 
 熱い吐息に耳朶を湿る。
 俺の額に自分の額を預け、空いた手を顎にかけ、強引に上を向かせる。
 「先輩のネクタイはずして。シャツを脱がして。その下の喉仏は、鎖骨はどんな形は?色は?シャツの上から見てるだけじゃわからない肉付きが知りたい。インテリ崩れの悪徳高利貸しみたいな高慢な顔が屈辱に歪むさまを妄想して、日頃僕を叱る口から哀願の台詞がとびだす日を想像して、何度も何度も犯しましたよ」
 「手、を……きつっ……痛て……」
 「同性の一番いい場所を知ってるってことは、一番痛い仕方も知ってるってことですよ」
 無意識に首を振る。肯定か、否定か。どっちもでいい。一秒でも早く解放されたい、らくになりたい、イきたい。これ以上じらされたら頭がおかしくなる。膀胱がはちきれそうで、尿道がじくじく疼いて、いきたくてもいけない生殺しが引き伸ばされて、生理的な涙がこめかみに滴る。
 こめかみに垂直に滴る涙を指先で拭い、反省の色なく千里がわびる。
 「すいません。泣かせちゃいましたね」
 唐突に栓がはずれる。
 「可哀相だから射精を手伝ってあげますよ。後輩の手だからって遠慮せず、溜まってた分だしちゃってください」
 吐息と一緒に耳朶に絡み付く「射精」「手伝い」「後輩」の単語が、既に底辺までおちたプライドを打ちひしぐ。 
 荒々しくしごき上げられ、脊髄ごと引き抜かれるような強烈な快感が襲う。
 「あああっああ………!」 
 乱暴にやすりがけられ、塞き止められていたぶん外気にさえ過敏になった先端から白濁が迸る。
 千里の手に導かれ精を吐き出すと同時に前髪がばらけ、視界を覆う。
 「はっ、はあっ、は………」
 ザーメンを指でこね回し、呟く。
 「よかったですか」
 床に身を横たえ、浅く胸を喘がせる。
 即座に言い返す気力もない。
 他人に射精を管理されるのが、こんなに屈辱的な事だとは思わなかった。
 射精の快感が薄れ去ると、じっとりした疲労が腰を中心に沈殿する。
 たった今俺の身に起きた出来事の理解を、頭が拒否する。
 体の下敷きになった手が痛い。へたすると鬱血してるかもしれねえ。
 口をきけるまで体力が回復してない俺を見下ろし、指をぬらすザーメンを舌で舐めとる千里。
 ぎょっとする。
 「よく……んなもん、口にできるな………」
 「たんぱく質ですから。先輩だって、彼女にしてもらってたでしょ」
 「安子の事は言うな」
 「舐めてみます?」
 慌てて首を振る。
 千里が無邪気に笑い、鼻先に膝を付く。
 「自分の物はやっぱ抵抗ありますよね。なら……」

 その時だ。
 硬質な靴音が廊下に響いた。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010427000323 | 編集

 廊下に硬質な靴音が響く。
 「!」
 タイミングの神様って実在したんだ。
 安堵で涙腺がゆるんで視界が曇る。
 忘れ物を取りに来た同僚か見回りの警備員か知らねえが今この絶体絶命危機一髪のタイミングで扉を開けてくれるなら感謝感激胴に抱き付く。地獄に仏、ぜひともくるおしく拝ませてくれ。
 「だれだか知らねえがいいとこ来た、さっそくこの変態を逮捕……!」
 背後から口を塞がれる。
 「むがっ!?」 
 指の隙間から熱い吐息と一緒に抗議の呻きが漏れる。
 「しーっ」
 耳朶に息がかかる。
 千里がいた。
 俺の背中に密着し、片手でしっかり口を塞ぎ、机の下に転がり込む。
 俺?もちろん逆らった、抵抗したさ。ネクタイで縛られて身動きできないのを承知で精一杯暴れた、千里の抱擁を脱しようと身をよじるも試した甲斐なく無駄だった。哀しいかな、体力を浪費しただけ。
 千里と縺れ合って机の下に転がり込むと同時にドアが開き、靴音が入ってくる。
 「あれ。しょうがないなあ、電気点けっぱなしで帰っちゃったのか」
 あきれた声がする。
 警備員だ。定時の見回りにきたらしい。
 チャンス。
 「むーっ、ふぐ、むぐふぐうー―ーっ!!」
 叫ぶ、必死に叫ぶ。頼む気付いてくれと死に物狂いに念波をとばす。口ふさがれてたんじゃ意味ねえ。薄い手のひらが口を塞ぐ。野郎、窒息させようって魂胆か?
 手のひらで圧迫された口からくぐもった声が漏れる。
 待て、いくな。
 警備員さん気付いてくれ、あんたに見捨てられたらおしまいだ、変態の毒牙にかかっちまう。
 靴音の響き方から推測するに、まだだいぶ距離がある。
 俺と千里が隠れたのはオフィスの最奥の課長の机。警備員はまだ入り口付近をうろついてる……ったくなにちんたらやってんだよ、こっちは貞操の危機なんだぞ!と罵倒したくなる衝動を大人の分別となけなしの理性でぐっと堪える。
 警備員のとろくささに苛立つ俺の耳の裏側で、千里が舌を打つ。
 「タイミング悪いな。いい所だったのに……」
 ざまみろ。悔しがる千里に痛快な優越感を覚える。
 こいつの屈辱に歪む顔が見れねえのが残念。俺の背中にひっついた千里が今どんな顔してるか想像するだけで笑いの発作が襲う。腹筋をひくつかせ笑う俺に気付き、千里がむっとする。
 「楽しそうですね、先輩」
 手のひらの圧迫がゆるみ、若干発声の余裕ができる。
 ここですぐさま大声あげりゃよかったのにまたしても選択を間違えた。とことん俺は馬鹿だ。
 「楽しいに決まってんだろ、自業自得のお前に身の破滅が迫ってるんだから。笑わずにいられっか」
 千里に対し勝利を確信、逆転の爽快感から、舌の滑りがよくなっていた。
 すぐ調子に乗るのは俺の悪い癖だ。この悪癖が原因でこれまで度々ピンチに陥ってきたのに一向に治らねえ。俺は頭にのった。人に栄養ドリンクと騙して睡眠薬飲ませ後ろ手に縛って抵抗封じた上にさんざんおちょくってくれた千里、恋人以外に触らせたことねえ場所をさんざんいじくって恥ずかしい台詞吐いてプライドをぎったんぎったんにしてくれた憎っくき後輩に対し、復讐心が芽生える。
 口角を吊り上げ、せいぜい意地悪な表情を作ってやる。
 「残念だったな、千里。悪巧みもここまでだ。俺が叫べばお前はおしまい、明日にゃ会社をクビで路頭に迷ってファーストフードでバイトだ。スマイル0円なら買ってやるぜ、可愛い元後輩に募金だよ。ああ優しい俺」
 「勝手に僕の将来設計たてないでくださいよ」
 「負け惜しみか?警備員がドア開けたときからカウントダウン始まってるんだよ、いいかげん気付けよ。二十歩、十五歩、十歩……ほら」
 俺の指摘どおり靴音が接近する。
 懐中電灯の光が書類の積もった机上を薙ぎ払い、床に丸い輪っかを落とす。
 じきに警備員がやってくる。課長の机の下に隠れた俺たちを見付け出す。したら千里もおしまい、即逮捕。晴れて俺は悪夢の一夜から解放とあいなる。くだらねー茶番に付き合わされ心身ともにぐったりした。たった一晩で消耗度合いが半端ねえ。でも、もうすぐ終わる。今日の事はきれいさっぱり忘れる。千里がどうなろうが知ったことか。オフィスで強姦未遂働いた性悪ホモとして糾弾されようが放逐されようが関係ねえ、俺は無辜の被害者だ。千里が路頭に迷っても俺のせいじゃ……
 『全然わかってないじゃないか』
 千里の声が耳の奥に甦る。
 辟易した表情に一抹の悲哀をまぶし、這い蹲った俺を見下ろす。
 わかってないって、なんだよ。何がわかってないんだよ?
 理解不能の言葉を思い出し、その真意がいまさら気にかかる。
 ぐだぐだ堂々巡りする思考に蹴りをつけ、肩で這って前に出る。
 「はやっー!?」
 体をくの字に折り曲げる。
 千里がこれ幸いしめしめと俺の前をまさぐってやがる。
 片手で俺の口を塞ぎ、もう片方の手を股間に回し。
 さっき出した白濁をすりこむように、萎えた前をいじくってる。
 「先輩こそ。冷静なようで、ぜんぜん冷静じゃないんだから。状況を俯瞰したら、先輩が被るダメージだって十分大きいですよ」
 「んっ………ふぐっ……」
 手のひらに圧迫され、声が篭もる。俺の吐息で千里の指が湿る。
 密着した背中に体温を感じる。 
 シャツ越しに感じるスーツのざらつきに背中が鳥肌立つ。
 間接が許す限り体をひねり、不自然な体勢で後ろを向き、煮え滾る目で千里を睨む。
 千里が何故か頬を赤らめ、責めるように俺を見る。
 「潤んだ上目で睨まないでくださいよ。興奮しちゃうじゃないですか」
 しまった、逆効果か。
 俺は馬鹿だ。
 千里が手をゆるめた瞬間声をあげてりゃよかった、くだらねー逡巡ふりきって警備員に助けを求めりゃよかった。
 ああよかった助かったと、余裕ぶちかましたツケが回ってきた。
 現に今、俺の腰に固いものが当たってる。千里が興奮してるのは事実らしい。
 俺の太股に勃起した自身を擦り付け、前に回した手で股間をいじくり倒し、千里が言う。
 「この現場を見られて困るの、むしろ先輩ですよ。警備員さん、どう思うかな。ふたりして机の下に隠れていちゃついてるって、誤解しますよ」
 「ふざ、けたこと、ぬかすな……この状況のどこがっ、合意に見えるんだよっ……!?」
 「警備員の位置から縛られた手は見えない。ぼくたちは後背位でぴったり密着してる。たぶん、こう思いますね。残業中の男二人が、他に誰もいないのをいいことに、机の下に隠れて慰めあってるって。で、どうなるかって?見て見ぬふりで回れ右です。試しに声、出してみたらいいじゃないですか」
 千里が意地悪く促す。
 言われなくても。
 貞操とプライドを秤にかけたら、指針がガッチャンと貞操に傾く。
 見てろよ千里、調子のってられんのも今のうち。
 俺が一声上げれば警備員にボコられた上強姦魔の烙印おされて会社を追放……
 「!ーあ、」
 開きかけた口を即閉ざす。
 股間を揉む手が粘着さを増し、鈴口を指先でくすぐる。
 「どうしたんです?さあ、どうぞ」
 「くっ………」
 「途中で喘ぎ声に変わっちゃうかもしれないけど。背に腹は変えられないでしょ?」
 ……ぶん殴りてえ。
 声を上げようと口を開くタイミングに乗じ、前を掴んだ手が意地悪く動き、快感を導く。
 膝をもぞつかせ、体を二つに折る。
 床を這って逃げようとするも、千里が背中にぴたり覆いかぶさってくる。
 声さえ上げれば。警備員は、気付く。しかし。
 「……ふ………ぐっ………ぅう……」
 「大きな声出さなきゃ聞こえませんよ」
 よく言うよ、てめぇでふさいどいて。
 千里に口をふさがれ、股間をまさぐられながら、聴覚を研ぎ澄まして靴音を追う。
 単調な靴音が室内に反響する。
 懐中電灯の光が床に伸びる。
 机上に放置したパソコンから青白い光が放たれ、千里の顔を照らす。
 パソコンの無機質な唸り、徐徐に大きくなる靴音、性急に弾む息遣い、しめやかな衣擦れの音。 
 それらが一緒くたにまじりあい、上気した耳朶をちくちく突き刺す。
 「警備員さんにも僕にいじくられて半勃ちの先輩見せてあげましょうか」
 耳の裏側に落ちた千里の呟きが恥辱を煽り、馬乗りに組み敷かれた体がカッと熱くなる。
 指の動きが理性を散らす。
 靴音に向けようとした注意がそれ、千里の指で轡をされた口元から熱い吐息が零れる。
 巧みな指遣いで男の部分を愛撫され性感を刺激され、半勃ちになる。
 来るな。いや、来い。いや、待て、来るな、来ないでくれ……どっちだ?
 脂汗を垂れ流し葛藤する俺をよそに、靴音はマイペースに近付いてくる。
 「どっちにしろ、後輩に嵌められたなんて情けないですよね」
 千里が小声で囁く。
 俺の股間にあてた手を巧妙に動かし、絶妙な緩急つけて半勃ちの前をしごく。
 「ぼくはまだ入社半年だけど、先輩は二年も会社にいる。同僚や部下には無愛想でとっつきにくいって怖がられてる。そんなデキる先輩がふけば飛ぶような新人にレイプされたなんて知ったら、評判ガタ落ちです。みんなこう思いますね、『久住さんていばってるけど千里なんかにやられちゃうほど頼りなかったんだ』『幻滅』『後輩の下克上許しちゃうなんて』『そんな人の下で働きたくない』って」
 千里の言葉が、ひとつひとつ鈍器となって心を打ち砕く。
 俺は。
 会社では、デキる男で通っていた。
 とぎたてナイフさながら切れる男として、一定の評価を得ていた。
 生来の無愛想と、眼鏡でもごまかしきれねえ目つきの悪さが原因で部下や同僚には敬遠され親しく飲みに誘われることもなかったが、仕事ぶりはそれなりに認められていた。口と態度は悪いが、仕事面に限って言えば頼れる先輩として一目おかれてた自負がある。
 「明日から皆がどんな目で久住さんを見るか、楽しみです」
 「先輩」じゃなく、「久住さん」と言った。
 まるで先輩と呼ぶ価値がないとばかりに。
 「ぼくに色々されちゃったことがばれて失うものが多いのは久住さんの方です。みんな幻滅するでしょうね。駿河さんだって」
 安子の顔が脳裏に浮かぶ。
 この状況で、一番見たくない女の顔。
 『ズミっち、千里くんにヤられちゃったってほんと?うわ、ホントなんだ!情けな~い。千里くんズミっちより背え低いし優しくて可愛い顔してるのに、ズミっち縛られて言うなりになっちゃったんでしょ?二年も先輩なのに、かっこ悪~い。あーあ、元彼が男にレイプされちゃうなんて安子超ショック。別れてよかった~』
 同僚の陰口が聞こえる。部下が幻滅の顔を並べる。上司が苦りきった顔をする。
 好奇と嫌悪と失笑が入り混じった視線の集中砲火。
 お茶汲みがてらちらちらこっちを見る女子社員ども。
 俺を避ける同僚。
 久住さんて男にしごかれてイッたんだろ?変態じゃん。しかも会社で。オフィスで。
 言い訳は通らねえ。千里にレイプされたのは事実だ。千里の手でさんざんいじくられて生理的に達しちまったのは、否定しようねえ事実。俺には陰口叩かれるだけの弱みがある。被害者か加害者かは関係ねえ、無理矢理だろうが強姦だろうが……勃っちまったんだ。 
 最悪。
 こんなことになるなら、昨日ぬいときゃよかった。
 「もし先輩が今まで築き上げた会社での地位をかなぐり捨てても貞操守りたいっていうなら、お好きにどうぞ」
 保身にプライドを上乗せし、貞操と秤にかける。危うい均衡を維持し、秤が中立を守る。
 声を出せば、助かる。
 今だけは助かる。
 でも、その後は?明日からどうなるんだよ。針のむしろで働けるか?
 定年まで勤め上げようって会社で、白眼視に耐えていけるか? 
 「見かけによらず会社に愛着ある、責任感の強い久住さんには辛い選択ですね」
 また「久住さん」ときた。いやみったらしいちゃねえ。
 「耐えるは一時の恥、叫ぶは一生の恥。よく考えてください」
 俺が黙ってれば、ここだけの話ですむ。千里とのあいだにあったことは、まわりの連中に知られずにすむ。
 警備員にばれたら。同僚にばれたら。上司にばれたら。最終的に、身内に行き着く?
 安子にも。
 「…………ッ………、」
 同僚の白眼視は耐えられても、惚れた女の軽蔑は、身を切るように辛い。
 苦悩する俺の背にのしかかり、千里がごそごそやりだす。
 靴音がすぐそこまで来る。叫ぶなら今だ、今しかねえ。
 とまれ、気付けと切実に念じる。その一方、はやく行ってくれと心が急く。
 床を叩く靴音がささくれた神経に障る。はだけたシャツの下で心臓が暴れ、靴音の高まりに比例して鼓動が高鳴る。
 「誰もいませんか……いませんよね」
 念のため確認してみたというおざなりな声とともに、懐中電灯の光が過ぎ去っていく。
 俺たちが隠れた机の上を、懐中電灯の光が照らす。
 生きた心地がしねえ。
 机の下は男ふたりが隠れるにゃ窮屈で、ちょっともぞつくだけで、体のそこかしこが千里とぶつかりあう。
 むさ苦しく暑苦しい空間にふたりっきり、おまけに口をぴっちりふさがれ酸欠に陥りそうだ。
 机の下の暗がりに身を寄せた俺は、警備員の間延びした声を聞く。
 「あーあ、机の上散らかしたまま帰っちゃって……だらしないなあ」
 警備員がのどかにぼやき、懐中電灯を惰性で操作し、机上に山積みになった書類を照らす。
 前の床を光の帯が掠めるたび、心臓が跳ね、足をひっこめる。
 背後の千里は相変わらずごそごそやってる。
 片手で俺の口をふさぎ、片手で自分の背広をさぐる。
 何してやがんだ?
 目だけ動かして後ろを探り、ぎょっとする。 
 千里が何か、手に持ってる。ゴム容器の中に入った、透明なジェル状のもの……あれは。
 蓋を開け、容器の中身を手のひらにあけてのばす。
 「んぐぅぐっ!?」
 とろりとした光沢を放ち、指の間で粘着な糸引くそれを見せびらかし、おもむろに下着に手を突っ込む。
 ちぎれんばかりに首を振り、自由な足で蹴とばすも、たちどころに押さえ込まれる。
 机の向こうを警備員が徘徊してる。
 そのほんの1メートルこっちじゃ、机の下に隠れた千里が、俺の下着に手を突っ込み、後ろをまさぐってやがる。
 ジェルで濡れた手がひやりとした感触を与える。
 前は半勃ちで放置し、ジェルをたっぷり付けた手を後ろに添え、隠れた窄まりを探る。
 唐突に口から手がはずれ、呼吸がらくになる。
 「ーはっ………」
 酸素を貪りながら突っ伏せば、非情な手が腰を掴み、強制的に引き上げる。
 「おまっ…………」
 「声。気付かれますよ」
 硬質な床に額を付け、掠れた声を絞る。
 ジェルでぬめる手が排泄用の窄まりを探り当て、ゆっくりと円を描く。
 猛烈な吐き気に襲われ、切れるほど唇を噛む。胃袋にでっかいしこりができた気分。男の手で前をいじくられた時は屈辱が勝ったが、今は生理的な気持ち悪さが上回る。
 千里は、正気か?
 机を隔てたほんの1メートル向こうを警備員が徘徊してるのに、こんな……いかれてる。
 下着にもぐった手が不気味に蠢き、窄まりに人さし指を突きたてる。
 「!!痛ぁッ、」
 音速の激痛が脳天まで貫く。
 靴音がやむ。
 「今、声が……」
 まずい。
 全身に冷や汗が流れ、心臓が跳ねる。
 尻をいじくられる気持ち悪さにも増して、現場を見られる懸念と羞恥が強まる。
 声を出せない代わりに必死に首振りたくり行為の中断を訴える。
 「…………気のせいか?」
 そうだ、気のせいだ。わかったら、とっとと行ってくれ。
 込み上げる声を噛み殺す俺には構わず、潤滑油に塗れた指が窄まりにさしこまれる。
 ゆるりと内壁をこすり、指が出し入れされる。
 「………ふ……………ッく……」
 指一本でも、きつい。
 涙がでるほど、痛え。
 前のめりに突っ伏し、漏れ出る呻きを噛み殺す。
 排泄にしか使ってない器官に指を出し入れされ、胃が固くしこる。
 括約筋が抵抗するも、圧迫を破ってねじこまれた指により、次第に中からほぐされていく。
 くちゃりと孔を拡張し、指が二本に増える。
 人さし指と中指が体内で蠢くのを感じる。
 入り口を掻きだすように、次はもっと深く突き立てられ、痛みに体が反る。
 潤滑油ですべりをよくした指は、思ったよりもあっけなく、中へと飲み込まれた。
 俺は今、何されてる。後輩に、千里に。尻に指突っ込まれて、床に突っ伏して泣き声を殺してる。気色悪いジェルか……ローションか……何かわからねえが、とりあえず、てらてらした妙な潤滑剤をたっぷり使われて、そこを指でほぐされている。 
 屈辱と羞恥と怒りと生理的な気持ち悪さとで体が震える。 
 顎先から汗が滴る。
 背中が撓る。
 眼鏡がずれ、視界の軸が歪む。
 声は出せない。出せば気付かれる。
 どっちに転んでも最悪な生き地獄。
 『痛いですか?……ちゃんとぬらしたんだけどな。処女じゃしかたないか』 
 痛いに決まってるだろ。あと、処女とかいうな。
 言い返そうにも、腹筋が変な具合に引き攣れて声が出ない。呼吸さえ満足にできない。
 くちゃくちゃ悪夢のような音がする。
 指が鉤字に曲がる。
 上体を支える肩から倒れこみそうになる。
 「ーッあ……は………ち、さと……やめ……」
 脂汗がしとどに流れ込み、目がかすむ。
 酸素を欲して薄く開閉した唇から、息も絶え絶えに哀願が迸る。
 この音を、この声を。
 警備員に聞きとがめられたらと考えると、気が気じゃねえ。
 力なく首振るも押しのける体力さえ既に使い果たし、二本指が律動的に抜きさしされるに任せる。
 体に変化が起こる。
 最初は痛く持ち悪いだけだったが、ジェルを捏ねる卑猥な水音とともに二本指を緩急付け出し入れされるうち、息が上擦り始める。
 「!!ッ、く」
 脊髄に電流が走ったような衝撃。
 体の奥、前立腺のしこりに指が触れる。
 前をさわられるのとはまた違う、中から巻き起こる激烈な快感に下肢が跳ねる。 
 前立腺への刺激はたびたび繰り返され、一際感度の鋭いしこりを指がマッサージするたび、仰け反る喉から千里を勘違いさせる声が漏れる。 
 膝に絡むズボンを蹴り、床を這いずって逃げようとするも、千里はどこまでも追ってくる。
 ちょっと身をよじるだけで突っ込まれた指の角度が変わり、鋭い性感が芽生えるため、逃走は断念せざるえない。
 「あ」
 背筋が凍る。
 気付かれた、か?
 「パソコン点けっぱなしだ」
 脱力。
 作業途中でスクリーンセーバーがかかったパソコンを見咎めた警備員が、そっちに歩を向けたのが、靴音の変化でわかる。
 待て。
 まずい。
 「待て待て待て、そのパソコンはっ……!!」
 ケツに指突っ込まれてるのも忘れ制止の声を上げかけるも、時すでに遅し。
 親切心から俺の机に歩み寄った警備員が、パソコンの電源を落とし、画面が真っ暗闇に飲み込まれる。
 …………データ消滅。
 「……………………ははははははは」
 今初めて気付いた。
 人間、絶望通り越すと笑えてくるんだ。
 棒読みの笑い声を上げる。もう涙も出ない。涙腺も枯渇した。乾燥した無表情で俯く。今夜は踏んだり蹴ったり突っ込まれたり、だ。
 三段オチかよ?
 オチなくていいから、たった今世を儚んで消えた俺のデータを返してくれ。
 「あ、こっちも点けっぱなしだ。この課の人はまったくどうしようも……」
 ふいに千里が立ち上がる。
 「大人しくしててくださいね、先輩。……大丈夫だとはおもうけど、念のため」
 しゅるりと布擦れの音。
 手際よくネクタイを抜いた千里が、何すると目を剥く俺に猿轡をかます。
 乾いた布の味が口に広がる。
 「んむぶふっ!?」
 割られた唇の間から呻きを発するも、千里は俺の首の後ろで結び目を作るや、さっさと外へ出て行く。
 「すいません、それぼくです」
 快活に名乗りを上げる。警備員が驚く。
 「うわ、びっくりした!人いたのか。あんたどっから湧いたの?」
 「そこの机の下です。消しゴムさがしてて……警備員さん来たのは気付いたんだけど、出てくタイミング逃しちゃって」
 好感度満点のシャイな新入社員を演じ、疑問の矛先をそらす。
 「残業中なんです。あと一時間で終わるから、待っててくれますか」
 「こっちのパソコンはいいの?消しちゃったけど、だれか使ってたんじゃないの?」
 「あ、それ先輩のです。消しちゃって大丈夫です、帰ったから。先輩ドジだからパソコン消し忘れて行っちゃったんですよ」
 誰がドジだ消し忘れただお前が緊縛して机の下に蹴りこんだんだろこの極悪人。死ね。
 二人が和気藹々話してる間、机の下に放置プレイされた俺は、屈辱と一緒にネクタイを噛み締める。
 ネクタイに唾液が染みる。
 割られた唇の間から獣じみた唸りを発する。
 「じゃ、そういうことで。ご迷惑おかけします」
 「いえいえ。しかし薄情な先輩だね、可愛い後輩に残業押し付けてとっとと帰っちゃうなんてばちがあたるよ」
 あたってるよ現行形で。
 ドアが閉まる。警備員が立ち去る。靴音が遠ざかっていく。
 靴音が戻ってくる。
 机を回り込み、頭上に影がさす。
 再び現れた千里がしゃがみこみ、猿轡を外す。
 「ぶはっ!!」
 息を吹き返す。
 「おま、え、千里、殺す気か!?酸欠で死ぬとこだったよ!!後ろ手縛って色々しただけじゃ飽き足らず猿轡までこの変態、今確信したお前は変態だ、変態の中の変態略して変態って元に戻っちまった!?」
 「猿轡しといて正解だった。まだまだ元気ありあまってるし」
 「………殺してやる」
 「前立腺マッサージ初体験?普通、中からさわってもらえませんもんね。初めてのわりには気分出してたけど」
 カッと顔が火照る。
 「ぼくに指突っ込まれて、感じてたじゃないですか。すぐそこに警備員さんがいるのに。気付かれなくてよかったですね」
 「お前……ばれたらどうすんだよ……こんなことして」
 怒りで声が震える。
 「警備員がうろついてるときにわざと……」
 「わざと?なんですか?わざと先輩のペニスをいじくって、わざと後ろに指入れてほぐしたこと、根に持ってるんですか」
 「……ッ、変なもんまで持参して!!」
 「ローションです。女性とちがって自然に濡れないんだから、準備しとかないと」 
 「四次元ポケットかよ!?布面積の割に無限だろ!!」
 「見ます?この日にそなえて選りすぐって用意した先輩を喜ばせるおもちゃが続々出てきますよ」
 洒落に聞こえなかった。
 「……嘘。冗談。いくらぼくだって初めての相手に使いませんよ、トラウマになる。ちゃんと段階踏まないとね」
 『初めての相手には』『段階』とかところどころ不穏当な単語が混じってたが、聞かなかったふりをする。
 俺の顔をまじまじ観察し、千里がうっとり笑う。
 「先輩は怯えた顔も色っぽいなあ。眉をしかめて、細めた目に尖った険を浮かべて、ちょっと拗ねたかんじがたまらない。犯したくなる」
 「変態の寝言はたくさんだ」 
 手首に痛みが走る。
 ネクタイで拘束され続けて腱を痛めたのかもしれない。
 「……お前がくだらない茶番仕掛けたせいで、とんだとばっちりだ。仕事も終わってねーのに……」
 「できてます」
 「え」
 顔を上げる。
 千里を見る。
 課の女どもを悩殺する後光放つエンジェリックスマイル。 
 「先輩の分までちゃんとやってありますよ。ほら」
 千里が顎をしゃくる。
 課長の机から這い出て近寄ってみれば、千里の机の上で、液晶が光り輝いてる。
 「千里……エロいけどエライ!」
 「エロいは余計です」
 我を忘れ憎き敵を称賛する。
 とりあえず、よかった。千里の分のバックアップはとってあった。あとはこれを出力して……
 「ーって、あの、千里くんなにを?」
 千里がパソコンの電源に指をかける。
 「人質です」
 あくまで敬語はくずさずにこやかに。
 脅迫。
 「ち、さと。もちろん、バックアップとってあるんだよな?」
 「先輩次第ですね。もう八割できあがってるんですけど」
 「待て、さわるな!わかったから!変なとこさわんな間違えて削除しちまったらどうする俺の首がすぱっと飛ぶ!」
 「失礼な。確信犯ですよ」
 頭が白紙に戻る。
 俺の顔も多分、空白になってる。
 「データがこの世から消滅するかどうかは僕の指と気分次第、ひるがえって先輩次第です。先輩が反抗的な態度をとるなら僕の指がうっかりすべって削除しちゃう可能性あり、そしたら困るでしょうね。先輩は課長に叱られ出世の道は閉ざされやがて後輩に追い抜かれて……課の皆も困るな、きっと。先輩の尻拭いで、またいちからデータ集めですよ?責任重大です。同期が残業でひぃひぃ言ってるすがた目に浮かぶなあ」 
 千里のふざけた声が、最悪の想像を招く。
 俺の尻拭いに追われて同僚がてんてこまいしてる絵が、鮮明に浮かぶ。
 俺のせいで、課全体に迷惑がかかる。
 呆然とする俺の傍らにひょいとしゃがみ、千里が耳打ちする。
 「先輩と同期の羽鳥さん、今度の週末家族で遊園地だって、楽しみにしてたのになあ。娘さん息子さんの写真見せてもらったけど、可愛かったな。息子さんは三歳で、遊園地初めてだから今からはしゃいじゃって大変だって。萩原さんは週末デートだっけ?遠距離恋愛してる名古屋の彼氏と半年ぶりに予定組んでるんだそうですよ。課長はゴルフだっけ?好きですよね、あの人も。駿河さんはお相手の実家に……」
 「千里」
 「そろそろお腹が目立ち始める頃ですよね。五ヶ月だっけ?今から産休の準備を」
 「千里ッ!!」
 大声を上げる。
 酷薄な視線が下りてくる。
 「わかってくれましたか?」
 ………わかったよ。
 わかったって、言えばいいんだろうが。
 「……バックアップ消されたくなきゃ言うこと聞けと」
 「ご名答」
 頭がおかしい。狂ってやがる。
 俺を跪かせて、言うなりにして。心底楽しげににこにこしてやがる。良心がからっぽの笑み。 
 葛藤に顔が歪む。
 指を突っ込まれた尻がずきずきする。
 ネクタイとの摩擦で剥けた手首がひりひりする。
 別に親しくもねえ同僚の顔が一人ひとり浮かび、週末の予定を俺の尻拭いで潰された奴らの嘆きの表情へと取って代わる。
 『ズミっち、全然気付かなかったよね』
 『安子の話、ちっとも聞いてくれなかったよね』
 安子の詰る声が甦る。
 …………どうでもいい。
 「…………何すりゃいい」
 自暴自棄で吐き捨てる。
 別に、他の連中がどうなろうが関係ねえ。週末を楽しみにしてる連中の予定が潰れようが、どうでもいい。
 ただ。
 俺も一応、会社員の端くれだ。
 けじめくらい、自分で付ける。
 人にケツ拭かせてしれっとしてられるほど、面の皮は厚くねえ。
 「いいだろ。好きにしろよ。ケツに突っ込みたきゃ突っ込めよ。お前の指でこなれて、ちょうどいいあんばいだろうさ。恥ずかしい写メも撮られてるんだ、いまさらだよ。どうせ手も足もでねーし。俺が逆らったら、あれ、会社中にばらまくんだろ」
 「……………」
 「どうだよ、今の気分は。絶好の脅迫材料手に入れて、気分いいか。情けない俺の姿見れて満足か。すごい念の入れようだよな、睡眠薬仕込みの栄養ドリンクもジェルも前々から用意してたのかよ。今夜がチャンスだって?俺とふたりっきりで、他にだれもいなくて、ちょうどいいやって?さっきのあれ、名演技だったな。警備員やってきてもちっとも動じず、俺を押さえ込んで前も後ろもぐちゃぐちゃにいじり倒して、楽しかったろ。笑ってたもんな、お前。しつっこく……ねちっこく……声出せないようにして」
 肉体的な消耗より、精神的な消耗の度合いが激しい。
 千里万里。
 お前が諸悪の根源だ。
 「くそったれ。死んじまえ。半年も同じ空気吸ってたなんて、吐き気がする」
 ぎらつき殺気立つ目つきで千里をにらむ。
 「こんな卑怯者の変態だって知ってたら半径1メートル内に近寄らなかった、徹底的に無視してやった。口もきかなかった。前から嫌いだったんだよ、千里。お前の平和ボケしたツラが、ふざけた笑い顔が、課の連中に愛される人当たりよさが、目障りでしょうがなかった」
 全身の毛穴からどす黒い憎しみの瘴気が噴き出す。
 今まで腹の底にためこんでいた千里への嫌悪感が、罵詈雑言の洪水と化し、怒涛の勢いであふれ出す。
 「先輩先輩黄色いくちばしでうるさくつきまといやがって、迷惑してんのがわかんねーのかよ。社会人なんだからちっとは空気読めよ。自分が会うやつ会うやつみなに愛されると思ったら大間違いだ、俺がいい例だ、初めて会った時から苦労知らずの世渡り上手が気に食わなかったんだよ!ホモだとかゲイだとか関係ねーよささいなことだ、気持ち悪いけど自分が対象にならなきゃどうでもいいよ、それぬきにしても大嫌いだ目障りだ、にこにこ調子よく笑いながら腹の中で人見下して、世間なめくさってるだろ!?」
 千里の表情が漂白される。
 俺を見詰める目に悲痛な色がやどる。
 「先輩、僕は」
 何か言いかけ、さしのべた手を遮り、怒鳴る。
 「さわるな」
 言葉で制しただけじゃきかず、懲りずに手がのびてくる。
 また、口を塞ぐつもりか。
 窒息の恐怖がぶりかえし、咄嗟にその手に噛み付く。
 「―!?ッ、」
 千里が指を押える。
 片膝立ちぺっと唾吐き、眼光で威嚇、牽制。
 「さわるなよ。卑怯が伝染る」
 「………ゲイが伝染るとは言わないんですね」
 切れた指を吸い、千里が苦笑する。
 「ゲイは生まれ付きの嗜好、性癖。卑怯は個人の性格。治す余地あるのに治さねえ後者が悪い」
 「先輩のそういうまっとうなとこ、好きですよ」
 褒められてもまったくもって嬉しかねえ。
 言葉を眼力にかえ忌々しげに睨み付ければ、千里がおもむろに俺の胸ぐらを掴み、顔を引き起こす。
 そのまま俺をひきずって椅子に座り、足を開く。
 「お言葉に甘えて、好きにします」
 片手で俺を押さえたまま、片手でズボンのジッパーをさげ、下着の内からペニスを引っ張り出す。
 顔に似合わずでかいそれと千里の微笑みを見比べ、息を呑む。
 この展開は、まさか。
 椅子をぎしりと軋ませ、傲慢に命令する。
 「フェラチオしてください」

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010426184804 | 編集

 「フェラチオしてください」
 目の前にご立派なものがある。
 頬杖と足組みで千里が命じる。
 まるで別人。愛想よい後輩の仮面をひっぺがせばその下には極悪非道な暴君の素顔があった。
 「ふぇら、フェ、ふぇらっておま、フェ……」
 どこかへ駆け去ろうとする海馬の手綱を引き過酷な現実と対峙する。
 フェラチオ。もちろん知ってる。俺は初心な童貞じゃねえもちろん経験済みだ安子はなめるのが上手かった、いや安子は今どうでもいい。
 跪いた床から骨まで凍て付く冷気が染みる。
 全身の毛穴が開いて濁流の如く脂汗が流れる。
 千里は退屈そうに頬杖付き、俯く俺をじろじろ眺めてる。
 畜生、今日は人生最大の厄日か?
 時間稼ぎに視線を巡らし壁時計を一瞥、遅々として時を刻む秒針に絶望する。
 ちんたら匍匐前進する秒針をぽっきりへし折っちまいたくなる。
 秒針が制した面積と残りの面積とを目の端でちらちら比較する。
 時よとまれお前は美しいとほざいたのは誰だったか、俺の場合は時よすっとばせ以下略だ。
 夢ならいい加減さめてくれ。
 これはとびっきりの悪夢だ。
 沈黙の重圧の中、俺の息遣いと秒針の音が過敏に研ぎ澄ました聴覚に響く。
 暑い。
 妙に息苦しい。
 体から水分が蒸発して喉が異常に渇く。
 今夜はやけに長い。クソ忌々しいほど長い。一日が循環してる。
 日付変更線をまたいでも永遠に明日にならないんじゃねえかって気がする。
 錯覚であってほしいが、そうとばかりも言いきれない。
 現に、俺の前にゃ暴君がいる。
 下克上が成功し勝ち誇った顔で。足を組んで自信を演出し。
 「…………………っ!」
 粘性の時間が流れていく。
 憤懣やるかたなく押し黙る俺とは対照的に千里は我が世の春を謳歌する。
 革靴の先がぶらぶらする。
 鼻歌のリズムでもとるように揺れる爪先が集中力を散らす。
 「聞こえませんでした?フェラチオです」
 歯切れよく繰り返す。
 淫語を囁いてる自覚もないのか、調教の一環なのか。
 真実は知らねえし永遠に封印したいが後輩は平然と落ち着き払って恥ずかしい単語を口にする。
 好青年風の清潔な顔だちに不似合いな淫語の連発にかえってこっちが動揺する。
 羞恥心の抵抗なんかさっぱり感じてねえすましたツラに唾吐きてえ。
 言った本人より聞いた側が猛烈に恥ずかしくなるなんてどんなプレイだ?倒錯してる。
 ひょっとして、これが狙いか。俺を追い詰め煽りたてて、楽しんでるのか。
 頬杖ついたまま口角を吊り上げ酷薄に笑う。
 人の苦痛や羞恥に欲情する変態特有の嗜虐的な笑い方。
 母性本能くすぐる系の童顔にそぐわねえ外道な笑みが邪悪なオーラを醸す。
 やっぱり。俺をおちょくって楽しんでやがる。
 さぞかし小気味いいだろうさ、みじめに這い蹲った俺のざまは。 
 脂汗垂れ流して煩悶する俺のツラは。
 胸の内で葛藤がせめぎあう。フェラチオ。その単語がずっしり心に食いこむ。
 逃げるな俺、戦わなきゃ現実と。
 CМのフレーズじゃねえが、俺は今、人生最大のピンチに直面してる。
 どうすればこの状況を打破できる?
 口を開き、また閉じる。
 無意味な行為を二度ばかり繰り返し、むりやり唾を飲みくだす。
 ひどく、苦い。
 「フェラチオって………普通、女が男にするもんだろ」 
 「男尊女卑発言?セクハラですよそれ。ゲイは生まれつきの嗜好で性癖と認めたのと同じ人の発言とはおもえない」
 千里が苦笑する。
 上手い言い訳じゃねえと自分でも思った。そりゃ鼻で笑い飛ばすさ。
 憎ったらしいことに、千里はえらく寛いでる。
 ゆったり頬杖付いて足組むポーズも自然体が売りの俳優さながら様になってる。
 椅子の高みから愉快げに俺を見物する。
 舌打ち。千里に口先の屁理屈は通じねえ。
 認めるのは癪だがこいつは俺よか一枚も二枚も上手だ。温厚な見かけに騙されたらドツボに嵌まる。俺が今身をもって証明してるだろ、な?
 失言ひとつカウントされるごとに布石を打たれ逃げ道が塞がっていく。
 「フェラチオですよ。まさか経験ないとか?」
 「あるよ。してもらったことなら。いちいち語尾あげんな、むかつく」
 「駿河さんの唇ふっくらして魅力的ですもんね。セックスアピールにとんでるっていうのかな……あれでフェラしてもらうの凄く気持ちよさそうだ」
 何を考えてるのか丸わかりの笑顔にかっとする。
 「人の女で変な妄想すんな」
 「しませんよ。女性に興味ないですから。僕は今想像の中で駿河さんと先輩比較したんですよ」
 ……ホモに愚問だった。
 千里が心外そうに抗議する。
 「先輩こそふられたくせに今だに男気取りは図々しいんじゃないですか。人の女とか俺の安子とか所有格で語るの、いいかげんうざいですよ。未練たらたらでかっこ悪い。会社じゃデキる男で通ってるくせに色恋沙汰には湿っぽいんだから」
 「人の恋路に口出すな。サラブレッドに蹴られて死んじまえ」
 「だって破局したんでしょ?」
 辛辣な指摘がぐさりと胸に刺さる。……ちょっとはオブラートに包め。
 俺の気も知らず千里は淡々と追い討ちかける。
 「昔の女の事は忘れましょうよ。過去の恋は水に流して今を生きる、これがホントのデキる男。人生の勝敗を決めるのは切りかえの早さです」
 「後輩に説教されたかねえ。俺がいつ恋愛相談のってくれって頼んだ」
 喉元に苦汁がこみあげる。
 後輩に人生訓諭されるのがこんなに胸糞悪いとは思わなかった。
 悶々としながら先の発言を反芻し、違和感の核を突き止める。
 「―って、安子と俺を比較したってことは、結局安子でも妄想したんじゃねえか」
 「気付くの遅いですよ先輩。詐術にひっかかりやすいですね」
 最悪。俺の女、もとい、元俺の女が穢された気分……元とか自分で言っといて地味にショック。自滅。  
 「俺に許可もとらず安子でフェラとかいかがわしい想像すんじゃねえよ」
 「先輩に許可とる必要ないと思いますけどね、もう彼氏でもなんでもないんだし。むしろ今の婚約者に許可とるべきかなって」
 「『彼氏でもなんでもない』とか『今の婚約者』とかわざとトーンあげるな、あてつけがましいやつだな。謙遜のふりがいやみなんだよ逆に」
 「狙ってますんで」
 悪びれずさらりという。絞め殺してえ。
 「僕個人の好みでいえば、ふっくらした女性の唇より、噛み癖のついた薄い唇が好きだな」
 振り子のように靴が揺れる。
 秒針が時を刻む。
 「…………先輩みたいに」
 ざらめみたいな声が鼓膜をなめる。
 顎を掴まれ上げさせられる。
 俺の顔を上向きに固定し、上から下から右から左からためつすがめつ熱心に鑑定。
 至近距離で顔を凝視され、気恥ずかしさを覚える。
 いや。
 それ以上に。
 「………気色悪い。べたべたさわるなよ、眼球に睫毛が刺さる」
 「眼鏡で遮断してるから大丈夫でしょ」
 千里が喉の奥で低く笑う。
 顔じゅう這い回る指の動きが不愉快だ。芋虫が這ってるようで字義通り虫唾が走る。
 顔なんか、普通、さわられることがない。
 よっぽど気を許した人間じゃねえと、さわらせたこともない。 
 一方的に顔を触られるのは、酷く不愉快で、落ち着かない。
 後ろ手縛られて拒否もできず、無防備に半裸と素顔をさらし、俺は今、千里に思い通りさわられている。
 視線の熱を感じる距離でじろじろ見られて、顔の造作をいじくりまわされる。
 ……眼鏡で視線も遮断できりゃいいのに。
 千里の指を、じかに感じる。
 猥らがましい指の動きがちりちりと皮膚を炙る。

 鼻を、瞼を、唇を。
 指が掠め、火照る。

 「………口角が少し下がり気味で、不機嫌そうに見えるのもセクシーだ」
 千里の指に点検され、今まで意識した事ない顔の造作を、むりやり再確認させられる。
 俺の目鼻の位置を確認しつつ、ぽつりと呟く。
 「薄くて形がいい。駿河さんよりよっぽど魅力的だ」
 「安子と比べるな……」
 「この口でフェラしてもらったらどんな気分だろうって、いつも想像してました」
 上唇を指がなぞり、悪寒と紙一重の快感が走る。
 「-っ………」
 上唇をすべり、下唇の端を捲る。
 「この唇が含むところを、この口が咥えるところを、この歯があたるところを、何度も何度もくりかえし想像しました。この喉が僕をあおって飲み下すところを。辛辣な毒吐く口が奉仕するところを。余裕をなくした久住さんを」
 顔の前に千里が来る。
 視線がかっきり噛みあう。
 「命令、聞いてもらいますよ」
 「お願いじゃなく命令ときたか」
 「今夜に限っては僕の立場が上ですよ。先輩に拒否権はない」
 ぎしりと椅子が軋む。
 名残惜しげに指を放し、腕を組む。
 「さあどうぞ」
 顔に余熱が残ってる。
 千里の指の火照りが移って。瞼が、唇が、顔の先端が熱を帯びる。
 ………どうしちまったんだ、俺は。これしきのことで。
 そっぽを向き、呟く。
 「………やりかた、わかんねーよ」
 「どうして?経験あるんでしょ」
 「してもらったことはあっても、したことはない。しかも男相手に……こんなっ……第一汚ねーだろ。常識で考えろよ、小便出すとこだぞ」
 「僕は先輩の奥まで突っ込んだけど」
 「頼んでねーよ。お前が強引に……」 
 「汚いとは思いませんでしたよ?」
 水掛け論だ。膝で這って前に出、吼える。
 「できるわけねえよ男相手にフェ、……らちオなんて」
 「もう一回。僕にもわかるように大きな声で」
 「わかってやってるだろお前……」
 「え、なんですか?聞こえない。もっと大きな声ではっきり言ってください」
 鬼畜策士め。
 「……んなもん、しゃぶれっか。考えただけで吐いちまう。自慢のスーツ、俺の胃の中身で汚していいのか」
 「萎えさせようって魂胆ですか?そんな子供だまし通じませんよ。降参してください」
 「したことねえし。したくねえし。大体意味わかんねえよさんざんケツの穴いじくってぐちゃぐちゃにしてもういいだろ十分だろ、さっさと突っ込みゃいいだろ!?俺よか若いんだからすぐおっ勃つだろ、わざわざなめさす意味あんのかよ、俺がなめてやんなきゃ勃たねえほどふやけてんのかよお前の股間のなまあたたかい棒は!?」
 「意味ならあります。プライドをへし折りたい。屈辱に歪む顔が見たい。早い話、余興かな」
 良心の呵責なく即答。
 腹の底で殺意が渦巻く。
 「………ベビーフェイスの悪魔め」
 「ツンデレクールビューティめ」
 「日本語か?」
 「ツンデレの解釈は多岐に渡りますけど……」
 「言うな。だが一言だけ言わせろ。俺はデレてねえ。勝手に捏造するな」
 断言する。ツンデレとかいう単語が日常会話でとびだすのは頭がおかしい証拠だ。
 秒針の進み具合は遅々として、悩む時間が引き延ばされるほどに心が揺れる。
 「レクチャーしてあげましょうか」
 千里がキーの上であざやかに指を動かす。
 「出た」
 検索終了の合図。
 反射的に顔を上げる。
 「フェラチオはオーラルセックスの一種であり、性的関係においてパートナーが相手の男性器すなわち陰茎を、口に含んだり舌を使うなどして刺激する行為。語源はラテン語のfellare、吸うという意味の動詞……へえ、知らなかった。勉強になった」
 「千、里?」
 「フェラチオは省略したフェラと呼ばれることが多い。文語的には吸茎すなわち口淫の一形態、フェラチオの隠語としては尺八、F、フェラーリなどがある。相手の男性器のうち陰茎の部分を口に出し入れし、男性器に対し唇・舌を使って刺激する。異性カップルの間で行なわれる場合は、性交の前戯として行われることが多い。フェラチオはする人される人、男女を問わず性的快楽を得る場合もあり、口内に射精することもまたよくある。ゲイの男性同士においてはむしろアナルセックスよりも簡易な為、挿入行為より好まれることがある」

 性交の前戯。
 口内射精。  
 マウスをクリック、スクロールしがてら続ける。

 「喉の奥深くまで男性器を挿入する行為はディープ・スロートと呼ばれ、男性が相手の口の奥まで陰茎を強制的に入れる行為をイラマチオと呼ぶ。イラマチオはフェラチオではないとされているが、強制的なフェラチオとする考えもある。イラマチオは陰茎の先端がのどの奥に達するので、場合によってはイラマチオをされる人が窒息による呼吸困難などにより耐えがたい苦痛を感じる場合がある。しかし、マゾヒズム的性癖がある人はこのような行為を好んで受けることもある」
 「やめ、ろ。もういい。わかった、俺が悪かった」

 吐き気が

 「また、イラマチオの場合男性の陰茎の先端が相手の喉の奥に到達すると、反射でむせて苦痛を感じたり、呼吸が困難になるので大変危険である。のどの奥に何か物が触れるとむせるのは、身体の反射のひとつである咽頭反射の結果。そのような反射を抑えることは不可能に近いのだが、そのことを理解しない男性が無理に男性器を相手の口の奥深くまで入れる場合があり、それによって相手に多大な苦痛を与え……」
 「もういい!!」

 叫ぶ。
 マウスを操作する手をとめ、千里がこっちを見る。
 突き放すような、醒めきった目。

 「反抗的な態度をとり続けるならイマラチオでもいいんですよ」
 「……………ッ………ん、なの、卑怯だ………」
 「そうですよ。卑怯ですよ。気付かなかったんですか?栄養ドリンクに睡眠薬しこんで、気絶してる間に後ろ手縛って、社メ撮って皆にばらまくと脅して、前も後ろも好き放題いじくって。そんな僕に卑怯は最高の褒め言葉です」
 「お前だって課の一員だろ……データをたてにとって……むりやりしゃぶらせて……そんなんで、満足なのか」
 千里の説明は確実に俺にショックを与えた。
 抑揚ない声が読み上げた内容はひどくグロテスクで知りたくなかった事実にあふれていた。
 フェラチオかイマラチオか、究極の二者択一。
 「好きにしろって言いましたよね?」
 頭の中じゃ千里の股間に顔突っ込んで犬みたいにしゃぶってる自分の姿がぐるぐる回る。
 データなんかどうなってもいいだろと悪魔が誘惑する。貞操が大事。正論だ。 
 千里が気まぐれに足を投げ出す。
 靴の先端が眼鏡のレンズにかちあう。
 ひらめいた。
 「眼鏡にかかったらきたねえ」
 「あとで拭きます」
 「お前の手は借りねえ」
 縛られた手をもぞつかせない知恵絞る。
 千里を睨みつけ、妥協案を申し出る。
 「………せめて、手はほどけ。やりにくいだろ」
 苦肉の策、苦汁の決断。肉を斬らせて骨を断つ寸法だ。
 手さえ自由になりゃこっちのもん、椅子に座って見下してる千里をひきずりおとしてぶん殴ってやる。
 一発逆転の望みをかけた申し出は、すげなく一蹴される。
 「ほどいたら殴るでしょ?」 
 殴らない。
 「殴る」
 しまった、本音と建前が逆になった。
 「ほら」
 俺は嘘が吐けない男なのだ。
 「ほどいたらお手してくれますか」
 「するか」
 「宏澄、お手」
 千里がうきうきさしだした手にぺっと唾を吐く。
 「……………イマラチオか」
 「あ、待て、今のは条件反射で」
 千里が椅子から腰を浮かす。
 引き攣り笑いでごまかす俺の横っ面に、乾いた音と衝撃が炸裂。
 じん、と頬が痺れる。 
 「………痛ってぇ………」
 眼鏡がまたずれた。
 上半分がぼやけた視界で千里を仰げば、困ったようなあきれたような、複雑そうな表情をしていた。
 「自分の唾付けた手で叩かれる気分はどうですか。殴り合いならともかく、男は同性にひっぱたかれるのに慣れてないからなかなか屈辱的でしょ」
 「お前の性根がひんまがってることはよっくわかったよ……親父にもぶたれたことねーのに」
 「過保護ですね」
 ………ネタが通じない。世代間格差だ。
 頬の痛みより後輩に殴られた事実にショックを受ける。
 サディストを自称するだけあって、千里はどうすれば人に最大級の屈辱を与えることができるか知り尽くしてる。
 試しに暴れてみる。
 さっきから何度も自力でほどこうと挑戦してはみるが、手首を締め上げるネクタイは強く食い込むばかりでまるでゆるまない。
 「縛り方にコツがあるんですよ。今度教えてあげます」
 「真っ先に縛ってやる」
 「じゃあやめた」
 ガキか。
 靴の裏側がカチカチ眼鏡にあたる。靴音と秒針、メトロノームの二重奏。
 「あんまりじらすよ割っちゃいますよ、眼鏡。破片が眼球に刺さって痛いだろうな。失明しちゃうかも」
 脅迫とも冗談ともつかぬからかい。レンズと靴がぶつかりあい癇性な音をたてる。
 「もう一回、はじめから読み上げますか」
 データなんて、どうなってもいいだろ。誰がフェラなんてするか。
 抗う心に反し、レンズにあたる靴がもたらす失明の恐怖が意志を絡めとっていく。
 それぞれの予定を控え、週末を楽しみにしてる同僚どもの顔が脳裏に浮かぶ。
 きつく閉じた瞼の裏に過ぎる安子の面影を振り払う。
 「…………やればいいんだろ…………」
 逡巡はものの五分にすぎなかったが、体感時間は一晩に釣り合った。
 深呼吸し、向き直る。
 椅子に腰掛けた千里が傲然と顎を引き、俺を待つ。俺みずからしゃぶるのを待つ。
 「…………………」
 口を薄く開く。
 おそるおそる身を乗り出し、顔を近付け、また放す。
 千里があくびを噛み殺し、キーの上で指を踊らせる。
 その手が電源にかかるのを見逃さない。
 「ーッ!」
 口を開ける。 
 「ふぐっ…………」
 塩辛い味が舌をさす。
 前屈みになり、千里の股間に顔を突っ込み、必死に舌を出し、なめる。
 猛烈な吐き気。口の中に唾液が満ちる。
 生臭い。
 青臭い。
 変な味が、する。
 口の中を圧迫されて苦しい。
 でかい。なんだこれ。入りきらねえ。
 含むの嫌さに舌先でちろちろやってごまかす。
 「馬鹿にしてるんですか」
 ばれたか。
 「あふ。退屈で眠っちゃいそうだ」
 じゃあ寝ろ。椅子から転げ落ちて頭打って死ね。芝居がかったあくびまでしやがって。
 お上品にあくびする後輩の股間に顔埋め、ぎくしゃくと舌を使う。
 安子の見よう見まねで。
 それこそ脇目もふらず、油断すればたれそうになる顎を持ち上げ、先端を含む。
 味なんか感じるな。
 これはただの肉色をした棒だと自己暗示をかけ、固くなり始めた全体に、必死に舌を這わせる。
 「フェラチオはオーラルセックスの一種であり、性的関係においてパートナーが相手の男性器すなわち陰茎を、口に含んだり舌を使うなどして刺激する行為」
 眠気ざましか、さっき読み上げた内容を再び語り聞かせる。
 「フェラチオは省略したフェラと呼ばれることが多い。文語的には吸茎すなわち口淫の一形態、フェラチオの隠語としては尺八、F、フェラーリなどがある。相手の男性器のうち陰茎の部分を口に出し入れし、男性器に対し唇・舌を使って刺激する」
 「……ふ…………ぁぐ」
 「異性カップルの間で行なわれる場合は、性交の前戯として行われることが多い。フェラチオはする人される人、男女を問わず性的快楽を得る場合もあり、口内に射精することもまたよくある。ゲイの男性同士においてはむしろアナルセックスよりも簡易な為、挿入行為より好まれることがある」
 「かはッ」
 「またイラマチオの場合男性の陰茎の先端が相手の喉の奥に到達すると、反射でむせて苦痛を感じたり、呼吸が困難になるので大変危険である」
 「……とっ……待て、……口ン中いっぱいで……奥、あたって……」 
 「のどの奥に何か物が触れるとむせるのは、身体の反射のひとつである咽頭反射の結果。反射を抑えることは不可能に近いのだが、そのことを理解しない男性が無理に男性器を相手の口の奥深くまで入れる場合があり、それによって相手に多大な苦痛を与える」
 「ぁっ……ぐ……」
 頭の上から後ろからうなじ、耳朶の裏にいたるまで執拗になでまわされ、注意がそがれる。
 辛い。苦しい。フェラチオってこんな苦しかったのか。今までずっとされるばっかで、知らなかった。
 ろくに息も吸えない。呼吸のタイミングが掴めない。くそ、酸欠になりそうだ。
 口を窄め、唇でカリを愛撫し、竿に舌を絡める。
 「あぅぐ……ぁふ………息、できね……」
 「鼻で吸うんですよ。先輩、必死すぎ」
 「誰が、必死に、させてん、だよ……」
 口に含んだものがずくんと脈打つ。
 「そりゃ……お前と、比べりゃ、平均サイズだろうさ……俺が、特別、劣ってるわけじゃねえよ………っは」
 「羊の皮をかぶった狼ってよく言われます」
 上、羊。下、狼。なるほど。
 ……納得すんな、俺。
 「口きく余裕あるんですか?肺活量に自信あり?」
 苦し紛れの憎まれ口でも叩かなきゃやってられっか。
 目がかすむ。唾液をこねる水音が後ろ暗さをかきたてる。
 後ろ手縛られたまま、前屈みの辛い体勢で股間に顔を埋め、口だけ使って奉仕にはげむ。
 拷問だ、これは。
 手首は擦れて痛えし、肩はがちがちだし。頭は朦朧として……顎はこって……舌は縺れて……
 逆流した唾液にむせて激しく咳き込む。
 「ギブアップ?」
 「ネバーだ」
 「負けず嫌いですね」
 前髪が捲れ、額が露になる。
 俺の前髪に指を絡め、前後運動に乗じて軽く揺らし、息を漏らす。
 「………はっ……」
 感じてる、のか。
 「楽しいか」
 純粋に疑問に思う。 
 快感に息を荒げつつ物問いたげに俺を見る。
 「……俺が気に入らないなら、他に簡単な手、いくらでもあるだろ。こんなまどろっこしいことしなくたって……たとえば、夜中にこっそり忍び込んでパソコンぶっ壊すとか。課長に提出する重要書類にインクぶちまけるとか。課長がヅラだって吹いて回ってるってチクるとか。こんなまわりくどい手使わなくたってもとから好かれてねえし、俺の評判おとしたいなら……」 
 「……鈍感」
 「?」
 「まだ気付かないんだ」
 「なに言ってんだ。意味わかんねえ。お前、俺が嫌いなんだろ。入社初めから邪険にされて根に持ってんだろ。はっ、逆恨みだっつの。俺に教える才能期待するほうが間違ってんだよ。世界股にかけて現地妻作りまくりの無敵のインディだって蛇だけは大の苦手だろ、それとおんなじだよ。人に物教えんのも優しくすんのも苦手なんだよ、俺は。ないものねだりされても困る。ああそりゃ気に入らなかったさ、認めるよ。第一印象から気に食わなかったって。お前みたいなお愛想売りの世渡り上手、正直いちっばん嫌いなタイプだね。らくして生きやがって」
 「………準備万端です」
 ぎしりと軋ませ椅子から腰を上げる。
 俺の唾液でぬれたそれは完全に勃起して、十分使い物に足る状態に仕上がった。
 「大嫌いな後輩に嫌々フェラチオお疲れ様です。フェラ顔、写メっとけばよかったかな」
 靴音高く千里がやってくる。移動に伴い床に不吉な影がさす。
 唾液にまみれた顎を拭きたいが、手を縛られてたんじゃそれも無理。不可能。ご愁傷様。
 「逃げないでくださいよ」
 「無理。不可能。予想が現実になる確率百パーセントの状況下で逃げずにいられっか」
 「もう慣れてるでしょうに。指三本もくわえこんでおいて、いまさら」
 「あれはお前が変なもん使ったから……」
 「シャツもズボンも脱げかけのかっこで言い訳しても説得力ないですよ。先輩、知ってました?口の中にも性感帯あるって」
 千里が口元だけで笑う。
 「舌って敏感ですよね。キスは共同作業だけどフェラチオは一方的な奉仕。先輩はマゾだから、僕のもの夢中でなめながら興奮してたんじゃないですか」
 「ドS基準だと自分以外の全人類マゾだろ」
 口の中に蟠る苦味が不快だ。
 尻で這いずって逃げる俺を靴音高く追い詰め、千里がおどけて手を広げる。
 「ゲイの男性同士においてはむしろアナルセックスよりも簡易なため挿入行為より好まれるってフェラの説明にありましたけど、一方がノーマルの場合はどうなんでしょうね。例にあてはまらないんじゃないかな」
 戦慄。
 「……こんだけやっといてまだ懲りないのかよ。もういいだろ。十分目的達したろ」
 「十分?いえ、まさか。生殺しですよ」
 靴音がやむ。
 逃走企てた体が反転、したたか床に叩き付けられる。
 「でっ!?」
 俺にすかさず足払いかけすっ転ばすや背中に跨り、手際よくシャツを剥いでいく。
 俺のシャツの襟を掴み、自分のほうへと力尽くで引き寄せる。
 「どっちが気持ちいいか試してみましょうか。先輩がМなら初めての痛みも快感になりますって」
 ーあー………
 まだ夜は終わらねーのか。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010425040431 | 編集

 俺は今、一生分の不幸を前借りしてる。
 「僕だけ生殺しなんて不公平です」 
 二十五年生きてきた中で間違いなく最悪の晩だ。
 一体俺が何をした。
 小市民的に真面目に生きてきたのに。
 税金だってちゃんと払ってんのに不公平だ不条理だ、くそ、もう払わねえ。
 「射精手伝ってあげたんだから、ちゃんと最後まで付き合ってくださいよ」
 「もう気が済んだろっ、終わりにしろよ!」
 辟易して怒鳴る。
 「こんだけやりゃ十分だろ、いい加減にしろよ、お前の茶番に付き合うのはうんざりだよ!残業だって終わってない、提出期限は明日に迫ってる、刻一刻とタイムリミットが近付いてるってのにこんな事してる場合かよ!?もういいだろ十分だろ、俺に薬飲ませて縛って前も後ろもいじくり倒してスッとしたろ、情けないかっこ写メして溜飲さげたろ?満足だろ、満足したって言えよ、これだけさんざんやっといてまだ物足りないとかふざけたことぬかすなよ!?」
 もう十分だ本当に。
 いい加減うんざりだ。
 叫び疲れた喉は枯れた。手首と声帯を痛めた。
 理不尽な仕打ちに対し猛烈な怒りが湧く。
 自慢じゃないが、他人に薬をのまされるのも、縛って転がされるのも初体験だ。しかも、会社で。毎日当たり前に出社してパソコンと向き合う日常空間でこんな目に遭おうとは夢にも思わなかった。
 なんだってこんな目に?報われない。報われなさすぎ。
 これでも真面目にやってきたつもりだ。
 結婚前提で付き合ってた女に捨てられ上司に煙たがられ同僚に疎まれ後輩に怖がられても、仮病も使わず出勤して、自分の仕事はきっちりやってた。
 当たり前だ、それが社会人だ。
 俺はデキる男を自認するが、デキた人間とはこれっぽっちも思わない。
 気に食わないヤツは無視するし、さがしてるホッチキスを見つかりにくい端っこにちょっと移動させるとか、笑って許せ……はしないだろうが、苦笑で流せるレベルのいやがらせの前科もある。
 だが。
 回り回ったそのツケで、後輩に強姦されるとは、予測不能だ。割に合わねえ。
 「リーマン失格だな、お前。私情と仕事をごっちゃにするなんて」
 何度も反芻した疑問が膨れ上がって怒りを誘発する。
 俺のシャツを脱がす手をとめ、千里が怪訝な顔をする。
 「俺が嫌いなら、正直に嫌いって言え。こんなまわりくどい手使って……脅迫材料掴んで……やりかたがえげつねえ」
 「よく言われます」
 おどけて首をすくめる。ふざけた笑みが癇に障る。
 千里は人の神経を逆なでする天才だ。とくに俺をむかつかせることにかけちゃ世界一だ。
 「ゲス野郎。死んじまえ」
 千里が不思議そうに首を傾げる。
 不覚にも、可愛らしいと思ってしまうしぐさだった。本性知らなけりゃの話だ。
 手は縛られて、体は組み敷かれて、それでも口は自由に動く。舌は意志どおりに動く。
 体の器官全部が支配下におかれたわけじゃねえ。
 抵抗の気力は尽きず、反抗の意志は固い。
 厄介な性分だと自分に呆れるが不利な状況になればなるほど鍛え抜いた毒舌でやりこめたくなる。
 服従は犬の性分で、俺の性分じゃねえ。 
 「嫌いだった。目障りだった。お前のへらへらしたつらがちらつくと無性にむかついた。課の人気者千里万里、だれにでも愛想がよくて優しくてドジもご愛嬌な新入社員。ちょっとしたミスなら大目に見てもらえる。かなりのミスも許される。地雷を踏んでも足取り軽くて気付かない。尻拭いする方の身になってみろ。世渡り上手なお前はいいよ、みんなに大目に見てもらえるんだから。けどな、お前が失敗やらかす影で、フォローに回ってる人間がいること忘れるな。お前のミスの穴埋めで、てんてこまいしてる人間がいること、忘れるなよ」
 言葉にして、初めて気付く。
 俺が千里を嫌いな理由。容認できない理由。
 ひとつひとつの失敗はささいなことかもしれない。しかし、それが累積すれば確実に影響が出る。歪みが生じる。それは小さな歪みだが、その歪みを修正するため必死に働いてる人間がいることを、こいつはわかってない。もしくは、軽んじてる。へらへら笑って調子よく切り抜けて「しかたないなあ」「千里くん新人だもんね」「無理ないよ」「次から気を付ければいいさ」とまわりに許されて。その影で、千里がトチった分の穴埋めをしてる誰かがいる。そして大抵、その誰かは、顔が見えない。見えないからこそ軽んじられる悪循環だ。
 その誰かは、大抵、要領が悪いお人よしだ。千里と正反対のヤツだ。
 千里がかすかに心配そうに顔を曇らせる。
 「………シュレッダーにかけたこと、怒ってるんですか」
 俺を縛って色々なさった本人らしくもない、殊勝な声と態度。謙虚と形容してもいい。
 一人前にしょげた様子が癪に障る。なにしても俺の癪に障る。
 存在するだけでこうも俺を苛立たせるなんてある意味すごい才能。  
 腹の底で脱皮した蛇のように悪意の塊がもたげる。
 「先輩が何言いたいかわかりません」
 「お前の甘ったれ根性に怒ってるんだよ」
 千里の発言を反芻する。
 俺の関心を引きたいがため、ただそれだけの理由で故意に失敗を重ねたと白状した時の、さっぱりした顔を思い出す。 
 あの時の千里からは、反省も後悔も、罪悪感さえ一片も感じられなかった。
 「くだらないよ千里。いっそ笑える。俺の関心を引きたくて、わざと失敗した?まわりに引かれない程度のささやかなミスを連発した?馬鹿か、お前。まわりに迷惑かからねえ失敗なんかねえよ。もしそんなもんがあると思ってんなら、小学校から出直してこい。小学校で消しゴムなくしたとき、どうした。隣の子に貸してもらったろ。教科書忘れたときは?隣のヤツに見せてもらったな。その間、隣のヤツは授業に身が入らず迷惑したろ。給食の配分間違えたら食えないヤツが出る」
 なんでこんな当たり前のことを、くどくどいちから説明しなきゃならねえんだ。
 千里はガキだ。思ったより、全然ガキだ。
 俺もそう変わらないが、自分の失敗が必ずしも自分限定の責任にならない現実を知ってるぶん、ちょっとはマシだ。
 千里の瞳が困惑を映して揺れる。
 俺のシャツを剥ぐ手がお留守になる。
 「お前、自分の失敗が利息もつかず自分だけに返ってくるって思ってんのか?」
 まさか。そんなはずがない。世の中ギブアンドテイクじゃなくよくも悪くもハイリスクハイリターンで成り立ってるのだ。千里が放免された裏で貧乏くじ引いた人間がいる。憎めない千里の尻拭いで、帰宅の時間が十分だか三十分だか一時間だか遅れた同僚がいる。上司がいる。
 俺は、それが嫌だ。
 見落としがちな事実を案の定ないがしろにして、俺の関心を引きたかったからわざとミスしたとかほざく千里の鈍感さが、大嫌いだ。
 「お前からすりゃ見えないとこであくせく働いてる人間はいないも同然なんだろうが、違う、ちゃんといるんだよ。お前がミスした分取り返そうとして、知らないところで頑張ってる人間が」
 顔が見えないからって、存在まで消されるのか?
 ちがう。そんわけない。そんな話あるか。目の届く範囲で頑張ってる人間の働きぶりだけが評価され、外側にいる奴らが無視される仕組みは間違ってる。
 俺は断じて認めない。
 青臭い考えかもしれないが、こればっかりは譲れない。譲ったら俺じゃなくなる。
 千里が渋面を作る。
 「………わかんないですよ、全然」
 拗ねたように呟く。その声はどこか心細げだ。難しい計算がとけない子供のようだった。
 「ダメだなお前は。社会人失格。会社やめちまえ。今はよくても、二・三年先がしんどいぜ」
 笑って許される時期がすぎたら、苦労するのはこいつだ。
 「…………あわれむような顔、やめてください。すごい馬鹿になった気がする」
 千里の顔が歪む。
 俺は皮肉っぽく笑う。
 「馬鹿だろ。お前」
 「気を引きたくてミスしたのが?」
 「馬鹿は反省しないからな」
 俺が今どういう顔してるかなんてわからない。
 ただ。
 千里が絶句するぐらいには、アレな顔をしてるんだろう。
 とんでもない馬鹿を見るような、同情と軽蔑の顔つき。
 縛られて床に転がった俺に、千里が気圧されている。
 俺の言葉に心揺らされ、唇を噛む。
 こいつのこういう顔を見るのは初めてだ。
 俺が記憶する限り、千里はいつも笑っていた。にこやかな笑みを絶やさぬムードメイカーとして課の連中に可愛がられてきた。その千里が今、真剣に悩んでいる。言葉に窮し、押し黙っている。
 童顔に不似合いな葛藤が浮かぶ。
 口を開き、また閉じ、もどかしげに俺を見詰める。
 思い詰めた目から、言葉足らずで大事な事を伝えられない歯痒さが伝わってくる。
 「……だって。こうでもしなきゃ、先輩」
 無言で俺を詰る。
 「………僕を見てくれない」
 またか。
 辟易する。
 「目障りなんだよ、気色悪ぃ笑い。お前のツラ見るたび胸糞悪いの定義を味わってるんだこっちは。人に迷惑かけといてへらへら笑える神経が理解できねえ。無邪気のふりした無神経ほどたち悪いもんないって知ってるか?お前のことだよ、千里。笑ってりゃなんでも許されると思ってる。世の中そう甘くねえっつのに、露骨に嫌ってる俺の前でもへらへら笑いをひっこめねえ。喧嘩売ってんのか?かりかりする俺を腹ン中で笑うのは気分いいか。俺、言ったよな。初めの頃に、人が物教えてるときにへらへらすんなって。真剣に聞けって。顔の筋肉動かしてる暇あったら耳と手動かせって」
 「覚えてます」
 「覚えてるなら……」
 説教を遮り、唐突に動く。
 強制脱衣再開。
 「-ッ、今動かさなくていいんだよ!!」
 キレた。
 人が真面目に説教してる時に。
 自己中な千里にいきりたち、鳩尾めがけ蹴りこもうとして、足ごと押さえ込まれる。
 千里の全体重が乗っかって、足の骨が軋む。
 「悪意には悪意を倍返しするのが礼儀です」
 「痛っで……どけ、折れる!!」
 「ちょっとのったくらいで折れるほどヤワじゃないでしょ」
 完璧馬鹿にした口調に沸騰する。野郎、しおらしい態度は演技か?また騙されたのか、俺は。
 後ろ手縛られたまま千里をどかそうと身をよじり暴れる。ネクタイの拘束感が強まる。両手を一本に束縛したネクタイはなかなか強靭で、繊維の耐性は侮れない。安物のくせに丈夫だ。
 「暴れても痛みが長引くだけで不毛ですよ。あ、不毛とホモって似てますね」
 「似てるけどお前が言うなよ!?」
 思考パターンが読めない。千里の相手は疲れる。
 完全に調子を狂わされ、負け犬の遠吠え的に無能をさらけだし喚き散らす俺の胸ぐら掴み強引に立たせ、机の方にひきずっていく。
 身をひねった拍子に椅子に衝突、騒音を伴い倒れこむ。
 激突した机から書類が滑落、騒々しく床に散乱。
 強盗にでも遭ったかのようなオフィスの惨状を見たら警備員が卒倒しかねない。
 だが今の俺に警備員を心配する余裕はない、強盗に刃物突き付けられるより酷い目に遭おうとしてるのだ。少なくとも俺の中じゃ強盗に刃物で脅されたほうが百万倍マシだ、今からされる事は確実に一生のトラウマになる……予感がする。
 けたたましく警報が鳴り響く。
 頭の中で。 
 「待て千里、紙踏んでる、なんかそれ重要っぽい判子がちらっと!」
 「書類より僕を見てください」
 千里の靴に踏まれ資料がぐしゃりと潰れる。ああヒサン。
 靴跡の付いた資料から正面に顔を戻せば、千里が鼻先にいた。
 この体勢は、非常にやばい。
 背中に机があたる。千里と膝がぶつかりあう。右向き左向き血走った目で逃げ道を模索する。ない、見当たらない、八方塞り。唯一の出入り口はドアだけ、しかし三十歩の距離がある。
 ぎりぎりまで引き絞った緊張が弾け、恐慌を来たす。
 靴の下でぐしゃぐしゃになった資料のたてる紙擦れの音に足元から炙られ、背中に食い込む机の固さに腰が引ける。 
 「タマの汁抜きなら他あたれ、突っ込まれたら痛すぎて死ぬ!」
 「往生際悪いです」
 千里が押し被さってくる。
 咄嗟に顔を背ける。
 首筋に、火が点く。 
 「っあ」
 むきだしの首筋を熱い唇が這う。
 指とは違う粘膜の感触に、肌が粟立つ。
 「やめろ!!」
 肩を揺すって拒絶するも、千里は構わず、俺の首元に手を添えてキスを施す。
 首筋を唇がすべっていく。
 むきだしの肩に手が移る。
 鎖骨の窪みに指が触れる。
 過敏に仕上げられた皮膚が、唾液の筋ひくキスに疼いて火照る。
 千里の唇が触れた部位から性感帯に造り替えられていく。
 「……っ…………ん、なとこ、口つけるな……」
 千里の唇は少し乾いていた。
 そのかさつきさえ刺激となり、やすりをかけるような性感を燻り出す。 
 「こういうとこ、自分でキスできないから、実際されてみないと感じるってわからないでしょ」
 ひりつく唇で煽りながら、千里が呟く。 
 「素朴な疑問なんですけど、駿河さんと別れてから、自分で慰めてたんですか。風俗にも行かず?それじゃ溜まるはずだ。苦しいですよね。自慰にも身が入らない。自慰するごと思い出すのは別れた彼女のよがり顔なんて救われない。射精してから死にたくなる」
 図星だ。
 最近慎んでたのは、条件反射で安子の顔が思い浮かぶからだ。
 もういない女が俺に組み敷かれてどう喘いだかどんな痴態を演じたかしこしこおかずにしては、事後、自己嫌悪で死にたくなる。
 ふられた女の残像が、今もって俺を苛み続ける。
 「未練がましいって、笑えよ。ふられた女にぐだぐだこだわって、みみっちい男だってさ」
 胸をなめまわす千里から顔を背け、露悪的な笑みをむき出す。
 「課の連中が陰口叩いてるのも知ってる。安子は正しいよ、ご立派だよ。玉の興バンザイ。元彼の俺も鼻高々だ。俺が知らねえ間に二股かけて、他の男のガキ孕んで、とっとと結婚決めて……女の浮気にも気付かなかったんだ。最低すぎて笑える」
 「まだ好きなんですか」
 「………………」
 一旦俺からはなれ、口を開く。
 「選んでください」 
 「?」
 机にもたれ、息を整える。
 訝しげに見上げる俺から二歩退いた千里の靴が、散乱した書類を踏み付ける。
 書類を踏みにじり、微笑む。
 「恋人の机で犯されるか自分の机で犯されるか、選んでください」

