ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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 アパート帰るのたるさに近所の公園で時間をつぶすのが最近の日課だ。
 最寄り駅から徒歩五分、アパートまで徒歩七分の中継地点にその公園はある。 
 手垢のついた遊具が電灯に影引くこぢんまりした公園の片隅、指定席のブランコに腰掛ける。
 中1ん時から世話んなってるピースをくわえ深々一服、肺で醸した紫煙を鼻から抜く。
 体がだるい。腰が痛い。
 金と引き換えた行為の余熱と余韻は鈍い痛みと倦怠感に化けていつまでもまとわりつく。
 「!あつっ、」
 鎖に指を絡め、スニーカーの靴底で砂を塗した地面をそっと蹴れば、ジーパンの生地がきつく突っ張って裂けた傷口を圧迫し顔を顰める。
 「……マツモトキヨシ開いてっかな」
 薬、また買ってこねーと。ついでにコンドームも。
 尻に体重がかからぬよう姿勢を調整し、薄汚れたビルがひしめきあう都会の空を仰ぐ。
 軽薄なネオン瞬く歓楽街の猥雑な空と対照的に、一駅挟んだこの場所から見上げる空は書割のように一色で事足りる。安っぽさはいい勝負で、電灯のまわりだけ仄かに白む。
 電灯の明かりが届く範囲だけたゆたう闇がやわらかな紺色に明るむ公園を眺め、持病みたいなもんだから仕方ないかと、憂鬱な吐息を煙に乗せて自分を慰める。
 「………訂正、職業病」
 子供の姿が絶えた夜の公園は本来の賑わいと遠く隔たって、かつん、かつんと間延びしたリズムで蛾がぶつかる電灯の監視の下仮死の眠りにつく。
 すべり台ジャングルジムにシーソーなど代表的な遊具がそれぞれ独立した孤島のように間隔を空けて佇んでいるが、いずれも塗りの劣化著しくペンキの剥げたまま放置され、砂浜に乗り上げた難破船の如く廃れて侘しさを誘う。
 夜限定俺の憩い場たる公園はほぼ四辺の長さが等しい正方形。真ん中にミニチュア展望台をかねたコンクリートの丘、東側にジャングルジムとシーソー、西側に大中小の鉄棒、北側入り口付近には不細工なラッコとゾウとキリンの乗り物、俺がいる南側にブランコと砂場を配置した定番の造りで、そこそこ遊具も充実しているのだが、夜零時を回ったこの時間にうろつく物好きはさすがにいない。
 帰るか。
 そう思うのは何度目か、浅く腰を浮かせるも、ケツを引き裂く痛みと同時に脳裏をよぎるからっぽの部屋の情景に気分が萎えて、なかなか踏ん切りがつかない。
 長く退屈な夜を寝返りで持て余すよりかブランコでもこいでたほうがいくらかましだ。
 アパートに帰るの自体よく考えれば一週間ぶりで、しょっちゅう留守にしがちな部屋は、生活臭がさっぱり染みつかないせいかちっとも家って感じがしない。隣に住む韓国人夫婦の喧嘩の声、ついでに仲直りのあの声がうるさいのも辟易する原因のひとつ。
 たまに寝に帰るだけの場所に愛着もてないのは当たり前か。
 しっとり湿った髪に手をやって風を通す。
 いまどきありえない話だが、俺の部屋には風呂がない。シャワーを浴びたきゃホテルに行くっきゃない。最近は行為のためにシャワーを浴びるんじゃなく、シャワーめあてでホテルに行ってるようなもんだ。
 このへんは入居審査がずさんなアジア系外国人向け安アパートと老朽化した雑居ビルとが混在する胡散臭い地域で、昔はともかく、公園で遊ぶ子供なんか今は殆どいないのだろう。酔っ払いの喧騒華やぐ歓楽街からは一駅離れており、雑居ビルが聳え立つ谷間に存在するせいか存在自体知らず素通りする人間が多い。
 日照権妨害で裁判おこしたら多額の賠償金ふんだくれそうな立地条件の悪さ。
 もとは見晴らしよい通りに面してたのが、後からどんどんビルが建て増しされ囲い込まれてしまったらしい。どん詰まりとか行き止まりとか、そういう不景気な言葉が似合う場所だ。
 二口目を喫おうとして、中央に建つコンクリートドームの麓に動く影を見つける。
 トンネルの奥の暗がりに人がいる。寝返りを打つ。一瞬、目の錯覚を疑う。
 やっぱりいた。
 子供がよじのぼり遊ぶため、限りなく球に近いなだらかな斜面に凹凸の足場がついたドームのトンネルの中、新聞紙をまとって身を横たえた小汚い男。
 ホームレスだ。
 縄張り争いに負けたのか市に撤去を命じられたのか、どういう事情で流れついたかは定かじゃないが、夜の公園という現実から3センチ軸がずれた非日常空間に自分以外のだれかがいるという状況が落ち着かず、なんとなく気になって目で追う。
 と、男がのそりと起き上がる。
 毛布代わりの古新聞をどけて、トンネルからのそのそ這い出し、寝ぼけ眼であたりを見回す。
 視線がぶつかる。
 面倒なことになったと舌を打つ。寄り道なんかせずとっととアパートに帰りゃよかった。
 謎のホームレス男は、ブランコに腰掛けた俺のもとへ寄ってくるや、フケと脂の浮いたぼさぼさの黒髪に隠れた顔に、負け犬の習性もろだしの卑屈なおもねり笑いを浮かべる。
 金?
 食い物?
 まずはその二択。
 前者は多少あるが、後者は残念、持ち合わせがない。
 頭の中で打算と計算が働き、トラブルを避けて腰を上げる。
 「悪いけど他あたって。俺貧乏だから、あんたが欲しいもんきっとあげらんないよ」
 なめらかに嘘をつき、さりげなくジーパンの横を庇う。そこには剥きだしの万札が三枚入ってる。
 俺が体で稼いだ金、当面の生活費。ホームレス救済という偽善で彩った社会福祉のため募金するつもりはさっぱりない。
 恐喝?それにしちゃ目の前の男から危険な匂いは感じ取れない。
 頭の中で勝率を計算する。
 ひょろりと縦にばかり長い痩躯にボロを纏った男はちっとも強そうじゃない。喧嘩になったら余裕で勝てそう。いざとなったら殴り倒して逃げると決意し、腹をくくる。
 いつ豹変し殴りかかってくるかと浅く腰を浮かせ牽制する俺をよそに、男は赤く爆ぜる煙草の先端を凝視する。
 前髪が両目どころか鼻の頭まで覆ってるせいで表情がまったく読めず不気味。
 かつん、かつん。蛾と電灯の衝突音が性急に鼓膜を打つ。
 おもむろに男が手を出し、幼児がおやつ頂戴するような無邪気なポーズで催促。
 「それ、くれ」
 「どれ?」
 「あんたが喫ってるもん」
 男が物欲しげに見つめていたのは俺本体じゃなく、俺の口元の煙草だった。
 煙草をつまんで口からはなし、軽く叩いて灰を落とす。
 「……自分で買えば」
 「金がない」
 「お断り。変なビョーキ伝染すかもしんないし」
 「伝染す?伝染るじゃなくて?」
 「売り専だから、俺」
 困惑顔の男に対し、さあ、引くなら引けよとあっけらかんと言い放つ。
 初対面の他人、それも素性の知れぬホームレスなんかに職業をばらしたのは、それが一番手っ取り早く撤退させる口実と踏んだのと、いつもの欝が訪れて自暴自棄な気分に急傾斜したせいだ。今夜の客ははずれだった。
 一体どういう反応をするだろう。嘲り、蔑み、哀れみ?
 しかし、男が返した反応はそのどれとも違う。
 煙草から俺の顔へと視線を移し、まじまじと見つめて、不潔な前髪から覗く口元にシャイな微笑を添える。
 ホームレスのくせにシンナーで溶けもせず、やや黄みがかってるのを除けば、健康的で綺麗な歯並びだった。
 「あんた、いいやつだな」
 「は?」
 「俺のなり見た上で、伝染るほうより伝染すほう心配してくれた。いいやつだよ。いいやつだからきっと、煙草を譲ってくれる」
 見え見えのお世辞にあきれる。
 「……そんなほめられ方したの、生まれて初めて」
 肩透かしをくって呟けば、好感を得たと勘違いした男が、下心満載の笑みを口元にちらつかせ揉み手でおこぼれを待つ。
 リバージブルな態度に、図々しい男だなあとむかっぱらがたつ。
 「いいよ。手えだせ」
 偉そうに顎をしゃくる。
 男が歓喜に顔を輝かせ―髪に隠れて見えないが、どこまでもゲンキンに嬉しそうな雰囲気が伝わる―突き出した右手に、煙草の灰を落とす。
 「あつっ!?」
 仰天し、反射的に右手を引っ込める男。
 火傷した右手を大げさに庇って痛がる気の毒な姿がおかしみを誘って、ブランコからすべり落ちんばかりに手足をばたつかせ笑い転げる。
 「もうちょっと人を疑えよ、ホームレス」
 「前言撤回。意地悪だ、あんた」
 「どうも」
 口を尖らせ手の火傷にふうふう息を吹きかける男に肩を竦めてみせる。
 俺より年上なんだろうけど、やることがいちいちガキっぽい。具体的に何歳くらいか想像つかない。年齢年齢不詳の男は、無精ひげの散った顎を人さし指で掻いて、恨めしさと羨ましさが半々の上目遣いで俺の喫う煙草を見つめている。見つめつづける。
 「ちっ」
 ずっと見られてたんじゃ気が散る。落ち着いて煙草が喫えやしない。
 正面に立つ男の視線に辟易、まだ半分も残った煙草を地面に捨て、ブランコを立つ。
 俺が立ち上がると同時に待ってましたと這い蹲り、せこい手つきで吸殻をつまみあげ口に持っていく。
 俺が捨てた吸殻のおこぼれに預かる男を、公園を去りかけ、呆れ顔で見つめる。
 「よく人が口つけたもん喫えるな」
 「唾液で感染する病気なのか」
 「ちがうけど」
 「もっと汚いもんしゃぶっておまんま食ってんだろ、あんたは。とやかく言われる筋合いねえな」
 きわどい冗談だ。俺がもう少しへそまがりだったら、きっと気分を悪くしただろう。
 こいつは間違いなく変人だ。
 公園で寝起きする夜の住人、ボロ新聞を纏った不潔なホームレス、ぼさぼさの黒髪は無造作に伸びっぱなしで無精ひげが生えている。俺の足元に這いつくばって、吸殻を拾い、ちびちび一口ずつ味わうようにそれを喫っては細く煙を吐く。
 ついさっきまで俺が銜えてた煙草をすぱすぱやってくつろぐホームレスに、むきになって言い返す。
 「他人の捨てたもんを四つんばいでかき集める社会のクズよか、体でおまんま稼ぐクズのがちょっとはマシだろ」