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010424024709 | 編集

 「はあ!?」
 愕然とする。
 「どっちの机とか、関係ねえだろ。机は机、仕事する場所。パソコンのっけて、書類おいて、ホッチキスおいて、あとはなんだえーと……そう、茶だ。湯のみをおく。あれ、場所さがすのも大変だよな。課長の机なんか汚いからおくとこなくてさ。へたにバランス崩すと山積みの書類ごとなだれおちて大惨事、隣の机まで散らばって二次三次被害が深刻」
 「どっちにします?」
 上から覗きこむ千里をきっと見返す。
 「どっちもごめんだ。変態が」
 「まだそんなこと言ってるんですか?今先輩が寄りかかってるの、駿河さんの机ですよ」
 悪い偶然は重なる。
 いや、必然か。
 千里がわざと追い込んだのか。
 「お誂え向きですね。手間がはぶけてちょうどよかった。それにしても先輩、別れた彼女の机にすがるなんて、心底女々しいですね。今のかっこ見たら駿河さんも幻滅するな、きっと」
 千里がふざけて手を広げる。
 「幼稚だよ、お前。まるっきりいじめっこの思考回路だ。スーツ着る年になってまで、んなことして楽しいか」
 「楽しいです。今まで知らなかった先輩の素顔や痴態が色々見れて得した気分だ」
 どうも本気で言ってるらしく、ご満悦に目を細める。
 しなやかな手がのびて脇腹にしのびこむ。
 「こりねーな……!」
 手を払おうと身をよじる。千里は許さない。たじたじの抵抗がかえって興をそそるらしい。
 死ね変態。
 調子に乗った変態が脇腹に這わせた手をゆるゆる動かす。
 脇腹を擦られ、不快なくすぐったさが芽生える。
 固く突っ張った膝を千里の下半身に固定され、背中から机に倒される。
 手が上へ上へと移動する。
 机と千里の間に挟まれ身動きできない。
 縛られた手が机と腰に挟まれ、軋む。
 「!痛ッ……」
 自重に圧迫される手首の痛みに呻けば、千里が薄く笑う。この上なく狡猾な笑み。
 「机、どうですか。背中当たってるでしょ。固くて冷たくて……ごりごりする」
 「挟まれてちぎれる……」
 「大げさですね」
 「ホントに痛いんだよ!」
 「痛いの痛いの癖になあれっておまじないすれば大丈夫」
 「ドーパミンですぎでやばい合図だろ!?」
 千里の手が胸板にじゃれつく。
 首筋を気まぐれにさわり、肩にそってすべり、鎖骨をくすぐる。
 露骨な触り方。
 下心を隠しもしない劣情そそる前戯。
 千里は器用だった。
 たださわるだけなでるだけで特別な技巧をこらしてるようには見えないのに、バターのような手が吸いつき、快感の濃淡が熱の分布となって肌に広がる。
 「床に寝転がるのは服がよごれるからおすすめしません。初めてで立ったままはきついからつまらない意地張らずよりかかったほうがいい」
 「……犯すの前提で話すすめんな……」
 千里に押され、机に乗り上げる。
 ばさばさと派手な音たて机上の書類がなだれる。
 「恋人の机がいい?」
 千里が目だけで嗤う。
 顔の上と下で温度差のある笑み……背筋が薄ら寒くなる笑い。
 安子の机を飾る私物が書類もろとも転げ落ち床で跳ねる。パソコン横のぬいぐるみもクリップやセロテープの小物も一緒くたに……あ。あの不細工なパンダ、安子が大事にしてたのに。
 咄嗟に膝を浮かせ、落下したぬいぐるみをすくう。
 安堵したのも束の間、膝にのっかったパンダに相好を崩せば、千里が面白くなさそうな顔をする。
 ぽん、と放物線を描いてパンダのぬいぐるみが弾かれる。
 「あっ、おまっ、蹴りやがったな!?せっかくキャッチしたのに」
 「こりないですね」
 千里の顔が急に近付き、威圧感に息をのむ。
 「自分の机でこんなことされてるって知ったら、駿河さん、びっくりするだろうな」
 押し被さり、首筋をついばむ。
 「先輩は明日から駿河さんの机見るたび僕にされたことを思い出す。今晩僕にされた一部始終をはっきりと、感触もまざまざと。とても平静じゃいられない。駿河さん普段はボケボケのくせに妙に勘が鋭いから、気付くかもしれませんね。女性ってそういうの敏感でしょ。小物の位置が変わっただけでぴんときそうじゃないですか。元通りにしても、絶対不審がりますよ」
 「やめろ」
 「素知らぬ顔、できますか。証拠が残ってるかもしれないのに。先輩が聞き分けなく暴れたせいで細かい傷たくさんついたのに。駿河さんが大事にしてた小物もばらばらになって、ぬいぐるみは床におっこちて汚れがついて、なにもかも完全に元通りにはいきません。隠し通せるかな?先輩、打たれ弱いからな。絶対ボロ出ますって」
 「んっく」
 首筋を甘噛みされ、官能的な痛みに喘ぐ。
 背中が机の表面に付く。
 パソコンが肩に弾かれ端へと追いやられる。 
 「匂い、ついちゃうかも。先輩の体液の匂い。元カノなら当然知ってますよね。机に飛ぶかもしれない。なんてごまかします?残業中お前の裸思い出してむらむらしてマスターベーションしたとか捏造します?元カノの机で自慰するのと男に犯されるのと、どっちがより最低ですかね。判断保留かな」
 熱に浮かされたように饒舌にしゃべくりながら、発覚の恐怖に喘ぐ俺に、まったく心のこもってない気休めを吐く。
 「安心してください、先輩。駿河さんが今日の事聞いてきたら、共犯の僕がアリバイ保証してあげます。先輩は机の前通りかかるたび自分がされたこと思い出すんだ。挙動不審に陥るさまが目に浮かびます。僕にあっけなく押し倒されて、必死にもがいて暴れてなのに抜け出せなくて、抵抗を重ねるほどにシャツは乱れて……痩せた胸板も腹筋も丸見えで。待ち受けていたように吸い付く」
 「吸い付いてねえよ、よく見ろ、鳥肌立ってるだろ!!」
 是が非でも俺を共犯に引き込みたいみたいだが、断固拒否だ。俺はノーといえる日本人だ。
 剥き出しになった上半身を手と唇が同時に責める。
 首筋を唇でなぞられ、息が上擦る。
 死ぬほど嫌いな男の唇を好きな女と勘違いしたのか、執拗な愛撫が体をほぐしたのか、発汗で鳥肌が消え始める。
 「っあ………さわ、んッ、な……」
 「恋人の机で男にキスされて興奮するなんて、変態だ」
 このカウンターは利いた。
 「恋人の机で悪戯されるなんて倒錯した状況ですよね。まんざらでもないんじゃないですか、先輩も。感じてるし。ああ、否定は結構ですよ。口ではちがうちがう騒いでも、体が裏切ってるし。こんな状態でちがうって言っても、説得力ないですよ」
 「俺、は」
 「だからいいですって、意味のない否定は。むなしいから」
 首筋でぬるつく舌が波打つ。
 「ーいっ………て、め、ふざけんじゃね……」
 「しょっぱい」
 「離れろ、殺す、絶対殺す。なめる趣味もなめられる趣味もねえって何回言わせんだおなじこと、俺の首なんかなめたって汗の味がするだけだよ、不味いだろ、塩分過多だろ、健康に悪いぞ!最近カップラーメンばっかだから相当塩濃度高いぞ、まずいって!」
 「美味しいですよ?」
 だめだ、罵倒すればするほど嬉しがらせる。マゾでサドなんて死角なしじゃねえか。
 引き離そうにも千里はぴったり密着して背中に机がめりこんでにっちもさっちもいかなくて、膝と膝で押し合ってホモ、じゃねえ、不毛な攻防戦くりひろげる間にも首筋から胸板へと舌が這いおりてくる。
 「……舌、は、よせ……」
 「首と胸が唾液で光ってる」
 悶々と考える。
 最善の判断、最良の決断。深夜のオフィスで他に人はいなくて目の前には千里がいて俺は後ろ手縛られて机に押し倒されて、王手がかかってる。
 このまま犯されちまうのかよ、俺は。
 よりにもよって後輩に。男に。大嫌いなヤツに。
 「彼女とも会社でしました?」
 あからさまな嘲弄に手を縛られてるのも忘れ跳ね起きれば、乱暴に押し戻される。
 机が振動し、衝撃でまた書類の一角が崩れる。
 「……んなわけ、あるか!」
 カッとして言い返す。
 「勝った」
 優越感に酔った声が不安を駆り立てる。
 背中が痛い。腰が痛い。手首が痛い。
 この体勢は、辛い。腕ひしぎの拷問だ。
 右を向いても左を向いてもオフィスの光景と机の面がちらつく。机の持ち主の顔が瞼裏にちらつく。固く無機質な机の感触と持ち主の記憶は密接に結び付いて切っても切り離せない。気分はまな板の上の鯉、かっさばかれるのを待つだけ。
 「思い出の詰まった恋人の机だ」
 千里のお節介な指摘が、別れた女の面影を炙りだす。
 『ズミっち寝不足?目の下に隈できてる』
 おぼろにかすむ視界に覆いかぶさる人影をとらえる。
 背中とかちあうパソコンキーがかちゃかちゃうるさく鳴る。
 椅子に腰掛けキーを叩く安子。
 眉をちょっとしかめ気味にして下唇突き出して、むくれた顔。
 集中する時の癖。俺が一番好きな角度。
 安子は化粧してない顔のほうがより子供っぽく親しみやすかった。
 キーをかちゃかちゃやりながらよくでかい独り言を言っていた。
 『やぁだ、フェリシモのサイト繋がらないとおもったら、半角入ってんじゃん』
 『消費税加算が消費税火山になってる!あったま悪い、このパソコン!』
 会社でブログを書くサボり癖がとうとう治らなかった。覗こうとすると「エッチ」の定番台詞とともに額をつつかれた。今思えば、安子がプライバシー保全の名目で隠し続けたあのブログには二股生活の内実が赤裸々に記されてたのかもしれない。
 『ズミっち、今日焼肉いこっか。タン食べよ、タン』
 安子が誘う。
 『ズミっちこれ好きでしょ?オロナミンC。冷蔵庫にたくさん買ってしまっといたからね。あんま無理しちゃだめだよ』
 安子が憂う。
 『ズミっち、人に優しさ見せるのへただから。誤解されやすいけど、ホントは照れ屋で不器用なだけだって、知ってるよ』
 安子が笑う。
 明るくはしゃいだ声と共に、仕事に忙殺され忘れたふりをしていた失恋の痛みが甦る。
 胸が痛い。
 瞼がじんと熱を帯び、ちょっと気を抜けば女々しい嗚咽がもれそうになるのを、奥歯を噛み縛りぐっと堪える。
 「彼女の事、思い出してるんですか」
 追憶の笑顔が急速に薄れ、現実の千里の性悪な笑みが取って代わっていく。
 からかう千里を不自由な体勢で仰ぎ、びっしょり汗をかきつつ妥協案をひねりだす。
 「………どうせなら課長の机のほうがやりやすいだろ。ヒラの机よか広いから」
 唐突な申し出に、一瞬、千里が困惑する。
 内心、打算が働く。
 課長の机にはでかい灰皿がのっかってる。ガラス製の重たいヤツだ。足に狙って落とせばー
 「自分の机は?」
 「え?」
 「自分の机を拒む理由は」
 千里が静かに聞く。
 「それは……」
 うしろめたさに口ごもる。
 「………わかるだろ」
 「まあ大体わかりますけど。先輩の口から聞きたいなって」
 「死ね。瞬く間に死ね」 
 「恥ずかしいんですか。恋人の机より?」
 なぶるような視線を避け、俯く。
 床に散らばった書類と自分の薄汚れた靴が目に入る。
 自分の机が目に入ったら、平静を保ち続ける自信がない。 
 「毎日毎日座って仕事する場所ですもんね。パソコンと向き合ってキー叩いてお茶飲んで、会社にいるあいだ大半をすごす場所だ。パーソナルスベースってヤツですか?」
 「なんだよ、それ」
 耳慣れない単語に眉をひそめる。
 「心理学用語です」
 千里が博識に説明する。
 「パーソナル・スペースはコミュニケーションをとる相手との物理的な距離のこと。簡単に訳すと縄張り意識かな。心理的な私的空間ゆえ持ち運び可能です。机は代表格。座ってる時間に比例してパーソナルスペースに組み込まれる」
 俺の顔をまともに覗きこむ。
 「120センチから360センチ」
 「?」
 「職場の同僚と一緒に仕事をするときの適切な距離だそうです」
 次第に顔が近付く。 
 「45センチから120センチ。 友人などと個人的な会話を交わすときの距離」
 清潔な前髪がさらりと揺れる。
 視線が絡む。
 千里の唇が、吐息の絡む至近で動く。
 「45センチ以内。家族・恋人などとの身体的接触が容易にできる距離。今、何センチか、わかりますか」
 「15センチ」
 「ゼロです」
 ゼロになった。
 顔が被さる。
 唇が重なる。
 噛まれるのを警戒してか舌は入ってこなかった。
 唇の感触から言葉にできない何かを判定する実験のような、大胆で慎重なキス。
 一瞬だけ触れ合った唇がはなれ、余韻に浸るように一呼吸おき、呟く。
 「………パーソナルスペースを侵害されると、人は凄まじい不安感と不快感を抱く」
 「その通り。実感したよ」
 毒々しく唇をねじって言い放てば、千里が鷹揚に微笑む。
 透明すぎて底が見えない笑顔。
 「自分の机で犯されたら、一年中、座るたびに、レイプされた記憶がフラッシュバックする」
 「仕事してても、なにしてても、忘れられない。楽しい思い出だよ。あんまり楽しすぎて、出社拒否になるのも時間の問題」
 「先輩は、僕を忘れない」
 思い詰めたように俺を見る。
 こっちが息苦しくなるようなまなざしに、妙なうしろめたさを覚える。
 一心に絡み付く視線を振り切り、吐き捨てる。
 「わかったらとっとと移動しろよ。課長の机の方が広くて都合いいだろ。そっちのがお前もラク……」
 言い終えるのを待たず、千里がとまどう俺の肘を掴み強引にひきずっていく。
 課長の机と反対方向に。
 「千里!!」
 叫ぶ。
 肘を振って抗うも握力はゆるまず、踏ん張って抗えば容赦なく手綱をひかれる。
 ぐしゃぐしゃに書類をにじる。
 セロテープやホチキスを蹴飛ばす。
 俺は馬鹿だ。千里の性格を考慮すりゃ、今の発言は、とんでもない失策だった。千里は明らかにこの状況を楽しんでる、俺のプライドへし折って喜んでやがる。次はどんな目に遭わせ屈辱をなめさせようかうきうき考えてらっしゃるのだ。馬鹿正直に言うんじゃなかった、油断するんじゃなかった。読み取られてどうする。
 千里は俺の一番いやがることをする。
 「どのみちこうするつもりだったんだよな、俺がどう答えるか頭のいいお前はぜんぶお見通しでぬかりなく仕組んでたってわけだ、はっ、恐れ入ったよ!!パーソナルスペースとか屁理屈こねやがって、全部お前の計画だろ!!」 
 千里は俺を掴んではなさない。
 軟弱な優男のくせに腕力は結構強い。捻り潰されるかもと物理的な圧迫と恐怖を感じる。
 指が食い込む痛みに顔をしかめる。
 「4.5メートル」
 千里が怪訝な顔で振り向く。
 自分の顔が下劣に歪むのが、顔筋の動きでわかる。
 「45センチの陪乗。お前と俺のホントの距離さ」
 親密な人間が45センチ以内にいるのなら、千里。
 お前はその陪乗、離れてる。 
 「半径5メートル離れなきゃ同じ職場にいたくねーよ、今度課長に席替え申請して」
 衝撃。
 机めがけ突き飛ばされる。
 「痛って……、」
 「ほら、またゼロに戻った。先輩が逃げたって、何度でも追い付いてふりだしにもどしますよ」
 耳元で場違いにはしゃいだ声がする。そのくせ、底冷えするような声だ。
 パソコンが傾き、書類がばさばさとなだれて羽ばたく。
 舞い散る書類の中、無邪気な微笑みを浮かべた千里が、おもむろに下肢に手をさぐりいれる。
 「!!-っ、あ」
 息が詰まる。
 時間を経て窄まり始めた孔に指をねじこみ、体内に残ったジェルをかきまぜすくいとり、それをまた内壁にぬりこめる。
 「粘膜は嘘が吐けない」
 「……指……抜けっ……」
 熱と寒気が混濁し、膀胱のすぐ上あたりにずきずきした痛みを伴う不透明な快感が沈殿してく。
 「ちゃんと掴まってて……って、むりか。縛られてるますもんね。その体勢、辛いでしょ。膝ががくがくして、今にもへたりこみそうだ」
 机に上体が乗り上げる。
 そうでもしないと、バランスがとれない。膝に全体重がかかって、沈み込んじまう。
 「………ケツに、指突っ込んで、楽しいのかよ……残業より、大切なことか……俺の出世がかかってるんだぞ!」
 「諦めてください」
 さらっと言う。
 「先輩どうせ上司受け悪いから出世しませんよ。せいぜい係長どまり」
 「具体的な予言するなよ、めちゃくちゃリアルじゃねーか!?」
 指が中で鉤字に曲がる。
 「ー!!」
 奥のしこりに指がふれ、強烈な快感が脳天まで貫く。
 指が忙しく出入りする。
 一本、二本、三本。
 溜まったジェルを水音激しくかきまぜて、中をピストンする。
 「く………」
 背筋がぞくぞくする。
 激しい指の動きが、体の奥の熾き火を掻きたてる。
 性感帯に作りかえられた全身に快感が飛び火する。
 掻き立てた熱を煽り全身へと散らし、それでも指は止まらず、リズムをつけ抉りこむ。
 「あ、ぅっく、ぁ」 
 潤んだ粘膜が指を咥え収縮、電撃が腰を鞭打つ。
 前立腺を中からしつこく刺激され、机を覆う書類を散らかし、汗に塗れてばたつく。
 「腰が上擦ってきた。前もまた……初めてなのに指だけでイけるんじゃないですか?自分の机で犯されるシチュに興奮してるとか。あ、写メっとこうかな」
 「撮ったら、殺す」
 「頃合だ」 
 一際派手な水音たて指を引き抜く。
 太股にあたる固い物。
 「眼鏡、動くたびカチャカチャ鳴って、邪魔ですね。はずしましょうか。壊れちゃうと困るし」
 顔の前に指が来て、レンズに触れかけ、ひっこむ。 
 「………やめた。似合ってるのにもったいない」
 軽く言い捨て、でかい犬がじゃれるように背中を抱く。
 さんざん指で慣らされた尻穴に、先端がめりこむ。
 「眼鏡越しに睨まれると、ぞくぞくするんです。その蛆虫でも見るような目、最高だ」 
 「欲張らずサドかマゾかどっちか決めろよ……」
 「知ってます?サドとマゾって両立するんですよ」
 知りたくなかった真実だ。
 「眼鏡、壊さないでくださいよ」
 「弁償するのはいやか?ケチだな」 
 せいぜい憎たらしく皮肉れば、耳の裏側に唇が来る。
 「弁償するのは構いませんけど、レンズが割れたら先輩、散らばったガラスに顔埋めるはめになりますよ。いやでしょスプラッタ」
 「人の顔さんざん歪ませといてよく言うぜ」
 「歪んだ顔は色っぽい」
 「異常だ。ねじくれてる」
 「久住さんは虐めたくなるタイプだ」
 耳の裏側に唇がふれる。
 耳裏をなぞる唇が体温を追い上げ、顔の前に回った手が、眼鏡を正位置に戻す。
 千里の声が淡々と残酷な事実を語る。
 「目に焼き付けてください。これは久住さんの机、久住さんが入社二年間使ってきた愛着ある机だ。あなたは今、上も下も裸に剥かれて、さらにはネクタイで後ろ手縛られた恥ずかしい格好で、その机に押さえ込まれている。犬が交尾するような姿勢でね」
 「黙れ」
 「勃ち始めてる。後ろはぐちゃぐちゃ音をたてる。中に三本も指突っ込まれて、しつこくねちっこくいじくられて、拒む心と裏腹に体が発情してる。前は固い。机がごりごりあたる。後ろには僕がいる。前はごりごり後ろはぐちゃぐちゃ、はさみうち。逃げ場はない」
 耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
 「腿に滴ってる」
 緊張に突っ張る内腿をジェルがぬるりと伝う。  
 猛烈な羞恥。怒り。屈辱。殺意。失禁の感覚に近い。
 机に突っ伏し、交尾される雌犬のように下半身をさらした格好で楔を穿った肛門をじろじろ視姦される。
 体の下敷きになった書類がうるさくがさつく中、引き攣る腹筋を励まし、呪詛をしぼる。
 「泣いて謝って土下座しろ、後輩」
 声を出すのが、辛い。
 肺が収縮し、喉が痙攣し、喘鳴のような声しか出ない。
 内臓が浮く感覚に脂汗がにじむ。
 机の固さに縋り、もってかれそうな意識を辛うじて繋ぎとめる。
 千里ががさりと書類を踏み、俺の腰を手で抱え持つ。
 もう片方の手は俺の頭へおき、指の間にくしゃりと髪をまきこむ。
 「そっちこそ」
 耳の裏を這う唇から、吐息と一緒に声を紡ぐ。
 「泣いて喘いで腰振って楽しませてくださいよ、久住先輩」

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010423105045 | 編集

 「泣いて喘いで腰ふって楽しませてくださいよ、先輩」
 シャツの襟元を指で寛げ、喉を晒す。
 暴かれた肌の白さに妙な色気が匂い立つ。
 今が昼間で、職場に他の人間がいたら、千里が襟を寛げたところでなんとも思わなかった。
 でも、今は。
 ふたりっきりの深夜のオフィス、書類や小物が散らばった惨状。
 机から見上げた千里は昼とは別人のようだった。
 昼間は輪の中心で笑っていた。
 上司にはきはき受け答えし同僚に愛嬌ふりまき、課のマスコットとして可愛がられていた。
 だが今は。
 「はなっから一人で楽しむつもりのくせに」
 濁流の如く脂汗が滴り、目を塞ぐ。
 ちょっと動いただけで中に突っ込まれたもんが腸壁を擦って、新鮮な激痛を生む。
 体をふたつに引き裂かれるような痛みに生理的な涙がにじむ。
 俺の気を紛らわせようとでもいうのか、背中にひっついた千里が呟く。
 「無麻酔手術を受けてるみたいですね。でも子供産む時ほど痛くないですよ。安心しました?」
 「全ッ然……だいたい、入ってくるのと出すのと、同じ次元で語るなよっ……!」 
 アホな会話。第一、出産経験も予定もないから比べようがない。
 当たり前だ、俺は男だ。
 男だぞと自分に再確認、現状の異常さに混乱する。
 俺は男で、俺の背中におっかぶさてるのもまた、男だ。
 俺より二歳年下の後輩、千里。
 交尾される雌犬のように間抜けに尻突き出した俺におっかぶさって、髪をくしゃくしゃなでまわす。
 「はっ………」
 髪をかきまぜる指の動きに、陶酔のため息が出る。
 頭皮まで敏感になったんだろうか。
 千里の指が髪を巻きこみ頭皮を擦るたび、首のうしろが毛羽立つ。
 体中、どこもかしこも、性感帯になった気がする。
 これが、仕込みの成果か。たった一晩で、こんなふうになるのか。
 最初は同性の指を拒んでいた肌が、今はうっすらと汗ばみ、期待値の高さを示すように紅潮している。
 「色っぽいですよ、久住さん」
 久住さんか、先輩か、どっちかにしろ。二人称が安定しないヤツめ。
 さん付けと先輩と二股かけて俺をなぶり、ゆっくり髪をかきまぜる。
 「どうですか、僕が入ってる気分は」
 「……最ッ、悪……尻が痛くて、中が熱くて……ごりごり、削れてっ……焼け火箸突っ込まれてるみたいだ……」
 「出血はないですね。たっぷりジェル使って慣らした甲斐があった」
 「!っあ、ぅあっぐ」
 千里が中で動く。
 腸内に溜まったジェルが抽送に伴い攪拌され潤沢な水音をたてる。
 下肢を引き裂く痛みに腰が跳ねる。
 体の中に、千里が入ってくる。
 熱く脈打つ肉の塊がめりこむ。
 「ひあっ、ぎ………ぐ……」
 痛すぎてものを考えられねえ。
 内臓が圧搾され、空気の塊が喉に栓をする。
 息が、できねえ。
 汗と涙がだらだらと混ざって流れる。口に入りこんでしょっぺえ。目と鼻と毛穴から滂沱と流れる体液で顔がべとついて猛烈に不快だ。
 「ーっ、きっつい……さすがに初めては狭いな……指なら楽勝で入ったんだけど」 
 「……さ、とっ……中、も、抜け……息、できね…………」
 千里の声は、遊びで猫を水に沈めるガキみたいに無邪気だ。
 俺が酸欠で死んでも、にこにこ笑ってるんだろう。
 千里はにこにこ笑いながら猫が溺れ死ぬのを、だれかが痛がるのを眺めてられる人種だ。
 ねっからのサディストだ。
 俺が喚けば喚くほど興にのり、苦痛を与える。
 次から次へと痛め付ける手段を考え出し、好奇心から実践する。
 「久住さんの中、すごく狭い。食いちぎられそうだ。それにすごく熱くて、締まる」
 変態の寝言に耳を貸すな。
 気をしっかりもて。意識を投げ出すな。投げ出したら最後、なにされるか……
 薄れかけた意識を必死で掴み、縋る。
 俺は今、千里に突っ込まれてる。
 女みたいに、犬みたいに、後ろから……会社のオフィスで。後ろからごりごり突っ込まれて、発情した犬みたいに、物欲しげに息を荒げてる。
 自分の机に上体を倒して。
 書類の山はなだれて床に散らばって。
 酷い有様。後片付けが大変だ。
 脂汗が流れ込み霞む目で惨状を視認、ぼんやり考える。
 現実逃避か。そうかもしれない。
 今されてることを忘れたい。
 時間を巻き戻して、全部なかったことにできたらいい。
 栄養ドリンクの蓋をあける前、受け取ったとこ、いや、そもそも千里と会話を始めちまったとこからやりなおしたい。口もきかず、目も合わせず、無視してりゃよかった。いないものとして扱ってりゃよかった。
 そうすりゃ今の事態は回避できた、俺は今頃残業終えて資料を仕上げてマンションでインディとー
 「時間、巻き戻したいですか」
 頭の中を覗かれぎょっとする。
 反応で確証を得たらしく、腰を引き寄せながら囁く。
 「わかりますよ。すぐ顔に出るから。……僕と残業したこと、後悔してるでしょ」
 「当たり、前だ……強姦されるってわかってたら、誰が……」
 「口もきいてくれませんでしたね。話しかけても、最初無視しましたし」
 「無駄口叩く暇あったら、一分でもはやく資料上げて、そっこー家帰って、クリスタルスカル観る……」
 「仕事熱心で感心。責任感の強さが仇になりましたね」
 杭の侵入がやむ。 
 机に縋り、呼吸を整える。
 背中に汗ばむ肌が密着する。
 腰を掴まれ、中にぬるりと擦り付けられる。
 「……仕返し、なのか……」
 無視したから。邪険にしたから。だから今、仕返しされてるのか。
 俺の、自業自得か。
 割に合わない。
 「………俺が………嫌いだから……他の連中みてえに、ちやほらしなかったから……根に持って……っは……復讐してんのか………」
 心が砕け、嗚咽と一緒に弱音が漏れそうになる。
 泣くな馬鹿。二十五にもなって、男がめそめそすんじゃねえ。安子にふられた時だって泣かなかったのに、今泣いてどうする。しゃきっとしろ。こんなやつの前で泣くな。調子づかせるだけだ。鼻の奥がツンとする。瞼が熱くなる。塩辛い水が喉の奥をぬらす。
 俺は、俺なりに真面目にやってきた。一生懸命やってきた。安子のことだって、ちゃんと考えてた。愛してた。

 何が悪かったんだ?

 ダメ男の思考だ。自己弁護と自己嫌悪の悪循環だ。
 理不尽だ。納得できない。
 腹の底で不満が燻る。

 『ズミっち、安子の話聞いてくれなかったね』
 『他の人と付き合ってるのにも、妊娠したのにも、気付かなかったね』
 『口を開けば「疲れた」「忙しい」「邪魔だ」ばっかで、話もできなくなっちゃった』

 安子の声が耳に響く。詰るでも責めるでもない、哀れむ声。失ったものを追悼する表情。
 熱いうねりが、腹の底から喉へとせりあがってくる。

 「俺が悪いのかよ」
 机に顔を伏せる。
 肩がひくつき、叫びどおしで痛めた喉から、ぞっとするような声が出る。
 「疲れたって、忙しいって、言っちゃだめなのかよ。一日の終わりに、弱音も吐いちゃだめなのかよ。課長に細かい数字の事でぐだぐだ言われたとか、新人のミスで迷惑したとか、取引先から苦情の電話でキレそうになったとか、パソコンの調子が悪くて叩いたらショートしたとか、言っちゃだめなのか」
 俺が全部悪いのか。俺が不甲斐なかったから二股かけたのか。俺を捨て、玉の輿に走ったのか。 
 俺がしてる会話は、安子にとって、会話じゃなかったのか?
 俺が望むものと安子が望むものは、どっかですれちがってたのか。
 「あいつだから言えた。あいつ相手なら言えたんだ」
 安子を信頼してた。安子になら上司や同僚に聞かせられない職場の不満や愚痴や弱音も言えた。ふたりっきりのときだけ、口が軽くなった。
 安子は俺の大事な
 「ゴミ箱だったんですか」  
 「ゴミ箱?」
 「だってそうでしょ。不満や愚痴や弱音を吐いてすっきりするためだけにそばにおいてたのなら、それ、ゴミ箱がわりってことでしょ。一人の人間として扱ってない、女性として認めてない。駿河さんはわかってたんですよ、自分がゴミ箱だって。もっとちがう話もしたいのに、させてくれない。久住さんは口を開けば不満と愚痴ばかりで、駿河さんはずっと、大事な話を打ち明けるタイミングを逃してたんだ。久住さんはそれに全然気付かなかった、とうとう手遅れになるまで」
 愕然とする俺の視線を受け止め、千里が笑う。
 「最後に会話らしい会話をしたのはいつですか?」
 言葉を失う。
 「ほら言えない。久住さんは彼女をゴミ箱同然に扱ってたんだ、一方的に不満を吐き出してすっきりするためのゴミ箱としてね。駿河さんに口があるの、気付かなかったんですか?彼女は耳しか付いてないのっぺらぼうだとでも?一方的に言いたいこと言うだけなら口なんて必要ない、耳以外いりませんよね」
 「ちが……」
 「駿河さんは久住さんに遠慮してたんですよ。自分だって愚痴や不満一杯あっただろうに、いつだって彼氏を優先して受けとめてあげた。自分が辛い時でもね。久住さんはそれに甘えてたんだ。思い出してくださいよ久住さん、駿河さんから職場の愚痴こぼしたことあります?久住さんの話をさえぎって、今日会社でねとか話し始めたことは?」

 なかった、一回も。

 「甘ったれ根性がぬけきらないのはどっちだか」
 千里が失笑する。
 「他人の事を考えてないのは、久住さんのほうです。一番身近な他人の気持ちをないがしろにしといて、偉そうに説教ですか」
 「俺は」
 言い返したいのに言葉が出ない。続かない。
 心臓がばくばく脈打つ。
 つきつけられた事実の重みにうちのめされ、支えを失った体がぐらつく。
 俺はさっき、なんて言った。

 『ちょっとしたミスなら大目に見てもらえる。かなりのミスも許される。地雷を踏んでも足取り軽くて気付かない。尻拭いする方の身になってみろ。世渡り上手なお前はいいよ、みんなに大目に見てもらえるんだから。けどな、お前が失敗やらかす影で、フォローに回ってる人間がいること忘れるな。お前のミスの穴埋めで、てんてこまいしてる人間がいること、忘れるなよ』

 自分の事を棚に上げて、先輩ぶって、えらっそうに説教して。
 ほかならぬ俺自身が、大目に見てもらってたのに。
 「好きだの愛してただの、口先だけでしょ」
 「ふざけんなっ!!」
 唾とばし怒鳴る。  
 「……お前になにがわかる、俺は安子が好きだったんだよ、ちょっと頭は足りないけど可愛くて料理上手でいい女だったんだよ」
 「黙って笑って愚痴も聞いてくれる都合のいい女?」
 声を出すたび、中に入ったものが腸壁を抉り、激痛が走る。
 萎えそうな膝を気力で支え、机に被さり、断固として首を振る。
 「あいつを、馬鹿にするな。俺にはもったいない女だった。いっつもしかめっつらで、人付き合い悪くて、言葉もきつくて。孤立してた俺に、真っ先に声、かけてくれたんだ。タン塩食べにいこって」
 「それ焼肉のおごりめあてじゃ……」
 わかってるよ畜生。焼肉から始まる恋もあるんだよ。
 言い返したいのに、胸が詰まって、言葉が出ない。
 込み上げる熱いものが胸を押し塞ぎ喉を焼き、往生際悪く首を振って抗う。
 「セックスの話聞かせてくださいよ」 
 「!!あっ」
 乱暴に腰を引き上げ、中途半端に突き刺さったものを、一気に奥へとえぐりこむ。
 「彼女とはどんな体位で楽しんだんですか。正常位?バック?場所はベッドの上?床?外?フェラチオしてもらったんですか」
 「………黙れ変態………」
 「頻度は週何回?久住さん、そうがっついてるようには見えないけどな。彼女、欲求不満だったんじゃないですか。だから他の男に走ったんですよ」
 「言うな………」
 「久住さんが満足させてあげてればこんな事にはならなかった。きっとノーマルで退屈なセックスなんでしょうね。駿河さん、騎乗位すきそうな顔してるけど、試しました?久住さんてなんか、相手が男でも女でも上より下のほうが似合いますよね」
 「言うなって……やめろ……こんな状況で、もちだすな……」 
 「こんな状況って?前は半勃ちで、後ろにぐちゃぐちゃ突っ込まれて、肌が上気して……あんまりよすぎて腰から砕けそうな状況で?男に犯されて感じまくって射精まで秒読みの状況?こんな状況で女性を抱いてたこと思い出すのはいっそうみじめで屈辱的だって?」
 ねちっこい揶揄が蛇の舌のように耳をなめる。
 恥辱で体が発火する。怒りで頭が煮える。中に入ったものが充血した粘膜をこすって前立腺にあたるたび、勝手に腰が跳ねる。
 「あっ、うあ、あく、やめッ……」
 「前立腺にあたってるの、わかります?ちゃんと奥まで届いてるの」
 「はっ、っくはふ、はッ……」  
 必死に息を吸う。
 手首の感覚がなくなってる。
 体重を支える膝ががくがく震え、机からずりおちそうになるのを寸手で堪える。
 「こりこりしてる……ここ打つと、気持ちいいでしょ。反応がよくなるの、わかりますよ。腰が上がって、もっともっととねだってくる」
 「……れは、かってに……よがってるんじゃ、ね……おまえが、へんに、動く、から………ッは!?」
 瞼の裏で閃光が爆ぜる。
 前にもぐりこんだ手が、勃起した俺自身を、ぐっと掴む。
 「こんなにしといて」
 俺自身に這わせた手をゆるゆる動かす。
 根元から先端にかけしごかれ、後ろに突っ込まれたもんでぐちゃぐちゃかきまぜられ、意識が飛びかける。
 「同性とやるの、初めてですよね。それでこんなになっちゃうなんて、溜まりすぎです」
 千里はまだ口をきく余裕がある。
 涼しい顔に笑みを浮かべ、俺の前を意地悪くいじくり、鈴口に先走りの汁をぬりこめる。
 前から後ろから違う刺激で責め立てられ、腰の真ん中で快感がせめぎあう。
 「ち、さと……さわんッ、な……そ、こ……後ろだけで、十分、だろ……前は、も、ほっとけ……見んな……」
 顔がべとべとだ。気持ち悪ィ。風鳴りみたいな息が声をかき消す。
 「は、あっ、かふッ……」
 最悪だ。女みたいな喘ぎ声。
 千里に貫かれてこんな恥ずかしい声出すなんて、自分と絶交したい。
 尻に入ったもんが馴染んできた。ジェルを攪拌する音がぐちゃぐちゃうるさい。性感が強くなる。
 千里は的確に俺のいいところを狙う。
 指を突っ込んだ時に感じやすいところがわかったのか、前立腺の突起を律動的に狙い打ち、粘膜を擦って追い立てる。
 頭が沸騰する。腰が溶ける。前をいじくりまわす手に泣きたくなる。後ろに突っ込まれた固いものを肛門が窄まって締め付ける。
 安子のことも思い出せない。余計な事は考えられない。理性が雲って、思考が働かねえ。
 「もういいか」
 しゅるりと音がし、手首が解き放たれる。
 ネクタイがぱさりと床に落ちたのを焦点のぶれた目の端で確認する。
 「!?あっああああああああっああああ、あ!!」
 突然突き上げる動きが激しさを増し、絶叫。
 今までのは慣らしだといわんばかりに腰をガンガン突かれ、硬さ大きさ増したものが抜き差しされる。  
 「ん、なの、むちゃ、だ、はっ、ぃッく、入ンね、腹くるし……あっ、あああっ、あっ、ひぐっ」
 使えるようになった手で机を掴み、揺さぶりに抗う。 
 完全に勃ちあがった前をいじる手と、後ろをぐちゃぐちゃやる物が、同時に快感を生み出して腰を溶かしていく。
 机に肘をつき、顔を埋める。今まで体験したことない快感に翻弄され、引きずり込まれる恐怖に激しくばたつく。
 女を抱いた事しかなかった。それだけで十分だった。男とヤりたいなんてぜんぜんこれっぽっちも思わなかった、想像したこともなかった。
 「前も後ろもぐちゃぐちゃだ。腿までたれてる。一回二回イッただけじゃ足りないか」
 「絶対、殺して、やる……こんなことして、のうのうと、会社にいられると、思ってんなよ……ッぁ、ひ、あ……」
 「憎まれ口叩くか喘ぐかどっちかにしてください。舌噛みますよ」
 手が自由になっても、殴れない。そんな余裕ない。
 振り落とされないよう必死に机に縋って掴まって、前立腺への刺激が生み出す快感の荒波にひたすら耐え抜く。
 「涎までたらして……そんなに気持ちいいですか?自分の机で犯されるのは」
 千里が根元を押さえる。
 「ッ、」
 射精寸前で塞き止められ、硬直。
 そこを押えられると、イきたくてもイけねえ。
 「どうしました?何か言いたそうですね」
 「て……どかせ………ッ、あ、動くなっ……」
 机に手を付かせ押さえ込み、狂ったように突いてくる。
 限界まで膨れ上がった前を握られた状態で責められるのは、拷問以外のなにものでもない。
 「ちさ、やめ……はッ、ふあ、くっん、ああっあ、ああああっあ!」
 快感を濃縮すると苦痛になると、初めて知った。
 「イきたい?イかせてほしい?」
 「……こんな、んじゃ、身がもたね……わけわかんね……」
 俺は、泣いていた。
 きつく瞑った目から、瞼をぬらし、しょっぱい涙が滴りおちる。
 後輩の前で泣くのは恥ずかしいとかプライドがどうとか、どうでもよくなった。この苦痛から解放されるなら、らくになれるなら、どうでもいい。こんなの、死ぬ。絶対死ぬ。発狂しちまう。知らなかった。女はいつも、男に抱かれて、こんな感じを味わってたのか。出すまでこらえる男と違って、絶頂に着くまで、ずっと加速しっぱなしで。前立腺がこりこりする。ケツがぐちゃぐちゃする。前はぬるぬるする。体中、溶け出していく。体の中も外もドロドロで、煮え殺されそうだ。
 「僕の事、好きですか」
 ふいに、千里が真剣な声を出す。
 どんな顔してるのか気になったが、振り向く余裕がない。机に縋って立つ体勢が、それを許さない。
 適当に調子を合わせりゃラクになる。イかせてもらえる。
 嘘を吐け。千里にこびろ。プライドも恥もかなぐり捨ててー
 「大ッ嫌えだ」
 ああ。
 馬鹿だ。
 馬鹿だろ俺。
 ちきしょうわかってるよそんなこと、なんだよなにつまんねえことにこだわってんだ、こんなにされてもまだ面子にこだわってんのか、先輩ぶってんのかよ。いっそ笑える。俺らしすぎて、笑うっきゃねえ。
 『ズミっちは真面目だから、損ばかりしてる』 
 安子はよくわかってた。
 俺はそんな、俺のことわかってくれる最高にいい女を、ゴミ箱にしてた。
 捨てられて当然、自業自得だ。誰だって自分をゴミ箱として扱う男より、一人前の女として見てくれる男を選ぶ。
 でも。
 これは、自業自得じゃねえ。
 「大っ嫌いだ。千里、お前のそのひん曲がった性根が、へらへらしたツラが、どうにも我慢できねえ。ケツに突っ込まれて、前も後ろも、ぐちゃぐちゃにされても……ッあ……お前に、おねだりするくれえなら、机にキスしてたほうが、はるかにマシ、だ…………!」
 「そうですか」
 ふいに、千里の手が、前からはずれる。
 「久住さんは、やっぱり、先輩なんですね。こんなかっこでも」
 こんなかっこは余計だ。
 「っああああっあああああああ、あ」
 前をしごきたてられ、あられもなく泣き叫ぶ。
 前をやすりがける手に合わせ突き上げる動きが速くなり、机にしがみ付いたままがくがく揺すられ、もうなにがなんだかわからなくなる。
 「はっ、千里、見ん、な、いぅ……」
 「いいから。イッちゃってください。自分の机に、いっぱい出してください」
 
 閃光が爆ぜる。
 
 「あ………」
 奥に熱いものが広がる。
 千里の精液が、ぬるく粘膜に染みていく。  
 同時に、脊髄ごと引き抜かれるような脱力感に襲われへたりこむ。
 「ーはっ、はふ、はあっ、はあっ……」
 イった。
 千里の手で射精させられ、千里に突っ込まれて。絶頂を体験した。
 後ろを犯されて。前をいじくられて。自分の机で。
 股間がべっとりぬれてる。下腹と下着にも、白濁の飛沫がとんでる。始末が大変だ。
 白濁にまみれた下半身を見下ろしぼんやり座り込んでいれば、前に影が立つ。
 「僕がだれだかわかります?」
 千里が笑っていた。
 俺の白濁にまみれた手を顔の前にかざし、卑猥に舌を絡め舐めとり、うっそりと。
 「久住さん、すごく可愛かったですよ。興奮した。へえ、あんなふうに喘ぐのか。デキる男のイメージくずれちゃったな。クールぶってるくせに、快楽には弱いんですね。自分の机にしがみ付いて狂ったように腰ふって、ああ、そんなによかったですか?職場でされて興奮した?すっごい変態だ。彼女の話されて、それさえ刺激にしてー」
 
 千里を殴り倒す。

 もんどりうって倒れた千里に立たない腰で馬乗り、胸ぐらを掴む。
 「『先輩』だろ、クソ後輩」
 俺の顔を至近で見て、千里が目を剥く。
 「待って先輩、眼鏡かけたまま頭突きはまずー」
 「リクエストに応えてやる」

 親切な俺は、後輩に頭突きをくれてやった。 

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010422014826 | 編集

 生涯最悪の朝だった。
 会社に行くのが苦痛だ。なにもかも放り出して一日中眠りたかった。
 廃人になりたい。
 笑っていいともを時報がわりにして昼に起きたら快挙と拍手してもらえるよな生活送る。
 社会人の義務なんざぺぺっだ。もう税金払うのいやだ。やってられっか日本人。よし決めた、俺は今から自堕落に生きる。昼過ぎまでベッドん中でごろごろしてお預けくらったクリスタルスカル観る。観るったら観るんだ、邪魔すんな。俺とインディを引き離すのはどこの馬の骨だ?

 課長でした。
 ついでなけなしの自制心。

 弱り渋る心を叱咤、きわどくも出社拒否の誘惑に打ち克つ。
 足が鉛のように重い。一歩踏み出すごとに下半身がずきりとする。
 心底サボりたかった。
 会社に着いてからの身の処し方を考えると憂鬱になった。
 後輩と顔を合わせるのがいやだった。

 千里万里。
 俺を犯した男。
 強姦した張本人。

 昨日の事は忘れられない。
 
 「リクエストに応えてやる」
 額に頭突きをくらわした。
 渾身の一撃を叩き込めば金槌で殴るみたいないい音がして、頭蓋骨に衝撃が響いた。
 頭突きだけじゃ気がすまなかった。
 俺のプライドはずたずたに切り裂かれて、シャツもズボンもくしゃくしゃに着乱れて、突っ込まれたケツは痛くて、みじめで最低な気分だった。
 眼球の毛細血管が破裂しそうな憤りに目がくらむ。
 握り込んだ手の爪が柔肉に突き刺さって新鮮な痛みを生む。
 馬乗りになり、千里を殴り倒した。
 無我夢中で振るった拳はへろへろした軌道を描き、空気の抜ける間抜けな音たて千里にあたる。
 「変態野郎!!」
 目の前の男がどんなに憎くても、体に全然力が入らず、振るった拳はへろへろ落ちた。
 パンチひとつ、まともにくれてやれなかった。
 あんまり情けなくて悔しくて、腹が立ってしょうがなかった。
 後ろ手縛られて。無抵抗で。キスされて。喘ぎ声上げて。くるったように腰ふって。前もしごかれて。だらだら雫たらして。最低、最悪だ。
 死んじまえくそったれ変態のホモ野郎俺にさわるな二度とツラ見せんな一緒の空気吸いたくねえどっか行っちまえ、会社辞めろ、実家帰れ、お前なんかと仕事できっか、もう後輩とも部下とも思わねえ、犯罪者め!
 思いつく限りの罵詈雑言を浴びせた。
 千里は殊勝にうなだれていた。
 どんな酷い言葉浴びせても、無抵抗に身をさらし、ふぬけたパンチを受けて右に左に頼りなく傾いでいた。笑えた。なんで抵抗しないんだよこいつ、さっきまであんなに生き生き俺をいじめてたのに。なんで殴られっぱなしなんだよ、こっちが悪者みてえじゃんか。

 わからねえ。
 お前の考えてること、さっぱりわかんねえよ、千里。

 「満足したろ、これで」
 口元が引き攣り、毒々しい嗤笑が顔に滴る。
 「俺ン中に突っ込んで、出すもん出して、すっきりしたんだろ。だったらもっと、さっぱりした顔しろよ。さっきまでめちゃくちゃ楽しそうだったじゃんか。俺を縛って、無理矢理突っ込んで、恥ずかしい台詞さんざん吐いて。楽しかったんだろ?白状しろよ変態、あんなに生き生きしたお前はじめて見たよ、課の連中にこびてる昼間たあ大違いだ、あれがホントのお前だったんだな千里万里。猫かぶりの性悪め」
 胸ぐら掴み唾とばし罵る。
 身の内で激情が荒れ狂い、視界が憤怒で赤く染まる。
 騙された怒り裏切られた怒り謀られた怒りが一挙に膨れ上がって激発、不信感が爆発する。
 ケツが痛かった。
 体が熱っぽかった。
 千里のシャツを掴む手首に赤く痕が付いていた。
 ネクタイで縛られ擦れた痛々しい傷跡。
 酷い有様だった。
 会社で裸だった。
 シャツもズボンも剥かれて俺自身と千里の体液に塗れて髪はしどけなく乱れて眼鏡のフレームはひん曲がって……さんざんだよ畜生。なんだってこんな目に。
 行為が終わった後、底が抜けるような虚脱感にうちのめされた。
 体中どこもかしこも痛くてボロボロだった。
 「だましやがって」
 胸がつかえ、喉が詰まる。
 それでも言わずにいられない。嗚咽を噛み潰し、唸る。
 「課の連中、お前の外づらにころっと騙されて、笑えるぜ。さぞおかしかったろな、ちゃちな脅しにびびりまくってべそかく俺は。気分、よかったろ。一晩でも、下克上の快感が味わえたろ。おめでとさん。けどさ、お前さ、よくあんな恥ずかしいこと言えるよな。ヤッてるさなかに体位聞くとか……男に処女とかさ、笑っちまうよ。で?処女の尻穴、よく締まったろ。俺も思わずイッちまったよ。早漏の愚息で面目次第もございません……」
 「あとが」
 下敷きになった千里が、シャツを掴んだ俺の手首を、指先でたどっていた。
 縛られて出来た痣を。
 「………!痛っ……」 
 反射的に突きのける。
 手首を押さえ、唇を噛み、俯く。
 「………暴れるからですよ。普通ネクタイで縛られたくらいじゃ、こんなになりませんて」
 小さなため息。俺の愚かさを哀れむような調子。
 千里が身を乗り出す。
 一瞬、びくりとする。
 予想は裏切られた。
 俺へとしずかに手をさしのべ、肩から抜けたシャツに再び袖を通させる。
 穏やかな衣擦れの音が耳朶をくすぐる。
 伏し目がちに俺にシャツを着せてく千里。
 神妙な表情。
 色素の薄い睫毛に見とれる。
 器用な手で下からボタンを嵌めていく。
 千里と向き合い、しずしずシャツを着せられ、居心地悪さを感じる。
 体力を使い果たし怒りが沈静化、赤ん坊のようにされるがまま身をゆだねきる。
 諦念があった。
 単に疲れてもいた。
 叫び疲れ、殴り疲れ、自分の意志じゃもう指一本動かしたくなかった。
 千里の手がシャツにかかった途端、緊張の糸がプツンと切れた。
 丁寧にボタンをとめる手付きと気遣わしげな千里の表情に張り詰めていたものがゆるみ、虚勢が抜け落ちていく。
 「………ひとりで着れる」
 「その手じゃむりですよ」
 「こんな手にしたのはお前だろ」
 「責任とります」
 俺は今、書類や小物が散らばったオフィスの床にへたりこみ、後輩に服を着せてもらってる。
 俺を机に押さえ込んで、ガンガン突っ込んでた張本人にだ。
 「ネクタイ締めますか」
 返事を待たず、へたった襟を立て、床におちたネクタイを拾う。
 千里がネクタイを手にした途端、忌まわしいフラッシュバックが襲う。
 また縛られる。
 すぐさま行動に出た。
 ネクタイをひったくる。
 「大人しいわけ、わかったよ。縛らなきゃ役に立たねんだろ。どうしようもねえ腰抜けだな。完全に相手の抵抗封じなきゃ、怖くていじめられないってか。その手はくうか」
 「そんなつもり」 
 「信用できるか」
 机に掴まり立ち、片手でもどかしくネクタイを結ぶ。
 上手くできねえ。
 焦り苛立ち、結び目が不恰好になる。
 ネクタイをひっかけ、背広を手探りで引き寄せる。
 少し腰を曲げただけで激痛が苛む。
 背広を拾うふりで視線を避ける。
 とげとげしい言葉で、辛辣な態度で。よそよしくふるまって千里を拒絶する。
 千里の顔をまともに見れない。
 沈黙が苦痛だ。下半身に違和感がある。生渇きの下着が不快だ。
 全部こいつのせいだ。
 腹の底で憤りが燻る。どす黒い感情が胸を蝕む。
 いったん沈静化した怒りがまたぶり返す。
 机を支えにしてバランスをとり、覚束ない足取りで室内を突っ切る。
 「先輩」
 机に手を付き、歩く。壁を伝って、最後の数歩をのりきる。
 水銀の中を泳いでるように時間の流れを鈍重に感じた。
 千里の呼びかけは無視する。
 一歩踏み出すごと、激痛が下肢を引き裂き、悲鳴がもれそうになった。
 体がだるく、熱っぽく、気を抜けばぶっ倒れちまいそうだった。
 出口に辿り着けるかもあやしかった。
 限界だった。
 体力的にも精神的にも峠を越えた。
 だるい体を片腕で抱え、かすれた声を絞り出す。
 「後片付け、しとけよ。なにがあったかとっちめられて、困るのはお前だろ」
 沈黙が返る。ただ気配だけを感じた。
 千里は無言で突っ立って、俺を見送ってる。
 俺の背中にじっと、切羽詰った眼差しを注いでる。
 ドアに向かうあいだ机が目に入った。
 意識をそらしたつもりでも、どうしても視界の端にちらついちまう。
 椅子が倒れ、机上の書類が盛大になだれて散らばっていた。
 ホチキスで綴じた資料が革靴に踏みにじられ、むざんに泥に塗れていた。
 紙面がぐしゃぐしゃに歪んでいた。
 何故だか無性に哀しくなった。
 「安子が俺のゴミ箱なら。俺は、お前の、ゴミ箱か。マスかいたあと、ザーメン拭いたティッシュを放り込む、あれか」

 ダメだ。
 こらえきれない。

 突然、笑い出す。
 腹を抱え、身を折り曲げ、箍が外れた哄笑を上げる。
 腹の底に渦巻くどろどろしたものを全部吐き出す勢いで、仰け反って笑い続ける。笑うと腹筋が引き攣れ、下肢が痛む。かまうもんか。馬鹿みたいに大笑いした。
 ドア横の壁に肘付き体を支え、狂気の振れ幅が大きい下品な声で笑い続けるうちに、軽く酸欠に陥って激しく咳き込む。
 涙で目がぼやけた。それでも笑い続ける、泣きながら笑い続ける。笑いすぎて苦しかった。
 しまいにゃ泣いてるのか笑ってるのか自分でもわからなくなった。
 馬鹿みたいな笑い声がオフィス中に殷々と響き渡る。
 「すっきりしたろ。そりゃよかった、可愛い後輩の性欲処理のお役に立てて光栄だ。お前、うまいんだな。知らなかった。ヤる時、あんなふうになるんだ。抱かれる方が似合うのに他相手でも抱く側なのか?いつでもどこでもできるよう用意周到にローション持ち歩いてんのか。だよな、男だもんな、勝手にぬれねーし。裂けちまったら大変だ。ぬらして慣らして、事後は着替えも手伝ってくれるなんて、すっげ優しい強姦犯。アフターケアも万全」
 「先輩、僕は」
 栄養ドリンクの瓶を踏み千里がすっ転ぶ。
 気絶時、俺が放り捨てた栄養ドリンクの空き瓶が、足元に転がってたのを見落としたツケだ。

 「…………ーっ………」
 一瞬の、間。
 「ははっはははははははははははははっはははははははは!!!」
 勢いよく転倒した千里を指さし、爆笑する。

 「なんだよそりゃ、今のコントか、今時栄養ドリンクの空き瓶踏ん付けて転ぶなんてベタすぎて落ち目の芸人もやんねーよ!?ははっざまあみろ、一本とられたな千里、すかしてっからだよ!!自分が撒いた種もとい瓶ですっ転んだ気分はどうだ、自業自得だ、頭打って死んじまえばよかったのに!!」
 哄笑が最後、憎悪の絶叫に代わる。
 俺を追いかけようとして、コント顔負けの見事さで転倒した千里は、何も言わない。ころころ転がってく瓶のむこうで呆然としてる。
 やりきれなくなった。
 ドアを開け放ち、オフィスを出る。千里の凝視を振りきり、壁に縋って呼吸を整える。
 出てから気付く。
 「……………鞄忘れた」
 取りに戻れるはずがなかった。



 「おはようございまーす」
 「はよございまーす」
 「羽鳥さん顔色悪いけど二日酔い?昨日はしゃぎすぎなんですよ、あれからまた飲んだんでしょ。もー、あんまりお酒くさいと子供さんに嫌われちゃいますよ」
 「哀しいこと言うなって。ただでさえこの頃すれちがい気味で、今日なんか家出るとき下の子に『おじちゃんまたきてね』って言われたんだぜ」
 「うわ、ショック……」
 「遊園地で名誉挽回ですよ!がんばれパパ!」
 「課長、週末の予報聞きました?晴天だそうで、よかったですね!絶好のゴルフ日和!」
 「俺のパターが光って唸る!」
 課の連中は今日もハイテンションだ。朝っぱらからうるさい。どうもこの部署にゃ元気をもてあました連中が集まってる気がする。
 「久住さんおはようございまーす」
 「はよございまーす……」
 きゃいきゃい昨日の打ち上げの感想言い合ってた後輩どもが、どんより入ってきた俺に引き気味に挨拶する。ちょっと声のトーンがさがるからびびってんのがまるわかりだ。なかなか切ないもんがある。
 「おう」
 不機嫌に挨拶を返す……挨拶なんだよこれが、俺流の。
 「あれ。久住さん、手ぶらですか」
 目ざとい後輩が怪訝な顔をする。まわりの連中も眉をひそめる。
 平静を取り繕い、予め用意していた言い訳をここぞと披露する。
 「会社に忘れちまったんだ」
 ……………沈黙が痛い。
 奇妙な視線が集中する。いたたまれねえ。苦しい言い訳だって自覚はある。俺だってもし同僚が「鞄?会社に忘れちゃったんですよ~」とかぼけたこと言いやがったら「はあ?」と返す。一応は先輩の顔をたて、不審げな表情を押し隠してるが、後輩どもの肩がぷるぷる震えてる。笑いをこらえてる証拠だ。
 くそ。笑いたきゃ笑えよ。
 「意外です、久住さんが忘れ物なんて。それも鞄……」
 「そういえば昨日、千里と残業だったんですよね」
 ぎくりとする。
 「どうしたんですか?顔色悪いですけど、寝不足ですか」
 「遅くまでかかったんですね。お疲れ様です」
 後輩どもが一斉に同情する。適当にあしらいながらオフィスに視線を巡らせる。
 俺と背中合わせの千里の机は無人。机上は綺麗に片付いていた。床に散らばった書類も一掃され、蹂躙の痕跡はみじんも残ってない。 
 「千里は、まだ来てないのか」
 「さっきまでいたんだけど……トイレかな?」
 来てる、らしい。気が滅入る。顔を見合わせる後輩どもをよそに室内を突っ切り席に着く。
 「はあ………」
 知らず、ため息が出る。
 てのひらに顔を埋める。寝不足で目がしょぼつく。まわりでは気の早い同僚が仕事を始めてる。キーを軽快に叩く音が耳に障る。
 もう帰りてえ。出社三分で気持ちが挫け、サボりの誘惑に心が傾く。
 千里と顔を合わせるのも憂鬱だが、課長のお叱りを頂戴するのが輪をかけて憂鬱だ。
 結局、残業は上がらなかった。
 まさかクビにはならないだろうが、期日までに仕事を上げられなかった責任は重い。
 これもぜんぶ千里が……
 「久住くん」
 ぽんと肩を叩かれる。
 「!?すいません、俺のせいですっ」
 条件反射で席を立つ。
 振り向けば課長がいた。俺の肩に手をおき、にこにこしてやがる。
 不自然に浮いた頭髪に吸い寄せられそうな視線を引き剥がし、頭を下げる。
 「お疲れ様。いや、よく頑張ってくれたね。上出来だよ。文句の付け所がない完璧な仕上がりで、私も驚いてる」
 「は?」
 優しい労いにたじろぐ。自慢じゃないが、課長に褒められることなんてめったにない。
 周囲の同僚がちらちらこっちを見る。
 混乱する。
 しゃちほこばった俺と向き合い、課長は上機嫌に続ける。
 「謙遜にはおよばないよ。朝きたら机にこれがのっかっていた。昨日一日かけて仕上げたんだろう?数字もグラフも完璧、非常にわかりやすくまとまってる。目を通して感服したよ。やればできるじゃないか、君」
 「課長、たぶん勘違いを」
 意味不明だ。なんで俺が投げ出した仕事がちゃんとできてるんだ?
 課長が「わかってるわかってる」と鷹揚に微笑み、俺の胸に資料を押し付ける。
 手渡された資料に目を通し、息をのむ。
 千里。
 あいつの仕業だ。
 「君がまとめた資料、次の会議で使わせてもらうよ。千里君のミスで一時はどうなるかとおもったが、災い転じて福となす、ふたりの努力と協力の成果……」
 頭の上を饒舌が流れていくが、聞いちゃいない。
 急き立てられるように右上綴じた資料をめくり、目を通していく。
 千里。
 これを、一人で仕上げたのか。
 俺が帰ってから、後片付けをして。
 俺の分まで引き受けて。
 後片付けは朝方までかかったろう。ほとんど寝る時間もなかったはず、なのに仕上がりは完璧だった。俺が最初まとめたのより、はるかにわかりやすく、見やすくまとまっていた。実際、千里は有能だった。こっちが腹立つくらいには。
 資料を取り返した課長が言う。
 「君は千里くんと相性いいのかね。相乗効果で仕事ぶりが向上してる」
 「……最悪だ」
 「は?」
 ふざけやがって。どこまでおちょくれば気がすむんだ。
 握り込んだ拳が震える。
 不審顔の課長のむこうにスーツの童顔を見付ける。
 「千里万里!!」
 オフィス中に響く声で怒鳴る。
 同僚が仕事をやめ、一斉にこっちを見る。雑談がやむ。間近で怒声を浴びた課長が「ひっ」と仰け反り、カツラが浮く。
 電話の呼び出し音とコピー機の排出音、シュレッダーの稼動音だけが無機質に響くオフィスのど真ん中で、千里と険悪に睨み合う。
 張り詰めた沈黙を破り、横柄に顎をしゃくる。
 「屋上に来い」
 額に絆創膏を貼った千里がしゃあしゃあ笑う。
 「ちょうどよかった。僕からもお話したいことがあったんです」
 
 ああ。
 なんてイヤミで爽やかに笑いやがるんだ、こいつ。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010421234105 | 編集

 屋上で決闘だ。
 勇んで鉄扉を開け放つ。
 コンクリ打ち放しの殺風景な屋上の向こう、ビルが密集した雑多な町並みと爽快な青空が広がる。昼休みは弁当持込みやバレーボールに打ち興じる女子社員で盛り上がるが、今の時期は肌寒く閑散としてる。
 ビルの間を抜ける風が髪をさらう。
 背広の裾がはためく。
 ざらつく地面を踏む。
 先客がいた。
 こちらに背を向けフェンスにもたれる人影。
 物思いに耽る華奢な背中。
 丁寧に巻いた茶髪が肩のあたりで揺れる。
 制服を着た若い女だ。
 鉄扉が開く重厚な音に気付かないはずねえのに、フェンスに腕をかけ街を眺めている。
 入り口で足がすくんだ。
 屋上に来た肝心の目的もふっとんだ。
 心臓の鼓動がはねあがって、手のひらがじっとり汗ばむ。
 若干の緊張と、うしろめたさと。
 毎日オフィスで顔を合わせる相手に引け目を感じ回れ右して逃げたくなる。
 人が一杯のにぎやかなオフィスじゃすれちがっても取り繕っていられた、互いに見て見ぬふりができた。忙しさにかまけてごまかせた。
 今は状況が違う。
 フェンスを掴む女がゆっくり振り向く。
 視線を意識しない自然な動作。動きにあわせ髪が揺れる。
 風がじゃれる髪を控えめに押さえ、微笑む。
 「来たんだ、ズミっち」
 「安子………」
 「千里くんも」
 後ろに千里が立つ。
 間抜けにも、たった今まで存在を忘れていた。
 「おはようございます」
 屋上への階段を上がりきった千里は無言で俺の後ろに立ち、軽く会釈する。
 安子も笑みを返す。
 千里が微笑み一発で女子社員どもを悩殺するベビーフェイスの人気者なら、安子は微笑み一発で会社中の男どもを二十代から五十代まで骨抜きにする魔性の女だ。
 実際俺の元彼女は、秘書課に入らなかったのが不思議なくらいの美人だ。
 面接官に見る目がなかったおかげで俺は営業にいながらにして安子の美貌を眺めて暮らせ、のみならず、お近付きになれた。
 身に余る幸運、ありふれた幸せに、いつしか鈍感になっていた。
 だから安子は離れていった。
 鈍感な俺に愛想を尽かし、より将来性のある、自分を愛してくれる男のもとへ走った。
 「二人の組み合わせ意外かも。一緒にいるとこあんま見ないのに。オフィスじゃいつもズミっちがぴりぴり怒鳴りとばして、千里くんがにこにこしてるのに。今日はどうしたの?喧嘩して、殴り合いで決着つけるつもり?好きだよ、青春ぽい展開。せっかくだし見てこっかな」
 俺たちの間に漂う険悪な空気を察し安子が冗談めかし言う。
 「お前こそ、一人でどうした」
 「二日酔いさましてたの。飲みすぎちゃって」
 「おい」
 妊婦の自覚がない発言に怖い顔と声で詰め寄れば、ちろっと舌を出す。
 「うそ。冗談。ウーロン茶しか飲んでないって。ズミっちすぐだまされるんだから」
 「だったらいいけど……自分ひとりの体じゃないんだぞ。風にあたるのは毒だ。さっさと行けよ」
 「過保護すぎ。妊婦にも運動必要だよ。毎日階段の上り下りしないとすぐ太っちゃう……あ」
 まずいという顔で口をふさぐ。
 それで判明した、安子が屋上にいる理由が。ダイエット目的で階段を上り下りしてるらしい……ダイエットに燃やす女の執念には脱帽する。ダイエットに無関心な俺としちゃ執念に比例して脂肪が燃えるのを祈るばかりだ。
 会話が途切れ、気まずい空気が流れる。
 安子はさりげなく腹に手をあて、唇にかすかな笑みを含み、じっと俺を見る。
 愛情と錯覚しそうな柔和な表情。
 俺は今、ふっと顔に出そうな未練を、虚勢で必死に塗り隠してる。
 体の脇でこぶしを握り締める。
 胸を上下させ、鼓動と呼吸が凪ぐのを待つ。
 会話が続かず焦りを覚える。
 取り乱してるところを安子に見られるのはプライドの危機だ。
 後ろには千里がいる。
 見なくてもわかる。性悪な後輩はきっと笑ってる。別れた女とばったり再会して、スーツの下でだらだら冷や汗かく俺を、こっそり嗤ってやがるにきまってる。
 安子がおもむろに歩き出す。
 「ズミっち、顔色悪いよ。また仕事頑張りすぎたの?昨日、残業だったもんね」
 「知ってたのか」
 「知ってるよ。同僚だもん。シュレッダーから出てきた千切り見て、すっごい声あげてたでしょ。ムンクの叫びみたいな顔して。傑作。みんな声殺して笑ってたよ。リアクション大きいから、実は面白いヤツだってバレバレ」
 すれちがいざま、安子が俺に手に持っていたものを渡す。
 「はい」
 思わず受け取ってしまってから、目を丸くする。
 「これ……」
 戸惑いがちな俺の問いに、安子が小首を傾げる。
 「パンダのストラップ。紐切れちゃって、パソコン横においてたの。……覚えてない?付き合いたてのころ、クレーンゲームでとってくれたの」
 俺は馬鹿だ。
 そんな大事なことも忘れていた。
 昨日、安子の机の上にごちゃごちゃ並んだ小物が目に入った瞬間、気付くべきだったのだ。
 パソコン横にちんまりお座りするパンダは、付き合い始めたばかりの頃クレーンゲームでとってやったもの。
 あんまり欲しがるもんだから、大人げなく腕まくりして勝負に挑んだ。
 「長い戦いだったね」
 「二千円もむだにしちまった」
 「ズミっちがんばれ、いけっ、そこだ!」と応援する安子。苦戦の末パンダを獲得すれば、俺の首ったまにかじり付き大喜びした。
 「結構自信あったんだけどな、クレーンゲーム。新人の頃、外回りで時間余った時、よくやってたから。ちょっとブランク空くとだめだな」
 「そんなことない、ズミっちかっこよかったよ。眼鏡の奥から真剣な目でにらんで、素早くコントローラー操って、プロっぽかった」
 「クレーンゲームのプロなんて聞いたことねえよ。稼げるのか?」
 どちらからともなく笑う。俺は苦笑、安子は微笑。
 こんなふうに安子と話すのはひさしぶりだ。
 別れを切り出されてからなんとなく避けていた。安子に近付かないよう迂回していた。
 今も胸は痛い。
 失恋の痛手を克服してない。
 それでも意外と普通に話せるもんだ。

 『駿河さんは久住さんのゴミ箱だったんですか』
 『だってそうでしょ。不満や愚痴や弱音を吐いてすっきりするためだけにそばにおいてたのなら、それ、ゴミ箱がわりってことでしょ。一人の人間として扱ってない、女性として認めてない。駿河さんはわかってたんですよ、自分がゴミ箱だって。もっとちがう話もしたいのに、させてくれない。久住さんは口を開けば不満と愚痴ばかりで、駿河さんはずっと、大事な話を打ち明けるタイミングを逃してたんだ。久住さんはそれに全然気付かなかった、とうとう手遅れになるまで』
 『最後に会話らしい会話をしたのはいつですか』

 俺は今、本当に久しぶりに、安子と会話してる。
 俺が望む会話と安子が望む会話が、初めてぴたりと一致した気がする。
 あるいは手遅れになる前に、一方的な愚痴や不満こぼしじゃなく、付き合い始めた頃を懐かしむような会話ができていたら、別れずにすんだのかもしれない。
 「……里子に出すね」
 ひとしきり笑い終え、安子がちょんとパンダをつつく。
 「ずっと机に飾ってたんだけど、このままずるずるおいとくのはだめかなって。返そう返そうって思ってたんだけど、タイミング逃がしまくって。今日、やっと決心ついたんだ。……それがね、変なの。今日きたら、その子ね、ちょっと汚れてぼろっちくなってるの。一年も机の上で眺めてたのに、今日、初めて気付いたんだ。だめだな、私。それで……」
 パンダがぼろっちくなってたのは、昨日のごたごたのせいだ。
 しかし、言えない。この状況で言えるもんか。
 知らぬが仏の安子は急に真面目くさった顔をし、俺を見る。
 「もらってくれる?」
 俺にはもうわかっていた。
 安子がすぐ振り向かなかったのは、パンダをいじくり物思いに耽ってたからだ。
 感傷に浸った背中を思い出す。
 怒ってもいいはずだ。
 安子の言い分は理不尽だ。
 俺が安子の喜ぶ顔見たさに二千円払ってとったパンダをしゃあしゃあ突き返し、もらってくれと勝手をぬかす。
 何かを堪えるような笑顔で、泣き笑いに似た切ない表情で、哀願する。
 「…………しかたねえな」
 俺は甘い。
 甘すぎる。
 「ありがと」
 真心こもった礼を述べ立ち去る安子。
 鉄扉が閉じ、今度こそ千里とふたり、屋上に残される。 
 「……お前が呼んだのか、千里。元カノと引き合わせて、戦意を削ぐ作戦か」
 「まさか。偶然ですよ。ぼくだって驚いてます」
 全然そうは見えない。食えないヤツめ。
 階段を下りる軽い足音に耳をすます。屋上から、俺の中から、安子が遠ざかっていく。
 手の中に残された間抜けパンダのぬいぐるみを扱いに困って見下ろし、無造作に千里へ投げる。
 「っと」
 咄嗟に手を出し、受け取る。
 「ナイスキャッチ」
 熱のない口調で茶化せば、パンダを抱いた千里が奇妙な顔をする。
 最前まで安子がたそがれていたフェンスに寄りかかり、給水塔やなんやかやで狭苦しい屋上を見渡す。
 パンダをいじくりつつ隣にやってきた千里が言う。
 「先輩。昨日、鞄忘れてきましたよね」
 「ああ」
 「どうやって帰ったんですか。財布と定期、あの中でしょ」
 「缶コーヒー買った時の釣り銭が残ってたからそれで、な」
 「そっか。よかった」
 「よくねえよ」
 「よくないですね。すいません」
 今日の千里はやけに素直だ。
 昨日の鬼畜ぶりが嘘のようで拍子抜けする。
 車の走行音やらクラクションで騒々しい地上を眺め、フェンスに突っ伏し、唸る。
 「…………腰が痛え」
 「会社、休むかと思ってました」
 「なんで休むんだよ。お前が休めよ。悪いことしてねーのに休む理由ねえよ」
 「殴り足りないですか?」
 「お前まだこりねーのかっ………!」
 人をなめくさった挑発にカッとし、考えるより先に手が出る。
 胸ぐら掴み、強引にこっちに向かせる。
 拳を振り上げ殴りかかろうとして、落ち着き払った態度にたじろぐ。
 「……なんで目、閉じるんだ」
 「いくら僕だっていざ殴られるとなると怖いですから、心の準備です。さあどうぞ、気がすむまで殴ってください」
 目を閉じ、顎を引く。観念したような潔さに、こっちが気圧される。
 色素の薄い睫毛の下、ゆるやかな弧を描く瞼とすっきり整った鼻梁に心拍数がはねあがる。
 昨日もこの距離で千里を見た。
 器用にボタンをとめ襟を直す手、神妙な表情。息遣いが聞こえる距離で、千里に身を委ねた。
 今。
 正面に立つ千里の額には絆創膏がはられ、顔のあちこちに擦り傷ができていた。
 「………………っ………」
 自制心を総動員し、震える拳をひっこめる。
 小刻みにわななく拳を体の脇におろし、顔を背けて吐き捨てる。
 「殴ったって、一度あったこと、なかったことにできねーだろ!」
 縛っていじくって机に押さえ込んで言葉でなぶって突っ込んで、ヤッてる最中はあんなに生き生きしてたのに今んなって謝られても困る。

 昨日の事は絶対忘れられねえ。
 死ぬまで忘れられねえ。

 会社で後輩に犯された。
 痛くて恥ずかしくて涙が出た。
 みじめで最低で嗚咽が漏れた。

 思い出す下劣な笑い顔『泣いて喘いで腰ふって楽しませてくださいよ、先輩』粘着な囁き『途中で喘ぎ声に変わっちゃうかもしれないけど。背に腹は変えられないでしょ?』脅迫『明日から皆がどんな目で久住さんを見るか楽しみです』写メのシャッター音『その変態にいじくられてぎんぎんに勃ちゃうなんて、よっぽど溜まってたんですね』あからさまな嘲笑『顔赤いけど、恥ずかしいんですか。目、潤んでます。写メ撮られて興奮してるとか?露出狂の素質ありますね。まんざらでもない顔、してるじゃないですか』……

 胸の内が灼ける。

 『久住さんの中、すごく狭い。食いちぎられそうだ。それにすごく熱くて、締まる』

 千里。

 『イきたい?イかせてほしい?』

 殺してやる。
 そう思った。そう誓った。
 手が自由になったら真っ先に殴り倒してやると誓った、なのに今俺はぼけっと突っ立ったまま震える拳のやり場をなくして千里と向き合ってる。千里は逃げも隠れもせずそこにいる。俺の目の前に無抵抗に潔く身を晒し、罵倒も叱責を覚悟して、受け止めるつもりでいる。

 あんなことしといて、なんで。

 「………パソコンで殴るとか、栄養ドリンクの瓶で転ばせて事故死ねらうとか、いくらでも手があったろ」

 俺が嫌いなら。
 そこまで嫌いなら。

 「俺が目障りなら回りくどい手使わずそう言やよかったんだ、直せるとこは直したさ、直せなくても努力はしたさ、頑張ったさ!俺が鈍感だから安子は愛想尽かした、でもそれならどこが悪いかはっきり言ってくれりゃよかったんだ、全部自分勝手に決めて一方的に言われたってどうしようもねえよ、どうしたらいいんだよ俺は、あがくのも許されないのかよ!?お前だってそうだ、不満があるなら口で言えよ、あんなのなしだふざけんな、俺は自分で気付くきっかけももらえないのか、後悔の苦味だけ口に残って反省のきっかけもらえないのかよ!?」
 「違います」
 「なにがだよ!?」
 「誤解です」
 「主語いえよ!!」
 「馬鹿じゃないか」
 千里が毅然と顔をあげ、挑むように見据える。
 「好きだから、強引でも抱きたいと思ったんだ」
 間合いに踏み込むや手首ごと掴まれ、必然千里の懐にとびこむ形となる。
 頭が真っ白になる。
 猛然と殴りかかったつもりが腰から砕け、待ちかねていたように抱き込まれる。
 バランスを崩した俺を身を挺し庇う。
 フェンスにぶつかった腕から振動が伝う。
 「……根本的に誤解してます。嫌いな相手にあんなまわりくどい手使いますか、手っ取り早く追い詰めますよ。コツコツ準備して罠を仕掛けたのは、相手が先輩だからです。先輩だから……失敗できなかった。絶対、逃がしたくなかった。ふってわいたチャンスを物にしたかった。先輩を嫌ってるって?勘違いもいいところ。どうしてそうなるんですか。なんで僕が、先輩を嫌わなきゃいけないんですか」
 「邪険にしたろ?」
 「あの程度で根に持つとでも?先輩は言うこときついけど、ほんとは職場の誰より真面目で面倒見いいって知ってますよ。先輩は他人のために本気で怒れる人だ、自分に関係ない人間の苦労もちゃんと想像できる人だ。ミスしてへらへら笑ってる僕が気に入らなかった、ちゃんと怒ってくれた、縛られて転がされて不利な状況でも自分をごまかさなかった。ずっとそうだった、先輩は。僕が入った時からずっと嫌われ役を買って出て、誰も言いたがらないけど誰かは言わなきゃいけない事を言い続けてきた。みんな悪者になりたがらないのに、嫌われたくないから適当に調子合わせてたのに、先輩は……」
 「俺みたいな平凡な顔の平凡な男のどこがいいんだよ!?」
 「フェロモン垂れ流しですよ先輩は!」
 どういうことだ?
 俺が嫌いだから卑怯な手使ってはめたんじゃないのか証拠写真の弱み掴んで犯したんじゃないのか、好きって、え、恋とか恋とかの……
 「お前は好きな相手にあんなことすんのか!?」
 「体から始まる恋もあります」
 「強姦から始まって訴訟で終わる恋か。ねえよ。犯罪だよ」
 言葉が通じない。
 一気に脱力しへたりこみかけ、千里に支えられる。
 後輩に告白された。ちっとも嬉しかねえ。せめて可愛い女の子ならよかった。千里って名前で男なんざ反則。しかも順序が逆、強姦した相手に告白されてはいそうですかと交際始まるわけがない。
 ……今気付いたが、千里はものすごい馬鹿かもしれない。
 「…………どうしていいかわからなかった」
 途方に暮れた様子で千里が呟く。
 「昨日言ったこと、本当です。何度も何度も想像の中で先輩を抱いた。いつも先輩を見てた。そのうち、想像だけじゃ足りなくなった。先輩は駿河さんと付き合ってて……ノーマルで。告白したって、避けられるだけだ。叱られるならいい。嫌われるならいい。でも、無視されるのはいやだ」
 「俺の身になれ」
 「想像力ないんです、僕」
 だから惹かれたんです、と、小声で付け加える。
 「思いやりもないんです。酷いヤツだって自分でも思います」
 「心の隙間に付け込んだわけか。お望みどおり、一生のトラウマになったよ。最悪の夜だった」
 フェンスによりかかり、高い空を見上げる。
 「いいかげん離れろ」
 抱き付いたままの千里をひっぺがす。
 千里が洟を啜り、手に持ったパンダにぺこりと頭をさげる。
 「すいません」
 「パンダじゃなく俺に謝れ」
 少し考え、パンダをくるりとこっちに向けるや、そろって頭を下げる。
 「すいません」
 「………やっぱぶん殴りてえ。パンダと一緒にゴメンナサイって、はたちすぎた男がかわいこぶってんじゃねえ」
 確信した。千里万里は俺の神経をさかなでする天才だ。
 苛立たしげに髪をかきあげる。
 腹話術で身代わりパンダに詫びさせた千里が、俺の手首に目をやる。
 「鬱血してる」
 慌てて手をおろす。
 「袖おろしてりゃばれねえよ。腕時計してるし」
 「痛いですか」
 「腰のが痛い」
 我ながら身も蓋もねえ返し。
 気まずい沈黙が落ちる。乾いたビル風が屋上を吹き抜ける。
 あえて千里の方は見ず、フェンスに腕をのっけて聞く。
 「後片付け、一人でやったのか」
 「はい」
 「資料も」
 「八割できてましたから。そんなに大変じゃなかったですよ」
 「お前、デキるな」
 「先輩ほどじゃないです」
 「おだてるな」
 「ホントにそう思ってます」
 「嘘吐け」
 馴れ合いの漫才に失笑が漏れる。
 俺は今、昨日俺を強姦した張本人と屋上で会話してる。
 奇妙な絵だ。
 警察沙汰になってもおかしくない事件があったばかりだってのに、屋上でふたりっきり、腹を割って話してみると、身の内に渦巻く憎悪がなだめられ、開き直りに似た諦観に取って代わられていくのがわかった。
 俺が帰ったあと、書類や小物が散らばったオフィスに這い蹲って後始末する千里の姿を思い描いたら、急激に怒りが萎んでいった。
 一枚一枚書類を拾い集め、ホチキスの芯をかき集め、倒れた椅子をおこし、ずれたパソコンを戻し。
 見捨てられた孤独の中、清潔な明かりが照らすオフィスで、朝まで何時間もかけて自分の尻拭いする千里を思い描けば、ほんのちょっとだけ……あくまでほんのちょっとだけ、小指の爪の先くらいは許してやってもいい気がした。

 甘かった。

 「嘘じゃないです。先輩は僕の憧れですから」

 甘かったのだ、俺は。
 フェンスにもたれた千里がにっこり微笑む。

 「キスしていいですか」
 「断固拒否だ」
 全然こりてねえ。
 「ぬるい空気に便乗しようったってそうはいくか、ちょっとは許してやろうかなって気になった俺がばかだった。パンダとキスしてろ」
 「でもこれ駿河さんのパンダですよ?間接キスだったらどうします?」
 「なんで間接キスなんだよ」
 「気付きませんでした?扉開けた時、彼女、パンダにキスしてましたよ。僕たちが来たのに気付いて慌てて隠したけど」
 「え」
 「駿河さん、まだちょっとは未練あるんじゃないですかね」 
 「……やっぱ返せ、それ」
 千里の手からパンダをひったくろうとして、すかさず取り上げられる。
 空振りした手に舌打ち、パンダを掲げてにやつく千里を睨みつける。
 「性格悪いな、お前。痛感したけど」
 「先輩ふって玉の輿デキ婚選んだ女性の事なんか忘れて、僕と愛欲の日々すごしましょうよ。絶対溜めさせたりしませんから」
 肩にのるパンダを振り払うも、今度は頭にのっかる。……おちょくられてる。
 フェンスに突っ伏しわなわな震える俺の頭といわず肩といわず腕といわずパンダを擦り付けくすぐりながら、耳元で囁く。
 「断る。男とヤんのごめんだ。家に着くなりぶっ倒れてクリスタルスカル見る時間なかったんだぞ」
 「今度一緒にシザー・ハンス見ます?」
 「インディ・ジョーンズのが面白い」
 「先輩からかってるほうが面白い」
 「!!このっ、」
 楽しげな笑いに血が上り、フェンスから跳ね起きると同時に拳を振るえば、携帯を突き出される。
 「……………なっ……ん、これ……」
 絶句。 
 「消してなかったのか!?」
 激怒。
 「消すわけないじゃないですか、大切な脅迫材料兼コレクションを。永久保存版なのに。ほら、これなんかよく撮れてるでしょ?先輩目え赤くしちゃって可愛いな、縛られて強がっちゃって」
 「さっきまでのぬるい空気はなんだ!?殴り合い経て写メ消して、昨日の事ぜんぶ水に流して、これから先輩・後輩として健全な信頼築こうってなこっぱずかしい青春ドラマ的オチが待ってるんじゃ」
 「やだなあ、加害者と被害者の間にそんなぬるい関係芽生えるわけないじゃないですか」
 千里が屈託なく笑いながら言う。
 目の前に突き付けられた液晶には、昨日千里が撮りまくった写メが表示されていた。
 俺の恥ずかしい写真。
 ばらまかれたら憤死する。
 後ろ手縛られて転がって下半身脱がされた自分と直面し、理性が最後のひとかけらまで蒸発。
 「おま、え、は……俺の事好きだとか無視してほしくねえとかありゃ全部同情買って気ィ引く嘘か、嘘だろ嘘って言え、ここまでえげつないことしといて片思いとかほざくな、雰囲気に流されてうっかり気ぃ許しかけた俺の立場ねえよ!?」 
 「脅迫から始める肉体関係もある」
 「刃物で終わるよ!?」
 携帯を奪おうと手をめちゃくちゃに振り乱すも空振り、軽快にステップ踏んで逃げる千里に怒鳴る。
 「さっき言ったこと、本当です。何度も何度も想像の中で先輩を抱いた。いつも先輩を見てた。そのうち、想像だけじゃ足りなくなった。先輩は駿河さんと付き合ってて……ノーマルで。告白したって避けられるだけだ。叱られるならいい。嫌われるならいい。でも、無視されるのはいやだ」
 そして、にっと笑う。
 俺を押し倒した時の不敵な笑み。
 ねじくれた愛情表現が真骨頂のサディストの笑い。
 「一回抱いたら、もっともっと足らなくなった。もっともっと抱きたくなった。もっと睨んでほしい、怒ってほしい、しかってほしい。デキる男の上っ面かなぐり捨てて、かっこ悪く取り乱す先輩が見たい。かっこいい先輩はみんなにあげます。そのかわりかっこ悪い先輩を独り占めだ。今度から僕の下でだけ喘げばいい、泣けばいい、僕を愚痴と不満のゴミ箱にすればいい」
 がむしゃらに突っ込んできた俺からひらり身をかわす千里の手からパンダのぬいぐるみが転げ落ち、地面ではずむ。
 「僕は逃げない」
 地面に落ちたぬいぐるみに注意を引かれた隙に乗じ、急接近。
 唇が至近に迫る。
 「ーっ、」

 俺はデキる男だ。
 とぎたてナイフのようにキレる男だ。

 「そして、逃がさない」
 背中に衝突したフェンスががしゃんと鳴る。
 千里の腕から抜け出そうと必死にもがくも抱きしめる力は強く、昨日のごたごたでフレームが曲がった眼鏡がずりおちてくる。
 千里万里。
 俺はせいぜいナイフどまりだが、こいつのキレかたといったら、ダイアモンドなみだ。
 眩しくて強引で、直視できねえ。
 だから。
 顔を背け気味にして、こう言うしかない。
 「………眼鏡、弁償しろ」
 低く唸る俺の正面、幸せの絶頂でとろけそうな笑みを湛える。 
 「ゼロセンチでお願いしてください」
 距離をゼロにしようと遠慮なく唇が被さってくる。

 久住宏澄二十五歳。もう平凡な会社員は名乗れない。
 この日から俺の受難が始まったのだ。

                                                END

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010420185634 | 編集

 「久住さん、ちょっといいですか」
 「何だよ」
 「連れションです」

 以下省略で会社のトイレの個室に連れ込まれた。
 「待て待て待てっ、連れションてのは普通小のほうだろ、大の方にこもってどうする!?」
 俺は久住宏澄。自称デキる男他称それなりの会社員だ。
 「遠慮なさらず。ぼくと先輩の仲じゃないですか」
 「遠慮じゃねえ!羞恥だ!」
 意味不明ほざいてにっこり笑うこいつは千里万里という冗談みたいな名前の後輩。女子どもを一瞬で虜にする爽やかな笑顔の似合うイケメンだ。俺的にはイケメンのあとに(笑)を付けて欲しいと切に願う。
 外っ面のキレイさとは裏腹に腹ん中は鬼畜でどす黒い後輩が「連れション行きましょう」と誘ってきた時からいやな予感がした。
 今忙しいんだとテキトー言って断ろうとしたが「ばらしますよ、あの事」と耳元で囁かれ硬直、整理中の書類がばさばさなだれおちたが運の尽き。
 腕を掴まれそのまま強制連行、背後で扉が閉じると同時に観念。
 何せこっちはがっちり弱みを握られている。
 あれといえばあれだ、こないだの夜の一件だ。
 あの時撮られた写メはこいつの携帯にまだ保存されてる。
 今後の俺の態度いかんによっちゃ流出しかねない。
 かえすがえすもあこぎな手にむかっぱらが立つ。

 普通好きなヤツを脅迫するか?
 写メばらまきますよと脅して関係迫るか?

 屋上で語り合った時はなんか知らんが安子の介入で大団円風にまとまっちまったが、あとから考えるとすごくおかしい。なんかすげー騙されてる気がする。
 強姦から始まる恋とかご都合主義は断じて認めたくない。
 「久住さん、いつから連れションいくほど千里と仲良くなったんですかー」
 「久住くんとなら私も連れションしたーい」
 「小はやりにくいんじゃないかなあ」
 「ちょっと今のセクハラなんだけど最低!」
 「え、君のさっきの発言は逆セクじゃないの?」
 ……どうでもいいがうちの部署の連中は異常にのりがいい。業績が心配だ。
 黄色い声で見送る女子と冷やかす同僚をよそに、ねじれた性格に反比例し外面だけはよい(強調)千里は、「すぐ帰ってきますんで」と言い置いて、俺をトイレに連れ込んだ。
 というか、監禁した。
 俺に何ができる?
 こっちは被害者で被脅迫者で千里の気まぐれ次第で社会的に終わる運命だ、あの画像が流出したらとても生きてけない。
 どんな画像だって?
 説明するもクソ忌々しい。察しろ。
 簡単に言ったら、そのなんだ、ハメ撮りだ。
 最近の携帯はホント高性能に出来てやがる、何万画素とかで粒子が細かく画像は細部まで鮮明にばっちりと……
 「あの携帯踏み潰すか窓から投げ捨てたらすっげーすかっとすんだろうなあ。弱小高初出場の甲子園の逆転さよならホームラン、みたいな」
 「考えてること口からだだ漏れですよ先輩」
 ……まずい。
 千里がため息吐き、奥の壁に凭れかかる。清潔な顔だちに憂いの表情がよく似合う。
 ……黙ってさえいりゃあ好青年なんだけど……わかった、正直に言おう。腕を組んでかっこつけたポーズが気に食わねえ。
 「反省の色なしですねえ」
 「反省する理由がない。むしろお前がしろ、全力で。壁に頭ぶつけてかち割る勢いで、それか便器に顔突っ込んで溺れ死ぬ勢いで」
 「トイレの壁壊して弁償するのも便器の水飲むのもいやだなあ」
 千里がのほほんと感想を言う。
 わざとらしい手付きで背広から携帯をとりだしフラップを開閉、写メを一枚表示しつきつける。
 思わず顔をそらす。
 携帯には、俺のあられもない姿が映っていたからだ。そりゃもうばっちりと。
 事の発端は一日前に遡る。
 俺はかねてより温めていた作戦を決行した。
 即ち、写メ消却作戦。
 なんらひねりがない直球タイトルなあたり俺にはネーミングセンスがない。
 作戦内容はおしてしかるべし。

 一ヶ月前、俺はこいつに強姦された。
 残業でふたりぼっちになった夜、こいつは前から俺が好きだったとか犯したかったとか云々かんぬん今思い出しても憤死ものの手前勝手な理由をならべくさって、栄養ドリンクに睡眠薬しこむという姑息な手段を使って俺の気を失わせ……ネクタイで後ろ手にふんじばって脱がすわ卑語で辱めるわ写メで射精の瞬間撮りまくるわフェラチオさせるわの狼藉三昧を働いた。
 惨劇から一ヶ月が経った。
 俺は今じゃ千里のいいオモチャだ。
 千里ごときのオモチャにされるのは癪だが、写メを掴まれた手前逆らえないし、千里は千里で「久住先輩!」と無邪気に懐いてくる。
 で、なんとなくほだされちまった。
 ほだされてずるずる関係を……最悪のパターンだ。
 とんでもないダメ男にひっかかってボロ雑巾のように捨てられる女のパターンを踏襲する二十五歳男、会社員。
 すごく痛い。
 このままじゃいかんと決断、一念発起、起死回生の秘策に打って出た。

 「知らなかった。先輩て意外と手癖が悪いんですね、ひとの机を勝手にあさるような人だったなんて……幻滅です」
 「それを言うのはこの口か?この口か?大体俺の手癖悪いのはぶん殴られた時に身をもって知ったろ、人誅の痛み忘れたとは言わせねえ!」
 しれっと首を振る千里の口をクリップのように摘んで力いっぱい引き伸ばす。
 美形が台無しのヘン顔にちょっとだけ溜飲さげる。
 「いひゃひゃひゃ……やめひゃくだひゃいよせんふぁい」
 「えいこの、お前なんかあひる口の刑だ!」
 あひる口のが愛嬌あるよな。まんざら悪くねえ。
 男は自分より醜男には優しい生き物だ……女ほどあからさまじゃねえけど。
 「!って、」
 手の甲を強くはたかれる。
 口を指で挟んで引っ張られた千里が、俺の手をうざったげに払う。
 険悪に目が据わる。
 ……やば、本気で怒らしちまった。
 俺は昨日、無断で千里の携帯を覗いた。
 ……待て、引くな。話を聞け。これにはちゃんと理由がある。

 「ぼくが目をはなした隙に引き出し開けて、携帯いじくって……なにしようとしたんですか?」
 知ってるくせに、わざと聞く。
 「……戻ってくんの早すぎだよ……」
 昨日はかねてよりの計画を実行に移す絶好のチャンスだった。
 同僚はあらかた帰宅し、千里は他の部署に交渉にいってるとかで、偶然オフィスには俺一人だったのだ。
 しめしめ、このチャンスを逃す手はない。
 あれはきっと普段理不尽に後輩に虐げられてる俺に神様が与えれくれた人生最大のチャンスだったんだ。
 千里は机の端に携帯を置きっぱなしにしていた。
 今なら誰も見てないと悪魔が誘惑する。
 良心は簡単にねじ伏せられた。というか、この場合自業自得だろう。あいつ、不用心すぎる。
 右見て左見て確認後、足音消して慎重に忍び寄って机上の携帯を取り上げ写メをチェック。
 昨日の行動を反芻しつつ、背筋をただし咳払い。
 「………ところで千里、どうしても言いてーことがあるんだが」
 「なんでしょう」
 「俺のフェラ画像を待ち受けにすんのよせ!!」
 爆発する。
 今の声、絶対外へ漏れたろう。
 「なに考えてんだお前、俺仰天したよ、度肝ぬかれたよ、びっくりしすぎて手がすべって携帯おとしそうになっちまったよ、待ち受けとか人に見られたらどうすんだよお前はどうでもいいよ俺が困るんだよアレ即刻消せ、もしくは代えろ!」
 「後ろ手縛られた先輩がシャツの前はだけて、股間を勃起させてる写メのほうがいいと?でもなあ、あれはアングルが……立て膝のせいで股間が見えそうで見えない悩殺チラリズム、うん、悪くない……」
 「俺から離れろ!!」
 小声でブツブツ検討し始めた千里にキレる。
 怒号を上げてから周囲をはばかり、ドアを隔てた向こうへ耳をすまし、だれもいないのを確認後ほっと息を吐く。
 苛立ち髪をかきまぜつつ、凶悪な三白眼で千里を睨みつけぼやく。
 「心臓とまるかと思った……というか、お前ばかか。ばかだろう。あんな待ち受け人に見られたら俺と一緒に破滅だろ?変態がばれる」
 「先輩と心中なら望むところです」
 そう言ってにっこり笑う。
 きらきらとか擬音が似合いそうな極上スマイル……ぜってー使いどころ間違ってる。
 「そのマイナスイオンでまくりの笑顔、『トイレは清潔に』って標語ポスターに使いたい」
 ご機嫌な千里と反比例し俺の声はどんどん暗く物騒になっていく。
 胸の内でどす黒い感情が溶岩の如く煮え立つ。
 腕を組んで壁に凭れた千里が嘆かわしげに首を振る。
 「先輩はちっとも学習しないなあ。ぼくに逆らおうなんてばかげてます。昨日のはちょっと、気に障っちゃったかな?」
 結果からというと、俺の企みは失敗した。
 現場に当人が踏み込むという最悪の形で。
 「………さっさと消去しときゃあよかった……まさかお前、俺が待ち受けで凍り付くのを予想して、わざと携帯で釣ったのか」
 反省はしない。するもんか、断じて。
 俺は間違った事をしてない。
 悪いのはこいつ、くそったれ強姦犯の千里万里だ。
 千里は否定も肯定もせず心底楽しげに笑ってる。
 煮ても焼いても食えねえ笑顔に腹が立つ、と同時に背筋が寒くなる。
 俺の携帯と勝手が違って戸惑ったのもある。
 そのせいでもたついて、ケータイを四苦八苦いじくってる最中に千里とばったり出くわした。
 俺は元来物持ちがいいほうで、四年前から携帯は買い換えてないが特に不便も不満も感じない。対して千里の携帯はお値段の張る最新機種で、デザインもコンパクトでかっこいい。本人に聞いたところ数ヶ月ごとに更新してるらしい。
 金持ちめ、死ね。
 しかも「機種更新しても先輩の写メは全移植しますんで」とかしれっとのたまいやがって、どこまで偏執狂の変態だ。
 「ま、先輩が要領悪くもたもたしてくれたせいで助かったけど……大事なコレクションが消されなくて」
 千里が喉の奥で小さく笑う。
 細めた目が粘着な光を宿す。
 凄まじく嫌な予感。
 千里がこの手の笑みを浮かべるとろくな事がおきない。
 「………ごめんなさいは?」
 小さい子に言い聞かせるように囁く。
 「謝る必要なんかねえ」
 「勝手に携帯いじったでしょ」
 「それが?強姦犯に説教されたかないね。俺はただ、お前が調子のりくさって撮りまくったふざけた写メを消そうとしただけだ。正当防衛だよ」
 「お仕置きが必要かな」
 言葉が途切れる。
 「やっぱりお仕置きが必要だ。だって先輩、ぜんぜん反省してないし。ごめんなさいもできないんじゃ社会人失格ですよ?」
 千里がひとりごつ。
 お仕置き。
 その言葉を聞いた途端、条件反射で身がすくむ。
 「ふざけるな……」
 トイレの個室に呼び出して、何をする?何をされる?
 最初からそれが目的だったのか。
 「帰るぞ。付き合ってられっか」
 「いいんですか?ばらしますよ」
 ノブを掴み、まわしかけた手が止まる。
 スーツの背中に纏わり付く視線を感じ、首の後ろが粟立つ。
 胸の内で荒れ狂う激情を深呼吸でおさえこみ、自制心を総動員しノブから手を引き剥がし、殆どやけっぱちで千里のもとへ戻る。
 自分の意志でもどってきた俺に、千里が相好を崩す。
 「よくできました。お利口さんだ」
 俺は犬か。
 ……まあ、千里にとっちゃ似たようなもんか。
 なんでも言う事を聞く、いじめがいのある犬。
 上手にとってこいができた飼い犬の頭を満足げになでる。
 骨ばった男の手によしよしされるほど不愉快なことはねえ。
 「さわんな。くずれる」
 髪をしっとりかきまぜる千里の手を首を振って邪険に払う。
 千里が手を引っ込め、少し考える素振りをする。
 「………なにする気だ?」
 緊張で喉が乾く。
 警戒し、あとじさりそうになるのを見栄と意地で堪える。
 俺の問いには答えぬまま千里は意味深な笑みを浮かべ、背広のポケットに手を入れ、なにかを握りこむ。
 「手を出してください」
 「?こうか」
 苦りきった顔で手のひらを上にして突き出す。
 千里が自らの手に包んだものをそっと俺の手におき、愉快そうな上目遣いで反応を窺う。
 「これが何かわかります?」
 「わかんねーよ。……プラスチック?妙につるつるしてるけど……判子入れ?」
 「惜しい。正解は……」
 千里がゆっくりと、じらすように手を放していく。
 手のひらにとりのこされた物を目の当たりにし、息を呑む。
 何かわからないほど、さすがの俺もウブじゃない。
 「………全然惜しくねえよ」
 生理的嫌悪と不快感と拒否感とがごっちゃになって荒れ狂い、手渡された異物を即座に床に投げ捨てたい衝動が襲う。
 「捨てたらそのまま突っ込みますよ?雑菌入っちゃうかも」
 俺の行動を見越し千里が制す。
 腕を振りかぶった姿勢のまま激しく葛藤し、自制心を使い切っておずおず手を引っ込める。
 何回か深呼吸し、強張った指をおそるおそる開いてみる。
 俺の右手に、卑猥なピンク色のローターがのっかっていた。
 プラスチック特有の妙にのっぺりした表面と質感に怖気をふるう。
 「コードレスタイプで遠隔操作できるんですよ、これ。リモコンはこっち。可愛いでしょう」
 千里が反対側のポケットからリモコンを取り出し、顔の横にかざす。
 「こんなもん……いつ……」
 「先輩に使おうと思って」
 あっさり悪びれず言う。
 「会社に持ってきたのか……?いかれてる……」
 憎まれ口に覇気がない。恐怖心が怒りを食う。
 右手の異物を投げ捨てたい衝動を懸命に堪える。
 どうする気だ、なんて間抜けな質問はもうする気になれない。
 千里がローターを出した時点で運命は決まってる。
 それを承知しながら、胃袋がしこるような嫌悪感に耐えかね、精一杯の反論を試みる。
 「……お前、ばかか。なに考えてんだ、今会社だぞ、仕事中だぞ。こんなもん……っ、使えるわけねーだろ!」
 「先輩はいつもどおりにしてくださって結構です。できるものならね」
 そう言って、意地悪く目を細めてほくそえむ。
 「スイッチで強弱調整できるようになってますんで」
 背広のポケットからコンパクトなリモコンをとりだし、ダイヤル式のスイッチをカチカチ捻れば、手の上でローターが振動しだす。
 電動の低い唸りを伴い小刻みに震えるローターとどんどん青ざめていく俺の顔色を見比べ、千里はさらに振動を強くする。
 プラスチックの卵から震えが伝わり、手のひらが痺れる。
 「これが最強。結構うるさいなあ……入れちゃえばだいじょうぶかな」
 「千里………」
 「念のため奥まで突っ込もう」
 「千里!」
 冗談じゃない。
 完全に余裕を失い、大股に詰め寄る。
 「いいんですか、大声出して。だれか来たらどうするんです?」
 「……っ、ふざけ……おま、これ……こんなもん入るわきゃねーだろ、指だってきついのに!」
 「でも、ぼくのはちゃんと入りますよね。奥まで」
 恥辱で顔が染まる。
 振動がやむ。
 千里がスイッチを切り、俺の手からローターを奪う。
 「後ろ向いてください」
 「……いやだ」
 「壁に手を付いて」
 「………音……聞こえたら、どうすんだよ。まわりの連中にヘンに思われたら」
 「だいじょうぶですよ。ちょっと音が漏れたからって、先輩のズボン脱がして穴の中まで調べるような人いないでしょ。ひょっとして……怖いんですか?」
 図星だ。
 「そっか、ローターは初めてですもんね。安子さんに使ったことありません?」
 「使うか!!おもちゃなんかに頼らなくても自前のテクとモノで十分間に合ってる!大体そんなっ、女用だろ……男に入れるもんじゃないだろそういうの……」
 「あー。だから安子さんは単調な性生活に飽きて……」
 「安子関係ない!傷を抉るな!」
 納得、とひとり頷く千里に、テクニックとサイズを全否定され噛み付く。
 俺だっていい年した男だ、それなりに女と付き合った経験がある、でもその、俗にいう大人のおもちゃを使ったことは一度もない。必要ないからだ。
 セックスってのは好きな相手とやるもんで、好きな相手と愛情たしかめあうのにオモチャなんか邪魔で、むしろこれは責め具で……
 千里が俺の方に歩いてくる。
 「気持ちいいんですよ?中で震えて……前立腺を刺激して……粘膜が敏感になって」
 「お断りだ」
 それを俺の中に突っ込む?
 何の冗談だ。想像だけで吐き気がする。
 「あ、俺仕事思い出した。エクセルでグラフ作成中……」
 そそくさノブを掴んだ手に、ほのかに熱を持った手が被さる。
 突然の接触に戸惑う。
 千里が俺に寄り添い横目でうかがう。
 耳朶にかかる吐息がくすぐったい。
 虚を衝かれ立ち竦んだ間に、扉を隔てた向こう側が急に騒がしくなる。
 違う部署の連中が集団でやってきたらしい。
 出るタイミングを逃し舌を打つ。千里が後ろに回る。
 スーツの腰にそっていやらしく手が滑る。
 「!ばっ、へんなとこさわるなっ!」
 「先輩、声」
 指摘され、あわてて口を噤む。
 トイレのむこうからがやがや喧騒が伝わってくる。
 いつまでたむろってるつもりだよ、はやく消えろ。オフィス禁煙だからトイレで一服してんのか?
 なかなか去らない気配にいらだつ。
 予想的中、禁煙のオフィスを追い出されたヤツらがだべっている。
 人がいる。
 今、まかり間違って扉が開いたら……どう言い訳する?
 男二人で個室にこもってナニやってたって白い目で見られる。
 千里の手が動く。
 腰骨にそってゆるやかに上下する手がくすぐったく、控えめに身をよじる。
 「………っ、千里……やめ、さわんな……」
 聞こえたらどうする。
 扉一枚隔てたむこうには大勢人がいる。
 もし気付かれでもしたら……
 千里の手が前に回り、ズボンの股間をねっとり揉む。
 「どこ、さわってんだよ、変態……昼間っからさかるな……」
 前に回った手が断りもなくベルトを外し始める。
 腰をよじって手を振りほどこうと努めるも背後からしがみつかれ身動きしにくい、あんまり暴れたら気付かれる恐れもあって抵抗できない、それでなくても個室は狭くちょっと身をひねっただけで壁や扉にぶち当たりそうになる。
 「!んっく……」
 とっさに唇を噛み、声がもれるのを防ぐ。
 千里の手がなかばおろしたズボンの内側に忍び込む。
 下着の上から陰茎の形をなぞられ、悪寒と紙一重の快感が走る。
 「ばか、抜け……本当にもう行くぞ、付き合ってらんねえよ、仕事まだ残ってんのに……残業こりごり……このあと会議もあるし」
 できるかぎり声をひそめ言う。
 性急な衣擦れの音に上擦る息遣いが混じり合う。
 「助けを呼んだらいいじゃないですか。たくさん人いるし」
 「…………」
 「恥ずかしいんですか?耳まで真っ赤」
 「……るせ……」
 こいつ露出狂のケあるんじゃねーか?会話、すげーデジャブ。
 一ヶ月前は警備員ひとりやりすごしゃよかったけど、今度は状況が違う。
 扉一枚隔てた向こうには少なくとも五・六人がたむろって人の気も知らず談笑してる。
 ………空気読めよ、社会人なら。連れションはせいぜい2・3人にしとけ。
 扉に上体をもたせ、前のめりになる。
 従順な反応に味をしめ千里の手が悪乗りする。
 俺のズボンと下着を膝までおろし潔く下半身を露出させるや、陰茎を掴んでしごきだす。
 「………千里、おま……会社のトイレをSМクラブの個室と勘違いしてねーか……!?」
 「痴漢みたいで燃えません?」
 ダメだこいつ。早く脳除去手術したほうがいい。手遅れっぽいが。
 正面は扉、背中には千里がのしかかり挟まれて身動きできない。
 狭い空間で不自由に身じろぎ脱出を試みるも、千里の手が意地悪く亀頭をくすぐり尿道をほじくり気を散らす。
 「ふ……、いい加減に、お前だってこんなっ、ばれたらまずいだろ……」
 「先輩が黙ってればわかりません。あんまり強く手を突かないほうがいいですよ、蝶番いかれて開いちゃいます。……それとも……ズボンはだけて半勃ちのいやらしいかっこ、会社の人にも見てほしいんですか?」
 唇を噛み首を振る、必死で。
 罵倒しようと口を開いたそばから喘ぎに変わりそうで、悔しさのあまり目に涙がこみ上げる。
 「……場所考えて発情しろ、変態」
 「お仕置きですよ?先輩が一番恥ずかしくていやがるシュチェーション選ばなきゃ意味ないじゃないですか」
 言葉で行動で嬉々として俺を嬲る。
 罵れば罵るほど逆効果。
 ……変態、死ね。
 「いやー昨日のサラリーマンNEO爆笑しましたねー」「いいっすよねーセクシー部長、痺れる憧れるう」「俺はなんたって寅さんだな、哀愁漂っててさあ」「課長寅さん世代ですもんねー、懐かしいでしょ」……表が盛り上がる。まだ当分去りそうにない。テレビ談義ながらよそでやりやがれ、というか仕事しろという抗議が喉元でふくらむ。世の中は真面目なヤツほど損するようにできてるんだろうか?……理不尽だ。泣きてえ。
 「……い、から、手はなせ……ヘンなとこいじるな……」
 腰がへたれる。扉に上体を預け、膝からくずおれそうなのを辛うじて支える。
 体重をかけすぎると蝶番がばかになってドアが開く、頭じゃわかってる、体が言う事聞かない、どうすりゃいい、俺は後ろから千里に抱きしめられて身動きできない、ドアにぴったり密着した姿勢でもぞつき息を荒げる。
 恥辱と怒りで肌が染まる。
 会社のトイレで後輩に前をしごかれてる、ドア一枚むこうでは会社の連中がしゃべってる、顔見知りも混ざってるかもしれない。
 死ぬ気で声を殺す。
 感じてたまるか。
 千里なんかにいかされてたまるか、先輩の面子を保て。
 「強情ですね」
 首の後ろ、敏感な皮膚に息がかかる。
 俺の位置から千里の顔は見えないが想像はつく、きっと胸糞悪い笑みを浮かべてやがるんだろう。
 ふっと股間から手がどく。安堵するも束の間、今度は後ろへ回る。
 「!!ばっ、」
 咄嗟の判断で口を塞ぐ。正解だった。
 「---んんッ、ふく」
 千里の指が窄まりに入りこむ。
 ローションなしだから当然きつい、無理な挿入は痛みしか生まない。
 「何回か入れてるし……ちょっとは慣れたかな。入り口広がったし」
 「解説いらねえ……」
 俺の体が、中が、見えない場所が、着々と千里に開発されていくのが癪だ。
 千里の指で、舌で、アレで、二十何年排泄の用しか足してなかった器官が性感帯へと変わっていく。
 自分の吐く息で手のひらが熱く湿る。
 自重を支える膝が震度四で震える。指が二本に増える。
 「………っ………」
 「なにか言いたいんですか、先輩。ひょっとして、痛い?すごい汗ですけど」
 「……スーツ……皺になる……」
 肩越しに睨みつけた千里がきょとんとし、ついで笑いを噛み殺し、自分の股間を俺の尻に擦りつけてくる。
 「いっそ全部脱いじゃいますか」
 「……は、トイレで素っ裸になる趣味ねえよ……」
 「じゃあ我慢してください」
 畜生。くそったれ。
 現実で声を出せない代わりに腹の中で罵詈雑言を浴びせる。
 ドアの向こうのざわめきに神経がひりつく、ばれるかもしれない恐怖と恥辱で全身が火照る。
 汗がこめかみを伝いシャツにしみる、眼鏡が鼻梁にずれて視界がくもる。
 後ろでささやかな衣擦れの音、千里が手際よくシャツの裾をはだけていく。
 「ローション付けなくても大丈夫ですね。中、ほぐれてるし……ぬるぬる……すごいな、先輩。一ヶ月前と違う」
 「男が濡れるわけねえだろ、頭沸いたこと言ってんじゃねえ……」
 「ゆるくなったの自分でもわかります?ほら、指が二本、三本……動いてるのわかるでしょう」
 からかいつつ、指を鉤字に曲げる。律動的な抜き差しに後ろの穴が収縮する。
 声……だめだ、こらえろ、絶対だすな。
 片手で口を覆う、目を瞑る、もう一方の手をドアに付く。蝶番が軋む。
 激しさを増す抜き差しに伴い粘膜が鳴る。
 前立腺を乱暴に刺激され捏ね回され、中途半端に放ったらかされた前が先走りを滲ませる。
 「うあ……てめ、調子のりすぎ……ぁうぐ、」
 ピストン運動で性急に追い上げられ追い詰められる。
 背中を丸めドアに手を付く、片膝が抜ける、腰を曲げた不自然な姿勢。
 千里が俺の腰を掴み引き上げる。細腕のくせに割と力がある。
 片手に持ったものを見て、ぎょっとする。
 ローター。
 「やめろ……」
 口を塞ぎ首を振る。
 膝の震えは強制された無茶な姿勢のせいばかりじゃない。
 千里が手に持つローターをなめる。
 プラスチックの玩具の表面を赤い舌が艶かしく這う。
 唾液で十分ぬらしてから、それを、俺の窄まりへと近付ける。
 「いい子だから、先輩」
 「俺のが年上だ……」
 「駄々こねないで。手を焼かせないでください。おもて……聞こえますよ」
 耳元で優しく脅す。
 笑みを含んだ目でドアを一瞥、絶望に強張りゆく俺の顔をのぞきこむ。
 逃げる?どうやって?
 密室だ。鍵を開けて、ドアを開けて、それで……それから?
 ヤツらはまだ去らない、トイレを喫煙所と勘違いして楽しげにだべってやがる、その真っ只中にシャツをはだけてズボンが脱げた俺がとびだしてったら……
 笑いもの。
 晒しもの。
 見せもの。
 「千里、それは……昨日のは、俺が、悪かった……と、いうことにしといてやらないこともない」
 最大限の譲歩。精一杯の妥協。
 千里の目の温度が急速に下がる。
 「謝ってるんですか、それ。反省の色ないし」
 「そうだよ、謝ってるんだよ、心の中で土下座してるよ!だから……っ、おふざけはもうやめろ、そろそろ帰んないとあやしまれる、いくらなんでも連れション長すぎだ。若いのに小便のキレ悪いって噂立って糖尿の係長にぬるーい同病哀れむ目で見られたらどうすんだ、俺はいやだ、プライドにかかわる」
 「早漏の先輩に言われたくない」
 「!早漏じゃね、」
 謂われない中傷にカッときて振り返りかけ、千里におさえこまれる。
 窄まりに押し当てられた玩具に圧力がかかり、先端がわずかにめりこむ。
 「ぅあ………」 
 涎にまみれた玩具の表面がゆっくりと沈み込んでいく。
 壮絶な違和感、気持ち悪さ。
 指や舌でほぐされるのとは全然違う、冷たく人工的な感触に鳥肌立つ。
 喉の奥で吐き気がふくらむ、胃がしこる。千里が容赦なく玩具を押し込んでいく。
 「どうですか、異物を突っ込まれたご感想は」
 「……………抜け………」
 固く冷たいプラスチックの玩具に窄まりを犯され、痛みと屈辱に気力が折れる。 
 「直径5センチ、楕円形、コードレスタイプ……どこまで行くか試してみます?」
 笑いながら、恐ろしいことを平気で言う。
 冗談だとは思えない。
 卑猥な薄ピンクのローターが窄まりを犯していく。
 さんざん指でじらされ慣らされた穴は、おもったよりラクに全体を飲み込んでしまった。
 「はあっ、はっ、はふ………」
 前立腺に先端部分があたるよう位置を調整する。
 その動きがまた刺激となって、捏ねあわされた粘膜がもどかしい快感を生み出す。
 「貪欲な粘膜」
 「気がすんだら抜け……っ、早く……すげえ気持ち悪い、後ろ違和感が……」
 初体験のみだらな玩具が窄まりの奥を圧迫し、馴染まない感触に下肢が引き攣る。
 尻に異物を挿入されるのは生まれて初めてだ。
 ……せいぜい座薬くらいか?座薬と比べたってかなりでかい。
 「千里、聞いてんのかよ、いい加減キレるぞ。抜けよ」
 ドアに縋るようにしてこみ上げる情けなさ悔しさを堪え、途切れ途切れに訴える。
 「昨日のは出来心だったんだ、お前が机においとくからいけないんだ、ポンとのっかってたらついやっちまうだろ、あんな……」
 感電したような衝撃。
 「--------!!っあ、」
 スイッチが入る。
 かちかちと小刻みな音、後ろに立つ千里がスイッチを操作する。
 窄まりの奥に突っ込まれたローターが振動する、その震えが粘膜に伝わって腰に波紋を広げ芯を疼かせる、指でされるのとまったく違う機械的振動………
 「弱。これが中」
 千里がカチカチとスイッチを回す。
 無慈悲に容赦なく、俺の痴態を愉悦に酔って眺めつつ。
 「あっぁう、あっ、あ、ふ」
 腹ん中からローターに揺さぶられる、前立腺を揺すり立てられ膝が砕けそうになのをドアにもたれ保つ。
 声……だめだ、もらすな、もらしたら終わりだ、ケツをローターでかき混ぜられて感じてる声なんか絶対死んでも聞かせたくねえ。
 感じてる?俺が?ローターで、機械で、玩具でなぶられて感じちまってるのか?
 いつのまに千里と同類の変態になりさがったんだよ。
 「ふざけ、てめ、調子のんなっ……は……それとめろ、今すぐ、こんな……中、すげー震えてもたね……」   
 謝れば許してくれるのか、トイレの床に土下座すれば解放してもらえる?
 誘惑に心が傾く、負けそうになる、謝罪を紡ぎそうな口を塞ぐ。
 ダメだ、立ってられない、立ってるのが辛い。
 不衛生な床にへたりこみそうなのに膝を笑わせ抗う。
 初めて体験するローターの味は強烈で、体内から湧き起こる振動が前立腺に染みて、萎えかけた前が次第にもたげ始める。
 「聞こえます?こもった音……先輩の中から響いてる。下着はいて、ズボン上げればわからないかな」
 独白に背筋が冷える。
 「……このかっこで、戻れってのか?」
 「はい」
 顔が引き攣る。
 絶望的な半笑い。
 千里は明るく肯定。
 「入れたまま?」
 「ぼくがいいって言うまで出さないでください」
 「仕事中も?」
 「ずっと」
 「正気かよ……」
 こいつやっぱ頭おかしい。
 「~こんな気色わりいもん入れたまま仕事できるかよ、おちょくんのもいい加減にしろ」
 「大丈夫ですよ。だって久住さんはデキる男なんでしょ、ローター突っ込まれたくらいでへこたれたりしませんよ」
 「音……聞かれたら、どうすんだよ……様子ヘンで、課長とか、安子は今いねーけど、同僚とか……ッ、どうやってごまかすんだよ!」
 「自分で考えてください」
 なにを言ってもむだだ。千里の決意は固い。お遊びに本気だ。
 なんとか説得しようと夢中で言葉をさがす、必死に頭を働かせ口を開く。
 ドアの向こうで「そろそろいくかー」と合図、トイレを喫煙所代わりにしていた集団が休憩を終えて出ていく。
 よかった。
 間一髪、救われた心地で息を吐く。
 さあ、とっとと行ってくれ……
 「!!ん――――っ」
 前立腺を殴りつけるような衝撃が続けざま襲う。
 背中がしなる、手で口を塞ぐ、あんまり強く塞ぎすぎて酸欠になりそうでしかし声がもれるよりマシと指を押し付ける、脂汗がながれこみ曇る視界の端で千里が目一杯スイッチを回す。
 最大。
 腹の奥で快感が爆発、それがずっと続く。振動が腰に響いて下肢がジンと痺れる。
 扉のむこうの談笑が遠のく、足音が遠ざかる、がやがや騒ぎながら集団が出ていく。
 忍耐力が底を突く。
 立ってられず膝から砕けて座りこむ、床にズボンの膝が接しそうになったまさにその瞬間、千里が片腕をのばして俺を引き戻す。
 振動が徐徐に小さくなる。
 だが完全にはやまない。
 とろ火のように微弱でもどかしく、達しきれない振動が窄まりの奥をこねる。
 「みんな待ってます。仕事戻らなきゃ」
 「あとで覚えてろよ………」
 とことん性格が悪い。
 歪んでる。
 そとの連中が出ていこうとした瞬間を見計らって、俺が泣きたいくらい安心して油断した瞬間をねらって、設定を「最大」にしやがった。 
 
 そして受難の一日が始まった。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010420185551 | 編集

 腹の奥で機械が唸る。
 「う…………」
 体が熱い。
 仕事に身が入らねえ。
 奥に埋め込まれた玩具が意地悪く震えを発し、尻の表皮全体に微電流が通って甘く痺れる。
 「久住さんどうしたんですか?汗すごいですけど」
 「~暑がりなんだよ、俺は」
 「あ、そっか。今日あったかいですもんねえ、最高気温23度だっけ?すっかり春めいてきて……もうそろそろクールビズの季節っすもんね。背広だとちょっと暑いくらい……今冷房入ってんのかな?」
 どうでもいいが、同い年の同僚に敬語を使われるって激しく微妙だ。
 俺がいかに職場で敬遠されてるかわかってもらえたろう。
 同僚の軽口に上の空で答えつつ、間接が錆びたような拙い手つきでキーを打つ。
 今のところ俺の異変には誰も気付いてない、周囲の連中は仕事に集中してるか息抜きに同僚とだべってるか上司に説教されてる。
 オフィスは騒がしい。
 さまざまな音程の人声とパソコンの音とコピーの作動音に電話の呼び出し音がごっちゃに混じり合って、俺の体内から僅かに漏れる、くたばりぞこないの蚊の羽音みたいなローター音をかき消す。
 頭の上を飛び交う声を唇を噛みやり過ごす。
 声をかけてきた同僚を三白眼で睨み、苛立たしげに追い払う。
 「~いいから、無駄口叩いてる暇あったらとっとと仕事もどれよ!会議に出す資料できあがってんだろうな、また課長にどやされんぞ!?」
 「はーい、わかりましたー。ったく、カルシウム不足なんだから……」
 口の中で愚痴を呟き、反省の色ない足取りで自分の机へ引き返していく同僚を見送り、ワード画面開きっぱなしのパソコンに向き直る。 
 ばれてない?
 ……よかった。こっそり息を吐く。
 安堵でゆるみかけた顔が、振動が強くなるにつれまた強張る。
 「く、あいつ……」
 さっきから延延この繰り返し。いつ終わるともしれず続くお遊び。
 いい加減業を煮やし、椅子に掛けた姿勢から身をよじって千里の横顔を睨みつける。
 千里は女子社員がコピーしてきた書類の束を受け取りがてら、好感度満点の笑顔で雑談してる。
 いつでもどこでもだれにでも愛想をまくのを忘れない男だと感心。
 そつのない笑顔で女子社員をあしらいつつ、ちらりと意味深な流し目をくれる。
 「千里くん、それでこっちの資料なんだけど」
 「会議で使うからもう十部余計にコピーお願いします。経理の斉藤さんも見たいっておっしゃってて……」
 クソ忌々しいことに千里は職場のほぼすべての未婚女子社員から少なからぬ好感をもたれている。
 女子社員にそれだけ人気がありゃモテない同僚のやっかみで孤立しそうなものなのに、話の分かる相槌と気配り上手な性格のせいで、男からも可愛がられている。
 まったく忌々しい、存在自体が目障りだ、癇にさわってしょうがねえ。
 なんで俺が好きなのか理解できない。
 千里のルックスだったらわざわざ俺なんか脅しておもちゃにしなくても相手に不自由しないだろうに……。
 受難の二字が脳裏にちらつく。
 悪魔に魅入られた心境に近い。
 力一杯断言するが、千里の性格はくさりきってる。
 実際ここに仕事中も束縛される哀れな犠牲者が一人。
 千里と目が合うやプイとそっぽをむく。
 あいつ、完璧楽しんでやがる。
 俺が沸々とこみ上げてくる色々なもんを必死に我慢する様を、遠目に観察してうっそりほくそえんでやがる。
 今すぐ椅子を蹴飛ばして、背広の胸掴んで殴り倒したい。それができたらどんなにすかっとするか。
 でもダメだ。千里に逆らえない。
 一ヶ月間、あの手この手で体に叩き込まれた。千里いわく「調教」だ。
 内容は……言えねえ。察してくれ。
 ぎたぎたにされたとはいえ、俺にもプライドと羞恥心があるのだ。
 千里は俺の写メを掴んでる。俺の首にがっちり手をかけてるも同然、こっちはいつ絞め殺されるかわからずひやひやもんだ。
 行為を拒むか渋るかしたら写メをばらまくと脅された。
 もちろんそんなことしたら千里だってただじゃすまないだろうが、あいつならやりかねない。
 時々わからなくなる。
 あの時、晴れ渡った青空の下、気持ちよい風に吹かれながら千里が言った台詞は嘘なんじゃねえかって。

 『先輩がずっと好きでした』
 口からでまかせ。
 『だから、安子さんから奪いたかった』
 俺のことを尊敬してるとか、かっこいいとか憧れてるとか、全部あとづけのこじつけで。

 だって普通、好きなヤツにこんな事するか?
 小学生ならまだしも、いい年した大人が、好きなヤツをいじめて楽しむなんてアリか?

 ……ダメだ、だいぶヤキが回ってる。ぐるぐるぐるぐる思考が靄がかって迷走する。
 考えたって始まらない、今は仕事に集中しろ。デキる男の外面を保て。
 俺にもプライドがある。職場で恥をさらしてたまるか、千里が意地悪く観察してんなら尚更だ。 
 やや前のめりになり、そろそろ手を動かしキーを叩く。
 ローターはランダムに設定されていて、強くなったり弱くなったりを不規則にくりかえす。
 一定の振動に設定されていれば慣れてもくるし忘れたふりもできるんだろうが、千里はそれを見越した上で、「退屈しちゃうといけないから」とランダムを選んだ。
 机の下で膝をもぞつかせ擦り合わせる。
 できるだけ体を動かさず、余計な刺激を与えないよう細心の注意を払う。
 ともすれば息が上擦り、耳まで赤く染まる。
 尻に物を挟んだまま椅子に座ると、すげえ変な感じだ。
 ローターは奥、前立腺のすぐ近くまで突っ込まれていて、クッションで包んだ椅子の表面がズボンの上から窄まりを圧迫すると、さんざん異物でかき回されて充血しきった入り口がきゅっと収縮する。 
 「あいつ……ぜってー殺す……」
 どす黒い憤りに駆られて呪詛を吐く。
 シャツと肌が擦れ合う感触さえ妙に意識してしまう。下着がきつい。前が張り詰めている。
 ギッ、と椅子が軋む。
 下半身に体重をかけるとより窄まりが圧迫されて、中の振動を一層感じてしまう仕組みだ。かといって、体重をかけないよう浅く腰を浮かした不自由な体勢を保つのはキツイ。これがホントの拷問椅子……ぜんっぜん笑えねえ。
 まわりの目が痛い。ばれねーように、それだけを一心に念じる。同僚のだれひとりとして、俺がこんなもん尻に突っ込まれてるなんて思わないだろう。
 ばれたら?耳がよいヤツがいたら?隣の机のヤツが「なんだろうこの音」と言い出さないかとはらはらする。
 「んっく………ふ」
 慎重にキーを叩く。
 いつもしてる事をなぞるだけなのに、物凄い疲労がずっしりのしかかる。
 口、塞ぎてえ。
 だめだ、あやしまれる、声を出さないように我慢しろ。
 唇を噛み、噛み締めた歯の間から暑く湿った吐息だけを逃がす。
 腰の中心から響く振動がむずむずと性感をこねて脊髄を溶かす。
 千里に強姦される前は、後ろをかきまぜられて反応するなんて考えられなかった。
 後ろと前は繋がっている。
 連動し相乗する快感。
 ちょっとでも気を抜けば無意識に前に手が伸びそうになり、散りかけた理性をかき集めてそれを制す。
 服と肌が擦れ合う感触さえもどかしい。
 同僚の視線に過敏になる。
 俺がこんな悪趣味なもん突っ込まれてパソコンやってるなんて職場の誰も想像しねえ。酷く場違いに孤立した感じがする。
 頭のてっぺんから爪先まで恥辱で燃え立つ。
 だれかが後ろを通るたび、近くの席のヤツが立つたび、背中がびくりと緊張する。
 「やだー千里くん、超ウケるんだけど今の!」
 千里の名に過剰反応、キーに手を添えデータを打ち込みつつぎくしゃく振り向く。
 ……野郎、まだおしゃべり中かよ。人に放置プレイかましといて。
 いい加減仕事にもどれと体調が万全なら喝を飛ばしたい。
 会社は社交場じゃねーんだぞ?いつまでたっても学生気分がぬけね……
 「お茶どうぞ」
 すっ、と机上にのびた手に促され顔を上げる。傍らに女子社員が立っていた。茶を淹れてきてくれたらしい。
 「サンキュ」 
 自慢じゃないが、俺は職場の女子に敬遠されてる。気難しい眉間の皺と三白眼がいけないそうだ。
 俺に茶をもってきてくれた女子も心なしかちょっとびくびくしてる。たしか千里と同期の新人だ。
 反射的に身を引き距離をとる。
 千里は音が漏れる心配ないと豪語したが、変態の言い分が信用できるか。
 俺の分まで茶を淹れてくれた親切は嬉しいが、正直今のこの状態ではありがた迷惑でしかない。早く追っ払いてえ。
 だからって女の子をびびらせるのも大人げない、「久住さんてば大人げない」「いくら安子さんにフられたからって女全員目の敵にしなくてもいいのに……」と音速で噂が流れそうだ。
 ガチガチに固まった顔の筋肉を酷使し、強張った笑みを浮かべる。
 新人の女子は俺の反応をびくびく上目で窺ってる。
 ……別に舌火傷したからってひっくり返したりしねーのに。そんなにおっかねーか、俺。
 「あー……自分で淹れるから気ィ遣わなくてい」
 言いながら手を出し、俺専用のマグカップを受け取ろうとした、瞬間。
 今までの比じゃねえ情け容赦ない振動が襲う。
 「-----------------っあ!?」 
 たまらず机に突っ伏す。
 キーにのっけた手がすべり、連続で誤字を打ちこむ。
 視界の端、千里が相変わらずおしゃべりを続けながら片手を背広のポケットに突っ込む。
 スイッチを操作する、「最大」に。
 目の端で俺の様子をうかがう。
 野郎、笑ってやがる。
 こっちはそれどころじゃねえ。
 尻の奥のローターが狂ったように動いて前立腺を揺すりたてる、下腹全体がじんわり熱を持って痺れる、ズボンの前が突っ張って苦しい。
 キャスターが床をひっかく、腰の奥でローターが唸り練り上げられた粘膜が収縮する、鼻梁に眼鏡がずり落ち液晶の字がゆがむ。
 「っ………今手がはなせねーから、そこにおいといてくれ」
 震える指で指示をだす。
 新人は目を丸くするも、机の隅に大人しくマグカップをおく。
 自然と丸まりそうな背中を意地で伸ばす。
 下腹の広範囲に粘着な熱が広がって前と後ろが同時に疼く。
 毛穴から汗が噴き出し、頬に赤みがさす。
 努めて平静を装うも息は浅く乱れ、湧き起こり渦巻く快感を堪える声は不自然に掠れる。
 女子社員が机の端、書類の隙間にカップを置き、一礼して去っていく。
 ローターが窄まりの奥、前立腺に接し、もっとも敏感な場所を徹底していじめ抜く。

 今の、ヘンじゃなかったか。
 声、音、平気だったか?

 早く終わってくれ止まってくれ、もういい加減にしてくれ、こんなのもたねえ、ばれたらどうする……同僚がこっちをちらちら見てる。

 自意識過剰?
 被害妄想?

 電話に対応しながら茶を飲みながらコピーを使いながら俺の醜態を目の端で探ってる、ほんとはみんな知ってて知らねえふりしてんじゃねえか、みんなグルで……
 時間の経過がひどく緩慢に感じる。
 太股の筋肉が突っ張り痙攣する。背広の下、シャツが汗を吸ってぐっしょり湿る。  
 だめだ、おかしくなっちまう。頭が沸騰しそうだ。
 血管中に麻薬が拡散して思考が散漫で冗長になっていく。
 熱はもはや下半身全体に広がって、机の陰になったズボンの股間が勃起する。

 俺は、断じて、誓って、変態なんかじゃあない。
 後ろにローター突っ込まれて感じたりもしねえ。

 反発し抗う心と裏腹に一ヶ月かけて慣らされた体はずぶずぶと泥沼に沈んでいく。
 職場で、まわりには大勢の同僚や上司がいるのに、俺は……
 自尊心の痛み。
 プライドを踏みにじられる痛み。
 片腕で腹を庇い、椅子から浅く腰を浮かし、余裕をかなぐり捨て猛烈に叫ぶ。
 「千里、ちょっとこい!!」
 千里と話してた女子がびっくりしてこっちを見る。
 まわりの何人かも仕事の手をとめる。
 女子を適当にいなした千里が、鼻歌でも口ずさみかねないご機嫌な様子で赴く。
 「千里なにやったんだ?」「久住さんキレてるぜー」「こぶしではさんでぐりぐりの刑じゃねえか」……畜生、聞こえてるっつの。お仕置きされてんのは俺のほうだ。
 悔しさで目が曇る。千里がすぐ横にやってくる。
 「どうしたんですか」
 「どうしたんですかじゃねえ……もうとめろ……」
 「え?なにをです?」
 張り倒してえ。
 「……っ、お前最悪だ……性格ゆがみきってる……俺が女子と話してる時にわざと……茶あこぼして、火傷したらどうすんだよ。クリーニング代弁償しろよ」
 「負け惜しみしか言えないんですか?」
 周囲をはばかり声をひそめる。
 俺の耳に口を近付け、愉悦に酔って囁く。
 なにげないしぐさで椅子の背もたれに肘をかける。ぎっ、と椅子が軋む。
 そうしてさらに乗り出し、俺の肩越しにパソコン画面をのぞきこむ。
 あたかも仕事の相談をしてるふりで、パソコンについて教えるふりで。
 「違うもので汚す心配したほうがいいです」
 あからさまな嘲弄。
 憤死寸前、思わず殴りかかろうと手を振り上げるも、千里の冷ややかな目に怖じてぐっと拳を握りこむ。
 「………頼む、せめて小さく……弱く……音、聞こえる……」
 切れ切れに紡ぐ声は、殆ど吐息にかき消されていた。懇願というより喘鳴に近い。
 千里が背広のポケットに手を入れリモコンを操作、じれったいほどゆっくりと振動を弱める。
 両隣の机は今留守、同僚は席を外してる。
 オフィスは今一番忙しい時間帯で、よっぽど大声で話さない限り会話を聞かれる心配はないが、念を入れる。
 「はあっ………」
 ようやっと息を吹き返す。
 ローターは止まないが、背筋を伸ばせる程度には体調が回復。
 体の奥を無機物が嬲る。
 カプセル状の器具が粘膜を練り上げて、ドロリと濃厚な快感を生む。
 「だめじゃないですか、我慢できずにぼくを呼んだりして」
 首の後ろを吐息の湿り気がなでる。
 振り向かなくてもわかる。満足そうな声。千里は微笑んでる。
 「………仕事、ぜんぜん集中できねえ……いいだろう、もう……さんざん恥かかせて気がすんだろ、おしまいにしろ」
 「全然。序の口ですよ」
 「~ちゃんと仕事したいんだよ!」
 「どうぞご自由に。先輩が真面目なのはわかってますから、励んでください。腕を拘束されてるわけじゃないんだ、パソコンできるでしょ」
 千里の手が肩に触れる。びくりと身がすくむ。
 「すごい熱い……汗かいてる」
 「やめろ、人が見てる……」
 「ひとに見られて興奮してるんですか?」
 とんでもねーことを抜かす。
 ぎょっとする俺の肩を掴んでむりやり前へ向かせ、自分はその耳元でにやつく。
 「へえ、まんざらでもないんだ。ズボンの前もぎちぎちだし。ローター初体験のくせに、すっかりよくなってる」
 「よくねえよ」
 「嘘ばっか、後ろの穴ぐちゃぐちゃにかき混ぜられて気持ちいいくせに。もしばれたらどうします?みんな、こっち見てますよ」
 「やめろ……」
 「先輩の様子おかしいの気付いてるかなあ。気付いてる人もいるんじゃないかな?久住さん今日なんかへん、風邪かな、顔赤い……背中伸びてないし……久住さんいつもすごく姿勢いいから、そうやって背中丸めてるとすっごく目立ちます」
 千里の指摘に慌てて姿勢を正す。
 途端、また一段振動が強くなり、せっかく立て直した体が前に傾ぐ。
 「同僚にじろじろ見られて感じてる?恥ずかしいかっこ見られるのが好きなんですね。昼間っからローター後ろに突っ込まれて、椅子に座りっぱなしで、外っ面はあくまで涼しげに保って……自分じゃ上手くごまかしてるつもりかもしれないけど、ボロ出まくりですよ。初めてのローターのご感想は?僕の指とどっちがいいですか」
 「お前のパソコンにスパム大量に送り付けてやる」
 「隔離設定にしてるからむだです。……往生際悪いなあ」
 息がくすぐったく耳の裏をなでる。それだけで感じてしまう。
 騙せない。
 ごまかしきれない。
 千里の言うとおり、次第にボロが出はじめている。
 「……いいからはずせ、一日中こんな……頭がどうかなる……」   
 「トイレが近い人って噂立っていいんですか?それに……一度ならず二度もぼくとトイレにこもったら、さすがに怪しまれますよ」
 言い聞かせながら、またポケットに手を入れる。
 制す暇もなくスイッチを調整し、小刻みに振動を切り替える。
 「!あっ、あう、んっく」
 「前向いて。仕事してください。あ、ここ変換ミス。伸び率がノブ率になってる」
 「千里………」
 「だめだなあ、しっかりしなきゃ。あ、ここも。一行目の利益還元が甘言に」
 「千里!」
 切羽詰った声。
 今の俺は相当追い詰められた顔をしてるだろう。 
 千里が画面を指さしミスを指摘する。もう片方の手をさりげなく俺の肩に添え、微妙に指を動かす。
 千里に触られた場所がジンと熱を帯びる。
 朦朧とした頭で、千里に言われるがまま、のろのろとミスを直していく。
 ちょっと腕を動かすだけで下半身がずくんと疼く。
 体温調節が狂い発汗を促す。
 俺をこんな状態にした張本人にミスを指摘されるなんて。
 ぴたりと付き添って変換ミスの修正を促されるなんて、最大の屈辱だ。
 片手を俺の肩に添え、もう一方の手でマウスを導き、丁寧に教える。
 「ほら、スクロールして……最後の行、数字間違えてますよ?15パーセントじゃなくて25パーセント」
 「はなせ……ひとが見てる、べたべたすんな、とっとと席もどれよ」
 「先輩が呼んだんじゃないですか。ぼくが必要でしょう」
 にっこり、悪びれもせず。二人羽織りの要領で俺の手を操りつつ、椅子の横にぴたりと寄り添い、わざと俺の腿に体を触れさせる。
 びきびきと眉間が攣る。顔の筋肉が反乱をおこす。憤りと怒りと憎しみと悔しさと羞恥で頭が爆発しそうだ。
 千里のアドバイスは、悔しいが、非常に的確だった。実はコイツは仕事もできる。……って、俺が教えられてどうすんだ、後輩に。
 あんまり密着してると周囲に不審がられる。
 というのは思い過ごしで、実際そこまで気にされてない。他の連中は会議の準備で忙し……
 会議?
 さっと頭が冷える。
 慌てて時計を確かめる。午後一時五十分、二時から会議が始まる。
 「千里、これ抜け。しゃれになんねーぞ」
 声が険を孕み真剣になる。これ以上千里の悪ふざけに付き合ってらんねえ。
 「言いましたよね、ぼくがいいっていうまで出しちゃだめだって。一人でトイレも禁止。用足しは我慢してください」
 「-っ、お前頭煮えてんのか、知ってるだろ、あと十分で会議が始まるんだよ!こんなもんはめたまま出ろってのか、会議には他の部署の連中もくる、そこで恥かけってか、もしトチったら俺の出世が」
 「意外と野心家なんですね。安子さん寝とった男を見返したい?」
 「失恋の傷えぐんなよ!」
 「先輩の傷口に塩をすりこむのが趣味なもので」
 どす黒い殺意が湧く。こいつ絞め殺したい。
 誠意のない謝罪にはらわた煮えくり返り、射殺さんばかりの目つきで睨みつけるも効果は薄く、千里が言う。
 「大丈夫ですよ。会議、ぼくも出ますから」
 「……………は?」
 それがなにを意味するか理解するのに時間がかかる。
 「大事な会議ですよね。他部署の人もくる。今回のコンセプト説明、先輩の担当でしたっけ」
 「待て待て」
 「原稿、ちゃんと読めるといいですね」
 ほくそえむ千里の目には欲望のぎらつきがあった。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230859 | 編集

 「異議あり!開発部はユーザーのニーズがちっともわかってない!」
 机に平手打ちをかまし席を立つ熱血漢。
 「藤木さんまあた熱くなってる……」
 「今度はなんの影響?」
 「逆転裁判だって」
 「あーあのゲームやりこんでたもんなー寝不足の赤い目して」
 「困ったもんだよ」
 会議はたいてい長丁場で退屈と決まってる。
 うちの会議もごたぶんに漏れず、是が非でも自分の意見を押し通し辣腕ぶりをアピールしたい野心ぎらぎらの若手と、そんな若手に苦りきった上司との間で統計がどうだのターゲット層がどうだのと不毛な論争が繰り広げられている。
 「っ………」
 会議室は広い。
 そのだだっ広い会議室にぎっしり人が詰めこまれている。
 今日の会議は新商品のコンセプトを決める重大な会議だとかで営業の俺たちにもお呼びがかかった。
 長方形の机には椅子が配置されずらり人がならんでる。
 あくびをかみ殺すヤツ、手持ち無沙汰に書類をめくるヤツ、俯いてこっそりメールを打つヤツとなんらかの内職に励むやる気のねえ社員も多い。
 大丈夫かこの会社。
 会議は二時から始まり三時に終わる予定。
 あくまで予定で延長の可能性大アリ。
 椅子に座ったまま、耐える。
 何もしないでいるのがこんなに苦痛だなんて知らなかった。
 誤解なきよう断っとくが退屈イコール苦痛って意味じゃない、字面どおり受け取ってくれ。
 現に今も体内の奥深く埋め込まれたローターが微弱な震えと唸りを発し前立腺を責め抜く。
 あらん限りの憎しみにぎらつく目で向かいを睨む。
 机をはさみ反対側に座った千里は、俺と目が合うやにこりと笑う。
 ……もうちょっと足が長けりゃおもいっきりすね蹴っ飛ばしてやるのに……自分で言ってて哀しくなってきた。
 どんだけ足を伸ばしてみたところで向こうには届かない。
 「はっ………ぅく………」
 千里の手が動く。
 顎をしゃくり目に強い光をため訴える、ぶんぶん首を振り「ばか、やめろ、それしたら絶交だ」と口パクで力一杯罵る。
 だがしかし俺が嫌がれば嫌がるほど調子に乗るのが千里がドSたるゆえん。
 意味深な笑みを深め、優雅な動作でポケットに手を滑り込ませる。
 「!や、」
 隣に座る同僚が振り向く。
 やべ、気付かれたか?
 慌てて口を噤み、資料の端をそろえなんでもないふうを装った途端、来た。
 「―っうく、」 
 ローターの振動が一段強くなる。
 膝が、がくがくする。
 隣の同僚にばれないよう、近くの席のヤツらにばれないよう、死ぬ気で声を殺す。
 千里は俺がけっして慣れてないよう、与える刺激の強さを常に計算し調整している。
 カチカチと摘みを回し、強くしたら今度は弱く、弱くしたら今度は中位へと不規則に変化させる。
 おかげでこっちは心の準備が出来ない。振動が一定に保たれてるならまだしも我慢できるが、慣れてきたとおもって油断した途端「最大」にされ、ともすれば机に突っ伏しそうになるくりかえしだ。
 会議前に配られたコーヒーはすっかりぬるくなっている。口をつける気になれない。マグカップをとった途端、ローター強められて服に零しでもしたら悲惨だ。
 「どうしたんだ、お前。顔赤いけど……緊張してんのか?もうすぐ出番だもんな」
 同僚の心配そうな声。
 うぜえお節介。ほっといてくれ。
 頬の赤みを悟られたくない。体の震えを悟られたくない。
 ごくりと生唾を嚥下し、ばらけた資料の端を神経質に整え、努めて平静な声を出す。
 「武者震いだよ」
 会議室には今、二十数人が集ってる。
 その殆どは発言者に集中してるけど、俺の様子を怪しみだしたヤツがいないとも限らない。
 くそ、千里め……
 せめて会議が終わるまで我慢だ、そしたらトイレに直行してケツに入ってくる悪趣味なもんを抜く、千里なんか知るか、これ以上付き合えっか。大事な会議に身が入らねえ。
 発言者の意見に耳を傾けようと努力するも水の泡、下半身に広がる痺れに似た快感が邪魔する。 

 俺はデキる男じゃなかったのか?
 叶うなら、今すぐ蒸発してえ。

 会議を抜けてトイレに駆け込んでローターを掻き出したい、もういやだ、あと一時間も生殺しが続いたら気が狂う、おかしくなっちまう。
 最悪、イッちまう。
 会議室で、会議中に、顔見知り含めた大勢の人間にじろじろ見られながら……
 「………………っ」
 最悪の想像に喉が詰まる。
 俺がケツにローター入れっぱなしで会議に出てるなんてこの場の誰が想像する、千里以外知らない、と思いたい。もしばれてたら、ばれたら、おしまいだ。とんでもない変態の烙印をおされる。
 視線が気になって会議に集中できない。
 音が漏れてないか不安だ。
 膝頭を忙しく擦り合わせ気をそらす。
 一時間以上ローターでいじめ抜かれた体はすっかり茹で上がってる。
 中がどろどろに溶けているのがわかる。
 どうかしちまいそうだ、本当に。
 音もだが、匂いが気になる。
 俺の股間は中途半端に張り詰めて、とめどなく迸る先走りを吸った下着が蒸れた匂いを醸す。
 俺はデキる男だ。トチったりしねえ。千里の策略にはまってたまるか。
 今後の出世を左右する重大な会議……それは大げさだが、「デキるヤツだ」とアピールしといて損はない。将来への投資だ。俺にだって係長でジエンドしたくねー程度の野心はある。

 意欲。
 意気込み。

 もちろんある。安子を寝取った男は他部署の出世頭で、だからむきになってるというのも、ある。
 ああ、くそ、なんだってこんな事に。
 甘い顔見せたのが悪かったのか、きちんと拒むべきだったのか。
 『好きですよ、先輩』千里にほだされて『大丈夫ですか?』事後に見せる心配顔にだまされて『本当はずっと尊敬してたんです。憧れてた』口からでまかせに乗せられて。
 だから付け上がる。俺がちゃんと拒まなかったのがいけない。
 つくづく写メを消せなかった不手際が悔やまれる。
 恥ずかしい。頭が働かない。気持ち悪い。尻の違和感が消えない。
 窄まりの奥にはめ込まれた悪趣味な玩具は、周囲に聞こえない程度の音でずっと唸り続けている。
 突然振動が強まる。
 背筋が強張り、太腿が突っ張る。
 ただ椅子に座っているだけで、窄まりの奥の粘膜がうねって蕩けるような快感を生み出す。
 「はあ………」
 何度も何度も寄せては返す波を硬直と弛緩の繰り返しでやりすごす。
 机上の手を握りこみ、肩の浮き沈みに伴い犬みたいに息を吐く。
 「本当に大丈夫かよ?具合悪いなら医務室行けよ」
 「大丈夫だよ……大したことねえよ、武者震いだって言ってんだろ?どうやったら逆転裁判よりインパクトあるアピールができるか考えてんだよ」
 退室は許されない、勝手に会議を抜け出してトイレに駆け込んだらもっと厳しいお仕置きが待つだろう。

 びびってる?
 俺が?
 後輩に?
 千里ごときに?
 ……認めたくねえ、断じて。

 でも実際もうぎりぎりで、俺はもうどにもならないとこまで追い詰められていて、今すぐ会議を抜けてトイレに駆け込んでらくになりたいが千里の目があって実行できない監視される観察される周囲のヤツらだって不審がる、頭も体もぐらぐらする、見世物にされてる気がする。異常だ、こんなの。とても普通じゃねえ。尻がむずむずする。下半身が熱い、前がきつい。もう少しでイきそうになるたび振動が弱くされる、じらされる、お預けをくらう。
 生理的な涙で潤み始めた目で千里を睨む。
 よせ。
 止めろ。
 口パクで、目で、全身で、訴えたところでやめたりしねえ。
 千里の手が動くたびびくりとする。
 ぐっと手を握りこみ、耳まで染めて俯く。
 千里は俺が過敏になっているのを知りながら、机上のコーヒーに手を伸ばし優雅に口をつけたり、資料をめくって読むふりをしたりと、フェイントを巧みに混ぜて仕掛けてくる。
 早く終わってくれ。
 焦燥に焼かれる。ローターでかきまぜられっぱなしの腹の奥で、気持ち悪いを通り越し、ヘンな感覚が疼いて騒ぐ。
 もどかしい感じ。イけそうなのにイけねえ。まわりのヤツらが見てるんじゃないかという被害妄想が働き、疑心暗鬼に苛まれ、些細な物音にびくつく。
 咳払い、資料をめくる音、椅子の足が床を擦る音。
 平素なら一緒くたに掃き捨てられる雑音に近いそれらの音が、いちいち俺を脅かし怯えさせる。神経がざわめく。
 殺気だった目で千里に命令、懇願。即刻ローターを止めろとせがむ。今の俺はきっと泣く子もひきつけをおこす凶悪な顔をしてるだろう、もとからの悪人づらが高利貸しから殺し屋にグレードアップしてる予感がする。
 快感と羞恥とプライドがせめぎあう。眼鏡越しの目に涙がたまる。いい年した男が泣くか、普通?慌てて涙腺を引き締める。自分があんまり情けなくてみじめで勝手に涙が……ちがう、たんなる生理現象だ。ほら、気持良すぎたり何だりすると勝手に涙がにじむだろ?だからだ。……意味不明支離滅裂、たとえに失敗した、気持ちよすぎてってなんだよ、ぜんぜん気持ちよくねーよ、気持悪ィよ、気持悪くて泣いてんだよくそったれ。
 「ではここで商品のコンセプト説明を営業の久住くんに……久住くん?」
 「久住、課長が呼んでるぞ」
 「んだよ、うるせえな……いそがしいんだよ、あとにしろよ」
 「お前の番だって!」
 同僚に肘をつつかれはっと我に返る。
 椅子を蹴倒す勢いで起立、硬直。一身に視線を浴び、心臓が蒸発しそうに脈を打つ。
 「……はい」
 資料を手に持つ。
 小脇に挟み、何かの養成ギプスを嵌めたような動きでぎくしゃく歩く。
 横顔に視線を感じ体が火照る。
 前屈みにならないよう姿勢を保つ。
 机はちょうど俺の腰の高さで、ズボンの前は隠れて見えない。助かった。
 これから話す内容を朦朧とした頭でおさらいする。
 口内で唾液を分泌、舌に油をさす。
 課長の目配せに軽く頷き、机の先頭に立つ。
 横にはホワイトボードがあり、新商品の写真が数点添付されている。
 机を埋めた全員の視線が集中する。
 毅然と顎を引き、まずは礼。挨拶は基本。
 「ただいま課長からご紹介に預かりました営業の久住です。今回は市場調査の総括を担当します。当報告書では、日用消費財製造業者の成功の秘訣となる利便性というメガトレンドについて注目し、利便性に関連した消費者ニーズ、製品開発・マーケティング機会などをまとめ、概略下記の構成でお届けいたします」
 ペンを持ち、参加者に背中を向けホワイトボードに書き込む。
 きゅきゅっとペンが走る音が耳につく。
 ペンにキャップを被せ、改めて正面を向く。
 これからしゃべる内容。さっきざっと復習した。大体頭に入ってる……はず。
 腹をくくるっきゃねえ。
 ばれねーように、できるだけ普通に、冷静に、はきはきと。
 顔の赤みを俯き隠し、資料に目を通すふりをする。
 「まずは1ページ目、トレンドフレームワークの利用と新製品開発における品質向上についてですが……」
 俺の説明につられ、皆が資料をめくる。
 自分の声が自分の声じゃないみてえに遠い。
 喉が、異常に渇く。
 舌が勝手に動く。催眠術にかかったみたいだ。
 早く終われ。
 注目が耐え難い。
 勘の鋭いヤツの中には、俺の様子がヘンだと気付いてる者もいるかもしれない。
 知らなかった。
 立ちっぱなしはキツイ。
 椅子に座ってるほうがまだマシだ。
 ズボンの前は机に隠れて見えない、後ろの窄まりではローターが唸り続ける。
 「っ………く、……」
 唇を噛む。息を継ぐ。
 眼鏡ごしの目で平然とした千里を睨みつける。
 最高に素敵で不愉快な人たらしの笑顔。
 「……技術革新は主な成長促進因子ですが、一方課題の多いプロセスです。それを克服するためには市場の声を積極的に取り入れ、現場で働く人々の声を聞き、個々の面での更なる改善が……」
 体が熱い。前が窮屈。
 なに話してるんだ、俺?支離滅裂、意味不明。席、戻りてえ。
 上司も同僚も他部署の連中もじっとこっちを見てる、真剣に説明聞いてる。
 ボロを出すな。今は会議中だ、自分の役目を放棄するのは社会人としてどうなんだ、最後までやりとげろ、じゃないとプライドが許さねえ。
 膝が震える。
 「………詳細は5ページ目のグラフを参照………」
 振動が強くなる。
 「!!んんっ、」
 机の端を掴み、耐える。耐え抜く。
 説明が不自然に中断され、何人かが怪訝そうに顔を見合わせる。
 「君、大丈夫かね?」
 他部署の課長が、心配そうに聞く。
 必死に呼吸を整え、汗にまみれた顔でぎこちない笑みを形作る。
 「………すいません……足が攣りました」
 苦しい言い訳だ。
 あちこちで笑いがおこる。冗談ととってもらえたみたいだ。
 汗も、目立たなくてよかった。
 畜生……千里……絶対殺す。百回は殺す。ぎったんぎったんに殺す。
 爪先からシュレッダーにかけて千切りの刑だ。
 「失礼しました。説明を続けます」
 机にもたれかかるのは行儀悪い、だから耐える、我慢する、ホワイトボードの横に背筋をのばし立ち尽くす。
 「グラフをご覧いただければわかるとおり、主要な購買層はおもに三十代から四十代となっていて、二十代の伸び率が悪い。今後はここに力をいれ、どうやって若者にアピールする商品を開発していくかがキーとなります」
 「質問だが、このグラフを見ると二十代の中でもとくに学生層が弱いね」
 「はい。その点ですが、学生は性能よりはむしろデザインを重視する傾向にあるようです。たとえば、性能が同じならよりフレームのバリエーションが多い他社の製品を買う。パソコンを例にとるとわかりやすいかもしれません。どんなに容量が多く性能が優れていても使いこなせるのは一握り、ならば買う買わないの最大の決め手となるのはビジュアルです。十代や二十代は特にその傾向が強いですね。口コミ……友人が持ってるのを見て、友人から使い心地を聞いて買うという声も無視できません」
 掠れた声で注釈をつければ、「なるほど」とひとつ頷き、質問者が引き下がる。
 机の前のほうに座ってる何人か―ということは、他部署のお偉いさんだーも、感心したような顔をする。
 ここまではまずまず順調。
 時々声が詰まり途切れる他に致命的なミスもない……気付く範囲ではしてない、はず。
 どうだ、おそれいったか。
 優越感の光を目にやどし、千里を見る。俺はちょっと得意げな顔をしてるはずだ。
 もう少しで終わる、読み通せる。遂に最後のページをめくり、口を開くー
 
 バチバチと、高圧電流みたいな衝撃。

 「!!―――――っ、」
 膝がかくんと抜ける。
 油断した。それがいけない。
 最後のページをめくった瞬間もう少しで終わる解放される席に戻れると安心し油断した、緊張の糸がゆるんだ瞬間を見計らってアイツ「最大」にしやがった、「最小」から「最大」へ一気に……
 「また足が攣ったのかね」
 すぐ近く、俺から見てもっとも手前、ということはこの場における一番お偉いさんの課長がからかう。つられ、笑いが爆ぜる。
 どうにかこうにか愛想笑いを浮かべようとしてまた膝がずりおち、机の端を掴み、苦しい体を支える。
 「ぅっく……ふ………」
 震える指で、ずりおちた眼鏡をもどす。
 がくがくする膝を叱咤し、上体を起こす。
 窄まりの奥、凶悪なローターが狂ったように前立腺を揺すりたてる。
 括約筋が収縮、腿の筋肉が痙攣する。
 だめだ、こんなところで、人が見てる、いくか、いけない、四つんばいになってー……だめだ、耐えろ、我慢しろ、もう少しだけ
 「説明、続けます」
 生唾を飲む。
 下半身が熱く痺れる。
 ズボンの前がぎちぎちに張り詰めて動きにくい。
 会議中に勃起してるなんてばれたらおしまいだ。
 自分が何をしゃべってるかわからない。ただ、資料の活字を声に出してなぞっているだけ。
 人が見ている。
 俺を見てる。
 会議室を埋め尽くした全員が、机を占めた全員が、時々頷きながら俺の説明を聞いている。