 「所詮おなじクズ。同類。仲間」
 俺と自分を指さしホームレスが知ったかぶって嘯く。
 言えてる。クズが優劣を競ってもむなしくなるだけだ。お互い社会の底辺を這いずり回るのが似合う。
 「仲間じゃねーし」
 ただ、それだけは訂正しておく。勝手に仲間にされちゃたまらない。
 相手から見てどうだろうが、俺はまだ、男のいるゴミ溜めまで落ちちゃない。
 名前も知らないホームレスは、立ち去りかけた俺に質問をかぶせる。
 「近所に住んでんの?時々座ってるけど」
 「あんたあんた気安く呼ぶな。質問は、ノーコメント」
 「つれねえなあ。いいじゃんか、一本の煙草を喫い回した仲なんだから」
 「お前が勝手に拾って喫っただけ。俺、関係なし」
 人恋しいのだろうか、とぼけた調子で話しかけてくる男をそっけなくあしらう。
 もう無視して帰ることにする。ジーパンのポケットに手を突っ込んで、公園を突っ切るさなか、男の声が上がる。
 「帰り、気をつけろよ」
 思わず振り向いてしまう。
 男は自分がたった今放った文句に困惑し、ごまかすように笑う。
 「……何に?」
 「……車とか痴漢とか?」
 煙草恵んでくれた恩人に死なれちゃ寝覚めが悪いし、と、冗談めかしつけくわえる。
 肩を竦め、再び歩き出す。
 公園の出口で振り返れば、男はまだブランコのところにいて、地べたに座りこんで煙草を吹かしている。
 間接キスだな、とどうでもいい事が一瞬頭に浮かび、振り払う。
 そういえば、だれかに「気をつけて」なんて言われた事はひさしくなかったと思いながら、俺は家路についた。

 翌日も公園に寄った。
 男は相変わらずそこにいた。どうやらトンネルをねぐらにしてるらしい。
 俺がブランコに腰掛けるのを見計らい穴ぐらからもそもそ出てくるや、デジャビュをもよおす足取りで接近し、厚顔無恥に煙草をねだる。
 「くれ。煙草。はやく」
 「単語でしゃべるな」
 両手をそろえて突き出す。
 くれないのかと恨めしげな上目で睨まれ、絡まれるのもいやだから舌打ちひとつ、百円ライターで火をつけたばかりの煙草を回す。
 「さんきゅー」
 男は一口ずつ、天に感謝するようにしみじみとニコチンを味わう。むしろ目の前の俺という恩人に感謝しろ。
 完全に俺の正面に座り込んだ男を前かがみに睨みつけ、嫌味を言う。
 「あんたさ、昼間もここにいんの。親子連れにいやがられない?」
 「人に嫌われるのは慣れてる。……てのは冗談で、俺がいるってわかってるから、最近は親子連れもよってこない。昼間でも貸切状態」
 「贅沢だね。いい迷惑」
 「あいつらは帰る家があるだけいいだろう。冷蔵庫開けりゃたっぷり食い物が詰まってる。だったら公園くらいホームがレスな俺に明け渡してくれてもいい」
 底辺な会話をしつつ煙草を吹かす。
 紫煙が二筋絡みあって流れていく。
 一日一日と時間を共にするうち、男に対する警戒心は消え失せていた。 
 偉そうな大人は嫌いだが情けない大人は嫌いじゃない。
 十歳は確実に年下だろうガキに拝み手で煙草をたかる男はみじめでおかしみを誘って、帰る家がない者と帰るところがないもの、境遇が近しい者同士の間にゆるやかな連帯感が生まれる。
 俺が分けてやった煙草が減るのがもったいないからと、ちびちび喫う男を見つめ、疑問を述べる。
 「どっから流れてきたんだ?仕事と家族は?」
 「いきなりタブーに触れるねショウネン。ノーコメント」
 「名前は?」
 「自分から名乗れ」
 「司。おっさんは」
 「ななし」
 「うわつまんねー」
 おっさんと言っちまったが、よく見れば意外に若い。
 垢じみた前髪を伸ばしっぱなしにしてるせいで年齢不詳の不気味な雰囲気が漂うが、ちゃんとひげをあたれば二十代でとおるかもしれない。
 錆びたブランコをきこきこ揺らしつつ、ななしのホームレスに勝手なあだ名をつける。
 「ナナシさんはいっつもここにいンの?」
 「漂流は飽きた。しばらくここに定住予定」
 「迷惑だね、子供たちに」
 「現代っ子は家でゲームしてろ。公園は大人に譲れ」
 「んな無茶苦茶な」
 「こっちは身ひとつで暮らしてんだ、ぬくぬく親に保護されてるガキめらに遠慮する義理はねえ」
 「大人げねー大人」
 いっそ潔いほど開き直るナナシにあきれて苦笑する。
 ナナシとはそれから毎夜公園で顔をあわせた。
 俺はアパートへの帰途にある公園に寄り、短いときで三十分、長い時で二時間、ナナシと煙草を分け合うついでに他愛ない話をする。
 いつしかナナシとの会話が楽しみになっていた。
 どうせアパートに帰っても寝るだけで、他にすることもない。