 逃げてたまるか。
 お断りだ。

 今逃げ出したら千里の勝ちだ。
 俺のプライドと出世のためにぜってー最後までやりぬく、やりとげる。
 燃え立つ闘志とは裏腹にローターで責め立てられた窄まりはひどく敏感になって、捏ね回された粘膜が波打ち、前立腺をほぐす。
 座るのは拷問、立つのは見せしめ。ぐちゃぐちゃの頭とどろどろの体じゃどっちがマシかなんてわからねえ。
 絶対見返してやる。
 俺をこんな状況に追い込んだ千里を、すっかり勝ったつもりでいやがる鼻の穴あかしてやる。
 何度も何度もつっかえそうになりながら、そのたび千里への憤りとぐらつくプライドを糧に持ち直し、とうとう最後の段落に辿り着く。
 何度も何度も呼吸を整え、上擦り漏れそうになる声を飲み込み、抑制して吐き出す。
 「………以上、終わります」 
 限界だった。
 何の比喩でもなく、頭が真っ白になる。 
 「久住さん!?」
 「君、大丈夫かね!?」
 周囲が突然ざわつく。何人かが席を立つ。視界がぐらついて―床が近くー倒れる?
 資料を床にばらまく、ばらけた資料の上にあっけなく片膝付く。頭がぐらぐらする、誰かが助け起こそうとして俺に触れる、電流が走る。
 床で体を丸め息を荒げる、体が熱い、もどかしい、苦しい、イきてえ、それしか考えらんねえ。
 ぎりぎりまで追い詰められた体が疼く、ばらけた資料を拾い集めようと震える指を伸ばす……
 「医務室へ連れていきます」
 ふっ、と体が軽くなる。
 誰かが俺に肩を貸し、立たせる。
 「頼んだよ、千里くん」 
 「貧血かね」「ちょっと様子ヘンだったもんね」「体調悪いのによく頑張ったよ」「責任感強いなあ、さすが久住さん」……うるせえ、お門違いの勘違いだ。
 心配そうなまなざしに見送られ会議室を出る。
 「………死ね、本当に死ね、今すぐ死んでくれ……」
 ゆだった頭で呪詛を吐く。千里にぐったりもたれ、足をひきずるようにして歩く。突き飛ばしたいが、力がまるっきり入らねえ。
 目的地は医務室、ではない。会議室を出たその足でトイレに向かう。
 個室のドアを開け、ふたりで転がりこむ。扉が閉まるのを待ち、千里の背広を掴んで脅す。 
 「……っく……ふ……とれよ、これ……」
 ちょっと泣きが入る。
 脅すというか、事実に即せば縋るのほうが正しい。
 「お前のせいで会議めちゃくちゃだ、資料読んでる時もずっといれっぱなしであんなのアリかよ、音もれたら声聞かれたらってはらはらして全然集中できねーし……最悪だよ、なんだよ、いじめかこれ?楽しいかよ社会人にもなって先輩いじめ、つかなんで俺がいじめられなきゃいけないんだよおかしいだろ、後輩いびりの仕返しかよ!?」
 「先輩、落ち着いて」
 「落ち着けねえよ!いいから早く抜けよ、腹ン中ぐちゃぐちゃで気持悪くて……ずっと音なりっぱなし、震えっぱなしで……お前その性根カウンセリングで矯正してこい。俺が資料読んでる時に最大にして、慌てる様にやにや眺めて満足かよ?変態ぶっ殺す、もう絶対殺す、お前なんか大嫌いだ」
 「ごめんなさい、大好きです」
 千里が俺の肩を掴んで宥める。唇を狙う顔を振り払う。
 「嘘吐け、信じられるか、好きだったらなんで俺のいやがることばっかするんだよ!?ぜんぶぜんぶ嘘だろ、俺が好きとか憧れてるとか口からでまかせで、それさえ言っときゃ警察にチクらず許してくれるって計算済みなんだろどうせ!?一瞬でも信じた俺がばかだった、乗せられたんだよ、あの時屋上でなんかお前がしゅんとしてたから、捨て犬みたくしょんぼりしてたから」
 俺がぶっ倒れた時、千里は真っ先に駆けつけた。
 思い出す、こいつの顔。
 椅子を蹴倒し駆け寄る必死な形相、本気で心配してる顔。
 「………抜いてほしいですか?」
 探るように聞く千里に、一も二もなく頷く。
 「帰るまで我慢できない?」
 「勘弁しろよ……もたねえ……」
 顔が上げられない。
 まともに目を合わせられない。
 死ぬほど恥ずかしくて悔しくて情けなくて頭はぐちゃぐちゃで、千里のスーツに顔を埋め洟を啜る。
 「よく頑張りましたね。えらいえらい」
 しゃくりあげる子供を宥めるみたいな手付きで、俺の背中をさすって褒める。
 キレる。もうキレた。実力行使だ。
 千里のポケットをねらって手をくりだす、スイッチを奪い返そうと試みるも見越され回避、千里が仕方なさそうに笑う。
 「ズボンおろしてください」
 「俺が?」
 「そこまでぼくにやらせるんですか?意外だな、プライド高い久住さんが」
 千里が鼻白む。やけっぱちだ。
 じれた手付きでベルトをはずし下着ごとズボンをおろす。
 ローター音が一層大きくなる。
 「後ろむいて。壁に手をついて」
 屈辱を噛み締め、命令に従う。
 壁に両手を付き、剥き出しの下半身を晒す。尻を突き出す惨めな格好をとらされ、片腕をずらし、涙が滲み始めた目を隠す。
 「自分でやってみます?……ああ、無理かな。結構奥まで入ってるから掻き出せないか」
 「いいから早くやれよ!」
 千里が嘆かわしげに首を振り、窄まりの入り口を広げ、指を突き立てる。
 「!んっ………馬鹿、もうちょっと加減しろ……」
 「すごい。もうぐちょぐちょじゃないか。会議中もずっと感じてたんですか?前もどろどろだし……」
 「誰のせいでこうなったと思ってんだよ、変態……いきなり強くしたり弱くしたり、おかげで全然、身が入らなくて……さんざんだよ、畜生、厄日か、お前と知り合ってから一年中厄日だよ、もう完全に出世の道閉ざされたよ、声震えてたし、絶対、だめだ、ヘンに思われた、噂になってる……田舎帰る……」
 「考えすぎですよ」
 「安子にあわす顔ねえ……」
 「今産休中だし。元カノの事なんてどうでもいいじゃないですか、失恋ふっきって前を向きましょうよ」
 「むこうとしたらお前が立ちはだかったんだよ!」
 「新たな恋愛対象ってことで?」 
 「倒すべき宿敵とかそんなかんじで……っ、ふあ!」
 体内に突っ込まれた指が鉤字に曲がる。……コイツ、わざとやってる。じらして、反応見て楽しんでやがる。
 「……千里、早く……」
 「どうしてほしいですか?」
 「抜いてくれ……」
 「反省は?」
 「は?」
 「昨日の。ごめんなさい、まだ聞いてないんですけど」
 肩越しに振り返る。俺の背に密着し、千里が囁く。
 「……正気かよ、この状況で……どうでもいいだろ、そんな、ひっ!」
 ずるりと指が抜ける。
 「電池切れまで入れといたらどうですか?2・3日でとまりますよ」
 耳を疑う。顔が引き攣り、曖昧な半笑いが浮かぶ。冗談だよな?と目で念を押すも、千里は無表情に見返すだけ。
 「先輩は淫乱だから、そっちの方が寂しくなくていいじゃないですか。うん、これで解決。ぼくが慰めてあげなくてもすむし、一石二鳥だ」
 「ふざけ、んな」
 「いやなら自分でひりだすとか。だいぶゆるくなってるからできるでしょう」
 壁に縋り、膝にズボンを絡めた格好で尻を突き出し、奥に挿入された物をなんとか自分の意志で排泄しようとする。
 「う………」
 「自分で指使って。突っ込んで、掻き出して。括約筋操作して」
 「無茶いうな、できるか、ケツの穴に自分で指突っ込むとか汚え……」
 「入れっぱなしがいいんだ。欲張りだなあ」
 嘲笑が耳を嬲る。千里がわざとゆっくりと後孔のふちをなぞる。それだけでぞくぞくと快感が走り、達しそうになる。
 「く…………、」
 ぶん殴りてえ。張り倒してえ。
 それから?
 俺の体内には悪趣味な玩具が入ったまま電池が切れるまで動き続ける、電池が切れても入ったまんまだ。
 その状態がありあり想像でき、恐怖で頭の先から爪先まで冷たくなる。
 千里なら本気でやりかねないのが怖い。
 謝っちまえ。
 携帯勝手に見てごめんなさいって言っちまえ。
 「……………る、かった」
 「聞こえない」
 「……………た………」
 「もっと大きな声で」
 容赦ない催促が鞭打つ。
 凄まじい葛藤に脂汗を流す。片腕で腹を庇い、悩ましい疼きに耐える。背中を壁に預けずりおちそうなのを膝の力のみで支え、深呼吸。
 「『ごめんなさい。掻き出してください』」
 千里が復唱する。俺の頬にそっと手をかけ、顔を寄せる。睫毛が長い。 
 「『手伝ってください』」
 「……………………」
 顔を背ける。千里の手が動く。待て、と制すより早くまたスイッチが入り、快楽の波が続けざま襲う。
 「……お前には、頼らねえ。俺は間違った事してねえ、悪いなんて思っちゃねえ、謝るのはお前の方だ。土下座しろ」
 振動が強く
 「-!っとに、いい性格してるよ……ぅあ、んく、ふ……ふざけんな、なめるなよ、なんだって無理矢理ヤられた上にこんなおもちゃ扱い……耳の穴かっぽじってよく聞け、俺はお前のおもちゃじゃねえ、これ以上好き勝手させてたまるか、ああそうとも冗談じゃねーよ、何様だ?後輩サマか?お前に頭さげるなんてお断りだね、そんなに俺に頭さげさせたきゃ腹に蹴りでもいれろよ、お前の靴に反吐ぶっかけてやる」
 強く、強く―強く
 意を決し、後ろへと指を持っていく。
 自分で見ることもできない、さわるのも初めての場所に、おそるおそる指を入れる。
 最初は浅く。
 「自分でやるんですか?へえ。すごいかっこ。アナルオナニー?後ろだけでイく練習、ですか」
 千里が口の端を曲げる。サディスティックな冷笑。
 言葉で、視線で、どこまでも残忍に執拗にえものを嬲る。
 指だけで、キツイ。すげえ違和感。
 千里には何度もされてるけど、自分でやるのは初めてだ。
 「はっ……はあ、ぅぐ……」
 指を二本、ねじこむ。できるだけ奥まで……奥に……
 腹が苦しい。
 ぐちゃぐちゃのどろどろに溶けた粘膜が指を咥えこんで放さない。
 眼鏡がずれて壁がぼやける。
 入り口に入れただけで、奥のほうから震えが伝わってくる。指が……俺の指、必要に迫られて仕方なく……千里が見てる、笑いながら、勝ち誇って。
 「感じちゃってます?すごく」
 「うるせえ……」
 ダメだ、届かない、掻き出せない。
 指が根元まで沈む。
 片手を壁に付き、もう片方の手を後ろに回し、二本指で窄まりをかきまぜる。
 自分のケツに指突っ込んでる現実に打ちのめされ打ちひしがれる。
 筆舌尽くしがたい屈辱、羞恥。 
 トイレの壁だということも忘れ額を擦りつける。
 腕をねじって後ろの窄まりに指を突っ込み鉤字に曲げる、長さが足りない、掻き出せない。
 「イきてぇ……もう……」
 上の空で口走り、愕然とする。
 千里が満面に邪悪な笑みを広げる。
 「ぼく、もう戻らなきゃ。ひとりで頑張ってください」
 「……千里……」
 「じゃあ」
 「行くな、千里、もどれっ!!」
 身を翻す千里、ドアノブを掴み開け放とうとする、大声を出す。
 ドアを後ろ手に閉ざし、待つ。
 ゆっくりと二回深呼吸し、諦めに達して目を瞑る。
 「………掻き出してくれ」
 「何を?どういう状態かちゃんと説明してくれなきゃわからないです」
 どうしてこんな事に。
 俺が何したんだよ。
 なんで俺なんだよ。
 壁に身をもたせ、腕で顔を隠し、上擦る息のはざまから途切れ途切れに説明する。
 「……腹、苦し……中、入りっぱなしで、さっきからずっと体がぞくぞくして、やまなくて、前熱くて、どろどろで。後ろ、奥、ケツん中、ローターがずっと震えっぱなしで、お前が弱くしたり強くしたりするせいで、頭おかしくなっちまう……頼むから、これ、抜いてくれ。膝、感覚ねえ……中も痺れて……なんか、ヘンで、ずっと唸ってて、空耳聞こえて、頭ン中で蚊が飛び回ってるみたいで」 
 「説明が下手だな、先輩は。さっきはかっこよかったのに」 
 「仕事とプライベートは別……」
 気取った足取りでもどってきて、俺の腰を抱き寄せ、再び壁に手を付かせる。
 「!あっあっあ、」
 声と腰に弾みがつく。窄まりに突っ込んだ指をさらに奥へ奥へと挿入し、今だ振動中のローターを器用に掻き出していく。
 入り口近くまで移動したローターを円を描くように動かす。
 「う……ひと思いに抜け……」
 「ごめんなさいは?」
 「言、たくね……だってあれはお前が、写メなんか撮るから、あんなもん携帯にいれたまんま、脅迫のネタにして……っ、お前が言ってることやってることむちゃくちゃだ、俺が好きだとか嘘だろ、好きなら何でこんな……わけわかんねえ、男同士で……いや、男同士なのは横においとくとしても、お前は好きな相手にローター突っ込んで、我慢する様見ンの楽しいのかよ……ド腐れ外道のド変態が」
 「そうです。ド変態です。だから……先輩が謝ってくれないと、もっと酷いことしちゃいますよ」
 「何、」
 「ローター突っ込んだままぼくのを入れるとか。コードレスだからほんとにとれなくなっちゃうかも」
 耳の裏側で愉悦に満ちて囁く。俺の前に手を回し、優しく抱きしめる。
 シャツの前をはだけ、前を包む。ローターは入り口近くで鈍い音を発し、その上から千里がモノを押し付ける。
 「やめ……ろ……」
 怖え。理屈じゃねえ。本能的な拒絶反応を示す。
 「顔青いですよ。怖いですか。想像しちゃったかな。ああ、でもすっごく気持ちいんですよ、びりびり震えるローターの上から突っ込まれて揺さぶられるの。意識が飛んじゃうくらい。先輩だってさんざんじらされて我慢できないんじゃないですか。ドロドロのぐちゃぐちゃで、前からしずく滴らせて……凄いな、会社でこんな……恥ずかしくないんですか?仕事する場所ですよね?」
 「ここはトイレだ……」
 「会議中、ずっともぞついてたじゃないですか。机の下で股間固くしてたくせに。みんなに見られて顔赤くしてた」
 「お前が……お前のせいで……」
 「変態」
 ゆるゆると、前をしごかれる。
 鈴口ににじむ先走りを指でのばし塗りこめ、根元から先端へとやすりがけるように勃ちあがった陰茎をしごく。
 ようやく求めていた刺激を与えられねだるように腰が弾む、亀頭の下の括れに指を巻き糸引くまで擦り合わせる。
 「はあっ……ふ、ぅあ……やめ、さわんな……そこいいから、はやくうしろ、入ってんの、抜けよ!!」
 前と後ろを同時になぶられじらされ、忍耐力が焼き切れそうで、叫ぶ。
 こいつ本気かよ、信じらんねえ、やる気か、ほんとにローターの上から突っ込む気か?熱い肉の塊が入り口付近をゆるゆるなぞる、先端部分がめりこむ、ローターを押し戻す。スイッチが入る―また―何度目だ?波が来る、襲う、下半身が痺れて膝がくじけへたりこむ。
 「千里、も、……イきて………イかせて……」
 「イきたい?先輩今そう言いました?」
 「る、かった……もう見ない、さわんねえ、昨日のは出来心で……はっ、だってお前が不用心にだしっぱなし、机の上ほったらかしとくから……教育的指導で……」
 「言い訳はいいから。どうしたいんですか。ローターでいきたいのか、僕のでいきたいのか、両方一緒がいいのか……はっきりしてください」
 ローターが発した震えが脊柱にそって入りこみ、首の裏の皮膚を通って、脳天まで突き抜ける。
 言え。言っちまえ。
 言えばらくになれる解放される、理性が蒸発霧散する、イきたくてイきたくてどうかしそうだ、もうすでに先走りに混じっていくらか漏れてる。
 千里。
 くそむかつく。
 答えなんかわかりきってるくせに。
 「いれてくれ……」
 「どっちを?」
 「お前を……」
 「ぼくの、なにを?指ですか、舌ですか、それとも……」
 「お前の……それ、今俺のケツをなぞってる……入り口つついてる……固いの……」
 「ローターでさんざんかきまわされてぐちゃぐちゃなのに物足りないんですか。栓してほしいんですね?欲張りだなあ」
 もう帰りてえ。
 羞恥で頭がふやけて働かない。
 あっさりとローターが引き抜かれる。
 全身が弛緩し、その場にぐったり座りこみそうになれば、千里が代わっておのれをあてがう。
 「!?――――っああああああ!」
 「息抜いて、先輩」
 無理矢理押し広げられる感覚。ローターよりもっとでかい、生き物みたいに熱く脈打つ肉が、一気に押し込まれる。
 「……やっぱり、中すごく熱い……体温上がってる……」
 「誰のせいでこんな……お前のせいだろ、変態……ヘンなもん突っ込んだまま、すっげえ恥かいた……」
 「ごめんなさい。やりすぎました。……その、先輩いじめるのが楽しくて。ちがう、気持ちいいのと悪いの必死に我慢する先輩が面白くて」
 「今の訂正の意味ねえよ!?スーツも皺くちゃで……汗くせえし……どんな顔して戻ればいいかわかんねーよ、全部お前のせいで……」
 慣らされていてもやっぱキツイ。
 千里がリズミカルに動く。
 俺の動きに合わせ腰を使う。
 前をしごく手も動く、加速する、抜き差しされるたび快感が加速して派手な喘ぎ声を上げる。
 「俺が、出世街道はずれたら、責任とれよ!?今日の会議、重要なターニングポイントだったかもしれねえのに、はっ、ああっあっあ!」
 千里の熱と鼓動と息遣いを感じる、体の中に直接流れこむ。
 ローターの無機質な振動とは違う、肉と熱ですみずみまで充たされ満ち足りていく感覚。
 「責任、とりますから、ちゃんと」
 余裕を失い始めた声で千里が囁く、壁と向き合う俺の位置から顔は見えない、腰使いが速く激しくなる、追い上げられる。
 イく、
 「------ッああああああああああっあああああ!!」
 イった。
 千里の手の中に連続で精を吐き出す、さんざん嬲られた後ろがひくつく。
 喉が仰け反る、背中がしなる、壁に両手を付きずるずるとへたりこむ。
 消臭剤の匂いがしみた壁にもたれ、焦点のぼやけ始めた目で、後ろに立つ影を仰ぐ。
 「……やっぱり大嫌いだ、お前なんか……死んっ、じまえ……」
 それを最後に、プッツリ意識が途切れた。

 

 久住が気絶したあと、個室に取り残された千里は苦笑して首を振る。
 「………だらしないなあ先輩。下半身だしたまま寝ちゃって……風邪ひきますよ?」
 答えはない。久住は寝ている。
 壁によりかかって、脱力した四肢を放り出し、精液で汚れた下半身を晒したまま、気を失っている。
 「………やりすぎちゃったか、また」
 どうも僕は手加減が下手だ。
 気絶するまで追い詰めるつもりはなかったのに、と少し反省。
 久住の体内から引っ張り出したローターを便器の蓋の上におき、てきぱきと後始末にとりかかる。
 ハンカチを出し、内腿にかかった白濁を丁寧に拭う。萎れた股間は特に重点的に。
 トイレットペーパーを切り取り、窄まりの奥にたまったものを掻きだして受け止め、便器に捨てて流す。
 久住はしばらく起きそうにない。寝かせといてあげよう。
 下着とズボンをはかせる。ベルトを通すのは諦めた。座り込んだ人間を相手にそれをするのは大変だし、金具のふれあう音で起きてしまったら困る。
 一通り後始末を終え、久住とは反対側の壁にもたれかかる。
 「ふう」
 会議は順調に進んでるだろうか。
 時間を確認するため背広をさぐり、携帯をとりだし、フラップを開く。
 そして、今回の「お仕置き」の発端となった出来事を思い出す。
 「………………」
 だらりと手足を投げ出した久住を一瞥、携帯の液晶に目を戻す。
 ボタンを操作し、保存してある写メの一枚を呼び出す。
 一ヶ月前、久住を強姦したあの夜撮ったうちの一枚。そして、もっともお気に入りの一枚。
 それは後ろ手縛られた久住が千里の手でしごかれ屈辱に顔染める画でも、シャツの前を赤裸々にはだけてそっぽを向く画でも、強気な目に涙をためて正面を睨みつけるS心をくすぐる画でもなく。
 「……………レアだもんなあ」
 カシャリ。
 千里が携帯に呼び出したのは、ただ単に、眠りこける久住の顔。
 安らかで、間抜けな寝顔。
 眉間の皺は伸びてなくなり、床につけた側の頬は少し潰れている。
 口元はだらしなくゆるみ、今にもよだれがたれそうだ。
 可愛いなと、掛け値なしにそう思ってしまう。見ているだけでにやけてしまう。 
 昨日、久住が自分の携帯を勝手にチェックしてる現場に遭遇し、少なからず動揺した。
 脅迫材料の写メを消されるのは勿論の事、いや、それより何よりも一番心配だったのは、消された写メの中にこれが含まれてないかということ。
 千里の危惧は杞憂で終わった。久住の計画は未遂で終わった。
 「だって先輩、ぼくの前でこんな顔、してくれないもんな……」
 少しだけ、哀しげに呟く。
 久住はいつも怒ったような顔つきをしている。千里に対しては特にそうだ。笑いかけてくれる事なんかめったにない。久住が自分をどう思ってるか、千里だって、わかる。正しく理解してる。
 潔癖な久住は、千里を決して好きになりはしないだろう。
 薬を飲ませ後ろ手に縛り写メを撮り、さんざん自分を嬲りものにした人間を、決して許しはしないだろう。
 だから。久住が本当の意味で笑いかけてくれることなんかもうないんじゃないかと、千里はなかば諦めている。
 自業自得だ。
 僕には悔やむ資格もない。
 久住とこの先ずっと関係が続くなら。久住の体も心も束縛できるなら、久住が好きになってくれなくたって、諦めがつく。
 笑いかけてくれなくても、
 心を許してくれなくても。
 「先輩はお人よしだから、あの時、屋上では許したふりをしてくれたけど。ホントは僕なんか好きじゃないって知ってますよ。卑怯ですもんね」
 強姦魔だから、僕は。
 先輩の言うとおり卑劣な人間だから。
 僕から逃げようとした先輩が許せなかった。勝手に関係を解消しようとした。そんなのは建前で、本当はもっと子供っぽい理由で怒って、それはきっと先輩がぼくの宝物を消そうとしたからで、宝物はあの夜、一ヶ月前、先輩が気絶中に撮った写メで。
 現実の先輩がどれだけぼくを憎んで嫌って軽蔑しても、今液晶に映る先輩は、こうしてふやけきった寝顔を見せてくれる。
 許されてるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる無防備な寝顔。
 まるで免罪符。 
 無言で携帯を掲げ、カシャリと一枚。
 足音を消して慎重に歩み寄り、うなだれた久住の顔を注意深く起こし、カシャリともう一枚。
 「………寝顔は子供っぽいんだよなあ、この人」
 苦笑し、正面に屈み込む。
 規則正しい寝息をたてる久住の頭にそっと手をおく。
 「ごめんなさい」
 返事はないのを承知で、謝罪する。
 誠実に。
 ありったけの心をこめて。
 「でも、放しません。ずっとそばにいてください」
 心が縛れないなら、体だけでいい。体だけでも自分の物にしたい。
 ぼくは愛情表現がへただな、と思う。
 強姦から始まった関係を恋と呼ぶのはどう考えてもずうずうしくて、恋と呼べばきっと気に障るだろうし、だからこの感情をどう名付けたらいいかわからない。
 寝顔を見てるだけで幸せと罪悪感で胸が詰まって、苦しくなるこの感じを。
 「好きって伝えるやりからがよくわからなくて、ごめんなさい」
 言葉で?行動で?態度で?
 わからないんだ。
 最悪の夜から始まった、恋とも呼べない恋だから。
 最低の夜から始まった、ひどく一方的で自己満足な感情だから。
 携帯を懐にしまい、こんな時しか許されないやりかたで、じっくりと心ゆくまで久住の寝顔を見詰める。
 そのうち見詰めるだけじゃ飽き足らなくなり、起こさないように気を付けて、息遣いさえひそめて
 
 唇を重ねる。
 先端がふれるだけの、ひどく謙虚なキス。

 相手が寝ている時しかちゃんとキスできない自分は腰抜けだなと、千里は泣いてるように笑う。
 
 千里に翻弄される久住の受難の日々。
 されどそれは久住だけか?
 久住が好きで好きでたまらないくせに、正面からキスする資格もないと自分を蔑み嘲って、想いを伝える事さえできない千里の受難の日々ではないか。
 
 素直になれない先輩と素直になれない後輩の受難の日々は続く。
 前途多難。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230708 | 編集

 風邪をひいて会社を休んだ。

 「……38度………」
 近眼だと水銀の目盛りが読みにくい。
 口にくわえた体温計をしゃかしゃか振り、目を眇めて見直す。
 38度2分。
 見間違いじゃなかったか。
 「洒落になんねー感じだな……」
 医者へ行くのはめんどくさい。丸一日寝てりゃあ治るだろうと素人判断で体温計を枕元に放り、ベッドにもそもそもぐりこむ。
 午前中いっぱい最悪の体調だった。
 会社に休みの電話を入れるだけで体力を使い切った。
 受話器を置くと同時にばったり倒れこんで、以降記憶がない。
 日ごろの不摂生が祟ったか?
 いや、ちがう、これはきっと俺に取り憑く疫病神のせいだ。
 諸悪の根源にしてすべての元凶はあいつだ。
 あいつが無茶な抱き方するから俺が体を壊す。
 普通気を失うまでやるか?今だって腰がだるい。一昨日あたりから不調だったのだ。なんとか自分をごまかして会社へ入ったが、行ったら行ったで疫病神につきまとわれてさんざんな目にあった。
 なお、さんざんな目について詳しく語りたくない。勝手に想像してくれ。
 びっしょり寝汗をかいて気持悪い。
 会社、俺がいなくて大丈夫だろうか。
 ……大丈夫だろう、多分。考えたって始まらねえ、今日の遅れは復帰時に挽回すりゃあいい。
 挽回できるよう頑張るしかない。
 課長に提出する予定の書類やら会議に使う資料やらがデスクにたまってる。
 想像しただけでうんざりし、憂鬱なため息を吐く。
 「げほっ、ごほっ!」
 ついでに咳。
 熱で目が潤んで頭がぼうっとする。毛布にくるまり寝返りを打つ。
 思い出すのは安子の顔、風邪をひけば看病してくれた。
 器用な手つきで林檎の皮を剥いて、うさぎの形にして食べさせてくれた。俺はいい嫁さん候補を逃した。
 違う。またか。うだうだ過去を振り返ってどうする久住宏澄、現実を見ろ。
 振られた女にいつまでも未練たらたらな自分が情けない。
 吹っ切ったんじゃねーのかよ失恋の痛手は?
 体調不良は精神に影響する。
 ああ、喉が渇いた。 
 ベッドの中で落ち着かず姿勢をかえ、床に直接おいたスポーツドリンクに手を伸ばす……
 届かない。
 「もう少し……」
 目一杯指先を伸ばし、励む。
 ベッドから這い出るのは億劫だ。
 意地になり、むきになり、布団から顔と腕だけ出してペットボトルを掴もうともがく。
 「あ」
 ペットボトルが倒れ、フローリングの床をころころ転がっていく。
 玄関のほうへ転がっていったペットボトルを、宙に手を突き出したまま口半開きの呆け顔で見送る。
 タイミング悪くインターフォンが鳴る。
 客か?
 ひとが風邪で寝込んでる時にかぎって……
 「新聞の勧誘か?NHKの集金か?新興宗教はおとといきやがれ」
 いっそ狸寝入りで無視しようかと誘惑に心傾くも、相手はしつこい。俺が頭っから毛布をかぶってしらんぷり決め込んでもしつこく押す。ピンポン、ピンポン、ピンポン……音感がいいな、なんてどうでもいいことを思う。 
 ピンポンを連打する来訪者にいい加減しびれを切らす。
 「~うるせえな、今行くよ!!ったく、風邪ひいた時くらい休ませてくれよ……」
 枕元を手探りし眼鏡をかけ、毛布をひっぺがし、不承不承ベッドから這い出す。だるい体をひきずり、気乗りせぬ足取りで玄関へ向かう。
 寝癖のついた髪をかきあげ、ロックを開錠し、ノブを掴む。
 「はい、どなたですか?」
 回す。
 第一の失態。
 ドアを開ける前に穴に目をくっつけて来訪者を確認すべきだった。熱でぼんやりした頭じゃそこまで考えが回らなかった。
 ドアを開け放つと同時に後悔が襲う。廊下に突っ立つ男が、無邪気に笑って言う。
 「うわ、開けてくれるとは思わなかった」
 即ドアを閉める。なにも見なかったことにしよう、俺の心の平安のために。
 すかさずドアの隙間に片足がねじこまれる。
 「なんで閉めるんですか」
 「人の形をとった悪夢が廊下に立ってるからだよ!何の用だ、おとといきやがれ、しっしっ!」
 なんでこいつがここに、俺の部屋の前に立ってやがるんだ。住所教えた覚えねえぞ?
 「人の形をとった悪夢って随分な暴言だなあ。せっかく様子見に来たのに。あ、中入っていいですか?」
 「絶対だめだ。帰れ。三秒以内に俺の視界から消えろ、さもねーと火災警報装置のボタンを押す。天井のスプリンクラーが作動して頭っからずぶぬれになりたくなきゃとっとと帰りくされ、疫病神」
 「熱で朦朧としてるのによくそんな口が回りますね」
 手の甲で追い払うまねをしても後輩は動じず、ほとほと感心といった風情で頷く。
 今俺の目の前に突っ立ってるのは強姦前科一犯、後輩にして天敵にして最悪の脅迫者の千里万里。会社帰りらしいぱりっとしたスーツ姿。
 「……ちょっと待て。今何時」
 「午後三時です」
 「早すぎねーか」
 「そっこーで終わらせました。先輩の事が心配で」
 「早退?」
 まぶしい笑顔。……なんかドッと疲れが。
 「立ち話はご近所さんのご迷惑ですし、重いし、中入れてくれませんか」
 言われて目線をおとせば、千里は両手にビニールの袋をさげていた。凄まじく嫌な予感。
 「断る。帰れ」
 「大声で叫びますよ?」
 「俺の台詞だ。というか、えーと……なんでお前がここに?住所教えてないよな、ということは勝手に……ストーキング!?」
 「無限ループですよ。まあいいじゃないですか、ささいなことは。お邪魔します」
 入れと許可もしてないのに、隙間にひっかけた足を操作してドアを開けるや、堂々とあがりこむ。
 「待て、待て待て待て!?」
 「へー意外。結構キレイに片付いてる。あ、この本先輩も読んでるんだ!嬉しいなあ、海外翻訳ミステリのファンってあんまいなくて……今月新刊発売ですよね」
 「そうなんだよ、主人公の探偵がハードボイルドでさあ、ヒロインの女刑事がこれまた男勝りでかっこい……じゃなくて、ひとの本棚かってに見んなよ!?」
 「あ、食玩飾ってある。ミニカーだ、かーわいい」
 千里がちょんちょんと棚に飾ったミニカーをつつく。
 独身者用ワンルームマンションは、男の一人暮らしの平均からしたら片付いてる方。俺は割と几帳面な性格で、物が散らかってると落ち着かないのだ。だからまあこうして後輩が来襲しても、いやらしい本だのビデオだのを大慌てで隠さなくてすむ。
 千里は興味深げにきょろきょろあたりを見回している。「これが先輩の部屋かあ」とひどくご満悦の表情。借りてきた猫のような行儀正しさだ、今んとこ。
 「出てけよ、管理人呼ぶぞ!というかお前どうして俺の部屋知ってるかまだ答えてないよな、ごまかすな!!」
 「興信所」
 「…………マジ?」
 「あはは、嘘」
 玄関先のペットボトルを掴み、千里めがけ投げるも、放物線は後半でへろへろと蛇行して予測地点のはるか手前で落下。
 「……というのは冗談で、安子さんに電話かけて聞いたんですよ。今日風邪で休んでるんだけど、お見舞い行きたいから家教えてくださいって」
 「安子に?だって産休中……」
 「そうそ、産休中で暇してるそうで快く教えてくれましたよ。先輩の事よろしくおねがいされちゃいました」
 ペットボトルを拾いながら笑う千里が脱力を誘う。安子のヤツ、勝手に教えるなよ。
 まあ仕方ない、元カノを恨んだところで始まらない。
 安子はじめとした同僚はこいつの本性を知らないんだから。
 千里の猫かぶりはいつも完璧。俺とふたりっきりの時だけ脱皮する。
 つまり、今。
 熱のせいで頭が働かず足元がふらつく。正直、千里の相手ができる状態じゃない。千里に隙を見せるなんてどうかしてる、まともな状態だったら絶対部屋にいれたりしなかった。痛恨のミス、その一。ドアの前で追い返さなかった自分を呪う。
 「千里………あのな」
 言葉が続かない。口を開くだけで消耗する。 
 「寝てていいですよ。具合悪いんでしょ」
 「お前がいるのに横になれっか」
 千里の前でベッドに横たわるなんて自殺行為、たとえるなら網の上の特上カルビだ。
 どういう魂胆があって俺んち訪ねたか今さら聞くまでもない、ヤる事といえばひとつだ。千里の頭ン中は始終それで一杯だ。こっちはいくつ体があってもたりねえ。
 「……今日一日顔見なくてすむってせいせいしてたのに……」
 腹の底から本音を言えば、千里が心外そうな顔をする。
 「酷いなあ。ぼくは先輩に会えなくて寂しくて寂しくて、こうして部屋まで来ちゃったのに」
 「迷惑だ。死ね」
 「先輩のほうが死にそうな顔色ですけど。ちゃんと食べてます?」
 「食欲ねえ」
 「そう思って、はい」
 袋の中に手を突っ込んでカップアイスをとりだす。
 「買って来ました。熱が出た時はやっぱりこれでしょう。アイスなら食べられるんじゃないですか?」
 「甘いもん苦手……」
 「スプーンは……あった。さあ座って」
 聞いてねえし。
 土産を持参した千里に促され、とりあえずベッドに腰掛け、譲歩案を練る。
 「これ食ったら大人しく帰るか?」
 「はいはい」
 浮き浮き鼻歌まじりでカップアイスのふたをあけながら、千里は不真面目に二回返事をする。
 油断禁物。ちょっと甘い顔みせたら付け上がる。用心にこしたことなし。
 ベッドに腰掛けた俺の前に千里がかがみこみ、包みを破いて木匙をとりだし、アイスの表面をひとすくい。
 「先輩、あーん」
 「……………」
 「あーん、って痛たッ!?」
 頭に手刀をくれる。
 「なんで怒るんですか。基本でしょ?」
 「な・ん・のだ、な・ん・の?恋人同士か?間違っても男同士の先輩と後輩のやりとりじゃねえだろ今の、あーんとかいい年して男相手に寒いこと言ってんじゃねえ、これ以上悪寒を走らせるな」
 「早く口開かないとアイスが溶けちゃいます」
 「お前に食わせてもらわなくても自分で」
 「ぼくが食べさせたいんです」
 「そうか。お断りだ」
 千里は頑として譲らない。俺は意固地に口を引き結ぶ。アイスをのせた木匙がぐいぐいと唇に押し付けられる。
 「強情だな……」
 「おまへがな」
 木匙が強引に唇に割り込もうとする。不毛な我慢比べ。お互いむきになる。千里は是が非でも自分の手で俺にアイスを食わせたいらしく腰を浮かし、木匙を押し込んでくる。そうはさせるかと一文字に口元を結び右に左にそっぽをむく。
 馬鹿なことに体力を使ってぐったりする。気のせいかまた熱が上がったようだ。
 憔悴しきった俺の顔をのぞきこみ、千里が勝ち誇ったように指摘する。
 「体、火照って熱いんじゃないですか?素直に言う事聞いたほうがいいですよ」
 「うるせえ……」
 「アイス溶けちゃう。もったいなあ、せっかく買ってきたのに……」
 千里がため息を吐き、哀しそうに目を潤ませて手の中のカップアイスを見下ろす。くさい芝居。
 だが、それなりの効果はある。食べ物に罪はねえ。そう割り切れる程度に、俺は大人だ。
 千里の言う事を聞くのはしゃくだが、これ以上抵抗して溶けたアイスがぼたぼたシーツや服に落ちてきたら厄介だ。
 「あーん」 
 千里が辛抱強く繰り返す。通算五回目の「あーん」。
 凄まじい葛藤を乗り越えて、気恥ずかしさに少しためらい、おそるおそる口を開ける。
 木匙がゆっくりと近付いてくる。
 もう少しで口に入る、と思った瞬間くるりと方向転換し、千里の口の中へ吸い込まれる。
 「あ」
 思わず声が出る。
 不覚にも抗議と非難が入り混じった声を出した俺の眼前、木匙を味わいながら、してやったりとほくそえむ千里。いたずら大成功。
 「先輩はふたの裏で十分じゃないですか?」
 にっこり笑って、捨てずにとっておいたカップアイスのふたを俺の膝へと放る。
 「………………」
 「どうぞ召し上がれ」
 のろのろとふたを拾い、裏面にへばりついたバニラをみじめったらしく意地汚く舌でなめとる。千里がちょっと引く。
 「………先輩?」
 怪訝そうな声。木匙を口から出した千里が訝しげにこっちを探り見る。寄り添う後輩を無視し、ふたの裏のアイスを丁寧になめとっていく。
 「あの……今の冗談ですよ。無理しなくても。ていうか、先輩らしくない……」
 無視。なめる。千里が落ち着きをなくす。
 「……その。ごめんなさい。あげますから、ちゃんと。泣かないでください」 
 「お前なんかに乗せられた自分がすげー悔しい」
 あらかたなめ終えてしまったふたを摘み上げ、ゴミ箱に捨てる。
 フローリングの床に正座した千里が、改めて木匙にアイスをすくい、抵抗の気力を喪失した俺のほうへとさしのべる。
 大人しく口を開く。木匙が入り込む。口を閉じ、心ゆくまでしゃぶる。バニラの甘ったるい味が口の中にあとひき広がっていく。
 「どうですか?」
 「……………冷てえ」
 口の中は熱いから、あっというまに溶けてしまう。
 千里が二口目をすくう。続いて三口目、四口目。
 言われなくても口を開ける。餌付けされる気分。
 千里は俺の反応を見ながら甲斐甲斐しく木匙を運ぶ。
 俺が十分アイスを味わって嚥下するのを確認してから、次の一口をもってくる。
 木匙を咥える。
 口の中で溶けていくバニラ。木匙を引く。半分がた減ったカップアイスを持って、千里が聞く。
 「ちょっと落ち着きました?」
 「…………ああ」
 少しだけ、喉の火照りが冷やされた。今日の千里はちょっと優しい気がする。だから俺も、ついほだされちまう。
 「あとはお前が食えよ。自分の金で買ってきたんだから」
 「全部食べちゃっていいですよ」
 「甘いもん苦手なんだって。もうたくさんだ。っていうか、用すんだんなら帰れ」
 玄関へと顎をしゃくるも、腰を上げる気配はない。床に正座したまま、木匙でアイスをすくって黙々と食べる千里。ふしぎと穏やかな時間が流れる。
 ……妙な事になった。
 こいつは俺を強姦した男で。
 写メを撮って現在進行形で脅迫してる後輩で。なのに、そのはずなのに、今日はやけに大人しく優しいせいで調子が狂う。怒鳴るタイミングを外す。
 「先輩、今思ったんですけど」
 「なんだ」
 「これ、間接キスですよね」
 木匙を咥えながらの一言に盛大に吹き出す。前言撤回、やっぱいつもどおりの千里だった。
 もうヤケだ。熱のせいで頭が煮えてる。冗談とものろけともつかぬ千里の発言に、どうにでもなれと開き直って暴言を返す。
 「そうか、そりゃよかったな、思い余って犯しちゃうほど大好きな先輩と間接キスできて!嬉しいだろお前も、とっくと味わって食えよ、ついでに風邪も持ってってくれよ!」
 「わかりました。貰っていきます」
 待ったをかける暇もない迅速な行動。
 からっぽのカップが床に転がる、木匙が落ちる、千里が俺の上に覆いかぶさる。
 「んンっ!?」
 いきなりの出来事にもがく。
 接触のはずみに眼鏡がずれて視界が霞む、千里が俺を押し倒す、唇に柔らかなものが被さる、唇を割って侵入してくるこれは……舌。
 くそ、やっぱりこうなるのか。あれだけ隙を見せるなって自分に言い聞かせたのに今日の千里が妙にしおらしいから騙された、千里をひっぺがそうともがく、肩を押して抗う、熱く柔らかい舌が口の中をかき回す、甘ったるいバニラの味が再び溶けて広がる、バニラ味の唾液が喉にすべりおちていく……。
 いつになくあっさりと千里がどく。
 いつもは俺がやめろと叫んだって絶対やめないくせに、今日に限って、拍子抜けするほどあっさりと。
 「………っ………、どうせこんな魂胆だろうって思ったよ」
 「ごめんなさい」
 ベッドに起き上がり、怒気が滾る三白眼で睨みつければ、千里がしゅんとして頭をさげる。
 なんだ?これで終わりか?ホントに?
 唇を手の甲で拭いつつあとじさり、ベッドボードにぴったりとへばりつき、慎重に聞く。
 「………今の、だけでいいのか?」
 「?どういう意味ですか」
 「とぼけんなよ、いつも俺がいやだって言っても最後までやるくせに……縛ったり突っ込んだり、てめえの気がすむまでとことんやるくせに。絶好のチャンスじゃねえか。風邪ひいて寝込んでるんだぞ、俺。今ならろくに抵抗できねえし、ヤりたい放題じゃんか。なんか……お前らしくねーよ」
 「最後までしてほしいんですか?」
 「!ばっ、」
 ちぎれんばかりに首を振って否定する。
 千里はしばらくじっと俺を見詰めていたが、ふいに真剣な顔つきでこう切り出す。
 「……先輩は、好きな人が風邪で寝込んでる時に……無理矢理ヤりたいっておもいますか?」
 虚を衝かれ、言葉を失う。
 俺の時は、安子の時はどうだった?安子が風邪をひいた時、そばで看病してやった。俺は林檎の皮なんか剥けねえし、せいぜいタオルを取り替えるくらいしかできなかったけど、風邪で熱出して赤い顔で息切らしてる安子を見て、ヤりたいなんて思ったか?
 答えはすぐに出た。
 「…………思わねえよ、そんなの。当たり前だ」
 きっぱり断言すれば、その言葉を待っていたというように千里が微笑む。とても嬉しそうで、少しだけ哀しげな微笑。
 「正直、熱っぽく目が潤んで、髪と服がちょっと乱れた先輩に興奮しなくもないんですけど」
 「あーあー。聞かなかった」
 「今日はやめときます。強気に噛みついてこない先輩を押し倒したところで張り合いないし……ドSだから、ぼく。おもいっきり抵抗してくれなきゃ燃えないんです」
 こいつは。
 俺の事なんか、どうだっていいと思ってた。
 常に自分の快楽を優先し、俺が体調を崩そうがどうなろうか知るもんかって、そう思ってるとばっかり。
 「本当に……ただ、見舞いにきただけ?」
 疑いを捨てきれず呟くも、千里はのほほんと笑ってすっとぼけ、「もう帰ります」と腰を上げる。
 「風邪で苦しい時に、ぼくの顔なんか見たくないですよね」
 事実確認のさりげなさで呟かれた台詞が、何故だか胸に刺さる。
 「………とっとと帰れ。お前の顔見て熱あがった、口も甘ったるくて気持悪ィ」
 「うがいしたほうがいいですよ」
 「言われなくても」
 「寝ててください。見送りはいいです」
 「鍵かけなきゃなんねーし、ついでだよ」
 あくまで施錠のついでに玄関まで送っていく。
 靴を履く千里の背中を、なんとなく後ろめたい気持ちで見守る。
 「……あー。仕事。俺がいなくても大丈夫か?」
 「余計なこと気にせず体休めてください。先輩がいなくても会社は回ります」
 「………もうちょっとオブラートにくるめよ」
 靴を履いて振り向く。物言いたげに俺を見詰める。捨てられた子犬ってこんな目えしてるのかな、とちょっと思う。
 「失礼しました」
 「ああ」
 ありがとうは言わない。言うもんか。見舞いにきてくれって頼んだわけじゃねえ。こいつがいつも俺にしてることを思えば、礼を言うに値しねえ。
 千里はまだ玄関でぐずぐずしてる。言い残した事でもあるんだろうか。蹴りだしてやりたいのをぐっと堪え、待つ。
 「あの、アイス」
 「ああ?」
 「熱だしたら何がいいかなって考えて、やっぱ冷たいものが一番かなって……先輩がどんなの好きかわからないから、とりあえず、目に付いたの片っ端から買い込んだんですけど」 
 即回れ右、部屋にとって返す。
 「ばかやろう、大惨事だ!!アイスなら冷蔵庫にいれとけよ、だしっぱなしにすんなよ!?」
 「人さまんちの冷蔵庫かってに開けるのはやっぱまずいかなって……」
 「人さまんにずかずか上がりこむのも人さまの本棚じろじろ見るのも失礼だよ、なんだよその冷蔵庫がプライバシー集大成みてえな思い込みは、お前は冷蔵庫でエロ本冷やす趣味でもあんのかよ!?じゃあ最初に言えよアイスって、溶けてんじゃねーか!しかもこれ一人じゃ食いきれねえよ、お前実はすげー世間知らずだろ!?」
 なんで最初に言わなかったんだと怒鳴れば、俯いた千里がごにょごにょと呟く。
 「先輩が苦しそうだったから……早く冷やさなきゃと」
 「お前ね……」
 説教する気も失せる。
 千里はどうも世間一般のそれと比べて価値観がずれまくってる。仕事はデキるが、時々ぎょっとするほど常識知らずなのだ。
 「わかった。いいから帰れ」
 「後始末やります」
 「いいから。……もー寝る」
 再び靴を脱いで上がりこもうとする千里を息を荒げ押し戻す。
 廊下へ押し出された千里が後ろ髪引かれちらちら振り返るのがうざったくて、舌打ちドアを閉めかけた刹那、シャツの袖口を引かれる。
 廊下に追い出された千里が、思い詰めた顔で俯き、俺のシャツの袖を握り締める。
 「………ごめんなさい」
 もう何度目かわからない謝罪。
 「もういいよ、アイスの事は」
 「ちがいます」
 「フェイント?確かに騙されたけどさ……」
 「ちがいます」
 「さっきの……その、キスか」
 「そうじゃなくて……それも含めて、色々と。やりすぎたんで」
 もどかしげにかぶりを振る。複雑な心境で、俺の袖を握り締める千里を見返す。
 俺が風邪をひいたのは千里のせいだ。千里が無茶をさせるからだ。このまえなんか気絶するまでローターでいたぶり抜かれてさんざんだった。
 千里は悪魔だ。俺をいたぶって楽しんでる。だから今日も、俺の体調にお構いなしにはりきってヤるとばかり。
 「………わかってんなら自重しろ」
 言いたい事は山ほどある。山ほどあるが、下手にでられるとかえって怒りにくい。
 アイスを土産に持参して見舞いに来た千里を、ほとほとあきれかえって眺める。千里は俺の袖口を握ったまま、なかなか放そうとしない。ガキか。
 名残惜しげな手を振り払い、ドアを閉める。閉まり行くドアの向こうで、千里が何か言いかけてやめる。鍵をかける。
 ひょっとして、責任を感じてるんだろうか。
 俺が風邪をひいて寝込んだのは自分が無茶をさせたからだと気に病んで、それで見舞いにきたのだろうか。
 どっさりアイスを買い込んで。
 「……………ばぁか」
 俺を束縛する後輩への憤りと苛立ちと嫌悪とがごっちゃになって膨れ上がるも、なめた唇は甘くて、こそばゆい感じがする。 
 熱のせいだ、きっと。多分。ドアの前からしょぼくれた靴音が去っていく。それを聞きながら室内にもどり、大の字にベッドに倒れこむ。
 
 ああ、くそ、本当に。
 時々優しいから、困る。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230620 | 編集

 人間だれしも人に言えない趣味のひとつふたつあるもんだ。
 「なに読んでるんですか先輩」
 「!っ」
 面倒くさいやつに見つかった。
 読んでいた本を慌てて隠すも遅く、そいつはちゃっかり向かい席を確保して椅子を引く。
 社員食堂を利用する頻度は少ない。
 男女混成グループで和気藹々賑わう食堂に紛れこんじゃ居心地が悪い、昼は大抵外回りのついでに済ましているし寄る機会もねえ。
 例外中の例外がたまたま今日だった。
 本当なら得意先に営業に行くはずが、先方の都合とやらで急に取り消しになって空白ができた。
 昼食ラッシュの時間帯はずれてるし今なら閑散として顔見知りとあう危険もないだろうと油断しきって食堂を訪れ、コーヒーを飲みながらぱらぱら読書をしていたら、運悪く大嫌いな後輩にでくわしちまったわけだ。
 「仕事はどうした。羽鳥のおともで高円寺行くとか言ってたくせにもう終わったのか」
 「急な変更があって僕の代わりに亀田さんが。おかげでスケジュール空いちゃって……オフィスに戻るにも中途半端な時間だし、食堂で暇潰そうとおもって来てみたら先輩発見。運命ですね」
 「断じて偶然だ」
 憤然と言い切り席を立つ。
 こいつの顔を見ながらじゃせっかくのコーヒーもまずくなる。
 ちゃっかり俺の対面席を占めた後輩の名前は千里。
 世界で一番大嫌いな後輩。
 「前から思ってたんですけど食堂のコーヒー味薄いですよね」
 「安い舌にはちょうどいい」
 プラスチックのカップを満たすコーヒーに砂糖とミルクを投入、かきまぜつつ言う。
 「まあ座ってください先輩、逃げるみたいにして立ち去らなくたっていいでしょう」
 「はあ?逃げるだ?」
 「逃げようとしませんでした?」
 「今のは……膝の屈伸だよ。昨日タクシーがなかなかつかまらなかったせいか足がだりいんだ」
 「年ですね」
 「三十前だよ」
 「四捨五入したら三十」
 「四捨五入する意味がわかんねえ」
 「加齢はまず足と腰に来るっていいますから」
 いちいちむかつく。
 今席を立ったら言い分を認めるようで癪だ。
 こいつがいようが構うもんか、先着順だと開き直り改めて腰を落ち着ける。 
 不承不承椅子に座りなおすのを見届け、よく出来ましたと笑みを深めてコーヒーを啜る。
 カップに口をつけ味わう動作がやけに優雅だ。

 俺はこいつが苦手だ。
 なんかもう生理的に無理だ。

 千里バンリという女と勘違いしかねない語呂合わせみたいな名前も、女受けのいい爽やかな容姿も、分け隔てなく人当たりよい性格もぜんぶまとめて大嫌いだ。
 澄ましてコーヒーを飲む千里を睨みつける。
 「さっき読んでた本なんですか」
 「関係ねえし言いたくねえ」
 「ちらっと『将棋』って字が見えましたけど」
 ……ばればれじゃねえか。
 ちょっと迷うも下手に隠し立てして詮索される方が面倒くさいと判断、テーブルに本を叩きつける。
 将棋の戦法を考証したハンドブックを挟み、出方を探り合う微妙な沈黙が漂う。
 「……将棋ですか」
 「将棋だ。言いたいことあんならはっきり」
 「マイナーですね」
 「言え」まで言わせてもらえなかった。
 「マイナーっていうか年寄りくさいっていうか渋いっていうか……お似合いですけど」
 「うるせえ」
 「好きなんですか?」
 カップを置いて無邪気に聞いてくる。
 俺を見る目は素直な好奇心を映す。
 「教えてください、好きなんですか、どうなんですか」
 「知ってどうすんだよ」
 「優柔不断な人ですね。一対一で聞いてるんだから好きか嫌いかはっきりしてくださいよ」
 千里がじれる。
 ……確信した。
 前々からそうじゃないかと疑ってたが、やっぱ職場じゃ猫かぶってやがったか。今のが地だ。
 執拗な追及にいい加減うんざりし、しかめっ面で吐き捨てる。
 「好きだ」
 「…………」
 なんで赤くなる。
 まかり間違って告白したみたいな痒い空気が流れ、咳払いで付け足す。
 「中学高校と将棋部だったんだ」
 「それはまたマイナーな部活を……」
 「小学校高学年で流行したんだ。ばかが彫刻刀で机に升目ほってさ、休み時間になるとそいつの机囲んで盛り上がった。担任も混じってたんだから今考えりゃ能天気なクラスだ」
 「それがきっかけで?陸上とか野球とか目立つ部活は興味なかったんですか」
 「目立ってどうすんだ、部活ってのは自分の好きで選ぶもんだろ」
 「女の子にモテますよ」
 「軟派だな」
 鼻で笑い、コーヒーに口をつける。
 千里もつられて苦笑する。
 「まあ、見るからに文系ってかんじですけど。将棋部か……うん、一番似合ってるかも」
 自分の中で検討し結論を出し、嬉しそうに頷く。
 変なヤツ。俺が元将棋部だからってこいつが得することなんかねーだろ。
 根掘り葉掘り聞かれるばっかってのも癪だ。
 千里の経歴なんぞさっぱり興味はないが、意趣返しに聞いてやる。
 「お前は何部だったんだ?」
 「当ててみてください」
 「……自意識過剰だな」
 「気に障ったら謝ります」
 「体育会系じゃねえな、見た目的に。文系……美術部?」
 「英論部です」
 「えいろんぶ?」
 聞き慣れない名称に面食らい、カタコト鸚鵡返しにくりかえす。
 よっぽどおかしな顔をしてたのだろうか、千里の表情が和む。
 「英語で討論する部活、略して英論部。先輩のところにはありませんでした?」
 「ねえよんな高尚な部活。茨城なめんなよ」
 「コンクールでもいい線いったんだけどな……あと一歩で優勝を逃しました」
 準優勝か。そうか。さりげなく自慢か。
 「イヤミがスーツ着て歩いてるようなヤツだな。つうか楽しいかその部活?」
 「楽しかったですよ、いろいろ国際交流できたし」
 「英語ぺらぺらで羨ましい」
 『Oh, don't mention it.』
 「……なんて言ったんだ?」
 「とんでもありません」
 謙遜に見せかけた自慢だ。絶対そうに決まってる。
 にこやかに微笑み、カップを両手に包んで身を乗り出す。興味津々といった顔。
 「先輩て将棋強いんですか?」
 「一応中高とやってたからな。そこそこはいける」
 「今でもやってるんですよね」
 「暇な時に」
 「相手いないのに?」
 ……痛いところをつかれ、これ以上ない仏頂面でずずっとコーヒーを啜る。
 「……一人で研究してるんだよ、色々。将棋の世界は深いから対戦相手なんかいなくたって励み甲斐がある」
 「エア将棋か……孤独な戦いですね」
 「エア言うな。対戦相手は脳内にいるし」
 「どういうところが好きなんですか?」
 「一口じゃ言えねえよ。そうだな……歩が金に成ったり、俗に言う成金だけど、盤面がひっくりかえる瞬間のヤられたーって感じが癖になる。駒ひとつひとつにちゃんと意味があって並びをひとつずらすだけで趨勢が動く、勝敗が左右される。麻雀と違って使い捨てにされる無駄駒がないんだ。たとえば歩兵、香車、桂馬、銀将をヒラとする。けれどこいつらは実はやりかた次第で金に成れる可能性の塊だ、機転頼みで出世のチャンスを掴めばあれよあれよと成りあがる。名人戦観てるとここでそう来るかーって舌巻き通し膝打ちっぱなしすげえ勉強に……勝手に読むな!」
 隙を見せりゃすぐこれだ。
 饒舌ふるうあいだに手に取った本をぱらぱらめくり、顔を顰める。
 「むずかしそうだなあ……」
 図々しい手から本を奪い返す。丁寧に解説してやって損した。
 大人しく本を返すも、手を離れる寸前愛しげに角をさすり呟く。
 「まめっていうか、ほんっと真面目ですね。赤ペンでチェック入れたり端折ったり書き込みだらけ……趣味なら気楽にやればいいのに」
 「本気で打ち込んでこその趣味だろ」
 「そういうところ嫌いじゃないです。一度手合わせ願いたいですね」
 「金輪際チェスもオセロも将棋もお前とやんねえよ」
 「今度トランプ持ってきますね」
 ……揚げ足とりやがって。
 「お前とは遊ばねえって言ってんだよ」
 「ふうん。先輩にとって将棋は自慰とおなじですか?」
 「はあ?」
 「誰にも見せず一人でこっそり耽るものなんでしょう」
 この野郎、なんてことぬかす。誰かに聞かれたらどうする。
 付き合ってらんねえと見切りをつけ、椅子を引き席を立つ。
 不覚にも不本意にも、思いのほか話が弾んでしまった。
 「じゃあな。ごゆっくり」
 「今度正式に対戦を申し込みます」
 「返り討ちにしてやる」
 最後に険悪に一睨み、ハンドブックを小脇に抱え、からのカップをカウンターに返却に行く。
 食堂を突っ切ってカウンターに辿り着くまで、背中にずっと視線を感じていたが、振り向いて目が合うのがいやで無視をした。



 以上、回想終了。
 「待った」
 片手を挙げて制止。
 盤を挟んだ千里はあきれ顔。
 「待ったは三回までって決まりですよ、先輩。往生際が悪いです」
 「待った、待て、ほんっと洒落じゃなく待ってくれ頼む」
 「待ちません。諦めてください」
 余裕を感じさせる微笑が憎たらしい。
 密会に利用するビジネスホテルの部屋に何故か将棋の盤面があり、駒も全部そろってやがったのが今回の不幸の発端。
 悪魔の策略か支配人の陰謀としか思えない準備のよさだ。 
 ……というのは現行形で追い詰められつつある俺の勘繰りで、おそらくは宿泊者が退屈しないようにとのホテル側の配慮だろう。
 備え付けのキャビネットを漁ってボードゲームを発見した千里が、「将棋をやりましょう」と提案した時からひしひしと嫌な予感はしたのだ。
 こっちはとてもじゃないが呑気に将棋を打つ気分じゃない、というかビジネスホテルに男ふたりきりというこの状況からしてアレだ、異常だ、とっととヤること済ませて帰りたいのが本音なのに俺が嫌がれば嫌がるほど悪乗りする千里は将棋の盤面をセットしながらぬけぬけこうぬかしやがったのだ。

 「逃げるつもりですか」
 「将棋強いって嘘だったんだ」
 「こないだは偉そうなこと言ったくせに叩きのめす自信ないんですね?」
 「言動に実力が伴わない男性って幻滅だな……」
 「だから先輩は金に成れないヒラどまりなんですよ」

 ところで、実のところ、俺は死ぬほど負けず嫌いだ。
 
 それでなくても何の因果か、俺はこいつに弱みを掴まれ脅迫され体の関係を強いられていて、今日だって外回りで疲れてとっとと家に帰って寝たかったのに会社を出ると同時に引っ張られてビジネスホテルに連れ込まれて、そっからあとはもう説明するのもアホらしい展開で、要はあれだ、その、あれだ。ヤッた。ヤられた。

 リベンジしてえじゃねえか人情として。

 「くそ……」
 縛られないだけマシなのか、殴られないだけましなのか。
 既に一回。
 ヤってる間中物音が漏れないか気が気じゃなかった、ビジネスホテルの壁は薄く防音効果なんか見込めずベッドが断続的に軋む音やどうしても噛み殺しきれない喘ぎ声が隣に聞こえちまうんじゃねえか心臓がばくばくした。
 もうやだ昼夜二重生活。
 今の俺ときたら精気と生気を搾り取られて出がらし状態だ。 
 「お疲れ気味のようですね。顔がげっそりしてますよ」
 「だれかさんが絶倫なおかげでな」
 「照れます」
 「いい加減にしろよ……変態にも程があるぞお前、俺がいやがりゃいやがるほど調子のって突」
 「突きまくって?」
 「……のしかかって!やめろって言ったの聞こえなかったのか聞こえたろシカトかよ、外の廊下歩いてく靴音とか、抜けって言ったのにわざと……」
 「腰を使って抉りこんできたから気持ちよくてすぐイッちゃったんですよね」
 怒りと恥辱が綯い交ぜとなって頬が熱を持つ。
 千里に呼び出された夜は一回じゃ終わらない、最低でも二回は必ずヤる。
 俺は一回でたくさんだ。いい加減腐れ縁を切りたい。
 そして今、目の前でしてやったりとほくそえむ悪魔は、俺に条件を出したのだ。
 即ち、「将棋で勝ったら自由にしてあげますよ」と。
 「……………っ」
 勝つ自信はあった。
 相手はつい一週間前までルールも知らなかった素人で、対する俺は中高と将棋に青春を捧げた男。負けるはずないと高を括っていた。
 気付くべきだったのだ、最初に。
 千里が自分に不利な条件を出すはずがない、事前に敗北が確定した勝負にでるはずないと。

 罠だった。
 はめられた。

 滑り出しこそ好調だった。
 俺は有頂天だった。
 俺には及ばぬとしても千里はなかなか筋のいい指し手で、巧みに歩を拾い死角を突いてきて、誰かと将棋をさすなんて高校以来だったせいか利害ぬきでのめりこんじまった。
 「……ほんっと性格悪ぃ……」
 「手加減してあげたんですよ。すぐに決まっちゃったらつまらないでしょう」
 「将棋歴一週間てぜってえ嘘だろ」
 性悪な後輩は序盤、わざと手を抜いていたのだ。
 俺を天国から地獄に突き落としたいが為だけに。
 「信じなくても結構です。先輩のその顔が見たいという不純な動機で猛勉強しましたから」
 ベッドを背にして正座する。
 膝においた拳がわななく。
 「……ほんといい顔するなあ。悔しさとやり切れなさと怒りとで決壊寸前の顔、すっごくマゾヒスティックでそそります」
 「桂馬の角に頭ぶつけて死んじまえ」
 こいつに王将はもったいねえ。
 優越感と嗜虐心に酔いしれ微笑、手をしなやかに振りかぶる。
 「あ」
 「待ちません」
 パチン。
 王手がかかった。
 「~っ、待てって言ったじゃねえか」
 「待てができない性格だってベッドの中でご存知でしょ。待ってほしかったら頼んでくださいよ、『お願いします待ってください千里さま』……いまいちだな……『淫乱マゾ奴隷一生のお願いです、後生ですから今一度愚かな私めにチャンスをお与えください』」
 「舌噛み切る」
 命乞いも土下座もごめんだ。
 が、敗北は断じて否。
 腐っても元将棋部のエース、プロ棋士にゃかなわねえまでも趣味としちゃ上々の部類だと自負してた、それがこんな最低なヤツにあっさり下克上されちまうなんていいとこなし
 「…………」
 最後の手段。
 秘技盤面返し。
 「…………」
 いや、それはどうかと思う。
 待て待て俺、仮にも将棋に青春を賭けた男として往生際が悪すぎねえか、自分が負けそうになったからって盤面ひっくり返すとかガキかよ。
 だけど今回は事情が違う、勝てば自由にしてやると千里は約束した、もちろん口約束だし本気にしたわけじゃねえが溺れるものは藁にも縋るで儚い希望を託しちまったのは事実で、つうか敗けちまったら今より酷い境遇におとされるんじゃ

 深呼吸で覚悟を決める。
 駒が陣形を描いて並ぶ盤の両側をがしっと掴み、一気にひっくり返そうと力をこめ

 「王手」
 パチン。
 脱力が襲う。
 もう少し早く決断してればとグズさを呪ったところで後の祭り。
 千里は俺の行動を予期し、盤面が傾いで駒を振り落とす寸前に高らかに勝利を宣言する。
 「先輩の敗けです」
 「……はいはい強いですよご立派ご立派」
 「で、罰ゲームなんですけど」
 ……初耳だ。  
 「……おい待て」
 「まさか自分だけご褒美もらえるとか都合いいこと考えてたんじゃないでしょうね?遊戯の鉄則、罰ゲームも褒賞も平等にです」
 迂闊だった。
 どうして見抜けなかった。
 ぶらさげられた餌がでかすぎて、まんまと釣られちまった。
 もう終わったんだからいいだろうと先ほどやりかけてやめた事に再着手、盛大に盤面をひっくり返し駒をばらまく。
 吹っ飛んだ盤面から滑落した駒がじゃらじゃら散らばる中、完璧な笑顔をくずさぬ千里をうかがう。
 罰ゲームの響きは黒い恐怖を伴い、悶々と妄想が膨らむ。
 「フェラか?生か?道具か?」
 虚勢で口走るも語尾の震えを隠せず、床に撒いた駒を蹴散らしつつあとじさる。
 「罰ゲームなんていうんだからどうせろくなこっちゃないだろ、最初っからこれが目的だったんだろ、だったらヤれよ好きなだけ。で、どうすりゃいい?舐めりゃいいのか、飲めばいいのか、バックが飽きたから騎乗位か。ローターやバイブ持ち出してくるか変態……」
 「先輩からキスしてください」

 耳を疑う。
 聞き間違いかと思う。
 反応に困る。

 「………」
 頭に上っていた血が急速に冷え、改めて自分の格好を見下ろす。
 上半身にボタンをとめずシャツをひっかけ、下はトランクスだけ。
 どうせ一回じゃ終わらないだろうと観念してたから服を身につけてない。
 さっきまでこの格好で盤面を挟んでたんだからシュールな光景だ。
 「……口に?」
 「はい」
 「だけでいいのか」
 疑念を拭えず確認をとれば、正視の重圧に負け戸惑いがちに俯く。
 ようやく本当に欲しいものが言えた子供みたいな反応だ。
 拍子抜けした。
 「………」
 眼鏡のフレームを上げて下ろす。無意味な動作は緊張と動揺をごまかすため。 
 「眼鏡はとったほうがいい……よな」
 「どっちでも」
 拒否するとか反抗するとかあるだろうもっと。しねえのかよ。自分に突っ込む。
 だって、今さらじゃねえか。

 今さらキスくらいなんだ。
 ついさっきベッドの上でヤッたことを思い出せ。
 羞恥心なんてとっくに死んでる。

 キスひとつですむなら安いもんだ、体に負担をかけず明日の仕事に支障がでない、願ったり叶ったりじゃねえか。
 懸命に自己暗示をかけつつ、一歩、二歩と極端に緩慢な動作で踏み出す。
 慎重に歩み寄り、距離を縮め、心臓の鼓動が聞こえそうな距離に迫るや、吐息に紛れて消えそうな声で囁く。
 「罰ゲームだから……」
 勘違いするなよ。
 「しません」
 千里が目を閉じて顔を仰向ける。
 鼻梁から顎へと至る線が綺麗だ。美形はどの角度から見ても美形だなあと感心しちまう。
 「……早くしてくださいよ」
 「今やる」
 「怖いんですか?」 
 「額とか前歯とかぶつけちまったら困るだろ」
 「そこまで下手だとは思いません。無理矢理じゃない経験もあるんでしょう?まさか自分主導でキスした経験ないなんて言いませんよね」
 「無理矢理もってかれたのはお前が初めてだよ」
 「僕が教えたようにやればいいんですよ」
 口腔をまさぐる舌の感触が生々しく甦る。
 おもいきって目をつぶり、同時にシャツの胸ぐらをひっ掴み、唇の上っ皮を一瞬掠めるようにして即座に突き放す。
 超高速技。
 「……投了」
 「ふざけてるんですか?」
 背筋が凍りつく。
 「文句あんのかよ、お望みどおりにしてやったじゃねえか。茶番はおしまいだ、後片付けやっとけよ、俺もー帰る」
 ネクタイを締めつつ背を向けるや、腕を引っ張られつんのめる。
 「!!まっ、」
 「待ったは聞きませんて言ったでしょう」
 間近につきつけられた顔は臨界の怒りを透かして酷薄な笑みを刻み、もがく俺を合気道有段者の身ごなしで軽く押し倒し組み伏せる。
 「ちょっと待て背中に駒が当たって痛え、っ、さっきのキスじゃ不満かよ唇と唇が接してりゃキス勘定でいいだろ!?」
 床に背中が激突し拍子に駒が食いこむ、必死に身をよじって迫り来る千里の顔面と背中にめりこむ駒から逃げるもムダ、唇に吐息が絡む、蹴り上げた足を膝がおさえる、唇を舌が割る、すべりこむ、性急に前歯がかちあう、息が吸えず苦しい、口腔の柔らかく敏感な粘膜を練りこみ蹂躙される、歯の裏側舌の裏側も容赦なく暴きほぐされ唾液にむせる
 「―ふっ、ぁぐ、ふ……畜生やっぱりこうなるんじゃねえか」
 背中を駒が圧迫する、こんな事になるならぶちまけるんじゃなかったと後悔が襲う、固い駒が体重の乗った背中にめりこみ軋む、千里はお構いなしにがっつく。
 「―頑張ったんですよ、僕」
 触れ合う胸から火照った体温と鼓動が流れこむ。
 「先輩に勝ちたくて……認めてほしかったから……」
 「一週間で追い越すなよ。イヤミか?下克上か」
 押しつけるばかりの唇が離れ、思い詰めた表情と熱く潤んだ目で懇願する。
 「ご褒美ください」
 「やったろさっき」
 「キスじゃないですよ、本当に欲しいのは」
 「やめろよ。うんざりだ。帰りたいんだよ俺は、疲れてるんだ、将棋も負けたし……お前とこうなってからいいとこなしだ、仕事も上手くいかねえし。疫病神め。放せよ、手。どけよ。それとも―……」
 俺の上からどかない千里を射殺しそうな目つきで睨みつけ、あらん限りの憎しみをぶつける。
 「二回戦おっぱじめるか?」
 「……付き合ってくれますか」
 まなざしが頼りなげに揺らぐ。
 届かない憎しみと報われない哀しみがごっちゃになった痛切な表情。
 諦めてため息をつく。
 上に乗った千里が力を抜いた隙に体をずらし、駒の圧迫を消し、眼鏡を外して弦を畳む。

 壊れないように。
 割れないように。

 ただ転がっているだけじゃあんまり惨めでかっこ悪くて、戯れに手を伸ばし頬に触れてやれば、上に乗っかった千里が目を見張る。
 俺がそんなことするなんて考えもしなかったという顔。
 「まったなし」
 
 キスを乞う時、「久住さん」ではなく「先輩」と呼んだのは理由があるんだろうか。
 俺のキスが欲しくて、たったそれだけの目的で将棋を一から勉強したという言葉を反芻するにつれわからなくなる。
 
 ひょっとして、もうこの時点で積んでるのか。
 とっくに王手がかかってたのに気付かずにいたのか。

 キスしろと一声命じればすむ事さえ、自分が完全に優位に立った上で罰ゲームの口実を設けねば実践できない不器用な後輩にほだされていたのか。

 それは永遠の謎にしときたい。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230619 | 編集

 「ぼく、痴漢のプロなんです」
 「強姦のプロの間違いだろ?」
 千里がそんな衝撃的な発言をしたのは駅のホーム、ふたり並んで電車を待っていた時。
 俺たちはこれから得意先に営業にいく予定だ。
 相方が千里というのは凄く不本意だが何故かそうなってしまった。
 どうも最近、とてもとても迷惑なのだが千里と仲良しだと周囲に誤解されてるらしい。
 実態は犯罪者とその被害者、脅迫者とそのカモなのによ。
 現実は千里が一方的にストーキングしてるだけで円満どころか二人の間はぎっしにぎしに軋んで憎しみしか存在しないのだが(少なくとも俺は憎しみと鬱陶しさが半々の感情しか抱いてない)事情を知らない職場の人間は「千里と久住さんいつのまに意気投合したんですか?」「前はぴりぴりしてたのに」「残業が絆を深めたのか」「梓ちゃん俺と残業しよ」「死ねば?」と至って呑気なもんだ。
 千里はしつこい。
 便所にも自宅にもついてくる。
 常に視界に入るうざさに辟易して「外回り行ってきます」と俺が席を立つや見計らったように「あ、ぼくも」と立候補しやがる。意味ねえ。
 昼下がりの駅では老若男女さまざまな利用者が電車を待つ。
 俺と同じく外回り中の会社員も多い。
 人声と電車のアナウンスざわめく中、隣に立つ千里が苦笑する。
 「違う違う、プロっていってもするほうじゃなくてされるほうの」
 「される方って……お前が?冗談だろ?するほうだろ、男に」 
 「今は先輩一筋だし、そこまで飢えてません」
 千里は哀しげに息を吐く。
 「電車って朝のラッシュ時だと身動きできないじゃないですか。ラッシュ時じゃなくても、線によっては人口密度かなり高いし」
 「ああ」
 「中学の頃からなんでもう慣れましたけど」
 「電車通学始めてからか。そりゃ災難な」
 「ええ。小学校の頃は車で送り迎えだったんで」
 待て、今聞き捨てならない単語が混じらなかったか。庶民には無縁な形式の送迎が。
 「会社で営業に配属されて……外回りで電車使うこと多いし、最初は心配してたんですけど。最近は減りましたね、やっぱり」
 「そりゃスーツ着てる男の尻を好き好んで揉みしだく痴漢もいねえだろ」
 「いや、単に撃退法を学んだからなんですが。手首の捻り方とか、コキュッと」
 嫌な擬音だ。
 諦めと疲れの入り混じった哀愁誘う表情で嘆く後輩を、いささか引き気味に見詰める。
 黙ってさえいりゃ優等生的な雰囲気の好青年、童顔で可愛い系。肌も白いし睫毛も長い、上品な美形だ。マイナスイオン大放出の爽やかな笑顔で女はいちころ。中身は外道で鬼畜だが、上っ面は完璧。ホモの痴漢が妙な気を起こす気持ちもわからなくはない。
 痴漢に同情。
 俺のイメージだと「ぼくに痴漢するなんて掘られても文句ありませんね?」と相手を女王様踏みして高らかに宣言しそうなタイプだ、千里は。
 魔がさして挿されたんじゃ痴漢もたまらないだろう……やべ、想像したら鳥肌たった。女王様踏み似合いすぎるこいつ。
 脳内で千里に踏まれる哀れな痴漢が這って眼鏡をさがす俺にすりかえられそうになり、慌ててかぶりを振る。
 寒くもねえのに震える俺の複雑な心情も知らず、千里は不満げに口を尖らす。
 「ぼく、バリタチなんで。受け身でさわられまくるの性に合わないんですよね。逆に欲求不満になるっていうか、後ろから触られちゃ相手の顔見えないし、好みじゃないのにべたべたされるの不愉快だし」
 「すごくよくわかる。たまに殺意を抱く。電車のドアにネクタイ挟んでホームを引きずってやりたい」
 千里の目をまっすぐ見つめる。
 「……今の特定のぼくに対する殺人予告に聞こえたんですが、先輩の毒舌は歪んだ愛情の裏返しですよね?」
 「特定のお前に対する純粋な殺意の発露だよ。自分がされていやなことを人にするな、常識だ。ちなみに歪んだ愛情を裏返したら二回転捻りで悪意だ」
 千里が憤慨する。
 「ぼくがいつ先輩に痴漢を働きました?」
 「~痴漢以上の悪事を日常的に働いてるだろ、一年中発情期の強姦魔」
 つれない俺に何を思ったか、千里がちらりと横目で笑う。
 「痴漢、してほしいですか?」
 「線路に蹴り落とす」
 じゃれつかれるのは会社の中だけでたくさんだ。
 公共の乗り物で発情期に付き合うつもりはねえ。
 「先輩は痴漢に遭った経験ありません?」
 「当たり前だ。男だぞ、俺は。なんで痴漢にあうんだよ?眼科いけ」
 「えー」と不満そうな声。
 断っとくが、俺は普通のサラリーマンだ。容姿はまあ十人並みだが、目つきが悪いとか近寄りがたいとかヒステリーだとかサラ金は不況でも儲かっていいですねえとかよく言われる。
 間違っても千里のような線が細い優男じゃねえし、俺に痴漢を働くような悪趣味なヤツがいるとは思えない。
 というか、そもそも男が痴漢にあう前提で話してるのがおかしい。
 男はするほうであってされるほうじゃないだろ、普通。
 「先輩は逆に見て見ぬふりできないタイプですね、痴漢」
 「まあな。胸糞悪いじゃねーか」
 納得したように頷く千里に憮然と吐き捨てる。
 「ひょっとして、捕まえた経験あります?」
 「…………一回だけな」
 自慢するようなことじゃないだろう、これは。
 千里が目を上に向け、「ひょっとして」と思考をめぐらす。
 「前に一回遅刻してきた時?」
 「……よく覚えてるな、お前。引いた」
 「時間にうるさい先輩が30分も遅刻するなんてそうそうないから覚えてたんです」
 前に一回、電車内で痴漢の現場を目撃した事がある。
 被害者は若い女。まだ学生っぽい雰囲気。
 後ろの男が妙な動きをしてて、あ、痴漢だなって気付いた。
 女の子は下唇を噛み、今にも泣きそうに目を潤ませ卑劣な行為に耐えていた。
 見て見ぬふりできるはずねえ。
 だからといっていきなり手を掴み上げ「こいつ痴漢です!」とまわり中に響く大声で告げるのもバカげてる。第一、被害者が傷つく。痴漢されただけで恥ずかしくて消え入りたいだろうに、その事実を善意の第三者に大声で暴露されるなんてたまったもんじゃない。俺にだってそんくらいの想像力はある。
 「隣の学生が痴漢されてるのわかったから……俯いて、今にも泣き出しそうなかんじで、様子おかしくて。後ろもぞもぞしてるし、あ、こりゃ痴漢だなってピンときて。で、次の駅で扉が開くと同時に、痴漢の手首を掴んで引きずりだした」
 「先輩も一緒におりたんですね?」
 「そうだよ」
 「抵抗しなかったんですか、相手」
 「なにすんだってキレてたけどな、いいからついて来いって無理矢理ひっぱりだした。まわりの連中はきょとんとしてたよ。本気で気付いてなかったヤツもいたけど、見て見ぬふりしてた連中も少なからずいて、そいつらは一斉に目をそらした」  
 「先輩は我慢できなかった」
 「する義理がねえ。胸糞悪ィもんは悪い、そうだろ。なんで我慢する必要があるんだよ?」
 痴漢は四十代前半、会社員風の男。
 一見痴漢なんかしそうにない温和な風貌で、会社でもそれなりの地位にあるらしく、いい背広を着てた。
 「それで?」
 千里は興味津々といった相槌をうつ。
 引っこみつかず、また当時の憤りがぶりかえし、続ける。
 「ぎゃあぎゃあ喚くそいつを車掌室まで引っ張ってた。それで用が済んだと思ったら事情聴取やらなにやらで足止めくって……他に目撃者いりゃよかったんだけど、電車でちまったあとだし。そいつは自分は痴漢なんかやってない、勘違いだ、冤罪だ、あげくに俺が自分の罪かぶせようとしてるとかすげえ剣幕で逆ギレしやがってさ。もうさんざんだった。おかげで会社に遅刻。面倒だったから後は駅員に押し付けて帰っちまったけど」
 だけど一番腹が立ったのは、そいつが一言も被害者に謝らなかった事。
 自己弁護自己擁護ばっかりで、被害者に対する謝罪が一言も聞けなかったのが、一番後味悪かった。
 ドアが閉まる瞬間の女子大生の救われたような顔が忘れられない。安堵と感謝が綯い交ぜとなった顔に、胸が痛んだ。
 「巻き込まれるのがイヤなら無視しちゃえばよかったのに。もともと関係ないんですし」
 「はあ?お前バカか、俺の目に映ること耳に聞こえることで関係ねえことなんかひとっつもねえよ」
 俺は特別正義感が強いわけじゃない。いい人ってわけでもない。ただ、我慢が苦手なだけだ。だから職場でもついカッとして仕事の遅い同僚や後輩を怒鳴りつけちまう。
 当たり前のことを言う俺を、千里はなんだか眩しそうに見詰める。
 「難儀な性格ですねぇ」
 「うるせえ」
 「でも、先輩らしくていいと思いますよ」
 「そうかよ」
 ふてくされて返事をする。千里は楽しそうに笑う。
 俺と一緒にいるこいつはいつもすごく楽しそうだ。……なんなんだよ、一体。
 「で、その痴漢はどうなったんです?」
 「さあな。知りたくもねえ。俺と一緒で会社に遅刻したのは間違いねえだろうけど」
 「他に目撃者か証拠がないんじゃ立件むずかしいかもしれませんね」
 「一応おまわり呼んだけどな。本人が白切りとおしたんなら推定無罪で釈放かもな、ああっ、胸糞わりぃ!」
 「被害者が証言すれば事情違ったんでしょうけどね。気配りが裏目に出た感じですね」
 地団駄踏む俺に50センチ空けて、千里が冷静に指摘する。
 ……畜生、言われなくたってわかってるよ。
 だからって被害者に鞭打つようなまねできるか。
 あの子、泣いてたんだぞ。もういいじゃねえか。
 あの時は俺も頭に血が上ってた。
 悪質な常習犯なら、傷にからしをすりこむのを承知であの子に証言を頼むべきだったかもしれないといまさら後悔の念が襲う。
 さいわいなのかなんなのかあれきりあの男とは同じ電車に乗り合わせてない。
 「次に目が届く範囲でおなじことをしたら、ホームに連れ出して一発ぶん殴ってやる」
 「だいじょうぶですか?先輩、あんま力ないのに」
 「なんだよ。お前よかあるよ」
 「どうかな。ぼくに縛られて抵抗できなかったじゃないですか」
 「!あれは……っ、薬飲まされた上に縛られて、手が自由ならあんなヘマしなかったよ!あ、なんだよその疑いの目、お前俺が非力だと思ってる?眼鏡か、眼鏡のせいか?こう見えてバイオレンスでドメスティックなんだよ俺は!」 
 「知ってます。身をもって痛感しました。まあ、腰が入ってないへろへろパンチでしたけどね」
 「誰のせいで腰が抜けたと」
 アナウンスとともに電車が減速しすべりこんでくる。
 口論中断、いやらしくにやつく千里をおいて先に乗りこむ。
 腰のあたりにねとつく視線を感じる。不愉快だ。
 むっつりスケベはきっぱり無視し、吊り革を握る。
 車内はラッシュじゃないが空席もないような状態。
 出発の合図とともにドアが閉まり、振動を予期して鞄を抱え直す。
 目的地まで五駅ほど。所要時間二十分かそこら。
 俺は若いし足は丈夫、立ちっぱなしでも別段苦にならねえ。
 利用者を乗せて電車が走り出す。乗りこむ際に引き離された千里が迷子の犬のような目でこっちを見ているが、知るか。
 さすがの千里も社会人の良識は最低限わきまえてるらしく、吊り革に掴まる乗客をかきわけてまでこっちにやってこようとしない。
 それでよし。永遠に待て、おあずけ。
 すっきりした顔で吊り革に掴まる。ふと、後ろに人の気配。誰かが背後に立つ。
 「?」
 異変は次の駅で起きた。
 ドアが開くなり、大量の乗客が乗り込んでくる。
 「わっ」
 「なんだよこれ、いきなり多すぎだって!?」
 「今日なんかイベントあったっけー」
 車内がざわつく。人いきれにむせる。
 ドドッとなだれをうって車内に殺到した連中はいずれも若い。
 そういやこの駅には大学があった。
 「そっか、今日入学式……」
 若いっていいなあ。
 俺も学生時代に戻りたい、なんて郷愁にひたってみたり。ほっとけ。
 乗り込んできた連中の将来の夢と希望にあふれた明るく若い顔を、しみじみ感傷を噛み締めて眺めてる暇は、実はそんなにない。
 一人二人三人四人、いや、車内に乗り込んできた学生は数十人単位で、車内はあっというまに混雑しラッシュ時の密度になる。
 「―っ、」
 先輩、と千里が呼ぶ気がした。
 たぶん空耳。
 後ろから押され、体がずれる。
 体がひっついて暑苦しい。見知らぬ人間との接触は不愉快だ。
 吊り革を掴んだ手に力をこめ、目的地に着くまで心頭滅却しやりすごそうと腹をくくる。
 ラッシュを体験した社会人なら誰でも磨いてるスルースキル。うざい千里が隣にいないのがせめてもの救い。電車に揺られながら今日帰りに借りるDVDのことでも考え……
 尻に違和感。
 「あん?」
 片眉がひくつく。
 背部の、腰よりやや下あたりに紛れもない手の感触。
 気のせいか?
 なにせこの過密状態だ、偶然触れちまうことだってあるだろう。
 もしくは……スリか?
 その可能性に思い至り、一瞬冷や汗をかくも、財布はちゃんと鞄にしまってあると思い出し安堵する。
 伊達に電車通勤を続けちゃない、スリに遭った場合を想定して電車に乗り込む際は財布を鞄に移してある。
 ははん、残念だったなコソドロめ。一昨日きやがれ。
 ところが、ズボンのポケットを確認し財布がないと気付いても、一向に手はどこうとしない。その反対で、ますますもって大胆さを増す。
 いよいよ変だ。おかしい。
 ズボンの横に回ったんだから財布がないって気付いたろ?なのにどうして……

 『ぼく、痴漢のプロなんです』
 『先輩は痴漢に遭ったことないんですか?』

 まさか。
 車内は暑く息苦しい。身動きできない。押しくらまんじゅうのように人が揉みあいひしめく。
 千里はどこだ?
 無意識に千里をさがす、右に左に落ち着きなく目がさまよう、吊り革を握る手がじっとり汗ばむ。まさか、冗談だろ?おいおいおい。
 体温調節が狂う。
 毛穴が開いてぶわっと汗が噴き出す。
 「ひさしぶりだね」
 耳朶を湿らせる吐息。
 耳元で囁かれる陰険に低い声。
 振り返ってツラを確認したいが、それもできない。
 「……誰だよ、お前……」
 「声でわからないか」

 『なにするんだ!』
 『私はやってない、こいつがやったんだ!』 
 失笑を孕んだ声が、数ヶ月前の怒号と被り背筋が冷えていく。

 俺に引っ張られながら往生際悪く見苦しく取り乱し喚いた男、駅員の前で俺を指さし冤罪だ無罪だ唾とばし訴えた男の顔が、脳裏に像を結ぶ。
 「……あの時の痴漢……」
 生唾を飲む。ズボンの上からねっとり円を描くように尻をもまれる。
 気色悪さに肌が粟立つ。
 「偶然だね。久しぶり……五ヶ月ぶりかな。随分世話になった」
 「あんた、ホ……同性愛者なのか?」
 尻たぶを掴んで捏ね回す。
 骨ばった男の手で尻をもまれる生理的嫌悪は凄まじく、息に掠れて声が上擦る。
 あの時の男の顔。よく覚えてない。
 特徴のない顔だった。
 集団に紛れちまえばすぐに区別がつかなくなる。
 俺の背にぴたり密着したそいつが、薄く笑う気配が伝う。
 「ずっとお礼しなきゃって思ってたよ。あの日は大事な取引があったのに……お節介のせいで台無しだ。同じ車両に乗り合わせたのは運命じゃないか?仕返しのチャンスがめぐってきた」
 「台無しって、逆恨みじゃねえか……!?んっ、ぅくっ」
 上の歯で下唇を噛む。
 尻たぶに爪が食い込み、前のめりに傾ぐ。
 さかった息が首筋にかかってぞっとする。
 「ホームで偶然見かけて……同じ車両に乗り込んだ。後ろに来たのにも気付かなかったね、君は。油断してたのか?男が痴漢されるはずないって?……どうした、声は出さないのか。ばれるのはいやか」
 頭が混乱する。
 電車内で痴漢されてる。男なのに、いい大人なのに……声を上げたら?こいつ痴漢だと、調子にのって尻をさわりまくる手をひねりあげてぶちまけたら……だめだ、白い目で見られる。
 だって、男が痴漢だぞ?
 被害者も加害者も男だぞ?
 しょっぱすぎ。何よりプライドが許さねえ。 
 電車はもう出ちまった。ガタンゴトン、断続的な揺れが伝わってくる。
 周囲の連中は気付いてない、吊り革掴まってあくびをかみ殺す学生、前の座席に座って船をこいでる年寄り、音楽を聴いてる若者、友達と韓流スターのコンサート日程についてしゃべりあってる主婦……誰もこっちを見てない。
 ほっと息を吐く。安堵。
 したのも束の間、ズボンの上から人さし指で窄まりをなぞられ、ぞくりと悪寒が走る。
 「………っ………」
 ズボンの真ん中の縫い目に指がくいこむ。
 くりかえし、なぞる。
 「会社に着けばぎっしり予定が詰まってる。あれだけが楽しみだったのに……」 
 「……痴漢が憂さ晴らしって……最ッ低だな、お前」
 名前も知らないから、お前と吐き捨てるしかねえ。
 こいつに下半身をなでまくられ、顔を真っ赤にしてた女の子を思い出し、怒りが屈辱をしのぐ。
 尻をなでまわされる不快感を必死にこらえ、吊り革を軋むほど引っ張り虚勢を装う。
 「男の固いケツさわって楽しいか、変態」
 「たまにはさわられる方の身になってみるのも悪くない。そうすれば、二度とあんな偽善的な行動に走らないだろう」
 「は?」
 「あの子だって楽しんでたんだ。だれかさんが余計な事さえしなければ最後までいかせてあげたのに……」
 とんでもねえことを言い出す。純粋な怒りで脳裏が真っ赤に染まる。
 こいつは自分の行為を正当化してる。反省の色なんかカケラもねえ。
 思わず怒鳴り飛ばしそうになるも、ふっと前に回った手が股間を掴み、喉が詰まる。
 「……声、出すとばれるぞ」
 いきなりトーンが低くなる。凄みを帯びた囁きに恐怖を感じる。
 吊り革を片手で掴んで俯く、しっかり鞄を抱える、二十五にもなって男に痴漢されるみじめさ情けなさに泣きたくなる。
 逃げ場はない。執拗な手から逃げて移動しようにも人が詰まってる。肘がちょっとぶつかっただけでいやな顔される、迷惑げな舌打ちが返る。
 二・三歩横にずれるのも至難の業だ。物理的に不可能。
 そんな状況で言語道断女性の敵、および今日から千里に次ぐ俺の天敵の痴漢野郎は異常な執念でぴったり背中にへばりついている。
 「うっ………」
 慣れた手つきで尻を愛撫する。
 尻たぶを掴んでゆっくり捏ね回す、割れ目をつうっと指でなぞる、窄まりをほじる、もう一方の手でスラックスごしの股間を揉みほぐす。
 「首まで真っ赤だよ」
 背中に体温を感じる。不快なぬくもり。
 さりげなく鞄をずらしガードしようにも、男の動きの方が素早い。
 痴漢のテクニックを認めるのは癪だが、相当年季を積んでるようで、腹が立つことに、上手い。
 「お前……っ、気持悪くねえのかよ、こんなことして……はっ、俺男……仕返しなら、そと連れ出して、殴る蹴るすりゃいいだろ……」
 「復讐だよ、これは。ただ殴る蹴るするだけじゃつまらないし意味がない。男だろうが関係ない、私はこの道を究めたプロフェッショナルだ、むしろ初めての男をイかせてこそ山手線のゴールデンフィンガー新宿―池袋間のセクシートリガーの異名をとる痴漢のプロとして堂々と電車に乗れるというもの」
 「山手線に閉め出しくらえ」
 山手線を愛する全国の鉄は本気で怒るべきだ。ゴールデンフィンガー超自重。
 「仕事でストレスがたまると……息抜きになるんだよ……羞恥に赤らむ顔がたまらない……腰に来る」
 男の息が危険なかんじに上擦り始める。
 本格的に貞操の危機。いや、もう失ってるけど。
 千里にさわられるのは逃れえぬ運命だと諦観できても、こんな外道にさわられまくるのはいやだ。
 その千里は、いない。視界から消えてる。
 いなくてせいせいする、なんてほんの五分前は解放感にひたってたのに、今は心細い。
 縋るように千里の姿をさがしてしまう、車内に目を泳がせちまう。同じ変態なら顔見知りのほうがまだマシだ。
 「よそ見とは余裕だね」
 嘲笑が耳朶をくすぐる。
 次の瞬間、ズボンの中に手がもぐりこむ。
 「―っ!!?」
 生理的嫌悪が沸騰、愕然と目を剥く。
 こみ上げる悲鳴を、とっさに押し殺す。
 ズボンにもぐりこんだ手が悪夢のように動く……蠢く。
 男の手は濡れている。あらかじめローションを塗してあるらしい。
 準備がよすぎだ。確信犯、計画的犯行。今なら確実に現行犯逮捕できる。
 もっともそれは今この車両に現役の警官が乗り合わせてりゃの話で、その確率はとても低い。しかも俺が痴漢されてる事実に気付けばという条件が付く。
 嫌な予感が最悪の想像に直結。
 ローションを使うということは、つまり……
 ぬるぬるした手が下着の内側に入り込んで尻たぶを掴んで割る、窄まりを直接なぞる。悪寒に似たむず痒さが腰から這いのぼって背筋を犯す。
 「……は………」
 熱く湿った吐息を漏らす。吊り革をぎゅっと握る。
 逃げたい、出口は?ダメだ、電車は走行中、次の駅までかなりある。
 次の駅に到着したところでドアは遠い、混雑がマシになるとも限らない、もっと人が乗り込んでもっと窮屈になるかもしれない。
 「んぅ、」
 気持ち悪ィ、知らない男の手、千里じゃねえ、千里ならまだマシだ耐えられる、いやだけど我慢できる、こいつは無理だ。
 あいつどこにいる?
 ずれた眼鏡ごしに視線を行き来させ千里をさがすも姿はない、先輩のピンチにどっか行っちまった、薄情者め。
 ローションで粘る手が、感度検査でもするようにくりかえし尻をなで上げる。
 女と違って脂肪がついてない、筋肉でできた固い尻のどこがいいのか、理解できないししたくもねえ。
 こうなったら自分でなんとかするしかねえ、自分の貞操は自分で守る、これ基本。千里はどうしたんだっけ?朦朧とした頭を働かせる。

 『手首の捻り方とか、コキュッと』

 無理。却下。というか、この体勢からそれやるのはヨガの達人でもなきゃ不可能。逆に俺の手首がコキュッといきそうな予感。
 俺がぐだぐだ悩んでる間も手は休まず勤勉に働き続けて、遂には後孔のあたりを重点的になぞりだす。
 「やめろ……叫ぶぞ……」
 弱々しい抗議を無視し、窄まりの粘膜に、指がしずむ。
 「!!---っひ、」 
 ローションの潤沢なぬめりと、既に開発済みなのも手伝って、思ったよりあっさりと指を飲みこむ。
 「……思ったよりきつくないけど、男と経験あるのか?」
 意外そうな声が、すぐに失笑に切り替わる。恥辱と憤りとで体が火照る。
 言い返そうにも、迂闊に口を開けば勘違いさせる声が漏れそうで油断ならねえ。
 千里のせいだ。ぜんぶぜんぶ千里が悪い。ちょっと前まで尻で感じるなんて考えられなかったのに、あいつに未知の性感を開発された。
 吊り革を握りこむ、指の侵入を防ごうとケツの穴に力をこめ括約筋を締める、だけどそもそも自分の意志でどうにかなるもんじゃなくて、生理現象で、窄まりにねじこまれた指がローションをぐちゃぐちゃ泡立て粘膜を捏ね回す事によって、蕩けるような快感が押し寄せる。
 気持悪い、吐き気がする、吐き気がふくれあがって喉をふさぐ。
 千里が相手じゃねえのに、勝手によくなる体が許せねえ。
 痴漢のプロを自認するだけあって男のテクは巧みで、女とは具合が違う俺のケツの内部を、関節がないかのような反則気味の指使いで掻き回す。
 こんだけの技巧の持ち主ならわざわざ痴漢なんかしなくてもモテるだろうにとちらりと思う。やっぱスリルを求めてとか嫌がってくれないと興奮しないとかなんだろうか……
 ああ、大嫌いな誰かを思い出す。そっくりだ。
 いや。
 ちがう、な。
 千里は俺に対しては鬼畜で外道で所構わず発情するけど、泣き寝入りするしかない内気な女の子を狙ったりしないだろう。 
 「ふ………っは、やめ……あぅ」
 「窓、向いてごらん。ケツほじられて感じてるエロい顔、見えるだろう」
 耳から火が出そうだ。というか、言ってる本人の神経を疑う。
 俺はちょうど座席の手前に立っていて、ちょっと上を向けば、窓にばっちり顔が映る。
 正面の客は居眠りしていて、俺がされてる事に気付いちゃない。
 だけど、大きな声を出したら気付くかもしれねえ。
 「…………っ………」
 指が鉤字に曲がる。いいところを浅くつつき、ひっこみ、今度は深く突っ込む。尻の孔の皺までひとつひとつなぞられ、膝が笑う。
 指が増える。一本から二本へ、三本へ。回して、引き抜く。
 次第に中が熱く充血してくる。
 千里の指を、アレを、思い出して。
 「………ちが………」
 馬鹿な。何考えてんだ俺。
 こないだトイレで犯された時のことを思い出す。
 俺がいやだって拒んで喚いても聞き入れなくて、結局最後までヤるはめになった。ローターでさんざん中をかきまわされて、前も後ろも我慢の限界だった。
 目をきつく瞑る。
 瞼の裏に千里の顔がちらつく。
 尻の下あたりに熱い塊が押し付けられる、見なくてもわかる、びんびんに勃起した男のブツ。
 入れる気か?
 まさか、電車の中だぞ。まわりに人がいるのに。指突っ込むのだって危険なのに。
 三本指で前立腺マッサージされ膝が砕けそうなのを吊り革にぶらさがり堪える、脇に挟んだ鞄がずりおちる、眼鏡もずれる。
 車内のざわめきが遠のく。
 千里はどこだ、どこにいるんだあの馬鹿、男がハイペースで指を抜き差しする、前立腺を弾かれ呻く、ぐちゃぐちゃと中を捏ね回される。
 「中から聞こえるいやらしい音、わかるかい。前も固くなってる」
 「あんた……ほんとに男にやるの、初めてなのかよ……」
 半径50センチ内に変態は千里ひとりで十分だ。
 赤らんだ目で睨みつければ、ますますピッチが速まり、尻に押し当てられた物の硬度が増す。
 「ふっ、あっ、あっ」
 片手は吊り革を掴んでる、もう片方の腕は鞄を抱えてる、口をふさぐ自由も許されない。
 正面の客が薄目を開けてこっちを仰ぐ、上気した顔を伏せる、唇を噛む、感じてないふりをする、びくつく、千里、千里…… 

 『ごめんなさい、先輩』
 どんなに激しい行為をしても、最後は必ず謝った。
 『大好きです』 
 『先輩は好きな人が風邪で寝込んでるのに、無理矢理ヤりたいっておもいますか』
 風邪ひいて寝込んだ俺をどっちゃりアイス買い込んで見舞いにきた、餌付けのように食わせてくれた、袖口を握って放さなかった。

 「やめ………だす……」
 「へえ?なにを出すんだ。小便か、ザーメンか」
 窓に俺の顔が映る。痴漢にケツなでまくられて、中を指でぐちゃぐちゃにかきまわされて感じまくってる、最高にみじめで最低に情けない男の顔。
 「男のくせに指でイけるのか。どっちが変態だ?ドライな顔して中はウェットだね」
 「ふくっ……」
 電車の中で射精したら生きていけねえ。
 下着も汚れる。床も汚す。乗客に変態扱いされる。
 そうなったら、二度と電車に乗れねえ。
 駄目だ、耐えろ、千里の手を思い出して興奮して、違う、そんなわけあるか、俺がこんなに感じやすくなったのは千里のせいだ、ちょっと前はケツで感じるなんてありえなかった、あと少し、少しの我慢、どうせ駅でおりるんだ、そしたら解放される、地獄とおさらばできる……
 

 「ぼくの先輩に何汚い手で触れてんですか、ゲス野郎」


 排気音と共にドアが開く。
 すべては一瞬の間におこった。

 乗客がなだれを打って降車して車内が空く、その流れをかいくぐり気配もなく接近した千里が微笑む、微笑んで男の後ろ襟を掴み俺から引き剥がす、華奢な細腕には似合わない馬鹿力。
 「!ちさ、と、まて」
 千里の顔を見た瞬間、不覚にも、泣きたいくれえ安堵した。
 速攻ズボンと下着を穿いて震えもたつく手でベルトを締め直す、乗客の好奇のまなざしを浴びつつ千里を追って降りる、千里は男のスーツの後ろ襟をふん掴んでひきずっていく。 
 ひきずって
 「待て、待て待て待て待てっ!?」
 ホームの車線の外側、つまりもう少しで転落しちまいそうな瀬戸際に男を投げ出すや、その背中を踏む。踏みにじる。
 「何あれ?」
 「え、なんであの人踏まれてんの?超シュールなんだけど」
 「喧嘩?駅員呼んだほうがよくね?」
 野次馬どもが興味津々集まりだす。
 ホームの喧騒も聞こえぬ様子で、千里は冷え冷えと男を見下ろす。
 「勘違いだ、私が男の尻なんかさわるわけないだろう、誤解だよ!!さっさとこの足をどけてくれ、早く会社に戻らなきゃいけないんだ、予定が詰まって」
 「手癖が悪い人は頭も悪いってほんとですね。いつぼくが口開いていいって言いました?言ってませんよね、発言許可してないのに耳汚く騒ぎ立てないでくださいよ。そんなに注目浴びたいんですか?俗物だなあ。心配しなくてもほら、駅に集まった皆さんが貴方の恥ずかしいかっこちゃーんと見てますよ。写メってる人までいるし」 
 もたつき追いついた俺の視線の先、千里は笑う。
 にこやかにさわやかに笑いつつ、さっきまで俺に痴漢を働いていたけしからん右手を、固い靴底で踏み付け踏みにじる。全体重かけて。
 「いたたたたたたっだだだあだだっだだぎゃああああああぁあっあ、折れ、指折れ、変な方向曲がったぁああああああっ!?」
 「あー痛そうですね。全治三週間くらいかな?マスターベーションもできませんね、同じ男として同情しますよ、ホント」
 口調はあくまで軽く、笑みはあくまで優しく、鼻水と涙を滂沱と垂れ流しえび反り痛がる男の右手を、ホームと同化させるように入念に執拗に踏みにじる。
 「駅員、駅員よんでくれ!なにしてるんだ、だまって見てないで早く、だれでもいい助けてくれ、傷害罪で逮捕してくれ!!」
 滝のように涙と鼻水を垂れ流し悶絶する痴漢の顔からさっきまでの余裕は完全に消し飛んでいる。
 もがきばたつき凄惨な悲鳴をあげる男の醜態に、しかし、動く人間はいない。見た目優しげな好青年な千里のえげつない暴力に、完全に引きまくってる。
 「だから。痴漢に人権はないんですよ」
 冷めた声で指摘し、続ける。
 「というか、ですね。貴方が誰に痴漢しようがぼくは構わないです、構わないんですよ、ええ、そりゃ目に付く場所でやられちゃ不愉快だし足くらい踏むかもしれませんけどね、貴方の無礼な指を一本一本乾燥パスタのように折ろうなんて思いません。面倒くさいし」
 「だったら見逃し、でっ!?」
 泣き濡れた顔を勢いよく上げ、縋り付く男を邪険に蹴りどけ、胸ぐらを掴んで引きずり起こす。

 「先輩は別だ。そんな事もわからないのかよ」
 
 ホームがざわつく。
 男の胸ぐらを掴んだ千里は、そのまま退屈そうな、白けた半眼の表情で、不届きな痴漢の上半身をなぎ倒す。
 「千里っ!?」
 野次馬から悲鳴が上がる。
 痴漢のバランスは千里の腕一本でもってる状態、千里が気まぐれに手を放したら線路に転落するだろう。
 『三番線に電車が到着します、お待ちの方は白線の内側におさがりください』
 アナウンスが入る。
 電車が来る。
 千里は動かない、男の後ろ襟を押さえその体をなかば線路に突き出した状態で静止する、電車が入ってくれば男が死ぬ。
 片膝つき男の後頭部を見下ろす千里には周囲のざわめきもアナウンスも高音域の警笛も聞こえない、先頭のライトが視界を照らしても動かない、男の頭を無慈悲に容赦なく押さえ込んだまま千里は落ち着き払って呟く。
 「悪さばかりする手はいらないから、もってってもらいましょうか」
 男の顔が固まる。極限まで剥かれた目、戦慄の表情、次いで絶叫の形に開いた口から無音の叫びが迸る。
 「もういいから千里、もどってこい!!」
 電車がぎりぎりまで迫るも千里は微動しない、男を組み伏せたまま動かない、ホーム蹴って走り出す、先頭のライトが視界を漂白する、接触ぎりぎり間一髪のタイミングで千里を羽交い絞めにし縺れ合って倒れこむ、痴漢男の悲鳴を鋭利なブレーキ音が相殺し肌にあたる空気がびりびり震える。
 野次馬に混ざった女が数人甲高い声で叫んで顔を覆う、写メを構えた若者が凍りつく、肉片と血痕飛び散る酸鼻な事故現場が目の前に広がるー……
 「はあっ、は、は……」
 「ごめんなざい、もうじぜん、ちかんじまぜん、ゆるじでぐだざい……」
 痴漢男がこっちに尻を向け、突っ伏して泣いている。失禁したらしく、ズボンがぬれてる。
 頭を抱え込んで啜り泣く痴漢男の鼻先を電車が通過する。間一髪、あと一秒引き戻すのが遅れていたら、線路に突き落とされミンチと化していた。
 大変だったのは、俺だ。
 憑き物がおちたように大人しくなった千里を引きずり、阿鼻叫喚が渦巻くホームから離脱する。
 血相かえて駆けてくる駅員を人ごみに紛れ何食わぬ顔でやりすごし、構内のトイレの個室に千里を連れこむ。
 千里を便器に投げ出し、乱暴にドアを閉じて施錠する。同時に緊張の糸が切れ、ドアに背中を預けへたりこむ。
 「おま……ば、なに、心臓とまるかとおもった……脅しにしたってやりすぎ、一歩間違えたらホントに轢かれて死んでたぞ!?」
 「死んじゃえばいいんです」
 「死んじゃえばいいんですじゃねえよ、痴漢は悪いけど人殺しはだめ」 
 体当たりの勢いを殺せずドアに後頭部をぶつける。千里がいきなり抱き付いてきた。
 「………………?」
 俺の肩のあたりに顔を埋め、抱きしめる腕をますます強くする。すがるように。
 「なんで呼んでくれなかったんですか」
 低く、感情をそぎ落とした声。それでいて、底に激情を滾らせてるような。
 「ぼく、近くにいたのに。先輩がずっと一人で我慢してたから、気付くの遅れたんです。手遅れぎりぎりになるまで。いやだったら千里助けろって、そう呼んでくれたらよかった。速攻とんでったのに」
 「呼んだって……あんなに混んでたんじゃとんでこれないだろ」
 「来ます。絶対に。行く手を塞ぐ人間は突き飛ばして転ばして、一番に駆けてきます」
 真摯な声音で、誠実な眼光で約束。
 俺の目をまっすぐ見詰めて。
 「いや……だって、俺にだって意地ってもんがあるし。言えるかよ普通、男が痴漢にあってますなんて。恥ずかしいしみっともねえ」
 「みっともないから我慢するんですか。呼んでくれないんですか」
 頑固なガキのように詰め寄る千里から顔を背け、ふてくされて呟く。
 「……お前、痴漢より酷いこといっぱいしてるじゃねえかよ」
 「ぼくはいいんです。他の人は許さない。先輩に酷いことしていいのはぼくだけだ」
 「~あのなあ!」
 「呼んでください。お願いします」
 俺を抱きしめたまま、千里がしおらしく頭を下げる。怒る気が失せる。
 千里は、俺が痴漢にあったのに気付くのが遅れた自分を責めている。そんなの、こいつのせいじゃないのに。こいつが気に病むことじゃねえのに。
 真剣に悔やむ後輩になんて言葉をかけたらいいか迷い、浮かせた手の置き場に迷い、仕方なく、それを千里の背中に置く。
 しゃくりあげる子供にするように、ぎこちなく背中をなでる。
 「……相手先に電話しなきゃな。遅れるって」
 「ぼくがしときます」
 「悪い」
 互いに寄りかかるように抱き合ってため息を吐く。
 情けない話、痴漢にさんざん嬲られたせいで腰が立たねえ。
 回復までもうちょっと時間がかかりそうだ。
 それまで、千里の胸を借りる。
 「あの痴漢どうなったんだろ」
 「駅員さんが連れてったんじゃないですか」
 「ローションまで持ってたとこ見ると常習犯だな。タチ悪ィ」
 例の不快な感触を思い出し、顔を顰める。まだケツがむずむずする。
 ふと、千里がもぞつく。
 俺の腕の中で微妙に姿勢を入れ替え、片手でまだおさまってない俺の股間をなぞる。
 「………イかせてあげましょうか」
 「なに?」
 「イけなくて苦しかったでしょう」
 ああ、そっか、やっぱりこのパターンね。慣れたっつの。
 「トイレでヤるの二度目だぞ」
 「危急の措置です、やむをえません。電車の中で暴発しちゃったら大変じゃないですか。汚れた下着で参上したら相手先にもご迷惑です」
 「そうか?」
 「間違いありません。ぼくの目を見てください」
 「濁ってる」
 聞いちゃない千里が俺のシャツを巻き上げて手を這わせる。
 下半身ばかり重点的にさわりまくった痴漢とは違う、愛情こめた触り方。
 ……ちがう、愛情なんかこもってるはずがない、こいつは強姦魔で俺のことなんかちっともさっぱり考えちゃない、だから平気で酷いことができる、会社のデスクで犯せる、ローター突っ込んで恥かかせた、トイレで突っ込まれた、気絶するまでいたぶり抜かれた、その事は忘れてないし絶対忘れられねえ。
 でも。
 今回ばかりは、助けられた。
 千里がいなかったらどうなってただろう。
 「………抵抗しないんですか、今日は」
 「疲れてその気もおきねえよ」
 なげやりに言えば、愛撫に若干ためらいが生じる。
 自分が痴漢の二の舞になるのを恐れているように。
 ショックの上塗りをする行為に怯えているような、いつも行為中に見せる自信に溢れた笑顔とは正反対の、繊細な顔を覗かせる。
 「その。できるだけ、優しくします」 
 「結局ヤんのかよ!?」
 俺の突っ込みを無視し、千里がシャツをはだけて愛撫を再開。俺に触れる手つきは、心なしかいつもより少しだけ優しい。
 ありがとうと、喉まで出かけた礼をぐっと飲みこむ。
 「……今日から痴漢撃退のプロに改名しろ」
 生まれて二十五年、初めて痴漢に遭ったショックが、千里の丁寧な抱擁と愛撫で癒され和らいでいく。
 俺のシャツをずらし脱がしながら、これだけは絶対譲れないといった底知れず怖い笑顔で断言。
 「先輩をいじめていいのはぼくだけです。一駅の間にイかせられないようなお粗末なテクの痴漢に渡したりしませんから」
 「って、お前なんで一駅ってわかっ……やっぱ見てたな!?」

 俺の感動を返せ。 

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230536 | 編集

 『俺と一緒で語呂合わせみたいな名前だな』
 新人歓迎会のとき、あの人はそう言って笑ったのだ。


 「は~今日の先輩も犯したいくらい可愛かったなあ」
 初っ端から人として最低な発言失礼します。
 ホームの雑踏に埋もれ電車を待つあいだ携帯を操作してとっておきの一枚を呼び出す。
 カシャリ、軽快に表示されたのはぼくの宝物。超レアな一枚、先輩の寝顔。
 ふやけた口元からよだれをたらして眼鏡がずれてほっぺが潰れてすっごい間抜け。
 あー一日の疲れが癒されてく。幸せ。
 いつもの先輩はしゃきっとしてる。
 シャープでクールでいかにもデキる男って感じの先輩もそれはそれでイイけど、二人きりの時くらい気を抜いて欲しいというのはわがままかな。
 先輩はプライドが高い。
 自分にも人にも厳しく、弱みを見せるのを嫌う傾向にある。
 損な性格だなあと思う。要は甘え下手なのだ。
 ふたりっきりの時くらい甘えてくれたってばち当たらないのに…… 
 まあ、天敵の後輩に弱音吐くなんて自称デキる男のプライドが許さないか。
 大事に保存した先輩の寝顔を見てるうちにだらしなく顔がにやけてしまう。
 隣に並んだ見知らぬ中年サラリーマンが怪訝な顔でぼくをチラ見、液晶を覗きこんでぎょっとする。
 そりゃ驚くだろう、こいつ何にやけてんだって興味本位で覗きこんだら若い男の寝顔がドアップで表示されてるんだから。

 ぼくは変態です。
 悔い改めません。

 毎日が楽しくて楽しくて仕方ない、ことによると人生で今が一番充実してるかも。
 これぞ蜜月、幸福の絶頂。
 大学出て会社員になってからまだ一年ちょっとだけど、今が一番幸せかも。毎日会社に行くのが楽しくて仕方ない、先輩に早く会いたくて気がくるっちゃいそうだ。
 ぼくの好きな人の話をしよう。
 その人はすごく真面目で、ちょっとだけ不器用な二つ年上の先輩。
 名前は久住宏澄。
 眼光炯炯たる精悍な目つきにメタルフレームの眼鏡がよく似合う。
 大事なコレクションを眺めてしまりなくにやけつつ、ここ数ヶ月のあらましを回想する。
 入社以来ずっと久住先輩に憧れていた。
 かっこいい人だなあと尊敬していた。
 ぼくが自分の性的嗜好に気付いたのは中一の時で、以来好きになるのはずっと同性だった。
 つまりゲイ。
 世間にはまず偏見を被るだろうマイノリティの性癖を自覚しても悲観はしなかった。そのへん冷めてるというか、すごく割り切ってるのだ。
 もともと結婚にも家庭にも興味なかったし。
 ところで、ぼくが恋に落ちた先輩はノンケだった。
 ガチガチのノーマル、熱烈異性愛者。
 結婚を前提に付き合ってた彼女までいた。ふられちゃったけどね。
 異性愛者に対する同性愛者の片思いほど切ないものはない。
 片思いされるほうはまさか同性から好意を寄せられるなんて露にも思わず、ごくごく普通の友人か同僚としてあけっぴろげに接してくる。
 それがどんなに酷かわかってもらえるだろうか。
 飲み会で酔ったら平気でしなだれかかってくる、泥酔したら肩を貸してタクシーに乗せる、スーツはしどけなく着崩れてネクタイはよれて上気した首筋が目の前に……
 そんな美味しい状況でも理性を保たなきゃいけないなんて、辛い。
 まあ、先輩がぼくにしなだれかかってくるなんてまずありえないけど。

 ちょっと前、思い余って先輩を犯した。
 栄養ドリンクに睡眠薬を仕込むという禁じ手を使って意識を奪ってネクタイで後ろ手に縛って色々けしからん悪戯をした。強姦。証拠画像もばっちり掴んだ。
 先輩は逆らえない、会社にいたかったらぼくの言う事を聞くしかない。
 恥ずかしい写メをばらまくぞと脅して、言いなりにさせて。
 先輩が羞恥する顔ときたら傑作だ、屈辱に歪む顔がまたそそる。
 歪んだ愛情表現。
 アブノーマルな嗜好。
 どうしてこうなっちゃうんだろと思春期には深刻に悩んだものだけど、今は吹っ切れてる。
 ぼくがこうなってしまった原因は、カウンセラーにかかるまでもなくはっきりしてる。
 即ち、家庭の事情ってヤツ。
 「…………」
 ちょっとだけ憂鬱になる。
 世界で一番苦手な人の顔が、脳裏にぼんやり像を結ぶ。
 『自分がされていやなことは人にするな。常識だろう』
 「……ですよね、先輩。おっしゃるとおり」
 口元に微苦笑がちらつく。
 隣のサラリーマンがますます引く。
 先輩の言い分はいつも正しい、いつだって正論。
 けれども天邪鬼なぼくは、好きな人の泣き顔を見たいと猛烈に願ってしまう。
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった悲惨な顔が見たいと固執してしまう。
 かっこいいとこだけじゃない、みっともないところかっこ悪いところ全部さらけ出してほしい、独占したい。
 先輩はまっすぐな人で、ぼくみたいな人種を毛嫌いしてる。
 同性愛者とか関係なくて、ぼくの犯す卑劣な行為そのものを唾棄し嫌悪し憎悪の対象とする。

 先輩の目を思い出す。
 眼鏡の奥から注ぐ苛烈なまなざし。
 さんざん犯され辱められても、けっして反骨の意志を失わない双眸。
 寄るな変態と罵られると背筋がぞくぞくするような快感が走る。

 普通に抱くだけじゃ物足りない。
 というか、先輩が大人しく抱かれてくれる事がまずないんだけど。

 「ぼくだって、たまには優しくしてあげようっておもうのに」
 憮然と口を尖らす。
 先輩はぼくを外道扱いするけど、好きでもない相手のために道を踏み外したくない。
 「…………」
 千里、と。
 あの人に呼ばれると。
 あの人の顔を見ると、声を聞くと、すぐに理性が飛んでしまう。
 ぼくに抱かれながら上げる余裕のない声が好きだ、嗚咽みたいで色気のない喘ぎ声はぞくぞくくる、手の甲を噛んで我慢する声なんて反則モノ、必死にしがみついてくる腕が愛おしくてたまらない。
 ぼくはサディスト、歪んだ性癖の持ち主。
 そしてしばしば手加減を忘れてしまう、気絶するまで追い詰めてしまう。
 ごめんなさいと胸の内でこっそり謝ってみたところで、行動に反映されなきゃ意味がないとわかっている。
 携帯をポケットにしまう。
 白線の内側に立ち尽くす。
 ホームのざわめきが急にふくれあがる。
 心が手に入らないなら体だけでも奪いたい、自分のものにしたい。
 愛情が高じた独占欲、執着。
 奪えば奪うほど飢えと渇きは激しくなる、心までは決して手に入らないと思い知らされ絶望する。

 絶望は渇望に繋がる。
 渇望は欲望を駆り立てる。
 手に入らないならいっそめちゃくちゃにしてしまいたい。

 脳裏に思い描く先輩の顔。
 きっちり固めた髪、ストイックで知的な顔立ち、ヒステリーな眉間の皺。
 険しい目つきのせいで高利貸しみたいと陰口叩かれるけど、男前な方だと思う。
 人にも自分にも厳しい、特にぼくに厳しい、女性にはすごく優しい無自覚フェミニスト。
 性差別反対、ゲイの人権も認めてほしい。
 「………はまっちゃったかな」
 先輩をはめるつもりだったのに、計算が狂う。
 アメと鞭を使い分けるように先輩と久住さんを使い分けて、倒錯した快楽の味を教えこんで、絶対服従の奴隷にしたてあげるつもりだったのに。
 そうすればぼくしか見なくなる、ぼくから離れられなくなる。
 心が手に入らないならせめて体だけでも繋ぎ止めたい。
 先輩はぼくを嫌ってる、暴力と脅迫で自分を蹂躙し束縛する強姦魔だと蔑み憎んでいる。
 今さら好きになってもらおうなんて、虫がよすぎる。

 こないだ先輩は会社を休んだ。
 先輩が体調を崩した原因は、ぼくだ。

 『お前が所構わず発情するせいで』

 ぼくが無茶させたせいで、先輩は熱を出した。
 酷いこと、沢山した。
 縛って嬲って辱めて写真を撮った。
 ローター突っ込んだまま会議でプレゼンさせた。
 先輩が熱を出したって聞いた時、ああ、ぼくのせいだと悔やんだ。
 ぼくが悪い。
 ぼくの独り善がりが先輩を不幸にする。
 その日は一日上の空で過ごした。
 先輩でいっぱいの頭とは裏腹に機械的に手を動かし最速で仕事を片した。
 先輩のマンションは安子さんに電話で聞いた。
 先輩がまだ未練たらたらな元カノを頼るのは少し癪、いやかなり癪だったけど背に腹は変えられない。
 ぼくを迎えた先輩は酷い顔で、胸が痛んだ。

 現実はうまくいかない。

 最前までの満ち足りた幸福感がしゅるしゅるとしぼみ、ため息が口をつく。
 最近躁鬱の差が激しい。
 情緒が不安定になってる。
 先輩が大好きで、だけど先輩はぼくが大嫌いで、わかっていても覚悟していても面と向かって「大嫌い」と言われるのはこたえる。そしてつい手加減を忘れてしまう。

 サディストでもたまには普通のセックスをしたい。
 普通の恋人同士のように正常位で愛し合いたい。
 好きな人に優しくしたい時だって、あるのだ。

 「説得力ないか」
 日ごろの行動がアレだし。
 先輩が聞いたらキレそう……というか「なに企んでんだ?」って引かれそう。
 自分の信頼のなさがちょっと哀しい。
 「ぼくの株、大暴落してるんだろうなあ」
 自業自得だけど。 
 好きな人が自分のことを好きになってくれる。
 簡単な条件に見えて、すごく難しい。
 先輩はまっすぐな人だから、ぼくみたいな卑劣な人間を好きになるなんて絶対有り得ない。
 諦観と絶望が胸を冷やす。
 やがてそれは虚無を生む。
 ホームのざわめきが大きくなる。ちょうど帰宅ラッシュの時間に重なってしまった。
 先輩は今、隣にいない。
 今日は別行動だ。
 「ぼくのマンションによりません?」「見たい映画あるから却下」……すげない。
 例の写メで脅して無理矢理連れこもうかと誘惑に心動いたけど、病み上がりに無茶させるのは自重した。
 今日は大人しく会社を出た。
 群れなして飲みに誘う同僚を「用があるから」とにこやかにあしらって、単身駅のホームに立つ。
 「…………ふう」
 週末、部屋に誘ってみようかな。
 リベンジで。何もしないと約束して。
 一緒に映画を観るだけでいい、隣にいてくれるだけでいいって、たまには下心抜きの本音を明かそう。信用してくれるかわからないけど。

 先輩は、ぼくが先輩を好きになったきっかけを知らない。
 ちゃんとあるんだ、理由が。

 『三番線に電車が参ります、お乗りの方は白線の内側にさがってお待ちください』
 アナウンスが流れ、ぼくが立つホームに疾風伴う電車がすべりこんでくる。
 注意に従い白線の内側にさがる。
 排気音ともにドアが開き、乗客がおりてくる。
 あらかた吐き出されるのを待って入れ違いに中へ、ドアの近くの定位置をおさえ吊り革を掴む。
 先輩、今頃どうしてるんだろう。
 まだ会社かな。
 頑張ってるかな。
 何の映画観るか聞いとけばよかった……ぼくの誘いを蹴る口実の可能性も否定できないけど。
 あとからあとから人がのりこんで人口密度が高まる。
 見知らぬ他人と密着するほどに混雑し、不快指数が飛躍的に上昇する。
 先輩の顔を思い描き、不快な時間をやり過ごす。
 衝動的にスーツを剥いでシャツを脱がしたくなるほどストイックで知的な顔だち、おもわずぐしゃぐしゃにかきまわしたくなるきっちり固めた髪……
 ドアが閉まる。
 電車が動き出す。断続的で鈍重な揺れが靴裏に伝わる。
 悶々と妄想が膨らむ。 
 ぼくだけが知ってる先輩の顔、たぶん安子さんも知らない顔、気持ちよすぎてわけわかんなくなってる顔……
 「ホールドアップ」
 突然、背中に人さし指をつきつけられる。
 「!」
 吊り革を掴み、咄嗟に振り返ろうとするも、背中に擬された人さし指がそれを制す。
 だれかが背後に立つ。背の高い男。
 そいつの片手が独立し、臀部を重点的になでまわす不自然で奇妙な動きを始める。
 痴漢。長年の経験で直感する。
 「やめてください」
 相手にだけ聞こえる声できっぱり意思表示、牽制。断固たる態度で拒否。
 だけど相手は聞かず、ぼくの尻に手をやって、さわさわと触りだす。
 またか。
 知らずため息が漏れる。
 自慢じゃないけど、中学の頃から毎日のように痴漢に遭ってきた。
 今さら尻をもまれたくらいで驚かないが、今回は事情が違う。
 この前、外回りの最中に先輩が痴漢に遭った。
 乗りこむ際に引き離されたぼくは、間抜けにも、電車が出発してだいぶ経つまで先輩が痴漢されてるのに気付かなかった。
 同じ車両に乗り込んでいたのに、ほんの十メートル先で先輩が屈辱と羞恥に耐えている事にさえ気付かずにいたのだ。
 そいつは狡猾かつ大胆な常習犯で、尻を揉むだけじゃ飽き足らずズボンの中、さらには後ろにも指を入れてきたという。
 先輩の様子がおかしいのには気付いていた。
 吊り革をぎゅっと掴んで、下唇を噛んで、赤い顔で俯いていた。
 最初、ぼくはドアのそばにいて、痴漢の姿は死角に入っていた。
 だから気付くのが遅れた。
 先輩の異常を悟りながら、気分でも悪いのかなと見当違いな心配をしていた自分に殺意さえ湧く。
 先輩の息が上擦り始めて、眼鏡のむこうの双眸が潤み始めて、助けを求めるように切迫した視線が行き来して。

 『ちさと』
 声が聞こえた。

 ぼくは超能力者でもなんでもない、だけど聞こえた、助けを呼ぶ声が。脳裏に直接響いた。
 プライドの高い先輩は声に出しては絶対助けを求めない、だけど確かにぼくを呼んだ、たぶん無意識に無自覚に、追い詰められ煽り立てられ無音で口を動かした。
 ちさと、と。
 瞬間、感電したようにすべてを理解した。
 先輩は世界で一番大嫌いで憎いはずのぼくを呼ばなきゃいけない絶体絶命のピンチに陥ってる。
 先輩の後ろでもぞつく不審な人影、背後の男の動きに合わせ先輩が身を揺する、よく見れば男の手はズボンの中に突っ込まれてる、先輩は吊り革を力の限り引っ張ってどうにか男を引き離そうともがく。
 電車が次の駅に到着、ドアが開いて客がなだれ出すと同時に行く手を塞ぐ人を突き飛ばし先輩のもとへと駆けた。
 気付けばそいつを引きずり出し、先輩を辱めた右手を踏みにじっていた。 
 『もういい、やめろ千里!!』
 先輩が間一髪止めに入らなければあいつを線路に突き落としてただろう。
 ぼく以外の人間が先輩に触れるなんて許せない。先輩に酷いことをしていいのはぼくだけだ。
 ぼくに踏まれて汚い顔で泣き喚く痴漢を思い出し、どす黒い感情が煮立つ。
 右手、二度と使い物にならなくしとくんだった。
 「……犯罪ですよ」 
 さりげなく後ろに手を回し、なれなれしく尻をさわる手首を掴む。
 小声で警告し、手に力を込める。ぼくは今すこぶる機嫌が悪い。
 コキュッとやってしまうか?
 よし、決定。
 掴んだ手首を反対側にねじらんと肩を回し―

 「とんでもない。スキンシップさ」
 耳元で囁く、声。

 「俺がいないあいだに浮気してないか、ズボンの上から締まり確かめてやろうとしただけさ」
 聞き覚えのある声。
 戦慄が襲う。冷や汗が背中を伝う。驚愕、衝撃。
 「………兄さん………どうして、アイルランドにいるはずじゃ」
 「可愛い弟に会いたくなって帰ってきた。……ってのは嘘で、あっちでの仕事がおもったより早く片付いたもんでね。一時帰国」
 振り向けない。振り向かない。

 どうして?
 なんで?
 当分もどってこないと安心してた油断してた、ようやく解放された自由になれたと思ったのに。
 懐かしい声、揶揄するような響き。

 「どうして乗ってる電車が……」
 「俺がいないあいだずっと椎名に監視させてた。気付かなかったか?お前の帰宅ルートもばっちり、何時何分何番線の電車にのるか押さえてある。はは、感動の再会を演出してみたんだけどな。びっくりしたか」
 「当たり前です……」
 平静を装うも抑えがたく語尾が震える。
 記憶の中そのままの声、軽薄な口調。
 ガタンゴトン、電車が揺れる。振動が靴裏に伝う。
 背後に立つ男がうっそりと笑う。
 「会いたかったぜ、バンリ」 
 どうしても振り向く決心がつかない、振り向く勇気をだせない。
 吐息に混じる甘ったるい葉巻の匂い、官能的に低い声。
 振り向かなくてもわかる、そこにいるのがだれか。
 声だけで足が竦む。
 振り向けばきっと、あの人がいる。
 バンリと、ぼくを下の名前で呼ぶのは一族だけだ。
 外国語の名前を発音するように、まるで誘惑するかのように、耳元で囁く。
 「遊んでやれなくて悪かったな。寂しかったろ」
 「とんでもない。あなたの顔を見ずにすんでせいせいしました」
 「お、言うようになったな」
 「アイルランドはどうでした?」
 「あっちは偏西風の影響で気候が安定してるからな、霧でじめじめしけったロンドンとは大違いさ。ビールも美味いし、なかなか悪くない国だった。エコノミスト誌の調査でもっとも住みやすい国に選出されるだけの事はある。ゲイにはあんま優しくないけど」
 唾を飲む。
 動揺に上擦りそうな声を抑し、質問。
 核心を迂回する、さりげない会話。
 ガタンゴトン電車が揺れる、隣り合う客と肘が触れ合う。

 どうして?
 なんでこんなに早く?
 帰ってくるのがはやすぎる、当分会わずにすむとおもったのに、安心してたのに。

 「……ぼくを見張らせてたんですね」
 「弟が不始末しでかさないように監視するのが兄の義務だろ?ちがうか?」
 よく言う。ただ独占したいだけのくせに。
 自分が日本を離れてる間に浮気しないか人の物にならないか、不安がってたんじゃないか。
 ぼくの独占欲の強さは兄譲りだ。
 ゆっくり深呼吸し冷静さを吸い込もうと努めるも、高鳴る動悸と比例して上昇する体温は偽れない。
 兄の手が臀部を這う、尻たぶを淫猥に掴み捏ね回す。
 周囲の人にばれないようにさりげなく、執拗に、下半身をなでまわす。
 「…………っ………やめてください……電車の中ですよ、人に見られたら」
 「お前が協力してくれればバレやしないさ」
 兄が笑う。
 「久しぶりだな、日本の電車。あっちの地下鉄は治安が悪い、よくスリが出る。俺も財布を狙われた」
 「兄さんのポケットねらうような命知らずいるとは思えませんね」
 「黄色人種はあっちじゃ食いものにされる。まあ、俺のポケットマネーをねらう悪い子は椎名がお仕置きしてくれたけど。面白いんだぜ、外人の悲鳴。アウッ、アウッて。腕の一本、二本もってかれてのたうちまわってたよ」 
 笑いながらスリを虐げる姿が、ホームで痴漢をなぶるぼくとだぶり、嫌な気分を味わう。
 「ズボンの上からじゃわかんないか」
 「兄さ……」
 「浮気してないかどうか身体検査だ」
 とんでもないことを言い出す。振り向かないから表情は分からないけど、きっと笑ってるんだろう。
 ズボンの上からスキンシップ過剰に尻を捏ね回していた手がゆっくりとじらすように移動する。
 吊り革を握り締め、俯く。
 ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 暗示でやりすごす不快な時間が自分を殺し耐え忍ぶ苦痛な時間へ変わる。
 きつく目を瞑る。じっとり汗ばむ手で吊り革を握る。
 兄さんはぼくを見張らせていた、監視していた、人を使って尾行させた。
 迂闊だった。
 どうしてすぐ気付かなかった?
 兄さんがいなくなって、やっと自由になれて、解放感に酔い痴れて普通の会社員生活満喫して、毎日が楽しくて幸せで忘れていた?
 ぼくの背に寄り添いつつ、スーツが覆う肩から腰の広範囲を視線でなめまわす。
 「まだ会社勤めなんかしてるのか。いい加減反抗期やめて、実家に帰ってこい」
 「…………成人したんだから好きにさせてください。そういう契約だったでしょう」
 知らず、懇願するような口調になる。
 ポケットに手を忍ばせつつ、兄が大げさに驚くふりをする。
 「勘当した覚えはないぞ?お前は今でも俺の弟、一族の人間だ。意地張らず頼れよ、ラクに暮らせる。そうだ、俺の秘書にならないか?いい人材さがしてたんだ」
 「椎名さんがいるじゃないですか」
 「秘書は何人いたって構わない。有能ならな」
 言葉が通じない、会話が成立しない。
 背後で動く気配。
 何をされるか警戒する。
 「―っ!」
 ひやりとした感触。
 ズボンの中に手がすべりこむ。
 ローションでぬるつく手が、直接尻に触れる。
 「……俺がいない間、どうしてた」
 「調べさせたんなら……知ってるでしょう」
 目を瞑る。そっけなくあしらう。動揺を隠す。
 吊り革を握る手が小刻みに震える、かすかな震えが腕を伝いやがて全身に広がる。
 ローションを塗した手が窄まりをくりかえしなぞり、悪寒に似て背徳的な感覚が波濤のように寄せては返す。
 じれったく爪弾く脊椎が、空気の波紋に震える音叉と化し性感を増幅する。
 「椎名に聞いた。……最近よく一緒にいるのは同僚か」
 「誰の事ですか」
 「とぼけるな」
 とぼける。白を切りとおす、ごまかす、隠し通す。
 先輩の事だけは知られたくない、知られたら何されるかわからない。
 「眼鏡をかけた、年上の。……ああいうのがタイプだったのか、お前。初めて知った。俺とぜんぜんちがうじゃないか。セフレ?」
 「違います。誤解です。せんぱ……あの人はただの会社の同僚です、兄さんが思ってるような関係じゃありません」
 「どうだか。お前は淫乱だからな……我慢、できなかったんだろ」
 必死な自己弁護。
 閉じた瞼の裏に浮かぶ先輩の顔、怒った顔、困った顔、仕方ないなあというお人よしの顔。
 人さし指が窄まりの奥をさぐる、ほじる。
 くりかえしなぞられて背筋がぞくぞくする。
 快感と悪寒が混じり合ってソドミーな性感を生む。
 「―うっ……」
 つぷ、窄まりに指の先端がめりこむ。
 人さし指が粘膜に刺さる違和感と痛みに、小さく呻きを漏らす。
 隣り合うサラリーマンが不審げにこっちを一瞥、慌てて顔を伏せる。
 「……後ろは使ってないみたいだな。処女膜が再生されてる」
 「冗談にしても悪趣味です……」
 「悪い。恥ずかしかった?」
 ひとを魅了する華やかな笑い声が耳元で弾ける。
 体内で巧みに指が蠢く。
 たっぷりローションを塗した指が、直腸の入り口付近を浅くかきまぜる。 
 「可愛い、バンリ。真っ赤」
 愛情と錯覚しそうな優しい声。
 けど、ぼくは知っている。
 この人はぼくなんか足元におよばないほどのサディストだ。
 二十三年生きてきて数え切れないほど痴漢に遭った、だけど指まで挿入された事は殆どない、せいぜい一・二回だ。
 混んだ電車の中でズボンに手を入れられ、直接尻をまさぐられる不快さにも増して、周囲にばれないかという不安と恐怖が苛む。
 「………やめてください、お願いします」
 「お前のお願い聞くの久しぶりだな」
 吐息に掠れ始めた声で懇願するも、兄は鼻で笑う。
 先輩に強制した台詞を今度は自分が言う、やめてくれと縋る。
 ガタンゴトン、車内は冷房が利いてるはずなのにとても暑い、体温調節が狂う、スーツの下に着込んだシャツが不快に湿る。
 先輩もこんな気持ちだった?

 『自分がされていやなこと人にするな』
 思い出す真面目な顔、正義感の強い顔、正論。 
 自業自得、か。

 「ぁう、あ」
 挿入した指をくじく。
 第二間接まで消えた指がもっと深く沈み、根元まで突き刺さる。
 「可愛い、千里。その声、夢にまで見た。お前の事考えて、何回もオナニーした」
 耳元に唇を寄せ、ぼくにだけ聞こえる声で囁く。
 吊り革に体重をかけぶらさがる、吊り革が軋む、後ろの動きにあわせもどかしく身を揺する、唇を噛む、尿意をこらえるように内股でもぞつく。
 前傾、痙攣、硬直、弛緩。
 「ふ………やめ、兄さ……電車の中では………」
 「相変わらず敏感な体だな。そんなに俺の指が恋しかったか?こっちは使わせてないんだろ、感度いいくせして。抱かれる方が似合うよ、お前は」
 吐息が熱く湿る。
 前立腺をピストンされ、下半身に甘い痺れが広がる。
 やめろと言って聞く人じゃない、どころかますます調子にのる、ああ、本当にぼくと似てる、そっくりだ。
 早く駅に着いてほしい、外へ出たい、兄さんから離れたい、さもないと立ったままイってしまう、拒もうが抗おうがイくまで許してくれないだろう。
 「!ぅく、」
 突然、指が抜かれる。
 吊り革に片手で掴まったまま、膝が笑い、そのままへたりこみそうになる。
 上擦る息を懸命に整えるぼくの後ろ、密着した兄さんが、ポケットからなにかを取り出してそれを窄まりに押しあてる。
 無機質なプラスチックの固まり。
 ローター。
 「…………………」
 首を振る。
 兄さんの企みを予知し、それだけはやめてくれと、絶望に凍りついた顔で切実に願う。
 振り向けない。振り向かない。
 吊り革と手のひらは汗でしっかり接着され、周囲は混み合って身動きできず、兄さんはそれをいいことにズボンの中で意地悪く手を動かす。
 「………お願いします……おもちゃは……音、」
 「電車の振動に紛れてわからないさ」
 先輩の気持ちがわかる。
 今やっと、自分がどれだけ酷いことをしたか痛感する。
 「お前のために言ってるんだ。こなしとかないとあとが辛い。……指だけじゃ足りないだろ?」
 今すぐ電車から飛び出したい、ドアをこじ開けて、開かないから窓から、走行中でも構わない線路にとびおりて逃げるんだ、さあ 
 普通の痴漢ならよかった、見知らぬ他人なら撃退できる、手首を反対側に曲げて次の駅で蹴り出してやるのに。

 相手が悪い。
 最悪だ。
 この人にだけは逆らえない、逆らったらもっと酷い事をされる。

 ローションを塗したプラスチックローターが、指でほぐされた窄まりに沈んでいく。
 「うぁ………」
 肛門に異物を挿入される。見なくても分かる、動きを感じてしまう。
 ぐいぐいと、容赦なくローターを押し込んでいく。
 「声、出すとばれるぞ」
 いつか先輩に言った台詞
 懸命に声を殺す、堪える、下肢がびくつく、冷たく固い質感のローターが腸内を押し進んでいく、むりやり窄まりをこじ開けていく、違和感と痛みと鈍い快感とがごっちゃに溶け出して下半身を熱くする、吊り革を掴んで耐える、耐え忍ぶ、忘れていた感覚、後ろを開発される感覚が生々しくよみがえって
 「……にいさ………っ、きつい……ここでは、や……言うこときくから抜いて、ください」
 朦朧とし始めた頭で許しを乞う、譲歩案を口走る。
 ばれたらどうする?
 電車の中、周囲の人は知らんぷり、気付いてない、だけど音が匂いが、ぼくの様子はおかしい、吊り革掴んで立ちっぱなし膝がもたない、こんな状態でスイッチなんか入れられたら……

 『変態』
 『俺に恥かかせて、見せしめにして、楽しいのかよ』

 ごめんなさい、先輩。
 会議中、先輩は頑張った。ローターで責め立てられながら、最後までプレゼンをやりとげた。
 プレゼン中ずっと辛そうだった、びっしょり汗をかいてるのがぼくの席からもわかった、息は上がっていた、快感と恥辱とそれでもやりとげようやりぬこうとする気概とで立ち続けた。

 ぼくは、

 「!!-あっ、」
 衝撃が来る、続けざまに。
 唐突にスイッチが入る。
 体内の奥深く、前立腺の近くまで押し込まれたローターが電動の唸りを発し暴れだす。
 隣に立つ会社員が不思議そうにこっちを見る。
 立ち眩み膝をつきかけ、腕がぱんぱんに腫れるまで自重を委ね吊り革にすがり、辛うじて前のめりの姿勢を保つ。
 尻に物を挟んだまま立つだけで前立腺に刺激がおくりこまれるというのに、ローターが微弱に振動するせいで、凄まじい快感が襲い来る。
 「………ふっ……ぁ、ぅく……に、さ、やめ……とめて、弱くして………くださ……」
 ひさしぶりにくらうローターの味は強烈だった。
 プラスチックの卵が腹の中で振動する、粘膜を攪拌する、前立腺を徹底し苛め抜く。
 人が沢山いる状況で、逃げも隠れもできない状況で、衆人環視の走る密室の中で……
 隣の人がちらちらこっちを見る、様子がおかしいと怪しむ、顔を伏せる、深く伏せる、耳朶が充血する、顔が紅潮する、前が固くなる、吊り革を揺すって戦慄く。
 「あっ、あう、ふあ」
 「騒ぐな」
 後ろからのびた手が口を塞ぐ。
 首の後ろを息の湿り気がなでる。
 密着した股間の勃起が、ローターで震える窄まりを律動を刻み突き上げる。
 自制できず抑制できず暴走する、暴発しそうになる、後ろに寄り添った兄さんが電車の振動に合わせズボンの勃起を擦りつける、内と外から同時に刺激が送り込まれ窄まりが収縮、ローターの振動が一段と強く激しくなる。
 「ふ…………、ふむ、ふあ、ふぐ」
 「次で降りるぞ。ホテル予約してあるんだ。……どのみちもうもたないだろ、お前」
 今にもへたりこみそうなぼくを後ろから抱きしめ、兄さんは……
 千里有里はサディスティックに笑った。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230458 | 編集

 「兄弟再会を祝し乾杯」
 テーブルの中央でふたつのグラスがぶつかりあい、研ぎ澄まされた音が弾ける。
 某有名ホテルの一階に入った高級レストランは完全予約制。
 内装にこだわった店内には歓談に興じる紳士淑女の華やかなざわめきが満ちる。
 お仕着せを着た給仕が粛々とワゴンを運んできてお辞儀。
 手際よく栓を抜き、兄さんが干したグラスに宝石を溶かしこんだような液体を注ぐ。
 下僕に傅かれる姿がひどく絵になる人というのが第一印象。
 されど彼は博愛の王子でなく、足の組み方ひとつとっても生来の気位あふれる傲慢な暴君。
 兄さんは奉仕の享受に慣れている。
 人に奉仕されるのが日常だからいちいち感謝の念なんか抱かない。
 兄さんのまわりには多くの人が集まる。
 ぼくが思い出す兄さんは、いつもまわりに人を侍らしご機嫌に笑っていた。
 そう、今日みたいに。
 グラスの中で不安定に波打つワインを見つめる。
 グラスの水面越しに透かし見た兄さんは、悪名高きチェシャ猫のように目を細めて笑う。
 「お前のために予約したんだ。いい店だろう」
 深呼吸し、かすかに震える手でグラスを持ち、口をつける。
 味なんて殆どわからないが、世辞を言う。
 「……美味しいですね」
 「だろう?モントレーシャルドネ、めずらしいアメリカ産の白ワイン。酸はなめらかで、果実の香りが口の中で広がる。バタートーストの香りが特徴。魚にはやっぱ白だよな」
 すらすら流暢に解説し、社交上の博識を披露する。
 飲みたくもないワインに申し訳に口をつけながら、対面の兄さんを観察する。
 千里有里。ぼくの兄。
 といっても、血は半分しか繋がってない異母兄。
 顔はあまり似てない。
 ぼくは死んだ母親似、兄さんは父親似。
 こうしてひとつのテーブルでワインを飲み交わしていても兄弟だと気付く人は少ないだろう。
 千里有里は優秀な男だ。
 若くして財閥の系列の会社を任され、現在は社長の地位にある。
 多忙で世界中を飛び回っていて、日本にはめったに帰ってこない。現在売り出し中の若社長という事と秀麗なルックスが相まって話題を呼び、国内外の経済誌にたびたび取り上げられる。
 疎遠でいた間、忘れていたコンプレックスがじくじくと膿んで疼く。
 涼しげな切れ長の目を細め、熱烈な注目と称賛を浴び慣れた手振りで嘯く。
 「元気そうで安心したよ、バンリ。寂しがってるんじゃないか心配した」
 「自意識過剰です。電車の中でも言いましたけど、あなたがいなくなってほっとしました」 
 「痩せ我慢するなよ。うちに来たばかりの頃はよく泣いてたじゃないか。あの頃は可愛かった。兄さん兄さんて懐いて甘えてきて……」
 「やめてください、愚にもつかない昔話は」
 「恥ずかしいか?久しぶりに会ったんだ、思い出話に華を咲かせようぜ」
 子供の頃の思い出。
 兄さんの冗談めかした言葉が呼び水となって次々と蘇る。
 ぼくが泣いてると慰めてくれた、絵本を読んでくれた、一緒に遊んでくれた。

 優しい兄さん。
 なんでもできる兄さん。
 それが虚像だと気付くのに、しばらくかかった。

 兄さんは豪快にワインを飲む。
 右手に預けたグラスを緩慢に弄びつつ、秀麗な貌にそぐわぬ下劣な笑みを浮かべる。
 「会社はどうだ。慣れたか。ちゃんと猫かぶってるか?まわりの連中は知らないんだろ、お前の正体」
 「……言う必要感じませんから」
 「レベルの低い連中に合わせてやるのは大変じゃないか?同情するよ」
 職場の人間には出自を話してない。
 ぼくの生い立ちは秘密だ。ばれたら会社にいられなくなる。
 兄さんは面白そうにほくそえみ、唇を噛んで俯くぼくをじろじろ眺める。
 粘着で不愉快な視線にさらされ、頬の温度が上昇する。
 「社会勉強か?」
 意外な台詞に顔を上げる。
 正面、グラスを回しながら兄さんがにこやかに口を開く。
 「一・二年勤めてやめるつもりなら構わない、大目に見てやる。若いうちは使われる側の気持ちになってみるのもいい。俺はごめんだけど」
 「兄さんらしいですね」
 「くだらないじゃないか」
 「銀の匙を咥えて生まれてきた人にはわからないでしょうけど」
 「俺がしゃぶった匙にはたっぷりと蜜がのっていた」
 「……今の会社をやめるつもりはありません」
 きっぱり断言し、挑むように兄さんの目を見据える。緊張の一瞬。
 「今の職場は居心地良くて気に入ってるんです。皆いい人ばかりだし、仕事にもやり甲斐を感じる。できるものならずっと勤めていたい……自分がどこまで出来るか試したいんです」
 「ご高説どうも。青くさいね」
 ふざけて拍手のまねをする。
 わざとらしく手を叩くやふと笑みを消し、挑発的な眼光で指摘する。
 「たかが営業だろ?そんなにこだわる仕事とは思えないな。意地を張らずに帰ってこい、可愛い弟のために最高のポストを用意して待ってるこっちの身になれ、下にしめしがつかない。いつまで椅子を空けとくつもりだ?」
 「営業は奥が深いんです。まだまだ学びたい事もあるし」
 仕事を馬鹿にされた腹立たしさと軽んじられた怒りとで声が尖る。
 だけど兄さんは、ぼくの態度を虚勢だと決めつけて真剣に取り合おうとしない。
 ナイフの腹でグラスのふちを叩き、悪戯っぽくぼくをねめつける。
 「いつになったら俺の匙をしゃぶってくれる?」
 「死んでもごめんです」
 この人の庇護は受けたくない。
 要求される見返りが大きすぎる、もう自分の人生を犠牲にしたくない。
 椅子にふんぞりかえってワインを一口嚥下、傷心のため息を吐く。
 「大学出たら帰ってくるんじゃなかったのか」
 「そんなこと一言も言った覚えありませんが」
 「勝手に就職決めちまうんだもんな。薄情なやつだ」
 「そっちこそ、成人したら籍を抜いてくれるって……父さんに話を通してくれるって」
 「色々めんどくさいんだよ、法律関係は」
 「嘘つきですね」
 「知ってるかバンリ。信用は金で買える、でも血じゃ買えない。つけくわえるなら、俺は俺の物を手放す気がない。やなこった。とんでもない。だって俺の物じゃん」
 「正当化するつもりですか」
 「誠意が伝わらなくて哀しいよ。お前のためを思って言ってるのに」 
 弟の意固地さを嘆く、物分りよい兄の演技。
 唇を噛む。
 ボーイが前菜を持ってくる。
 盆を上げて大皿の前菜をしずしずと取り分け、お辞儀をして去っていく。
 「!!―あっ、」
 来た。
 「どうなさいました?お加減でも悪いのでは」
 「……なんでもありません、気にしないでください……」
 「味つけがお気に召さなかったのでは」
 「違います、本当に……美味しいです……」
 疑わしげなボーイを追い払う。
 味なんかろくにわからない、せっかくの本格フランス料理を味わう余裕もない。
 下半身に甘美な痺れが広がる、電車内で挿入されたローターが唸る、電車を降り駅前に停められた車に乗りこみホテルに来るまで来てからもずっとローターは入りっぱなし、ランダムで動き続けて一瞬たりとも気がぬけない。
 正面の兄さんが意地悪くにやつき、ポケットに手を忍ばせ、リモコンを操作する。
 ボーイが給仕にやってきたのを見計らって突然振動を強くされ、沸々とこみ上げる快感を堪えるあまり、不自然な前傾を余儀なくされる。
 膝をしきりに擦り合わせびくつく、傍らに立つボーイが当惑顔でぼくを見る、視線を感じ横顔が火照る、その間もローターは止まらず前立腺を揺すりたてる、音が聞こえないか漏れないか不安が苛む、視姦の恥辱で全身が燃え立つ、膝にぎりぎりと指が食いこむ痛みで自我を保つ。
 「遠慮せず食え、バンリ。俺のおごりだ。気に入らないなら取り替えるけど?」
 「……いただきます」
 すべてを知った上で兄さんは愉快げに促す。
 逆らえるわけがない。
 フォークで刺した前菜を口に運び、咀嚼し、嚥下。
 砂を噛むように味けない。
 異物が喉を通っていく感覚がひどく不快で、もとからない食欲がさらに減退する。
 兄さんの監視とボーイの傍観のもと、努めて平静を装い、冷静な演技をし、極端に緩慢な動作で前菜を切り分ける。
 「……っ…………ふ、」
 なんでもないふりをしろ、平静を装え、全力で。
 動揺を表に出すな、悟られるな、全力でごまかせ。
 ボーイが首を傾げる。
 上品な笑い声と話し声、空疎なざわめきが華やかにライトアップされた店内を満たす。
 盛装した男女が豪勢な料理に舌鼓を打つレストランで、ぼくはひどく浮いている。
 円卓を挟み向き合う兄さんが、唇についたソースを親指で拭う。
 「行儀悪い。スーツに汁がとんでる。もうちょっとキレイに食べられないのか?」 
 相変わらず子供だなとからかう兄さんに、ボーイがそつなく相槌を打つ。
 淡白な舌平目のソテーにフォークを突き刺しソースを絡め、口に運ぶ。
 食卓にならぶ料理は本当に美味で、盛りつけも美しく目を楽しませ食欲をそそる。
 悪趣味な玩具が今も体内に残っていなければ、こうして座ってる間中前立腺に刺激を送りこんでこなければ、お世辞じゃなくて心から賛辞の送りたい。
 こんな状態で料理を味わえというほうが無茶だ、食事を楽しむなんて不可能だ。
 不満は顔に出さず、できるだけソースをはねちらかさぬよう気を配り、フォークとナイフを機械的に行き来させる。
 「は………んく」
 嚥下に伴う喉の動きだけで力を使い果たす。
 滑らかとは到底いえぬナイフさばき。
 フォークがかちゃかちゃ小刻みに皿とふれあう。
 唇が脂とソースでねとつく。
 咀嚼と嚥下を繰り返しながら、どうかそれ以上よらないでくれと何も知らないボーイに願う。
 前菜の皿を半分ほど食べ終えた時、今までと比較にならない衝撃が襲う。
 「!!-っひ、」
 ナイフとフォークを落とす。
 狂ったように前立腺を揺すりたてるローター、強烈な振動が尾てい骨を痺れさせ全身に波紋を広げる、たまらず円卓に突っ伏す、テーブルクロスを握り締め掻き毟って声を殺す、皺くちゃのクロスに顔を埋める、膝が笑う、がくがくと震える、背筋を正そうと精一杯努力する、何回も深呼吸しどうにか上体を起こすのに成功したそばから笑い声が爆ぜる。
 「お行儀悪いぞ、バンリ。どうしたんだ」
 ボーイが即座にナイフとフォークを拾おうとするのを兄さんが優雅に制す。
 「結構。弟に拾わせます」 
 「え?」
 「うちの躾なのでお気になさらず。自分が落としたものは自分で拾うのが常識でしょう。なんでも人がやってくれると甘えて癖になりますから」
 よく言う、自分の事じゃないか。
 自分は身のまわりのことすべて他人にさせてるくせに。性欲処理まで。
 成人済みの男に対し平然と放たれた「躾」「甘え」の単語に、さすがのボーイも引く。
 戸惑うボーイを片手でいなし、わざと怖い顔でクロスに突っ伏すぼくへと向き直る。
 「拾え」
 腹が熱い、どろどろに溶けていく、ぐちゃぐちゃのどろどろにかきまぜられてわけわからなくなる。
 二回生唾を飲み、表情をださぬよう用心し、従順な返事を返す。
 「………はい」
 観念し、慎重に席から滑り落ちる。
 最初は膝から、ついで手のひらを這わせる。
 「くっ………」
 四つんばいになったせいで腸内の異物がずるりとすべり、それだけで達してしまいそうになる。
 スーツ姿で這い蹲り、床に手を這わせ、落とし物をさがす。
 這いずるたびこまめに強弱を調節されるローターがずれ動き窄まりが収縮、内から炙られるもどかしさが苛む。
 寄せては返す波のように忍び笑いが沸き立つ。
 炭酸の泡の如く弾けるざわめきが遠のく。
 レストランに集った人々はぼくの体内のローターの存在など知らない、悪趣味なおもちゃをはめ込まれて跪かされてるなんて知らない。
 晒し者、見世物、食事の合間の余興。
 ちらりと上目でうかがえば兄さんは洗練されたナイフさばきでソテーを切り分け口に運びながら飼い犬の芸を眺めるように弟の醜態を見下ろす、時折ワインで口直し給仕に顎をしゃくり空き皿を下げさせる。
 「うくっ……」
 膝に自重がかかる、今にも挫けそうな腕を懸命に支える、毛穴から沸々と脂汗が滲む。
 下腹が熱い、前がきつい、もどかしい、ローターが唸る、弱く―強く―弱く、振動が不規則に切り替わる、めちゃくちゃに攪拌され思考が朦朧と霞んでいく。
 唇を噛み声を殺す、喘ぎ声なんて漏らしたら聞かれたら生きてけない、これ以上を恥をかくのはごめんだ、兄さんが見てる、人前でイきたくない、先輩だって久住さんだって頑張ったんだ、ぼくにもできる、へこたれてどうする。
 さっさと拾って席に戻ろう、早く食事をすまそう。
 フォークはテーブルの下にもぐりこんでる。
 テーブルクロスのカーテンをかきわけ、下に頭を突っ込む。
 あった。
 安堵の息を吐く。
 これで救われる、許してもらえる、やっと。
 フォークとナイフは向こう側、兄さんの足元に転がってる。早くとって、拾って……
 ナイフを掴むと同時に、激痛。
 「痛あっぐ!」
 黒い光沢の革靴が、手の甲をおもいっきり踏みにじる。
 兄さんの靴。
 兄さんは引かない、ひっこめない、クロスの下で何が起こってるか周囲には見えないボーイにも客にも見えない兄さんはそれをいいことにぼくの手をぎりぎり踏みにじる。
 「どうした?早く拾って席にもどれ、料理が冷めちまう」
 親切ごかして忠告するも、足は相変わらず手を踏み付けたまま。
 ナイフを強く強く握り締める握りこむ、激痛に耐える、ローターの振動がまた強く―最大に―
 「兄さんっ……………」
 自由な方の手で兄さんの膝を掴んで縋る、プライドを捨てしがみ付く、懇願する。
 「腹が減ったんだ、俺は」
 「お願いです、足……手から、どかし……」
 固い靴裏を容赦なく手の甲にねじりこむ、皮膚が引き攣る痛みに顔が歪む、濁った呻きがこぼれる。
 いっそ、刺してしまおう。
 物騒な考えが朦朧とした頭にしのびこむ。殺意が芽生える。
 手の震えが伝わりナイフの切っ先がかちゃかちゃ床を叩く、下半身が熱い、思考がまともに働かない、前立腺を揺すりたてるローターの動きが全身に広がって火照って火照ってしょうがない、今すぐ下着をおろして前をしごきたい、イきたいだしたい射精したい、もう限界だ、だれか、兄さん……
 「兄さん、お願いします、もう……」
 兄さんが鼻白み、ぼくの手に乗せた足をどかす。
 「!!!ひあっ、ぅ」
 汚れた靴裏で、勃起した股間を軽く押す。
 肩がテーブルの脚にぶつかり、ごとんと鈍い音がする。
 卓上のワインが倒れ、白い液体がみるみるクロスに染みていく。
 椅子に腰掛けた兄さんの膝に身を投げ出したぼくの頭上にも、大量に降り注ぐ。
 髪の先からぼたぼた雫が滴る、顔が濡れて気持ち悪い、兄さんがポケットから手を抜く、下半身の震えが少しだけ弱まってまた射精の瞬間が遠のく。
 「大丈夫ですか!?」
 「仕方ない。飯どころじゃないな、これじゃ」
 フォークとナイフを食べかけの皿に投げ出し、嘆かわしげに席を立つ。
 無理矢理ぼくの腕を引っ張り立ち上がらせるや、ワインに濡れそぼった髪に指をいれかきまわす。
 「後始末お願いします」
 「あの、大丈夫ですか?弟さん、顔が赤いようですが熱でもあるんじゃ……」
 「大した事ありません。上の部屋で休めばじき治ります。……どうも酔ったみたいだ。アルコール弱いんですよ、むかしから」
 当店では受け取れない規則ですので、と恐縮するボーイにチップを渡し、強引にぼくをひきずってレストランをでる。
 「ぅあ、あ、ぅっく、」
 大股に歩く兄さんにぐいと腕を引かれ足が縺れる、もたつく、けっつまずく。
 踵を突くごと下半身をずくんと突き上げる衝撃に翻弄され、息が切れる。
 客の不審げなまなざしに追い立てられ、逃げるようにレストランを出て、多くの宿泊客で賑わう広壮なエントランスホールを抜けてエレベーターにのりこむ。
 ワインを吸ったシャツがへばりつき体がべとつく。
 ドアが閉まり、エレベーターが一揺れしたのち円滑に上昇を開始。
 「兄さん、おねがいします……っ、も、くるし……これ、とってください、はずしくてください」
 壁に背中を預けるようにしてなんとか姿勢を保ち、兄さんの手を自分の股間へと導く。
 車の中でコックリングを嵌められた。
 後ろをさんざんローターで嬲られながら、前は金属のリングで塞き止められイけない苦しみは尋常じゃない。
 真実、発狂しそうなほどの苦しみ。
 「行儀が悪いぞバンリ。エレベーターの中でイきたいのか?後始末する人間の事も考えろ」
 「痛ッ……もうもたない、早く……」
 「俺の手が欲しいのか。夢中で股間にこすりつけて、腰ふって、足踏みして……」 
 兄さんの手をとり、律動を刻んで股間に押しつける。
 「どうしてほしいか言えよ」
 「はずして、とって……ローター、リングも……立ってるの、辛い、んです、膝が……」
 「下だけ脱いでオナニーするか。人がのってきたらどうする?フロントに通報されるぞ。弟が変質者として突き出されたら哀しいな」
 わかっていてとぼける、しらをきる、じらす。
 耐え切れず腰を揺する、兄さんの手を借りて火照りをもてあました股間を慰撫する、浅ましく腰を揺すり他人の手で自慰にふけるぼくを兄さんは勝ち誇って見下す、死ぬほどみじめで泣きたくなる。
 「もう少しだから。部屋に着くまで我慢しろ」
 ドアが開く。
 兄さんに引きずられ廊下に出る、歩く、ドアの横に長身痩躯の黒背広が控える。
 「有里さま。万里さま」
 「鍵を貸せ、椎名。終わったら呼ぶから、いいって言うまで入るなよ」
 「畏まりました」
 黒服の男の名は椎名。兄さんの有能な秘書で忠実な下僕。ぼくとも顔見知りだ。
 「椎名さん………前も言ったけど、ぼくはさんか呼び捨てでいいですって」
 「いえ、そういうわけにはいきません。けじめはつけないと」
 椎名が申し訳なさそうな顔をする。
 「お久しぶりです。お元気そう……には見えないですね」
 白々しい。全部計画通りのくせに。
 「監視してたんですね……気付かなかった。いつからですか。家を出て、一人暮らし始めてからずっと?」
 「一年ほど前から。有里さまのお言いつけで」
 椎名。小さい頃はよく遊んでもらった。
 兄とは同い年の友達同士だった。
 主従関係に変わったのはふたりが中学に上がってから。
 二人の間に何があったかは知らない。
 椎名は薄く灰色がかった眼鏡をかけているが、視力は悪くない。
 あの眼鏡は右の眉尻の傷を隠すためだ。
 兄さんがつけた、傷。
 「立派な犬ですね」
 薄く笑うぼくに、椎名は沈痛な面持ちを守る。同情されるのが一番癪だ。
 兄さんは椎名から受け取ったキーでドアを開錠する。
 「入れ」
 奴隷の足取りで中へ入る。
 最後に振り向けば、閉まりゆくドアのむこうで椎名が慇懃に頭を下げていた。
 ドアが閉じる音が無慈悲に響く。
 最上階のスイートルーム。
 一面強化ガラス張りの窓からは、陳腐な比喩だけど、ダイヤモンドを砕いて散りばめたような夜景が一望できる。
 窓の外には都心の高層ビル群、近代建築の粋を凝らした絢爛な摩天楼。
 床に敷かれた毛足の長い絨毯が靴音を吸いこむ。
 一晩借りるだけで会社員の安月給なんかたちまち吹っ飛びそうな、無駄に豪華で広い部屋。
 「見栄っ張りですね、相変わらず。こんな部屋とらなくたっていいのに」
 「雰囲気だしたくてさ」
 ワインレッドのソファーに身を投げ出し足を組む。
 のろのろと進み、前に来る。立ち止まる。立ち尽くす。
 「お前のせいでせっかくの夕食が台無しだ。まだぜんぜん飲み足りないのに……どう責任とってくれる?」
 「兄さんこそ、クリーニング代請求しますよ」
 「強がり言うなよ。……欲しいんだろ。どうすればいいかわかるよな」
 意地悪く笑う。組んだ足の先がぶらつく。
 今すぐズボンをおろしたい下着を脱ぎたい悪趣味なリングを外しておもいきりしごきたい射精したい、だけどそれは許せない、許可なくそんなことをしたら恐ろしい罰が待つ。
 ぼくの葛藤と苦悩さえ楽しむように、兄さんが腕をのばし、傍らのテーブルからルームサービルのワインをひったくる。
 ワインオープナーをコルク栓にさしこんで開封後、華奢なグラスをとって中身を注ぐ。
 「さっきは白、今度は赤。口直しといくか」
 ワインのふちをこえてあふれそうな赤い液体をじっと見つめる。
 ワインを飲む兄さんをじっと見詰め、深くうなだれて、口を開く。
 「シャワー浴びさせてください」
 「ご奉仕させてくださいだろ」
 前髪の先からぽたぽた雫が滴る。
 スーツがしみになるなと、妙に冷めた頭の片隅で考える。
 兄さんがテーブルに手をのばし、ワインの付け合せとして銀のアンティーク小皿に盛られたジャムを指ですくい、口にはこぶ。
 人さし指にねっとり舌を絡める。
 ワインのつまみにジャムを舐めつつ、悪戯を思いついたように無邪気に笑う。
 「屈め」
 言われた通りに、する。跪く。
 ジャムを塗した人さし指が唇の上下をしつこくなぞり、口をこじ開けもぐりこんでくる。
 「どうだ、味は?甘いもの好きだろう、お前。ちゃんと覚えてるんだ、弟の好み」
 「……胸焼けします……」
 「舌を使え」
 命令に従う。不器用に、おずおずと、指先をなめる。それで許してくれるはずがない。
 「かはっ、」
 喉の奥まで指を突っ込まれ激しくえずく。ジャムをまぶした指が口の中をさまよう、かきまぜる、這い回る。歯の裏側舌の裏側頬の裏側、口腔の粘膜をすみずみまで犯されぞくぞくする。甘ったるく濃厚なジャムの味が広がり胸が焼け付く。
 兄さんの指を夢中で舐める、丁寧にしゃぶる、しゃぶり尽くす。さぼらずに、ごまかさずに、一心不乱になめる。唾液をこねる音も卑猥に泡立て、もっともっととお代わりをねだれば、小皿からすくいとったジャムが舌の上に落とされ、濃縮された甘みが広がる。
 「あふ、は、はふ」
 「思い出したか、俺の味」
 可愛いバンリと、耳元で囁く。
 後ろの窄まりで唸り動き続けるローターが直腸を攪拌し前立腺に刺激をおくりこむ、前はリングで締め付けられて射精させてもらえず高めるだけ高められた火照りの捌け口をなくして切なさが募る、イきたい、イかせてほしい、その一心で無意識に兄のベルトを外す。
 ズボンごと下着をおろす。兄さんは時折思い出したように小皿からジャムをすくいぼくの口元に持ってくる、それを舌で舐めとる、傍ら手を動かし勃起したペニスをまさぐる、根元を掴んでしごく、最初は手で。次第に感覚を取り戻す、思い出す。
 イきたい、それしか考えられない、自分を慰めたい、どうにもならない火照りを冷ましたい。
 兄さんが足でぼくの股間を気まぐれに揉む、刺激する、マッサージする、リングで縛られた状態での刺激は拷問でしかない、激痛しか生まない、だけどそれが裏返って被虐的な快感になる。
 ジャムで甘ったるくべとつく口を窄め、ペニスを含む。
 夢中でペニスをしゃぶる、フェラチオする、奉仕する、兄さんの股間に顔を埋め手と口と舌で技巧をこらし快感を高め射精に導く、先端を含み転がす、裏筋をなであげる、陰嚢を手で包み揉む、時々前髪からワインの雫がたれて目に入る、ペニスの表面で弾ける。
 頭の中で飛び回る機械の羽音、窄まりの奥深く埋め込まれたローターが発する唸りがドロドロに体を煮溶かし汗と吸いきれない先走りとで下着がぐっしょり湿る。
 ペニスを含む口の端にジャムを付けた指がもぐりこむ、頬の内側にジャムを塗る、べたべた塗りたくる。
 「兄さ、イきた、い、もう無理……手使うの、許してください、せめてローターとめて、ぐちゃぐちゃで……も、やあ」
 先輩もこんな気持ちだったんだろうか、こんなに苦しんだんだろうか、酷いことをした、後悔したって反省したって謝罪したって手遅れだ、だけどぼくはああいうやりかたしか知らない、教えてもらってない、快楽を教え込んで心を縛る方法しか学んでない。
 絨毯の上で腹を庇い身を丸める、びくびくと痙攣が襲う、びくつきひくつく、イきたいのにイけず極限の苦痛を舐める。
 兄さんが傍らのテーブルから何かを取り上げる。大判の封筒。
 中にしまってあった束をとりだし、腕の一振りで天井高くばらまく。
 それは、写真。
 被写体はすべて同じ人。共通の人物。
 無数の写真が空を舞う、腹を抱え突っ伏すぼくのまわりにばらけて降り注ぐ、なにげなく目で追って驚愕。
 「誰だ、こいつ」
 ソファーにふんぞりかえった兄さんが、抑制の利いた口調と穏やかな顔つきで問う。
 何十枚、何百枚はあろうかという写真には全て先輩が映っていた。
 どれも盗み撮りしたものらしく、被写体は自分を狙うカメラに気付いてない。
 駅で電車を待つところを撮ったもの、道を歩きながら携帯をチラ見するところを撮ったもの、近所のコンビニにぶらり私服で出かけるところを撮ったもの、フィギュア付き缶コーヒーを真剣に選ぶところ、立ち食いそばを啜るところ……
 全部、全部、先輩だ。久住さんだ。
 何枚かは僕と一緒だった、ぼくも映っていた、隣に寄り添っていた。
 先輩は決まって迷惑そうな顔でぼくは嬉しそうに微笑んで、
 「ずいぶん仲良さそうだけど」
 「ただの同僚、先輩です。なんでもありません」
 「一緒に行動してる」
 「外回りで組むこと多くて、ぼくまだ一年足らずの新人だしお目付け役で、しかたなく」
 「名前は」
 「……関係ありません、兄さんに……」
 ローターが最大に、腹の奥で衝撃が炸裂、言いかけた台詞が喉に詰まって嗚咽に濁りゆく。
 絨毯でのたうつぼくを冷ややかに見つめ、兄さんがすらすらそらんじる。
 「久住宏澄、二十五歳。N大卒。出身茨城、A型、九月二十一日生。中学は将棋部、高校も同じく。マイナー好みか?現在吉祥寺の独身者用マンション美晴コーポで一人暮らし、彼女に振られて傷心中……趣味は読書とレンタルDVD鑑賞と食玩集め。こんな男のどこがいいんだ?」
 絶望で目の前が暮れていく。
 ぼくが必死で隠し通そうとしたことを、すでに兄さんは知っていた。
 ぼくも知らない情報を完全に把握していた。
 絨毯の上に舞い落ちた写真を一枚拾い上げ、退屈そうにひらつかせ、とどめに先輩の顔を弾く。
 「お前には釣りあわない。ただの会社員じゃないか、スーツも顔も安っぽい」
 「ちがう、そんなんじゃ……先輩、久住さんは違う、兄さんが思ってるようなのじゃ……ほんとにただの職場の同僚で……」
 動揺に縺れる舌で弁解する、ごまかす、嘘を吐く。
 兄さんがぼくの前に写真を投げ出す。
 「じゃあ破け」
 「え?」
 「どうでもいいヤツなら破けるだろう」
 目を瞑る。開く。手のひらがじっとり汗ばむ。
 兄さんは面白がってこっちを観察してる、ぼくの行動をさぐっている。
 先輩の写真を破く。できるはずだ。簡単だ。
 震える手を写真にのばし、やっとの思いで引き寄せる。
 「どうした、早く。できないのか」
 兄さんの前に跪き、写真の真ん中あたりに両手を添える。
 乱れた呼吸を整えて、生唾を飲む。
 写真の先輩は笑ってる。
 珍しい、ぼくにはめったに見せてくれない笑顔。ずっとずっと、ぼくが見たかった笑顔。
 受付嬢と雑談してるところを撮ったもので、先輩は自分を付けねらうカメラの存在も知らず、柔和な笑みを見せている。
 「早く」
 一気に写真を破く。
 先輩の笑顔がまっぷたつに裂ける。
 「はあっ、はっ、は……」
 仕方ない、だってこうしないと騙せない、納得してくれない。
 「もっと」
 「もういいじゃないですか、意味ない、こんなことしたって……」
 「もっとだ。ラクになりたいんだろ、バンリ。それ、抜いてほしいんだろ」
 唇を噛む。片っ端から写真を拾って破く、次第に心が麻痺していく、破きたくないと叫ぶ心を封じてひたすら手を動かす、苦しい、ラクになりたい、自分の手で先輩を破く、引き裂く、蹂躙する、一枚引き裂くごとに自分の心臓を破く気がした、ぼくの汗とワインの雫とが表面におちて写真がふやける、唇を噛む、噛み縛る、破く、ごめんなさい、しかたない、こうでもしないと兄さんは邪推する、ぼくが必死になって隠してる本当の気持ちを見抜く、好きだってバレたら……
 「言うとおりにしました」
 無残に引き裂かれた写真の残骸が絨毯のあちこちに散らばる。
 自分の手で切り裂いた、ぼくの心臓の残骸が散らばる。
 絨毯の真ん中に虚脱してへたりこむ。兄さんがソファーを立ってやってくる、ぼくの背広を脱がす、ワインを吸って皮膚を透かすシャツをじろじろ見る。
 「乳首勃ってる。感じすぎだよ、お前」 
 腕を掴み立たせる。
 兄さんが歩く、窓辺にひきずられる、都会のきらびやかな夜景が視界一杯に広がる。
 衛星と交信するように高層ビルのネオンが瞬く。
 はるか眼下に敷かれた環状道路をテールランプの残光曳いて自動車の列が流れる。
 「手をつけ」
 「いやです、ここは……窓、外から見えたらどうするんですか」
 「この距離と高さじゃわからないさ。向かいのビルからならひょっとしたら見えるかもしれないけど」
 「ベッドかソファーで、あう!」
 両腕を後ろで一本にまとめ捻られる。
 片手でぼくの腕を拘束し、もう一方の手でベルトをずらしズボンごと下着をおろす。
 外気に晒された下半身がひやりとする。
 リングで戒められたペニスが勢いよく跳ね上がり、鈴口に透明な先走りが滲む。
 「兄さ、」
 「いやなら椎名を呼ぶ。椎名の前で犯されるのとここで犯されるのどっちがいい、お前の好きなほうでしてやる」
 ずるい。反則だ。そんなの選べない。
 「あう、は、や……うあ、あうぐ、あっあああっあ!」 
 兄さんの手が双丘を直接掴んでねっとり淫猥に捏ね回す、円を描くように濃厚な愛撫に窄まりが収縮する、ローターのコードが垂れる孔に指を突っ込んでプラスチックの卵を中からゆっくり掻き出す。
 赤く勃起したペニスから大量の先走りがあふれて糸を引く、兄さんの指が中を抉るたび前も連動して震えわななく。
 窓ガラスに肩でもたれて息をする、熱い吐息でガラスが白く曇る、解き放たれた手を窓に付いて今にも崩れ落ちそうな体を辛うじて支える。
 「どっちがいい?椎名も仲間にいれてやるか、外で立ちっぱなしじゃかわいそうだし。あいつ今頃お預けくらって泣いてるぜ」
 「ちが、やめ、いいです、こっちで」
 「こっちで?なんだ?どうしてほしい?」
 「こっちで、犯してください……」
 「窓に手をついて立ちっぱなしで犯されたいのか、見られるかもしれないのに……自分がイくとこ、エロい顔、見せたいのか?露出狂め」
 「前、はずしてください、兄さ……きつ、イかせて」
 後ろから兄さんに抱かれる。兄さんはわざとじらす、すぐにローターを抜かず肛門の入り口付近をかき回す、掻き出したかとおもいきやまた深く突っ込むくりかえしでどんどん気が遠くなる。
 待ちかねた手が前にのびる、パチンと音がして根元のリングがはずれて落ちる、全身の血が尿道を駆け抜けるような熱い感覚
 「あああああああああっあああああああっああ!!」
 ぐっと力をこめローターを引き抜く、とろけきった粘膜を巻き込んで抜かれたローターに絶叫する、連動して失禁に似た熱い感覚が尿道を通り抜ける。
 窓ガラスに手を付き仰け反る、火照った額をもたせて戦慄く、足元に放り出されたローターに代わり熱く脈打つ肉が穿つ。
 「ひあっ、や、にさ、やっ、ぅく、も、きつ」
 「おかえりなさいまだ聞いてない」
 うなじを吐息の湿り気がなでる、兄さんの手が胸板をまさぐり存在を主張し始めた突起を緩急つけ抓る、窓ガラスにすがる、もたれる、ずりおちる、ローターでさんざんほぐされ感度が良くなった窄まりを容赦なく剛直が突き上げて口から涎と悲鳴が迸る。
 「言える、わけない、あなたに……顔も見たくなかった、帰ってこないでほしかった!!」
 頭ごと掴んで窓ガラスにごり押し、卑屈な前傾ポーズを強制される。
 その間も突き上げる動きはやまぬどころか激しさを増し、剛直が粘膜を練り上げて奥を突きまくる。
 「あいつとはもう関わるな。自分の立場を忘れるなよ、バンリ。お前は俺の愛玩物だろう?」
 「契約、期限、切れたのに……まだそんなこと、ぅあ、約束ちがう、自由にしてくれるって」
 「育ててやった恩を忘れるな」
 「あなたに育てられた覚えはない、千里の家には感謝してる、義母さんにも、義姉さんにも、でもあんたは別だ!!」
 快感さえ上回る憎悪が身の内に燃え広がり呪詛を吐く、きつく握りこんだ手で窓をぶつ、怒号の波動でびりびりと空気が震える。
 兄さんがぼくの腰を抱く、挿入の度合いが深まる、剛直が深々と中を抉りつま先が突っ張る。
 「………いいのか?壊しちゃうぞ」
 耳裏で囁かれた声は、ひどく酷薄で。 
 窓ガラスに映りこんだ兄さんを、慄然と見返す。細く刈り整えた眉、秀でた鼻梁、若社長よりもホストが似合う危険な色香匂い立つ容姿。
 「お前の大好きなセンパイ。久住さん、だっけ」
 「兄さん……何を」
 「俺のタイプじゃないけどさ。金さえ出せばなんでもやる連中が裏には沢山いるんだよ……」
 優しくぼくを抱擁する。お気に入りの人形でも抱くみたいな抱き方。うなじに接吻をおとし、抑揚なく続ける。
 「何年お前と付き合ってると思ってる?すぐわかったよ、写真のお前ときたらだらしなくにやけまくって……正直妬けた。俺が日本はなれてる間に勝手に好きな男作って、家を出て、ダメだろうそんなの。お前は一族の人間だ。親父だってお前に期待してた、お気に入りの息子に会社を継がせたかったのにさ」
 聞きたくない。
 「あいつとは別れろ。会社は辞めろ。家にもどってこい」
 「いやだ、」
 「そうか。それじゃあしかたない、お前の未練を全部絶つ。お前をこっち側に引き止める人も物も全部ぶち壊してやる」
 兄さんが笑う。狂気渦巻く笑み。欲望ぎらつく目。
 窓ガラスに映りこんだ顔はどこまでも端正でどこまでも狂っていて、ぼくはその虚像に向かい、弱々しく首を振る。
 「久住さんには手を出さないでください、先輩は関係ない、ほんと違う、ただの会社の同僚で、兄さんの勘違いなんです、あの人は違う、全然そうじゃない、普通に女の人が好きなんです、結婚考えて付き合ってた人もいた、兄さんが思ってるような関係じゃ……」
 「アイス買い込んでマンション行くような関係だろ?」
 「あれはお見舞いに、」 
 「袖口を握ってはなさなかった。……はは、懐かしいな。むかしむかしの、甘ったれのガキを思い出す。依存の相手乗り換えたのか?」
 見られていた。どこから?向かいのマンションの屋上?
 あの時近くに人はいなかった、でも見られていた、連絡が行った、兄さんは知ってる、ぼくの気持ちを見抜いてる。
 先輩の顔が脳裏に浮かぶ、像を結んでは弾けて消える、よく思い出せない、兄さんが激しく突き上げる、抽送、瞼の裏にちらつく残像は掴みかけたそばから散らされる。