 時々、最終電車のシートに置きっぱなしにされてる漫画雑誌や週刊誌をナナシのために持ち帰った。ナナシはこの土産を大いに喜んで、食いつくように読み漁った。たまに財布をはたいてナナシの分まで弁当を買ってやった。俺が「ほれ」とコンビニの袋を掲げると、ナナシは熱心に読んでた週刊誌をほっぽりだし、それこそよだれをたらした犬のような勢いで駆け寄ってきて土下座で仰がんばかりだった。夢中で弁当をがっつき、たまに喉に詰まらせ目を白黒させるナナシにミネラルウォーターをさしだしながら、ああ、野良猫の餌付けにはまる年寄りってこんな気分なのかなあと感慨に耽った。
 ナナシは臭かった。じきその匂いにも慣れた。一緒にいるのは苦にならなかった。
 俺もナナシもひとりぼっちで、世間さまから後ろ指さされる存在で、だからつまりそういうことなのだろう。
 不覚にも、不本意にも、ぬるい愛着を抱いちまった理由は。
 「ナナシさん、毎日体洗ってる?」
 「もちろん、そこの公衆トイレで。暑い日は水飲み場で頭っからシャワーをかぶる」
 公園の隅の公衆トイレとコンクリートで固めた水のみ場とを交互に箸でさす。
 「お前も一緒に浴びるか?水しかでねえけど気持ちいいぜ夏は」
 「頭がおかしいとおもわれたくないから遠慮しとく」
 「ところで、つかさ」
 賞味期限寸前の値引きセールで売り叩かれてた弁当のからあげを美味そうに頬張りつつ、割り箸の先端で、ちょんと俺の鎖骨をつつく。
 「痣がある」
 「見せてるんだよ」
 「見せてどうするんだよ」
 「……営業?」
 「……買う金ねえぞ」
 ナナシが渋面を作り、割り箸をひっこめ、再び食事に戻る。
 伸びきったТシャツの襟ぐりを引っ張り、血の寄り集まった鎖骨の痣を隠す。
 足元でにゃあと声が湧く。同時に目をやればナナシの足元にいつのまにか猫がすりよっていた。
 「おお、唐十郎」
 がりがりに痩せ細った野良猫にナナシは箸を止め笑顔で挨拶する。
 「何その歌舞伎役者みてーな名前の猫」
 「からあげが好きだからからじゅうろう」
 「まんまじゃん」
 唐十郎と呼ばれた猫は名前にふさわしからぬ薄汚さで、ギャップが笑いを誘う。
 「猫にはモテるんだよね、俺」
 「同じ匂いしてんじゃねーの」
 「マタタビ臭するか?」
 「トイレと間違えてんだよ」
 「あの砂場このへんの野良のトイレになってんだ」
 「……食欲失せる情報どうもありがとう」
 ナナシはいそいそと浮かれて、からあげをひとつつまんでやる。箸の先に挟んだからあげをぱっとくわえるや、猫はもう用はないとばかり駆け去って、公園を囲う茂みにとびこんで姿を消す。 
 「……ゲンキンな猫」
 「だれかさんとそっくりだ」
 そっけない猫に気を悪くしたふうもなくナナシがからから笑う。
 消えた猫の行方をぼんやり追って、ずっと頭の隅にひっかかっていた疑問を独白。
 「………あんたはさあ、気持ち悪くねえの」
 「うん?」
 「俺、男と寝てんだよ」
 金のために。続く言葉は口の中で言うにとどめ、ブランコの鎖を握り反応をうかがう。
 初対面で男娼とばらした時からナナシの態度は一貫して変わらない。
 嫌悪も同情もそこには存在せず、無関心と許容が同義の、適度な距離の心地よさがある。
 「男に尻貸すなんて気持ち悪くね?想像できないって人、結構いるし。離れてったダチもいるし。……俺、まだ若いから、選ぶ客さえ間違えなけりゃ割かしいい金になるんだけどさ」
 「好きか、仕事」
 「……好きとかきらいとか考えた事ないけど、割がいいし、ラクだから。バイトも……俺みたいな補導歴ありの中卒、なかなか雇ってくんなくて」
 「中卒なのか」
 「……いや、ウソ。ほんとは中学中退。卒業してねーの。色々あってさ、中学まともに通ってないんだ。小学校も行ったり行かなかったりで」
 俺の告白に、ナナシはぎょっと目をひん剥いて仰天の表情を作る。
 「そりゃーまずいぞ。因数分解と平方根は知らなくても世の中渡ってけるが、割り算とかけ算はできたほうが断然便利だ」
 「ばかにすんな、九九はできる」
 「ろくは?」
 「しじゅうはち」
 「おー」
 ナナシが間延びした拍手をする。馬鹿にされてるようで腹が立つ。
 不機嫌に黙り込んだ俺に気付いて拍手をやめ、してやったりと口元をひん曲げる。
 「不幸自慢なら煙草一本でつきあう」
 がめついおっさんだ。
 しぶしぶ懐から煙草を取り出し、その口に突っ込む。
 食後の一服とばかり、ナナシは目を細め実にうまそうに煙草をふかす。
 口元だけでも案外表情豊かだ。不機嫌な時は右の口端がくいと下がるから一発でわかる。
 本日はご機嫌麗しいご様子で、くわえた煙草の先端をちょいと振って、火をつけろと促す。
 「ホストかよ俺は。甘えんな」
 「いいじゃねえか、サービスしろよ。大人は敬うもんだぜ」
 「税金払ってる大人しか尊敬すんなって言われて育ったけどな」
 「……かっわいくねー」
 ほら、右の口角が下がって窪みができる。
 一度すねると面倒くさいので、降参し肩を竦め、先端にライターの火を近づける。
 「まだ若いだろ、お前。17かそこらで仕事なんざさがせばいくらでもある、えり好みさえしなけりゃな」
 「ナナシさんはどんな仕事してきたの」
 「やばい仕事」
 「ヤクザの使いパシリ?」
 あてずっぽうで指摘すれば、煙草をつまんだナナシの目が過去に焦点を合わせ、若干鋭くなる。
 「やっぱな。どーせなんかヘマやらかして組追われたんだろ、そんで全国漂流中なんだ」
 「滅相もない。ただの児童公園マニアのホームレスさ」
 「うそつけ」
 ふたり、声を合わせ笑う。
 危険な奴には見えないが、ナナシにはどこか浮世離れした達観じみたものがつきまとっていた。
 人生の辛酸をいやというほど噛みしめたホームレス特有の諦観というよりは、若い頃から人間のどす汚い部分をくさるほど見てきたが故の韜晦と倦怠に似ていた。
 ナナシは指の股に煙草を預け、窄めた口からふーっと紫煙を吐く。
 「過去つったって語るほどのもんはねえ。普通の会社に勤めるごくごく平凡なサラリーマンだったのが、あっけなく会社が倒産してぽーんと放り出された。そっからはお決まりのコース。不況の時代で再就職の口なくてやけンなって、憂さ晴らしの競馬やパチンコにどっぷりはまって、サラ金からの借金がどんどん膨れ上がって……で、どうにもならなくなって今に至る」
 「ホントありがち」
 憎まれ口を叩けば、ナナシはなぜかくすぐったそうに「だろう?」と歯を見せて笑った。

 夜毎奇妙な逢瀬を重ねるごと、俺はナナシに惹かれていった。
 その事を自覚したのは、随分遅かったけど。
 こんな小汚い、得体の知れない男に惹かれるなんて自分でも予想外の展開だったけれど、ナナシといると妙に心が安らいだ。
 スレた生き方をしてきた者同士波長が共鳴し、暗黙の内に共感が通い合う。
 トモダチでもない、家族でもない、夜の公園でほんのひとときじゃれあうだけの希薄な関係なのに、こんなにはまっちまうなんて。

 「万有引力とは引き合う孤独の力である」

 ある日突然、ナナシが言い出した。
 「……哲学?」
 「詩だよ。谷川俊太郎。……好きなんだ」
 照れたようにつけくわえる。
 「がつんとくるフレーズだろう」 
 それは、いつもの延長線上の夜だった。
 ただ違うのは、俺の顔にはサドな男に殴られた痣がくっきりと映えて、ナナシはその日の昼、小学生の襲撃を受けて擦り傷だらけだった。公園入ってお互いのつらを見るなり、爆笑しちまった。
 男前が上がった理由をからかい半分不審半分に問えば、金属バッドをひっさげ集団で殴りこんできた悪ガキどもを素手で勇敢に返り討ったと自慢した。
 ナナシは自らの力で砦を守り抜いたのだ。
 勝利の代償は相応に高くついた模様で、左目のまわりにコントみたいなどす黒い痣ができてる。
 しゃべるたびに痛むらしく左右非対称に顔を痙攣させつつ、右手をさかんにひらつかせ、ナナシは愚痴をぶちまける。
 「中学生ならともかく小学生だぜ?最近の親はどういう躾してんだよ、せめて金属バッドはやめろよ、普通の木のにしろ。骨折したって病院の世話になる金なんかねーぞ、こっちは。無職舐めんなよ」
 「相変わらずサバイバルな毎日おくってんね」
 ナナシのしぶとさおよび図太さに感心。
 ナナシは俺が二十四時間営業のドラッグストアで急遽買ってきたバンドエイドと消毒液で、涙目で手こずりつつけがを治療していた。被害は顔の痣だけに留まらず、文字通り一張羅のトレンチコートは電灯に照らされ、カラフルなまだら模様に染まっていた。
 ナナシを襲撃した悪ガキどもが「殺菌消毒!」と調子こいた奇声を発しスプレーを噴射したのだ。
 「ったく、とんでもねーギャングエイジどもだ」
 「最近のガキはやることえぐい」
 「他人行儀に言うなよ、お前だって十分ガキじゃんか」
 完全に他人事な俺の口ぶりに笑うも、「あつっ」と顔を顰める一人芝居。
 滑稽な渋面を作るナナシを指さし笑い、突っ込む。
 「小学生相手に大人げなさかなぐり捨てて立ち向かうどっかのホームレスに言われたかないね」
 「大人げをかなぐり捨てなきゃ守れないもんだってある」
 平然と振舞おうと懸命に努力してるが、傍若無人なギャングと化した小学生に遊び半分の襲撃を受けたショックは相応にでかいらしく、大人のプライドを傷つけられたナナシは憤慨する。
 「ナナシさん襲ったガキの気持ちちょっとわかる。からかうと面白いんだもん、癖になる」
 「……ガキの頃のお前が目に浮かぶぜ。さぞかし悪さし放題の悪ガキだったんだろうさ。愚連隊気取りで窓ガラス割って回って、無免許でバイク乗り回して、トルエン吸ってトリップしまくってたんだろ」
 「何それ」
 「知らないのか、愚連隊」
 「初耳」
 「……ジェネーレションギャップ……」
 ナナシが遠い目を虚空に泳がせる。