 『千里』
 『まったくどうしようもねえなあ、お前。自分がされていやなこと人にすんな、常識だぞ』

 まだ先輩に好きになった理由話してない、ちゃんと向き合ってない、逃げて逃げて逃げ続けて本当の気持ち話してない
 窓ガラスにぶつかりあう、快楽でぐちゃぐちゃになった酷い顔が映りこむ、先輩の顔、ぼくに犯されてる時の顔がそれに重ねり溶け合って沸騰する。
 「ふあ、誤解なんです、先輩はちがう、あの人はすごくまっすぐな人なんです、ぼくみたいにずるくて汚い人間は毛嫌いしてる、先輩とはなんでもない、久住さんは関係ないんだからあの人に危害を加えたって意味ない、どうでもいい、傷付かない、他人がどうなろうが知らない、ちが……」
 先輩を好きになったきっかけ、理由、ちゃんとある。
 誰でもよかったなんて嘘だ、あの人じゃなきゃだめだった、譲れなかった。
 ガラスの表面と火照った肌が擦れ合う、尖りきった乳首をガラスが押し潰す、兄さんが笑う、息が上擦る、ぼくの嘘なんて全部お見通しとばかり含み笑って剥き出しの肩やうなじを啄ばみつつ腰を抉りこむ……
 「あっああああああっあああああっああああああっ!!」
 絶頂に達してしまう。
 窓ガラスに映る情景が急速に霞みゆく、兄さんの手の中で兄さんの手に導かれ精を放つ、下腹に白濁が粘つく。
 「バターの味だ。イけてる」
 指に絡んだ白濁を舌でねぶり、背後で兄さんが呟く。
 窓ガラスに額を預けてずりおちる。濡れ髪と濡れたシャツが気持ち悪い。
 ワインを吸ったシャツの不快さにも増して、たった今、行為中に耳に注ぎ込まれた言葉に打ちひしがれる。 
 「はあっ、はっ、は………」
 それだけは、どうかやめてくれと。
 言わなきゃ。
 起き上がろうとしてぐらつき、そのまま派手に転ぶ。
 転んだ体勢から肘を付いて上体だけ起こし、シャワーの身支度を始めた兄さんの足首に、震える手を伸ばす。
 「兄さん、待って……話、最後まで聞いてください。久住さんは」
 唇を唇で塞がれる。
 床を這いずるぼくの顎を掴み、むりやり上げさせ、兄さんが唇を吸う。
 生理的嫌悪に鳥肌が立つ。
 舌を絡めようとしてくるのを必死でふりほどき、胸を突きのけてあとじされば、ぼくの白濁を絡めた指を舐め、呟く。
 「久住ヒロズミね……お前がそんなに守りたがるヤツに興味が湧いた」
 そして兄さんは、笑ったのだ。
 この上なく邪悪に。唯我独尊に。窓ガラスと二重になって。
 「味見してやるよ」

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230352 | 編集

 「わっ、千里くんなにやってんの!コピーすんの十部だよ、多すぎだって!」
 「あー床にまであふれだしちゃって大変……」
 「アマゾンで伐採された雨林に謝れ、土下座の勢いで!」
 「どうしてこんな事に……」
 「え、十部と千部聞き間違えて!?」
 「豪快だなあ、桁がふたつちがうぞ」
 「呑気に話してないで早く中止して、それかヤギ連れてきて!」
 ガーガー唸りながらコピー機が大量の紙を吐き出す。
 まわりにたむろう女子社員どもが黄色い悲鳴をあげ、男が後始末に奔走する。
 あふれ出した用紙が床に溜まり、同僚があっちこっちへ駆け回るごとばさばさと慌ただしく蹴散らされ広範囲に散らばる惨状を呈す。
 用紙を量産するコピー機の前に立ち尽くす千里は心ここにあらず、フォローに駆けずり回る同僚の怒号と悲鳴、阿鼻叫喚の渦の中ぼんやりしている。
 完璧上の空。
 「なあ、最近あいつ変じゃねえか?」
 突如話しかけられ、ちらちら千里を観察していた目を向ける。
 近くのデスクに座る同僚の羽鳥が、椅子の背凭れに腕をかけ覗きこんでいた。
 羽鳥は俺の同期で比較的よく話す。たまに飲みに行く。
 眉間の皺と怖い顔と神経質な性格のせいで敬遠されがちな俺も、ざっくばらんな羽鳥とは気兼ねなく話せる。子煩悩な愛妻家で二児の父親。デキ婚したカミさんには今でも頭が上がらないとしばしば惚気ている。
 その羽鳥が福々しく肥満した顔に怪訝な表情を浮かべ、コピー機の前に立つ千里をうかがう。
 動揺を隠し平静を装う。
 眼鏡のフレームに触れつつ、なにかと口実をもうけてはサボりたがるぐうたらな同僚を見返す。
 「変て、千里がか」
 「それ以外だれがいるんだよ。この頃失敗続きだし、心ここにあらずって感じで……悩み事でもあんのかな?十部を千部に聞き間違えるとかありえねーし、昨日なんか大事な試供品忘れてくるし、おかげで一緒に外回りに出かけた俺もしぼられて参った参った。あ、娘の写真見る?自転車の補助輪とる特訓中なの」
 「たしかにあいつらしくねえな……仕事デキるのに」
 「そうそう、あいつああ見えて仕事はすっげえしっかりしてるっしょ?いつもは逆に俺のがフォローされてんだけど、この頃全然。まわりが見えてないってか、違う事で頭が一杯の感じで、試供品の件じゃ課長に大目玉食らってるし」
 「まあ、今までが凄すぎたんだ。入社一年足らずの新人なんだからミスだってするだろうさ」
 「へえー」
 「なんだよ」
 無視された免許証入れ(娘の写真入り)を引っこめ、にやつく羽鳥を不機嫌に睨みつける。
 「庇うんだ?優しいね、お前。最近千里と一緒に行動してるけど、仲良くなったか?」
 「ねえよ。犬猿の仲だよ」
 「前はもっとピリピリカリカリつんけんしてたのにさあ、最近あんま怒鳴りつけなくなったな、千里のこと。感じ変わった」
 「俺が?」
 「角がとれたってか、険がとれたってか……人当たりソフトになった?前はもっと余裕なくて神経質で近寄りがたい感じだった、半径1メートル内に寄る者は目で殺すみたいな殺気が漲って。千里にも露骨にきつく当たってたんじゃんか」
 「ああいういつもへらへらして要領いいやつ嫌いなんだよ。女にモテるし」
 「寝取られ男の僻み?」
 「うるせえ」
 「千里お前に懐いてるし、それとなく注意してやれ」
 警告ともとれる台詞に眉をひそめる。
 羽鳥は背凭れに腕をかけたまま、漸く現実に引き戻された千里が、用紙拾いを手伝う同僚に謝罪する光景を目を細めて見詰め、呟く。
 「あいつさ、案外一人で抱え込むタイプかも。周囲が気付いた時には手遅れになってる。時々いるじゃんそういうの、完璧に見えて中身は意外とモロい。一押し一突きですぅぐ崩れる。職場じゃお前が一番近くにいるっぽいし、気を付けてやれ」
 「あぁん?なんで俺が仕事以外の面倒みなきゃいけねーんだよ、やなこった。成人してんだから自分のケツくらいてめえで拭きやがれってんだ」
 憤然と吐き捨て仕事に戻るもやはり気にかかり、どうしても千里に目が行っちまう。
 椅子を軋ませ机にもどる俺と千里を見比べ、羽鳥は嘆かわしげに首を振り、一旦は引っ込めた免許証入れをいそいそと取り出す。
 「で、娘と息子の写真。あひるさんのおもちゃ買ってやったらはしゃぎまくってさ、真っ裸できゃあきゃあ騒ぎまくって、風呂場で」
 「ガキの裸に興味ねえ」
 というか、風呂場にカメラを持ち込むな。父親が変質者なんて、俺が娘だったらお嫁にいけねえ。
 でれでれだらしなくにやける親ばかをそっけなくあしらいつつ、パソコンのキーを打つ。
 千里の様子が変だ。
 羽鳥に指摘されるまでもなく、もちろん異変に気付いていた。
 千里の様子がおかしくなり始めたのはちょうど一週間前で、それまで殆どミスなどおかさず人の分までフォローして完璧に仕事をこなしてたのが一気に破綻した。
 何があったか聞けない。
 千里は話さないし、俺からも突っ込めない。もし俺が「何があったんだ?」「悩みでもあるのか?」と聞いたら千里のことだ「心配してくれるんですか?」とかなんとか例のくそむかつく笑顔でのたまうに決まっていて、想像だけで憤死しそうだ。
 心配してると勘違いされんのは不愉快だし、千里なんてどうなろうが知ったこっちゃねえし、脅迫されてる俺からしてみりゃ千里がどうにかなってくれたほうがありがたい。
 よって心配する理由がさっぱりねえ。千里の不幸は喜ぶべきもので、最近は大人しいから俺も助かっていて、邪魔が入らず仕事は順調で、このままずっと大人しくしてくれたら大助かりで……
 キーを叩き会議に使う資料を作成しつつ、同僚と手分けして用紙を拾う千里を横目でうかがう。
 「はい、これ」
 「すいません、手伝ってもらっちゃって。忙しいのに」
 「いいの、気にしないで。千里くんだってたまには失敗するよね」
 「ドジっ子属性萌えるし」
 「ドンマイ」
 束ねた資料を渡す女子に口々に励まされ、弱々しく笑み返す。
 ささやかなミスなどたちまち許しちまいたくなるシャイなベビーフェイス。
 「ニューカマーブルーじゃないか」
 聞き慣れない単語に振り向けば、独身の同僚がふたり、女子がちやほやする千里をひがみっぽく盗み見ていた。
 「入社一年足らずの新人にありがちな無気力症候群。ようやく仕事に慣れてきて息つく暇ができて、そこでふとああ、このままでいいのかなって我に返る」
 「今の仕事を続けていいのか、これが本当に自分のしたかった仕事なのか、他に選択肢があるんじゃないか」
 「辞めちまうヤツもいるらしいぜ」
 「モラトリアムだよなー」
 自主退職。
 まさか、千里に限ってそんなと笑い飛ばそうとして、微妙に顔が強張る。
 女子社員から用紙の束を受け取った千里と目が合えば軽い会釈が返る。なんだか他人行儀だ。
 いつもの千里ならにっこり笑う、同僚の肩越しにいやがらせの極上スマイルを送ってきやがる。
 「………らしくねえ」
 舌を打つ。いらだつ。煮え切らねえ本音が口をつく。
 言いたい事があるならはっきり言えと、大声で罵倒したい衝動をおさえこむ。
 俺の目をまっすぐ見ない理由。俺を強姦して、強姦した相手にさえ外道に振る舞っていたくせに、急にしおらしくなんのは嘘くさいし胡散くせえ。
 この一週間というもの、千里は俺を避けている。前のようにつきまとわなくなった。
 最初は誘いを蹴ったからあてつけで拗ねてやがんのかと邪推したが、いつまでたっても復調せず、本格的におかしいと疑いを抱き始めた。
 いらつく。腹が立つ。
 むっつり口元を引き結び、猛烈な速度でタイピングしつつ心の中で毒を吐く。
 千里なんてどうでもいい、不幸になっちまえ、辞めちまえ。
 俺を強姦し脅迫し続ける極悪人、あいつがいなくなりゃせいせいする、落ち込んでいい気味だ、ざまあみやがれ。
 一方で、むかむかする。胃がしこる。
 あいつが笑わなくなって、俺の目を見なくなって、うるさくつきまとわなくなって。
 せいせいしたはずなのに。
 『ごめんなさい、先輩』
 か細い声で謝罪し、途方に暮れた迷子のように、俺の袖口をぎゅっと掴む。
 マンションの廊下に俯き加減に立ち尽くす千里の、今にも泣きそうな情けない顔を思い出し、胸が痛む。

 『熱あるから冷まさなきゃって』
 『アイス、どれがいいかわかんなくて、目についたの片っ端から買ってきたんですけど。……多すぎちゃったかな』

 千里の行動は馬鹿で矛盾してる。
 好きと言いながら犯す、ごめんと詫びながら嬲る、支配し束縛し蹂躙する。
 支配と被支配、加害者と被害者。
 俺が抱いてるのはもちろん恋愛感情なんかじゃなくて。
 俺は当たり前に女が好きで、千里は男で、後輩で、俺を強姦した憎い相手で、好きになる要素がこれっぽっちも見当たらねえ。
 俺は千里が大嫌いだし、これからだって、好きになるわけねえ。
 嫌悪と憎悪と面倒くささとが混じり合った複雑な感情が、しかし、最近微妙に変わり始めている。
 風邪がひいた日にどっちゃりアイス買い込んで見舞いにきた。
 痴漢から助けてくれた。
 ごめんなさいと詫びる声、すがるような顔。

 見放せない。
 見捨てられない。

 「千里!」
 名前を呼び、平手でデスクを叩いて席を立つ。
 話し声が途切れ、静まり返った職場に電話の音や機械の稼動音が響く。
 同僚の視線を浴びながら眼鏡のブリッジを押し上げ、ゆっくりと向き直り、険悪にぎらつく目で睨みつける。
 「……外回り行くぞ。来い」
 机に手をつき顎をしゃくれば、頼りない顔で俺を見る。
 「はい」
 逡巡し、だいぶ遅れて返事をする。
 廊下に出た俺に遅れ、クリアファイルに入れた資料を抱いてやってくる。
 暗く沈んだ横顔、憂鬱そうな足取り。
 俺の隣を歩くときはいつも笑っていたのにと、苦々しく思う。
 千里は素直に従う。黙りこくってついてくる。
 前はうるさくしゃべりかけてきたのに、俺がどんだけ嫌な顔してもお構いなしに、犬のようにしっぽを振って……
 人の都合も考えず懐いてきて。
 互いに押し黙り、エレベーターで一階ロビーに下りる。
 ガラス張りの正面玄関から昼の光が入り床を磨く。一階から六階まで吹き抜けのロビーは採光に適した構造で、印象がとても清潔で明るい。
 見栄え良い観葉植物が配されたロビーを会社の人間や業者の人間が行きかう。
 隣り合う千里は意識しないよう努め、外回りのスケジュールをさらう。
 「一番目は福田商事、そのあとは仙波さんとこ。今の時間は道路混んでるから歩きでいいか、大して距離ねえし。試供品見せてくれって言われてたんだ、とりあえずお試し期間ってことで……やり手だよなあ仙波さん、交渉スキル見習いたいぜ。長く現場にいて出世は遅かったって話だけど、そのぶん経験から学んでるんだろうな」
 「そうですね……」
 外回り先の担当の話題に曖昧な相槌を打つ。
 目を開けながら眠ってるような反応の鈍さに疑問と苛立ちを抱く。
 ロビーを突っ切る途中、モップで床を擦ってる掃除のおばちゃんに会った。
 「こんにちは」
 「あら久住さん、こんにちは。これから外回り?暑いから気を付けてね」
 「あんがと。おばちゃんもな。腰大事に」
 「やあね、年寄り扱いしないでよ」
 掃除のおばちゃんと挨拶を交わし、キレイどころがしゃなりと座る受付を通り、回転ドアから外へ出る。
 メタリックな高層ビルが競い立つオフィス街は、友達と早めのランチに行く事務のОLや、俺たちと同じ外回りに出かける営業とで賑わっていた。 
 「あちっ!」
 「気温、二十五度まで行きそうだってニュースでやってました」
 回転ドアを抜けると同時に、反射的に腕を掲げ陽射しを遮る。千里が呟く。
 どうにも会話が弾まない。調子が狂う。掲げた手を首元にやり、ネクタイを緩める。
 「………どうしかしたのか、最近」
 「別に。普通ですよ」
 嘘つけ。
 千里はあくまでとぼけるつもりか、「そっか」とひとりごつ。
 「最近ご無沙汰でしたもんね。ぼくに遊んでもらえなくて拗ねてます?」
 「なんでそうなるんだよ」
 「このままホテル行きますか」
 「おい」
 「冗談です。さ、早く済ませちゃいましょう」
 先に立って歩き出し、軽やかに促す。
 どんなに陽気なふりをしても、快活を演じても、やつれた横顔に憔悴の翳りが濃く漂う。
 辛気臭く押し黙って考え事をしてたかと思えば、俺の気遣いを察し、今度は無理に明るいふりをする。
 不器用なやつだ。どうしようもなく。
 千里と並んで歩きつつ自分の心を整理する。
 千里が大嫌いだ、軽蔑してる、憎んでるとさえ言っていいだろう。
 でも、こいつが気になるのも事実なわけで。
 羽鳥のアドバイスを真に受けたわけじゃないが、こいつが落ち込んでると、つい口を挟みたくなっちまう。
 「最近大人しいな。改心したのか?俺の写メも消しとけよ」
 「消しません」
 「即答かよ!?そんなこったろうと思ったさ。キャラ変わりすぎで気味悪ィよ、お前。全然笑わなくなったし」
 「笑ってますよ、ちゃんと」
 「あれは笑ってるって言わねえ、無理してるって言うんだよ」
 驚き、はっとして俺を見る。
 夢から覚めたように目を見開く。雑踏のど真ん中で立ち竦む。
 核心を突かれ、軽薄な笑みがか消えて、動揺の波紋が広がる。
 「………わかるんだ、先輩。鋭いな」
 「先輩だしな、一応。後輩の様子がおかしいの位わかるさ。……お前とはその、不本意だけどああなっちまったし。で、原因はなんだ」
 「個人的な話です。関係ありません」
 関係ないと断言され、自分でも戸惑うほど強く動揺し、反発に似た怒りが湧く。
 「お前がミスしたら後始末すんの俺だ、関係あるだろうが。早いとこ元通りになってくれなきゃ困るんだよ」 
 「うざいです。耳元で喚かないでください、鼓膜が破れ……」
 戦慄が走る。
 「千里?」
 ちょうど青信号になり、俺たちが今しも渡ろうとした交差点のど真ん中で、男がふたり激しく言い争っている。
 「お待ちください有里さま、どうかご自重を」
 「うるさい椎名、命令するな。弟に会いに行ってなにが悪い?」
 「今はお仕事中です、バンリさまだけじゃなく会社の皆様にもご迷惑かかります」
 「立場が悪くなるのを心配してやってるのか?一度は見捨てたくせに善人を気取るなよ」
 「それは……」
 「弟の仕事ぶりを実地で観察するのも兄の義務だろう?あいつがどれだけ人の役に立ってるか、楽しみだ」
 ユウリと呼ばれた男は若い。推定二十代後半。
 ホストのように上等な白いスーツに俳優のように彫り深く華やかな顔立ちが映える。
 秀でた鼻梁と薄く整った口元、脚光を浴びなれた秀麗な容貌は、灰や黒など無個性なスーツ姿が多いオフィス街で一際目をひく。
 目立つ容姿に洗練された享楽の香りを纏う、どこか堕落した感じのする男だ。
 対になるのは灰色のサングラスをかけた禁欲的な風貌の男で、交差点を渡りこちらへ来ようとするユウリの行く手に立ち塞がり、必死に制す。
 交差点のど真ん中、信号が点滅しもうすぐ赤になろうというのに、争いやめぬふたりを通行人が迷惑そうに一瞥していく。
 忠言の甲斐なく傲然と我が道を行く男に、サングラスが苦渋の面持ちで叫ぶ。
 「あまりにご勝手がすぎると、お父様に報告なさいますよ」
 甲高く乾いた音が爆ぜる。
 通行人と交差点の両岸の人間の視線が、一斉に集中する。
 点滅の間隔が次第に狭まりゆく交差点のど真ん中、振り返った男が、サングラスを平手で殴ったのだ。
 「今のは命令か。俺を脅すのか」 
 「…………申し訳ありません」
 「身の程をしれ」
 「どうか今回はお気をしずめください」
 サングラスが恭しく頭を下げる。俯き加減の表情は窺い知れない。
 成人した男が、成人した男に平手打ちをくれた。白昼、交差点のど真ん中で。
 大勢の通行人がその現場を目撃した。
 「!千里っ」
 鋭く叫び、あとを追う。
 突如交差点に背を向け走り出し、ビルとビルの谷間の細い路地に駆けこむ。
 「急にどうしたんだよ、走り出して……駅はそっちじゃ」
 文句をひっこめる。千里はビルの壁に背中を預け、口元を押さえ、力なくずりおちる。青ざめた顔、かすかに震える体。
 様子がおかしい。悪寒に堪えるように顔を伏せる、こみ上げる吐き気に口を塞ぐ、絶望的な顔でじっと地面を見詰める。
 「知り合いなのか。バンリって呼んでたな、さっき」
 平手打ちの瞬間が鮮烈に脳裏に浮かぶ。
 怯える千里に慎重に歩み寄り、その肩に手をかけ、落ち着かせようと軽く叩く。
 「………いえ。知らない人です」
 嘘だと直感する。
 弱々しい首振りで否定を示し、口から手を放した千里が、深呼吸する。
 「一体どうしたんだよお前、しっかりしろよ、最近おかしいぞ。皆心配してる、俺も……迷惑してる。ミスばっかだし、ぼーっとしてるし、会社でも一日中上の空じゃねえか。そんなんなら辞めちまえ、真面目にやってる人間に失礼だ」
 違う、こんな事を言いたいんじゃない、ただの憎まれ口じゃねえか。
 壁に凭れて深呼吸する千里に憤然と詰め寄る、肩を掴み語気荒く抗議する。
 俺のお説教を、千里はしおたれて聞いていたが、ふいに顔を上げるやその手がこっちに伸びる。
 逆に肩を掴まれ動揺する。
 俺の肩を両手で掴み、腕一杯突き放すようにして向き合い、決断。
 「お願いがあります。今日、先輩のマンションに泊めてください」
 「はあ!?」
 思わずまじまじと顔を見返す。断固たる意志を感じさせる眼差しにたじろぐ。
 縋るような、どこか切実に思い詰めた目で俺を見詰め、肩を掴む手に力をこめ千里が言う。
 「帰りたくないんです」  
 それは女が言う台詞だろうと突っ込みつつ、笑えない気迫に飲まれ、俺は頷いていた。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230222 | 編集

 「お邪魔します」
 「本当邪魔だ。帰れ」
 「帰りません。先輩の毒舌は愛情表現てわかってますんで」
 この野郎少しは遠慮しろ。
 俺が住むマンションは吉祥寺の独身者用1LDK、公私混同職権乱用気味な管理人による「美晴コーポ」というださい名前がついている。この手のマンションにしちゃそこそこいい方の物件で日当たり奥行き快適良好、時々ブレーカーが落ちて停電するのと断水するのを除けばさして不満もねえ。
 ……今まで必死に気付かないふりをしてきたが、実のところ結構な欠陥住宅かもしれない。廊下の蛍光灯は常にエンプティー状態だし。
 「あ、またミニカー増えてる」
 キャビネットにずらり飾ったミニカーの一台を手にとり、棚板を滑走させる千里の手から大事なコレクションを奪い返す。
 「汚い手でさわるな。弁償しろ」
 「いいですよ別に。喜んで弁償します」
 ……これだから物の有り難味と価値がわからない金持ちは。
 俺に叱られ大人しくミニカーを戻し、妙な感慨をこめて再び部屋を見回す。
 正式に部屋に入れるのは初めてだ。
 こないだはだまし討ちに近い形で押しかけてきて、しぶしぶ入れざる得なかった。
 見舞いの建前でどっちゃりアイスを買い込んできた空気の読めねえ後輩を迷惑がりこそすれ、感謝の念は到底抱けなかった。
 なのに今回は
 『今晩泊めてください』
 帰る場所をなくした子供のように、行くあてがない子供のように、俺に縋る。
 途方に暮れた顔で仰がれ、どうしても断りきれなかった。
 最近千里はおかしい。
 変化は一週間前から。
 何があったか聞けないし聞くのを避けてきた。
 千里の事情に深入りしたくなかった、深入りするのはプライドから来る抵抗を感じた。
 千里の様子がおかしい。
 職場の連中も薄々勘付き始めているが、千里の一番そばにいた俺が、不本意ながら脅迫され関係を続けている俺こそ、真っ先に不調に気付いていた。
 気付きながら見て見ぬふりをした。
 関係ないと自分に言い聞かせ無視して一定の距離をおいた。
 「あんま動き回るな。ガキかお前は。足音ばたばたと、近所迷惑だろ」
 「先輩の部屋に来るの二回目ですよね」
 「突然押しかけてきたくせに、山ほどアイス買い込んで。程度ってもんを知れ、ひとりじゃ食いきれねーよ」
 「まだ残ってます?」
 「冷凍庫にしまってある」
 言うが早いが台所に駆け込んで冷凍庫の扉を開く。
 「また食べさせてあげましょうか」
 つかつか大股でなぐりこみ、バタンと扉を叩き閉める。
 「開けっ放しにすんな、溶けるだろ。電気代が無駄だ」
 「ケチですねえ」
 「だ・れ・が電気代払うと思ってんだ、え?」
 腰に手をあて説教かませば、猫被りは完璧のくせにところどころ非常識で世間知らずな地金が覗く千里が笑ってごまかす。
 今日は定時に帰宅できた。
 俺たちの会社は池袋にあって、吉祥寺に帰り着いた時には夜七時を回っていた。
 「このへん懐かしい感じがしますね。銭湯もあるし。暮らし始めて何年になるんですか?」
 「大学からだから、ぼちぼち六年ってとこか。上京したてのころは高田馬場に住んでたんだけど、こっちにいい物件があってな。お前こそ、高いマンションに住んでるじゃねーか。会社員の安月給で家賃払えるのかよ」
 「まあ、なんとか」
 曖昧に言葉を濁す。笑顔が少し翳る。
 ……なんかまずいこと言ったか、俺?
 千里の部屋を訪ねた事は一回もない。
 部屋に来ないかと再三誘われても、そのたび冷たく突っぱねてきた。
 会社で顔を合わせるのも耐え難いのに、オフまで同じ空気を吸いたくない。
 「苦労知らずの坊ボン育ちか。羨ましいぜ」
 背広を脱いでハンガーにかけ、ネクタイをほどく。
 いつもはコンビニ弁当でちゃっちゃと済ませているが、千里がいると調子が狂う。
 台所の戸棚を開け、たんまり備蓄してあるレトルト食品をがさごそ漁る。
 「夕飯まだだろ。カレーでいいか」
 「作ってくれるんですか」
 千里がひどく驚く。
 思いがけない幸運に当たったような大げさな反応に鼻白む。
 「いやなら一人で勝手に食って来い」
 「とんでもない!ただ、ちょっと……先輩が料理作ってくれるなんて驚いただけです。ぼくのこと嫌ってるんじゃ、」
 「勘違いすんな、大嫌いだよ今でも。それとこれとは別だ。いくら嫌いなヤツだって、俺が食ってる間中物欲しげに指くわえられてちゃ気分悪ィ」
 つまりこっちの都合。千里の分はあくまでついで。
 荒々しく扉を閉じ、勘違いしないようそこんとこ念を押し、少々考えたすえ戸棚からレトルトのカレーをとりだす。
 「辛口でいいよな、ちさ……」
 って、いねえし。あいつどこ消えやがった?
 首を傾げつつ、とりあえず先に用事を済ます。
 ワイシャツを腕まくりし鍋をコンロにかけ点火、レトルトのパックを温める。
 鍋を火にかけてから台所を出て捜せばあっさり見つかった。
 「なにやってんだ、お前」
 千里はリビングにいた。
 不審な行動。
 フローリングの床に耳をつけ、こんこんと拳で叩き、反響の具合を確かめる。
 床の次は壁へと移り同じことをして異状を検査、それから壁の片隅に設けられたコンセントに近付き、しゃがみこむ。 
 コンセントにさしこまれたプラグを抜く。
 壁に埋め込まれたコンセントの接着面をくりかえしなぞり、むずかしい顔をする。
 「コンセントがどうかしたのか」
 「いえ、ちょっと気になって」
 近付きながら声をかければ、我に返ってぱっと手を放し、とってつけたような笑顔で言う。
 「先輩に聞きたいんですけど、この頃変わったことありませんか」
 「変わったこと?」
 「たとえば……朝出る時と帰ってきた時で部屋の様子が違うとか、物の配置が変わってるとか。心当たりありません?」
 突然の質問にたじろぐ。千里はひどく真剣な目をしている。
 思いも寄らぬ質問に戸惑いつつ、シャツの袖を戻しがてらざっと部屋を見回す。
 「いきなり何だよ。特にねえよ」
 「本当に?」
 「しつけえな、大体留守の間に人が出入りしてたらさすがに気付くっつの」
 馬鹿げた質問を本気にしたわけじゃないが、なんとなく背筋が薄ら寒くなる。
 俺の答えを聞き、千里は少し安堵する。
 そういやさっきの行動……
 どこかで見たと思ったら、こないだテレビでやってた盗聴器ハンターそのものだ。
 「千里、お前まさか……」
 深刻に言いかけてやめれば、千里がぎくりとする。
 図星か。
 滾りたつ怒りにこぶしをわななかせ、露骨に怪しい素振りの千里を罵り倒す。
 「俺んちに盗聴器仕掛けたな!?」
 「は?」
 「お前ならそんくらいやると思ったぜ、いつのまに、ぜんぜん気付かなかった!どうせお前のこった、それでまた俺の弱み掴んで脅すネタにするつもりだろ、その手はくわねえよ!いつだ、こないだ部屋に来たときか、見舞いにかこつけてどさくさに……知能犯め、セコムしてやる!」
 「誤解ですよ」
 「お前以外にだれがいるんだ!」
 千里が口を開き、閉じる。
 「いきなり俺んち来たいとか言い出しておかしいと思った、大体会社だろうが駅のトイレだろうが所構わずさかるくせにわざわざ俺んちくる意味ねーだろ、こないだ仕掛けて盗聴器がばれたんじゃねえか内心冷や汗かいて様子見にきたんだろ、そうだ、そうに決まってら、この外道が!」
 「だから誤解ですって、先輩の恥ずかしい寝言やオナニー中の喘ぎ声には大いにそそられますけどぼくならそんなまだるっこしい手使わずに……」
 「なに!?まだるっこしい手使わず何をどうするんだ、意味深に切るなよ、顔そむけるな、俺の目まっすぐ見ろ!」
 「ぎりぎり犯罪に抵触しない線が信条ですから」
 目を指さし追及するも千里はまともに取り合わずのらりくらりとぼけるだけ。
 反省の色などかけらもない発言にこめかみがひくつく。
 「強姦と脅迫は犯罪じゃないってほざきやがるわけだな?」
 ぎりぎり歯軋りしてそう言えば、にっこり極上のスマイルでこう切り返す。 
 「だって久住さん悦んでたし」
 「~~っ!」
 だめだ、こいつと話してると頭に血が上る。地団駄踏む俺に対し、千里は苦く笑う。
 「被害妄想です。盗聴器なんか仕掛けられてないから安心してください、接着面が弱くなってたから漏電の心配しただけです。ほら、剥がれかけてるでしょ?ところで先輩、鍋いいんですか。沸騰してますよ」
 「!いけねっ」
 真剣な顔つきと手つきでコンセントを仔細に点検する千里をその場に残し、台所に飛んで帰り慌てて火を止める。
 沸騰し危うく湯がこぼれかけた鍋から火傷せぬよう用心しつつ袋をとり、いまだコンセントの前から動かない千里をどやす。
 「お前も手伝え。働かざるもの食うべからず、ただ飯食わせる気はねえぞ」
 「人使い荒いな、お客を働かせるなんて」
 「誰が客だ。居直り強盗だろ」
 毒づく俺の隣にやってきて、冷蔵庫を開ける。
 「そこにレトルトの飯が入ってるからレンジでチンな。三分」
 顎をしゃくって命令。千里が「了解しました」と肩を竦めてきぱき動き出す。
 ほどなくレンジが終了の合図を鳴らし、ほかほかの飯ができあがる。
 「自炊するんですか」
 「殆どレトルトかコンビニ弁当。学生の頃は米から磨いでたけど、今はめんどくせえから手抜き。仕事終わってからわざわざ作る気力ねえし……安子と結婚してりゃ今頃手料理が待ってたんだろうけど」
 まずい、失恋の傷を抉っちまった。減点一。
 「ご飯にする、お風呂にする、それともぼく?」
 「永遠に口を閉じてろ」
 「口閉じてたらせっかくの手料理が食べられません」
 「レトルトだよ」
 「先輩の手が鍋に入れて温めてくれた料理って意味で」
 すかさずまぜっかえす。減らず口め。
 レンジからとりだしビニールの蓋を捲れば白い湯気がもわりと顔をなで、甘く炊かれた米飯の匂いが食欲をそそる。
 リビングに戻り、低いガラステーブルを二人で囲み、千里にスプーンを投げ渡して夕食にとりかかる。
 フローリングの床にじかに足を崩して座り、辛口のカレーをかけた飯をスプーンですくって食べる俺の向かいで、千里もそれにならう。
 育ちのよさが窺える上品な食べ方が眼を奪う。
 他人の食べ方なんてあまり意識した事なかったが千里の作法はひどく洗練されていて、レトルトのカレーが往復する匙の魔法で高級料理に化けたような錯覚を来たす。
 「はふ、美味しいです」
 「レトルトだけどな。お前いつもなに食ってんだ」
 「外食に頼りきりです。まあ自分でも作りますけど、会社入ってから時間がなくて」
 「自炊って時間かかるからな、割と。主婦の苦労が身に染みる。なに作るんだ?」
 「明太子パスタとかパエリヤとかクラムチャウダーとか……オニオンスープも」
 「しゃれたのばっか。ひじきのおひたしとかは作んねーのか」
 「先輩は和食派ですか。今度挑戦します」
 「いや、待て、俺がさりげにリクエストしたふうに話もってくなよ。まあお前ひじきのおひたしって顔じゃねえけどさ」
 他愛ない話をしつつカレーを食う。時折コップの水を飲む。
 千里の顔と声はいつになく陽気に弾み、俺もいつもよりか砕けた相槌を打つ。
 こいつと普通に話すのは久しぶりだ。ことによると初めてかもしれない。
 知り合って随分たつが、自炊するのかしないのか料理は何が好きかとか、そういうどうでもいい話をした経験とする機会がなかった事を追認し、今さらながら新鮮に感じる。
 和気藹々と表現したら語弊がある。
 なんたってこいつは犯罪者で脅迫者、憎き仇、俺を強姦した張本人。
 そんなやつと呑気におしゃべりしながら飯を食う今の状況は異常だ。
 「………だれかと飯食うの久しぶりだ」
 スプーンをとめぽつりと呟けば、耳ざとい千里が怪訝な顔をする。
 コップの水で口を湿し、スプーンの先端でカレーをかきまぜつつぼそぼそ言う。
 「……安子に振られてから……ずっとひとりで済ましてたから。あんま飲み行かねえし。安子がいた時はふたりでどっか食い行ったり、たまに作りにきたりしたんだけどさ」
 「ぼくも似たようなもんです」
 「嘘つけ、友達いっぱいのくせに。今日だって飲みに誘われてたろ」
 スプーンをつきつけ突っ込めば、水を含み口の中のものを嚥下しのたまう。
 「誘われたら断りませんけどね。……それだけです」
 無関心に冷めた言い方。
 心にひやりと風が吹く。
 外面はいいけど、本心では自分をちやほやする女子もやっかむ同僚もどうでもいいんだろうなと思う。
 時として千里は残酷で酷薄だ。
 他人への執着のなさを隠そうともしない。
 性格もルックスも最高な人気者の本性を、俺だけが知っている。
 「大勢といるより先輩といるほうが楽しいです」
 「…………どうも。悪趣味め」
 事実、飲みに行こうという誘う同僚よりも一緒にいたって断じて楽しくないだろう俺を選んだ。
 「趣味いいですよ、ぼくは」
 悪戯っぽく笑う。おちょくってやがるなといらだつ。
 おっかない顔で睨みつけてやっても効果は薄く、先に食べ終えて席を立つ。
 「お風呂入りますか?水いれてきますけど」
 「いいよ、シャワーで」
 面倒くさげに言っちまい、はっとする。警戒し千里を目で追う。
 急に食欲が失せ、スプーンで力なくカレーをかきまぜる。
 憂鬱に黙りこくる俺の様子に気付き、テーブルに手をつき腰を上げた千里の目に疑問が浮かぶ。
 視線と視線が絡み合い、不安定な沈黙が漂う。
 「どうしたんですか。はっきり言ってくれなきゃわかりません」
 「…………その。今日、ヤるのか?」 
 さんざん迷ってから、伏し目がちに聞く。
 千里が虚を衝かれたような顔をする。
 発言を後悔し、水の残りを一気に干し、むせる。
 激しく咳き込む俺を案じ、「大丈夫ですか」と回り込んで背中をさする手を邪険に払う。
 「そのためにきたんだろ、それが目的で部屋に来たんだろ、泊まるって言い出したんだろ!?お前の考えてることなんざお見通しだ、目的は一択だ、俺の体めあてで……この言い方もどうかとおもうけど、要はその、一晩たっぷりしっぽりヤりにきたんだろ?最近ご無沙汰で溜まってるって同じ男だからわかるさ。最近態度へんだったし……一週間前の誘い蹴ったこと、怒ってんのかよ」
 「怒ってません」
 「信用できねえ。お前は笑いながら嘘をつく」
 胡坐をかいてそっぽを向く俺に対し、細く長く息を吐く。
 「……今日はしません」
 「じゃあなんで泊まるとか言い出したんだ。さっぱりわかんねえ」
 「一緒にいたいからじゃだめですか」
 ひたと俺を見据える。
 またあれだ、例の心細げな顔。思い詰めた目。
 縋るように必死な、孤独な。
 腹の底で凶暴な感情が滾りたつ。
 怒りとも苛立ちともつかぬ火のような激情が血管の中で荒れ狂う。
 「………いまさら………」
 今さら、なんだよ。
 手遅れだよ。
 口約束を信用しろとでも?
 俺はこいつが嫌いだ。大嫌いだ。憎んでると言ってもいい。
 俺に薬を飲ませ縛って写真を撮って強姦した男、後輩の分際で俺をおちょくる男、要領がよく人気者で何もかも俺とは正反対の恵まれた人間。
 「いまさら一緒にいたいってか。虫がよすぎなんだよ。お前、自分がしたこと忘れたわけじゃねえだろな。俺になにしたか覚えてるよな、ちゃんと」
 「はい」
 肯定する千里に激怒し、拳でテーブルをぶつ。
 コップが跳ね、水がこぼれる。
 「言ってみろよ、え」
 「薬を飲ませて、縛って、恥ずかしい写真をたくさん撮って。ペニスをしごいて、ローションでアナルをぐちゃぐちゃにほぐしてから先輩の淫乱な孔にぼくの」
 「そこまで具体的じゃなくていい!」
 官能小説を音読されるような強烈な羞恥に顔が火を噴く。
 平手でテーブルを叩き腰を浮かせ、殊勝にうなだれる千里をあらん限りの憎しみにぎらつく目で睨みつける。
 「訴えられてもしょうがねえってわかってるよな」
 「……はい」
 今日の千里は妙に素直で調子が狂う。
 舌打ちひとつ、張り合いのねえ千里は放っておきテーブルの上をさっさと片付ける。
 携帯が鳴る。
 「インディ・ジョーンズのテーマ?」
 「好きで悪いか」
 液晶に表示された名前を確認後通話ボタンを押し、ながら作業の癖で腕を動かしつつ耳と肩に挟んで話す。
 「もしもし、お袋。なんだよ?……じゃがいも?いいって、ダンボール一箱なんか送ってこられても困るよ。お裾分け?相手いねえよ。……3キロを1キロに減らすって、あんまし変わってねーしどのみち一人じゃ食い切れね……彼女にコロッケ作ってもらえ?大きなお世話。……こないだ言ってた彼女?うるせえな、ほっとけ。……紹介するって、あれなし。いいだろ別に、こっちにも事情があんだよ、突っ込むな……あーはいそうだよ振られたんだよこん畜生」
 テーブルを拭きながら話す俺を、千里が無言で眺める。
 「正月?帰れるようだったら帰る、仕事次第だけど。……そっか、姉貴のとこ産まれるんだっけ。じゃあ調整しとく。……わかった、じゃあ」
 通話を切る。自然とこぼれるため息。
 「ご家族ですか」
 「お袋。週一でかけてくる。心配性なんだ。帰省しろ帰省しろってうるせえ」
 「一人っ子ですか」
 「残念ながら上に姉が一人。一昨年嫁にいったけど。今度子供が産まれるんだとさ」
 「先こされちゃいましたね」
 「るせ。……肘どかせ、拭けねえだろ」
 千里をどかし、憤然とテーブルを拭く。
 腕の振り幅大きく弧を描いてフキンを使う俺を眺め、千里がぽつりと言う。
 「……いいな」
 「あん?」
 「仲よさそうで。羨ましいです」
 「別に普通だよ。就職してからもう三年帰ってねーし」
 特にうちが仲良しだとは思わない。平凡な両親と短気な姉貴、ごく平均的なサラリーマン家庭だ。
 憧憬と羨望が入り混じった目を感傷的に伏せる千里に訊く。
 「お前はどうなんだよ」
 「どうって……」
 千里が戸惑う。
 構わずからかう。
 「小学校の頃は毎日車で送り迎えだったんだろ、坊ボンめ。相当な金持ちとお見受けしたぞ。待て、当ててみせる。家族中に可愛がられてぬくぬく育った末っ子。そうだろう?母親はピアノ教師、父親は外商で子供の頃は家庭教師に習ってて英語ぺらぺら……」
 「母は死にました。子供の頃に。小2……だったかな」
 淡々と返され、言葉を失う。
 「………悪い」
 無神経な詮索を悔いる。「いえ」、と千里は小さく首を振る。
 「兄弟とかは……」
 「姉と兄が一人。あんまり行き来ないですけど」
 「まあ、成人しちまうとそんなもんだよな」
 「……ないものねだりはしない主義だけど、先輩の家族が少し羨ましいです」
 同情を引く演技には見えなかった。
 本心から、ごくごく平凡な俺と俺の家族を羨んでいるようだった。
 なんて言葉をかけたらいいかわからず口を開閉する俺の手の中で、軽快に携帯が鳴りだす。
 イントロが終わる前に通話ボタンを押せばメールが着信し、液晶に名前が表示される。

 千里万里。

 「は……?」
 目の前に座す本人に当惑の凝視を注ぐ。
 千里はテーブルの下、俺の死角で携帯を持ちメールを打つ。
 『続けてください』
 「でも意外だな、先輩が弟キャラなんて。会社ではすごい長男気質なのに」
 「……もとから長男だよ、男と女は別勘定だろ」
 「A型気質って言い換えてもいいけど」
 『目の前にいるくせにメールで会話?意味不明』
 『盗聴器が仕掛けられてます』
 危なく叫びそうになる。
 咄嗟に腰を浮かせ見回しかけるもテーブルを隔てた目配せに動揺を糊塗、生唾を飲む。
 眼球を右に左に忙しく動かし、液晶の文面に目を走らす。
 『調べて確信しました。コンセントの裏に盗聴器が仕掛けられてます』
 『間違いないのか』
 『今も盗聴されてます。ばれないように演技してください』
 背筋に落雷の如く戦慄が走る。
 激しい動悸が苛む。
 部屋中つぶさに見回したい衝動を辛うじて堪え、いつもどおりを意識しつつ振る舞う。
 「悪かったな、もとからこういう性分なんだよ。いらつきやすいっていうか怒りっぽいっていうか……」
 「カルシウム不足ですよ、きっと。ほら、また眉間の皺」
 『盗聴器なんていつのまに。気付かなかった』
 『気付かないのもむりないです、巧妙に偽装されてたんで』
 『よくわかったな、お前』
 『被害にあった経験があるんで』
 高速でメールを打つ手がとまる。
 驚き、千里を見る。
 完璧なポーカーフェイス、オセロのように完璧な笑顔。
 半径1メートルも離れてない相手にじれてメールを飛ばす。音速のメール交換。
 『誰が仕掛けたんだ?なんのために?』
 『……心当たりがあります』
 『は?なんでお前に』
 『すいません先輩。原因はぼくなんです』
 「でも、先輩の眉間の皺嫌いじゃないですよ。すごくセクシーで、もっともっと困らせたくなる」
 「そりゃどうも」
 『やっぱりお前が』
 『犯人はぼくじゃない。でも原因はぼくだ。謝ります、ごめんなさい。巻き込んでしまって本当にすいません』
 『わけわかんねえよ、ちゃんと話せ。何がどうなってるか説明しろ』
 苛立たしげにボタンを打ちメールを送信、勝手に動く口と裏腹にやりとりがどんどん加速していく。
 液晶の青白い照り返しに虚ろな表情を浮上させ、苦渋に唇を噛む。
 『……話を合わせてください』
 わけもわからぬままとりあえず直感と指示に従い、スクロールして台本を読む。 
 「……そういやさ、さっきの話だけど」
 「コンセントですか?なるべく早く修理にきてもらったほうがいいです、できれば明日にでも」
 「だよな、最近家電の調子おかしいんだ。テレビ映りも悪ィし……漏電とか洒落になんねー」
 「明日休みだしちょうどいいですね」
 「特に予定ねえし一日中部屋にいるよ。業者来んならそっちのがいいだろ?あとで電話して午前中にこれねえか掛け合ってみる」
 「早く修理しないと。病院送りになったら一大事だ」
 「見舞いにくるなよ。絶対」
 「前回の反省生かしてフルーツ詰め合わせ持って行きます」
 喉がからからに渇く。上手く演技できたか自信はない。
 千里は見事に芝居を打った。
 棒読みに近い口調で相談する俺にさらっと返し、自然な流れで次の話題に持っていく。
 取り急ぎメールを読んでぎょっとする。
 「これで帰ります」
 「え?泊まってくんじゃねーのか」
 「期待してたんですか?」
 千里が席を立ち、唄うようになめらかに嘘をつく。
 「気分が変わりました、今日は大人しく家に帰ります。熱帯魚にエサあげるの忘れてた」
 「俺の優先順位は熱帯魚よか下か」
 「グッピーにヒロズミってつけてます」
 「せめてエンゼルフィッシュにしろ」
 「三十匹いるんで皆まとめてヒロズミーズです」
 「固体識別できねえたあ限りなく薄められた愛情だな。一目散に飛んで帰れ、しっしっ」
 「……犬ですか。傷つくなあ」
 「犬?そんな可愛げあるもんか、強姦犯」
 「途中まで送ってくださいよ」
 「やなこった、なんで俺が」
 「いいじゃないですか、せっかく訪ねたんだからそれくらいサービスしてくれたって」
 「………仕方ねえな」
 わざと露骨に舌を打つ。その調子と千里が頷く。
 玄関に立つ千里をどかし靴をつっかけ、鍵を回しドアを開け放つ。
 計画通り、台本通りの行動。千里もまた打ち合わせの台詞に添う。
 「コンビニ行くついでだ、送ってやるよ」
 顎をしゃくり、先に立って促す。携帯は電源をつけたまま、スラックスの尻ポケットに突っこむ。
 乱暴にドアを閉めて鍵を掛ける。
 一瞬だけ目が合う。
 明晰な思考活動を示す怜悧な眼光で千里が頷き、すぐまた笑顔に戻る。
 階段を下りるふりをし、ふたりして踊り場に潜む。
 「……どういうことだよ。盗聴器仕掛けられてるって、お前じゃねえなら一体だれが」
 「すぐにわかります」
 急きこむ俺を制し、身じろぎひとつせず蛍光灯が煌々と照らす廊下をうかがう。
 十分も経過した頃だろうか、蛍光灯の放電音が断続で弾ける廊下にエレベーターの重低奏が上昇してくる。
 息を呑み、頭を伏せる。
 両側に分かれたドアから出てきたのはそのへんを普通に歩いてそうなラフな服装の男が三人。いずれもニット帽を深く被り、先頭の若者は錠前屋のような工具箱をひっさげている。
 隙のない身ごなし、気配を消すのに慣れた歩き方に裏社会のきな臭さが匂い立つ。
 ニット帽三人はエレベーターを出るや、廊下に人けがないのを確かめてから真っ先に俺の部屋に直行し、ポケットから何かを取り出すや中腰の姿勢でドアと向き合う。
 手元に目を凝らす。針金みたいな道具。
 針金の先端に微妙な力と捻りを加え、極力音をたてぬよう慎重に回しほじくるうちにカチリと錠がはずれ、あっけなくドアが開く。
 「……な……」
 目を疑う。
 男達が頷きあい、あっさりと開いたドアから二人が中へ吸い込まれる。
 ドアが閉まり、中の様子が見えなくなる。
 「―っ、この野郎、人の部屋に勝手に!!」
 「落ち着いて先輩。今出てくのは危険です」
 「落ち着いてられっかよ、あいつら人の部屋に留守中に盗聴器なんて仕掛けて今まで出した音ぜんぶ聞かれてたんだぞ!?」
 「泳がせるんです。黒幕は別にいる」
 千里が俺の肩を掴む。
 「~いい加減思わせぶりはやめろ、黒幕って……犯人知ってんのかよ」
 千里の顔が苦しげに歪む。
 理性が弾け血中にドーパミンが拡散、視界が灼熱し胸ぐらひっ掴む。
 力強く喉首締め上げれば、弾みで後頭部を勢い良く壁にぶつけ千里が呻く。
 「どういうことだよ、自慢じゃないが盗聴器仕掛けられる覚えなんかないぜ、お前以外に犯人の心当たりなんかねえ。やっぱお前が……」
 疑惑が拭えず叫ぶ俺を、千里は苦虫噛む沈黙を守り見返す。
 一方的に詰られ罵られ責め立てられ、悄然と項垂れて一言も抗弁しない。
 「~最ッ低だな」
 犯行を自供するかのような従容たる態度に逆上し、激しく唾棄し腕を振り抜く―
 「……殴らないんですか」
 千里は目を閉じもしなかった。
 こうなるのを予期してたとばかり冷静沈着な態度でもって、諦観の眼差しでこぶしを仰ぐ。
 憤りに駆られた拳を宙で停止、荒く長い呼吸を整えゆっくりおろせば初めて当惑する。
 電池切れの蛍光灯が不規則に瞬く。
 振り上げたこぶしのやり場に迷い、光と闇が交錯する踊り場で呆然と立ち尽くせば再びドアが開き、顔を覗かせた男が見張りに言葉をかけたその瞬間 
 間抜けに立ち尽くす俺をよそに千里が抜群の瞬発力で駆け出す。
 「!?千里っ、」
 こっちに気付いた男たちがしまったという顔で口々に叫び交わす。
 『快点!』
 『被騙了、太妨害!?』
 甲高い中国語……日本人じゃないのかこいつら?
 自分たちめがけまっしぐらに疾走する千里の剣幕に完全に気圧されたじろぎ、不法侵入の中国人たちがばらばらに分散し、一人はエレベーター一人は階段をめざす。
 「逃がすかっ!」
 加速をつけ跳躍、先頭の胴を狙うもそいつが手に持つ工具箱が砲弾の威力伴う鈍器と化し視界を薙ぎ払う。
 「っと、あぶねっ!?」
 重量の乗った工具箱が派手な弧を描いて顎先を掠め、風圧で前髪が浮く。
 風切る唸りを上げぶん回す工具箱を回避するだけで精一杯、後退を余儀なくされた隙を突いてタイミングよく開いたエレベーターに駆けこむやボタンを連打ドアを閉ざす。エレベーターに逃げ込んだ男は諦め思考転換、階段を逃走路に選んだ一人を羽交い絞めにかかるも身ごなし敏捷にかわされ踊り場ですっ転ぶ。
 『没刅法!』
 「待て、この野郎!中国語で止まれってなんだ、ストップ、ストップチャイニーズプリーズセコム!!」
 踊り場を這いつつ懸命に叫ぶも、目一杯伸ばした手はすかっすかっと宙を掻く。
 まんまとしてやられぼろぼろの有り様でドアの前に戻れば、刺激的な光景が待つ。
 「一匹確保」
 ドアの前に千里がいた。
 逃げ遅れた最後尾を組み伏せている。
 華奢な細身のどこにそんな膂力があるのか、合気道の心得でもありそうな組み手で男をおさこえむや、つまらなそうにニット帽を剥ぐ。
 「どうするんだよそれ!?」
 蛍光灯が不規則に点滅し、ちょうど闇が去来した廊下でにこやかに振り向く。
 「尋問します」
 暴力と嗜虐に酔う邪悪な翳りのついた笑顔で宣言する千里に絶句。
 拷問しますとさしかえたほうがよっぽど説得力ある、とんでもなくおっかない笑顔だった。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230139 | 編集

 「暴力反対あるねー人類皆兄弟ね話せばわかるねわからなかたらポリースと通訳呼ぶよろし、国税局引っ張ってくるよろし。張、逃げも隠れもせず青竜刀研いで待てるよ闘る気満々よ」
 目の前で中国人が大量の唾とばしくっちゃべる。
 饒舌で煙に巻こうって魂胆かぶん回す手振りも派手派手しく過剰に陶酔し、訛りがひどい上にやたらと早口の日本語で熱弁ふるう。
 「この人黙らせましょうか」
 「待て、穏便に行こう」
 「とりあえず縛るもの持ってきてください」
 「穏便じゃねえだろ!?」 
 噛み合ってねえ。
 変装用ニット帽をひっぺがされ部屋に引きずり込まれた中国人はさっきからしゃべり通し、泳ぐのをやめたら死ぬ鮫さながら口を閉ざしたら即死とでもいうふうな強迫観念に取り憑かれ完全にパニック来たし手ぶりあたふたとハッタリかます。
 状況を説明しよう。
 現在、1LDKの手狭な部屋の中には三人の人間がいる。
 即ち、俺と千里と中国人。
 中国人は張と名乗った。目深なニット帽を取り払った顔は意外と若くにも老けてるようにも見え年齢不詳、ついでに職業も不明。地味なシャツとぶかぶかのワークパンツを身につけ、日本人に混ざっても見分けつかないだろうのっぺりと特徴のない顔をし、一週間くらい洗ってないのだろう脂でべとつく不潔な黒髪を輪ゴムでひとつに括っている。一言でいうと垢抜けねえ。たった今日本人に混ざっても違和感ないと言ったばかりだが、新宿や渋谷あたりじゃさすがに浮くだろう。巣鴨あたりなら溶けこめるだろうが。
 瞬きの多い小さい目は剽軽な印象で喜劇的なオーバーアクションと相まって間の抜けた油断を誘うが、頭の回転はそう鈍くないのだろうなと闊達なしゃべりで見当つく。
 「で、どうするんだ」
 「縛っときましょうよ、念のため」
 「縛るの好きだなお前……」
 梱包用のガムテープを持ってきて、人権蹂躙だの横暴だの一人で騒ぐ張を後ろ手に縛り上げる。
 「ちょ、何するある!張そちの趣味ないね、縛られて悦ぶまぞだけよ」
 「うるせえ、俺だって好きで男縛ってんじゃねえ。ぎゃあつく騒ぐとふんじばってベランダから突き落とすぞ」
 「バンジー反対ある!地面とオトモダチ御免よ、月餅だて三階から落とす餡はみだすよ!」
 「出るのは味噌だろ」
 往生際悪く見悶えし抵抗する張にうんざり。なんとかテープをほどこうと激しく身をよじってばたつくも、両腕をきつく束縛されバランスとれず、挙句けっつまずいて突っ伏す。
 床でしたたか顎を打ち舌を噛みそこねた張が情けない悲鳴をまきちらすのをよそに、格闘で滴る汗を拭いつつ、隣に立つ千里を仰ぐ。
 「けど、びっくりしたぜ。見かけによらず強いんだな」
 「対痴漢用に護身術習ってたんです」
 「合気道?」
 「力を流すコツさえ掴めば互角以上に立ち回れますしね」
 自慢するでもなく、さりげなく言い放つのに感心する。
 華奢で細身でいかにも軟弱そうなこいつのどこに成人した男一人組み伏せる力があったのかと驚いたが、護身術を嗜んでるなら納得だ。
 思わずまじまじと横顔に見入ってしまってから、今の発言に矛盾を覚える。
 「待てよ。それじゃあの時別に縛ることなかったじゃんか、俺よか強いんなら……」
 「あれは」
 言いかけ、口を噤む。
 ばつ悪そうな表情が一瞬面を掠め、すぐまたいつもの人を食った笑顔に戻る。
 「趣味です」
 ちょっとでも感心した俺がばかだった。
 千里はひどく冷たい目で喚き散らす張の醜態を眺めていたが、手の甲で汗拭く俺をどかし、泰然と前に出る。
 「単刀直入に聞きます。盗聴器を仕掛けるよう依頼したのはどこのだれですか」
 「言えるわけないよこのトンマ。おまんま食い上げある」
 芋虫の如く床に転がった張が意固地に首を振る。供述全面拒否。
 わざとらしくため息を吐き、鼻先にしゃがみこんで視線の高さを合わせる。 
 場が緊迫する。
 千里は相変わらず穏やかに笑ってるが目は一片たりとも笑いの成分を含んでなくて、床でのたうつ張は、刻々と迫りつつあるタイムリミットの焦慮に喘ぎつつ玄関をめざす。
 腕が使えない代わりに膝を使い、悲愴な形相でじたばた悪あがき逃げ惑う張をあえて追わず好きにさせ、千里がおっとり言う。
 「先輩」
 「なんだよ」
 「トンカチもってきてください」
 張が悲鳴をあげる。俺も引く。
 ワインボトルでも受け取るように上品に片手をさしだす千里に対し、引き攣りまくった顔で聞く。
 「トンカチで何すんだ!?何すんだ!?」 
 「ついでにシートか新聞も。後始末大変ですもんね」
 「流血前提かよ!?トンカチは鈍器であって凶器じゃねえし拷問道具にすんな、できるだけ穏便に、血が飛び散らない方向で!」
 「そうか。じゃあ綿棒で」
 「綿棒どうすんだよ!?耳かき拷問!?」
 「やだなあ先輩。……違う穴だってあるじゃないですか」
 何故か、この時の千里の笑顔に怖気をふるう。
 世の中には俺の知らないことがまだまだ沢山あるようだ。
 「……くっ、なんて卑怯な!これが資本主義国日本のやり方あるか!?ご、拷問にも屈しない福建魂見せてやるネ!」
 張がぎりぎり歯軋りし義憤に燃えて息巻く。
 いきりたつ張を射程圏内におさめつつ、その気になればいつでも仕留められるといわんばかりの余裕の歩幅で間合いを詰め耳元で囁く。
 「今から綿棒をあなたの……」
 「いやああああああああああっ、なんでも聞いてくださいある!」
 張、敗北。
 「なに吹き込んだんだ……」 
 恐怖に征服された絶叫を上げ負け犬の背中を丸める張、完全降伏し震える様を愉快そうに見下ろし千里が質問する。
 「まず身元を教えてください」
 「チャン、張民孫……出身は福建……」
 「年齢は?」
 「二十三」
 「へえ、ぼくとおなじだ。どうでもいいけど。お仕事は?電気屋にも錠前屋にも見えませんが」
 「…………」
 苦渋の面持ちで唇を噛む。
 全身の毛穴から脂汗を濁流の如く垂れ流し黙秘する様子に葛藤が垣間見える。
 黙りこむ張の鼻先の床を軽く蹴る。張がびくりとする。傍で見てる俺の方が心臓に悪い。
 「張は……タクシー運転手ある」
 「綿棒を十本ほど」
 「ホントね嘘ちなうよ、故郷ではタクシー運転手ダタけど食い詰めて日本来たよ出稼ぎよ、張こう見えて苦労人よ!?」
 「千里、あんま脅かすなよ……可哀相になってきた」
 「先輩は引っ込んでてください」
 え?俺被害者だぞ?
 自称元タクシー運転手福建出身の勤労青年・張はすっかり怯えきって、小刻みにわななき震えながら千里をうかがう。
 穏やかに笑う千里の底知れぬ威圧と迫力にびくつきつつ、同情誘う潤み目で切々と訴える。
 「張は……張は依頼されただけよ、お金もらてやたよ、仲間もみんなそうよ。張だけ痛い目見るの割合わないよ、逃げた仲間捕まえてきて一緒に袋叩き望むよ」
 「いいから。答えてください」
 この場の主導権を握ってるのはサドっ気全開の千里で、被害に遭った俺はといえば、生き生きと張を嬲る千里に引きまくってる。最近妙に殊勝で大人しいから忘れかけていたが、千里は目的のためなら手段を選ばない人間だった。
 張はだまりこむ。苦悶の形相に、深い懊悩が滲み出す。
 千里は怖いが依頼者はもっと怖いとでもいうふうに、両者を秤に掛けてどっちつかずに揺れる。
 テープで縛られた手首を居心地悪そうにもぞつかせる張にため息ひとつ、埒が明かないと判断し千里が言う。
 「盗聴器を仕掛けるよう命令した人の特徴を教えてください」
 「白いスーツの人よ。お金一杯くれたよ。喜んで仕掛けたよ」
 「こいつ捨てていいか、ベランダから」
 反省の色なく嘯く張を指さし、忌々しく言う。捨てられちゃあたまらないと張がまくしたてる。
 「白いスーツの日本人、二十七位。イケメンだたある。靴ぴかぴか。偽ブランドじゃなくホントのブランドだたよ、張偽物見分ける目には自信あるね。背高くてスタイルよくてモデルみたいだた」
 「やっぱり……」
 張の説明を聞き、鮮明な人物像が網膜に結ぶ。
 白いスーツを着た長身の男、モデルのように均整取れた体躯、黒い光沢の革靴。
 その特徴はすべて、今日見たばかりの男に該当する。
 「知ってんのか?」
 千里は答えない。深刻そうに黙りこみ、壁の一点を見つめ頭を働かせる。
 反応のない千里から床に放置された張へと興味を移し、しゃがみこむ。きつく縛っちまったから、テープが腕に食い込んで痛そうだ。
 「逃げないね、約束するよ。中国人嘘つかない。電話かけたいからこれ解いてよ」
 「不法侵入犯が偉そうに。人んちにずかずか土足であがりこみやがって」
 「ちゃんと靴脱いだよ。証拠のこすようなヘマしないよ、見損なてもらちゃ困るある」
 「語尾アルって今時なんの漫画の影響だよ?」
 「ジャンプ中国でも大人気」
 どうでもいいっつの。
 「解いてくれないと張泣くよ。シクシクヨ。しくごじゅうくヨ」
 「四苦八苦じゃねえのか……」
 噛みあわないやりとりに徒労が襲う。
 縄を解いてくれとしつこく哀訴されためらうも相手はひとりこっちは二人、しかも千里には護身術の覚えがある。よもや逃げられる心配はないだろうと判断、うるさいから解いてやるかと手を伸ばせば我に返った千里が鋭く叱声をとばす。
 「余計なことしないでください」
 「でもこいつ電話かけたいって」
 「電話?だれに?弁護士なんて笑えない冗談なしですよ」
 胡乱げな視線を突き刺され、背筋えび反りで顎の角度を保つ張がまごつく。
 「誤解解いてくれる人。張のオトモダチ、心強ーい味方。その人ならきと張助けてくれるね、お前らの知りたい事教えてくれるよ。というか張実は下っ端で依頼人とはちょとしか会たことないね、何してる人か知らないよ、トモダチなら知てるアル。もともとそちの筋から紹介されたある、張巻き込まれただけよ、お金欲しさに。張無実、超無実」
 カタコトの日本語で懸命に弁解する。
 千里は少し考える素振りをし、顎に添えた手をおろす。
 「わかりました。先輩」
 千里の含意を悟り、張のズボンのポケットに手を突っ込んでまさぐり、苦労して携帯を抜く。
 「どこにかけるんだ」
 「…………この……」
 「森ってやつか」
 登録してある番号にかけ繋がるのを待つ間に、張の耳につきつける。
 俺と千里が油断なく監視する中、張は繰り返し生唾を嚥下し声の調子を整える。
 緊張の面持ち、緊迫の時間。
 心臓が早鐘を打つ。
 携帯が繋がるのが待ち遠しい。
 千里は犯人の心当たりついてるそうだが俺はさっぱりで、黒幕と目される白スーツの男は交差点で言い争ってる現場を遠くから目撃しただけで一度も接触なくて、なのに盗聴されるのは腑に落ねえ。いつのまにか部屋に盗聴器を仕掛けられ他人にプライベートだだ漏れプライバシー筒抜けだったショックもでかいが、そこまで恨まれる覚えもねえのにストーキングされるほうが気味悪ぃ。
 張いわく、自分は下っ端にすぎないとのこと。ヤツの証言を鵜呑みにしたわけじゃないが、多分、それは真実だろう。なるほど、張はいかにもザコっぽい。
 張とその仲間に盗聴器の仕掛けを命令した黒幕がこの「森」という人物なら、どうして俺をターゲットにしたのか、理由を知りたい。
 携帯が繋がる。
 敵陣の真っ只中で一縷の希望を見出し、囚われの張が歓喜する。
 「森サン!?森サンそこいますか森サン、大変張ピンチね、おかない人に捕まって痛イ痛イね、ハイヤーとばして早く助けきて!!」
 勇んで身を乗り出し噛みつかんばかりに喚く、救援を請う。
 会話の内容を聞こうと千里と共に携帯に耳を近づける。
 「………森サン?もしもし、森サ」
 『今忙しい。あとにしろ』
 一拍おいて、ようやく返って来たのは底知れぬ凄みを含む低い声。
 人を脅しなれた人間特有の、静かで剣呑な声色。
 これが森。黒幕。張たちに犯行を指示した人間。
 声だけでも十分すぎるほど伝わる威圧感に、ごくりと唾を飲む。
 携帯のむこうからかすかにテレビの音が響く。
 「できない無茶ゆなよ、今張大ピンチね、命仏前の東芝」
 『風前のともし火か。結構な事だ。中国人でも死にゃあ仏になるのか』
 携帯をひったくり罵声を上げたい衝動を辛うじて堪え、続きに集中力を注ぐ。
 張は既に半泣きの状態で、後ろ手縛られた不自由な体勢のまま前へ前へと這いずって、俺が翳す携帯に憤懣やるかたなく唾をとばす。
 「例の件で仕掛けに行たよ盗聴器、そしたら待ち伏せしてたよ、まんまと一杯食わされたね、聞いてないあるよ!黄と毛は先に逃げくさたある、張ひとりおいてけぼり、綿棒痛イ痛イヨ、早く助けくるよろし森サン!!」
 『つかまるような間抜けに用はねえ』
 無慈悲につっぱねられ、絶句。
 一縷の望みを絶たれた張が愕然と顎を落とし、ついで中国語でヒステリックに叫びだすのを制し、千里が代わる。
 「もしもし、はじめまして」
 『だれだあんた』
 「久住宏澄のナイトです」
 「誰がナイトだ」
 条件反射で突っ込む。
 俺の手から奪った携帯を掲げ持ち、自分を見捨てた仲間と裏切った男に口汚く呪詛吐く張を愉快げに見下ろし、唄うような抑揚で言う。
 「彼の身柄はこちらが押さえてます。虐めて吐かせてもいいんですけど、なんだかホント下っ端ぽいし。上の人に聞いたほうが早いかなって」
 『どうして盗聴がわかった?』
 「経験者ですから、そりゃあわかりますよ。……前と手口変わってないし、あの人ならそれくらいやるだろうっておもった」
 あの人?
 いぶかしむ俺をよそに、携帯を持ち壁にもたれ部屋の中をざっと見回す。
 「悪いけど引っかけさせてもらいました。盗聴器にも受信有効範囲がある、ある程度距離がはなれてしまうと電波状態が悪くなる。コンセントに偽装して仕掛けるタイプの盗聴器ならどんなに性能よくても5キロ圏内が限界、よって絶対近くで張ってる。たぶんバンかなんかに機材を持ち込んで張り込んでたんだ」
 『回収に来たところを一網打尽か』
 「近場なら証拠隠滅に来るでしょう」
 『……鋭いな』
 「どうも。何が目的ですか」
 『さあな。そいつは本人しか知らない。こっちはコネで請け負っただけだ』
 携帯の向こうでテレビの音が大きくなる。
 アニメを流してるらしく、声優特有の甘ったるく甲高い作り声が決め台詞を吐く。
 「………暴力団の方ですか」
 『懐かしい呼び名だな』
 否定しない。ということは、千里が今話してるのは、ヤクザか。
 「ちょっと待て、なんで俺がヤクザにロックオンされるんだよ」
 「あなたは黒幕と実行犯を仲介した。ヤクザなら裏社会に顔が利くし、ピッキング前科をもつ中国人をひきこむのもわけない」
 『もっと使える連中だと踏んだんだがな……見込み違いだった。煮るなり焼くなり好きにしろ』
 相手が喉の奥で低く笑う。背筋がおぞけだつような陰惨で残酷な笑い。
 「……あの人は何を企んでるんですか」
 「どういうことだよ千里、あの人ってだれだ、知り合いか?なんで俺がお前の知り合いにストーキングされてんだよ」
 「静かにしてください、聞こえない」
 「張見捨てるナラ秘密暴露するヨ!!」
 携帯を巡り争う俺と千里の間に首を突っ込み、張が吠えるやいなや、携帯のむこうで空気が凍りつきひびが入る。
 「聞いてるアルか森サン、張助けないとあの事バラすよ、森サン株大暴落よ!?わかたら早く助けくるよろし、張ただでは死なないよ、中国人なめるいくない、東京湾に沈む前に森サンの秘密イーピン浣腸ね!!」
 「一筆啓上……?」 
 「それよ!!」
 見捨てられてなるものかと食い下がる張の剣幕に気圧される。
 携帯のむこうに怒りと苦悩を孕んだ重い重い沈黙が漂い、永遠に続くかと思われたそれがため息で破られ、森が決断をくだす。
 『………そいつを返してもらう』
 「交換条件ですか」 
 『路上に素っ裸で放り出しておけば拾いにいく』
 「まだ質問に答えてもらってませんよ」
 『あいつの考えてることなんざ知るわけないだろう。せいぜい身のまわりに気をつけるんだな』
 「あの人は……いつ、動くつもりですか」
 『さあな。近いうちだろう。盗聴器を仕掛けたのはもののついでだと笑いながらほざいていた。あいつのやることはぜんぶ悪ふざけだよ』
 「……知ってます。そういう人ですから」
 『なら話は早い。……ナイトなんだろう?せいぜい守ってやれ』
 森が鼻で笑う。
 再び張に携帯をつきつければ、現金の一言に尽きる変わり身の早さで迎えを表明した恩人へ感謝とヨイショを延べ立てる。
 「信じてたよ森サン、日本のヤクザ情に厚く義を重んじるね、同胞見捨てたりしないある!」
 顔くしゃくしゃで咽び泣く張の前に携帯をおき、千里が苛立たしげに爪を噛む。
 「………千里……」
 「………単独行動はオフでも控えてください。買い物とか、外出の用があったらぼくに連絡してください。すぐ飛んでいきますんで」
 「待てよ、ひとりで勝手に話進めんなよ。どうして俺が狙われてんだよ、金もねえのに……俺なんか盗聴したところで相手に何の得が」
 「損得の問題じゃない。暇潰しなんだ、あの人にとっては」  
 千里は犯人を知っている。だが聞けない。聞いてはいけない気がした。
 千里の横顔は固く強張って詮索を拒み、その表情は妙に上の空で、神経質に爪を噛むしぐさが不安を誘う。
 「~~~っ!!」
 やり場のない苛立ちに髪かきむしり、プラスチックの基板が取り外されたコンセントを睨みつけ、つかつか歩み寄る。
 壁の隅に設けられたコンセントは中国人どもが作業を中断し逃げ出した為分解されたまま、複雑に絡み合った配線剥き出しの裏側の空洞を晒していた。
 矩形の空洞に手を突っ込み、絡まりあったコードを掻き分けてさぐるうちに違和感を感じとり、巧妙に隠れた異物をひっこぬく。
 盗聴器。
 全力で床に叩きつけ踏みにじる。
 床に激突するや弾けて壊れた盗聴器が完全に使い物にならなくなるまで、あらん限りの怒り憎しみ込めて踏みにじりつつ喝を飛ばす。
 「おい、聞いてっか千里の変態仲間。勝手に人んち上がりこんで悪趣味な真似しやがって、ふざけんな。トイレで水流す音聞けて満足か、いびきや寝言聞けて楽しかったか、ベッドの角に足の小指ぶつけて悶絶する声聞けて愉快だったか?若い女の一人暮らしならともかくむさ苦しい男の部屋盗聴して何が楽しい、意味不明、理解できねえ、そうだいいこと思いついた、盗聴なんてまだるっこしい真似せず直接家こいよ、正々堂々受けて立つ!」
 「先輩!?」
 「聞こえてんだろ変態野郎、手の届かないところで調子こいてにやにやしてんじゃねえ、言いたいことがあんなら直接言え、下っ端使って自分は高見の見物なんざ腰抜けの証拠だ、どうせぶん殴られんのが怖くて出てこれないんだろ、こそこそ逃げ回ってねーでつら出せ卑怯者!!」
 既に原形をとどめぬ段階まで破壊した盗聴器を、なおも執拗に蹴飛ばし踏みつけ挑発する俺の肩を千里が掴んで制すや、激烈な怒りが爆ぜる。
 「さわんな!!」
 振り向きざま肩に乗る手を苛烈に払う。
 短慮を悔いるより早く、千里の顔から表情が消失。俺に拒絶され、呆然と立ち尽くす。
 「………泊まるって、こういうことかよ。盗聴器の様子見に来たのか」
 「ちがう、」
 「そいつとグルなのか」
 「誤解です」
 「帰れ」
 「先輩、」
 「帰れよ。顔も見たくねえ」
 背中を向けたまま、手の甲を激しく振って追い立てる。
 しばらく経ち、ひきずるような足音が遠ざかっていく。胸中にこみ上げる苦いものを噛み潰し、玄関のドアを開け、出ようとする千里に言う。
 「忘れ物」
 「物じゃない人よ!?」
 「うるせえ」
 さも心外そうに反論する張の後ろ襟を掴み、玄関まで引きずっていって、顔も見ず千里に手渡す。
 「……失礼します」
 「失礼ねお前、張物扱いするな、もー怒た、今度お前の部屋上がる時靴脱がないよどろどろよ!」
 「次はねえ」
 目を吊り上げ怒り狂う張を突き放し、千里が廊下に出るのを見計らい、乱暴にドアを閉じる。
 ドアが閉まる間際、名残惜しげに振り返った千里と目が合う。
 何か言いたげにその唇が動くも結局音は伴わず、発せられたかもしれない言葉は、ドアが閉じる轟音にかき消された。
 