 話を元に戻す。
 「で、なんでいきなり谷川俊太郎?詩なんか読むんだ、意外」
 「馬鹿言え、もう何年も本なんか読んでねー」
 「じゃあなんで知ってんだよ」
 矛盾した言動を突っ込めば、ナナシが首を傾げる。
 「国語の教科書に載ってたろ?」
 「……中学の教科書は手癖がつく前にぜーんぶ投げちまいましてねー」
 知ってるくせに性悪なおっさんだ。
 ふてくされる俺に苦笑し、ナナシがふっと目を和ませる。
 「……もう何年も忘れてたんだけど。あいつら見てたらさ、ふっと思い出した」
 ナナシが視線をとばした方向をつられて振り仰げば、ジジジと発光する電灯の信管に、頭の悪い蛾が性懲りなく体当たりを繰り返していた。
 荒廃の闇に沈む公園を唯一照らす電灯の光にひきつけられ、翅を灼かれてもなお体当たりをやめぬ蛾の生態と照らし合わせ、不可解な発言に納得いく。
 翅を焦がし電灯にぶつかり、死ぬまで光を乞う蛾。
 多分、俺が公園に通うのと同じ理由で。
 ナナシは自分で包帯を巻こうとしていたが、根っから不器用なたちらしく包帯が縺れ絡んでしまい、とても見ちゃいられない。
 「貸してみ。やる」
 「え?……いいって」 
 「俺にさわられんのいや?」
 冗談めかし聞く。ナナシは言葉に詰まる。降参。
 袖をまくりあげて手足の擦り傷を処置するさなか、偶然覗き込んだ股間に懸念が宿る。
 「ちゃんと洗わねーと病気になるよ。毛ジラミも沸くし」
 「失礼な、毎日洗ってるっつの。トイレのちびた石鹸使って」 
 「毎日どこで寝てんの?あそこ?場所かえねーの」
 公園のど真ん中、こんもり目立つコンクリートのドームに顎をしゃくる。
 灯台代わりの常夜灯が定点に光を投げかける公園において、おわんを伏せたような形のそのドームは墳墓さながら非現実的な存在感を示す。
 「雨風しのぐ天井と壁があって、寝る場所が平らなら文句は言わねえ」
 ナナシはコンクリートトンネルを住処にしている。
 「慣れれば結構快適だ。夜の駅とか追い出されっし、他のホームレスがいるとこは変な派閥ができて人間関係面倒くせえし……川原とか駐車場とか色々行ったけど、ここが一番落ち着く」
 「ホームレスにも派閥とかあんの?」
 「あるとも。ダンボールハウスが3センチ自分の陣地に寄ってるとかでキレるいかれたジジィもいりゃ、酒がないから代わりにどっからかかっぱらってきたしょうゆをイッキして救急車で運ばれたどうしようもねえアル中ジジィもいたし。しょうゆだぜ?信じられっか、ウオッカより危険なんだぞ、あれ」
 「ははっ」
 しかめつらのナナシにつられ、久しぶりに声を出して笑う。
 俺と出会うまでにも色んな人の間を渡り歩き、悲喜こもごもに彩られた出会いと別れを繰り返してきたのだろうナナシに、憧憬とも羨望ともつかぬ眩い感情を抱く。
 同時に、ワケありっぽいナナシの過去について知りたいという欲求が芽生える。
 ナナシはどこを見てるかわからない目を俺の手に落とし、雨だれに似たリズムでぽつぽつしゃべりだす。
 「そのじいさんが救急車で運ばれた時、付き添ったんだよ、俺。他に付き添うやつもいねえし、そこらのダンボールハウスから沸いた野次馬は役に立たねえし、仕方なく……お隣さんだったんだよな。歯も抜けまくって、なに言ってんだかわかんねえよぼよぼの年寄りだったんだけど、大丈夫か、じいさん、しっかりしろ、急性アルコール中毒ならともかく急性醤油中毒なんて死因を死亡診断書に書かれたら恥ずかしくて浮かばれねえぞって発破かけてさ。じいさん乗っけた担架が救急車の後ろに運び込まれる時、何かが落っこちて。保険証かなって拾ったら……」
 「なんだったわけ?」
 「レシート。コンビニの」
 「はあ?」 
 予想外の答えに思わず処置の手を止める。ナナシはひどく優しい目をして続ける。
 「ウソのようなホントの話、じいさん、コンビニのレシートをお守りがわりにしてたんだよ。最初は意味わかんなかった、生きるか死ぬかの一大事になんでレシート握り締めてんだよ、他にもっと大事なもんあるだろって……思うよな、普通さ。ワケはあとでわかった。じいさんが病院に強制入院したあと、ホームレス仲間のおっさんがこっそり教えてくれたんだ。じいさんが持ってたレシート、じいさんがよく廃棄弁当漁りに行くコンビニのでさ。そこの店員はじいさん見るといやな顔するか追っ払うかのどちらかなんだけど、一人だけ優しくしてくれる女子高生バイトがいて、その子、じいさんの孫とおなじ年齢で。一回だけ、なけなしの小銭をはたいて、その子から缶コーヒーを買ったんだ。しわしわで垢だらけのきったない手で、普通そんな手を見せたらうわばっちいって引くのに、すげー丁寧に、こう、包み込むようにしてレシート渡してくれたんだって。それがよっぽど嬉しかったみたいで、お守り代わりに上着に入れて持ち歩いてたんだ。……じいさん、ボケてたから。バイトの子をホントの孫だって思い込んでたのかも」
 悲哀の光といとおしむようなぬくもりを目に同居させ、ナナシが結論づける。
 「あのくしゃくしゃのレシートはじいさんにとって、何年かぶりに人に優しくしてもらった思い出そのものだったんだ」
 「………ほらよ。終わり」
 ナナシの膝を軽く叩いて終了を告げる。
 余ったバンドエイドを袋にしまいつつ、できるだけ興奮を抑えた声で先を促す。
 「で、そのじいさんはどうしたの。生きてんのか」
 「さあな」
 「さあって、」
 「じいさんが帰ってくる前に、俺、よそに移ったから。揉め事がおきてさ」
 そう言われちゃこっちとしても引き下がるしかない。釈然としないが。
 だが、俺より誰より一番じいさんの事を心配して無事を祈ってるのはナナシなんだろうなと、がらにもなく憂いに沈んだ暗鬱な表情で察しがついた。
 醤油イッキじいさんの生死は曖昧にぼかし、ズボンを引き上げながら、ナナシはさりげなく聞く。
 「お前、家族いんの」
 「なし。施設育ちだから、俺」
 「……そっか」
 「ウリなんかやってないでとっとと親んとこ戻れって説教するつもりだった?」
 くさくさした気分で攻撃的に問えば、ナナシはばつ悪げに頬をかき、伸びきった前髪の奥から困惑した視線を放る。
 闇の中、地べたに座り込んで重苦しく黙り込んだナナシに向かい、年下の俺のほうが大人げなさを自覚する。
 「……止めてくれる人間いたらこんな商売やってねーって」
 妙な雰囲気だ。いやに胸が騒ぐ。俺はナナシのことを何も知らない、どうしてナナシがホームレスになったのかとか家族や仕事はどうしたのかという最低限の情報さえ知らない、ナナシの過去について何も知らない。俺が知ってるのは今のナナシだけ。いつのまにか近所の児童公園に居ついたホームレス、引きずるくらい裾が長い灰色のトレンチコートにシャツという不潔な格好、無造作に伸びた前髪は脂じみて顔を隠す。
 年齢不詳、正体不明。
 夜の公園でひととき煙草を分け合い、くだらない話をするだけの定義しづらい間柄。お互いの事を何も知らない、ナナシは俺の名字を知らない、俺はナナシの本名を知らない。知らない尽くしの関係で、ナナシが知ってるのは俺が売り専の男娼だって事と、好きな煙草の銘柄くらいのもので
 だから俺は、俺がこうなるに至った十七年の経緯ってのを、簡単に説明してやる。
 「俺さ、漫画喫茶のゴミ箱で見つかったの」
 ブランコに腰掛け、鎖に指を絡める。スニーカーの靴裏で地面を軽く蹴り、力を入れず惰性でこぐ。唐突な出だしにナナシが面食らう。
 夜を泳ぐようにブランコをこぎつつ言う。
 「漫画喫茶のトイレのゴミ箱に突っ込まれてたんだ、へその緒ついた状態で。トイレの個室で産み落として、たまたま目についたゴミ箱に突っ込んだんだろうって話。どんな親だか知んねーけど、ろくな親じゃないんだろうって、それだけでわかる。駅のロッカーならまだしも漫喫のトイレのゴミ箱だぜ?回収にきた店員がぶったまげて腰抜かしたって施設の職員にあとから聞かされて不覚にも爆笑しちまった。よくへその緒絡んで窒息死しなかったなあって悪運に感心したけど……ゴミがどんどん上のっかって圧死してた可能性もありか。ま、そんなわけで、一応息のある状態で救出されたんだけど、とうとう親は名乗りでなくて、結局乳児院から施設送り。多分さ、最初からそのつもりで満喫入ったんだよ。トイレで産み落として、そこに放置してとんずらこくつもりだったんだ」
 産まれた時の事なんか覚えてない。記憶がなくてよかったと思う。もし覚えてたら、かなり深刻な閉所恐怖症になってただろう。
 軽く地面を蹴って、次第に力を込めてブランコを押し出す。風を切ってこぎながら、冷めた声で続ける。
 「で、またありがちな話、俺が送られた施設ってのが酷いとこでさ。職員は最低な連中ばっか、殴る蹴る飯抜きは当たり前、おねしょしたガキは素っ裸に剥かれて一晩中トイレに閉じ込められた。チンコをこう、輪ゴムでぐるぐる巻きにされてたさ……俺も何回かされたけど、すっげー痛てえの、あれ。炎症おこして、病院に運ばれたガキもいたっけ」
 施設では職員による折檻が横行していた。児童虐待。あそこはとても賑やかな地獄だった。
 歪んだ口元に自嘲と自虐の入り混じった笑みがちらつく。
 しみったれた過去を振り切るように勢いをつけ、ブランコをこぐ。
 「職員に一人変態がいてさ。小3の時、妙に寝苦しいし、ごそごそ音がするから妙におもって目を開けたら、上にでっけえ影がのっかって動いてるの。なにしてるのって聞いたら口ふさがれて、もう一方の手でパジャマむしられて……さんざんいじくり倒されて、わけわかんなかった。精通もまだだったから、快感とか全然ねえの。しょうべん我慢してるみたいなむずむずした感じがずっと続いて、気持ち悪かった」