 この時、ちゃんと話を聞いてやればよかったと。
 俺は、あとで死ぬほど後悔することになる。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419230028 | 編集

 千里と喧嘩した。
 「痴話喧嘩?」
 「断じてちがう」
 「原因はなんだ。夫婦喧嘩週三のベテランに話してみろ」
 「ガキの教育に悪い。パパ株暴落してんじゃねーか」
 「言うなって……」
 「悪い悪い、最初から底値か。それ以上落ちようなくて安泰だ」
 目下羽鳥の泣き所たる子供の話題をだせば、椅子に後ろ向きに跨ったままがっくり首を折る。
 口からはぁぁあと息を吐き、黴が生えそうなどよんど陰鬱な顔でぼやく。
 「原因は浮気。嫁さんが勝手にメール見てそんでまた喧嘩になる」
 「見られてまずいもんでも入ってんのかよ」
 「お店の女の子のアドレスとか絵文字入りのメールログとか色々。メール交換だけでおさわりなしだって訴えても信じてくんなくてパパ参っちゃう」
 「日頃の行いが悪いからだろ」
 「お前までそんなこと言うー」
 「女のメール消せ。待ち受けのバドガールも消せ」
 「Fカップなのに!?」
 「サイズは関係ねえ」
 「谷間に挟めるのに!?」
 「手で椀を作るな。あと、挟んだらぬるまって不味い」
 「あとさ、俺ってばメタボ体型なのに油もの大好きじゃん?そばに天ぷらのってねーと我慢できねえ体質っつかカツはロースに限るという信念があってだね、昼なに食ってきたか嫁さんに聞かれると嘘ついても何故かバレて喧嘩に……女の勘ってすげえなー」
 「ネクタイに千切りキャベツついてるぞ」 
 ハッとネクタイを裏返すや、芋虫の如く丸っこい手で干からびたキャベツのカスをつまんで捨てる。……あー水分が蒸発しきっちまうとキャベツって渋紙っぽい質感と色になるんだ。どうでもいい知識。
 羽鳥と漫才の間中、話題の的は椅子に身を沈めこっくりこっくりうたた寝していた。
 昨日は寝不足だったのか、目の下に薄く不健康な隈が浮いている。
 冴えねえツラ。
 キーボードに両手を乗っけたまま首元は安定せず、何度もがくんと落っこちては目覚める繰り返し。
 らしくねえ、全然。
 昨日追い出してからこっち話すタイミングが掴めずにいるが、追い出される間際、誤解ですと言い張って俺を仰ぐ途方に暮れた顔が脳裏にちらついて仕事がはかどらず凄く迷惑だ。
 つかれきって舟漕ぐ千里をチラ見しつつキーを叩けば、注意力散漫なせいか誤字脱字頻発し、慢性の舌打ちを堪えカーソル移動しちまちま修正する。
 らしくねえのはどっちだ。お互い様か。
 「仲直りの秘訣教えてやろうか」
 椅子の背もたれに二重顎をのっけた羽鳥がにんまりほくそえむ。
 「なんだよ」
 「先に謝っちまう。自分が悪くなくても土下座」
 参考にならねえ人生の先輩のアドバイスを鼻先で笑い捨て、机に手をつき席を立つ。
 時計を見りゃもう昼休みに突入していた。
 女子が一人代表して歩み出て千里の肩を叩く。
 拍子にぱちりと目を開けた千里が慌てて口元を拭き涎がたれてないか確かめりゃ、おどけた動作に誘われ軽やかな笑いがさざなみだつ。
 あいつのまわりにはいつだって人が集まる。
 俺なんかお呼びじゃねえ、か。
 「ち」
 なんとなく舌を打つ。
 やきもち焼いてるみてえだと自嘲し、戸惑いと同時にばつの悪さを味わう。
 千里に気付かれないうちにと椅子を引き、そそくさオフィスを出る。
 社員食堂にするか外で食うか悩むも、天気もいいし外で食うことにする。
 仲良し同士班に分かれた弁当持参組のうちインドア派はデスクへ、アウトドア派は屋外の公園や屋上へ行き、社員食堂組は和気藹々グループ組んで三階へ向かうも、背広のポケットに片手を突っ込んでどちらの波にも乗らず一人で歩く。
 入社以来、一人で食うのが習慣になってる。
 別に寂しくねえ。痴話喧嘩とおなじ週三の頻度で愛妻弁当持参の羽鳥にタコさんウィンナー(足が多すぎて進化の方向性を間違ったイカに見える)やリンゴうさぎ(切れ込みが深すぎてハイレグ状態、とても卑猥)を見せびらかされ自慢とお惚気の無限ループに付き合わされるよかよっぽど気楽だ。なんだかんだ言って夫婦仲円満らしいのがむかっぱらたつ。
 さいわい会社の近くは手頃な価格で美味い料理を提供する軽食喫茶や食堂が充実してて、その日の気分でイタリアンから和食まで選び放題ときた。
 エレベーターで一階に降り、ホールを抜けながら昼食のメニューを徒然考える。
 給料日前で懐も寂しいし安いもんがいい。
 ちなみに俺はうどんかそばかで言えばそば派だが、汁物は眼鏡に飛ぶためいつ頃からか避ける癖がついた。軽い財布と相談しつつ、そういや最近食ってねえなあと思い当たり呟く。
 「住吉の天丼にするか」
 「すいません、少しいいですか」
 「は?」
 回転ドアを抜けると同時にやけに丁寧な敬語で言われ、振り向く。
 見覚えある男がいた。
 薄い灰色のサングラスをかけた地味な風貌の男。
 無個性こそ至上の美徳のようなスーツに身を包み、緊張してるのかそれとも地なのか、ひどく生真面目な顔つきで俺と向き合う。
 「久住さんですね」
 「あんた、昨日交差点でビンタ張られてた?」
 反対に問えば、男が丁寧に一礼する。
 「ご挨拶するのは初めてですね。万里さまがいつもお世話になっております」
 「千里の知り合いなのか」
 素で驚きを顔に出す。
 盗聴器をめぐる一連のやりとりから薄々予想していたが、昨日の今日で接触してくるとは行動が早え。
 「―って、さま?」
 「貴方に折り入ってお話したいことがあります。………詳しい話は中で。おごりますよ」 

 「いらっしゃいませー」
 紺地に白く「蕎麦処」と染め抜いた暖簾をくぐる男の後から敷居を跨ぐ。
 「こぢんまりとしたいいお店ですね」
 「嫌味か」
 店の中でもサングラスを外さない男は、サラリーマンで埋まった昼時の蕎麦屋で浮きまくっていた。
 「今日は千里さまはご一緒じゃないんですか」
 「あいつは女連中と食いにいってる。ガキじゃあるまいし四六時中くっついてられっか」
 「先日お見かけしたときは随分と親密そうでしたが」
 「サングラスに度を入れろ」
 店員がほのかに湯気だつ茶をもってきて俺と男の前におく。
 「ありがとうございます」
 素焼きの湯のみを押し頂き熱々の茶を一口含むや、これぞ極楽とばかり爺むさく息をつく。
 ……妙な成り行きになった。
 「あんた誰だよ。千里の知り合いか。盗聴の件に噛んでるのか」
 呑気に茶をしばくために男ふたり蕎麦屋の暖簾をくぐったんじゃねえ。
 まずはこっちの用件をすます。
 椅子から腰を浮かせ気味に問えば、丁寧に湯のみを抱いて、失礼にあたらない程度のさりげなさでこっちを観察する。サングラスに隠れた目は意外と理知的で、同時に油断ならない鋭角の光を孕む。
 得体の知れない男だ。
 背広の内側に大口径の銃を隠し持っていそうな、しかし人前でみだりに抜かない信念と自制心を持ち合わせてるかのような、限りなく無臭に近く薄められた危険な雰囲気。
 完璧に抑制の利いた物腰と低音の声。
 来るときが来たらためらわず引き金を引く。
 「お茶、早く頂かないと冷めてしまいますよ。もったいない」
 「冷めても美味いからいいんだよ」
 「そうですか」
 納得したのか軽く頷き、再び湯飲みを回す。
 茶を十分堪能してから湯のみを置き、名刺を一枚卓上に滑らせる。
 「申しおくれました。私、こういう者です」
 滑ってきた名刺をすかさずキャッチ、目を凝らして仰天。
 「SENRIコーポレーション ユーロ支部社長秘書 椎名隆文……」
 名刺に印刷された肩書きを読み上げ、衝撃を受ける。
 「ご存知でしたか」
 「千里の道に札束敷き詰め万里の長城買い占める、『あの』SENRIコーポレーションか?」
 「千里の道も一歩から、やがて万里の長者に至る『その』SENRIコーポレーションです」
 自制心となけなしの見栄を振り絞り、興奮に上擦る声を辛うじて抑える。
 正面の男が静かに頷き、悠揚迫らぬ物腰で茶を啜る。
 SENRIコーポレーション。
 日本有数の大財閥大企業で、外食産業始めとして様々な事業を手広く手がけ成功させ海外でも評価が高い。 
 読み方がちがうから今まで結びつけたことなかったが……
 男……椎名がよこした名刺をひらつかせつつ、おもいっきり眉をしかめる。
 「大企業の社長秘書ともあろうお方がこんなとこで呑気に茶あ啜ってていいのか?減棒されるぞ」
 「秘書にも昼食をとる自由はありますので。社員の人権を無視し、二十四時間拘束するような非人道的企業ではありません」
 「あーあーさいですか」
 咳払いし椅子に座り直す。
 ぬるくなった茶を渋面で啜りつつ、慎重に言葉を選んで言う。
 「あんたも千里もSENRIコーポレーションの関係者なんだな?」
 「万里さまは会長のご次男です」
 親族だったのか。しかも実の息子ときた。 
 椎名は湯飲みをひねくりまわし俺がどの程度事情を知ってるか双眸を眇めて推量するも、正直なにも言い返せねえ。
 俺は千里のことを何も知らない。
 改めて、その事実を痛感する。
 「万里さまは会長のご次男で、私が秘書としてお仕えする社長……有里さまの実の弟に当たります」
 「異母兄弟……だっけ」
 「万里さまはご幼少の頃お母様を事故で亡くし本家に引き取られました。高校を出るまで本家で暮らしたのですが、大学からはずっと一人暮らしで、系列の会社に就かせたいというお父上の強い要望を振りきって、ご自身の意志で普通の会社に就職なされました」
 「普通の会社ね……」
 「失礼しました、一般の企業という意味です」
 「フォローになってねえっつの」
 そりゃあSENRIコーポレーションのような超大手と比較されちゃ普通も普通、二流どころだけど。
 椅子に深くもたれ、たった今、椎名の口から告げられた衝撃的な千里の出生と半生を回想する。
 千里は日本有数の大企業にして一族から成る大財閥、SENRIコーポレーションの会長の息子だった。本来なら俺と同じ職場で働いてるはずがねえ、スタート地点からちがうのだ。俺は最初から百馬身引き離されてる。
 昨日の食事風景を思い出す。
 レトルトのカレーがまるでレストランで出される本格料理のように見えた。
 子供の頃からフォーマルな席に出る事が多く、フォークやナイフおよびスプーンの使い方を徹底して仕込まれたのだろうと今やっと合点がいく。
 「けどさ、なんで家を出たんだ。コネで就職できたのに」
 「万里さまは自立心旺盛な方ですから、本家の世話になる境涯に心のどこかで負い目を感じていたのかもしれません。……色々事情もありましたし」
 「反抗期か」
 はしかも反抗期も遅くこじらせるほど厄介だ。
 過干渉な親に嫌気がさし、その庇護と監視を逃れて自由に生きたいとおもうのはまあ理解できる。
 昼時の店内は適度に混み合いざわついて話を聞かれる心配もねえ。
 木目の渋く色褪せた卓を隔て向き合った椎名は、重々しく経緯を説明する。
 「大学に入られてから、もう何年もご実家とは連絡をとられてません。会長は再三帰って来いと申されてるのですが、無視され続けて……」
 「勝手に就職しちまったわけか」
 まるで親と、いや、実家と縁を切りたがってるみたいだ。

 『先輩の家族が少し羨ましいです』
 いつになく弱気な呟きを思い出し、茶の渋味が増す。

 達筆に崩し壁に貼り出された短冊の品目を一瞥、微笑んで呟く。
 「……優秀な方ですから。万里さまなら、コネに頼らずともストレートで就職できたでしょうね」
 おだやかな語り口に敬愛の念がにじむ。
 千里の今の生き方を尊重し認めているのだなと、サングラスの奥にちらつく凪いだ眼差しでそう思う。強面ぶってるが案外いいやつかもしれない。
 千里が大財閥の息子だというのは分かった。実家と確執があるってのも分かった。
 分からないのは、だ。
 「なんだって俺が千里の兄貴にストーキングされてるんだ?」
 昨日交差点で言い争っていたのは椎名と千里の兄貴……名前は有里。
 千里の思わせぶりな独白とその光景を照らし合わせば、さすがに犯人は見当つく。
 「お待たせいたしました、天丼です」
 「ども」
 店員が注文を運んでくる。
 ぱきんと割り箸を割り、一見の素人がやりがちな選択ミスを笑う。
 「なんだ、そばにしたのか」
 「蕎麦屋ですし」
 「ここは天丼が美味いんだよ。そばは伸びきって箸でつまむたびぼそぼそ切れるしおすすめしねえ」
 椎名の手元を箸でつつきアドバイスすりゃ、地声がでかいせいか頑固親父に睨まれちまったが知らんぷりで通す。
 盗聴器を仕掛けた犯人の動機についてこれから調べ上げようってのに敵陣の人間とつらつき合わせて飯食うのもアレだが、腹が減っちゃ戦ができねーし、何よりサラリーマンに許された自由時間は少ないのだ。
 「汁物だとグラサンに飛ばねえか?色つきなら目立たねえか」
 「どうぞお気遣いなく」
 人徳がなせる業だろうか、昼飯ついでにのこのこ出向いてきた黒幕の秘書とまったり打ち興じ調子が狂う。相手の態度が無礼ならこっちも強気に出れたが、接し方はあくまで慎みを持ち、美味そうに茶を味わうさまやそばを啜るとこを見せられ怒りに代わる脱力感が襲う。
 椎名がそばを啜りつつ謝罪する。
 「盗聴の件は非常に申し訳なく思っております」
 「あんたが指示したんじゃねえんだから謝らなくていい、理由が知りたいんだ。……まあ、何だ。とりあえず、謝るんなら箸おけよ」
 そばつゆにそばつけながら詫びられても今いち誠意が感じられねえのがホントのところ。
 礼儀正しい所作でつゆに浸したそばを啜りながら椎名が呟く。
 「有里さまは……万里さまをとても気にかけてらっしゃいます」
 「俺はとばっちりか?」
 親元を離れろくに連絡もよこさない弟を案じるあまり盗聴器を仕掛ける心理は理解できなくもない、というか正直まったく理解できねえししたくもないが、弟の職場の先輩の留守中マンションに忍び込んで盗聴器仕掛ける方がずっと異常だ。
 「千里が気になるなら千里んちに仕掛けろよ、巻き込むんじゃねーよ、関係ねえだろそもそも。それともなんだ、あいつの部屋広すぎて盗聴器ひとつじゃ足りないから手近で間に合わせたのか。兄弟喧嘩に巻き込まれちゃたまんねーよ」 
 「……あんまり怒ってませんね」
 「怒ってるよ」
 衣をたっぷりつけ揚げた贅沢な海老天をかじりつつ、甘辛いだしがしみた飯を一緒に頬張り、茶を飲んで一息つく。
 人心地つくのを待って口を開く。
 「盗聴器だぜ?普通に犯罪だろ。人が会社行ってる間に勝手に上がりこんでヘンなもん仕掛けやがって、本気でベランダから捨てようとおもった」
 捨てるのは盗聴器じゃなくて張だが。
 「―けどまあ、別に独り言の癖もねえし……トイレを流す音や立ち歩きの気配、テレビの音声が淡々と流れるの聞いたって環境音楽みてえなもんじゃねえか」
 「僭越ながら、男性の一人暮らしなら自慰の声なども聞かれてらっしゃるかと」
 危なく吹きだしかけ、喉に詰まった塊を茶で押し流して激しく咳き込む。
 「……考えると殺意が湧くから懸命に逸らしてたのに」
 「お心当たりがあるようで。ご愁傷様です」
 「俺のあの声がでかい前提で話進めんな」
 「せめてもの救いは女性を連れ込んだ形跡がないことです。お相手にもご迷惑ですし」
 「~どうせ彼女と別れてからご無沙汰だよ俺は」
 澄まし顔に茶をぶっかけてえ。
 こめかみをひくつかせる俺と向き合い、つゆを飛ばさず最後の一本を啜りこむ。 
 「有里さまは万里さまを独占したいんです。万里さまの心が他へ向くのが許せない」
 「は?それじゃ恋……」
 宙を舞う箸がとまる。
 椎名は先に食べ終えて箸をおくや、サングラスごしの目を伏せ、しずかに聞く。
 「被害届けを出されますか」
 「……騒ぎをでかくしたくない」
 「賢明ですね」
 「?どういう」
 「おそらくまともに取り合ってもらえないでしょう」
 「………手を回したのか」
 「はい」
 知らず握力をこめすぎたせいで、割り箸がへし折れささくれた断面をさらす。
 悪びれもせずあっさり肯定した椎名が、背広のポケットから封筒を抜き出し卓上に滑らせる。
 「久住さん。少し会社を休まれて、ご旅行にでも出かけられたらいかがです」
 箸をおき、慌てて中を確認すれば航空券が入っていた。
 椎名の本心をはかりかね、手の中のチケットを持て余す。
 「万里さまとハネムーンに」
 「ぶち殺すぞ」
 皆まで言わせず遮り、チケットを乱暴に卓上に叩き置き席を立てば、店中の視線が突き刺さる。
 「どういうことだよ、一体。俺んちに盗聴器仕掛けたかとおもえば次は旅行かよ、びびって高飛びしろってか?一体なに考えてんだあんた、その有里ってヤツも、俺に何させたいんだよ!?」
 「可能ならこのままマンションに帰らず、万里さまと落ち合ってまっすぐ空港にむかってください。タクシー呼びますから」
 善は急げと携帯のボタンを押しタクシーを要請しようとする椎名の手からそれをはたき落とす。
 「あんたが勝手にやってんのか、俺と千里と二人分チケット手配して高飛びしろってのは独断か?あんた秘書だろ、盗聴器の件だってもちろん知ってた、今さら良心が咎めて逃げろって……待て、逃げる?なんで逃げるんだよ、そりゃ盗聴器あったけど、変な中国人が勝手に部屋に上がりこんで喚いてうるさくて蹴りだしたけど、だけど今んとこプライバシー侵害以外実害ね……」
 「有里さまはじき行動を起こします」
 「はあ?」
 飛躍っぷりに混乱を来たす。
 引き攣りがちな笑みを浮かべ、落ち着き払った椎名をまじまじ見返す。
 「逃げてください。どこか遠くへ。少しの間だけでいいんです。逃げて、隠れて」
 「おい、」
 「万里さまを連れて。あと二週間、いや、一週間も経てば有里さまはまた海外支社へお戻りになれらます。そしたらあなたがたに容易に手出しできなくなる、それまでの間でいいんです」 
 「冗談じゃねえ、あいつと旅行なんか……大体英語しゃべれねし」
 「ご安心ください、万里さまは話せます」
 「通訳?お断りだな。他にもほら、海外って色々危険だし税関とかうるせえし空港の荷物検査めんどうだしアレひっかかると恥ずかしいし、いや別にいまどき海外旅行経験ゼロだからテンパってるとかじゃなくて、だって常識で考えておかしいだろ別に親しくもねえ職場の後輩とふたりっきりで海外旅行なんてさ?それにそうだ仕事あるし、俺が抜けたら穴埋め大変だし、会社にとって歯車でも歯車一個抜けただけで結構な損害だし、歯車は歯車なりにプライドがあるし、歯車っていっても俺はゴールデン歯車なわけよ」
 「万里さまを連れて逃げてください」
 「やなこった」
 「万里さまを助けてください」
 「-ッ!!」
 卓につきそうなほど深々頭を下げる椎名にチケットと自分の分の代金を叩きつけ憤然と大股に店を突っ切る、脳裏でぐるぐる回るハネムーンの言葉椰子の木茂る常夏のビーチと白い砂浜どっかのリゾート燦燦と降り注ぐ太陽の下パラソル開いて千里と日光浴、手に手をとって逃避行……
 男同士でしょっぱい。なんだそりゃ。
 自慢じゃねえけど俺は海外旅行経験なくて初めての海外旅行は安子と二人でと計画してひそかにパンフレット集めてたのに夢ぶち壊しだこん畜生!
 「ご馳走さん、釣りはいい!」
 店の引き戸を蹴り開け大声で叫び通りに出る、椎名を全速力で引き離し会社へ帰ろうと雑踏の中とびこむ、いや正確にはとびこもうとした。
 革靴のつま先すれすれをタイヤが過ぎっていく。
 顔を上げればなんだかえらく高そうな俺には一生縁のなさそうな黒塗りの高級車で後部ドアが開く、見覚えある顔つか半日ぶりの張が実に爽やかな笑顔で
 『対不起』
 良心の曇りなんざ一点も見当たらない清清しい笑顔で、俺の腹にスタンガンを突き立てる。 
 「!!-っぐ、」
 おい待て、白昼の往来で?人が見てるのに?
 蕎麦屋の店先に停まった車後部ドアから身を乗り出す張、脇腹を襲った衝撃に呼吸が途絶、不規則な痙攣を引き起こし倒れこむ。
 視界が狭窄溶暗、張が俺の体を受け止め車の中へ引きずり込み中国語で何か囁く、ニュアンス的に楽勝だとか間抜けだとかそんな感じの揶揄か嘲弄、車の中に投げ込まれるやバタンとドアが閉じ出発、運転席に座った男がやっぱり中国語でなにか言い助手席の男が携帯をかける。

 『我走了!』

 有頂天の張の中国語の快哉を最後に、意識は途切れ、闇に飲み込まれた。 

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225936 | 編集

 『早上好』
 頬を軽く叩かれ薄く目を開ける。
 すわ接吻かと見まがう近距離でおぼろな人影が像を結ぶ。
 「う………おはようって時間か?」
 頭がどんより曇って働かない。
 起き上がろうと腹筋に力を入れるや激痛が苛み呼吸が途絶、もがく俺を手真似で押さえベッドの端に腰掛けた張が大げさなアクションをとる。
 「おねんねしてるがいいよ、お前スタンガンくらた、無理するとぽんぽん痛い痛いね。後遺症よ」
 「どこだここ……」
 私は誰だと続かなかっただけもうけもの。
 目覚めたらどこか知らない場所に移動していた。
 シルク素材のベッドはなめらかな質感で身を包む。
 ベッドに上体を起こし見渡せる範囲だけでもかなり広く、いかにもセレブ御用達といった洗練された内装でまとめられている。壁の一面は天井から床近くまである窓になっていて、その向こうに栄えある高さを競い合う摩天楼の展望が聳え立つ。
 視線を手前に戻しぎょっとする。
 改めて自分が置かれた異常な事態に気付く。
 俺は外国の映画でしかお目にかかったことねえようなクイーンサイズのベッドに転がっていた。純白のシーツは染みひとつ皺ひとつなく糊が利き、土足で汚すのが気が咎め、慌てて靴を脱ぎ捨てる。
 「あんま動くいくない。お前病み上がりよ」
 二度と見たくないつらが唇を舐め含み笑い、ガキを寝かしつけるような手つきで、一旦は起き上がりかけた俺を宥めて押し戻す。
 「病んでるのはお前の日本語と頭だ!」
 張の手を邪魔っけに払いどやしつけ、金属が擦れ合う音に振り向き、凍りつく。
 冷たい銀の光沢を放つ手錠が右手に嵌まってる。
 「なんだこりゃ」
 「逃がさないよう処置ね。お前ぐすりおねんね、よいせよいせ運ばれても気付かなかた」
 右手に嵌まった手錠の反対側はがっちりベッドの頭の支柱に繋がっている。
 試しに引っ張ってみる。鎖がうるさく軋り擦れ合う。今度はもっと強く……
 駄目だ。
 俺の力じゃ引きちぎれない、金属の輪が食い込んで手首に血が滲む溝がつくだけで終わる。
 努力が無駄と文字通り痛感し、金槌で内側からぶん殴られるように頭がガンガン響く。
 「……拉致ったのか……」
 張は否定も肯定もせずのらくら笑い、ベッドの端に腰掛け体をずらし楽しそうに俺を覗きこむ。ズボンのポケットが不自然に膨らんでるのに気付き眉をひそめりゃ、わざとらしい手つきで物騒なブツを引っこ抜く。
 「スタンガン、秋葉原で買た。安いから性能今いち」
 「んなやばいもん人に使うんじゃねえ」
 「自分使うちがうからいいよ。張電撃ビリビリでイく趣味ないね、そんなの変態よ、張マゾちなう。でもヒト痛がるの見るの結構好きよ、生意気な日本人なら尚更」
 諦め悪く手錠を引っ張りつつもう一方で本能的に身の危険を感じ、張の手を追う。
 張はおふざけ半分遊び半分スタンガンの電源を入れ、先端の電極から火花を放つ。
 あれを使われたのかと毛穴から脂汗が噴き出し、鈍痛に疼く下腹部がフラッシュバックで微痙攣を引き起こす。
 「安物だけど結構便利で使えるよ。包丁してるよ」
 「重宝だろ」
 「ドスとおなじくらい危険だからいいのよ」
 「白昼堂々……往来で……大勢見てるのに……とちくるったのか?今頃通報されてるぜ、警察が踏み込んできたらどうする。蜂の巣にされんの怖くないのか」
 滴る脂汗を隠し、せめても虚勢を張って脅す。
 内心の怯えを悟られるのはプライドが許さない。
 引き攣りがちに笑えば、張がリズミカルに舌を打ちつつ首を振り、鷹揚に言う。
 「日本の警察腰抜けヨ。まず銃抜かないネ。発砲問題になるヨ、不祥事怖い怖いヨ。少しは中国の警察見習ういいヨ、祖国では毎年二万人死刑になるネ」
 「さすがに二万は嘘だろ。人口過密事情んな深刻なのか」
 素人のハッタリなんざ屁でもねえと鉄壁の笑みを崩さず、俺のほうへと乗り出して、仰け反る鼻面にスタンガンをつきつける。
 「堂々やたほうが案外バレない。お天道様高い高い白昼の犯行、まわりのヒトはみな映画の撮影かなんかだと思うね。張プロだから手際いいよ、チームワーク抜群ある」
 張の言い分も一理ある。
 俺が通行人だったら、目撃者だったらどうだ?
 目の前でいきなり見ず知らずの会社員が嵐のような勢いで拉致られたら即体が動くだろうか、ドラマや映画の撮影に偶然出くわした可能性もあるし真面目に地味に地道に生きてる俺の前で黒塗りの高級車が突然現れて拉致とか犯罪絡みのトラブル起きるわけねえと煮え切らず逡巡して判断を先送りにしそうだ。
 常識人ほどいざトラブルに出くわすと弱い。
 「尾行……してたのか」
 質問には答えず意味深な笑みでとぼける。食えねえやつ。単なる脅しのつもりだったのだろうスタンガンを引っ込めるや、肩を竦める仕草つきであっさりこう嘯く。
 「張、お金さえ貰えばなんでもするよ。仲間だてそう、依頼人は神様。たんまり報酬弾めばご奉仕するある」
 「仲間とはもう仲直りしたのか」
 いや、待て、ほかにもっと聞くことあるだろ。問い詰めるべき重要なことが。
 ここはどこかとか俺はだれだとか記憶喪失じゃあるまいし後者はいらないか、なんで俺をさらったのかとか、そう、それが一番大事だ。
 「会社……帰らねえと……」
 はっきりしない頭で朦朧と呟く。呂律が回らない。
 まだ電撃のショックが残ってるのかと、他人事みたいに分析する。
 「はずせよ、これ」
 「玩具ちなう。暴れてもとれないよ」
 「なんで拉致ったんだ……昨日の仕返しか。見逃してやったろ。ほんとなら警察に突き出すとこだったんだから、感謝してほしいくらいだ」
 ベランダから蹴り落としときゃよかった。そしたら面倒なトラブルに巻き込まれずにすんだ。
 受難は続く。
 災難が見舞う。
 むしろ人災の範疇だ。
 と、張が鼻をむずむずさせ、一発派手にくしゃみをかます。
 「わっ、きったね!」
 顔面に唾のしぶきが飛ぶ。
 豪快にくしゃみした張が人さし指で鼻を拭きつつ恨みがましい目つきでこっちを睨む。よく見りゃ頬に青タンができている。マンションを出てから千里に小突き回されたらしい。
 「お前の朋友のせいで風邪ひいた。さんざんある」
 「え?まさか路上に素っ裸で放置って、実践したのか……」
 「夜で人通りなくてよかた。人いたら無難に逮捕で強制送還、福建の恥に成り下がるとこだた。故郷に褌飾るまで張帰れないよ」
 「スケールでっかく中国人民十二億の恥といこうぜ」
 「いつ警官通りかかて職質されるかハラハラドキドキ着た心地しなかた」
 「全裸ならな」
 「股間隠すの大変だたね。森サン迎えにくるまで寒い寒い。あやつ酷いサドね」
 大げさに肩を抱いて震えるまねをする。
 つまり千里はこいつを素っ裸に剥いて道路にほっぽりだしたわけか。グッジョブ。
 仕置きに溜飲さげるも冷静に考えりゃ千里がチャイニーズを放置プレイしたせいで俺がとばっちりくってるわけで、感謝の念はすぐ消える。
 おもいっきり警戒し歯を剥く俺に、摩天楼を背景に胡散臭く両手を広げ、自分の手柄でもポケットマネーでもないだろうに誇らしげに宣言する。
 「某ホテルのスイートルーム。一晩泊まるン十万かン百万とぶ。お前羨ましね、ふかふか」
 「どうやって連れ込んだんだ。さすがにフロントが怪しむだろ」
 「お前馬鹿か。真正直に正面から行たりしないよ、従業員通用口からコソーリ侵入したよ、直通エレベーター使て」
 「セキュリティずさんだ……」
 「コネ偉大。見逃してくれたある」
 「仲間はどうした」
 「表で見張り。逃げようたて布団屋おろさないよ」
 「問屋だろ……」
 なんだかどっと疲れが襲う。
 そうだ携帯。
 不自由な片手で慌てて背広の懐をさぐれば、確かにあった携帯がなくなってる。
 「捜し物コレね?没収」
 「こら待て似非中国人しゃべり」
 「水洗トイレにぼちゃんするよ」
 「すいません」
 携帯は営業の生命線。あの中には取引先の番号もごっそり入ってる、水洗トイレに流されたらおしまいだ。
 歯軋りして詫びる俺の鼻先で携帯をぶらつかせ振り回し高笑いする張を絞め殺してえ。
 深呼吸で煮え立つ怒りをしずめつつ張をにらみつける背後でドアが開き、何者かが入ってくる。
 敷き詰められた絨毯が靴音を吸い込む。
 優雅な足取りでやってきたのは白スーツの男。
 モデルみたいにスタイルが良く、鼻筋が通ったしゃらくせえ顔をしてる。
 颯爽と歩く姿に漂う気品、一挙手一投足が放つ傲慢な権威みたいなものが、強烈なオーラとなって存在感を引き立てる。
 「起きたか、お姫様」
 「おひ」
 思考停止。
 「なんてな。冗談だよ。王子様のが気に召すか?」
 などと、自分のほうがよっぽど王子らしいツラをした男があざ笑う。王子というよりは若くして権力を握った帝王に近い驕慢さだ。 
 ベッドの足元に予め用意された一人掛けソファーに座り、申し分なく長い足を優美に組む。
 一挙手一投足が音楽を奏でるような洗練ぶり。 
 男のつらには見覚えがある。
 交差点で目撃した光景が甦り、知らず足を崩しベッドの上をあとじさる。
 ベッドの足元に俺が蹴り捨てた革靴を一瞥、面白い芸を見たように目を光らせる。
 「正式にお目にかかるのは初めてだな。俺は千里有里」
 「千里の兄貴か」
 「弟がいつも世話になってる」 
 肘掛けに頬杖つき、口の端を皮肉っぽく歪める。
 「女子高生が好きらしいな」
 「はあ?」
 「AVの話だよ。あんたが持ってる」
 こともなげに言い放つ。全身からさっと血の気がひく。
 俺の反応を見るや、男……有里はくつくつと喉を鳴らす。
 「声、聞かせてもらった。マスターベーションの頻度自体はそう多くないがな。だけど女子高生、女子高生ね。こっちの若い女は肌が汚くて好きじゃないんだが、アレに欲情するなんてマイナー趣味だ」
 「こっちじゃメジャーなんだよ」
 改めてこいつが盗聴を指示した事実を思い出し、こめかみが怒りで脈打つ。
 「あんたの声も聞けたらよかったんだけどAVの喘ぎのがうるさくて、残念、よく聞こえなかった」
 「変態野郎」
 「万里にはいつも聞かせてやってるんだろう」
 嗜虐の光に濡れた目が細まる。背筋に寒気が沿う。
 「さっそく用件に入ろうか。あんたをここに呼んだのはほかでもない」
 そばのテーブルにのっていた封筒を手にとり、俺のほうへと投げてよこす。かなり厚みがあるそれを不審げに見下ろす。
 手錠をかけられ使えない右手の代わりに、不自由な左手でのろのろ拾い、中を確かめて絶句。
 「五百万入ってる。それで万里と別れてくれないか」
 要するに手切れ金だ。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225844 | 編集

 無造作に投げてよこされた封筒から帯封をした分厚い札束が覗く。
 王座に腰掛けた男が誘惑するように足を組む。
 「五百万ある。万里と別れてくれないか」
 「……手切れ金ってことか」
 今にも噛みつきそうな顔で唸るように言う。
 「察しがいいじゃないか」
 「冗談は白スーツだけにしとけ。大企業の社長サマのくせに服のセンスは歌舞伎町のホストか?んで、ご自慢の白馬はどこに待機してるんですか」
 「残念ながら馬はホテルに連れ込めない。駐車場で待たせてる」
 「チップ切り大変だろうな」
 「嘶きで苦情が出る」
 「餌はどうしてるんだ」
 「オーストラリア産の飼い葉を直輸入したのにビタミン剤を混ぜて与える。毛艶をたもつのに手間がかかる」 
 「……マジで飼ってんのか?」
 「真に受けるなよ」
 「馬に蹴られて死んじまえ」
 「芸に秀でた馬は好きだ。サッカーでも仕込もうかな」
 ………この野郎。
 瞬間的に殺意が湧く。
 悪人面と評判のぎらつく三白眼で放つ怒りの波動をひょいと受け流し、酷薄に笑う。
 「どっちにしろお前が盗聴ごっこで悦に入る変態で犯罪者だってのは変わりねえ」
 「お互い様じゃないか?万里としてる事思い出せよ」
 荒れ狂う激情を深呼吸でおさえこみ、努めて平静を装い、言う。
 「どこまで知ってんだ」
 「万里があんたに執心してることは。随分お気に入りみたいじゃないか。意外と尽くすタイプだろう、あいつ。惚れた相手には一途なんだ」
 「千里が話したのか」
 「そうだよ。盛大にのろけられて妬けたね」
 「………………」
 「是非お目にかかりたかった。可愛い弟がそこまで惚れこんだ男には興味がわくだろう」
 「社長って暇なんだな」
 とんでもないと大げさに首をすくめ、両手を広げてみせる。
 「こう見えてそれなりに忙しい。部下に恵まれてるから少しは融通きくけれど、今日だってスケジュールが詰まってるんだ」
 「だから胡散臭いチャイニーズを使って拉致ったってか」
 「手短に話そう。その金、受け取ってくれると助かるんだが」
 「別れるも何もあいつとはなんでもねえ。しつこくひっつかれて、逆にこっちが迷惑してるんだ」
 「まんざらでもなさそうに見えたがね」
 「俺がいつ」
 靴のつまさきをぶらつかせほくそえむ。完璧舐めくさった態度に腹が立つ。どうでもいいが足組みとセットで頬杖つくポーズが似合いすぎるだろう。
 俺の顔を見つつ、気障ったらしい手つきで上等に仕立てたスーツの内側から写真を取り出す。
 俺が映っていた。外回りの途中らしく千里としゃべりながら街を歩いていた。
 写真の中、不機嫌なつらで歩く俺に付き添う千里は対照的に楽しそうだ。
 有里が翳した撮られた覚えのない写真が目を奪う。
 「盗撮か」
 不快感も露に低い声で凄む。
 指先に挟んだ写真をひらつかせ、千里の兄を名乗る男はのたまう。 
 「懐かれてまんざらでもなかったんじゃないか。本当に迷惑なら突っぱねればよかったんだ」
 「………………言いたい放題」
 「口ではいやだいやだ言いつつあいつと寝てたんだろう。どうだった、感想は。病みつきになりそうか」
 「脅されて仕方なく………」
 俺は悪くない。責任はない。千里に脅されて仕方なく、拒めば画像をばらまくとおどされて、嫌々惰性で関係を続けていただけ。
 そう反駁するつもりが、何故か迷う。
 「……性格の悪さは兄貴譲りか。チャイニーズに拉致命じたあとは買収か?定番過ぎて笑えるぜ、いっそ。社長のくせに発想が貧困だ」
 「一番有効な手を使ってるだけだ。安月給のサラリーマンに大金は魅力だろう」
 「るっせ」
 「疑うならちゃんと五百枚あるか確かめてみろ」
 挑発。涼やかな双眸、口元に刷く残忍な笑み。
 促され、ぎくしゃく不自然な動作で封筒を拾う。
 恥ずかしい話、二十五年間生きてきてこんな大金触れた事がねえ。給料は口座振り込みだし、普段財布に入れて持ち歩く最高額は五万円ほどで、今手にしてるのは単純計算でその百倍。
 「お前手震えてるよいくないね、お札にリスペクト払うしないと罰当たるよ。処女脱がすよに優しくリードしないと円怒るよ。よろし、張代わりにやるある」
 「さわんな、しっしっ!」
 「張犬か!?犬違うよ追い払ういくないね、お前の失言もとで今頃日本大使館に抗議殺到よ、素直に札よこすよろし!」
 「乱暴にすんな破けるだろ、あっばか、んなふうにもぎ取ったらくしゃくしゃになっちまうだろ円をリスペクトしやがれチャイニーズ!!」
 「リスペクトしてるあるよ円が目当てではるばる福建から出稼ぎきたね、五百万あれば故郷に豪邸たてて親孝行できるね、念願のタクシー会社だておこせるね!」
 「お前が経営するぼったくりタクシーなんざお上りっきゃ利用しねえよ、犬と支那人お断りだ、しっしっ」
 「今の差別ある、差別発言あるよ、毛沢東怒るよ!?」
 「故人は怒らねえよ祟るだけだ!」
 「そちのが怖いよ!」
 喧々囂々醜い争いを繰り広げつつ札束を奪い合う俺と張に有里が馬鹿受けし、腹を抱えて笑い転げる。
 「ははっ、まるで餓鬼だな」
 「俺の金だっつの!」
 両手を突っ張ってばたつく張の顔を踏みつけ口走ってから悔やむも遅く、言質をとった有里が仲裁代わりに手を叩く。
 コンサートホールの特等席から喝采を送るような優雅な拍手。
 凍りついた俺の隙をついて封筒を奪うや、タコのように口を尖らせ唾をしぶく。
 「わっ汚ね、なにすんだこん畜生!!」
 「見たか唾つけたよ、これで金は張のものね、わかたか日本人!!」
 ぺっぺっと唾吐く反則技で封筒を奪取するや、守銭奴魂燃え立つ鬼気迫る形相で一枚一枚札を弾いて数え始める。
 俺にくるりと背を向け完全に守りの体勢、迂闊に近付きゃ呪われそうな黒いオーラを放って勘定に没頭する張から視線を引っぺがし、正面を睨みつける。
 「悪い取り引きじゃないだろう。あんたに損はない。その安っぽいスーツだって」
 高飛車に顎をしゃくり、ついで、ベッドの足元に蹴り落とした靴を一瞥。
 「汚い靴だって新調できる」
 「……汚えのは営業で歩き回ってるからだ」
 「サラリーマンの誇りか。理解できないな」
 「このスーツ高かったんだよ……」
 「庶民の金銭感覚に照らしての話だろう。ホームセンターで買ったのか。ドンキ?シマムラ?」
 「つか、セレブのくせにドンキやシマムラ知ってんのかよ」
 嗤われ茶化されこけにされ、恥辱で顔が染まりゆく。
 対等な話し合いなど最初からするつもりがないのだとわかっていた。
 妥協点を見出すにはあまりに価値観が違いすぎる。
 一方的な命令で脅迫。人の心もプライドも信念さえも金で買えると信じて疑わない傲慢そのものの態度が、千里有里の本性を物語る。
 俺が折れるしか解決の糸口はない。
 取引をすんなり飲めば、金を受け取りさえすりゃ、無傷で帰してもらえる。
 悪い条件じゃないだろう。
 千里と手を切り縁を切る。望むところだ。
 張はいそいそと札を弾いて数えている。五百万ありゃ好きなことができる好きなものが買える、念願の車だって購入できるしスーツも新調できるし缶コーヒーをドンと二十本まとめてレジにもってっておまけのプラモコンプ、ああくそ、どうして俺はこう物差しがみみっちいんだ?五百万だぞ、もっと派手な使い道はねえのかよ。心底小市民の貧困な発想を呪う。
 「足りなかったら上乗せするが。六百?七百?千?」
 どんどん値が釣りあがっていく。
 冗談とも本気ともつかぬ言葉に理性がぐらぐら沸き立ちぐらつく。
 「千里と別れるって……具体的にどうすりゃいいんだよ。同じ会社に勤めてるんだ、いやでも毎日顔をあわせる」 
 「あいつに冷たくすればいい。挨拶をするな。目を合わせるな。言葉を交わさず無視しろ」
 「んなわけいくか、仮にも同僚で後輩だ、仕事の事でどうしたって話さなきゃいけない時だって」
 「なら他人に仲介を頼め。直接口を利くのは許さない」
 「むちゃくちゃだ……」
 「あやふやな態度で期待を持たせるのはかえって酷じゃないか。会社を辞めろとは言ってない、こっちも最大限譲歩してるんだが」
 千里と口をきかず、目を合わさず、いるのにいないように扱えば満足なのか。
 簡単に見えて難しい要求。
 同じ職場で働いてるのにずっと無視し続けるなんてむりだ、外回りで組まされたら話さないわけにゃいかねえ。
 サラリーマンのしがらみをまるでわかってねえから無茶言えるんだ。
 「『お前のことなんて好きでもなんでもない。目の前から消え失せろ、変態。同じ空気吸うのも不快だ』。万里にそう言え」
 有里の口がゆっくりと動き、俺に復唱を促す。
 片方のこぶしを握りこみ、膝の上にのせる。
 ずれた眼鏡ごしにしゃらくせえつらを睨みつける。
 「万里の事だ、どんなネタであんたを縛りつけてるかは大体予想がつく。俺が手を打つ。けっして悪いようにはしない。その金は……そうだな、慰謝料と思ってくれ。弟が迷惑かけたお詫びだ」
 「好き勝手ほざきやがって」
 「五百万ちゃんとあるね!」
 「万里と手を切れ。お前はあいつにふさわしくない。お前に関われば関わるほど、あいつの経歴に傷がつく」
 クーラーが利いた快適な部屋でなぜだかシャツが汗ばむ。
 三白眼に苦悩を秘め、有里が放つプレッシャーと向き合う。
 随分な言い草だ。
 完璧な笑顔で暴言を吐かれ、胸のうちが不穏に騒ぐ。
 五百万。
 今までお目にかかったことも手にしたこともねえ大金、封筒の中さらっぴんのピン札、ぶっちゃけ喉から手が出るほど欲しい。五百万の使い道をあれこれ思案する。車。旅行。堅実に貯金か?将来なにがあるかわからない、会社が倒産するかもしれねえし念のため貯めといて損はねえ、ああでも夢だったんだ缶コーヒー棚買い……一度で食玩コンプ……
 「はっ」
 我ながらスケールが小せえ野望で、笑っちまう。
 「どうする?」
 十分選択の時間はくれてやったとばかり、有里が問う。
 「ああッなにするネ張のお金ヨ!?」
 「いつてめえの金になった」
 吠える張の手から嵩張る封筒をひったくり、緊張に震える手でもって、中から一枚引き抜く。
 勝利を確信し、満面に邪悪な笑みを広げる有里。
 心臓が早鐘を打つ。耳の裏でどくどく血流が鳴る。
 千里の顔が脳裏にうるさくちらつく。
 しつこくまとわりつくあいつの顔が、先輩と呼ぶ声が、袖口を握りしめ途方に暮れて立ち尽くす姿が、俺が作ったレトルトのカレーを美味そうに頬張る姿が、ホームに痴漢を引きずり出す姿が、堰を切ったように流れ出て脳裏を巡りゆく。
 先輩と久住さんを使い分けて束縛してさんざん弄んだ、さんざんおもちゃにした、プライドをずたずたにされた、強姦された日の夜は最低にみじめな気分で寝込んだ、今だから言うが少し泣いた、尻は痛くて腰もだるくて筋肉痛で次の日起き上がるのさえ億劫だった。 

 『先輩』
 大嫌いだ。
 冷たくしても冷たくしてもへこたれず懐いてきやがって。

 有里が掲げた写真と封筒の札束を見比べる、躊躇と逡巡と葛藤がぐるぐる円を描いて行き来する、張の視線を横顔に感じる、不思議そうな顔、なんでさっさとしまわないのか不審がってる。
 金を受け取って。
 ホテルを出て。
 いつもどおりの毎日にもどる。
 千里と縁が切れてせいせいする、また俺たちはただの先輩と後輩にもどる、同僚になる、俺はなんらストレスなく仕事に集中できてデキる男の名誉挽回……
 鋭く舌打ち、封筒から一枚だけ引き抜いて背広の懐にしまってから、全力で腕を振りぬく。
 「おっと」
 封筒から札がおちて盛大に宙を舞う。
 僅かに首を倒した有里の頬を掠め、風圧でおくれ毛がそよぐ。
 「帰りのタクシー代だけ貰っとく」
 大量の札束がゴージャスに吹雪いて舞い、視界を覆う。
 乱舞する札吹雪の演出しょって引き立つ有里は、呆れ顔に微量の好奇心を足してしげしげ俺を見つめ、外人みたいに手のひらを裏返す。
 「交渉決裂か。残念だよ、誠意を尽くしたのに。何千万ならお気に召す?」
 「交渉相手がお前の時点で何千万だろうがお断りだ」
 もったいないことしてる。ばかげてる。
 千里と手を切るのは望むところなのに、手切れ金まで渡されたのに、どうして断る?
 願ってもない条件。そのはずだったのに。
 「好き嫌いを他人に強制されたくねえ。だれを好きになるか嫌いになるかは俺が決める、ああそうだよ俺は千里が大っ嫌いだ、胸糞悪い変態ホモ野郎って軽蔑してる憎んでる、それに値段をつけるな、突然しゃしゃりでてきたヤツが偉そうな口叩くな、あいつを嫌いだって気持ちは五百万とか一千万とか金にかえられる安っぽいもんじゃねえ」
 金で貞操を買い戻せるか?まさか。
 好きも嫌いも俺が俺の意志で決める、他人にとやかく口出しされたくねえ、ましてやこんないけすかねえヤツに金で釣られたくねえ。
 「あいつとはいつかけじめをつける。あんたが余計な口出ししなくたってそうするつもりだった。つーわけで、帰してくれ。もう二度と来んな」
 右手を上げてじゃらりと鎖を振るう。
 交渉決裂した有里が、少しだけ笑みを薄め唇をなぞる。
 「金が欲しくないのか」
 「サラリーマンの全部が全部金に飢えてるとおもったら大間違いだ。サラリーで食ってる男の意地をなめんな」
 「さっき俺の金だとか言ってなかったか」
 「俺のものになる予定は未定の金って意味だ。長いから省略」
 「便器ある!」
 「詭弁」
 張の突っ込みに突っ込む。
 おもむろに有里が席を立ち、こっちにやってくる。
 サイドテーブルに乗ったもう一枚の封筒から書類の束をとりだすや、俺の方に近付きながら、朗々とした声でそれを読み上げる。
 「安西絵梨、結婚二年目、二十七歳。千葉県柏市の一戸建てに夫とその両親と在住、現在妊娠三ヶ月……」
 「!」
 「久住伸一。茨城の信用金庫勤務、五十四歳。自宅で妻と二人暮し、趣味は鉄道めぐり……」
 「なん、で、姉貴と親父の」
 有里が声高に読み上げたのは、俺の家族の個人情報。
 嫌な予感がひしひしと募る。
 ベッドの周囲をぶらつきつつ、手に持った資料に目を走らせ、唄うような抑揚をつけて有里は言う。
 「信金勤めのお堅い父親が、自分の息子がホモだって知ったらどうするだろうな。嫁にいった姉貴だって肩身の狭い想いをする。もうすぐ子供も産まれるのに、弟の性癖が原因で離婚なんてはめになったら気の毒で目もあてられない」
 口がぱくつく。有里の思惑が飲み込めて、それがあんまり卑劣で姑息で最低で、言葉を失う。 
 「離れて暮らしてたって家族は大事だろ」
 耳朶をなでる吐息に、ぞくりと悪寒が走る。
 身をよじるようにして有里から逃れ、顔を背けがちに反駁する。
 「証拠あんのかよ、俺と千里が……」
 「お前と千里が仲良く歩いてる写真もお前のマンションに千里が出入りする写真も……お望みならふたりでホテルに入った写真も見せようか」
 ずっと尾行されていた、盗撮されていた、証拠を掴まれた。
 馬鹿だ。なんで気付かなかったんだ、鈍感すぎる。
 あの夜から、千里に脅されてずるずる関係を持ってきた。
 ただし、お互いの家だけは徹底して避けてきた。
 千里の自宅マンションなんぞに足を踏み入れたら最後骨までしゃぶられるような予感がして、断固誘いを拒んで渋り続けた結果、妥協案としてホテルを利用する事になった。男ふたりでラブホってのはさすがに痛々しいから使うのは色気も華もねえ普通のビジネスホテル、料金は千里持ち。こないだ千里が「泊めてくれ」と言い出すまで、ずっとその取り決めが続いていた。
 油断が仇になった。迂闊だった。
 千里の件で懲りたはずなのに、俺はまた
 「東京でばりばり働いてるとばかりおもってた長男がホモになってたなんて、両親はさぞびっくりするだろうな」
 もう随分会ってねえ親父とお袋の顔が脳裏に過ぎる。
 「二人でホテルから出てくる写真は刺激が強すぎるか。父親、お前が大学の時に一度心臓発作で倒れたんだってな。さいわいすぐ仕事復帰できたけど」
 一人暮らしを始めてからも週一で携帯にかけてくる心配性のお袋と、生真面目な親父と。
 「義理の弟がマイノリティの同性愛者だって旦那とその家族が知ったら、大きい腹で実家に返されるかもな」
 姉貴にはもうすぐ子供が産まれる。
 義兄は長男で亭主関白、姑と舅はいい人だが、はたちすぎてのデキ婚を不潔と嘆くほど価値観が古いと聞いた。
 有里は俺の家族について綿密に調べ上げている。断れば、すぐに連絡がいくだろう。
 「………クソ野郎………」
 親にばれたら。家族にばれたら。
 そう考えただけで全身に汗をかく、呼吸が浅く荒くなる、背筋を恐怖が蝕む。
 拒む暇もなく、有里が俺の顎を掴み、無理矢理持ち上げる。
 顔が間近にくる。
 「家族とあいつ、どっちが大事だ」
 即答できねえ。
 答えなんか決まりきってるのに、何故か。
 最悪の妄想が悶々と膨らむ。実家に千里と映ってる写真を送りつけられたら堅物の親父は心配性のお袋は妊娠中の姉貴はどうなる、誤解だ、俺はホモでもゲイでもない千里は恋人でもなんでもないただの職場の後輩だと言ったところで説得力ねえ……
 保身と打算がめまぐるしく働く。見栄と意地が火花を散らし拮抗しあう。
 脳裏に過ぎるしばらくご無沙汰の家族の顔、彼女を連れてくと言ったらめちゃくちゃ喜び弾んでいたお袋の声を思い出し、罪悪感で胸が疼く。
 うつむき逡巡する俺の唇を、いやらしく指が這う。 
 上唇の端に指を引っかけ捲り、顔を近付け、そして……
 「!!ぅんぐ、」
 キスされた。
 熱い粘膜が唇に被さり舌が淫蕩に這いくねる、動転した頭は抵抗を忘れ弱々しく身をよじる、すかさずこじ開けた隙間から大胆に舌が侵入し口腔をかき回し唾液が泡立つ。拒む、振り払う、逃げる、必死に顔を振ってもがくも俺が逆らえば逆らうほど興が乗り悦に入りかき回しかきまぜる舌の動きが激しくなる、初対面も同然の相手にしかも男に深く激しく貪られ恥辱と混乱で体温が急上昇頭が沸騰し蒸発、背骨がバターに擦りかえられたようにどろどろに蕩けていく。
 「ふぁっ、あふぅぐ」
 「あぶらっこいな」
 ようやく満足し、唇を放す。
 「天丼食ったから……」
 天丼はどうでもいい。
 唇が離れると同時に我に返り、拘束され使えない手の代わりに加減なしで蹴飛ばそうとすりゃ、先に行動を見抜いた有里がひょいと身をかわす。
 「余裕のないキスだな。万里は何を教えてるんだ」
 「なっ………」
 「声もまるで色気がない」
 「あってたまるか!」
 「口直しにいってくる」
 もう俺には完全に興味を失ったように、白スーツの背中も艶やかに颯爽と身を翻す。
 絨毯を踏みしめ入ってきた時と同じかそれ以上に傲慢な足取りで出ていきかけ、ふと何かを思い出し、また引き返してくる。
 何だ今のはどうしてキスされたこいつも変態なのか千里とおんなじ血は争えないってか、ちょっと待て俺男で手切れ金で別れろって言われたばっかなのに意味不明、こいつなに考えてやがる。
 キスの感触を手の甲で擦って拭う、猛烈に襲う吐き気を堪える、接近しつつある有里からできるだけ距離をとろうとあとじさるも手錠が許さずじゃらりと鳴る、有里が俺のほうへと腕をやりおもむろに髪に手を入れぐしゃぐしゃにかき回す。
 「!?っ、」
 続けざまの衝撃に言語中枢が麻痺、手足をむやみやたらとばたつかせる。
 毎朝整髪料でしゃきっと固めた髪を手櫛でぐしゃぐしゃにかき回され、ほつれた前髪が額を覆う。
 無礼な手を薙ぎ払い、肩で息をしつつ尻餅つけば、有里が満足げに言う。
 「こっちのほうがずっといい。ちょっとは俺好みになったじゃないか」
 俺好み、だと?
 「じっくり考えたらいい、時間はたっぷりあるんだから。……二・三日たてば気も変わるだろう」
 「二、三日って……ふざけんなよ」
 「このホテルはうちが出資してる。人一人監禁しとくのもワケない」
 そして有里は言う。
 いつも整えてある髪をぐちゃぐちゃに乱れさせ、ベッドに手をつき見上げる俺に、自分こそ世界を牛耳る帝王だという崇高な自尊をこめて。
 「痩せ我慢がどこまでもつか楽しみだ」

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225712 | 編集

 先輩が帰ってこない。
 「久住さん遅いね、どうしたんだろ」
 「昼休み終わってんのに」
 「遅刻なんてめずらしー。フケたのかな」
 「代金足りなくて行きつけの蕎麦屋で足止めくってんじゃね?」
 「梓ちゃん俺らもフケてラブホへ」
 「シュレッダーに突っ込んでズタズタになればいいのに」
 「何を!?なにから!?」
 「ナニから」
 コピー機が紙を吐き出す音に電話のベルが混じり合う忙しない職場で、空席を見つめ同僚が囁き合う。
 昼休み、ちょっと目を離した隙に先輩が消えた。
 先輩はいつも一人で昼食をとる。
 社員食堂を利用する頻度は少なく大抵近くの店に食べに行くけどこの時間になっても帰ってこないなんておかしい、ありえない。
 先輩は人一倍生真面目で責任感が強い。
 昼休みがとっくに終わってるのに帰ってこないなんて前代未聞だ。
 ましてやぼくらは営業で、一日のスケジュールがみっしり詰まってる。
 五分の遅れが命取りになるって体に叩き込まれてるのに、遅刻なんて断じて有り得ない。
 嫌な予感が胸を塞ぐ。仕事に身が入らない。
 一応パソコンはつけているけど集中力散漫で、キーを打つ手が疎かになる。
 同僚も久住さんが帰ってこない事にいい加減不審を抱き始めたのか、空いたデスクを通りすがりざま心配げに一瞥していく。
 本人は自覚してないし指摘すればたちどころに否定するだろうけど、あの人はアレで凄く頼りにされてるのだ。
 仕事中はきびきびしてるし、叱る時はちゃんと叱る。馴れ合いを協調と履き違えた事なかれ主義が蔓延する職場において不誠実に流さず濁さず、自ら嫌われ者役を買って出て手綱を締め直す。
 先輩のそんなところを、ぼくは尊敬してる。
 「…………」
 先輩が不在の机を一瞥、焦燥に駆られ席を立つ。
 先輩の身に何かが起きたと直感する。思い過ごし?違う。確信する、異常事態だ。先輩は絶対無断で仕事をさぼったりしない、そんないい加減な人じゃない。
 そして僕には身に覚えがある。
 ホテルで面会した兄さんの言葉が、不吉な反響を伴い内耳に響く。 
 『久住ヒロズミね……お前がそんなに守りたがるヤツに興味が湧いた。味見してやるよ』
 瞼の裏にちらつく歪んだ笑み。指を舐めつつ笑う顔。
 兄さんはいずれ必ず行動を起こす。先輩に危害を加える。
 先輩の安全を一番に考えるなら離れるべきだった、接触を控えるべきだった、そうしなかったのはぼくの驕りでエゴだ、先輩と離れたくなかったわがままだ。
 子供じみた独占欲。
 ぼくが距離を置こうが会社を辞めようが兄さんは一度目をつけた獲物を逃がしはしない、あの人がどんな性格でどれだけ執念深いか一緒に育ったぼくが一番よく知っている。
 十年近くオモチャにされてきたぼくこそ。
 だから、守ろうとした。ぼくの力で、誰にも頼らず、大事な人を守り抜こうと決心した。
 指一本触れさせないといきがって、先輩のそばからできるだけ離れないようにして、兄さんが接触を図ればすぐわかるようアンテナを張り巡らしていたつもりが不意をつかれた。
 「…………っ」
 寝不足で頭が働かない。
 先輩はまだ帰ってこない。
 一分、二分、三分……無慈悲に時を刻む秒針を睨む。
 「千里くん、どうしたの。顔色悪いよ」
 ぼくはばかだ。
 呑気に昼食を食べている間に、先輩は消えた。
 ぼくの体調が悪いのを心配した同期の女の子たちに取り囲まれて、ぼうっとしてるうちに食堂へ連れてかれた。帰ってきたら、先輩はもういなくて。
 ぼくのせいだ。
 「千里くん?」
 なんで目をはなした?一緒にいなかった?守るって誓ったくせに。
 口だけかよ。
 「どうしたの、ねえ、聞こえてる?」
 寝不足で頭がぼうっとしてたとかまさか昼休み中に行動をおこすとは思わなかったとかは全部言い訳で、ぼくのミスが原因で危機に瀕したのは事実で、だから先輩を助けに行く。
 「すいません、早退します」
 「は?」
 全員が仕事の手を止めてこっちを見る。
 「ちょ、千里くん、早退って理由は」
 「一身上の都合です」
 課長に一礼足早にオフィスを出、エレベーターで一階に降りる。
 小脇に鞄を抱えエントラスホールを突っ切る途中、動転のあまり注意が散漫になり、そばのバケツに気付かず倒してしまう。
 「!?っわ、」
 叫ぶ。
 バランス立て直そうにも間に合わずバケツを巻き込み転倒、中の汚水が激しく波打ち床一面にぶちまかれる。
 転覆したバケツからあたり一面に広がりつつある汚水を行き交う人が迷惑そうに避けていく。反射的に手をついたおかげで顔面衝突は防げたけど、床に這ったズボンの膝が水を吸ってどす黒く染まる。
 「ちょっとあんた、大丈夫!?」
 少し離れた場所で床を磨いてた掃除のおばさんが慌てふためき飛んできて、親切に腕を引っ張り助け起こす。
 「すいません、よそ見してて……」
 「いいからそんなこと。立てる?なんともない?あら、スーツがびしょぬれ……これから営業?外回り?そんなかっこで大丈夫?って、あんた確か久住さんの後輩よね。今日は一緒じゃないの」
 ぎくりとする。顔が強張る。
 「先輩は……」
 どうしよう。なんて言おう。ぼくのせいで酷い目にあってますって?
 混乱を来たし舌が縺れる。
 俯くぼくの体調を慮り、掃除のおばさんが心配そうに覗き込んでくる。
 母性に満ちた優しい眼差しに包まれ、不覚にも泣きたくなる。
 十数年も昔に聞いた優しい人の声が、思い出の彼方から寄せて返す。
 『いい子にしててね、バンリ』
 もう随分思い出さなかったのに、なんで今頃、こんな時に。
 唇を噛み、挑むように顔を上げ、おばさんを真っ直ぐ見返す。
 「……迎えに行ってきます」
 時間がないからひっくり返したバケツだけ元に戻し、再び走り出す。バケツにおもいっきりぶつけた脛がひりつくも、無視して突っ走る。
 回転ドアを抜けて通りにでるや、タイミングよく通りかかったタクシーを挙手で止める。
 なかば道路に身を乗り出し通せんぼする形で止めたタクシーに、後部ドアが開ききるのも待ち遠しくじれて乗り込むや、行き先を指定する。
 「新宿のパークハイアットホテルに行ってください!」
 タイヤが路面を削りタクシーが急発進、都心の高層ビル群が飛ぶように車窓を移り行く。
 背広の内から携帯を取り出し汗ばむ手に握り締めかけようかかけまいかさんざん迷いためらう。
 深く深くうなだれ身を丸め、両手に抱いた携帯をきつく額に押しつけ、祈る。
 どうか無事でありますようにと昔信じてた神様に、もう信じられない神様に、祈る。
 走行の振動がクッション越しに伝わる。
 信号に突っかかるたび焦燥が募り、点滅を目で追う間に理性を手放しそうになる。
 「久住さん………」
 ぼくのせいだ。
 ぼくが目をはなした隙に。
 守るって約束したのに。
 今さら後悔したって遅い。自分の無力と無能を痛感する。
 先輩の携帯にかけて呼び出しを待つも、電源が切れてるらしくいつまでたっても繋がらない。
 帰国後、兄さんはホテルに泊まってる。スイートルームを借り切って豪遊してる。
 なら直接ホテルに行って問い詰める、先輩になにをしたか……
 手の中で携帯が鳴る。条件反射でボタンを押す。
 「もしもし」
 『万里さまですか』
 渋みあるバリトン、落ち着いた声音。
 「椎名………お前、先輩になにをした」
 握力のこめすぎで手の中の携帯が軋む。物騒に低い声で凄む。
 運転手の耳があるのも忘れ、素に戻る。 
 『……面目ありません。全て私の不注意が原因です』
 「言い訳はいい、何があったか説明しろ」
 無意識の物言いが兄に似ている事に気付き、自己嫌悪が膨れ上がる。
 殊勝に詫びた椎名が一呼吸の沈黙を挟み、諦念のため息をついて話しだす。
 『昼休み中、久住さまが外に出かたところを見計らって声をかけ、話があると申し出て、近くの蕎麦屋に寄りました。久住さまは、盗聴器の件で怒り心頭に発しておられました』
 「当たり前だ」
 苦りきって吐き捨てる。こいつには敬語を使う価値さえない。
 車の排気音が鼓膜を打つ。
 タイヤが弾む断続的な振動が伝う。
 余った手で髪をかきあげつつ、携帯にむかい抑揚を殺し言う。
 「……先輩の部屋に盗聴器が仕掛けられてた事、知ってたのか」
 『はい』
 心のどこかで否定してほしいと願っていた。
 儚い期待は脆くも打ち砕かれ、裏切りの幻滅が胸を苛む。
 「なんで兄さんはそこまで……」
 憎しみにとらわれてる場合じゃない。
 少しでも長く話を引き伸ばして情報を引き出せ。
 「蕎麦屋で何を話した。何を言った」 
 『万里さまと有里さまの関係をお話しました。お二人が異母兄弟である事、万里さまがSEINRIコーポレーションの御曹司だという事、既に家を出られた事……』
 「余計な真似を」
 思わず舌打ちが出る。ずっと隠し続けてたのに、苦労が水の泡だ。
 「それだけか?なんで先輩と会った、理由を言え。兄さんの差し金じゃないのか。お前が先輩を唆したのか」
 『……面目ありません』
 「謝罪はいい、説明しろ」
 怒りに任せ窓ガラスを殴りつけたい衝動を辛うじて自制する。
 前に乗り出し、運転席のシートを掴む。運転手がミラーごしにちらちとこちらを窺う。
 なだらかなスロープから高速道路に乗り、流れが急にスムーズになる。
 『航空券をお渡しして、万里さまと暫く身を隠すように言いました』
 絶句。手に持った携帯を唖然と見下ろす。
 高速道路を区切るガードレールの向こうにメタリックな銀色の摩天楼がそびえ立ち、青空に隆々と映える。
 「ははっ」
 喉がひくつき、失笑が漏れる。 
 「同情してくれたのか。駆け落ちを手配してくれたのか。兄さんに弄ばれるぼくを可哀相に思って、こっそり救いの手をさしのべてくれたのか」
 無気力に足を投げ出し、深くクッションに凭れる。
 笑いが止まらない。椎名ごときに同情されるなんて落ちぶれたものだ。
 『……久住さまは私の申し出に激怒なされ、店を出て、そこで……拉致されました』
 乾いた笑いが引っ込む。冷たいものが背筋を伝う。
 つまりこの男は、巧い口実で蕎麦屋に先輩をおびきだして拉致をセッティングしたわけか。
 先輩の性格を考えれば、椎名の申し出に激怒するのは目に見える。
 突然見知らぬ男にチケットを渡され、仕事を丸投げして大嫌いな後輩と手に手をとって海外へ高飛びしろなんて言われたら、まんまと誘導に乗じ店を飛び出していく。
 怒りでまわりが見えなくなってる時に襲われたらひとたまりもないだろう。
 「……兄さんが仕組んだのか」
 椎名はただの駒にすぎない。兄さんの命令どおりに動く駒。
 兄さんは優秀な調査員を使って先輩の身辺情報を集めている。
 先輩の直情的な性格を的確に把握した上で、悪魔のような狡猾さでその行動をシュミレートして罠を仕組んだのだとしたら。
 『これは私の独断です、有里さまは関係ありません。むしろ有理さまのご意向とは反対です』
 「自分の意志で介入したって?信じられるか。お前はあの人の犬だろう」
 椎名は兄さんに逆らえない。
 ずっと前から、十数年前、二人が中学生になった時からずっとずっとそうだった。
 『万里さま』
 「うるさい」
 『お聞きください』
 「言い訳は着いてから聞く」
 一方的に会話を中断、電源を切る。
 沈黙した携帯を懐にしまう。
 苛立ち気味にミラーを睨めば、目が合った運転手がそそくさと運転に戻る。
 ミラーに映ったぼくは、いつもと別人のように厳しい顔をしていた。
 ひりつき切迫した眼差しでミラーを睨む。膝の上できつく手を組み、内側で渦巻き荒れ狂う激情を飼い馴らそうと努める。
 タイヤがアスファルトを噛む。
 「お客さん、着きましたよ」
 お釣りを受け取るのももどかしく万札で払って転げ降りる。
 地上四十階建ての高層ホテルの正面、白亜の威容を誇る玄関を抜けてフロントへ急ぐ。
 カウンターに手をつき、息せき切ってフロント係に掛け合う。
 「4010号室の千里有里を呼んでください」
 「有里さまはただ今お出かけになってます」
 「大事な用なんです」
 「大変申し訳ないですが、キーをお持ちのお客様のご了承なくお通しするわけには……」
 交渉決裂か。そんなことだろうと思ったけど。
 このホテルは確かうちの系列が出資してる、最悪ホテルぐるみで犯罪を隠蔽してる可能性がある。
 押し問答の不毛を悟り、迅速に身を翻し一直線にエレベーターをめざす。
 背後で受付嬢が取り乱し何かを叫ぶ、誰かが追ってくる、構わず無視しタイミングよく到着したエレベーターの扉が閉まる前に滑り込もうと加速に次ぐ加速で前へ前へと体を運ぶ。
 すれ違う人行き交う客が面食らう、振り返る、見送る、ぶつかる、罵声を浴びる、突き飛ばす、謝罪が間に合わず悲鳴が上がる、広壮なホールにパニックが伝染しヒステリックに沸き立つ肉声が背を鞭打つ。
 飛び交う罵声と怒声と悲鳴の真ん中を前のめりに突っ切って閉まりかけたエレベーターへと目一杯手を伸ばす、片方の扉に手をかけ安堵に顔が緩む、そのまま片足を噛ませ一気に押し開く……
 「必死だな。最上階でお姫様が待ってんのか」
 無愛想な声とともに、スーツの後ろ襟をむんずと掴まれ靴裏が浮く。
 「!?な、」
 あと一歩でエレベーターに乗り込めるというところで引き戻され、反射的にスイッチが入る。
 「邪魔しないでください」
 後ろ襟にかかった手を弾き流れで捻り上げ組み伏せようとして、肉眼で捉え切れぬ鮮やかな返し技でもって関節を極められ、骨の中を落雷の如く激痛が駆け抜ける。
 視界が反転、膝がかくんと落ちて床に突っ伏す。どうして?自慢じゃないけどぼくは合気道を習ってて、素人には負けない自信がある。
 「―っ、」
 「『齧った』程度でいきがるなよ」
 頭上に降り注ぐ低い声。
 腕ひしぎの激痛に脂汗を垂らし見上げれば、黒背広の男が傍らに跪く。
 「あんたは素人じゃないがプロでもねえ。一番中途半端でタチの悪いモドキだ」
 屈強な体躯を上等な背広に包み、右頬に抉れた傷を持った壮年の男が淡々と言う。
 底冷えするような眼光に息を呑み、どうにか腕を振りほどこうと身をよじるも叶わず、後ろ手掴まれ引き立てられる。
 「お客様、お怪我はありませんか!」
 「困りますよ、用件があるならフロントを通してからでないと……」
 「いい。俺の知り合いだ」
 ホテルマンを追い払い、エレベーターの前から人目の届かぬ隅へと、有無を言わせぬ腕力で抗うぼくを引きずっていく。
 「誰ですか、あなた。知り合いって、ぼくは」
 「兄貴の知り合いだ」
 剣呑な頬傷もつ男は、喫茶室を兼ねソファーを配したホールの中央までぼくを引きずっていくと、そこでぱっと手を放す。
 「通してください、大事な人が待ってるんです」
 「待ってる?それこそ思い上がりじゃねえか」
 「どういう、」
 続きを遮るようにして一人掛けのソファーに身を沈める。 
 「そろそろ着く頃だって連絡あった。写真でつらは知ってたが、なるほど……あんまり似てないな。あいつのが性根の腐ったつらしてる」
 先刻、締め上げられた腕がひりひり痛む。痣になってるかもしれないなと、麻痺した心の片隅で思う。
 「そこで待ってろ。もうすぐ降りてくる」
 誰がと、間抜けな質問をするほどぼくはばかじゃない。
 一人掛けソファーにふんぞりかえったまま、立ち尽くすぼくの存在はそれきり忘れたように煙草をふかす男から、今しがた到着したエレベーターの方へ視線を転じる。
 エレベーターのドアが中央から分かれて吸い込まれ、白いスーツを着こなした若い男が、にこやかに歩み出る。
 「ご機嫌ようバンリ。早速だが、口直しさせてくれ」
 靴音高くホールを突っ切って歩み寄るや、戦慄に縛られて身動きできぬぼくの正面に立ち、抵抗を封じる優雅さで顎に指を添え、唇を奪う。
 