 行為は夜毎エスカレートしていった。
 俺が脅しに怯えてばらさないとみるや、職員はどんどん大胆になっていた。
 「……最後まで行かなかった。しゃぶらせるだけで満足してた、相手は。さんざん指や舌突っ込まれたけど、とうとうアレは入れてこなかった」
 まだ剥けてもない未熟な子供のペニスをいじくり倒しながら、職員は息を荒げ、さんざん卑猥な文句を吐いた。
 四つんばいにさせられ、後ろの穴に指を突っ込まれ揉み解される間中、シーツを噛んで必死に悲鳴を押し殺した。
 髪の間を通る指の感触も体の裏表をくまなく這う舌の感触も尻の穴をほじくる指が与える痛みも、精通を迎えてない、皮も剥けてない小学生のガキにとっては真っ黒い苦痛と恐怖でしかなかったが、俺が痛がるばかりでちっとも感じないと職員が不機嫌になってますます酷くするから、いつ頃か職員の機嫌を損ねたくない一心で女みたいに甘い声を上げ、腰を振り、幼稚な媚態を演じるようになった。
 誰からも祝福されない男娼人生のはじまりはじまり。
 「フェラチオもシックスティーナインも、ぜんぶそいつに手ほどきを受けた。俺に入れなかったのは、多分、血とかたくさんでてシーツが汚れんの警戒したから。自分の性癖がまわりにばれんのが怖かったんだ」
 「ずっと我慢してたのか」
 「中学で追ン出た。それからずっと男の相手して暮らしてる。本番が追加されただけで、やってることは昔と変わんねえ」
 指と口で俺を犯した職員の顔は、俺の体の上を通りすぎていった色んな男たちと混じり合い溶け合って今では上手く思い出せない。
 「……結構性にあってるよ、この商売。俺さ、セックス上手いんだぜ。人気者。若いから締まってるし、もうしばらくは食っぱぐれずにすむ……」
 「俺がやめろって言ったらやめるか?」

 不意打ちだった。

 靴裏で砂を蹴立てブレーキをかける。
 鎖を握った手がずりおち、虚を衝かれた声が不自然に上擦る。
 「………何、いきなり」
 ぎこちなく笑って冗談にするつもりだった。しかし、ナナシは笑わない。
 ブランコに腰掛け、顔筋を引き攣らせ滑稽に笑う俺に向き合い、真剣な顔つきでくりかえす。
 「俺がさ。やめてくれって頼んだら、好きでもない男に体売んの、今日限りでやめるか」
 耳を疑った。
 心のどこかで期待していた言葉、今まで誰からも貰えず貰う事を諦めていた言葉を、目の前のホームレスが真剣に繰り返す。
 なんだこれ。
 これじゃまるで、不幸な身の上話で同情を引いたみたいだ。
 自分の不幸をネタにして、ナナシの同情を誘ったみたいだ。
 やっすい俺。
 やっすい手口。
 こんなやっすい手口にひっかかる男もどうかしてる。
 俺は、哂う。唇の端を皮肉っぽく吊り上げ、台詞に見合いの安い虚勢を張って、せいぜいふてぶてしく性悪な笑みを浮かべてナナシの「お願い」を蹴っ飛ばす。
 「……やめねーよ。やめてどうすんだ、他に仕事みつけんのか。みつかんないよ。保証人もいねえし……金払えなきゃアパートも出てくしかねえし、あんたにやってる弁当、煙草、それ買う金もなくなっちまう」
 とめてほしがってるのか、俺は。ナナシに、この男に、そんな商売はやめろと、クサイ台詞をかけてほしかったのだろうか。
 知らず頬に赤みがさす。胸が高鳴って、手に汗をかいて、自分が動揺してるのが恥ずかしくて、やけっぱちでブランコをこぎまくる。
 「追んだされたら俺んとこ来い。一緒に住もう。結構快適だぜ、コンクリートトンネル。たまに小学生に襲撃されっけどさ、ダンボールで出口ふさいで、バリケード作って。秘密基地ごっこみたいで楽しいぜ、きっと」
 「冗談かよ」
 「半分本気。こっちはいつでも歓迎」
 そしてナナシは両手を広げて快活に笑い、禁じられた王国の領土を誇るかのように、さして広くもない公園のぐるりを見回す。
 「ホームレスの醍醐味を教えて進ぜよう。おちてる吸殻でも美味しく喫える、賞味期限切れの廃棄弁当でも美味しく食える。最低の場所から眺めりゃなんだって最高さ」
 目からうろこが落ちた。
 あざやかな発想の転換、視点の移動を示唆され、世界の見方ががらりと変わる。
 両手を広げたナナシの背景にはお馴染みの遊具がたたずみ、常夜灯が白く照らす、ちっぽけな王国の全土が浮上する。
 薄汚れた雑居ビルに挟まれ存在自体忘却された廃墟の公園に、大胆な宣言が響く。
 俺に斬新な見方を提示したナナシはといえば、かっこつけた自覚はあるのか、照れたように前髪をかきあげる。
 伸びきった前髪が上がり、一瞬だけ暴かれた素顔は意外に若々しく、外気に晒された両目はしてやったりと小癪な笑みを含んで。

 ああ、まずいなあ畜生誤算だと思いつつ、その瞬間恋に落ちた。

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