 兄さんの唇は、先輩の味がした。 

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225640 | 編集

 兄さんの唇はやけに油っこかった。
 身もがいて突き飛ばし、顎を支える手を振り払い、抱擁を拒絶する。
 「人が見てる。やめてください」
 「ブラコンなんだ、俺は」
 「帰国子女の癖が抜けないみたいですね。日本ではそういうの、露出狂っていうんですよ」
 「長く海外飛び回ってるとキスが挨拶代わりになる。そう興奮するな、可愛い顔が赤く染まってもっと可愛くなる。抱かれたいか」
 「ふざけないでください」
 「抱かれにきたんじゃないのか」
 「そんなくだらない事で早退したりしません」
 広壮なロビーを行き交う人々が、険悪に言い争うぼくたちに不躾な注視を注ぐ。
 衆人環視の中、男同士がキスしたのだ。好奇の的にならないほうがおかしいだろう。
 同性愛カップルの痴話喧嘩とでも誤解したのか、制服に身を包むフロントボーイがこちらを盗み見噂するのは素知らぬふりで、兄さんの対面ソファーに腰掛ける。 
 喫茶室をかねたロビーには上品な色合いのソファーが配され、連れがチェックインもしくはチェックアウトの手続きを終えるまで寛ぐ宿泊者他、アタッシュケースを持った外商が商談を行っている。都心有数の本格ホテルという触れ込みのせいか、外人もちらほら見受ける。
 高い天井からは実用性よりか装飾性を重んじたシャンデリアが吊り下がり、優雅に足を組む兄さんにカッティングの後光を負わせる。
 兄さんが指を弾き、給仕を呼ぶ。心得たもので、給仕がしずしずと淹れたてのコーヒーを持ってくる。ぼくの分もあるが、断る。
 「結構です。茶飲み話にきたんじゃありませんので」
 手を組む。じれる。焦燥が苛む。
 チンと涼やかな音たて開閉するエレベーターを見やり、早速本題を切り出す。
 「久住さんを返してください」
 今こうしている間、兄さんと呑気に向き合ってお茶してる間に久住さんがどんな目にあってるか考えるだけで発狂しそうだ。
 どうか無事でいてくれ、無傷でいてくれとひりつく思いで祈る。
 テーブルに置かれたソーサーごとカップを持ち上げ、口をつける。
 仄白く漂う湯気のむこうで、芳醇なコーヒーを味わいつつ鷹揚に言う。
 「俺が黒幕だって証拠はあるのか」
 「あなた以外だれがいるっていうんですか」
 「そうだな。まあ、一度言ってみたかっただけだ」
 白磁のカップとソーサーが触れ合い、軽い音をたてる。
 「お前が捜してるヤツは俺の部屋にいる。四十階のスイートルーム。こないだ連れてったから、わざわざ説明しなくてもわかるな」
 衝動的に席を立つ。
 即座にエレベーターに駆け込み部屋に向かおうとするぼくの肘を掴み引き戻したのは、隣に掛けた男。
 「彼は?」
 「俺の友人」
 「仕事相手だ」
 紹介文に訂正を挟む。
 顔も上げず何をしてるのかと目をやれば、その手元がすばやく動いている。
 唖然とする。隣に腰掛けた頬傷の男は、携帯ゲームのテトリスに夢中だった。
 携帯が場違いにおめでたい効果音を奏でる。
 空から次々と落下する様々な形状のブロックを巧みに積み上げ消していく。
 落ちゲーの腕はプロ級だ。
 「……まともな人じゃありませんね」
 無表情にテトリスに没頭する男に、若干引く。
 頬の目立つ傷といい、異様に似合うダークスーツといい、裏社会に属する人間特有の鉄錆びた殺気が滲み出ている。
 張のようなザコとは比較にならないどっしり重厚な物腰、銃口じみて威圧的な眼差し。
 まだ三十代だろうに、若頭を襲名してもおかしくない豪胆な貫禄が備わっている。
 兄さんの人脈は幅広く底知れない。
 財政界、芸能界はもとより、裏社会にも通じている。
 父さんに会社を任されるにあたって、裏ではかなり強引な手法で利益をあげてきたという。
 「森。紹介する。俺の弟の万里だ」
 「今さらだな」
 「似てないだろう」
 「ああ。あんたのが性根の腐ったつらしてる」
 「よく言われる」
 ボタン連打でブロックを上下左右回転させつつ言う森に、兄さんが苦笑する。親指のつけ根が固く盛り上がってるのはおそらくゲーマーだこだろう。
 電子合成のチープな効果音をピロピロ鳴らしブロックを回転操作、卓越したテクニックで黄金比のピラミッドを組む。秒単位でスコアを塗り替えていく森から視線を切って、正面の兄さんに向き直る。
 「暴力団と癒着してるんですか?盗聴器も、そのツテで仕掛けたんですか」
 声音を抑えて問い詰めれば、兄さんは笑ってはぐらかす。
 森。名前に心当たりがある。
 ピコピコ携帯ゲームにのめりこむ男の横顔を凝視、急いで記憶を検索。たしか、張の上司。
 「張もいるんですか」
 「上で見張らせてる」
 何を、とは聞かなかった。聞かなくてもわかる。
 監禁中の先輩が大人しくしてるはずがない。
 「先輩に怪我させたら承知しませんよ」
 裸に剥いて路上放置じゃ済まない。
 先輩に万一の事があったら、張の歯を一本ずつペンチで引っこ抜いたっておさまらないだろう。
 「どうして………」
 思わずといった感じで疑問が口からこぼれる。
 猜疑と絶望が入り混じった陰鬱な眼差しで、請う。 
 「どうして久住さんまで。あの人は関係ないって言ったじゃないですか。こんな事、意味ない。あなたの行動は犯罪に抵触する上に不可解だ」
 「関係ないはずないじゃないか。好きなんだろう、あの男が。顔に書いてある。今すぐ席を立って駆けつけたいくせに」
 「そうやって、今までも……ぼくに恋人ができるたび、別れさせてきた」
 高校生の頃、当時付き合っていた年上の恋人がいた。
 兄さんは裏で彼に接触し、脅し宥め金をちらつかせ、むりやりぼくから引き離した。
 似たような事はそれから何度も繰り返された。
 ぼくに恋人ができるたび、ぼくが誰かに恋するたび、兄さんの妨害に遭う。
 ある時は金を使って、金がだめなら暴力を使って、将来や今の地位、あるいは家族を脅かすと吹き込んで仲を引き裂いてきた。
 だけど久住さんは、先輩は、ちがう。
 「兄さんが思ってるような関係じゃない。勘違いしないでください」
 毅然と背筋をのばし、力をこめ断言する。
 「久住さんとは交際してるわけでもなんでもない。確かに、何もなかったとは言いません。ぼくは彼に肉体関係を強要した、でも合意じゃない、ぼくが無理矢理……彼を抱いて。その時撮った画像をネタに脅迫したんです。職場にバラまかれたくないなら言う事を聞けと。彼はしぶしぶ要求をのみました。そして今日までずるずる関係を続けてきた。だから」
 恋人でも、ましてや愛人でもなんでもない。
 ぼくと久住さんは、職場の先輩後輩以外のなにものでもないのだと。
 ぼくたちの間に恋愛感情はおろか、好意さえ、ひとかけらも存在しないのだと。
 目を閉じて息を吸う。
 瞼の裏に眼鏡をかけた顔が浮かび、痛切に愛しさがこみ上げる。
 「………兄さんが拉致監禁なんて強引な手段に出なくたって、久住さんは、最初からぼくが大嫌いなんです。これ以上嫌いになりようがない。むりやり体を奪われた今は、憎んでるとさえ言っていい。わざわざ脅す必要なんかない。別れるも何も、付き合ってもない」
 兄さんは、ぼくと彼が手を切るのを望んでいる。
 実際はそんな事しなくたって、心は重なり合わないのに。
 「兄さんのやってることは、おしなべて無駄で無意味です」
 兄さんから学んだ手段で征服しようとした時点で、可能性の芽は摘まれたのに。
 すれ違う。行き違う。
 先輩は絶対、ぼくを好きになりはしない。
 自分をレイプした男に、恋愛感情をもてるはずない。
 「久住さんを返してください。あの人は」
 「手切れ金を受け取らなかった」
 絶句。
 「え?」
 「五百万用意したんだがな。気持ちを金で買われたくないって言ってたよ。お前を嫌いだって気持ちには値段なんかつけられないんだとさ」
 「…………先輩が」
 「素直に受け取れば帰してやったのに」
 「兄さんは何が望みなんですか。具体的に、なにをどうすれば満足なんですか」
 「お前かあいつか、どっちかが今の会社を辞める。理想はお前だ」
 ソファーから腰を浮かせ強迫的な口調で問うぼくに、人さし指をつきつける。
 「クズミとは二度と会わない、先輩でも後輩でもない赤の他人になる。お前は俺のところに戻り、兄弟仲良く暮らす」
 「………」
 「俺の右腕になれ。一緒に会社をでかくしよう」
 葛藤の汗が伝う。ソファーに腰を戻し、膝の上できつく指を組み、ためらう。
 軽快な電子音に乗せて幾何学的な凹凸のブロックを組み立てつつ、森が横目でこっちをうかがう。液晶の照り返しで青白くぬめる眼球がぎょろつき、地の皮膚と色が違う頬傷が一層際立つ。
 先輩の意に染まぬ反抗ぶりを思い出したか、痛快げに笑って茶化す。
 「素直に金を受け取って身を引けば会社を辞めろとまでは言わなかった。だけど断られちまったら、なあ、どうしようもないだろ?」
 「……先輩に会わせてください。会って話がしたい」
 どうするのが最善か。どうするのが最良か。
 わかっている、頭では。
 どうするのが最善か答えはとっくにでてるのに、決心がつかない。
 会社には未練がある。
 親のコネに頼らず、千里の威光に頼らず、自分の意志と努力で就職した会社。
 ひとつ頷きさえすれば先輩を救い出せるのに、先輩とどっちが大事かなんてわかりきってるのに、顎の筋肉が突っ張って抗う。
 ぼくか先輩か、どちらかが会社を辞める。
 どちらにせよ、そうしたら二度と会えなくなる。
 空いたデスク、空いた椅子。先輩がいないオフィスを想像し、心臓が浅く鼓動を打つ。
 「……先輩は無事なんですか。酷いことしてませんよね」
 「キスしかしてない」
 頭に血が上る。怒りで手が戦慄く。
 荒れ狂う嫉妬と憎悪で視界が赤く燃え立つ。
 理性の限り激情を抑えソファーに身を沈めるぼくを、兄さんは口の端を吊り上げ嘲弄する。
 「試しに舌を入れたら目を白黒させてた。いい年して、ろくに舌も入れたことないんじゃないか。俺にやられっぱなしで、口の中かきまぜられて息吸うのも忘れて、苦しそうだった。色気がない。何を教えてるんだ?」
 「あなたの流儀に沿うキスは教えてません」 
 「自分専用にカスタマイズか」
 「ガンプラみたいなもんだな」
 液晶から目を放さず、森がぼそりと呟く。
 「声だけでも聞かせてください」
 切羽詰まった口調で請う。
 「俺だ。久住にかわれ」
 兄さんが背広の内から携帯を押しボタンを操作、こっちに投げる。
 フロントのざわめきを意識的に排除し、電波に乗じる物音に聴覚を研ぎ澄ます。生唾を飲み、呼ぶ。
 「先輩、聞こえてますか。僕です、万里です、大丈夫ですか」
 『千里……か?』 
 半信半疑の声を聞いた瞬間、安堵で涙腺が弛緩し、顔の筋肉が柔和にほぐれていく。
 唇のはざまから安堵の吐息を漏らし、取り落としかけた携帯を慌てて握り直し、矢継ぎ早に確認をとる。
 「そうです、ぼくです」
 『どうしてここがわかったんだよ、やっぱりお前今回の事に絡んで』
 「以前連れてこられたんで。先輩がいる部屋もわかってます、今からそっち向かいます、詳しい話はあとで」
 『ちょっと待て、今聞かせろ!わからないことだらけだよ、どうして俺が蕎麦屋から拉致られなきゃなんねーんだよ、仕事途中なのに……くそ、会社になにも言ってこなかった。昼から営業入ってたのに。携帯もとられて連絡できねーし、』
 「すいません、巻き込んで」
 『謝る前に説明しろ!』 
 よかった、元気そうだ。携帯の向こうで威勢よく吠える先輩と回線を繋いだまま、席を立つ。
 『―!んっ、あっ』
 「先輩?」
 片手に持った携帯に耳をつけ、鋭く叫ぶ。携帯の向こうで呼吸が浅く上擦り、その合間から必死になにかを堪えるような、くぐもり声がかすかに漏れる。
 『やめ、お前、何……ふざけっ、んな、さわんな!』
 激しく争い合う物音、乱れた息遣いに被さる衣擦れの音、鎖が軋り擦れ合う音。
 さまざまな雑音の間から届く先輩の声から虚勢が抜けて、背景で中国語が飛び交う。
 複数の人間が部屋にいる。先輩に、何かしてる?
 肉をぶつ鈍い音、苦悶の呻き、先輩の叫び声。
 「先輩、どうしたんですか!?」
 『~っ、冗談は張の日本語だけで沢山だ!』
 携帯に噛みつかんばかりに叫ぶ、向こうから余裕を失った先輩の声、格闘、抵抗、転倒、ヒステリックな中国語の嬌声が飛び交ってそこに呻き声が挿入、修羅場の殺気が伝わる。
 先輩の身に大変な事が起きている。行かなきゃ、今すぐ。
 携帯を繋げたまま居ても立ってもいられず走り出す、ついで携帯がおちて磨き抜かれた床の表面を滑走、膝がかくんと前にのめって自重が泳ぐ。
 膝裏に蹴りを入れられた。
 先輩の事で頭が一杯で早く助けにいかなきゃの一念で後ろに注意がまわらなかった、さっきと同じ失態を演じる。
 後ろに気配を消して森が寄り添う。液晶の照り返しでうっそりした無表情に不気味な陰影がつき、剣呑な頬傷が浮き彫りになる。
 前傾したぼくの体を肘を掴んで引き戻し、もう一方の手でゲームを継続しつつ、どうでもよさげに兄さんに聞く。
 「どうするんだ」
 「隣の部屋をとってある。そこに連れてけ」
 絶望の不協和音を奏で画面が暗転、ゲームオーバー。森が鼻白む。
 兄さんがソファーから腰を上げ、悠揚たる物腰で携帯を拾う。
 上目遣いにぼくを見て、エレベーターの方へ顎をしゃくる。
 「あせらなくたってじき対面させてやる、ボロボロになった久住とな。他の男の精液で汚れきった男を愛せるか見ものだ」

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225547 | 編集

 千里の声が聞こえた。
 『气死我了!』
 『他媽的 !?』
 「うっせ黙れ聞こえねえ、いるのか聞いてンのか返事しろ、俺の命令には即ハイだ!」
 ノーの選択肢はない。
 張に貸された携帯から千里の声が聞こえた瞬間ぎりぎりまで張り詰めた内圧が一気に沸点に達し大喝、さんざん待たせた挙句迎えに来た安堵と巻き込まれた憤りと後輩に尻拭いさせる情けなさとがごっちゃになって見境をなくす、身を乗り出し喚く俺の両腕を毛と黄が容赦なく捻じり押さえ込む、すったもんだ揉み合ううち張の手から携帯がすっ飛んで床に激突、通話が遮断。
 「―っ、くそ!」
 『打死!』
 『好大的胆子!』
 罵声交じりの中国語がヒステリックに飛び交い耳朶を打つ、反抗的な俺に手こずって毛だか黄だか見分けがつかねえ男が腕を振りぬく、頬に衝撃が炸裂、勢い余ってベッドボードにぶつかる、抵抗が止んだ一瞬の隙に毛だか黄だかが背広の端をちぎれんばかりに引っ張る、馬鹿力に生地が裂けて繊維が糸を引く、着衣の強奪を図る手の甲を引っかいてベッド際にとびつく。
 ツーツーと無情な音に手遅れの徒労感が襲い、がっくり落胆。
 間に合わなかった。
 「~眼鏡の上から殴るな非常識め……」
 「割れたらセロテープ貼るいいね、世界ちとばかし歪んで見えるよ、それ現実ある。さ、有里さん来る前キレイキレイするよ、大人しくするね」
 「お生憎さま、俺はスーツを着た野獣って呼ばれてんだよ」
 無数の引っかき傷と痣をこしらえた張に毒舌で受けて立ちつつ、畜生どうしてこんなことになったんだと悶々と考える。
 有里と入れ違いに乗り込んできた毛と黄はだしぬけに俺の服をひん剥きにかかった。
 勿論抵抗した。
 冷凍マグロのように寝転がってちゃ意地もプライドも守り通せない、利き腕を手錠で拘束されてても左手と足が使える、スーツを脱がそうと襲い掛かる手を片っ端から薙ぎ払い蹴飛ばし暴れるも擦り傷が増えるだけ、しまいにゃ顔面に一発食らって吹っ飛んだ。
 皮肉なことに、この中では張が一番話がわかる。
 前科者だろう妙にこなれた手つきで有無を言わさず追い剥ぎを働く毛と黄を振り払い、業を煮やして叫ぶ。
 「人質はもうちょっと丁重に扱うもんだろ!」
 「思い上がるいくないね、お前ただの捕虜よ、優しくしてほしかたら腎臓売るよろし」 
 「お前に売る内臓なんざ盲腸しか持ち合わせてねえよ」
 張がネクタイの根元を無造作に掴み額をごり押しでぶつけてくる。石頭め。
 張と頭突きあう遥か背後でドアが開く、閉じる、次いで施錠の音。
 着々と接近しつつある気配に怯み、心臓に恐怖が根を張る。
 室内に敷き詰められた毛足の長い絨毯のせいか靴音は殆どしないが、そいつが生まれ持つ華やかで社交的な存在感は、なみなみ注がれたグラスから溢れ出るシャンパンの泡のように離れていてもひどく際立つ。
 足取りも威厳に満ちて颯爽と気品を従え、帝王のご帰還。
 「待たせたな」
 「千里はどこだ」
 出戻り社長に開口一番、今一番の関心事を聞く。
 「いるんだよな、さっき声聞いた、携帯で……途中で落っことして切れちまったけど、お前、あいつになにした」
 「丁重にエスコートしたさ。妾腹とはいえ、千里の名に連なる弟に手荒な扱いをするものか」
 「酷いことはしてないんだな」
 一応安堵。
 のろけにあてられたように有里が肩を竦める。
 「愛されてるな、お前。俺が拉致監禁を指示したと直感し、バンリは真っ先に駆けつけた。仕事を放り出して、会社を早退して、俺の城に乗り込んできた。頼れる王子様だ。惚れ直したか?」
 「とんでもねえ」
 ベッドに寝転がって肩で息する俺を一瞥、下僕の無能ぶりを嘆く。
 「戻るまでに服を脱がしてシャワー浴びせとけって言ったんだがな」
 「無理言うない、こいつめちゃくちゃ暴れて手つけられないね。迂闊に手錠はずせないよ」
 「やっぱお前の差し金かよ……」
 そんなこったろうと思った。
 だから本気で抵抗したのに。
 「汗臭い男は抱きたくなかったんだが……仕方ない」
 有里がこっちにやってくる。香水でも振りかけたように一挙手一投足に匂い立つ洗練の極みの優雅さに気圧されぬよう顎を引き、先手を打つ。
 「くんな、人呼ぶぞ、大声で……そしたらお前だって困るだろ社長さん、信用がた落ちだ」
 千里はもうホテルに到着してる、さっきロビーにいた、携帯で声を聞いた。
 今は?どこにいるんだ。
 さっきまで有里と同席してたのに一緒じゃないのはどういうわけだ、本当に無事なのか? 
 俺の焦燥を手に取るように有里がからかう。
 「叫びたいなら叫べばいい。この部屋は広く壁は厚い、声が漏れる心配ないさ。万一漏れたとしてもこのホテルは俺の物。従業員一同千里の威光に服従だ、通報される恐れはない」
 「周到だな」
 「社員教育は行き届いてる」
 「犯罪だぞ」
 「お前一人の訴えなんて後でどうとでも揉み消せる。権力は根を張るものさ」
 有里が俺の顔の横にひとつおいて腰掛ける。
 体重でベッドが撓み、びくつく。衣擦れの音に神経がささくれだつ。
 ひとつ間を詰め、仰向けの俺に覆い被さり、誘惑するように囁く。
 「脱いでもらおうか。皺にしたくないだろう」 
 左手を一回強く握りこみ、有里や中国人どもにばれないようズボンでぬめりを拭い、フレームに触れる。
 急く内心と裏腹にドライでタフな鉄面皮を装い、レンズ越しの眼光鋭く言う。
 「おふざけはやめろ、俺は帰る。どっかの道楽バカ社長と違って忙しいんだよ営業は、一日でも外回りサボったら貴重な人脈が枯れる。そういうの全部下っ端に丸投げしてる若バカ社長にゃわからないだろうけど」
 「すごい汗だ。怖いのか」
 「!?-っ、」
 せっかくハードボイルドに決めようとしたのに発汗を見抜かれ、カッとする。
 頭に血が上ると同時に左手が連動、騎乗した有里の顔面に左ストレートを叩きこむ。
 「有里サン大じょぶあるか!」
 張が叫ぶ。
 毛と黄も面食らう。
 誰一人俺の反撃を予想し得ずあっけにとられる。
 手切れ金を突き返した時はしくじったが、至近距離の今度は度は狙いを外さない。利き腕じゃないせいで体重が乗らずダメージは少ないが、俺自身これほど見事にストレートの一撃が決まるとは思わなくて、痛快さに胸が透く。
 「ははっ、鼻が高いと邪魔だな社長さ」
 「ん」と同時に横っ面に衝撃が爆ぜる。
 胸ぐらつかまれ強烈な平手打ちをくらう、瞼の裏で火花が炸裂し真っ赤に染まる、有里は俺のシャツをつかんだままつまらなそうに暴力を振るう、一切の躊躇なく容赦なく慈悲なく目障りな蝿を払うように不愉快げに平手で打擲、頬と眼球が火を噴く、仰け反った弾みにベッドボードに後頭部をしこたま痛打、ずりおちながら腕を交差させ顔を庇う、両腕をこじ開け固定され腫れ上がった素顔と無防備な寝姿をさらす。
 「ぁぐっ、」
 「バンリと違って崩れて惜しい顔じゃないしな」
 両手を開いて固定した上に覆い被さり、囁く。
 「……本来優しくしてやる義理はないんだ。思い知らせてやろうか」
 酷薄な顔に、あの日、俺に覆いかぶさった千里が重なる。
 じゃじゃ馬に手綱を打つようにネクタイを引き抜く、シャツを引き裂く、ボタンが苛烈な勢いで弾け飛ぶ、往復ビンタのせいで頬が腫れて頭が朦朧とする「やめろ」余力を絞って抗う、あがく、ばたつく、振り被る「ふざけんな、人呼ぶぞ」眼鏡の位置が大幅に下がって視軸がぶれる「誰か!」どうして誰も来ない、千里は「さわんなよ、シャツが、いい加減に……」
 「観念するある。所詮この世は弱肉強食、お前ご馳走ね」
 張が悪辣に処世訓を嘯く、毛と黄が性欲持て余しぎらつく顔で囁き合う、膝を肘を肩を体重乗せて容赦なく押さえつける、自らの痴態を否応なく見せつけられ顔を横に倒し唇を噛む、せめてその痛みでなけなしの理性と悲鳴だけは上げないプライドを保つ、どうにもならなくなるまで追い詰められても自分を軽蔑せずにすむ幻の何かにしがみつく。
 「色が白いな、意外と。キスマークが映えそうだ」
 シャツの切れ目、呼吸にあわせ上下動する腹筋をなめらかな手がなで上げれば、その範囲をざらつく鳥肌が覆う。
 襟元をはだけ、なだらかな起伏をなぞるよう鎖骨に手を這わせつつ有里が言う。
 「どうした?大人しくなったな。叩きすぎて鼓膜が破れたか」
 「―っ、意味わかんねえ……弟がどこの誰とナニしようが、どうでもいいだろ……成人して家でちまったらふつー関係ねえ」
 「バンリは俺のものだ。目移りは許さない」
 「恋人かよ」
 「そうだ」
 「は?」
 目を見張る。困惑。
 俺のシャツを引き裂き肌を暴き重ねて肯定する。
 「バンリは俺の恋人だ。ずっと体の関係を持ってきた。バンリが会社に入ってお前と出会う前からずっと、何年も前から、あいつは俺のものだ」
 恋人。関係。
 倫理外の単語が脳裏を巡って、顔の筋肉がぎこちなく引き攣る。
 「兄弟で、男同士だろ?」
 「それがどうかしたか?」
 拒否する心と裏腹に口が勝手に疑問を紡ぐ、俺の安直で短絡な質問に有里は憫笑で報う。
 「成人して、少し目をはなした隙にこのざまだ。俺が海外に行ってる間に、随分と安っぽい男をたらし込んだもんだ。プライドが傷ついた」
 俺の視線を絡めとり、憐憫と優越とを織り交ぜた微笑を唇に乗せる。
 「つまりお前は身代わりだったわけだ、淫乱なバンリが俺がいない間欲求不満を解消するためのな。おもちゃにはバリエーションが欲しいだろう?だからあえて俺と正反対のタイプを選んだ。俺にいじめられ続けた腹いせに、ノーマルで退屈なセックスしか知らない職場の先輩を、男なんて一人も知らないウブで真面目な年上を自分好みに調教した」

 俺が、身代わり。
 こいつの?

 「人にされていやなことは倍仕返す。最高だ、それでこそ俺の弟、俺が育てた可愛いバンリ」
 長い睫毛が覆う双眸をうっとり細め、楽しげに楽しげに哂う。
 奢れる支配者にして驕れる虐待者の笑顔。
 
 嘘だ。

 「うあっ!」
 電極刺激に似た疼痛が貫通、踝が跳ねる。
 「乳首がいいみたいだな。バンリに仕込まれたのか」
 「よく、ね……変態野郎……」
 恐怖心と羞恥心がマグマのように煮え滾りせめぎあう。
 肩から袖が抜け落ち、上半身を外気に晒す。
 執拗に絡みつく手を叩き落とす、振りほどく、千里と有里ができていた実の兄弟で男同士でつまり近親相姦、生理的嫌悪が恐慌の荒波を生む、脳裏にひらめく千里の顔俺を見下し嘲る顔むりやり股間をしゃぶらせてご満悦の笑み俺の袖口を握り立ち尽くす心細げな顔の輪郭が溶け合って混じり合って眼前の有里へと収斂していく。

 顔は似てない。
 パーツの柔らかい童顔の千里に対し有里はシャープな印象を備える、しかし今この時俺を虐げ嬲って組み敷く男はドラスティックでサディスティックな本性を剥き出し本質が弟と似通う。

 吐き気がする。

 「千里はどうしたんだ、来てるんだろ、どこにいるんだ!?お前正気じゃねえよ、実の弟と乳繰り合うなんて正気の沙汰じゃねえよ、病的にブラコンだ、そうかだからあいつは実家に帰らず逃げて」
 「バンリのために怒るのか?恋人でもないくせに」
 
 その言葉に、頭を殴りつけられたような衝撃を受ける。

 「ぅあっ、あ」
 乳首をつねり捏ね回す、千里の指遣いと無意識に比べちまう、あいつの前戯とこいつの前戯、爪の先でほじり指の腹で捏ね回し緩急強弱つけ器用そうな長い指を駆使し重点的に責める。 

 前戯もこいつ仕込みか。
 俺はいったいあいつのなんなんだ?
 こいつの代わりか?
 ずっとずっと、騙されてたのか。

 暴れるごと手錠ががちゃつき支柱と削り合う、手首が内出血し抉れた溝を刻む。
 前戯というよりか手慰みに近い熱の入らなさで次第に勃ち上がりつつある乳首を弄び、俺を見下す。
 「扇情的とは言えないが、嗜虐的ないい声だ。顰めた眉がそそる」
 喉の奥でくつくつ悪巧みするような笑いが泡立つ。
 「俺に抱かれたって知ったらバンリはどんな顔するだろうな」
 身の危険を感じ咄嗟に蹴り上げた足を毛と黄が押さえ、下着ごとズボンを引っこ抜く。
 「………びびって竦み上がってる」
 剥き出しの股間と萎えたものを視姦され、肌がサッと紅潮する。
 下着とズボンを膝に丸めて引っ掛けたまま振りほどこうと死ぬ気で暴れる、喉の奥から濁った威嚇の唸りを発し懸命に身をよじる、体をしきりとばたつかせ手足をめちゃくちゃに振るう、くりかえし蹴り上げたシーツに皺の畝が寄る、柔な布に複雑で微細な波紋が生じる、ベッドが軋む、千里に強姦された時の記憶がまざまざ甦って『淫乱だなあ先輩は』『自分から腰振って』『気持ちよくさせてあげますよ』言葉の暴力で陵辱される、内耳に渦巻き響く嘲笑と嘲弄、散発的なフラッシュバックに現実の光景が渦を巻いて被さって混沌の眩暈を呼ぶ。

 『先輩に手を出すな』
 『なにかあったらすぐ連絡ください』

 実直に約束した顔、悲壮に諭す顔。
 共犯だと決めつけてまともに話を聞かず追い出した。 
 「千里……」
 唇が、無意識に名前を呼ぶ。
 俺は、どうして、あいつとちゃんと向き合わなかったんだ。
 あいつが思い詰めてるとわかっていながら、突っ込んで聞かず、うやむやに流したんだ。
 仕事上必要な事なら流さず聞く自信がある、だけど対人関係となるとてんでダメで千里が悩んで思い詰めてると薄々勘付きながら俺が首突っ込む類のことじゃねえしそんな義理もないだろうと羽鳥に背中押されても煮えきらずうだうだ自分に言い訳し放置してた。
 千里は最近様子がおかしかった、ずっと思い悩んで上の空だった、仕事もミス続きで全然らしくなかった。
 千里はもうずっと何年も前から実の兄の有里に関係を迫られ飼いならされていて、その有里が日本に帰国して、再び千里に接近した。千里のそばにいる邪魔者を排除しようと動き出して、千里はそれを知って、俺を守り逃がそうとしたのに。

 『お前も一枚噛んでるのかよ!?』
 『部屋に盗聴器仕掛けられたこと知ってて黙ってたのか、お前以外だれがこんなことするんだよ!?』

 口汚く罵った、責め立てた。
 千里は終始俯き無言だった、悔しげに唇を噛んでいた。
 あいつはいつだって狂った兄貴の手から俺を遠ざけ守ろうとして 

 本当にそうか?

 そもそも俺が今こんな目に遭ってるのは千里のせいで千里が俺にしつこくつきまとうから無関係の俺まで目をつけられて拉致監禁されて、あいつはとんでもねえトラブルメイカーで俺はあいつにさんざん振り回されて人生めちゃくちゃで

 『淫乱だなあ久住さんは』
 『舌、さぼらず使ってください』
 『泣いて喘いで腰振ってくださいよ』

 本当に好きなら、なんであんな事ができる?
 有里の言い分が真実で二人は兄弟で何年も前から関係を持っていて、俺は恋人が帰国するまでの暇つぶしの玩具で、やりすぎて壊れちまっても所詮本命が帰るまでのつなぎだからどうでもよくて
 
 元凶は千里だ。

 「可愛いもんじゃないか、なあ、お前らも見てみろよ」
 「-ひぅっ、ぐ!?!」
 痺れるような快感が頭頂から股ぐらまで突き抜ける。
 有里がふざけ半分、ペニスの先端を人さし指で弾いたのだ。
 「あはははは、可愛い声ね。おちんちん痛い痛いか」
 『受不了』
 『好色鬼』
 「サイズは平均、感度は上々。膨張率がすごいのか?意外と」
 有里の冗談に張たちが追従し馬鹿笑い、下世話な哄笑が渦巻く。
 萎縮した股間を他人に寄ってたかって覗き込まれ、下卑た野次を矢継ぎ早に投げかけられ、羞恥と憤りと悔しさとで目に涙が滲む。
 「見ん、な……あっちいけ、ズボン返せ、剥いたらしまえ」
 半裸同然に着崩れたシャツから覗く肌に視線が突き刺さり、むずがゆさが身を苛む。ズボンを取り返そうと脱皮に苦しむ蛇の如くのたうつ手首を、張がシーツに縫いつける。
 両隣の中国人と目配せを交わしほくそえみ、有里が動く。
 俺のものを無造作に握る。
 「!ーあッ、う、てめ……」
 顔を赤らめ狼狽する俺の反応を見つつ、テクニシャンな手淫を行う。しおれふやけきったペニスを捧げ持ち、絶妙の力加減でやわやわと揉みほぐしたかとおもえば、徐徐に硬さを増し始めたそれを今度は強くしごきだす。
 「バンリじゃなくても勃つのか。他の男に見られても勃つのか。口ほどにもないな」
 口の端を上げ嘲弄しつつ恐ろしく巧みな手淫を施す有里の顔に、千里の幻覚がだぶる。
 「んっ、ぅく、ひ」 
 快楽は強制で。
 スーツを奪われた体はしどけなく無防備で心許なく、千里の指遣いを正確に、さらに巧妙にトレースする有里の策略に乗せられ呼び覚まされた前戯の記憶が性感を火照らせて。
 「あっ、あぅ、ふ」
 鈴口に透明な先走りが滲む、有里がそれをすくいとり一際敏感なカリ首から裏筋にかけての軟骨に似たしこりをコリコリほぐす。
 「変っ、なとこさわんな、ズボン引き上げろ、隠せ、しまえ……お前らもっ、ぼけっと突っ立って見てんじゃねえよこんなの眺めて面白いのかよとっとと出てけ!!」
 「まだ立場わかてないか。お前の命令聞く義理ないよ、張たちお金の味方よ、言うこと聞かせたい金払うよろし」
 張が枕元に腰掛け首を振る。
 毛と黄の顔に下卑た笑みが広がり、弛緩しきった口元から煙草くさい口臭が漂う。
 「うあ、はっ、う………」
 前をいじるのに飽きた有里が、ポケットから小さな瓶をとりだし、蓋を取って中身を手のひらにあける。千里に使われたことがあるからすぐわかった、ローションだ。
 粘性の高い透明な液体が手のひらの窪みに溜まり、とろりと光沢を放つ。
 手のひらをわざと傾け、俺の腹にたらす。
 腹筋に触れた冷たい感触に鳥肌立ち、「ひっ」と息を吸う。
 腹筋から零れたローションが内腿を伝う。失禁に似た感覚に筋肉で守られてない膝裏がひくつく。
 「やめろ………」
 有里が俺の足を開いて持ち上げる。
 後ろの窄まりにローションをまぶした手が伸びて、指の先端が沈む。
 閉じた穴を異物で拡張される違和感がトラウマを抉り、死に物狂いで首を振る。
 「やめ、やめてくれ」
 千里と手を切ると了承すれば、手切れ金を受け取れば、帰してもらえるのか。 
 もうこりごりだこんな茶番弟に犯されただけで最悪なのに兄貴にまで食いものにされる兄弟丼か、胡散臭い中国人が俺の痴態をにやにや不躾に観察してる、完璧に見世物、さんざん殴られた頬が熱を持ち疼く、首を振るごと前髪がばらつき潤む目を覆う、嘆願の声は情けなく震え今にも衣擦れに紛れかき消えそうな始末で最前までの威勢が消え失せた俺を指さし張たちが愉快げに笑う。
 畜生どうしてこんな目に。なんで千里は来ない。
 どうしてこんな目に、俺は悪くない……
 全部千里が
 「金を受け取るか?」
 首を振る。拒む。
 「そうか」
 「!あぐっ、」
 指を深く穿つ。押し広げ抉りこまれる激痛に、酸素を求め体がせりあがる。
 千里じゃない。目の前の男は千里じゃねえ、男はもちろん千里しか知らない、そう言い聞かせ気を逸らそうと努めるも自分の意志じゃ生理現象はどうしようもなくてローションをたっぷり塗した指を抜き差しされると襞がうねる。 
 「めちゃくちゃのぼろぼろにして、バンリの前に転がしてやる。さぞ後悔するだろうな、好きな男が自分のせいでレイプされたとくれば」
 千里のせい。あいつのせい、あいつの、あいつがいたから。
 最初から間違ってた、狂ってた、俺に薬を飲ませ縛ってレイプした、始まりから壊れていた。
 「金なんか貰わなくたって……喜んで、あいつと別れる……あっ、あう、あっ」
 腰に弾みがつく。突っ込まれた指がリズミカルに奥をつく。
 指が抜ける。安堵。有里が俺の膝を割り開いてのしかかった瞬間、それも霧散する。
 「俺の味を穴の奥まで覚えこませて二度とバンリが使えないようにしてやる」

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225438 | 編集

 「俺の味を穴の奥まで覚えこませて二度とバンリが使えないようにしてやる」
 千里以外の男を受け入れたことない場所に力づくで熱い塊が押し入ってくる。
 「―っ、ぁっああ」
 たっぷりローションを塗した三本指で慣らされたとはいえそこは本来男の物を受け入れるようにはできてなくて、きつく窄まった肉襞が収縮し、深々穿つ杭を吐き出そうと抵抗する。
 大量の脂汗がこめかみを伝う、目に流れ込んで涙と混ざって視界が曇る、悲鳴だけは上げないと決意し血が滲むほど噛み締めた唇からくぐもった呻きが漏れる、どれだけ堪え殺そうとしても魂の源泉からこみ上げる純粋な苦痛の呻き。
 なにされてるんだ俺?
 今日会ったばかりの男にヤられてる強姦されてるベッドの支柱に手錠で右手を繋がれて転がされてガンガン突かれてる。
 有里が笑う、張が毛と黄が哂う、哂う哂う哂う幾重にも波紋を描いて渦巻く哄笑、意志に反しびくびく痙攣する下肢、内腿の筋肉が突っ張ってびくびく跳ねる、体内に無理矢理挿入されたものが鼓動に合わせ熱く脈打つ、服に隠れて形状までは見えなかったそれが俺を容赦なく串刺しにし律動的に攻め立てる。
 嘘だろ?
 どうしてこんなことに不毛な繰言の自問自答頭が働かねえ激痛で意識が覚醒気絶すらできねえ、きつく目を瞑る、現実を閉め出す、しとどに汗を吸ったシャツが肌にへばりつく、腹の上でさかる有里をどかそうと足を蹴り上げる真似をしたらすかさず張たちが押さえ込む、手も足も出ねえ、ベッドに磔にされただただ喘ぐ。

 千里。
 どこだ?
 どうしてこない、現れない。
 迎えに来るって約束したのは嘘か。

 「やめ、うあ、痛っう、あっ、離れろ、きつっ、あ」
 有里を拒む、恥も外聞も見栄も意地もかなぐり捨て行為の中断を求め訴える、右手に噛まされた手錠が支柱の表面を削りがちがち性急に鳴る、手首が抉れて内出血が生じる、手首の痛みにも増して下半身を貫く激痛に翻弄され嗚咽とも喘悲ともつかぬ声を上げる。
 有里が突く、抉りこむように腰を使う、肉襞が蠢き収縮してペニスを奥深く銜えこむ、体の内側からごりごり削られ魂を削ぎ落とされる。
 「ざけっ、な、変態……うあ、抜け、今すぐ、―っ、ちさと」
 頭が朦朧とし思考が拡散、無意識にあいつを呼ぶ、口走る、縋りつく。
 瞼の裏の闇が視界を閉ざす、喧騒がさざめく、張が中国語でなにかを言う、毛と黄の濁声が耳朶を打つ。

 「有里さんこいつきつそうよ。ほぐし方足りなかたね」
 「これくらいでちょうどいい、締まりがゆるいと物足りない」
 「あいやー有里さん鬼畜あるー」

 シーツを掻き毟る、蹴り上げる、どうにかして俺の上に覆いかぶさる変態を退けようとあがくも無駄な努力、四対一じゃ絶対的に不利。
 有里が俺の上でリズムをつけ動く、俺の腰を軽々抱えこみ抽送を行う。
 「なん、で、俺が?」
 腸内にたまったローションが抽送にかきまぜられ淫猥な水音が泡立つ、それが更に恥辱を煽る、ローションを丹念にすりこんで潤滑を良くした腸内をペニスが滑走する。
 有里の物は信じられないほど長くて苦しいほど奥に届く、前立腺を繰り返し打たれその度感電したように背中が撓り生木を引き裂く激痛の中から快楽の熾き火を燻りおこす。

 そんなこと、望んでねえのに。
 俺は、自分の体さえ自由にできないのか。

 千里は?
 いつくるんだ?

 前に俺が痴漢に遭った時みたいにドア蹴破って殴りこんでくる姿を想像する、今か今かと期待する、一方で来るな来るなと切実に祈る、今のかっこを見られたくない、裸に剥かれ有里に貫かれるブザマなざまを後輩に晒したくねえ。
 来い、来るな、来い、来るな。
 願いと祈りが音速で交錯する、どっちにも決めかね迷う、葛藤に揺れ動く、背中合わせの希望と絶望の重圧に押し潰される。
 呼吸の仕方も忘れた俺の質問に対し、有理は至極あっさり答える。

 「なんでお前が?決まってる、バンリに手を出したからだ」

 むちゃくちゃだ。

 「俺から手を出したんじゃねえ、あいつが、ひう」
 続きを遮るように一際深く突かれる、怒張したペニスが前立腺を弾く、衝撃が腰に響く、ローションと空気が攪拌されぐちゃぐちゃ湿った音がたつ。
 「身代わりだろう、お前は」
 胸がひとつ、鼓動を打つ。
 顎に手がかかる、その手を振り払う、再び掴んで正面に固定する。
 酷薄な色の目が、優越感を滲ませて、まっすぐに俺を見据える。
 「まさか勘違いしてたのか、バンリの言葉を真に受けて恋人だって。釣り合うわけないだろうに」
 「妄想、癖は、兄弟で遺伝かよ……俺は普通に女が好きで、千里の事なんか全然これっぽっちも」

 要領のいい千里が嫌いだった。
 大嫌いだった。

 「あいつは根っからのサディストだ、真性ド変態の異常者だ、姑息な手ばっか使いやがって……調教だとか、ドレイだとかほざいて、人の事さんざんおもちゃにして……会社でも駅でもどこでもヤりたがるから体がいくつあっても足りなくって」

 そのくせ妙に純粋で。
 寂しがりやで。
 ガキみたいで。
 ほっとけなくて。

 それが仇になったのか?

 「引き取ってくれんならせいせいする、どうぞお好きに、だ……保護者なんだろあんた、とっとと貰ってってくれよ、いい加減うんざりしてたんだガキの世話には!はっ、働かないでも食えていける大企業の御曹司なくせに何を好き好んで暑さ寒さに負けず外回りなんて、営業でぺこぺこ頭下げて、指紋すりきれる勢いで名刺交換して、ほんとならそんな必要全然ねえのに、金持ちの道楽で」

 俺との事も道楽のひとつだったのか?
 そうなのか、千里。

 「―何度も、なんっども、死んでほしいって祈ったさ」
 嘘じゃない、それは誓う。
 千里に犯されたあの夜、悪夢の夜、それからも千里が俺に何かするたび、会社のトイレの個室でローター突っ込まれた時やプレゼンで見世物にされた時に本気で祈った、頼むから本当に死んでくれと願った。
 俺が今こんな目にあってるのも逆恨みされて犯されてるも千里のせいあいつが諸悪の根源すべてのトラブルの発端、だから死ねお前さえ死ねば丸くおさまる悪夢が覚める脱け出せる、もういい加減許してくれ解放してくれ、日常に戻らせてくれ。

 俺にとって千里は憎悪の対象で

 「あいつなんか、好きじゃねえ。このさき好きになることなんか、絶対ねえ」
 絞り出すように、言う。
 嘘か強がりか、唾棄するような調子で断言。

 否定の台詞と裏腹に眼球があっちこっち動いてあいつを追い求める、スイートルームのどこにも姿が見当たらないあいつを捜す、床に放置された携帯に視線がとまる、シーツを這って手を伸ばす、だめだ届かねえ、あれさえ手に入れば千里と会話できる、声が聞ける―……
 「バンリはお前の事なんか好きじゃない。現に助けにも来ないじゃないか」
 有里が耳元で囁く。
 「バンリは俺の言うことならなんでも聞く良い子だ。さっきラウンジで話し合った」
 「なに、を?」
 「最高の見世物をご覧にいれよう」
 くつくつと喉の奥で笑う。
 嫌な笑い方に汗が引く。
 「バンリは助けに来ない、なぜならお前には興味がない。所詮身代わりのおもちゃ、俺がいない間退屈を紛らわせるために飼いならした男をわざわざ助けに来る理由がない。バンリの外っ面にだまされたのは職場の連中だけか?ちがうだろう、お前もだ。一番の貧乏くじを引いた」

 貧乏くじ。
 騙された。
 俺が。俺も。

 「ゲームだったんだよ、他愛もない」
 有里が皮肉っぽく唇の端を歪める。
 「昔から俺たち兄弟がやってたゲーム。あいつが逃げて俺が追う、あいつが男をひっかけて俺が引き裂く、そしてあいつは戻ってくる。今回はたまたま俺が不在でブランク空いたけど、バンリはちゃんと相手を見つけてきた。いいつけを守る良い子だ」
 「……どういう意味だよ」
 「兄弟二人で何も知らない馬鹿を挟んで嬲る、最高にサディスティックでドメスティックなゲーム。願わくば獲物はしぶといほうがいい」

 昔から兄弟間で行われていた背徳的なゲーム、賭け。
 千里が男を落とし、アブノーマルなセックスを仕込んで兄貴と共有する。
 俺はその、賞品にされた?

 「……すっかり出来上がったのを兄弟仲良く召し上がるってか」

 事の始めから嘘をついてたのか。
 俺を好きだってのはでたらめで好きが高じてレイプしたってのはでまかせで、性悪兄貴がはるばる凱旋なされた今日のよき日のために全部お膳立てされてたのか?

 兄貴の機嫌をとるためのイケニエ。
 それが俺。

 「俺という男がいるのにお前なんかに本気になるわけないだろう」
 「!っぐ、あう、離れ」
 有里が抽送を再開一気に押し入ってくる、怒張が体内を抉る、前立腺を突かれ弾かれ脊髄をしびれるような快感が貫く、変だ、おかしい、なんだ?体が、

 「あ、っく、ふぁ」

 変
 熱い、疼く、有里と肉と肉で繋がった部位からマグマのようにドロドロに溶けてひとつになっていくような感覚、肉と肉の境目が融解、細胞と細胞の境目が融合、思考が輪郭を失う、ペニスが挿入されたままの直腸が津波のようにうねり狂う、大量の発汗、心拍が跳ね回る、窄めたつまさきで既に皺くちゃのシーツを掻き毟る。

 「は、何…………」
 「くっきり形が出てる」
 「!あっく、」
 尖りきった乳首がシャツに形を透かし、有里がそれを軽くひっかくなり、それだけで達してしまいそうな快楽の波が襲う。
 「あつ……んぐ、ぁう、てめ、なに」
 「催淫剤だ」
 サイインザイ?
 詰問しようと下手に口を開けば熱く湿った吐息に喘ぎが混じりまるで感じてるようで、違う、感じてねえ、無理矢理の行為は痛いだけ全然気持ちよくなんかねえ。
 おかしい、熱い、じれったい。
 素肌がシーツと擦れ合う感触がもどかしい、シャツと乳首が擦れ合う感触さえ鋭い性感となって突き抜ける。
 「きつ………」
 ペニスが挿入された直腸が膣のように収縮、それまで不快でしかなかった内腿を伝うローションのぬるつきさえ気持ちよくなる。
 有里が静かに顎をしゃくる。張たちが意味深にほくそえんで手を放す。
 痣になるほど強く押さえ込まれた手足からようやく重りが取り除かれた安堵より、変調を来たした体への不安と不審が先に立つ。
 前に血が集まり始めたのがわかる。
 手も触れられてないのに半勃ちの状態になったペニスから汁が零れる。
 「ローションに混ぜといたのが効いてきたな」
 「くすり、つかったのか」
 「痛いだけじゃ気の毒だろう」
 「手加減なしでビンタくれたくせに、よく言う……」 
 「面の皮が厚いから平気だろう」
 放とうとした罵倒は喘鳴に紛れて消える。
 直腸の襞ひとつひとつに練りこまれた淫催剤がその効力を存分に発揮、快楽の抽出と濃縮の過程を同化し痛みを中和していく。
 「お前も千里もくそくらえ……兄弟そろって、どっからそんなクスリ、仕入れてくるんだ……」
 「今はインターネットで簡単に買える。俺は業者から直接買った、効果は折り込み済み。特別強烈なヤツだから一回ヌいたくらいじゃおさまらない」
 喉が異常に渇く、体中が干上がる、渇望と欲望が直列で繋がる。
 「はっ、はあっ、は………」
 「苦しいだろう」
 浅く息が弾む。
 心臓が狂ったように早鐘を打つ。
 さっきまで痛いだけだった行為がもっと別の屈辱的な意味を持つ、脂汗がこめかみを伝う、シーツに点々と染みを作る、目を瞑る、開く、視界が歪む、物欲しげに生唾を飲む、喉仏が上下、下腹がじんわり熱を帯び股間が昂ぶる。
 「―ぅ、抜け」
 「どっちを?」
 手錠か、ペニスか、両方か。
 意地悪く聞く有里、俺に顔をつきつける、吐息の湿り気がシャツ越しに乳首をくすぐってひきつけを起こす、他人の息遣いにさえ感じてしまう。
 「どっちも、先、入ってんのから……ひぅあっ!?」
 有里が中に突き入れたまま腰を回し、巻き込まれた襞が蕩けそうな熱を生む。
 「―っ、の、やろう……」
 「お前ら、こいつ『で』遊べ」
 ベッドのまわりに集う張たちに有里が命令し、その意味を理解し愕然とする俺に、一斉に手が群がる。
 肩に手が触れる、脇腹を無遠慮にまさぐる、シャツの隙間に忍び込んで平たい胸板を何往復もなでさする、毛と黄がシャツに浮く突起をつねって遊ぶ「痛ッう」俺の反応を哂いつつ搾る、引っ張る、こりこりと捏ね回す、熟れた顆粒を指で挟んで揉み転がし緩急つけて刺激を加えつつ開発していく「あ」毛の手が内腿を滑り下腹部へ「さわんな、そこはよせ、小便してからよく振ってねえから汚ね」萎えさせようと企む台詞を無視、半勃ちの状態で放置されたペニスを掴む「!?ふ、」カリ首を爪の先でほじる、根元から先端にかけ荒っぽくやすりがける「んう」しっとり汗ばむ手が口をふさぐ、俺の口をぴったり塞いだ張が眼鏡を奪う。
 剥き出しの胸を腹を発情した蛇の如く手が這う、有里は俺の中に突っ込んだまま張たちの好きにさせそれを眺める、眼鏡を奪われ輪郭が歪む視界に今や完全に勃起した俺自身が映る「ぅむ、うぐ、ぁぐぅ!!」首を振る、抗う、スプーンの握り方を間違えた子供を矯正するように有里が俺の左手を掴み自分のシャツへと移植、シーツの代わりに有里のシャツを強く強く握り締める、そうやって何かに誰かにしがみついてないと霧散しそうでとてつもなく不安だった。
 ペニスをしごく手が加速する、きつく目を瞑る、有里のシャツを強く掴む、前から後ろから快感が波濤を打って押し寄せ理性がぐらぐら煮立つ。
 「あっ、あ」
 前と後ろと後ろと前と見境を失う、先走りの汁に濡れそぼったペニスの赤剥けた先端を手が擦る、イきたくねえイきたくないイったら恥だ、強情に抗う意志が一コスリごとふやけて萎えていく、気持ちいい、イっちまいそうだ、自分でするよりずっとずっと千里にされるよりずっとずっと違うクスリのせいだ嘘だ手が上下加速ペニスが生き物の如く震え稲光が股ぐらから脳天まで根を張る。
 「!ーひ、あああぁっ」 
 射精の瞬間。
 今まで体験したどの射精より強烈な快感とその後の虚脱感、大量に分泌された精液に塗れ放心、大きく口を開き息を吸う、吐く、汗でしとどに濡れそぼって芯から萎れた前髪が顔を隠す、苦しい、射精したのに全然熱が去らないもどかしさが消えず切なさが募る。

 「……さと………」
 どうしてこんな時に、あいつが思い浮かぶ。

 苦しい、じれったい、もどかしたい、体内に蟠る熱を一滴残らず吐き出したい、頭が変になりそうだ、全身が疼いて体の先端が特に疼いて今達したばかりのペニスが再び力を持ち始めて乳首がシャツと擦れてむず痒くて……

 目の前に、千里が現れる。

 「千里、はやく」
 手を伸ばす。指を触れる。
 「はやくくれ、お前の、それ、もっと奥……いつもみたく、ぐずぐずすんな」
 千里が笑う。笑って、俺を抱く。
 「クズミは淫乱だな」
 千里が俺を呼び捨てる。一抹の違和感を覚えるが、どうでもいい。
 「中、熱い……こんなの死んじまう、早くらくにしてくれ、頼む……」
 「俺が欲しいのか?」
 「くれ、今すぐ……」
 「バンリじゃないのにか」
 何言ってんだ、バンリはお前だろう。
 「―っ、いい、いいから早く、イきたい、イかせてくれ、なんでもするから、言うこと聞く!」
 「バンリじゃなくていいんだな」
 頷く、何度も何度も頷く、そうしなきゃ永遠に苦しみが地獄が続く、体の中から煮殺されてしまいには息もできず溺れ死ぬ、前にも増して強くしっかりと狂おしく千里に抱きつく、胸のあたりに口づける、このへんだろうとあたりをつけ突起をついばむ、いつもされる方でするのは慣れないが拙いながら懸命に奉仕する、千里が笑みを深める、よくできたとほめるように俺の背中をなでる。

 そんなぬるいのより、今すぐアレが欲しい。

 「はっ、はふ、は」
 唇にしゃぶりつき、積極的に舌を絡めに行く。
 テクニックに翻弄されつつ、辛うじて追いついていく。
 「へたくそだが、おまけで及第点をやろう」 
 千里の声―こんな声だったか?―もっと高かったような
 粘着な唾液の糸引き唇が離れていく。千里が俺を抱き直す、体の力を抜き素直に従う、千里の背中に惰性で腕を回し虚脱しきって身を委ねる。
 「ああっ、あっ、あっ、あああああああっ!」
 動きが再開し体が上下する、振り落とされないよう必死にしがみつく、待ち焦がれたものを与えられ飢えが満ち足りていく充足感に声を上げる、肉の隙間がぎっちり埋まって一番欲しかった所に届いて最上級の快楽に溺れる、体の細胞ひとつひとつが沸騰し溶け合って官能の渦を巻く。
 「あっ、あっ、ああっ!」
 挿入の度合いを深めて肉の快楽をもっと貪ろうとできる限り密着する、自分から腰を振る、相手の背に回した腕をきつくきつく閉じる。
 息遣い、衣擦れ、唾液を捏ねる音、ローションに空気が混ざる音に張たちの淡い失笑。
 それら雑音の坩堝の中に、ドアが開く音を聞く。 
 誰かがこっちに向かってくる、歩いてくる。
 関係ない、眼中にない「あっ、あふ、ふあ」揺さぶられるがまま腰の動きを合わせる、一番いいところに当たるよう腰を浮かし角度を調整……
 「ははっ、やっぱり、思ったとおりだ、別にあいつじゃなくてもよかったんじゃないか!他の男に抱かれて夢中で腰振って、ほら見たかバンリ、これがお前がご執心の先輩の正体だ」

 え?

 淫蕩な熱に濁りつつあった目が再び焦点を結び、ベッド横に愕然と立ち尽くすスーツ姿の男を映す。

 本物の千里がいた。
 
にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225343 | 編集

 「ようこそバンリ。クライマックスに間に合ったな」
 千里にしちゃやけに低い声、一癖ありそうな含み笑い。
 こんな声俺は知らない、じゃあ目の前の男は千里じゃない。
 俺は?
 千里以外の男に服従したのか?
 みっともない、浅ましい、負け犬の降伏行動。
 淫蕩な熱に浮かされ溺れた最前までの行動を反芻し、悔恨の念に奥歯を噛みしばる。
 「どけ………」
 指をすり抜ける砂を一握り掴むような、儚い抵抗。
 ちょっとシーツと擦れただけで悩ましい性感を生む体を叱咤し震える腕で有里を突きのけようにもさっぱり力が入らず役に立たねえ。
 有里が感心し口笛を吹く。
 「すごいな、まだ逆らう気力と意志が残ってるのか。この薬を使った人間で最中に自我を取り戻したのはあんたが初めてだ。大抵はとびっぱなし、イキっぱなしだってのに……ぎりぎりで理性が残ってたんじゃかえって辛いだろう」
 「やめ……ろ……いい加減、おりろ、乗馬の時間はおしまいだ勘違い王子……」
 耳朶に触れる吐息さえ刷毛でくすぐるようなもどかしい官能を煽って、ぞくぞくと下半身が疼く。
 「じゃじゃ馬だな」
 「……従わせてえなら、鞭持って来い……」
 「息が切れてるぞ?」
 「………ふ………ぅあ、っぐ、動くな……」
 中を穿つペニスが一番感じる場所をこそぎ、痛みとも痒みとも知れない疼きがへその裏を炙る。
 「ここがいいのか?ひくついてる」
 「!よせ、」
 生々しい粘膜の色した結合部が千里や張たちにはっきり見えるよう姿勢と角度を変え、俺の尻を馴れ馴れしく抱いた有里が、さらに残忍な笑みを深めて行動に出る。
 両手で俺の尻たぶを割って、窄まりに剛直をあてがい……
 一息に持ち上げ、落とす。
 「!?―――っああああっ、」
 先走りとローションでぬるつく剛直が泡の潰れる音たて根元まで一気に刺さり、前立腺が放電したような衝撃が脳天まで貫いて海綿体に血を送り出す。
 「あっ、ふあ、あああっあっひあっあっあっ」
 腰使いが突然激しさを増す、腕が挫け不可抗力で有里のシャツを掴む、振り落とされないよう懸命に必死に掴まってないと彼方まで吹っ飛ばされそうで怖い、自分がどうにかなっちまいそうで怖い、こんなの嘘だ、俺がこんな声出すわけない痴態を見せるはずない人がいるのに千里が見てるってのに、腰振って悦んでまるで変態……
 「あっ、やっ、ふあっ、んあっ」
 声が畜生とまらねえ自制できねえ、快感が加速に次ぐ加速、有里が腰を強く打ち込むごと狂ったように体が仰け反る、怒張したペニスが腹を裏漉し一突きごとに腰の奥でマグマの源泉が沸き立って前立腺を打たれて有里の腹を叩くペニスが歓喜の汁をこぼす。
 「可愛いだろう、乱れるクズミは」
 横髪を一筋頬にはりつけ、退廃した色気纏う有里が腰をグラインドさせる。
 「クズミとは体の相性がいいみたいだ。クズミはこの通り、俺の腹の下で別人のように甘い声を上げる。どうだ?お前の時もこんな素直で可愛い顔を見せてくれるか、色っぽく喘ぐか、シャツにつかまってもっともっととねだってくるか、自分から腰をすりつけてくるか?」 
 「………」
 千里は黙りこくったまま。
 その顔がどんな表情を浮かべているか、眼鏡を奪われた裸眼では正確に識別できない。
 軽蔑?幻滅?憤激?嫌悪?
 わからない、沈黙が怖い、何か言ってくれ千里。
 シャツを掴む手を軽く叩き、子供をあやすように有里がほざく。
 「見ろよ、クズミの手。しっかりつかまって放さないだろう。よだれと汗と涙ぐちゃぐちゃどろどろの子供みたいな顔を近づいてよく見ろ、ほら、目の焦点が合ってないだろう。さっきからずっとこの調子、俺がなに話しかけても上の空だ、まったくびっくりしたね、お前の恋人が初めての男に組み敷かれてあんあん喘いで腰振る淫乱だなんて。もっと根性あるんじゃないかって期待したんだが、買いかぶりだったか」
 「あっ、や、うあっ、ひうぐ、ぅぐ、あああっ」
 腰に大胆な捻りを加え襞を巻き込んで律動的に抜き差し、手錠ががちゃがちゃ鳴る、一度加速がついた快感は絶頂に向かいひたすら疾走する、動きに合わせばらけた前髪が視界を覆う、額にへばりついて目を覆う、口の端からたれた唾液が鎖骨の窪みにたまって光沢を放つ、シーツと肌が擦れ合うもどかしい感覚がやみつきになる。
 「はっ、はははっ、目が虚ろだな。疲れたのか。汗びっしょりだ」
 「あいやーこいつ変態ね、どんどん腰が上ずってるね、大勢に見られてよがてるある」
 「はっ、はあっ、は……」
 もうどうでもいい。
 いっそ殺してくれ体の細胞一個残らず蒸発しちまえ跡形残らず、俺が俺じゃなくなるのがいやだ俺なら絶対言わない台詞を口走るのがいやだ大嫌いなくそったれな有里の野郎にしがみついたままシャツから手を放せないのが癪だ。
 一体どうしちまったんだ、体と心が引き裂かれ体が心を裏切って快楽に溺れて欲望に飲み込まれてブレーキがきかない、原寸大の鋳型にでもなったように亀頭から根元まで銜えこんだおぞましい性器の形状がよくわかる。
 直腸の襞ひとつひとつが生き物のように蠕動し、へその裏あたりが波打つ。
 俺の顔をのぞきこみ、余裕ある表情で有里が揶揄する。
 「クズミ、『頂戴』をしてみせろ。上手にできたらご褒美をやる」
 ご褒美。
 物欲しげに喉が鳴る。
 無意識に―いやだ、なにを―体が動く、耳裏の血流がどくどくどくどく脈を打つ、体が熱い、火照りを逃がしたい、有里が哂う、哂いながら俺の頬を手で包む、悪戯に舌を這わせ上唇の表皮をついばむ、じゃれつくようなキス……
 「んむ、ぅ」
 唾液でぬめる粘膜が吸着し甘美な電流が走る。
 顔を背け拒む、今の自分に許された範囲で出来る限り抵抗する、執拗に唇をつけねらう有里を必死に振り払う、はねつける、千里の前で無理矢理キスされてたまっか、これ以上ぶざまな姿を見せたくない、その信念だけでしぶとく抗うも顎を掴み固定しこじ開けられる。
 「!―んぅっ!?」
 「へたくそが。もう少し経験を積め」
 有里が俺の手を振り解き、自分の首をくぐらせ背へと回す。
 「あっあっ、あっあっあ!」
 下肢がびくつく、膝裏がわななく、ラストスパートに入る。
 振り落とされぬよう頭を真っ白にしてしがみつく、シャツの背中にたまらず爪を立てる、ひっかく、抉る、乱暴に揺さぶられ貫かれいきりたったペニスで前立腺を突かれ瞼の裏で閃光が爆ぜる、中でローションと腸液が攪拌され潤沢に泡立つ局部が擦れ合う。
 「どうしてほしいクズミ」
 「……ふ……」
 「イかせてほしいならそう言え。寸止めで放置してもいいんだぞ。それとも張たちに輪姦されたいか?こちらとしてはそれも歓迎だが……せっかく招待したんだ、色々趣向を変えて楽しまないとな」
 千里の耳と目を意識する、張と毛と黄が興味津々こっちを見る、全身が恥辱に染まる、強要された台詞の恥ずかしさに伏せた目が揺れる、潤む。
 「どうした?黙ってちゃわからない」
 「……っ、く……追っ払ってくれ……」
 千里に見られるのは耐え難い。何対もの視線が身を切り刻む。
 なんでこんな場所に来た、どうして黙ってる?俺に、失望したのか。
 「出てけ、ちさと……ほかのやつ、らも……っ、でてけ、ふたりっきりにしてくれ……」
 「俺と二人きりがいいのか?わがままだなクズミは。でもだめだ、お前がイくところを皆に見てもらいたくてわざわざ呼んだんだから」
 「てめ……ざけんな、変態やろ……ひあうっ!?」
 ずるりと湿った音をたてローションの糸引くペニスが半ば抜け出る。
 生々しい肉色で繋がった部分が千里をはじめとしたギャラリー全員に見えるよう体位を調整し、指示を飛ばす。
 「上の口が物足りないだろ?張、来い」
 心得たとばかり歩み出た張が、笑みを含んだ目配せを有里と交わし、おもむろにズボンを脱ぐ。
 「な………」
 下半身を露出した張がベッドに乗っかり、俺の顔を跨いで仁王立つ。
 必然、張の股ぐらにぶらさがったペニスが目の前にくる。
 「お前しゃぶるね。お前うるさいから有里さん怒たよ、怖い怖いよ。これ咥えてだまてるよろし」
 いっそ、泣きてえ。
 「……貧相なもんだしっぱなしにすんな、たくあんかよ、そりゃ……」
 「おお、怖い怖いね。でも嘘よ、お前そんなことできないよ、お前気持ちよくなるためなら男のアレでも平気でしゃぶるド淫乱よ、張ずっと見てたよ」
 前髪を掴み無理矢理顔を上げさせるや、俺の口に、無理矢理それをねじこもうとする。
 近づくペニスから顔を背ける、独特の生臭い臭気が鼻をつき吐き気がこみ上げる、ペニスが頬にぶつかる、張が痙攣するように笑いつつ竿の振り子で往復ビンタする。
 肉と肉が打ち合う妙に間の抜けた音が響く、ヒステリックな嘲笑に煽られ嫌悪と羞恥が膨らむ、絶叫したい、発狂したい、身の内で暴力と破壊の衝動が荒れ狂う、有里が抽送を再開、荒々しく突き上げられた拍子に口が開いてその隙を逃さず張がブツを押し込む……

 畜生、ああ、いよいよだめみたいだ。
 助けてくれ。

 「待ってください」

 凛とした声が行為を制止する。
 張が俺を跨いだまま振り返る、有里が動きを止める。シャツの前をしどけなく開き、仰向けに寝転がって、男二人にされるがまま屈辱をなめていた俺も、呆けたように声の主を仰ぐ。
 千里がいた。
 敢然たる足取りで前に進み出るや、張に前髪を掴まれ、今まさに口をこじ開けフェラチオを強制される寸前の俺を、無表情に見詰める。
 「あ………」
 組み敷かれた体勢から、余力をふりしぼり、千里のほうへと震える指先をのばす。
 無意識な動作。俺自身、そうやって千里に触れて、どうするつもりだったのかわからない。
 千里がいる。目の前に、触れられる距離にいる。
 約束を守って迎えに来た、助けに来てくれた。泣きたくなるような安堵。
 今自分が晒してる醜態とか痴態とか一瞬跡形もなく消し飛んで。
 千里に触れたい、近くに感じたいという肉の快楽さえ圧する純粋な願望と欲求が苦しいほど切実にこみ上げて、ふらりと左手をのばす……


 乾いた音。
 そっけなく払われた左手に痛みが走る。 

 「汚い。触るな」

 拒絶された左手が宙をさまよう。
 一瞬、耳を疑う。
 聞き間違いじゃないかと、空虚な希望に縋りたくなる。
 けれども現実は、依然千里の姿をとってそこにあった。
 「………は……?」
 顔が変な具合に歪んで引き攣る。
 俺の左手をまるで汚物の如く叩き落とした千里は、一瞬でも俺に触れてしまった失態とそれを許した愚かさを悔やむかのように、忌々しげに顔を歪める。
 「……なんですか、今の。ぼくじゃなくたって、別に構わないんじゃないか」
 なに言って
 「今、自分がなにされてるかわかってますか。誰に抱かれてるかわかってますか、いや違う、抱かれてるなんてなまやさしいもんじゃない、レイプされてるんですよ?手錠で繋がれて、沢山の人に見られて、ベッドの上で……なのになに、感じまくってるんですか。腰振って。声上げて。拉致されたんですよ?誘拐ですよ?」
 軽蔑のまなざしを、俺にたたきつける。
 「……がっかりだ、本当に。先輩がこんな人だったなんて。男なら誰でもいいんでしょう?ぼくである必要なんかない。あなたは酷くされるのが好きなんだ、そういうふうに好きでもない男に無理矢理されるのが好きなんだ、だから悦んで腰振るんだ、相手が誰だろうがぼくの実の兄だろうが極悪で卑劣な誘拐犯だろうが自分を犯してくれるなら誰でも構わない、酷くされればされるほど感じてしまう体質なんだ」
 千里が口の端を持ち上げ嘲笑う。
 有里が今さっき見せた表情とよく似た、酷薄で無慈悲な微笑。
 優しげな童顔にはひどく不釣合いな倒錯を引き起こす冷笑。
 「もうちょっと手ごたえあるとおもってたのに、見損ないました」
 「どういうことだ」
 「ゲームだったんですよ、ぜんぶ」
 冗談めかし肩を竦める。

 『千里が男を落とす、俺がそれを引き裂く、千里が逃げる、それを俺が追う。ずっと昔から続けてきた他愛ないゲームだ』
 さっき聞いた有里の話が耳の奥でこだまする。

 頭が急激に冷えていく。
 「嘘だろ?」
 声が動揺に上擦る。
 食い入るように千里を見る。
 千里ははぐらかすような笑みを浮かべたまま、ルールを説明する。
 「まずはぼくが男を落とし倒錯したセックスを仕込んで兄さんに献上する、そして心ゆくまで二人で挟んで嬲る。願わくば、獲物はしぶといほうがいい」
 「嘘だよな」
 「あなたに目をつけた理由教えてあげましょうか」
 悪びれず開き直る。
 無関心に冷めた声と不誠実な笑顔に人懐こい後輩の面影はなく、千里の姿を借りた見知らぬ男と対峙してる錯覚を来たす。
 人の心と体を弄んで愉悦に酔う、狂った価値観を持つ男の顔。
 見せかけの優しさで人を毒する悪魔の顔。 
 「単に職場で一番落ちにくいと踏んだからですよ。真面目で堅物で融通の利かない、仕事はデキるけどプライベートはツイてない、他人にも自分にも厳しく故に友人が少なく敬遠されがちな久住さん。どこまでいっても常識人で潔癖なあなたは、ぼくみたいに卑劣で姑息な人間を毛嫌いする。同性愛者を嫌う。わかります?あえてハードルを高くしたんです、張り合いが欲しかったから。ゲームも最近マンネリ化してたし、刺激が欲しかった。彼女と別れたばかりで傷心の、ガチガチノンケの男を無理矢理犯し、一からアナルセックスを仕込んで身も心も攻略していく。面白い試みでしょう?」
 ねじくれた着想を自慢するように軽薄に嘯き、有里に同意を仰ぐ。
 「兄さんも賛成してくれたしね」
 「騙してたのか」

 ずっと嘘をついてたのか。
 優しくしたのも嘘で。
 好きだというのもうそで。
 嘘で嘘で嘘ばかりで塗り固めてどこにも本当はなくて俺は落ちるか否か賭けの対象にされて

 「本当、なのか?」
 生唾を飲む。
 「好きだってのは嘘で、でまかせで、ずっと兄貴しか眼中になくて、俺は……暇つぶしの相手でさえない、ただのコマだったのか」
 ずっと嘘をついてたのか。
 屋上でふたり爽やかな風に吹かれ話し合った時もホームで痴漢から助けた時も部屋でカレーをつついた時も、ぜんぶぜんぶぜんぶ嘘だったってのか?
 千里の芝居に完璧騙されて、俺のこと好きかもしれねえなんておめでたく思い込んで、好きな相手を縛って強姦したり無理矢理ローター突っ込んだり常識に照らし合わせりゃ矛盾だらけの行動だって明白なのに耳元で甘く囁かれる好きって言葉が心地よくて
 俺の目をまっすぐ見つめ、千里は微笑む。

 「当たり前じゃないか。なんであんたみたいな可愛げない人好きにならなきゃいけないんだ?」

 胸を殴りつけられたように息がとまる。
 千里は続ける。
 「鈍感で。怒りっぽくて。融通がきかなくて。インテリぶってるくせに打たれ弱くて」
 緩慢な足取りで室内をぶらつき、抑制の利いた口調で俺の悪い点を挙げていく。
 「……カルシウム不足で、いつもいらいらしてて。目つきが尖ったきつい顔で。セックスは退屈、フェラチオもろくにできないくせに口ばかり達者。時々手が出る。血の気が多く直情的、お人よしも過ぎるとうざい。たまたま電車で乗り合わせただけの女性をわざわざ痴漢から庇うとか、あなたのそういうところが鼻につくんですよ。偽善者ぶって、自分がフォローできない分は他人に尻拭いさせて」
 抑揚なく紡がれる否定の言葉ひとつひとつが、胸を抉る。
 糾弾と呼ぶほどの怒りはなく、中傷というほどの悪意もなく。
 どこまでも落ち着き払って、実験動物の交尾でも見るような熱の伴わない目で、有里と繋がったままの俺を観察し本音を述べていく。
 「久住さん、今自分がどんなかっこしてるかわかってます?職場でのクールなイメージが台無しですよ。眼鏡もとられちゃって……あちこちに精液こびりついて。アナルセックス、気持ちいいですか?そっちで感じるよう仕込んであげたのは誰でしたっけ。もとから素質あったんだな、きっと。はは、見込み違いもいいとこ。もっと根性あるかと期待したんだけど、あっけない」
 「ちさと」
 「ストイックって言うかクレバーって言うか……とにかくそんな感じで、職場で一番落ちにくそうな人を選んだのに。そんなによかったかな、ぼくのは。後ろで感じた?同性にペニスをしごかれて泣いて悦んでましたよね。嫌い嫌いって口ばっかり、結局最後には言う事聞いてくれる。お前なんか嫌いだ、顔も見たくない、死んじまえってぎゃあつく吠えるくせに、セックス中は夢中で腰振って抱きついてくる。正直、笑えました。ギャップがすごくって。職場じゃいつも偉そうに威張ってるくせに、口ほどにもない」
 「もういい、やめろ」
 「まんざらでもなかったんでしょう?ねえ久住さん素直に言っちゃってください、同性愛者嫌いを吹聴するあなたが行為を重ねるにつれ後ろの方がよくなってく姿はなかなかそそりましたよ、ローター突っ込まれてよがるくらいですもんね。冷たいプラスチックの卵で犯されて、びくびく痙攣しながらイきまくって、手遅れなマゾだなあ」
 「やめてくれ、お願いだ、頼む」
 左手で耳を押さえかぶりを振る俺に迫る、唇があでやかに綻ぶ、嬉々として暴言で鞭打つ。

 「幻滅しました。こんな淫乱だったなんて興ざめだ。男なら誰だっていいんだろ?」
 
 心がずたずたに引き裂かれる。
 
 「後ろに突っ込まれれば即勃つんだろう?」 
 俺の痴態を映し陰険に濡れ光る目を細め、歪に笑う。
 
 馬鹿にしたように股間を見る、俺のペニスは固く勃起して腹につきそうに急角度で反り返って白濁の混じった先走りがだらだら滴る、違うと否定したところで体の反応がそれを裏切る、俺は紛れもなく欲情してる、快楽に溺れてる、有里に犯され辱められ興奮してる、だけど頭の片隅だけ妙に醒めて麻痺してる、手荒く揺さぶられ喘ぎ声を上げる自分を天井から客観的に見下ろしてる。
 もう一人の俺は酷い顔、シャツの前がはだけて貧弱な胸板が露出して痩せた腹筋がそれに続いて下は剥き出しで股間のものは切なく滾りたって涙を流す「ああっ、ああっ、あうっ、ぃうっ」おもいっきり掻き毟りたい、溜まったもん全部一滴残らず搾り出したい、傍らに添う千里がそんな俺を倦んだ目つきで眺める、退屈そうな顔つき、もう完全に興味を失ってどうでもいいと言わんばかりに……

 「―っ、すごい……よく締まる……」
 「当たり前です、ぼくが調教したんだから」
 「仕上げは俺だな」
 
 まるで物みたいに、俺の事を明け渡す。

 「バンリに見られて感じてるのか?どうしようもない変態だな、クズミは。顔が赤い。どうした、誘うように目を潤ませて……泣いてるのか、大の男が」
 「………い、てね……」
 「振られて哀しいか?裏切られてショックか?運が悪かったんだ、お前は。たまたまバンリに目をつけられたせいでいいとばっちりだ」
 「もう興味ないです、その人。よかったら、兄さんにあげますよ」
 「いいのか?」
 「久住さんもそっちのがいいでしょう?声、すごいですよ。腰もすごく上がってるし」
 有里と千里の笑い声が混じり合う。それに張たちの哄笑が被さって悪意の波長が共鳴し部屋に渦巻き満ちていく。
 「一緒にヤッてもいいんだぞ?」
 俺の尻を抱いて、今にもはちきれんばかりに怒張したペニスを打ち込みつつ有里が問えば、千里は明朗に断る。
 「遠慮しときます。兄さん一人で楽しんでください。ほら……靴とスーツ汚したくないし」
 俺の価値は、スーツ以下か。
 千里が踵を返す。非情な背中がぼやけた視界を遠ざかっていく。
 血統書つき猫のように優雅に絨毯を踏みしめドアへ向かう千里へと無意識に手を伸ばす、宙を掻き毟る、信じられない信じたくない信じるしかない、千里は俺の目を見てはっきりそう言った、騙される方が馬鹿だと訣別を宣言した、絶縁状を叩きつけた。
 有里に組み敷かれ上擦る腰、結合した局部がぐちゃぐちゃ濡れた音をたてる、千里がどんどん遠ざかっていく、距離が開いていく。
 「いくな、ちさと、もどれ」
 助けてくれとは言えない。言う資格がない。
 俺は勘違いしてた。好きだという言葉を真に受けて、それが千里の本心だと信じきって、こそばゆさを感じていた。
 限界まで腕を伸ばす、宙を掻き毟る、戻ってこいと発狂せんばかりにひたむきに念じる、喘ぎ疲れて声が出ない、喉が痛い、腰がだるい、汗で濡れそぼった体が気持ち悪い、行為はまだ続く、有里が飽きて放り出すまで延々と続く、若く精力が漲ったペニスはまだ力を失う気配なく俺の体内を卑猥な水音と共に出入りする、薬の効果が切れる予兆はないー……


 ―「俺は、なんなんだよっ!!!」― 


 ドアの手前で千里が立ち止まり、無言の背中を晒す。
 構わずその背中に吠え立てる、千里を振り向かせたい繋ぎ止めたい一心でかすれきった喉を酷使し喘ぎ声の合間に問いを繋ぐ。

 「俺は、お前の、なんだったんだ!?お前がしたこと言ったことぜんぶ嘘でほんとはひとっつもないって言うのか、お前なんか大嫌いだ千里、そいつは本当だ、神かけて誓う、だけど嫌いだけど許してたんだ、お前は俺となにもかも正反対で猫かぶりで愛され上手で友達多くて人気者で要領よくてそういうとこが虫唾走った、だけどなんでか許しちまうんだよ、お前がごめんなさいってしょげたふりすっから、ガキみてえにしおらしくなるから、だから仕方ねえなってどんな酷い事されてもその繰り返しでいつのまにか本気で憎めなくなってた、なんでだよ、憎いはずだろ、事無理矢理ヤったヤツだぜ、なんで許せるんだよ、知るかよ、んなの俺が一番知りてえよ!!」

 殺したいほど憎んだ日もある。
 だけど、それ以上に、一緒にいた時間が長くて。
 殺意は持続せず。憎しみは日常で摩滅して。時折見せる優しい言動が、事後のさりげない気配りが嬉しくて。
 
 「………っ………俺は…………」

 忘れたふりをしてるだけ。本当は許してない。そうかもしれない。
 
 「お前のこと、ただの後輩じゃなくて……少し、面白いヤツだって、思い始めてたのに……」

 あの日、マンションの部屋でカレーを食べながら他愛ない話をしたように、もっといろんな話をしたかった。 
 
 ドアの前にたたずんだ千里が、ノブに手をかけ捻りながら、最後の一言を落とす。
 「あなたは、ぼくの、先輩です。恋愛感情はありません。でまかせです、全部。………忘れてください」
 ドアを開けて踏み出しつつ、俺にした仕打ちも与えた影響も自分にとっては気まぐれの範疇だと、軽快な抑揚をつけ言う。
 「勘違い、鬱陶しいんで」

 俺が最後に見た千里は。
 有里と瓜二つの顔で、哂っていた。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

リーマン×リーマン | コメント(-) | 20010419225251 | 編集
ブログ内検索
    © 2001 ロールシャッハテストB  Designed by 意地天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。